震災以降、思うところがあるようなないような、確固たる何かがあったわけではないのだが、ネット環境とはまったく疎遠であった。
もちろん仕事パソは使うがプライベートパソはまったく放置、色んな設定も全てごあさんで願いましてリセットであり、今日ここにたどり着くまでに、パスワードの関所と幾度と無くトラブルを経る始末・・・・。
今後はどうなるのだろう? ネット社会を大肯定した上で、少しの電脳坪数を整地しながら、慎ましく過ごしていきたい。
近況である。
≪息子≫
2歳を過ぎて、やたらしゃべる。ひらがな・カタカナ・数字・歌、教えてもいないのに見るもの聴くもの全てをすぐに覚える。このピュアな味噌、大人も少しは取り返したいものだと、毎日感動を抱きながら自分の劣化対策にむちを打つ。来年4月から保育園デビュー。
≪バンド(ほうるもん)≫
名刺代わりの初CD作成!! この自主制作音源プライスレスな時代にキャッシュ500円設定が素敵! 「馬心」「夢の岸」収録。ライブは今月17日(土)に、富山市「ARTIST’s」にて。
≪保険仕事≫
順調。 最近法人中心に相談を受けることが多い2つの国家資格管轄のトピックを学ぶうちに、来年資格を取って、三つ巴で個人事業主開業にする予定。 最近硬質、無機質な文章がお気に入り。
≪その他諸々≫
①【厄年らしく、交通事故に遭う(100:0被害者)】
信号待ちで後ろからドスン!! この6年で3回目の100パーセント被害者事故体験!! 当たり屋もびっくりの打率っす。
肩凝り、腰痛、色んな痛み、因果関係????? ただただ今もって肩凝りレスな自分のガテンさに感謝っす!!
②【禁煙】
息子の誕生日に開始、今約5ケ月経過。 未だにヤニ臭大好き!! 禁煙中でも煙大好き!!
値下がり(200円台)したら吸う気満々!! 今の値段は国家的詐欺のため、拒否!! タバコ農家になりたい。
③【ダイエット】
禁煙直後おやつにラーメン食べてたら最大9キロ増加!! ロッケンローラーからムーミンへ!! ムーミン谷で落ち込んで脱出目論んで苦戦中!!
④【音楽的嗜好】
今年は間違いなく最新盤ウィルコ!!!!!!!! 1曲目、人生最大に強烈!!!!!
今年も色々あったが、家族を養う以外のプライドを持たなくなった俺は、音楽に嗜好性を抱き、感情のディストーション温度にコンプレッサーをかけながらワウを踏み、フランジャーで逝かれた嗜好をコーラス処理して、滑らかにディレイし、ごきげんに暮らしている。
イフェクティブな厄年師走である。
2011年4月23日土曜日
・・・
息子が我が家に現れてくれて、7月で2年になる。
毎日幸せを運んで来てくれる。
身体・感情・知性全てが満たされた日はもちろんこの世の春の謳歌に素敵な彩りを添えてくれるし、全てが低調な日も、息子の顔を見れば全てのバイオリズムの波動とは別世界で彩りを与えてくれる。
未だに時々、息子と触れ合っている時に、「この子がいてくれる」ってことに対する実感が飛ぶ時がある。いや、飛ぶというより、あまりに綺麗で幸せで、このリアルな実感をシリアルに処理できないほど、頭が豊穣感で包まれて、夢心地で・・・。
結婚してから14年間待ったからであろうか? いや、そんな時間軸の意識ではない。
また、幸せを壊れやすいものとしてペシミズムを宿した俺ではない。
きっと感情は、リアルタイムでは夢心地であり、記憶になるまでの間は、漠然として掴みどころがないものなのだろう。
時間がたって、記憶貯蔵室に入ったあたりから、じわじわと心に訴求してくるものであり、それまでの間はただただ観念的であり、時空を経てリアリズムを奏でるのだろう。
「悲しみ」という感情も同じかもしれない。
根源的な「痛い」「つらい」「苦しい」といった感情を抱かせる経験・・・、これらは、ある時間を経てリアリズムを奏でるのであり、直面した時には的確な意志としては原始的・本能的感情がわかりやすい形で出ることはあっても、心が訴えている息吹を有事に際して的確にリアルタイムで表現出来る語彙を人は持っていないと思う。 語彙がないから感情は本質的に処理出来ない。
日常よく直面する喜怒哀楽は、簡単に言葉を使って感情処理できる。
まして今ではネットで色んなさえずりが飛び交っているので、自分の感情処理を強固に支えてくれるシンパシーを得るのも容易い。誰かを称え、誰かを叩き、誰かを賛美し、誰かを罵倒し・・・・、簡単な感情コントロールツールが多い。
英雄探し、犯人探しは、娯楽にすらなりつつある。
だが、あまりに大きな喜びや、あまりに大きな悲しみに対しては・・・・、「・・・・・」の数だけ「黙視」の時間が漂うだけであり、それらの事態は「黙示」できる時の人のキャパを前提としていない。
喜びの漂いは芳香を運んでくれるから良い。
悲しみの漂いが時を経て精神の彷徨に繋がり、それが人をさらわないように、流されないように、頭がパンクしないだけの容量が後付であろうとも備わりますように・・・・。
「・・・」を埋める適切な感情が人々に宿ることを、ありったけの利己的煩悩に包まれながら俺は、自然にひれ伏して祈っている。
毎日幸せを運んで来てくれる。
身体・感情・知性全てが満たされた日はもちろんこの世の春の謳歌に素敵な彩りを添えてくれるし、全てが低調な日も、息子の顔を見れば全てのバイオリズムの波動とは別世界で彩りを与えてくれる。
未だに時々、息子と触れ合っている時に、「この子がいてくれる」ってことに対する実感が飛ぶ時がある。いや、飛ぶというより、あまりに綺麗で幸せで、このリアルな実感をシリアルに処理できないほど、頭が豊穣感で包まれて、夢心地で・・・。
結婚してから14年間待ったからであろうか? いや、そんな時間軸の意識ではない。
また、幸せを壊れやすいものとしてペシミズムを宿した俺ではない。
きっと感情は、リアルタイムでは夢心地であり、記憶になるまでの間は、漠然として掴みどころがないものなのだろう。
時間がたって、記憶貯蔵室に入ったあたりから、じわじわと心に訴求してくるものであり、それまでの間はただただ観念的であり、時空を経てリアリズムを奏でるのだろう。
「悲しみ」という感情も同じかもしれない。
根源的な「痛い」「つらい」「苦しい」といった感情を抱かせる経験・・・、これらは、ある時間を経てリアリズムを奏でるのであり、直面した時には的確な意志としては原始的・本能的感情がわかりやすい形で出ることはあっても、心が訴えている息吹を有事に際して的確にリアルタイムで表現出来る語彙を人は持っていないと思う。 語彙がないから感情は本質的に処理出来ない。
日常よく直面する喜怒哀楽は、簡単に言葉を使って感情処理できる。
まして今ではネットで色んなさえずりが飛び交っているので、自分の感情処理を強固に支えてくれるシンパシーを得るのも容易い。誰かを称え、誰かを叩き、誰かを賛美し、誰かを罵倒し・・・・、簡単な感情コントロールツールが多い。
英雄探し、犯人探しは、娯楽にすらなりつつある。
だが、あまりに大きな喜びや、あまりに大きな悲しみに対しては・・・・、「・・・・・」の数だけ「黙視」の時間が漂うだけであり、それらの事態は「黙示」できる時の人のキャパを前提としていない。
喜びの漂いは芳香を運んでくれるから良い。
悲しみの漂いが時を経て精神の彷徨に繋がり、それが人をさらわないように、流されないように、頭がパンクしないだけの容量が後付であろうとも備わりますように・・・・。
「・・・」を埋める適切な感情が人々に宿ることを、ありったけの利己的煩悩に包まれながら俺は、自然にひれ伏して祈っている。
2011年3月14日月曜日
2011年2月21日月曜日
迷惑駐車
今日のこと、19時半に自宅に帰ってきたら、月極めで借りている駐車場に見知らぬ車が停まっている。
今までに何度もこんなことがあって、それは駐車場の向かいの方(ご近所さん)へ用事があって来ている人がほぼ100%であった。
ご近所とはいうものの、これはこれ!と以前に懇々と説教してから、随分と改善されてきてはいたのだが、この1週間に2回目の迷惑駐車であり、そのご近所さんが停めているわけでもなく、そこを訪れる奴が停めているわけで、狭いコミュニティー、カチコミは避けて、ワイパーに張り紙して自宅待機していた。
だいたい、夜の21時までにいつも電話がかかってくるのだが、今日はない。
迷惑駐車の車を塞いで出れないような形で俺の車を停めたので、周囲から見れば俺の車の停め方が輩である。かっこ悪いので早くフォーマル駐車をしたくてたまらない。
22時半を過ぎても電話がない。今週ある試験への勉強もしなければならないし、辛抱限界、ポリスに電話した。
すぐに持ち主に電話してくれて、先方が慌てて駐車場に出てきた。
俺の駐車位置は12台の月極め区画の中で、1番道路側に面した位置にある。つまり、向かいのご近所さんのところに行くには1番歩く距離が短い位置である。
出てきた奴らは50代の夫婦、見たところ奥様の足が不自由なようである。
へらへらとまではいかないが、とてもじゃないが真剣に感じられない謝り方で、「すいませんすいません。」と軽く言ってきやがる。
大人になった俺、「何で人の駐車場に停められるの?」と穏やかに聞いた。
するとおっさんが、「空いていたので・・・。すみません。もうしません。」と子供みたいなことを言ってきやがる。
大人の俺は大人を少し放棄した。ご近所関係も一時的に少し放棄した。
「ねぶたいことぬかすな!どあほ! おどれ、家どこや。住所言え!」と言って、住所を控えた後、「おどれの家の駐車場に「空いていたので」って他人が停めたらどないするねん。」と言う。
おっさんは言う。
「はい、困ります。すみません。わかりました。もうしません。」と変わらぬキッズ答弁。
俺は言う。「おどれ、ここではもうしませんかしらんけど、他のところでまた同じようなことするやろ? おどれの神経が信じられんのじゃ! サイドミラー律儀にたたみやがって、何きれいに駐車しとんねん。どあほ」
おっさんは言う。
「ミラーたたむのは、横の車に迷惑がかからないようにと思いまして・・・。」
沸点は着実に上がる。噴火しそう僕・・・・。俺は言う。
「っあああっ??? 横の車の気遣いする立場か????? (俺への気遣いは??)」
かなりの疑問符が噴火を後押しする。
懲役&村八分覚悟の怒りを必死に抑えながら、「50歳にもなって、人の駐車場に堂々と停められる神経が許せんのじゃ。お前は謝ってすむと思っているけど、3時間以上お前の迷惑行為に振り回された俺の怒りはどないしてくれるねん。お前みたいな奴が世の中の迷惑をふりまくねん。」という主旨を、精一杯声を落として巻き舌で柄悪風味で言った。
おっさんとおばはんは言う。
「わ、わかりましたよ。どうすればいいんですか? 彼女は足が不自由で・・・。」と今風に言う逆切れ。
とどめである。噴噴噴噴噴糞噴糞噴~~~~~~~~~~~火!!
「なにお~~~~~???? 足が不自由やったら人の月極め停めていいんかい? 甘えるなぼけ! お前の都合なんかこっちは知らんわい。 障害あるのを理由にしょうもないことぬかすな! 足悪くて困っているんなら、張り紙でもして、「~~という理由で停めさせてもうてます。~~にいます」って書いとけ! 最低限のことできんで障害を武器にするんは、他の人に失礼じゃ! ねぶたい顔、雪で洗ってこい!」
障害ある人が困っていたら助けてあげたいと思うのは当たり前だ。バリアフリーへの取り組みを肯定している。
だが、それとこれとは別だ。
迷惑駐車を障害者だからという理由で許すようなことがあれば、それは逆差別だと思う。
「障害がある人を助けてあげよう!」といった一律のキャッチコピーが大嫌いだ。
もし今日のおばはんが障害者意識を誤った方向で持っているならば、それは今までこの安っぽいコピーをさも良いことのように優越感にひたって施しをしてきた周囲にも責任がある。彼らは乞食ではない。
彼らに真の敬意を持つならば、今日の俺の場面はしっかり怒るべきことだと思った。
ご近所さんのおばちゃんが出てきたので、彼女に言った。
「この人ら、ここが人の駐車場ってわかってて停めた上に、障害を理由にしよるから腹がたって・・・。他の障害持っている人に失礼だわ。 別に空いている時は停めてくれて構わないけれど、最低限車に張り紙して理由や居場所書くなりしてくれないと、こちらはただの迷惑なだけですわ。おばちゃんは悪くないから、この非常識な2人におばちゃんからも説教しといて!」と言った。
おばちゃんは平身低頭。おばちゃんが雪かきする時に手伝ってもあげているので、ご近所関係には問題ない。
ほんまむかつく夜であった。
噴火し終わった後、俺は迷惑夫婦に優しく、言葉汚く言った。
「おい、おばはん、寒くて足痛かったやろ? もう他の人に迷惑かけたらあかんで。
おい、おっさん、お前がそもそも奥さんの足のこと気遣うなら、ちゃんとせ~! わかったか? 50にもなってしょうもないことぬかすなよ。気をつけて帰りや。許したる。」
とかっこよく車を見送り、俺はやっとフォーマル駐車と相成った。
怒りに震えたものの、客観的・主観的視点を対等に処理し、なんとか平穏に家に帰った。
障害者に対する見解はデリケートである必要はない。公的な決まりごとが障害者への弱者視点を下回る必要はない。俺は俺の迷惑な感情をがつんとぶつけた。
障害者だからといって迷惑駐車を了解していたら、それは俺の心に邪悪な上から目線が宿っているだけであり、そんな神経は糞食らえだ。
正規に停める権利がある俺が、迷惑駐車バリアのおかげでフリーでない時間を過ごした。
迷惑の主が障害があろうがなかろうが、当然の権利のように人の駐車場に停める輩を許しておく気はない。
障害ゆえ、近くに停めたいという理由があれば、いくらでも融通する。だが、障害があるからといって、人の駐車場に堂々と無断で何時間も停める神経を彼らに育ませるのは、最もバリアを作ることであり、フリーではないと思った。
今までに何度もこんなことがあって、それは駐車場の向かいの方(ご近所さん)へ用事があって来ている人がほぼ100%であった。
ご近所とはいうものの、これはこれ!と以前に懇々と説教してから、随分と改善されてきてはいたのだが、この1週間に2回目の迷惑駐車であり、そのご近所さんが停めているわけでもなく、そこを訪れる奴が停めているわけで、狭いコミュニティー、カチコミは避けて、ワイパーに張り紙して自宅待機していた。
だいたい、夜の21時までにいつも電話がかかってくるのだが、今日はない。
迷惑駐車の車を塞いで出れないような形で俺の車を停めたので、周囲から見れば俺の車の停め方が輩である。かっこ悪いので早くフォーマル駐車をしたくてたまらない。
22時半を過ぎても電話がない。今週ある試験への勉強もしなければならないし、辛抱限界、ポリスに電話した。
すぐに持ち主に電話してくれて、先方が慌てて駐車場に出てきた。
俺の駐車位置は12台の月極め区画の中で、1番道路側に面した位置にある。つまり、向かいのご近所さんのところに行くには1番歩く距離が短い位置である。
出てきた奴らは50代の夫婦、見たところ奥様の足が不自由なようである。
へらへらとまではいかないが、とてもじゃないが真剣に感じられない謝り方で、「すいませんすいません。」と軽く言ってきやがる。
大人になった俺、「何で人の駐車場に停められるの?」と穏やかに聞いた。
するとおっさんが、「空いていたので・・・。すみません。もうしません。」と子供みたいなことを言ってきやがる。
大人の俺は大人を少し放棄した。ご近所関係も一時的に少し放棄した。
「ねぶたいことぬかすな!どあほ! おどれ、家どこや。住所言え!」と言って、住所を控えた後、「おどれの家の駐車場に「空いていたので」って他人が停めたらどないするねん。」と言う。
おっさんは言う。
「はい、困ります。すみません。わかりました。もうしません。」と変わらぬキッズ答弁。
俺は言う。「おどれ、ここではもうしませんかしらんけど、他のところでまた同じようなことするやろ? おどれの神経が信じられんのじゃ! サイドミラー律儀にたたみやがって、何きれいに駐車しとんねん。どあほ」
おっさんは言う。
「ミラーたたむのは、横の車に迷惑がかからないようにと思いまして・・・。」
沸点は着実に上がる。噴火しそう僕・・・・。俺は言う。
「っあああっ??? 横の車の気遣いする立場か????? (俺への気遣いは??)」
かなりの疑問符が噴火を後押しする。
懲役&村八分覚悟の怒りを必死に抑えながら、「50歳にもなって、人の駐車場に堂々と停められる神経が許せんのじゃ。お前は謝ってすむと思っているけど、3時間以上お前の迷惑行為に振り回された俺の怒りはどないしてくれるねん。お前みたいな奴が世の中の迷惑をふりまくねん。」という主旨を、精一杯声を落として巻き舌で柄悪風味で言った。
おっさんとおばはんは言う。
「わ、わかりましたよ。どうすればいいんですか? 彼女は足が不自由で・・・。」と今風に言う逆切れ。
とどめである。噴噴噴噴噴糞噴糞噴~~~~~~~~~~~火!!
「なにお~~~~~???? 足が不自由やったら人の月極め停めていいんかい? 甘えるなぼけ! お前の都合なんかこっちは知らんわい。 障害あるのを理由にしょうもないことぬかすな! 足悪くて困っているんなら、張り紙でもして、「~~という理由で停めさせてもうてます。~~にいます」って書いとけ! 最低限のことできんで障害を武器にするんは、他の人に失礼じゃ! ねぶたい顔、雪で洗ってこい!」
障害ある人が困っていたら助けてあげたいと思うのは当たり前だ。バリアフリーへの取り組みを肯定している。
だが、それとこれとは別だ。
迷惑駐車を障害者だからという理由で許すようなことがあれば、それは逆差別だと思う。
「障害がある人を助けてあげよう!」といった一律のキャッチコピーが大嫌いだ。
もし今日のおばはんが障害者意識を誤った方向で持っているならば、それは今までこの安っぽいコピーをさも良いことのように優越感にひたって施しをしてきた周囲にも責任がある。彼らは乞食ではない。
彼らに真の敬意を持つならば、今日の俺の場面はしっかり怒るべきことだと思った。
ご近所さんのおばちゃんが出てきたので、彼女に言った。
「この人ら、ここが人の駐車場ってわかってて停めた上に、障害を理由にしよるから腹がたって・・・。他の障害持っている人に失礼だわ。 別に空いている時は停めてくれて構わないけれど、最低限車に張り紙して理由や居場所書くなりしてくれないと、こちらはただの迷惑なだけですわ。おばちゃんは悪くないから、この非常識な2人におばちゃんからも説教しといて!」と言った。
おばちゃんは平身低頭。おばちゃんが雪かきする時に手伝ってもあげているので、ご近所関係には問題ない。
ほんまむかつく夜であった。
噴火し終わった後、俺は迷惑夫婦に優しく、言葉汚く言った。
「おい、おばはん、寒くて足痛かったやろ? もう他の人に迷惑かけたらあかんで。
おい、おっさん、お前がそもそも奥さんの足のこと気遣うなら、ちゃんとせ~! わかったか? 50にもなってしょうもないことぬかすなよ。気をつけて帰りや。許したる。」
とかっこよく車を見送り、俺はやっとフォーマル駐車と相成った。
怒りに震えたものの、客観的・主観的視点を対等に処理し、なんとか平穏に家に帰った。
障害者に対する見解はデリケートである必要はない。公的な決まりごとが障害者への弱者視点を下回る必要はない。俺は俺の迷惑な感情をがつんとぶつけた。
障害者だからといって迷惑駐車を了解していたら、それは俺の心に邪悪な上から目線が宿っているだけであり、そんな神経は糞食らえだ。
正規に停める権利がある俺が、迷惑駐車バリアのおかげでフリーでない時間を過ごした。
迷惑の主が障害があろうがなかろうが、当然の権利のように人の駐車場に停める輩を許しておく気はない。
障害ゆえ、近くに停めたいという理由があれば、いくらでも融通する。だが、障害があるからといって、人の駐車場に堂々と無断で何時間も停める神経を彼らに育ませるのは、最もバリアを作ることであり、フリーではないと思った。
2011年2月6日日曜日
ライブ後記
昨夜の「ほうるもん」ライブ、ご来場の方々、ほんまありがとうございます。ノルマチケットも初の完売!
対バンの方々とはあまり話さなかったが、色んな音楽との関わり方があるので、人それぞれの価値観には踏み込まない。聴いていて、見ていて、ガツンとはこなかったが、それなりに音楽的方向性がしっかりしたバンドであって、愉快な時間を過ごせた。
個人的には、「高温度の脱力」という最近のテーマを少し掴んだかな?という満足感があった。
自分で綴った唄世界がバンドの演奏の中で、上手い具合に溶け込む美しさとエクスタシーを、少し体感できてきたかなという気がしている。
他の人はどうかわからないが、歌詞というのは作った時と歌い続けていく過程で、全て世界が同じではない。
根幹はあるのだが、枝は当然生えてくる。生えてきた枝が創作当時とはあまりにかけ離れている場合は、伐採してライブではやらない。
ライブでやる曲はそれなりに枝が意味を持って存在している曲だ。当然バンドが包む音世界とのリンクとミクスチャーが、絶妙なチャネルで存在しているからこそである。
「ほうるもん」結成当時は不惑に近づいてきた頃であり、歌詞世界の根幹が根ざす土壌がしっかり確立されていたからであろうか、伐採急務の世界は今のところない。
ライブに来て下さるお客さんの音楽的好き嫌いに関しては、発信側としては無力だ。どうしようもない。選ぶ権利はない。
ただ、好き嫌いをジャッジされる以前の、ライブハウスに出てライブをしているバンドとしてのアイデンティティを否定されないだけの何かはしっかりしてきている気がする。
まだまだ音楽的にヒヨッコの俺である。死ぬまでに1つでも多くの唄世界とそれを包む音との素晴らしき楽曲をバンドで作り上げていきたいと、改めて思った次第である。
次のライブは3月12日。 稽古をしっかり集中していきたい。
今日はライブ後恒例の全身筋肉痛に前向きに苦しみながら、息子と遊んだ。
ダイソーで子供用スコップと熊の手を買って、雪かきもどきを息子に教えた。
楽しそうに雪かきに興じて、へとへとふらふらになっても家に入ろうとしない姿が、なかなか感動を運んでくれる。
単純に全てを意の趣くままに動いていける子供を羨ましく思い、大人の矜持とのギャップに揺れながら、高純度でひねくれすぎて、むしろ純粋に輪廻してきたかのような自分の今を快く思いながら、腰痛を気にしてぎっくりしないように息子を抱っこしながら、「ゆりかごのうた」をハスキーボイスで揺ら揺ら歌いながら、自分の土台を再構築出来た日であった。
『雪屋のロッスさん』いしいしんじ (新潮文庫)を手に入れたので読んで寝る。
明日からもミステリアスでいてシンプルな日々を、ザクザクと過ごして生きたい
対バンの方々とはあまり話さなかったが、色んな音楽との関わり方があるので、人それぞれの価値観には踏み込まない。聴いていて、見ていて、ガツンとはこなかったが、それなりに音楽的方向性がしっかりしたバンドであって、愉快な時間を過ごせた。
個人的には、「高温度の脱力」という最近のテーマを少し掴んだかな?という満足感があった。
自分で綴った唄世界がバンドの演奏の中で、上手い具合に溶け込む美しさとエクスタシーを、少し体感できてきたかなという気がしている。
他の人はどうかわからないが、歌詞というのは作った時と歌い続けていく過程で、全て世界が同じではない。
根幹はあるのだが、枝は当然生えてくる。生えてきた枝が創作当時とはあまりにかけ離れている場合は、伐採してライブではやらない。
ライブでやる曲はそれなりに枝が意味を持って存在している曲だ。当然バンドが包む音世界とのリンクとミクスチャーが、絶妙なチャネルで存在しているからこそである。
「ほうるもん」結成当時は不惑に近づいてきた頃であり、歌詞世界の根幹が根ざす土壌がしっかり確立されていたからであろうか、伐採急務の世界は今のところない。
ライブに来て下さるお客さんの音楽的好き嫌いに関しては、発信側としては無力だ。どうしようもない。選ぶ権利はない。
ただ、好き嫌いをジャッジされる以前の、ライブハウスに出てライブをしているバンドとしてのアイデンティティを否定されないだけの何かはしっかりしてきている気がする。
まだまだ音楽的にヒヨッコの俺である。死ぬまでに1つでも多くの唄世界とそれを包む音との素晴らしき楽曲をバンドで作り上げていきたいと、改めて思った次第である。
次のライブは3月12日。 稽古をしっかり集中していきたい。
今日はライブ後恒例の全身筋肉痛に前向きに苦しみながら、息子と遊んだ。
ダイソーで子供用スコップと熊の手を買って、雪かきもどきを息子に教えた。
楽しそうに雪かきに興じて、へとへとふらふらになっても家に入ろうとしない姿が、なかなか感動を運んでくれる。
単純に全てを意の趣くままに動いていける子供を羨ましく思い、大人の矜持とのギャップに揺れながら、高純度でひねくれすぎて、むしろ純粋に輪廻してきたかのような自分の今を快く思いながら、腰痛を気にしてぎっくりしないように息子を抱っこしながら、「ゆりかごのうた」をハスキーボイスで揺ら揺ら歌いながら、自分の土台を再構築出来た日であった。
『雪屋のロッスさん』いしいしんじ (新潮文庫)を手に入れたので読んで寝る。
明日からもミステリアスでいてシンプルな日々を、ザクザクと過ごして生きたい
2011年2月3日木曜日
初老の所労
恐ろしく低調なブログ更新頻度だ。
時間がないわけではない。パソに触れる時間もいつもと変わらずの時間ではあるが、ブログる気持ち以前に、色々と学習しないといけないことが多くて、そちらが楽しくて、家での時間配分が専門書との格闘に多く割かれているだけだ。
保険仕事を始めて4ヶ月、毎日誰より(業界比)動いて、誰より勉強している自負はある。飛び込みでつかんだ法人事案を真摯に客観的に対応しながら、少しずつ地味にではあるが、数字も上がってきており内容は濃く進んでいる。
損保、生保共に法人きっかけの個人案件も頂いてきており、いい加減なことは言えないので、勉強による知識蓄積をしながら、わからないことは時間を頂いて、徹底的に調べて対応している。
確固たる手応えはないものの、行動量と誠意は変わらないので、何とかなるだろうという楽観はある。M井S友の商品の秀でた点と劣った点もわかってきており、客観的なコンサルティングが出来る素地はだいぶ出来てきたと思う。
バンドも充実。新ドラマーを迎えてのライブが明後日にあるが、曲を作っていく上で葛藤と折り合える信頼関係とベクトルがいい方向に向いている気がする。
息子の成長を毎日見守れる幸せが根底にあり、素敵な日々を過ごしている。
素敵な日々ではあるが、今年の俺は本厄だ。油断は出来ない。
元旦に厄払いの儀式に、地元の神社に行ったのだが、そこでは俺と同級である知らない人がたくさん来ていた。ストレンジャーな俺、地元の同級生がいるわけはない。消防団で一緒の人がいたからいいというものの、完全アウェイ状態での厄払い儀式であった。
この時、「古希」とか「米寿」とか「還暦」とか色んな節目の男女がいたわけだが、俺の年齢(数えで42歳)を「初老」というのを初めて知って、なかなかに興奮した。
「初老」でっせ!!
おっさんとしての自覚はそれなりに持ってはいたものの、「老」という気構えは当然なかった。「老い始め」とでも変換したらいいのだろうか、「不惑」は「初老」を冠して始まるものだと、なんだか考えさせられるひとこまであった。
元来、迷信や世の中の慣習に対して無頓着の俺ではあったが、本厄に対してだけはやけに慎重でいた。
とはいったものの、年が明けてからというもの、厄どころか、むしろついているのでは?と思えるほど快調である。すっかり油断していた
今日、きっちり厄の洗礼を受けた。
1日に2回、運転中の携帯電話でポリスに捕まった。
昨年10月にも同じ罪状で捕まっている。その11ヶ月25日前には信号待ちでシャツをズボンに入れるためにシートベルトを外した瞬間に、横にいた検問見張り役にやられた。これについては逮捕ぎりぎりまで噛み付いた(過去ブログ参照)。
制限速度は守る。シートベルトもきっちり着用。交通法規遵守の優良ドライバーの自負はあっただけに、えげつなく凹んだ。
昨年、運転中の携帯電話で捕まって依頼、イヤホンマイクを購入して使っていた。
また、こちらから電話する時には必ず停めてしていた。
ところが、着信タイミングは選べない。お客さんからの電話に「ただいま、電話を控えなければならないところにいます。」というデジタル音声を垂れ流すことが、どうも性分として申し訳ないと思う俺は、商談中でない限り、条件反射で出てしまう。
運転開始と同時にイヤホンマイクを着用するものの、ワイシャツの襟にポチっとはめたり、左耳を塞ぐことを忘れている短距離移動の時もある。
そんなタイミングが重なった。
携帯電話が振動する。大雪の路肩で停めるところがない。イヤホンマイク装着を忘れていたので、とりあえず出て、「あ、すみません。すぐ折り返します。」と伝えるだけの瞬間に通り過ぎた交差点の横側で、ポリス2人が目視していた。
違反は違反、ごねる大義がないのでひたすら謝ってはみたものの、6000円×2、1点×2の行政処分はなんともせつなく思えた。
わかっているのよ、着信があろうが、車を停めるまでは出ないでおいて、かけ直せば良いだけであるのだから、全ての非はこちらにある。
でもでも、かけてきてくれた人の電話に条件反射で出てしまう習性が、すっかり身についた俺は、出てしまう。
かといって、車で5分くらいの移動の度にイヤホンマイクの脱着をくり返す勤勉さはない。
運転中モードの音声を垂れ流すのも、どうも好きではない。
だいたい、移動手段がほぼ車の俺にとって、かかってきた電話やメールの度にいちいち車を停めていたら、まったくもって仕事が捗らない。
イヤホンマイクをしていて、着信⇒受信のボタンを押す瞬間の意識と、その後車を止めるスペースを探す意識、どう考えても電話に出て話しながら運転する危険とそうは変わらない気がするのだが・・・。
もちろん、だらだらと夢中になる話を運転中ずっと続けるわけではない。日中の電話なんかはほぼビジネスだ。要件とアポ取り程度の業務連絡をしながら車を運転することが、そんなに危ないとは、主観的ではあるにしろ、どうも思えないのだが・・・・。
俺を捕まえたポリスも言っていた。「正直、営業職の方にとって、お客さんの電話に出ないといけない事情があるのはわかります。でも、見てしまったら見逃せないのです。運転中の携帯電話は危ないですが、電話が鳴ってすぐに停まるドライバーのほうがもっと危ないとは、個人的には思います。」
このポリスの正直な感想に感動した。でも見逃してくれなかった。そのプロ根性に感服しながら、1日に2回捕まる自分の巡り合わせに、本厄を感じた1日であった。
初老の呪縛で所労がどっと出た。
時間がないわけではない。パソに触れる時間もいつもと変わらずの時間ではあるが、ブログる気持ち以前に、色々と学習しないといけないことが多くて、そちらが楽しくて、家での時間配分が専門書との格闘に多く割かれているだけだ。
保険仕事を始めて4ヶ月、毎日誰より(業界比)動いて、誰より勉強している自負はある。飛び込みでつかんだ法人事案を真摯に客観的に対応しながら、少しずつ地味にではあるが、数字も上がってきており内容は濃く進んでいる。
損保、生保共に法人きっかけの個人案件も頂いてきており、いい加減なことは言えないので、勉強による知識蓄積をしながら、わからないことは時間を頂いて、徹底的に調べて対応している。
確固たる手応えはないものの、行動量と誠意は変わらないので、何とかなるだろうという楽観はある。M井S友の商品の秀でた点と劣った点もわかってきており、客観的なコンサルティングが出来る素地はだいぶ出来てきたと思う。
バンドも充実。新ドラマーを迎えてのライブが明後日にあるが、曲を作っていく上で葛藤と折り合える信頼関係とベクトルがいい方向に向いている気がする。
息子の成長を毎日見守れる幸せが根底にあり、素敵な日々を過ごしている。
素敵な日々ではあるが、今年の俺は本厄だ。油断は出来ない。
元旦に厄払いの儀式に、地元の神社に行ったのだが、そこでは俺と同級である知らない人がたくさん来ていた。ストレンジャーな俺、地元の同級生がいるわけはない。消防団で一緒の人がいたからいいというものの、完全アウェイ状態での厄払い儀式であった。
この時、「古希」とか「米寿」とか「還暦」とか色んな節目の男女がいたわけだが、俺の年齢(数えで42歳)を「初老」というのを初めて知って、なかなかに興奮した。
「初老」でっせ!!
おっさんとしての自覚はそれなりに持ってはいたものの、「老」という気構えは当然なかった。「老い始め」とでも変換したらいいのだろうか、「不惑」は「初老」を冠して始まるものだと、なんだか考えさせられるひとこまであった。
元来、迷信や世の中の慣習に対して無頓着の俺ではあったが、本厄に対してだけはやけに慎重でいた。
とはいったものの、年が明けてからというもの、厄どころか、むしろついているのでは?と思えるほど快調である。すっかり油断していた
今日、きっちり厄の洗礼を受けた。
1日に2回、運転中の携帯電話でポリスに捕まった。
昨年10月にも同じ罪状で捕まっている。その11ヶ月25日前には信号待ちでシャツをズボンに入れるためにシートベルトを外した瞬間に、横にいた検問見張り役にやられた。これについては逮捕ぎりぎりまで噛み付いた(過去ブログ参照)。
制限速度は守る。シートベルトもきっちり着用。交通法規遵守の優良ドライバーの自負はあっただけに、えげつなく凹んだ。
昨年、運転中の携帯電話で捕まって依頼、イヤホンマイクを購入して使っていた。
また、こちらから電話する時には必ず停めてしていた。
ところが、着信タイミングは選べない。お客さんからの電話に「ただいま、電話を控えなければならないところにいます。」というデジタル音声を垂れ流すことが、どうも性分として申し訳ないと思う俺は、商談中でない限り、条件反射で出てしまう。
運転開始と同時にイヤホンマイクを着用するものの、ワイシャツの襟にポチっとはめたり、左耳を塞ぐことを忘れている短距離移動の時もある。
そんなタイミングが重なった。
携帯電話が振動する。大雪の路肩で停めるところがない。イヤホンマイク装着を忘れていたので、とりあえず出て、「あ、すみません。すぐ折り返します。」と伝えるだけの瞬間に通り過ぎた交差点の横側で、ポリス2人が目視していた。
違反は違反、ごねる大義がないのでひたすら謝ってはみたものの、6000円×2、1点×2の行政処分はなんともせつなく思えた。
わかっているのよ、着信があろうが、車を停めるまでは出ないでおいて、かけ直せば良いだけであるのだから、全ての非はこちらにある。
でもでも、かけてきてくれた人の電話に条件反射で出てしまう習性が、すっかり身についた俺は、出てしまう。
かといって、車で5分くらいの移動の度にイヤホンマイクの脱着をくり返す勤勉さはない。
運転中モードの音声を垂れ流すのも、どうも好きではない。
だいたい、移動手段がほぼ車の俺にとって、かかってきた電話やメールの度にいちいち車を停めていたら、まったくもって仕事が捗らない。
イヤホンマイクをしていて、着信⇒受信のボタンを押す瞬間の意識と、その後車を止めるスペースを探す意識、どう考えても電話に出て話しながら運転する危険とそうは変わらない気がするのだが・・・。
もちろん、だらだらと夢中になる話を運転中ずっと続けるわけではない。日中の電話なんかはほぼビジネスだ。要件とアポ取り程度の業務連絡をしながら車を運転することが、そんなに危ないとは、主観的ではあるにしろ、どうも思えないのだが・・・・。
俺を捕まえたポリスも言っていた。「正直、営業職の方にとって、お客さんの電話に出ないといけない事情があるのはわかります。でも、見てしまったら見逃せないのです。運転中の携帯電話は危ないですが、電話が鳴ってすぐに停まるドライバーのほうがもっと危ないとは、個人的には思います。」
このポリスの正直な感想に感動した。でも見逃してくれなかった。そのプロ根性に感服しながら、1日に2回捕まる自分の巡り合わせに、本厄を感じた1日であった。
初老の呪縛で所労がどっと出た。
2011年1月12日水曜日
明けまくりました。おめでとうございました
明けまくり、遅すぎではありますが、謹賀新年!! 今年も宜しくお願いします。
仕事は4日からしていたが、新年早々飛び込み営業をするわけにもいかず、既存のお客さんとこでだらだらと話しながら、遊んでいる感じの1週間を過ごし、今週からまたばりばり飛び込みで法人開拓をしている。
正月から雪景色の越中であり、気温も低い。ここ数日は氷点下で車のガラスはばりばりに凍っている。お湯で溶かしてからの出勤と相成った。
雪道の運転自体はたいしたことはない。多少渋滞気味になるが、音楽を聴きながらなので全く苦にならない。
轍で出来た軌道をゆらゆらしながら走るので、二日酔いを助長するきらいはあるし、道幅が広く感じるので、間違って側の用水なんかにはまらないように注意するだけだ。
怖いのは路面の凍結によるスリップである。普通に滑る。新品ブリザックをしていようがいまいが、スケートリンクを走っているようなものなので、凍結路面でブレーキを踏めば、それなりにエキサイティングなロックオンで、車が無差別な方向に発射される。
俺は元々、スピードは出さないし、車間距離も長く取る。高速道路でも120キロ以上出すことは皆無であり、大体100キロくらいのスピードで左車線をジェントリーに走る。
車間距離は一般道でも高速道でも、教習車並に取る。
別にのろのろ運転ではない。道路状況の空気を読んだ上で流れにのって、穏やかに走っている。
別に冬の運転だけに限ったことではないが、やたらと煽って車間距離を詰めたがる運転手がいる。俗に言う、「煽る奴」だ。
確かに俺も、制限速度50キロのところを20キロで走って、急にブレーキ踏んできょろきょろするマイウェイ高齢者には、戒めも込めて適宜な車間距離まで詰めて、さっと追い越すことはあるが、普通の流れに沿って走っている車を煽る機会はまずない。
高速道路では笑えるくらいの奴がいる。追い越し車線を狂ったように車間距離を詰め、右ウインカーを出しながら「どけどけど気~~~こら~~!」と言わんばかりに走る奴がいる。羽根の生えた車に多い。
わからないでもない。スピードを出したい人にとってみれば、追い越し車線は車の速度性能を体感する国内唯一のレーンであり、そこをちんたら走っている前方車がいたら、「頼む、どいてくれ!」という心境にもなるだろう。
だが、一般道、それも氷点下の状況でも煽ってくる奴がいる。
これは紛れもなく白痴である。医学的処方が必要な輩である。
新年早々2回煽られた。
バックミラー越しに、後方の奴の必死な形相が見える。凍結路面の片側1車線での出来事である。
あんまり背後霊みたいに後ろにくっつくので、お祓いの意味を込めて左ウインカーを出してあげたかったのだが、寄せる路肩は積雪であり、車を雪の壁に寄せるのも躊躇して、バックミラー越しに、「他人を巻きこんではダメ!もうちょい行ったら自爆スペースあるからそこまで辛抱しられ!」と憐れみの言葉をつぶやく。
ところが彼はブオ~~~ン!と轟きながら俺を追い越した。
追い越して10秒後に信号で止まった。後ろに俺が止まる。
何だかとてもバツが悪そうに、頑なにバックミラーを見ようとしない。
彼はいきりたって、信号の見切り発車でまたまた轟かせながら発進する。車の尻がゆらゆらしている。数秒後にはもう別の車を煽っているのが前方に見える。対向車線に半分はみ出しながら、「どかんかい!」と言わんばかりの挑発を前方の車に仕掛ける。
その辺りで俺の意識から彼は消えていたのだが、10分後くらいにまた意識に現れた。
高級そうな家の壁に前半分を突き刺した状態で彼の車が止まっていた。煙を吐きながらも轟く車、そこで携帯片手に電話している彼・・・・。
「漫画や・・・あはは。」
どうやら人体に異常は無さそうでぴんぴんしているので素通りしたが、壁に穴を開けられた家主が気の毒である。もう少し走れば、完全なる自爆で済んだであろうに、被害者が気の毒でならない。
車の性能に酔いしれる人がいても構わない。車が大好きな人はいる。車に羽根を生やしても、轟いても良い。多少煽っても良い。
ただ、TPOはわきまえて、せめて北陸凍結路面では自粛して欲しいものである。
新年早々煽られた。
新年早々魚の目が出来た。
深遠なる本厄が始まった。
嬉しい(笑)
明けました。おめでとうございました。
今年もよろぴく!
仕事は4日からしていたが、新年早々飛び込み営業をするわけにもいかず、既存のお客さんとこでだらだらと話しながら、遊んでいる感じの1週間を過ごし、今週からまたばりばり飛び込みで法人開拓をしている。
正月から雪景色の越中であり、気温も低い。ここ数日は氷点下で車のガラスはばりばりに凍っている。お湯で溶かしてからの出勤と相成った。
雪道の運転自体はたいしたことはない。多少渋滞気味になるが、音楽を聴きながらなので全く苦にならない。
轍で出来た軌道をゆらゆらしながら走るので、二日酔いを助長するきらいはあるし、道幅が広く感じるので、間違って側の用水なんかにはまらないように注意するだけだ。
怖いのは路面の凍結によるスリップである。普通に滑る。新品ブリザックをしていようがいまいが、スケートリンクを走っているようなものなので、凍結路面でブレーキを踏めば、それなりにエキサイティングなロックオンで、車が無差別な方向に発射される。
俺は元々、スピードは出さないし、車間距離も長く取る。高速道路でも120キロ以上出すことは皆無であり、大体100キロくらいのスピードで左車線をジェントリーに走る。
車間距離は一般道でも高速道でも、教習車並に取る。
別にのろのろ運転ではない。道路状況の空気を読んだ上で流れにのって、穏やかに走っている。
別に冬の運転だけに限ったことではないが、やたらと煽って車間距離を詰めたがる運転手がいる。俗に言う、「煽る奴」だ。
確かに俺も、制限速度50キロのところを20キロで走って、急にブレーキ踏んできょろきょろするマイウェイ高齢者には、戒めも込めて適宜な車間距離まで詰めて、さっと追い越すことはあるが、普通の流れに沿って走っている車を煽る機会はまずない。
高速道路では笑えるくらいの奴がいる。追い越し車線を狂ったように車間距離を詰め、右ウインカーを出しながら「どけどけど気~~~こら~~!」と言わんばかりに走る奴がいる。羽根の生えた車に多い。
わからないでもない。スピードを出したい人にとってみれば、追い越し車線は車の速度性能を体感する国内唯一のレーンであり、そこをちんたら走っている前方車がいたら、「頼む、どいてくれ!」という心境にもなるだろう。
だが、一般道、それも氷点下の状況でも煽ってくる奴がいる。
これは紛れもなく白痴である。医学的処方が必要な輩である。
新年早々2回煽られた。
バックミラー越しに、後方の奴の必死な形相が見える。凍結路面の片側1車線での出来事である。
あんまり背後霊みたいに後ろにくっつくので、お祓いの意味を込めて左ウインカーを出してあげたかったのだが、寄せる路肩は積雪であり、車を雪の壁に寄せるのも躊躇して、バックミラー越しに、「他人を巻きこんではダメ!もうちょい行ったら自爆スペースあるからそこまで辛抱しられ!」と憐れみの言葉をつぶやく。
ところが彼はブオ~~~ン!と轟きながら俺を追い越した。
追い越して10秒後に信号で止まった。後ろに俺が止まる。
何だかとてもバツが悪そうに、頑なにバックミラーを見ようとしない。
彼はいきりたって、信号の見切り発車でまたまた轟かせながら発進する。車の尻がゆらゆらしている。数秒後にはもう別の車を煽っているのが前方に見える。対向車線に半分はみ出しながら、「どかんかい!」と言わんばかりの挑発を前方の車に仕掛ける。
その辺りで俺の意識から彼は消えていたのだが、10分後くらいにまた意識に現れた。
高級そうな家の壁に前半分を突き刺した状態で彼の車が止まっていた。煙を吐きながらも轟く車、そこで携帯片手に電話している彼・・・・。
「漫画や・・・あはは。」
どうやら人体に異常は無さそうでぴんぴんしているので素通りしたが、壁に穴を開けられた家主が気の毒である。もう少し走れば、完全なる自爆で済んだであろうに、被害者が気の毒でならない。
車の性能に酔いしれる人がいても構わない。車が大好きな人はいる。車に羽根を生やしても、轟いても良い。多少煽っても良い。
ただ、TPOはわきまえて、せめて北陸凍結路面では自粛して欲しいものである。
新年早々煽られた。
新年早々魚の目が出来た。
深遠なる本厄が始まった。
嬉しい(笑)
明けました。おめでとうございました。
今年もよろぴく!
2010年12月31日金曜日
裏日本からのご挨拶
大晦日である。
この時期、北陸の空は曇天で気まぐれ。分単位で天気が変わる。今の今まで晴れ間が覗いていたかと思えば、稲光が見え、わかりやすい腹下しみたいな音が聞こえて雷雨になる。そして雨が雹になって打ちつけられたかと思えば、またカラッと穏やかな空が見える。
晴れ間が見えるとは言ったものの、ほとんどが曇天鉛色である。12月に入って、ワイパーをまったく使わなかった日が何日あっただろうか?と数えると、片手でも足りる。
ここ数日は雪模様である。明日元旦にかけても大雪の予報が出ていた。
雪が降り出す前は、表示された気温以上に、体感温度でわかる。突き刺す冷気、ピンと張り詰めた外気、全身が雪の到来に敏感になる。
演歌界の鳥羽&山川ブラザー世界丸出しの「ぶり起こし」という雷がしっかり轟いて、いつもと変わらぬ雪国模様を演出してくれる。
北陸に来て15年、この雪国模様をしっかりわかるようになってきたことが嬉しい。
統計や天気予報なんかだけで判断するのではない、体験に基づいた、原住民としての天気を感じる原始的な感覚を体内に宿してきたことが嬉しい。
北陸の冬は長い。空が低い。
25歳まで関西で生活していた俺は、その当時は空の高さを意識したこともなかった。
また、北陸に来てからもあまり空や気候に関して、改めて思うことも少なかったような気がする。
もちろん、冬に雪が降ることは新鮮であったし、年間を通じて雨が多いな~と思ってはいたが、びっくりするほどの風土に対する異質感もなければ、気候に戸惑うこともなかった。
だが最近、狭い日本における「表・裏」という認識を肌身を通して実感してきている。
たまに表日本に行くと、まずびっくりするのは空の高さと、凪のような穏やかさだ。
もちろん、人の多さ、建物の高さに辟易しながらではあるが、上を見上げると空の高いこと高いこと・・・。
北陸では秋の数日間しか見ることが出来ないであろう空が、当たり前に広がっている。これだけは羨ましいと思う。
一昨日、久々に「拾得」に行った。「CHAINS」、「AUX」という涎もののブッキングであり、万障、もとい、十障繰り合わせて行った。
なんだろうな~、基本の佇まいが変わらずに凛としていて、その上で決して変化していないわけではない、わかりやすい変化はないが、わかりたい変化と進化がちゃんとある。全てにおいて京都音楽シーンの良心、骨格ともいうべきバンドが存在することに涙腺が緩んだ。とにかくかっちょいい! こんな音楽を栄養にして日々を過ごしたいものだ。
幸せな年末であった。久々にオーナイロ~~ンとまではいかないまでも、明け方4時頃まではっちゃけた(送ってくれたミッチーありがとう!)
6年以上を過ごした京都、実家の枚方、帰省する度にキュンキュンくる。高速道路や地下鉄の整備により、恐ろしく変わった部分に浦島的戸惑いを覚えた(これについてはまたブログりたい)。
「表日本」の定義は「瀬戸内海、太平洋側の地域」だろう。京都はどちらかといえば、表日本というよりも表裏併せ持つ日本(色んな意味で)だと思うが、それでも空の色、高さといった部分に限定した場合、まぎれもなく表である。
楽しい時間を終え、ゆっくりと帰路につく。珍しく京都も霙混じりの悪天であったが、それでも表日本の冬空だ。
滋賀を抜け、米原を抜けたあたりから、向こうに奴が見える。あの紛れもない裏日本の空だ。
辺りが急に暗くなり、気温が下がり、車は揺れる。曇天鉛の街道に入ってからは、さっきまで表日本にいたことの感覚が、一気に失せていく。いたって普通な日常に戻される。
表の空、裏の空、どんな空の元で過ごすかによって、確実にその地方の気質というものが形作られる。そらそうだろう、毎日穏やかな空の下過ごすのと、鉛の空の下で過ごすのとで同じ心境であるはずがない。
北陸人は一般的に辛抱強く勤勉であると言われる。北陸の冬を15年経験した今、この気質を育んでくれる土壌を理解できる。
今年も終わる。
今年もまたころころ変わる天気のように転機があった。気まぐれに表裏を行き来しているかのような人生だが、なかなかスリリングで楽しい。
雪が解けてやがて来る春に思いをはせる。巡ってくる四季の輪廻を待ち焦がれる北陸気質の辛抱強さを身に付けて、穏やかに日々を過ごしていきたいものだ。
明日の元旦は6時に起きて、近所の神社で厄除け儀式があるので参加する。
来年は大厄年とは言ったものの、既に交通事故やら緑内障やらで厄厄したものは前払いしている俺である。楽観はしているが、油断してもいけない。お祓いしたところでどうなるものでもない気がするが、お祓いにすがりたい気持ちもある。
厄年というのは迷信的でもあり、科学的でもある。解明されていることだけが科学になってはいるが、解明しようとする知的好奇心の発端は迷信的な現象に対する疑問であろう。
両者は表裏一体である。
元旦に早起きして儀式すると、何となく安心するような気がするので、粛々と参加したい。
今年もたくさんの人にお世話になった。改めて感謝する。来年は、いや、来年も良い年になることを確信している。拙頻度、拙文の拙ブログを、来年も宜しく!
この時期、北陸の空は曇天で気まぐれ。分単位で天気が変わる。今の今まで晴れ間が覗いていたかと思えば、稲光が見え、わかりやすい腹下しみたいな音が聞こえて雷雨になる。そして雨が雹になって打ちつけられたかと思えば、またカラッと穏やかな空が見える。
晴れ間が見えるとは言ったものの、ほとんどが曇天鉛色である。12月に入って、ワイパーをまったく使わなかった日が何日あっただろうか?と数えると、片手でも足りる。
ここ数日は雪模様である。明日元旦にかけても大雪の予報が出ていた。
雪が降り出す前は、表示された気温以上に、体感温度でわかる。突き刺す冷気、ピンと張り詰めた外気、全身が雪の到来に敏感になる。
演歌界の鳥羽&山川ブラザー世界丸出しの「ぶり起こし」という雷がしっかり轟いて、いつもと変わらぬ雪国模様を演出してくれる。
北陸に来て15年、この雪国模様をしっかりわかるようになってきたことが嬉しい。
統計や天気予報なんかだけで判断するのではない、体験に基づいた、原住民としての天気を感じる原始的な感覚を体内に宿してきたことが嬉しい。
北陸の冬は長い。空が低い。
25歳まで関西で生活していた俺は、その当時は空の高さを意識したこともなかった。
また、北陸に来てからもあまり空や気候に関して、改めて思うことも少なかったような気がする。
もちろん、冬に雪が降ることは新鮮であったし、年間を通じて雨が多いな~と思ってはいたが、びっくりするほどの風土に対する異質感もなければ、気候に戸惑うこともなかった。
だが最近、狭い日本における「表・裏」という認識を肌身を通して実感してきている。
たまに表日本に行くと、まずびっくりするのは空の高さと、凪のような穏やかさだ。
もちろん、人の多さ、建物の高さに辟易しながらではあるが、上を見上げると空の高いこと高いこと・・・。
北陸では秋の数日間しか見ることが出来ないであろう空が、当たり前に広がっている。これだけは羨ましいと思う。
一昨日、久々に「拾得」に行った。「CHAINS」、「AUX」という涎もののブッキングであり、万障、もとい、十障繰り合わせて行った。
なんだろうな~、基本の佇まいが変わらずに凛としていて、その上で決して変化していないわけではない、わかりやすい変化はないが、わかりたい変化と進化がちゃんとある。全てにおいて京都音楽シーンの良心、骨格ともいうべきバンドが存在することに涙腺が緩んだ。とにかくかっちょいい! こんな音楽を栄養にして日々を過ごしたいものだ。
幸せな年末であった。久々にオーナイロ~~ンとまではいかないまでも、明け方4時頃まではっちゃけた(送ってくれたミッチーありがとう!)
6年以上を過ごした京都、実家の枚方、帰省する度にキュンキュンくる。高速道路や地下鉄の整備により、恐ろしく変わった部分に浦島的戸惑いを覚えた(これについてはまたブログりたい)。
「表日本」の定義は「瀬戸内海、太平洋側の地域」だろう。京都はどちらかといえば、表日本というよりも表裏併せ持つ日本(色んな意味で)だと思うが、それでも空の色、高さといった部分に限定した場合、まぎれもなく表である。
楽しい時間を終え、ゆっくりと帰路につく。珍しく京都も霙混じりの悪天であったが、それでも表日本の冬空だ。
滋賀を抜け、米原を抜けたあたりから、向こうに奴が見える。あの紛れもない裏日本の空だ。
辺りが急に暗くなり、気温が下がり、車は揺れる。曇天鉛の街道に入ってからは、さっきまで表日本にいたことの感覚が、一気に失せていく。いたって普通な日常に戻される。
表の空、裏の空、どんな空の元で過ごすかによって、確実にその地方の気質というものが形作られる。そらそうだろう、毎日穏やかな空の下過ごすのと、鉛の空の下で過ごすのとで同じ心境であるはずがない。
北陸人は一般的に辛抱強く勤勉であると言われる。北陸の冬を15年経験した今、この気質を育んでくれる土壌を理解できる。
今年も終わる。
今年もまたころころ変わる天気のように転機があった。気まぐれに表裏を行き来しているかのような人生だが、なかなかスリリングで楽しい。
雪が解けてやがて来る春に思いをはせる。巡ってくる四季の輪廻を待ち焦がれる北陸気質の辛抱強さを身に付けて、穏やかに日々を過ごしていきたいものだ。
明日の元旦は6時に起きて、近所の神社で厄除け儀式があるので参加する。
来年は大厄年とは言ったものの、既に交通事故やら緑内障やらで厄厄したものは前払いしている俺である。楽観はしているが、油断してもいけない。お祓いしたところでどうなるものでもない気がするが、お祓いにすがりたい気持ちもある。
厄年というのは迷信的でもあり、科学的でもある。解明されていることだけが科学になってはいるが、解明しようとする知的好奇心の発端は迷信的な現象に対する疑問であろう。
両者は表裏一体である。
元旦に早起きして儀式すると、何となく安心するような気がするので、粛々と参加したい。
今年もたくさんの人にお世話になった。改めて感謝する。来年は、いや、来年も良い年になることを確信している。拙頻度、拙文の拙ブログを、来年も宜しく!
2010年12月24日金曜日
風物詩
雨は夕方過ぎから雪へと変わり、ホワイトクリスマスイブとなった。
とはいったものの、サイレントナイトではなく、事故った車がいてサイレンがけたたましくなっていた。ある意味ホーリーナイトではあるが、達郎残念!!
息子に季節感を持って欲しいので、食後にちゃんとケーキを食べる時間を作った。
イチゴだけを入れた皿を息子の目の前に置き、その向こうに大人が食べるケーキが置いてある。俺が膝に息子を乗せて、スプーンでケーキのクリームを息子の口に運ぼうとすると、俺の手をはねのける。
「そんなもんいるかい! 俺は目の前のイチゴが欲しいんじゃ!」と言わんばかりに、手でイチゴを取って食いまくる息子。
決して甘くはないイチゴであったが、白いクリームの甘味を経験としてまだよくは知らない息子にとっては、目の前の大好物の果物の方が魅力的なのだろう。
「よしよし、それ食っとけ。甘いもんはもうちょい大きくなってからや。」と笑いかけながら、大人はケーキをむしゃむしゃ食べた。
昨日のニュースだったか、クリスマスに興味がないという人が結構な割合いるらしい。よく読んでおけばよかったのだが、多分アンケート対象は若い世代だったと思う。
別に、半年前に高級ホテルのスイート争奪戦があったり、ちゃんね~に舶来物の高級贈り物を買う為に並んだりするようなバブリーなクリスマスイブではなくても良いのだが、一応、大きな行事としてクリスマスをとらえ、ケーキを食べるくらいの行事はあってもよいと思う。
ジョカノと過ごすも良し、同性同士ではっちゃけるも良し、家族でサンタをだしに使って贈り物するも良し、やるせない気持ちを開き直ってバイトするも良し、過ごし方は色々あれど、なんか特別な日である感慨だけは抱いて過ごしたい夜である。
風物詩は数多くある。和洋折衷でわかりやすい行事だけを列挙しても、「初詣」、「桃の節句」、「卒業式」、「入学式」、「端午の節句」、「田植え」、「ゴールデンウィーク」、「高校野球」、「墓参り」、「海開き」、「林間学校」、「精霊流し」、「文化祭」、「体育祭」、「稲刈り」、「十五夜」、「クリスマス」・・・
季節に鈍感な俺でもたくさん挙げれる。行事に限らなければ、風物詩はたくさんある。
クリスマスという風習?が日本に入ってきたのは、昔読んだ本によると確か、江戸開府前の1500年代半ばだったと思う。
宗教的な儀式が国民的イベントになっていく過程には、商業的戦略や、宗教観のイデオロギーの葛藤もあったのであろうが、模倣文化的ガンボ国家日本に少なくとも根付いてきたクリスマスは、それなりに風物詩としての役割は果たしてきたと思う。
とは言ったものの、俺個人はクリスマス自体には、風物詩としての位置づけは下位だ。しょせん舶来ものである。バブリーなメリーナイトを過ごせなかったひがみからか、学生時代にはそれなりに酸っぱさが際立った重要風物詩ではあったが、不惑の今はそうではない。
何が嘆かわしいかといえば、風物詩に臨む意識の希薄さが際立ってきている昨今の季節感の無さである。
風物詩を通して人は季節感と季節の輪廻を感じ、身を正し、身を嘆き、気持ち新たにささやかな願いと希望を抱き、汚れた気持ちを浄化し、自然を賛美し、自然に畏怖の念を抱き、煩悩の安易な成就を願い、安易な煩悩を願う自分に嘆き、ささやかな幸せに気付き、ささやかな幸せの継続を願い、ささやかな幸せだけでは満たされない自分に唾を吐き、吐いた唾を飲み込んで再構築し、粛々と出来ない気持ちを宿祝し、なんとか転機に期待し、冷めた眼で冷やかして、覚めた目で再起動し、希望を鬼謀し、非望に懺悔し、どうでもいいやと前向きな吐息を投げやりし、意気込んでは淡々と忘却の彼方へと漕いで行く。
そんな風物詩との関わりを通して、アイデンティティなるものが形作られてきている気がする。
クリスマスなんかは単なる断片だ。だが、1つ1つの季節を奏でる風物詩を、「大した行事と思わない」人が増えている現状は、嘆いて然るべきだと思うのだが、これは世代的価値観の相違に該当するものなのだろうか?
「も~うい~くつね~る~と~お~しょ~~~うが~~つ~~~」と鼻歌を鼻声で重奏する。
お正月なんかにかける意気込みは、お年玉をもらえなくなった年から、俺自身非常に少なくなってきていて、自分自身を嘆かわしく思っていたのだが、息子には親の価値観の押し付けであろうとも、昭和のお正月を身に染みるほど味あわせたいと思っている。
家族が改まって年始の挨拶をし、初詣に行き、お年玉をもらい(俺はあげる立場であるが)、お節料理という名の保存食を食べ、凧揚げや駒(まだ息子は出来ないが)に興じて、箱根駅伝をテレビで見ながら男は酒を飲み、退屈した子供は母親とすごろくでもする。
なんて素晴らしき正月かな! 風物詩となる日本語が自然にきらきら舞って、子供の体内に宿ってくれそうだ。
こんな和語に根ざした想いをメリーな夜に考えているのだが、クリスマスであろうと、バレンタインであろうと、舶来行事でも何でもいいから、とにかく節目を感じる日を身体に刻み、何か感じるものを持って日々を過ごしていけたら、時間の流れに、例え小さな点であっても刻まれる何かがあるのではないか、それが大切な自分の人生における風物詩となって晩年に思いを満たしてくれるなら、それ程幸せなことはないのではないかと思っている。
余談だが、先週の深夜、近所で火災があった。消防団の俺は駆けつけて、夜もすがら寝ずの番をした。久々の完全徹夜である。
昨年も、一昨年も近所で火災があった。
こんな風物詩はあんまり感じたくないものである。
何はともあれ、風物詩を感じて奏でる人間でありたいと改めて思った。
メリーな夜は更けていく。火の用心!
とはいったものの、サイレントナイトではなく、事故った車がいてサイレンがけたたましくなっていた。ある意味ホーリーナイトではあるが、達郎残念!!
息子に季節感を持って欲しいので、食後にちゃんとケーキを食べる時間を作った。
イチゴだけを入れた皿を息子の目の前に置き、その向こうに大人が食べるケーキが置いてある。俺が膝に息子を乗せて、スプーンでケーキのクリームを息子の口に運ぼうとすると、俺の手をはねのける。
「そんなもんいるかい! 俺は目の前のイチゴが欲しいんじゃ!」と言わんばかりに、手でイチゴを取って食いまくる息子。
決して甘くはないイチゴであったが、白いクリームの甘味を経験としてまだよくは知らない息子にとっては、目の前の大好物の果物の方が魅力的なのだろう。
「よしよし、それ食っとけ。甘いもんはもうちょい大きくなってからや。」と笑いかけながら、大人はケーキをむしゃむしゃ食べた。
昨日のニュースだったか、クリスマスに興味がないという人が結構な割合いるらしい。よく読んでおけばよかったのだが、多分アンケート対象は若い世代だったと思う。
別に、半年前に高級ホテルのスイート争奪戦があったり、ちゃんね~に舶来物の高級贈り物を買う為に並んだりするようなバブリーなクリスマスイブではなくても良いのだが、一応、大きな行事としてクリスマスをとらえ、ケーキを食べるくらいの行事はあってもよいと思う。
ジョカノと過ごすも良し、同性同士ではっちゃけるも良し、家族でサンタをだしに使って贈り物するも良し、やるせない気持ちを開き直ってバイトするも良し、過ごし方は色々あれど、なんか特別な日である感慨だけは抱いて過ごしたい夜である。
風物詩は数多くある。和洋折衷でわかりやすい行事だけを列挙しても、「初詣」、「桃の節句」、「卒業式」、「入学式」、「端午の節句」、「田植え」、「ゴールデンウィーク」、「高校野球」、「墓参り」、「海開き」、「林間学校」、「精霊流し」、「文化祭」、「体育祭」、「稲刈り」、「十五夜」、「クリスマス」・・・
季節に鈍感な俺でもたくさん挙げれる。行事に限らなければ、風物詩はたくさんある。
クリスマスという風習?が日本に入ってきたのは、昔読んだ本によると確か、江戸開府前の1500年代半ばだったと思う。
宗教的な儀式が国民的イベントになっていく過程には、商業的戦略や、宗教観のイデオロギーの葛藤もあったのであろうが、模倣文化的ガンボ国家日本に少なくとも根付いてきたクリスマスは、それなりに風物詩としての役割は果たしてきたと思う。
とは言ったものの、俺個人はクリスマス自体には、風物詩としての位置づけは下位だ。しょせん舶来ものである。バブリーなメリーナイトを過ごせなかったひがみからか、学生時代にはそれなりに酸っぱさが際立った重要風物詩ではあったが、不惑の今はそうではない。
何が嘆かわしいかといえば、風物詩に臨む意識の希薄さが際立ってきている昨今の季節感の無さである。
風物詩を通して人は季節感と季節の輪廻を感じ、身を正し、身を嘆き、気持ち新たにささやかな願いと希望を抱き、汚れた気持ちを浄化し、自然を賛美し、自然に畏怖の念を抱き、煩悩の安易な成就を願い、安易な煩悩を願う自分に嘆き、ささやかな幸せに気付き、ささやかな幸せの継続を願い、ささやかな幸せだけでは満たされない自分に唾を吐き、吐いた唾を飲み込んで再構築し、粛々と出来ない気持ちを宿祝し、なんとか転機に期待し、冷めた眼で冷やかして、覚めた目で再起動し、希望を鬼謀し、非望に懺悔し、どうでもいいやと前向きな吐息を投げやりし、意気込んでは淡々と忘却の彼方へと漕いで行く。
そんな風物詩との関わりを通して、アイデンティティなるものが形作られてきている気がする。
クリスマスなんかは単なる断片だ。だが、1つ1つの季節を奏でる風物詩を、「大した行事と思わない」人が増えている現状は、嘆いて然るべきだと思うのだが、これは世代的価値観の相違に該当するものなのだろうか?
「も~うい~くつね~る~と~お~しょ~~~うが~~つ~~~」と鼻歌を鼻声で重奏する。
お正月なんかにかける意気込みは、お年玉をもらえなくなった年から、俺自身非常に少なくなってきていて、自分自身を嘆かわしく思っていたのだが、息子には親の価値観の押し付けであろうとも、昭和のお正月を身に染みるほど味あわせたいと思っている。
家族が改まって年始の挨拶をし、初詣に行き、お年玉をもらい(俺はあげる立場であるが)、お節料理という名の保存食を食べ、凧揚げや駒(まだ息子は出来ないが)に興じて、箱根駅伝をテレビで見ながら男は酒を飲み、退屈した子供は母親とすごろくでもする。
なんて素晴らしき正月かな! 風物詩となる日本語が自然にきらきら舞って、子供の体内に宿ってくれそうだ。
こんな和語に根ざした想いをメリーな夜に考えているのだが、クリスマスであろうと、バレンタインであろうと、舶来行事でも何でもいいから、とにかく節目を感じる日を身体に刻み、何か感じるものを持って日々を過ごしていけたら、時間の流れに、例え小さな点であっても刻まれる何かがあるのではないか、それが大切な自分の人生における風物詩となって晩年に思いを満たしてくれるなら、それ程幸せなことはないのではないかと思っている。
余談だが、先週の深夜、近所で火災があった。消防団の俺は駆けつけて、夜もすがら寝ずの番をした。久々の完全徹夜である。
昨年も、一昨年も近所で火災があった。
こんな風物詩はあんまり感じたくないものである。
何はともあれ、風物詩を感じて奏でる人間でありたいと改めて思った。
メリーな夜は更けていく。火の用心!
2010年12月11日土曜日
迷いながら40代突入
今日で無事に40歳になった。孔子が言うところの「不惑」である。
だが、間違いなく迷っている。そもそも、孔子君は15歳で「学問を志した」というのだから、スタート地点から違っている。
俺が15歳の時なんかは、「学問」も「志す」のどちらの真意も知ることがなければ、字義に近い気概を抱いたこともない。
30歳で「独り立ち」している孔子君。これもまた違っている。俺は微量だが親や家族や色んな人のスネと心をかじっていた。
なんだか、大学⇒大学員⇒助手⇒助教授となっていくアカデミックな人たちの心境は、孔子君に近いのだと思う。
少なくとも俺はだいぶ違う。
だが、40歳という年齢に達したことへの感慨深さはある。嬉しい。よくもまあ、色んな垢を垂れ流ししながらも、生きてこれたものだと改めて思う。
自分の中で1番嬉しく思うのは、感受性、好奇心、活力、繊細さと大胆さが思春期からほとんど変わらず、それでいて、社会的良識(といっても公衆道徳レベルの当たり前レベルであるが)は人並みには身につけてきていることだ。
根本的な価値観は思春期と変わらない人が多いのだと思うが、それでも歳とともに感受性、好奇心、活力は衰えてくる人が多いと、他者の遍歴観察で思う。
逆にいうと、衰えて然るべき部分が衰えないために、ずっと迷い続けているのかもしれない。幸か不幸かはわからないが、主観では幸だと暫定自己肯定している。
30代はあまり好きではなかった。
悟るには早すぎる。語るには若すぎる。かといって情動的な温度を20代と同じで言語レベルで露見するとしょぼすぎる。
若くもなく、円熟でもなく、色んなことにおいて中途半端な年代に感じた。
もちろん40代も若さと円熟の過渡期ではあるが、年少組から年長組に上がったかのような嬉しさがある。
歌詞をずっと書いている。
毎回、歌詞を書くときに、言葉にしたいこと、歌いたいことが頭に降りるまで待つ。
逆に言えば、降りてきた時に歌詞が出来る。
具体的な言葉が先にあるわけではない。ただ、漠然とではあるにしろ、大きな主題が何か降りてきた時に歌詞が出来る。全体的な整合性があるかどうかといえば俺の中では確実にある。未完成では曲に供しないようにしている。言霊に失礼であると思うからだ。だが、聞き手に伝わっているかはわからない。千差万別、全員にわかる整合性なんかは優先すべきことではないとも思っている。
私的な部分が大いに露見するのが唄の詩であり、普遍性や大衆性があるのかは気にしない。俺は俺のために歌詞を書く。
20代は比較的簡単に言葉が降りてきた。30代前半も同じくだ。
だが、数を作るにつれて、30代後半くらいからか、自分の言葉の焼き直しにあたる部分が多くなってきて、また、主題が確固たる何かがありそうで、ファジーなもやもや感が少なくともあって、その主題を出来上がった歌詞から再発見する事例が多かった。
歌いたい主題が根本は同じなので、バリエーションが少なくなってきていたのかもしれない。
俺の好きな歌詞は、その音楽人のファーストアルバムや初期にある曲に多い。年齢で見ると20代が圧倒的だ。
敬愛するミュージシャン、詩人、唄うたいが、歳を重ねるにつれて、歌詞がどうも好きになれなくなってくる事例が多い。
時に悟り系になったり、時にエール系になったり、時にアニミズムになったり・・・・。
加齢と共に変化する深層心理を紡いで言葉にするわけであるから仕方ないことなのかもしれない。
孔子君ではないが、志した時と迷わない時の歌詞では、内容種別が変わってくるのは当然だ。
だが、個人的にはやはり初期衝動で紡がれた言葉の純度に1番ロックを感じる(もちろん平熱の言葉を発熱しまくって吐く奴らは範疇外であるが)。
ならどうするか。
俺のように40歳が20歳と同じ精神的純度であるのは歓迎すべきことではあるが、そこに経年に伴う知性と達観とバランスある狂気が加味されなければ、ただの痛い歌詞になる。
例えば、20歳の若者が、「歩いていこうぜ~」と言う時、そこには猜疑心や不安を伴った開き直りと自己鼓舞があると思うが、40歳のおっさんが、「歩いていこうぜ~」と同じレベルで歌ったら痛い。
「おっさん、もうめっちゃ歩いてるやんけ!」と突っ込みたくなる。
そのため、おっさんは同じ言葉が歌詞に現れるにしても、そこに、自己鼓舞は捨てて、大らかな潔さと明るさで包んだ何かがないといけないと思う。根底に、噛み付きたいスピリットがあったとしてもだ。
希望や戒めだけを訓示のように吐くのが大人の歌詞でもない。それならば音楽の教科書に載るだけで、そこに市場があってもいいのだが、少なくともそんな慰みみたいな言葉も、湿っただけ、ロマンチストなだけの言葉もこの歳では吐きたくない。
最近、「若者的絶望」を大人感覚でミクスチャーして昇華させた歌詞を書きたいと思っている。
ロックの歌詞には「絶望感と壊れそうな侠気と逝きそうな狂気とそれを壊すための凶器」が宿っていると思う。「若者的絶望」はロッキンな歌詞の重要な要素だ。ただ、それを20代と同じ言葉で叫んでいたら、痛すぎてロックではない。
「若者的絶望」を抱きながらも歳を重ねた大人が、若い時と同じキャパのまま歌うくらいならそれはローリングしていないと思う。
初期衝動は同じ、歌いたいテーマも同じ、だけど加齢の匂いを臭くならずに漂わせる言葉力がこれからは必要だと思っている。
そんなテーマで、新生「ほうるもん」の新曲「のたりのたりかな」の歌詞を書いた。うまく表現できているのかはわからないのだが、個人的には何か少し掴めてきているような気がする。
ずっと歌いたいテーマが宿って、然るべき時に降りてくるのであれば、歳をとるのも悪くないと思う、迷いまくりの40代突入日であった。
だが、間違いなく迷っている。そもそも、孔子君は15歳で「学問を志した」というのだから、スタート地点から違っている。
俺が15歳の時なんかは、「学問」も「志す」のどちらの真意も知ることがなければ、字義に近い気概を抱いたこともない。
30歳で「独り立ち」している孔子君。これもまた違っている。俺は微量だが親や家族や色んな人のスネと心をかじっていた。
なんだか、大学⇒大学員⇒助手⇒助教授となっていくアカデミックな人たちの心境は、孔子君に近いのだと思う。
少なくとも俺はだいぶ違う。
だが、40歳という年齢に達したことへの感慨深さはある。嬉しい。よくもまあ、色んな垢を垂れ流ししながらも、生きてこれたものだと改めて思う。
自分の中で1番嬉しく思うのは、感受性、好奇心、活力、繊細さと大胆さが思春期からほとんど変わらず、それでいて、社会的良識(といっても公衆道徳レベルの当たり前レベルであるが)は人並みには身につけてきていることだ。
根本的な価値観は思春期と変わらない人が多いのだと思うが、それでも歳とともに感受性、好奇心、活力は衰えてくる人が多いと、他者の遍歴観察で思う。
逆にいうと、衰えて然るべき部分が衰えないために、ずっと迷い続けているのかもしれない。幸か不幸かはわからないが、主観では幸だと暫定自己肯定している。
30代はあまり好きではなかった。
悟るには早すぎる。語るには若すぎる。かといって情動的な温度を20代と同じで言語レベルで露見するとしょぼすぎる。
若くもなく、円熟でもなく、色んなことにおいて中途半端な年代に感じた。
もちろん40代も若さと円熟の過渡期ではあるが、年少組から年長組に上がったかのような嬉しさがある。
歌詞をずっと書いている。
毎回、歌詞を書くときに、言葉にしたいこと、歌いたいことが頭に降りるまで待つ。
逆に言えば、降りてきた時に歌詞が出来る。
具体的な言葉が先にあるわけではない。ただ、漠然とではあるにしろ、大きな主題が何か降りてきた時に歌詞が出来る。全体的な整合性があるかどうかといえば俺の中では確実にある。未完成では曲に供しないようにしている。言霊に失礼であると思うからだ。だが、聞き手に伝わっているかはわからない。千差万別、全員にわかる整合性なんかは優先すべきことではないとも思っている。
私的な部分が大いに露見するのが唄の詩であり、普遍性や大衆性があるのかは気にしない。俺は俺のために歌詞を書く。
20代は比較的簡単に言葉が降りてきた。30代前半も同じくだ。
だが、数を作るにつれて、30代後半くらいからか、自分の言葉の焼き直しにあたる部分が多くなってきて、また、主題が確固たる何かがありそうで、ファジーなもやもや感が少なくともあって、その主題を出来上がった歌詞から再発見する事例が多かった。
歌いたい主題が根本は同じなので、バリエーションが少なくなってきていたのかもしれない。
俺の好きな歌詞は、その音楽人のファーストアルバムや初期にある曲に多い。年齢で見ると20代が圧倒的だ。
敬愛するミュージシャン、詩人、唄うたいが、歳を重ねるにつれて、歌詞がどうも好きになれなくなってくる事例が多い。
時に悟り系になったり、時にエール系になったり、時にアニミズムになったり・・・・。
加齢と共に変化する深層心理を紡いで言葉にするわけであるから仕方ないことなのかもしれない。
孔子君ではないが、志した時と迷わない時の歌詞では、内容種別が変わってくるのは当然だ。
だが、個人的にはやはり初期衝動で紡がれた言葉の純度に1番ロックを感じる(もちろん平熱の言葉を発熱しまくって吐く奴らは範疇外であるが)。
ならどうするか。
俺のように40歳が20歳と同じ精神的純度であるのは歓迎すべきことではあるが、そこに経年に伴う知性と達観とバランスある狂気が加味されなければ、ただの痛い歌詞になる。
例えば、20歳の若者が、「歩いていこうぜ~」と言う時、そこには猜疑心や不安を伴った開き直りと自己鼓舞があると思うが、40歳のおっさんが、「歩いていこうぜ~」と同じレベルで歌ったら痛い。
「おっさん、もうめっちゃ歩いてるやんけ!」と突っ込みたくなる。
そのため、おっさんは同じ言葉が歌詞に現れるにしても、そこに、自己鼓舞は捨てて、大らかな潔さと明るさで包んだ何かがないといけないと思う。根底に、噛み付きたいスピリットがあったとしてもだ。
希望や戒めだけを訓示のように吐くのが大人の歌詞でもない。それならば音楽の教科書に載るだけで、そこに市場があってもいいのだが、少なくともそんな慰みみたいな言葉も、湿っただけ、ロマンチストなだけの言葉もこの歳では吐きたくない。
最近、「若者的絶望」を大人感覚でミクスチャーして昇華させた歌詞を書きたいと思っている。
ロックの歌詞には「絶望感と壊れそうな侠気と逝きそうな狂気とそれを壊すための凶器」が宿っていると思う。「若者的絶望」はロッキンな歌詞の重要な要素だ。ただ、それを20代と同じ言葉で叫んでいたら、痛すぎてロックではない。
「若者的絶望」を抱きながらも歳を重ねた大人が、若い時と同じキャパのまま歌うくらいならそれはローリングしていないと思う。
初期衝動は同じ、歌いたいテーマも同じ、だけど加齢の匂いを臭くならずに漂わせる言葉力がこれからは必要だと思っている。
そんなテーマで、新生「ほうるもん」の新曲「のたりのたりかな」の歌詞を書いた。うまく表現できているのかはわからないのだが、個人的には何か少し掴めてきているような気がする。
ずっと歌いたいテーマが宿って、然るべき時に降りてくるのであれば、歳をとるのも悪くないと思う、迷いまくりの40代突入日であった。
2010年12月4日土曜日
高貴高齢者
今日は、慶應義塾大学を通信教育過程で卒業した人たちの、北陸3県合同の忘年会に参加した。
在学中から顔見知りだった方も一部いたが、県外の方は初対面がほとんどである。もう40歳になる俺が1番若い部類に入る集まりは、なかなか楽しいものがあった。
俺が卒業したのは2003年だから、まだ最近であるが、先輩の方々の中には昭和45年卒業といった、俺の生まれる前から通信で学び、卒業された方がたくさんおられた。世代的には後期高齢者(失礼)がたくさんである。
卒業後40年を経過してもなお、母校への愛着と誇りを持って集ってこられる方の凛とした気概を目の当たりにして、何だか背筋を正された思いである。
若い世代が少なく、このOB会を支えているのは高齢者中心である。また、現役の通信生が属する会があるのだが、そちらのほうも参加人数が少なくなってきていて、地方では休会が相次いでいるらしい。
母校精神に限らず、属するコミュニティー内での人的交流の希薄さは世代的なものなのかもしれない。
俺も例外ではなく、母校精神とは無縁とまではいかないものの、卒業してからOB会に参加したのは3回目である。ほとんどの行事は参加していなかった。立山登山といった楽しい行事には参加するが、例会や総会、懇親会、講演会といった類にはまず参加していなかった。
もちろん、塾稼業時代には日程的に土曜日の昼間や夜を空けるのは困難だったこともあるが、都合がついたからといって参加していたかといえば、否である。
今回も特に参加する気はなかったのだが、富山のOB会のボスから直々に電話があり、嫌々ながら断りきれずというのが本当のところだった。
だが行ってみれば、年配の方々との交流は楽しく、改めて学ぶことが多かった。特にネット環境が整備されない時代に現役であった世代の方々の価値的情念の基軸が、なんだかとても清いものに思えた。
もう忘れてしまったのか、なくなってしまったのかわからないが、日本人としての美学と矜持が高純度で宿った方々がまだおられる間に、少しでも俺の世代がその精神を受け継いで、次代に伝えていかなければ!という使命みたいなものも感じた。
帰りしな、富山のOB会の次期会長に俺がなるように、現会長から懇願された。
気持ち的にこの繋がりを肯定出来る気分だったので、快く引き受けた。この組織では若輩ではあるが、コミュニティーの絆の根底にある、日本的な肉厚ある魂を、下の世代にも伝え、会自体を活発化させていくことに一躍買えたらと思っている。
金沢での会だったので、久々に電車に乗る。
物思いに耽りながら車窓から町並みを眺めていると、以前と豹変した新興住宅地、新興住宅地になるのであろう造成中の土地、北陸新幹線の高架がやたらと目に付いた。
青森への新幹線開通がニュースになっているが、北陸にも何年後かに新幹線が走る。
「活性化」やら「発展」やら「振興」やらと色々言って、土地と景観を変えていくことに前向きな国である。
金をかけて自然の姿を変えて出来上がった新しい土地に、これまた金をかけて公園を整備する。
帰りの車中は、読みかけの「文藝春秋12月号」を読む。
石原慎太郎さんの「日本堕落論」がやけに沁みる。
氏の過激な論調が好きなわけでもないし、極右の思想に傾倒しているわけでもないが、「日本はどうしちゃったんだろう??」としみじみ考えた。
何かを「堕落」と思う時、そこには相対する「上」の価値観があるのだが、俺自身はそれ自体がはっきりとはわからない、もしくは漠然としてはあっても正誤の判断が出来ない以上、せめて、「堕落」の刻印を世の中に押すことだけは避けたいと思っているのだが・・・。
ともあれ、久々に電車に乗って、久々に金沢の町を歩いて、久々に昼から酒を飲んで、久々にアナログ感覚満載の後期高齢者、いや、高貴高齢者とたくさん話せて、充実した日であった。
在学中から顔見知りだった方も一部いたが、県外の方は初対面がほとんどである。もう40歳になる俺が1番若い部類に入る集まりは、なかなか楽しいものがあった。
俺が卒業したのは2003年だから、まだ最近であるが、先輩の方々の中には昭和45年卒業といった、俺の生まれる前から通信で学び、卒業された方がたくさんおられた。世代的には後期高齢者(失礼)がたくさんである。
卒業後40年を経過してもなお、母校への愛着と誇りを持って集ってこられる方の凛とした気概を目の当たりにして、何だか背筋を正された思いである。
若い世代が少なく、このOB会を支えているのは高齢者中心である。また、現役の通信生が属する会があるのだが、そちらのほうも参加人数が少なくなってきていて、地方では休会が相次いでいるらしい。
母校精神に限らず、属するコミュニティー内での人的交流の希薄さは世代的なものなのかもしれない。
俺も例外ではなく、母校精神とは無縁とまではいかないものの、卒業してからOB会に参加したのは3回目である。ほとんどの行事は参加していなかった。立山登山といった楽しい行事には参加するが、例会や総会、懇親会、講演会といった類にはまず参加していなかった。
もちろん、塾稼業時代には日程的に土曜日の昼間や夜を空けるのは困難だったこともあるが、都合がついたからといって参加していたかといえば、否である。
今回も特に参加する気はなかったのだが、富山のOB会のボスから直々に電話があり、嫌々ながら断りきれずというのが本当のところだった。
だが行ってみれば、年配の方々との交流は楽しく、改めて学ぶことが多かった。特にネット環境が整備されない時代に現役であった世代の方々の価値的情念の基軸が、なんだかとても清いものに思えた。
もう忘れてしまったのか、なくなってしまったのかわからないが、日本人としての美学と矜持が高純度で宿った方々がまだおられる間に、少しでも俺の世代がその精神を受け継いで、次代に伝えていかなければ!という使命みたいなものも感じた。
帰りしな、富山のOB会の次期会長に俺がなるように、現会長から懇願された。
気持ち的にこの繋がりを肯定出来る気分だったので、快く引き受けた。この組織では若輩ではあるが、コミュニティーの絆の根底にある、日本的な肉厚ある魂を、下の世代にも伝え、会自体を活発化させていくことに一躍買えたらと思っている。
金沢での会だったので、久々に電車に乗る。
物思いに耽りながら車窓から町並みを眺めていると、以前と豹変した新興住宅地、新興住宅地になるのであろう造成中の土地、北陸新幹線の高架がやたらと目に付いた。
青森への新幹線開通がニュースになっているが、北陸にも何年後かに新幹線が走る。
「活性化」やら「発展」やら「振興」やらと色々言って、土地と景観を変えていくことに前向きな国である。
金をかけて自然の姿を変えて出来上がった新しい土地に、これまた金をかけて公園を整備する。
帰りの車中は、読みかけの「文藝春秋12月号」を読む。
石原慎太郎さんの「日本堕落論」がやけに沁みる。
氏の過激な論調が好きなわけでもないし、極右の思想に傾倒しているわけでもないが、「日本はどうしちゃったんだろう??」としみじみ考えた。
何かを「堕落」と思う時、そこには相対する「上」の価値観があるのだが、俺自身はそれ自体がはっきりとはわからない、もしくは漠然としてはあっても正誤の判断が出来ない以上、せめて、「堕落」の刻印を世の中に押すことだけは避けたいと思っているのだが・・・。
ともあれ、久々に電車に乗って、久々に金沢の町を歩いて、久々に昼から酒を飲んで、久々にアナログ感覚満載の後期高齢者、いや、高貴高齢者とたくさん話せて、充実した日であった。
2010年11月29日月曜日
ミズ
遅くなったが、まずはライブ後記。
11月23日の「アーチスト」での「ほうるもん」ライブにお越しの方々、ほんまありがとうございます。
結成丸3年を迎えたところで盟友ドラマーの脱退(彼の今後にピースマークを贈ります)があって、今回はサポートドラマーを迎えてのライブであったが、すんげ~サポートと、「アーチスト」を通して知り合った方々とのおかげで貴重なライブとなりました。
対バンも最高! 「Right Over」さん、長澤さん、「大谷コンクリート」さん、どちらもそれぞれのベクトルがしっかりあった、素晴らしき方々でした。観客としても楽しめました。
早速、ライブ2日後から新しいビジョンに向けてリハを開始し、来年2月頭のライブを目指します。
~~文体変更~~~
断酒を絶った後ではあるが、ちゃんと休肝日を設けている。意外と苦しくなく、メリハリをつけられるようになった。
その断酒絶ち2日目に、トマトジュース割りの焼酎をパソにこぼした。
キーボードの左側、TABやらCAPSやら書いてあるボタン辺りがトマトに染められたので、慌ててクリネックスで拭き拭きした。
が、その後から、文字を入力しようとすると、ありえない文字が出る。仮名変換、ローマ字変換等を変えてしまうボタンが左側にあって、たぶんそれを拭き拭き過程で乱打してしまったからだろうな~と思いながら、以前、対処したことがあるノウハウを思い出し、画面右下の「caps kana」のボタンをポチポチするが、いっこうに治ってくれない。そのうちに色々いじっていたら固まった。
凝固するのを溶かすには、電源ボタンの長押しに限る。ブチッと切って、ブチッと立ち上げた。
画面にパスワード要求画面が現れた。いつものパスワードを押すのだが、「7」のボタンが反応してくれない。パスワード画面の「●●●●」の左から2つ目が「7」なのだが、反応してくれない。
「永久に開けへんやんけ!」といらだちながら、差し込んでいる線をブチブチと引き抜いて、翌日パソ修理屋に持ち込んだ。
預けて30分後、店員さんから電話があった。
「あの~、~~~~~~~~~~までは沁みていなかったのでよかったですね。これなら、~~~~~~~の交換だけで済みます。1万ちょっとくらいで大丈夫です。」
どうやら、キーボードの奥深くまで焼酎がいかなくて、合掌しなくてよかったみたいだ。
パソは今日退院した。今はプライベートと仕事パソコンの2台も持っているハイテクパソラーの俺であるから、ネット環境に不自由はしなかったのだが、それにしても、パソのひ弱さには参った。
ちょっと行水したくらいで入院しとったら、この厳しい娑婆は渡っていけないと思うのだが・・・。あまりに情けない!!
機械が水に弱いのは予備知識としては知っていたが、あまりのひ弱さに驚いた。
当たり前のように毎日使うパソ、その機能の進歩はどうやらすごいらしい。俺ごときが一生関わっても使いこなせないだけのキャパシティーを持っているらしいのだが、水にぬらしたら終わりというのがあまりにしょぼい!
携帯電話にしてもそうだ。洋式便所のため池で、俺は2台の携帯を殺めたことがある(ぼっとん便所でせつないお別れをしたこともある)。浸水時間、ほんの数秒だ。肺活量なさすぎ!
だいたい、そんだけ水に弱い割に、キーボードの肌は露出しすぎだ。ひ弱ならひ弱らしく、重ね着したらいいものを、露わになって俺たちの目の前で整列している。
おまけに、埃をたくさんかぶり、不潔丸出しの裸体で恥ずかしげもなく鎮座している。
ひ弱なパソのキーボード全体にサランラップでも巻いて、温かくして過保護にしてあげなきゃと思う。
暴雨の中放置していても大丈夫なパソや、投げて凹んでも大丈夫なパソ、そういったパソこそが、真の優秀なハードだと思うのだが、研究者様はどうも研究ポイントがずれているような気がする。
先日のライブの日、キムのおっさんの国が水際の血迷った暴挙に出た。
コンピューター制御で発射したミサイルが爆撃をする。
だが、その後に出るのは炎とそれを鎮火する水。 その後には救援物資として水と毛布・・・。
どんなにハイテクになっても、水に弱かったり、水に助けを求めたり、原始的な部分から離れられない節理があるのであれば、いっそのこと、ハイテクな葛藤と虚栄心と凶暴と偽善とをとっぱらって、無防備なままでお互い過ごしたほうが叡智に飛んだ瑞々しさを保てるのではないかと思う。
いけない兵器を持った者同士、お互いのコンピューターの心臓部に水を掛け合って、えげつないお金を費やしたブツが簡単にお隠れしていく過程をみんなで見守ったならば、あまりにばかばかしい茶番劇も水に流せるであろう。
爆弾を空に打ち出す奴と、それを迎撃する奴、いらぬ空中でのVSは、ほんの水だけで地上の惨禍を洗い流してくれるのにと思う。
暴走したらフリーズさせられて、無駄な出費で修理してはまた復帰する。洗い流す水も汚染されて、水分も邪悪に染められていく。
戦禍で亡くなられた方のご冥福をお祈りする。
もう手遅れだけれど。
そして水際の攻防は続いていく。
11月23日の「アーチスト」での「ほうるもん」ライブにお越しの方々、ほんまありがとうございます。
結成丸3年を迎えたところで盟友ドラマーの脱退(彼の今後にピースマークを贈ります)があって、今回はサポートドラマーを迎えてのライブであったが、すんげ~サポートと、「アーチスト」を通して知り合った方々とのおかげで貴重なライブとなりました。
対バンも最高! 「Right Over」さん、長澤さん、「大谷コンクリート」さん、どちらもそれぞれのベクトルがしっかりあった、素晴らしき方々でした。観客としても楽しめました。
早速、ライブ2日後から新しいビジョンに向けてリハを開始し、来年2月頭のライブを目指します。
~~文体変更~~~
断酒を絶った後ではあるが、ちゃんと休肝日を設けている。意外と苦しくなく、メリハリをつけられるようになった。
その断酒絶ち2日目に、トマトジュース割りの焼酎をパソにこぼした。
キーボードの左側、TABやらCAPSやら書いてあるボタン辺りがトマトに染められたので、慌ててクリネックスで拭き拭きした。
が、その後から、文字を入力しようとすると、ありえない文字が出る。仮名変換、ローマ字変換等を変えてしまうボタンが左側にあって、たぶんそれを拭き拭き過程で乱打してしまったからだろうな~と思いながら、以前、対処したことがあるノウハウを思い出し、画面右下の「caps kana」のボタンをポチポチするが、いっこうに治ってくれない。そのうちに色々いじっていたら固まった。
凝固するのを溶かすには、電源ボタンの長押しに限る。ブチッと切って、ブチッと立ち上げた。
画面にパスワード要求画面が現れた。いつものパスワードを押すのだが、「7」のボタンが反応してくれない。パスワード画面の「●●●●」の左から2つ目が「7」なのだが、反応してくれない。
「永久に開けへんやんけ!」といらだちながら、差し込んでいる線をブチブチと引き抜いて、翌日パソ修理屋に持ち込んだ。
預けて30分後、店員さんから電話があった。
「あの~、~~~~~~~~~~までは沁みていなかったのでよかったですね。これなら、~~~~~~~の交換だけで済みます。1万ちょっとくらいで大丈夫です。」
どうやら、キーボードの奥深くまで焼酎がいかなくて、合掌しなくてよかったみたいだ。
パソは今日退院した。今はプライベートと仕事パソコンの2台も持っているハイテクパソラーの俺であるから、ネット環境に不自由はしなかったのだが、それにしても、パソのひ弱さには参った。
ちょっと行水したくらいで入院しとったら、この厳しい娑婆は渡っていけないと思うのだが・・・。あまりに情けない!!
機械が水に弱いのは予備知識としては知っていたが、あまりのひ弱さに驚いた。
当たり前のように毎日使うパソ、その機能の進歩はどうやらすごいらしい。俺ごときが一生関わっても使いこなせないだけのキャパシティーを持っているらしいのだが、水にぬらしたら終わりというのがあまりにしょぼい!
携帯電話にしてもそうだ。洋式便所のため池で、俺は2台の携帯を殺めたことがある(ぼっとん便所でせつないお別れをしたこともある)。浸水時間、ほんの数秒だ。肺活量なさすぎ!
だいたい、そんだけ水に弱い割に、キーボードの肌は露出しすぎだ。ひ弱ならひ弱らしく、重ね着したらいいものを、露わになって俺たちの目の前で整列している。
おまけに、埃をたくさんかぶり、不潔丸出しの裸体で恥ずかしげもなく鎮座している。
ひ弱なパソのキーボード全体にサランラップでも巻いて、温かくして過保護にしてあげなきゃと思う。
暴雨の中放置していても大丈夫なパソや、投げて凹んでも大丈夫なパソ、そういったパソこそが、真の優秀なハードだと思うのだが、研究者様はどうも研究ポイントがずれているような気がする。
先日のライブの日、キムのおっさんの国が水際の血迷った暴挙に出た。
コンピューター制御で発射したミサイルが爆撃をする。
だが、その後に出るのは炎とそれを鎮火する水。 その後には救援物資として水と毛布・・・。
どんなにハイテクになっても、水に弱かったり、水に助けを求めたり、原始的な部分から離れられない節理があるのであれば、いっそのこと、ハイテクな葛藤と虚栄心と凶暴と偽善とをとっぱらって、無防備なままでお互い過ごしたほうが叡智に飛んだ瑞々しさを保てるのではないかと思う。
いけない兵器を持った者同士、お互いのコンピューターの心臓部に水を掛け合って、えげつないお金を費やしたブツが簡単にお隠れしていく過程をみんなで見守ったならば、あまりにばかばかしい茶番劇も水に流せるであろう。
爆弾を空に打ち出す奴と、それを迎撃する奴、いらぬ空中でのVSは、ほんの水だけで地上の惨禍を洗い流してくれるのにと思う。
暴走したらフリーズさせられて、無駄な出費で修理してはまた復帰する。洗い流す水も汚染されて、水分も邪悪に染められていく。
戦禍で亡くなられた方のご冥福をお祈りする。
もう手遅れだけれど。
そして水際の攻防は続いていく。
2010年11月21日日曜日
飛行機ノスタルジア
研修を終えて帰ってきた。
行きも帰りも飛行機の窓側を予約、どちらも好天に恵まれたおかげで、道中やたらと楽しめた。
飛行機に乗るのは14回目(※うち12回が富山~羽田)だが、毎回変わらぬ興奮を運んできてくれる。窓側が取れない時はふてくされて寝ているが、14回中9回はしっかり確保出来ている。
飛ぶ前からわくわくである。飛行機がエンジンをかけ、滑走路に移動するまでの間から、興味は尽きない。富山空港は滑走路がはっきりわかっているからいいのだが、羽田になると、「今日はどこから飛び出すのかな??」と興味津々である。
隣接する窓はもちろん、逆側の窓も見ながら、前の映像も見ながら、飛行場内の方位を示す数字も見ながら、実にせわしなく目と頭をフル回転させる。
シートベルト着用サインの時に鳴る、あの「ぴ~ん」という警告音も刺激的だ。生理的に好きだ。非日常を一瞬にして運んできてくれる。事故後の検証報道なんかでフライトレコーダーの録音を流すことがあるが、それにも必ず入っている音で、手に汗握る緊張感も運んで来てくれる(飛行機事故のご遺族にとっては忌諱する音であろうし、不謹慎な感想で申し訳ない。)
エンジン音が一瞬にして轟き始め、えげつない加速度で走り出す。そして、股間がむずがゆくなるような浮遊を感じると、ものすごいスピードで高度を上げていく。
あっと言う間に雲上に運ばれる。
雲を窓から下や横に見ていると、なぜだかわからないが、いつも「ジャックと豆の木」を思い出す。
よく見ていたら、絶対にどっかにジャックと巨人と、豆の木のツルがあるのではないかと、真剣に探してしまう。「俺も金の卵を産む鶏やハープが欲しいな~。」と夢想に耽っていると、雲間から下界が見えて我に返る。
雲が少なく、空気が澄んでいる時は夢想せずに、ひたすら機窓からの景色を楽しむ。
富山⇒羽田の時は、飛び立つとすぐに能登半島から新潟向いて飛び、佐渡島が左に見える辺りから右に旋回し、おそらく那須の上から茨城、千葉に入って飛ぶ。海が見えたらすぐに羽田である。
この景色も悪くないが、帰りの羽田⇒富山はもっと好きだ。行きと違って目的地に向いてほぼ直線的な航路を行く。
海に向いて飛び出した飛行機は、すぐに旋回して富山に向いて直線的に進む。進路向いて左側の窓が確保できた時は、ひたすら富士山を探すが、まだ1回しか見ることが出来ていない。
俺が好きなのは諏訪湖が見えて、松本に入った辺りからだ。浅間山だろうか、噴火口から煙が出ている。それを過ぎるとすぐに槍ヶ岳、穂高と連峰が見えてくる。
富山に近づくと立山連峰と黒部ダムが見える。たまらなく贅沢な景色を過ぎると飛行機は海に向かっていく。富山上空を素通りし、能登半島に向いて飛ぶ。
左側に和倉温泉の町並みや能登島が見える辺りまで来て急旋回。また富山空港目がけて高度を下げ、海側から滑走路に入るのである。
この直前に、先ほどまで下に見下ろしていた立山連峰を左窓から水平に見ることが出来る。高度が下がってきたことを実感させる。興奮マックスである。
富山空港は神通川河川敷にある。滑走路も羽田と比べると短い気がする。
その為であろうか、富山空港に着陸してからの急ブレーキは興奮する。バナナの皮があったら滑って事故るんちゃうか?と思わせるほどの不安定な急ブレーキである。
いつも着陸した瞬間に、たまらなく悲しくなる。「次のフライトはいつになることやら・・・。」と思うと、大げさではなく郷愁に似た念を抱く。
俺の飛行機体験の至福な時間は、吐き気が終止符を打つ。
窓から常にガン見しているからであろうか、確実に乗り物酔いをしている。
息子に自分の夢を託すなんてことは嫌いだが、パイロットになって欲しいという気持ちはひそかにある。俺の緑内障が遺伝していないことだけを願っている。
それにしても、飛行機の航路は不思議である。なぜあんなにいつも遠回りするかである。
空中での衝突を避けるための高度調整を基にした指定航路があるから、また国際線の場合は、地図で見たら遠回りでも、地球儀で見るとなるほど、直線であったりはしている。
だが、本当にそれだけかな?ともいつも思う。
燃費の兼ね合い? 観光サービス? 急に高度下げるのが難しい? 色々稚拙な感想は持てども、それを真剣に調べたいというよりは、航路ミステリーとして永遠に種明かしをしないで欲しい気持ちも強い。
また楽しみが終わって、飛行機にノスタルジアを感じている。
行きも帰りも飛行機の窓側を予約、どちらも好天に恵まれたおかげで、道中やたらと楽しめた。
飛行機に乗るのは14回目(※うち12回が富山~羽田)だが、毎回変わらぬ興奮を運んできてくれる。窓側が取れない時はふてくされて寝ているが、14回中9回はしっかり確保出来ている。
飛ぶ前からわくわくである。飛行機がエンジンをかけ、滑走路に移動するまでの間から、興味は尽きない。富山空港は滑走路がはっきりわかっているからいいのだが、羽田になると、「今日はどこから飛び出すのかな??」と興味津々である。
隣接する窓はもちろん、逆側の窓も見ながら、前の映像も見ながら、飛行場内の方位を示す数字も見ながら、実にせわしなく目と頭をフル回転させる。
シートベルト着用サインの時に鳴る、あの「ぴ~ん」という警告音も刺激的だ。生理的に好きだ。非日常を一瞬にして運んできてくれる。事故後の検証報道なんかでフライトレコーダーの録音を流すことがあるが、それにも必ず入っている音で、手に汗握る緊張感も運んで来てくれる(飛行機事故のご遺族にとっては忌諱する音であろうし、不謹慎な感想で申し訳ない。)
エンジン音が一瞬にして轟き始め、えげつない加速度で走り出す。そして、股間がむずがゆくなるような浮遊を感じると、ものすごいスピードで高度を上げていく。
あっと言う間に雲上に運ばれる。
雲を窓から下や横に見ていると、なぜだかわからないが、いつも「ジャックと豆の木」を思い出す。
よく見ていたら、絶対にどっかにジャックと巨人と、豆の木のツルがあるのではないかと、真剣に探してしまう。「俺も金の卵を産む鶏やハープが欲しいな~。」と夢想に耽っていると、雲間から下界が見えて我に返る。
雲が少なく、空気が澄んでいる時は夢想せずに、ひたすら機窓からの景色を楽しむ。
富山⇒羽田の時は、飛び立つとすぐに能登半島から新潟向いて飛び、佐渡島が左に見える辺りから右に旋回し、おそらく那須の上から茨城、千葉に入って飛ぶ。海が見えたらすぐに羽田である。
この景色も悪くないが、帰りの羽田⇒富山はもっと好きだ。行きと違って目的地に向いてほぼ直線的な航路を行く。
海に向いて飛び出した飛行機は、すぐに旋回して富山に向いて直線的に進む。進路向いて左側の窓が確保できた時は、ひたすら富士山を探すが、まだ1回しか見ることが出来ていない。
俺が好きなのは諏訪湖が見えて、松本に入った辺りからだ。浅間山だろうか、噴火口から煙が出ている。それを過ぎるとすぐに槍ヶ岳、穂高と連峰が見えてくる。
富山に近づくと立山連峰と黒部ダムが見える。たまらなく贅沢な景色を過ぎると飛行機は海に向かっていく。富山上空を素通りし、能登半島に向いて飛ぶ。
左側に和倉温泉の町並みや能登島が見える辺りまで来て急旋回。また富山空港目がけて高度を下げ、海側から滑走路に入るのである。
この直前に、先ほどまで下に見下ろしていた立山連峰を左窓から水平に見ることが出来る。高度が下がってきたことを実感させる。興奮マックスである。
富山空港は神通川河川敷にある。滑走路も羽田と比べると短い気がする。
その為であろうか、富山空港に着陸してからの急ブレーキは興奮する。バナナの皮があったら滑って事故るんちゃうか?と思わせるほどの不安定な急ブレーキである。
いつも着陸した瞬間に、たまらなく悲しくなる。「次のフライトはいつになることやら・・・。」と思うと、大げさではなく郷愁に似た念を抱く。
俺の飛行機体験の至福な時間は、吐き気が終止符を打つ。
窓から常にガン見しているからであろうか、確実に乗り物酔いをしている。
息子に自分の夢を託すなんてことは嫌いだが、パイロットになって欲しいという気持ちはひそかにある。俺の緑内障が遺伝していないことだけを願っている。
それにしても、飛行機の航路は不思議である。なぜあんなにいつも遠回りするかである。
空中での衝突を避けるための高度調整を基にした指定航路があるから、また国際線の場合は、地図で見たら遠回りでも、地球儀で見るとなるほど、直線であったりはしている。
だが、本当にそれだけかな?ともいつも思う。
燃費の兼ね合い? 観光サービス? 急に高度下げるのが難しい? 色々稚拙な感想は持てども、それを真剣に調べたいというよりは、航路ミステリーとして永遠に種明かしをしないで欲しい気持ちも強い。
また楽しみが終わって、飛行機にノスタルジアを感じている。
2010年11月13日土曜日
断酒を断つ
11月2日に断酒を決断!
11月13日に断酒を断つことを決断!
あはは・・・・。
この10日間の俺はえらかった。間違いなくえらかった。
3日は祝日であった。祝日は夕方から飲むのが当たり前であったが、緑茶と水でなんとかしのぐ。
4日は仕事を終えて帰り道、コンビニに寄る。
寄ってから買うものがないことに気付く。「そうだ、ビールは買わないのだ・・・。」
6日にライブがあり、7日に消防団の慰労会があった。どちらも爆飲必至の行事であり、俺にとってこれらの行事の日に酒を飲まないなどということはありえないことであった。
だが、俺は断酒の誓いを胸に、ただただじっと耐えた。自分がとても意志の強い人間に思えて、しらふで酔えた。
ちょうどニュースで、TOTOのスティーブ・ルカサーが、酒とタバコをすぱっとやめたとの報を聞いた。
俺はスティーブに共感した。中学以来聴いていなかったTOTOのテープを取り出して聴いた。何だか“isolation”な気分になった。
TOTO便器に小便をぶちまける。緑茶と水とコーヒーしか飲んでいないのだが、妙に“lion”みたいな色の尿、決して健康ではない。
断酒を始めたのが火曜日である。水曜日朝に体調に異変があり、夜に発熱。
木曜・金曜とパブロンしながらだましだまし過ごす。
いつも俺は早めのパブロンで、風邪をだらだらと長引かせることはなかったのだが、今回は長引いた。
土曜日ライブも声がいまいち、日曜の消防団行事と宴が終わった後からまた発熱。月曜日に医者に行くと、インフルエンザではない。一般的な風邪でもないという。
「CRP」の数値が異常値を示していて、何か菌が体内で暴れているのでは?との診察。クラリスロマイシンという抗生剤を処方してもらい、4日服用するも、どうも体調が思わしくない。
おまけに一緒に処方してもらった、熱を下げて炎症を抑える「ボルタレン」とかいう錠剤が効くのなんの・・・。注意事項として「眠気やめまい」と書かれていたが、見事に要注意の眠気と目まいが終日俺を支配する。
今まで処方してもらった薬はほとんど副作用を感じなかったのだが、断酒したからであろう、見事に効く。
夜は毎日「損保商品専門」の試験勉強をするが、これまた見事に頭に入らない。活字を見ると眠くなる。パソパソする気も失せて、毎日21時くらいから布団に沈没する。
そして今夜、嫁からの天の一声がある。「毎日飲むのはよくないけど、週末くらいは適度に飲んでもいいんちゃう?」
迷わず俺は、「そ、そやな・・・。ビ、ビール買ってくる。」とコンビニ直行、グビっと飲んでからパソコンを開いた。
喉のいがらっぽさが消え、体調はすこぶる良い。
こうして断酒の日々は終わった。意志薄弱の短期間ではあったが、全く飲まなかったこの期間は貴重な体験であった。
まただらだらと毎日500ml×4本&焼酎数杯という酒量に戻るのではなく、適度な酒量を保つという、新たな戦いが待っている。ある意味断酒よりも過酷な日々になるかもしれないが、体調の異変は少なく、休肝も出来るだろう。
何より、タバコを先に止めなければ・・・と、次なる意志との戦いに向けて、麦芽と共に気合を注入している次第である。
面白いことに、普通、「ビールっ腹」というように、酒飲みの腹が出る事例が多いのだが、俺は出ていなかった。減量前のボクサーくらいの腹を常にキープしていて、体重も64キロを20年以上、何の苦労もなく維持していたのだが、断酒した10日くらいの間に4キロも増えた。腹も少し出たような気がする。
禁煙した後に太るというのならわかるのだが、断酒で太るというのがよくわからない。食欲はむしろ減り、食べる量もほぼ同じであったのだが、とにかく太っていた。睡眠時間が増えたことくらいしか原因がわからない。
とにかく、断酒を断った。断ってしまった。断たずにはおれなかった。断ってよかったかどうかはわからない。
開き直りも卑下もしないが、またダラダラと垂れ流し飲みをすることだけは避けたいものである。
長生き出来ればいいのだ。長生きを妨げる要因となることを避けたいのである。俺の臓器達が悲鳴をあげていれば休みを与えてあげ、潤いを欲していればアルコールを垂らしてあげる。
自分の体に1番適した名医に俺自身がなって、家族のため、俺のために長生きしたいと思っている。
仕事は先々の展望は決して楽観できるものではないけれど、中・短期的にはぽつぽつと成果が出てきている。提携できる自動車屋を数件開拓したので、それなりに契約は挙がってきているが、本来のコンサルティング営業という理想には近づいていない。
仕事も身体も良きコンサルタントとして過ごしたいものである。
明後日からまた研修で千葉に行く。1週間の缶詰研修だ。今回は生保の研修になる。
リスク・コンサルティングについて学ぶ予定だ。
俺自身の気管支と肺のリスク対応のために、禁煙の志を持って旅立ちたいと思う。
11月13日に断酒を断つことを決断!
あはは・・・・。
この10日間の俺はえらかった。間違いなくえらかった。
3日は祝日であった。祝日は夕方から飲むのが当たり前であったが、緑茶と水でなんとかしのぐ。
4日は仕事を終えて帰り道、コンビニに寄る。
寄ってから買うものがないことに気付く。「そうだ、ビールは買わないのだ・・・。」
6日にライブがあり、7日に消防団の慰労会があった。どちらも爆飲必至の行事であり、俺にとってこれらの行事の日に酒を飲まないなどということはありえないことであった。
だが、俺は断酒の誓いを胸に、ただただじっと耐えた。自分がとても意志の強い人間に思えて、しらふで酔えた。
ちょうどニュースで、TOTOのスティーブ・ルカサーが、酒とタバコをすぱっとやめたとの報を聞いた。
俺はスティーブに共感した。中学以来聴いていなかったTOTOのテープを取り出して聴いた。何だか“isolation”な気分になった。
TOTO便器に小便をぶちまける。緑茶と水とコーヒーしか飲んでいないのだが、妙に“lion”みたいな色の尿、決して健康ではない。
断酒を始めたのが火曜日である。水曜日朝に体調に異変があり、夜に発熱。
木曜・金曜とパブロンしながらだましだまし過ごす。
いつも俺は早めのパブロンで、風邪をだらだらと長引かせることはなかったのだが、今回は長引いた。
土曜日ライブも声がいまいち、日曜の消防団行事と宴が終わった後からまた発熱。月曜日に医者に行くと、インフルエンザではない。一般的な風邪でもないという。
「CRP」の数値が異常値を示していて、何か菌が体内で暴れているのでは?との診察。クラリスロマイシンという抗生剤を処方してもらい、4日服用するも、どうも体調が思わしくない。
おまけに一緒に処方してもらった、熱を下げて炎症を抑える「ボルタレン」とかいう錠剤が効くのなんの・・・。注意事項として「眠気やめまい」と書かれていたが、見事に要注意の眠気と目まいが終日俺を支配する。
今まで処方してもらった薬はほとんど副作用を感じなかったのだが、断酒したからであろう、見事に効く。
夜は毎日「損保商品専門」の試験勉強をするが、これまた見事に頭に入らない。活字を見ると眠くなる。パソパソする気も失せて、毎日21時くらいから布団に沈没する。
そして今夜、嫁からの天の一声がある。「毎日飲むのはよくないけど、週末くらいは適度に飲んでもいいんちゃう?」
迷わず俺は、「そ、そやな・・・。ビ、ビール買ってくる。」とコンビニ直行、グビっと飲んでからパソコンを開いた。
喉のいがらっぽさが消え、体調はすこぶる良い。
こうして断酒の日々は終わった。意志薄弱の短期間ではあったが、全く飲まなかったこの期間は貴重な体験であった。
まただらだらと毎日500ml×4本&焼酎数杯という酒量に戻るのではなく、適度な酒量を保つという、新たな戦いが待っている。ある意味断酒よりも過酷な日々になるかもしれないが、体調の異変は少なく、休肝も出来るだろう。
何より、タバコを先に止めなければ・・・と、次なる意志との戦いに向けて、麦芽と共に気合を注入している次第である。
面白いことに、普通、「ビールっ腹」というように、酒飲みの腹が出る事例が多いのだが、俺は出ていなかった。減量前のボクサーくらいの腹を常にキープしていて、体重も64キロを20年以上、何の苦労もなく維持していたのだが、断酒した10日くらいの間に4キロも増えた。腹も少し出たような気がする。
禁煙した後に太るというのならわかるのだが、断酒で太るというのがよくわからない。食欲はむしろ減り、食べる量もほぼ同じであったのだが、とにかく太っていた。睡眠時間が増えたことくらいしか原因がわからない。
とにかく、断酒を断った。断ってしまった。断たずにはおれなかった。断ってよかったかどうかはわからない。
開き直りも卑下もしないが、またダラダラと垂れ流し飲みをすることだけは避けたいものである。
長生き出来ればいいのだ。長生きを妨げる要因となることを避けたいのである。俺の臓器達が悲鳴をあげていれば休みを与えてあげ、潤いを欲していればアルコールを垂らしてあげる。
自分の体に1番適した名医に俺自身がなって、家族のため、俺のために長生きしたいと思っている。
仕事は先々の展望は決して楽観できるものではないけれど、中・短期的にはぽつぽつと成果が出てきている。提携できる自動車屋を数件開拓したので、それなりに契約は挙がってきているが、本来のコンサルティング営業という理想には近づいていない。
仕事も身体も良きコンサルタントとして過ごしたいものである。
明後日からまた研修で千葉に行く。1週間の缶詰研修だ。今回は生保の研修になる。
リスク・コンサルティングについて学ぶ予定だ。
俺自身の気管支と肺のリスク対応のために、禁煙の志を持って旅立ちたいと思う。
2010年11月3日水曜日
やれば出来る男
まずは、先週土曜日の「ほうるもん」ライブへお越しくださった方々、ほんまにありがとうございます。
ライブ終わった後にステージ前で声をかけてくださる方々がいたり、楽屋までの戻り道を花道みたいにして拍手で迎えてくださったり、あまりに温かい声援に調子に乗ってしまいそうだった。
ドラムの脱退により、第1期ほうるもんの最後のライブであったためか、めちゃめちゃ気合は入りまくりで、空回りしたのかしていないのかもわからず、ひたすら純粋に炸裂できたライブだったと思っている。
結成丸3年の「ほうるもん」、最初はアウェー感バリバリで、誰とも話をせず、知り合いもいない中であったが、色々なところに出させていただいて、それなりに好意的に受け入れていただき、音楽友達も多く出来始めた。
この時期のメンバーチェンジは非常に残念だが、切り替えも早く、ドラマーとは「帰ってくるな!」と餞の言葉と共に名残を惜しんだ。
今週土曜日は、福野町「さむでい」にてライブ。
こちらは、ドラムレスの3人編成でやる。何をやるかも決めていないが、しばらくのテーマは決まった。
「ハード・フォーク・ほうるもん」である。
どんな展開が待っているかはわからないが、早くも再始動した。
ライブから3日しか経っていない昨日、ドラムヘルプとして、凄腕ドラマーを迎え、今月23日の「アーチスト」ライブに向けたリハをした。
リハといっても、いきなり曲を演奏して、合わせていただくものであり、後は当日リハだけという無謀な日程だ。音量を下げ気味にして演奏することになると思う。
それにしても、知らない曲の構成にサクッと合わせるすごい力量にはびっくりだ。
こちらは、「ジェントル・ノイズ・ほうるもん」というテーマでいきたい。
ヘルプドラマーは忙しい方であり、今後週一リハは難しそうな感じ。正式なメンバーとしてどんなドラマーを迎えることになるかわからないが、良縁に期待したい。
「骨太・スルメロック・ほうるもん」の新しい門出を迎えたい。
先月はたくさんCDを買った。行きつけレコード屋ご主人から充分な試聴機会を頂いての購入であり、どれもこれも素晴らしいアルバムだ。
① Neil Young「Le Noise」
国内盤発売日を待ちきれずに輸入版で購入。またまた名盤。バンドなし、オーバー・ダブもなしのアルバムだが、強烈に素晴らしい。ダニエル・ラノワがいい仕事をしていて、ドラムレス、ベースレスを感じない重厚な仕上がり。曲も素晴らしい。ミーハー感覚を揺ぎ無い根っこで包みこんだ二―ル翁の嗅覚と行動力に脱帽である! この翁、やはり尋常ではない!
② eels 「Tomorrow morning」
10年前くらいに、「Daisies of the Galaxy」をジャケ買いして、強烈な絶望まみれの明るさが気に入り、その後のリリースが気になっていたのだが、資金的に購入優先順位にならずに、その後のアルバムはパスしていた。だが、新譜が目に入り、試聴するとこれまた実に暗い(笑)。歌詞はまだじっくり聴きこんでいないが、この10年間にリリースされたアルバムをまとめて追いたくなった。
③ Son Volt 「American Central Dust」
元「アンクル・テュペロ」のメンバーだったおっさんだが、同じ、元「アンクル・テュペロ」のジェフのおっさんが作ったオルタナ・カントリー(このカテゴリーがよくわからないが)の雄「ウィルコ」に俺は激しく傾倒していた。ところが、流派は違えども同じ源流、聴かずにはおれないと、ずっと購入候補に挙がっていた1枚。
う~~ん、実に田舎臭くて良い! めっちゃカントリー。日本でこんな田舎臭いかっこよさ持ったバンドがあるのかしらん?とこれまたまとめ追い対象に!
④遠藤賢治バンド「不滅の男」
ノーマル・テープのような録音状態から感じる魂が激熱!
⑤ Yo La Tengo 「Popular Songs 」・・・・この人たち外さない! Good!
⑥ 小坂 忠 「コネクテッド」
Kyon,高橋幸宏、佐橋佳幸とメンツが強烈!! 真似出来ないけれど素敵!
他にも何枚か買った。
薄っぺらいミニかまぼこみたいなブツを使って、電波で音楽を購入して聴く形態が流行っているため、CDが売れなくなっているらしい。
そのおかげで、俺のような、円盤がないとダメな人間には、名盤を廉価で購入できる良い時代が来たと思う。
自分の車を仕事で使うようになって、音楽を聴く時間が飛躍的に確保できるようになった。
ならば、どんどん名盤が購入したくなるのは当然だ。
1枚でも名盤を手に入れるために、とっておきの倹約方法を実践し始めた。
なんと、断酒!!! 22年間ノン・アルコール日のなかった俺が、昨日、生まれて初めて酒無しで寝た。今日も飲んでいない。オンかオフ、マックスかミニマムしか無理で、中間設定がない俺、休肝日なんてレベルでは絶対に無理だ。
これでタバコも止められたら、月に20枚はCDを買えるだろう。
厄年も近づいてきたことだし、健康管理のためにもちょうどよい!
類稀なる意志の弱さを持った俺だが、昨夜と今夜の断酒は自分でもびっくりしている。辛くなったら、「息子の成長を1日でも長く見届けたい!」と思うようにしている。
不摂生によって内蔵がいかれてからでは取り返しがつかない。この調子で断酒、禁煙を進めることが出来たならば、俺の「ほうるもん」は今後ますますよくなりそうだ。
俺はやれば出来る男かもしれない。
ライブ終わった後にステージ前で声をかけてくださる方々がいたり、楽屋までの戻り道を花道みたいにして拍手で迎えてくださったり、あまりに温かい声援に調子に乗ってしまいそうだった。
ドラムの脱退により、第1期ほうるもんの最後のライブであったためか、めちゃめちゃ気合は入りまくりで、空回りしたのかしていないのかもわからず、ひたすら純粋に炸裂できたライブだったと思っている。
結成丸3年の「ほうるもん」、最初はアウェー感バリバリで、誰とも話をせず、知り合いもいない中であったが、色々なところに出させていただいて、それなりに好意的に受け入れていただき、音楽友達も多く出来始めた。
この時期のメンバーチェンジは非常に残念だが、切り替えも早く、ドラマーとは「帰ってくるな!」と餞の言葉と共に名残を惜しんだ。
今週土曜日は、福野町「さむでい」にてライブ。
こちらは、ドラムレスの3人編成でやる。何をやるかも決めていないが、しばらくのテーマは決まった。
「ハード・フォーク・ほうるもん」である。
どんな展開が待っているかはわからないが、早くも再始動した。
ライブから3日しか経っていない昨日、ドラムヘルプとして、凄腕ドラマーを迎え、今月23日の「アーチスト」ライブに向けたリハをした。
リハといっても、いきなり曲を演奏して、合わせていただくものであり、後は当日リハだけという無謀な日程だ。音量を下げ気味にして演奏することになると思う。
それにしても、知らない曲の構成にサクッと合わせるすごい力量にはびっくりだ。
こちらは、「ジェントル・ノイズ・ほうるもん」というテーマでいきたい。
ヘルプドラマーは忙しい方であり、今後週一リハは難しそうな感じ。正式なメンバーとしてどんなドラマーを迎えることになるかわからないが、良縁に期待したい。
「骨太・スルメロック・ほうるもん」の新しい門出を迎えたい。
先月はたくさんCDを買った。行きつけレコード屋ご主人から充分な試聴機会を頂いての購入であり、どれもこれも素晴らしいアルバムだ。
① Neil Young「Le Noise」
国内盤発売日を待ちきれずに輸入版で購入。またまた名盤。バンドなし、オーバー・ダブもなしのアルバムだが、強烈に素晴らしい。ダニエル・ラノワがいい仕事をしていて、ドラムレス、ベースレスを感じない重厚な仕上がり。曲も素晴らしい。ミーハー感覚を揺ぎ無い根っこで包みこんだ二―ル翁の嗅覚と行動力に脱帽である! この翁、やはり尋常ではない!
② eels 「Tomorrow morning」
10年前くらいに、「Daisies of the Galaxy」をジャケ買いして、強烈な絶望まみれの明るさが気に入り、その後のリリースが気になっていたのだが、資金的に購入優先順位にならずに、その後のアルバムはパスしていた。だが、新譜が目に入り、試聴するとこれまた実に暗い(笑)。歌詞はまだじっくり聴きこんでいないが、この10年間にリリースされたアルバムをまとめて追いたくなった。
③ Son Volt 「American Central Dust」
元「アンクル・テュペロ」のメンバーだったおっさんだが、同じ、元「アンクル・テュペロ」のジェフのおっさんが作ったオルタナ・カントリー(このカテゴリーがよくわからないが)の雄「ウィルコ」に俺は激しく傾倒していた。ところが、流派は違えども同じ源流、聴かずにはおれないと、ずっと購入候補に挙がっていた1枚。
う~~ん、実に田舎臭くて良い! めっちゃカントリー。日本でこんな田舎臭いかっこよさ持ったバンドがあるのかしらん?とこれまたまとめ追い対象に!
④遠藤賢治バンド「不滅の男」
ノーマル・テープのような録音状態から感じる魂が激熱!
⑤ Yo La Tengo 「Popular Songs 」・・・・この人たち外さない! Good!
⑥ 小坂 忠 「コネクテッド」
Kyon,高橋幸宏、佐橋佳幸とメンツが強烈!! 真似出来ないけれど素敵!
他にも何枚か買った。
薄っぺらいミニかまぼこみたいなブツを使って、電波で音楽を購入して聴く形態が流行っているため、CDが売れなくなっているらしい。
そのおかげで、俺のような、円盤がないとダメな人間には、名盤を廉価で購入できる良い時代が来たと思う。
自分の車を仕事で使うようになって、音楽を聴く時間が飛躍的に確保できるようになった。
ならば、どんどん名盤が購入したくなるのは当然だ。
1枚でも名盤を手に入れるために、とっておきの倹約方法を実践し始めた。
なんと、断酒!!! 22年間ノン・アルコール日のなかった俺が、昨日、生まれて初めて酒無しで寝た。今日も飲んでいない。オンかオフ、マックスかミニマムしか無理で、中間設定がない俺、休肝日なんてレベルでは絶対に無理だ。
これでタバコも止められたら、月に20枚はCDを買えるだろう。
厄年も近づいてきたことだし、健康管理のためにもちょうどよい!
類稀なる意志の弱さを持った俺だが、昨夜と今夜の断酒は自分でもびっくりしている。辛くなったら、「息子の成長を1日でも長く見届けたい!」と思うようにしている。
不摂生によって内蔵がいかれてからでは取り返しがつかない。この調子で断酒、禁煙を進めることが出来たならば、俺の「ほうるもん」は今後ますますよくなりそうだ。
俺はやれば出来る男かもしれない。
2010年10月29日金曜日
ラスト⇔アライブ ※アライブ
明日、富山市「アーチスト」にて、「ほうるもん」ライブがある。
その後も2つ決まっていた。結成3年経って、バンド内の音的疎通と世界観がしっかり構築してきていた。
未来の文章に過去形が入る。
現在形で述べる。
明日のライブを持って、ドラムの御仁が脱退する。復帰予定はない。
彼のプライバシーに配慮して詳細は省くが、彼がバンドやあらゆるものを捨てて踏み出す新しい世界への共感を抱いていて、不思議と穏かに現メンバーでのラストライブ前夜を過ごしている。
Last という言葉とスペルは興味深い。
形容詞としての last は、「最後の」という意味合いであるが、動詞としては、「続く」という意味がある。
矛盾する2つを抱えて、今後形容し難い動きがあるかと思っている。
色んなバンドがある。色んなユニットがある
個人的な感覚だが、バンドは誰1人抜けても形骸化する。メンバーの増員は付加すべき力強さを宿せるが、同一メンバーだけによる音魂というものが確実に存在すると思う。
そういう意味で、誰かメンバーが抜けた時点で、そのバンドは息絶えると思っている。
メンバーが変わっても息吹があるのはユニットだ。
そうなると選択肢は解散か、メンバー復帰を待っての休止か、のどちらかになる。
「チープハンズ」に続き、「ほうるもん」は無期限休止のつもりだった。
だが、少し違ったビジョンも宿すようになっている。
「ほうるもん」はバンド名である。結成当時に頭を右左シャッフルして、掴み取った屋号であった。
だが、屋号が起動し始めて軌道を形成した頃から、それは単なる冠を超えて、個人的には目指す音魂のシンボル、コンセプト、うまい適語が見つからないが、内臓を抉り取ったような息吹として存在していた気がする。
垢抜けていない、それに垢抜ける必要もない、その垢が蓄積されて強靭な厚みを帯びて、垢の金太郎飴のような存在感を増した今、「ほうるもん」を剥がす必要はないように思えてきた。
「ほうるもん」は継続する。
現在のドラムの御仁でしか出せないドタバタな屋台骨がある。屋台骨を失って息絶える曲もある。
だが、「ほうるもん」は動詞として続く。いや、続ける。チャルメラは音色を変えながらもしっかりと内臓を宿してビートを奏でていくだろう。
色んなことにセンチメンタルでロマンチストな俺だが、なぜか高い温度でありながら、粛々と思いを保てる今の俺がいて、驚いている。
ドラムの御仁は一旦離脱する舵を切った。
残った俺は、彼の離脱理由を祝福し、色んな思いを抱えながら、彼の帰ってくる場所を残してあげたいと思いながらも、残したくないと思いながらも、凹凸を泥臭い感情で包みながら、突っ張った無機質に、それを開く風穴に、期待と失望とをガンボして、今日という日に抱いた妙に穏かな感情を肯定しながらロールする。
Last live Live last
語順はいずれ整うだろう。 然るべき位置に落ち着くだろう。
「live」も動詞と形容詞で意味深だ。
少なくとも 「rust 」ではない。それほどの年輪的深みはまだ持っていない。
ラスト⇔ライブ ※アライブ
その後も2つ決まっていた。結成3年経って、バンド内の音的疎通と世界観がしっかり構築してきていた。
未来の文章に過去形が入る。
現在形で述べる。
明日のライブを持って、ドラムの御仁が脱退する。復帰予定はない。
彼のプライバシーに配慮して詳細は省くが、彼がバンドやあらゆるものを捨てて踏み出す新しい世界への共感を抱いていて、不思議と穏かに現メンバーでのラストライブ前夜を過ごしている。
Last という言葉とスペルは興味深い。
形容詞としての last は、「最後の」という意味合いであるが、動詞としては、「続く」という意味がある。
矛盾する2つを抱えて、今後形容し難い動きがあるかと思っている。
色んなバンドがある。色んなユニットがある
個人的な感覚だが、バンドは誰1人抜けても形骸化する。メンバーの増員は付加すべき力強さを宿せるが、同一メンバーだけによる音魂というものが確実に存在すると思う。
そういう意味で、誰かメンバーが抜けた時点で、そのバンドは息絶えると思っている。
メンバーが変わっても息吹があるのはユニットだ。
そうなると選択肢は解散か、メンバー復帰を待っての休止か、のどちらかになる。
「チープハンズ」に続き、「ほうるもん」は無期限休止のつもりだった。
だが、少し違ったビジョンも宿すようになっている。
「ほうるもん」はバンド名である。結成当時に頭を右左シャッフルして、掴み取った屋号であった。
だが、屋号が起動し始めて軌道を形成した頃から、それは単なる冠を超えて、個人的には目指す音魂のシンボル、コンセプト、うまい適語が見つからないが、内臓を抉り取ったような息吹として存在していた気がする。
垢抜けていない、それに垢抜ける必要もない、その垢が蓄積されて強靭な厚みを帯びて、垢の金太郎飴のような存在感を増した今、「ほうるもん」を剥がす必要はないように思えてきた。
「ほうるもん」は継続する。
現在のドラムの御仁でしか出せないドタバタな屋台骨がある。屋台骨を失って息絶える曲もある。
だが、「ほうるもん」は動詞として続く。いや、続ける。チャルメラは音色を変えながらもしっかりと内臓を宿してビートを奏でていくだろう。
色んなことにセンチメンタルでロマンチストな俺だが、なぜか高い温度でありながら、粛々と思いを保てる今の俺がいて、驚いている。
ドラムの御仁は一旦離脱する舵を切った。
残った俺は、彼の離脱理由を祝福し、色んな思いを抱えながら、彼の帰ってくる場所を残してあげたいと思いながらも、残したくないと思いながらも、凹凸を泥臭い感情で包みながら、突っ張った無機質に、それを開く風穴に、期待と失望とをガンボして、今日という日に抱いた妙に穏かな感情を肯定しながらロールする。
Last live Live last
語順はいずれ整うだろう。 然るべき位置に落ち着くだろう。
「live」も動詞と形容詞で意味深だ。
少なくとも 「rust 」ではない。それほどの年輪的深みはまだ持っていない。
ラスト⇔ライブ ※アライブ
2010年10月19日火曜日
ブログ
友人があらゆる目先の利害や煩悩から、一切の強がりを捨て、自信も根拠もないのに、なんとかせねばと何にもできない己に精一杯の矜持を持って、清らかに自分の心境に忠実に、見切り発車で、一歩踏み出した日。
俺自身が色々と、苦悩というには苦しくない悩みや、背負ったつもりでおぶられている清らかな重みの大切さを再確認して背筋を正した日。
嫁がちょっとした事故で凹みながらも、母親としての背骨をさらに強固にした日。
色んな事が、1つ1つは実に些細でイベントにはならないのだけれども、同日に起こるタイミングと、それを噛みしめるには素地が形成された環境があり、今日はかけがえのない日となった。
記念日として西暦年月日を記憶するような種別の日ではない。
ただ、生きるということの生半可ではないエクスタシーを感じた日であった。
切片があるのかないのか、交わっているのかいないのか、わかっているのかわかっていないのか、わかって何になるのか、わからないままでいて当たり前なのだが、当たり前で割り切るには切片が存在感を帯びてきて、戸惑いながら、浮きながら、憂きを宿しながら、全てを肯定しながら、疑問を感じながら、否定に向かう先の切片に怯えては軌道修正しながら・・・・
がはは!!!と日々を過ごしている。
前向きか後ろ向きか、前向いた後ろ向きか、後ろ向いた前向きか、そんなものを知りたくないと思いながら、顕微鏡で試料を探し、神経質に眼をいきらせては疲れ、疲れてはまた顕微する。
意味不明な言葉の羅列・・・、俺は初めてブログを書いた気がした。
抽象的だが、一般的広さはない。
私的心象としては具体的だから抽象的ではない。
結びはない。
色んなことがあった。
がはは!と日々を過ごしている。
色んなことがありまして、色んなことを思い煩いまして、色んなことが楽しくなりまして、色んなことを色々思っていたら、焼酎を割ったトマトジュースの色が、血液みたいに思えてきまして、
酔えなくなった身体を賛美したくなりまして・・・
色々あった日でして~。
べらんめえ口調で吐息に色を付けたら、程よく眠くなってきまして~。
眠くなってきました。
俺自身が色々と、苦悩というには苦しくない悩みや、背負ったつもりでおぶられている清らかな重みの大切さを再確認して背筋を正した日。
嫁がちょっとした事故で凹みながらも、母親としての背骨をさらに強固にした日。
色んな事が、1つ1つは実に些細でイベントにはならないのだけれども、同日に起こるタイミングと、それを噛みしめるには素地が形成された環境があり、今日はかけがえのない日となった。
記念日として西暦年月日を記憶するような種別の日ではない。
ただ、生きるということの生半可ではないエクスタシーを感じた日であった。
切片があるのかないのか、交わっているのかいないのか、わかっているのかわかっていないのか、わかって何になるのか、わからないままでいて当たり前なのだが、当たり前で割り切るには切片が存在感を帯びてきて、戸惑いながら、浮きながら、憂きを宿しながら、全てを肯定しながら、疑問を感じながら、否定に向かう先の切片に怯えては軌道修正しながら・・・・
がはは!!!と日々を過ごしている。
前向きか後ろ向きか、前向いた後ろ向きか、後ろ向いた前向きか、そんなものを知りたくないと思いながら、顕微鏡で試料を探し、神経質に眼をいきらせては疲れ、疲れてはまた顕微する。
意味不明な言葉の羅列・・・、俺は初めてブログを書いた気がした。
抽象的だが、一般的広さはない。
私的心象としては具体的だから抽象的ではない。
結びはない。
色んなことがあった。
がはは!と日々を過ごしている。
色んなことがありまして、色んなことを思い煩いまして、色んなことが楽しくなりまして、色んなことを色々思っていたら、焼酎を割ったトマトジュースの色が、血液みたいに思えてきまして、
酔えなくなった身体を賛美したくなりまして・・・
色々あった日でして~。
べらんめえ口調で吐息に色を付けたら、程よく眠くなってきまして~。
眠くなってきました。
2010年10月11日月曜日
風流な秋の日
「花の名前を知っている大人は素敵だ!」
そう思い出したのが30代半ば頃からだろうか? 図鑑片手に勉強するわけではないが、花の名前に少しは敏感でいたいと思っている。
もちろん、元来、風流とは無縁の俺、てくてく歩いている時に見かける雑草に混じっているような小さな花なんかには、なかなか名前を意識しない。
広い範疇で「草共」と名づけて終わる。
チューリップ、朝顔、紫陽花、ひまわり、桜は小学校時分から知識を身に付けている。
実にメジャーな花々だ。だが、どうもこいつらには愛着が涌かない。
それぞれが咲く季節になると、自信を持って呼びかける。
「おい、チューリップ、お前らの中に青いのはおらぬのか?? まだまだ未熟よの~」
「おい、朝顔、なんか目覚め悪そうな顔しよって、しゃきっとせい!」
「おい、紫陽花、なんかぱっとせん色やの~。」
「おい、ひまわり、最近はやけにチビが多いの~。 ハムスターの餌にもならんわ。」
「おい、桜、散りすぎ! もうちょい粘れ!」
といったような、なんというか、霊長類VS花 といった図式で上から目線の、罵声に似た言葉をつぶやく俺である。風流ではない。
ところが、椿、コスモス、キンモクセイなど、インディーズからメジャーデビューしたことのあるような花々には、それなりに敬意を持って接している。
「椿」は、「「釜山港に帰れ」の歌で知った。色々な人に歌われているが、俺はヨンピルで知った。カラオケでこれを歌うと、続けて「珍島物語」を歌いたくなる。「万葉集」と同じ香りの味わいがある。はちきれんばかりの情熱を花びらから感じて好きである。
「コスモス」は、さだの歌で知った。百恵の歌を経由して知った。漢字が風流である。
「秋桜」、なんだか字面が美人である。花びらもわかりやすい形をしていて、絵が苦手な俺でも写生できそうだ。
「キンモクセイ」は小学生の頃、匂いが嫌いだった。なんだかこの香りに似た香水を付けるおばちゃんが近所にいて、そのおばちゃんが通る度に、俺はゲロッパ症候群に苦しんだ。
至近距離で人工的なキンモクセイもどきを嗅いでいたからだろう。
大人になってからは、ふっと香った時の芳香をトラウマなしに味わえるようになった。
秋である。俺の好きな秋である。息子に花を愛でる心が育てばいいなと思い、近所を散歩する。
キンモクセイがいい香りを運んでくる。まったく匂いを気にせず走りまくる息子をなだめる俺、顔は知らないが、同じ町内であろうおじさんが話しかけてきた。
「ちびちゃんいくつや? あんたとこのばあちゃんとよく散歩に来てるの、おっちゃん毎日見かけとる。」
おじさんは町のご意見番のような口調で色々話してくる。
おじさんは話だけではたりないのか、息子を抱っこした。
足をばたつかせて抵抗する息子の空気は読まず、得意げにつぶやいた。
「ほれ、ぼんち! あのいい匂いの花あるやろ? あれ、沈丁花っていうんや。覚えとき!」
沈丁花の花言葉はたしか、「不滅」であったと思うが、おじさんの知識は滅して欲しい。
息子が嗅いでいるのはキンモクセイ・・・・。沈丁花て・・・・。春やん!
俺は不滅のおやじに愛想して、小春日和の近所を引き続き散歩した。
キンモクセイと沈丁花と間違えるのは風流ではない。季節感がない。俺は「キンモクセイ~~♪ 秋のダイダイ キンモクセイ~♪ 沈丁花だなんて、尋常じゃないさ~♪ 雅な男さ俺と君!♪」と吟じて息子に教育をした。
まったく無粋なおっさんが多くて困ったものだ! と愚痴っては、秋の花々を頭に浮かべた。
リンドウ、アサギリソウ・・・・・・、もう出ない(汗)
あ、菊!!!!! 「枚方菊人形は確か秋やった!」と思い、息子に秋の数少ない花について語った。
無視された。
風流気取った父親であるが、その実、無粋極まりない自分に照れくさくなる時がある。
未だに、連想ゲームをして「菊」と聞くと、
「お尻!!!!」と早押ししそうな俺がいる。
どこで身に付けた知識が知らないが、風流おやじであるために、早く抹消したい連想である。このDNAが遺伝しないことを願っている。
菊には昔お世話になった。
飢えていたのである。金がなかったのである。21歳の時に、湯でて醤油と角砂糖をぶち込んでむしゃむしゃ食べたことがある。
「効く~~~~」というマズい衝動で、俺の体は覚醒され、友人に金を借りに行って、ラーメン屋で口直しした記憶がある。
苦い思い出である。
今日は息子を連れてコスモス畑に行ってきた。
山の高台にある有名なスポットで、一面のコスモス畑の美しさを満喫した。
息子にとっては記憶にもならない景色かもしれないが、赤子の眼のフィルターに少しでも焼きつく何かがあるのではないか? やはり、霊長類VS花という図式を描くような無粋な大人にはなって欲しくない。
花を愛でて季節を感じる、それが風流な大和男子だ。
「菊」と聞いて、「仏」や「朕」を連想するならまだしも、「お尻」は頂けない。
自分の背丈より高いコスモスを愛でる気配はなかったが、花畑で満喫する息子を見て、少し満足する馬鹿親父であった。
馬鹿親父は近くにもいた。
2歳くらいの娘を抱っこしながら、「ほ~ら、Aちゃん、タンポポ綺麗だね~~~。」と玉音を垂れる馬鹿親がいた。
「上には上がいる!」と、実質上から目線で見下ろして、彼ら親子に微笑みかけて、優越感にひたる俺がいた。
「ははは、タンポポて・・・・ ははは」
俺は息子の手を握り、「たんたん・ぽっぽ・たん・ぽっぽ♪」と掛け声かけて、山の斜面を登っていった。
昔、飢えてタンポポもおひたしみたいにして食べた記憶が蘇ったが、心地よい秋の風が流してくれて意識に長くは留まらなかった。
風流である。楽しい秋の日だった。
そう思い出したのが30代半ば頃からだろうか? 図鑑片手に勉強するわけではないが、花の名前に少しは敏感でいたいと思っている。
もちろん、元来、風流とは無縁の俺、てくてく歩いている時に見かける雑草に混じっているような小さな花なんかには、なかなか名前を意識しない。
広い範疇で「草共」と名づけて終わる。
チューリップ、朝顔、紫陽花、ひまわり、桜は小学校時分から知識を身に付けている。
実にメジャーな花々だ。だが、どうもこいつらには愛着が涌かない。
それぞれが咲く季節になると、自信を持って呼びかける。
「おい、チューリップ、お前らの中に青いのはおらぬのか?? まだまだ未熟よの~」
「おい、朝顔、なんか目覚め悪そうな顔しよって、しゃきっとせい!」
「おい、紫陽花、なんかぱっとせん色やの~。」
「おい、ひまわり、最近はやけにチビが多いの~。 ハムスターの餌にもならんわ。」
「おい、桜、散りすぎ! もうちょい粘れ!」
といったような、なんというか、霊長類VS花 といった図式で上から目線の、罵声に似た言葉をつぶやく俺である。風流ではない。
ところが、椿、コスモス、キンモクセイなど、インディーズからメジャーデビューしたことのあるような花々には、それなりに敬意を持って接している。
「椿」は、「「釜山港に帰れ」の歌で知った。色々な人に歌われているが、俺はヨンピルで知った。カラオケでこれを歌うと、続けて「珍島物語」を歌いたくなる。「万葉集」と同じ香りの味わいがある。はちきれんばかりの情熱を花びらから感じて好きである。
「コスモス」は、さだの歌で知った。百恵の歌を経由して知った。漢字が風流である。
「秋桜」、なんだか字面が美人である。花びらもわかりやすい形をしていて、絵が苦手な俺でも写生できそうだ。
「キンモクセイ」は小学生の頃、匂いが嫌いだった。なんだかこの香りに似た香水を付けるおばちゃんが近所にいて、そのおばちゃんが通る度に、俺はゲロッパ症候群に苦しんだ。
至近距離で人工的なキンモクセイもどきを嗅いでいたからだろう。
大人になってからは、ふっと香った時の芳香をトラウマなしに味わえるようになった。
秋である。俺の好きな秋である。息子に花を愛でる心が育てばいいなと思い、近所を散歩する。
キンモクセイがいい香りを運んでくる。まったく匂いを気にせず走りまくる息子をなだめる俺、顔は知らないが、同じ町内であろうおじさんが話しかけてきた。
「ちびちゃんいくつや? あんたとこのばあちゃんとよく散歩に来てるの、おっちゃん毎日見かけとる。」
おじさんは町のご意見番のような口調で色々話してくる。
おじさんは話だけではたりないのか、息子を抱っこした。
足をばたつかせて抵抗する息子の空気は読まず、得意げにつぶやいた。
「ほれ、ぼんち! あのいい匂いの花あるやろ? あれ、沈丁花っていうんや。覚えとき!」
沈丁花の花言葉はたしか、「不滅」であったと思うが、おじさんの知識は滅して欲しい。
息子が嗅いでいるのはキンモクセイ・・・・。沈丁花て・・・・。春やん!
俺は不滅のおやじに愛想して、小春日和の近所を引き続き散歩した。
キンモクセイと沈丁花と間違えるのは風流ではない。季節感がない。俺は「キンモクセイ~~♪ 秋のダイダイ キンモクセイ~♪ 沈丁花だなんて、尋常じゃないさ~♪ 雅な男さ俺と君!♪」と吟じて息子に教育をした。
まったく無粋なおっさんが多くて困ったものだ! と愚痴っては、秋の花々を頭に浮かべた。
リンドウ、アサギリソウ・・・・・・、もう出ない(汗)
あ、菊!!!!! 「枚方菊人形は確か秋やった!」と思い、息子に秋の数少ない花について語った。
無視された。
風流気取った父親であるが、その実、無粋極まりない自分に照れくさくなる時がある。
未だに、連想ゲームをして「菊」と聞くと、
「お尻!!!!」と早押ししそうな俺がいる。
どこで身に付けた知識が知らないが、風流おやじであるために、早く抹消したい連想である。このDNAが遺伝しないことを願っている。
菊には昔お世話になった。
飢えていたのである。金がなかったのである。21歳の時に、湯でて醤油と角砂糖をぶち込んでむしゃむしゃ食べたことがある。
「効く~~~~」というマズい衝動で、俺の体は覚醒され、友人に金を借りに行って、ラーメン屋で口直しした記憶がある。
苦い思い出である。
今日は息子を連れてコスモス畑に行ってきた。
山の高台にある有名なスポットで、一面のコスモス畑の美しさを満喫した。
息子にとっては記憶にもならない景色かもしれないが、赤子の眼のフィルターに少しでも焼きつく何かがあるのではないか? やはり、霊長類VS花という図式を描くような無粋な大人にはなって欲しくない。
花を愛でて季節を感じる、それが風流な大和男子だ。
「菊」と聞いて、「仏」や「朕」を連想するならまだしも、「お尻」は頂けない。
自分の背丈より高いコスモスを愛でる気配はなかったが、花畑で満喫する息子を見て、少し満足する馬鹿親父であった。
馬鹿親父は近くにもいた。
2歳くらいの娘を抱っこしながら、「ほ~ら、Aちゃん、タンポポ綺麗だね~~~。」と玉音を垂れる馬鹿親がいた。
「上には上がいる!」と、実質上から目線で見下ろして、彼ら親子に微笑みかけて、優越感にひたる俺がいた。
「ははは、タンポポて・・・・ ははは」
俺は息子の手を握り、「たんたん・ぽっぽ・たん・ぽっぽ♪」と掛け声かけて、山の斜面を登っていった。
昔、飢えてタンポポもおひたしみたいにして食べた記憶が蘇ったが、心地よい秋の風が流してくれて意識に長くは留まらなかった。
風流である。楽しい秋の日だった。
2010年10月9日土曜日
研修後記
研修を終え、昨日帰ってきた。
前ブログで触れたような恐怖とは対極の、実に充実した内容の研修であった。
さすが売上業界ナンバーワンの会社だけあって、研修施設はちょっとしたリゾートホテル並みであった。
全員個室(ツインルーム形式中心)が与えられ、研修も9時から18時まで、後は自由というタイムスケジュールであり、最低限のルールだけが求められる大人の集団を前提としたものであった。
トレーナーの方々の姿勢は、このご時世に損保業界での独立を目指す稀有な人たち、それぞれが背負い込んだものや気概に対しての充分な敬意や配慮を伴ったものであり、参加させていただく立場の俺は、すごくそれに感謝の念を抱いた。
研修内容に、業界や会社への洗脳や、威圧的な態度はまったく感じられなかった。人間味溢れるインテリジェンスだけを感じて、俺はこの業界が好きになった。
厳しいのは間違いなく厳しいのであり、それを承知で飛び込んだ俺は、とにかく研修内容を吸収するために勤勉に励んだ。
同期の同じ立場の方々と色々同じ心境を語る機会も貴重であった。
使命と責任は感じるが、基本的に不安中心の俺に対して、皆さま、よくもまあ自信に満ちておられて、羨ましいというか、刺激であった。
生保業界、自動車ディーラー系、銀行系等出身の方々がほとんどであり、損保取り扱いへのノウハウや経験がない人間は俺以外にいるの???というくらい少数であった。
面白い発見があった。
お互い立場は同じといえども、初対面の初日、談笑の場をしきっているのは、こてこての関西人であった。
よくもまあ言葉が連続して出るものだと思うくらい、人の心に土足で踏み込んでくる。
イントネーションは地方都市のフォーマルではない。
俺自身は当たり前に体験して、当たり前に体現していた世界であり、懐かしくて心地よく、また頼もしくもあったのだが、人によっては、強烈レベルを超えて、入り込めない結界を感じてしまうのでは?と思う俺がいて、それが新鮮だった。
大学に入った18歳の時、初対面の同級生が、「強烈! こてこての関西人」と俺を評していたのを思い出し、場合によっては、強烈な土足厳禁の方々に上履きで踏み込んでいたのではないかと、冷や汗ものの反省をした。
土着のカルチャーは離れてみてわかるものである。
そういう意味でいえば、息子の生誕地富山に根ざしてきている自分に嬉しさも感じた。
とはいったものの、自己紹介で「富山から来ました」と言ったにも関わらず、「言葉関西ですよね?」と周囲から多々突っ込みが入った。その辺の自覚はないが、明らかに関西人のイントネーションを客観的に感じられるようになってきた自分が、カミユの気分をアンニュイに宿しながらも学者的で実に楽しい。
関西人として25年、富山人として14年を過ごした俺が、我が出目を客観的に振りかえる機会にもなった。
だいたい研修とか、初対面の人が集う場では、会話の中心に君臨することを使命(迷惑に感じる人もいたであろうし、望まれた立場であったわけでもなかろうが・・・)に感じていて、実際に君臨していた(これまた強烈な佇まいであったが・・・)俺であったが、今回はばりばり影の薄い存在であった。
自己主張もせず、かといって場を乱すわけでもなく、淡々と交流し、淡々と自分のやるべきことをこなした。
夜はちゃんと勉強した。もちろん、誰よりもビールを買い込んでの飲酒勉強ではあったが、人生で1番勉強したと間違いなく言える。
19時くらいから、間に喫煙、入浴を挟んだとはいうものの、座学が苦手な俺が4時間は机に向かった。これは自らを褒めてよいと思う。新境地だ。やれば出来る男である。
「保険」の世界、学べば学ぶほど面白くなってきた。フリークになりそうな気配である。
生保のおばちゃんが、強烈なバイタリティーで活躍してきたおかげや、せいでイメージが形作られた「保険」業界であるが、この業界は、本当のコンサルティングが出来るプロがまだまだ成長していない、緩い業界だとも感じた。
難解で落とし穴の多い保険、基本的にあらゆるケースへのリスク対応は後付で発展してくるものだと思うので、現業プロ代理店を標榜している人でも、変わり行く現状や商品変化にまでついていけていないのが現状だと思う。
単純な俺、ツボに入ると学習意欲が涌く俺は、本当の意味でのコンサルティングが出来るプロになろうと思った。そして、プロになる過程で、わからないところをしっかり補い続ける勤勉性を持とうと思った。
一応、勉強の仕方に関して、経歴的にもキャリア者である。勤勉性も人一倍ある。
問題になる未熟な俺の性格は、「噛み付く姿勢」である。
噛み付く先が業界に向かないためにも、相互扶助に根ざした保険の発生由来と、ある意味国の銀行的な役目である金融事業としての性質を鑑みて、保険成り立ちの背景からしっかりと学習した。
サラリーマンのように同僚はいない。ある意味孤児一匹狼である。
塾を同僚と立ち上げた時は、一匹での意思決定を全てしていたわけではない。だが今回は、会社の商品力と社会的認知度は借りるが、実質自営業者である。人生で初めて自己言い訳が出来ない環境に身を置いた。
養う者がいる。大きな使命と責任がある。そして大きなモチベーションを運んでくれる存在だ。
今の俺の環境に、なんだかうっとりする。
ずっとうっとりしていたい。だからやる。根本姿勢と哲学はもはや変わらない。根本姿勢と哲学はむちゃくちゃ商いには向かないのかもしれないが、とにかくやる!!
20代後半までの俺は、退廃的な思想に惹かれ、破滅願望を宿した青二歳であった。
それがいまや、保険でリスクへの備えを真剣に考え、守るべきものを守ろうとしている。その上でかっこいい音楽を作りたいという衝動にだけ忠実である。
ニール・ヤングの「キーポン・ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド」という曲における「フリー」という言葉、今なら俺は平成の時代に正しく脳内変換をして、適切な脳内訳語を用意できる気がしている。
ノルマの世界がある。だが、ノルマはやらされる数値だ。俺は自分の使命のために数値に立ち向かう。散ったら散った時、地表で考えたらいい。今の時点では散らない万年桜を描いている。
研修を終えて、今までの俺の過去を検収する機会を持った。
今後、検収した自分を検察レベルにまで高め、「頭脳検察」(注:ズー&ケンからなる音楽団。巷を騒がしているM田検事がなりたくてなれなかった世界の脳内実現者。江戸在住のかっこいいアコ検察ユニット。「頭脳検察」の2人が発する言霊と音霊を俺は賢察した。)する域にまで達し、職務を全うしたい。
前ブログで触れたような恐怖とは対極の、実に充実した内容の研修であった。
さすが売上業界ナンバーワンの会社だけあって、研修施設はちょっとしたリゾートホテル並みであった。
全員個室(ツインルーム形式中心)が与えられ、研修も9時から18時まで、後は自由というタイムスケジュールであり、最低限のルールだけが求められる大人の集団を前提としたものであった。
トレーナーの方々の姿勢は、このご時世に損保業界での独立を目指す稀有な人たち、それぞれが背負い込んだものや気概に対しての充分な敬意や配慮を伴ったものであり、参加させていただく立場の俺は、すごくそれに感謝の念を抱いた。
研修内容に、業界や会社への洗脳や、威圧的な態度はまったく感じられなかった。人間味溢れるインテリジェンスだけを感じて、俺はこの業界が好きになった。
厳しいのは間違いなく厳しいのであり、それを承知で飛び込んだ俺は、とにかく研修内容を吸収するために勤勉に励んだ。
同期の同じ立場の方々と色々同じ心境を語る機会も貴重であった。
使命と責任は感じるが、基本的に不安中心の俺に対して、皆さま、よくもまあ自信に満ちておられて、羨ましいというか、刺激であった。
生保業界、自動車ディーラー系、銀行系等出身の方々がほとんどであり、損保取り扱いへのノウハウや経験がない人間は俺以外にいるの???というくらい少数であった。
面白い発見があった。
お互い立場は同じといえども、初対面の初日、談笑の場をしきっているのは、こてこての関西人であった。
よくもまあ言葉が連続して出るものだと思うくらい、人の心に土足で踏み込んでくる。
イントネーションは地方都市のフォーマルではない。
俺自身は当たり前に体験して、当たり前に体現していた世界であり、懐かしくて心地よく、また頼もしくもあったのだが、人によっては、強烈レベルを超えて、入り込めない結界を感じてしまうのでは?と思う俺がいて、それが新鮮だった。
大学に入った18歳の時、初対面の同級生が、「強烈! こてこての関西人」と俺を評していたのを思い出し、場合によっては、強烈な土足厳禁の方々に上履きで踏み込んでいたのではないかと、冷や汗ものの反省をした。
土着のカルチャーは離れてみてわかるものである。
そういう意味でいえば、息子の生誕地富山に根ざしてきている自分に嬉しさも感じた。
とはいったものの、自己紹介で「富山から来ました」と言ったにも関わらず、「言葉関西ですよね?」と周囲から多々突っ込みが入った。その辺の自覚はないが、明らかに関西人のイントネーションを客観的に感じられるようになってきた自分が、カミユの気分をアンニュイに宿しながらも学者的で実に楽しい。
関西人として25年、富山人として14年を過ごした俺が、我が出目を客観的に振りかえる機会にもなった。
だいたい研修とか、初対面の人が集う場では、会話の中心に君臨することを使命(迷惑に感じる人もいたであろうし、望まれた立場であったわけでもなかろうが・・・)に感じていて、実際に君臨していた(これまた強烈な佇まいであったが・・・)俺であったが、今回はばりばり影の薄い存在であった。
自己主張もせず、かといって場を乱すわけでもなく、淡々と交流し、淡々と自分のやるべきことをこなした。
夜はちゃんと勉強した。もちろん、誰よりもビールを買い込んでの飲酒勉強ではあったが、人生で1番勉強したと間違いなく言える。
19時くらいから、間に喫煙、入浴を挟んだとはいうものの、座学が苦手な俺が4時間は机に向かった。これは自らを褒めてよいと思う。新境地だ。やれば出来る男である。
「保険」の世界、学べば学ぶほど面白くなってきた。フリークになりそうな気配である。
生保のおばちゃんが、強烈なバイタリティーで活躍してきたおかげや、せいでイメージが形作られた「保険」業界であるが、この業界は、本当のコンサルティングが出来るプロがまだまだ成長していない、緩い業界だとも感じた。
難解で落とし穴の多い保険、基本的にあらゆるケースへのリスク対応は後付で発展してくるものだと思うので、現業プロ代理店を標榜している人でも、変わり行く現状や商品変化にまでついていけていないのが現状だと思う。
単純な俺、ツボに入ると学習意欲が涌く俺は、本当の意味でのコンサルティングが出来るプロになろうと思った。そして、プロになる過程で、わからないところをしっかり補い続ける勤勉性を持とうと思った。
一応、勉強の仕方に関して、経歴的にもキャリア者である。勤勉性も人一倍ある。
問題になる未熟な俺の性格は、「噛み付く姿勢」である。
噛み付く先が業界に向かないためにも、相互扶助に根ざした保険の発生由来と、ある意味国の銀行的な役目である金融事業としての性質を鑑みて、保険成り立ちの背景からしっかりと学習した。
サラリーマンのように同僚はいない。ある意味孤児一匹狼である。
塾を同僚と立ち上げた時は、一匹での意思決定を全てしていたわけではない。だが今回は、会社の商品力と社会的認知度は借りるが、実質自営業者である。人生で初めて自己言い訳が出来ない環境に身を置いた。
養う者がいる。大きな使命と責任がある。そして大きなモチベーションを運んでくれる存在だ。
今の俺の環境に、なんだかうっとりする。
ずっとうっとりしていたい。だからやる。根本姿勢と哲学はもはや変わらない。根本姿勢と哲学はむちゃくちゃ商いには向かないのかもしれないが、とにかくやる!!
20代後半までの俺は、退廃的な思想に惹かれ、破滅願望を宿した青二歳であった。
それがいまや、保険でリスクへの備えを真剣に考え、守るべきものを守ろうとしている。その上でかっこいい音楽を作りたいという衝動にだけ忠実である。
ニール・ヤングの「キーポン・ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド」という曲における「フリー」という言葉、今なら俺は平成の時代に正しく脳内変換をして、適切な脳内訳語を用意できる気がしている。
ノルマの世界がある。だが、ノルマはやらされる数値だ。俺は自分の使命のために数値に立ち向かう。散ったら散った時、地表で考えたらいい。今の時点では散らない万年桜を描いている。
研修を終えて、今までの俺の過去を検収する機会を持った。
今後、検収した自分を検察レベルにまで高め、「頭脳検察」(注:ズー&ケンからなる音楽団。巷を騒がしているM田検事がなりたくてなれなかった世界の脳内実現者。江戸在住のかっこいいアコ検察ユニット。「頭脳検察」の2人が発する言霊と音霊を俺は賢察した。)する域にまで達し、職務を全うしたい。
2010年10月3日日曜日
宿泊研修前夜
今日は午前中びっしりと、消防団の新入団員研修で講義を受けてきた。
昨年10月に消防団に入ったのだが、年に1回しかない研修の2日後の加入で、1年遅れの研修受講。
各種号令に対する動作の指導やら、法令関係、消防団の処遇や権限について講義を受け、修了書をもらって終了。
年々消防団員数が減少してきている現況に関しては、確かに心配になる。
しかもサラリーマン団員の増加で、日中の火災への出動人数が少ないのが問題である。
自警団的要素の強い組織なので、自らの居住区の安全確保という大きな名分を真面目に考え直した次第である。
明日から1週間、千葉方面へ新しい仕事の宿泊研修で家を空ける。
宿泊の研修は過去に2回経験がある。
① 23歳・・・・某ハンバーガーチェーンでの1ヶ月の浦和での研修。
② 29歳・・・・某S急便での1週間の富山での研修
① のハンバーガー屋での研修は楽しかった。最低限の規律と厳しさがあったというものの、
自由時間がしっかりあり、同期の仲間と毎日酒を飲み、トランプ博打をし、お江戸見物も出来た。おまけに毎日昼食は好きなハンバーガーをたらふく食べた。
ところが、俺にとって宿泊研修としてトラウマになっているのが、②の研修である。
S川急便の研修はすごかった。
まず教官にパンチ頭×1、そり込み×1、経済ヤクザ風味×1がいて、入所した瞬間から、俺は視覚的に硬直した。
内容は凄まじかった。何が凄まじいかといえば、発声が全てマックスボリュームであることだ。
「おはよう・・・」「ありがとう・・」「いただきます・・・」といった牧歌的な言葉が、全て毛筆書道体のフォント最大のニュアンスで発声させられる。「押忍!」と言う時に発するボリュームと語調が全ての言葉にあてはまる。
簡単に言うと、研修生皆、応援団員的質量の発声を要求されるである。
プライベートな時間はもちろんない。風呂、就寝、全てにおいて厳格で、就寝しているかどうかの見回りもある。
修学旅行でも今から思えば大らかであったな・・・と感慨に耽りたくなるような、ゴシックど迫力の就寝見回りが、この研修ではなされていた。
万が一就寝時間を過ぎて声が出ていると、罵声懲罰の対象となる。パンチ教官に至近距離で威圧懲罰されるのだ。被かつあげ時の恐怖に近い。
全てがグループ行動だ。初日に班を編成され、以後は全て班単位で行動する。
食事前には、班ごとに配膳を最短で分担して行い、テーブルに食べる準備が整うと、班長が教官に報告に行く。
「報告します! ~班、ただ今配膳終了いたしました!!」
すると教官がにやにやして、「は?? 聞こえんな~~~」といった表情をする。実にヤ~~~さん的な雰囲気で示すその表情は、「発声やり直し!」の合図である。
やり直しを経てやっと食事にありつける。量はありえないくらい多い。食器の音をたてたり、くちゃくちゃ音を出したりすることは許されない。まして残すことは許されない。班単位で食べられない奴の分があれば、誰かが食べて、とにかく食器を空にしなければならない。
「最後の晩餐」でも、もう少し穏やかな光景であったと思う。
食べ終わったら「下膳(げぜん)」の報告が同じようにある。
この「下膳」という言葉、俺は「下げ膳」は知っていたのだが初めて聞いた言葉であったのだが、とにかく機敏に食器をまとめて報告しなければならない。
風呂時間も分刻みであり、明らかにムショ生活をより体力重視にしたかのような研修であった。
常に大声を出す為に、帰る時にはみな声がつぶれている。
俺の声質に元々備わっていた数少ないスイート部分は、この研修で確実に失われた気がする。
朝起きてから集合までの時間が1分でも遅れると、人間ぎりぎりの罵声で懲罰を告げられる。元来、枕が変わると寝られない俺はこの1週間、人生で1番寝ていなかった。布団のたたみ方をはじめ、部屋が散らかっているかも抜き打ち検査され、乱れた部屋の研修生はまたまた連帯責任で懲罰を受ける。
睡眠不足の中で、運転研修や肉体的研修はまだいいものの、講義になると眠たさがマックスである。おまけに教官はテキストの漢字読み間違えが多いので、苦笑したくなる瞬間もある。
ところが、不穏な表情や、こくりこくりとするなんて動作が許されるわけはない。しょっちゅうメンチみたいな視線が突き刺さる。
朝の早くから夜の遅くまで1週間、常に極度の緊張下に置かれる研修であり、少しでも油断してだらけようものならば、罵声を浴びせられて、心的暴力をくらう。
研修初日に普段の地が出たのであろう、教官からの問いに、「あん?」と返事した若い研修生がいた。
凄まじいまでの個人攻撃を食らい、そいつは個室に呼ばれてしばらく戻ってこなかった。戻ってきた後は、そのグループ全員が連帯責任を負わされていた。
厳しい1週間を過ごして、やっとシャバに戻れる希望が見えた最終日、この世であの時ほどわかりやすい希望を感じた時はなかった。糞をゆっくり出来る幸せ、ナチュラルトーンで会話できる幸せ、自分のペースで食事を楽しむ幸せ、日常の何気ない全てが幸せに思えた。
最終日は仕組まれた感動に包まれていた。
あれほど怖かった教官が1人1人を個室に呼び、握手を求めてきては、聞いたことないような穏やかなトーンで問いかける。
「目を閉じてみろ。 どや? 研修しんどかったやろ? よく頑張ったな。これから頼むぞ。」
ここで研修生はいちころである。
苦しかった1週間の緊張が、鬼教官の優しい言葉で一気に緩む。そしてそれは涙を誘発する。
全研修生が泣いたという。もちろん俺も泣いた。
「パンチとそり込みと経済ヤクザ様、そしてS川急便様、あなた方の為なら命を捧げます!」といった心情になった(帰り道のコンビニでマインドコントロールからさめたが・・・)。
俺の研修時はまだこれでもましだったみたいだ。S川急便の先輩に聞くと、「俺の時は研修室に竹刀があって、しょっちゅう床を教官がどついてた。」やら、「22時頃に連帯責任でグランドを20週させられた。」やら、「教官の腕から墨が見えた」という話があった。
どこまでほんとかわからないが、竹刀があったのは間違いないと思える研修内容だった。
俺達は竹刀で打たれるほうが楽だと思えるくらい、顔面真近で「は~~、聞こえんな~」と発声にダメ出しされたのだから・・・。堅気な威圧感ではない恐ろしさが教官にはあった。
今となっては懐かしく思える瞬間もあるが、やはりトラウマはトラウマである。
俺はこの研修を23人中1番の成績で終了し、最後に決意なるものを代表者として発表させられたのだが、既に声は出ず、電波の悪い異国のラジオ放送を大音量で聴いているかのような表明であったと思う。内容も、見事にマインドコントロールされた信者のお手本のような、妙に熱くて偏狭に近いものであったと思う。
40歳目前にして、明日から人生3回目の宿泊研修である。
今回の研修は、保険代理店研修生を対象としたものであり、さすがにS川急便さんのようなガテンな威圧感はないであろうが、外出時間は夜の1時間であり、近隣にはコンビニしかない環境らしく、それなりにストレスも感じるであろう。
ただ、上記の地獄研修を経験した俺には、楽勝である。こちらも1番の成績で必ず修了したいと思う。
同じ釜飯の同期の絆というものも味わえるであろうし、こんな機会をこの年齢で体験できるのは、なかなか贅沢な環境というものであろう。
前向きに受講してきたいと思う。
息子としばらく離れるし、それなりに旅立ち前夜にうるうるくる部分もあるが、たかが1週間、しかもインテリジェンスよりの研修内容、何も怖くない。
おまけに明日は久々に飛行機に乗れる。窓側をしっかりキープした。
研修後にゆっくりお江戸滞在でも??? と思ったが、金曜日の夕方にはこちらの支社に戻るので、それは叶わなかった。
仕方ない、仕事の研修として行くのだから・・・、お江戸滞在は日を改めて、くつろいだ気分で気の置けない友と語りたいものである。
「心配はない! パンチもそり込みも経済ヤクザもいない!」と心には言い聞かせてみるものの、スキンヘッドに顔面近づけられて、「自分いくつや?」と小声で聞かれる夢を見た。
旅立ち前夜に少しちびちびしている俺である。
昨年10月に消防団に入ったのだが、年に1回しかない研修の2日後の加入で、1年遅れの研修受講。
各種号令に対する動作の指導やら、法令関係、消防団の処遇や権限について講義を受け、修了書をもらって終了。
年々消防団員数が減少してきている現況に関しては、確かに心配になる。
しかもサラリーマン団員の増加で、日中の火災への出動人数が少ないのが問題である。
自警団的要素の強い組織なので、自らの居住区の安全確保という大きな名分を真面目に考え直した次第である。
明日から1週間、千葉方面へ新しい仕事の宿泊研修で家を空ける。
宿泊の研修は過去に2回経験がある。
① 23歳・・・・某ハンバーガーチェーンでの1ヶ月の浦和での研修。
② 29歳・・・・某S急便での1週間の富山での研修
① のハンバーガー屋での研修は楽しかった。最低限の規律と厳しさがあったというものの、
自由時間がしっかりあり、同期の仲間と毎日酒を飲み、トランプ博打をし、お江戸見物も出来た。おまけに毎日昼食は好きなハンバーガーをたらふく食べた。
ところが、俺にとって宿泊研修としてトラウマになっているのが、②の研修である。
S川急便の研修はすごかった。
まず教官にパンチ頭×1、そり込み×1、経済ヤクザ風味×1がいて、入所した瞬間から、俺は視覚的に硬直した。
内容は凄まじかった。何が凄まじいかといえば、発声が全てマックスボリュームであることだ。
「おはよう・・・」「ありがとう・・」「いただきます・・・」といった牧歌的な言葉が、全て毛筆書道体のフォント最大のニュアンスで発声させられる。「押忍!」と言う時に発するボリュームと語調が全ての言葉にあてはまる。
簡単に言うと、研修生皆、応援団員的質量の発声を要求されるである。
プライベートな時間はもちろんない。風呂、就寝、全てにおいて厳格で、就寝しているかどうかの見回りもある。
修学旅行でも今から思えば大らかであったな・・・と感慨に耽りたくなるような、ゴシックど迫力の就寝見回りが、この研修ではなされていた。
万が一就寝時間を過ぎて声が出ていると、罵声懲罰の対象となる。パンチ教官に至近距離で威圧懲罰されるのだ。被かつあげ時の恐怖に近い。
全てがグループ行動だ。初日に班を編成され、以後は全て班単位で行動する。
食事前には、班ごとに配膳を最短で分担して行い、テーブルに食べる準備が整うと、班長が教官に報告に行く。
「報告します! ~班、ただ今配膳終了いたしました!!」
すると教官がにやにやして、「は?? 聞こえんな~~~」といった表情をする。実にヤ~~~さん的な雰囲気で示すその表情は、「発声やり直し!」の合図である。
やり直しを経てやっと食事にありつける。量はありえないくらい多い。食器の音をたてたり、くちゃくちゃ音を出したりすることは許されない。まして残すことは許されない。班単位で食べられない奴の分があれば、誰かが食べて、とにかく食器を空にしなければならない。
「最後の晩餐」でも、もう少し穏やかな光景であったと思う。
食べ終わったら「下膳(げぜん)」の報告が同じようにある。
この「下膳」という言葉、俺は「下げ膳」は知っていたのだが初めて聞いた言葉であったのだが、とにかく機敏に食器をまとめて報告しなければならない。
風呂時間も分刻みであり、明らかにムショ生活をより体力重視にしたかのような研修であった。
常に大声を出す為に、帰る時にはみな声がつぶれている。
俺の声質に元々備わっていた数少ないスイート部分は、この研修で確実に失われた気がする。
朝起きてから集合までの時間が1分でも遅れると、人間ぎりぎりの罵声で懲罰を告げられる。元来、枕が変わると寝られない俺はこの1週間、人生で1番寝ていなかった。布団のたたみ方をはじめ、部屋が散らかっているかも抜き打ち検査され、乱れた部屋の研修生はまたまた連帯責任で懲罰を受ける。
睡眠不足の中で、運転研修や肉体的研修はまだいいものの、講義になると眠たさがマックスである。おまけに教官はテキストの漢字読み間違えが多いので、苦笑したくなる瞬間もある。
ところが、不穏な表情や、こくりこくりとするなんて動作が許されるわけはない。しょっちゅうメンチみたいな視線が突き刺さる。
朝の早くから夜の遅くまで1週間、常に極度の緊張下に置かれる研修であり、少しでも油断してだらけようものならば、罵声を浴びせられて、心的暴力をくらう。
研修初日に普段の地が出たのであろう、教官からの問いに、「あん?」と返事した若い研修生がいた。
凄まじいまでの個人攻撃を食らい、そいつは個室に呼ばれてしばらく戻ってこなかった。戻ってきた後は、そのグループ全員が連帯責任を負わされていた。
厳しい1週間を過ごして、やっとシャバに戻れる希望が見えた最終日、この世であの時ほどわかりやすい希望を感じた時はなかった。糞をゆっくり出来る幸せ、ナチュラルトーンで会話できる幸せ、自分のペースで食事を楽しむ幸せ、日常の何気ない全てが幸せに思えた。
最終日は仕組まれた感動に包まれていた。
あれほど怖かった教官が1人1人を個室に呼び、握手を求めてきては、聞いたことないような穏やかなトーンで問いかける。
「目を閉じてみろ。 どや? 研修しんどかったやろ? よく頑張ったな。これから頼むぞ。」
ここで研修生はいちころである。
苦しかった1週間の緊張が、鬼教官の優しい言葉で一気に緩む。そしてそれは涙を誘発する。
全研修生が泣いたという。もちろん俺も泣いた。
「パンチとそり込みと経済ヤクザ様、そしてS川急便様、あなた方の為なら命を捧げます!」といった心情になった(帰り道のコンビニでマインドコントロールからさめたが・・・)。
俺の研修時はまだこれでもましだったみたいだ。S川急便の先輩に聞くと、「俺の時は研修室に竹刀があって、しょっちゅう床を教官がどついてた。」やら、「22時頃に連帯責任でグランドを20週させられた。」やら、「教官の腕から墨が見えた」という話があった。
どこまでほんとかわからないが、竹刀があったのは間違いないと思える研修内容だった。
俺達は竹刀で打たれるほうが楽だと思えるくらい、顔面真近で「は~~、聞こえんな~」と発声にダメ出しされたのだから・・・。堅気な威圧感ではない恐ろしさが教官にはあった。
今となっては懐かしく思える瞬間もあるが、やはりトラウマはトラウマである。
俺はこの研修を23人中1番の成績で終了し、最後に決意なるものを代表者として発表させられたのだが、既に声は出ず、電波の悪い異国のラジオ放送を大音量で聴いているかのような表明であったと思う。内容も、見事にマインドコントロールされた信者のお手本のような、妙に熱くて偏狭に近いものであったと思う。
40歳目前にして、明日から人生3回目の宿泊研修である。
今回の研修は、保険代理店研修生を対象としたものであり、さすがにS川急便さんのようなガテンな威圧感はないであろうが、外出時間は夜の1時間であり、近隣にはコンビニしかない環境らしく、それなりにストレスも感じるであろう。
ただ、上記の地獄研修を経験した俺には、楽勝である。こちらも1番の成績で必ず修了したいと思う。
同じ釜飯の同期の絆というものも味わえるであろうし、こんな機会をこの年齢で体験できるのは、なかなか贅沢な環境というものであろう。
前向きに受講してきたいと思う。
息子としばらく離れるし、それなりに旅立ち前夜にうるうるくる部分もあるが、たかが1週間、しかもインテリジェンスよりの研修内容、何も怖くない。
おまけに明日は久々に飛行機に乗れる。窓側をしっかりキープした。
研修後にゆっくりお江戸滞在でも??? と思ったが、金曜日の夕方にはこちらの支社に戻るので、それは叶わなかった。
仕方ない、仕事の研修として行くのだから・・・、お江戸滞在は日を改めて、くつろいだ気分で気の置けない友と語りたいものである。
「心配はない! パンチもそり込みも経済ヤクザもいない!」と心には言い聞かせてみるものの、スキンヘッドに顔面近づけられて、「自分いくつや?」と小声で聞かれる夢を見た。
旅立ち前夜に少しちびちびしている俺である。
登録:
投稿 (Atom)