2010年9月25日土曜日

東シナ海に平和を

尖閣諸島のあの事件に絡み、種々の穏やかでないことが起こっている。

中国側の対応は、どう考えてもいわゆる「逆切れ」というもので、幼稚極まりないものに思うのだが、ここまできたら、怒りというよりは、中国人の根底に流れる中華思想というもののすさまじさに驚愕する。

圧倒的な人口増による市場を背景に、強烈なスピードで経済発展を遂げている。だが、あくまで中国の経済発展は、グローバリズムの恩恵に預かっているだけだ。

自国ではなく、他国の企業が、魅力ある市場を求めて現地法人を作り、中国人を教育し、その結果もたらされている経済発展だ。

そして元来の器用さからか、模倣を得意とする。模造品が本家以上に蔓延っていて、どちらがコピーかわからない。そして、コピーしている意識もなくなり、全て源流は我らにありといった、中華思想をさらに強固なものにしていく。

ただ、広大な国土と豊富な天然資源、都市部だけとはいえ生活水準の向上に伴う世界的市場の魅力、諸々を加味すると、やはり今の中国は世界に名だたるキー国家である。

だが、悲しいことに中華思想は世界基準に適合しないまま、彼らの自己矛盾を増幅し、駄々っ子がそのまま大きくなったような悲哀を産んでいくだろう。

絶対に世界をひっぱるリーダー国とはならないだろうし、世界中の経済大国から市場価値だけを抜き取られ、用済みになったら、バブルパトロンみたいに捨てられて衰退するといった結果になるだろう。彼らは4000年それをくり返してきているのだから、その筋の本物である。

これは中国人自体の批判ではない。また、あれだけの数の人々を1つの「中国人」という範疇で括れるものではない。

だが、少なくとも世界に出たことのない、ずっと中国だけで人生を過ごしている中国人には、悲しいかな致命的な欠如があると思う。

コモンセンス(常識)が備わっていないのだ。だから世界的なコミュニティではエイリアンとしかなりえない。

経済水準が世界基準に達していても、常識が世界基準とかけはなれているので、どれだけいきがっても中華とはなりえないのだと思う。

1番不思議なのは、中国人のこの根本的な世界基準への不適合があるにも関わらず、大国がこびへつらって、彼らの機嫌をとっていることだ。

本当に中国人に敬意を持つのであれば、彼らの常識も世界基準になるように、教育してあげる姿勢が必要だと思う。

中国人自体に罪はないような気がする。彼らは本気で悪いと思っていないのだ。領土というものへの認識がない人、相手に危害を加えたと思っていない人を相手に、常識で対応してもわかるわけがない。

それなのに、日本人VS中国人という感情のもつれが市井レベルで起こると、お互いに何ひとついいことが生まれない。争いをしたくないのはお互いであるが、何で争いになるのかがわからない人たちにとっての不快さは、日本人以上であると思う。

もっともかわいそうなのは、常識面で少なくとも日本人並みには世界基準を身につけたであろう在日中国人である。彼らまで一般的な「中国人」で括られて蔑みの対象となる。

赤ちゃんが他人のおもちゃを取った時に、粛々と厳罰を用意する親はいないであろう。

他人のものを勝手に自分のものにすることを「盗む」ということ、そして人のものを盗むことがいけないこと、それは、自分が盗まれた立場にたったらわかることを懇々と話し、次の改善につなげるだろう。そうして赤子は成長する。

同じように、中国人に対しても、少なくとも常識では世界基準に近いであろう国々が、彼らを教育していくべきだと思う。

今のアメリカや日本の中国への姿勢は、金持ちのぼんぼんに媚びて恩恵に預かる、さもしい餓鬼のようである。

尖閣諸島の問題なんかは、全世界の国々に映像を見せて、「中国の船がこんな状況で領海に入ってきて、日本の巡視船にぶつかってきたので、我が国の法律で処させて頂こうかと思ったのですが、中国の温さんまでもが抗議してきたので、どうしたもんですか?我が国日本の対応はおかしいでしょうか?」と公開したらいい。

ネット投票の「そう思う」「そう思わない」みたいに投票を募ると、そこに自ずと世界基準の常識が反映される。

そうすると、温君も、「ひょっとして俺たちずれてる???」と、逆切れしながらも徐々に修正していくだろう。

中国に同情するわけではないが、中国人的気質というものが育まれたのも仕方ない気もする。

4000年の歴史を持ち、漢詩や水墨画の優れた文人を輩出し、大帝国を築いて世界の中心の華であった国が、後から出てきた欧米にボコボコにされて、それでもなんとか矜持を保っていく過程では、世界基準の常識を育めない何かがあっても仕方ないと思う。

赤子のように無垢で、すごく純真な人たちだと思う。日本人が見習うべき資質を数多く持っている中国人が、ただ1つ致命的に欠如している常識だけで裁かれるのは理不尽だと思う。

今こそ本当に彼らとわかりあいたいのであれば、媚びたりせずに、しっかりと世界基準を教えてあげるべきだと思う。

それをしないで、彼らの市場だけを利用することこそが、本当の意味で、中国人への敬意の欠如であり、文明発祥国の1つへの冒涜だと思う。

余談だが、うちのおやじの働く鉄工所に中国人が数名いる。共同生活をして、母国へ仕送りをしている勤労若人だ。非常識なところはよくあるが、致命的ではなく、とにかくよく働くらしい。

うちのおやじが風呂に入っている時に、その中国人勤労若人から電話があった。俺が出た。

中国人:「あの、AAAAAさん(うちのおやじ)いますか?」
俺:「あ、今風呂入っていますが、急ぎますか?」
中国人:「だいじょうぶだいじょうぶ。 困った」

※ 「どっちやねん!」と思った俺は、「どうされました?」と聞いた。

中国人:「あの・・・、  溶接機燃えてるね。消えないよ。困った困った」

俺はすぐにおやじを呼び、おやじは着る物着ずに会社に飛んでいって、幸いにしてことなきを得た。

中国人はおやじに、「だいじょうぶだいじょうぶ」と笑顔で言ってたらしい。

実に小島よしおである。

一世風靡した「オッパッピ~」は「オーシャン・パシフィック・ピース」の略語らしいが、

今はただ、「東シナ海の平和」を願わずにはおれない。

2010年9月20日月曜日

帰省する

大阪の実家に帰省していた。

息子にとっては初の長旅、大阪のばあちゃんとの対面は、まだハイハイをして前に進まずに後退していく時期以来であるから、半年ぶりである。

初日は実家に行く前に、近江八幡の親戚のところに寄る。俺の伯父さんにあたる人で、個人的に1番気が合う人である。

この伯父さん、定年退職後からカメラと俳句をはじめ、新聞でも取り上げられるようになり、公的施設の展示ブースを借りて、初の個展を開催中というので、帰省の途中に立ち寄った。

B5くらいの紙に墨で句をしたため、そこに俳句の生まれた原風景をイメージしてカメラで撮った写真をを貼って、1枚の紙に作品としている。俳句と写真のコラボというものだ。すべて手作業であり、ダイソーで買ってきた色紙を使っての作品である。 これが60点、展示作品として並んでいる。

伯父さんの個展にかける意気込みはすさまじいものがあったらしい。準備段階からすごいエネルギーを使ったのだろう。「これが終わったら死んでもいい」と、妹である俺の母親に言っていたらしい。先日には来客対応の気疲れからか、夜に点滴を打っていたという。

伯父さんの体調に配慮して、作品をじっくり鑑賞させて頂くのは個展終了後の楽しみにして、とりあえずお土産を渡して、かっこいい伯父さんへの個人的賛辞だけを述べるつもりで伺った。

「雪やまず  バッハのチェロは 無伴奏」
「春雨や 大地の息吹 膨らみぬ」
「稲刈りの 留守をあづかる 土間の猫」

素人か玄人かはどうでもよいが、句の題材が幅広く、伯父さんの自然を感じる力の強さを感じた。

息子にもいつか味わってもらいたい世界がそこにはあった。

近江八幡から大阪へ。実家から5分の所に高速インターがあり、1時間ちょっとで
到着。

息子は人見知りする。近所のおばちゃん、親戚、だれかれかまわず、話しかけられたらまず泣く。
女子高生に話しかけられた時だけにやにや上機嫌であるが、それ以外は間違いなく泣く。

おばあちゃんを覚えているわけはないのだが、意外や意外、泣かなかった。ばあちゃんに抱っこされるとエスケープの意思を示し、こちらに手を伸ばしてくるが、心配していた大泣きを避けることができて、親としては一安心。

実家には老猫「ニール」がいる。生後16年目でとにかく気が弱い。ドミナントキャットであり、野生の香りがまったくない猫だ。

ただ、俺は動物アレルギーが強く、実家に泊まると鼻炎がひどくなる。ニールに触れるのはもちろん、近くを通るだけでも嫌だ。掃除機で念入りに毛をとってもらい、空気清浄器をかけた部屋(もちろん終日ニール禁制)でしか寝ることができない。

息子を動物園とかに連れて行ったこともあり、俺の動物アレルギー自体は遺伝してないのを確認
済みではあったが、それでも屋内での動物との触れ合いにどんな反応を示すか、楽しみ半分、不安半分であった。



杞憂であった。猫を見つけると、興味を抱いてじっと観察したかと思うと、勢いよく駆け寄っている。息子の足音にニールのほうがびびって逃げるのであるが、どこまでも追っていく。机下に潜り込んだら息子も潜り込み、カーテン裏に隠れたらカーテンをめくり、尻尾や体を触りまくる。

そして、普段見たことないような、「二ヤ~~」とした表情を見せる。奇声をあげ、けらけら笑う。

動物嫌いの親の無念を晴らしてもらうべく、もっと大きな動物とのふれあいをさせてあげられないか? 思案して妙案を思いついた。

翌日は奈良公園の鹿を見に連れて行った。

「鹿せんべい」を買って鹿を近くに呼ぼうとする。息子に言う。

「今から鹿さん来るけど、噛んだりしないからびびらんでいいからな。おとうさんがついとるからな。」

そして鹿せんべいを頭上に翳すと、目ざとい3匹がすぐにみつけて小走りでこちらにくる。
息子がどんな反応をするか楽しみだった。

大人的余裕をかましていた俺ではあったが、近くに来てからの奴らの野生の圧力というか、食い気に圧倒された俺は、恐怖を感じた。

びびったのである。「や、殺られる!!!」

鹿せんべいを空中に放り投げ、「ちょ、ちょっつ、苦オラ~~!!!! こわいこわいこわい!!!!」と大声あげて、抜ける寸前の腰で数歩退散しようとした瞬間、そこは父親、「あ、息子を助けなければ!」と、我に返る。

息子は自分より背丈のある3匹の鹿に取り囲まれ、鼻で頭や胴をつつかれ、今まさに集団リンチをくらいそうになっていた。

しっかり抜けた腰をはめ直し、四つんばいで救出に向かおうと視線を息子に送る! 

視線の先には見たことないくらいの嬉しそうな笑みを浮かべる息子がいた。 そして、あふれんばかりの嬉しそうな奇声をあげていた。そして、頭や顔に触れてくる鹿を叩いていた。おまけに逃げ出す鹿を走って追いかける。

「Oh my Junior!」 なんだか照れくさいお父さんであった。

夜もぐっすり、食欲も旺盛。うんこもばっちり! 機嫌も悪くない。

見慣れない家、景色、人、生き物、チャイルドシートでの長旅、1歳2か月の子供にはそれなりにストレスになることもあったのではないかと、大人都合で思うのだが、彼らはもっとたくましかった。

旅に出て、息子の新たな一面を見て、なんだか頼もしく感じた。

今まで帰省した時は、ライブがメインであった。または、俺のライフワークであるアングラ&アッパー&ダウナーな土地探索がメインであり、さんざん探索して夜は、気の置けない友との酒宴があって、実家は寝床を借りるだけといったものであった。

だが、今回からは、孫をばあちゃんに見せる、息子にいろんな景色や事物を見せるといった、父親的役割の帰省になる機会が多い。

役割に応じた帰省目的があるし、時間的制約もあるが、今回の息子のたくましさを見る限り、次回からは実家に息子を預けて、お父さんは自由に旅立とうかとも思っている。

個人的に歩くのが好きなスラム、赤線跡、任侠ストリートを子連れで歩くほど、俺は狼ではない。

息子にはばあちゃんと一緒の時間を与えて情操を育み、俺は俺で、大人の情操を満たす。

今後、何度も帰省するわけであるが、いろんな帰省バリエーション持って旅路につきたい。

それにしても、奈良公園は鹿のうんちっちの多いこと多いこと・・・。避けて歩くのは困難であり、いっぱい踏みしめて歩いた。


「鹿糞を 触った後の 指しゃぶり」 (「まえけんジュニア全集第1巻」『初めての接糞(せっぷん)』より)

「腰抜かし ついたお尻に 糞感じ」 (「まえけん全集第6巻」『お尻で奏でるセレナーデ』より)

2010年9月16日木曜日

ニューパソ購入。

代理店研修生として10月1日に入社する損保会社より、ノートパソコンを用意するように言われている。

家にあるパソもノートではあるが、最近やたらとスピードが遅い上に、たくさんの個人的データが入っているので、やはり仕事用とは分けたい。

昨日からパソ物色に精を出した。

会社のほうから、ノートパソコンの機能に対する指示がいくつか書面であったのだが、専門用語だらけの文字は外国語を見るより奇怪な感じであり、店員に体当たり市場調査をした。

「あの~、仕事で使うんっすけど、ある程度ちゃんとしたやつで、64という数字があかんみたいで32で、マニアックなやつもあかんで、容量がでかいやつで、いっちゃん安いやつちょうだい。あ、それから、家にもう一個パソコンあるねんけど、それと線を抜き差しするのめんどっちいから、電波でビューっと飛んで繋げる機械もちょうだい。」と言った。

Y田電器のあんちゃんは、「え~とそれでしたら、こちらの東芝はいかがでしょうか? これでした、・・・・・が・・・ありますし、::::もたっぷりございます。32と64に関しては、切り替えが出来るんですよ~!、え~~とこれはどうだったかな??  よいしょ!っと、  あ、これ初期設定は32っすね。オッケ~オッケ~!  ;;;;は;;;;ありますから間違いないっしょ! 」

他にもたくさん、3分くらい独白されたのだが、話している意味の1キロバイトも理解できない。

アナログおやじである旨を伝え、話し終わった後に、もう1度やり直してもらったが、それでも1メガバイトの理解力。

あんちゃんがかわいそうなので、理解したふりをして、電波でビューっと飛ぶブツについて商品を選んでもらった。

「え~っとそれでしたら、これがおすすめです。モデムと繋いで・・・・・・、 1台目のパソコンはLANケーブルで繋いでもいいですし、無線にしてもいいです。・・・・・・」

1分半ほど話してくれたが、またやり直しさせた。

「モデムて何け?????」という俺の質問の後、彼は先に述べた説明をほぼ完コピで復唱していた。

俺は彼が話している最中に、説明に飽きて、ウイルスソフトの値段を流し見しながらチェックしていた。

そして、最終的に、全部の金額を聞くと、15万くらいだという。

それより安い予算だと、ノートパソコンのバッテリー時間が短いという。

よくわからないが、わかったふりをした。そして少しでも安くなるように、他にも何店舗か市場調査に出かけた。

どこでもだいたい上記のやりとりをくり返すうちに、暗号めいた専門用語の意味もそれなりにわかってきた気になって、専門用語を使って質問するとスルーされた。

専門用語の配置が正しくないかったのかもしれない。

安いものもあるのだが、メーカー名がローマ字読みでしか発声出きないメーカーであり、やはり日本男子、男は東芝!(別に富士通でもいいのだが・・)、漢字で表記できるメーカーに決めた。

嫁にお金をメール打診した。

「あの~、無職の身分で申し訳ございませんが、先日言ってたパソ、なんだかんだで15万程必要みたいです(あえて他人事風味に言う)。 どうせ買うなら、早く慣れたいし、マウス使わんですりすりするのも難しそうやし、 明日には買いたいので、お金御願いします。」

とメールした。

嫁から、「お金おろしとけってことけ?」と返信が来た。

なんだか怖くなった。だから、細心の注意を払い、「はい、すみませんが、一生懸命働きますよってに、よろしく御願いします。」と敬語で応えた。

嫁の名誉のために言っておくと、これは別に嫁が切れているわけではない。今日ちゃんと快く銭をくれた。

ただ、元来気弱な俺、まして今は無職の身。転職で波風を運んだ上の金の無心である。それに、給与も締め日、支給日の兼ね合いでブランクがある。

この状態での15万は、在職中の50万せびりくらいの威圧感を感じてしまうのだ。

ともあれ、パソが無事に手に入った。

夕方帰ってきてから、セッティングをした。1時間で挫折。 15分後に再起。 また30分で挫折。30分後に再起・・・・・・。

何とか、従来のパソを電波でビュっと飛ばしてネット環境設定できた。

明日はニューパソにも電波をビューっと飛ばして繋がなければならない。

おまけに、パソ画面整理整頓が得意(意外だが)の俺には忌むべき、3列ものアイコンがニューパソ画面に踊っていた。

色んなお助けページへのショートカットみたいだが、これらをいつ、どこに収監すべきか、獄死さすべきかを考えていたら、「また、明日にしよう。」と潔く先延ばしした。

Windows7 とやらの画面は、わかりやすいのかわかりにくいのか、それさえもまだわからない。
エクセル、ワード、パワポに関しても、今まで使ってた年代物とは部品が違う気がする。

俺は一応、使わなきゃならなくなったら使える自信はある。塾時代に、入試説明会でパワポプレゼンする時に、パワポ画面を作ったが、なかなか好評だった。画面の上下左右からの文字カチコミ技も使ったし、じゅわじゅわ涌いてくる文字カチコミも使いこなした(とりあえず出せた)。

明日から、ぼちぼち入社までに触っていこうと思う。

今はニューパソに触れるよりも、自動車、火災、傷害、諸々の保険についてのテキストを読んで勉強することの方が楽しい。

交通事故完全被害者を2回経験した俺だ。実にリアルに保険を感じる。

まだ2週間ほど浪人期間がある。

保険勉強とパソ勉強、どちらも専門用語だらけで大変だが、いい機会だ。どんなOSに際しても、逃げずにHDDを大きくして、CPUも上げていきたいと思う。

↑ なんだか、専門用語をさくっと使う自分に惚れる。

言葉の使い方が合っていなければメモリー容量を上げて出直すつもりだ。

パソに疲れてフリーズしそうな頭を再起動させて、明日またギガっと努力したいと思う。

2010年9月13日月曜日

そ~~っと戯言

昨日の「ほうるもん」ライブにお越しくださった方々、ほんまありがとうございます。
個人的には今まで出1番集中できたライブで、曲世界への没頭がすごいライブだったと思う。

お客さん、対バンの方々(米やん、感謝)からも色々声をかけて頂いて、幸せに満ちた時間であった。早速明日から次のステップに向けてスタジオ入り。今後ますますレベルアップしていきたいと思う。

夢のような世界を終えて、今日は現実の試練をこなす。

転職することをまだ同居の両親に話していなかったのだ。一昨日、昨日と機会を窺っていて、あるにはあったのだが、元来気弱な僕・・・、びびってちびってエスケープ。

実は昨日の俺がライブに行っている間に、嫁から両親に話しておいてもらうようにお願いするという姑息な手段に出たのだが、たまたま祖父の病状変化といった緊急事態があり、嫁も言い出せなかったようだ。

昼間に家に帰り、母親にびびってちびって言う。「あの~、僕、転職します。」
沈黙の後に母が一言、「またけ?? 」
数年ごとに転職する俺の性質が心配で、孫に遺伝しないかを心配している雰囲気。

数年前の俺ならば、ここで、「どあほ、俺の生き様じゃい! がたがた抜かすなボケ! あ、抜かしてないな・・・、 あん、文句あるんやったら言ったらんかい! 牛でももっと自己主張するど! も~~!  あ、なんや、無視の刑かい! あん、その懲罰嫌いなんじゃい! 口あけんかい! あんみゃ~~~ な~まくさんだ~~~!」と心でつぶやき、顔ですねたであろう。

ところが加齢に伴う社会の一般的感覚を、嫌でも荒波で身につけさせられた俺は、母親の思いも仕方ない、当然だと思うようになった。

そして、転職理由や経緯も一切言わず、「心配かけてすみません。息子のためにしっかりやります。」とだけ言った。いや、それしか言えなかった。

嫁という1人娘しか育てていないし、父親はプロレタリアーッティックなガテン作業一筋の男である。転職は我が家の辞書にない。転職するくらいなら、倒産やリストラの憂き目に遭った被害者のほうをよしとする家庭的風潮がある。

養子として契りを結んだ俺の経歴、趣味、行動、すべてにおいてカルチャーショックを超えた、黒船レベルの衝撃を食らい続けてきた母である。まして実母でないだけに、50前にして浦賀に立つようなものである。

うん、よくわかる。君の気持ちよ~くわかるよ僕・・・。

転職を初めとする俺の経歴全てにおいて、その時々の意志や目的を話して、自己アピールすることは簡単である。だが、今の俺にその発言権はない気がした。

この「発言権」というものをここ数年意識するようになった。

自分の哲学を伴った思いを言葉にして主張をするのは、俺は得意な方だ。だが、主張するにはそこに発言できるだけの環境が配備されてなくてはならない。

その環境は、やはり積年の自らの行動と、相手の哲学との相関性にしかないと思う。

連日ワイドショーで公共電波の浪費対象となっているあの、お薬すけべのO塩君、彼がどんな語録を残そうとも、どんな弁明をしようとも、やはり素面な人々には響かない。
響くどころか、塩蒔きの対象となる。

まあ、O塩君と俺を比べるのは俺と俺の先祖に失礼だが、やはり発言できるかどうかは、経緯はどうであれ、客観的事実の履歴に支配される側面があるのは、シャバで生きる限り仕方がないと思う。

ぐっとこらえて、今後の自分に期待して、ぐだぐだのテンションを高めるためにMDMAやらよくわからん錠剤を使わずに自己覚醒させて、誰に話すわけでもなく、誰を恨むわけでもなく、全て自分の内面に放射しては被爆して、回復しては自分でまた諌めて、あふれんばかりの煩悩を頭でシャッフルしては取り出して、出てきたハズレを踏みつけて、身代わりを要求するわけでもなく、ダサい歌を歌ってブランドを自己完結状態で構築するわけでもなく、髪を整え、身体を綺麗に保ち、安物でも清潔なシャツを着て、何とか自己矜持を保っている。

発言権は今の俺にはない。ぐっとこらえる我慢強さも自信ない。だが、発言をぐっとこらえる。

どうなるかわからないが、テンパイしているわけでもない。鬱々とした気分を沸々としたマグマで持ち上げ、コアからマントルから中心部からの炸裂を待っては休火山。

それでもいいのだ、燃え尽きもしないし錆も出さない。平成のロッキンおやじ、しぶとく渡世を心に決めた。いや、今まで決めていたことを再度肝に銘じた。

意味不明だ・・・・。発言権はないが、書する権利はあるのだ     

と思う。

『プラネタリウムのふたご』いしいしんじ(講談社文庫)を読んだ。大好きないしい氏の中で唯一読んでいなかった本。

もう泣きまくった後に乾燥機にぶちこまれたような衝撃を受けた。個人的に今世紀で1番感動した。救済された。

『星の王子様』の匂いを感じた。多分俺だけであろう、この感慨は・・・。

夜にお父さんに話した。

「お父さんすみません。俺また転職します。」

お父さんは、「ほ~~ん。そうなん。」とだけ言って、孫をあやしにいった。

つれないのではあるが、発言権的欲求に意識がいくまでもなく救済された気がした。

今はただ、そっとしておいてほしいの僕・・・。

2010年9月10日金曜日

転がった先

≪ブログという存在を忘れていたわけではないが、転がっている最中であり更新がストーンと落ちていた≫

前職を辞めた。出戻り職場で2回目の退職。残念な結果であったし、不満もたくさんあるが、出戻りする前に社長の本質を見抜けなかった自分がしょぼいので、もういい。

在職中にお誘い頂いた会社の方々と一通り話をした。

前職と同じ業界の競合会社2社に関しては、自己哲学として、やはり受ける気持ちになれなかった。
産業廃棄物処理業の営業職も労働条件や業界風土面でぴんとこなかった。
ビルメンテナンス業の営業は待遇提示はがんばってくださったものの、これまた何かアンテナにひっかからなかった。
塾に関しては、わが子が出来てから人様の子に熱意をもてないので対象外。
飲食店の店長職はシフト面で日勤希望の部分がどうも譲れなかった。
残ったひとつが損保代理店研修生というお誘いだ。

損保代理店研修生という選択肢は、最初はもっともないものだった。

お誘い頂いた方が個人損保代理店として20年以上されている方だった。
この方への個人的イメージが良かった点(俺の保険加入は別のところにしているが・・・)、また、俺が退職意向であることを話す前にお誘いいただいたことがあり、話を聞くことにした。

退職までのいきさつにもどるが、ある組合の職員としてのお誘いをいただいていた俺は、そこで2年後に定年退職者が出るから、その後に入らせて頂く段取りになっており、それまでは前職でだましだましいるつもりだった。

だが、前ブログでも書いたいきさつで、早まった退職をする。

損保代理店研修生のお誘いを頂いた方に、組合への2年後就職意向であることを伝えると、「それなら、なおさら挑戦してみたらいい」と言う。

損保代理店研修生として1年半過ごせば、見込みがあるかだいたいはわかる。いざダメだとなった時に、再就職先見込みがあるのは、そこに甘えない限りは心強いという。

なるほど?? と半信半疑で話を聞きにいく。

支社長は良い面よりも大変な面を教えてくださる。業界イメージがあまりよくないことも否定されない。
ただ、これからは義理、人情で何とかなる業界でないので、能力を持った方に真剣に関わって欲しいという。

3時間近くに及ぶSPI試験というものを受けた。高得点を出した。当たり前だ、勉強したから。結果を見て支社長は、俺が間違いなく適性があるという。

いろいろ業界について調べた。ネットを見ると悪いことばかり書いている。「食えない」という主旨がほとんどだ。おまけに、研修生として独立できるのはほんの1割くらいで、それ以外は研修期間にノルマを達成出来ずに解雇されるという。

ところが、これらの情報がまったく俺にはドン引き対象とならなかった。

「食えない」と書いている人ばかりがネットにはびこるということは、「食える」人はネットに「食える」とブログアップしないだけだろうと考えた。

独立できるのがほんのわずかということに対しても、当たり前だろうな?としか思わなかった。

俺はKO通信を4年で卒業し大卒資格を得た。入学前にはいろんなマイナス情報ばかりが目に入った。

「通信で卒業できるのはほんの数パーセント」という情報をネットで見た。
また、「卒業できるとしても8年くらいかかる人が多い」という情報も見た。そしてそれは事実でもあった。

でも俺は4年で卒業できた。いや、卒業しようとしてした。

ならば、ネガティブな情報を見る時間をなくし、肝心の業界や商品内容、アクションプランについて考えてみた。

結果、保険のプロとして適切なコンサルティング業務は、持ち前の勤勉さと行動力でできると結論付けた。

今まで培った営業スタンスである、「本当に顧客にメリットがないものは提案しない。」「デメリットこそしっかり話す」
「既存知識にあぐらをかかない」などを実践していって、それで食えなかったり、研修途中で解雇になったりしたら仕方ないと割り切った。

問題は家族を食わせていくことへのリスクである。仕事が頓挫した場合に家族を路頭に迷わせるわけにはいかない。

そこは上記の組合からのお誘いが本当に心強い。組合局長に「結論は早めに出すので、保留しておいてほしい」と伝えると、「入りたがる人がたくさんいるから、お前がだめになってから募集しても欠員にはならないから、ぎりぎりまで席は空けておく」と言ってくださった。

ただ、2年後の逃げ道を持った気持ちで、人様に保険提案することがひっかかった。

だから、どうなるかわからないけれども、自分の気持ち的には、組合の約束がないくらいのつもりでやりぬくという覚悟を出来るか自己対峙した。これには数日要した。

すっかり気持ちを固めたこちらとは皮肉にも、試験を受けてから正式内定をいただくまでに時間を要した。

正式内定まで時間がかかった要因は、一言で言えば、俺の汚れまくった履歴書に対する本社人事部からのツッコミへの答弁に時間を要したということだ。年齢もアウトぎりぎりだ。

ツッコミされるたびに、俺は自分の、世間的には間違いなく汚れに見える履歴を堂々と虚飾なく話した。

試験を受けた後は、損保代理店研修生1つに絞ってしか転職活動をしていなかった俺は、内定までの時間にいらだちもした。

「値踏みするなら入ったらんわい」と、1時間ほどぐれそうにもなった。

そしてついに浮気もした。転職サイトのめぼしい求人に送って、2社の面接段取りを得た今日、内定が正式に来た。

浮気先には「遊びだったの、ごめん」と心を込めて謝るつもりだ。

今回の転職活動を通じて、凹んで、そして学んだことがある。

それは、不惑を目前にする年齢にもなって、転職を、そして社会をあまりにも甘くみていたことだ。

今まで仕事探しで苦労したことがなかった上に、お誘いもいただいていたので、安易に退職したが、
俺の年齢と履歴は一般公募では真っ先にはねられる対象になってもおかしくないものであるという事実を知った。

前職を退職したことは正解だと思っているが、家族の長として最低限、内定をもらってから退職すべきところを、安易に退職日を線引きした。わが嫁だから、ちくちく嫌味で済むものの、普通ならぷんぷん無視の刑に処されるべき事態だ。

今後はとにかく目先の壁に真剣対峙して突き進むつもりだ。そして、できることならもう退職や業種転換はしないつもりだ。

プライドはたくさん持っているが、家族を養うことに1番大きなプライドを持って善処していきたいと思う。

石が転がるには坂道を下に落ちていくのが物理的摂理だ。転がった先が保険の転職先だとしたら、何だか底辺にいる気もする。

だが、違うのだ。 下りきった後に、勢い余って登るくらいの加速をつけた日々を処してきた俺は、ここから坂道を逆ローリンしていくであろう。逆ローリンの速度は徐々に弱まるかもしれないが、ストーンと落ちる時は、どこか素敵なくぼみにでも落ちたらいいと思う。

くぼみはまだ見えないが、そこに立派に育った息子の姿を夢見ている。

転がった先にとりあえず辿りついた。ここでスピードを緩めずに登りたいと思う。

明後日は「ほうるもん」ライブ。浪人気分で当日を迎えなくてよかったと思っている。

新曲、「からから」をやる。転石は音をたてながら、次に向かうのだ。

ブログもまた頻繁に書こうという気にもなっている。

2010年7月13日火曜日

転がる親父

転石のごとく、転籍をくり返してきた俺の今の仕事は、10年ぶりに出戻った会社の営業だ。

昨年4月に30人程の会社に出戻り、社長の腹心として種々の改革を、毒舌を吐いて推進してきた。

個人的な成績もよく(もちろん1番)、立場的にも快適。給与も悪くない。

だが、昨年の夏以降(出戻り4ヶ月後)には、もう、次なる転がり先を考えている自分がいた。

お世話になった社長と会社に不満を垂れるのは嫌なので、細部は言わないが、社長の持っている人間的資質の良い部分と、幼さゆえのしょぼく感じる部分とが相殺出来ずに、後者が目立ってしまって、それに俺がついていけなかったということだ。

昨年秋頃から、何度も社長に対して、建設的意見という名のダメ出しをしてきた。
一例だけ出すなら、毎月、成績行かなかった営業マンのおごりで飲みに行くという企画を社長自らがもちだしてきたことがあった。それに社長自身が参加する。

それに対して、「社長がそれ発案したらダメでしょう? 幼稚すぎます。 懇親は大事だから、毎月営業だけの飲み会を企画するのはいいが、悪くて会費制でしょう???会社的なものを社員に求めときながら、個人商店みたいなことしてたら恥ずかしい。」

ビジネス啓発本からの剽窃ばればれの企業倫理みたいな荘厳なことを語った後に、上記のような幼稚な企画が出てくるので耳を疑う。出張で、ゴチバトルを持ちかけてきた時以来のショボさだ。

思いつきでビジョンを語って酔う。その後に言ったことを忘れる。それでもカリスマがあればいいのだが、気の毒なくらいない。お坊ちゃまで、あるのは金だけだ。


すると毎回、翌日には俺の御機嫌窺いをして、媚を売ってくる社長がいた。俺の肩を叩いて、さりげなくすりよってくる。それがまた重なるといじくらしくなってくる。

ダメ出しはもちろん、会社を良くしようという動機から出たものだ。だが、ダメ出しを重ねていくうちに、本質を突くためには、社長の人間性にまで踏み込んで話さなければならないことが出てくる。そして、その本質が、上記のような幼稚なことから遡らなければならない。

そこでふと考えた。「そんな資格が俺にある??それに、そこまで言う必要ある?」 なんだか、ダメ出しする自分が傲慢だと思って、ダメ出しもしなくなった。

社長に辞表を出した。

すぐに話し合いになり、「どこがだめだった?」と色々問答が続いた。

俺からは、「社員が経営者にいつまでもダメ出しする環境は、越権行為であり、それをいつまでもしたくない。お世話になった恩義の返し方は色々あるけど、社長にダメ出しして問題提起することが、出戻り社員としての俺の役目だと思ったからした。ただいつまでもしたくない。一身上の都合ということで斟酌ください。」と言った。

翌日再度の話し合いがあり、社長から、「退職理由は、一言でいえば、俺が2回目の今回も見切られたということか?」と聞くので、

「言いにくいのですが、そうです。」

これで退職が決まった。退職日は会社優先で協力することにしている。ただ、辞める人間が長くいることが会社にプラスとは思わない。最短で最大限の好意的な引き継ぎをし、だからといって、お人よしにはならないでおこうと思う。

色々活字にしにくい、もっとびっくり仰天のしょぼさもあるが、出戻りを誘われた時点で、それを見抜けなかった俺が未熟だったということだ。

在職中の顧客で、お誘いを頂いているところが6件ある。退職後にゆっくり話を聞いて、ゆっくり考えたいと思う。

嫁は理解してくれた。というか、社長のしょぼさを事実だけを的確に話すと、納得した。

息子を抱っこしながら、「ごめん、お父さん、辛抱できんだ。でも、お前を飢えさせることはないから、安心しとけ。」と小声で言った。

息子は、「う~~~ん、う~~ん、ぶびゃ~~~~」とうめきながら、雲古を垂れた。おむつとズボンの厚みを超えて、俺の腕にその肉感が伝わった。俺の転職を肯定してくれているかのような、まん丸の雲古をしていた。

息子は明日が1歳の誕生日。小走りに近いスピードで部屋から廊下から走り回る。食欲は旺盛。病院嫌い。快便。物を投げるのが好き。本を破るのが好き。寝相が恐ろしく悪い。頭突きが得意。石頭だ。

親父は息子の成長をたくましく見守りながら、父親としての役目を懐深く自覚しながら、再び転がろうとするのであった。こけるわけではない。雅な苔を生しながら、慎ましく生きていくだけだ。


今月25日(日)に野外でライブをする。富山の音楽イベンターの方からお誘いいただいて出演する。

県民の憩いの大型公園内での野外イベントであるし、息子を連れて行こうかと思う。

ライブが終わったら色々次なる職場を求め、転がる先を見つけに話を聞くつもりだ。転がる瞬間のわくわく感が好きだ。同じ山の中で転がるようになりたいとは思うのだが、今はまだ山を飛び越え転がる馬力を宿している。これがファンキーというものだ。

次のライブはファンキーな「ソウルサヴァイバー」で始まり、「苔むす男」で終わるセットリストを予定している。なかなかローリンなメニューだ。

2010年5月23日日曜日

休日雑記

昨夜は「ほうるもん」ライブ。

富山市の「Artist‘s」に出るのはもう5回になるが、以前見て頂いて声をかけて頂いた方との対バンがあったり、初めての方と意気投合したり、ハコで生まれる素敵な交流に感謝する夜であった。ある野外フェスへの打診を頂いたり、バンドマン冥利に尽きる感動を味あわせてもらった。

新曲は2曲、「仔牛の嘆き」「苔むす男」。

どちらも非常に大衆受けしないテイストであるが、骨太ロックを標榜するほうるもんの重要なレパートリーになると思う。

音楽きっちりほうるもん、今後さらにガツンとかましていくので、乞うご期待!

1夜明けた今日は、野球の試合が2試合ある予定だったのだが、雨による中止。

睡眠を取れていない日々が続いていたので、恵みの雨である。

所属している消防団が、「操法」という放水訓練の大会に出場するので、連日19時から2時間の練習がある。

19時にそれに参加するために仕事を逆算していくと、朝は6時頃の出勤になる。

バンド練習はあるし、商工会のある委員会の会合はあるし、飲みのお誘いはあるし、連日息子が寝る時間までには帰ってこられず、母子家庭状態である。

でも、都会のお父さんは、21時以降の帰宅が普通であろうし、車通勤の快適環境にある身分、贅沢はいえまい。むしろ、色んなコミュニティーに参加させてもらえていることを意気に感じてやっていこうと思う。

書店巡りは仕事中にさくっとしている。

解放出版社から出ていて、以前に図書館で借りて読んだ「ホルモン奉行」角岡伸彦 さんの待望の文庫本が新潮文庫より出された。

日本、世界の内臓料理に関する考察とレシピが載った名著だ。

綺麗な霜降りや、柔らかい仔牛もいいのだろうが、生命の根幹を掌る内臓に目を向けて、たくさん食して、わがスタミナに変えていきたい。

といっても、なかなか調理環境と技量がなく、当面はよいホルモンを提供してくれる店のお世話になりたい。

料理がまったく出来ない俺ではあるが、料理人への憧憬は人一倍ある。

「板前修業」 下田徹 集英社新書 を再読。これを読んで魚売り場に行くと、何分でも魚を見つめられる。

無性に魚が食べたくなって、昨日の午前中に、漁港内にある食堂に魚を食べに行った。刺身と汁と焼き魚の1800円定食をがつがつ食べた。

荒くれ漁師のレシピはワイルドだ。汁に魚がそのまま入っている。味噌汁もがぶ飲みの俺は、ぐわっと喉に流し込んだのだが、しっかり小骨が喉に刺さった。1本は取れてくれたのだが、まだ1本、しっかり刺さっている。

ごはんを噛まずに飲み込むと取れる!という先達の知恵を実践するが、かえってしっかり突き刺さってくれたみたいだ。

まあ、もうしばし刺さらせておいてあげようと思う。俺の唾液は骨くらいは溶かすだろう。溶けるまで、チクチクと魚の息吹を感じてあげようと思う。

「人間の建設」小林秀雄、岡潔 新潮文庫 読み応えある雑談集。知の巨匠から飛び出す言葉は、多くの派生する興味を抱かせてくれる。丁寧に拾って書籍巡りしていく時間がなかなか取れないが、再読したい本だ。

畠中恵、高村薫、松尾スズキ、そして文藝春秋・・・、ちびちび読んでいるが、もっと本に触れる時間があれば・・・、それだけが不満だが、日々充実している。

息子は立って伝い歩きをする。上の歯も歯茎を突き破って生えてきた。前髪を切ったら、「FUJIWARA」の原西さんみたいになった。水疱瘡が直った。体調不良時も、ハンバーグみたいないい雲古をしていた。内蔵は強そうだ。さすが我が息子。

2010年5月2日日曜日

たまらん

ネット環境やブログと疎遠になる日々が増えている。

パソコンを開くのは、我ながら笑えるのだが、「サンシャイン牧場」というmixi内の
アプリでの、作物の手入れをするためだけであることが多い。

他人に無関心なわけではない。懇意にさせて頂いている方々の近況は、相変わらず気になるし、一言申したい!という欲求が減ったわけでもない。

だが最近は、ネット徘徊をすることや、主張をブログですることが減った。なぜかはわからない。

最近、口数も減ってきたような気がする。元来、人よりおしゃべりな俺は、何でも気持ちを具現化した言葉に諮詢するかのように垂れ流すことが多かったタイプである。

今でも、一般的な「無口」な人とは対極にあるのであるが、自己基準で明らかに「無口」になってきている。

口数が減ることが、思考する時間が減ったからではないと思う。頭の中でずっと思考することを放棄していないし、いつも何かを考えている。

仕事やプライベートにおいて、言うことはしっかり言う。むしろ、その頑強さは増していると思う。

だが、物理的に言葉を発する時間は、間違いなく減っている。言葉の精度が上がって、的確に放出すべきことを、言葉で放出できているならばいいのだが・・・。

近況はすこぶる充実している。

「ほうるもん」は先日4月29日に、おやじバンドだらけのイベントに出させていただき、それなりに意志ベクトルの濃いライブを出来たと思っている。曲もアルバム2枚を作れるくらい増え、どれもこれもまたいい曲だ。

私生活では、子供がつかまり歩きをし出したり、歯がしっかり生えてきたり、具現化した言葉の萌芽をむにゃむにゃ発するので、毎日感動を運んできてくれる。

今日は、清志郎さんの命日だ。

「多摩蘭坂」の歌詞に、「無口になった僕は ふさわしく暮らしている」というのがある。

ずっと好きでいて、ずっと実感がなかった歌詞なのだが、最近はこの心境が、もちろん清志郎さんとはまた違った感慨なのだろうが、自分にしっくりくる日々を過ごしている。

歌詞は続く、「言い忘れたことあるけれど」

夜に腰掛けながら、たくさんの故人を偲んでいる。たまらん・・・。

2010年3月22日月曜日

Gメンにアーメン

万引き・・・窃盗の一種であり、営業時間中の商店小売店デパートスーパーマーケットコンビニエンスストア書店)等において、販売目的として展示・陳列してある商品(商品見本を含む)および展示・陳列のための備品等を、店側の目を盗んで窃取するものを言う。(Wikipediaより抜粋)

許しがたい行為である。こんなことをする奴は、世の中から間引いてしまいたいくらいだ!

と偉そうに思う今の俺がいる。

だが、俺も万引き経験がある。今でも胸が痛み、慙愧に耐えない。

俺の万引きは、友達との万引き遊戯の一種のような悪質なものであった。本当に欲しいものがあって盗んだのではなく、「俺はこんなに盗んだぜ!」といった武勇伝気取りの万引きであった。

若気の至りでは済まされない、何とも心滅入る過去の悪行である。

中学の時に万引きをしていた級友の1人は、ずっとその悪癖が抜けきらず、10年前に死んだ。風の噂なのだが、黒社会の良くないモノに手を染めて、変死したという。

「賽銭箱にお詫びの手紙と3万円」というニュースがあった。何でも、過去に賽銭泥棒をして、その償いとして、10年後に利子を付けて賽銭箱に手紙と共に入れた人がいるというのだ。

この気持ちがすごくわかる。俺が盗んだ、クイーンのカセット、菊池桃子のカセット、寿司折、ハンバーガー、コーンビーフ、オイルサーディン・・・、償う店を訪ねたが、そこはもう跡形もなく消えていて、俺の償いは終わっていない。

コンビニバイト時代、セブンイレブンで働いていた時に盗んだ牛すじは、辞める時にオーナーに正直に言って給与から払った。だが、ファミマでバイトしていた時に盗んだものの償いは出来ていない。

時効かもしれないが、今後もずっと心に痛みを抱えていくだろう。とげは抜けることはない。

都合のよい解釈だが、万引き撲滅に向けた啓蒙活動をしていくことぐらいしか出来ない。

今の営業仕事のお客さんの1つに警備会社がある。システムコンサルタントと警備部門を併せ持つ会社である。県内だけでなく、県外にも盛んに進出している、儲かっている会社だ。

そこの専務さんから、先日俺に電話があった。

「うちが保安警備部門に参入するので、業務案内パンフの撮影に協力して欲しい。」という。

万引きのGメンとして、私服の張りこみ警備をする保安部門への商い参入に際して、そのイメージ写真を撮り、パンフ、サイト等でアピールされるみたいだ。

俺が働いている会社は、営業とは別に店舗を数個構える。その店舗で、万引き犯を見張る警備イメージ写真を撮りたいというのだ。

社長に断りを入れると、「任せた。」とのことで、先方に快諾した。

すると、俺にも立ち会って欲しいという。 まあ、それもそうだろう。いきなり来て、勝手に写真を撮ると、それ自体が限りなくGメンの捕獲対象となる。警備する側が警備会社に通報されちゃ、しゃれにならない。

俺は時間調整をして、店舗での撮影に立ち会った。少し、嫌な予感はしていた。

専務さんといかつい社員の方が来られた。いかにもGメンである。

どういうシチュエーションで撮影するのか知らなかったので、興味本位で、「どうぞ、どうぞ、ご自由に撮影ください。」と言ったのだが、来店開口1番、「あの~、万引き犯役やっていただけません?」と言われた。

めまぐるしく思考が頭で動きまくっていたのだが、時間にして1秒置かずに、俺は「はい喜んで!」と、威勢のいい料理人のような返答で、カゴを取りに行った。

「カット①」
店内の死角で商品に目をやっている俺、その後方の列にさりげなく潜むGメン。

「カット②」
ポケットに売り物を入れる俺、それを密かに目視するGメン。

「カット③」
店を後にして、駐車場内に足を踏み入れる俺、それを呼び止めるGメン。

万引きのホップ・ステップ・ジャンプを、静止画像で的確に捉えた写真が撮影された。

撮影が無事に終わり、深くお礼をされた俺であったが、「顔にモザイクかかりますか?」と聞いたら、「無しでもいいですか?」と質問返しされた。

気弱な俺は、「はい喜んで」と、またまた威勢の良い店員になってしまった。

保安警備だから、私服警備が必要とされる機関の数だけ需要はある。スーパーや大型店などに幅広く拡販ツールとして出されるのだろう。

高校の学園祭で、デビルにやられる神様役をやって以来の配役であるが、なかなか素敵である。死体役の次に素敵である。

だが、パパとなり、堅気街道まっしぐらの俺としては、素敵な主観に、複雑な客観が混ざる。

会社に戻って、社長に報告すると、「ぴったりの人選や!」と笑われた。

しばらく、社長は無視の刑に処してやるつもりだ。

なんだか不思議な経験をしたものだが、因果応報といった処罰ではなく、過去の悪事に対する償いの機会を与えてもらえたのだと、自己都合で解釈している。

Gメンにアーメン

2010年2月27日土曜日

NPO団体、喫煙描写に噛み付く(笑)

この前の日曜日、実家のおかんを招待して、息子と一緒に飯を食べたり、温泉に行ったりした。生後7ヶ月のかわいい孫を、ばあちゃんに見せてあげたい、見てもらいたいという、俺たち夫婦の企画だ。 

産まれてすぐに対面して以来の孫との対面、俺のおかんも喜んでくれていて、俺もおかんの息子として親孝行出来、息子に対してもばあちゃんに会わすことが出来て、父親としての満足感を抱いた。

1泊2日でばあちゃんが帰った夜、息子は早くに眠った。しかし、すぐにうなされ、暴れ泣きした。きっと彼なりに気を遣っていたのだと思う。その疲れが出たのだろう。嫁の添い乳ですやすやと寝た。

息子を改めていじらしく、愛しく思った。

いつも思う。息子には綺麗な景色や、心ある人との交流、とにかく、すばらしい環境を与えてあげたいと思う。

料亭や温泉や中華料理屋や、行く先々で知らない人から、「あら~なんて可愛らしい!」と声をかけて頂いて、抱っこをせがまれたりした。親としては単純に嬉しい。

中には、柄の悪いように思えるアッパーおやじもいて、煙草を吸いまくった後に抱っこしようとしてくるので、辟易した場面もあったが、そういった人との交流も大切である。もちろん、喫煙中は息子を少し遠ざけたが・・・。

俺は喫煙家だが、煙草の煙による間接喫煙を息子にはさせたくない気持ちがある。当然、息子の前では吸わないし、煙草を吸う大人の前を避けたくなる。

医学的に煙草の害が明らかになってきている今、俺自身も禁煙に懲りずに取り組もうとする意思はある。自分が吸っているのに、息子に間接喫煙させたくないこの心境、自己矛盾である。

未熟な親ではあるが、息子の情操をしっかり育んであげたいと思う。俺自身の価値観だけを押し付けて、偏りがあるのは良くない。幅広い価値観と色んな自然、人間に対面させてあげ、そこから息子なりのアイデンティティを形成する機会を作ってあげたい。

教育における持論は、親の数だけあると思うが、色んな人の色んな価値観があって、
それぞれに持論を持って子供に接するのだと思う。そこに優劣はないであろう。

俺自身ももちろん持論があるが、そこに偏りや怠慢がないか、いつも自己吟味して、マイナーチェンジをくり返している。

最近よく悩むのが、子供が晒される環境に対して、尺度をどこに引いて、どこまで大らかでいられるか?ということである。

例えば、インフルエンザが猛威を奮っている時に、当然のようにうがいをしてから息子に近づく。だが、「菌」というものを恐れて憎むあまりに、平時において、過度なクリーンルームを息子に提供し過ぎていないだろうか?という自己葛藤がある。

すぐに指をしゃぶるのが幼児である。免疫のない彼らが、汚いものを触った手で指しゃぶりをしたら、それなりに生理的な波乱があるのだとは思う。だから大人は、できる限り無菌状態を提供する。だが、それが彼らの免疫力を高める機会を奪うことになっていないか?という葛藤がある。

あえて、菌を提供する必要はないが、昨今の子育て指南の無菌指向は、単なる清潔とは違う潔癖感を抱いてしまう。

子供を思うがあまり、子供をクリーンルームに入れておきたいかのような思考になってしまうと、それは子供が持っている生命力に対しての敬意を欠いているようにも思える。子供は大人が思うより強いと思う。

少し前のニュースで、とあるNPO団体が、福音館の書籍に、煙草好きのお爺さんが孫に話す場面があるのがよろしくないと、発売差し止めを要求し、福音館自身もそれに応じたという、実に悲しいニュースを見た。

つまり、「子供の読む絵本に、煙草を吸うお爺さんが、孫の前で煙を吐いている姿があるのは、教育上よくない。」というのである。

このNPO団体、子供に間接喫煙をさせたくないという主旨で、利益を生み出さなくてよい団体認可を得ているのだが、その主旨はわかる。間接喫煙の弊害は医学的に言われているからだ、

だが、何で絵本の煙草煙場面にまで噛み付くの???? 申し訳ないが、色んな価値観を超えて、こんな大人は間接喫煙の害以上に害であると思う。

物理的な間接禁煙に、絵本内の煙草の煙の絵が関係すると、こいつら本気で思っているのだろうか???? あ? ほ? 

子供に有害なものを避けさせてあげたいという気持ちは尊い。だが、この団体の主旨はちゃうやろ??? この団体は、暇で仕方がなくて、社会に貢献する大義名分が必要で、ついついいちびってしまったのであろうか?

そうとでも思わないと、理解しがたい壊れ方である。価値観とか信条の問題ではないと思う。

多分、この哀れな団体への意見は、ネットに蔓延っているだろうから、俺ごときがどうこうと、多くを言わないが、こんな団体の大人もいる世の中である。

子供に対して、発育に応じた適切な防御はしてあげた上で、色んな免疫を付ける環境をヒステリックに、盲目に排除しないでおこうと思う。子供が免疫をつける過程が心配になるのは、大人の心情である。子供を心配しているつもりが、自分の心配になる心情を心配するということにはなりたくないと思っている。

綺麗で荘厳で残酷で・・・、息子には、色んな自然に触れ、思考力を育み、色んな人との交流を経て、自分を形成していって欲しいが、上記のNPO団体の人のような、偏狭で無思考でヒステリックなのに緊張感のない人にはならないでほしいと思っている。