2009年5月18日月曜日

マスク狂騒

豚の狂騒でマスクが凄い動きをしている。俺の仕事でもマスクを扱っているが、普段はほんの微々たる売上、鼻くそ以下の売上にしかならないマスクが、ここにきての騒動で、あほみたいに動いている。

今日の時点で取引あるメーカーのマスク在庫は全滅であり、少しがめっていた在庫を食いつぶすだけなのだが、明日にもなくなるであろう。

とにかく市場にマスクがないのでは?という状況らしい。

「本当かよ?」と思ってネットで検索すると、マスク販売専門の会社ページに行く。そこでも、本当に全滅であった。

ヤフオクに「マスク」と入れてみる。

びっくりびっくり! 普段は@15円くらいのレベルのマスクでもアホみたいに値段が上がって、入札件数もありえない活況だ。

本当に市場からマスクが消えるかもしれない。

「24」ネタであるが、架空の政権とはいえ、あまりにリアルで理想的に映るパーマー大統領は、有事に際していつも、民衆のパニックを1番危惧していた。

「24」でも病原菌の散布テロによる有事が展開されていたが、民衆の動きは、個々は良識ある人であるが、マスメディアの報道のされ方とその展開によっては、雪崩のような稚拙でヒステリックな反応を起こすものだと、改めて思う。

マスクに関しては、「たかじんの~~」の番組で聞いた話だが、医学的な効力は完全に証明されていないらしい。10分ごとのうがいを励行することが対処両方らしいが、国民全員が10分ごとにうがいをしていたら、それまた水不足になるは、経済は停滞するは、病的な絵巻が繰り広げられるであろう。

確かに、用心をするべきだ。獣の持つ病原菌をなめてはいけないと思う。だが、今回の騒動に関して、市場からマスクが一斉に消える状況を体感していて、別の怖さも感じた。

これがもしプロパガンダだったらどうだろう?いや、実際に医学的な根拠はないがプロパガンダが流布される素地は出来ていると思う。

報道が適正であるかどうかはわからないが、事実を述べるだけにしても、かくも豚インフル一色で垂れ流されると、そこに意図はなくとも、報道が結果的に、ある偏狭なプロパガンダ的側面を帯びてくることはあると思う。

適切な処置の呼びかけよりも、恐怖が最初に報道の受け手に伝わると、事態は急加速で、予期せぬベクトルに向く。

個人的には、念願のわが子が嫁の体内で育っている時に、今回の騒動・・・。すっかり豚嫌いになりそうな心境だが、不必要に慌てないように自分を鼓舞している。不用心とも違う、適切な処置と徒な恐怖心との違いをしっかり見極めて処したいだけだ。

ブログを書くのは久しぶりである。その間、色々なことがもちろんあった。

本もたくさん読んだ。音楽もたくさん聴いた。ライブもした。仕事に邁進した。個人的に大きな喜びを味わう一方で、消化できない喪失感も味わった。

だが、全てを俺の呼気全体で、精神全体で吸っては吐いてきた日々が、いつもと変わらずあって、そこにはマスクはなかった。狂騒もなかった。全てが現実で、殺到する市井とは無縁の、個人的な佇まいがちょこんとあった。

ウイルスによる被害の拡大を軽く見るつもりはない。ただ、それに狂騒してマスクに殺到する人間ではありたくないと思う。

物理的にマスクを装着する、しないの話ではない。マスクを主体的にはめたいだけで、煽られて買い占めて、押し付けられてまでして自分の処世を施したくないだけだ。

俺は我が子に「幹太」と名づけるつもりだ。どんな世界、方面で生きてもよい、太い幹になって、晒されたむき出しの状態でしっかり根を生やして欲しい、根幹のしっかりした人になって欲しいと思っている。それだけでよい。

飛沫に怯えてマスクを恐怖心から装着することは、現実的には理性ある正しい判断の側面もあるが、比喩的には避けていきたいと思う。嫁にはマスクを義務付けているが、徒な恐怖心から、心にマスクをかけることは避けたいと思っている。