2009年4月30日木曜日

健康診断を受ける

健康診断に行ってきた。サラリーマン塾講師を辞めて数年経っていたので、会社の金での健康診断は久しぶりである。

一般的な身長、体重、視力、聴力、検尿、採血の後、心電図やら胃カメラやらレントゲンをした。

持参物として便検査のキットを2日分持参した。

便検査のキットであるが、歯間ブラシみたいなブツを、マイ便にツンツンして取るやつである。2日にわたって、便器に専用紙をひいて、ツンツンした。

汚い話で恐縮であるが、1日目のツンツンは、ツンツンし過ぎて、ブラシの上部まで茶色に染めた。きっと検査技師の中で、苛立ちの対象になる被験者であろうと思う。

ただでさえ快便の身、バリウム飲むと、即リーチがかかるので、胃カメラにした。カメラ挿入に際し、口と鼻の選択肢があったのだが、迷わず鼻にした。理由は経験がないからだ。痛そうだが初体験に興味をそそられて即決!

鼻に麻酔薬を注入され、医者にカメラを突っ込まれた。激痛が一瞬あって、すぐに咽に到達。「ごっくんして!」と言われてごっくんしたら、シュルシュルとカメラが内臓に入っていき、目の前に俺のホルモン映像が映る。

実に綺麗で、「上ホルモン」を焼肉屋で注文しても、ここまで美味そうなホルモンはないと思えるくらいの綺麗なホルモン・・。我が内臓ながら惚れ惚れした。先生にも「綺麗だね」と褒めてもらって、何だか変な照れを感じた。

今日行った、会社の指定病院であるが、便検査の結果以外は即日で出る。採血分析のスタッフが院内に常駐しているのだろう。その分待ち時間は少し長めだが、待っている間に、肩凝り、腰痛対策のストレッチ指導をしてくれたり、なかなか配慮のある病院だと思った。

昨日はゴルフ帰りに打ち上げで、焼き肉を食いまくり、ビールを浴びるほど飲んだ。今朝もタバコを吸い吸い、砂糖たっぷりのコーヒーを飲んだ。

健康診断受診に際しての行動ではないが、常々、「ありのままを見てもらわなければ健診にならない!」というのが俺の持論だ。

種々の検査を終えて、診察室に入った。先生は、「何の問題もありません。健康です。」と一言もらして、次の人のカルテを手にしだした。

俺の働いている会社の、35歳以上のやつらは、「死期が近い」やら、「もう最終警告です。」やら、強烈な言葉をかけられている。手厳しい診察で有名な病院が、上記の診察をなさるものだから、西洋医学的には俺は健康なのだろう。

なんだか拍子抜けした。40歳手前にもなれば、何かひっかかるくらいが、勲章みたいに感じていたのだが、実に健康。

おまけに、昨日のゴルフの筋肉痛もしっかり翌日に出ている。

別に、今日の診察結果を聞いて、慢心するとか油断する気は無いが、酒飲み、不規則、タバコ吸いの俺がどうして問題ないのかが不思議で仕方がない。

健康体の割には緑内障の手術はするは、交通事故には遭うは、それなりに生命、器官のピンチにはさらされているので、健康というものにも、小学生並みには配慮している(ほとんど配慮にならないのだろうが・・・)。

問題は、便結果だ。以前、便に血が混じっていて、5段階のワースト結果数値を食らったことがある俺だ。こればかりは、結果が届く日まで油断できない。

前回は「要再検査」で肛門からカメラを入れられて診てもらったが、異常はなく、単なる「痔の疑い」で終わったのだが、今回はどう出ることやら・・・?

だいたい、昨日にユッケを2人前食った俺だ。潜血ないほうがおかしい気がするのだが、こればかりは、健診結果でひっかかりそうな気がする。また尻からカメラを入れるのも人生経験上、悪くはないと思っているが、ぎょう虫だけは勘弁して欲しい。

昔に、セロファンみたいなブツを尻に貼るものが便検査のスタンダードであった時代、俺は犬糞で出して、ギャグにもならないお叱りを受けたことがある。その祟りは今でもある気がする。

たかが検査キットごときの結果で判断する数値が、健康の正常な尺度ではないと思う。だが、西洋医学の結果で白であったことは喜ぶべきだろう。慢心せず、油断せず、安心もせず、今まで通りの新陳代謝をくり返して、生の喜びを享受していきたいと思う。

余談だが、今日の健康診断を受けた病院の更衣室にパンツを忘れてきた。ノーパンで気が付かず、家に帰って気が付いた。そういえば、下半身がフリーダムな気分であった気もする。

脳診断を受けてみたほうがいいのかもしれない。Oh,No!

2009年4月29日水曜日

ゴルフ

今日は接待ゴルフの日。

10年ぶりのゴルフ、おまけに人生4回目のゴルフであり、付け焼刃で前日に打ちっぱなしで250球を打ち込み今日に臨んだ。

昨日の打ちっぱなしからそうだったのだが、基本的にボールを捕らえる技術は素人レベルでは、ちゃんとできる。

ドライバー、7番アイアン、P、S と4本のクラブしか使わないように薦められたので、それだけで打ちっぱなしもコースも出たのだが、普通にボールを捕らえられる。

ブランクも関係ない!と楽観してコースに出た。

1~3ホールまでは、ボギー、パー、ボギーの、素人とは思えない滑り出し。社長も、「あんた、こっそりレッスン通っていたんちゃう?」と言うくらい、普通に真っ直ぐボールが適正距離を飛んで、ゴルフになっていた。

パー4なら2オン、パー5なら3オン、パー3なら、1オンを軽くする。

「100切るんちゃう?」と俺も思っていた。

だが、そんなに甘いスポーツではない。

第4ホール、パー5のコースで、ちゃんと3オンした。だが、その後なんと7パッティング!

フック、スライスなんかを読むレベルではない。強弱のレベルが、人並み外れて欠如しているのがわかる。どうやったら7つ叩けるねん!と我ながら思う。

第4ホールの大叩きだけではない。18ホール中、OBが2回あったくらいで、それ以外は、多少のラフに行こうともしっかりゴルフが出来ている。バンカーショットが4回あったが、4回とも1発で出せている。

だが、グリーンに乗るとだめ。結局、パターで平均4.5回叩き、終わってみればスコア130・・・。不完全燃焼であった。

細部を見れば、パターだけではなく、アプローチ全般が実に弱い。真っ直ぐ飛ぶからいいようなものの、距離感は全くない。キャディーさんの言うとおりにしているつもりだが、無駄なショートがいくつかあった。

ゴルフを通して思ったのだが、俺は根本的に精密な力の調整能力に欠けているのではないかと思う。

思いっきりオンか思いっきりオフ、間の微妙な調整が出来ない。

これはギターなんかでも言える。歌でも言える。

思いっきり弾く。思いっきり歌う・・・ということは得意なのだが、つま弾く感覚や、ウィスパーボイスは俺にはない。

気持ちの面でもオンとオフが両極端だ。だましだまし、中位で持続することが出来ない。

別に自分の性質を卑下する気はないのでいいのだが、もし、細部の調整が出来る人間になった上で、オン・オフ極端な性質を個性として出せていけたらいいのでは?とも思った。

そういう意味で、ゴルフを通して微調整の感覚を身につけるのは良いと思った。6日にもコースに出るので、次回は強弱に注意して、アプローチに進歩したい。

明日は健康診断。

例年、変な数字は出ないことが多いのだが、4段階の評価があるとしたら、ずっと1か4だ。つまり、極めて健康か、即再検査の状態だ。ここでも中位が欠けている。

交通事故に会えば、正面衝突という、思いっきりオンの事故だし、緑内障という病気に30代でかかるのも病魔オンだ。

最近の営業と塾の2足の草鞋を、「生き急いでいる。」という方もいるが、確かに中位のない極みのような生活習慣の変化が、俺の20代以降を占めている。

ここらで、中位のものをしっかり理解、体現できた上で、オンの電圧を上げたいと思った祝日だった。

2009年4月26日日曜日

沐浴

まずは「ほうるもん」ライブ告知から。再来週の土曜日、GW明けの土曜日、画面右上にあるように、ライブを入れた。新曲を盛り込みながら、1時間以上のセットメニューでのぞむので、都合が合えば是非是非ご来場を!

次は「チープハンズ」のメンバーへの業務連絡だ。8月29日、東京でのライブオファーを頂いたので、早急に都合連絡されたし! もちろん、お江戸の盟友たちの企画ライブへのありがたいお誘いなので、万障繰り合わせた上で連絡を乞う!

今週も慌しい日々であったが、楽しくエナジーに満ち溢れた週間であった。GWもバンド練習やらゴルフやら飲み会やらBBQやら、種々の予定が入っていて嬉しい限りである。

パソコンを開く機会は減った。色々な方々の主張や動向に注視出来ないのは物足りない気もするが、毎日動向を追っていては、久々に会った時に「積もる話」が意味をなさなくなっている気がしていた。久々の感覚に恥じらいが欠けているような気もしていた。

久々に会った時に、空白の時間を、積年の間を瞬時に埋めることが出来る人たちとだけ付き合えたら幸せである。幸いにして俺の交友関係は恵まれているので、ネット環境に触れない日々も快適に過ごしている。

今日は市の主催の「お父さん講座」に行ってきた。赤ちゃんのお風呂の入れ方、抱っこの仕方を学ぶ講座だ。精神科医からのスキンシップの重要性などの講演も聴けた。

25組くらいの夫婦が参加していて、一通り講演を聴いた後、4つの班に分かれて実技講習がある。俺たちの班には予定日が同じくらいの夫婦が6組いて、それぞれ自己紹介をしあったあと、先生の模範実技がなされる。注意深く聴いた後、実際に新米パパが、赤ちゃんの風呂入れ実技をしていく運びとなる。

たまたま、実技の初っ端に俺がなってしまい、マネキンを使って沐浴の実技をした。事前に先生の模範実技を見ているにも関わらず、マネキンを見てもぴんとこない。

タオルの上に寝かされているマネキン赤ちゃんの背中から手を入れて首を支え、持ち上げないといけないのを、俺は、足を持って持ち上げようとしたものだから、いきなり強烈にダメ出しされた。「足、抜ける~~。」赤ちゃんはすぐに脱臼するらしい。

たしかに烏賊の天日干しでもあるまいし、足から持ち上げるのはあまりに乱暴である。

上向きにして体を洗い、次に背中を洗うために、赤ちゃんをひっくり返す作業がある。その過程でもダメ出しされたのだが、とどめは、ひっくり返した後だ。

ひっくり返されて背中が上になった赤ちゃん、当然、顔は沐浴桶の水面側にある。俺は、ひっくり返して背中を洗うことに意識を集中するあまり、赤ちゃんの顔面が水面に沈んでいることに意識がいかなかった。

俺の腕に支えられた赤ちゃんマネキンは、ドザエモン状態になっていた。またまた強烈なダメ出し。「し、沈んでいる。」他の夫婦から失笑がもれる。

おまけに、尻のへっこんだところに、うんちがたまりやすいみたいだが、俺はそこも洗わずにダメ出し! 「もっとちゃんと洗ってあげ!」

服を着せるのも難しい。洋服ではなく手を引っ張ろうとするので、すぐにダメ出しが入る。
「手が抜ける・・・。」

もし、今日の俺の実技を生身の体で実践していたら、足は脱臼、複雑骨折、頭はぼこぼこ。水に溺れて窒息、手は抜け、指は折れ、おまけにうんちは綺麗に洗浄されない・・・という悲惨な沐浴になる。

事前に参加してよかったと思った。

先生方もわかりやすくて、親切だった。ダメ出しされまくりだったが、「沐浴に失敗して怪我した赤ちゃんや亡くなった赤ちゃんは聞いたことがない。だから大丈夫!」とか、優しいフォローもあり、見習いパパとしては頼もしい限りであった。

そらそうだ。俺が今日触れたのはマネキンだ。顔面が水面に浸かっても何も言わない。でも実際の赤ちゃんなら、すぐに意思表示するだろう。多少手荒な失敗はあっても、たくましく育ってくれるだろう。脱臼だけは避けてあげたいが・・・。

赤ちゃんの入浴には、「沐浴」という言葉を使う。俺はあまりこの言葉が好きではなかった。だから、「ゆあみ」という言葉のほうを意識的に使っていた。宗教的な儀礼のイメージが強くて敬遠していたのだ。

だが、今日の講習を終えて、「沐浴」という言葉に、すごくアロマな響きを感じた。

マネキンの赤ちゃんは、俺に沐浴されてボコボコにされたが、俺は癒された。お父さん講座満喫の日曜日。今から沐浴して寝る。

2009年4月19日日曜日

近況

営業サラリーマン復帰で20日が過ぎた。仕事の感覚は戻っていて、塾との掛け持ち体制にも慣れてきた。改めて今のペースというか忙しさがちょうど心地よい。

4月に入って、ここまでのところで、種々の飲み会ラッシュである。20日間で8日間が飲み会である。その他の日にはほぼ塾があるので、朝早くから帰りは日付変更時間という日々が多い。だが、昼間にきっちり手を抜くところは抜いているので、疲労感はない。

先週から「ほうるもん」が再開しだした。今後の練習予定も入っていて、ライブも時間の問題だろう。新曲も順調に仕掛けられており、かっこいい曲を作るスタンスはぶれていない。楽しみだ。

ブルース・ハープを練習してみることにした。曲を作っていく中で、どうしても音色が欲しい時が多々あって、重い腰を上げて挑戦してみる。

「チープハンズ」のほうは、ベースの明君から再び音信が途絶えているが、こちらも時間の問題。しっかり体制が整えば、またバンドモードになってくれると思う。

営業職に復帰してから、案の定というか、ゴルフをすることになった。今月29日にいきなりコースに出ることを打診されているが、10年ぶりのゴルフ、まして10年前までは年に1回くらいのコースとその直前の練習のみだったので、実質トーシローである。

今週ぐらいからは、仕事後、塾のない日に打ちっぱなしに行くことになると思う。これが実に楽しみであったりする。

マイベイビーは嫁の腹の中で順調だ。定期健診が1ヵ月ごとだったのが、2週間ごとになり、心強い。嫁の腹で毎日動き回っているのがわかるので、嫁共々安心している。腹に向かって語りかけを欠かさず、日々の1番の原動力に変えている。今度の日曜日は市の主催の「お父さん講座」に参加して、風呂の入れ方なんかを学んでくる。

音楽は、FLAMING LIPSの“The Soft Bulletin”が最近好きで聴いている。WILLEY WISELY TRIO の音源も好きだ。あと、Mott The Hoople のグラム時期、デヴィッドおじさんがかんでいるあたりのアルバムが好きだ。メロがせつなくて好き。

書籍では、内田百聞さんに目覚め、『第一阿房列車』から順番に読んでいる。だいぶ昔に読もうとしたが、旧仮名遣いを敬遠していたのだが、今は新字仮名遣いで復刊されているので、読みやすい。ニュアンスは若干変わるかもしれないが、毎日楽しみにしている。

それ以外では、『ギリシャ神話』串田孫一(ちくま文庫)、『アジア新聞屋台村』高野秀行(集英社文庫)、『イチローの流儀』小西慶三(新潮文庫)などを読んだ。どれも好き。

珍しく漫画にも触れた。生徒が薦めてくれたので、『ギャグマンガ日和』増田こうすけ(集英社)を3巻まで読んだ。

結構セリフが後からくる面白さがある。このウィット感、毒感は、子供にはあまりふれてほしくない気がするが、大人が読む分には面白い。ジャンプに連載されていることには???だが、マンガも捨てたものではないと思った。

「24」リデンプションも見たし、シーズン7、臨戦態勢に入っている。box見直しは、シーズンⅡが終わり、Ⅲに突入だ。

ただの箇条書きの近況雑文だが、日々は楽しい。38年間生きてきてよかったと思える充実感を味わっている。思わずにんまりしたくなるくらい楽しい日々だ。

むふふな日々は続くのである。

2009年4月10日金曜日

役所仕事にため息

東京都の水道局のワッペン作り変えで、3400万円かかったとのニュースには、びっくらたまげた。

デザインが内規違反で作り変えたらしいが、内規違反をチェックせずに発注したこと、そしてそれが内規違反とわかった時点で、内規を変えずに作り直しにしたこと、どの過程を見ても、脳のある人間技とは思えない。

「東京都水道局」という刺繍の下に、ブルーラインがあるかないかだけの違いだ。人間ならば、3400万円を使おうかどうかという議題に上ることもない事案だろう。

そもそも、内規自体が同じような脳無しがくっついて作っているのだから、どうしようもないのだが・・・。

不景気になれば公務員が叩かれる風潮は好きではない。公務員の賃下げなんかも暴挙だと思う。

だが、結局、こういったアホがいるのも事実であり、「役所仕事」なんていう蔑み言葉が生まれる素地は、確かにあって否めない。真面目に公務をされている方々に対しても、本当に迷惑な役所の脳無し集団である。

閑話休題

二足の草鞋体制になって1週間以上が経ち、昼間の営業仕事にも慣れた。以前働いていた時の勘も戻り、昼寝をする時間も作れるようになった。塾の方も活況を呈してきて非常に楽しみだ。

俺の出戻った会社は、工場関連への作業服、作業資材などの納入を行う会社だ。ワークショップ5店と外商との2本立て。従業員30人の零細企業だ。

上場企業から零細企業までくまなく回って、事務服、作業服、安全保護具、消耗品手袋なんかを提案、納入する営業だ。

世の中の会社の9割は制服が支給されているので、不景気とはいえ、数でカバーすればなんとかなる。同業者も多いが、結構ゆるい業界である。

時節柄、怖いのが不良債権だ。危なそうな会社を失礼だが見極めることが、今の状況では必要になる。

よって、先週出戻りした後、入札外の公的性格を帯びた機関を中心に飛び込んでいる。

今日は、職業訓練関連の施設(ポリテクセンター)といった呼び名の施設に行って、事務服、訓練生の作業着などの需要と購入形態を聞いた。結構な金額ベースの納入がなされる機関だ。

すると、耳を疑うようなセリフが担当者から聞こえた。

「もう業者が決まっていて、システム化されているのでごめんなさい。私の一存では話は決めれません。システム変えるのが大変なんです。」と言う。

「システムというのは、発注書などの入力業務ですか? 誰を訪ねて営業させて頂いたらいいですか?担当窓口となる方のお名前をお聞かせいただけませんか?」と聞くと、担当が誰かもわからないと言う。

一応、その場は立ち去ったが、納得がいかない。不景気で仕事をなくした人がスキルアップのために受講する職業訓練講座を運営するのは、職安絡みの公的な機関である。広く括って第3セクターみたいな機関であり、民間が不況であえぎながらも経営努力をしている時世に、公的機関が経費削減に対する努力もしない。

正確にいえば、努力のレベルまでもいっていない。余分な仕事を増やしたくないだけだ。今日会った奴、月曜日に電話アポ取ろうとしたら、木曜日まで休んでいるという。システム変更は、パソコン作業数分で済むことだろう。会議が好きな奴らが、納入業者と納入品目選定の会議も出来ないみたいだ。

こういうのは職務怠慢というより、職務放棄だと思う。仕事を求めてスキルアップのために受講する訓練生を受け入れる期間の職員が職務放棄するのだから、開いた口が塞がらない。

社長に言ったら、俺の判断でしっかり言っていいと許可を頂いたので、オンブズ等のどこかに実名でしっかり訴えたいと思う。比較検討した上での納入業者決定でないので、事を荒立てて、しっかり反省してもらいたいと思う。色々公的機関との取り引きをしているが、今日のポリテク担当者は、久々に見る脳無しだ。

こんな糞職員がいる一方で、文化施設を担当する公的機関にも飛び込んだ。そこの担当者は、「今の時期、経費削減の努力をすべきですから、見積もりを持ってきていただけたら検討します。結果をしっかり検討経緯をしっかり明らかにした上で話します。」と言ってくださる。当然だが、どちらかといえば、こういう人がおられる機関の方が多い。

公務員が悪いのではない。ただ、民間と違って、当たり前のことをできない人間が淘汰されない環境が役所にはある。全公務員が、普通に仕事をする人ばかりなら、景気低迷も長くは続かないだろう。

公務員改革は、一律賃金カット、予算削減で成就するものではないと思う。公務に奮闘されている公務員の方がもっと高給を取れる環境を作る一方で、上記のアホを裁ける体制を作ることが、真の公務員改革だと思う。

2009年4月5日日曜日

イチロー選手

俺の好きなイチロー選手がDL(故障者リスト)入りをした。何でも、出血性胃潰瘍のためだそうだ。

DLは、disabled List の略だが、何だかこの表現は否定の度合いが強く感じられて好きではない。

医者も、「既に治りかけている」ということなので、鍛え抜かれたアスリートであるから、本来なら15日までの強制休養をさせられることはないのだろう。イチロー選手自身も「本当は出たい」という主旨のコメントを残している。

選手の健康管理、選手生命に敏感な大リーグと、根性論がまだ支配していて、選手の意向を厚く尊重する日本の野球界との違いが見られて面白い。

WBCに涌いた日本であるが、日本が世界一連覇を果たせた背景には(韓国がいつも世界大会で上位に来ることも含めて)、無理をしてでも国にチームに貢献したいという選手の意志を尊重する日本の国民性があるのだろうと思う。

プロ野球選手のメインは、1年の3分の1以上を占めるペナントレースでの成績だ。そのシーズン開幕を前にしての世界大会であり、各選手、各国の世界大会への取り組み方、根本姿勢の違いが感じられた。

アメリカは愛国心に満ちた国民性だと思っていたが、自分を犠牲にしてまで何かに尽くそうという姿勢はむしろ希薄で、淡白な国民性なのかもしれない。

WBCにおいて、ダルビッシュ選手が、慣れないリリーフの連投を辞さなかったこと、各選手の全力疾走なんかを見ていると、職業野球人としての選手生命のリスクなんかへの配慮はなく、ただただ日の丸の重みに突き動かされる衝動が各選手に宿っていたように思う。
侍スピリットとの表現は、的を射ていると思う。

WBCで故障した村田選手のように、例年なら調整時期である3月の全力でのパフォーマンスは玉砕と紙一重である。そのリスクを伴いながらもそれに怯えず、全力でプレーする。

そして、彼らのプレーを見て、日本国民は気持ちを鼓舞される。注目度が高いことは驚異的な視聴率を見てもわかる。まさに、日本国民性にぴったりの大会であったのだと思う。日の丸に熱狂する姿勢が好きな国民であり、俺もそのタイプだ。決勝戦は久々に野球を見て感動した。だが、日本人のこの性質は良い面だと思う一方で、怖さ、脆さ、残酷さも内包している気がして、少々怖くもなる。

冒頭のイチロー選手に戻る。

イチロー選手のDL入りの報に際して、「イチローも人の子だった」といった見出しが並ぶが、なんだかこの評価は安っぽく思える。イチロー選手に対して好意的な論調であるが、何だか彼をピエロにしているような気がして違和感を覚える。

WBC直後の胃潰瘍ということで、原因は誰でもが想像できる。WBCのプレッシャーだったのはほぼ間違いない原因の1つだろう。

色んなメディアがある中で、1つくらい、「プレッシャーを過度に与えてしまって申し訳ない。ただ、その中でも身を削って我々を鼓舞してくれたことに改めて感謝します。」といった主旨の論調がないのが気になる。

1試合ヒットがないだけで、「スランプ」という言葉を安易に使ったメディアが、決勝戦後には神のように崇める。よくイチロー選手も馬鹿なメディアに対して相手しているな~と思う。

イチロー選手のコメントは時にそっけない調子で報道される。「愛想が悪い」と書いていたメディアもある。「一匹狼で、天狗である」とまで書いていたメディアもある。

だが、俺自身は、彼のコメント、マスコミに対する接し方は素晴らしいと思う。最大限の真摯な対応だと思う。

イチロー選手に限らず、驚異的な活躍を見せる人たちが、公人も同然の扱いとなるのは宿命かもしれない。メディアを通しての活躍を見て、素人が好き放題コメントする。だが、そのほとんどは、敬意を欠いたものであることが多い。

イチロー選手のような人には、甘い汁を求めて群がってくる魑魅魍魎が跋扈する。富を狙う奴ら、名声を利用しようとする奴ら、興味本位な奴ら・・・。

そんな奴らに食われないためには、彼らは警戒心を緩めずに、自分をしっかり持たねばならない。凡人には理解できない孤独感があるだろう。だから、メディアはイチロー選手のような人を超人と呼ぶ。

だが、超人は存在しない。イチロー選手のように、ひたすら自己鍛錬、自己節制を繰り返し、才能を丁寧に育む日々の積み重ねが、優れた活躍につながり、それがメディアに載せられた時に、超人は生み出される。そして超人を勝手に生み出してしまったメディアは、超人が超人らしからぬ時期には、失望とため息を安っぽい論調で報道する。

マスコミに1番必要なのは、自らが作り出した「超人」に対しての敬意を最後まで持つことだと思う。凡人が理解できないレベルの人を「超人」と冠するのであれば、冠した後に凡人目線で報道することを避けることが、倫理的な約束事だと思う。

1人の人間イチロー選手を俺は尊敬している。メディアを通してイチロー選手を見ている凡人である1ファンの1人である。

驚異的なパフォーマンスを見せる人に魅せられる側が、脅威的な視点で報復する事態が見たいのではない。

シーズン開幕、開催に際して、イチロー選手のプレーを見て、今年も快哉を叫びたい。幸いにも、軽い練習を再開されたとの報道が今日なされていて嬉しく思う。

2009年4月3日金曜日

2足の草鞋、3日目

営業職復帰3日目。以前、在職していた時に担当していたエリアなので、合計4日間で250件くらいの顧客への引継ぎ(回れるだけ)を終えて、後は自由にやってくれ!という、むちゃくちゃ過酷な要望を突きつけられたが、むしろ好都合。

引継ぎで、一緒に前任と回るというのはかなか面倒くさいもので、1人きりの時間をしっかりとること、余暇の環境をよくすることだけを考えての前職出戻りなので、来週から1人で動けるのはありがたい。

10年のブランクがあるので、会社の業務管理システムもだいぶ変わっているが、慣れてしまえば格段に便利であり、2週間くらいでしっかり覚える努力をしようと思う。

今日引継ぎで、懐かしの顧客を回っていたのだが、担当者が変わったところ、社長が変わったところ、色々あったが、10年前の在職時の担当者が俺を覚えていてくださるケースが多々あり、非常に嬉しくもあり、楽である。また、そのような担当者は会社内でも出世していて、以前より権限を増しているので、非常に展開が楽である。

全業種を対象とする営業業務なので、世の中に存在するほとんどの業種を営業関わりの中で、なんとなくかもしれないが把握している。

改めて思ったのが、食品以外の製造業の不景気感だ。納入実績の数字を見ていると、昨秋くらいからの急激な落ち込みが目立つ。平日でも生産調整のため、生産ラインを止めている会社も目立つ。

この10年間に淘汰された会社も多くある。派手な社屋を建てたり、急激な発展を遂げた会社が意外ともろかったりする一方で、社屋に金はかけず、地道に商売をされている方が今もしっかり基盤を持っておられたり、経営者のスタンス、時流、色々な要因を持って企業の栄枯盛衰があることを改めて思って新鮮だ。

塾の方もあるので、当面は拘束時間が長いが、これくらいがちょうどいいかと思える。祝日、日曜日、隔週土曜日の休みがしっかりしていれば、ほとんどのことはクリアできると思う。まして、都会の電車通勤で職務を全うされておられる方々のことを思うと、田舎の仕事拘束はゆるい気もする。

社内での人間関係、仕事のプレッシャーなど、20代の時もあまり感じない無神経さを持っていたが、その時以上に、楽にこなせるだけのものを俺は培ってきていると思う。あくまで謙虚に、媚びず、威張らず、腐らず、調子に乗らず、しっかり食い扶持と余暇を楽しむための種銭を稼いでいきたいと思う。

読書ペースが少し落ちたが、この10日で3冊読んだ。

『街場の現代思想』内田樹(文春文庫)、『私の身体は頭がいい』内田樹(文春文庫)、『東京の下層社会』紀田順一郎(ちくま学芸文庫)

内田氏は最近好きである。文章に文学的な上手さは感じないのだが、氏の着眼点、思考過程を最大限に的確に書した文体が気持ちよい。思想的にも納得できる部分があって好きだ。

塾との掛け持ちであるため、営業職の勘を取り戻すまで、エネルギーがいるが、個人的にはこれくらいが心地よい。転職をくり返す俺ではあるが、出戻りは初めての経験なので、意外と続くかもしれない。

お腹の赤子は順調に発育してくれて、嫁の腹に手を当てると、ぴょこぴょこ動いているのがわかる。腹蹴りをかましているのだろうが、手に感じる赤子の足のサイズが、たまらなくかわいい。パパ見習いは、とにかく彼のおかげでごきげんだ。

今までにない張り合いと活気にみなぎる新年度模様である。草鞋2足で、少々足が臭いのが気がかりだ。