2008年12月31日水曜日

今年もありがとうございました

また1年が終わる。暮れまくった今年だが、相変わらず色々あって密度の濃い1年だった。
年末にチープハンズライブ、ほうるもん録音と音楽三昧の暮らしを出来て、とにかく幸せな年末である。

音楽三昧の年末の止めとして、注文していたニールヤングの蔵出し音源を今日手に入れる。
“ SUGAR MOUNTAIN live at Canterbury house 1968”だ。ジャケットのニールさんは、まだあどけないが眼光は既に鋭い。新年の音楽はこれ一色だと思う。

そして、10月末から中毒患者となった「24」のシーズン6、DVD6~12巻をまとめ借りしてきた。これで家篭り準備は万全だ。

個人的に1年を12月に振り返ることはしない。単なる暦の1月、1日に大きな意味は見出していない。

ただ、こうして今も生きていることに感謝する機会として節目の日を活用したいと思う。

我が身を殊勝に客観視してみると、改めて俺は楽観的だと思う。過ぎたことに対する後悔はしない。それが自分の弱さとなっている部分もあるのだが、38年間付き合った自分の性格であり、今後も折り合いながら付き合っていくしかない。

現実の見えていないロマンチストとしての俺の性格は、いい意味で改良されてきたと思う。マイナーチェンジだが、それで良いと思う。自分の性格を自分が肯定してあげないと誰がする! あるがままでいっても大丈夫だと思えるだけの、いい意味での割り切れ方が出来ているような気がする。不惑に少し近づいた気がする。

来年は我が家にとって、ムフフな可能性がある。ムフフの正体はまだ活字では明かさないが、本当にムフフできるように、襟を正して旅支度(「かぐらうた」から借用)したいものだ。神様の逆鱗に触れないように、正しく生きていきたい。

今年もまたたくさんの方々にお世話になりました。そして拙ブログに訪れていただいた方も本当にありがとうございました。読んでくださる方がいるという事実だけで、なかなかに嬉しくて励みになるもので、ブログを一昨年よりは自己肯定できる1年でした。
来年もまた、想いを垂れ流しますが、御笑読していただければ幸いです。 良き年越しを!

親戚関係について思う

今、「ほうるもん」の音源録音を終えて帰宅した。8曲を一応録って明日CD盤面で受け取ることになっている。課題も多いが、まずはじっくり明日以降に聴いてみたい。
ライブと録音が年末にあり、慌しい日々であったが、実に充実して楽しい年の瀬を過ごせている。幸せだ。来年もよい年になりそうな気がする。

話題は変わる。

一昨日の帰省時に、お祖母ちゃんから「電話よこせ。」の指令があった。おかんに伝言しての指令だったのだが、何だか不穏な感じがして、すぐに電話した。

平成8年に、嫁の家の養子となって以来、旧姓の実の親戚との付き合いは、希薄になっていた。実の親戚を悪く言うつもりはないのだが、すごく高圧的な雰囲気を、俺は幼少の頃から感じていた。

亡くなった実父は昔の建設省職員だった。ノンキャリアとしてたどり着けるポストの最上位にたどり着き、自分より年下のキャリア組(数年で霞ヶ関に栄転する官僚様)に日々仕える晩年を過ごしていた。

実父の弟は、1人が自衛隊で武器関係のそこそこのポストで退職し、現在天下り先で働いているらしい。もう1人は、警察として実父と同じくノンキャリながら、警視にまで上り詰め、主要な役職を歴任した人だ。マル暴関係のトップだったこともあり、家にSPが詰めていたこともあったらしい。

実父を含め兄弟3人が、それぞれノンキャリながら、立派に職務を果たし、その世界でたどり着ける最高位にまで上り詰めた勤勉で努力家な家系だ。3人を産んだおばあちゃんも彼ら3人を誇りに思っていて、一家の結束は高かった。

俺自信も、親父たちの公務員としての職歴を誇りに思うこともある。実際立派だと思う。
ポストの階段を登ることに全力を尽くして、それを日々のエネルギーに変えてきた人たち。
国家に対しての忠誠心は、ジャック・バウワー並みだと思う。

だが、職業病というか、ポストと格に支配され続けてきた彼らの価値観とは、俺は根本的に相容れないものをもって育ってきた。すごく窮屈なのだ。

おばあちゃんがゴッド・マザーとして頂点に君臨し、その下に3人の猛者がいる。そしてそれぞれの妻が、ゴッド・マザーに気に入ってもらえるように、そして家系内での立場を強くするために、ぎらぎらビームを出しまくっている様子が、幼少ながらにも感じられた。つまり、妻たちもまた、夫と同じく官僚的というか、おばあちゃん国家の中での公務員だったのである。おばあちゃん教団の信者と言ってもよいかもしれない。

おばあちゃん崇拝の信者である妻達の勢力争いで、俺のおかんは早くから脱落していた。いや、不必要な帰依をやめていた。物質的なもの、1年に詣でた回数なんかで信者としての優秀度を測る状況に価値観を見出せなかったのだろう。他にも色んな要因があるが、心にもないおべんちゃらを排して、1対1の人間対峙を教祖としようとしたものだから、他の2人は、おかんポストの襲撃を始めた。長男の嫁として、教団内でのポストが高かったおかんであったが、あっさりと、かぶとを脱いだ。

実父が生きていた時は、それなりに偽善的な敬意をおかんに表していた2人の妻であったが、実の父が死んでからは、「人間こうも変わるものか?」というくらい、いびつにおかん攻撃を始めだした。積年の何かがあったのだろう。

おかんのほうは、攻撃されても、「まあいいやろ。」と何も気にしていないようだ。親愛の情を持った今まで通りの行動をしているのだが、それが逆に彼女たちの逆鱗に触れるのだろう。攻撃者心理としては、相手が今まで通りの対応をされるとばつが悪いものだ。

攻撃は、俺の兄弟にまで及びだした。おかんの子育ての仕方が原因で、俺たち兄弟の親戚付き合いは義理を欠いた無礼なものであるという構図に持っていきたいのだろう。
だが兄貴も弟も「いいんちゃう。」だ。

今までは、俺には攻撃が緩かった。なぜなら彼女たちの教祖であるおばあちゃんの中で、俺は全孫中、かなり思い入れが強い存在なのだ。1歳の時に預けられていたこともあり、おばあちゃんにしても孫としての情が1番入りやすかったのだろう。そして俺自身もおばあちゃん子だったので、おばあちゃんが好きだ。おばあちゃんの健康を願っている。

冒頭のおばあちゃんからの指令があって、俺は親戚の家で同居しているおばあちゃんに電話した。親戚のおばさんが出た。

「あのね、友達に電話する時間はあるんやろ? なら、たまにはこちらにも電話したらどう? 家にも全然来ないし、あなたの家のもんはみんな、ごぶさたばかりで、おばあちゃんに失礼とちがう?」と、俺に嫌味を言ってくる。ついに本丸の俺にもきたか! だが俺の対応は大人だ。さりげなく毒を吐いたが・・・。

「おばちゃん、すみません。ごぶさたばかりですね。年金生活者なったら詣でられると思うのですが・・・・、 ところでおばあちゃんに変わってもらえます。」と、取次ぎを頼んだ。

出てきたおばあちゃんの嬉しそうなこと! 近況を色々と話してくれる。俺も楽しくてついつい長話。電話指令は、単なる俺への電話おねだりだったみたいだ。

俺はごぶさたを詫びた。だが、おばあちゃんは、「もう少し連絡もしてほしいけど、それだけ忙しいってことは大事なことだ。あんたの歳で暇やったら逆に心配やからそれでいい。」と実によい理解を示してくれる。

親戚に対して、俺は年賀状を欠かしたことがない。それに居住地域近辺で自然災害のニュースを聞いた後には、安否を電話でうかがっている。それだけでいいと思っている。

おばあちゃん信者の2人のおばさんに対しても、決して憎む気にはならない。彼女たちなりに、一生懸命おばあちゃんの息子の良き伴侶であろうとしてきたのだろう。実父死後の、おかんへの対応は、少し幼稚だなと思うこともあるが、価値観、尺度が色々あるので、裁く気にもならない。

ただ、わが親戚たち、団塊の世代の人たちの勤勉さと価値観が、時には偏屈で表面的に思えて残念なことがある。久しぶりに会っても、「元気?」という言葉よりも、「今どんな仕事しているか?」 「どんな学校に入ったか。」 「 今の肩書きはどうか。」ということが、優先して親戚内で会話されてきた。

わが家系では、学歴、職歴なんかは、全ておばあちゃんに報告するための、耳心地の良いものが求められてきていた。いや、正確に言うならば、おばあちゃん自身が求めていたのではなく、彼女の信者が自らの地位を高める努力の一環として、俗世の栄達を報告事項として求めていたのである。

こんな狭くて息苦しい価値観の中で、しっかりと日々を送ってきた親戚を肯定する。だが、世代には世代の、俺には俺の価値観がある。人間として義理を欠いたものでない限り、お互いにその価値観を裁くことは出来ない。

何回手紙を出した、何回電話をした、そういった表層的なことにとらわれない関係が、本来の親戚関係であると思っている。むしろ、表層的な関係は、職場などでの義理付き合いで求められるものであり、親戚関係にそれが入ることには、むしろ興ざめする。

いつか、本当の1対1の人間として親戚と話せる日が来たらとも思うが、来なければ来ないでいい。俗世の義理がけだけで処していくだけでいいと思う。付き合う人間は自分で決める。それは血縁的な結びつきが少しあるからといって、特に優先すべきものでもないと思っている。

親戚関係について少し考えた年末だった。今の養子先での親戚付き合いは、俺にとって心地よい。自然な感情発露として、等身大でこちらの親戚とも付き合いたいと思っている。

2008年12月29日月曜日

ライブ後記

昨日のチープハンズ、「拾得」ライブへご来場いただいた方々、激励メールいだだいた方々、そして、CHAINS御一行、エンヂン御一行、本当にありがとうございました。

自分たちの演奏力はともかく、じんわり感動しながらライブが出来たと思う。今日午前中、帰り道の道中は、心地よい余韻に包まれながらであり、渋滞もなく快適に職場へ到着。寝不足が続いているが、音楽がらみの寝不足は苦にならない。至福の時間を過ごせた。

「エンヂン(from 浜松)」
初めて見たのだが、凄まじいテクニックに圧倒された。何より素晴らしかったのが、圧倒的なテクニックを持ったバンドによくあるスピリッツの希薄さがなく、ハイソウルをハイテクで出されていたので、俺は1人の客としてエンヂン全開で音世界に入っていけた。素晴らしいバンドだと思う。みんないい人やし、気さくに話しかけて頂いて、重ねての感謝だ。いつかまた一緒にやりたいな~と、浜松での再会を誓った。

「CHAINS」
改めて言うまでもないが、俺はこのバンドが好きである。テクニック的には笑えるくらいのハイレベルであり、貫禄十分なのだが、全く嫌味がない。曲が素晴らしい。歌世界も素晴らしい。そしてライブを絵的に捉えても素晴らしい。今まで何度も見てきたが、個人的には今回のライブが1番良かったと思う。脱帽である。ますます好きになった。イベントに呼んでもらって多謝だ。出来る限り、また以前のように恒例対バン体制を作りたいものだと改めて思った。イッツ・ロック!

「チープハンズ」
テクニック的には、無条件でローなのだが、それも含めて、らしさは出せたかと思う。新曲も用意して臨めたし、ぶち切れ方も以前のような体力任せでなくて、じんわりにじみ出る切れ方であったと思う。だがだが、改めて今回はわがローテクについて思い知った。15年間弾いているリフが未だにちゃんと弾けていないことに初めて気がついた。普通、嫌でも上手くなるものだが、これだけテクニック進歩がないバンドも珍しいと思う。進歩しない才能というものがあったら、俺たちは無敵だ・・・。 テクニックを超えた部分で存在を許される何かがあると、好意的な自己解釈をしている。テリーさんにもほめてもらえたし、新曲の評判もよかったし、再始動に向けた布石は打てたと思う。

ライブ後は、楽しい「拾得」での酒宴であった。なんせ久しぶりに会う人が多くて、積もる話もあるのだが、限られた時間であり、とても満足のいくまで話すことは出来なかった。だが、じ~んとくる時間の連続で、酒宴がいつまでも続いて欲しいと思った。お互いによい歳のとり方をしているなと、素晴らしき俺の交友運に感謝である。

ライブ前日は大阪の実家に泊まった。ゆっくり寝てライブに臨むつもりだったのだが、猫毛アレルギーからか、鼻がつまってくしゃみが出て、短時間で目が覚めてしまった。仕方なしに、朝の5時に家を出て、電車で京都に上陸し、朝の京都市内を4時間ほど散歩した。

島原界隈の遊郭跡や、鴨川周辺、祇園界隈、某893組織本部前、歩いても歩いても楽しくて、全く疲れが出なかったのだが、「なか卵」に入って座った瞬間に足がつった。さすがに脚力が落ちている。

仕方無しに、ベースの明君が難民キャンプしている、インターネット喫茶に入った。中にはいり、明君に電話をする。左耳に携帯からの声、右耳に肉声。 明君の声がステレオで聞こえた。仕切りを隔てた横に奴がいた。

明君を連れて、急遽温泉に行くことにした。俺はネット喫茶に入って15分で明君を連れ出し、地下鉄に乗って竹田の天然温泉にいざなった。久々に見る明君の裸体は、見本のようなメタボであったが、彼は否定した。俺は腹をどついた。彼は腹筋を強調した。確かに筋肉はあった。メタボで突き出た腹に筋肉をつけられる彼は、ニュータイプのメタボリアンだと思った。

入浴後10分で、「立ちくらみがする」と言うひ弱な明君。「へたれ豚野郎! 外で待ってろ!」と俺は泰葉もびっくりの罵声を浴びせて、彼を浴外に追いやった。

俺がゆっくり湯浴みして上がると、彼はまだ着替えていた。「ぐずのろま!黒髪豚野郎!」と俺は再度、泰葉言葉で彼を責めた。俺が罵声を浴びせている間、彼はコインロッカーから落とした100円を探していた。

休憩室に仮眠スペースがあった。さすがに寝不足の俺は、仮眠体制に入った。眠りに入ろうとすると、横から明君の声。「最近、中国の黒社会はどう?」と俺に聞いてくる。俺は地下にもぐったスパイか! 

眠りを妨害された苛立ちはあったが、優しく「明君も少し寝とかれ」と俺は大人の対応をした。そしてまた5分経過。

うとうとしている俺の左耳に、「阿Q正伝って読んだことある?」と明君の声。相変わらず話題が唐突である。それから中国辺境の状態について彼は語りだす。俺は仮眠をあきらめた。彼の今の興味は中国黒社会と辺境治安情勢にあるみたいだ。お前はスパイか!

本番前に珍しく緊張していた明君がいた。 明君に飴と鞭を与える俺と、放置プレイに徹する他の2人!  バンド内の人間関係は従来と変わらぬものであり、ブランクを感じない独特で秀逸な間が、音だけでなくメンバー間の人間関係にも確かに存在していた。これが大事な点だと思う。

また繋がっていけそうな気がしている。よい年末であった。

2008年12月25日木曜日

旅立ち前夜の興奮

飯島愛さんが亡くなられた。個人的にファンだったわけでもなければ、彼女の活躍をよく知っているわけでもない。ただ、名前と顔が一致する芸能人の一人という存在にすぎなかったのだが、なぜだかわからないが、すごい衝撃を受けている。

芸能界を引退するというニュースを聞いた時から、不謹慎ではあるが、何となく昨日のことへの予感があった気がする。それにしてもあまりに哀しすぎる死だ。

人の死に対してワイドショーみたいに詮索してあれこれ言うのは憚れるので、多くは書かないが、なにか根源的な悲しみを彼女には感じてしまう。その正体がなんであるかがわからず、ただ衝撃を受けている。彼女はロッキンだと思う。ロッキンな体現者であったと思うが、ロックに殉教する世代ではない。ただただご冥福をお祈りするだけだ。

チープハンズライブがいよいよ日曜日に迫った。土曜日の4時間リハで仕上げて臨むわけだが、演奏自体に関してはたいして心配にならない。きっちりできるだろうと思う。
ただ、心的な面でどこまで感覚を取り戻せるかが心配である。

久々の再会、久々のCHAINSとの対バン、行事としては非常にめでたいわけだが、これが単なる同窓会的なライブになるのか、それとも昔と変わらず熱い感情を伴って臨めるかが1番肝心なところだ。色んなバンド感があってよいと思うが、個人的には、ゴルフをするような気分でバンドを続ける気はない。緊張感を持ってガチンコで集中していきたいと思う。

明日の仕事終了後、大阪の実家に向けて旅立つ。そして土曜日に練習し、日曜日にライブし、月曜日に戻ってきて昼から仕事だ。そして30日には「ほうるもん」音源製作、31日には「年忘れ家庭教師」が控えている。なかなか充実した年末である。

大阪から富山に移住して14年目になったが、大阪への帰省は全てバンド活動とリンクしている。ギターを積まずに帰省したことは1度もない。

帰省時の道中全てが、音楽的な思いに満ちたものであり、景色も全て音楽的な思い出と重なって存在する。それはライブ前の思案であったり、ライブ後の余韻や反省であったり、その時聴いていた音楽であったりする。

毎月1回ペースで帰省していた時期が数年間あったが、その時は、以前の思い出を感じながら走ることもなかった。だが、段々ライブ頻度が下がり、帰省間隔が長くなるにつれ、帰省する時の車中で俺の胸はキューンキューンいいまくりだ。

道中に聴いていた音楽は、びっくりするくらい覚えている。大まかな傾向がある。

富山を出て金沢から福井あたりまでは、旅立ちのわくわく感でぎんぎらアッパー系である。
メタリカ、メガデス、ブランキー・ジェットシティーなんかを好む傾向がある。

福井から敦賀あたりは、実に鄙びた寂しげな道であることもあり、少しチャカつき気分も治まる。それにつれて早くもホーム・シックにもなる。ニール・ヤングを聴く傾向にある。

敦賀を抜けて名神に入りだすまでは、再び聖地京都に近づくわくわく感から、アッパーおやじモードに入る。この区間は、アマチュア音源を聴く事が多い。

京都が近づくにつれて、カーステをラジオに切り替えて、FMを聴く。関西弁が心地よい。
不思議と聴きたいな~と思っている曲がかかることが多い。1度、強烈な濃霧の時があったが、その時にかかっていた「ストーミー・マンデイ」は思い出深い。

旅立ち前夜に、早くも「キュンキュン警報」が発令している。天気は明日から大荒れになるらしい。雪道運転は別に苦にならないので、ゆっくり旅立ちたい。

荒れた天気で思い出した。1998年だったと思うが、1人宅録で8曲作ったことがあった。その中に、「ラブ・ミー・サンダー」というヘビー・メタルな曲があったのだが、それを道中聴いていたら、天気が大荒れになりだして、雷が近くで鳴り出したことがあった。稲光が凄くて、俺はハルマゲドンかと思った。雷に愛されるのが怖くなって、俺は宅録カセットを切った。

京都には京都の、大阪には大阪の匂いがある。その匂いを思う存分嗅いで、思う存分ロッキンして年末の貴重なひと時を過ごしたいと思う。旅立ち前夜に興奮を隠せない。

次回は29日にパソコンを開く予定だ。皆々様、パソを捨て、ライブに行こう! 拾得で待っています。

2008年12月24日水曜日

メリー前夜の不信感

まずは、何度目かの告知。 今度の日曜日 12月28日は、京都「拾得」でチープハンズのライブだ。18時30分に登場しますので、是非是非早めに起こしください。

今日はメリー前夜だ。全国でベッドが揺れる日だ。若人が青春を謳歌する日だ。子供は贈り物を頂く日だ。思春期の子供はメリーな夢を無くす日だ。俺にとってはただの365分の1だ。メリーな思い出は昨年同日ブログで書いた気がする。よってメリーでないことを書く。

昨日、久方ぶりに家電量販店に行った。冬期特別編成で20時に仕事を終え、21時閉店の店に駆け込んだ。

今まで6年間使っていたプリンターは、カラー印刷はできるものの原始的な機器であり、だいぶ劣化が目立っていた。おまけにインクも残量わずかであり、今年の年賀状印刷に使うためには、売り場の隅から合うインクリボンを探してこなければならない。そして、そのインク自体も数千円する。ならば、「買いなおせ!」が嫁の指示だった。

2階の目指す売り場めがけて足早に進み、店員を見つけてすぐに言った。

「年賀状刷れて、CDにも刷れて、コピーもできて、難しくなくて、1番安いプリンターはどれですか?」

店員はすぐに該当商品の棚に誘導してくれた。俺はすぐに言った。「これちょうだい。」

すぐに支払いを済ませ、1回の商品受け渡し口で受け取った。店に車を停めてから、店を出るまでの所要時間は8分だった。

家に帰って、ちゃっちゃと設定を済ませて、いつも通りの印刷環境を整えた。

いつものことだが、とにかく電気製品に対して淡白である。商品の性能を比較吟味するわけでもなければ、商品の性能を使いこなすために説明書を読むわけでもない。昨日購入したプリンターは、CD印刷もできれば、スキャナー、コピー機能もついている。だが、それをとりあえず試してみるということもなかった。する必要が生じた時に、説明書読もう!と思っただけで、たんすの奥底に説明書をしまった。

エフェクターを買う時には、カタログから吟味し、数店舗回って買うくらいの慎重さと熱意がある、また、CDを買う時には予算内で、行きつけの店のご主人に何度も試聴させてもらい購入する。そして、買った物に対して、その説明書、ライナーノーツなりを読む。

だが、一般家電製品に対しての愛情は恐ろしくない。基本的に物欲もなければ、購入意欲もない。ただ、必要に迫られた時にだけ、しぶしぶ購入するだけだ。

プリンターをわが家に導入したのは、通信教育で大卒資格をとる時に、レポート印刷の必要性にかられたからだ。そして、購入して印刷環境が整ったので、歌詞なんかもプリントアウトするようになったが、別になければ手書きでよい。

音源を焼いて盤面印刷をすることを考えれば、その機能を持った機器を欲しいと思ったことはあるが、なければないで我慢できる。今回はプリンターを買いなおすのだから、値段が極端に変わらなければ、あるにこしたことはない機能だと思い、該当機種を選んだまでだ。

本来なら、年賀状印刷なんかも、町のカメラ屋さん、印刷屋さんに外注すればよいとすら思っている。でも、家にそれをできる機能を持った機器があれば、使いたくなるのが人情だ。手間とコストを考えたら、家で刷るのも外注もたいした差はないような気がするのだが、現在では自宅印刷が主流になりつつある。

町のカメラ屋さん、印刷屋さんの商売において、年賀状印刷に対する需要は極端に落ち込んだ。その落ち込んだ分の市場をそのまま奪っていったのは、プリンターメーカーだ。
年賀状印刷という市場自体が、人口減少と慣習の変化によって下がっているなかで、その縮小した市場を、異業種間で取り合う構図、これは今の市場全体に多くある構図だと思う。全体のパイは同じか、縮小しているのに、いびつなシェア争いに血眼になる構図は好きではない。

印刷は印刷屋さん、写真は写真屋さん、その道のプロがたくさん存在していて、それぞれの秀でたスキルに合わせて分業が成り立っていた時代というのが、いちばん健全であったような気がする。

分業が崩れてしまってから、1人1人は、便利になったと思い込んでいるが、実は忙しくなっているのは間違いないと思う。そしてさらに、業務の専門性の境界が曖昧になって、誰でもそこそこは出来る環境が整ってしまったので、「その道のプロ」としてのプロ意識を持った商売人も減少したように思う。

たかだか2万円弱のプリンターを買ったくらいで、社会の分業にまで思いがいくのは、俺の中で依然、電気製品に対しての不信感がどこかにあるのかもしれない。メリーではない。

2008年12月23日火曜日

歴史を学ぶ

小・中・高と長きにわたって「歴史」なる教科を学んできたが、大人になった今、教わった当時のことで覚えていることはかなり少ない。覚えていることの多くは雑談であり、身近な話題だけである。過去の「金時」ネタブログでふれた、社会の先生の話は断片的には覚えているのだが、基本的には記憶がない。

俗に言う、「入試頻出用語」なる歴史言葉は、人並みには覚えているが、山ときたら川と反応するような、条件反射的な覚え方であり、歴史の流れの中の1つの事件や人物や文化としては理解できていない。恥ずかしい話である。

歴史の授業で、先生方は色々工夫しながら、なぜそのような事件が起きたか、そして、誰々の行動は歴史的にどのような影響を与えたかを、一生懸命かみくだいて説明してくださっていたと思う。だが、俺には深い印象を残さず、耳を素通りしていっただけのように思う。
残ったものは、単独で孤立した歴史用語の残骸だけだった。

この原因は、俺の学習意欲と知的好奇心が低かった問題もあるかと思うが、基本的に、社会という教科の学習指導目標と、テスト内容がリンクしていないことがにあると思う。

授業では一生懸命歴史の流れを説く。だが、テストになるとその流れを理解しているかが問われることはほとんどなく、単に歴史用語の暗記量を試す問題が大半を占めている。流れを問うにしても、表層的に問うだけだ。

そうすると、先生の話と波長が合わない子供が、「別に話を聞かなくても、テスト範囲の用語暗記をしたらいいだけだ。」とかわいくない考えを抱くようになっても不思議ではない。

授業で、「大塩平八郎の乱」について講義するとする。俺は歴史に対する造詣も深くなく、歴史認識も違っているかもしれないが、一般的な講義では、こんな展開になるのだと思う。

「この大塩というおじさんは、大阪町奉行所の役人だった。つまり、今でいう公務員みたいなもんだったのですな。ところが公務員の大塩さんが、お弟子さんを引き連れて、幕府に反乱を起こしたもんだから、幕府はびびったわけですな。庶民にとってみれば、生活苦の救済に向けて行動してくれた、正義の味方だったわけですが、お上にしたらたまったもんではない。わが手駒の役人が反乱を起こすのですから、けしからん奴なわけですよ。でも、この乱は、幕府の無策に対する庶民の怒りを表すことになり、庶民の生活なんて対岸の火事くらいにしか思っていなかったお上を、怖がらせ、何かしなければという気にはさせたと思うわけですな。そしてこれが、後の天保の改革にも繋がっていくのですな。」

ところが、この講義を聞いて、「なるほど」と思って興味を持っても、テストでの出題はだいたい下記のようなものだ。

「1837年に乱が起き、・・・」という部分に線が引いてあって、「この乱を起こした人物の名前を書け。」 それだけ??

この手の出題が大半を占める状況では、テストのことを考えたら、語句暗記が優先であり、歴史認識を深く抱くかどうかは、その生徒の個人的興味にまかせるより他はなくなる。
この語句が伝えたくて、社会の先生は講義しているのではなく、この語句で表される事件が、歴史の中でどのような位置づけがあったかを、専門家として伝えたいはずだ。
ならば、

「1837年に大塩平八郎という人が乱を起こした。これがもたらした影響について書きなさい。」といった形式の問題にすべきだと思う。

飢饉がある。庶民の生活苦がある。それに対するお上の政策がある。そしてそれらに対応する事件が起きる。起きた事件に対して、何がいけなかったのか、どうすれば起きなかったか、自分ならどうしたらいいと思うか、そして、この事件の教訓は今起きているどの問題と関連付けられるか・・・。これらを思考させる機会として社会の時間を捉えれば、社会の学習時間は、非常に意味深いものになると思う。

言葉の知識を増やすための、国語や英語でさせられる詰め込み暗記は大切だと思う。部品がなくては製品が作れないからだ。部品である単語知識を増やしながら、文章の中での言葉の生かし方を体得していくために、暗記事項を反復練習させることは大切だ。

だが、国語、英語で言語知識を詰め込む一方で、社会(歴史)でも詰め込む必要があるだろうか? 歴史用語なんかは、本を見ればわかる。暗記する必要もない。それに歴史認識の中で事件や人物を捉える習慣がついていけば、暗記するなと言われても暗記してしまう。そして忘れにくい長期記憶になるだろう。

小・中・高の社会では、歴史の中の大きな事件に関する認識を深めることに時間を割けばよいと思う。枝となる事件や文化や人物に関しては、各自の興味にまかせて自学もしくは、大学などで専門的に学べばよい。1番大切なことは、歴史用語をいくつ知っているかではなくて、歴史の大きな流れを理解して、その中で個人個人の歴史観、歴史認識を抱くきっかけを作ってあげることだと思う。

上記のようなことを目的とした講義とテストのリンクが整備されるならば、結果的に今の教科書に載っているくらいの歴史用語ならば、自然と身につくと思う。最初に理解あり、その付随物として知識がついてくるはずだと思う。

なぜ、このようなことを思うかといえば、歴史に対する興味が浅薄で知識が薄い俺でも、歴史の流れをちら見しただけで、「よくもまあ、人間とは同じことを繰り返すもんだ。学習能力がなさすぎる。」と思うからだ。

だから、今からの子供たちに、小さな時から、同じ流れで失敗が垂れ流されてき歴史的経緯を理解してもらって、めいめいが解決策を持って世に出てくれればと思うのだ。

過去の歴史から学んだことを、今後の政策に生かす賢い思考力を持ち、それを実施できるだけの人間は、少なくとも今の社会教育で育った人間には少ないと思う。

現状の打開策は、実は単純なことなのだろうと思うが、ぶれない思想が必要だ。深い歴史知識、歴史認識、歴史哲学を持った、優れた為政者が現れてくれるためには、歴史教育の根底からの変革が必要だと思う。

そうなれば、人間のサガとしての「諸行無常」「盛者必衰」のことわりは受け入れるとしても、もう少しましな政治がわが国でも行われるようになると思う。

大げさに書いたが、今から俺も歴史を学び、認識を深め、次の世代に名君が出ることに一役買えたらと思う。

2008年12月22日月曜日

「24」

「24」に尋常ではないほどのめりこんでいる。

どれくらい尋常ではないかというと、その時間のかけ方が強烈だ。

俺が「24」の存在を知って、初めて見たのが10月29日だ。ちょうど緑内障手術から退院した後であり、目のリハビリ期であったのだが、俺はいきなり酷使体制に入った。

「24」の1シーズンは、2話ずつ収録のDVD全12巻から成る。1話は約40分であるから、1巻は約80分収録である。つまり、1シーズンを見終わるには960分(16時間)必要なのだ。

これを俺は、10月末から見始め、今日現在、約50日が経過したが、この間にシーズン5までを見終え、昨日からシーズン6に突入したのである。

シーズン5を見終わるまでに必要な時間は、約80時間だ。それを50日で消化したということは、1日あたり約1,6時間見ていることになる。

元来、映像文化が生活に根ざしていない俺にとって、この時間の使い方は驚きである。人生で初めてといってもよいくらいの、映像どっぷり傾向にある。それほど面白い。

政府秘密機関であるCTUという、「テロ対策ユニット」を舞台に、ご存知、ジャック・バウワーとテロリストとの対峙が基本テ路線なのだが、一般的な勧善懲悪ではない深みがある。

ダブルスパイは当たり前、昨日の味方が今日の敵となる事例がたくさんあり、誰を信じてよいかわからない。

従来のテロリストが登場する映画ならば、最後はテロリストが捕まり、正義が勝つ!という縮図で終わるのだが、「24」では平気でテロルが成就する。核爆発も起これば、ウイルスが実際にばら撒かれる事態も発生する。

また、正義の味方のジャック・バウワーにしても、偏狭な家族愛と、政府への忠誠心から、非人間的な暴挙にも出る。

すごく好感を持っていた奴が、ある日嫌悪感を抱くやつに変貌するかと思えば、その逆もある。

また、登場人物の中で、「こいつはずっと生き残るやろ?」と思っている人が、どんどん殺されてキャストから消えていく。その逆に、意外と長く残るキャストもいる。

作品全体に、「絶望感」が貫かれていて、どんな結末になってもつらい。おまけに最後がハッピーエンドで終わらない。そして筋が読めないのだから、面白くないわけがない。脚本家がすごいわけだ。ぶっ飛んでいる。

作品の思想的な面では、シリーズが進むに連れて、かなりの迷いとフォローがなされているように思える。アメリカ:正義、イスラム:悪という構図に陥りやすい事件展開であるが、途中で、多くのイスラム教信者は、テロリストを憎む存在であり、純粋な信仰者であるというフォローをいれる場面が設けられていた。台本を書く人も苦労しているのだなと思った。

本来、この手の作品はフィクション的要素が強いのだが、9.11テロが実際にあったアメリカにおいては、いつ同様の事態が起こってもおかしくない世情があるので、爆発的ヒットしたのも頷ける。

それにしても、アメリカという国は、強くあらねばならない十字架を背負った国であると改めて思った。多人種、多宗教、多信条、まさにるつぼ状態だ。その中で、全体として強くあらねばならない、そして法の前に自由であるという呪縛が強すぎて、国家としての存在自体が、入植当初から矛盾を前提とした国である。どれが正解かを定めるのが、あらゆる局面において困難な国である。

こんな国が世界の大国として長らく君臨してきて、いまは経済的な部分から地盤が揺らいできているのだから、今後の展開が見ものである。

まあ、何にしろ面白い。個人的独断で、好きなキャストをランキングする。

第1位・・・ クロエ  
初めて見た時は、キャストのミスチョイスとも思ったのだが、慣れるにしたがって、味わいある性格と、強烈な作業力に脱帽である。この人選をできる「24」スタッフはすごいと思う。

第2位・・・ジャック・バウワー
コメント不要。だが、娘のキムは、ワースト1位。ほんと嫌い。

第3位・・・名前忘れ パーマー、ローガン大統領のガードマンであった人。
セリフが少ない中での存在感は、主役以上にすごいと思う。熱き忠誠心を持つが、尺度がぶれない寡黙な人格者。

第4位・・・オードリーとおやじの長官
ジャックの前妻テリーの存在感を消し去るほどの存在感。超タカ派のおやっさんと含めて、魅力あるキャストだ。シーズン6ではまだ見ていないが、死んでいそう・・・。

第5位・・・ニーナ
ある意味衝撃度ではナンバー1だ。正体がわかるにつれて、完全なる悪の化身となる。この人ほど、正邪両方の役回りを出来る人はいないと思う。すばらしき名優だ。

一昨日の忘年会では、盟友から、CTU本部電話の着信音を頂いた。バイブにしていることが多いが、時々鳴らしては一人で喜んでいる。

DVD発売されている中で、残すところ少なくなった。かなり悲しい。

見れば見るほど楽しみが減っていくのはつらい。こんな気分は初めてだ。「ゴッド・ファーザー」でも、ここまでの悲しみはなかった。

見終わったら燃え尽きそうだ。BOXセットを買いそうだ。真面目に論文書きそうだ。

こんな映像がテレビで流れる国アメリカは、なんだかんだ言ってすごいと思う。

2008年12月21日日曜日

i Pod

未だに持っていない「i Pod」であるが、2001年には市場に出回っていたようだ。2004年くらいから、身近にも見かける機会が増えだしたと思ったら、今じゃかなりの割合で持っている。

特に中・高生がイヤホンを耳に挿して聴いている場合は、ほぼ100%の割合で「i Pod」だ。

俺は機械に対して弱いが偏見があるわけではない。文明の利器に対する敬意を持っている。
だが、「i Pod」は小さすぎる。IDカード並みの大きさ、薄さの中に、すごい数の音源が入っていること自体が、声が電波を飛ぶこと以上に奇怪に思える。

新しいものには警戒心から入るのが俺の性質だ。パソコン、携帯電話も、手に入れて使い出したのは、ほぼ市場への浸透がなされた後だ。それまでは、じっと警戒心を緩めずに、半分天邪鬼に否定しながら様子を見守っていた。

そして、手に入れた瞬間に、一気に肯定派になる。そして、すぐ飽きる。まったくもって節操がない。

「i Pod」に対する警戒心と不信感の源は、このブツが普及する前に発売されたMDの存在だ。

2001年に東京にスクーリングに行った時、俺はCDウオークマンを持ち歩いていた。電車の中でCDごと取り替えていたら、ちょべりぐなギャルが、田舎の牛を見るような目で俺に奇異な視線を投げかけてきた。そのときに、俺は音響機器の時代が変化していることを初めて知った。テープのウオークマンでないだけ、俺の中では最先端な気分だったのだが、俺は田舎の牛だった。「も~ついていけない。」

翌年のスクーリングに行く前に、嫁をだましてMDデッキとMDウオークマンを手に入れた。そしてそれを強制的に借用し、俺は東京に持って行った。2002年といえば、「i Pod」が広くは普及しておらず、MDウオークマンは、いけてるブツだった。手のひらサイズのずた袋に入れて、MDを取替えしながら、俺は最先端音響機器を使いこなす人間としての矜持を保った。

「も~田舎の牛ではない。ハイテククローン並みの牛だ! も~泣かない!」と俺は得意気にMDを使いこなした。調子に乗って落として、帰宅後嫁に罵声を浴びせられた。「も~貸さない。」 

このように、MDウオークマンを使いこなす自分を誇っていた時期があったのだが、時代はすぐに終焉を向かえた。「i Pod」なるブツだ。

俺は最初このブツを見たときに、万歩計か、簡易血圧計か、携帯ラジオか?と思った。
学生が携帯ラジオを持ち歩いていると思った俺は、「若いの~。時代はMDやで!」と上から目線で見ていたのだが、すぐに時代が俺に教えてくれた。

つまりだ、MDの全盛時代が短すぎる! 「i Pod」なるブツを普及させるなら、最初からMDウオークマンなんかを間に挟むな!と言いたいわけだ。

DVDが普及する前にあったLDという奴のような仕打ちを、わがMDウオークマンが受けたと思うと、不憫で不憫でならない。こういう理由で、未だに「i Pod」を肯定しきれない。

もし今俺が都会に住んで、電車通勤をしていたら、真っ先に買いたくなるのかもしれないが、田舎の暮らしは車社会なので、カーステで音楽環境は充実している。だから、都会の電車通勤の人と違って、別に耳にイヤホンを突っ込まなくても音楽が聴ける。だから、なおさら、「i Pod」を購入したいという欲求にもかられない。

「i Pod」全盛だからこそ余計に、旧式のウオークマンにこだわりを持ち、愛用し続ける人がいたらかっこいい。

身だしなみばっちりのイケメンビジネスマン、もしくは、キャリアウーマンばりばりのナオンがいたとする。流行の服装に、カバン、時計、装飾品は嫌味のないブランドで、趣味のよい香水をつけて、周囲から一目おかれるような人が電車に乗っているとする。

そんな彼・彼女が、満員電車の中でカバンから、でっかいウオークマンを取り出し、カセットテープ、もしくはCDを取り替えるのだ。

これは粋だ。片耳だけの携帯ラジオを取り出すのも良い。かっこいい人が使えば、虐げられた過去のウオークマンも息吹を吹き返すだろう。周囲の価値観も変わるのだ。

「i Pod」全盛時代だが、もうちょい、過去の利器に敬意ある社会があってもよいと思う。レトロ賛美ではなく、新旧両機が、好みに応じて合い並ぶ時代が素敵だと思う

忘年会

昨日は俺の属する「食文化研究会」の忘年会だった。夕方17時30分から飲み始め、二次会カラオケに行っても、日付が変わらないうちに帰宅するという、大人の飲み会であった。

気が置けない人たちと飲むのは楽しい。話も面白いし、弾け方も心地よい。職場主催の飲み会、接待なんかの酒は、時にストレスも同席するが、酒とストレスが交じり合う場が本来の酒宴ではない。昨日はほんま楽しかった。

昨日は俺にとって、交通事故2周年記念日でもあった。「記念」という言葉は、一般的におめでたいことに使われがちだが、思い出として残す記念は、何も楽しいことばかりでなくてもよいと思う。

重たくて苦い思い出のほうが、時によく覚えているものだ。そして、その思い出が直視するに堪えないほど辛いものであればあるほど、それを抜けた日々の喜びも増していく。

過去の苦い思い出を記念して、今後のよりよい展開を祈念するためにも、個人的に「交通事故記念日」は設けておこうと思う。

さてさて、「忘年」とは言うけれど、個人的に忘れたいことがあったかといえば、今年に限らず、ずっとない。

今年は10月15日からの入院で、両目を手術するという恐怖体験もあったが、決して忘れてしまいたいとも思わない。基本的に、悲しい出来事こそ、決して忘れずに持ち越したいと思っている。

楽しい出来事だけをずっと覚えていて、悲しい出来事を忘れ去ってしまうのは、徒な懐古主義者に陥る契機となってしまうと思う。

過去にあった楽しいことの、その楽しさレベルを今、更新していかないで、楽しみのマックスが人生中ほどにあるようでは悲しい。

そのためにも、「忘年」は労苦を忘れることであってはならない気がする。労苦ほどしっかり胸に焼付け、楽しかった日々だけを翌年に流してやればいいと思う。「あの時はよかった。」という言葉だけを繰り返す日々こそ、忘年すべきである。

個人的な忘年感の論調はこれくらいにしておいて、今年の飲み会を通して気づいたことがある。

最近、スタミナが落ちたな~ということだ。飲み会といえば、オー・ナイ・ローンが基本であった俺が、今年の飲み会は親友との二人飲みの時以外は、全て日付をまたがずに帰宅している。

そして、帰宅後すぐに布団に沈没する。従来なら、仮に早く帰宅したとしても、家でもう一度飲み直していたものだが、めっきり弱くなった。30代後半で、早くも衰えてしまっていいのだろうか?

20代後半時の俺のスタミナは超人的であったと思う。特に、月1で下北沢「屋根裏」でライブしていた数年間は、ライブごとに超人的な体力を発揮した。

金曜日の仕事を終えてから、夜行バスで東京に向かう。バスの車中は翌日のライブのことを考えているので、眠れるわけがない。1時間半ごとに取られるトイレ休憩には必ず下車し、明け方5時前に、東京は、眠らない街の一つ、ブクロに降ろされる。

ビッグ・シティーに降り立った時の高揚感は凄まじいものがある。山谷、ポンギ、ザギン、歌舞伎町、ヤシブ、とにかく有名な地名と、893がいそうな場所順に、毎回テーマを決めて徘徊する。朝方5時から、少し電車は利用するものの、ほぼ歩きっぱなしで、街を散策するのだ。楽しくて、尽きることない好奇心が、寝不足を補ってくれる。楽しくて楽しくて、夢中で歩いた。

そして、12時から練習に臨み、15時入り、リハをして出番を待ち、ライブを終えた後は、お江戸の盟友「かぐらうた」御一行と飲み会に入る。さすがビッグ・シティー、朝までやっている飲み屋はたくさんある。俺たちは明け方5時までは確実に飲んだ。そして、明け方別れたあと、昼過ぎのバスの時間まで、再び散策を続けた。帰りのバスも、うとうとすることはあっても、がっつり眠ることはない。夜ではないので、車窓の眺めが俺の睡眠を邪魔するほど魅力的だからだ。

つまりだ、金曜の朝起きてから、日曜の夜に床に入るまで60時間くらい、まともな睡眠を取らずに起きているわけなのだが、それでも、月曜日からの仕事に支障はなかった。むしろ楽しい行事の後は精力的に仕事をこなしていた。

今、上記の行動を取ろうとすると、24時間目くらいで意識朦朧となり、48時間では吐血し、60時間ではお隠れするだろうと思う。

体力の衰えに一抹の寂しさはあるが、「あの頃はよかった」とは思わない。今、60時間耐久レースは出来ないが、自分のエンジン性能自体はよくなっていると思う。だらだらと体を酷使しないだけだ。負荷のかけ方が凝縮してきている気がする。

60時間起きつづけるなんてことは、神様の摂理にかなうことではない。不思議と眠くなかったとはいえ、やはり、「あの頃の俺は青かったのだろう。」今の節度ある行動と、それを支えてくれているスタミナの濃縮度合いも捨てたものではない。

体を大切に、節度ある時間内で、最大限のはっちゃけ方を27、28日の上京、ライブでしたいと思う。そして楽しき時間を過ごし、すぐに忘年したいと思う。日々楽しみは更新される。そんな日々であってほしい。

2008年12月19日金曜日

受験システムの肯定と否定

大学、高校受験ともに、受験シーズン真っ只中である。大学入試においては、推薦入試組は早くも進路が決まっている。一般受験組みは追い込み本番である。
業界で働く身としては、今までのサポートが適切であったかが、臨床的に返ってくる時期であり、身が引き締まる。

英・国(一部数学も)を指導する立場としては、最近、言語を感覚として深く捉えられていない子が多いことが気になる。言語変換機能において、かなり劣化している気がする。特に高校受験を控えた中学生に多い。

偏差値的に見て上位高校に行く子であってもだ。思考が直線的というか、一問一答的というか、機械的な答案がよく見られる。

自己の体験に限っての話だが、進学校と言われる偏差値の高い高校に進学した生徒で、高校以降の学力の伸びが高い子と、むしろ劣化する子の見分けは、進学前の段階で、かなりの自信を持って見分けられるようになっている。

高校受験までなら何とかなるが、有名大学受験においては、やはり基本は思考力である。いや、実際はそうではない部分もあるが、本来はそうあるべきだと思う。

思考力を媒介する言語に対する感覚的な理解が備わっていない子が、進学校に入ると悲劇的な結果をむかえることがある。

主観があまり入ってもいけないので、無理強いはしないが、思考力が養成されていないのに、進学校を希望する子には、むしろ、偏差値の低い高校に行くことを薦め、点数的に足りている分、学習の長期目標を、目先の高校受験にではなく、先に見据えるように指導している。

詰め込み学習を否定しているのではない。ただ現時点で、思考するための道具としての詰め込みを出来る子と、出来ない子がいるのが現状だ。そこに頭の良し悪しがあるとは思うのだが、単に十代の数年間で頭の良し悪しを測れるわけではない。その子の今後に向けて、その子に適した養成プランがあってしかるべきだと思うだけだ。目先の名誉的な進学にこだわってはならないと思う。

思考力が備わっているかを見分ける尺度はたくさんあり、それらは複合的であるが、一部分だけを取り出して、わかりやすい例で言う。

英作文において町を紹介する場面で、「自然が豊かである。」といった表現が必要になった時があるとする。 (natureとrichは、信じられない話だが、一部教科書では未習単語であり、ご丁寧に県立高校受験においては、注釈がつくご時勢だ。)

これを、”The nature is rich.” と 表現する子が、上位校進学者に多いのだ。確かに、未習単語2語を知識として持っている分には秀でているのだが、言語をその主旨に沿って読みとって伝えようとする思考の果てが、”The nature is rich.” なわけがない。つまり何もわかっていない。一問一答式なのである。

“There are a lot of mountains in my town. “といったような表現を出来る子は、その時点での語彙数が少なかったり、粗い解答が目立っていたりしたとしても、その後伸びる。

「自然=nature」、「豊か=rich」としか変換できない子と、「自然が豊かである。」という意味合いを、「山がたくさんある」と、知っている語句で表現できる子の差は大きい。
単語をそのまま変換するだけならば、翻訳ソフトを使えばよい。英語であれ何語であれ、言葉は、使われる場面で、いかに正確にその場に応じた状況、個人の思考を伝えられるかが、真っ先に問われるべき資質であると思う。

だが、残念ながら、単語同士の変換しか出来ない子でも、知識量が一時的に秀でていれば受験はクリアしてしまう。本来の学力というものが、どうして求められていて、どのようにそれをテストで試すのかの本質を考えた時、受験システムの虚しさを感じずにはおれない。

「なぜ勉強しなければならないか。」という問いは、子供がほとんど抱く、恐らく初めての哲学的な問いである。

その答えを色んな尺度で大人は用意する。「良い大学に入って豊かな生活をするためよ。」といった安っぽい答えもあれば、「あらゆる可能性が子供にはあるのだから、選択肢を広げるためだよ。」といった、少し気の利いた答えもある。

俺は、勉強の本質は、「人生における種々の問題解決能力を養うためだ。」と思っている。ただ、この意味は子供にはわからないから、「何でかわからんかったら、勉強してわかるようになって、あんたがあんたの基準で受験システムを変えられる身分になれるようになって。」と言うようにしている。そしてその後に、「そうなったら、俺を雇って!」というようにしている。(後者は完全なる俺の媚だ。これは人生問題解決能力に秀でた俺ならではの、保険である。人格的な臆病さと強かさは、ここではふれない。)

そして、そのため、「今は何も言わんと、ひたすら苦しめ! 」と鉄拳をあびせながら、詰め込みと言語変換能力養成をバランスよく散りばめて指導している。

受験システム自体はくだらないと思っている。だが、子供たちにとって、問題解決能力を養うには絶好の機会だとも思う。受験科目の勉強以外、別に機会がある方はそっちを利用すればよいと思う。

受験システムを否定すればするほど、肯定部分も出てくる、矛盾だらけである。
そしてそれは世の中の縮図でもある。子供たちに世の中の矛盾を仮想体験させるためには良い機会だと思う。十分な思考を持って、変な関門を渡って欲しい。

2008年12月18日木曜日

鮟鱇

まずはライブ告知から。

12/28(日) チープハンズ @京都 拾得 http://www2.odn.ne.jp/jittoku/
『CHIANS主催 ONESTEP BEYOND’08冬』に出させてもらいます。対バン: CHAINS 、エンヂン(from 浜松) 17:30開場/18:30開演 当日のみ¥1,000-

うちらは、1番目、18時30分に登場します。いつもより早い出番となりますが、万障繰り合わせの上、是非是非ご来場ください。

4人の正規メンバーでのライブは、4、5年ぶりとなりますが、前泊練習でかっちり仕上げて臨みます。結成当初の曲から、定番曲、そして新曲もやります。明君のブランクが心配ですが、彼の動物的な感覚は4時間練習で蘇ると思っています。

20代の時に、7年連続だったと思いますが、毎年、年末対バンをしていたCHAINSと一緒に、チープハンズ久々の復活ライブを出来るのは幸せの極みですな。ちゃんとやります。仲良しムードはライブ後、それまでは、ガチンコタイマン気分で、突っ走ります。エンヂン(from 浜松)も個人的には初めてですが楽しみです。
ライブ前は、ゴルゴ並みに気が張っていますので、俺の背後に立たないでください(笑)

どうかよろしくお願いします。

《話題転換》

昨夜は、以前勤めていた会社の社長に、鮟鱇鍋をごちそうになった。鮟鱇だけでなく、カニや、刺身、白子の昆布〆なんかもたらふく食べて、大満足の師走日和だった。

鮟鱇を食べたのは初めてではないが、昨日ほどたっぷり食べたのは初めてだ。
骨にしゃぶりついて、ぷりぷり感を存分に味わった。豚足並みのコラーゲンがあるのだろう。ご一緒だった社長夫人も、美容のためにと、熱心に食べておられた。

鮟鱇はぶさいくな魚である。魚の世界では、虐げられた存在だろうと思う。

鮫と鯨が、魚世界の格闘技者であり、鰤や鰹が、官僚、もしくは大企業の社長といった感じか。鰺は一般的なイケメンであり、鯖は濃い目の人、鰯はいじめられっこ、細魚はアーチストであろう。そこに、烏賊、蛸の個性派がいる。

西の河豚、東の鮟鱇という言葉があるが、両魚はぶさいく番付の東西横綱である。

西のぶさいく代表格は河豚であるが、あいつらはすぐにすねる。ほっぺをプッと膨らませ、鋭い歯ですぐに噛み付く。凶暴ものだ。人生観の偏ったテロリストだ。

釣りをしていて、河豚に食いつかれたら面倒くさい。すぐに糸を噛み切るから、針を奥深くまで飲み込んでしまうので、奴らが多い現場では、仕掛けがすぐにだめになる。

おまけに捕らえられて食されようかという時になっても、奴らのテロリスト根性は徹底している。毒を撒く。今までに何人を殺めたことか。

その点、同じぶさいく系列でも鮟鱇は偉い。海底深く、人目を避けて生息し、自らのぶさいくぶりをしっかり理解している。せつなくもあるが、ハイレグ熱帯美魚に手を出すわけでもなく、自らの立場をわきまえている。

おまけに、人間に食される時でも、決して毒を吐かない。

鮟鱇は、身、皮、肝、ヒレ、エラ、卵巣、胃と、捨てるところがないといわれる魚だ。普段はひっそりと身を潜め、捕らえられたらわが身を全て供する鮟鱇の気概に俺は惚れた。

昨日、全部位を食した。皮と卵巣と肝が抜群に美味かった。

鮟鱇みたいなライブをしよう! 鮟鱇みたいなバンドであろう! 身を潜めているようでいて、全身を供する覚悟もあり、見た目はグロテスクでも美味で滋養も供する存在。

鮟鱇を食しながら、かくありたい!と思った夕べであった。

チープハンズ久々のライブは、「鮟鱇」をテーマにしたいと思っている。食ってもらえるように、肝を据えて臨みたい。

免許更新

今日は免許更新に行ってきた。

俺は過去5年間に2回の交通違反があったので、残念ながら、2時間講習の半日拘束であった。

前回の更新時の記憶と比べて、何も変わっていなかった。コンピューター時代の本格化により、事務処理は病院などでは、かなり迅速化されているのだが、平日にも関わらず、愚鈍な事務処理が目に付いた。

任意で払う、交通安全協会の窓口への誘導であったが、昔ほどのいびつな誘導はなくなっていたものの、印紙を払う窓口担当が、交通安全協会の窓口番号を言って、「4番にお進みください」と言うのは、何だか悲しくもあった。

交通安全協会の窓口で、俺は金を払ったが、窓口職員自体が、なんだか申し訳なさそうな態度であり、払う側も気が滅入った。

払わそうと必死に誘導しながらも、払う段になったら申し訳なさそうということは、基本的に、この団体の存在意義自体が怪しいと思う。

反射ベストを作ったり、啓蒙活動をしたり、色々しているみたいだが、天下りの巣窟である実態に変わりはないだろう。

何に違和感があるかといえば、正規の免許更新印紙を払う窓口の職員人数より、交通安全協会の窓口人数の方が多かったことだ。パートのおばちゃんの寄せ集めみたいであったが、人員配置は明らかにおかしいと思った。

免許更新のための講習部屋に行った。

講習教官は、癖のある人だった。身振りが手話かと思うほど大仰で、声の抑揚は歌舞伎みたいであり、自己アピールの強い初老のおやっさんだった。

俺は、本音を申せば、はっきりいって免許を更新するために、仕方なくクリアすべき登竜門であり、何の意欲もなかったのであるが、教官が、やたらハイテンションで講義するので、それなりに敬意を表して聞いていた。

お決まりのビデオを見さされたが、交通事故を一昨年にした身としては、忘れかけた緊張を取り戻す瞬間でもあり、改めて交通事故の恐怖に対して思いを巡らせ、厳かな時間を過ごした。

免許更新は、希薄になった安全意識を再確認してくれる、いい機会だとも思いながら、癖のある教官の、決して心地よくはない講義に耳を傾けていた。

周りを見渡すと、ビデオを見ている最中に寝ている奴や、携帯が鳴り出す奴や、瞑想にふけっているやつばかりであり、正直残念であったが、「こんなもんやろ?」と思っていた。

今日の教官は、運転手の気の緩みを許さなかった。寝ている奴に、「あなたには免許は渡せません。眠たいならどうぞ寝てください。でも免許の更新は、明日以降にしてください。」と毅然とした態度で言い、彼を追い出した。

正直、教官の講義は自己アピールが強すぎて、鬱陶しくもあり、嫌悪を抱いた部分もあったが、俺は当たり前のマナーとして、彼の目を見て講義を聞いた。だが、ほとんどの奴はひじをついて、やる気のない空気である。

少し教官に同情する気持ちもあり、俺は、いい加減な態度で講習に臨んでいる奴に腹がたった。

免許更新の講義をする人たちというのは、警察業界の、世間一般的な出世ルートからみたら、かなり外れた人であると思う。左遷か天下り、もしくは登竜門的な部署だと思う。

そらそうだろう。毎日同じ説明を繰り返し講義する労力にも関わらず、敬意のない冷めた視線が彼らに突き刺さるのである。モチベーションが強く要求される現場である。

個人的な意見だが、今日の講師を俺は好きではない。だが、彼の講義ぶりは、決してルーティンワークではなかった。そこに敬服した。

毎日、ほとんどの人間が、たいして高い興味を示さない現場で、交通事故撲滅を真面目に願い、その願望、信念に基づき、熱意のベクトルを下げない教官の熱い気持ちには、人間として一目を置かないわけにはいかない。

警察世界の出世ルートからは外れた人であると思うが、安全マナーに対して強く自己の正義感を持たれた彼を素晴らしいと思った。日本男児だ。

教官に限らず、毎日同じような内容の仕事を、温度差を変えずにできる人の、人間的な清さ、純朴さ、そして強さを見習いたいと、本気で思った更新日だった。

3年間のスパンで、免許更新を許可された。もう1度、安全運転について、真面目に向き合いたいと思った。

2008年12月16日火曜日

幼稚度投票

連日叩かれている、わが国のボス、麻生さんであるが、今朝のスポーツ新聞に載っていた事件は、あまりにしょぼくて苦笑した。

ボールペンのキャップを咥えている麻生さんに、誰かが、「総理、キャップを咥えるのはやめたほうがよい。」と言ったらしい。そして、その後には、ボールペンキャップには、有害物質があるから、健康被害がある旨まで含めて釘を刺したらしいのだ。

たかがボールペンキャップを咥えているだけのことを、総理が推進している健康対策へあてつけて注意する奴の、意地悪さというか、性根の邪悪さというのは、実に情けない。
大事な時間を何に使っているのだろうか?

思うに、高学歴の政治家様は、幼少時の過ごし方を間違っていた哀れな奴ではないかと思う。 幼稚な冷やかしは誰もが経験するが、それを相克していって、あほらしいことには見向きもしなくなるのが、大人への過程だ。

仮に、幼児性を持ち越して育ったとしても、大人はTPOをわきまえる。少なくとも会議の場で、その幼児性が露見されることはないだろう。

然るべきときに然るべき幼稚さを経験せずに大人になった奴が、多くいるのが、政治の場であり、財界であると思う。会議中にボールペンキャップを咥えていることくらいでツッコミをいれる社会人は、一般の社会にはほとんど存在しない稀有な存在だと思う。

ところが、国会では麻生氏へのツッコミに関して爆笑が起こり、何回かの嫌味をこめた答弁の応酬があったというから、実にしょぼい。

一方、ツッコミを入れられる麻生氏も麻生氏だ。大の大人がキャップを咥えるな!

俺の知り合いのお子様が、小学生に入るときになっても、指しゃぶりを止められずにいた。お母さんが、「あんた、いい加減指しゃぶりやめなさい。今度咥えたら、お菓子買ってあげないわよ!」と脅したらしい。

するとその子供は、しばらくは堪えていたみたいだが、ついに辛抱できなくなって、「あ~~~~しゃぶりて~~~~!」と大声をあげながら泣き出したらしい。

お母さんは、「もっと小さいときに母乳に限らず、乳ををしっかりあげておけばよかったのかも?」と後悔しておられた。俺は、子育ては奥が深いと思ったものだ。

ひょっとして、麻生氏が未だにキャップを咥えたくなるのは、幼少時にお手伝いさん任せの子育てがなされてきた、良家ご子息ならではの、悲哀の表れではないかと思う。

漢字の読み方間違いも指摘されたりして散々の麻生氏、いっそのこと、「キャップしゃぶりて~~~!」と、悲鳴に似た答弁をかえしたら、世の中のママ連中に人気が出ると思うのだが・・・。「かわいそうに~。」同情票だ。

アメリカでも面白いことがあったらしい。

ブッシュさんに取材記者が、靴を投げつけたというのだ。投げつけた記者の国では、靴を投げつけることは、最高級の侮辱であるらしく、一発目が外れた記者は、もう片方の靴も投げつけたらしい。

二流以下の実力とはいえ、スポーツ経験者のブッシュさんは、2つとも靴を上手くよけてみせ、その後にブラック・ジョークで応えたらしい。

投げつける記者も記者やし、投げつけられるぐらいの脳天気な政策、演説しかしないブッシュさんもブッシュさんだ。大人が靴なげつけられる機会って、限りなくゼロに近いと思うのだが・・・。

まったく、日米のトップの大人は何をやっているのだか・・・。

教育改革と言っているが、1番改革しないといけないのは、政治家の幼児性だ。平気で人をだます。ネコババする。揚げ足を取る。誹謗中傷する、される。

奴らが行う大人の行動といえば、セクハラーと乱だ。エロおやじ何匹かと、乱に弱い乱好き者1匹とが、色々洞ヶ峠で日和見している。

まともな政治家がおられるだけに、彼らの苦悩といったら計り知れないだろう。毎日、保育所のガキみたいな奴らに、大人言葉で諭さなくてはならないのだから、非常に難易度が高いと思う。優秀な政治家が、幼児に囲まれて、やたらと際立つ現況だ。

選挙の際に、各政治家の幼稚度も10段階評価で記入させ、8以上の幼稚さを持った政治家は、当選後に2年間の小学校通いをさせたらどうだろう? 小学校の先生方は、良くない行動をする子供に対して、「~ちゃん、そんなことしていたら、このおじちゃんみたいになるよ!」と説教する。 子供はすぐに成長するだろう。
そして、成長した子供が、おじちゃんである政治家に言う。

「太郎君、キャップくわえたらいけないんだよ! 辛抱しようね。」
「紘一君、すぐに和を乱したらだめだよ。君は勘違いが過ぎる。」
「拓君、女の子のスカートめくったらだめです。 それから、目で人を犯さない!」
(注:フィクションです。) 

といった風に諭してくれるだろう。

無事に小学校を出ることが出来た政治家は、晴れて当選の権利を手にして国政に参加する。彼らにとって貴重な2年間になるだろう。少なくとも、冒頭のような対話が国政の場面でなされることはないと思う。

2008年12月15日月曜日

金時の思い出

いつから加賀野菜の一種として有名になったのかは知らないが、少なくとも俺は最近このブランドを知った。「五郎島金時」というサツマイモだ。

味覚に長けた人間ではないが、「五郎島金時」は本気で美味い。甘過ぎず、食感も抜群で、他のサツマイモと比べると格段に美味い。変に黄色くならず、薄味だが味わい深い。わが家では箱買いして、毎日食卓に並んでいる。晩酌のお供にもして、毎日食している。

「金時」という言葉は多義だ。色んな意味がある。

金太郎が大きくなった時の名前、小豆を煮たもの、餡入りのかき氷、そしてサツマイモだ。
また、「金時の火事見舞い」ということわざでの「金時」は、「顔が赤いことのたとえ」として用いられていて、非常に用例が広い言葉だ。

「サツマイモ」と聞くと、「屁」を連想する。だから俺の中での金太郎さんは、とにかく屁こきのイメージがある。金太郎のモデルとなった坂田金時さんもいい迷惑だろう。

確かに、むかしよく、ふかしいもを家族で食べた後には、色んなところで発射音が聞こえたものだ。誰かが体を斜めに傾けて、尻を浮かせると発射の合図だ。だが、そんなに不快なにおいではなかった気がする。おやじだけは特殊な臭いを発していたが、別の要因だろう。サツマイモに罪はない気がする。

焼き肉後の臭いが腐臭で、鼻が取れそうなのに対して、サツマイモ爆弾は、どこか香ばしい。臭くなりきる前の靴下のにおいというか、どこか愛嬌があった気がする。

とにかく屁と結びつくサツマイモであるが、「五郎島金時」を毎日食しているにも関わらず、不思議とそれが原因と思われる屁が出ない。慢性屁こき症候群の俺にとっては、むしろ回数が減ったような気すらする。匂いもマイルドだ。

昔に、サツマイモは皮ごと食べれば、屁に直結しないと聞いたことがある。「五郎島金時」は皮ごと食べる。皮がまた美味い。そのおかげだろうか、とにかく俺だけではなく、家族一同、屁の副作用は出ていないようだ。

サツマイモに関しては、昔、社会の先生が雑談で話しておられたのを覚えている。その先生は、とにかく好物がサツマイモであった。屁臭はしなかったが、ぼちぼちマイルドな芋臭がした先生だった。俺はこの先生が好きだった。

「サツマイモ」は「薩摩芋」だ。だが、もともとは琉球に伝わったものだったらしい。それが、薩摩藩の琉球攻撃の結果、薩摩地方で広まり、やがて青木昆陽君が、関東地方に広めて、現在の素地を作ったとされている。それが「サツマイモ」の歴史だ! そして、昆陽君は手柄を歴史的に横取りしただけで、本当は島津君の攻撃が全国普及の端緒だったのだよ!と やけに熱くサツマイモ談義をしておられた記憶がある。

不謹慎だが、その先生は十二指腸かなんかの患いで逝去されたと後に聞いた。サツマイモと縁があったようななかったような、ご冥福を祈りながらも、そのサツマイモ談義時の熱さを思い出すと、何だか心の中に芳しい臭いがする。サツマイモと聞くとすぐに思い出す、俺にとっての名物先生だ。一緒に芋ほりや、牧場にも行った思いでがあり、「五郎島金時」を食べながら、じ~んときた。

「サツマイモ」が「金時」と呼ばれるようになった由来は何なのだろうか? それらしきキーワードでネットを今からあたってみたいと思う。

今風にいえば、サツマイモに「はまっている」のだが、昨日は弁当箱を開けたら、「五郎島金時」の固まりが、どかんと鎮座していた。おかずの入れ物に鎮座するふた切れの金時が、弁当箱の7割を占めていた。オムレツが金時で潰されて、卵焼きみたいになっていた。

大好きな金時であるが、あまり大きな存在感は欲していない。さりげなく、おやつとして、芳しき香りを出す食物繊維の固まりとして、そして恩師の思い出として存在してくれたらよい。

2008年12月14日日曜日

日曜ダイカー

俺は図画・工作が苦手だ。物を壊すことにかけてはプロフェッサー級であるが、修理することにかけてはビギナーもビギナー、ほんとできない。

ホーム・センターには、D・I・Y(Do it yourself)の文字があるが、「自分でしろ!」と命令されても不愉快なだけである。

そう思いながらも、日曜大工の出来るパパへの憧れがあり、いつかは機会があればやってやろうじゃないの!と万年思っている。

チャンスがあった。今年の春に、わが職場内の壁に穴を開けてしまい、修理が必要になった。だが、いつか修理しなければならないと思いながらそのままにすること半年・・・。

先月の末に重い腰をあげて修理を試みた。ホーム・センターに行って、何か売っているだろうと思ったのだが、売ってはいるのだが、何を買って、どのようにすればよいか全くわからない。

「壁の穴埋めに!」といったポップにつられ、パテを大量に買い込んだ。開いた穴の中に大量のパテを流し込んで、こてこてに固めたら何とかなると思っていた。

職場に戻り、穴埋め作業に取り掛かる。1分で挫折した。壁自体は数センチであり、その奥の板までが空洞になっていた。空洞だらけのところにパテを流し込んで固めるためには、パテがどれだけいるのか、途方にくれた。「パテって生コン流し込むみたいにして使うものかいな? いや違う!」と、さすがの俺も気がついた。

大量に買ったパテが早くも無駄になり凹む。人生でこれだけのパテを今後使うことはないだろう。どうしよう?と思いながら、捨てるのももったいないし、とりあえず壁の穴めがけてパテを流し込んだ。壁下に邪悪な堆積物ができただけだった。むなしい・・・。

開いた穴に何か壁みたいになるものをはめこんで、それにパテを塗ったらどうだろう?と俺は考えた。創意工夫というやつだ。凄いぞ俺!

ダンボールを切って、壁にはめた。はめようにも、奥支えとなるものがないので、奥の板から表面までの厚みになるようにダンボールを重ねて、強引にはめこんだ。

はめこんだ後、壁を少し離れたところから見てみた。 それは「なめとんか!」といった映像であり、己の加工能力の拙さに凹んだ。おまけに、はめこんだダンボールは、「ふっ!」と吹いただけで下に落ちた。完敗だ・・・。

「ほうるもん」ドラムの大将、タカに助けを求めた。彼は図画・工作能力に長けている。

彼は現場を見て、すぐに必要な材料、工具がわかったようだ。どこをどのようにして加工すれば壁が修復されるのかをわかる能力、すばらしいと思う。

どうやら、石膏でできたボードが市販されていて、その数百円程度のボードを買ってきて、壁穴に固定してから、壁紙クロスを貼り付けるらしい。俺の発想も悪くはない気がするのだが、どう考えても、ホーム・センターで石膏ボードなるブツを見ても、それが今回の修復に必要だとは思えない俺のおつむにも乾杯! いや、完敗だ。

今日、修理をしてもらった。手際よく進み、2時間ほどで終わった。材料費もたいしてかからなかったらしい。少なくとも、俺が無駄に流し込んだパテ代よりは安くついたみたいだ。

もうや~めた。D・I・Yは、俺には向いていない。高くつく。

人には適正がある。今度からは彼を俺御用達の日曜ダイカーとして動いてもらえるように、彼を仕向ける労力にエナジーを使いたいと思う。彼が手伝いと思えるだけの策略を練り、仕向けること、これも一つの図画・工作だ。

タカ、ありがとう。今日からあなたは俺の日曜ダイカーだ。代価は払う。よろぴく。

麻雀後記

麻雀を昨日19時頃からしていて、今帰宅した。半チャン8回で、諭吉君2人分勝った。

昔の博徒ばりばりの俺と違い、今はおとなしいレートで博打っているのだが、今日はほんまついていた。トップ6回、2着1回、どべ1回の戦績は、俺の牌人生でも初めてではなかろうか? 

昔の俺は、ポン、カン命で、ドラ頼みの麻雀だったが、今日はちょっと違っていた。ドラには恵まれないながらも、めんたんぴん3色を数回上がり、リーチ後のツモも1発が多かった。

何よりの成長は、自分に運気がない時に、辛抱しておりることができるようになったことだ。

以前の俺は、相手が倍マンはってようが、自分の1役の手のテンパイに命をかけたものだ。タコ×10の阿呆麻雀であったが、最近は人並みの手作りが出来るようになってきた。

だいぶ成長したということだろう。勢い一発、絶対おりない強気麻雀をしていた時代もあったが、実に今は上手い麻雀をしている。

だが、一抹の寂しさもある。後先考えずに、常に特攻隊していた日々を、俺自身が抜けたような気がして、それは実に健全で、年相応なことなのだが、自分のアイデンティティーの座標が少し変わってきた気もして複雑だ。

これを複雑と思うこと自体が、まだまだ俺はどこかずれているのかもしれないが、社会通念とずれている自分を肯定はしないが、それだからこそ味わえる魂の強烈な振れ幅があったような気がする。

なんだか、すっかり大人になってしまった気がして、麻雀を通して凹む俺がいた。

年齢的には、どこを切り取っても大人なのだが、保守的な精神が、日々の思考、嗜好、志向、施行、全てを支配するような大人にはなりたくないと常日頃思っている。

だからといって、何でもかんでも無計画に無恥義理するつもりはないが、恥を知った上で、義理を果たした上で、感情のメーターがしっかり振れていなければ、生きているような気がしない。それが衰えることは、自分の人生での敗戦処理過程になるような気がしている。

社会的通年の落ち着きの象徴として、今日の俺の麻雀の打ちかたがあるならば、とてもじゃないが自己肯定はしたくない。

麻雀を比喩材料にして、何を大げさに述べているのだろうか・・・。

なんかね~、色んな意味で成長しているとは思うのだ。だが、その成長が、自分の潜在的なプラス面を削っての成長だったら悲しいな~と思うのだ。

プラス面はマイナス面を内包しているものだ。だが、マイナスを改善したら、プラスの馬力自体が減るのでは、だめじゃないか!という警報が常に頭の中で鳴っている気がする。

2008年12月12日金曜日

「融通」のきかない「変」

今日、「融通」を定義としてどう書かれているか調べたのだが、新たな発見があった。
俺の使っている昭和中期発行の辞書で引いたのだが、「ゆうづう」で調べたら載っていない。
そんな特殊な言葉でもあるまいし、1番掲載語句が少ない辞書でも載っている言葉のはずだ。

不思議に思いながら、念のため「ゆうずう」で引いたら、ちゃんと載っていた。

「通」という漢字の音読みは「つう」だ。だから、「融通」は「ゆうづう」だとばかり思っていたのだが、辞書には「ゆうずう」でしか出てこない。

不思議に思って、今ネットで「融通」と入力したのだが、「ず」か「づ」の違いについて言及されているページを発見できなかった。念のためもう1度調べてみたいが、絶対「づ」であるべきだと思う。

ネットで調べる時に、「ゆうづう」、「ゆうずう」の両者で変換をしたのだが、どちらでも「融通」が1番目に出た。どっちでもいいの?と、何かいいかげんな気持ち悪さを感じた。

辞書でもう1度調べる。

「融通」:(名)スル〔古くは「ゆずう」とも〕(1)金などをやりくりして貸し借りすること。「金を―してもらう」(2)その場その場で適切な処置をとること。「―がきかない」(3)とどこおりなく通ずること。 とある。

意味はいいとして、手がかりがあった。〔古くは「ゆずう」とも〕という部分だ。

「ゆずう」を調べてみる。すると「融通(ゆうずう)に同じ」とある。肩透かしをくらった気分だ。

とにかく、「融通」は昔、「ゆずう」と言われていたので、「融通」は「ゆうずう」と「ず」表記なのであろう。

でも冷静に考えてみると、「ゆずう」を漢字表記にするために、あてはめる漢字を考えた奴のミスではないか?と思う。

「融通」という漢字表記自体には仏教的ないわれも多くありそうだし、これから調べるが、字義はどうあれ、音であてはめた漢字が、「ずう」ではなく、「づう」と表記されるべきところを、間違えたのではないか?と思った。

そして、パソコン変換プログラムをする人の中で、その矛盾に気づいた(「気ずいた」ではない)人がいて、変換規則を「ず」、「づ」両方で登録したのだと思う。

すごく乱暴な予想だが、「融通」のひらがな表記は、実に「変」である。

俺は勝ち誇ったような気分になって、「へ! 漢語学者もしょぼいの~。」と思っていたのだが、その後、素朴な疑問がわいた。

「ゆうず」という言葉に漢字をあてはめる時に、「ず」という音を仏教用語としての意味合いに合うもので、あてはめようとしても、「ず」という漢字は、「図」、「頭」、「厨」、「豆」ぐらいしかないような気がする。

そのため、意味を優先して、本来「つう」である「通」を仕方なくあてはめたのかもしれない。漢語学者なりに苦悩した果ての「融通」なのかもしれない。

だから、「融通」の「通」は、音読みではなく、訓読みかもしれない。

漢字に対する深い造詣もないままに、こんなところが気になる俺は、少し「変」かもしれない。

今年の漢字は「変」だそうだ。種々の変化があった年、そして来年には良い方向に変化して欲しいという意味を込めての選定らしいが、1年を表す漢字が「変」というのは変である。変である俺が言うのだから、二重に変だ。

漢字は面白い。そして、変だ。

2008年12月11日木曜日

アンラッキー・バースデイ・トゥー・ミー

今日は拙者のバースデイである。丸37年生きて、38年目に突入する。

子供の時の誕生日は大イベントだったが、おっさん歴が長くなるにつれ、特別な節目、祝うべき日という感慨はなくなっている。

お祝いすべき日というよりは、よくもまあ、今日まで無事に生かされてきたものだと、見えない神様にただただ感謝するだけの節目日である。神様、38年目もよろぴく!

生かされている感謝をすべき大人の誕生日であるが、俺自身の節目日は、どういうわけか縁起が悪いというか、何かが起こることが多い。

以前にも書いたかもしれないが、20歳の誕生日には、ヤクザのベンツに原チャリで突っ込み申しあげたし、30歳の誕生日には100キロのコンクリートが2メートル以上の高さから太ももに落下した。両者ともに軽い打撲で事なきを得ているのだが・・。なんで?

それ以外ににも、富山に来た最初の冬(25歳)に、吹雪で前が見えなくなり、健康ランドの駐車場脇にある用水に車ごと突っ込み申し上げたのも誕生日だ。なかなかのめぐり合わせだ。

単なる365分の1であるから、別に気にはしていないのだが、20歳、25歳、30歳とくらっているので、今度の40歳は少し気にすると思う。そういえば、35歳の誕生日も気にしていたと思う。

5、10年以外は大丈夫だとは思いつつも、それなりに無事に過ぎるように意識はしている。

今日は、夕方からすごい風と雷雨があった。校舎前で雨を避けながら一服していると、自動販売機の空き缶入れのふたが俺めがけて飛んできた。軽くごっつんこしたくらいで済んだが、何となく不吉であった。

帰りに飲酒検問された。何となく不愉快であった。

家に帰った。我が家の車の1台がない。車検か何かかと思って、2階に上がり嫁に聞くと、「おかんが事故った。」とのことだった。

幸いにして両者共に軽症だったみたいだが、おかんの過失が高い事故だったらしい。直進車と右折車の事故で、おかんは右折車だったらしい。

またまた幸いにして、被害者の方もいい方で、保険会社の方もいい方で、事後処理はスムーズにいきそうだが、おかんは精神的にまいっているみたいだ。

正面衝突の事故を経験した俺からすれば、屁~みたいな事故であるが、おかんが凹む気持ちはよくわかる。車に乗りたくないという気持ちも、少しはわかる。今は時間の経過による心的回復を願うばかりだ。

不吉とはいえ、おかんの事故であり、彼女の体も無事であったので、俺の持って生まれた誕生日絡みの不吉さに起因するものではないと思っていたのだが、事故った現場を聞くと、どうもおかんが普段行動する範囲ではない。

聞いてみると、俺のビールを買いに、安売り量販店に行った帰りだそうだ。俺のビールがおかんの事故を誘発???? 何だか関連あるようなないような、でもちょっと不気味だ。

不気味な原因を作ったビールが悪い。奴等の泡を飲み干して、おかんの心を慰めてあげようと思って、今ゴクゴク飲み干している。美味い。

色々不吉なことも起こるが、ともかく37年は生きた。38年目も全力で驀進するのみだ。

生きた実感を持った日々の積み重ねが本当の年齢だ。ただ暦を過ごせばいいものではない。物理的な年齢に満足するほど俺はアホじゃない。節目に起こる不吉な出来事は、日々の濃度の大切さを教えてくれているような気がする。他に教え方があるような気もするが・・・。

38歳という年齢は、なんともしょぼい。若くもなく老いでもない。色々迷いも多い年頃ではあるが、不惑の40に向けてあと2年、実りある助走にしたいと思っている。

嫁に買ってもらったモンブランケーキをビールで流しこみながら、日付をまたいだ。

2008年12月10日水曜日

学校部活を外部へシフト!

今日のニュースでこんなのがあった。

「東京都内の公立中学校約640校で行われている部活動のうち、運動部を中心に毎年200部以上が、顧問の教諭の異動など学校側の事情が理由で休部や廃部していることが、都教育委員会の初めての調査でわかった。」

このニュースは東京だけでなく、俺の住む県でも確かな傾向だと思う。仮に部があったとしても、休眠に近いような状態のものもある。

ちょっとした怪我や体罰やらで、ギャーギャーとクレームをつけられたら、誰も顧問にはなりたがらないだろう。まして今の若いサラリーマン先生が、割の合わない部活顧問になるわけがない。昔は校長に依頼されたら意気に感じてなっていたみたいだが、今ははっきりと意思表示して断る力だけは欧米化している。顧問がいなければ、部活減少の傾向は仕方ないだろう。

自分の高校時代、野球部監督に対して、俺たち部員は、「あのおっさん、卒リン(注:卒業時にリンチを加えること)したらなあかんな~。」とか、むちゃくちゃ陰口を言っていたものだ。

今考えると申し訳ない。朝7時からの朝練、夕方は20時くらいまで練習、日曜、祝祭日は遠征で試合に出かける。その時に必ず監督がいたわけだから、監督にとっては年中ほぼ休み無しに近い生活だったわけである。

たまに機嫌が悪い時は、理不尽にベース・ランニングを罰として科せられたこともあったが、今から思えば、それくらいは人間だから仕方ないかなと思う。身を削って指導してくださっていたことに対する、ありがたさが今更になってわかる。

ただ、この監督は自らも野球一筋でこられた方だったので、趣味とわずかな手当てという実益を兼ねたものであったのかもしれない。好きでないと続かない。

ところが、多くの顧問は、決してその道の専門ではない。むしろ、やったこともない競技の部活顧問になる人の方が多いと思う。

野球部にもコーチが2人いたが、その1人はひどく野球が下手だった。補欠も補欠、ベンチ入りすら出来ないくらいのレベルであった。当然、生徒もそのコーチに対して敬意を持たない。「お前のほうが練習しろ!」とか、「あいつがノックしたら、練習ならん」とか、むちゃくちゃ言っていた。

休みは削られるは、生徒から蔑まれるは、そのコーチにしたら、部活顧問は苦行以外の何ものでもなかっただろう。それでも引き受けていたのは、お上の命令に良くも悪くも従う風潮があったからだ。

それが崩れてきた今、競技人口の少ないスポーツや、柔道などの危険がある競技の指導者が不足しているのは、仕方ない。

だが、指導者が不足しているといっても、それは教員内だけでの話だ。公立高校が教員内だけで顧問を充当させようとするから無理なのであって、外部からの指導者を招へいすればいい話だ。

フランスなんかでは、部活自体が学校にはないらしい。課外活動は月謝を払って各自が参加するものであるという考えが根底にあるらしい。教員にしても、学習指導以外に拘束されるなんていうことは、考えられないことらしい。(『知に働けば蔵が建つ』内田樹 文春文庫やったかな?より)

このフランス人的気質がいいか悪いかは別として、日本人特有の意気に感じれば損得を度外視する性質が変わりつつある今、フランスみたいに部活動自体を外部へ本格的にシフトするのもありかとは思う。

サッカーにおいては、全国にクラブチームがたくさん出来ているし、この先、色んな競技の経験者が指導者となり、クラブチームを作るならば、新たな雇用の創出にもなる。学校側も、無理やり部活参加を義務付けておきながら、受け皿の部活数が少ないという自己矛盾に悩まなくても良い。

クラブチームが資金的に自営できるまでの補助システムを自治体で作ってあげればよい。
高校野球甲子園は、各都道府県のクラブチーム選手権になる。高校野球ファンは表面的な変化を敬遠するかもしれないが、今でも実質的にはクラブチーム化している常連校が多いのだから、いいと思う。

練習場所、設備なんかのハードは学校が協力すればよい。全国の学校の部活が商圏になるのだから、各チームの月謝も安くて済む。体育系だけではない。文科系も対象だ。たまたま先生方で希望する人がいれば、きっちり報酬をクラブチームからあげればよい。アルバイトを禁止されている公務員であるが、名目のつけ方は小賢しい役人がなんとかするだろう。法の隙間をついてくれるだろう。

学校は本来勉強以外のことも学ぶべきところだ。そのために部活を義務付けてきた従来の理念は正しいと思う。ただ、是非は知らないが、変わってきた。

サッカーをクラブチームで熱心にしていて、将来有望な子にとっては、学校の弱小部活に強制参加させられることが迷惑になる現況もある。

今の時代にそった形態は、やはりフランスみたいな外部委託、クラブチームが部活機能を満たす環境だと思う。個人的にはこの傾向自体を肯定はしたくないが・・・。

2008年12月9日火曜日

目がかゆいんだ

痒い、かゆい、カユイ、KAYUI・・・、夜中に目をぐりんぐりんかきまくって、
イッテ~~!itchy と目を覚ます。・・・・。 とにかく目がかゆい。

先週末の定期健診では、手術後の炎症は治まり、「あとは来春の視野検査までここには来なくてよいから、月に1回だけ最寄りの眼科で眼圧検査を受けなさい。」とのことだった。そして、「目薬も今のがなくなったら、特に点さなくてもよい」と言われたのだが、目の痒みがとまらない。

おまけに眼精疲労があって、日中しょっちゅう眼鏡を外しては目を軽く押さえ、周辺をマッサージする。

先生の話では、目の神経が以前ほど強くはないので、疲れるかもしれないが、それと緑内障の悪化に関しては心配しなくてよい。とにかく目をひっかかないようにだけしてほしいとのことだが、寝ている間に俺の爪は何をし出すかわかったものではない。心配だ。

先日ある人に、「やっぱ以前の目と比べたら、なんか元気がないというか、弱った感じの目やね。」と言われた。これは鏡を見ていてもわかる。すごく悲しそうな目になっているのが自分でもわかり、レ・目・ゼラブリ~な日々を過ごしている。

眼鏡のフィット感も悪いので、一昨日眼鏡を買い替えた。引渡しは来週だが、少しはましになってくれたらいいのだが・・・。

眼鏡選びに関しては、以前のブログでも書いたのだが、てんでわからない。自分に似合うフレームもわからなければ、かっこいいという基準も俺にはない。かっこいいと思うのは、「ルビーの指輪」な寺尾さん仕様のティアドロップ系なのだが、とてもじゃないが、俺には似合わない。おまけにグラサン仕様だ。俺がはめようものならば、昭和の銀行強盗、梅川仕様になってしまう。寺尾氏や優作氏にはなりそうもない。

買いたいフレームも決まらないまま、ここ数年、めきめきと出店数を増やしている、「弐萬円」で眼鏡が買える、いんちき手品師が宣伝している店に行って来た。

入るなり、髪形が微妙に崩れた店員が、「当店のシステムはご存知ですか?全部一式2万円になります。」と言う。

「わかってま!」と言い、フレームを物色した。俺が鏡越しにフレームを装用せずに合わせていると、「どうぞ、実際にはめてみてください。」と言う。

「わてがはめたら、フレームが、逆ボーゲンなるで!え~んか? あん? 」と心で思いながら、俺はハニカミおやじの笑みで返した。

いっぱいフレームがあるがわからない。どれも同じに見える。

センスがないことはわかっているので、俺は眼鏡屋に入って2分でフレームを決めた。
「これちょうだい~~。」

視力を測りなおす作業を含めて、俺は店に入って出るまで10分で終えた。いくらなんでも早すぎる気がしたが、フィット感がいい眼鏡が手に入ればそれでよい。来週の仕上がりを眼圧を高くして、いや、首を長くして待っている。

目がかゆいんだ。

2008年12月8日月曜日

四字熟語に絡みつく

英語だけでなく、偉そうに国語も教えている。読解に関してはプロの域であることを自負するが、英語では英単語、国語ではことわざとか四字熟語に関する俺の知識は浅い。言葉の知識は、定義を見て覚えるものではなく、使用場面での雰囲気と、字面のイメージで捉えて、いつのまにか既得知識に浸透していくものと思っている。

だから、個人的には単語や熟語、ことわざなんかを暗記しようと思って取り組んだことはないのだが、教える時にフォーマルな定義づけをしてあげる必要が多々ある。そのために定期的に各種の辞書をあたる機会が多い。

今日は、ダイソーで売っていた「四字熟語辞典」で調べ物をしたついでに、色々と他の四字熟語も見ていた。知らない知識がかなりあるが、覚えよう!という気にはならない。ただ、字面から受けるイメージ、音的な味わいを楽しみながら、そして、定義づけられた意味と字面のイメージギャップに興味を抱きながら読んでいた。

すでに知ってはいるものの、いくつか気になる四字熟語があった。ツッコミ対象になる四字熟語をピックアップする。

①「鴛鴦之契(えんおうのちぎり)・・・夫婦が仲むつまじいことの例え。

以前から思っていたのだが、どう考えてもマイナスイメージしかわかない字面である。「鴛鴦」はオスとメスのオシドリを意味するらしいが、字面がかもし出すイメージに、平和的なイメージを感じることができない。

「怨」という漢字がある。「うらむ」というマイナスイメージの言葉だ。この「心」を取ったものを「鳥」の上に乗っけたものが「鴛」である。どう考えても、定義にあるような「仲むつまじさ」は感じられない。

だから、ずっと、「怨みを抱くもの同士が復讐を誓う契り」だと思っていた。中国人は契りが好きだから、血判で秘密結社結成式に用いられる言葉だと思っていたが、どうやら違うみたいだ。未だに違和感がある。他の辞書やネットをあたって由来を調べようと思う。

②「活溌溌地(かっぱつはっち)」・・・いきいきと活動する様子。

これはイメージと定義が見事に合う。字面にはエナジーが満ち溢れている。「溌」を2つ並べたあたりに、気持ちの高揚が見て取れる。見ているだけでサプリメントになりそうな四字熟語だ。

音からは「ミツバチハッチ」を想像する(単純な思考回路だからこそなせる技だが・・)。
この四字熟語は、魚が跳ねる様子から出来たものらしいが、「蜜蜂溌地」でもいいような気がする。中国の濁った河を跳ねる魚の活発さは、あまり気持ちよいものではない。蜜蜂の活発さのほうが心地よい。 さらに、ハッチはみなしごだ。いじめを乗り越えた先にある「溌地」だ。脳天気なだけの活発さではない。だからハッチを中国人に紹介してあげて、新四字熟語の定義を求む。


③「奇奇怪怪(ききかいかい)・・・非常に怪しく不思議なこと。

これは手抜きだ。中国人のいい加減さが出た言葉だ。字面はどこを切り取っても奇妙で怪しい、金太郎飴みたいな熟語だ。ただ、音を連呼していると、動物の奇声か、皮膚疾患に苦しむ患者のうめき声にしか聞こえない。怪しくもなければ不思議でもない。

④「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」・・・正しいと信ずることを堂々と議論するさま。

政治家がよく使う言葉だが、これも中国人の手抜きから出来た言葉だ。ただ、「奇奇怪怪」と異なり、金太郎飴的な面白さはない。それよりも、この言葉からは定義どおりのイメージを抱かない気持ち悪さがある。何だか悪霊に憑かれてガクガクするイメージがある。
政治家には、「侃侃諤諤」の字義をふまえて、しっかり議論してもらいたい。

⑤「子子孫孫(ししそんそん)」・・・孫子の代まで代々。

中国人の18番、意味の強調大げさパターンの典型だ。 続きすぎ!

⑥「残念無念(ざんねんむねん)」・・・非常に残念なさま。

何でも根に持つ中国人の背景には、この過度の悔しがり方がある。悔しがりすぎ!

⑦「不承不承(ふしょうぶしょう)」・・・仕方なくものごとを行うこと。

承らない×2。 絶対口を割らないスパイのような強情さを感じる。
いいかげん折れようぜ!  嫌がりすぎ!

だんだん、中国人気質批判になってきたので、今日はこの辺で。でもまだまだツッコミ満載の四字熟語がある。四字熟語は、高尚な言葉でもなければ、教訓めいたものでもない。現代の日本人からみたら、究極のユーモアの宝庫だと思う。ツッコミをまた入れたい。

2008年12月7日日曜日

総理のお言葉と気風

内閣支持率がついに25%だとか。4人に1人しか支持していないというのは、政権運営的には異常事態なのであろうが、内閣支持率があまり高くても、それはそれで怖いものなので、個人的には、40%弱ぐらいがちょうどいいのだと思う。

支持率が上がるための要因の多くが、いつの頃からだろうか、総理のお言葉になってきたように思う。政策の真意を見るのではなく、色々なお言葉によって、総理は一躍人気者にも嫌われ者にもなる。

総理大臣だけでなく、最近の政治家言語レベルの低下は際立っているが、取りざたされる言葉が、極端な失言を除いては、そんなに批難対象になるような言葉にも思えないことが多い。

特定の人の感情を刺激する言葉を1度でも吐こうものならば、その後はマスコミの餌食になって、言葉狩りが始まる。そして、それに扇動されて世論は簡単に操作される。

失言に注意してばかりいて、毎回、「遺憾です。」と「慎重に対応します。」だけでも人気は出ない。「遺憾です。」では「いかんです。」 総理のお言葉は非常に難しい。

今年の流行語に、前総理のお言葉、「私はあなたとはちがう」というのが入ったが、これなんかが、流行語に選ばれる背景には、この言葉に相当の人がカチンときた現実があり、
そして、それを見せしめのようにさらすために流行語としてノミネートし、選ばれる素地が出来たのだろう。

だが、冷静に考えてみれば、全然大した言葉でもないし、噛み付くほうも噛み付かれるほうもしょぼいと思う。年度を代表する言葉かよ!

流行語は、世相を表すものだ。数十年後にこの言葉を、平成20年の世相として何を読み取ることが出来るだろうか?色んな意味で存在感の薄い総理とお言葉であった。

そして、現首相麻生さんのお言葉であるが、俺は個人的に嫌いではない。口をひんまげて吐き出す言葉は、医者人格がらみの失言をして言葉狩りが始まるまでは、心地よいときもあり、大善戦だったと思う。だが、どこかに違和感もあった。

俺はなぜ、麻生総理の言葉が心地よくもあり、その一方で違和感があるのかを考えていた。

それがわかった気がする。江戸っ子気風の「べらんめえ」調が、生理的に好きだから好感をよせていたのだと思う。

ところが、よくよく聞くと、彼ほど育ちのよい、学習院の皇族並みの人が、庶民の気風をふかした言葉を使うことに違和感がないはずがない。どう考えても不自然であり、単語とイントネーション的には江戸言葉なのだが、気風が感じられなかったのだ。

江戸言葉は、気風が伴わないと粋でない。その辺が、現標準語や関西弁にはない素晴らしさだと思う。気概が投影される言葉なのだ。秋葉原でこの口調が受けたのは、秋葉原にたむろする人たちの世界が、本来の江戸っ子の粋とは違っていたからだと思う。本当の粋人には違和感があると思う。

とは言ったものの、ここ数日はトーンダウンしているが、麻生さんの言葉はプラスマイナスではプラス評価だ。それには同情もある。

高級ホテルの飲食を暴露され、カップラーメンの値段を誘導尋問で答えさせられ、その見当違いの答えを叩かれていたが、超良血のおぼっちゃまが、カップラーメンの相場を知っているわけがない。これなんかは、マスコミの悪意ある操作だ。ほっといてあげろ!

1度悪意ある操作軌道に乗ってしまえば、挽回は至難の業だ。追い詰められて、自分の言葉を吐けなくなった総理が、悪循環で更なる失言を口にするのは至極当然である。

政治家が口にする言葉を、抜粋ではなく全文で表記し、それが批難されるだけの値がある問題発言であるかを冷静に吟味するだけの、第三者的な報道局はないものだろうか?

それか、言葉狩りをするマスコミ側を客観的に裁くだけの機関、もしくは国民投票システムを作り出さないと、稚拙な言葉だけで政局の世論が形成される現況は変えられそうにないと思う。

テクニック的に上手い言葉を身につけただけの政治家が人気を博す環境が今はある。野党の小沢ボスは例外として、鳩山君と菅君は、技巧的には上手い。だが粋ではない。これも麻生さんとは違うタイプの気風のなさが感じさせるしょぼさである。

言葉、発言に関して、今しっかりデータ化しておかなければならないのは、民主党の悪代官3匹の与党攻撃時に用いた言葉だ。彼らが与党となった時、そして新首相が3人の中から生まれた時、下野した自民党から必ず同じ論旨で批難される時が来るはずだ。その時の彼らの辱め用のデータベースだ。

その時に、野党となってしまった麻生さんが批判の急先鋒に立ったら面白い。今の民主党の批判内容をそのまま口調を変えて復唱してあげるのだ。そして最後に「べらんめえ!」と言う。しょぼそうだが・・・。

似非江戸言葉と、東京言葉の対決は、なかなかに面白いだろう。だが気風がないのですぐ飽きるだろうが・・・。内閣支持率はどうでも良い。総理のお言葉に、粋な気風を感じたいだけだ。

2008年12月6日土曜日

中学生の恋

家庭教師をしている中3の男の子がいる。中1からだからもう2年以上の付き合いである。
この子が実に良い子で、人間として醜いところは何一つないのでは?と思えるほどのかわいさだ。

英語が苦手な子だ。That’s right. と That’s O.K. と O.Kの用法も区別できない子だ。だが今は受験生として追い込みに彼なりに取り組んでいる。

保護者の方から、学習のことはもちろんだが、それ以外のことでも相談をよく受ける。

その中でよく話題になるのが、「この子は中3にもなって、異性への興味、性の目覚めってあるのだろうか?」というものである。親として見ている範囲では、どう考えてもその方面への興味がなさそうに見えるというのである。

俺自身が関わりを持っている範囲でも、親御さんに同感だった。

反抗期らしい反抗期がない、といった特徴は、この子に限らず、全体的な傾向でもあるのだが、性の目覚めが全くないようであれば、それは心配だ。勉強なんかより大切なことである。

わが中学時代を振り返ってみると、友達と話すことといえば、性・性・性であり、その視線が「まぐわい」に向くにはウブであったが、好きな異性への想いを共有するのが友達であり、俺は親友とチックロマンな会話をくり返していた。そして、異性への思いを発展させた先に自分の将来を重ね、鳥肌ものの青さで思考した。

同時に、親に対しては距離を置くようになり、友達に親を見られるのが嫌だった。

ところが、上記の僕ちゃんは、未だに泣く時はお母さんの胸の中らしい。かわいすぎるのであるが、親御さんとしては、「私達は子離れに向けて少しずつ動いているので、子供も親離れしていってほしい。」との思いがあるようだ。親御さんの考え方には、個人的にもすごく共感できる。

そんな僕ちゃんが今日、「先生、来週の日曜日、デートやねん。」と突然言い出したもんだから、びっくりして俺は鼻汁が出た。

「俺、つきあっている子がいるねん。今度デートやねんけど、お父さんお母さんには内緒にしておいて。」と言うではないか。

すごく親御さんに報告してあげたいのだが、中学生とはいえ男同士の約束を破るわけにもいかず、話すことは後日談になるであろう。 だが、とにかくびっくり! 色々周囲が心配はしているが、ちゃんと時期が来たら、それなりに成長するのだ・・・と思うと、人のお子様とはいえ、感動で涙がちょちょぎれそうになった。鼻汁はちょちょぎれた。

ただ、付き合うきっかけというのは、現代的というか、パソコン普及後の時代のものだ。

何でも他中学の女の子だという。きっかけは友達の紹介(これまた複雑なのだが)だという。そして紹介というのは、メールアドレスを教えるというものらしい。この時点で昭和の男としては、軽く頭でゴングが鳴る。「出会いサイト業者か!」

そしてメールのやり取りが始まり、お互いに写真を交換し、数週間の文通、いやメール交換を経て、今回の初デート決定へと相成ったらしい。

つまり、2人はお互いに直に会話したこともないらしい。そんな形態が中学生で存在するということに、2回目のゴングが頭で鳴る。「ヴァーチャルか!」

この子の名誉のために言っておくが、この子は決して、実生活で対人コミュニケーション力に劣っているわけではない。むしろ、人見知りはしないし、「いいキャラ」として友達人気も高い子だ。

そんな子だからこそ逆に驚きだ。同じ学校でいくらでも恋する人ができるやろう?と、何とも不可解な気持ちを抱く。そして時にゴングが残響する。

今の中学生が毎日メールをやり取りしているというのは、保護者からの相談などでよく聞くが、それは同性内だけのものだと思っていた。もしくは、昔の交換日記の延長だと思っていた。

だが、時代はさらに先に転調していた。初デートが初顔合わせというのは、昔の高貴なお見合いか、現代版おやじ風俗のどれかであって、決して若さを感じさせるものではない気がする。

何に1番違和感があるかといえば、人を本当に好きになることが、日々の暮らしの接点にではなく、写真と文面だけで現実化してしまうことだ。正確に言えば、彼らは本当に恋をしているのだろうか? 少なくとも俺の世代の恋模様とは違うと思う。

とは言ったものの、彼にとっての初デートが、かけがえのない幸せの時間であり、良縁があることを願うだけである。

中学生の恋を、おっさんがあれこれ裁くのもどうかと思うから、肯定的にとらえるようにするが、何か釈然としない。say・say・say と、おやじの説法をしたくもなったが、今日のところは、「今後、逐一報告せよ!」 とだけ彼に言った。 

彼は、That’s right. と答えた。    

「ちゃうやろ!!!!!!  」 と俺が言うと、彼は、 That’s O.Kと言う。

中学生の恋、彼の英語力に俺は、K.O された。 OK ではない。

生の賛美

昨日の拙ブログに、コメントが1件あり見てみたら、それはそれは、エロ用語の連発だ。

以前にも1度卑猥コメントがあったので、一時期はコメントする時に、ナンバー入力をしないといけないようにしていたのだが、その後ずっとなかったので、ナンバー入力をオフにしたところ、久々にきた。

しかもコメントがグロテスクで人間業とは思えない語群だったものだから、腹が立つのを通り越して、あきれるのもさらに通り越して、憐れみを感じた。

迷惑メールにしてもそうだが、利益があるからなのかもしれないが、こういうことを実際に個別に書いたり、スパムとして仕込んだりする人にとって、この世に生まれてきた意味って何なのだろう?と思うと、ほんとかわいそうになった。

壊れていて、とてもじゃないが思考する生き物には思えない。輪廻転生があるのならば、間違いなく不幸な生まれ変わりとして人間界に落ちた奴らであるが、かわいそう以外の言葉が見つからない。

蛆虫やゴキブリに生まれていたら、変なエネルギーを使わなくてよかったものを、いや、蛆虫、ゴキブリにも失礼か? とにかく人間に生まれてしまいながら、人間をすでにやめた奴が物理的に生きているのだから、これは究極の悲哀だ。

こんな奴らでも人間から生まれたのだろうから、生まれた時には人並みに、オギャーとも言うだろうし、生まれて数年の間に一生分の親孝行もしたのだろうが、それ自体が信じられないくらいの壊れ方である。

どうしたら、コメントに卑猥なことを書き込んだりすることが出来るのだろう? 性格とか嗜好とか趣味とか、あらゆる理由をつけてみても、それらにあてはめるには拡大解釈が必要になる。

彼らにとって、この世は拷問なのかな?とも思う。

まあ、彼らも一応生きているから、こういう行動をとって彼らがそこに生を感じるならば、拙ブログでよければ、居場所を一時でも与えてあげようかとは思う。すぐに削除はするが、そんな手間は、人間にとってみれば何てことはない。

今日は、個人的にすごく嬉しい日だった。そしてここんところずっと嬉しい日々が続いている。

生きる気概というか、日常に起こる全ての事を肯定していけるだけのエナジーを与えられたというか、とにかく人間的に太くたくましくなれるきっかけとなる日々であるように思う。

具体的なことは今書かないが、この先にどんなことが待ち構えているかはわからないし、それが時には絶望的に思えることであるかもしれないが、今は全て運命を受け入れられるような気がする。

日常には、些細なことから大きなことまで、色んな出来事が起こる。山と谷、良いこともあれば悪いこともある。だが、それら全てを生の彩りと思えるだけの大らかさというか、潔さというか、とにかく自信に満ち溢れている。

決して悟ったわけではない。それに人生バラ色でもない。

だが、心振るわせる琴線が高らかに鳴っているのが、今はいつになく聞き取れるのだ。ムフフな日々も、トホホな日々も、感性のパイプが太くなって、少し俺は成長した気がする。

抽象的なことばかり書いているが、とにかく今はムフフなのだ。

ムフフが一時的に高まった時に見た、冒頭のエロコメント・・・、従来の俺なら、タイミングの悪さを呪って、一直線にトホホ街道に落ちていただろうが、哀れむだけの余裕があるということが嬉しいのだ。

生の意味をいつになく理解し、生について覚悟を決めた俺には、性の雑魚は素通りする雑踏の埃ぐらいの存在しかない。

上から目線で哀れみを感じ、俺は生を謳歌する。そんな日なのだ今日は・・。

2008年12月5日金曜日

派遣切り問題

今日のニュース。

「派遣労働者を契約期間中に雇い止めとする「派遣切り」が社会問題化する中、東京・日比谷野外音楽堂で4日、作家や弁護士、労働組合などが呼びかけた「派遣法の抜本改正をめざす12・4日比谷集会」が開かれた。約2000人が参加した集会では派遣労働者が「派遣切り」の厳しい現状を報告し、労働者派遣法の抜本改正を求めた。」

これについては派遣労働者側への批判と、経営者側への批判の両方ある。

俺も派遣労働にはお世話になった。バイト時代ではなく、結婚した後にも派遣労働として働いていたことがある。その当時も、一般的には雇用水準は低く、職安前には人があふれていた時代であったから、決して俺がたまたま良い時代に派遣を経験したのではないことを最初に断っておく。

「派遣労働者側への批判」

率直に言って、現在の、そしてこれからも派遣労働で働き先を探すのは、困難なこととは思えない。求人誌を見れば、あふれんばかりの即決採用、即労働の求人が載せられている。

各自にそれぞれの希望職種や労働条件があるから、誰しもが完璧に条件の合う会社に派遣されることは不可能だが、選ばなければ100%と言っていいほど、仕事にはありつけると思う。

ここでいう仕事とは、生活をしていけるだけの賃金をいただける仕事という意味だ。つまり、誰でも飢えずに金を稼ぐことは可能だ。

仕事の条件や待遇を求め出したらきりがない。妥協しろと言っているのではないが、正規雇用の人でも、それなりになんらかの妥協をしながら一定の職種に携わっていることが殆どだ。だから、世の中の情勢で希望職種がないならば、あるまで別の所で働けばよい。そして定期的に希望職種へのリクルートをすればよいだけだと思う。

冒頭の集会は、契約期間内の「雇い止め」に対する反対集会であり、確かに契約を交わしてその期間がある限りは、雇うべきだと思うが、それに抗議して労働者派遣法の改正にまでアピールするエネルギーと時間があるならば、別の仕事を探すことにそれを向けるほうが賢いと思う。

なぜなら、正規雇用の人は、会社が倒産したら次の日から失業者となる。終身雇用の契約は交わしていないが、彼らにとっての「雇い止め」となる。派遣労働者もそう考えて、次を探すべきだと思う。

どうせ(この言い方は御幣があるかもしれないが)、命かけてしていた仕事ではないだろうし、その派遣先じゃなきゃいけない切実な思いがあるとは思えない。何人かの作家もこの集会を後押ししたようだが、シュプレヒコールは虚しく思える。

恐らく、派遣とはいえ賃金対価としての労働に、プロ意識を持って、誠実にこなしてこられた心ある派遣労働者は、このデモには参加していないと思う。「雇い止め」をイデオロギー的な攻撃題材とする奴らか、権利を主張して義務を人間的、物理的両面で果たさない奴が100%ではないかとさえ思う。偏っていたら申し訳ないが、自己の派遣労働経験に基づいて、暫定的に断言する。

今は不景気というプロパガンダ?はあるが、まだまだ飢えるにも努力を必要とする時代だ。こういう集会が、根拠のない自己弁護・他者攻撃に基づいたやつらの人間性を擁護するきっかけにならなければよいと思っている。職はある。種々吟味して掴めばよい。

「経営者側への批判」

天下のトヨタが派遣労働者のカットをするということで大きなニュースになっているが、
あのトヨタの経営陣といえどもこの程度かとまず思った。

不景気になって、リストラをすることで急場をしのぐならば誰でも出来る。

経営陣の罪は、今雇用を減らしたことではなく、今減らさなければならないほどの余剰人員を過去に創出したことであると思う。

ある商品が売れた。だから生産が追いつかない。新たに人を雇おう! という流れは自然である。だが、まともな人間は、現況の忙しさが、一体何に基づいたものであり、いつ頃まで続く忙しさなのかを十分に吟味し、生産拡大のパイを広げる。

永続的な好況、右肩上がりはあり得ない。だから、ほとんどの中小・零細の経営者は、バブルを生み出さずに、泡を作らずに、受注をどこかで制限して己のスタンスを保つ。

それに引き換え、忙しくなったらいっぱい人を取り、暇になったら人を切るというのは、あまりにお粗末といわざるをえない。

だが、この経営者批判であるが、派遣労働という形態を考えた場合、「やむをえず不景気になった場合のことを考えて、正規雇用は増やせない。だから派遣労働に一時的な割高賃金を払って、現在の好況をしのぐ。」という経営判断が大きいと思う。

つまり、目先のバブルを信じていないからこそ、派遣労働を増やしたのであり、正規雇用社員のリストラと違い、本来、派遣労働はこういう自体に備えて用意された労働形態であると思う。

結局、今回の抗議集会に関しての、俺の経営者批判も、突き詰めていくと経営者擁護に繋がる気がする。

時勢が変われば契約も紙くずになるのが、悲しいかな派遣労働の現実だ。だからといって派遣労働を軽く見る気はない。業種によれば、正規雇用の人よりもスキルを多く持った派遣労働の人がたくさんいる。

どのような労働形態を選ぶかは、全て自由だ。

仮に、選ぼうにも選択肢が用意されていないような人がいたとする。その場合は、残酷に思えるかもしれないが、自ら持ったソフトの問題であることを、冷酷に啓蒙すべきだと思う。

身体に障害のある方で、物理的に職につけないかたへの配慮は今記のブログではなされていない。そういう人たちへの配慮は社会システムとして構築されるべきだと思う。だが、その場合も障害者という前提が人格に勝るものではないことは明らかだ。

雇用関係というのは、本来、各自の内面も含めた重い契りが交わされるべきだと思うのだ。それが表面的な条件で人夫を創出する派遣雇用というシステム自体がある。
重い契りを選ぶか、軽い契約を選ぶか、この本質を吟味した上での労働者派遣法の改正に繋がる契機であったなら、今回の集会も無駄ではないと思う。

2008年12月3日水曜日

オルタナティブ

オルタナ・カントリーという言葉が聞かれて久しい。誰が名づけたか知らないが、カントリーに限らず、90年代から使われ出した「オルタナティブ」という言葉は、あまり好きではないが、幅広い意味合いを持っていて、なかなか上手い言葉だと思う。

だが、オルタナ・カントリーという言葉で使う時の、alternative という単語を英語圏の人がどう理解しているのかはわからないが、英和辞典の字義はどうもしっくりいかない。

①二者択一の  ②型にはまらない ③非体制の

とあるが、①は論外として、②、③は、それしか対応する言葉がないのだろうが、どうもしっくりこない。

②型にはまらない と言ってしまうと、それまでのカントリーが、杓子定規で変化のないものに思えるし、③非体制にしてみたところ、カントリーは確かにアメリカの良心を歌ったような、文部省的な曲も多いが、それがすべて体制派かといえばそうでもないような気がする。

字義として簡潔に定義することは出来ないのだけれど、オルタナ・カントリーという言葉を俺は、「米国の陽気さに英国の知性と憂いが混ざった音楽」と解釈している。
ただ、この通りだと、矛盾もいっぱい出るが・・。

たかが誰かが名づけた音楽ジャンルであり、根底は全てロックであるから、別に何でもいいのだが・・・。

よく、オルタナ・カントリーと称される「ウィルコ」であるが、彼らの音楽は何度聴いてもせつない。胸を締め付けられる。何だろうこの憂いは??

今日は休み。年末掃除の初段階として、CD棚周りを整理したのだが、ウィルコ繋がりのルース・ファーを聴きながらしていたのだが、このユニットでは、憂いよりも緩さと前衛的な職人の気質を感じるのだが、ウィルコで聴くと、どこまでもせつない。

たまらなくせつないなかに、毒舌の歌詞がある。一見、反体制のようでもあるが、全面的な反抗ではなく、従うけどちょっと言わせろ!的な、いい意味での知的な揶揄となっている。

オルタナ・カントリーに感動しながら、オルタナティブに掃除を続けた。早い、迷わない、荒っぽい、不謹慎・・・。これぞ男の掃除!というものだった。少しずつ整理しながらといった、エレガントな掃除は気に食わない。いらないものは、部屋隅に放り投げながら、てきぱきと進めた。

捨てるか残すか、①二者択一のものは、迷わず捨てるほうを選んだ。

整理されていないプラスチックの収納ケースからは、数年前に行った耳鼻科の薬や、キャップを失くした、きりたんぽみたいになった糊が出てきた。分別する時に、錠剤の薬が可燃、不燃がわからなかったので、②型にはまらない基準で、迷ったらティッシュで包んで可燃物に入れた。燃えるだろう。包んだのは、せめてもの隠蔽である。

処置に困ったのが、ある意味③非体制のお守り系のものである。5年前のお守りが、埃まみれで出てきた。隅の方は、きりたんぽ糊がついたのか、べとべとしているし、安物万年筆のインクも沁みている。

こういうものは本来、神社に行って左義長とかいう日に焼いておくべきものなのだろうが、うっかりうっかり・・・。発酵寸前だった。

神様には申し訳ないが、破れた俺の靴下で包んで可燃物に入れた。臭うが辛抱して欲しい。俺はオルタナティブな男なのだ。

明日以降も時間を見つけて掃除と整理をしていきたい。

義母は俺の型にはまらない掃除の仕方にやきもきしているようだった。日頃から俺の荒っぽさには手を焼いている義母である。ルース・ファーを大音量でかけながら、がっつんがっつんと音をたてながら掃除していく俺の様子を時々見に来ては、何か言いたそうだった。明らかに不満と不安が渦巻いている表情だった。

義母が長年主婦稼業で培ってきた掃除に対する認識を、一瞬にして変えられるかのような、俺の掃除っぷり!。 理解はできないだろう。

「もうちょい静かに掃除しられ。」とでも言おうとしたのだろうか、義母の口が動き出す瞬間に、俺は目で威圧した。「何も言うな。僕オルタナーなの。」

オルタナティブという言葉の定義が思いついた。「従来の価値観、常識にはない」というものだ。

これがしっくりくる。 掃除で疲れた。オルタナティブに風呂に入り、オルタナティブに寝る。

友人の誕生日に思う

すごく個人的なことなのだが、12月2日は俺の友人の誕生日だ。その友人とは、ここ数年、たまに電話でやり取りするくらいで、めっきり交流も減ったのだが、高校時代から俺が富山に移住するまでの間、かなりの密度で付き合った。

彼とは高校で知り合った。たまたま苗字の関係で、高1の最初の座席が近く、宿泊学習で同室だったのが、きっかけだったのだが、俺は最初、彼を正真正銘のヤンキーだとみなしていた。

当時、すごく柄の悪い、不良率が高い団地があった。そしてその団地を校区とするM中学校は、ヤンキーの巣窟と言われていた。その中学出身の彼は、入学式初日から学ランばりばりで、髪型もツンツン針葉樹林みたいなもので、とにかくヤンキッシュだった。

新設校一期生の俺達は、入学早々、和歌山の「浦島ホテル」に宿泊学習の名の、延期工事の帳尻あわせで飛ばされ、そこで俺はヤンキッシュな彼と同室の日々を過ごした。

彼はヤンキッシュだったが、実に良い奴だった。俺達はすぐに仲良くなった。彼の出身中学のヤンキー共を全部教えてもらい、俺も色々紹介してもらえた。そして彼のおかげで、ヤンキー同士の縄張り争いと天下統一に明け暮れる、高1の1学期を俺は、日和見的に平和に過ごした。

彼は学力が恐ろしく低かった。俺の行っていた高校の偏差値も低かった。入学が決まって、初めて課される春休みの英語の宿題テキストが、アルファベットからであった。

彼はそれもやってこずに、通常授業初日から先生に怒られていた。彼曰く、「大文字はわかるねんけど、小文字がな~。やれ言うても無理や!」と、中1みたいな理屈で、初日から先生の悪口を言っていた。俺はヤンキッシュな彼の思想に敬意を表して、一緒に悪口を言った。

彼は女の子にもてなかった。俺はそれなりにもてた。俺は彼の失恋回数を数えるのに両手を必要とする。当時のヤンキーは、中学時代はもてたのだが、高校に入るともてなくなりだしていた。彼はその筆頭だった。

彼は単純だった。腐らずにもてる努力と求愛をくり返した。俺はことごとく彼を支援した。

好きな女の子がバスケ部だったら、彼は自分もバスケが出来るようになろうとした。そして、昼休みなんかに校庭のバスケットゴールでシュート練習を始める。俺はことごとく付き合わされた。でも付き合いで嫌々の俺の方が上手かった。彼はすぐに挫折した。上手くなりきる前に求愛し、ふられた。

次に彼が好きになった人は音楽が好きだった。長渕剛が好きだった。特にハーモニカが好きだった。彼はすぐにハープを練習し出した。俺もことごとく付き合わされた。放課後部活前のちょっとの時間、校舎の踊り場で、ハープを吹く男2人・・・、音はエコーっているは、絵的に惨めだわで、俺は、「部活行かなきゃ」と理由をつけては逃げた。それでも彼は、俺の練習が終わるのを校門前で待っていては、「続きしようぜ!」と言う。「自分、痛いで~!」俺は心で毒づいた。

2人で、学校前の田舎道に座り、虚しくハープを吹いた。音色は敗戦直後の日本風味である。俺の中では今でも、心地よくない慕情のメロとなっている。

高3になると、彼は就職のクラスに、俺は進学のクラスになって離れたのだが、それでも交流は続いた。卒業をかけた高3の定期テストになっても彼の成績はひどかった。留年をちらつかされるほどだった。俺はテスト前に彼によく個人教授をした。

だが、待ち合わせの時間に彼はよく遅れた。怒った俺が問い詰めると、「おかん殴ってたから遅くなった。」と彼には正しくて、俺には正しくない理由を述べた。

こんなことを書いていると、彼はむちゃくちゃであり、俺が彼に恩義を売っていたばかりみたいに思えるが、高校卒業後、俺は彼から色々恩を頂いた。

彼の車の助手席に乗った回数は俺が断トツで多いし、稼ぐことに秀でていた彼はいつも裕福だった。初期チープハンズでの俺のギターは、全て彼のギターの借りパチだった。
一時期は俺のアッシーとなってくれていた時期もあったし、俺が中退後、ふらふらしていた時には、彼が働くコンビニに、彼の口利きで入れてもらったりもした。

チープハンズのライブに来てくれた回数も、親友に次いで多いし、東京でのライブにもよく来てくれた。成人後の俺と彼の関係は、俺が一方的にお世話になっている。

高校をやっとかっと卒業し、何をやってもすぐに飽きて、頭の中はピンキーであった彼だが、今ではコンビニを3店舗経営し、社員も数名抱える社長さんだ。

彼の好奇心と、何かに取り組むモチョベーションは、長続きしなかったことが多いけれど、今では社長として、それなりに締めて、それなりにいい加減に、人生を切り盛りしている。
そして、彼のすごいことは、生きる上で迷いがないことだ。いい意味で哲学を持たない。本能に忠実で動物的な生き方なのであるが、下等ではない。すごいと思う。

一方、俺は、未だに人生に悩んでいる。悩んでいるというと高尚だが、たんに、下等に煮え切らないでいるだけだ。高卒の彼、大卒の俺。俗のベクトルで彼との差異を邪に測っていた時期が俺にあったことは否定できない。

だが、今はどうだ。現在の自分を全否定する気はないが、親友と彼の素晴らしさに俺は及ばないと自信を持って言える。生きる上での本当の価値観を、俺は親友と彼から教わっている気がする。大切なことは何だろうか????

対照的な2人が、たまに電話をする。

「お互いに歳をとったな~。」

このセリフが、なんだか現時点で愛おしく思える。歳の取り方は異なるが、ただいつも、ひたむきな青さがお互いにあったことだけは、嬉しく思うのだ。

俺はあと9日後に彼を追って38歳になる。

2008年12月2日火曜日

レコード会社に感謝






目の手術のおかげ?で、保険金が入った。寛大な嫁は、「あんたが痛い目したんやから好きに使い」とのことで、入院に際しての実費を除き、音楽関係に使わせてもらえそうなお金が手に入った。ありがたい。独身時代のボーナス気分である。

ニール・ヤングのデビュー前のライブ盤(輸入版)が出ているはずだと思い、行きつけの店に行った。「もう少しで入る」とのことで、残念ながら今日は手に入らなかったが、この前聴いて感動したダン・ペンの数少ない音源を聞いて、ダン・ペン&チップス・ノーマンのライブ盤を追加注文した。

CD棚を物色していると、ラウドン・ウェインライトⅢのニューアルバム「リカバリー」が出ていてびっくり! 前作が素晴らしかったので。即購入を決める。

トラフィックのテープでしか持っていない1stを買うつもりだったのだが、ついつい浮気願望が出て、棚を続けて物色。

ジェフ・マルダー&エイモス・ギャレットの「ライブ・イン・ジャパン」が紙ジャケで発売されていてびっくり!

「こんなん出るんや?」と思い、裏ジャケを見ると、同時発売でオーティス・クレイの「ライブ・イン・ジャパン」も発売されているみたいで、この会社はライブ・イン・ジャパン括りでシリーズ化するつもりなのか?と思い、他のものがないか店主に聞くと、「そうかもしれない。でも今はまだこの2枚しかうちにはない」とのこと。

ちょうど、雑誌『beatleg』がライブ・イン・ジャパンを特集していたそうで、そういう流れにあるのかもしれないとのことだった。

上記、ジェフ・マルダー&エイモス・ギャレットのライブ音源を今まで見なかった。LPで大昔に見た記憶はあるのだが、その当時は購入優先順位は下も下であり、CD時代になった現在も、今日、見かけなければ存在自体も忘れていたであろうアルバムである。これとオーティス・クレイを同時発売するというレコード会社の心意気はすごいと思った。

ただ、店主に言わせると、「たまたまライブ版権が日本にあって、なかなか本国で発売できる需要を含めた環境がなかったのではないか?」とのことだった。

昔の「名盤探検隊」というシリーズのラインナップには痺れたが、色んな名盤が紙ジャケで色々再発されているように、レコード会社も趣向を変え、ミキシングを変え、拡販にすごい精力を注ぎ込んでいると思う。

メガ・マーケットがあるわけでもなし、隙間産業としての割り切りをもった上で、種々の埋もれた名盤を届けてくれるレコード会社の心意気には頭が下がる。利益が出ているか心配になる。

上記2枚を出勤の行き帰りに聴き、返って今も聴いているが、至福も至福!レコード会社、そして決っして需要が多くないであろう、この手のCDをラインナップしてくれる、俺の行きつけのレコード屋に大感謝である。

CDが売れなくなっていく流れは止まらないだろう。それに伴い、音楽業界全体の換金、流通システム自体も大きく変わっていく現在にあって、いくら古風であろうとも、LPとは言わない、CDを買ってジャケットから取り出して聴く喜びだけは、俺が生きている限りあり続けてほしい。

商売だから利益優先なのは理解できる。だが、そんな中にあっても、埋もれた名盤を1枚でも多く世に出すこと、埋もれた音楽人を流通の舞台に載せるだけの、職業的宿命と音楽に対しての愛情を持った業界人が1人でも増えてくれたら、俺にとっての音楽環境は幸せなものであり続けるだろう。

タージ・マハールの新譜もあったし(俺の嫌いなジャック・ジョンソンが参加していてちょっと興ざめしたが)、新譜だけでなく、ほかにも聴きたいものがいっぱいあった。試聴だけでもしたいのがたくさんあって、時間の限り店主のご好意で聴かせていただいた。

レコード屋に行く時ほど、己の富裕度を恨むことはないが、これら名盤を発売する側の、音楽に対する情熱と、利益に対するジレンマは、俺ごときのリスナーレベルとは比にならないだろう。

色んな人の思いを載せて世に流通した音楽、出会った音源をレコード会社に感謝して、とことん味わい尽くしたいと思う。

レコード会社、ありがとう。