2008年11月30日日曜日

師走のいちびり、屁を垂れ、志忘れる

もう年末、師走突入か~・・・。30代になって毎年思うが、早い。ほんまに速くもあるんちゃうかな?と疑いたくなるくらい早い。

あまり1年を振り返ることは、年末になってもしないほうなのだけれど、今年は先月にあった緑内障手術がかなりでかい。

一昨年の正面衝突交通事故もそうだったが、病に臥すというような悲惨な出来事に限って記憶が鮮明である。その一方で、楽しい出来事は、おおらかな時間の流れに昼寝しているようなまろやかさだ。悲惨な出来事が鋭角な記憶なら、楽しい出来事は丸みを帯びたもののような気がする。

丸いものと尖ったものだと、やはり尖ったもののほうが記憶を強烈に貫通するようだ。風船が鋭利なもので刺されて弾けるように、頭脳の記憶貯蔵室に鋭利な記憶が入ると、幸せな思い出は弾かれて、隅にやったり追い出されたりしてしまうのかもしれない。

一見、悲しいことのようだが、頭の中にいつも球体の丸い記憶ばかりだと、それはそれでレレレのおじさんみたいなご機嫌さが日々を支配してしまい、大麻でいっちゃった人のような心理状態になるのかもしれない。悲劇をしっかり刻みながら日々を処すように人間は作られているのかもしれない。そしてそれこそが、人間を高等動物とする所以なのかなとも思う。

ところが、この「悲劇をしっかり刻みながら日々を処す」という志を俺はすぐに忘れる。悲劇がさったら、レレレなのだ。

目の回復具合であるが、すこぶる良い!と言いたいのだが、ここ数日良くない。すごく慌てている。

手術後の炎症止めの目薬を1日2回点しているのだが、この前の検診時に経過がよかったので、ステロイドが入った点眼薬を点さなくなったからかもしれないが、一日中目が痒い。

「リンデロン」というステロイド含有の薬を点していたときは、出血があっても痒みはなかったのだが、断った途端に痒みが出る。

俺はアトピー体質なので、ステロイドに関しては皮膚科処方の軟膏でも馴染みがある。ほんと痒みに効く。結局目もステロイド頼みの我が体質が悲しくなる。

ステロイド(副腎皮質ホルモン)が人並みに備わっていないから、目の回復も遅いのだと思う。

だからといって、ステロイド入りの点眼薬、軟膏なんかをずっと使用していれば、自然に分泌する機能も低下してしまうそうだ。それが怖くて長期服用も避けたい。皮膚科の軟膏に関しては、ステロイドの副作用に一時苦しんだことがある。それもあって、医者が処方してもステロイドを忌諱したくなる。

使うと効果がすごいだけに、使いたくなる。長期的な弊害よりも、目先の楽を願って使いたくなるステロイドは、立派な麻薬だと思う。禁断症状は現れないが、痒みをすぐに止めたいという欲求に勝てない時にはすごい誘惑となる。

今日、あまりの痒さ、充血に恐れをなして、ついつい残っていたリンデロン点眼薬を点してみた。

すると効果抜群!ここ数日にはない目の痒み、違和感なくして一日を過ごせた。するとさっきまでの滅入った気持ちはどこへやら・・・。すぐにレレレ。

今度の金曜日が検診日なので、痒みがひどくなった時の点眼処置をしっかり聞いてきたいと思うのだが、何ともこまった体質だ。そして何とも困った「志忘れ」だ。

俺の頭は悲しみをたくさん覚えていて、それに対する免疫もたくさんある。そして同じような悲しみが襲ってきた時に対抗すべく、抗体としてのアドレナリンめいたものはたくさん備えていると思う。

ところが、体のほうは、ちょっとしたアレルゲンの侵入をすぐに許し、それに対してすぐに白旗を上げて窮状を発疹や痒みになって表面化させる。

気持ちは戦闘モード、体は降伏モード! こういった心と体をもつ人間が、一般的にいう「いちびり」なんだと最近思う。自己体験による解釈だが、よく出来た定義だと思う。

「かかってこんかい! あん? やんのか?やんのか? あん?」 頭は言う。

「やめときなはれ! あんさんにはついていけまへん。わてらへばってまんのや。」 体は言う。

これら両者の言い分をしっかり客観視して、成敗してくれる裁き人が俺には内臓されていないような気がする。

おまけに俺の頭は、初体験には弱い。初めて体験した目の手術に際しては、体だけでなく頭も白旗ムード一色だった。それに、滅入った時期を抜けると、滅入った時期の痛みをすぐに忘れる。レレレムードにすぐ変わる。このムードを「屁垂れ」と定義する。

「屁垂れ」なんて言葉は、「いちびり」の付属品だと思う。「いちびり」が初体験に際して「いちびれない」心持を「屁垂れ」と言う。

「小便垂れ」と同様、しょせんアダルト・チルドレンに冠される言葉だと思う。そして俺はアダルト・チルドレンのヘッドだ。

師走を迎え、来年はどうしたいとか、どうなりたいなんて殊勝な抱負を考えることもしない。いまさら性分は劇的に変化はしない。

ともかく、もうちょいで、坊主が走り回る師走突入である。俺ばブッディストではないが、なんとなく「師走」の心は「いちびり」と「屁垂れ」を内包しているような気がして、この時節が好きである。思いっきり色んなことに走り回りたい。

そして日々、屁を垂れながらも、いちびりながらも、楽しく丸い記憶をいっぱい貯蔵していきたいだけである。そして、「師走」が「志忘」にならないようにだけは、少し気にかけているだけだ。

2008年11月29日土曜日

株式市場は嫌い

俺は経済学というものがわからない。それに信じない。著名な学者でも後付の理論ばっかりである。経済というのは、1度動き出すと人間の制御、理論を越えて動き出す化け物だ。経済学部の方には悪いが、研究者によって、現経済に対して色んな処方箋が出されるが、決め手のない現在のがん治療のような領域だと思う。学べば学ぶほど、人間の限界を経済世界に対して露呈するだけであると思う。人間の限界、それならば文学部で学べばよい。

生命保険会社が、含み損で軒並み決算に苦戦している。株式市場の低迷を受けて、目が飛び出すくらいの額が損失となっているみたいだ。それに伴い、生保会社の株式も軒並み下がっている。

本当に無知な子供のような疑問なのだが、株式市場への運用資金で、利益がいっぱい上がったり下がったりするが、その会計基準というのは、本当にその会社の力量を表しているのだろうか?

株式運用で利益が上がり、何千億をプラス計上したとする。でも、そのお金は株式市場の数字だけの世界であり、実際に何千億の現金が、札束としてその決算企業に入ったわけではない。いや、現金化しようと思えば出来るので、一時的に入っているのだが、実際に現金の移動はほとんどない。コンピューター内の帳簿の世界での利益だ。幻の利益だ。

そんなのが、本当に儲かっているといえるのだろうか? 逆も同様だ。含み損で何千億と簡単に言うが、それも実際に現金が減っているわけではない。銀行などで、もし取り付けが起こった場合には、それだけの現金を用意しないといけないが、たかがコンピューター内の帳簿だけで、財務状況が左右されるほど、企業とは危ういものなのだろうか?

生命保険会社を例に取る。1人から毎月1万円ずつ集め、顧客が100万人になったとする。するとその会社の1月の収入は100億円だ。そして、死亡して3000万円の生命保険を受け取る人が月に100人いたとする。すると支払い金額は30億だ。

残りの70億が粗利であり、そこから会社は人件費や諸々の支出をするわけだ。そして残る現金が3億円だとしたら、それがその会社の実体の儲け、現金残高なのだ。この数字だけを信じて、この数字だけで決算をしていたら、こうも頻繁に景気の変動があるのだろうか?と思う。

株式市場というものがなかったら、身の丈に応じた現金の使い方しかないわけで、バブルもなければ、世の中の景気という問題はほとんど発生しなかったような気がする。

その分、今の日本のような俗に言う経済発展はなかったかもしれない。資産価値という概念も変わるであろうし、含み益頼りの過剰融資も行われない。銀行は節度ある庶民の金庫、適切な潤滑油となり、分不相応な過剰な設備投資もない。虚構の富がない分、現代人には原始的に思える社会なのかもしれないが、それはそれで幸せな気がする。

経済をしっかり学んだ人、会計知識のある人からしたら、何をくだらない見当違いのことを言っているのだ!と思うかもしれないが、子供が小遣い範囲で金欠、金満気分を味わうレベルのことを、分母を大きくしただけのものが、世界の経済であって、その上で今のような民主的な母体があれば十分幸せだと思うのだが・・・。

資産運用という発想自体が、非常に人間的でない気がする。個人の財産は、労働による蓄財と、消費による散財の加減だけで形成されるものだと思う。全否定はしないが、バブル前の銀行レベルで、利子がちょろっと鼻くそぐらいあるくらいでいいと思う。コンピューター上で資産が推移する流れというのは、色んな価値観があるが、健全な気はしない。

富の集中はあってもよい。社会主義になれと言っているのではない。ただ、そこに現実感ある貨幣経済だけがあればよいなと思う。

打消しの接頭語

「不」、「非」、「未」、「無」など、打消しの接頭語の使い分けに関して、俺自身の理解はいまいちである。個人的慣習的になんとなく使いわけているし、それなりに定義も出来るのだが、曖昧であり例外だらけである。

「不」に関しては、「不良」、「不完全」、「不定期」などのように単純に、notとして後に来る用言(見た目は体言であっても)の意味合いを打ち消して、反対にするものだと理解している。部分否定であり全否定ではない。

「非」に関しては、「非行」、「非常識」、「非科学」、「非現実」など、これもnotとして後に来る名詞を否定しているものだと理解している。ただ、これは全否定のような気がする。

「未」は、「まだ~ない」であり、「無」は「~が無い」という意味合いを必要とする時に使うと理解している。

ただ、元来の漢語を、日本語の今の使い方に当てはめてみて区分しても、使い分けが完璧に区分されているとも思えない。

例えば、①「未使用」とは言うけれど、②「非使用」とは言わない。だが、実生活では。①「まだ使用していない」こともあれば、②「全く使うことがない」という事物もある。

そんな場合に、全否定で「非使用」とは少なくともフォーマルには言わない。単語だけでの表現がなされず、文節を伴って多くの場合、文章で表現される。「全く使うことがない」という具合に。

① も②も今後使うかどうかは主観的で観測的なところもあるので、事物の処置も決して定
義として安定しているわけではないのだが、打消し接頭語を伴う単語としては、使い分けはなされていない。

ちょっと興味を持ったので、この辺の定義がなされている辞典を、今後辿って調べてみようかとは思うのだが、何となく使っている打消し接頭語は奥深い気がする。中国語をしっかり学んだら理解できるのだろうか? 中国語の置き字が、日本人が書き下したり解釈したりする漢文では無視するけれども、中国語的には意味があるように、打消し接頭語にもしっかりとした字義があるのだろうと思う。調べてみたいと思う。

打消し接頭語が気になったのは、お菓子のパッケージを眺めていたことに起因する。

先月の緑内障の入院時に、たまたま久しぶりに食べた「じゃがりこ」のパッケージに気になる表記があったのだ。

「原材料名 じゃがいも(遺伝子組み換えでない)」という表記だ。

普通、「原材料名」という項目には、にんじん、食塩、調味料(アミノ酸等)、酸化防止剤(V,C、V、E)など、単語が並ぶ。

そこにあった、「(遺伝子組み換えでない)」という言葉の、パッケージ内での座りが非常に気持ち悪く感じた。単語列挙の中に、ぽつんといる、文章ともいえない中途半端な(   )内の単語の羅列・・・。

「遺伝子組み換えでない」というのを、気持ちよく単語で表現できないものか? ふとそう考えた。

「遺伝子組み換え」という言葉自体が、造語的で実に座りの悪い言葉なのだが、これを一つの単語としてみなした場合、どんな打消し接頭語で否定するべきだろうか? そう考えたのだ。

「不遺伝子組み換え」では、部分否定であり、ちょっとは組み替えしていそうだ。

「非遺伝子組み換え」では、正しいような気がするが、「非遺伝子」と「組み換え」で区切ってしまったら、「遺伝子でないものを組みかえる」という意味になってしまう。

「未」と「無」を冠したところで意味的に変である。何とか一字で的確に否定したいのだが、どうもうまくいかない。苦肉の策がカルビー「じゃがりこ」のこの表記なのだろうが、決してセンスがいいとは思えないパッケージだ。だからといって、代案がないのが悔しいのだが・・・。

本旨とは違うが、「じゃがりこ」パッケージには、日本語的にではなく、メッセージとして変なものもあった。

「電子レンジ不可」というものだ。   誰が「じゃがりこ」温めるねん! 

「じゃがりこ」という商品名は、語感としてはすごくセンスがあると思う。ファンである
だからこそ、余計にパッケージの表記が気になった。 

2008年11月28日金曜日

テクニックへの目覚め

音楽に目覚めて30年、曲を作り出して25年、バンドというものを初めて23年、それなりにやってはきたのだが、「上手くなりたい」という欲求は、本当にはなかったような気がする。

初めて友人からフライングVのエレキギターを借りて弾いた時、とりあえず弾きたいと思った曲は練習した。キッス、オジー、ラット、ツェッペリン、レインボウ、イングウェイ、イーグルス、ラウドネス、アースシェイカー・・・、その当時聴いていた曲と、「ヤングギター」にTAB譜が載ったものとをつまみ食いしては、それなりに弾けた気にもなっていた。コードも知らないのに早弾きから入ったギターキッズの悲劇だが、その後にコード弾きをした時に、簡単だと勘違いした。

コピーはすぐに飽きて、自分で曲を作るようになると、自分がその時に弾けるコードから量産し出した。

歌を歌うようになったのが、20歳の時。バッド・カンパニー、フリーなんかをコピーしたのだが、人の曲が優れていれば優れているほど、「これが自分の中から生まれた自分の曲ならな~」と悔しくなるジレンマを感じ、名曲はリスナーとして満足するようになった。

そして今のようなバンドを組み、作詞、作曲するというスタンスになってきた。

曲を作って持っていくと、己のテクニック面はバンドが補ってくれる。そう勘違いしていた。確かに俺以外のメンバーの技量は上手いのだが、そこに混じっている俺自身が必要なテクニックが何であるかも、自分の楽曲を披露する喜びで麻痺していたように思う。

「上手くなりたい」という願望を勘違いしていたのかもしれない。「へたうま」と言われる方々のかっこいい演奏を聴いているうちに、自分にはその領域はないのに、そうだと勘違いして、テクニックを磨くことに貪欲なところが欠如していたように思う。

最近になってようやく、自分が作った曲が、もっとよくなり、広がる可能性があるにも関わらず、己のテクの領域に支配される悲しさをすごく痛感しだすようになった。

ギターに関しては、やっと自分の出せる音を認識できるようになってきたレベルだが、優れたギター人に恵まれ、俺のリズムギターはそれなりに味も出てくるようになったと思っている。弾き語りで演奏する分には、まだまだだが、今は歌のサプリメントとなる土台としてのギターはだいぶ弾けるようになってきたと思う。問題は歌だ。やっと歌い手としての当たり前のことに悩み出している。

最近やっと俺は音程がファジーであることに気づいた。たどりつきたい音があるのに、そしてそこにたどり着いていないのに、何だかたどりついたような気になっていた。耳が悪いのだ。正確にいえば、自分たちの曲を全体像として聴いていて、肝心の歌に注意して聴いていなかった気がする。

ピッチ悪い悪い。息継ぎ悪い悪い、かつぜつ悪い悪い・・・。耳が良くなったとも思えないので、聴く技量が上がっただけなのだろうが、最近は自分の歌の細部にすごく耳がいく。

ハイ・ソウルで声量はあると思う。今ほどPAも発達していなかった時には、ヴォーカルは、とにかく声量があってなんぼ!と思って、大きな声を出すことしか念頭になかった。元来の美声と歌う才能を持たない俺は、ラウドネスには自信があった。それにものを言わして、低レベルで満足していた。通る声と、声量レベルとを混同し、いかがわしい枯れ声を武器と思っていた。

若い時分は、森を見ずして木を見るもののようにテクニックの向上を捉えていた。だから、テクニック練習というものを、軽く見ていた。さらに細部に目がいくことを忌諱していた。

確かにそういった面もあるだろうし、その勘違いを否定はしない。勘違いしたおかげで作り出せてきた音楽観、ロッキンな道筋、そして楽曲もあったと思う。

だが、今ならいくら木を見てもその奥にある森を見失うことはないような気がする。むしろ森を彩らせるための筋の通った木のあり方を模索できると思う。技術向上に対する遅い目覚めとはいえ、今から意識して技量向上させることは、すごく意味がある気がする。

今の生活環境において、意識レベルで出来るレッスン、物理的レッスン、両者ともに続けていきたいと思う。

俺はテクニックでリスナーを圧倒させたいのではない。上手く聴かせたいからテクニックを身につけるのではなく、俺たちの音楽を聴く人たちが俺のテクニックに耳がいかないようにテクニックを身につけたいのだと思う。

この逆説は、ローテク・ハイソウルだけを標榜して突っ走った日々があったからこそのものであり、テクニックの正しい解釈だと思う。イッツ・ロック!

2008年11月26日水曜日

景観の画一化と高さへの挑戦

今日、嫁を迎えに行った時に駅前の建設現場を通った。銀行跡地とはいえ決して広くはないスペースにホテルを建設中で、早くも高い囲い枠が張られていた。

新聞紙上で既に知っていたのだが、「ほんまに建てるんや?」と少々驚いた。人口たかだか20万人弱の地方都市であり、既に駅前には大手のテナント付きホテルが2件、ビジネスホテルが思いつくだけでも8件ある。また、駅から1キロちょっとのところにアパホテルもある。

数々の成功例に裏付けられた商圏調査がしっかりなされた上での新ホテル建設の着工だとは思うのだが、実感としてはそれほど需要があるように思えない。今日も駅前は人がまばらであり、典型的な賑わいを無くした地方都市の駅前の光景であった。

銅器、アルミの地場産業があるので、出張でのビジネス客はそれなりにいるのだと思うが、α1のようなビジネスホテルとして限定したホテルならいざしらず、シティーホテルが建つのは理解が出来ない。客室の稼働率が何割で利益が出るのか知らないが、損益分岐の数字を維持できるとは思えず、赤字経営で破綻したら、駅前に高いビルの廃墟が出来る。それを心配している。

県庁所在地の都市はもちろんのこと、ちょっとした市の駅前には、全国的に高いビルが建っている。電車に乗っていて、少し有名な都市に近づくと、高いビルが立ち並ぶ光景に車窓が変化するのがわかる。

おまけに全国規模の看板がネオンを形成し、その都市を他の都市と区別するだけの特異性がなくなっている。

きらびやかな高層ビルがある横で、廃墟寸前のような雑居ビルがある。サラ金の看板があり、英会話学校の看板があり、全国チェーンの居酒屋、飲食店の暖簾、看板が見える。全くもって日本全国の地方都市は画一化されてしまったと思う。

全国にたくさんいる市長の中で、1人くらい高層ビルを作るのではなく、せいぜい5階建ての団地レベルの高さで、規制を設け、高層ビルのない町並みを誇りに、人工的虚飾をせずに、地場産で町おこしをしようという人はいないのだろうか?

地方都市の駅前に、昔の宿場町のような粋な宿が軒を連ねる。地方の名産を取り入れた特色ある飲食店が町を彩る。そんな町が増えたなら、列車での旅はもっと楽しくなるだろうと思う。風土が生んだ景観によって作られた光景の際が見て取れると思う。

面積が少ないところに人が溢れたから、仕方無しに上に体積化してスペースを生み出した都会は仕方ないと思うが、日本全国こぞって高いビルを作ること、モダンなビルを作ることに躍起になる精神が、実に安っぽいような気がする。

人間は高さを競う習性があるのだろうか、横の市が100メートルのビルを作ったら、俺ところは120メートルのものを建てよう! といった具合に高さ競争をする傾向があると思う。

ジェットコースター、観覧車なんかの売り文句もそうだ。「日本一の落差、高さ」、そしてそれはすぐに更新されるのだが・・・。

少し前のニュースで、ドバイで強烈に高い(キロ級??)ビル建設計画があると聞いた。いくら桁違いの成金地区とはいえ、正気の沙汰とは思えない。

「バベルの塔」の話を小学生の時に興味深く、何度も読んだ。バベルの塔の高さは神への挑戦を意味していて、それに対して神様は、作業員の言葉を乱した。意思疎通を不可能にし、それがバベルの塔の崩壊に繋がったという。そしてその時から今のような多言語世界が出来たという話だ。

この話を小学生の時に知って以来、高層建設が目立つ都市開発を潜在的に忌諱するようになってきている気がする。高さが怖い。俺が高所恐怖症なのもこれが原因かもしれない。ジャングルジム級の高さでも、神の裁きを受けそうな気がする。ちがうか?

全国が画一化されていくこと、そういえば方言も昔ほど地方を映さなくなった。全国ネットで標準語と強い関西弁が垂れ流され、豊かな地場の方言もイントネーション、言葉に輝きを失いつつあると思う。

いっそのこと、神様の逆鱗にもう1度触れたほうがよいのかもしれない。そうすれば、地方が地方の言葉を取り戻し、地方の景観を適切に時代調和させるだけの心が戻ると思う。

たかが、新規ホテルの建設現場を見たくらいで、何を大げさな!と思うかもしれない。だが、景観の画一化、そしてその原因である高さへの挑戦がずっと気がかりだ。

和歌を否定してみる

仕事で暇な時に、「百人一首」、「万葉集」などの和歌をじっくりと読んでは鑑賞体制に入るのだが、どうも面白くない。良さがわからない。自然の情景が現代とは違い過ぎて、想像力を喚起するのに一苦労である。否定すると己のしょぼさを認めるようで嫌なのだが、わからない。

「百人一首」編纂者、藤原定家のおっさんの鑑賞眼も大したことないなと思いながら読んでいる。高尚で言葉選びも秀逸なのであろうが、自然環境、生活環境も今とは違いすぎて、素直に奥ゆかしさを鑑賞すべきなのだができない。どうも秀歌に思えない。

和歌を鑑賞できる人をすごいと思ってきた。自分もそうなりたいと思っていた。何だか高尚な感じがするし、和語に対する造詣と鑑識眼がある人に憧れていたところがある。だが、わからないものはわからない。

低俗な視点からいちゃもんをつけてみる。

「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ   山部赤人」

富士山の雄大さに対する感動を詠んだものであろうが、こんな歌なら誰でも詠める。

山部赤人君が北陸に訪れたならば、

「灘浦にうち出でて見れば白妙の立山峰に雪は降りつつ  山部赤人@越中」

と詠んだであろう。たいしたことない駄歌である。

雄大な山と雪景色の組み合わせを最初に詠んだから価値があるだけで、別に着眼点が面白いわけでも、深い味わい、余韻をもたらすものでもない。

山部赤人君が、現代に舞い降りたならばきっとこう詠む。
「六本木 迷い込んだら 上見上げ ヒルの高嶺に 雪は降りつつ  山部赤人@上京」

冬に田舎から上京して、初めてポンギを訪れたおのぼりさんのアンニュイな心境をよく表した歌である。こちらの方が秀歌だと思うのだが・・・。

この山部赤人というおっさんの歌は万葉集にも載せられている。

「春の野にすみれ摘みにと来し我そ野をなつかしみ一夜寝にける」

【歌意】春の野にすみれをつみに来た私は、すみれの咲いた野原があまりに心地よいので思わず一晩をそこで過ごしてしまったことよ。

これは赤人君の作り話やと思う。春とはいえ、オーナイロングは風邪ひくやろ! いくら綺麗なすみれであっても、夜通しそれに見とれて、その空間にいたいと思えるほどの、すみれフェチがこの世にいるとは思えない。古の時代であっても然りだ。赤人の嘘つき!

他の歌人に目を向けてみる。

「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に 小野小町」
【歌意】桜の花のような私の容姿もすっかり衰えてしまったことよ。むなしく長雨を眺めて物思いにふけっていた間に」

こら!小町! 何勘違いしとんねん! 桜にわが身を例えるな! その神経が「いたづら」じゃ。それに容姿が衰えるまでの長雨やったら、洪水なるっちゅうんねん! 

未練たらしい逢瀬の歌も気に食わない。

「やすらはで寝なましものをさ夜更けて傾くまでの月を見しかな 赤染衛門」
【歌意】来る気がなければさっさと寝てしまったのに、あなたの言葉を信じて西に月が傾く夜更けまで待ちましたことよ

「いま来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな 素性法師」
【歌意】すぐ来ますとあなたが言ったばかりに毎晩待ち焦がれていると、九月の長い夜に明け方の月の出まで待ちましたよ」

両者共に、「ほんまかい!」と思いながら、いじいじした女心をおっさんが詠んでどうすんねん!と、きもおやじに対して侮蔑の言葉を用意していたら、赤染衛門は女性やったみたいだ。まぎらわしいっちゅうねん! そして、素性法師は百人一首の絵を見る限りおっさんだが、素性不明だ。まぎらわしいっちゅうねん!

この2首は完全に歌世界がかぶっている。小室氏の歌詞世界みたいだ。こんな同じ匂いの歌を一歌集に編纂するのはどうかと思う。赤く染めた奴と、素性不明の奴、どちらも歌人としてはしょぼい。

正直に申して、ジャポンの伝統ある和歌というものに対して、それを味わうだけの根本的な素養が俺には欠如しているように思う。音楽を作る上で、歌詞の言葉を紡ぐことに1番精力を傾けている身として、この和歌なるものの言葉と、そこに宿る何かを嗅ぎつけようと、それなりに努力しているのだが、どうも面白くない。

和歌の素晴らしさに魅せられ、これにどっぷり浸かれる人の境地とやいかに? 和歌の良さを理解できる人間に憧れていた時期もあったのだが、今は自信を持って言える。

「わからない。」 否定したくて否定できなかった和歌をとりあえず否定してみる。

2008年11月25日火曜日

ザリガニ

今日、生徒との何気ない会話の中でなのだが、面白いことを聞いた。

「あのですね~、うちの裏に下水みたいな汚い水が流れる用水があるのですが、そこにザリガニがいっぱい繁殖して、5キロくらい離れたところからでも小学生がザリガニ取りに毎日やってきて、すごく迷惑なんです。」とのことだった。

俺は興奮した。ザリガニ取りに関しては俺も小学時代にかなり夢中になったことがある。富山のうちの近くにザリガニがうじょうじょいる場所も知っているし、捕まえはしないが、奴らがはびこっている現場を、わざわざ車を停めて定期的に観察するくらい、今でも好きだ。

ザリガニというやつは、綺麗な水では見かけたことがない。かなり濁って、油膜も浮いているような不潔な場所にいることが多い。あくまで体験上の話であって、何でそんなところにばかり住んでいるのかを、わざわざ調べるといった方面の興味はない。ただ、いっぱいいる現場を見るのが楽しい。

今でもザリガニに夢中になる子供がいることに嬉しくなった。

屁垂れの俺は、ザリガニが怖い。奴らを素手で掴むのは、罰ゲーム並みの屈辱と勇気がいることだ。だが見たいし、釣りたいという矛盾した欲求がずっとある。

俺が幼少時によく釣りに行ったところは、日当たりゼロの水溜り以上、沼未満みたいなところであり、恐ろしく不気味なところだった。近くには戦前、結核病棟として有名だった病院があり、車が通れない細い道沿いにあった。

そこにザリガニがいたことを見つけたのは偶然だった。たまたまその道を通りかかったら、何でかしらないが、水中からあぶれたザリガニが道を横断しているのが見えたのだ。そして水溜りのほうを見ると・・・、「うそ~~ん」というくらい、数メートル先の水面に奴等の影が見えたことが始まりだった。

それからは連日、タコ糸と竹輪を持って釣りに出かけた。見えているのだから網ですくっても取れたのであるが、竹輪で釣るのが楽しくてたまらなかった。

俺は怖いので、釣れたザリガニは友人に離してもらっていたのだが、その友人はワイルドだった。

餌の竹輪がなくなると、ザリガニの尻尾部分を両手で引きちぎり出した。すると、海老みたいなプリプリの剥き身が飛びだすのだが、それを彼は餌にして次なるザリガニを釣るのだ。それがまたよく釣れた。ザリガニは共食いを習性とするみたいだ。

釣ったザリガニをどうしたのかは覚えていないのだが、家に持ち帰っていないことだけは確かだ。でも毎日大量に釣っていた記憶がある。

アメリカザリガニは食べられないことはないようだ。伊勢えびを小さくしたようなものだから、食べられる上に、決してまずくないことは想像に難くない。

『冒険手帳』谷口尚規著(光文社知恵の森文庫)によれば、「海でとれるエビと同様、焼いても煮てもよい。泥を吐かせてから料理するのがコツ」だそうだ。

伊勢えびを高級料理と認識しながら、アメリカザリガニを食したいと思わない感覚というのは不思議なものだが、その原因は、結局彼らの住処にあるのかもしれない。

海にいるものには、潜在的に食用のイメージが喚起され、湖沼にいるものにはそのイメージが喚起されにくい生活体験を俺はしてきたのかもしれない。海が身近になかった環境で育った俺は、身近で見るものを食す動機にはなれなかったのだろう。

まして、アメリカザリガニの住んでいる所といえば、汚水も汚水・・、反吐が出そうな濁り水にいる奴らを体験的に知っているから、食欲をそそらないのだろう。

食欲はそそらないが、見たくなる。この心理がなんなのかはわからないのだが、明日出勤前に、冒頭の生徒が教えてくれたスポットを見に行こうと思う。

今日、京阪電車にワームをばら撒いた、壊れた奴が捕まっていたが、いったいどんな奴なのか、壊れ方がえぐいだけに興味をそそられる。見てみたいと思う欲求もある。ちょうどザリガニを見たいと思う欲求と似ている気がする。

2008年11月23日日曜日

高画質に噛み付く

俺の家では俺以外は、非常に金が貯まる性質だ。別に吝嗇で生活を特に切り詰めたりしているわけでもないのだが、金が減らない人たちである。

義父を連れて遊びに行った時、「俺は半年前に3万円を財布に入れて以来、今でも1000円しか減っていない。ガソリン代出したろ。」と言われたことがある。何でも、たまにポカリスエットを買った記憶があるぐらいだという。

義母、嫁にしてもそうだ。特に切り詰めた感じはないのだが、自然と毎月の給与が黒字計上されていく。おかげで俺も恩恵にあずかっているのだが、不思議で仕方がない。俺よりも物を買ったりしていて、豊かな暮らし向きのような気がするのだが、金の使い方は不思議である。

こんな我が家で、俺にはとうてい理解できない金銭感覚が披露される時がある。テレビに対する金のかけかただ。

我が家にはテレビが4台ある。台所、居間、両親の寝室、2階の部屋にそれぞれ1台ずつだ。

俺はテレビをあまり見ないので、テレビを買い換えても言われなければ気づかないくらいなのだが、居間にあるテレビは、超薄型でやたらと画面が大きい。以前、嫁から教えてもらったのだが、50万円くらいしたらしい。それもいきなり電気屋に行って、即キャッシュで決めたらしい。

2階のテレビも薄型であり、嫁は値段を言わないが、それなりに高いみたいだ。

50万円・・・・・、俺にしてはもったいなすぎる使い方であり、50万円あれば、ギターと真空管アンプを買うことしか頭にない。それをたかだが、テレビなんかに・・・・と思ってあきれたことがある。だが、彼らのほうが、金が貯まるので文句も言えない。

ちなみに、俺の乗っている車は、諸々込みで、乗り出し34万円だ。テレビに負けているのが悔しくてならない。

色んな価値観があるのだろうが、うちの義父母、嫁みたいな人が多いのだろう。いつもテレビの最新型がコマーシャルされていても、まったく興味もいかないが、コマーシャルするだけの見返りが家電メーカーにあるのだと思う。一生理解できないとは思うが・・・。

地デジなる言葉がよく聞かれるようになった。未だによく意味がわからないのだが、昔のテレビは使えなくなるか、チューナーを用意しないといけなくなるような話である。

陰謀だよこれは・・・。利権だよこれは・・・・。 今まで見えていたものを、どういう理由かしらんけど、何で??という以外の理由が見当たらない。そら、大義名分は山ほどあるのだろうが、今でも十分綺麗に写っているのに、さらに高画質を求める人間の心理に便乗した金のなる木の育成だ。

そして、さらに気持ち悪いのが、ブルーレイとかいうやつだ。DVD映像よりもさらに綺麗になるらしい。

レンタルビデオがレンタルDVDになって、それはそれはもう、十分な境地であったにも関わらず、さらにまたわけのわからない機器を用意するという。円地文子さんの「めがねの悲しみ」ではないが、何もかもくっきり見えなくても良い部分が多いであろうに、そんなに高画質を求めてどうするの?と、金の貯まらない俺はひがみたくもなる。

カセットウォークマンが出て、俺が手に入れた頃にはCDウォークマンが出た。そしてまた俺が手に入れる頃には、MDウォークマンが出た。そしてまたまた手に入れた頃にはアイポッドなるものが出た。

映像機器も同じだ。俺がベータのビデオデッキを手に入れた頃には、ベータはVHSと比して落日だった。レーザーディスクが出て、すご~いと思っていたらDVDが出た。やっとDVDの環境になれたころに、ブルーレイなんていうものが出てきた。

次々にすばらしきものが出るのは構わない。だが、昭和末期から平成以降、ちと、その速度が速すぎないか??と思う。新製品が開発される速度があがる一方で、製品の耐用年数は短くなっている。昭和中期までの電気製品は、それはそれは頑丈で、長持ちするが、それ以降の商品はすぐに壊れる。これを陰謀と言わずして何と言う?

不満は垂れているが、俺みたいな人間にとっては、旧式のラジカセなんかの機器が安く手に入るので決して悪いことばかりではないのだが、地デジに始まり、ブルーレイにいたる高画質思考は、ちょっと性急ではないかと疑問を持たずにはおれない。そんなにリアルに高画質で人の顔見たり、景色見たりしてどうなるの?と・・・。自分の眼で実際に見た時の感動を、茶の間の高画質慣れで減少させるだけのように思うのだが・・・。

真空管のギターアンプを買おうかと検討している。そんな俺にとって必要な金額は、我が家のテレビにかけた費用総額の8分の1ぐらいである。そうなると、恨みはテレビに行く。

あの、薄くて横に広くて、使いこなせないリモコンボタンがいっぱいあるテレビよりも、真空管という原始的な温もりを欲する時代にはならないものか?比較対象機器が違うのでフェアではないが、何ともいえない不満に包まれている。

ブルーレイが映し出す映像は、肉眼で見ている映像並みにすばらしき映像を映し出すのかもしれない。だが、それを見ている時間に比例して、肉眼の映像能力は劣化する。もともと最上級の高画質を持った肉眼を、人工的な高画質が劣化させていく構造は、恐ろしくもある。そして、肉眼で自然の光景を愛でる能力も、箱庭映像になれた人からは奪われていく。 高画質と引き換えに、人の目は温もりを失っていっているような気がする。

2008年11月22日土曜日

大掃除の決意

今日は、「いい夫婦の日」だそうだ。わかりやすい語呂合わせだ。
結婚して12年、付き合い期間を含めると人生の約半分近くを嫁と過ごしていることになる。血は繋がっていないけれど、完全なる肉親だ。

結婚前の俺は、料理は全くせず、洗濯は、洗いはするけど、干したりたたんだりはせず、地べたに放っておいて、自然乾燥を待っていた。湿気った畳に黴が生えたこともある。

だが、部屋の整理はしっかりしていた。好きなレコードジャケットを壁にかけ、CD、書籍はしっかり整理し、埃も1週間に2度は金鳥サッサで拭き拭きした。テレビも空調もない部屋だったが、実に快適な空間であった。

自慢じゃないが、俺は職場においても、整理能力の高い男であり、机は誰より物が少なく整理されている。事務処理においても神経質ではないが完璧な処置を施せていると思う。

だが、家庭内においてはどうか?? 結婚してからは全く掃除をしなくなった。嫁がしてくれるからと任している間に、掃除機がどこにあるか、雑巾1枚取り出すのにも、どの引き出しに入っているかも、わからなくなった。2人でアパート暮らしをしている時は、休みの日に嫁が掃除している間は、俺は邪魔をしないように隣のパチンコ屋で博徒と化していた。

その後、嫁親と同居を始めて7年目になるが、同居してからは、ひたすら義母が共通の生活空間の掃除をするので、嫁は俺たちの空間である2部屋だけを、ワイルドに掃除するだけになった。義母が他の部屋を掃除している間、俺達は遊びにいったり、寝ていたり、すき放題している。

すっかり掃除する習慣を無くした俺は、とにかく物の整理が出来なくなった。CDはラックに整理もされず、どかんと重ね置きされ、聞きたいCDを出す時にかなり苦労する。

もっと乱雑なのが、書籍だ。押入れの中に未整理状態の3段ラックが3つ、2回の踊り場に乱雑な文庫本書棚と(写真)3段ラックがある。それに、読んだ本をアカサタナぐらいの分類で適当に放り込んでいく。あと、学習机にどかんと山積み、ベッドの頭に常時5冊ほど、車の中に10冊ほど、カバンに10冊ほど、職場にも個人書籍が多く置かれている。

さらに、ギター、エフェクター、シールド、弦など音楽関係のものも決まった置き場はなく、畳に転がっていたり、車の地べたに落ちていたりする。

郵便物なんかは、机の隅で未開封のものも混ざって置かれている。机の引き出しを開けると、数年前に集めていたベルマークと、ベルマークのついたチョコボールが、漬物みたいになって出てきた。賞味期限を過ぎたガムが、夏の高温で溶け出して引き出し底に張り付いていたり、飲みかけのウーロン茶のペットボトルが、ウイスキー「山崎」みたいな色になって入っていたりもする。

そのくせして、義母と嫁が俺の空間を整理しようとすると、俺は逆切れするので、彼女達も困り果てているようだ。そろそろ、怒りの鉄拳が振り落とされそうな気もする。

危険を感じたからだけではなく、その他にも色々思うこともあって、今年の年末は、久しぶりに大掃除をしようと思う。煤払いといった上級者の掃除ではなく、初級者の、身の回りのブツ整理だ。

要らないCDは、ヤフオクで100枚ほど売りさばいた。あとは一生聞き続けるであろうCDだけになっている。だから、CDラックはカテゴリー整理だけでよい。

書籍は毎年、文庫本を100冊ほど捨てているのだが、それでもたまる。これらはもう1度整理しようかと思うのだが、基本的に2度読みしたければまた購入すればよい。入手困難な絶版本以外は、処分しようと思う。ヤフオクに廉価な書籍を1つずつ出品するマメさは俺にはない。

ダンボール詰め、着払いでよければ、何箱になるかわからないが、差し上げたいと思うので、転売方法なんかにあてがある方は御一報いただきたい。もちろん、全部読んでいただければ1番良いのだが、それよりも処理、整理能力のある愛書家の処遇に委ねたい。
古本屋に来てもらってひきとってもらってもいいのだが、自分が読んだ本が、1冊10円くらいでソロバン勘定されるくらいなら、塵にするか、読みたい人の元で、必要書籍を除いて処分されるほうがいい。

不要なものをとにかく捨てる。物を減らす。そして市の焼却場に持って行く。要るものは分類分けして整理する。実に面倒で1番苦手な作業だが、年内にやってみようと思っている。

からっぽで、すきすきになった書棚の一角には、金魚鉢を置いて、どじょうなんかを飼いたい。その横に今後読んだ本をちょっとずつ、遠慮がちに置いていきたい。花をそっと置いてみるのも楽しいだろう。

からっぽの引き出し、すきすきの机には、音楽関係の機材、音響機材を整然と収納、配置し、至福の空間を作り出したい。

整理能力を身につけた俺、それに感心する嫁、俺達がよい夫婦であるかは客観的にはわからないが、自己満足でもあり続け、近い将来にパパとママになれたらいいと思う。

2008年11月21日金曜日

子供に携帯電話は必要か?

子供、特に小学生、中学生に携帯電話を持たせるかどうかの是非が、ことあるごとに盛んに議論されている。本当に難しい問題だ。

個人的な考えでは、現在の公衆電話環境を無視して言うならば、まず否定したい立場だ。子供が携帯電話を本当に必要とする場面はあくまで例外であり、どうしても必要な時には親のものを一時的に貸せばよい。

いくら保護機能があるとはいえ、携帯電話を持った子供が、携帯電話を使って何をするかといえば、通話以外のものに多く時間が費やされるのは明らかだ。あれば興味を示し、その世界に没頭してしまうのが、子供の性質だと思う。

たかが手のひらサイズの物体、小さな世界で時間を無駄に使うには、子供の時間は貴重すぎる。かけがえのない時間を浪費させないためにも、与えないほうがよいと思う。子供にとっての携帯電話は、しょせんおもちゃであり、それも建設的ではないおもちゃだと思う。

上記のような気持ちがあるが、現状を見るとどうだろう? 昔は、携帯電話を持たせなくても、どうしても連絡をとる必要があれば、町のいたるところに公衆電話があった。だが今は?

先日の入院に際して、俺自身が公衆電話を探すのにかなり苦労し、公衆電話の減少を実体験した。入院が決まり、身の回りのものを持ち込むために、一時帰宅する時のことだ。
入院が決まった旨を職場や、関係先に数件連絡する必要性があったのだが、あいにく携帯の電池がなくなっていた。

病院内ですればよかったのだが、俺は甘く考えていた。バス停まで歩く途中にでもあるだろうと軽く考えていた。しかし。歩けど歩けど見当たらない。入院で気持ちも滅入っていて、ゆっくり歩きながら考えたいこともあって、バス停を素通りし、病院から駅までの長い道のりを歩いた。

結局、最初に公衆電話を発見できたのは、市役所がある大通り沿いのバス停横だった。大人の足で20分くらい歩いた後のことだった。それも、たまたま市役所という公的機関があったからいいようなものの、なければもっと状況は違っていただろう。道路沿いの公衆電話を意識して観察したが、本当に減っている。

このような状況で、小学生が単独、もしくは子供だけで行動する時に、携帯電話なしで、「何かあったら電話しなさい」と親が言ったところで、環境自体が整っていないのに、それは意味をなさないだろう。

子供の携帯電話に関する議論は、今ほど携帯が普及しない段階、公衆電話がかくも撤去されない段階でするべきであったのかもしれない。現状では携帯無しでの外部からの連絡環境は悪すぎる。

まして、昔には少なかった子供の塾通い、子供の私立小・中学への電車通学が、特に都会では増えている。そうなると、安全面から何か連絡をする必要性が増える事態は当然増える。まして、親も昔のように家にいる比率は少なくなっている。

携帯から携帯への連絡環境を、例外的ではなく、恒常的に必要とする子供が増えている現状では、携帯電話の是非自体もむなしい議論かもしれない。

単純に、連絡需要が高い子供には持たしてあげ、少ない子供には持たせないという、完全親裁量にすればよいのだが、親の裁量基準自体が適正に均一化されるわけもない。そして、友達が持っていたら欲しくなるのが子供の性質だ。こうして、色んなデメリットを解消しないまま、子供の携帯電話の普及率だけが上がるのが今後だろう。かなり危惧すべき問題のような気がするが、動き出して、もう止まらない流れのような気がする。

親が安全のために子供に携帯電話を持たせること、気持ちはすごくわかる。俺ももし親になったらそう思うと思う。だが、まだ子供がいないうちに自分に戒めていることがある。
「自分の不安を減少させるためのことに安易に逃げないでおこう。」ということだ。

子供が外で時間をすごせば、物騒な世の中、危険は当然ある。親としては気が気でない。だが、過度な子供への配慮は、結局は親が自分の心情の辛さを緩和するための処遇に過ぎず、本当の意味で子供視点に立っているものではないような気がする。自分可愛いさからの利己的な処遇であると思うのだ。

そんなものに逃げるよりも、子供は大丈夫か?という不安を抱えながらも、それを克服する強さを親自身が持つべきだと思っている。

「昔」は全て「善」で、「今」は全て「悪」というような、懐古主義者ではない。文明の利器を賢く使っていくことにも肯定だ。だが、今よりも貧しかった時代には、親と子供の適切な距離が保たれていたような気がする。親心は今も昔も同じだ。変わったのは、親の精神的強さだけだと思う。

子供への携帯電話の是非は、親の子に対する接し方、親自身の精神的発育への反省も含めて議論すべきことのように思う。

2008年11月20日木曜日

大人向け参考書(数学篇)

中学生の数学の問題というのは、実感がわかないものが多い。もうちょい、現実感のある問い方にすれば理解しやすいと思っているのだが・・・。

例えば、一次関数の定番問題にこんなものがある。俺が中学時分に同様の問題を見かけたので、少なくとも25年以上は使い続けてこられた問題だ。

「A君の家からB君の家に行くまでに公園がある。A君の家から公園まで、公園からB君の家までの道のりは、いずれも2kmである。A君はB君の家へ行くために10時に家を出発し、B君はA君を出迎えるために10時30分に家を出た。右のグラフ(省略)はA君がB君の家に着くまでを表したものである。次の問いに答えなさい。
(1) B君が家を出て一定の速さで進み、10時40分にA君に会えたとする。B君の進んだ様子をグラフに書き加えよ。
(2) B君が毎分80mの速さでA君を迎えに行くとすると、2人が出会うのは10時何分か?

そして、横軸に(分)、縦軸に(km)のグラフが書いてある。

一次関数y=ax+b のどこを問うかを変えただけであるが、実例として使われる定番である。後は水槽を使ったものもよく使われる。

数学というよりは国語の問題であるが、この問題文章を読む気になるかというと、俺はならない。A君、B君という表記からして、気にくわない。日常の現象を文字式にして証明するのが、数学の本質であり、中学生にはその基本を教えるという意味では仕方がないのかもしれない。

だが、面白くないものは面白くない。自分が解きたくなるような問題を自分で作って楽しんでみるという時間の過ごし方・・・、すごくしょぼい楽しみだがいいだろう。仕事中に上記の問題を「24」風味に変えてみて、1人で受けていた。変なおっさんだ(泣)

「核兵器の脅威を取り除いた連邦捜査官のジャック・バウワーは、捜査中に受けた拷問の後遺症で、心臓を患う。苦しみながらCTU本部への道のりを歩く。途中に娘のキムが待っている自宅がある。ジャックにとって1番気がかりなのはキムである。ジャックが今いる地点から自宅まで、自宅からCTU本部までの道のりは、いずれも2kmである。ジャックはCTU本部に行くために10時に歩き出し、CTU本部のトニー・アルメイダはジャックを出迎えるために10時30分にCTU本部を出た。右のグラフは、ジャックがCTU本部に着くまでを表したものである。次の問いに答えなさい。」 といった具合だ。

実に偏狭であるが味わい深い問題だ。調子にのって続ける。

この手の問題には、よく、A君が出かけた後に、B君が追いかけるという場面設定も出てくる。何だか実感がわかない。追いかけられる必要性を感じない。

再び、「24」風味に変えてみる。

「核兵器を爆発させると予告したテロリストの1人を、瀬戸際で捕獲した連邦捜査官のジャック・バウワー。安心したのも束の間、彼は銃撃を受け、動けなくなる。そこにテロリストの一味がおしよせる。
CTUの捜査員は、時速300kmのヘリでジャックのいる10キロ先の現場に向かう。一方、テロリストは、時速80kmの速さでジャックのいる2キロ先の現場に向かう。果たしてジャックは助かるのか?

そして究極の設問が、 (問1)ジャックは助かるか?  というものだ。

ジャック・バウワーは「24」の主役やで! 計算しなくても、文系的に「助かる」と書いて正答を得る。なんて素敵な設問だろう。

だが、中学生に、このしょぼくて味わい深い設問を味あわすのはもったいない。

大人で数学を中学レベルからやり直したいと思っている人に、「24シリーズ」、「ドラえもんシリーズ」、「冬ソナシリーズ」、「エヴァンゲリオンシリーズ」なんかを作って、上記の主旨で問題を作り変え、解説を施した参考書を作ったら、ベストセラー間違いなしだと思う。試しに「24シリーズ」で、市販問題集に載っている一次関数の問題を全部作り変えたろうかなと、まじで思っている。 こういうことには熱意がわくのだ!

だが、問題がある。「キム」を登場させた時点で、数式は予期せぬ方向に向かうことが必至なのだ。ジャックがキムに会う度に、ジャックの進む速度を設定しなおさなくてはならない。おまけに、「キム」は予期せぬトラブルを持ち込む悪霊のような娘だ。非常に難解な数式設定になるだろう。いや、数式で表すのは不可能である。

世の中の現象は、数式で表せないことだらけだということを最後に学んで終わる・・・といった、「大人向け数学参考書(24シリーズ)」というのも、それはそれでいいと思うのだが・・・。

「24」は、今日からシーズン3に入った。今さらながらの遅い目覚めだが、興奮の比例定数は高くなる一方である。

2008年11月19日水曜日

自分に凹む

元厚生事務次官と家族への殺傷事件が起きた。まだ断定はされていないが、厚生行政に対する怨恨からのテロであるのは間違いないだろう。

「罪を憎んで人を憎まず」ではないが、いくら怨恨があるとはいえ、許される行為ではない。次官のしてきた仕事はお世辞にも立派だとはいえず、むしろ、むちゃくちゃであり、国民の税金に対する意識は限りなく薄かったと思う。だが、それだからといって、人命とひきかえの代償を払う必要は全くない。まして、奥様に対する凶行には心が痛む。

厚生行政は国税をむちゃくちゃに浪費した。甘い汁を吸いまくって、ぬくぬくと仕事をしてきた人たちが、負うべき責任は大きい。だから、以前のブログでもふれたが、彼らの老後の最低生活保護だけを保障する代わりに、全財産を没収したらいいのだと思う。もしくは、牢屋入りで余生を過ごさせればいいと思う。

そうすれば、浪費した金額にはとてもじゃないが及ばないが、個人レベルで出来る償いは果たしたことになる。そして、今回のような惨劇には至らなかったのではないかと思う。責任の所在を明らかにし、責任者に厳罰を下さなかったことが、こんな事件を生んだと思う。

怒りの向けどころを間違える狂人は必ずいる。だがそんな狂人も、怒りの原因である人が、現時点で取れる限界の責任を負わされたならば、凶行にいたるまでの狂い方はしなかったと思う。

厚生行政絡みの関係者への警備強化がなされているが、長期的な解決にはならないと思う。テロリストに怯えるのではなく、堂々と顔を出し、自分がしでかしたことを全て白状し、精一杯の償いをする機会を与えてあげたほうが、対テロ面でも、真の厚生行政においても問題解決になると思う。

人が亡くなっている事件について、こんなことを書くのは不謹慎であり、本来ならスルーしようかと思っていたのだが、この一報を聞いた時に自分が抱いた感想が、あまりに人間としてずれていて、自分自身に凹む部分があったので、懺悔を込めて書している。

「罪を憎んで人を憎まず」と書いたが、実は、「ざまあみろ」と思ってしまった自分がいた。
「今までの悪事に対する天罰じゃ。」とまで・・・。遺族が聞いたら卒倒しそうな感想も正直抱いてしまった俺がいた。

ほんと情けない。今まで37年間生きて、何を学んできたのだろう?本質が全然見えておらず、感情的なだけである。何より命というものに対する重さを全くわかっていない。テロリストを非難しながら、彼らと同じレベルの精神構造を俺は持っているのではないか?と、空恐ろしくなった。

亡くなられた次官が1人で厚生行政をむちゃくちゃにしたわけでもなければ、次官なりの良い仕事もたくさんあっただろう。厚生行政の責任は組織ぐるみのものであり、1人の人間に全責任が負わされるものではない。だから、どう考えても凶行に及んだ犯人が悪い。

頭では分かっている。だけど「年金」がらみの杜撰な行政に対しての憤りが強かったので、ついつい、上記のような感想を持ってしまった。

秋葉原の加藤、池田小の宅間といった、無差別殺人者が死刑になったとして、それを当然と思う心理が俺の中にある。「ざまあみろ」と思う。思っていても口に出したり、書したりすることが、人間としての品格を欠いているのはわかっている。でも思うし、書く。

罪の形はいろいろである。罪の重さも色々である。法的な基準はあれど、本当にどれが重くて軽いのか、わからなくなってきた。

無差別殺人者の罪はわかりやすい。一方、行政に携わる官僚のしてきた罪はわかりにくい。だが、彼らがしてきた仕事が与える影響の大きさ、人数を考えると、凶悪犯罪者の罪との天秤に、決してかけられないものとも思わない。釣りあわないまでも天秤にはかかると思ってしまう。

そして、懺悔の体裁を取りながらも、人の生死に関して個人的な感想をブログでアップする俺・・・、俺の罪の重さはどれくらいだろう? 俺が遺族だったら、こんなブログを書する奴に深い失望と憤りを感じるだろう。

なんでこんなことを書いてまでアップしようとするのかわからない。数日後に削除するかもしれない。

ただ、恐ろしい感想を抱いてしまったのは事実であり、今後も変わらないかもしれない。
罪について、よく自己吟味、自己対峙したい。

スリップしながら奇譚

今日は雨模様、夕方からミゾレ混じりの雨に変わり、帰宅する頃にはシャーベット上の道になっていた。冬はもうすぐ、かなり嬉しい。

出勤前に眼鏡屋に寄った。緑内障の手術後、医者は長時間でなければ良いとは言ってくれるものの、さすがにコンタクトをはめるのは気が進まない。眼球近辺を触れることがまだ恐怖を感じるので、先日のライブ以外は眼鏡をかけている。

極度の近視の俺は、眼鏡を長時間していると、どうも気持ち悪い。圧縮レンズとはいえ、かなり分厚いレンズは、長時間かけていると変な眼精疲労を感じる。おまけに俺の鼻筋が左右で歪んでいるのか、眼鏡のあの鼻で固定するブツの座りがどうも悪い。いつもそれに悩まされていた。

ちょうど、ネジが緩んでいたこともあり、修理がてら、新調眼鏡の下見と、鼻上固定具の調整が出来ないかを聞きに、購入店に行ってきた。

案の定というか、部品の磨耗を理由に、新調を強く勧められたのだが、「検討します。」と逃げながら、店員のネジ締め中に色々物色した。

装着感も大事だが、眼鏡はやはり自分に合ったものを選びたい。ただでさえ眼鏡が似合わない顔面骨格をしている俺だ、フレーム選びは慎重にしたい。だが、眼鏡を修理してもらっている間の俺は、完全なる裸眼であり、売り物のフレームを物色しようにも、10センチくらいまで目を近づけないと、フレームの全体像が見えない。

おまけに眼鏡をかけて、顔の全体像を鏡で見ようにも、10センチ以上離れると見えないので、至近距離での観察になる。鼻毛を抜く時の距離だ。全体像が見えるわけがない。みんなは、どうやって眼鏡フレームを選んでいるのかが不思議になった。

フレームを見ただけで、自分に似合うか似合わないか、客観的に判断できるだけのセンスを持ち合わせた人がほとんどなのだろうか?俺にそのセンスがないことだけは自信を持って言える。フレーム選びも大変だ。

修理を終え、眼鏡屋を出る。営業をしたそうだったが、「営業や~め~て~!」ビームを俺が出していたからだろうか、女性店員も営業はしてこなかった。代わりに、「またいつでもコーヒーでも飲みに、遊びに来てください。」と言ってきた。

ここは喫茶店か? ほんまに遊びにいったろか! との邪心がちょっと浮かぶ。

ネジはしっかり締まったものの、依然、座りが悪い。やっぱコンタクトがいいな~と思いつつ、ふと考える。

「眼鏡が発明されなかった時代の人は、どうしてたんやろ? 近視にならなかったのかな?」と思う。また、「眼鏡はいつ発明されたんやろ?」と疑問が浮かぶ。

気になったので調べてみた。

なんでも、イタリアで13世紀にはあったことが確認されているらしい。そして日本にはザビエル君が伝えたらしい。ザビエル君が伝えたといっても、眼鏡をかけた侍を見たことがないので、一般普及はかなり最近だろう。イタリアにおいても老眼矯正が主であり、近視矯正ではなかったらしい。

電球も発明される以前から、蛍の光、火の光で夜を過ごす奴らの中に、近視になる奴がいなかったとは考えにくい。そら、テレビもなければ書籍も広く普及していなかった時代、今ほど近視人口が多かったとも思えないが、確実に近視者も存在しただろう。

近視の旅人がいたとする。彼がさまよい歩いた先に、集落があったとする。集落の住民は、お茶の収穫期であり、体中に取れた葉っぱをまとい、頭にも刈り取り作業具を載せる皿みたいなものを置いて、帰路に着いていたとする。

それを見た近視の旅人は、体が緑で、頭に皿がある人間を見て恐くなった。そして、その土地を避けるようにして旅路を急ぎ、次に出た町で彼が見たことを話す。

稚拙な例だが、こういう風にして、河童伝説が生まれたのではないかと思った。大蛇や龍なんかも同じようにして生まれたのではないか? UFOなんかもそうではないか?

いつも、「朝起きて、何も矯正しなくても視界が開かれる人が羨ましい。」と思っていた。だが、世の中の伝説、異次元の世界は、近視者によって生み出されたのではないかと思い、少し嬉しくなった。

矯正危惧をたまにはとっぱらって、裸眼で世界を観察してみるのもいいだろう・・・、そう思い、裸眼で車を発進させて、シャーベット道でスリップした。

現代には矯正危惧がやはり必要だ。それに伴い、伝説を作り出す土壌もないのだと思った。

冬が来る。

2008年11月18日火曜日

未成年の自由

神奈川県のある高校が、入試の合格点数をクリアしていた生徒を素行面でマイナスして不合格にした問題が以前あった。校長の判断で、服装、言葉遣いなどを吟味し、点数以外の部分で不合格にしたのだが、その判断を下した校長が内部リークによって教育委員会に処分を受けたというニュースだ。

今日、そのニュースの続編を聞いた。何でもその校長の処分取り消しを求める嘆願書に署名が多数寄せられたというのだ。かなり嬉しくなったニュースだ。世の中の大人の視線もまだまだ捨てたものじゃないと思った。

テストで合格点をとっていようが、素行に問題があれば入試で落とすというのは、個人的に当たり前だと思う。なぜなら義務教育ではないし、勉強が出来るということ以前に、人として集団行動に悪影響を満たす奴を、なんで学校が保育しないといけないのか?
それは落とされるだろう、と思っていた。各家庭で処遇してもらうべき段階であり、税金が入った公立高校が受け皿としての機能を敬遠するのは当たり前だと思っていた。

だから、上記校長の処分には疑問の連続だった。処分側の言い分は、「選抜試験なので、最初に点数以外の部分が考慮される旨を告示すべきである」といったものだが、そんな幼稚な文句までわざわざ明記しないといけないものなのか?? 幼稚園じゃないのだから・・。

俺の中学、高校時代にも、勉強が出来るかどうかよりも、学校生活でやるべきことを全て放棄した奴がいた。好き放題に生活していたそいつらは、中学卒業後、当然公立高校には行けなかった。専門学校、私立高校という冠はあるが、その実、更正施設みたいなところに進み、そこで自ら種々の進路を選んだ。更正できずにヤクザの道を歩むもの、当たり前のマナーを身につけて、立派に社会人になったもの、色々だったが、彼らもテストの点数だけでいうと、公立に行けた奴もいたと思う。だが、本人達も、家族も、周囲も彼らの進路を適切だと思っていた気がする。

最近特に思うのだが、未成年(20歳以下という年齢で区切るのが適正かは別として)に対して、大人が何でも黙認しすぎでないか? 自由を与えすぎていないか? 愛情を勘違いしていないか? 強い疑問としてある。

「自分は苦労したから子供には不自由を体験させたくない」という潜在的な気持ちはわかるのだが、それはかえって子供に自由を与えていないと思う。ものわかりの良い大人を気取っているが、その実、未成年に迎合しているだけの大人が多いような気がする。

不自由な時間を経ずして自由はない。未成年にある一定の縛りを与え、その中で彼らが自由を枯渇しながらもがく時間を与える。そして、彼らが拘束の中で時に感情を爆発させながら、もがく時に、真の愛情を与えられるかが大人の役目であると思う。

俺自身、中学、高校時代は常に、「自由」という言葉がテーマであった。早く大人になって自由に思うことをしたい!といつも枯渇していた。そして種々の拘束の中でジレンマを感じていた。

だが、大学生になって好き放題にしていた時期、俺は自由を感じたかといえば、そうではなかった。むしろ、掴み取る何かがなくて、常に苛立ちが俺を支配していた。

「自由はある一定の拘束の中にある。」という認識にいたるようになった。一定拘束があるから余暇が自由として生きるのだ。

欲しいものがあっても買えない、今はゲームしたいのに勉強しなくてはならない、小さなジレンマ環境、現況を打開したい飽くなき欲求環境に未成年を置いてあげるから、彼らは大人になってからの余暇の自由を満喫できるだけの思考力と、問題解決能力を育むことができるのだと思う。

自由をはきちがえて、彼らに拘束を与えなくなった結果彼らが手にしたものは???
不自由であり、考えない脳であり、人に対する敬意の欠如と無礼な素行であり、慢性的な苛立ちである。

そんな奴と、不自由の中でも、純粋に自由を模索した子供たちが、同じ高校の枠内で身を置く環境が、お互いにとっていいはずがない。それぞれの人間的発達段階に応じた、線引きを未成年に与えるのは、大人が示すことが出来る最低限の愛情だと思う。

未成年は凶悪な犯罪をしたとしても、刑が軽くなり、匿名性が守られる権利を得ている。ならば、この権利に対する義務はなんだ? 義務なき権利が成り立たないのが世の中だ。

義務は、大人による適切な、時には不条理であったりもする拘束と裁きの中に身を置かれることだ。大人の目から見て眉をしかめる言動があったら、当然のようにして干されて、裁きを受ける。大人が完璧なわけではないが、大人の基準で彼らを受け入れたり干したりしたらいいのだ。

子供たちは教育されるだけの日々だ。昔の雷おやじが垂れる説教と訓示は、間違いなくうっとうしいものであり、未成年にとっては、何て矮小で、何て夢のない、何て偏屈なものであったことか・・・。

だから「ちくしょう、今に見とれ!俺が大人になったら・・・・。お前をひれ伏させてやる!」と息巻くところに自由があり、正しい教育過程が息づいていたと思う。

大人の都合で、生活指導といった仕事の無駄なエネルギーを憂慮した結果が、冒頭の神奈川県の入試における合否判断であったと思う。そこに高尚な教育理念はなかったのかもしれない。だが、権利だけを得て逆に不自由になった彼らに義務を果たす要求を突きつけた契機になったと思う。落とされた奴らは感謝すべきだと思う。自由の契機も与えられたのだ。

2008年11月16日日曜日

正と負の連鎖

昨日の「ほうるもん」ライブにお越しくださった方々、共演者の皆様、ありがとうございました。

個人的に、最近のライブで心がけていることは、「強弱をつけるための感情コントロールと集中力」だ。ガ~っと突き進みたい時に衝動を抑える必要はないが、突き進むことが曲にとって必要でない場面にも、今までなら突き進んでいたのが、だいぶ改善されたと思う。

感情をコントロールするためには、曲の全体像を巨視的に理解しながら、内部にしっかり入らないといけない。すごく簡単そうで難しいことなのだが、最近少しずつ身についてきたような気がする。唄物が多かった中盤もよくコントロールできたと思う。

手前味噌ではあるが、いいライブが出来たと思っている。昨日は、片田舎のロッキン小屋「さむでい」に、いつもお越しいただく盟友、そして、うちらを目当てに、たまたま以前のライブを見かけられた方が来てくださったりして、「さむでい」における「ほうるもん」ライブでは最高の動員の中、気持ちよくライブができた。

お客さんが入ってくださる。そしてその中で1つのバンド、ソロ音楽人がいい演奏をする。するとお客さんの空気が変わり、ライブ小屋全体に一体感と独特の良い空気が生まれる。共演者、対バンは、その方の演奏を見て刺激を受け、ハイソウルな演奏の動機付けが生まれる。するとさらなる良い空気がライブ小屋に充満する。正の連鎖だ。

話は変るが、世の中のニュースは、負の連鎖が多い。1つ問題が起こると、それと同種の問題が次々と起こってくる。一言で負の連鎖と言っても、そこには、①報道したほうが良い事例と、②報道しないほうが良い事例が存在する。

食品偽装の問題が1つ発覚すると、翌日から次々と別の会社の偽装が発覚する。これなんかは、1つの事件をきっかけとした内部リークの勇気付けが、悪事をさらけ出す要因になるのだと思うが、①報道したほうが良い事例の筆頭である。

大学生の大麻問題なんかも同種である。1つの大学で摘発があると、他の大学でも内部で様々な調査と情報提供がなされる環境を用意してくれる。病院内における使い回し発覚なんかの連鎖も、この①の適例である。

① の報道したほうが良い事件の連鎖については、悪事を暴く端緒が開かれるわけであるか
ら、結局のところ正の連鎖を生み出しているのかもしれない。

だが、②報道しないほうが良い事例のニュースは、どこまでいっても負の連鎖だ。

例えば、秋葉原事件の後、掲示板に殺害予告を書く奴が多く出たが、これなんかは、廃人が負のエネルギーによって満たされた結果だと思う。殺人事件が実際に起こった以上、報道しなければならない問題だが、加害者の詳細な供述、境遇にまで報道が及ぶものだから、廃人の負の虚栄心を鼓舞する結果となってしまう。

凶悪事件の加害者に対する詳細な供述は報道しなくていい。奴等の犯した悪事だけを箇条書きで淡々と記し、厳罰だけを科したら良い。センセーショナルな報道は負の連鎖を加速させる。人を殺して世に何かを問いたいと思う鬼畜の思うつぼだ。奴等の惨めさだけを粛々と記してやればよい。注目して連鎖すべき事例ではない。人間の仕業ではない。人間界に目を向けるべきだ。

世の中のあらゆる出来事に、報道に携わる方々が本当の倫理を持って接すれば、②のような負の連鎖はなくなり、正の連鎖だけが機能するようになると思う。

そうなれば、自浄作用が社会に働き、悪事が明るみに出る体制が整えられる一方で、生れ落ちた鬼畜が負の虚栄心を満たさないまま、惨めに灰に化す土壌も作られると思う。

いい音楽が流れ、いい会話がなされるライブ小屋の空気、そしてそこに集う人たちの持つエネルギー、そういった正の連鎖があれば、世の中の諸問題は減少すると思う。ラブ&ピース、音楽にはその力が確かにある気がする。

病み上がりで凹み気味だった日々を抜け、快活な日常に戻れたのも、心ある方との鎖、そして音楽の力が大きいと思う。すてきな空気と、すてきな時間と、すてきな関わりがあれば心身共に病むわけがないと改めて思った。

正の連鎖だけに包まれて日々を過ごしたいと思った1日だった。改めて、昨日関わりを持てた方々と音楽に感謝したい。

ライブ後の楽しい酒宴、翌日の今日も少々飲みたい気分が続いている。これなんかは、内臓に配慮すると負の連鎖だ。

正の連鎖の中には負の連鎖要因も混じっているのかもしれない。正の中から負を除去して、純正だけの連鎖を掴み取れたら俺の日々は安泰だ。明日からそうしよう! 今日は除去前夜ということで飲もう。負・フフ・・・。

2008年11月15日土曜日

快気

今日は抜糸の日だった。診察前は、入院した病院の建物を目にすると、震えに近いものがこみあげてきたが、診察中と処置中、自分でもびっくりするくらい落ち着いていられた。

緑内障を患うものにとって最大のドキドキタイム、眼圧測定であるが、なんだか妙な自信があった。お目目がすごくソフトに感じるのだ。先生は、「自分で眼圧はわからない」とおっしゃっていたが、俺は測定する前から、「多分、12くらいですよ。」と言ったら、ほんまに12だった。

緑内障における自覚症状の達人になったわけだ。軽く目を手で押さえただけで、やわらかい数字の微妙なところを感知できるようになった。本来持つ必要のない特殊技能だが、今後のセルフチェックの意味もこめて、俺にとってはありがたい特殊技能を身につけたものだ。眼科に行くのが怖い方がおられたら、俺にご一報を! 軽く手をかざして眼圧数値を測ってあげましょう。(絵的に見たら、怪しい宗教チックだが・・・)

眼圧測定が終わり、点眼薬の打ち合わせをした。1日5回点していた目薬が、前回の診察で3回になり、今回は2回になった。おまけに、点す点眼薬の種類も、3種類から2種類になった。これはかなり嬉しい。

目薬を点し続けるのは、なかなかに面倒くさい。俺は最初、3種類与えられた目薬を、続けて、ポチャン、ポチャン、ポチャンと連続点眼していたのだが、入院中に看護婦にビシっとダメだしされた。おまけに1回につき、目から溢れんばかりの滴をぶち込むものだから、「こんな目薬の減りが早い人はいないですよ。」と言われた。なるほど、溢れた雫が作ったカペカペ文様が俺の顔面に描かれていた。

正しい点眼は、1つの点眼薬を1滴垂らして、1分間目を閉じる。溢れた雫はティッシュでふき取り、次の点眼薬を点すまでに最低5分の間隔を空けるというものだ。

3種類点すとなると、お目目を閉じている間だけで3分間、それが1日数回ある。そして間隔を空けて別の点眼薬を点すので、1日に点眼薬に拘束される時間が、かなり増えることになる。色んな囚われの形態があるが、目薬に囚われるのはアンニュイだ。

元来、フリーダムを欲する俺は、これごときでもかなりのストレスだったのだ。何度か、ノーフューチャー覚悟で、雑な点し方をしてやろうか?と思ったこともあったが、手術の恐怖とを天秤にかけると、俺はフリーダムをあきらめ、点眼薬に囚われの身を選んだ。
今では、点眼のプロだ。2階から目薬もさせる気がする。特殊技能2つ目を手に入れた。

とにかく、点眼回数は減った。次に残るは、本日のメインイベント、白目の抜糸だ。前日ブログでコメントくださった、オオタ氏がおっしゃる通り、「白目の抜糸」という言葉は壮絶だ。普通の人が生涯口にしない単語の配列だ。それを俺はした。かっこいいだろう?

俺は自分の男ぶりに惚れた。手術の恐怖が強烈すぎたせいもあったのだろうか、処置の間をかなり男の子に過ごせたのだ。

まばたきしないように目をロックされた後、針が俺の眼球目掛けて飛んでくる。あれほど強烈な恐怖としてあった目注射が、今日は体硬直にまではいたらない。強くなったものだ。軽く口から泡を吹きそうだったが・・・。

麻酔を打たれた後、微細の引っ掻き棒みたいなものが俺の白目を目指すのがわかったが、それも軽い発汗で済んだ。真冬のサウナ室ぐらいの発汗だ。

その後、白目が糸で引っ張られるような感触があったが、軽く悪寒がする程度で済んだ。
どれもこれも、致死量には至らない。こうして人は刺激を更新していくのだろうと改めて思った。怪奇な体験を経た後の快気なのだ。感慨深い。

明日は、「ほうるもん」ライブだ。長らく沈んでいた俺の魂は、快気に際してあふれんばかりの情熱で満ちている。喜びの涙を滴り流しながら、目でリズムを取って思う存分歌いたい。

2008年11月13日木曜日

白衣の天使

明日はようやく縫っている白目の抜糸だ。黒目の下に髪の毛より細い黒糸があるのだが、
それがなくなり、ようやく乱視傾向も治まり、コンタクトの装着も可能になる。目の出血は下部にまだあるが、それも抜糸後治まるものと思われる。

退院から2週間、緑内障手術からは3週間が過ぎ、ようやく恐怖もおさまってきて、少し振り返られるようになった。明日の抜糸後の検診で眼圧がどうなっているかはわからないが、自覚症状、目を軽く押さえた時の感じでは特に眼圧が高いような気はしない。

明日は抜糸前に目に麻酔注射をするので、久々の恐怖を味わうことになるが、なんとか耐えられるだけの免疫ができてきている気がする。

入院から退院までの日々、白衣の天使との交流を少し振り返る。

入院して翌日が右目の手術だったのだが、手術前の検査は非常に多岐にわたるものであり、1日仕事だった。そのほとんどは、双眼鏡みたいな検査機器に目をあてて、写真を取られるものであり、たいして恐怖はなかった。俺は翌日の手術の恐怖だけを考えて、検査自体にはかなり油断していた。

検査の1つに、目と鼻と口をつなぐ所が詰まっていないか、正常につながっているかを確かめるものがあった。目から食塩水を流し込み、口の中に味覚としてしょっぱさを感じるかを確認するものなのであるが、俺はこの検査に度肝を抜かれた。第一次恐怖であった。

採血や点滴をする外来処置室内であったので、俺はかなり油断していた。すごく優しそうな若い看護婦、ちょうど虫も殺せぬような白衣の天使が俺をいすに座らせた。

「は~い、しっかり目を開けておいてくださいね~。ちょっとチクっとしますよ~。」とソフトな口調で言うやいなや、俺の目のほうに向かって針がくる。

「なんやなんや?? 注射針やんけ!! な、何するねん!カチコミかい!」と思った時には目にしっかり針が刺されていた。鼻側の方に注射針が命中し、俺の目の前には液体の入ったプラスチックの筒が、どか~~~んとある。 「今、刺さってる・・・。」
恐怖を感じる前触れがなかったので余計に瞬間的パニックになった。すぐに食塩水が俺の口の奥に流れ、「しょっぱいですか?」と堕天使の声が聞こえる。「はい、すごく。」と俺が答えると、針が抜かれた。生涯で一番塩辛い食塩水であった。

かわいい顔して、人の目に針を刺すことが特殊でない看護婦・・・、慣れとは怖いものだ。すごい職業だと思う。前触れなしに処してくれたのは、単なる慣れか、むやみに恐怖を感じさせないための配慮か?? どちらにしても看護婦という仕事の凄まじさを体感する。

「俺も難儀やが、あんたも難儀やな~。ご苦労察します。」と心でつぶやいている間に、その看護婦は、次の患者をいすに座らせ、注射針を用意していた。「目刺し部隊か、お前は!」と突っ込みながらも、俺を処遇してくれた看護婦に心で御礼を言う。「お世話になりました。もっと違った形で出会いたかったです。」

入院病棟に行ってからも、看護婦さんには本当にお世話になった。物理的なケアだけでなく、病んだ気持ちに配慮した心的ケアができる素晴らしき看護婦さんが多く、俺はWエンジンじゃないが、「ほれてまうやろ~」と心で自虐した。手術前夜である。

たくさんいる看護婦さんだが、各患者それぞれに担当看護婦というのが割り当てられていて、俺の担当看護婦は、20代前半ぐらいの若い看護婦だった。「担当させてもらいます、~~と言います。何でも遠慮なく言ってくださいね。」と優しく言う。

ここまでは完璧だった。だが、こやつ、少々うざかった。俺をガキ扱いしているというか、自意識過剰というか、手術当日にこんなことを言う。

「もうすぐ手術のお迎えが来ますので待っていてくださいね。手術頑張ってくださいね。私は残念ながら一緒に手術室には行けなくて、別の看護婦さんが一緒に行ってくれますが、言うことをよく聞いて、元気で帰ってきてくださいね。」と言う。

「残念」、「一緒に行く」、「言うことを聞いて」という言葉に自意識過剰を感じた。

「こっちは、目~切られようとしとんや! お前が一緒に来ようが来まいが、関係あるか!「言うこと聞いて」って、ドクターに反抗するボケがおるかい! 俺は大人じゃ! でもこわいんじゃい!話しかけんで瞑想させてくれ!」と心で毒づいた。

また、「元気で帰ってきて」の言葉には、空恐ろしさを感じた。

「僕の手術、そんなに怖いの??  元気で帰れないこともあるの?? 教えて>白衣の君!」

悪気があるわけではないのだが、ちょっと違うやろ? と思いながら、俺は心で「気~つけなはれや!」と毒づいた。

若い看護婦さんが駄目というわけではない。術後にほとんど見えない俺の手を誘導して厠に連れて行ってくれたり、着替えや洗髪もしてくれたり、そしてそれが実に心ある対応の若い看護婦もいた。助かったし感謝もしている。

だが、全般的に見れば、ベテランのおばちゃん看護婦の接し方のほうが、マニュアル化できない部分で何かほっとしたし、快適だった。「過保護にしすぎず、保護をしっかりする」という、絶妙の接し方であった。過保護にされると、病状が重いような気になって滅入る。やはりこの世界も年季がものを言うのであろう。若い看護婦には、邁進して立派なおばちゃん看護婦になってもらいたいものだ。

退院当日は、看護婦三人がエレベーターまでお見送りしてくれた。囚人が出所する際に付き添う刑務官のようだった。看護婦さんの「お大事になさってください。さようなら」というお見送りの言葉が、「もうここには戻ってくるなよ!」という刑務官のような響きに感じた。

今はシャバにいる。看護婦さんと、出来ることならば関わらない人生を送りたいものだ。まだまだ未熟な部分を持った看護婦もいたが、白衣の天使は確かに存在した。天使に感謝する。

2008年11月12日水曜日

言葉選び

今日は、「ほうるもん」ベースの御大と曲ネタ仕込みでスタジオにこもった。今までの自分の発想にはない音世界に、想像力を研ぎ澄まして集中した。まだまだ言葉が降りてこず、表現したい世界を掴み損ねている感じだが、何としても掴み取れるように、日々集中したい。

音世界から言葉を掴み取る時にいつも思うのだが、日本語は本当に掴みにくい。英詩の世界も数多く読んできたが、英語はどんな音世界に乗せても言葉は言葉で中立を保っていると思う。

上手い例が思いつかないのだが、例えば、「さざんか」という花を英語では、camellia という。日本語の音を優先して sasanqua と表記する場合もあるが、camelliaで考えてみる。

これは実際に曲で使用されているかどうかという事例はどうであれ、ブルースでも、ロックンロールでも、ファンクでも、ポップスでもどんなジャンルにでも使えると思う。
ストーリーや韻の世界に組み込まれれば、違和感はないと思う。

ところが、日本語で「さざんか」はどうだろう? 大川氏のヒット曲のイメージが強いだけかもしれないが、どうしても演歌チックに感じてしまう。いくら日本語ロックだといっても、「さざんか」という言葉を掴み取って、詩世界を俺は構築できない。

「すすき」って言葉は詩に取り込めると思えるが、これが「枯れすすき」ならば、昭和歌謡か演歌の響きをたちまち帯びてしまう。これも俺は詩に取り込めない。

綺麗な日本語を1つでも多く覚えて、詩世界に取り込みたいと思っている。俺が作った「うつせみ」という曲、この言葉は個人的にはすぐれた情感あふれる言葉だと思うのだが、これが「蝉しぐれ」なんかになると使い方が難しい。もちろん使い方次第だが、藤沢周平の名著の影響もあってか、大仰な和感が強調されすぎるきらいがあると思う。

「くれない」という言葉を漢字表記で使った、Xの言語感覚は俺にはない。「くれない」と聞くと、「命くれない」につながり、瀬川な世界になってしまい、俺の力量では音世界にはめられない。品詞は違うので比較するのはナンセンスなのだが、音感覚がどうも俺にはない。「くれない」は「あかい(紅い)」と表記して使うのは個人的に好きなのだが、「くれない」の音感がない。

「さざんか」、「枯れすすき」、「くれない」、他にも演歌に使われている言葉は、すぐれた日本語が多いのだが、どうもロッキンな世界には座りが悪い。もちろん、個人的な言葉との相性であり、これらを使いこなせるだけのキャパが俺にないだけなのだが・・。

詩を後付けする作業を「ほうるもん」で初めてするようになって、音世界から言葉が乗るまでの過程に一喜一憂して取り組んでいる。使いこなせる言葉のキャパを増やす一方で、従来から個人的に相性の良い言葉を、適材適所、いかに配置して味わい深いものにするか、永遠のテーマだ。

メロを何度もつぶやきながら、そこに降りてくる言葉を待っているのだが、不調な時はろくな言葉が下りてこない。

今日は、五音で、綺麗な単語を掴み取りたいと思いながら歌っていたのだが、降りてきた言葉といえば、「仕事人」、「裏稼業」、「斬首刑」、「ポンとロン」、「リー即ツモ」、「口直し」、「こっぺぱん」、「たこわさび」・・・しか出てこない。最悪だ・・。

どうやって詩世界を作れというのか??? 何が歌いたいねん!!!  今の俺の頭が病んでいるのか、雀鬼化しているのか、空腹なのかはわからないが、前途多難だ。

よく人から、「よくもまあ、それだけ詩を次々作れるね~。」とお褒めか呆れかわからない言葉をかけていただく。たしかに、アマチュアで音楽を生業としていない割には、作った詩の量は多いと思う。どこに閃きの種があって、どこから舞い降りたかわからないうちに最終的には詩が出来ている。

だが、そこにいたるまでには、数々の残骸が存在し、無残にしか言葉が出てこない日々の苦悩が多くある。ずっと考えていて頭が痛くなるまで向き合っているから降りてくるのであって、決してすらすら出てきているわけではない。言葉に敏感に反応し、それをずっと記憶に置いておき、いつかそれが形になる必然性を持った時を待っている。

いつからこうなったかわからないが、ずっと曲作りのことばかり考えている気がする。日々の出来事、思ったこと、それら全てを曲に出来ないか?という尺度で反芻している。
最後に言葉が降りてくるまで考え続けながら待ち続けるのは、非常に苦難といえば苦難なのだが、これを心地よく思える習性になったのだから、これからも苦難は楽しく続くのだろう。

言葉選びは難しい。だからこそ夢中になれる。今日は不調だったが、明日降りてくる言葉に期待したい。

2008年11月11日火曜日

フォルダー管理の違和感

仕事柄、毎日のように教材プリントを作る。入試傾向、入試までに残された日数、現在の生徒の学力をクラス別に天秤にかけて、少しでもよいものを作ろうとする。

1度作成したものが、翌年にそのまま使えることもあれば、入試傾向の変化、その年の生徒の学力水準などによってマイナーチェンジを加えないといけないものもある。そうなると、作成プリントの数は増える一方である。

今日プロパティから見てみたら、900MBあった。ワード、エクセルで作成したプリントがほとんどであり、写真などの挿入もしているが、その大部分は手打ちの文字だけがぎっしり詰められたものである。それで900MBなのだから、すごいプリント量だと思う。

英、国、数のフォルダーに始まり、その中にそれぞれ、小、中、高のフォルダーがある。そしてさらにその中に、数多くのフォルダーが作られている。例えば、中学英語ならば、各学年別フォルダー / 短文 / 長文 / 新傾向問題 / 英作文 / 過去問 / 塾内テスト /
口語表現 / 講習テキスト / リスニング / 教科書プリント / テスト対策プリント / 英問英答 / 単元目標導入プリント・・・といった種類のフォルダーがあり、そしてその中にワード、エクセル文書がぶちこまれている。

今年の初めにフォルダーを整理したのだが、我ながらよく整理されていると思う。どこに何が入っているか、何を作成したかをしっかり覚えているので、適宜取り出しては授業プランを瞬時に組み立てられるだけの素地が出来上がっている。

バックアップに関しては、メモリースティック数本と、Micro SDのダブル体制で取っており、今のところ心配はない。

今のパソコンではスキャナーで、画像や過去問や図表は取り込むのだが、以前の会社時代は切り張りして原始的に作っていたので、パソコン保管ではない、クリアファイル保管のプリントもたくさんある。クリアファイルの数は14冊ある。今は、順次クリアファイル内のプリントをスキャナー取り込みして、パソ保管に移行しつつあるので、まだまだ容量は増えていくだろう。

パソコンは文書保管をするという面では素晴らしく機能的である。整理能力がない俺でも、今のような快適な保管、取り出し環境を維持できているのだから、パソコン普及の時代による恩恵を大きく受けていると思う。

ただ、俺の感覚が変なのかもしれないが、パソコン内に、自分が精魂こめて作ったものが詰め込まれているということに違和感があり、それをずっと拭い去れないでいる。実際に紙にしてプリントアウトすれば、クリアファイルで数百冊になるであろう文書が、画面をクリックしただけで取り出せる画面カバンに収納されていることが、何だか物足りないのである。

実際にクリアファイルに収納して、その膨大なプリント類に囲まれていると、自分が今まで積み重ねてきた成果が残骸と共に、物量として目の前に顕になる。それを俺は欲しているのかもしれない。

音楽にしてもそうだ、パソコンに音楽を取り込んで、クリックして音を取り出す作業が、未だに心地よくない。だから現在の個人パソコンには、音楽データはいっさい無くなっている。重くなるだけだし、CD-Rに焼いたらすぐに消去する。

CDを収納棚から探し出し、それをCDラジカセやカーステにセットする。そして、ジャケットを眺めながら聴く。この作業と、それを通して音楽を聴く心地よさに勝るものはない。だから、アイポッドなるものも興味ない。音楽はレコード屋でCDかレコードで手に入れるに限る。

時代の流れに本当にはついていけていない、偏狭おやじの偏った感慨なのだろうが、どうもパソコン内にものを保管するという習慣にはまだまだ馴染めそうにない。表向きは馴染んで保管もしているのだが、心地よくはない。

結局、大きさを認識できないと充足しない、物欲塗れの幼児心理を俺は未だに持ち合わせているのかもしれない。コンパクトなものよりも大きいものを、単数より複数を、わかりやすい幼児心理が俺を未だに支配している気がする。

そういえば、小学1年生の時のお年玉でもらった1000円札を、俺はおやじの1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉×2枚の硬貨10枚セット(332円)と交換してもらって、かなり喜んだ記憶がある。交換を提唱したのはおやじだ。
おやじはわが息子に詐欺を働きかけたというわけだ。何だか小さいぞ!>おやじ。

完全にだまされたわけだが、紙切れの札1枚が、硬貨10枚に化けた時の感覚は未だに嬉しい記憶として俺の心にある。それが今のパソコン保管に満たされない俺の性質を形作るきっかけとなったのだとしたら、おやじも罪作りなもんだが、現状では自分のこの性質が嫌いなわけではない。

今後もフォルダー内に多くの保管をしていくのだろうが、本質的な部分では、小さなフォルダーにあるものではなく、プリントアウトされた紙のほうに真実と満足を見出していきたいと思う。

2008年11月9日日曜日

冬支度完了

Steve Cropper &Felix Cavaliere のアルバム、Dave Masonのアルバム、Dan Pennのアルバム、 Giant Sandのアルバムをチェックした。どれも最近出たものっぽい。

どれも素晴らしすぎて、久々に当たりアルバムを一挙に手に入れた感じで幸せだ。軽く試聴し終わり、感動しながら今から一枚ずつじっくり聴きこみ体制に入るのだが、かっこいいアルバムをじっくり聞き込む時の幸せといったらこの上ない。

通常の日々に明かりを灯してくれるような、幸せなこの時間の満足感は、子供が新しいおもちゃを手にした時の感動と同じであろう。ジャケットをじっくり眺めて、歌詞カードをじっくり眺めながら、音の輪郭、細部をじっくり聴く。ほんと幸せだ。

名盤に出会えば出会うほど、まだ遭遇していない名盤がまだまだあることに気がつき、それらと出会うための物理的時間が足りないことが悲しくなってくる。だが、数あるアルバムの中から色んな過程を経て巡りあえたアルバムとの出会いを満喫して過ごせばよい。個人的名盤とのめぐり合いは、短期的に見れば偶然だが、長期的に見れば必然なのだろう。

Neil Young の秘蔵音源シリーズがまた今月出されるらしい。日本盤は来年1月なのだが、輸入盤は今月25日である。待ちきれない。早速予約してきた。

何でも68年か、69年のライブ音源らしい。68年といったら、Neil Youngがまだスターダムにのし上がっていない時だ。そんな時期のライブ音源が聞けるとなれば、ドキドキ感はマックスだ。しびれる11月の音めぐりだ。

ニール翁の蔵出しシリーズはどれも素晴らしい。それにしてもニール翁が過去の音源をかくもしっかり管理していたとは驚きだ。ワーナーの倉庫を整理していたら、たまたま見つかったのではないか?とレコード屋のご主人は言っていたが、そうかもしれないが・・・。

なんにしろ、数十年の歳月を経て、正規盤として発売されるのだから、音源が残っていたことに感謝だ。ファンとしては嬉しい限りである。

今日は「騒音寺」が北陸ツアーで富山にやってきた。福井のガンジー君と嫁と3人で見に行ってきた。

ぶちかまされた。初めての富山ライブだったらしいが、動員もよく、とにかくロッキンでロールしていた。久々にかっこいいバンドを見た感じだ。岡さんと久々の再会であったが、相変わらずの愛すべき方で、ライブに熱狂しながら、岡さんの楽しそうな顔に感動した。スピリッツがちょっと違う。日々の生活をストイックにしながら、音楽に身を捧げた方のかっこよさと清さを味わって、涙が出そうなライブであった。騒音寺ありがとうございます。

ほろ酔い気分であるが、今から「24」を見る。昨日から、シーズン2に突入した。案の定、一気に5話まで見てしまった。シーズン1よりさらに絶望感に包まれる展開であり、この先どうなるか・・・。何の根拠もないが、オバマ氏人気の要因の数%は、この「24」のパーマー大統領と重ねて見ているアメリカ国民がいるのではないか?と思ったりもする。それくらい、人間味あふれる大統領だ。その一方で、相変わらず、ジャック・バウアーの娘のキムは腹立たしい。こいつがいなければ、絶望感は減少すると思うのだが・・・。

書籍とのめぐり合わせは最近あまりよくないが、それでも、ぽつぽつと平均レベルにはめぐり合えている。

音楽、映像、書籍に包まれる日々は最高だ。今年の秋は特に実りが多い気がする。暦上はもう立冬を過ぎた。そういえば今朝はめっきり寒くなってきた。すぐれた名盤、名画、名著を携えて、冬にじっくりと情操を鼓舞したい。こたつ蒲団ももう出たのかな? 無頓着であるが、個人的な冬支度は完璧である。素晴らしきものに包まれて日々を過ごしたい。

2008年11月8日土曜日

日米の二大政党

俺は個人的に支持したい議員さんがたくさんいる。そしてその議員さんは民主党に多かったりする。共産党にもいる。自民党は少ないけどいる。

支持する議員さんの数で言うと1番多い民主党なのだが、どうも党を支持する気にはなれない。その理由が何でかが分からずにいたのだが、分かった気がした。政治哲学が民主党になくて、単なる大衆迎合政党だからだ。そして、その大衆迎合性をもっとも露骨に、もっともかっこ悪く出している3人の権力者が民主党に君臨しているのが、たまらなく嫌いなのだ。3人の迎合者は、OとHとKだ。実に節操が無くかっこ悪い。

民主党のかっこ悪さと大衆迎合性をはっきりと示している例がある。昨日のニュースで見たのだが、何でもオバマ氏が買ったことにあやかってか、わざわざ米国から取り寄せていたオバマ氏の選挙ポスターを国会内控室のO沢一郎代表のポスターと並べて掲示したというのだ。

あほか!何の関係があるねん。党名が一緒なだけで、中身はまったく似てもいなけりゃ、スケールも違う。虎の威をかるなんとやら・・・。本気でかっこ悪い。これを発案した奴の頭のスケールが、民主党のかっこ悪さの象徴だ。

アメリカと同じ二大政党といっても、日本とアメリカでは政治哲学の重みが全然違うと思う。

アメリカの共和党と民主党の差異も、本質的な部分では大差なく思える現況ではあるが、それでも、選挙にかける国民の期待の大きさ、政治に携わる人の責任の重さ、誇り、信念というもののスケールが全然違うと思う。保守と中道リベラルという差異だけで括れない現況があるにしても、アメリカの二大政党は宗教的な思想も巻き込んだ、大きな差異が感じられる。

それに比して、自民党と民主党の二大政党を標榜している我が国であるが、自民党と民主党の絶対的な差異をはっきりと、当の党員さんたちは言えるのだろうか? シャッフルして入れ替えても大差ないような、単なる陣取り合戦みたいな中で群れをなしただけの集まりが、自民党と民主党であると思う。

自民党と民主党を良く見渡せる洞ヶ峠で、日和見しては自己の居場所を思案している公明党、社民党なんかは言及するに及ばない。共産党だけが主張の是非は別として、政治哲学というものをしっかり持っていて、軸がぶれていない政党であると思う。

オバマさんの民主党に自己の政党の運命を重ねて、「戦後60年の自民党政権の独裁を大きく転換する流れが出ている」と談話できる、民主党国対委員長も3馬鹿トリオに匹敵する能天気さだ。名前は良いのだが・・・。

民主党を支持しているから投票するのではなくて、自民党ではちっともよくならないから、1度やらせてみようというだけの支持が民主党にいっているだけだ。誰もがわかっているこの基本をもう1度見直して、今こそ謙虚に、ぶれない政治哲学を構築しなければならない時期だというのに、何を呑気にオバマさんのポスターと、悪人代官顔の党首の写真を並べて掲示しているのだろうか?

新聞も、もっとポスター掲示の幼稚さを嘲ってあげないと、奴らは気づかないと思う。民主党の優秀な若手議員が、しっかりその理念を具現化できるように、そろそろ民主党の愚老達は隠居してもらったほうがいい気がする。Kさんも二度目のお遍路にでも出かけたらいいのではないかと思う。そのまま出家しなはれ! 

政治ネタは出来ることならあまり書かないでいようと思っていた。どうしても口汚く罵るのが俺の稚拙な性質だ。改めたいが、オバマさんのポスター掲示に、さすがにピクピク・・・。

ただ、アメリカの大統領選を見ていて思ったのだが、アメリカ国民は、申し込んで、並んでまでして投票に行く。そして、個人個人の政治に対する思いをそれぞれが発言する。そういった国民性に支えられているからこそ、二大政党としての政治哲学が政党にも作られる部分があると思う。

日本も、外野の意見として稚拙であってもかまわないから、とにかく意見すべきだと思う。みんなが政治家を監視して意見するならば、投票率も上がり、能天気な政治家が干される土壌が作られると思う。それまでは二大政党はお飾りの政治家ごっこであり、それにお付き合いするだけの馴れ合い国家であるに留まると思う。

アパが悪い

航空幕僚長の論文が大きな問題になっている。この件に関しては色んな疑問と主張がある。

① そもそも、懸賞論文に航空自衛隊のトップといえども、たった1人の人間が書いたものが、大臣まで処分を下され、総理大臣が「なぜいけないか」を説明して、野党が追及するほどの事態にまでして騒ぎ立てることなのか?言論の自由の範疇ではないか?

② 問題の論文を読んだが、論文と言うにはあまりに稚拙で、大学1回生が書いたレベルの作文である。こんな文章レベルしかない人が、航空自衛隊のトップにいることのほうが問題ではないか?

③ 航空幕僚長だけでなく、自衛隊員がたくさんこの懸賞論文に応募したみたいだが、一体彼らの目的は何なのだろうか? 隊員が揃って応募するほどの熱意を持って取り組むべき懸賞か?

以上3点の疑問が非常に大きくて、野党が追求したり、関係者が尻拭いしたりしている姿がピンとこない日々であった。

3点について少し噛み付いて、自己の毒を出したい。

① 戦争という事態においては、被害者、加害者というのは結果論であって、侵略国とい
う立場は戦争の推移によって変わるものだ。戦争に優勢な国が相手国の領内に入った時点でそれは侵略になる。入ったらそれなりに悪いことするだろう。そして、負けた国が勝った国を侵略国と、悪口にして言うのは当たり前で、喧嘩両成敗が原則だと思う。

この点では、航空幕僚長の言い分も一理あるとは思う。いつまでも被害者としての感情だけで他者攻撃する、自己基準で中華の国があるから、奴らを意識した主張もついつい出てくるとは思う。だが問題は、その内容の稚拙さだ。

② 論文全体を読んだが、引用は曖昧で、自説の発展のさせ方は、単なる作文で、何の根
拠もない。この手の論文を本当に恥ずかしげも無く応募したほうもしたほうだが、入賞させる主催者のほうも???? アバアバ・・幼児レベルの主催者だ。アパだ。女社長の帽子が迷彩柄に思えるほど迷える会社だ。 まじでひどい。こんなレポートが入賞するのだったら、世の中の大学生に落第は発生しないのでは?と思う。

例えば、PDFでコピーの仕方がわからないので、乱暴な抜粋引用だが、「文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンは、放っておけば誰かが作る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。」といったくだりがある。
まず、「戦争によってのみ解決されてきた。」ってほんまか? 支配、被支配の関係の話し合いでの解決は、多くの市井の場面で見られる気がする。根拠もなく断言できることではない。ブログじゃなくて論文なのだから・・・。もっと論調に強度が必要だ。

それに明らかに稚拙なのが、「文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンは、放っておけば誰かが作る。」という前半の主張と、「人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。」という後半が、「しかし」で結ばれている意味がわからない。逆接の関係になっている?? 少し理屈っぽいが知恵の足りない中学生の作文みたいだ。

③ 最後に、航空幕僚長以下隊員が、こぞって応募した事実を考えると、そこに何か目的
があったのだと思うのだが、それは何だろう?という素朴な疑問がある。

本質はどうであれ、これだけ過激な?というか、感情的で偏った意見を組織ぐるみで書き送ろうとするモチベーションは何か?すごく不思議であり、興味がある。この手のレベルの思想教育がなされるほど、偏狭な組織なんだろうか? 

以前のブログでも書いたが、自衛隊という存在を、本音と建前を取っ払って、必要な存在とみなしてあげないから、彼らも自己の存在意義にやっきになって、このような偏狭な思想を強めたのではないかと思う。つまり今回の論文は、存在意義を認められない自衛隊員の稚拙ではあるが、悲しい叫びの微小な発露であると思う。

ただ、タイミングは悪すぎるよな~。こんな論文を主催したアパが悪いという暫定結論にしておく。論調に強度を! 耐震にも強度を!

2008年11月6日木曜日

刈り取りの秋

ニールヤングの「ハ―ベスト」と「ハーベスト・ムーン」ばかり聞いているここ数日だ。秋にはこの2枚が聴きたくなる。秋は収穫の季節だ。せっせこ種を撒いて、真面目な日々を過ごしてきた成果が、実りとなって現れる。秋は実に良い。

俺の愛する季節に愛する名盤に包まれる至福の時間を、邪悪なニュースが妨げる。
そうだ、何も秋の刈り取りは、実りあるものばかりではないことに気づく。「撒いた種を刈り取る」という、キリスト教的な宿命は、悪事に対しても当てはまるべきだ。

「年金特別便」が職員の事務ミスやら印刷ミスで届かないということで、50万通再送だとか・・・。民間企業なら該当部署全員の首が飛んでもおかしくない自体だが、奴らは平気だろう。それに今回が初めてでもない。

社保庁職員全体に罪があるわけではないのはもちろんだが、盗人省庁が犯した罪の尻拭いを、さらに税金を使ってさせてもらえるのだから、何よりも細心の注意を払ってしなければならないのに、よっぽど作業能力がないのだろう。

ふだんから、働く時間をロボットみたいに消化することしかしてこなかった奴らに、人並みの仕事をしろと言っても無理なのだろうが、しょうもないミスで税金が使われたらたまらない。

改ざんするための事務ミスはなかったのだから、出来るだろう。個人がミスしても組織ぐるみで悪事を行える集団のことだ、チェックも集団で行えば、今回のようなミスが起こるはずはないと思う。雑事が増えて大変だとは思うが、そもそも自分らで仕事を増やしたのだから、生きている間に少しだけでも人並みに仕事しろ!と言いたい。

遡って、ずさんな年金管理をした詐欺師の財産を差し押さえるなりして、事態収拾に努めるべきだと思うのだが、この国は組織犯罪に甘いと改めて思う。

「あなたの年金記録はこれでいいですか?確認してください。」みたいな分厚い封書が俺の家にも届いたが。これなんかを年金対象者全員に送っていたら、いったい幾らの金額が必要になるのだろう?計算したらわかるのだが、はっきりと封書に、「~~円のお金を税金から無駄に使わせていただきました。」ぐらいの自己申告と謝罪だけでも、詐欺師にさせないといけない気がするのだがいかがだろう?大臣?? 

年金を管理する部署の職員がする仕事は、文字通り年金管理だ。それがなされていないのならば、奴らの仕事内容はなんだ? しょうもない資金運用という名の博打か? それとも、バブリーな施設を作り出す建設ごっこか?

社保庁職員であることが恥ずかしくてたまらない、まともな職員は、内部告発しまくって、盗人の主犯格の個人名と詳細なデータをを片っ端から列挙してやればいいのだ。
そうして、盗人のあぶり出しに協力した職員は、他省庁で引き受けて、公務員としての地位を保障してあげればいいと思う。

加入記録をパソコンに入力するなんてことは、小学生でもできる。それがしっかりなされていない原因は何か? 

簡単だ。小学生が身につける術もない邪悪な改ざんをした上での入力だからだ。小学生にやらしておけば、今回のような無駄な郵便物送付も、返送する手間も省けたものを、悪知恵だけを身につけた盗人が跋扈しているからいけない。

立派な公金詐欺なのだが、個人でなく組織ぐるみの犯罪だから、責任の所在が定かでない。それをいいことに、こっそり天下りしている盗人もいるらしい。盗人省庁の棟梁が幅をきかしていて、改革もくそもあったものではない。斬首ものの犯罪者を早く出せ!

「赤信号 みんなで渡れば怖くない。」という、けしからん標語が関西にあるが、これなんかもアナーキーな暴挙ではあるが、盗みでないだけましだ。

「人の金 組織で盗めば 怖くない。」という標語が社会保険庁にあったかどうかは知らないが、標語が目指す以上のモチベーションを持って、盗むわ盗むわ、歴史に残る盗賊である。

キャリアの成績アップのための改ざんであり、盗んだという意識が希薄なのがさらに性質が悪い。「消えた年金」と言うが、「盗んだ年金」だ。個人的に使おうが、組織ぐるみで他の名目金にしようが、個人の金を無いことにしたのだから、盗みの範疇だろう。

撒いたものを刈り取るのが世の常だ。ハーベスト・ムーンは悪人にも降り注ぐ。刈り取る内容は千差万別だが誰にでも訪れる。豊かな収穫を盗人が味わえるわけがない。まずはきちり犯人探して、順に身包み剥がして、次年度からの肥やしにでもしてほしい。糞ほど良い肥やしになる。それが実りの秋にすることだ。

2008年11月5日水曜日

休日雑記

まずはライブ告知

【ほうるもんライブ】
11月15日(土) 福野町「さむでい」にて、20時ごろ登場予定
共演:カラスさん、東さん、馬川さん 

※ インストを含め5曲の新曲をひっさげての登場です。新境地の曲から、スタンダードな曲調まで、表現技法に幅が出て色んなテイストを持っていますが、芯はロッキンに貫かれています。乞うご期待!

【チープハンズライブ】
12月28日(日)京都「拾得」にて 18時30分登場予定 
対バン:CHAINS  エンヂン(from 浜松)

※ チープ、フルメンバーでは何年ぶりだろう? 昔は年末恒例だったCHAINSとの拾得対バンで久々の登場です。呼んでくれたCHAINSに感謝です。旧友バンドとの対バンですが、ガチンコ対マン気分で登場します。乞うご期待!!

音楽予定が詰まっているのは何よりの幸せだ。入院後の心の傷も癒え、久々に気分よく休日を過ごした。

昼間は本屋巡り。今日は郷土資料関係を中心に立ち読みをした。家に帰って、恩田陸さん、木下半太さんのジャンク(失礼!)サスペンス推理ものを読んだ。昨日ぐらいから視力がかなり回復してきている実感があり、目の疲労感がかなり和らいでいる。すごくうれしい。読書後は曲作り。

昨日のことだが、高2の男の子の生徒が俺になぞなぞを出してきた。高2になって、なぞなぞを出してくるなんて、ほんまかわいい生徒だ。

「赤い帽子 涙で小さくなるものな~んだ?」と聞かれた。

俺は即答で、「簡単やんけ~、広島カープや。」と答えたのだが、彼は「ブー」と言う。擬音語で不正解を告知されたのは20年ぶりぐらいである。思わず笑った。

答えは、「ろうそく」らしい。なるほど~!と思うような、納得できないような答えであったが、俺は彼の出題文句が気に入った。

「赤い帽子 涙で小さくなる」 なんだか文学的なものを感じた。俺の曲作りセンサーがすぐに反応して、今日曲にした。偲ぶ唄だ。たまたま先日、お世話になった方の不幸があり、通夜、葬儀に参列したばかりだ。故人を偲ぶ唄を作ったのは初めてだが、一筆書きでDメロまである組曲が出来た。

夜は「ほうるもん」の練習。「赤い帽子」と他に3曲をネタ仕込み。ライブ後の練習までに唄メロと歌詞を作るつもりだが、かっこいいネタであり仕上がりが楽しみだ。ベースの御大がコードと曲調アイデアを持ってきてくださるのだが、自分の引き出しにないものであり、後付の作詞、メロ作りが最近たまらなく楽しい。

「航空幕僚長の論文問題」や、「狐憑き泰葉の壊れ方」、「オバマ氏演説」等々、からみたいニュースもたくさんあるが、少し前までは通常であった、個人的なささやかな休日をまた楽しく過ごせたことが今日は嬉しくて、外界の出来事はどうでもよいと思える日だった。こんな日々が続けばいいなと心から思う。

またしばらくしたら、通常体制の日々に不満を覚えたりもするのだろうが、自分にとって穏やかで平均的な日々に喜びを見出せる境地が今は心地よい。眼も健全だ。

2008年11月4日火曜日

栄枯盛衰への興味

昔から、栄えていた人が枯れること、盛んなことが衰えることに興味があった。厳密に言うと、必ずしも枯れなくても良い。1度栄華を極めた人が、その後何をモチベーションとして、どのように生きていくのかということに興味があった。また、残念ながら枯れてしまった場合は、その後どのようにして再度気持ちを盛りたてて人生を処していくのか?という精神状態の変遷に興味があった。

小室氏の詐欺事件の報を聞き、改めて昔から興味があったこの手のトピックに思いを巡らした1日であった。

個人的には小室氏の音楽を1度も良いと思ったことがないし、何で売れるのかが全くわからなかった。氏の音楽が日本の音楽レベルを下げているとまで思ったこともあった。だが、あれだけ強烈な売れ方をしたわけであり需要が高かったのは事実だ。市井の民として、世に出て売れた人には、何かしら選ばれた人のすごさがあると、一目置いて見る様にしているので、個人的な好き嫌いは別としてたいしたものだと思っていた。

だが、ここ数年サッカーのスポンサー料の未払いがニュースになったりするにつけ、大丈夫か?と余計な心配もしていた。

マイケル・ジャクソンにしてもそうだが、庶民とはかけ離れたスーパー・リッチが、再び金欠になるといった報道は、実感としては理解できない。毎年数億円の印税収入があったら、毎年宝くじに当たるようなものだ。何で金欠になるのか???

だが、最近わかるような気がしてきた。もちろん実感として理解できることは一生ないが、理屈ではわかるようになってきた。

身近な例で考えると、平均的な年収を得ているAさんと、その10倍の収入を得ているBさんがいたとする。Aさんから見たらBさんは羨望の的であり、さぞかし金に不自由ない生活をしているのだろうと思いがちだ。

だが、金銭的な充足感と金銭的な切迫感は、AさんもBさんも同じであるような気がする。なぜなら、Aさんが大衆車に乗っていたら、Bさんはその10倍の高級車に乗る。Aさんが2000万円の家に住んでいたら、Bさんは2億円の家に住む。Aさんが1000万円のローンを抱えていたら、Bさんは1億円のローンを抱えている。

つまり、収入の分母が大きくなっても、支出の分子も同じ比率で大きくなるのが、人間の性質に基づいた常であると思うのだ。

もちろん、分母が大きい人が味わう日々と、分母が小さい人が味わう日々には、かなりの相違がある。庶民が味わうことの出来ない次元を金持ちは味わっている。そこで庶民は金持ちに憧れと、時には妬みすら持って、その不満をささやかな明日の活力へと変えていく。

だが、精神的な充足感は同じでないか? 負け惜しみでなく本当にそう思うようになった。いや、むしろ分母が大きな生活をしている人の方が精神的には抱えるものが大きい分、辛いのではないかと思う。

失う恐怖、そして失ってしまった時の喪失感は尋常ではないと思う。生活レベルにしても、庶民がさらなる緊縮財政を味わうのと、金持ちが庶民レベルの生活をするのでは、苦痛の度合いは同じではないと思う。もちろん、人間は慣れる生き物だから徐々に順応するとは思うが・・・。

小室氏が詐欺にまで手を出して金策していた事実を庶民レベルが興味本位で詮索することではないのかもしれないが、あまりに哀れである。氏が今後、どのような光明を見出して人生を過ごしていくのか、不謹慎ではあるが、心理学的に見ていきたいと思ってしまう俺も哀れではあるが、興味あるものは仕方ない。人間の究極のテーマが栄枯盛衰なのだ。生から死への宿命とリンクするテーマだ。興味がわかないはずがない。

個人的に小室音楽は、嫌いの粋を超えて興味がないが、詐欺の件は別として、氏を全否定する気にもならない。香港などでの音楽シーンに進出するための、音楽的投資の失敗がそもそもの金欠の原因であるとの報を読んだ。

音楽人が土地などの投機に失敗したならば、かっこ悪すぎるが、音楽的なことに金をつぎ込んでそれで失敗した点だけは、個人的に非難したくはない。

小室氏が海外に別荘買ったり、高級外車を数台所有したりといった成金的な金遣いはかっこ悪いと思うが、音楽に大部分をつぎ込んだのであれば、小室氏が音楽に取り組む動機はそれなりに純粋なものであったのだと好意的に解釈したい。投機材料として音楽を据えていたように思っていたので、むしろ音楽人の良心を感じて少し安心した面もある。

膨大な負債処理と今回の罪の償いを終えた暁には、エレピかシンセサイザー1台だけを持って、また小室氏なりの音楽を作ればいいと思う。そうして出来た音楽を少し聴いてみたいと思う。初めて氏の音楽に興味を持てる日が来るかもしれない。栄枯盛衰を一巡するだけで人生が終わる事例ばかりではないと思う。一生に栄枯盛衰の輪廻を体感出来る事例も多くあると思う。そこに生まれる音楽は本質的な意味でロッキンで最上のポップスだと思う。浮上するのみだよ小室氏! 初めて小室氏を応援したくなった日であった。



 

将軍の写真に唾を吐く

今日のヤフーニュースで食いついたのは、これだ。

「健康悪化説が提起されている北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記が、北朝鮮軍チームのサッカー試合を観戦したもようだ。 北朝鮮の朝鮮中央通信は2日、金総書記が「第11回人民体育大会の閉幕に関連し、サッカーを観戦した」と伝えた。ただ、先月4日に金総書記のサッカー観戦を報じた際と同様、今回も具体的な観覧日時や場所は明らかにしなかった。人民体育大会は5年ごとに種目別に開かれる体育行事で、今大会は9月末に開幕し、先月31日に平壌体育館で幕を下ろした。」

そしてキム将軍が映っている写真も載っていたのだが、見た瞬間に噴き出しそうになった。
「うそやん! 作りもんやん!」と思わずにはいられなかった。

だいたい、重要な公式行事にも出てこなかったキムさんが、なんでこんな笑顔で観戦しとるねん! それに、側近の視線が誰一人キムさんを見ておらず、キムさんだけ、少し離れてぽつんと座っている光景自体が信じられない。

笑顔は不必要に明るく、体勢は不自然で、背景との大きさのバランスも悪い。これは合成であろう。仮にほんものだとしても、キムさんのそっくりさんがやっている映像だろう。彼のそっくりさんは作りやすいと思う。カリスマ性の欠片もない、柔和なメタボおやじを捕まえて、髪の毛の生え際を広くして、グラサンかけて拍手の仕方だけ教えたら、1日で影武者完成であろう。

滑稽なのが、なんでこの時期にこんな稚拙な写真を発表してまでして、キムさんの健在ぶりをアピールするのかということだ。

嘘を隠蔽して裏細工するやり口は、小学生レベルであると思う。国家戦略や、それに伴う対外的な主張、全てがずれているこの国だが、同じ人間として、どこでどう育ったらこんなショボさを恥ずかしげも無く露見できる奴らに育つのだろうか??? 小学生が武器だけを手に入れて、それをかざして対外的にいきりまくっているようなものである。

この写真を見て、韓国メディアが、「左腕麻痺説」を出しているが、個人的にはそんなレベルではないと思う。左腕が麻痺した状態であれば、あほな側近がもっとたいそうに取り巻いているであろうし、キムさん自身が低キャパの思考回路で、大病を押して演技できる能力も持ち合わせていないだろうと思う。

これをこの時期に発表させた人物が誰かはわからないが、申し訳ないが、北朝鮮という国の恥を晒す以外の役目はない判断だと思う。これを見て、「あ~、やっぱ将軍様は元気なんだ!」と思える人間は、盲目のキムさん信者の奴だけであろう。作業服着て永遠に行進しとけ!

個人的にはキムさんは今頃土に帰っていると思う。海外から医者を呼び寄せたり、ジュニアが色んな国に出没したりしているのも、跡目争いが落ち着くまでの体外的なパフォーマンスであり、体制が彼らのおつむレベルで整ったと思ったら、闘病にまつわる超人的な生命力を捏造し、カリスマ話を作り出してから、死の公表をするだろうと思う。「1度死んだ後息を吹き返して、サッカー観戦までなさった。我らの将軍様はどこまでも超人であり偉大だ。」といった、むちゃくちゃなエピソードなんかを、北朝鮮の童話作家が一生懸命書いている最中の時間稼ぎだと思う。

北朝鮮の国民が本来持っている人間性は、同じ朝鮮半島の韓国の人たちを尺度に考えてみると、とても秀でた素晴らしい民族だと思う。それがキムさん一派の、かくもショボイ人たちに支配されている現況は、あまりに不可解で惨めである。

こんな合成写真を作るエネルギーがあるならば、早く今の体制を終わらせて、悪夢からさめるための力に変える努力をすべきだと思うのだが、かくも人間は幼稚に成り下がれるものなのか、本当に不可思議である。

以前、こんな夢をみたことがある。

北朝鮮がキムさんの呪縛から解けて、韓国や日本と仲良くなる時代が到来していた。そして、北朝鮮のテレビ局でチョゴリを着てヒステリックに検閲の入ったニュースを読み上げる、あの有名なおばはんが、バラエティー番組に出て、お笑い芸人から、過去の映像を披露されてはつっこまれまくるという夢だ。

おばはんは、過去の自分のアナウンサーぶりを自虐ネタとして披露し、あのヒステリックな発音をヒップホップに載せて歌まで出してしまう。それが大ヒットとなり、おばはんは時代の寵児となる。

キムさんがほんまに生きていて、サッカー観戦できるくらいならば、こんな写真を公表する前に、日本との拉致問題解決の交渉テーブルを用意しろ! ともっと日本も怒っていい気がするのだが・・・、何を呑気に北朝鮮の捏造報道を受け売り報道しているのか、北朝鮮と関わるうちに、この国にもアホが移っていくようで気持ち悪い。

何度見ても間抜けな写真であり、間抜けな国の間抜けな戯言だ。拉致被害者を馬鹿にしたかのようなこの報道と写真を見ると、キムさんの緊張感のない笑い顔に唾を吐きかけたくなる。左腕でも顔面でも痺れとけ! 

2008年11月2日日曜日

手帳が欲しい

最近、手帳というものが欲しくなっている。「ほぼ日手帳」http://www.1101.com/home.html 
が第一候補にあるのだが、出来ることならば実際に手にとって、つぶさに吟味して買いたい。

一生使えるものであってほしいし、自分の本当の用途をよく考えて、最も適したものを最初から手にしたいので、いつになく慎重に選んでいる。手帳に合わせて高級筆記用具、出来れば万年筆なんかも買いたいと思っている。

ちょうど来年度の日記が多く店頭に並ぶようになっているので、文房具屋、雑貨屋などをつぶさに回り、「これだ~!」と思えるものとの出会いを求めているのだが、まだひらめくものがない。

今までに俺は手帳というものを使いこなしたことがない。小さな頃は親から、社会人になってからは会社からなどで手にする機会は毎年あったのだが、いつも使いこなすどころか、年が明ける頃にはどこにいったかさえわからず、年に1度の大掃除くらいにどっかから出てきて、そのままゴミ箱行きという関わり方であった。

スケジュールがそんなにつまっているわけでもないし、先々の予定でもほとんど頭で記憶していて、それで何かトラブルが起こることもなかったので、特に不自由はなかった。
よっぽど先の話ならば、家のカレンダーにメモもするが、ほとんどのことは手帳で管理する必要を感じなかったので、手帳に記したり見直したりする時間のほうがもったいなく感じたのである。

時々、ふと曲のメロと歌詞が浮かぶ時には、近くにある紙、例えばそれがレシートの裏でもいいのだが、それらに軽くメモし、ポケットに入れておく。結局どこに行ったかわからなくなることが多いのだが、それでも覚えているものだけを今まで曲にしてきた。忘れるようなアイデアならば、どうせ形にしてもしょぼいだろう、という潔いあきらめがあった。

ところが、最近むしょうに手帳が欲しくなってきた。なぜか? 本当のところはわからない。だが、目にしているもので何か記憶から欠落していくものの中にも、何か重要なことがあるのではないか?と考えるようになってきた気がする。

ちらっと見かけたポップのコピーや日々の何気ない出来事、興味をそそるものはだいたい覚えているのだが、それでも必ず取りこぼしがあるはずだ。それらを逐一メモっては、1日の終わりに見返すこと、そうすることで、今よりもっと色んな視野や興味の対象が広がるのではないかと思ったのだ。

生まれた時の好奇心が100だとしたら、30代後半の俺の好奇心はどのくらい目減りしているのだろうか? 知識がふえ、多くの局面に慣れていくと、悲しいが好奇心は減っていく。それで良いという人もいるのだろうが、俺は好奇心が減ることに対しての潜在的な怯えが昔からある。

好奇心は持とうと思って持てるものではないかもしれないが、何か1つのものを見たときに、その視点の感度を上げる努力をしていくにこしたことはない、という結論に達したのだ。

よって、来年度は毎日手帳を持ち歩き、今までならば控えなかったことまでも逐一メモを取り、そのほとんどは記憶にあるかもしれないが、1日に読み返す時間を作りたいと思っている。一期一会の精神を持った上で、大切な何かを短期記憶ではなく、長期的に記憶に留めていけば、さらなる深い興味と洞察を持って日々を過ごしていけそうな気がする。そうすると、曲として表現する時の懐も深くなるに違いない。創作のたゆまぬ努力の一貫としても、手帳を持ち歩きたい。

ただ、1つ問題がある。俺は昔から手にしたものはどこかに捨ててくる習性がある。俺の手は安物だ。チープハンズだ。グーが苦手で、すぐにパーする習性があるのだ。例えば俺にとって傘は全て使い捨て扱いであり、行きにさしても帰りが晴天であれば置いてくる。いや、忘れてくる。100%だ。

また、今から知り合いのお通夜に行って来るのだが、以前に数珠を葬儀会場に置き忘れてきたこともあった。また、買ったお守りをすぐにパーして捨てて、自分の車で轢いたこともあった。その年に交通事故に遭っている。

手にちょっとしたバッグを持ち歩くのが大人の嗜みであるが、俺は基本的には手ぶらで歩く。ズボンのポケットに入りきらないものを持ち歩く習慣はない。よく大人が財布をセカンドバッグから出すのを見ると、俺は感心する。「よく無くさないな~。」と・・・。

リュックサックならばまだ無くす可能性は少ないが、それでも俺が今までにどこかに置き忘れてきたカバンの個数を数えると、両手両足では足りないと思う。

つり銭なんかを手にして歩いていると、かなりの確率で最初に遭遇する棚などで捨ててしまう。厳密に言うと、捨てるという意識ではなく、無意識にパーしてしまうのだ。今までこうして失った金銭は両手両足×万円以上だ。18歳の時に、親からもらったアパートの礼金数万円を京阪電車のイスにパーしてきたことに始まり、多くの金を失ってきた。

ポケットに入るものだけが常に安全であり、それゆえ俺は常に財布や鍵や携帯はポケットで持ち歩くことを習慣にしている。

手帳があまりに大きいものであるならば、それを持ち歩く時に入れる袋が必要になる。そして、袋をどこかでパーすると・・・・、俺の個人的な胸キュンメモの詰まったブツが、どこか公衆の面前で晒しものになる恐れがある。俺は名前をものに書く性質がある。生きて辱めを受けることはよしとしない。

そんな危惧もあって、今は首から下げられる手帳に見えない手帳がないかを探している。腰に巻くカバンに入れるという方法もあるのだが、ウエストポーチは、昔、おたっき~でキショい級友がつけていて、そのイメージがすごく悪い。I川豚マン君という渾名の奴だったが、彼がウエストポーチからポケットティッシュを出して眼鏡を拭く映像が、俺の記憶にあり、時々吐き気を催す時がある。失礼な偏見だが、なんだか装着したくない。それにスーツにウエストポーチをつけた大人を見たことがない。

まずは、どこに行くにもカバンを持ち歩く習慣をつけるのが先かもしれないが、基本的にカバンを持つ必要性がない。でっかいカバンに手帳だけがぽつんと入っているのも哀れだ。

どうしたものか、手帳の処遇を結構真面目に考えていた。毎日こういう思考過程を書すくらいなら手帳はいらないのかもしれない。来年は無事に手帳を持てるのか! それよりも今から数珠を無くさないことを考えて、通夜に行って来る。

2008年11月1日土曜日

大麻問題を斬る

大麻事件が後を絶たない。ここ数日は慶應、法政、同志社女子など大学生の大麻吸引が一気に表出してきたが、大学生に限らず、相撲界、トヨタ社員、国交省職員など、連日出るわ出るわの大麻吸引事件だ。

俺の家のすぐ近くに一級河川があるが、その上流の河川敷での大麻栽培摘発が、最近のニュースであり、都会だけの出来事ではなく、地方都市にも大麻が身近なものとなっていることがわかる。

俺自身は大麻吸引の経験はもちろんなく、今後も法的に規制されている以上、吸う気はない。その上での個人的見解だが、タバコが合法で大麻が非合法という現況自体はすごくナンセンスだと思う。

一部の国や州で合法なものが、別の国では非合法になる。大麻の依存症がタバコや酒よりも低いという化学的な検証結果がアメリカで報告されていることもふまえると、我が国の大麻に関する処置には根拠がない気がする。

元来、大麻の繊維は神官の装束や山車の綱なんかに使われていた(使われている?)という記事を週間朝日で読んだことがある。つまり、実に崇高で高貴なことに用いられる植物であることがわかる。山車を使う祭りは、そもそも神事と関連して伝統を築いてきたものだ。大麻は古来から身近にあって、重宝されていたことがわかる。

また、現首相の苗字を考えてみると「麻に生きる」と書く。こじつけではあるが、日本有数の良家のおぼっちゃまの苗字に使われているということは、麻自体が決して虐げられてきた草ではないとだけは言えると思う。

大麻が重要な場面で重宝される草であるということはそれを栽培する人がいる。もともと、大麻の種の所持は非合法でないらしい。ただ、栽培は資格制となっていて、無資格者が発芽させた時点で取り締まり対象となるらしい。かわいそうに、大麻は種のまま一部の人にしか栽培してもらえない不幸な草なのだ。無吟味な法律のせいで自生さえも困難な現況は、アサ科の草に対する人間の虐待であるようにも思う。

上記のような理由で、個人的には大麻というもの自体には法規制すべきではないと考えている。だが、大麻に手を出す奴に関しては、全面的に否定だ。現行の法律が否定している以上、法律を変える努力、主義主張を述べてもいいと思うが、何の目的があるにせよ、違法なものに手を出す奴を肯定できる理由は少しもない。現行法規で過ごすことができないならば、自分が求める法規のある国に飛び出すがよい。

まして、大学の小僧が、恥じらいも無くキャンパス内で取り引きしているなんて現状には目をふさぎたくなる。こっそりと自己の弱さから手を出してしまうならば、若気のいたりというか、まだわからないでもないが、後ろめたさも感じない慶應の内部進学の小僧は、人間として壊れている。人に迷惑かけないうちにこっそり逝ってほしい。チンピラはキャンパスを離れて野垂れ死にするのが似つかわしいと思う。

1番疑問なのは、大麻が本当に有害であるかについて、どうして国家レベルの議論がなされないのか?ということだ。薬に手を出す奴はたくさんいる。法も守れないそいつらは議論の中に入る資格はないが、合法、非合法の定義基準に関する議論がしっかりとなされているかといえば、否であろう。

しっかりとした議論がないまま、大麻を非合法とする現状が、逆に大麻の有害性質を作り出していると思う。つまり、大麻をきっかけとして、覚醒剤などに徐々に手を染めていくという悪い流れを作る入り口としての有害性だ。愚かな奴は非合法のレッテルを貼られたものに、無目的に手を出す性質がある。

大麻は東洋医学の薬草でもある。西洋医学のケミカルドラッグもそうだが、効果的な使い方(例えば痛み止めのモルヒネなんかがそうだが)がなされる一方で、それを幻覚目的で使う一部の奴がいる。こういう奴らが減ることは残念ながらないと思う。生まれながらにして、非合法で生きることを欲する奴はたくさんいる。

有害なドラッグへの手引きとなる可能性から、大麻を非合法にするというのならばそれでよい。だがそれならば、タバコの処遇はどうなる? 草をそのまま吸引するのと違い、有害なフィルターを通して吸引するタバコが、かつては専売として売られていた事実がある。その事実があるものだから、いつまでも有害なことに目をつぶって非合法に出来ないでいるお上の基準というのはどうかと思う。

無害なものが悪事を誘発するという理由で非合法になり、有害なものが国家自らのミスを認めたくないために合法のままで存在する。なんか違う気がする。

面と向かってタバコを非合法にすると、過去の矛盾をつかれるものだから、徐々に嫌煙ブームを作り出し、JTには徐々にタバコ以外の産業(食品など)への転換を助長するという姑息な政府の対応には辟易するのだ。

違法である大麻に手を出す奴は愚の極みだ。 一方で、大麻の是非について目を逸らしている政府も愚の極みだ。好奇で手を出す奴と、目を逸らす奴、両者の愚眼にさらされて、アサ科の植物は汚されていく。これも一種の自然破壊だ。