2008年11月30日日曜日

師走のいちびり、屁を垂れ、志忘れる

もう年末、師走突入か~・・・。30代になって毎年思うが、早い。ほんまに速くもあるんちゃうかな?と疑いたくなるくらい早い。

あまり1年を振り返ることは、年末になってもしないほうなのだけれど、今年は先月にあった緑内障手術がかなりでかい。

一昨年の正面衝突交通事故もそうだったが、病に臥すというような悲惨な出来事に限って記憶が鮮明である。その一方で、楽しい出来事は、おおらかな時間の流れに昼寝しているようなまろやかさだ。悲惨な出来事が鋭角な記憶なら、楽しい出来事は丸みを帯びたもののような気がする。

丸いものと尖ったものだと、やはり尖ったもののほうが記憶を強烈に貫通するようだ。風船が鋭利なもので刺されて弾けるように、頭脳の記憶貯蔵室に鋭利な記憶が入ると、幸せな思い出は弾かれて、隅にやったり追い出されたりしてしまうのかもしれない。

一見、悲しいことのようだが、頭の中にいつも球体の丸い記憶ばかりだと、それはそれでレレレのおじさんみたいなご機嫌さが日々を支配してしまい、大麻でいっちゃった人のような心理状態になるのかもしれない。悲劇をしっかり刻みながら日々を処すように人間は作られているのかもしれない。そしてそれこそが、人間を高等動物とする所以なのかなとも思う。

ところが、この「悲劇をしっかり刻みながら日々を処す」という志を俺はすぐに忘れる。悲劇がさったら、レレレなのだ。

目の回復具合であるが、すこぶる良い!と言いたいのだが、ここ数日良くない。すごく慌てている。

手術後の炎症止めの目薬を1日2回点しているのだが、この前の検診時に経過がよかったので、ステロイドが入った点眼薬を点さなくなったからかもしれないが、一日中目が痒い。

「リンデロン」というステロイド含有の薬を点していたときは、出血があっても痒みはなかったのだが、断った途端に痒みが出る。

俺はアトピー体質なので、ステロイドに関しては皮膚科処方の軟膏でも馴染みがある。ほんと痒みに効く。結局目もステロイド頼みの我が体質が悲しくなる。

ステロイド(副腎皮質ホルモン)が人並みに備わっていないから、目の回復も遅いのだと思う。

だからといって、ステロイド入りの点眼薬、軟膏なんかをずっと使用していれば、自然に分泌する機能も低下してしまうそうだ。それが怖くて長期服用も避けたい。皮膚科の軟膏に関しては、ステロイドの副作用に一時苦しんだことがある。それもあって、医者が処方してもステロイドを忌諱したくなる。

使うと効果がすごいだけに、使いたくなる。長期的な弊害よりも、目先の楽を願って使いたくなるステロイドは、立派な麻薬だと思う。禁断症状は現れないが、痒みをすぐに止めたいという欲求に勝てない時にはすごい誘惑となる。

今日、あまりの痒さ、充血に恐れをなして、ついつい残っていたリンデロン点眼薬を点してみた。

すると効果抜群!ここ数日にはない目の痒み、違和感なくして一日を過ごせた。するとさっきまでの滅入った気持ちはどこへやら・・・。すぐにレレレ。

今度の金曜日が検診日なので、痒みがひどくなった時の点眼処置をしっかり聞いてきたいと思うのだが、何ともこまった体質だ。そして何とも困った「志忘れ」だ。

俺の頭は悲しみをたくさん覚えていて、それに対する免疫もたくさんある。そして同じような悲しみが襲ってきた時に対抗すべく、抗体としてのアドレナリンめいたものはたくさん備えていると思う。

ところが、体のほうは、ちょっとしたアレルゲンの侵入をすぐに許し、それに対してすぐに白旗を上げて窮状を発疹や痒みになって表面化させる。

気持ちは戦闘モード、体は降伏モード! こういった心と体をもつ人間が、一般的にいう「いちびり」なんだと最近思う。自己体験による解釈だが、よく出来た定義だと思う。

「かかってこんかい! あん? やんのか?やんのか? あん?」 頭は言う。

「やめときなはれ! あんさんにはついていけまへん。わてらへばってまんのや。」 体は言う。

これら両者の言い分をしっかり客観視して、成敗してくれる裁き人が俺には内臓されていないような気がする。

おまけに俺の頭は、初体験には弱い。初めて体験した目の手術に際しては、体だけでなく頭も白旗ムード一色だった。それに、滅入った時期を抜けると、滅入った時期の痛みをすぐに忘れる。レレレムードにすぐ変わる。このムードを「屁垂れ」と定義する。

「屁垂れ」なんて言葉は、「いちびり」の付属品だと思う。「いちびり」が初体験に際して「いちびれない」心持を「屁垂れ」と言う。

「小便垂れ」と同様、しょせんアダルト・チルドレンに冠される言葉だと思う。そして俺はアダルト・チルドレンのヘッドだ。

師走を迎え、来年はどうしたいとか、どうなりたいなんて殊勝な抱負を考えることもしない。いまさら性分は劇的に変化はしない。

ともかく、もうちょいで、坊主が走り回る師走突入である。俺ばブッディストではないが、なんとなく「師走」の心は「いちびり」と「屁垂れ」を内包しているような気がして、この時節が好きである。思いっきり色んなことに走り回りたい。

そして日々、屁を垂れながらも、いちびりながらも、楽しく丸い記憶をいっぱい貯蔵していきたいだけである。そして、「師走」が「志忘」にならないようにだけは、少し気にかけているだけだ。

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