2008年11月2日日曜日

手帳が欲しい

最近、手帳というものが欲しくなっている。「ほぼ日手帳」http://www.1101.com/home.html 
が第一候補にあるのだが、出来ることならば実際に手にとって、つぶさに吟味して買いたい。

一生使えるものであってほしいし、自分の本当の用途をよく考えて、最も適したものを最初から手にしたいので、いつになく慎重に選んでいる。手帳に合わせて高級筆記用具、出来れば万年筆なんかも買いたいと思っている。

ちょうど来年度の日記が多く店頭に並ぶようになっているので、文房具屋、雑貨屋などをつぶさに回り、「これだ~!」と思えるものとの出会いを求めているのだが、まだひらめくものがない。

今までに俺は手帳というものを使いこなしたことがない。小さな頃は親から、社会人になってからは会社からなどで手にする機会は毎年あったのだが、いつも使いこなすどころか、年が明ける頃にはどこにいったかさえわからず、年に1度の大掃除くらいにどっかから出てきて、そのままゴミ箱行きという関わり方であった。

スケジュールがそんなにつまっているわけでもないし、先々の予定でもほとんど頭で記憶していて、それで何かトラブルが起こることもなかったので、特に不自由はなかった。
よっぽど先の話ならば、家のカレンダーにメモもするが、ほとんどのことは手帳で管理する必要を感じなかったので、手帳に記したり見直したりする時間のほうがもったいなく感じたのである。

時々、ふと曲のメロと歌詞が浮かぶ時には、近くにある紙、例えばそれがレシートの裏でもいいのだが、それらに軽くメモし、ポケットに入れておく。結局どこに行ったかわからなくなることが多いのだが、それでも覚えているものだけを今まで曲にしてきた。忘れるようなアイデアならば、どうせ形にしてもしょぼいだろう、という潔いあきらめがあった。

ところが、最近むしょうに手帳が欲しくなってきた。なぜか? 本当のところはわからない。だが、目にしているもので何か記憶から欠落していくものの中にも、何か重要なことがあるのではないか?と考えるようになってきた気がする。

ちらっと見かけたポップのコピーや日々の何気ない出来事、興味をそそるものはだいたい覚えているのだが、それでも必ず取りこぼしがあるはずだ。それらを逐一メモっては、1日の終わりに見返すこと、そうすることで、今よりもっと色んな視野や興味の対象が広がるのではないかと思ったのだ。

生まれた時の好奇心が100だとしたら、30代後半の俺の好奇心はどのくらい目減りしているのだろうか? 知識がふえ、多くの局面に慣れていくと、悲しいが好奇心は減っていく。それで良いという人もいるのだろうが、俺は好奇心が減ることに対しての潜在的な怯えが昔からある。

好奇心は持とうと思って持てるものではないかもしれないが、何か1つのものを見たときに、その視点の感度を上げる努力をしていくにこしたことはない、という結論に達したのだ。

よって、来年度は毎日手帳を持ち歩き、今までならば控えなかったことまでも逐一メモを取り、そのほとんどは記憶にあるかもしれないが、1日に読み返す時間を作りたいと思っている。一期一会の精神を持った上で、大切な何かを短期記憶ではなく、長期的に記憶に留めていけば、さらなる深い興味と洞察を持って日々を過ごしていけそうな気がする。そうすると、曲として表現する時の懐も深くなるに違いない。創作のたゆまぬ努力の一貫としても、手帳を持ち歩きたい。

ただ、1つ問題がある。俺は昔から手にしたものはどこかに捨ててくる習性がある。俺の手は安物だ。チープハンズだ。グーが苦手で、すぐにパーする習性があるのだ。例えば俺にとって傘は全て使い捨て扱いであり、行きにさしても帰りが晴天であれば置いてくる。いや、忘れてくる。100%だ。

また、今から知り合いのお通夜に行って来るのだが、以前に数珠を葬儀会場に置き忘れてきたこともあった。また、買ったお守りをすぐにパーして捨てて、自分の車で轢いたこともあった。その年に交通事故に遭っている。

手にちょっとしたバッグを持ち歩くのが大人の嗜みであるが、俺は基本的には手ぶらで歩く。ズボンのポケットに入りきらないものを持ち歩く習慣はない。よく大人が財布をセカンドバッグから出すのを見ると、俺は感心する。「よく無くさないな~。」と・・・。

リュックサックならばまだ無くす可能性は少ないが、それでも俺が今までにどこかに置き忘れてきたカバンの個数を数えると、両手両足では足りないと思う。

つり銭なんかを手にして歩いていると、かなりの確率で最初に遭遇する棚などで捨ててしまう。厳密に言うと、捨てるという意識ではなく、無意識にパーしてしまうのだ。今までこうして失った金銭は両手両足×万円以上だ。18歳の時に、親からもらったアパートの礼金数万円を京阪電車のイスにパーしてきたことに始まり、多くの金を失ってきた。

ポケットに入るものだけが常に安全であり、それゆえ俺は常に財布や鍵や携帯はポケットで持ち歩くことを習慣にしている。

手帳があまりに大きいものであるならば、それを持ち歩く時に入れる袋が必要になる。そして、袋をどこかでパーすると・・・・、俺の個人的な胸キュンメモの詰まったブツが、どこか公衆の面前で晒しものになる恐れがある。俺は名前をものに書く性質がある。生きて辱めを受けることはよしとしない。

そんな危惧もあって、今は首から下げられる手帳に見えない手帳がないかを探している。腰に巻くカバンに入れるという方法もあるのだが、ウエストポーチは、昔、おたっき~でキショい級友がつけていて、そのイメージがすごく悪い。I川豚マン君という渾名の奴だったが、彼がウエストポーチからポケットティッシュを出して眼鏡を拭く映像が、俺の記憶にあり、時々吐き気を催す時がある。失礼な偏見だが、なんだか装着したくない。それにスーツにウエストポーチをつけた大人を見たことがない。

まずは、どこに行くにもカバンを持ち歩く習慣をつけるのが先かもしれないが、基本的にカバンを持つ必要性がない。でっかいカバンに手帳だけがぽつんと入っているのも哀れだ。

どうしたものか、手帳の処遇を結構真面目に考えていた。毎日こういう思考過程を書すくらいなら手帳はいらないのかもしれない。来年は無事に手帳を持てるのか! それよりも今から数珠を無くさないことを考えて、通夜に行って来る。

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