2010年2月27日土曜日

NPO団体、喫煙描写に噛み付く(笑)

この前の日曜日、実家のおかんを招待して、息子と一緒に飯を食べたり、温泉に行ったりした。生後7ヶ月のかわいい孫を、ばあちゃんに見せてあげたい、見てもらいたいという、俺たち夫婦の企画だ。 

産まれてすぐに対面して以来の孫との対面、俺のおかんも喜んでくれていて、俺もおかんの息子として親孝行出来、息子に対してもばあちゃんに会わすことが出来て、父親としての満足感を抱いた。

1泊2日でばあちゃんが帰った夜、息子は早くに眠った。しかし、すぐにうなされ、暴れ泣きした。きっと彼なりに気を遣っていたのだと思う。その疲れが出たのだろう。嫁の添い乳ですやすやと寝た。

息子を改めていじらしく、愛しく思った。

いつも思う。息子には綺麗な景色や、心ある人との交流、とにかく、すばらしい環境を与えてあげたいと思う。

料亭や温泉や中華料理屋や、行く先々で知らない人から、「あら~なんて可愛らしい!」と声をかけて頂いて、抱っこをせがまれたりした。親としては単純に嬉しい。

中には、柄の悪いように思えるアッパーおやじもいて、煙草を吸いまくった後に抱っこしようとしてくるので、辟易した場面もあったが、そういった人との交流も大切である。もちろん、喫煙中は息子を少し遠ざけたが・・・。

俺は喫煙家だが、煙草の煙による間接喫煙を息子にはさせたくない気持ちがある。当然、息子の前では吸わないし、煙草を吸う大人の前を避けたくなる。

医学的に煙草の害が明らかになってきている今、俺自身も禁煙に懲りずに取り組もうとする意思はある。自分が吸っているのに、息子に間接喫煙させたくないこの心境、自己矛盾である。

未熟な親ではあるが、息子の情操をしっかり育んであげたいと思う。俺自身の価値観だけを押し付けて、偏りがあるのは良くない。幅広い価値観と色んな自然、人間に対面させてあげ、そこから息子なりのアイデンティティを形成する機会を作ってあげたい。

教育における持論は、親の数だけあると思うが、色んな人の色んな価値観があって、
それぞれに持論を持って子供に接するのだと思う。そこに優劣はないであろう。

俺自身ももちろん持論があるが、そこに偏りや怠慢がないか、いつも自己吟味して、マイナーチェンジをくり返している。

最近よく悩むのが、子供が晒される環境に対して、尺度をどこに引いて、どこまで大らかでいられるか?ということである。

例えば、インフルエンザが猛威を奮っている時に、当然のようにうがいをしてから息子に近づく。だが、「菌」というものを恐れて憎むあまりに、平時において、過度なクリーンルームを息子に提供し過ぎていないだろうか?という自己葛藤がある。

すぐに指をしゃぶるのが幼児である。免疫のない彼らが、汚いものを触った手で指しゃぶりをしたら、それなりに生理的な波乱があるのだとは思う。だから大人は、できる限り無菌状態を提供する。だが、それが彼らの免疫力を高める機会を奪うことになっていないか?という葛藤がある。

あえて、菌を提供する必要はないが、昨今の子育て指南の無菌指向は、単なる清潔とは違う潔癖感を抱いてしまう。

子供を思うがあまり、子供をクリーンルームに入れておきたいかのような思考になってしまうと、それは子供が持っている生命力に対しての敬意を欠いているようにも思える。子供は大人が思うより強いと思う。

少し前のニュースで、とあるNPO団体が、福音館の書籍に、煙草好きのお爺さんが孫に話す場面があるのがよろしくないと、発売差し止めを要求し、福音館自身もそれに応じたという、実に悲しいニュースを見た。

つまり、「子供の読む絵本に、煙草を吸うお爺さんが、孫の前で煙を吐いている姿があるのは、教育上よくない。」というのである。

このNPO団体、子供に間接喫煙をさせたくないという主旨で、利益を生み出さなくてよい団体認可を得ているのだが、その主旨はわかる。間接喫煙の弊害は医学的に言われているからだ、

だが、何で絵本の煙草煙場面にまで噛み付くの???? 申し訳ないが、色んな価値観を超えて、こんな大人は間接喫煙の害以上に害であると思う。

物理的な間接禁煙に、絵本内の煙草の煙の絵が関係すると、こいつら本気で思っているのだろうか???? あ? ほ? 

子供に有害なものを避けさせてあげたいという気持ちは尊い。だが、この団体の主旨はちゃうやろ??? この団体は、暇で仕方がなくて、社会に貢献する大義名分が必要で、ついついいちびってしまったのであろうか?

そうとでも思わないと、理解しがたい壊れ方である。価値観とか信条の問題ではないと思う。

多分、この哀れな団体への意見は、ネットに蔓延っているだろうから、俺ごときがどうこうと、多くを言わないが、こんな団体の大人もいる世の中である。

子供に対して、発育に応じた適切な防御はしてあげた上で、色んな免疫を付ける環境をヒステリックに、盲目に排除しないでおこうと思う。子供が免疫をつける過程が心配になるのは、大人の心情である。子供を心配しているつもりが、自分の心配になる心情を心配するということにはなりたくないと思っている。

綺麗で荘厳で残酷で・・・、息子には、色んな自然に触れ、思考力を育み、色んな人との交流を経て、自分を形成していって欲しいが、上記のNPO団体の人のような、偏狭で無思考でヒステリックなのに緊張感のない人にはならないでほしいと思っている。