2008年1月30日水曜日

年金生活者バンドツアー!

今日、1曲作った。ギターアレンジだけがまだ安定していないのだが、コード、展開、唄メロ、歌詞は完成した。いつものことだが、作った瞬間は、自分の中では間違いなく名曲だ。誰に何と言われようが、形が出来たものは、自分の中での名曲だ。

俺の中で、ライブ終了直後に曲が出来るかどうかは、大きなことだ。ライブで燃えて、その後にヴィジョンが見えない展開は、俺にはきつい。別に新曲が出来なくても、既存の曲の中に新たなヴィジョンが見出せれば良いのだが、俺は浮気性なのか、次のヴィジョンを新曲に求める性質だ。

昨年10月のライブ後に4曲作り、それを先週のライブでやった。ライブでやった曲は今後も大事にあたため、あるべく鮮度で、あるべき状態の時にライブに組み込みたいが、やはり、日々過ぎていくなかで、新たな曲が生まれるのは必然だ。それが、ライブ後に来るということは、個人的には好ましい。

俺は、曲を作ろうとして作れるほどの音楽的才能はない。曲がいつ自分の中に来るかを、コントロールは出来ない。

ただ、時が来て、曲が出来る時は、その日にギターを触って最初になぞったコード展開で、言葉とメロが生まれてきて、そして、次に行くべき展開が見えてくる。だから、曲が一応、メンバーに渡す形になるまでに、10分ほどの出来事だ。基本となる詞とメロが出来て、そこに推敲を重ねる時もあるが、ほとんどの場合、最初に浮かんだままだ。

当然、コード理論を知らない俺は、いつもの流れのコードにいきたがる。それが、時に不規則な動きをして、自分の中に新しいコード展開が現れる。詞は、最初に書いたものを、リハ中に歌い回しをいじりながら、完成させていく。多めに書いた歌詞は削除される部分が多いが、バンドで完成したときには、不思議と、調和する。自分で曲作りの時期をコントロール出来ない分、出来た瞬間の喜びは大きい。

俺の偶発的な曲作りと比べて、プロのバンドマンは、本当にすごいと思う。
個人レベルの偶発性を待っていたら、仕事としての音楽は成り立たないので、そこに締め切りが設けられる。その中で、パッケージできるだけのものを作り出すのだから、曲作りをする人、そして、それを形にするメンバー共々、敬服だ。俺には無理だ。

曲作り以外でもだ。自分たちの精神的な高まりや、体調には関係なく、ライブがブッキングされる。1つのライブを終えても、感慨に浸る間もなく、次なる場所へ・・・。その合間にリハやらレコをする。
そして、ライブといっても、毎回2時間近くの時間、演奏して唄うのだ。それが連チャンであったりしても、
気持ちをオンに出来るのだ。精神的なスタミナからして、俺とは違う。才能の違いを感じずにはおれない。

プロを経験していない人間が、推測だけであれこれ言えないが、厳しい業界の中で、長年にわたり、音楽生活をプロとして維持されている方々は、音楽的な好みを超えて、本当にすごいと思う。セールスはもちろん、その絶え間ない創作意欲と活動力を維持できる素地に脱帽だ。

そして、仮に売れなかったにしても、プロとしての世界を味わう土俵に立つことが出来ただけでも、その方々達を俺は、素直に尊敬する。売れる売れないは、時の運も大きく関係してくると思うが、その才能を持ってする音楽ヴィジョンが、俺にはわからない世界だから、憧れを感じる。

俺は、自分の能力は客観視しているつもりだ。俺の声と歌唱力、そして紡ぎだす言葉は、大衆性もなければ、プロとしての技量に堪えうるものではないのはわかっている。だから、それを持った音楽人に敬意を表するのだ。

もちろん、バンド形態において、曲の作り手、フロントマンとしての歌い手以外のメンバーの方々は、誰と知り合うかで、その世界で飯を食えるかどうかが決まると思う。プロのバンドのメンバーを見ていても、「おい、うちのメンバーや知っているアマチュア人の方が上手くてかっこいいぞ!」とツッコミたくなる時はたくさんある。

しかし、フロントマンで世に出ている人には、技量も含めて、やはり、選ばれた天性の何かを感じる。自分の狭い価値観で、そのフロントマンのことを評することは出来ない、何かがそこにはある気がする。すごいのだ。

とはいいつつも、俺は、別に自分の能力を卑下してはいない。世に出るレベルにはないが、曲が生まれて、それを形に出来ることを嬉しく思う。1人でも多くの方に、自分達が作った音楽を聞いて、聴いて欲しい! という気持ちは、プロ以上にあると思う。絶対的な分母ではかなわないが、自分が顔を見て話しもしていない人で分母が増えなくても、知っている方々、また、音楽を通して知り合った方々の数が増え、その方達の前で、いっぱい曲を披露したい気持ちは、高まる一方だ。

活動停滞中だったチープ、そして、組んだばかりで露出の少ない、ほうるもん、どちらも、1人でも多くの方に聞いてもらえる努力としての露出はしていかないといけないと思っている。

俺の夢は、年金生活後の全国ツアーだ。メンバー全員が、国と若年層から施しを受け、それを堂々と種銭にして、全国を回るのだ。白内障で目がしょぼしょぼしていてもかまわない。足腰が弱くなり、ジャンプできなくてもかまわない。毛もなくて良い。介護ベッドを配備し、介護員を随行させてもよい。精神的な温度が今と同じかそれ以上のものだけがあれば、それを引っさげて、全国を回るのだ。対バンのキッズと仲良く語り合う。キッズに地場野菜などをプレゼントしてやるのもよい。楽屋ではおかきと、緑茶でかまわない。ステージドリンクに湯呑みが並んでいるのも粋だ。

真面目な夢だ。そのために、今からじっくりシャバでのお勤めをし、その上で感情を肥やすのだ。
俺にとって曲が出来た日は、上記の夢の途上を踏みしめる大事な日だ。

2008年1月29日火曜日

夜更かしについて考える

最近は、2時半から3時くらいに寝ることが多い。朝は、嫁が仕事に出かける準備をしている物音を聞きながら、まどろみ、10時くらいまで寝ている。田舎のホストみたいな生活だ。

俺は元来、早寝早起きのタイプだ。丑三つの刻まで起きているのが、昔は怖くて、日付をまたぐ前に寝ることが多かった。しかし、塾稼業についてからは、自然、寝るのが遅くなる。都会のど真ん中と違い、夜は幸いにして静かであるので、読書や思考の時間には適している。最近は、丑の刻をまたぐことに対する怖さはなくなっている。

小学6年生まで俺は、大晦日でも、紅白歌合戦が終わる頃には寝ていた。中1の時まで、ミッドナイトを体感していなかったのだ。小学校高学年でも、「8時だよ全員集合」が終わると、寝床に入っていた。
夜は、早く眠りに落ちないと、何か怖いものが起こるような気がしていたのだ。急かされるように、日付をまたぐ前に意識を眠りの中に誘わないと、怖かったのだ。

俺が幼稚園のときぐらいだろうか、俺のおかんは、夜になると興奮してはしゃぎだす俺を寝かせるために、モンスターを作り出した。そのモンスターは、夜遅くまで起きている子供を見つけては、連れ去って食べるというのだ。防ぐ術は1つだけ。早く寝ることである。どうしても眠れない時でも、寝床にいれば救済措置があるそうだ。

その化け物の名は、「モーネロ!」だった。俺はカタカナかひらがなで認識していたが、今から考えると「もう寝ろ!」だ。親から子への命令形だ。なめとんか!

それが、語彙の乏しい俺には、ムーミンみたいな形のスライム状のお化けに思えた。とても怖かった。
俺がはしゃいでいたり、ドリフターズのギャグに反応して、興奮しまくっていると、おかんは、「あ、もう、そろそろやわ。来るで! 来るで!・・・」と脅しだす。俺は、「言わんといて! もう寝るから」と、大慌てで化け物の名を呼ばせないようにして、布団にかけこんだ。不思議と、すぐに眠れた。恐怖認識に合わせて体内リズムが反応していたのである。

我が家では、クリスマス幻想は、小学1年の時には絶たれた一方で、化け物幻想が見事に子供を支配していた。それにしても、ネーミングセンスはベタだ。ひねりも工夫もない。騙された俺が悪いが、え~加減にせえよ、おかん!

この記憶がトラウマになっていたのだろうか。高校生の時に、初めて丑三つ時まで起きていた時は、何か未踏の地に踏み込んだかのような怖さと、興奮を覚えたものだ。K点声というか、人生の中で初めてのヴィジョンを感じたものだ。

踏みしめてはいけない境地に入るやましさがある一方で、その時間に起きている自分が、何か立派な気もして、俺は夜更かしに、興奮した。ラジオを聴いたり、ヘビーメタルを聴いたりしていた。徐々に俺にとっての夜更かしは媚薬に似たものになった。「平凡パンチ」、「GORO」、「スコラ」といった、今から思えば何でもない微ポルノ雑誌を読むのが、ミッドナイトになった。モーネロに対する恐怖に打ち勝つ根底思想は、セクシャルな願望だったのだ。パンドラ気分で開けた扉に、俺は希望だけを残した。まいったか、モーネロ!

俺の中での、モーネロ幻想は終わっていたかに思えたのだが、まだ生きていた。

今日、高校受験生の生徒に、おっさんなりのアドバイスを与えた。「今から受験までは、そろそろ朝方に変えていかなあかんで! どんなに遅くても、日付変わるまでには寝ろ! そして、朝早く、起きおし!」と俺はアドバイスした。

「日付変わるまでって、ありえん~~~~!小学生みたいや~~! 無理無理!」と、ほざくガキ共に、俺は素で、一喝した。

「どあほ! 早く寝んと、モーネロが出て、あんたら食われるぞ!   あん? 」

空気が変わった。滑った。受験生には不吉なくらいの大滑走だ。人生最大の滑りかただった。それでも俺は、滑った後の修正をなんとかしながら、ガキ共に、早く寝る約束をさせた。幸いに、滑った雰囲気は一掃された。

そこで、よせばよいのに、また、やってしまった。
「まじで、約束してや! 指きりげんまん、嘘ついたら、モーネロで~ます! 」

雪崩が起きた。1日に、ワースト1、2を更新したのだ。俺は、不貞寝したくなった。

モーネロは俺を今でも支配している。奴がかもし出す恐怖は、夜更かしの恐怖から、滑走の恐怖に変わりつつある。モウイウナ。 カタカナの語感は暖かみがない。もう寝る。

2008年1月28日月曜日

移動について考える

我が家から数百メートルのところに、一級河川があるのだが、いつも、その堤防の道を数キロ車を走らせながら通勤する。気持ちの良い道である。

この河川のあるところに、数年前からボーリング工事があり、不穏な雰囲気があったのだが、徐々に工事が本格化し、昨年から、完全なる橋桁が姿を現した。道路でないのは、一目瞭然の少し細めの橋桁だ。

北陸新幹線のものらしい。あと10年以上経ったら開通するみたいだが、我が家のすぐ近くに新幹線が通る姿が、どうも想像できない。

今、富山から東京へは、越後湯沢で新幹線に乗り継ぐパターンで3時間半くらいが最短だったと思う。それが、北陸新幹線が全面開通すると、最短2時間30分になるらしい。それをすごく重大事のように謳っている。

謳われても響かない。たった1時間でっせ??? そんなに1時間の移動の差を、人々は求めているのかね? 正直わからない。

富山から東京へのアクセスは、JR、高速バス、飛行機と3種類用意されており、もちろん最短は飛行機だ。1時間を切手羽田に着く。ビジネスで忙しい方で、それなりに席が埋まっているみたいだ。

しかし、飛行機にしたところで、飛行時間は短いが、チェックインを加味したら、そして、羽田から中心部に出るまでの時間を考えると、そんなに早いという感覚はない。

俺は飛行機で空を飛ぶということが、すごく楽しいので、何度か移動に飛行機を利用した。今でも金があれば、飛びたい気持ちでいっぱいだ。でも、そこに目的地までの時間を加味して選択する発想はない。

電車での移動にしてもだ、3時間半が1時間短縮されたからといって、そこに便利さを見出したり、その時間に魅力を感じて、新幹線を選択する気持ちには、まず、なれないだろうな?と思う。むしろ、1時間の短縮にデメリットを感じる部分の方が多い。

俺は、富山、大阪間でも、1番遅いJRを選択することが多い。停車駅は多ければ多いほど良い。
3時間半くらいかかる、電車移動を、1番快適に思う。

電車に乗り、最初の20分は心の興奮を抑える時間、そして、その後、車窓からの眺めに思いをはせる時間が1時間、そして、その後読書を1時間ほどすれば、適度に眠たくなってくる。なんともいえない揺れと音に包まれて、うとうとする時間の気持ちよさといったら、家でのひらすまとは、また違った幸せがある。1時間弱、うとうとする間にも、列車は駅に停車する。その度に、意識があるかないかわからない頭で旅情を感じる。そして、目が覚めたら、目的地近辺の光景が車窓に広がる。美しき移動だ。

これが、1時間短縮されて2時間半になると、至福のひらすまが、行程から削除される。早く着くかもしれないが、どちらが幸せかといったら、前者だろうと思うのだ。

俺は、移動手段で1番好きなのは、夜行列車だ。2番目が夜行バスだ。そして、飛行機が続き、最後にJRの特急、新幹線が続く。

夜行列車や、夜行バスは、夜の21時代から22時代に富山を出発し、在来線の始発も走らぬ朝方に、お江戸に入る。都会のど真ん中で、明け方に降ろされた時の、迷子感といったら、それはそれは素晴らしい。グダグダになったアッパ~オヤジの残党と、クタクタ感あふれるダウナーオヤジの精鋭との対比が、大都会をバックになされる。詩情をかきたてられる。

睡眠といった観点からは、確かに問題はあるが、熟睡できなかった疲労感が、旅情を余計にかきたてる。チープの下北沢「屋根裏」ライブの時には、この行程を利用した。疲れきった体で、眠らない町を彷徨し、眠らないでリハ、ライブに臨む。今でも、無性に、この行程を欲する時がある。

これが、JRの越後湯沢経由の新幹線乗継だと、全く移動の趣はない。特に新幹線の2階建て車両の1階に当たっ時は、俺は帰りたくなる。駅のホームの下側に目線が来る、パンチラアングルすれすれの様な窓から、1時間以上の時間をねずみ色と黒色の映像だけが垂れ流される。苦痛で苦痛で仕方がない。

移動に旅情を感じたい俺にしてみれば、移動の時間にも楽しみを見出したいのであるが、多くの方々は、俺みたいに暇人ではないのであろう。1時間の短縮が国家プロジェクトとしてなされるのであるから、個人的な感覚のずれを感じてしまう。

色んな移動形態があってよいのだ。だから、北陸新幹線も否定はしない。ただ、短時間移動が可能なものが出来た暁には、旅情をくすぐる路線が、減るか、なくなるのではないか?という危惧があるのだ。

昭和の新幹線開通は、戦後復興の夢を乗せた。そして、その夢はずっと引き継がれ、今も、時間短縮に夢が冠されている。でも、時間の短縮が、かえって、夢を育む素地をなくしていると考える、アナクロな人間がいることも鑑みて、せめて、貴重な路線は残してほしいと思う。

列車移動の緩やかな時間の中でのソウル描写が、多くの小説にはある。これも、移動が早くなったら、形態は変わるのだろう。夏目の上京感覚も、松本の時刻のトリックも、西村の密室も、時間の感覚が変わると、パッケージするだけの詩情を失うだろう。

移動の1時間短縮に価値を見出す鋭敏さより、1時間に情を込められる愚鈍さを選べる機会が、あり続けることを願っている。

2008年1月27日日曜日

ライブ後記

昨日の「さむでい」での「ほうるもん」ライブ、なんともいえない高揚感と浮遊感の中、ライブが出来て、いい夢を見てゆっくり寝れました。本日の仕事も精力的に、活力に溢れております。

個人的には、終盤で歌詞を間違えるという、もっとも忌むべきミスをしたのですが、自分の中では、集中していなくて間違えた感じではなく、音に集中しているため、ライブ中に言葉の乗り方を試していたかのような間違え方で、少し昨夜は悔やんだのですが、今日になってみると、あまり尾を引いていません。色々な模索の仕方がございます。

カラスさん、馬川さんという方が、共に出演されたのですが、お二方とも、それはもう、個を出し切った絶妙の色を出されていて、好き嫌いのレベルを超えて、感動したり、笑ったり、興奮したりしました。

馬川さん(勝手に実名だしてすみません。ここにたどり着かれないことを願います。)、この方は、仏のナビゲーターなのですが、その思想感が、瀬戸内寂聴さん的というか、壊れ方が、俗物丸出しというか、とにかく、偽善の香りの全くない、いかしたナビゲーターなのです。5年前に一緒にさせていただいた時の唄も多くあったのですが、唄の温度はびっくりするくらい、今回の方が伝わりました。悲しくてせつなくて、メロはメロウなのですが、妙な明るさというか、突き抜けた感覚を味わいました。流行の「千の風に~~~」という曲よりも、美化されていない醜さの中にある清さを感じました。

カラスさん(勝手にホーリーネームだしてすみません。ここにたどり着かれないことを確信しています。)、このおっさんは、アコギ、オープン、スライドのみで、えげつないブルースを発信される方なのですが、偏狭で、情けなくて、それでいて、芯がある。生まれる人種を間違えたかのような、南部の香りがあります。中原中也の詞の引用があったのですが、完全に昇華されているというか、紡ぐ言葉の温度が、非常にマイルドで、かえって怖さを感じます。素晴らしきブルースでした。

このお二方とも、お子様は高校生ということで、先人の馬力と穢れ無き魂に感動しました。

カラスさんが、ライブMCで、「まえけんは、キュートだキュートだと思っていたのだが、何でキュートなのか考えていたら、あ、そうだ、動物の香りがあるからだということに気付きました。人間が動物を愛でるキュートさがある。」と言っておられたのですが、俺には最高の褒め言葉に感じました。
先人から愛でられる小動物の俺、自信を深めましたよ。

「ほうるもん」の前にこちらで組んでいたバンド、「えんころ」。そのバンドのベースの御仁が、お客さんとして来てくださっていて、ライブ終了後、温かい言葉をかけてくださったのですが、言葉を再現したくないくらい、嬉しい言葉でした。

「ほうるもん」、どんどん進化しますよ。「チープハンズ」とのかっこ良さと種類は違いますが、目指すベクトルは同じで、楽しみで、幸せで、音楽人としての喜びを感じます。

それにしても、ライブ中の気持ちの高まりは、年々、得体が知れないものになっていっている。それが、コントロール出来ないものではなく、高まりの中で、浮遊できる気持ちよさが出てきている。これが、俺の中のグルーブ感だ。

ライブが終わった後には、次なる曲のアイデアが生まれてくる。1つ1つ感受性に向き合って、新たな出会いを大切にしていきたい。素晴らしき夜に祝杯をあげて、明日に向いていこう。

2008年1月26日土曜日

ライブの朝

今日は、3時から家庭教師をして、その後ライブだ。ライブ日であるので、朝はゆっくり寝ようと思っていたのだが、やはり早くに目が覚めた。ギターの弦を変えたり、曲を流してみたり、髭を抜いてみたり、柔軟体操をしてみたり、何かと落ち着きがない。

今日の未明、地震があった。強烈な「ドスン!」という、腹に響くような衝撃を感じた。嫁は布団から動けずに、あばあばしていた。俺は、「ハルマゲドンじゃ!」と、過剰に反応し、うろちょろ闇を彷徨し、そこからは、寝ているか寝ていないかわからない、まどろみの中、朝を迎えた。

昨日の夜、「ほうるもん」のドラムのタカから、気持ち悪い雲の様子が映ったメールをもらった。神様の両手が雲をがっしり掴んでいるかのような雲間に、光が差し込む姿は、なんともいえない不気味さがあった。「神の手」と言われる雲の形状らしい。

その映像を見て眠りについたからであろうか、俺は地震にすごく慌てた。「せめてライブが終わってからにしてください!」と、実に狭量な願いを咄嗟に考えていたことに、我がごとながら呆れる。

「次男坊」、「風の機関車」、「頭上の部屋」、「のべつ幕なし組曲(「彩綾」、「幕」、「やさぐれ」)、「うつせみ」といった曲を予定している。

「うつせみ」のみ、チープメンバーも知っている曲だが、それ以外は、昨年の「ほうるもん」ライブ以降に作った曲だ。興奮すればするほど、もたって演奏することが今回のテーマだ。

1曲、紹介したい。唄の歌詞は、音を伴って一人前だが、たまには、半人前の姿を顕にするのも良いだろう。

「風の機関車」

「顔に見立てた風の機関車が 僕らの前を過ぎていく 君は顔しかめた

錆びに彩られた古い自転車が 僕らの前を過ぎていく 見つめたら消えていた

敷き詰められては息苦しいよな 土の息吹が道路に呼吸の穴開けていく

顔を剥ぎ取られて朽ち果てそうな山 ざまな姿でも周りに馴染もうとしている

どっちだろうか声のする方へ こっちだろうか声を探して
近く遠く声に吹かれて 遠く近く君の声は 澄まさなきゃ 
声をあげているのに あげているのに 風の機関車

顔に見立て風の機関車が 僕の前 砂をさらっていく 君の顔見とれた 君の顔見とれた」



外は雪が降りさくっている。夜まで降り続くような雪だ。穏かな一方で、胸騒ぎのする1日の始まりだ。
ライブの朝だ。しばし、まどろんで出かける。

2008年1月25日金曜日

小石のブログ

嫁も、会社で仕事の合間に、このブログを見ているみたいだ。時々、批評をしてくれる。

嫁は、俺の毒舌で、世間に噛み付いたタイプのものや、深層心理を抉り出したような重いものではなく、軽くて、かわいいタッチのものが好きみたいだ。重い文章を書いた時にはあまり反応しない。

多くの方々からも、「よくもま~、こんだけの分量を毎日ペースで書くね~。」と、お褒めやあきれた感想に近いお言葉もいただく。俺にしては、毎日、長くてせいぜい20分ぐらいのことだから、今は、完全なる習慣になってしまっているので、分量に対する驚きはないのだが、毎日書くことには意味があるような気がしている。

最初に、このブログを書き始めたきっかけは、チープの掲示板がスパムに荒らされて、外国語の波をかきわけないと、日本語にたどり着けない有様だったことから、どこかに、連絡掲示板みたいなものを移行しようというものだった。

掲示板の域を離れ、今や、完全なる俺の偉そうな精神状態の吐露の場だ。どういう変遷だ・・・。

ブログという空間は不思議だ。今でも、この空間で文章を書いていることに違和感を感じることはある。人目にさらされることを前提としている場合、文章としての体裁は、私的なだけではなく、ある程度パッケージされた完結型を必要とする。情報発信をする気もなければ、ディベートを欲しているわけでもないが、センズリ日記にならないように、少しは意識している。

だからといって、自分にとって、書くことにたいする必要性がない、外部の目だけを意識した文章であるならば、私的にノートに綴ればよい。公開する必要がない。

何で俺は書いているのだろう? といった自問自答をしながら、書いてきた、この数ヶ月である。今でも答えはない。

ただ、毎日書いていて思うことがある。毎日、「今日は何を書こうかな?」というネタを考えないで、すぐに書き出せることに、一種の安心を覚えているのだ。これがある限り、何とか俺の精神は動いているな、と安心するのだ。

この安心が欲しくて、無意識に書くネタを体内に宿す習慣が出来ただけかもしれない。毎日書くたびに、安心し、読み返さなくてもよいし、書いたことに対しての何かを求めているわけでもない。ただ、今日も色んなことを考えるだけのことがあって、省みたり、顧みたりすることが出来た瞬間が、俺にとって、貴重な時間に思えるようになった。

劇的なことは、なかなかない毎日、訪れてはくれない。決まった通勤道、決まった箱庭内での彷徨、そこに、興奮のツボばかりを見出していたのでは、毎日がたまったものではない。だからといって、そこに何も見えなくなって、1日を終えたときに、その日の色がないことを気付く瞬間が来るのではないかということに、俺はずっと恐れを感じていた。

一時期、そういう時期があった。昨日と今日と明日の区別がなくて、流れの点にもならないような日々があった。俺の目は曇り、何を見ても刺激を感じず、何を見ても無機質に捉えていた。そして、それに対する怯えがすごく高まり、俺は、「鏡」という曲で、その心情を昇華した。書いた後は、安心したのだが、やはり、衰えゆく感受性に対する恐怖は常にあった。

この暑苦しい心境は、断片的に、このブログで触れては、自分の中で格闘していたのだが、ブログを書くことが習慣化してきてからだろうか、俺の中で、また、以前のような、毎日の日々に色彩を抱く感覚が蘇ってきたような気がしてきた。 

これが嬉しいのだ。単調で単調でつまらないように思える毎日に、昨日とも明日とも違った、膨大な分母の中の分子として、日々が存在感を際立たせる時、俺は、呼吸していることに喜びを感じる。
そして、精神的な回復をもたらす何かに、このブログが役立ってくれたような気がする。

まだ、たかだか、数ヶ月。これから毎日どのくらいの文章を書いていくのかは、全然わからない。ただ、はっきり言える事は、書きたいことがなく、毎日のブログに推敲を重ねないと文章が書けなくなる日々が来たならば、そのとき、俺はブログをやめ、推敲を重ねた文章を万年筆で原稿用紙にしたため、こっそり保管するか、内容次第でアナログ媒体で発表するだろう。

日々、リアルタイムで公開するのは、そこに、毎日の色合いがあるからだ。日々の色彩への感謝の報告を電波に乗せているだけだ。普遍的なテーマならば、推敲に推敲を重ねて、自己対峙し、発狂するがよい。俺は、愛おしい毎日の色に感謝の念を抱き、それを形にすることで、救われる何かをブログに求めている。

毎日、その日に感じた色彩を文章にするからといって、振り返って、ブログに何かを感じたりはしない。一期一会の言葉との対峙だ。感情を上手く言葉で表現できるようになれば、そのレベルに応じて、また新しい、素敵な言葉が降臨してくれると思う。感情レベルの高揚と、新しい言葉との出会いの場はリンクしている。この先、どんな言葉とめぐり合えて、日々にどんな彩りを加えてくれるかを、個人的に楽しみにしている。

ブログを書くようになってから、曲の詞に対する言語感覚も、少し変わってきた気がする。昔なら表現出来なかった心情を、自己完結ではあるが、形に出来るようになってきた気がする。書き続けることで得られるものがあるならば、書ける幸せを感じて書くのみだ。

浜辺の小石は、変化のないように見える毎日を過ごしているが、海に面している分、漣に洗われる。俺も単調な日々において、せめて、心持だけは、電脳の海原で、言葉に対峙していたいと思う。

明日は、福野町でライブをする。漣に現れた小石の俺は、言葉と音に対峙する。

2008年1月24日木曜日

THE 明

チープのベースの明君、彼から最近、頻繁に電話で相談を受ける。純粋に悩んでいて、純粋に吐き出してくれるのだが、その相談内容がかわいい。明君の許可を取った上で、少し彼について述べたい。

俺は明君の天然の純真さを尊敬している。今まで出会った人間で、彼ほど、いい意味で単純で、マイペースな人間を知らない。

俺は、彼が学生時分から、きっと彼は、これからも母性本能をくすぐり続け、素晴らしき伴侶にめぐり合い、嘘のような守られた暮らしを全うできる人間だと思っていた。1つのことを見つめたら、他の事が目に入らない直進性も、計画性のない、恐るべきマイペースさ、今でいう「け~わい」も、彼にとっては、何一つデメリットにはならなくて、むしろ、それをキャラとして許される、数少ない、選ばれた民だと思っていた。

面識のある人間なら、すぐに察知するであろう、彼が宿した無垢の素晴らしさ。関西人にはツッコミどころ満載のボケの数々、そんじょそこらのパッケージされた芸人には真似出来ない本物感が彼にはあった。

そんな明君が、学生時代の晩年頃から、少し、二枚目を気取るようになってきていて、俺はそれを危惧していた。彼が二枚目でないということではない。ただ、ルックスを覆い尽くすだけの、凄まじき天性の三の皮が、彼にはあるのにもったいないと思っていたのだ。いや、三枚目とも違う。長島さん級の爆発力を秘めた、四次元の凄さだ。時空をはるかに超えた、ぶっ飛び方が彼にはある。

それが、社会の渦に巻き込まれ、明君の良さを本能的に理解できるだけの時空を持っていない人間との交流が増えだして以来、彼は猛烈なスピードで荒んでいった。

荒んでいった直後、俺は嫁を連れて、彼の郷里を訪ねた。颯爽と二枚目チックに俺を車で迎えに来た明君だったが、彼は、俺を待ち合わせ場所から実家に誘導するまでの、ほんの1キロ圏内でガス欠した。何が起こっているのかを俺たちには言わず、彼は、もぞもぞしていた。

俺は、すぐに察知した。「欠やろ?」と聞いた。彼は、空を見上げながら、「ケツ」と答えた。俺はガススタに走った。彼は空を見上げながら、1mの範囲を何度も周回して歩きながら、困った顔をしていた。

俺がすごいと思ったのは、交通量の多い国道で、道脇には数々のテナントがひしめきあっている状況にも関わらず、彼の車が燃料切れした瞬間、動力の余力だけで動ける範囲の路肩に、素晴らしきスペースがあったのだ。奇跡的な映像であった。彼がガス欠した瞬間に見た、彼の天性の強運に俺は驚愕した。彼なら、多少はぐれても、やっていける! 俺は、彼をヨチヨチしてあげたい気分だった。

こんな、昔の香りを宿していた時期もあったが、彼は、その後も変化を遂げ、確実に標準化していった。いや、標準化たろうとしていた。もちろん、彼の考える標準化は、どこか時空を超えている。射程距離が計画と異なるテポドンみたいなものだ。飛びつく先に対する計画性や、爆発力に対する認識は、彼にはない。

彼は苦悩を深めていった。そして、やさぐれていった。かわいさが少し消えつつあった気がして、俺は彼に、愛のムチで、容赦ない罵声を浴びせた。俺もどうかしていた。彼が変わっていく姿が、あまりに残念だったのである。

彼の苦悩は仕方ないことだ。大人の社会は厳しい。単なる母性本能だけでは渡っていけない何かがある。苦しむがよい! と残酷に考えていた時もあった。

彼が学生時代のままの、ありのままを貫き通せていたら、少し局面は変わっていた気がする。
彼が、周囲からツッコマれる事柄に、何かむきになる感覚を持ち出した時、彼の苦悩は高まっていった気がする。彼の良さを認識できる人が少なくなったことは、個人的にも嘆かわしいことだが、社会はそんなもんだろうというあきらめが俺にはあった。それにしても、明君が、元の明君に戻ってくれるように、願わずにはいれなかった。

そんな明君の良い変化を感じたのは、昨年の秋ごろである。彼は、定期的に、家庭が眠りにつく時間帯に俺に電話してくるようになった。復調の兆しである。

電話をかけてきて、彼が話し出す最初の言葉を聞けば、俺は彼の復調を察することが出来る。

「今ちょっといい? あのさ、実は・・・・・・・・」という壮大なタメをもって、小さな話題をふってくる。復調だ!

週に5回の電話の固め打ち、そして、その話題の全てが同じテーマ。復調だ!

彼は彼なりに、電話が嫌いな俺に、最大限の気配りをしてくれている。「ちょっと、今日はわけあって聞きたかったんだけど・・・、 2分で終わるから・・・・、」と、長い前置きの後、生涯に30回は交わしたであろう話題をふってくる。いじくらしくて、鬱陶しくて、愛しい。この感覚は別世界だ。

こんな明君、今日の電話は、いつもとは違う、憂いを帯びた口調で始まった。失恋したのだ。彼の名誉のために断っておくが、彼の失恋は、実に清くて、奥深いものだ。彼の良さを母性的に理解した彼女と、それに応えるために、精一杯努力した明君。責められる要素はない。どうしても、期待に答えようと、標準的な男を演じてしまったことに対する落ち度を彼は感じていたみたいだが、自分がいかに天性の、良い意味でのボケをもっているかが、自分でわからずに、苦悩しているようだった。

俺は、涙ぐみそうになった。「1人で溜め込んだらしんどいやろうから、いつでも電話してきてや。あんたは、羨ましいくらいの、天性のかわいさがあるんやから、ありのままで、楽しい日々をすごそうぜ!」と俺は彼に言った。

彼は、「わ、わかりました。」と年下の俺に丁寧語で応えた。多分、この前、ビジネスマナーについて話したので、丁寧語を使う相手を間違えてしまったのだろうと思う。すごく、心に沁みた。声のトーンが健気で・・・。明君に春が訪れることを願わずにはおれない。

辛い日々がまた訪れた明君だが、一時と比べて、精神的な尖りがなくなって、もとの明君に戻ってきている気がする。嬉しい限りだ。

復調気配が見えた明君。そして、それを待っていたメンバー、彼の復帰が叶い、俺たちは来月久々のリハをする。泣くな明君! 四次元ののうねりを待っている。

しぶい酒屋

町のいろんな店の変遷を見るのが好きである。俺が富山に移住してから、早13年であるが、たった10年スパンでも、我が住む町は、随分と変わった。渋滞で有名な幹線道路の交差点は高架に変わり、生産調整で機能しなくなった田んぼは、住宅地へと変化し、全国規模の大型チェーンが国道沿いにはひしめいている。

国道と名のつく道路沿いの景観は、今や、全国どこにいっても同じような気がする。市として区分されているところの国道沿いには、外食産業、スーパー、衣料店、眼鏡屋、電気店と、大手が、ほぼ出揃っている。コンビニも乱立し、どこでもドアで、瞬間移動したところで、区別はつかないだろう。

町の店の変遷を見ていると面白い。コンビニが退去した跡地には、歯医者か居酒屋かラーメン屋が出来る。小規模なパチンコ屋の後には、大手チェーンの古本屋が入る。

いわゆる、居抜き物件といわれる、1度商売がなされていたところの、廃業後に、新種の商売が立ち上がる過程は、見ていて興味がある。前に、だめだったところであるから、それなりに物件としての商品価値は低く、安価で契約できるのであろう。

我が住む町での場合だが、この居抜き物件、見事な確率で、出直し組みもまた閉店の運命を辿っている。確かに、立地が現代の車社会では合わない土地もあるのだが、駐車場がしっかりとあり、それなりに魅力的な土地でも、なぜか商売が続かない。地の祟りか????

その一方で、「よく経営がなりたっているよな?」と思う、しぶい佇まいの店は、今でも看板をあげている。商売は、奥深いものだと、他人事ながら思う。稼業のある家に生まれたかったとも思う。

俺は極力、昔からあった佇まいの店を愛用するようにしている。値段的には、乱立する大手にはかなわず、多少は割高感はあるのだが、値段の感覚は、比較対象を加味するかしないかだけの問題である。地域に密着した店が、小規模ながら長年、しっかりと商売を続けてきておられることを素晴らしいと思う。

なかでも、果物や野菜をザルにいれて、手書きの値札をかぶせているような店のご主人を見るのが好きだ。店内にはお菓子もあれば、缶詰もある。醤油など調味料あれば、日用雑貨の一部もある。昔のコンビニ的な役目を果たした、屋号がある店だ。賞味期限が切れているものも多いが、そんなものを気にしない胃袋と、おおらかさが、ご主人にも客人にもある。すばらしい!

こういったタイプの店のご主人は、例外なく高齢である。もう、年金をもらえて隠居することも出来るであろうに、毎日彼らは市場に仕入れに出かけ、決して多くはないお客様(地元の、車と縁がない高齢者)のために、店を今日も開けておられる。彼らが店を切り盛りし、活気溢れて動く姿を見るときに、なんともいえない尊敬の念が起こってくる。活気は、客の多さが作り出すものではない。ご主人の人となりが作り出すものである。俺は、出来るだけ、こういう店前で路駐し、飲み物1つでも買うようにしている。
彼らの姿を見ることが、なぜか、自分にとって真の活力となる。清いのだ。しぶいのだ。

こういうタイプの老舗の店のご主人は、子供さんがおられても、まず、時勢を考えて後継をとらない。きっと、こういうご主人が切り盛りする、いきな店は、あと10年もすれば、姿を消すのであろう。画一化される町並みへの変遷の目撃者として、しかと、この目を開けて見ていきたい。

東京、大阪、京都、名古屋といった都会には、老舗がしっかりと、昔の佇まいを継承しながらも、今風にマイナーチェンジをするだけの土壌と文化があり、これは今後も変わらないと思う。しかし、田舎ほど、この昔からの町の店の消滅速度はひどい。俺は、彼ら先人の商売人気質の素晴らしさを、しっかり味わいたいと思うのだ。

昔の商売人を肯定したものの、「これはいただけない」という、先人もいる。

俺の近くに、昔ながらの酒屋があるのだが、ここのご主人は強烈だ。俺は初めて行ったときに衝撃を受け、その衝撃を時々味わいたくていくようにしている。

こやつ、引き戸を俺が開けた瞬間に、「はい、何しまひょ?」と聞いてきやがる。「焦る気持ちはわかる。しかし、せめて、せめて、冷蔵庫までたどり着かせろ!」と俺は心で毒づく。

今日、3ヶ月ぶりに行ったのだが、やはり、やつは帳場で俺を凝視していた。俺が引き戸に触れるなり、「らっしゃい! 何しまひょ!」 が飛んできた。 変わらぬ商売哲学も彼らの素晴らしいところである。
俺は、散々じらして、何も買わずに出てやろうか?という悪戯心もわいたのだが、ビールとナッツを買ってやった。嬉しそうにご主人は、レジを叩き、数少ないつり銭から、10円玉1枚を俺に渡した。ギザジュウであった。ギザしぶい。


俺が好きなご主人は、人生の先達である。人の良さがにじみ出ている一方で、一癖も二癖もあるご主人もおられる。好き嫌いはあれど、彼らのしぶさは同一だ。しぶさが、時流に合わない場合もあるが・・・。

紙芝居屋、アイスクリン屋、豆腐屋は、今頃になって、古き良き時代の証として写真集で、時に思い出したように刊行される。上記のご主人達も、俺が50代になる頃に、写真の中のひとコマとして、ノスタルジアのネタにされるのであろう。

未来に、写真集で過去を懐古するくらいなら、俺は、今この目でしっかり焼きつけ、彼らのしぶさを俺の体内に吸収したいと思う。

「何しまひょ!」 彼らのせっかちさだけを今に伝える伝承者の俺であるが、彼らの根底にある気質をしっかり学び、これからも町を概観したいと思う。

2008年1月23日水曜日

伝書烏賊

昨日のブログでも触れたが、俺の中高時代の渾名は、「スルメ」だった。良いのか悪いのかわからないが、学校中に広く認知されていた。3年間学び舎にいて、卒業する頃には、俺の苗字すらわからなくなるほど、渾名が認知されていた。学校の先生が校内放送で、渾名で呼び出すのだ。これはすごいと思う。

よく電話をかける友達の家に、たまに、本名で名乗りをあげると、しばらくは空気が固まり、「あ、スルメ君ね~、ちょっと待ってね」とつながれる。その時はなんとも思わなかったが、今から考えると、5人に1人は本名的に認知していたような気がしてならない。どこの親が、愛しの子に「スルメ」ってつけるねん! 少し悲しく感じた夜もあった気がする。

先生方からは、「こらスルメ」と言われ、同級生の男からは「スルメ」やら、「メルス」と呼ばれ、同級生の女の子からは「スルちゃん」と言われ、後輩からは「スルメ先輩」と呼ばれる。中高時代、俺の苗字を呼呼んだのは、補導された時とカツアゲされた時の対応をされたポリスメンだけだ。

このスルメ少年であるが、伝書鳩ならぬ、伝書烏賊になる機会を多く味わった。

俺の親友は、びっくりするくらい、もてまくっていた。先輩・後輩関係なく、彼を見る女子の目つきは、軒並み恍惚で、突き刺すような視線が彼に降り注いでいた。行動を一緒にしていた俺は、いつも彼の横を歩いていたのだが、俺の体の左右に結界が張り巡らされたかのように、その視線は俺には向かない。
なんともいえない、優劣の差を俺は親友に感じながらも俺たちは共に成長した。

俺も、当時は人並み以上にもてた。これはまじだ。恋文や、バレンな求愛は、毎年あった。しかし、俺の親友のもて方は尋常ではなかった。アイドル扱いである。

俺たちは中学に入学後、美しい先輩が多くいるからという理由で陸上部に入った。しかし、動機が動機だけに、不真面目極まりなく、俺たちは、いつも男子の先輩からリンチすれすれの虐待を受けた。
そんな俺たちの待遇を憐れに思って手を差し伸べてくれたのが、女神の先輩である。女神は3人いた。
聖母マリアを連想させる清らかな先輩、俺たちは彼女達の手厚い庇護を受けながら、傷持つ身にならずに、日々戯れた。「俺は聖母に守られている。」 幸せな勘違いがあった。守られていたのは親友だけだった。

3人の女神に混じって、1人魔女がいた。魔女というか、ポセイドンの香りを内包した、ガテンな方である。俺は彼女に砲丸投げに誘われ、練習中に間違って、彼女の砲丸を肩にぶつけられた。即死と紙一重である。ポセイドンの介護を俺が受けている間、俺の親友は、女神に短距離走を、手取り足取り教えてもらっていた。彼を見つめる俺のジェラ視線の隅には、当たったばかりの砲丸があった。歩く砲丸(ハルク・ホーガン)みたいなポセイドンに、俺はラリアット体制で抱えあげられた。 

俺たちは2年生になった。可愛い後輩が入ってきた。俺たちは目をつけ、彼女達の前で、渾身のギャグをかましていた。ある日、俺が昼休みに便所に行くと、便所周辺で、その後輩がたむろして、俺を見るなり様子を変えた。

「きたで~きたで~、求愛タイムが!!! しゃあない、傷つけんように相手したろ?」 
俺は、ロボットみたいな動きを悟られないように、そして、大便器入りの予定を変更し、鏡を見て鼻毛チェックだけをして、予期される小水タイムだけを便所内で過ごし、さりげなく出た。

「スルメ先輩~。 こ、これ・・・」   紛れもない文だ。封筒だ。クッキーらしきブツも添えてある。

「お~う、どうしたん? え、何?? これ~???」   俺は昇天寸前である。

「あの~、O先輩に、これ渡してもらえませんか?」       

昇華した。消えた。俺は、浮遊物となって、元来の便意を解消しに、個室に入った。気張る2足が震えていた。しかし、俺は伝書烏賊としての役割を果たした。

3年生になった時、俺は、2年生の時から好きだった女の子と、同じクラスになった。猛烈なラブビームを彼女に毎日送り、よく話し、どう考えても、彼女は俺に好意を抱いている気がした。春は間近だ!

ある放課後、校門前に彼女がいた。その日、俺の親友は、テニス部の女の子に付きまとわれて、彼はその中で、ホスト的なお勤めをしていた。俺は、別の友人と帰路につこうとしていたのだ。

近眼になり始めた俺の目ではあったが、俺は、ホの字の女の子が校門前に立っていることは、渡り廊下を歩く時から知っていた。そして、彼女の待ち伏せが何を意味しているかも・・・。

「愛のプレリュードは終わった! 今から唄が始まる・・。いきなりサビかあ????」 俺のボルテージは最高だ。頭で、マクロスの主題歌の飯島なんとかって人のサビがなった。「覚えてい~ま~す~か?・・・」 

彼女は、俺が近づくと、頬を染め、横にいる友人に促されるように、俺の方に来た。受け止める側の体制は完璧である。完璧すぎて、動きはマクロスである。

「スルメ君、じつは~~、 これ!」  紛れもない文だ。薄紅色の封筒の表に、綺麗な字がしたためてある。時は夕暮れ、俺の鼓動は・・・・。

宛名は、O君だった。またしても、奴だ! 俺の親友だ。 頭のBGMが変わる。「か~ら~す~と~いいっ~~しょ~にか~え~り~ま~しょ~~~~~う・・・・・」

ハイ、帰ります。大事に届けます。あの人の下へ・・・・。  俺の鼓動は夕刻を終えた。漆黒の闇だ。

俺の親友は、俺の初恋の人から、俺を通して求愛され、その後、二股で彼女をふった。俺は、彼の頬をぶった。

「俺はつらかったけれど、精一杯、彼女の気持ちをお前に伝えた。俺が好きな人がお前を好きになったことを、俺は心から祝福していた。それなのに、それなのに・・・、この烏賊の気持ちが分かるか???」

涙はしょっぱい。烏賊くさかった。しかし、青春の味だ。

今でも、親友と飲むと、この時の話題になる。彼は、「もう、あんなことはスルメ~!」と、ほっこり言う。
俺は、「イカんともしがたいことだったけど、伝書する幸せも感じた、イカす思い出だったことよ。」と返す。つまみは、もちろん、イカの刺身と乾き物だ。粋が良くていかす。

こんな俺たちも、いまじゃ30代後半、そして、あの時の、女神や、ポセイドンは今どうしているかは知らない。
共に、多感な年頃を彼と同じ場所で過ごせたことを嬉しく思う。彼はもてもて男として、将軍のような日々を、俺は伝書烏賊として、塩辛い日々を・・・・。 立場は違えど、過ごした日々は、噛めば噛むほど味がある。

彼は来月16日、北の将軍様の生まれた日に、誕生日を迎える。伝書はもういらない。俺は烏賊としての役目を終える。また飲み交わす日を楽しみにしている。烏賊キムチでイカが?

2008年1月21日月曜日

伝書鳩

バンドには、人間同士の想像を絶するぶつかり合いがある、人間関係の凝縮図のような集団だ。そこでの人間関係が深ければ深いほど、ぶつかりあった時の衝撃は多きい。逆に、人間関係の深さを持つまでに至らなくても、組んだ当初に(つまり、知り合って間もない頃に)、相手に対する何か違和感を感じたりしたならば、それが鬱積し、その関係を解除したいと思う衝動にかられるであろうことは、容易に想像できる。

好きな音楽と、バンドに込めた思いと、爆発力を秘めた者同士のエゴがぶつかり合う場、バンド内での人間関係は、その関わり方と、距離感が重要であり、夫婦関係以上にデリケートな場だ。

俺は、バンドに恵まれているが、多くのバンドが、内紛を起こして消滅していく場を、腐るほど見てきた。どう考えても、出会ったことが奇跡なのであるが、出会う時期がいけなかったのか、出会いの幸せを感じる間もなく、あっさりと消滅したバンド、または、メンバー間の壮絶なるバトルで、憎しみを抱えまくって分解したバンド、解散や消滅の経緯は様々だが、メンバー同士が、何の因果か1度集った以上、そこに意義を見出す俺には、実に悲しい現状だ。いや、悲しいというよりは、それがバンドという形態が抱えている性質なのかもしれない・・・。

俺は、幸いにして、以前にバンドを組んでいた人とも憎しみ関係を持たずに(俺からの一方的な感情かもしれないが)、今までのバンド変遷をしてきた。交流の濃度は違えど、どこかで会ったら、泣き出すかもしれないくらい、人間的にも音楽的にも尊敬できる人たちとの交流をもてたし、今のメンバーとも持てている。

昔、俺の親友が組んでいたバンドに、俺が好きなプレイヤーがいた。その方の演奏は、テクはないのだが尖っていて、芸術が転がりだす前の危うさと硬質さがあって、好きだった。俺の親友も、素晴らしいプレイヤーとのご縁があったことを喜んでいた。

しかし、そのバンドは長くつづかなかった。俺たちが一目置いていたそのプレイヤーが、一方的にメールで脱退を宣言したのだ。あっけない幕切れであった。感慨にふける間もないほどの出来事であった。

どんな理由があったにせよ、少なくとも、1度、音を交わした人間同士が、電波文書で終焉を迎える。その一方通行的な宣言を俺は残念に思っていた。バンドは難しい。かなり悲しい出来事であった。

こういう別れの場合、再びメンバーが再会するケースは、近隣に住んでいるとか、生活空間が近くであればありえるが、接点が日常にない場合、そのまま、お互いの人生に、何の正の働きも、もたらさずに、自己防衛的な忘却の刑に科されるのが普通だ。バンドで出会わなければ、人的交流が保てた人とも、別れた暁には、DVで別れた夫婦以上の、憎しみになるか、幸いにして、完全に忘却されるかのどちらかだ。

前置きが長くなった。

今日、俺の膨大な数の迷惑メールに混じって、「まえけんさんへ」というタイトルのメールがあった。間違えて消去される運命になる寸前で、俺は、そのメールに意識を止めた。

「私だよ!」とか、「RE:いかにも、私がパンツ皇帝である」(どんなキングじゃ!)といったタイトルは、多々見るが、俺の名前をタイトルにしたメールはない。しかし、宛名に心当たりはない。迷ったならば開くのが俺の帝王学だ。パンツの思うツボだ・・・・(笑うな!)

感動した。メールの相手は、俺の親友が組んでいたバンドの、上記のプレイヤーからだったのだ。その方は、俺の親友への連絡手段を無くしていたのだが、どうしても、一方的な脱退打診を、数年たった今、親友に謝罪したくなって、俺なら交流あるということを見越して、チープ板から辿ってきてくれたのだ。

何たる情熱の高さ! こんな清いことがあろうか? 自分が過去に抱いた感情の一部を自己消化し、それを記憶から風化させるのではなく、そこに落とし前をつけようとするその活力! なかなかできることではない。

「何であの時、あんなことを言ってしまったんだろう?」とか、「今から思えば、あの人は悪くなかった。むしろ自分にとって良い人だったな~。もったいないことをしたな~」といった、若気の至りにまつわる、酸っぱい思いでは、たくさんある。同性、異性関係なく、まして、バンド間の人間関係であれば、逃した魚への、恋慕は尽きない。

しかし、いつまでも過去を引きずるわけにはいかない。傷に対して、時には漆塗り、時にはペンキ塗り、思い入れの濃淡によって塗料を使い分け、嵩があまりに高まったなら、俺たちは、その記憶を裁断して、今を生きる。これが、成長という名で冠される俺たちのリセットの仕方だ。

そのプレイヤーからのメールには、今の俺の親友と交流をまた持ちたいという、打診もなかった。ただただ、俺の口からでいいから、謝罪の気持ちを伝えて欲しいと願う、清い動機だけが、言葉に変換され綴られていた。なんともいえない、清清しさに満ちたメールであった。感動した。

過去の種々の人たちとの出会いがあるが、1度決別した人から、こんな素晴らしい気持ちを抱かれ、そしてそれを行動力に写すだけの存在でありえた、俺の親友を誇りに思う。俺は喜んで伝書鳩になろう。
行間の情熱も含めて、俺はすぐに、親友に伝えた。彼も感動していた。

こんな伝書鳩の機会は、何度でも持たせて欲しい。俺はいつでも飛ぶ覚悟だ。こういう伝達を可能にするのであれば、電脳媒体も捨てたものではない。「パンツ皇帝」に見習わせたい。露出するなら、精神を!パンツの隙間に漂っていた、清いメールのタイトルを逃さなかったことが嬉しい。

思えば、俺は、親友の伝書鳩になったのは、これが初めてではない。俺は彼に伝えるために数回飛んだことが、中高時代にあった。その時は、今回のような清らかな伝書ではなく、俺にとって辛い辛い、伝達内容であった。俺は傷つき、俺の羽は涙で濡れた。乾いたあと、俺は干からびた。涙がもたらした塩分は、俺を乾き物にした。 俺の高校時代の渾名は「スルメ」だ。鳥も運ぶが、乾物も運ぶことがあるのだ。塩辛く、酸味があって、噛めば噛むほど・・・・・。 今こそ総括を!

明日の「伝書烏賊」の心まで~~~! 

2008年1月20日日曜日

錆びだらけの望み

今日は朝から、推薦入試の面接練習やら、補習やら、受験対策やらで、飯を食う間もないほどの時間を過ごし、18時30分より、前の職場の塾の同僚の新年会に参加した。

昨年末に忘年会で会っているので、そんなに久しぶりな感覚はまったくないのだが、楽しく時間は過ぎた。そして、日付をまたがずに帰宅。品行方正である。

夕方以降の飲み会で、日付をまたがずに帰宅することは、俺はこれで3回目だ。全て昨年からのカウントだ。これが大人の飲み会というものであろうか。不満はない。むしろ、早く帰ってこれたことに対して、爽やかさも感じたりした。だが、これでいいのであろうか?

飲み会は楽しく、それなりに炸裂もした。酒量もあった。しかし、不思議と2件目に繰り出そうとする気概はなかった。これは俺の中で画期的な変化だ。

情けない話しだが、明日以降の仕事のことや、昨日から今日にかけての睡眠不足が、飲んでいる最中に意識にのぼった。おかしい。

もう、10年ほど前から、一次会だけに参加して、早々に帰路につく、大人をたくさん見てきたのだが、俺は、彼らの心境を意識することもなかった。ただ、俺は、「夜はこれからじゃ!」という意識で、飲み会メンツの最後の最後まで付き合うことが常であった。つきあっているという意識よりは、むしろ、自分が電池が切れるまで、とことんいきたいという気概があった。

それが、昨年の飲み会くらいから、一次会である程度満足した時に、次の日のスケジュールが頭に浮かび、守りに入ろうとする気概が生まれた。

当たり前である。普通の俺の同世代の人は、10年前にこうした選択をとっていたはずだ。今までの俺の行動が、同世代の常識と軌を逸していたのだ。俺も大人になったもんだ。

1度した失敗や、苦しみを次に生かすことによって、人は日々成長していく。だから、二日酔いの苦しみを経験した人は、残り酒を考慮して、酒量を調整し、日々のスケジュールを鑑みて友人との行事を選択する。これは賢い。全て、若い時分の経験が今に生かされているのである。

俺は、酒にまつわる失敗や、酒量による翌日の苦しみをたくさん経験している。どのくらい飲めば次の日に苦しくなるかは、完璧に認知している。しかし、酒を飲むことに限らず、次の日のスケジュールといったものを加味できない、その場限りの情熱に燃える癖があり、それは昨年まで続いた。

今じゃ、酒の場での失言も減り、人に噛み付くことも少なくなった。これが大人の飲み方だ!肯定されるべきことである。しかし、これで良いと思う反面、一抹の寂しさも感じる。

20代の子達と飲みにいくならいざ知らず、同世代以上の方々と飲みに行く時、そこにオールナイトの気概はない。それが当たり前だ。わかってはいるものの、俺の根底にある心情が、何か訴えている、疼きを感じずにはいれない。情熱の温度差を感じずにはおれないのだ。

年をとるということは、色んな面でニュートラルになることだ。種々の苦い経験を経てきたならば、過去の失敗を糧にして、エネルギーを消費しない、快適な日々を欲するようになる。この、当たり前の過程が俺には、違和感があるのだ。加齢の認知が、こういった形態でなされるのは複雑だ。

学習能力が高い方々ばかりの中で、1人だけ、ぽつんと残された感じというか、酔いの先に見える人的交流の温度感のずれを感じる隔世感というか、決して、俺にとって健全な日々が、自己肯定できる、正しい日常にはならないのである。

だからといって、酔いつぶれたいわけではない。泥酔の状態で感じるものに全てを託していくほど、俺はロマンチストではない。現実感はしっかりもっている。しかし、日常の日々がどんな色彩であれ、本能の疼きを共有できる何かが、酒宴の場にはあって(これは、飲酒するかしないかを意味しているのではない。精神的対峙の場としての場を意味する。)、それに対して、真剣に臨んだ場合、俺の体内時計は壊れ、気がつけば、生理的な休息を欲する瞬間まで、揺られていることが、実に普通の状態であり、その時間の積み重ねが、俺の感受性に彩を与えてくれてきたと思っている。

精神的な対峙の飲み会、そして、それが、賢き社交の場に変わる瞬間、それを今の俺は味わっているのかもしれない。これが正しき大人の交流なのであろう。みんな楽しそうだった。何一つ不愉快な会話もなく、何一つ疎外感もなく、何一つ失敗もない時間であった。行事として、申し分ない機会である。参加できたことを嬉しく思う。

満足なのだ。満足で満足で楽しくて楽しくて・・・・ 、それでいて、今の俺のいる場所が、どうもすわりが悪いという自己矛盾があるのだ。得体の知れない浮遊感を感じる。

俺は何を欲しているのか? 翌朝に頭痛と自己嫌悪に包まれた日々をもう1度欲しているのか?そうではない。酸っぱい日々には決別したい気持ちの方が強い。ならば、今のこの浮遊感はなんだろう?

早く帰ってきて、万全の体調で翌朝を迎え、何事もないように日々を過ごす。起伏は疲労を呼び込むので、なるべくならば、活力を浪費しないように日々を調整する。これが、年輪を経た対応であり、大人になるということであろう。

30代後半になって、大人になるかならないかという自問をすること自体が滑稽で、甘えであろう。俺はとっくの昔に、樹齢として立派な大人の年輪を数えている。何を煮え切らない態度で、自己憐憫しているのだ・・・。全くもって、いじくらしい・・・。

俺は大人だ。しかし、感情のメーターが愚鈍になりつつある今の穏かさを満喫できるほどの円熟はない。円熟にさしかかるまでの間に、俺の感情のメーターは、どのような軌跡を描くのだろう。直視したい気持ちと、部品を変えたい、作為的な気持ちで一杯だ。

当面は、日々、書き連ねたいことがあることを是とし、そこに悪あがきを見出そう。

歳を重ねることは、こんなにも穏かで、起伏のないものであるのか?平穏すぎて吐き気がするが、吐くまでには至らない。これからは、何を歌っていこうかな?

「錆びだらけの望み」、今日も曲が生まれた。俺は抜け殻を抱いていく。

2008年1月19日土曜日

外海の怖さ

今日のニュースを流し読み、「名古屋の老夫婦の奥さんが絞め殺され、夫は東尋坊周囲で死体で発見」というものがあった。何でも、妻が苦しいというから殺して、夫は勤務先のタクシーを東尋坊周辺で乗り捨て、投身自殺したらしい。

色んな人生を共有してきた夫婦の晩年としては、あまりに悲しい事件である。
無理心中という選択肢を選ぶ人たちの心の状態を、色々思ってみる。

俺は、生まれて今まで、自殺願望は皆無だ。まず、ありえないと思う。だからこそ、死を自ら選ぶ人たちの心理に対して、それを遊戯的で、俗物的なものとして軽蔑し、決して、詩的なものにはとらえることができない。

だが、東尋坊という文字が目に付いた時、俺は、そこを選ぶ人たちの心境が、何か分かる気がする。いや、分かってはいないのだが、引き込まれる何かがあることは感じるのだ。

この、東尋坊だが、俺は18歳の時に、初めて訪れた。それまでに、富士山周辺の樹海に次ぐ、自殺の名所で、「命の電話」なるものがあるとか、いった予備知識を入れられてからの初訪であった。

俺は、単純だ。北陸道を友人の運転する車で行き、三国あたりに来た時から、不謹慎な言い方だが、すごくわくわくした。最後の自発的死に場所に選ばれる所が持つ、不穏な空気を、頭でっかちに想像し、東尋坊の道路案内が国道沿いに見えるたびに、胸の中がばくついた。

実際について、断崖絶壁の様相を見た時は、怖くて、近くまで立ち寄れなかった。海と岩とが作り出す何か威圧感ある風景と、予備知識への悪戯な反応が、俺の足をすくませた。単にへたれなだけであるが・・・。「命の電話」があるかどうかを確認する気持ちもなく、お土産物屋で、ビールを飲んで、引き返した。

東尋坊を初訪後、俺は、詳しく見なかったことを後悔した。立派な観光地であり、見方によれば、自然の荘厳さを体感できる、素晴らしき場所なのだが、俺はその時には、足を止める変な圧力を感じて、とてもじゃないが、無邪気に岸壁に近寄ることが出来なかった。

何が1番怖かったのかを、色々考えてみたのだが、まず思い当たるのは、自殺名所という予備知識である。しかし、それだけならば、俺は好奇心が勝り、現場を目の前にして尻込みすることはなかったはずだ。では何か??

目を閉じて、恐怖の根源を辿ると、漠然とではあるが、俺は海に対する恐怖感が潜在的にあるのではないかと思った。

しかしその後、俺は東尋坊から東に2つある越中の国に移住することになるのだが、富山湾からの眺めは、俺の中に平安をもたらしてくれ、俺が今までで1番好きな景色も、富山湾にある。

単に、海というものが怖いのではない。東尋坊を訪れた時の恐怖感の源が何であるかを俺はわからずに、富山での生活を始めた。

富山に来て1年目、能登半島を一周する旅をした。そして、松本清張「ゼロの焦点」で有名な、巌門周辺に来た時に、東尋坊と同じ恐怖感を感じた。二の足が踏み出せないのである。好奇心をつぶすほどの恐怖感がそこにはあった。

上手く形容できないのだが、入り組んで、少し先に陸地が見える湾の景色と、日本海側の海原とでは、威圧感が全然違う。外海を背景にすると、そこに、引きずり込まれそうな恐怖を覚えるのだ。

細かく見れば、景観を保つための人工的な補修もなされているのであろうが、ほとんどが、自然の作り出したまんまのむき出しの岩肌が、外海をバックに映る時、俺は、自然に対する畏怖を覚えるのだと思う。何か、踏み込んではいけないような空気を感じる。

「日本昔ばなし」というアニメがあって(今もあるのかは知らない)、幼少時によく見ていたのだが、こっけいで、ほんわかした話しと、恐れ多くて、おねしょを誘発するような、2タイプの話しがあった。話しのタイトル表示時の音楽からして、明らかに2種が使われていた。

あの、怖い話(祟りもの)を見たときの恐怖のような感覚に、俺が外海に対する畏怖は近い。

日本民話自体に、興味があって、色々と書籍をあたったのだが、何か悪い意味で尾を引く物語は、外海に面した土地か、無茶苦茶山奥で孤立した秘境で生まれたものが多い。
何か、自然に対する畏怖が、様々な伝説や説話を生んだことは明らかだ。

話し手が、話しに込めたフィクション性、または、口承による話しが尾ひれをつけて大きくjなったものが、現在、我々が耳にする民話であろうが、その根底にある、原始レベルでの、自然への慄きが、俺にはあるのだ。

気のせいかもしれないが、日本海側の磯には、天気が良くても遮光されているような、薄暗さを感じる。
確かに、海を背景にした景観は見事であり、純粋に、大景観に対する感動を味わう何かがある。
しかし、俺は、景観が素晴らしければ素晴らしいほど、壊れそうな恐怖を感じてしまう。

何度か、こういった感想を人には話しているのだが、同じ感覚で認識する人とは、まだ出会っていない。理由がわからない上に、特殊な感受性なのかもしれないが、俺は外海を愛でることが出来ない。

大学時分に、友人と深夜の小浜(福井県)まで遠出し、浜辺に立って、入水自殺する人の気持ちをしばしの間、想像したことがあった。波音が時間の経過をさらい、無言の時間が流れた。

俺たちは、何事もなかったように、車に戻り、女の子のことや、バンドのことを話して帰路に着いた。明け方、下宿に帰り、眠りについたが、その時に、俺の夢には東尋坊での映像が、ストーリー性を持たずに出てきた。無風の静止画に波音だけが背中から聞こえる・・・。

外海、特に日本海側の外海に、俺は畏怖を感じると同時に、吸い込まれる何かも感じてしまう。魅力がないわけではない。むしろ、魅力がありすぎて、美しすぎて怖いのだ。俺の防御本能が、立ち寄ってはいけない場所として、俺を畏怖させるのかもしれない。

冒頭に戻る。長年寄り添いあった妻を殺し、自殺の場所に東尋坊を選んだ夫・・・。余韻が残る事件であったが、深入りは禁物だ。中途半端な興味は、自分をその心理に同調させてしまう。

ブログにしたため、以後、素通りすることにする。

ヨハネスブルグ

昨年の秋ごろから、南アフリカ共和国のヨハネスブルグに、個人的に多大な関心を寄せている。
「世界で一番治安が悪い都市」「危険レベル激高」といったような、ありがたくない形容がなされる土地であるが、ワールドカップが開催されることが決まった時から、少し、気になり、単なる受け売りの知識でいいから、色々調べたくなった。

ネットや書籍で見る限り、ここの危険性は凄まじいものがある。ホテルから数十メートル出歩いただけで、銃を持った集団に襲われたといった話しがたくさんあり、車に乗っていても、信号で止まったら危険なので、信号はあってないものらしい。「本当かよ?」と思いたくなる。
殺人による死亡率自体が把握出来ないほどの犯罪発生率で、とにかく無法地帯と化しているらしい。

写真が少ないのだが、探せば色々ある。当然、写真が撮られた現場自体が、まだ安全な場所なのであろうが、空中からの写真には、近代的なビルも外観できる。しかし、何かプラモデルで作った模型のような、無機質感を抱かずにはおれない何かがある。人の生活観が全く感じられないのだ。

単なる都会の無機質感とはまた違った、ゴーストタウンとしての不気味さが写真からも感じられる。
一般的な情報は、拡大解釈の危険があるので、先入観は入れないつもりなのだが、ここは、写真を見るだけで、明らかに本物の匂いがする。

この土地に対する素朴な疑問が二つある。①この土地の経済がよく回っているな? ②何でここまで荒んだ人種が蔓延るのか? だ

①犯罪まみれの非合法地帯において、近代的なビルが立ち並び、経済活動が砂上の楼閣のような状態とはいえ、回っていること、これは本当に不思議である。当然だが、近代的なホテルもあれば、大学もある。ヨハネスブルグ全体が危険地帯ではない。それでも、素晴らしく高い確率で、襲われる地帯が、野放しにされていて、その地帯にあるビルが、ギャングに占拠されている状態・・・。これでよく1つの自治体としての機能が保てているな? と思う。

一般的な不動産賃貸、土地の所有権、商店、企業の納める税金といった機能レベルのこと自体がなされていないであろう状態で、自治体があること自体が不思議なのだ。アパルトへイトの表層的解放の後に、貧困層の黒人が一気に流入してきたみたいなのだが、彼らの殆どは文盲で、商店主自体がお釣の計算も出来ないらしい。

ヨハネスブルグという自治体自体が、ある一定区域を非合法地帯としてあきらめているのかもしれないが、公的な権力が、自治を放棄せざるを得ないほどの、犯罪層の流入が実際にあって、それでいて、自治体としての経済が回っていることが、どうも実感としてわからない。

②どのようにして、犯罪黒人集団は、ここまで荒んだのか??
エイズの蔓延による終末観、文明社会で生きるだけの教育がなされていない貧困環境・・・。色々、ここの治安の悪さに対する原因は挙げられているが、人間として、人を襲うことを生業とする日々で発狂しない心圧が信じられない。だからといって、彼らを一概に凶暴な鬼畜と定義も出来ない。もっと深遠な理由があるはずだ。俺は、黒人の人たちが本来持っている、純真さと、運動能力の高さには敬服する。彼らが、こんな荒んだ生活に明け暮れているのが信じられない。

人種をまたぐ主観であるので、非常にデリケートな話題だが、俺は主観を述べる。人種的な偏見では断じてない。

黄色人種や白人が、黒人が本来住むに適していた土地に居住すると、体が日焼けしてしまって、すぐに生体的支障をきたす。肌の色、これは優劣ではなく、本来そこに住むに適した皮膚を供えられた結果である。だから、それぞれの肌の色に適した居住空間、環境というものが、本来あったはずだ。温度だけではなく、本来の与えられたハードの中で、それに的した生体能力と技能を、生まれつき備わっていたのが、原始という言葉で定義される、清く美しき昔だった気がする。

それが、船やら汽車やら飛行機やらが出来て、人種間の移動が可能になった。移動して他の世界を見ること自体は悪くはないことであった。しかし、人種間の行き来が発生すると、そこに人種的な優劣を感じて、制圧する輩が出てきだす。それは歴史的に見て、文明と言われるものを先に手に入れた、浅薄な白人だ。彼らは、黒人の土地に土足で侵入し、そこに、白人的価値観に基づく文明を、無理やり持ち込み、彼らを支配した。

散々、人種差別攻撃を繰り返し、搾り取るものが少なったころ、彼らは、自分が優位に立てるための、自己満足的な平等思想を持ち出した。そして、黒人を平等に扱うとの上から目線で、彼らに白人文明を押し売りして、悦に入った。今じゃ、アフリカのどこでも、首都には近代的なビルが立ち並ぶ。テレポートしたら、そこがどこだかわからない、全世界レベルの画一化だ。気候や風土を馬鹿にしている。

黒人にとって、白人から与えられる文明が、本当にありがたいものだったのだろうか?俺は絶対にそうは思わない。近代的なビルよりも、一族が暮らしていける草原と、肉体を育む動植物が周りに溢れている環境があれば、それで良かったはずだ。自給自足の暮らしで、平和な暮らしが出来ていたのに、それにパッケージされた食文化を一方的に与え、彼らが生活を営む土壌を廃墟にしたのは、白人だ。

黒人の中でも、白人社会での生き方を欲する者がいたら、その時の門戸を開けるだけでよかったものを、邪な平等意識で、世界全体を近代化しようとしてきた。その結果がこのざまだ。

ヨハネスブルグで犯罪に手を染める黒人にとって、ビルが立ち並ぶ土地は、実に生き難いのだ。自給自足できる、昔の土地が与えられていて、白人主導の文明価値観を押し売りされなければ、どうして、純真な彼らが、犯罪集団になろう?? どうやって、元の状態に戻すのだ???彼らの目には、捕獲すべき獣がいない土地での、獣に対峙できない悲しさがあると思う。

ワールドカップ開催に向けて、表向きの粛清は進むだろう。治安ワーストの称号も一時的にはなくなるかもしれないが、住処を失った彼らが、生まれた瞬間から、生き場がなくなれば、彼らは呼吸している間、苦しみもだえて彷徨するだろう。人種差別の弊害は、今こそが大問題な時期だ。

ヨハネスブルグで、清く文明に同化しようとする人たちと、それに対応できないで、獣と化す人たち、そして、遠い土地の情報を知識だけでブログるアジア人、様々な人間を乗っけて、今日も地球は回る。

しかし、適した土地で、あるべく、あるがままで過ごせることを欲する気持ちだけは同じであるはずだ。

余は寝 過ぐる ブログ   ヨハネスブルグに思いをはせる間も、俺の周囲は平穏に回る。

2008年1月18日金曜日

微妙な言語教育

最近、中学生同士の会話を聞いていたら、「け~わい!(爆)」という表現が、多々耳に付く。「びみょ~う」に続く頻度だ。俺は、まったく知らない。ただ、ドキッとしたのだ。

「K・Y」は、俺の旧姓のイニシャルだ。子供達がこのセリフを言った後、笑いが起こるのだが、新種の嘲りのような香りがする。俺の旧姓イニシャルを嘲りに使われるのは穏かでない。

俺は、彼らのこの言葉の使用場面を、少し気をつけて観察してみた。すると、突拍子もない質問を授業中にし出す生徒の発言の後に使われる傾向があることに気がついた。

今日、ある生徒が、別生徒に嘲る口調で、「お前、け~わいか?」と言っているのを耳にして、「何がけ~わいじや! 山田太郎君(仮名)はT・Y(仮名イニシャル)じゃ! け~わいは、俺がドナドナする前のイニシャルじゃ!。しょうもないこと言うな!」と養子をカミングアウトした。(別に隠していたわけではないのだが・・・)

しばしの沈黙の後、(概して最近の子供は反応が遅い!)次から次へと質問が飛んだ。「せんせ~い、売られたんけ?? 子牛け~?! ある晴れた日に来たんけ~?」と、実に楽しそうに質問してくる。

数分の雑談モード後、俺は学習モードに戻すため、「は~い、は~いそこまで~、大人を侮辱しおって~、お前ら全員、け~わいじゃ! 勉強に集中せんかい!」と言うと、生徒は、「せんせ~い、け~わい知ってるんや?」と、納得の顔でモードを切り替えてくれた。

どうやら、俺の知ったかぶりの「け~わい」使いは、用法としては間違っていなかったようだ。
さりげなく、誘導尋問で「け~わい」の意味を生徒に聞きだすと、どうやら、「空気よめよ!」といったツッコミの略語らしいことが判明した。きっとテレビか何かでの若者言葉だと思う。

答えを聞いて、納得。俺の使い方は、たしかに間違いではなかった。「授業中にざわざわしおって! おっさんが怒りかける空気をよめ!」という風に捉えれば、適切な使い方である。

思うに、言葉というのは生き物である。次々新しい言葉、例えそれが略語や暗号といったレベルであっても、世間に認知される言音は、生まれてくる。若者言葉自体に関して、俺は否定しない。彼らの感性でなければ生まれない語感もたくさんあるし、俺は大人もそれらの言葉に耳を傾けるべきであると思う。国語辞典で定義されているものだけが、言語ではない。言語に正しいも糞もない。

言語というのは、たとえそれが略語であっても、使われる場面と話しての表情を見ていれば、だいたいのニュアンスは伝わるものである。これが正しい言語の学び方だな~と、今日、わが身の言語認識過程を通して、再確認した。

感性だけで、言語レベルを上げられるほど、言語の海原は狭くはないが、ひとつひとつを体感して言語を認識する時、それは、暗記対象ではなく、自然に頭に入る言語となる。当然、交わる集団の言語レベルによって、使用される言葉のジャンルが違ってくる。

麻呂に接していれば麻呂語、業界人接していれば、業界語といった、集団での言語ジャンルを体得していくが、その過程に暗記しようといった作為は発生しない。自分が夢中で付き合う集団での言語は、沁みるように体内に入ってくる。

狼に育てられた人間が、狼とコミュニケーションを取れるのは、その集団にしかない、音のニュアンスの違いを、種々の場面を通して体得していくからだ。どんな集団でも交わる集団色に染められて、そこで意思疎通を図ることに不自由しないのが、我らに備わっている機能だ。

中学・高校での言語教育を鑑みてみて、彼らは、日常使う言音ジャンルと、あまりにかけ離れた音に包まれすぎている。だから、今の子供達の言語力低下が叫ばれるのだ。家庭での会話などの日常の言音ジャンルの方が、昔からの教材レベルの言音から離れてしまったというべきかもしれない。

だからといって、教材の言語レベルを下げるわけにはいかない。大人の俺が、若者言葉を認識出来るのは、基礎となる言語が体内に入っているからだ。子供達は、これから自分が選ぶ集団の、どんな言語レベルにも対応できるだけの、最低限の音に対する耳と、それが使われる場面を通して、語彙を体内に育まなくてはならない。そのために言語教育がある。

子供達は、語彙を知識として学ぶ一方で、その言葉が使われる場面を体感するだけのニュアンス感知能力も育まなくてはならない。そういう意味では、若者言葉は否定できないと思う。言葉の意味はわからなくても、使われる局面を何度も体感していけば、それに対する適切な使用場面というものは、体感できるからだ。だからこそ、若者言葉になりうる、素晴らしき日本語の言葉を、大人が選りすぐってあげなければならない。

ファジーな言語認識しかできない子供に、大人が、「びみょ~う」とか言ってはいけない。「微妙」は、最も繊細な言葉だ。言語表現不可能なニュアンスを暫定的に認める言葉だ。こんな言葉を安易に使うことは、大人たちが、言語定義する努力を怠っている証拠だと思うのだ。言語力の乏しい子供だけに許された言葉だが、彼ら自体にも使う場面設定を無くせるようにしてあげるべきだと思う。

俺は、生徒の間で、美しき古語を流行らせる努力をしている。人に相槌を打つときには、首を軽く上下に振りながら、「げに」と頷くように指導している。楽しそうに使っている。俺が、「わかった?」と聞くと、彼らは「げに」と無邪気に頷く。かわいい。

古語で、「まったく」という意味だが、本来の正しい用法とは文法的にもニュアンス的にも若干違う。しかし、日本語の持つ語感の良さを体感してもらい、それから、「げに」が使われている古文をたくさん読ませ、適切な認識を養うのだ。突破口としての音から、正しい用法まで、一連の流れが提供されるなら、彼らの吸収力は生きてくると思う。

古語を流行らせる努力は、最近実を結びつつあり、「今度のテスト、いと点数良かった。」とか、「せんせ~い、そのネクタイ、げに、つきづきしやん?」とか、ルー大柴の古典風の芸風が見られるようになった。本当にこれでいいのか?とは思うのだが、言語に対する興味を体感してくれたら、それでいいと、現状では思っている。

マニュアル的な公的教育に対して、俺は「け~わい」かもしれないが、場面に応じた使い方を出来て、相手にニュアンスを伝える言語力を育むことが出来るなら、それが最高の言語教育だと思っている。
何よりもまず、言葉の世界が楽しくて、表記と音と両方楽しめて、次々知りたくなる気持ちを持ってもらえることが、1番大切な気がしている。
しかし、合否の成果は何とかなるが、長期的に彼らにとって良いことかどうかと自問自答するとどうだろう???もっと、フォーマルなやり方で指導すべきだろうか????

現時点での俺の答えは、「微妙」だ。俺も言語をしっかり学ぼう!

2008年1月16日水曜日

昭和の気風

昨日、「さぶいさぶい」という周囲をあざ笑うかのように、薄着でいちびっていたせいか、今日の昼頃から非常に体がだるい。薄着で寝て、朝方寒くて目が覚めた。午前中は何ともなかったのだが、図書館の中で、急激にだるくなった。

幸いにして今日は休みであったので、昼からごろごろとしていた。

風邪のひきはじめに、昔はすりおろしりんごか、生姜湯を飲んだが、最近は、ひたすらビールを飲んで寝ることにしている。これがよく効く。2時間ごろごろしていただけで、すっかり正常になり、あとは、念のための静養をしている。

本を借りてこなかったので、手元に読む本がない。2度読み意欲を掻き立てる本も思いつかず、我が家の書棚を見回すのもだるい。仕方がないので、ベッド近くのタンスにあった1年前の時刻表を見ながら、色々なルートの旅を模索する。空想の旅だ。小学校時代は、毎日のように眺めていても飽きなかったのだが、今日してみると、すぐにルートが途切れる。

鈍行だけを使う、「青春18切符」で可能なルートを調べていくのだが、車中泊をあてに出来るような行程は組みようもなく、どこかで特急をかましたり、早めに大きな地方都市で宿を確保しないといけないような旅しかできない。不満だ。

俺は、中学を卒業した春休み、青春18切符(当時5枚で10000円だったと記憶している。)で、西日本を旅した。7泊8日の旅であったが、旅費は、青春18切符と、宇野~高松の宇高航路の船代と、八幡浜から別府だったかへの、船代のみで行けた。1泊目はちょうど四国を横断中に車中泊した記憶がある。高知の無人駅で、連絡に1時間ぐらい待ちぼうけをくらったりはしたが、概ね連絡はよく出来ていて、素晴らしき行程があった。

赤字路線には、昭和の説教親父がよく乗っていた。そして、キッズをみかけると、やたらと人生訓話を始める。向かいの席に、そんなオヤジが座ってきたら、要チェックだ。窓越しに彼と目が合うと、アウトだ。1時間で、彼の人生の8割がたをかいつまんで話される。彼らは冷凍みかんを勧めるのが特徴だ。話しはくどくて、説教調なのだが、最後に優しい言葉をかけて、降りていく。例外はない。

民営化になってから、JRさんは、赤字路線を削る必要からか、がらがらの長距離路線の運行を、極端に減らした。鈍行列車の旅は、今じゃ、組むのが難しくなっている。昭和のオヤジも出番が減った。

今日、時刻表を見ていると、主要都市の拠点駅では、複数路線の乗換がスムーズなのだが、よくよく見ていると、かなりむかつく路線もある。

これは、昨年の春の、嫁との結婚記念日旅行時に、実際に遭遇したことなのだが、新潟の直江津駅で、とんでもない目にあった。

長野県側から信越本線で北上してきて、新潟県の直江津駅で、北陸本線に乗り換えて、富山に帰る計画を立てたのだが、信越本線と北陸本線の乗り継ぎが、同時発着なのだ。そんなに大きくはない駅に、俺たちが長野から電車に乗って、直江津駅に着きました。乗換はすぐに出来て、スムーズな連絡だと思っていたら、俺たちが駅に着いた瞬間に、向かいのホームから、北陸本線が出発していたのだ。

30秒の時間差があれば、乗換可能であるというのに、その30秒の連絡が無いために、直江津駅で次の電車まで2時間の待ちぼうけをくらうはめになった。

事前に時刻表で調べた時に、着時間と発時間が同じだったことに、一抹の不安は感じたのだが、どうせ、向かいのホームに移動するだけの時間ぐらいはあるだろうし、それを加味して、ちょうどいい時刻を組んでくれたのだと思っていた。ところが、文字通り、同時に発着しやがった・・・。

怒り狂った俺は、JRのお客様センターに苦情を言った。苦情を言っても2時間待たないといけないのだが、こんなダイヤを組んだ馬鹿者がいることが許せなかった。鉄道トラベラーを馬鹿にしている!

俺: 「おどれな~、2時間に1本くらいしかない路線で、しかも、どう考えても乗り継ぐ人の方が多い路
線で、なんで30秒の調整が出来へんねん! 長野から富山は出入り禁止か?? 関所あるんかい? 日本海のがけ沿いに、テクで行けいうんか?? あん? あん???」

JR:「すみません。お客様のおっしゃるとおりで、この路線は、春のダイヤ改正で、乗り継ぎ出来るように修正する予定になっています。」

俺:「春だあ??? 俺はババひいただけかい! 30秒調整するのに春まで待たなあかんのかい!春まで何秒かかるねん! あん? たった30秒の遅れ取り戻すのが、そない大変で、脱線するんかい! あん? あん?? あん???」

かなりガラが悪い。俺は電話ではヤンキッシュだ。強い。

散々、俺がぶうたれたにも関わらず、辛抱強くこちらの話しを聞き、謝罪をくり返す、JR社員が素晴らしく思え、俺は途中から、少し優しく話し、彼の言い分を聞いてあげた。

彼の言い分はこうだ。なんでも、直江津(上越市)という乗り継ぎ駅は、JR西日本とJR東日本が相互に連携しないといけない駅なのだが、お互いに仲が悪くて、相手の言い分を聞かずに、喧嘩別れしたまま、この悪ダイヤが組まれたらしい。カスタマーの意向よりも、トップ同士のいがみあいが、30秒の時間も調整できない理由になっているというのだ。

俺は、たまたまクレーム処理をさせられている電話先の兄ちゃんに、先ほどの罵声をわびた。そして、やさしくこう言った。

「悪かったな兄ちゃん。ただな、君らにとっては一路線かもしれへんけどな、俺らみたいな旅行者にとったら、かけがえのない路線やねん・・。言っている意味わかるか??」 
・・・・・完全に昭和初期のオヤジ調のくどさである。言ってる意味を相手確認する前に意味を変えろ!

「兄ちゃん、電車好きか? 俺は好きや」
・・・・・相手に質問しておきながら、回答を待たずに自分の意見を述べるのも、昭和初期の特徴だ。

「どこのシャバでも、上の奴は、つまらんことで、いがみ合うけどな、兄ちゃん、これだけは忘れたらあかんで、俺らが時代を、変・え・る・ん・や!」
・・・・・貴様何者だ!!! 自分の発言に酔うのも昭和初期の酸味である。震える。

俺はただ、暗くなってきて、ホームシックにかかりだす時間に、地方都市の駅で2時間待たされることに切れただけなのであるが、それを、人生論に高めてクレームを言うあたり、昭和初期の悪弊を体内に宿している。単に、長旅で疲れていてぐずっただけなのだ。許せ、兄ちゃん!

俺の発言は、あまりにも古武士の拳が入った演歌調であるが、JR側の上記の同時発着はひどい。許せるものではない。民営化の弊害が露見された瞬間だ。たまたま、チェックミスで、同時発着が起こったならばいざ知らず、お上のいがみ合いで、30秒の調整がつかないとは何事だ!

どこの世界でも、上のいがいみあいのケツ拭きは、下に回される。いざ、お上が決めたことが動き出せば、最悪な判断を下した奴の責任の所在は点在される。そこで、罪のない、忍耐強い、微笑み君がカスタマーサービスでケツ拭きをする。

なんだか書いていて腹が立ってきたど! 上記のダイヤを組んで、動かせなかった責任者出て来い!
ケツ蹴り上げて、昭和のくどさで説教してやりたい。

「おどれ、客の気持ちより、東VS西の方を優先したやろ? 俺は北に住んでるんじゃ!よそでやっとけ!だぼ!  たった、30秒のために、お前も2時間待たせたろか? 2時間あったら、青春18切符代ぐらい稼げるやんけ! 言ってる意味わかるか? あん? あん?? 」

「てめえは確信犯やろ? 暗くて寒い駅で、2時間待たされる気持ちがわかるんか!ション何べんせなあかんかわかってるんか!  わからんやろ~、そうやろ??  あん?? あん?? おまけに、おどれの不始末を若い兄ちゃんにさせおって、お前今からカスタマーセンターで修行して来るか? なに~!!! いやだあ???? なんやその目つきは?? やるのか、やるのか、 あん? あん????」

「俺はお前が嫌いで言うてんのとちゃうど! 俺はな~、国鉄時代から、鉄道を愛してるんや。(沈黙)
目を閉じてみい!  小さい頃、お前の目に鈍行列車はどう映った??  颯爽と走る列車のフォルムに魅せられたのは、お前も同じやろ? それが今はなんや?? お前がすべきことは東西戦争ちゃうやろ? 大丈夫、今なら戻れるわ、昔の、こ・こ・ろに!」

昭和の悪弊を体現して罵声を浴びせた時、俺は監獄行きの列車に乗せられるだろう。言論暴力罪で、俺は「壮春懲役切符」を手に入れる。

さぶいさぶい・・・・、 昭和の気風を胸に抱いて寝る。

2008年1月15日火曜日

冬を体感

今週は、本格的な寒波が到来ということをニュースで聞き、すごく期待していたのだが、今日も降らなかった。周囲は「さぶいさぶい」と言っているが、俺は半ズボンでもいいくらいに思える天気だった。とは言ったものの、冷気はあり、空気は澄みまくり! こうなると立山連峰が、素晴らしく綺麗に見える。国道を東に走っていると、目の前に雪化粧の連峰が、蜃気楼のように浮かび上がってくる。個人的には富士山よりも、連峰だけに横に尺があり、荘厳であると思う。

山はしっかり雪化粧し、熊も冬眠しているであろうに、平野部には依然として積雪なしである。不満だ。
雪に対する渇望が、俺の気持ちを情緒不安定にさせる。

最近は、夏の残暑が10月後半にもあったりして、なんか変である。異常気象、地球温暖化という言葉で片付けるには、あまりに来るべきものが遅すぎる。

俺は、5年ほど前からずっと、暦の設定と自然の循環の関係が、長い間かかって、1ヶ月ほどずれてきているのではないかと思ってきた。

ここ5年ほど、梅雨に入るのは7月初旬、クラゲが出だすのが9月初旬、12月になってやっと色付く、一部の紅葉、2月初旬のドカ雪・・・・。どれもこれも、1ヵ月のずれを加味すれば、納得がいく。

俺の予測では、今月は大雪にはならない。その代わり、今年は3月下旬になっても降雪が1回はあるような気がする。季節はずれという言葉は、土台が狂っているので、当てはまらなくなってくると思う。

もし、こんな俺の推理があたっているならば、季節感という認識自体を、根底から覆さなくてはならない。幼少の時に感じた、季節を感じる行事が、ずれてきているからだ。

昔の和歌に見られる季節は、1月から3月が春、4月から6月が夏、7月から9月が秋、10月から12月が冬だ。

今の時代を俳句で詠む時、季語は、3月からが春で、その後3ヶ月ごとに四季を当てはめる。

これも、変わっていかなければならない気がする。1月から3月までが冬で、4月から6月が春・・・という風に変化してみたらどうだろうかと思う。ちょうど、陰暦の季節と季節1つ分、ずれていることになる。

上記の基準に当てはめるならば、日本人の季節と行事の感覚もだいぶ変わってくる。

春休みは、今は3月末からだが、これを4月末からにする。ちょうど、GW明けが新学期のスタートにするのだ。同じように夏休みは、8月末から9月末まで・・・といった具合だ。

そうすると、ここ数年の季節感は、俺が幼少の時に感じた自然の変化と、ふさわしくリンクするような気がする。

地球温暖化に伴う異常気象といった言葉ばかりが、大量に出回ると、なんか気分が滅入ってくる。確かに、温暖化しているであろうし、極部の氷が解け始めているのも事実である。しかし、大気の温度が上がることを分かっていながら、先のビジョンを持たずに、開発欲、経済的目論見で、大量消費を奨励してきた挙句、こうも連日警鐘を鳴らされると、気分が滅入る。

地球や宇宙といった、この壮大なものが、馬鹿な人間共がしでかしたことぐらいで、機能が狂うほどヤワなものとは、俺は考えていない。氷が解け始めて、地表の水量が上がるなんてことは、宇宙のスケールからしたら、人間の毛が抜ける程度のものだと思う。

だから、何もしないでいいというのではない。個人レベルでの環境に対する労わりの気持ちは大切であろう。でも、今更、何をするというのかね? 火力発電所も水力発電所も、たくさんこさえて、それらが十分、電力をまかなえる母体があるにも関わらず、核武装するための準備段階として原子力発電の必要性を世論に流しやがる。今更止められるものではない気がする。

海水に沈む国があるならば、そいつらの住処を陸の奴らが提供してあげることを考えるほうが先決だ。武装速度と装備の内容を競うレベルの人間が、一方で、地球の環境に対する苦言を呈する。
なんなんだ、こいつらは・・・。

風邪をひいてから、初めて健康の素晴らしさをわかるのが俺だ。先への想像力を持たずに、日々を快適な方向にのみ進み、それがもたらす悪弊が、起きてから嘆くのが俺だ。

しかし、この俺の未熟なレベルは、国家レベル、世界レベルの舵取りをしている、偉い輩らの精神レベルと比べても、そんなに変わらないと思う。だから、今の地球が直面しているレベルに対する責任を、同じ地上人として、偉いさんに、あれこれ言う気はない。

「やってもうた~、地球あたたかくなってもうたやん! 暦狂ってるやん! どうするべ??? ちょっとやりすぎたな~。わてら、ちょっと燃料節約しいひんけ? でも、車捨てがたいしな~、とりあえず、海に沈む人たちが住める土地を、各国協力して、わけわけせえへんけ~? その後のことは、また、その時、考えようぜ!」
といった、レベルの対話を、難解な言葉で文書化して、議定するだけの会議が行われるのであるが、言葉が難解な分、悪戯に危機感だけを煽り、誰も個人レベルで、本当の危機感を煽られない。

小休止・・・・。

このての話題になると、自分の狭量な思想と含蓄を棚に上げ、毒づく俺も悪戯だ。ここで止める。

ただ、暦に関しては、俺は上記の説は、実感レベルとして真実な気がする。雪が降らないくらいで、目くじらたてて、いらいらするのは止めよう。だって、今はまだ、冬が始まったばかりだ。これから長い冬が来る。降るものは、時期が来たら、ちゃんと降ってくれるだろう。

来るべき時を待ちわびて、今のこの季節感を満喫したい。昨今の環境問題は、暗喩的な意味の冬の到来であるのかもしれない。でも今日の立山連峰は綺麗だった。冬の時代も捨てがたい。味わえる時に、その良さを体感したい。

2008年1月14日月曜日

星を見る

今朝は寒かった。パジャマの下にパッチを履いて、寝るときもルームソックスを履いているというのに、寒くて目が覚めた。布団の縦と横が逆になっていて、短いほうが俺の体に沿って、俺の体を覆っていた。膝から下は覆い無しである。そりゃ寒い。

俺は寝ている時は乱暴者だ。激しく寝具のシルエットを変える。就眠まえの頭と足部分の布団が、朝起きたら、上下逆になっているのが普通だ。もちろん表裏の反転もしっかりしている。俺の布団の頭部分には、嫁が涎掛けを付けているのだが、それが朝には足にある。映像をいつか撮って、動物学的に分析したいと思っている。

越中の寒さが本格化してきた。こうでなくてはならない。肌を刺すような冷え込みの日は、空気が澄んでいる。非常に空気がおいしい。息がしやすい。夜には星が、プラネタリウムにように見える。怖いほどである。

今日は久方ぶりに、帰りの途上、車を停めて空を見た。別に星を見て、感激の涙を流すには、俺の精神は経年劣化している。でもただ、何となく見たくなるのだ。引き込まれそうな夜の空に描かれる点画を見ると、何か、清いことをしているような気がするのだ。

漆黒の空に描かれる幾何学的な点在の全景・・・。ずっと見ていると、天上から人が降りてきて、天に連れ戻されるかぐや姫の話が浮かぶ。少し怖くなった。

車のハザードをたき、タバコを吸いながら見ていたのだが、5分で飽きた。夜の堤防の道で車を停めて、タバコをふかしている奴は、ただのニコ中であるが、星を見ていることで、何か自分がとても、チックロマンな奴に思えるから不思議だ。通り過ぎていく車の奴が、俺の方に未確認物体を見るような流し目を送り、通り過ぎる。UFOならぬ、UWAだ。プロレス団体ではない。未確認歩行動物だ。

俺は、天体に対する知識が無いに等しい。俺が知っているのはオリオン君だけだ。奴らは、笑えるくらい整列していやがる。3つの横並びの奴がオリオンの一味だと思うのだが、3つの奴の整列感と言ったら、軍隊顔負けである。

よく見ると、3匹の兵隊は、周囲を囲まれている。四隅を監視されている3匹の荒くれ者のように見えた。「かわいいの~、このひよっこが~!」 何か優位に立った気がした。

少し気になって、パソで「オリオン」と検索してみた。WIKIの画面で、ギリシャ神話の歴史が書かれていたので、少しだけ読む。興味が浅いので、流し読みだが、トップ画面で俺は目を奪われた。

少し長いが、引用する。

「巨人オリオン(オリオン座)は海の神ポセイドンの子だった。大変に力のある猟師だったが乱暴で困ったので、大地母神ガイアがさそり(さそり座)を使い、毒針で刺し殺した。その後2名とも天にあげられ星座となった。オリオン座は冬の間、空高いところで威張っているが、さそり座が東の空から上るとこそこそと西の空に沈む。さそりは名高い狩人オリオンを一撃で刺し殺したくらいであるから、天にあがっても監視つきである。さそり座が天上で暴れた場合は、隣にいるケンタウルスのケイロン(いて座)が射殺すことになっている。」

俺は「いて座」だ。俺は、オリオン、さそりといった荒くれ者を射殺するほどの荒くれ者の星なのだ。極道 of  極道だ。強い星に生まれたのだ。何か気分が良くなった。ギリシャ神話も、なかなかセンスが良い。

今でこそ、天体の仕組みの鼻くそほどは解明されているので、星を見ても、びびらずに、せいぜい、俺みたいに、鼻くその優越感を覚えるだけであるが、昔の人は天体に浮かぶ光を見て、畏怖をはじめとする種々の思いを抱いただろう。星を見ること自体が、崇高な儀式であった気がする。

無知であることはいいことだ。そこに無数の想像力を働かすことが出来る。流れ星を見て劇的な何かを感じたり、毎日が楽しい。見飽きることない自然に対する目を、終生に渡って持続出来たであろうと思う。

それから考えると、今の俺たちが星に裸で対峙するためには、裸になるための想像力が必要になる。その時点で作為である。実際には無理である。悲しい。頭の良い先人が、個人的趣味で星を観察したならば、それでいいのだが、それを共有の知識として科学の土俵に上げたことには、正直、腹が立つ。

「何してくれるねん!」 1度得た知識を無にして思考するのは、知識を得ることよりも、数倍の労力を要する。そして、完璧に無の境地では想像出来ない。

星だけではない。もし、科学の萌芽もなかった時代を想像する。睡眠メカニズムがもちろんわかなかった時代である。伝統もなく、真っ暗闇の中、人々は眠りにつく。肉体労働のおかげで眠りは深い。人の寝姿を観察出来る様な、浅い眠りが無い時代である。

朝起きて、布団に相当する被り物が、上下左右逆さまになっていたならば、俺は周囲の人間から、「荘厳だ! 凄まじい魔力を秘めた方だ!」とか、「あ、あなたは、救世主だ!」とか言われたであろう。おまけに俺は、「いて座」だ。乱暴者を射殺する星に生まれた偉いさんだ。俺は周囲の尊敬を集める。
小さな村ならば、伝説の主になるだろう。 

色んなことを想像できる白紙の素地を汚していくのが、大人になるということだ。白紙を埋められた、さかしらの集合物を俺たちは常識という。俺もたくさん持っている。俺の素地には白い部分がだいぶ無くなっているような気がする。

素地が知識に色付けられていくことを、円熟というならば、円熟はいらない。さかしらな頭は視界をくもらせる。

話しが大げさになりそうなので止める。ただ、久しぶりに星をまじまじと見つめ、わずか5分の時間であったが、色々楽しく考えることが出来たことを嬉しく思った。オリオン君ありがとう。

俺は風邪をひかないように、オリオンの中央3匹の兵隊を見習って、布団を整列させることに、さかしらな頭脳を用いたい。夜が冷えてきた。あと一回眺めて寝よう。

2008年1月13日日曜日

弁当について考える

昨夜は、非常に美味しい居酒屋で、グルメな夜を過ごした。カキフライ、バイ貝の刺身、白えび刺身、鱈の照り焼き、など、腹いっぱい食べたのだが、美味いのなんの! 富山に来て、居酒屋料理で一番美味しいと思った。
店の外観も地味で、カウンターとテーブルが2つ、奥の座敷が15人分ぐらいという、こじんまりとした店なのだが、とにかく美味い。

9時ごろ行ったのだが、魚は売り切れが続出で、残っているものだけを頂いたのだが、笑えるくらい美味かった。ご主人は、任侠臭のする、T吉丈一郎のお父さんみたいな、いかした御仁だ。愛想は恐ろしく悪い。包丁がドスの香りをかもし出す。しかし、手際は見事。惚れ惚れする料理人を久々に見た。

この店の素晴らしいところは、食材勝負の魚介類だけではなく、煮物、和え物も美味しく、遊び心満載の油ものも品揃えしているところだ。
富山ならではの魚を堪能したあと、ウインナーや、ハムフライといった、懐かしのメニューも頼んでみたのだが、油加減も抜群で、申し分ない。

そのウインナーだが、着色料ばりばりの、昔のお弁当のおかずの、あれであった。切り目が入って、イナバウワーのウサギみたいになったウインナーを食して、俺は中学時代の弁当に思いをはせた。

中学生時代が弁当であった俺は、弁当コンプレックスを深く持っていた。俺が一緒に食べた友人の弁当は、どれもこれも素晴らしかった。ごはんと、おかずが、別タッパーに入っていて、ごはんは、のりたまふりかけが、絶妙な量でふりかけられており、おかずは、上記の赤ウインナー、ミートボール、揚げ物、サラダ等、とにかく見た目の色彩が素晴らしかった。おまけに、食後の果実が別タッパーで用意されており、お食事をしているという感じの素晴らしき弁当が殆どだった。

中学生の理想の弁当とは、色彩が全てであると思う。そして、ジャンクなおかずであればあるほど、食欲をそそられ、キッズを魅了する。ハンバーグ、ウインナー、から揚げといった、名前がついているものが勢ぞろいしている弁当であれば、みんなの前で堂々とさらし物に出来る。栄養は二の次である。中でも赤ウインナーは王様だ。

キッズを惹きつけて止まない、友人の弁当と比較して、俺のおかんが作る弁当は強烈であった。

弁当箱はおかずとごはんが一体型の、洋裁箱みたいなデカ箱時代と、おかず、ごはんセパレートの2つ時代があったが、どの時代も、俺は友人の前で弁当箱のふたを開ける時間が怖かった。

ある日、ふたを開けると、白飯に紅しょうがが散らしてあり、おかずコーナーには、粘土色の気持ち悪い物体が2ついた。「がんもどき」と「切干大根」である。色のハーモニーはない。汁が白飯を染めている。ウンキッシュである。育ち盛りであったが食欲は無い。

ある日、ふたを開けると、おかずコーナーが、プール上がりの唇みたいな色に染められていた。「なすび4本」である。なすびは白飯を邪悪に染める。ヤンキッシュである。なすび好きであったが4本は入らない。

ある日、ふたを開ける前から弁当箱を包む布が濡れていた。嫌な予感がした。「あれの日だ・・・」
前夜は水炊きであった。「間違いない。」  ふたを開けると、ギンギンのアルミ箔に包まれた、昨夜の残り物が・・・。弁当に水炊きはあんまりだ。色彩は嘔吐物を連想させる。ゲッシュである。しかし、生きるためには食わなければならない。友が好奇の視線を向ける。

俺は、おかんにクレームをつけた。「汁がごはんを汚すから、汁は入れるな! ウインナーとかあるやろ、ぼけ!」 おかんは、合点がいかない顔をしていたが、その週末にセパレート弁当容器を買ってきてくれた。俺は期待した。拷問のようなランチタイムからの解放を願った。

セパレートデビュー初日! 俺は1つ目の箱を開けた。焼きそばだった。色彩も美しい。紅と青海苔も調和している。俺は満足げに、今までの屈辱を晴らすかのように、友に見せびらかすように2つ目のふたを開けた。

2つ目も焼きそばである。 「お・おかわり????」   友は苦笑した。焼きそば2人前である。食欲は満たすが、セパレートされた意味がわからない。

本当に嫌で仕方がなかった中学時代の弁当生活であるが、今になってみれば、おかんの弁当が懐かしく思える時もある。しかし、本当に辛くて長い3年間であった。着色料まみれのウインナーが常備してあれば、良かったのだ。俺にとってウインナーは赤ければ赤いほど良い。

こんな思いを持ちながら、居酒屋でウインナーを食した。涙が出そうになった。思い出深い日になりそうである。

今の時代は、弁当用のおかずが、スーパーでも完備されており、奥様方にとっても、弁当は作りやすいものになっているのかもしれないが、個性という点では見劣る。

その点、団塊の世代のおかんが作る弁当には、種々の個性がにじみ出ていた。だから、おかんを責める気はない。しかし、その時代でもウインナーはあった。色んなおかずの中に咲く、赤一輪のウインナー・・・、それが当時の俺には必要だったのだ。

そんな、おかんも、運動会などの晴れの日には、工夫を凝らした色彩豊かな弁当を作ってくれた。

弁当箱を開けた。ウインナーはないが、白飯に紅しょうがが、「アカ組 ガンバレ」と配置されていた。俺の欲する赤色を、おかんは紅しょうがで再現してくれたのだ。おかず部分には、トマトの赤も配されていた。トマトが白飯を赤く染めていた。染色禁止令は守られていない。

この時、俺は白組だった。負けた。

弁当は難しい。赤けれ良いというものでもない。何で赤く染めるかということと、白とのコントラストが大事である。もちろんTPOも必要だ。白組の俺が赤い弁当を食すのは、TPOに反している。

苦痛で仕方がなかった弁当生活であったが、今になれば良い思い出だ。

なんともいえない暖かさとせつなさに包まれて飲んだ昨夜であった。おかんをいつか、連れて行ってあげたいと思う。

2008年1月12日土曜日

たるんでいる

今日は、県内私立高校の推薦入試が行われた。うちの塾にも該当するこがいて、受けている。
彼らが頑張っている間、俺は優雅に休日だ。
土と日を、相棒と交互に休んでいるので、日曜日に出る俺は、土曜は休みだ。だから、ライブも出来やすい環境が整ってきている。

外に出る。横殴りの風が強い。髪が横になびく。すごい顔面の映像がウインドウに映し出される。おまけに、雨も強弱はっきりしない。中途半端な天気だ。家にいよう。

家では、古本・新刊で仕入れてきていた、「カツラーの秘密」、「鉄道ジャーナル」、「新聞に載らない小さな事件」、「日本一愉快な国語授業」を読む。

「カツラーの秘密」は、なかなか興味のツボをくすぐられた。前から思っていたのだが、なんで、あんなばれやすいものをかぶるのかという疑問に、カツラ体験者が完結に答えてくれていた。
1度かぶってしまうと、カミングアウトできない、心理状態というのは、なかなか納得できる。

頭が黒かろうが、光っていようが、俺は気にしないつもりだ。間違いなく、あと15年後には、ご来光の日が訪れると思うが、俺はその時、綺麗にシェービングして、ちょい悪おやじとして、過ごしたい。毛の悩みは多いと思うので、軽々しく言うべきではないかもしれないが、俺も薄い人間だからいいだろう。

「鉄道ジャーナル」は、俺が小学校の時に好きだった電車を特集していたので買った。今の、無機質な電車のフォルムなら、定期的に鉄道を追いかける気はない。でも、俺が幼少時の電車、特にブルートレインとL特急は、本当にしびれる。内装も外観も、ダイヤも全て魅了する。鉄道に夢中になれる日は、もう来ないような気がする。感慨深く、ジャーナルを読み終える。

「新聞に載らない小さな事件」は。期待していた面白さはなかったが、まずまず。斜め読みで終える。

「日本一愉快な国語授業」は、これは保存版だ。言語的な雑学が、センスよく配置してあり、編集の仕方が秀逸だ。きっと筆者はいい先生だったんだろうな~と思う。裏表紙の写真の頭はズルむけていた。むき出し感に、よけい好感を持つ。

昼寝をしようと思いながら、いつでも寝れる体勢で読んでいたのだが、寝こじれた。心は怠惰を求めているが、体が元気すぎて快活だ。

今から、家庭教師に行ってくる。終了後に、ご主人に飲みに連れて行っていただく。しょっちゅう、こういう機会を設けていただけるのでありがたい限りだ。

最近は、毎日が優雅で穏かになった。男30代、もっと骨身を削って働かないといけない気がするが、今ぐらいがちょうどいいのかもしれない。去年までなら、月に2回ぐらいしか休みは取っていなかった。明日は、その会社が行う模試の日だ。朝から深夜まで、試験監督、採点と、業のような日々が過ぎていた。それでも、たいしてしんどいとは思わなかったから不思議だ。今、やれと言われても無理だろう。

明日の出勤は、その模試会場を通って行く。かつての同僚がそこにいるはずだ。その横を、余裕の表情で通り過ぎて、嫌な奴ごっこしてやろうと思う。

優雅な生活は、欲していたのだが、やはり根が貧乏性の俺は、予定が詰まっていないと、何をするにも効率が悪い。俺の色んな作業力の高さは、過密スケジュールの中で生かされる。ゆったりした時間の中では、行動力もスローになる。俺から落ち着きの無さが消えた時、死にそうな気がする。止まると死ぬのだ。幸いにして、今月は予定がたくさんある。しかし、拘束された予定ではない。自分にとって楽しいことばかりの、自主的な予定だ。もっと、なんというか、不満を爆発できるような拘束を味わいたいと思うのは、おかしいだろうか?

自由は拘束された中の余暇に訪れ、拘束度合いが高ければ高いほど、余暇が生きてくる。
俺は、宝くじが当たったり、働かなくてよい環境になれば、時間の海原に放り出されて死んでしまうだろう。

家族の時間やバンドの時間や、友との時間を確保できるのであれば、それ以外は、仕事に拘束されてもいいような気がする。新年度は、基本、週1休みにして、前もって予定入れる日に連休を取れるシフトを組もうと思っている。

たるんでいる・・・。1日ゆったり過ごしただけで、こう思える俺は、若い。少しぜいたくな悩みを自慢したかっただけだ。本当に、性格が悪い。性根を入れ替えて家庭教師に出かける。鬼教師に変身だ。赤ら顔だ。今夜はますます赤くなる。

ライブ告知

トップ画面右にも書きましたが、1月26日(土)に、福野町「さむでい」にて、「ほうるもん」2回目のライブをする。「さむでい」は非常にお世話になっている場所だ。

俺は富山に来て7年ほど経ったある日、チープでの活動以外に、ソロでもやってみようと決心し、ハコを探していた。チケットノルマがなく、マスターの主観だけでブッキングが決まるような、ナイスで頑固なハコを探していた。

県内の情報誌をめくり、俺の嗅覚がとらえた「さむでい」に、ある日曜日の昼間に、嫁と出かけ、そのハコを体感した。昼間なのでライブはやっていなかったが、俺達以外に、3人のガラの悪いおっさんがいた。俺は、飲み物を注文し、それとなくハコ全体を概観し、思い切ってマスターに声をかけてみた。
「ここでライブをやるにはどうしたらいいのですか?」

音源があるかどうかを聞かれ、俺は車に積んでいたチープの音源を聞かせた。マスターは店内のやさぐれ常連オヤジにも「これ、そこの彼のバンドなんだって!」と言いながら、大音量でかけてくれた。
店内に響き渡るチープの音、そして、それに対して値踏みを始める、ガラ悪おやじ・・・。
俺は、何ともいえない緊張感に包まれた。

「さむでい」は富山県の片田舎にあるハコだ。俺は全然知らずに、匂いだけを頼りにハコを物色していたのだが、俺の嗅覚レーダーは間違っていなかった。素晴らしきマスターと奥様の人柄、そして、空間の素晴らしさ、ガラ悪おやじが気になったが、俺はすぐにブッキングを許可していただいて、ソロで、「さむでい」との関わりを始める。

生まれてこのかた、ソロで、しかもアコギを弾くなんてかっこいいことはしたことがなかった。俺はバレーでFのコードを押さえることが出来なかったのだ。(今も、清い音色に混じって、「ベッ 」っという破裂音が混じるのだが)。しかし、俺はめげずに、魂を込めて歌った。伴奏、リズム、唄、どれをとってもビギナー以下の完成度だったが、俺の長所は、どんな環境であれ、言葉に魂を込めることが出来る。
何とか、よそ者の俺も、ライブが終わった後は、常連のおっさん達の交流に入ることができた。俺の長所のもう1つは、人見知りをせずに、他のコミュニティーに土足で入ることが出来ることだ。一方的な長所観である。でも、仲良くなれた。

ちょうどライブ会場には、俺が初めて「さむでい」を訪ねた時の、上記のガラ悪おやじの筆頭がいた。
俺は酔ったふりをして、彼の首を絞めた。周囲の人間は、「大丈夫か?」というものだった。何でもそいつは、暴れん坊で名を馳せていた奴らしく、初面識に近い奴が、首を絞めて、ボディーランゲージを交わせる奴ではなかったようだ。

世間は狭い。そのガラ悪は、俺の嫁の中学の同級生だったのだ。嫁が、初対面の時、「何か見たことある」と言っていたが、その通りだった。嫁にしてみれば、自分の同級生と18年ぶりくらいに再会して、そいつを旦那が首絞め攻撃しているなんて、素敵過ぎる光景だったろう。

俺が首を絞めたその男が、「ほうるもん」のドラムである。奴の交流から、今のメンバーと知り合う。
この縁を大事にしたい。素晴らしきメンバーだ。

「チープハンズ」、「ほうるもん」、この素晴らしきバンドのメンバーに出会えて音を出せる喜びは、クレオパトラと楊貴妃の両者と、まぐわえるようなものである。2人の女御は人種が違う。しかし、降り注ぐ愛情は同種だ。魅力に溢れている2つのバンド・・・。

自分がまさか、2つのバンドを出来るなんて、音楽に興味を持ち始めた時には想像もしなかったことである。若輩の俺が、この2つのバンドから色々影響され、吸収し、そしてその滋養を両者に還元出来る、立派なサイクルが成り立つならば、それ以上の喜びはない。

2月にはチープ、3年以上ぶりのフルメンバー再会が待っている。ライブも年内に必ず入れる。チープのメンバーに、最高の刺激をもたらせる様に、そして、俺がチープで培ってきた何かが、「ほうるもん」の中で生かされることに、わくわくしている。手前味噌でも構わない。

チープでは、長年のメンバー体内が育てたマジックを皆様に披露する。音的に変わる必要はない。変わらない清さがチープにはある。最高級のメンバー同タイミングもたり、走りを体感してほしい。曲の料理の仕方がインスタントでチープである。そこに俺達の年輪が詰まっている。単品では一聴、ジャンクかもしれないが、定食で味わうチープは栄養素満点である。自然のマジックだ。

「ほうるもん」では、今、組曲に挑戦している。20分近くに及ぶ曲だ。偉大なベーシストのご発案だ。俺は、はまっている。ストーリー性を持たせることと、完奏出来る音力を今、修行している。曲の離陸の仕方が、本能むき出しなのであるが、パイロットがいて、その軌道は正しい。素晴らしきベース、ギターの御大にまとわりつく、ガラ悪オヤジの俺とドラム。本能のロジックだ。

福野町「さむでい」でのライブ。色んな人に見て欲しい気持ちで一杯だ。
京都「拾得」でのライブが決まったら、また告知する。色んな人に見て欲しい気持ちで一杯だ。

2つの、掛け替えのないバンドを持った俺、公衆にさらされたい気持ちで一杯だ。

今年は露出する。穀のある痴だ。 ライブ告知であった。予露志句!

2008年1月10日木曜日

占いを見る

久々にちらっと見た媒体で、占いを見た。今年の運勢というやつだ。

【Kリュウジさんの占い】 ※(引用許可取ってないのでぼかしています。)
「自信がもてるようになる、2008年のあなた。自分の手がけたことによる成功によって、いい恋や人間関係を引き寄せるでしょう。また、「みんなの笑顔が見たい」「人の役に立ちたい」と意欲的に過ごせる一年となるでしょう。」

いいこと言いますな。でも、俺はいつも意欲的なので、「自信が持てるようになる」に賭けたいですな。

【新宿のマザーの占い】 ※(引用許可とっていないのでぼかしています。)
「2008年は、あらゆる面で、さまざまな喜びがあなたを待ちうけている一年です。恋愛面でも、特に出会いを求めている場合は大チャンス期の到来! カップルの場合は、あなたの誠実さが、ふたりの愛を深めそうな予感です。 」

さまざまな喜びは毎年あるし、既婚者(カップル)ですが、愛は毎年深めておりますよ。誠実さはありませんが・・・。新宿マダムはロマンチストやな。語彙が足りない!

【マドモアゼル愛の占い】 ※(引用許可とっていませんが、ぼかしていません。)
「あなたはもともと、高い理想と独立精神の持ち主。知識と経験を武器に、世の中を駆け抜けていくタイプといえます。そんなあなたにとって2008年は、華やかな活躍になりそう。 」

占いと関係ないが、この芸名好き! 愛嬢、いいこと言うやんけ!でも、冷静に考えると、知識と経験ないやつおらんし、世の中は色んな駆け方がありますな。華やかという言葉に期待しよう!

上記3者では、愛嬢に一票!

俺は、占いのヘビーユーザーではない。どちらかというと、占いなんてものを軽く見ているほうだ。
占いに限らず、厄年やら、前世の因縁やらというものを、全くといっていいほど信じない人間だ。もちろん、特定の宗派にも属さない。

しかし、バイオリズムや、運の流れといおうか、その人が生まれつき持った星というものは、何かあるに違いないとは思っている。我が体験を振り返っても、そうでなきゃ説明がつかない事例というものがたくさんある。

昔、関西版の情報誌の占いをよく見ていたが、これは、恐ろしく当たっていると思っている時があった。

「いつになく高運気! 予想もしない幸運が訪れるかも! でも慢心してはだめ!心を入れ替えるも、誘惑に流されがちなあなた。自分をしっかり持って!」とあった。

この占いがなされていたのは、平成元年の10月だ。俺は、4月の大学入学以降、授業に出たのは4回であった。「これではいかん!」と心を入れ替え、「明日からは真面目にやろう!」と、いつになく決意して、臨んだ日のことである。

昼頃、寝床を這い出し、チャリをこいで、キャンパスに向かう。学び舎の若人の息吹が心地よく映る。俺もその中にいる喜びに包まれ、俺はキャンパスの門をくぐった。

「授業に出て、ひたすら勉強するのだ!」 俺は大学ノートを買い、忘れかけていた鉛筆の持ち方をリハビリし、指をならしながら、文学部の校舎を目指して歩いた。完璧だ!やれば出来る!

ちょうど、学生会館の前を通る頃、向こうから見知った顔の3人が来た。先輩である。彼らは俺にこう言った。「え~とこに来た! 今から麻雀するねん。メンツ足りんからどうしようかと思っててん。打たへんか?」

俺は迷わない。満面の笑顔で、今来た道をUターンした。校門を入って出るまで、わずか3分の出来事である。昨夜にした、殊勝な決意のことは、頭から抹殺されていた。

俺はその午後、麻雀で、「リーチ、一発、ツモ。七対子、ドラ8」という数え役満を上がった。それ以外にも、ドラドラまみれのドラえもんツキで、点3にも関わらず、2万円ほど勝った。

その夜遅く、見たのが上記の占いである。俺は、学業に精を出す誓いをしていたことを思い出した。
麻雀の勝ちの気分も吹っ飛んだ。

「いつにない高運気」を、たかだか、2万円の勝ちで使ってしまい、「誘惑に流され」たのだ。

それからは、上記の占い媒体が気になりだした。ラッキー日の書かれた日には、必ずパチンコに行った。実際に勝った。アンラッキー日にもパチンコに行った。実際に負けた。帰りにカツアゲされた。「飛んでみろや!」という古典的文句で、ジャリ銭も奪われた。

占いは恐るべしだ!そう思った。

しかし、今になって思ってみると、占いがはじき出す運気を、良くも悪くも体感しやすい生活環境をしていただけである。当たるきっかけは、腐るほどある。

せめて、あの時、「心を入れ替えるも、誘惑に流されがちなあなた。自分をしっかり持て!」という言葉だけを事前に見て、そのことが頭を支配していたならば、迷いなきUターンはなかったと思う。

占いを、「今日の目標」みたいな位置付けでとらえ、それを意識していけば、運気を有効に使えるのではないか?

ただでさえ、主体性のないわが身・・・。何か指針をあたえてくれるものがあれば、それを日課として、有効に過ごしていける気がする。少し、占いというものを、利用してみようかと考えた。

問題は、誰の占いを指針とするかである。リュウジや新宿のおかんは、恋の指針が多そうである。マドモアゼルはどうだ?? HPを調べたら、男だった。不覚・・。でも愛さんは、なかなか好きである。
詳しく見るのは有償だった。無償の愛を求めたい・・・。

俺が欲しいのは、毎日のちょっとした指針だ。例えば、「今日は言葉が過ぎて、人間関係に日々が入りそう! 言葉選びには慎重に!」といった、プチアドバイスだ。当たっているかどうかは、どうでも良い。ただ、毎日注意する何かがあれば、なかなか面白いな~っと思ったまでだ。

誰に指針を求めよう?? とりあえず、嫁に指針を聞いてみる。

「はよ、寝られ!」だった。とりあえず従う。指針1日目だ。明日も同じでないことを願う。これは占いか?????。 おやすみマドモアゼル!

2008年1月9日水曜日

ヤッターマンに問う

【ガソリン価格の高騰】
ガソリン価格が高い状態にはそれなりに慣れていたのだが、投機する人たちの操作が値上がり要因にあることを、再三、新聞などでおさらいされると、被害者めいた感情が芽生えてくる。中東の石油王達に文句はないが、先物取引で値段が上がるとなると穏かではない。

おまけに、ガソリン価格が高騰しているにも関わらず、ガソリン価格に占められる税金は減額されそうにない。だいたい、リッター@150と表示しているだけで、そのうちの税金が何円で、純粋なガソリン代が何円という表示がなされていないので、どんぶり勘定もいいところである。しっかり明細は入れて欲しいと思う。道路公団改革は終わったのかな? 

化石燃料に支配される今の時代は、ある意味、原始時代よりも制約された社会だ。


【レオナルド・ディカプリオ、高級ウォシュレット購入】
すごいニュースだ。スターは便座まで顕にされるのかと思うと気の毒になる。マドンナが「日本の便座が恋しい」と言ったという有名なエピソードと併せて紹介されていた。日本では馴染みのウォッシュレットだが、海外では依然、高級商品の範疇になるのかもしれない。

我が家にもウォッシュレットはあるが、俺は1度したことがあるが、こそばくてたまらなかった。「紙で拭いてるからいいやんけ!」と激しく思い、それ以来、菊ちゃんに放水はしないようにしている。
1度した後、こそばくて、菊をいじっていたら、そこからかぶれて痔になった。ウォッシュレットの目的は何だ!! だいたい、ケツに対して過保護すぎやしないか?と思う。

外人はその点、ワイルドである。水が出るどころか、便座が暖かいことだけで感動するなんて、日本人にしてみるとびっくりである。おまけに、手で菊を撫でる地域もある。これはちょっと厳しいが、それでも、明日から、紙がなくなたら、俺は喜んで拭く。

「自然な排泄行為まで人工器具入れてどないすんねん!」と思う。オイルショックが昭和時代にあった時、トイレットペーパーの買占め騒動が起こったと、歴史で学んだが、また起こりかねない気がする。

俺は中学生の時、帰り道でどうしても排泄願望をこらえきれず、家まであと200メートルの所の草むらで、ワイルド雲固をしたことがある。日本に漢字を伝えたことで有名な博士の墓の敷地内だ。漢字の冒涜の裁きはすぐに来た。

俺はハンケチーフやちり紙なんてハイカラなものは持ち歩かない性質である。だから、その時は近くの草で拭いた。俺は草花の知識がないので、目の前にある草を数枚まとめて、立派に綺麗綺麗した。
その草は「うるし」と名づけられている草らしい。

完全湿地帯と化した俺の手と菊周辺・・・、しかし、俺は野に邪悪な花を咲かせたひと時を後悔はしなかった。それどころか、スワンプという言葉を聞くと、それ以来、胸がキュンとくる。いつかまた、草原にスワンプロックしたいものだ。

「タイタニック」で、海に沈んで藻屑と消える運命を演じた人が、菊の配慮とは・・・。海水つけとけ!


【重い米袋も楽々、農作業ロボットスーツ開発…東京農工大】
20キロぐらいの物を持って中腰でいても負荷が少ないらしい。実用化も進んでいるらしい。数年後には、田んぼの真ん中でロボットスーツを着た人を見かけるかもしれない。

コンバインなどでは不満か???? いっそのこと、体を動かさないで固定ロボットみたいになりますか?? 興味半分で実用化されてもたまりませんな。体を動かす機会を減らす環境を促進しながら、その一方で、運動不足を解消する家庭用運動器具が跋扈する。

作物を順調に育てるために種々の薬品を開発し、それで育てた植物が栄養素が足りないからといって、サプリメントを多く開発する。手を加えなければ、両者ともいらない発明だ。科学者の専門領域は細分化されているが、彼らに思考力や、想像力はないのか???

20世紀後半から、21世紀は、人が動かなくていい環境を作るために世界的に邁進している時代だ。
人体機能低下の弊害も人工的に補おうとしている滑稽さを、ただただ傍観しているだけだ。
自然界との戯れが、最も高価な贅沢になる日は、俺の生存中に到来しそうな気がする。

何も出来ない。毒を吐いて、自然に対して正義面しているこの瞬間も、俺はひ弱になっていく。

ぼやきが増える。ボヤッキーとドロンジョが蔓延っている今はどうなんですか?ヤッターマン様。

2008年1月8日火曜日

ばかだもん!②

俺が中学生の時、英語の先生が、"What time is it now? の発音を教えるのに、「掘った芋いじくるな!」と言えとおっしゃっていた。結構定番な教え方だったみたいである。

「クラブ」の「ク」を強く発音するアクセントが、まったくなくなりつつある、昨今の平板な発音であれば、「掘ったいもいじくるな」と言っても伝わらないであろうが、昔は、日本語に高低アクセントがしっかりとあったので、通じたのであろう。なかなかナイスな教え方である。

日本語の高低音がはっきりしていた時代に、" Bark at the moon"を、「ばかだもん」と教えると、それは一世風靡の教え方になったかもしれないと思う。 ま~、一生で一回使うか使わないかの表現なので、「掘った芋いじくるな」ほどの需要はないし、教科書にも載る表現ではないが・・・。

「月に吠えろ」という文句を聞くと、狼を連想する。俺の生物学的な主観分類によると、狼はキツネが凶暴化したようなものだ。 そして、キツネは柴犬と見分けがつかない。

そうだ、愛くるしい瞳で飼い主を魅了し続ける柴犬君であるが、奴らは狼の親戚である。狼をペットとして買う奴を俺は知らないが、柴犬はたくさんの人が飼っている。その差はなんだ! 歯の鋭さか?

ハムスターやモルモットをペットで飼う人はいるが、ネズミを飼う人はいない。ネズミはネズミでも、幸せな奴らは飼い主に愛される。その一方で、新薬開発の実験材料にされ、「どぶ」を冠されて忌み嫌われる奴までいる始末だ。その差はなんだ! 住んでる環境か?

蝶は昆虫マニアに捕獲され、標本とされて、一家の宝となる。しかし、蛾の標本を見たことがない。その差はなんだ! 粉の色か?

伊勢えびを見て、「おいしそ~う!」とは言うけれど、ザリガニを見て涎をたらしはしない。その差はなんだ! 海と湖沼の居住区か?

鳩には、「~さん」をつける子供がいるが、カラスに「~さん」をつける子供は、ムツゴロッシュな環境のお子様だけだ。その差はなんだ! 色素か?

こんな矛盾は、くさるほどある。同じ類のものであっても、人間様に好かれる奴らと、嫌われる奴らがいる。「あらい」と「テディ」の熊は好かれるが、「ひ」と「月の輪」の熊は嫌われる。それどころか、俺らが油断していたら食われる。

俺は動物、昆虫を見るたびに、その種の中の、人間が忌み嫌う奴らを想像してしまう。

なんで、こんなに動物、昆虫を嫌いになったのだろう? 色々振り返ってみることがある。

俺は、犬に噛まれたことが3回ある。内2回はケツを噛まれた。ケツ肌は意外にもろいことを知った。

俺は、口を開けて歩いていたら、イナゴが入ってきたことがある。苦味を残して彼は立ち去った。甘露煮は多量の甘味剤が必要だと知った。

俺は、鹿に襲われて、踏まれたことがある。角でグリグリもされた。奈良公園はサファリーパークであることを知った。ケツ肌は貫通しやすいことも知った。

しかし、こんな肉体的な被害だけで、ここまで嫌悪する対象になるはずはない。深層心理やいかに?

暫定的な結論を出しておく。おそらく俺は、動物、昆虫と、原始レベルで対峙しているのだ。
動物を愛でたりするような余裕がなく、食うか食われるかという対象で、真剣に対峙しているのだ。
獣と獣の対決だ。獣同志の鬼気迫る対決ビームは、互換性がある。

だから、俺が動物、昆虫を見る眼光は鋭い。そして奴らも俺の前だけは油断せずにいる。

昔、俺の友人が家で犬を飼っていた。事前の話では、「絶対に噛まない」ということだった。そこに、友達3人で遊びに行ったのだが、部屋に入る前から、珍しくその犬は吠え出し、障子を開けた瞬間、他の2人には目もくれず、俺にだけ飛びついてきた。即噛みである。咀嚼されるほどの深噛みである。俺は敵に背中を見せる弱点がある。また、ケツだ。俺のケツには多数の傷害痕がある。仁義無き獣共のせいだ。

昔、おばあちゃんの家の近くの動物園に兄弟3人で行った。えさとして、ピーナッツ揚げを持参した。
俺の兄貴と弟がえさをあげると、奴らはすぐにやってきて、ひたすら乞食した。マナーは良い。ところが俺が手を出すと、奴らはひったくるように奪って、おまけに金網越しに頭突きをかましてきやがった。
この時は、俺の頭蓋骨のハードが勝った。奴は逃げ出した。人生最初で最後のウィナーである。

間違いない。俺には獣に通じる香りがあるのだ。違う種のもの同志、憎みあう運命なのだ。これからも警戒感と縄張り意識を持って過ごしていかなければならないのかもしれない。俺達の日々に安らぎはない。

俺は犬年生まれだ。人間界では「猿」を冠されることが多い。犬猿、相対比するものを内包した混血だ。えげつない獣臭を発しているに違いない。運命と割り切って、この険しき獣界を渡っていくのだ。

犬はキツネの仲間だ。キツネは狼と似ている。狼は月に吠える。俺も、月に吠えるのだ。獣界は弱肉強食だ。戦いに勝つために、まずは威嚇だ。俺は昼夜関係なく、月の方向に向けて彷徨し、しっかり吠えたいと思う。

獣の俺だが、俺の種は「ホモ・サピエンス」だ。獣界のエリートだ。俺の吠え方は文字を使う。他の獣には真似出来ない。

そして今日も俺は吠える。" Bark at the moon! " 「ばかだもん」。  完結。

2008年1月7日月曜日

ばかだもん!

今日は、出勤前にいつものように、本屋巡りをした。昼から出勤の仕事は、出勤前の本屋巡りが出来るのが利点だ。

見慣れた書棚をのたのた歩き、新刊コーナーを見たが、特に興味をひかれなかったので、古本屋へ移動する。

この古本屋は、かなり売り場面積が広く、有名古本チェーンに加盟しているのだが、値段設定が結構いい加減で、やる気ある価格とやる気ない価格の落差がすごい。大手フランチャイズらしく、最新ものには、新刊の2割引きくらいの強気値札をつけてくるのだが、旬を過ぎた本や、長いこと棚で眠っている本には、無気力な値段をつけてくる。安売りコーナーとして設けている書棚は少ないのだが、通常の書棚の高貴な御本の中に、貧民が混じっている。

俺は無気力な値段設定がなされた商品が多く詰まっている書棚を熟知しているので、そこを中心に、新入荷、値段下げ商品を中心に物色するのを慣わしにしている。一冊200円以上は払わない。200円以下で出会う本だけで、多くの出会いがあるので、それを優先している。

「今日はどんな出会いがあるのかな~???」とルンルンしながら、駐車場に車を停めた。

入り口の所で、実にやる気のない犬が繋がれていた。ブクブクに太った体と、生気のない目つき、そのくせして、じっとしているのに息切れしていやがる・・・。

このFAT DOGの輩、俺の前を歩く客が入り口に入るときは、一瞥もしなかったくせに、3メートル遅れで入り口にたどり着いた俺を見るなり、息切れしながらうめき出しやがる。目つきは相変わらずやる気がないのだが、全身で警戒感と威嚇を、愚鈍な反応で示しやがる。

昨日といい、今日といい、獣に喧嘩を売られる。昨日の反省を生かせばよかったのだが、俺はポケットにあった、レシートの丸めたかすを、彼に向けて投げつけた。奴は、後ろ足を持ち上げ、俺にうめき声を立てやがる。俺は、奴の繋がれた紐が届く範囲を確認し、奴に蹴り真似を入れた。

タイミングが悪い時は、漫画のような場面に遭遇する。隣接するハンバーガーショップから出てきた、オフの力士みたいな、ヤンキー臭プンプンの若い女子に、強烈なガンを飛ばされた。飼い主である。
飼い主と飼い犬の目方を合わせると、間違いなく30貫越えである。

俺は、強烈なガンをさけるように、店内に逃避した。店内の安全圏内に入って、入り口から視界が遮られる直前で、俺は、気になって入り口を見た。

「み・みてる・・・。」 リアルホラーだ。固まった姿勢で、人犬共に、俺を睨んでいやがる。
取っ組み合いになれば、性別関係なく、間違いなく負ける・・・。

俺は店内の奥隅に逃避したものの、彼女と犬の目つきが怖くて、もう1度入り口を書棚の隙間から見た。さすがにこちらを見てはいなかったが、彼女が乗り込む車が見えた。黒塗りフルスモークの、堅気の香りを排除した高級車であった。気のせいか、乗り際に奴らが再度こちらを見る気がした。

獣にまつわるトラブルが続いている。少し謙虚になろうとは思いながらも、俺だけに警戒心を顕にする犬と、眼光鋭い、2つの巨体が頭から離れない。ゆ・ゆるせない!

昨日の鳩と犬と巨体・・・、3つの強烈な視線が俺の心中を支配する。負けてなるものか! 俺は男の子だ! 気持ちを切り替え、いつもの廉価本が紛れ込む書棚を眺める。

前、来た時にはなかった、ハードケース仕様の、厚さ7㎝はありそうな背表紙が目に飛び込む。背表紙にタイトルはない。俺は手に取り、ケースから本を抜き出した。

肥満解消を目論む、その筋の書籍だ。表紙に写っている欧米モデルの女性は、紛れもなく先ほどの彼女だ!!! タイミングが奇怪なほど合いすぎている。こ・こわい。

CDコーナーに移動する。気持ちは萎えている。戦う気力はないのだが、気持ちを落ち着けるため、夢遊病者の足取りながらも、2階に上がる。CD廉価版のコーナーを見渡すが、目が背タイトルを捉えきれない。仕方なく、洋楽コーナーのジャケットが見える置き方をしているCDだけを見ていく。

真っ先に飛び込んだのは、オジー・オズボーンだ。HMの重鎮だ。ライブ中に生きている鳩に噛み付き、食した男だ。鳥獣愛護団体から悪魔の称号を頂いた男だ。奥様共々、要:肥満解消だ。

オジー関連のCDは、中古市場にそんなに出回る御仁ではない。

タイミングが悪すぎる。店内を出る。鳥獣とのあまりの相性の悪さに、俺は一種のオカルトを感じた。車に戻り、エンジンをかける。普段はCDを聞くのだが、今日に限ってラジオをつけていた。車を走らせること1分、ラジオから流れてきたのは、先ほどのオジーさんである。俺はラジオでオジーさんがかかるのを聞いたのは、生まれて2回目である。

曲は、「Bark at the moon」である。ジェイク・E・リーのリフが奏でられたとき、俺は目が覚めた。獣の遠吠えが聞こえた。

夢だったのだ・・・。 長い夢の記述で申し訳ない。昨日の鳩との格闘が、よほど堪えたみたいだ。尾を引いている。しかし、夢には続きがある。うつつに繋がる夢を、俺は初めて味わうことになる。

俺は、悪夢の余韻を振り払い、うつつの中、夢の中と同じ行程を現実に辿った。

新刊書店を飛ばし、夢に出てきた古本屋に行った。犬も、力士風ヤン女氏もいなかった。当たり前だ。
ところが、廉価発掘書棚に行った時、夢の中と同じような背表紙が目に飛び込んだ。
引っ張り出し、タイトルを見てびっくり!

「YOU CAN BE FAT-FREE FOREVER-あなたは永久に肥満から解放される 」

俺は怖くてCDの棚には行かなかった。しかし、頭の中で「Bark at the moon」がずっと鳴っていた。
帰り道に車の運転中、俺は車窓を開け、お隠れしている月に向かって吠えた。

「バーク アット ザ ムーン」→「バーカーアザムーン」→「バーカダモンーン」

獣に脅かされる俺の運命・・・。 なぜだなぜだ? 教えてネズミさん!
だって僕は、ばかだもん! 明日に続くのだ!

2008年1月6日日曜日

俺VS鳩・・・やさぐれ日記

今日、我が職場の塾に出勤したら、玄関前の屋根つきのスペースに、大量の糞がアートしていた。
人糞、犬糞、猫糞ではないサイズの、間違いなく鳥糞である。スイミー食の中に白色が混じった、あの糞が、前衛アートを思わせる配置で、散りばめられてあった。

屋根を見ると、いました、ホシが・・・。悪びれる風もなく、こちらをギョロ目で眺めていやがる。
自分の巣を離れた、やさぐれ鳩が、俺の聖なる職場に不法侵入して、おまけに糞までたれてやがる。

相手が誰であれ、鳥獣であれ、人の敷地で糞を垂れるとは、なんたる無礼! 俺の法度では許せる振る舞いではない。

それにしても、なぜ、急にここに紛れ込んだのか? 俺は周囲を見渡した。犯罪を誘発する手がかりが周囲にあるはずだ。 俺はルーペを取り出そうとしたが、取り出す間もなく、チーズビットのかすを発見した。俺の職場の向かいの家の子が、路上で食べていたのを見かけたことがある。
「何さらしてくれんねん!ジャリ! お前が餌付け犯人か!」と罵倒したい気持ちで一杯になった。

しかし、近隣住民のご子息を罵倒することは、俺の経済的な終焉を意味する。俺は殴りこみたい気分を必死で押さえ、糞掃除にとりかかった。

ちょうど、そこに、そのジャリが来た。屋根の鳩を見て、もちゃもちゃ言っている。俺は、鬼のような形相の表面を偽善の仮面でつくろい、彼に話しかけた。

「ぼくちゃ~ん、ハトさんは、チーズビット食べないよ~。それに、ここは、おじさんの場所だよ。だから、おかしあげるのはやめようね~。」と柔和に言った。

無視された・・・。 怪訝な顔で一瞥し、彼は去っていった。 き、きれそう、僕・・・。

無視されたとは言うものの、一応、餌付けを止める様に、遠まわしに威嚇したので、ジャリとの関係はもういい!

俺は鳩さんに、メンチを切った。物を投げるポーズをとった。しかし、無視された・・・。本日2回目の被無視だ。少々傷つく・・・。

色々ささやきかけて、鳩さんの自覚を促したが、奴は、素知らぬ顔で、頭上の鉄骨を闊歩してやがる。

「口で言って分からないやつには体罰を!」これが俺の法度である。俺は、蛇口に繋いだホースを取り出し、鳩さんに、軽く向けた。水を出し、届くか届かないかの所で、しぶきをそらし、威嚇した。
しかし、また無視された。3度目の被無視だ。

仏の顔も3度まで。俺は合掌した後に、鳩さんに向けて、水をぶちまけた。奴は奇声をあげ、逃げ出した。そして、道の対面の縁に座り、そこに鎮座した。ブルブル震えている。

飴と鞭が教育の基本だ。俺は奴に近づき、こんこんと人間用語で説教した。「びっくりしたやろ?でもね、おじさんが怒る気持ちもわかってね。あんた、びしょびしょなって、しばらく飛べへんやろうけど、羽が乾いたら、お前の傷は癒えるよ。でもね、おじさんの怒る辛さは、ちょっとのことでは消えないの。君も鳥ならば、鳥らしく、大空に羽ばたきなさいよ。冷たかったやろ?でも、おじさんの心はもっと冷たいのよ。しばらく、そこで反省していなさい。人間に愛される鳥になれるための、今日は記念すべき一歩だよ。ほれ、コーヒーを御飲み!」

俺は、ジョージアを彼の前で数滴垂らしてあげた。彼の目は少し潤んでいた。少し荒治療だったかもしれないが、彼が鳥獣界で飛躍するための、記念すべき一歩の立会い人のような、清清しさを感じ、彼に笑顔を振りまき、その場を立ち去った。

2時間後、彼の羽が乾いたかどうかを確認しに、再び表に出た。彼は、さっきいた場所にはいなかった。俺は安心した。きっと、マナーを守った生き方を覚え、人間との暖かな交流を彼の家族に話しに、巣に帰ったのだと思った。

その時、頭上で、「ピーピー」鳴く声がした。

奴だ・・・・。俺は鳩の鳴き声をカエルの鳴き声のようなものに認識していたが、今日聞いた声は、小鳥のさえずりをハスキーにした感じだった。

奴は、仲間を連れてきていた。奴より図体のでかい、番長クラスの奴だ。目つきが最高に悪い。やさぐれ仲間に違いない。

俺は身構えた。そして、周囲に小石がないか探した。  と、その時、俺の視線は蛇口に繋がれているホースを捉えた。水が出るホースの先端に、ぎっしりと盛り土のような、邪悪なムース状のものがある。

糞だ! 出来たての、新発売の糞だ! 俺の動揺をあざ笑うかのように、番長鳩は、ハスキーボイスで鳴きたてる。

ま、負けた。完敗だ! 人生で初めて鳥獣に負けた。俺も弱くなったものだ。俺は彼らから視線をそらし、屋内に消えていった。明日は、人間に言いつけてやる。そして、電気ビームでも何でもいいから、彼らの撃退法を考案してもらう。それで、鳩糞対策は終焉を迎えるだろう。

しかし、傷ついた俺の心は、当面立ち直れそうにない。負けた・・・。冷気が俺の頬をなでる。視線の先にはムースのオブジェが、ただ存在感を際立たせている。喧嘩を売るんじゃなかった・・・。鳩の世界もこんなに荒んでいたとは、平成という時代は、なんと生き難いのだろう・・・。

19時で校舎を閉め、俺は20時からのバンド練習に臨んだ。用意していた新曲のタイトルを一部変え、歌詞も一部変え、アナーキーな3コードを俺はメンバーに披露した。俺の人生最速のロックチューンである。曲名は「やさぐれて平成」だ。それまでは、「うらぶれて平成」だった。

笑うなら笑ってくれ。荒んだ俺の心を癒してくれるのは、この曲だ。勢いあまって、今月26日にライブブッキングした。やさぐれるには、機を逸してはならない。投げやりの負のエネルギーが、敗北感の負のエネルギーと結びついた時、そこには究極の正が生まれる。マイナスとマイナスは返信してプラスになるのだ。

「やさぐれて平成」・・・、獣臭がそこにはある。仁義もへったくれもないこの時代、俺は噛み付く。平均年齢40ぐらいの我がバンド「ほうるもん」、内臓からはじき出されたオブジェを今度は俺が出す番だ。鳥糞には負けない。人糞の香りを嗅ぎに来てほしい。

臭いだけが糞ではない。はじき出す場所を俺は選ぶ。仁義ある脱糞を最高の空間でオブジェに変える。

新曲が生まれた日、そこには鳥獣との憐れなバトルがあった。思い出深い曲になりそうだ。

2008年1月5日土曜日

学歴を、ふ~!

酔ってまふ。今日は、新年会に参加してたでふ。KO大学の通信教育課程で卒業した人たちが作っている会に参加したのでふ。電車で行って疲れたでふ。

俺がKO大学を通信過程で卒業して、5年弱、俺は、この手の卒業者対象の行事をひたすら避けてきた。以前のブログでも触れたが、飲みたい人としか飲まない権利を、30代後半になって得たと思っていたからだ。それに肩書きとしての大卒という肩書きそのものに対する価値観を、俺は矮小に考えていたので、OBからの訓示を拝聴するような場は、行ってたまるか!と思っていた。

数あるお誘いの葉書も無視していたが、今年は、在学中に面識のある方から、電話のお誘いを頂いて、気のいい俺は参加してしまったのだ。

参加した感想は、良かった!!!という好意的なものだ。24時代の帰宅という、品行方正な酒宴であるが、楽しい時間を過ごせたと思っている。

通信教育で大学卒業資格を取るという方法は、あまり馴染みがない方法かもしれない。簡単に入学から卒業にいたるシステムを概略して記す。

 ・入学試験は高校の内申書とレポート課題(複数)のみ。だから、暗記力競争のような難関選抜試験
 を受けなくてもKO大学に入れる。KOだけでなく、たくさんの大学が通信過程を設けている。

 ・一科目1単位から4単位のレポート課題(だいたい、2000字から4000字)のレポートを課題に沿
 って提出し、それに合格したら、科目試験(年4回)が受けられ、レポートと試験に合格すると、1~
 4単位が認定される。

 ・138(ぐらい)以上の単位を獲得し、卒業論文(40000字以上)の試験に合格すれば卒業!

といったシステムだ。このシステムは、入学するのは簡単だが、卒業が難しいという理想的なシステムだ。学費も年間8万円弱だ(スクーリング費用を除く)。卒業資格を満たした時には、一般受験で入った学生と同じ、卒業証書がもらえる。通信といった過程は明記されない(俺はしたほうがいいと思うのだが・・)。

多くの教授が、「通信過程の塾生の方が、一般塾生よりも、数倍学問レベルが高い」と公的な紙面でおっしゃっていたが、これは俺も同感である。実際に通学生よりも勉強は間違いなくしている。しかも通信の塾生は、社会に出た後の大人が多い分、思考レベルが、18~22歳平均の子達とは違う。

しかし、この通信は茨の道である。

入るハードルが低い分、KO大学では、卒業するのは、毎年数%だそうだ。しかも、12年ぐらいかけて卒業する方も多くいて、全卒業生の中では、4年で卒業するのは、0、コンマ%の世界だ。

自慢をする。聞いてほしい。俺は、このシステムを潜り抜け、4年で卒業した数少ないKOボーイなのである。無駄に字数の多い、アカデミックな論文が俺には向いていたのだ。S川急便やコンクリート工場での激務の合間であったが、坦々と卒業出来た。小さな自慢だ。

KO通信という、特殊な学業関係の中で、色んな人に出会った。かっこいい人との交流をたくさん得た。その一方で、卒業とは無縁の人に限って、ウンチクや、高尚なことを述べたがり、自分がさも有能な人間であるかをアピールする人が多いことにも気付いた。最初は、通信教育で学ぶ人たちを同志だと思っていたが、だんだんと、その薄っぺらさに気付いた。そして、その人達との交流を忌まわしく思った。

ある地方の議員さんは、新聞に載る最終学歴の欄に、「KO通信中退」と書いていた。

通信教育の大学は、先に述べたように、入るのは楽勝なのだ。だから、中退という定義は発生しない。挫折と言い換えるべきものである。挫折はかまわない。でも、通信教育を放棄した人が、それを経歴に残すのは、根本思想が狂っている。

通信教育は、卒業して初めて意味がある過程だ。途中で放棄するのは構わない。習字やそろばんをやめるのと同じ認識レベルであるが、アカデミックな空気を感じ、そこで、学習の方法論を体感した後に放棄することは素晴らしいと思う。しかし、それを学歴に冠する発送がキテレツだ。

俺はたくさんの素晴らしき人たちと、通信教育を通して出会った一方で、KOというブランドに酔いしれた、夢遊病者のような人たちにもたくさん出会った

俺は昔、大学を中退した時、「ロックンローラーにとって学歴がなんぼのもんじゃ! 冠するもので人を判断するな!」ということを、自分の意見として思っていた。

しかし、社会に出て、30代を目前にして、大学を卒業していないものが、上記のセリフを吐くことを恥ずかしく思った。プロ野球選手と同等にプレーできない者が、彼らプロの技術を評論するのと同じレベルのかっこ悪さを感じた。

だから、俺は、一応国内で名が知れている大学の卒業資格を取って、その後で、「本当に大事なものは学歴なんかじゃない!」ということを正々堂々と言いたいと思ったのだ。

KO通信で知り合ったなかで、俺が尊敬している方々との交流は、未だに持てている。幸せだ。その一方で、どうでもいい、KOレーベルに魅せられただけのウンチクたれの方が圧倒的に多かった通信生活を鑑み、俺は、卒業後、KOレーベルからのお誘いを頑なに無視してきた。卒業生が参加するOB回もことごとく無視してきた。

しかし、今日の飲み会は、俺が在学中にお世話になった方から、直々のお誘いであったため、「さくっと飲んで、暴れてやろう!」といいう趣旨で、冷かし半分に出かけた。

結果は正解である。来られていた方々の多くは、俺の生前に卒業された方である。今は、退職後の余暇を優雅に過ごし、登山をし、花や野草の名前に敏感な暮らしを送っておられる方々であった。
俺は、今まで、KO大学卒業生に対して抱いていた拒否感を、恥ずかしく思った。随分年配の方が多かったせいもあるが、10年以上かかって卒業された方々の昔の苦労話と、近況を聞くと、背筋を伸ばされる思いがした。人生の達人である。

学歴をもっとも忌み嫌う俺であったが、実は、学歴に対するコンプレックスを人一倍持っていた人間だったのではないかと、急に思った。実に俗物である。20歳で中退してからの俺は、学歴放棄の自分の落とし前をつける機会を、大義名分と共に欲していたのではないかと思ったのだ。

純粋な動機で、大学での学問を選ばれた方々の清さを目の当たりにし、俺は、意固地な学歴コンプレックスを、真の意味で払拭できた気がした。

本心から言える。「学歴なんてどうでもいい」と。しかし、こう言えるまでに要した俺の年数は、短くはなかった。

素晴らしき先達との飲み会を楽しく過ごせた。御大達と共に、今年の夏は登山に行く約束をした。登山ビギナーの俺であるが、彼らから、花の名前をたくさん教わり、彼らの崇高な眼差しから、何かを学びたいと思う。

楽しかったのでふ。酔ったのでふ。今年は山登るのでふ。ふ・ふ・ふ・・・・。ふっきれた。

2008年1月4日金曜日

Rock in rubble ①

Rock in rubble  ・・・ 「瓦礫の石ころ」とでも訳しましょうか。実にダサいタイトルですな。ダサいのは得意ですよ。シリーズ化しようかと目論んでいて①と付けました。見れば見るほど、発音すればするほどダサい・・・・。好き。

新年一発目の開校日、案の定、お年玉で私腹を肥やした(使い方変やな)、若人が、お年玉で買ったであろう、きらびやかな服装で来塾しておりました。今時のお年玉相場は、ジェラシーが入るので、詳細には聞きませんが、どう見ても、平均的30代の小遣いの倍くらいはあるような気がします。
どいつもこいつも、いいオべべ着てるのなんの・・・。

おまけに、平成生まれのキッズときたら、足は長いし、顔は小さいし、髪の毛の生え際美しいし、昭和と平成の間には、確固たる欧米化の境界がございますな。

生徒が、購入したコートを自慢していた。

生徒A: 「このコート12000円やったがいぜ!」     (俺:自慢するところがかわいいの~。)
生徒B: 「うそ? 安くないけ?」               (俺:What?)

ジュニアハイスクールキッズが、12000円を安いだ~~~~!????
俺は、この時点で、ジェラ的発情によるめまいを感じましたな。

12000円自体は、俺のお年玉時代でもゲット可能でありました。とはいったものの、一品に12000円を使うなんて芸当は、どう考えてもありませんでしたな。キッズがコートを買うという発想もなかった、少なくとも俺にはありませんでした。

もちろん、俺のキッズ時代にも服装に大金をはたく素地を育んでいた友達はいましたよ。DCブランドといったハイカラな洋装を着込んだダチもいるにはいましたが、少数でしたな。少なくとも、12000円を安いと思う発想はなかった気がします。時代が変わったのか、俺がずれているのか??

俺はファッションセンスに対しては、素晴らしいものがある。形状からカラーまで、センスのないものを選りすぐる感性は抜群である。殺戮物の映像を提供するという点では、秀でている。今では瓦礫にうずもれてしまう凡庸なセンスに成り下がって?しまったが、素地は健在だ。

少し懐古する。敬体から常体に変わる。

大学入学が決まった高3の2月中旬から、大学入学の日までの1ヵ月間、俺は親友と一緒に土方をした。アスベストが問題視されだした時期の、アスベスト除去の拭きつけ作業の助手だ。プロレタリ~な香りがプンプンの現場で、俺たちは40日間、ひたすら身を石綿に捧げた。福井県への泊り込みの現場も経験した。多くの石綿を体内に吸い込み、40日後に手にした金は207500円であった。

俺は、手にした金が入ったパンパンの財布を首から提げ、ベースを買いに行った。68000円のベースとシールドを買った。ベースケースはもったいなく思ったので、紙袋に裸でベースを入れてもらった。
紙袋にむき出しになったベースを下げ、電車に乗るときの恍惚感と、徐々に感じる赤裸々な照れは俺の情操を見栄張りに育てた。

キャンパスに入るのだ。おしゃれをしよう! 俺は、見栄張りをモットーに、ロッケンローラーファッションに大枚をはたくことを決心した。俺は、大学に受かったらバンドをすることしか頭になかったのだ。ロッケンローラーになるために、猶予期間として大学を選んだのだ。

俺は、まず、ロッケンローラー御用達のエドウィンロンドンスリムという、ブラックジーンズを買った。ピタピタのルパンが履いたら似合うであろうジーンズである。6000円弱の大金を払い、家に帰って試着し、そのシルエットを見た時、俺はケツの肉付きを呪った。野球部引退半年後のボデーであり、ケツ筋はパンパンだ。ブッチャーがスパッツ履いたみたいな映像だ。殺戮の絵だ。

下半身のシルエットがだめなら、上半身で責める! そう決めた俺は、ファンクが流れる店で、色々物色した。吟味の末、俺は店内にある服の中ですごい確率の爆弾をチョイスしたみたいだ。パーカーだ。メイシオな香りはあるが、原色感が足りない。パーカーの色は黄緑である。ファンキーな香りはない。チューチューの原液みたいな色だが、着色料で侵されたキッズの色彩である。Pu-FUNKである。

足元は、ラバーソウルと決めていた。カブトムシ色のラバーソウルを買い、ドクロの首にかけるジャラジャラを買い、俺は鏡の前でフル装備した。黄緑とカブトムシと黒と光物の織り成すフォルムは、様式美である。しめて20000円以内のブルジョアファッションだ。取り合わせは化学変化し、公害を作り出す。見るものを咳き込ませ、イタイイタイさせる映像がそこにはあった。

しかし、当時の俺の認識は、違っていた。自らの化学変化に害されていた。真の被害者だ。

「無敵だ! この世の春だ! どっから見てもロッケンローラーだ!」

俺は得意げに、春の大学キャンパスを闊歩した。心なしか、色々な視線を感じる。髪型は毛量の少ないボブだ。ナウい。

数ヵ月後、俺は先輩から、「お前が入って来た時、俺らはお前の名前を覚える前に、「黄緑パーカー君」と呼んでたんやぞ。すごいインパクトやった。」と言われた。

俺は褒め言葉に思っていた。俺のロッキンな気配は周囲を圧倒していたのだ。やはりか・・・。

数年後、俺は、先輩の言葉の真意を知ることになる。真意は言葉にするとロッキンだ。ロックオンされる。俺は、この後、服はセンスある方々からの廉価で譲りうけるようになった。即金だ。

今では、俺のファッションセンスは、だいぶ磨かれてきている。10年近く服は買っていないが、それでも、このロッキンなトラウマ後に、センシブルな御仁から譲り受けた服の数々が、俺の今の装いだ。センスという塊の破片だけでも俺に洗脳してくれた御大に感謝する。

ファッションに関する感性の磨き方を、己の身で稼いだ金で学んできた俺からすれば、上記のキッズが、お年玉で買う12000円の服を安いと思う感性が、許せないのだ。おまけに、センスも良い。

今時のお年玉事情から、ファッションセンスのトラウマに思考がめぐり、キッズに対するジェラシーを感じる俺、まだまだ捨てたもんではない。ロックンローラーに必要な素質は、尖った感性だ。尖った感性を後押しするのは、視覚的ジェラシーだ。これがある限り、俺はロッキンできる気がする。

「黄緑パーカー」というなの渾名を身にまとった俺のトラウマと、キッズの裕福さと洗練されたビジュアルに対するジェラシーを同乗させながら、俺の2008年は、邪に過ぎていく。イッツロック!

2008年1月3日木曜日

連休終日

あっという間の4連休。明日仕事に行って、明後日は休みだが、家庭教師して、夜は新年会。そして明後日からは、ひたすら受験一色の日々に突入する。

よく呑み、よく食べ、よく遊んだ4日間であった。今日は、近郊の温泉に嫁と行った。街中にある、介護施設に隣接している風呂であり、休憩スペースも多く、あまり好きな佇まいではないが、湯の質が素晴らしいので、再訪である。

正月3日目ということもあり、たくさんの人で賑わっていた。駐車場の車の台数があまりにも多いのを見て、行くのをためらったが、駐車中の車から判断し、老人率が高いであろうことを俺は考慮し、「湯船に入っているのはこの車の台数の中の2割に違いない!」と俺は読み、湯浴みを決行した。

予想は的中。8割の人は、休憩所で、魂を抜かれた猿のような風体で、みかん食い食い、正月番組を白内障の目でショボショボさせながら見ていた。「持ち込みご遠慮願います。」の張り紙もなんのその、つかりまくった漬物や、みかんや、おかきをテーブルに広げ、口をパクパクさせながら、金魚体操をする婆さんの横で、爺さんは沈没していた。湯当たりというより、この世の晩年に当たっている感じの凹みぶりであった。

浴槽は2割しか入っていないので、それなりに快適な空間を保てている。それに高齢者は外気が堪えるのか、内風呂を好む。体内の刺激感度がゆるくなっている分、熱いお湯を好む。俺には願ったりだ。

地方都市の街中に無理やりこさえられた露天風呂ではあるが、芝生とガリガリの木が雅に配置され、それなりに和の心をかもし出している。湯ざわりは、有馬チックなタッチである。温度も少しぬるめで、外気に触れる半身浴だと、カラスの行水仕様の俺の体でも、長く入っていられる。

カラスが一羽、透垣みたいな外壁のてっぺんに止まって、こちらを見ていた。実に不味そうな鳥獣だ。
歴史ある名湯の開湯秘話には、よく獣が傷を癒していたことから、鉱脈が発見されたといった、エピソードがあるが、カラスが、傷跡を癒していたところに、いで湯があったという話は聞かない。
カラスは、不潔な気がする。あの黒さは、入浴嫌いに起因するのではないか? 羽のギッシュな感じは、頭髪ギッシュな輩と同じ発光である。近寄って見ようと思ったが、カラスの至近距離にいた翁がお湯をかけた。

「どっかいかれま!」  翁の頭と髭は見事な白色で、黄門使用だ。威光ある白色の翁と、黒カラスのハーモニーは、福音の香りがした。 手ぬぐいで顔を拭いて立ち上がった翁の肛門は脱肛していた。
俺は翁が作る湯流を遮り、石上に避難した。じ、じぃ~、何見せとんねん!

翁が去った後、俺は翁が陣取っていた芝生周辺に場を移し、再度湯船に浸かって、賀正の庭園を眺めた。今度はハトが一羽顔を出した。奴は芝生に降りてきて、その見事な文様を誇示するかのように、モデル歩きをした。俺の腹がなった。「美・美味そ~う。」 不覚だ。

そういえば、朝から「キャラメルコーン」を食しただけだ。平和の象徴を食そうと思う邪念を振り切るために、俺は奴に湯をかけた。奴は逃げる直前に、一瞬こちらに向かって飛び出した。襲撃の香りを感じた俺は、「逃鳩」した。キャラメルの祟りだ。風呂を上がり、Mドナルドで、チキン系のバーガーセットを頼み、車中で食した。祟りは食して終わるのだ。

結構雪が降っていたみたいで、道路わきには未踏の雪段がたくさんこしらえてあった。ふと見ると、雪に覆われた田んぼの中央部に、孤独な墓石があった。膝までは没する積雪の中で、来るものを拒むかのような墓石に俺は悲哀を感じた。遷の風を嗅いだ。「あなたのお墓の前までは行きようがありません。」

不謹慎な思考を戒めつつ、家に帰った。

連休が終わる。連休終日は、酒宴の儀式を執り行うのが慣わしだ。俺はアルコホールを鯨飲した。

俺の数多い職歴の中で、連休が終わる日の晩餐は、最後のミサといった、悲哀を帯びたものであったが、塾業界に入ってから、この感情は消えつつある。ふつふつとエナジーがわいてくる。

明日からは、受験一色の日々が始まる。黒か白か、線引きは残酷な世界だ。しかし、カラスVS白い翁の戦いのような、究極の対決ではない。一時的に染められる水性の戦いが始まるだけだ。長期的に見たら、なんてことはないのかもしれないが、彼らが、雪上に一歩を踏み出せるように、精一杯の介添えをしたいと思う。

もし、黒く塗られる運命の若人がいたら、俺は彼の色を落とす作業を優しくしてあげたい。決して湯をかけるような乱暴な真似はしない。

良い3が日を過ごした。新たなる活力を胸に秘めながら、脱稿する。

2008年1月2日水曜日

氷見街道を行く

毎年、年末年始のどちらかに訪れる日帰り温泉が、我が住む町の隣の氷見市にある。俺が富山に来て、最初に入った温泉であり、富山訪問をした友達を数多く誘ってきた温泉だ。

富山に来て13年、県内の日帰り温泉は、ほぼ行きつくしたと思う。ここよりも良い所はたくさんあるのだが、年末年始には、なぜか、ここを訪ねたくなる。カタカナ表記のキャバレーみたいな高級温泉宿の直営の温泉だ。500円也。

ここの温泉は、屋根と窓で囲われてはいるものの、露天風の石の浴槽があるだけで、洗い場も5人分、休憩所もソファーとマッサージチェアがあるだけで、昨今流行の大型天然温泉施設とは、大きく異なっている。いで湯といった佇まいで、実に良い。キャバレー風味の旅館名とのミスマッチがよろしい。

源泉が60度近いこともあり、水で薄めても、かなり熱めの湯である。色は、ヘラブナが住んでいそうな湖沼色。無色透明のお湯にはない、生臭さがあり、俺が温泉に求める全ての香りがここにはある。
薄い緑風味の色にはわけがある。ヘラブナは実は住めそうにない。黒鯛が住めそうな磯の香りがそこにはある。塩分が強烈なのだ。露天からは厳冬の富山湾が眺望出来る。

俺は、ここの湯には50回ぐらいは浸かっている。泉温が熱いので、夏場は敬遠するが、全く入らない年はない。泉質、佇まいも良いが、ここを定期的に訪れたくなる理由は、別にある。

俺が富山に来て、2年ぐらい経った頃、俺はこの温泉によく出入りしていた。毎週のように来ていた時があった。その時に、腕に刺青を入れた御仁を数回見かけた。彼の独特の佇まい、穏かさと狂気と疲労を含有した雰囲気に俺は圧倒されていた。ちょうど、俺が当時住んでいたアパートは、パチンコ屋の隣にあったのだが、そこでも数回見かけたことがある。

別に、彼に会いたくて行っていたわけではない。彼以外に刺青を入れた御仁も数人見たし、俺は刺青フェチではない。猟師町ならではの、家紋的刺青を入れた人もいる。色んな人種の人間が、湯船の中では寡黙に、自分の空間の中で、穏かに汗をかいている。窓枠から入り込む隙間風、窓から見える眺望、全ての映像が、俺には浪漫に繋がる匂いを感じさせた。

この年の夏ごろ、日本最大の組織、Y組のナンバー2が、震災のあった土地で銃殺された。後に刊行された狙撃犯の獄中手記によると、彼は、我が住む町に潜伏し、この温泉にもよく行ってたとあった。昼間はパチンコをしていたとも書いてあった。おまけに刺青に関するくだりもあった。

俺の脳裏に焼きついていた彼と、上記の彼が同一かはしらないが、同時期であったことは確かだ。
警察からも893からも終われる身となった犯人が、つかの間の平穏を求めた土地、そして、そのいで湯・・・。湯煙でかすんだ中で見た虎か龍かの刺青。年始に、熱い湯に浸りながら、色々と考えた。

氷見は、全国的なブランドとなりつつあるブリで有名なところだ。町全体に厳冬の海の香りが内包され、演歌が似合う町だ。定置網にかかったブリは「氷見ぶり」という名で築地などに出荷される。地元にはあまり出回らず、高級魚は都会で消費される。

「氷見ぶり」とはいうけれど、氷見沖でだけ取られたものではない気がする。どっか近県の海で取れたものでも、ブリは氷見に下ろすとブランドになる。「氷見ぶり」のフリをしているブリもいるかもしれない。カタカナがひらがな表記に変わると、そこにはブランドのシールが貼られる。大海を泳ぐ魚に、どこ産もくそもあったものではない気がするが、 日本海の北陸近辺の潮流と、ブリの回遊周期が、彼らの成長度合いとリンクして、1番美味い時期に水揚げされるのが、氷見のぶりだ。美味だ。

越中氷見方言の筆頭に、「きときと」という言葉がある。「新鮮な」といったニュアンスのある言葉で、氷見地方に限らず、越中でもっとも認知されている方言だと思う。ブリに冠する用法が多い。

狙撃犯の彼は、「きときと」であった幼少時代を回顧しながら、置かれている身のうえを考え、長くは続かない平穏のカウントダウンの中、この地での湯浴みに刹那の安らぎを覚えたのかもしれない。氷にはなりきれなかった心を見つめ、氷見の海上に、浮遊する自由なブリの幻想を描いていたのかもしれない。水揚げされる日は、すぐに来て、彼は今獄中で悲身を全うしているであろう。

俺は新年になると、「ぎとぎと」した体を清め、「きときと」でありたいと願う気持ちを抱き、この地の湯を訪れる。湯船にいる人たちの中にある、いくつもの人生。鳥羽で山川な香りをそこに嗅ぎながら、ラジオから流れる「厳冬富山湾」に耳をこらす。氷のような風が肌身を突き刺し、火照った体を冷やしてくれる。磯の香りを嗅ぎながら、湯に浸り、氷見街道をゆっくり帰途につく。

「きときと」と「ぎとぎと」、清音と濁音は紙一重だ。海辺の湾道を回遊しながら、無縁に思える人の人生に何かを感じてみるのもたまにはいいだろう。清濁併せのむのではなく、濁に対しては傍観者でいたい。

「潮の香で、ぎとぎとなる身 流しけり 他海のぶり見て 我がふり治す」(「まえけん全集」第5巻 「清音のふりするぶりっ子」より引用)

2008年1月1日火曜日

ネズミ年始まる。


あけましておめでとうございます。何が愛でたいのかわからないのですが、慣習になっているこの言葉を普通に吐ける新年が来たことを嬉しく思います。ネズミは厨房にいたらMナルドみたいに叩かれますが、絵やキャラクターにしたら可愛いですな。どぶネズミからハムスターまで、清醜ごっちゃまぜにしたネズミ年の始まりですよ。


このブログは、まだ3ヶ月ちょいですが、今年も継続して、日々綴っていきたいと思います。雑文、乱文、独りよがりの偏文、オヤジギャグ満載の恥文、感情の高まりを包み隠さず吐露した酔文、身近なことをたいそうに述べた痴文、パターンは色々ですが、今年の年末に、「今年も色々あったな~、ガッハッハ~!」と、大笑い出来るだけの嵩を蓄えていきたいと思っています。今年もよろしくでございます。

富山の新年は雪景色です。といっても、しょぼしょぼですが、待ちに待った冬将軍の到来。上記の写真は、我が家の二階からの写真でございます。都会でも見かける雪化粧程度ですが、やはり雪が降ると、世界が明るくなりますな。
今日は、近所の神社に、徒歩で、てくてく初詣です。地元の人しかこない、混雑とは無縁の所ですが、午前中の雪中の散歩は楽しかったですな。
といっても、別に何かに祈る気はないのですが、新年の新たな幕開けに、そこにぱらぱらと集いだす人たちを見ていると、僕の中に多少はあるであろう、清い心が顔を出し、穏かな時間でした。
神社内では、町内の高齢の方々が、畳に胡坐をかいて、初詣客にお愛想いいながら、ポン酒をキメキメで、浮遊した笑みを絶やさずに垂れ流してくれていました。町内の参拝客の中では、若手に属する我ら夫婦は、「ま~、一杯飲んでかれませ」の言葉の応酬をさらりとかわし、坦々と詣でを済ませました。
それにしても、キメ翁が回りに垂れ流す匂いは、なんとも言えない芳香ですな。臭い部類に間違いなく属するのですが、俺は好き。死相と歯槽と、畳と木材がかもし出すハーモニー。トレンドではないが、フレンドだ。生涯の友にして、自分もいつか、この匂いを出せたらと思いました。
町内の絆が機能している、今50代以上の方々と比べ、我らの世代は、どうも異邦人的な視点で接してしまい、本当は、町内にどっぷりつかるのもありなのかとは思うのですが、距離を置いてしまいます。
都会で育った僕は、町内の目線が機能する時代の末期を生きてきたので、町の中での時に暖かく、時に非常で、時に守ってくれ、時に阻害する、良くも悪くも自分を支配する第3のコミュニティーに対して、少し敬遠してしまいます。もう少し、距離を縮めようと思います。
あと10年もすれば、郷土の人的交流は、田舎でさえ、消滅していくのであろうな~という感慨に浸り、上記のキメキメ翁を清く思いました。
神社内の敷地では、縄や新聞紙や薪がたくさんくべてあり、火の粉が舞っていましたが、その匂いのなんと良いこと・・・。胸いっぱい吸いまくり、宝くじと書店くじの外れ紙を中にぶち込んできました。
焚き火の匂いをかぐと、五右衛門風呂に入りたくなりますな。大分県の爺さん家が、僕が小学時代は、五右衛門風呂だったので、薪を入れて、火の番をするのが楽しくて楽しくて・・・。匂いは愛しい記憶を蘇らせてくれますな。新年早々良い匂いを嗅ぎました。
それにしても、穏かな年始だ。穏かな状態を俺は今まで欲しておらず、常にとんがりコーンで世間と対峙してきたけれど、心の中にあるこの突起物は、この穏かさがあるからこそ、内に鋭角の隆起をみせるのではないかと思いました。良い年明けでありますよ。
今年は、劇的なことはなくたって良いので、幕間の時間に、映し出される光景に敏感に、平穏な中に刺激に満ちた味覚を楽しんでいきたいです。幕の内弁当はガッツがなさそうですが、平穏な中にあるスパイスに気付くことが出来るようになった今だからこそ、その刺激を味わえると思います。
毎日、五感で味わう中庸なものに、研ぎ澄まされた穏かな精神で向き合って、それを音楽や、文字で形にしていけたら幸せですな。今年もよろしくお願いします。