2008年1月4日金曜日

Rock in rubble ①

Rock in rubble  ・・・ 「瓦礫の石ころ」とでも訳しましょうか。実にダサいタイトルですな。ダサいのは得意ですよ。シリーズ化しようかと目論んでいて①と付けました。見れば見るほど、発音すればするほどダサい・・・・。好き。

新年一発目の開校日、案の定、お年玉で私腹を肥やした(使い方変やな)、若人が、お年玉で買ったであろう、きらびやかな服装で来塾しておりました。今時のお年玉相場は、ジェラシーが入るので、詳細には聞きませんが、どう見ても、平均的30代の小遣いの倍くらいはあるような気がします。
どいつもこいつも、いいオべべ着てるのなんの・・・。

おまけに、平成生まれのキッズときたら、足は長いし、顔は小さいし、髪の毛の生え際美しいし、昭和と平成の間には、確固たる欧米化の境界がございますな。

生徒が、購入したコートを自慢していた。

生徒A: 「このコート12000円やったがいぜ!」     (俺:自慢するところがかわいいの~。)
生徒B: 「うそ? 安くないけ?」               (俺:What?)

ジュニアハイスクールキッズが、12000円を安いだ~~~~!????
俺は、この時点で、ジェラ的発情によるめまいを感じましたな。

12000円自体は、俺のお年玉時代でもゲット可能でありました。とはいったものの、一品に12000円を使うなんて芸当は、どう考えてもありませんでしたな。キッズがコートを買うという発想もなかった、少なくとも俺にはありませんでした。

もちろん、俺のキッズ時代にも服装に大金をはたく素地を育んでいた友達はいましたよ。DCブランドといったハイカラな洋装を着込んだダチもいるにはいましたが、少数でしたな。少なくとも、12000円を安いと思う発想はなかった気がします。時代が変わったのか、俺がずれているのか??

俺はファッションセンスに対しては、素晴らしいものがある。形状からカラーまで、センスのないものを選りすぐる感性は抜群である。殺戮物の映像を提供するという点では、秀でている。今では瓦礫にうずもれてしまう凡庸なセンスに成り下がって?しまったが、素地は健在だ。

少し懐古する。敬体から常体に変わる。

大学入学が決まった高3の2月中旬から、大学入学の日までの1ヵ月間、俺は親友と一緒に土方をした。アスベストが問題視されだした時期の、アスベスト除去の拭きつけ作業の助手だ。プロレタリ~な香りがプンプンの現場で、俺たちは40日間、ひたすら身を石綿に捧げた。福井県への泊り込みの現場も経験した。多くの石綿を体内に吸い込み、40日後に手にした金は207500円であった。

俺は、手にした金が入ったパンパンの財布を首から提げ、ベースを買いに行った。68000円のベースとシールドを買った。ベースケースはもったいなく思ったので、紙袋に裸でベースを入れてもらった。
紙袋にむき出しになったベースを下げ、電車に乗るときの恍惚感と、徐々に感じる赤裸々な照れは俺の情操を見栄張りに育てた。

キャンパスに入るのだ。おしゃれをしよう! 俺は、見栄張りをモットーに、ロッケンローラーファッションに大枚をはたくことを決心した。俺は、大学に受かったらバンドをすることしか頭になかったのだ。ロッケンローラーになるために、猶予期間として大学を選んだのだ。

俺は、まず、ロッケンローラー御用達のエドウィンロンドンスリムという、ブラックジーンズを買った。ピタピタのルパンが履いたら似合うであろうジーンズである。6000円弱の大金を払い、家に帰って試着し、そのシルエットを見た時、俺はケツの肉付きを呪った。野球部引退半年後のボデーであり、ケツ筋はパンパンだ。ブッチャーがスパッツ履いたみたいな映像だ。殺戮の絵だ。

下半身のシルエットがだめなら、上半身で責める! そう決めた俺は、ファンクが流れる店で、色々物色した。吟味の末、俺は店内にある服の中ですごい確率の爆弾をチョイスしたみたいだ。パーカーだ。メイシオな香りはあるが、原色感が足りない。パーカーの色は黄緑である。ファンキーな香りはない。チューチューの原液みたいな色だが、着色料で侵されたキッズの色彩である。Pu-FUNKである。

足元は、ラバーソウルと決めていた。カブトムシ色のラバーソウルを買い、ドクロの首にかけるジャラジャラを買い、俺は鏡の前でフル装備した。黄緑とカブトムシと黒と光物の織り成すフォルムは、様式美である。しめて20000円以内のブルジョアファッションだ。取り合わせは化学変化し、公害を作り出す。見るものを咳き込ませ、イタイイタイさせる映像がそこにはあった。

しかし、当時の俺の認識は、違っていた。自らの化学変化に害されていた。真の被害者だ。

「無敵だ! この世の春だ! どっから見てもロッケンローラーだ!」

俺は得意げに、春の大学キャンパスを闊歩した。心なしか、色々な視線を感じる。髪型は毛量の少ないボブだ。ナウい。

数ヵ月後、俺は先輩から、「お前が入って来た時、俺らはお前の名前を覚える前に、「黄緑パーカー君」と呼んでたんやぞ。すごいインパクトやった。」と言われた。

俺は褒め言葉に思っていた。俺のロッキンな気配は周囲を圧倒していたのだ。やはりか・・・。

数年後、俺は、先輩の言葉の真意を知ることになる。真意は言葉にするとロッキンだ。ロックオンされる。俺は、この後、服はセンスある方々からの廉価で譲りうけるようになった。即金だ。

今では、俺のファッションセンスは、だいぶ磨かれてきている。10年近く服は買っていないが、それでも、このロッキンなトラウマ後に、センシブルな御仁から譲り受けた服の数々が、俺の今の装いだ。センスという塊の破片だけでも俺に洗脳してくれた御大に感謝する。

ファッションに関する感性の磨き方を、己の身で稼いだ金で学んできた俺からすれば、上記のキッズが、お年玉で買う12000円の服を安いと思う感性が、許せないのだ。おまけに、センスも良い。

今時のお年玉事情から、ファッションセンスのトラウマに思考がめぐり、キッズに対するジェラシーを感じる俺、まだまだ捨てたもんではない。ロックンローラーに必要な素質は、尖った感性だ。尖った感性を後押しするのは、視覚的ジェラシーだ。これがある限り、俺はロッキンできる気がする。

「黄緑パーカー」というなの渾名を身にまとった俺のトラウマと、キッズの裕福さと洗練されたビジュアルに対するジェラシーを同乗させながら、俺の2008年は、邪に過ぎていく。イッツロック!

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