2008年10月31日金曜日

シーズン1終了

今日は退院後初の検診日だった。昨夜もほとんど眠れずに、半べそかきながら病院に行った。ドキドキ、バックンバックン、高鳴る胸、死刑判決のような気分で眼圧を測って検診を受ける。

眼圧は左目12の右目20で、ぎりぎりセーフ! 手術直後にしてはリミットぎりぎりの数字で、2年以内の再手術もあり得る状態であり、決して楽観はできないのだが、まだ抜糸前であり、それが眼圧上昇の原因になっている部分もあるので、当面の再入院予定はないとのことだった。

「未来の苦より目先の楽」が俺の人生モットーだ。また手術しなければならなくなったら、その時悲しむことにして、とりあえず社会復帰許可を頂いて、診察後はルンルン気分で帰路につく。久しぶりにスキップして、躓きそうになったが、それくらい気分良かった。

昨日は不安で眠れなかったのをいいことに、不安を紛らすためという動機で「24(シーズンⅠ)」を全巻レンタルしてくる。じっくり味わうつもりだった。一気に見るのではなく、1週間かけて、ゆっくり見よう! そう思っていた。まして目の酷使はよくない。

だが俺は猿だ。夢中になるものがあったら、無くなるまでひたすら没頭する。呆れたことに、昨夜半までと、今日の昼からで、なんと残り1時間まで見てしまった。普段1時間以上テレビを見ることも稀な俺が、強烈な目の酷使だ。何をしておる!>俺!

でも結果オーライ。俺の眼は傷持ちながらも今日から出所だ。俺の眼をよしよしする。
残すは23時からのみ。この後ゆっくり見る。

ほんまに面白い。ヒッチコックサスペンスがずっと続いているかのような状態で、1つ1つのセリフ、表情全てから目が話せない。「24」を見ていない人にはまったく意味がわからないだろうが、俺は完全な虜、中毒である。

「ジャック・バウワーの顔あんまりよくないな~、強そうじゃないな~。ちゅうか、こいつ無茶苦茶しよるな~。」

「妻テリーは単純で、娘キムはさらに単純。超KYのクソ娘・・・ジャックも親ばかやの~。」

「トニー・アルメイダは小島よしおに似ているな~。」

「パーマー議員の嫁が最悪やな~。デビルやで! どっかの監督さん夫人、Nブ子みたいやな~。」

といった具合に、種々の感想を抱きながら、夢中になって見ていたのだが、終盤にきてかなりショックなことがあった。

ジャック・バウワーを支える二―ナさん、彼女の献身ぶりと機転など全てが、全キャスト中1番のお気に入りだったのだが、最後に来て、何だかセリフや表情が変だと思いだした瞬間に、なんとドイツ語でぺらぺらと・・・。ス・スパイ???

眼圧が上がったのがわかるほど衝撃を受けた。むっちゃショック・・・。最後を見るのが怖い・・。ニーナ、そりゃないで~~~~! 

仕事せずに、菓子をボリボリ食いながらのDVD漬け。 こんな時間の過ごし方は人生初めてだ。だが、昨日までの世捨て人気分もどこへやら、気分よく今の時間を余暇として据えて満喫できた。ほんま俺は単純だ。

ただ、調子にのっていたら、必ず目の神様の逆鱗にふれるので、今日はゆっくり寝ようと思う。寝るときには、冒頭の写真のように、銀のカバーをあてて目を保護している。回復期は目がかゆくなるので、かかないようにするための保護板だ。

これが実に仮面ライダーだ。なんか罰ゲームみたいな保護板だが、あと1週間ははめないといけないらしい。お医者様の言うことをよく聞いて、仮面ライダーコスプレ睡眠を厳守したい。

もう、目のことは書かない。今日で闘病シーズンを終え、明日からシーズンⅡに入る。次はどんな災難が待っているやら・・・。でも明るいブログを書きたいものだ。

長いシーズンⅠが終わろうとしている。



2008年10月30日木曜日

病み上がりの24目覚め

退院後の自覚症状としてはそれなりに順調であり、体調も万全であるにも関わらず、自宅療養している現況・・・、かなり退屈だ。退院後の検診が明日に控えているので、仕事復帰もそれ次第であり、もし再手術となれば再びのリタイアになる。そのため、今週は仕事復帰を見送っている。順調に来週月曜日から仕事復帰できればよいのだが・・・。

社会と接点を持って暮らしていないと、なんだか不安になる。昨日も健康診断で外に出たが、活発な世の中の動きを眺めていると、無性にむなしくなってくる。1人きりの時間、こんな時にしかできないことを満喫できればよいのだが、何をしてもすぐに眼精疲労がきて、はがゆい思いの連続だ。

1日5回の点眼だけを着々とこなすだけの日々は創造性も何もあったもんじゃない。音楽をじっくり聴いて楽しめるのも、仕事を終えた余暇の時間だからこそ楽しめるのであって、仕事もしない状況では、色んな邪念が頭にわいて、音楽に集中出来ない。あと少しの辛抱であってほしい。

今朝の地方新聞を見ると、県内の公立病院の決算が出ていたが、軒並み赤字であり、累積赤字もえげつない金額に膨らんでいる。どの公立病院も、行ったら行ったで混雑していて、どう考えても繁盛?しているようにしか見えないのだが、実態は赤字の垂れ流しみたいだ。

個人開業医が設けていない、緊急医療や特殊な医療設備なんかは、採算度外視のものであり、地元の医療の期待が高ければ高いほど、医療設備投資なんかの負担が重くのしかかるのだろう。

おまけに、今の医療体制では慢性的な医者、看護師不足であり、この人的体制が整えば、もっと累積赤字は膨らむであろう。構造的に歪んでいるとしか思えない。

公的医療設備、体制を充実させることは、税金の投入先としては最優先事例であり、累積赤字がいくら膨らもうが、補填すればいいだけの話にも思えるのだが、夕張市みたいに財政破綻する予備軍的な地方財政状況では、垂れ流しに目をつぶるわけにはいかないのだろう。

選挙用の公約で、減税なんかの聞こえが良い話ばかりをちらつかされているが、しょうもない減税なんかで散財する余裕なんてあるのだろうか? 構造的な歪みに気づかない操縦士がはびこる現況は、世紀末なのかもしれない。

国家財政は苦しいと言う。医療費、年金の拠出金が不足しているとのプロパガンダがなされる。だが、本当だろうか? 本当にお金がないならば、官僚の仕事ぶりももっと変わる気がするのだが、彼らは自分たちが潤沢に使える金がないから、国家財政の窮状をこしらえて謳っているだけなのが見え見えである。

会社の経営が苦しいと言いながら、道楽にまみれる無能経営者の会社みたいな国家体制が今の日本だと思う。

キャリア組みの人たちは、勉強は出来るかもしれないが、人間として本当の意味で頭が悪い人たちが多い気がする。致命的だ。哀れみたくなるくらいの頭の悪さだ。

あまり、この手の不満を引き篭もりの状態で吐露するのは不毛なので、この辺でやめよう。

目を休め休めしながら、今更ながらに、「24」シリーズを初体験する。むちゃくちゃおもろいやんけ! 新たなおもちゃを与えられた子供のような心境で、明け方4時までの4話を見た。

1回が40分くらいなので、遠くから見ては休み、また見るの繰り返しを昨日からしている。
目を全く使わないのもいけないので、適度なリハビリ気分である。40分見ては10分目を閉じるの繰り返しだ。

「24」シリーズは、最近、ジャック・バウワーをパロったお笑い芸人を見て知ったという、映像ネタオンチの俺だが、さすがアメリカ、これがテレビドラマかい!と思うスケールのでかさ。

今まで見なかったのが不幸だ。Ⅰのまだ明け方なので、これからまだまだ楽しめる。社会復帰した後にも、当分は余暇の時間を割く事になるだろうと思う。

以前から、嫁に連れられていったビデオレンタル屋で、やたらコーナーを占有している「24」シリーズを見たことはあったのだが、まったく何物かも知らなかった。ヤクザ映画しか見ない俺にとっては、まともな映像への目覚めとなるシリーズかもしれない。

何をしてるねん!?>俺   おいてきぼり気分を抱きながら、いまさらながらの「24」目覚め・・・。

色んな意味でまだ病み上がりだ。 明日は検診の裁きを受けに行って来る。24時間以内に救出して欲しい。

2008年10月29日水曜日

健康診断に行く

今日は昼から健康診断に行って来た。退院直後であり、健康もなにもあったもんじゃないが、市が補助してくれる格安検診が今月末までになっていたので、受けなきゃ損の気持ちで行ってきた。

40未満は、市の補助がある検診は人間ドッグはないので、胃カメラも飲まなけりゃ、CTも受けない。血液検査、尿検査といった平均的な検診だが、それでも受けてよかった。院長先生が古風な方であり、昔ながらの聴診器と、手をコツコツあてる触診を丁寧にしてくださった。

カルテにはドイツ語で書していて、そういえば、最近はドイツ語でカルテを書く医者も減ったなあと思った。渋い医者の渋い診察だが、「採血結果は2週間後ですが、問題ないと思います。」との診察に胸をなでおろした。

個人的には、人間ドッグには否定的である。 人間ドッグを受ける回数が多い人ほど健康を害しているのではないかと思う偏見がある。微量とはいえ、あれだけ放射線を浴びていれば良いはずがない。また、バリウムなんかを体内に取り入れることの方が問題な気がする。あれはコンクリートみたいなもんだと思う。体内に生コン流したらあかんやろ?

重大な病気の早期発見のためという名目で人間ドッグが奨励されるが、人間ドッグを受けた回数とガン等の発病率を統計でとったら、人間ドッグ受診回数と発病率は比例するように思うのだがどうだろうか?それよりも名医による触診と検査数値を読む眼力を信じたいと思う。

重大な病気を発見するための人間ドッグが、重大な病気の進行を加速させる働きをしていないか?という不信感がある。発見のために体に負荷をかけるくらいなら、原点に戻って健康維持の視点を強くもつことの方が大事な気がする。

体重、体温、血圧をセルフチェックしていくといった基礎的なことを着々とこなして健康維持をすることのほうが、人間ドッグで裁きを受けるだけの受動的な健康確認よりも前向きである。そして、年に1、2回、血糖値、LDLコレステロールなどを測定したらいいと思う。

シンプルに健康のバロメーターをセルフチェックできる環境をこれから整えたいと思った。
例えば、毎日一定の距離を歩く。その時の疲れ方など体が訴える声に耳を傾け、それの原因、適切なケアをしていく。毎日の同じ動作であるから、そこに負荷のかかり方が違うならば、どこか他の部分で無理があるものと推測される。それを1つ1つ自己吟味して解決していくのだ。

暴飲暴食はなかったか、よく眠れているか、心労は増えていないか、といったことをセルフチェックしながら、生活習慣をマイナーチェンジしていくのだ。

定期的に健康について目覚めては、目先の患いが消えたらすぐにまた体を労わらなくなる繰り返しが俺の日々だが、今回は、さすがに健康に過ごすことについて、今までよりは深く考えることができているような気がする。

今月号の「文藝春秋」に日野原重明さんの講演録が載っていたが、その中で感銘を受けた言葉があった。

「寿命とは、例えば百歳までと期限を与えられて、手持ち時間を削っていくものではない。寿命という大きな空っぽの器に、自分で使える時間を懸命に生きて、その生き生きとしたもので中身を埋めていく。というのが私の命のイメージです。」

100歳を目前にした御大の実に奥深い言葉である。同じようなイメージを抱きながら今後を処したいものだ。

一口に長生きといっても、高度医療の利器を借りて、寝たきりのような延命での寿命を長生きとは言わないと思う。毎日、自分の意思で生の悲喜こもごもを存分に体感して過ごす日々の数が年輪だ。精力的に動ける日々が長生きの大前提となる。

車のオイル交換をこまめにして車の寿命を延ばすように、自己の体もしっかり労わって過ごして生きたいものだと思う。

京都の今頃は、紅葉の見ごろであろう。観光地としての賑わいが、景観の素晴らしさを消し去ってしまうリスクがある京都であるが、タイミングとスポットを間違えなければ、震えるほどの感動に出会うことも出来る。

22歳の頃に、嫁と行った嵯峨野の竹林と、それを抜けた先にある落柿舎の紅葉が未だに忘れられない。俺たちが訪問している間だけ、ちょうど観光客が途絶えていて、ひっそりとした舎の中を存分に味わった。至近距離からの鑑賞を終え、帰路についた後、遠くから振り返り見た舎の光景は、写真にも収めたが、それを見たいと思わないくらい、俺の記憶に素晴らしき映像として焼きついている。

1つでも多く、絶景を眼で捉え、それを頭の記憶貯蔵室に豊かに保管したいものだと思う。素敵な映像記憶が発酵し、その醸成の上に新たな映像を重ねていく。一期一絵の景観との出会いが、新たな一期一会をより深く味わうための素地を作り、感動レベルを粋で雅なものに変えてくれると思う。

幸いにして俺の臓器は今のところ正常だ。眼の不調が気がかりだが、現状を維持することは可能だと思う。十分に機能した臓器と、感覚器官全てを使って、自然のあらゆる恵みを体中で味わいたいと思う。

最近、老人チックな悟り調のブログが続くが、今はそういう時期だから仕方ない。健康を賛美する。

2008年10月28日火曜日

奇妙な体験

入院する前の話だ。眼科に通院していて、緑内障の悪化で手術をしなければならないことが確定した日の話だ。

午前中に手術確定の宣告をされ、凹み気分で職場に向かった。まだ生徒には授業を振り替える旨、代講を頼む旨なんかを話すまえのことであったが、授業終了後、中1の生徒が俺にお土産なるブツを持ってきてくれた。

何でも金沢に家族で遊びに行った時に、変わったパッケージのジュースが売っていて面白かったので、俺に買って行ってあげよう!と、小遣いから買ってくれたドリンクだ。それを得意げに俺に渡してくれる。「これ、飲まれ!」

何たる優しい気持ち、よく生徒から施しを受けるのだが、毎度のことながら嬉しいものである。

だが、今回はタイミングが悪すぎた。「目玉のおやじ汁」と書かれた缶には、眼球がアップされた、ゲゲゲの鬼太郎妖怪が載っているではないか?

生徒は俺が入院することはもちろん、目を患っていることすら全く知らない。そんな話題が以前に出たこともない。まったくの偶然で、好意による贈り物、差し入れだ。だが、俺は缶を見た時の衝撃がでかすぎた。「あ、ありがとう。」と必死に笑顔を作りながら、タイミングの悪さに震えた。

「何でよりによって目玉やねん!」 

嫁も同日に、目にまつわるタイミングの悪さを痛感していた。嫁はホテルの総務部にいるのだが、勤続15年目にして初めての体験をこの日にした。

調理の人がどうしてそうなったか、詳しくは知らないのだが、その日に目に事故を負い、労災の手続き用紙を嫁にもらいにきたらしい。ホテルの調理であるから、種々の労災処理なんかは以前にもあったみたいだが、目の災害は初めてであり、それがよりによって俺の手術が確定した日にあったらしい。

お互いに仕事が終わり、家で、「なんか目~、呪われてるんちゃうか? こわいな~」って話をしていた時に、テレビでは、「「傷害によって失明した人の報道がなされていた。眼球がテレビにアップされたのだ。

俺はテレビを見るほうではないし、せいぜい夜飯時のニュースくらいなのだが、ニュース報道で「失明」なる言葉が出る頻度は、限りなく低いと思う。それが、俺たちがその日の奇妙な目にまつわる体験を話していた時に出たものだから、何だか空恐ろしくなった。

タイミングの悪さというか、目に関する偶然は続く。

俺がK大学付属病院に入院中に、大阪からおかんがお見舞いに来てくれた。兄貴がK大学卒だったこともあり、おかん自身もKに知り合いがいた。その知り合いの家に泊めてもらいながら、お見舞いをしようという算段で北陸に向かったらしい。

すると、何たる偶然か、おかんの知り合いの娘婿さんだかが、俺と同じ病院の同じ階に同じく目の疾患で入院していたのだ。おかんとおかんの知り合いは、一緒に車に乗って、お見舞いに来たらしい。久々の再開が、それぞれの子供の目患いの入院見舞いになったみたいで、おかん自身も驚いていた。

偶然と言ってしまえば偶然だ。だが、「偶然なんてものは存在せずに、全てが必然である」と唱える学者もいるみたいだし、そうなると今回の目に関する種々の出来事は、俺の人生の中で必然たることなのかもしれない。

だとしたら、その必然は、どういった意味を持っているのか? 必然に意味を見出したくなるのは人間の性質である。この時期に、目に関しての多くの必然が降りかかってきたことの意味とは??? 

考える作業は楽しいが、徒に思考展開するのがいいとも思わない。意味がわからなきゃ、運命として、割り切りの土俵に乗せる。  なるようになるさ ・・・Que Sera Sera  だ。

そういえば、入院中は SLY & THE FAMILY STONE ばかりを聞いていた。 Whatever Will be、Will be  とつぶやきながら、楽観的思考の行き先に思いをはせていた気がする。 

奇妙な体験であった。

2008年10月27日月曜日

大学付属病院

よく寝た寝た。久しぶりの熟睡だ。一昨日までいた大学病院の寝床では考えられないほどの深い眠りをとることができ、入院疲れも吹き飛んだ感じだ。まったく上がらなかったテンションも、復調の気配。久しぶりにギターも弾いた。

俺が入院したのは、大学付属病院だったが、今まで大学病院に抱いていたマイナスイメージは、ありがたいことにことごとく吹き飛んだ。

まず、担当の先生がとにかく心ある方で、大学内では助教授という立場なのだが、権威主義的なところがまったく感じられず、患者本位ですごく熱心な先生だった。

担当医師が決まる前に、教授による診察があったのだが、その場は予想通りの大学病院診察模様であり、とにかく憂鬱だった。ずらりと並ぶ医者の卵を前にして、患者の俺に話しかけるというよりは、「この方は~という症状だ。考えられるのは何?  あは、と君たちに聞いてもわからないよね。」と言いながら、専門用語連発で病状を説明し出す。説明は患者に向けられたものではない。俺は完全なる実験モルモットの存在であり、医学部の見習いの態度もどうも気に食わなかった。

俺にしてみれば何が起こっているのかわからない状況で、各種検査担当に引き継がれた。
「これだから大学病院は嫌なんだ。逃げたろうか?」と、すね気味で検査を受けていたのだが、大方の検査が終わったところで、担当医師が挨拶に来てくれた。

俺のすね心は一瞬で吹き飛んだ。説明がすごく丁寧であり、リスクや現代医学の限界、人間が行う手術の限界なんかも包み隠さず話してくださり、その上で、今手術しないといけない旨を懇々と話してくださった。俺はこの先生なら手術を安心して任せられると思った。

手術中も優しかった。医者としての厳粛な態度はあるのだが、患者に対する配慮があった。
「は~い目を開けてください。 もしもし? 目を開けないと手術できないよ。」と優しく話しかけるお医者様。

「先生、目~開いてないですか?」と俺が聞くと、「開いているのは口やわ。 覆いの上からでもわかる。ちゃんと目を開け~。痛くないから。」と優しく返してくださる。

思いの他時間がかかった際にも、「ちょっと長くなってしまって申し訳ない。でも手術目的は果たせました。」とおっしゃった。そして、今後考えられるリスクなんかも再確認してくださった。 医学題材として患者を扱う医者が多いイメージを抱いていた大学病院だが、認識は大きく変わった。担当医師に対するイメージが良かったせいか、術後に冒頭の教授診察を受けた時には、初見時のようなマイナスイメージはなくなっていた。真剣に患者を検診する医者としての優れた眼がそこにはあった。

大学病院に対して抱いていた俺のイメージが偏見だったのか、たまたまここの大学病院が素晴らしかったのかはわからないが、少なくとも俺は今回の治療に対しては満足している。

俺の担当の先生だが、俺が入院中はずっと朝晩の検診をしてくださった。朝は7時頃に診察。夜は19時頃に診察。月、水、金と昼間は外来病棟で診察をされ、火、木は手術をされる。土日も検診されていたので、おそらく休みという休みは限りなく少ないのだと思う。
おまけに、緊急手術、当直、学会出張なんかもあるので、勤務時間は想像を絶する過酷さだと思う。

その中で患者に対して真摯に向き合える精神というのは、並大抵ではないと思う。秀でた人間として、選ばれた方だな~と思った。俺が手術を受けた日は両日ともに、俺は4件目の手術だった。1日中手術をする日が週に2、3日あるのだ。そして手術後はすぐに検診に入られる。いつ休息をとっておられるのか不思議だった。

ちょうど入院中に、東京の妊婦が救急病院からことごとく受け入れ拒否をされて死亡するといった事件が報道されていた。受け入れをしようにも当直医が1名しかいない状況での、大臣と都知事の責任のなすりつけ合いは、聞いていて醜かった。

これだけの激務があらゆる担当医の間で日常的に行われているのだから、医療体制の充実は急務であると改めて思った。医者不足が深刻化している現状は、俺の担当医の勤務状況を見れば納得できる。お医者さん自身の健康が心配になってくる。

おまけに、開業医と違って、公務員的な国立大学病院のお医者さんたちの給料は思ったほど高くないらしい。

社会保険庁の一部の犯罪者達のように、人の金を公的に搾取している奴がのさばって高給を得ている状況に比して、勤務医の給料の少なさは国家的に改善すべきだと思う。今の5倍くらいの給料を税金からあげてもいいのではと思う。

エリート職種の医者であるが、その仕事に対する使命感と哲学をしっかりもたれて、結果的に高給をとる方もおられれば、最初から金儲けにベクトルが向いている人もいる。一口に医者といっても、目指す専門、勤務形態をはじめとして多様である。

医者としての技量に才能なんかも関係するのかもしれないが、最終的にはその人の人柄が全てであると思う。専門領域の知識は、嫌でも一定ラインまでは身につくと思う。あとの医者の技量を支配するのは、その精神的な懐の深浅だ。患い気分の心をまず癒せずして、西洋医学だけの治療もくそもあったものではない。

本当に優れた医師は、西洋医学として医学の先端にいながらも、「病は気から」という、科学を超えた力の大きさも知っておられると思う。人間としての懐の深さが、科学に対して謙虚な姿勢をうみ、限界を知るからこそ賢く科学を使いこなせるという逆説を生んでいると思う。この逆説の体現者が名医であると思うのだ。

俺が入院した大学病院は、「人間性を重視した質の高い医療の提供」を基本方針として掲げていた。その言葉に嘘はないと思う。看護婦さんも含め、あらゆる治療と看護が、杓子定規ではない、生身の人間対人間のケアであったと思う。よい病院と縁が持ててよかったと思う。

2008年10月26日日曜日

退院

15日からの緑内障手術による入院生活を終えて、本日退院した。当初の治療計画書には、3、4週間の入院予定と書かれていたので、大幅に早まっての退院だ。
ただ、まだ眼圧が安定していないので、右目に関しては再手術の可能性もあり、今週1週間の経過観察で処置が下ることになる。

「緑内障」といっても色んなタイプがあり、未だに原因が何であるか特定できない病気であるが、俺の場合は、手術しなければ3ヶ月以内に両目共に失明、手術以外の治療は現時点ではないとの宣告を受けたので、無条件の手術となった。

15日に入院、16日に右目を、21日に左目を手術した。詳しい入院中や手術の詳細は、今後、緑内障治療をされる方の参考になるように記したいとは思っているが、今日の時点では思い出したくもない恐怖として手術体験があり、まだ振り返りたくはない。

改めて、俺はびびりであると自覚した。何人も目の手術をしている人がいたが、どの人も淡々と手術に向かい、術後も明るく元気であった。

一方、俺はだめ・・・。血圧は異常に高くなるわ、汗が異常に噴出すわ、看護婦泣かせの患者であった。「息苦しい~」「頭痛い~」「眠れへん」「腰痛い~」など散々言って、挙句の果てに手術室に向かう直前に「こわい~」と駄々をこねた。

術後はショックによる体の強張りで筋肉痛になった。体が興奮状態にあり、術後も全く連続睡眠が出来ない。食欲はないし、便も出ない。目の出血がなくなるまでは寝る時も座位でいなければならなかったのだが、一日中ベッドに座して、かすんだ目と眼帯に覆われた目でぼ~っとしている状態が続き、時間の経過が人生最高に遅く感じた。

右目を手術して、その恐怖を抱えたまま、再び5日後に左目を手術したのだが、特に2回目の手術前夜はパニックで過呼吸にまでなってしまった。

どうして、他の患者さんがあれほど平静を保っていられるのかがわからなかった。病室内でも穏やかに寝息をたてているし、看護婦さんとの受け答えも快活である。俺はひたすらロー・テンション、魂を抜かれた人間のようであった。

糖尿病原因で目の手術をされている方が多く、同じ病室内にもおられたが、毎日血糖値を何度も測り、インスリンや食事療法などで微調整している。俺と同じように目を手術しているのだが、何事もなかったかのように普通に過ごしておられるのを見ると、自分のへたれぶりに情けなくなった。

今回の体験を経て、少しは強くなったのだろうか?

再手術の可能性は長・短期共に、今後もずっとある。常に眼圧に向き合っていかなければならないと思うと、ぞ~っとする。右目はだいぶ緑内障の進行が進んでいたので、視野もだいぶ狭くなっているが、幸いにして左目は眼圧が高い状態が続いていたにも関わらず、未だ正常な状態を保っているそうだ。今後は両目共に労わって、生涯光を失わないようにしたい。

明日から1週間は自宅療養と通院の日々だ。あんまりふさぎこんでいても仕方ないので、入浴の許可も下りたことだし、ゆっくり銭湯行ったり、散歩したり、有意義に過ごしたい。
文章を読むことも、極端に長くなければ通常どおりしていいとのことなので、休み休みしながら過ごしたい。

入院中には、食事をよく噛むことを心がけた。無敵の早食いであった俺だが、食べ物をよく噛みながら、1つ1つの養分が体中、特に目の方に運ばれて行っている様子を想像しながら、味わった。

洗面、歯磨き、着替えなど生活の1つ1つの行動も、ゆっくりと行うようにした。入院して他の人の生活ぶりを見ていると、今までの俺の行動の1つ1つが、いかに早く、落ち着きないものであったかを実感した。

普通の人が、起きて、洗顔して、歯を磨いて、ご飯を食べて、着替えるのに要する時間。
この時間の間に俺は、入浴をたしても彼らより早く終わると思う。

早ければいいってもんではない。生き急ぎみたいな日々の小休止、スロー・ライフへの転機となる今回の患いであった気がする。

手術のショック、恐怖は癒えねど、その方が、今回の教訓が心に留まってくれるだろうと思う。毎日の当たり前に感じている健康に感謝して、五臓六腑、器官全ての働きをじっくりと味わって日々をゆっくり過ごしたい。

何とか帰ってこれた。我が家の蒲団は心地よい。10日ぶりぐらいにぐっすり眠れそうだ。

2008年10月14日火曜日

手術早まる?

緑内障のことは術後まで書かないつもりだったのだが、事態は急転である。

今朝は起きた瞬間から目のかすみがひどく、明らかに眼圧が高く感じた。休日であるが、急患用に病院は開いているので、診察と点滴を受けに行く。

すると両目共に眼圧40超え!!! もう、自覚症状でだいたいの眼圧がわかるレベルになってきている。眼圧の達人だ俺は・・・。

毎月1回、京都の緑内障専門医が来院手術をされるので、それまでの眼圧現状維持でつなぐための点滴であり、診察であったわけだが、院長先生が色んな処方を試みてくださったにも関わらず、眼圧は一向に低くならない。

先生は、「土曜日まで待てない。明後日、金沢大学付属病院に行ってもらうかもしれない。」とおっしゃった。手術の前倒しである。明日には確定するが、土曜手術、水曜手術の確率は半々といったところか・・・。

点滴治療後、とりあえず眼圧は一時的に下がったのだが、夕方過ぎからは目が重い。授業中に板書で上の方を見ると目が痛む。今日は手抜き授業でなんとか終えた。

明後日から手術となると、大学病院は日帰りというわけにはいかない。おまけに片目だけとおもっていたのだが、場合によっては両目もあり得る。入院日数がどうなるかわからないが、あらゆる場合の対処例を同僚と打ち合わせて、何とかシュミレーションする。

もうね~、手術の恐怖なんてのは少なくなってきた。ただ早くこの現状をクリアにしたいというだけだ。どんな手術でも受ける覚悟になっている。手術したにしろ、一生眼圧とはお付き合いしていかなくてはならないようだし、覚悟も決まった。

かすんでいるにしろ、今は光ある状態でなんとか世界を見ることが出来ている。十二分にありがたいことだ。眼圧とのお付き合いなんか、歯磨きみたいな生活習慣になり得るときが来るだろう。

昨日も今日も、世間は休日であるにも関わらず、町の少し大きな開業眼科医の先生は両日共に出勤されていた。点滴中に看護婦さんに、「先生はいつ休んでおられるのですか?」と聞いたら、「休んでいないみたいですよ。仕事が趣味で、診察ない時は専門書を読んでおられる。」とのことだった。

何だか感激した。眼科医としての責務に生涯を費やす偉大な先生に診てもらえるだけで幸せな気がした。

夕方には、「変わった症状はないですか?」とわざわざ電話までかけてきてくださった。世の中に多くのお医者様がおられると思うが、なかなかに少数派だと思う。俺の病状が症状によっては一晩で失明にいたる危惧もある急性緑内障だからかもしれないが、今のところ強烈な頭痛も吐き気もない。仮にあったら救急車で駆け込むまでだ。

目を使ってパソコンを見たり本を読んだりすること自体は眼圧上昇に直接の関係はないみたいだ。だからといって長時間目を酷使することはしないが、活字を追わないと眠れない習性になっているので、町田康『パンク侍斬られて候』を読んで早めに寝ようと思う。

1つ患いを経ることで、貴重な年輪を増やしていけると思う。貴重な体験に感謝する。

明日はかすみが少しでも軽ければいいなと思う。

明日以降、もしかしたらブログ再開が術後になるかもしれないが、再開した折には、自己対峙の貴重なブログの時間をまた大切にしたいと思う。

2008年10月12日日曜日

無駄な議論

アメリカの北朝鮮への「テロ解除」の報道に落胆の声が多く報道されている。拉致問題の解決が遠のくとの声が聞かれていて、実に困った問題だ。

ただ、この報道がなされて、拉致問題の解決の進展にまで話が及ぶことは、戦後60年以上を経てもまだ、日本がアメリカの属国であることを自ら認めていることに他ならない。そのことへの学識者からの言及があまりなされていないことに違和感がある。

本来、拉致問題は日本と北朝鮮との個々の問題だ。勝手にさらっておいて、それを対外交渉の圧力にしてくるという、北朝鮮の暴挙に対して、日本は個別に強硬姿勢をとるべきなのであるが、1人で戦うと北はミサイルでも撃ちかねない。そこで、アメリカ番長に、「あいつらをやっつけて。」とお願いして、それに一時的にアメリカが乗ってくれたのが、「テロ支援国家指定」だ。

番長が圧力をかけてくれることで拉致問題が解決すると思っていること自体が情けないが、ここにきて、アメリカの対北朝鮮姿勢が弱くなってきた。ブッシュさんにしてみれば、在任中に形だけでもいいから、対北朝鮮外交の成果を残しておきたいのだろう。

番長の心変わりに日本が慌てるということは、結局、他力本願でしか解決の糸口を見つけられないことを認めてしまったことになる。「どうしよう。今から1人で戦わなくてはならない。こわいよ~。」との嘆きが哀れである。表向きはアメリカに対して陳情しているが、単なる憐憫をこうだけのものだろう。何の効果もない。

断固として北朝鮮に抗議する姿勢をとると、それはそれで外野がうるさい。軍事発動も辞さないくらいの姿勢をとるには法整備が遅れている。だから「対話と圧力」という言葉で、外交政策を行っているふりをするしかない。圧力なんて実際にかけられるのだろうか? もし本当に日本が個別に北朝鮮に圧力をかけて、対話できるのであれば、アメリカが「テロ解除」したところで、「ふ~ん、アメリカさんはそうなんや。俺らもうまく関係がいくようにさらに努力しよう。」と思うだけで、別に悲観するニュースでもないはずだ。結局、日本政府が言う、「対話と圧力」は、飾り言葉だけで実体のないものなのだろう。

情けないが、それが日本の現状だろう。軍事圧力で交渉してくる北朝鮮に軍事発動できないのだから、仕方ない。

ならばだ、自衛隊の海外給油支援延長の法案なんかは、反対する余地がないと思う。政局に利用されるほどの重みがある法案ではないと思う。アメリカ番長に引き続きついていくためには、無条件受け入れのものであり、本来なら法案化する必要もないことだ。アメリカが、「おい日本、金と人出せや。」と言ったら、「はい、喜んで。」と出せばよい。そうしないと、番長は機嫌を損なうのだから仕方がない。

仮に日本の言い分をしっかり言って、「ちょっと番長、俺らいつまでもあんたに指図される筋合いちゃいまんねん。今日から一本どっこでいきますわ。」と強気に言えるくらいの覚悟が日本にあるならば、北朝鮮に対しても、「何を眠たいこと言ってるねん。はよ返せ。え~かげんにせんと、将軍しめちゃうよ。」と言えるはずだ。アメリカの「テロ解除」に失望するはずもない。

どっちかにしようや~ということだ。アメリカの属国として素直に従属していくのか、それとも、あくまで独り立ちして、自己のスタンスを貫くのかだ。

日本が軍事力を使わずに対話で臨もうとする姿勢は素晴らしいと思う。だが、軍事力をちらつかせて対話してくる野蛮な奴らがいるのが現状だ。それに対処するためには、どうしたらいいかの姿勢をはっきり打ち出すべきだと思う。

軍事力はあくまでアメリカに頼るのならば、アメリカが要求することには無条件に従わざるをえない。1人立ちであくまで自力で軍事力を使わずに臨むのならば、北朝鮮がミサイルを撃とうが仕方ない。

個人的には、「日本は軍事力を他国がどうであれ使いません。よって軍事力で臨んでくる国に対しては、精一杯交渉につとめますが、向こうが強行的にミサイル発射でもしてきたら、受け止めます。軍事による報復もしません。」という姿勢を貫けばよいと思う。そうなれば、自衛隊は迷彩服を着る必要もなく、災害復旧隊として余計な予算もいらなくなる。

仮にミサイルを撃ち込むあほな国がいて、それで死者が出ても仕方ない。それでも対話以外の無抵抗を貫くならば、国際的な世論が野蛮国を裁いてくれるだろう。

ただ、こちらが本当に軍事力を捨てるならば、いくら野蛮国でも撃ってこないと思う。無防備な奴に打ち込むことを躊躇する良心が人間にはあるはずだと信じている。

俺の個人的な理想論は叶うはずもない。理想と現実は違う。だから、理想ばかりを振りかざさずに、現状で出来る限界をもっと政府要人には考えて欲しい。現実対処の法案に理想論で反対されても議論は不毛だ。現実を鑑みて、無駄な議論を減らす。そして長期的に理想に近づける議論をこつこつ続ける。現実法案には現実的に、理想法案には理想的に、短期的、長期的の2本立てで政策に邁進してほしいと思う。

2008年10月11日土曜日

吹っ切れた


闘病日記みたいなブログだが、ここ数日の関心事はそれだけなので仕方がない。

今日も点滴を受けた。眼圧低下の点滴を受けると異常に咽が渇く。その理由を看護婦さんに聞くと、点滴薬が、細胞から水分を吸収して排尿させる効果があるものだからとの回答をいただいた。その効果を利用して、目にたまった水分も利尿を促し、眼圧をさげるらしい。なるほど、よく効くはずだ。

今日また1つ薬を追加された。1日2回、70ミリリットル飲む薬だ。点滴溶剤みたいな容器に入ったものを飲んだが、むちゃくちゃまずい。だが今までしてきた点眼、内服液より効果はありそうだ。

18日の手術には、京都から緑内障専門医が来られるらしい。それまでの対処策として、院長先生も色々処方に工夫してくださっている。今日もらった飲用薬は、通常置いていない薬なので、どこか総合病院からわけてもらったみたいで、点滴終了後、夕方に再度取りに行った。なんとか手術まで眼圧がもってくれることを願って治療するしかない。

写真は、今の俺の点眼薬と、今日もらった飲用薬のラインナップだ。これに点滴治療が加わる。俺の両手は点滴跡だらけで、ちょっとしたジャンキーのようだ。

術後に考えたら、なんて大げさな思い煩いだったのだろうと思うと思う。ただ今は、早く心の不安が消えることと、その一方で手術日が来て欲しくないという矛盾した気持ちが渦まいている。

手術に際して、改めて医者という仕事について考えた。特にオペを日常的にこなされる方々の「慣れ」というものはどういった境地なのだろうかと思う。

他人の体にメスを入れ、その後普通にプライベートな時間を過ごせるような境地になれるということ自体が、医者のすごさを表している。目の手術医は、魚の目なんかを見ても医学的な視点から眺めて食すのだろうか?職業病として人間の感情温度など、失うものもあるだろうが、病に悩む患者にとっては、彼らあっての希望の光だ。素直に敬服したい。

手術の度に、患者に感情移入して、またオペ技術に不安を抱えてこなされるのは、特殊な手術に際する場合だけだと思うし、緑内障手術なんていいうのは、一種のルーティーンワークだと思う。

こちらとしてもそれを望んでいる。手術前に医者が、フーっと息を整えたり、「それでは今から手術を執り行わさせていただきます。」といった厳粛な態度でこられたら、それこそ逆に怖いだろう。手がブルブル震えたり、汗をぬぐう作業をされたのでは、こちらもたまらない。また、それほどの特殊性を今回の手術は持っていない。

簡単な回線修理をする電気工みたいに、変な緊張感を持たずに、淡々と仕事をしてくれてこそ手術結果に安心が持てる。何も心配することはない。数十分の恐怖に耐えるだけだ。

術後の感想は書すつもりだが、明日から手術までは、この話題をブログに書くのはやめようかと思う。もう十分向き合ったような気もする。

色んな環境、状況なり、そこでしか学べないものがある。今は闘病(ってほどおおげさではないと思うが)を楽しめるような境地になってきつつある。いいことだ。相変わらず眠りは浅く、寝不足状態が続いているが、こんな時期も大事だろう。

数年遅れで今の心境が歌になったらいいなとも思う。


2008年10月10日金曜日

プラス思考

本日の眼圧は再び40超え。正常値の倍の数字であり、測定しなくても自覚症状でわかるようになってきた。起きた時から右目にかすみがかかり、明らかに眼が重いのがわかる。体は単純なもので、手術という話があった日から自覚症状がはっきりしてきた。

病院で点滴治療をする。すぐに眼圧が下がりだすのがわかるようになってきた。目の前からかすみが徐々に取れていき、終わる頃には通常の視界になる。それでも測定すると30くらいあるので、正常値からはほど遠い。

おそらく、徐々に進行していたから気づかなかっただけで、俺の右目の視界は、正常値の人よりもだいぶ曇った状態がすでに続いていたのであろうと思う。そういえば、嫁が色白に見えていたが、そういうからくりだったのかと納得する。

手術の概要を説明いただく。18日の土曜日の朝に病院に行き、手術自体は数十分、午前中に終わるらしい。昼食は病院で出してくれるそうで、「うどん、そば、ラーメン、サンドイッチ、何がいいですか?」と聞かれた。俺は迷わず「ラーメン」と答えた。何だかほのぼのした瞬間だ。

手術翌日から1週間の点滴通院があるそうだ。手術自体はリスクがほとんどない、既に臨床例がたくさんあるスタンダードな手術らしい。術後に目にばい菌が入って化膿することが怖いので、毎日通院時に消毒もするらしい。

手術当日は眼帯をして、安静を必要とするが、翌日からは2時間くらいの読書も可能だとのこと。3日目以降に首から下の入浴が可能になり、運転もできるらしい。目を固定するゴーグルでなくても、サングラスなんかで代用できるらしい。

土、日と仕事を休むが、もともと土・日は補習、質問対応日なので大きな影響はない。月曜からは通常授業に穴をあけずに勤務できるとのことだ。

ただ、サングラスをして授業することになるので、生徒にばればれになってしまう。恐ろしくサングラスが似合わない俺は笑いものになるだろう。たまらない・・・。保護者はびっくりされるだろう。三下ヤクザみたいな風貌の講師がいる塾って、笑えない・・・。

先生に、「手術中は意識を失わせてくれるんですか?」と聞いたら、「普通に意識ありますよ。」とのこと。「そこを何とか気絶させてください。」といったら、変な沈黙があり、手術説明に入られた。無視かい!

目の下の水の通り道に棒を突っ込んでグリグリとキレイキレイするみたいだ。それでも眼圧が下がらない場合は、通り道の横にバイパス工事をするらしいが、今回はおそらく詰まりもの除去で済むだろうとのこと。

「今回は????」 手術アゲインあるんかい? おそるおそる聞いてみた。「何とも言えません。」との医者的模範コメントで処された。

術後の注意事項に、「喫煙5日間禁止」、「飲酒7日間禁止」なかでも、「禁酒は厳重にお守りください。」と書かれていた。

ここ3日間、思考は手術一色であり、とにかく煮え切らない時間を過ごしていたが、こんな時こそプラス思考でいこうと思える注意書きだ。

自分の意思で休肝日を設けることが出来ない、意志薄弱な俺に神様が与えてくれた自愛日だと思うようにした。思えば、18年間休肝日無しの生活にピリオドを打ってくれたのも、交通事故の入院だった。それから2年弱、再びノー休肝日体制になっている、俺の内臓を労わっての目疾患だと思うようにした。

たばこも禁煙失敗を繰り返してきた俺だが、今回また懲りずにトライしようかと思う。お目目に意識がいったら、禁煙において1番辛い5日間を、うまく過ごせそうな気がする。

あはは、やればできるやん! 手術注意書きを見てプラス思考に持ち込める俺は、男の中の男! マン・オブ・ザ・マンだ。 禁煙にやる気マンマンになってきた。

来週の今日は手術前夜だ。さすがに情緒不安定になるであろうが、その日までは穏やかに過ごそうと思う。

プラス思考は続く。この機会に、「eye」に関する慣用句、口語表現なんかを覚えてみようと思い、辞書を開く。

Oh my eye! ・・・怪しいもんだ。とんでもない。まあ驚いた。

one in the eye ・・・ 失望、敗北、大打撃

Mind your eye ・・・気をつけなさい。

an eye for an eye ・・・目には目を。

cannot believe one’s eye・・・自分の目を信じられない。

出るわ出るわ、マイナス思考のドン引き表現集・・・。辞書なんか引くんじゃなかった。

pipe my eye ・・・俺は泣く

つぶやき

今日も眼科へ。期待は虚しく散り、18日の手術リストにきっちり名前が挙がっていた。
右目の眼圧は昨日の40超えから30に下がっていたものの、内服薬と点滴を経てのこの程度の下がり方が何を意味しているかはわかる。手術に承諾せざるを得ない。

明日(今日)の昼頃に再度点滴を受け、その後手術に対する詳細な説明があるという。

嫁は、「まな板の鯉のような気分で吹っ切られ!」という。だが、酢味噌で食す鯉は、俺の中では珍味の扱いだ。珍奇なものを欲してきた日々ではあったが、自分の体に対しては欲していない。まな板の鯉の心境は、手術1秒前まで俺の中では無理な気がする。

夕方頃、親友からメールがあり、出張で越中に来ているとの報を受ける。仕事を終えてからの22:30分頃から、お好み焼きつまみに久々の楽しい宴を催す。

お互いの家族の話、世の中の話、バンドの話、モッズとは何か? クレイジー・ホースの偉大さ等々、とにかく楽しい宴だった。

小さな頃から、同じような日々を過ごしながら、異質なものを見てきた2人が、根本で通じるものを話すのだから、話が濃厚で愛しいものであるのは当たり前だ。強烈に密度の濃い、生きる上で最高の時間だったと思う。別格の時間だった。

親友を滞在先のホテルまで送る。

地方都市に流しのタクシーはいない。俺は拾うことをあきらめ、4キロぐらいの家までの道のりを、ゆっくり歩いた。

年々、散歩、歩くことが楽しくて仕方がない。車からの速度では見えないものにも目が行き、全く飽きさせない40分であった。

駅前の商店街を抜ける。地方都市の商店街にありがちな、寂れた雰囲気とはちょっと違う、厳粛とした息吹を感じさせる商店街をゆっくり歩く。アルミサッシの中に1件だけ木枠の扉があって興奮する。

空を見上げると、お馴染みの7つの星が存在感を増している。だが、かすんだ俺の目では真ん中3つの星は、見えたり見えなかったり・・・。夜の闇で、我が視力の衰えを感じるのはせつないが仕方ない。

寝静まった町の匂いにはいつも興奮する。思春期の、親の目を盗んで抜け出した深夜の、あの背徳感に満ちた匂いとも違う、もっと寛大でフリーダムな匂いだ。

だが、そこに哀愁の香りはする。視点が思春期とは変わっている。寝静まっている家並1つ1つを流し見しながら、毎日の再生へのリセットに落ちている人々の姿を想像したりする。

目のことなんかどうでもよくなってきた。吹っ切れたわけではない。まだまだ、煮え切らない日々を過ごすのだろうが、歩いている間は、生命の流れの中では無力な個人を割り切れたような気がした。錯覚だろう。心地よい酒宴の後の興奮がもたらした、意地悪な仮初の時間だろう。でも楽しかった。

最近の中では稀な、新聞を読まずに今日の動向に注視しなかった日であった。

寝よう。眠れるかはわからないが横になろう。

たかが、目の手術ぐらいで、人生にまで思いをはせて、色んな意味を考える俺は、ある意味すごいと思った。すごい日に親友と盃を交わせた俺は幸せものだ。つぶやきながら目を閉じよう。嫁は寝息を立てている。それでよい。

2008年10月9日木曜日

コワイ

久々に目の前真っ暗の衝撃を受けた。

過去ブログでもふれたが、緑内障の治療を点眼によって、ここ1ヶ月以上続けていたのだが、本日経過観察の診察に行ったのだが、眼圧は40超え(正常値20以内)

自覚症状としても、点眼治療開始直後は改善が見られたのだが、ここ数日は、起きて6時間を越えると右目がかすむようになっていた。

また、生まれて初めて、「目が痛い」という感触を味わった。横になっていると目に重みを感じて、眼底が痛い気がする。眼圧が高いことを実感できること自体が非常事態だということは薄々感じていた。

そして今日の検診・・・。

院長先生は、「すぐに点滴をしましょう。」と言われて、1時間の点滴を受けた。眼圧を下げる点滴のようだ。一時的に眼圧がパニックを起こしているので、強制であった。

点滴を終えた後、再度眼圧を測る。点眼治療を続けていても眼圧が下がっていない事実。そして、点滴後の眼圧も正常値を越えている事実を元に、「手術が必要です。」と言われた。

目の前真っ暗! 俺は卒倒しそうになった。 目の手術・・・。

俺は現実を受け止められず、医者にぐずった。「目薬の点し方があかんかったのかもしれませんので、もうちょい猶予をください。」または、「内服薬で眼圧さげることはできないですか?」

前者への答えは、「多少点し方が悪くてもここまでの異常値は出ない。」後者に対しては、「眼圧治療の内服薬は、副作用が強くて長期的には使えない。手足が痺れたり、内臓がぼろぼろになる。それよりも、若いのだから手術をして緑内障の進行を抑える判断が僕は正しいと思います。」とおっしゃった。

俺の住む街で俺は眼科を数回変えた。その中で1番信頼を置いていた院長の言葉、そして毎日のように手術をしておられる実績もあって、俺は頷かずにはおれない状況に置かれた。
一応、明日また点滴をして、その後の眼圧検査結果を待っての手術決定ではあるが、ほぼ確定のような話だった。

家に帰ってネットで色々調べるが、院長先生のおっしゃられた言葉と診察を後押しする記事ばかりであり、セカンド・オピニオンをいれようという気にもならなかった。部屋で1人泣いた。

緑内障自体は、40代以上の30人に1人が患う病気らしい。ただ、ほとんどは点眼治療で済む上に、進行も遅いので、手術に至るのは高齢者に多いらしい。40代を前にして緑内障を患った事実も凹んだが、それよりも自らのへたれぶりに悲しくなった。

俺は精神的に強い方だと思う。過ごしてきた日々も、それなりに波乱万丈であったし、打たれ強い免疫もたくさん身につけていたと思う。怪我にも強い方だと思う。100キロのコンクリートの塊が2メートル上から太ももに直撃して病院送りとなった翌日も、肉体労働を休まず働いた。

だが、昔から注射に対する異常な恐怖心があって、これはわかっていても割り切れないもので、ことあるごとに俺を悩ませてきた。いつまで経っても免疫が出来ない。今日の点滴でも異常な怖がり方をするので、看護婦が針を刺す腕を右と左、少しでも良いほうにしようとしてくれた。人前だから泣かないが、心許せる人ならば、注射ごときでも泣くと思う。理屈じゃない。病的な恐怖心がある。

注射でこうだ。手術なんて言葉を聞いただけで卒倒しそうになるのは、大げさではない。しかも今回は、お目目だ。書きながら泡を吹きそうになる恐怖が俺を包む。

診察を終えても嫁は仕事で家にいない。辛抱できずにおかんに電話した。おかんは、「大丈夫やって! 今の医学なめたらあかんで。 おかあさんもこの前、階段から落ちて腰を強打して、エム・アール・アイやってんで! あれ、なんちゅうか、閉所恐怖症ちゅうんか、こわいのなんの・・・でも耐えれてんから、あんたも大丈夫! お目目ぱっちり!明るいお目目のための治療やん。しゃんとし!」と、よくわからない慰めをくれた。こっちは目~や! 閉所ちゃう!

目の中に流れている水分の通り道が詰まっていて、それが高眼圧の原因らしいので、その水を抜いて、バイパスをこさえる手術らしいが、目に刃を入れるということ自体が、俺の中ではホラー映画以外の何ものでもない。

肝がんの苦しみに耐え、死の数日前まで仕事されていた緒形拳さん、また、起こる全てのことを肯定的に捉え、そこに笑いを見出した赤塚不二夫さん、色んな人生の達人の生き様を見ては、少しでも近づきたいと思っている。

命に対峙する達人と比して、俺が直面するのは日帰り手術の目患いだ。何を怖がっている!何度も自己を鼓舞した。

だが、だめ。怖いもんは怖い。針と刃に対する免疫は小学生時分から変わっていない。むしろ想像力と知識が増した今のほうが怖い気がする。いっそのこと、麻酔で気絶状態にして欲しい。麻酔注射に対して気丈にいれるのが、俺の今の精一杯だ。

情けない。しかし、今でも一夜で劇的に眼圧が下がることをひそかに期待している。明日結論が出るが、それを受け入れられる男の、いや人間としての強さは俺にはない。怖い怖い怖い。恐い恐い恐い。

「俺は強い」と言い聞かせてみても、「強い」を「こわい」としか読めない。俺のお目目どうしちゃったんだろうか? 目を閉じるのがコワイ。現実から逃げたい。

2008年10月7日火曜日

国会マガジン

国会中継を見ていると、相変わらず寝ている議員の多いこと多いこと・・・。同じ寝るのでも、「寝てはいけない」と思いながらもついついウトウトするのと違い、明らかに「よし、この答弁中は寝るぞ。」と確信犯的な居眠りのように感じる。いくら多忙の身とはいえ、みんな忙しいのだから、何とかならないか?

一般企業の会議中に寝るなんてことは許されるわけはなく、すぐに排除されるであろう。それを考えれば、議員さんの居眠り自体、昔からの光景で慣れたとはいえ、もっと糾弾されてしかるべきだと思う。

とは言ったものの、眠くなるのは仕方がないかな?とも思う。ほぼ予定調和の国会劇場においては、自分の出番がない時にも集中しろというのは、お坊ちゃま軍団の議員さんにおいては困難なことだろう。

子供の頃、国会中継を見ていて疑問に感じたことがあった。何かの質問をされて、答弁する議員が何やらメモを見て読んでいる光景を見た時だ。今されたばかりの質問に、すぐに答弁メモを用意できるなんて、「きっと速記する人と膨大な資料をすぐに取り出せる側近がいるのだ。」と思った。

この疑問の答えを大人になって知ってから、何だか国会議事自体がばからしく思えるようになった。

あらかじめ、質問内容がわかっていて、それに対する答弁も決まっている。後はただ、発表するのみだ。共産党なんかのゲリラ質問が圧倒的に少ないので、議会は予定通りに進んでいく。話し方、表情といったパフォーマンスに長けることだけが議員に必要な資質のような気もする。

あらかじめ議事録があって、それを後追いするだけなのだから、出番のない時間は、そら眠くもなるだろう。元気になるのは、新橋辺りのおやじ並みの野次を飛ばす時だけだ。悲しくないか?

はっきりいって、今の国会ぐらいなら、管轄の当事者同士でやり取りして、その議事録を新聞紙上で発表するだけでいいような気がする。本当に国会が意味をなすようにするためには、質問の事前打診を止めればよい。

事前打診がなければ、すぐには答えられない、数字に関する答弁なんかもあるだろう。
そういった結論が出ていない議題を、議長が最後に整理して、「~の件の回等と、~の件への反論が本日未解決であります。つきましては、次回はこの件の答弁から始めたいと思います。」といったように明白にするのだ。そうして初めて議論といえると思う。

ワイドショー的な茶番劇をいつまで続けるのだろうか? これが続く限り、議員の居眠りは減らないだろうと思う。

もともと重要な審議は別室でされていて、国会は台本があって、居眠りできるレベルの会議なのだから、いっそのこと、会議内容を国民にわかりやすく説明できる媒体を用意するのがいいと思う。そうすれば、眠くなる国会自体も必要ないし、議員自体も減らせると思う。その上、国で今、何が行われているのかを大衆にもわかるように伝えるのだ。

「国会マガジン」なる月刊誌を一般販売して、そこに色んな法案審議の内容を詳しく載せるのだ。「官報」のような無機質なものではなく、雑誌として「国会マガジン」を立ち上げるのだ。

雑誌であるから、もちろんコーナーも充実させる。例えば、

「グルメ街道 森が行く」・・・森元総理によるグルメ日記。

「ドン・小西の一太チェック」・・・ドン氏による、山本議員のファッションチェック。

「正性堂々!」・・・山拓と姫の性対談連載。

「極道必見! 野党に学ぶイチャモン術」・・・ 菅、鳩山氏によるディベート講座。

「客観視講座」・・・福田元首相のエッセー。

「胃腸健康法」・・・安倍元首相の健康講座。

「もうすぐ一般人」・・・タイゾー君の就活日記。

「小沢の解体日記」・・・小沢氏のエッセー。

「迷彩で行こう!」・・・石破氏による軍事、プラモデル論。
「洞ヶ峠で会いましょう」・・・小池氏による日和見講座。

「赤と黒」・・・亀井氏と共産党の激戦バトル。特別ゲスト:ハマコー。

「あの人は今」・・・落選議員の近況紹介。第1回目ゲストは片山虎氏。


無限に出てくるアイデア、企画には事欠かないだろう。広告依頼もたくさんあるだろうと思う。発刊されれば、売れること間違いなし。雑誌としては「文藝春秋」も凌ぐだろう。

ちょっと、おふざけが過ぎた。でも悲しいことに、眠っていてもいい国会なのだから、変な大根役者の演技を見せつけられるよりは、楽しい気がする。おふざけも許してほしい。

いちびり先生、夢に現る

なぜ急に現れたのかはわからないが、昨夜の夢に、小学校の時のある先生が現れた。
夢の中で俺に、「先生さ~、ま~た失恋してしまった。もう108回目だよ~。」と嘆いている。それに対して、「煩悩の数と同じやんけ!」とツッコミをいれる、可愛いくない小学生の俺がいた。

この先生は、「新八先生」こと、新田八郎太風のルックスの熱血教師であった。俺は担任として受け持ってもらったことはなかったのだが、よく交流があった。俺が今でも恩師として尊敬している担任のK川先生という先生に求愛して、ふられていたであろうことを、小学生ながらに俺は感じていた。

新八もどきのS田先生は、大学時代にギターをかじっていたようだ。同じくK川先生も軽音サークルに入っていたみたいで、放課後に音楽授業の打ち合わせなのかどうかしらないが、二人仲良く教室でギターを弾いている光景を見かけた。その時のS田先生のデレデレ顔を見て、「こんな大人にはなりたくない。」と思ったものだ。

後にK川先生は別の男性と結婚され、S田先生の恋は終わることになった。

このS田先生、今から思えば相当イタイ先生であった。ちょうど大学を卒業して教師になり、3年目くらいの25歳くらいであったと思う。一言で言うと、いちびりなのである。

多くの生徒は一種のカリスマを抱いてS田先生を崇拝していたりもしたのだが、俺と親友は、S田先生の言動をすぐに、いちびりと見抜き、子供相手にいきっている25歳の大人のしょぼさを二人でよく馬鹿にしていた。

全校集会が終わろうかとする時、「他に何か先生方ありますか?」というアナウンスに大声で「は~い」と反応し、隊列の後ろから走ってきて壇上に上るS田先生。言うことはしょぼい。

こぶし大くらいの石をかざしながら、「みなさん、これ何だと思いますか? そう、石です。」

俺と親友は噴出すのをこらえていた。「わかるがな。石以外の何に見えるねん!」と数十回は事後嘲笑のネタにしたものだ。

S田先生は続ける。「先生これを見て、ぞ~っとしました。もし、誰かが砂場で転んだ時、この石に当たったら・・・、先生、ぞ~っとします。」

俺と親友は、子供ながらに、「なんで繰り返すねん。ぞ~っと2回もせんでいいがな。」とこれまた嘲りネタにした。

S田先生が言いたかったことは、石を砂場に置いた奴がいて、それがけしからん!みんなの砂場、安全なものにしましょうというものだ。主張自体は小学校教師としてはあり得るかとは思うのだが、S田先生がかっこ悪いのは、同じネタを3回にわたって全校集会で使ったことだ。要は、何かにかこつけて目立ちたいのだ。

その内1回は、明らかに捏造であることを、俺と親友は見抜いていた。砂場にポケットから石を置き、それをかざして壇上向けて走るS田先生を見てしまったのだ。3回にわたり、「何度も注意しなくてはならないことに、先生は悲しくなります。」というセリフを足しては、あつっくるしい話を投げるS田先生。洞察力のないS田信者の同級生は、先生の熱さに感動し、「石を置いた人が許せない!」みたいに言っていたが、俺は彼らを見て得意気だった。「俺は本当のことを知ってるで。石置いたん、S田先生やん。あかんやん。」

S田先生の痛い言動はたくさんあったが、最高に痛いのが、バスケットボールの時間の行動だ。

小学生のバスケットゴールは、大人ならジャンプするとダンク出きる高さだ。つまり、誰でもそれなりにかっこよくは見せられるのだ。

S田先生のバスケット授業は、先生による模範実技が授業の7割を占めた。ダンクを決めるたびに拍手を送る浅薄な女子、それにつられるS田先生。俺は大人になりたくないと思った。ミニゲームを開始してもすぐに笛で止め、実演する。うざったらしくてたまらない。

ずっと忘れていたS田先生がなんで夢に出てきたのかはわからないが、今から思えば、学校教師といえども、たかが20代の若者だ。社会人体験が全て教職である人には問題が多いと思う。

教員採用試験に受かった人は、3年間の一般企業研修を経て教壇に立たせるほうがいいような気がする。研修先の企業からの評価を受けて、それがあまりに未熟であったならば研修期間を伸ばすのもよい。研修中の給料はずっと見習い時給だ。そのかわり、しっかり研修を終えて教壇に立った先生の給与は今の倍にしてあげてもよい。

パソコンや書籍の知識ですべてを悟ったかのような、頭でっかちを研修中に排除し、理屈ではないものが社会生活にはあることを体感させてから、デビューさせてあげるのだ。

といったことを、大分県の教員不正採用事件の後、色々考えていたので、昨夜の夢に現れたのだろう。

S田先生は、しょぼいとは言ったものの、まだましだった。もっと世間ずれした先生がたくさんいた。鼻毛びっしり先生、渡軍団のような極道先生、服の着丈がいつもずれている先生・・・。

塾業界は、身だしなみ面では一般企業なのでまだましだが、生徒にいちびる奴は多い。前職場の非常勤の学生バイトに痛い奴はいっぱいいた。どういう展開で自慢話になるのかわからないのだが、一部の感性豊かな生徒が俺に密告してくれたことがある。変な業界で働いているな~と思った。

まさか、S田先生が夢に出るとは思わなかったのでびっくりしたが、今の俺は当時のS田先生の年齢をはるかに超えているのだと思うと、何だか笑える。だが、年下にしかいちびれない大人にはなっていないと自己評価している。そういう面ではS田先生が良き反面教師となってくれたのかと思う。S田先生に一応感謝しておこうと思う。ダンク・ユー。

2008年10月5日日曜日

今日の「スプリンターズ・ステークス」から、JRA秋のG1競馬が始まる。競馬ファンにとってはたまらないシーズンの到来である。

昔は、競馬といえば一攫千金を目論む気持ち以外はまったくなかったのであるが、最近は、ギャンブルとしての競馬の魅力よりも、競馬予想する人たちの分析過程、競馬理論なんかを、読み物として楽しむ傾向にある。

馬を毎日管理し、競走馬として一流にしたてる厩舎の人たちのコメントも面白い。

「ハードに追ったらスイッチが入ってきたね。気も体も十分だよ。馬がやる気になっている。」

「やる気」って・・・(笑) 馬にしてみれば、強烈に鞭打たれて走るレースが楽しいはずがないと思う。「やる気」は人間の好解釈であり、馬にしてみれば「怒り」を表したにすぎない気がするのだが。ただ、生まれつき走る習性がある馬のこと、馬によっては競り合って抜け出さずにはおれない気性のやつもいるだろう。自分から必死で走る姿をとらえての「やる気」・・・。何だかかわいいコメントだ。

「ここにきて、ムキにならずに好位でがまんできるようになっている。精神面の成長が大きいよ。」

「がまん」って・・・(笑) 騎手の豪腕で暴走させないようにする指示に、ただ従っているだけで、以前は人間の力では抑えきれなかっただけに過ぎないと思う。人間の言うことを聞かないといつまでもハードに追われるから、従ってみる気になっただけだ。ということは、「精神面の成長」と言えなくもない。なるほど。

「ここにきて、ズブさが出てきたが、やっぱりパワーあるよね。」

こういう馬大好き(笑)。競馬用語で「ズブさ」は、「ずるがしこい」といった感じだが、 調教では手を抜いて、本番ではしっかり走る。手を抜くところを馬が知っているのだから、賢いなと思う。こういう馬に仕立てあげられたら、調教師も楽だろう。競馬予想をする側にとってみれば、調教で走らないので予想が難解だが・・・。

馬にも色んな性格があって、常に一生懸命に走るが、いかんせん鈍足タイプがいれば、調教では走らないが、本番になると走るタイプもいる。もともと足が速いのに、ほとんど力を出さず、鞭打たれることになれたダウナー牡馬が、牝馬を追いかけて、その結果激走することもある。それぞれの馬の性格を、調教師コメントなどから考慮して予想するわけであるから、競馬予想は楽しいに決まっている。

馬というのは、人間以上に格差社会だと思う。まず、サラブレッド、アラブといった、どんな馬種に生まれるかによって、生き方が変わってくる。サラブレッドならば中央競馬へ、アラブならば地方競馬へと行く。そして、サラブレッドはサラブレッドなりにその世界での格差が出てくる。

足が速い馬は重宝され、カイバも不自由なく与えられる。ディープインパクトなんかのエリートサラブレッドは、早くして競走馬を引退させてもらえ、その後には種付け馬として、まぐわった日々を過ごすことが出来る。

自分の前に毎日、種付けされる牝馬が群れをなしている。それにひたすら交尾していくのだから、そこらのピンク教祖も顔負けの交尾人生だ。

一方、元来の鈍足サラブレッド馬は、散々しばきあげられて中央レースに出た後に、地方に売り飛ばされる。そこで、多少なりとも活躍すれば、馬事公苑で、見世物らくだみたいな扱いで長生き出来るが、地方でも走らなければ、すぐに馬刺しの運命だ。

毎日交尾三昧の馬と、数年後に馬刺しの運命の馬・・・、人間界の格差なんかはかわいいものだと思えてくる。

また、エリートサラブレッドといえども、サイレントスズカみたいに、レース中に骨折して安楽死の運命を辿る馬もいる。人間界と同じく、馬界も一寸先は闇であり、何が起こるかわからない。

ちょっと前に、馬の気持ちを詞にした曲を作った。馬の気持ちを察しようとする人間を揶揄した曲であるが、今度「ほうるもん」で完成させようと思う。

競馬に興味のない人も、厩舎コメントや予想記事を読んでみると楽しいと思う。

2008年10月4日土曜日

さよおなら

汚い話で申し訳ないが、最近、むちゃくちゃ放屁する。単発、連発織り交ぜて、回数がとにかく多い。子女的なかわいい音色もあれば、サンダートーンのものもある。エコーがかかった音もあれば、被服を破ったような音もある。

臭いは連射体制に入った一発目は、それなりにパヒューミー、いや、バキューミーであるが、その後は強くない。足の裏のような臭いが混じる時もあるが、全体的に不愉快極まりない臭いではなく、芳しいとも言える自己評価の臭いだ。

塾稼業についてから、勤務中の放屁をこらえているせいか、勤務後にガス抜きする傾向はあったのだが、それにしても多い。

嫁が1階にいて、俺が2階でこいた屁音を察知したことがある。階段をツカツカと上がってきて、「あんた今屁こいたやろ?」と言われた。
2階の床に振動を与え、1階の天上を突き抜ける拙屁の威力たるや、ちょっとしたガス爆発であろう。

嫁は言う。「何食ってるねん。」

俺は言う。「お前といっしょのもんや。」

嫁は言う。「病気ちゃうか?」

確かにちょっと頻度が高すぎる。それに音量が年々でかくなっているのは間違いない。先日なんかは、眠っている時に、自分の屁の音で目が覚めた。

心配になって、ネットで「おなら」検索した。内臓系の病気の症状であるかと思ったのだ。

あるサイトでは、早食いの人は、空気を多く吸い込むため放屁しやすいと書いてあった。だが、俺は昔から早食いであり、今に始まったことではない。むしろ今は昔よりやや遅くなってきたような気がする。

食生活は田舎料理の日々であり、特に屁を誘発するものでもない。また、未だに胃が痛いという症状がわからない俺は、内臓に何か変調をきたしたこともない。十二指腸に人間ドッグで異常が見つかったことがあったが、二次検査では、「超綺麗」という、医者とは思えない診断で褒められた俺だ。心当たりがない。今月に今年度の健康診断があるので、お医者さんに色々聞いてみようかと思う。

「おなら」検索をしていたら、面白いサイトを見つけた。http://www.ne.jp/asahi/9/j/he.htm

まじめにこういうサイトがあることが嬉しい。「さあ、今日も元気に屁をここう。ようこそおならの旅へ」というコピーが軽薄で気に入った。

ここが優れているのは、屁音が実際に聞けるのだ。画面に尻画像があて、クリックすると、それはそれはスタンダードな屁音が流れる。屁の音を「技」という括りで謳っているのも秀逸だ。管理人の名前は「へいじ」さんという。実に良い。おやじ心をくすぐる。

ふざけているわけでもなく、真面目すぎるわけでもない。誰もがこぐ屁を真面目に考察して括ろうというコンセプトに、小沢昭一さん的な高尚さも感じた。

ただ、誰でもこぐ屁ではあるが、ガスがたまりやすい性質で悩んでいる方も多いと聞く。特に思春期の女の子が教室で放屁しようものならば、それは楽しい学園生活の終焉に近いものを意味すると思う。

実際に保護者から、子供さんがガス体質で悩んでいて、屁の恐怖で授業に集中出来ない状況もあるということも聞かされたことがある。デリカシーのないおっさんが興味本位で話題にすべきことではない。最初で最後の屁考察にしたい。

人間誰しもする生理的なものであるにも関わらず、屁を恥ずかしいと思うのはなぜなのだろうか? なぜ屁を忌み嫌うように人間はなっているのだろうか? また、オギャーと生まれて、いつ頃から屁を恥ずかしいものと認知するようになったのだろうか?屁にまつわる疑問は尽きない。

単純に、屁を忌み嫌う理由は、それが排泄をイメージさせるものだからであろう。食べたり飲んだり、入ってくるものには+イメージを、排出するものには-イメージがついてまわるように人間は作られているのだろう。とは言ったものの、嫌われすぎな気がするが・・・。

屁をこいて褒められるのは、虫垂炎になった時ぐらいである。それ以外はやはり、被服で裸体を隠すように、恥じらいもって、人前で御慣ら(おなら)しないようにする縛りの中で処していくのが人間なのだろう。

昔、屁の音をサンプリングして、曲に取り入れようと真面目に取り組んだことがある。
おかんに怒られた。今は何となくおかんの忌み意味がわかる気がする。

俺の今の異常屁警報は、健康診断でその理由が明らかにされるかもしれないが、しばしは、デリカシーを持って、ガス抜きに留意していきたいと思っている。

ブログを書している間は屁が止んでいる。鎮屁の効能がブログにはあるのかもしれない。尻から出さずに文字で出す。屁の処方箋はブログか? んなあほな・・・。  屁・屁・屁

さよおなら

2008年10月3日金曜日

弁護って何だ?

橋下知事が、光市母子殺害事件の被告弁護団の懲戒請求したことに起因する損害賠償裁判で敗訴した。

被告弁護団の供述書を弁護団の作文とし、懲戒を訴えた結果、被告弁護団には実際に2000件以上の請求がなされたそうだから、被告弁護団もだまっているわけにはいかなかったのだろう。

個人的には、橋下知事のテレビでの発言はまずかったと思う。最高裁にいっても判決は覆らないだろうと思う。橋下氏自身が実際に懲戒請求をして、結果として全国からの懲戒請求があったならば問題はなかったと思うのだが、弁護士本人が、他の弁護士の懲戒請求をテレビで呼びかけるのは、さすがにまずかったと思う。タレント議員としての手痛いミスであったと思う。

ただ、橋下さんが言った主張自体には共感できる。母子を殺害した被告に情状酌量もくそもないように思う。それを、ロマンチックな調書で弁護するもんだから、ついつい頭にきたのだろうと思う。

以前のブログでもふれたと思うが、幾度となく疑問に思う。

光市の事件や、秋葉原の事件なんかの被告に対して弁護をつける必要があるのだろうか?また、凶悪犯罪の被告弁護を担当する弁護士の方は、どうして引き受けるのだろうか?ということだ。

それぞれの弁護士に弁護哲学があるのだろうが、上記の事件の被告の凶行は、なされた事実が全てであり、情状酌量なんて余地はないように思えるのだが、それでも被告の人権に加味して弁護をつけざるを得ない司法状況、そして、それを受任する弁護士の気持ちがまったくわからない。

一昨日の、大阪の個室ビデオ室で放火事件が起こった。今日のスポーツ新聞報道を見ていると、犯人は、離婚、退職、ギャンブル、借金などによって、「何もかもが嫌になった。」と言っていたそうだ。

離婚・・・、つらいでしょう。 退職・・・、次を探しましょう。 ギャンブル・・・一種の病気でしょうから治療しましょう。 借金・・・しらんがな。

上記4つの犯人曰くの主張は、「甘えるな」の一言だ。だが、それらが原因で、「何もかもが嫌になる」心境自体はわからないでもない。甘えも含めて根本的に治療が必要だったが、それに至らなかった部分を情状酌量として、他者が解決に向けて協調してあげることは悪くないと思う。

だが、それは犯人が自分の中で苦悩しているだけで終わったならばのことだ。苦悩がそのまま他者攻撃に繋がる理由がわからない。

何で火をつけるねん!何もかもがいやになったなら、自分に錘でもつけて、深海に消えろ! なんで他者を巻き込む事態に発想と行動が向くねん! 

自己憐憫を放火で処した奴、そしてそれが多くの死者を出した。事例が全てであり、どんな理由があったにせよ、こういった反抗を犯す奴の人権を認めたら、人権自体が歪んでしまう。当たり前に生きる権利を、こんな害虫に奪われた被害者の人権と無念は、心的支えを含めて税金を使って守ってあげなければならないが、それを奪った奴に人権を認めることは、被害者への冒涜に他ならないと思う。

被告に弁護をつけるのは当然だ。痴漢などの冤罪は後を絶たないし、被告・原告という立ち位置自体が裁判を起こした方、起こされた方という立ち位置にすぎないのであるから、法廷で公正な裁きを行うのは司法国家として当然だ。

だが、結果が全ての事案というものにも法律上弁護士をつけなければならないシステムなんていうのは、法律を作り出した人間が、法律に縛られ、人間本来の心を放棄した結果の茶番裁判であるように思える。

凶悪犯罪の奴に弁護をつけず、一方的にすぐに判決を下したところで、それを法解釈として大らかに受け入れられるだけの素地が人間にはあるように思う。厳密に言えば、凶悪犯罪は、法が裁かなくても人間として裁くべき事案であり、法適用外であると思う。さっさと海の藻屑にするか、焼却すればよい。

害虫が来たら農薬で殺める。熊も鮫も人間界に現れたらすぐに殺される。そこに命の重さを問いかける尺度はない。凶悪犯罪にいたる奴らは害虫、熊、鮫ほどの命の重さも持っていない。罪のない人の命を軽く扱った奴の命が、法律で重く扱われることは、どう考えても納得がいかない。 

刑務官の手を汚すほどの価値もない。足で転がして焼却場にでも入れてやればいいのだ。

一般市民による裁判員制度というものが始まるが、この活動が、馬鹿げた事案に被告人調書を必要としない素地作りになればいいと思う。弁護って何だ?

2008年10月2日木曜日

運動会

今日は、おやじの15年目の命日だ。早いような遅いような月日の経過に関する感慨は漠然としている。

おやじの命日は、毎年のように秋晴れの穏やかな日だ。亡くなった日の空がとにかく穏やかであったのを覚えている。気候的にそういう時期なのだろう。

以前誰かに聞いたのか、本で読んだのかは忘れたが、10月の10日は1年で最も晴れの確率が高い日だそうだ(確かな説かはわからないが)。10日に限らず、10月は、台風の通り道となる地域の台風上陸時は除き、天気がいいのは体験的にもわかる。10月2日か天気がいいのもうなづける。

昔は10月と聞くと、真っ先に「運動会」を思い浮かべた。予備日も設けてはいたみたいだが、個人的な体験では1度も雨天延期になったことがない。

ところが、最近の運動会は5月、6月に実施するところが多い。小学校や幼稚園なんかでは10月に実施するところも多いが、中学、高校は軒並み春の実施だ。

何でも、「秋は受験勉強に専念する時期であるから」という理由らしい。その代わりに文化祭が10月頭に組まれる事例が多い。最近は、「スポーツの秋」ではなく、「文化の秋」に重きが置かれているのかもしれない。

だが、今日みたいに気持ちよい、天高き晴天を見ていると、やっぱりこんな日に運動会があったほうがいいような気がする。スピーカーから近隣にもれてくる音や応援の音色も含めて、秋の晴天を賛美した穏やかな季節模様だ。ないのが寂しく感じる。

運動会でクラスの団結力が高まったところで文化祭を迎えるという流れが最高であったような気がする。秋は学校行事が多くて、学生生活がまさに実りを向かえる時期であったと思うが、分散された今にそのような感慨深さはないだろう。

玉木正之さんの評論に、『スポーツとは何か?』というものがあるが、その中に運動会についての歴史的考察がなされている。それによると、

「スポーツ」という外来語に対して、日本人は最初、「遊び」と解釈したらしい。「遊び」「祭り」として生み出された「運動会」であるから、そこには、パン喰い競争、大玉転がし、騎馬戦、二人三脚など、娯楽性の高い遊びがたくさんあった。参加するほうも見ているほうも楽しい「遊び」としての運動会を可能にしていたのは、村などの共同体があったからだと玉木氏は言う。

さらに氏は続ける。 

ところが、明治中期ぐらいから、「スポーツ」を「運動」または「体育」と翻訳するようになり、今の陸上競技のようなものが多く「運動会」に現れるようになった。そうなるにつれ、運動会は、優れたアスリートの持つ求心力が売り物になったというのである。本来の「遊び」「祭り」としての運動会が、「運動」「体育」へと変遷するのは、共同体が存在しているか、していないかの差であるとも述べていた。

頷ける部分も頷けない部分もあるが、確かに、パン喰い競争など娯楽性の高いものを見かける機会は減ってきたし、学校単位ではない、町民体育大会といった種の「運動会」が少なくなってきているのは事実であり、それは共同体がなくなってきたからだという指摘は正しいと思う。

幼稚園、小学校の運動会にしても、共同体の「遊び」の場というよりは、わが子の外での様子を保護者が見て堪能するための、わが子追っかけの場となっている気はする(これは実にほほえましくてうらやましいことなのだが)。

ただ、俺の学生時代、昭和の時代には「運動会」が「運動」と「遊び」の両者をうまく取り込み、機能していたと思う。「スポーツ」が「運動」になった後も、「運動会」が「遊び」の要素を内包していたのが、昭和の「運動会」であったと思う。

「運動会」が「遊び」であったならば、天気がよい秋にするのが一番だとは思うが、「体育」という位置づけだけであるならば、別に秋にする必要もない。受験にそなえて「運動会」を春に前倒しするのも妥当な結果だと思う。学校の教科としての「体育」のカリキュラムの一貫であるならばの話だが・・。

だが、「運動会」は、団体で出来る最上の「遊び」だと思う。運動能力に長けた子達だけのお披露目発表会ではないと思う。足が速い子はリレーに出ればいいし、鈍足は玉入れに励む。

五穀豊穣の秋に、共同体のありがたさを再認識しながら、団体遊びとしての「運動会」に精を出すこと、これこそが、最高の情操教育であったはずだ。

クラス替えをして間もない5月頃に形式的に「運動会」が行われることを、今の子供たちはどう思っているのだろう。卒業文集に出てくるネタの定番が、「運動会」から「文化祭」に変化してきているように思う。

おやじの命日に何を考えているのだか・・・。ただ、ほんといい天気だった。

2008年10月1日水曜日

カリスマの引退

清原選手の引退日だ。映像を見ているだけで涙ぐみそうになる。今後、清原選手級のカリスマは現れないような気がする。同じく好きなイチロー選手はスーパースターで、当然カリスマだが、桑田選手と一緒にK・Kとして時代を築いた清原選手には、O・N級の時代的カリスマを感じる。

イチロー選手が、わざわざ引退試合を見に帰国するというのもすごい。世界のイチロー選手すらも魅了する、男清原は、カリスマの中のカリスマだ。

「カリスマ」を調べると、「《ギリシア語で、神の賜物の意》超自然的、超人間的な力をもつ資質。預言者・呪術(じゅじゅつ)者・軍事的英雄などにみられる、天与の非日常的な力。この資質をもつ者による支配をマックス=ウェーバーはカリスマ的支配と名づけ、三つの支配類型の一つとした。」とある。

スペルもCharisma と記すようだが、何となく christ とも語源的に共通点がありそうな気がする。野球の神様が用意された稀有のカリスマだ。

清原選手の魅力は、その超人間的な野球の資質はもちろんだが、やんちゃ坊主がそのまま大きくなったような無邪気さにある。しかし、豪快なだけであるわけではなく、非常に儒教的というか、家族、恩師に対しての敬意、後輩に対する面倒見の良さといった男気がプンプンしている。

マスコミはすぐにカリスマを作り出す。ネタに困ったら過度に持ち上げて、たくさんのカリスマを簡単に作り出す。

だが、マスコミが作りあげたカリスマといえども、ずっとカリスマであり続けることは難しい。

星野監督への、オリンピック後のバッシングなんかは、非人間的であり、あまりに醜いものだ。大会前はカリスマで、大会後は戦犯という、同じ人間が書いたとは思えないほどの酷評だ。まるで、東条氏のような軍人的カリスマバッシングだ。

個人的には、酷評するくらいなら、大会前に持ち上げるるな!と言いたい。別に星野さんが人を殺めたわけではない。

話がそれた。

色んなカリスマ選手がいたが、マスコミ的時流のターゲットにかかれば、すごいバッシングを受け、簡単にカリスマ性を剥がれる人もいる中で、清原選手は常にマスコミネタごときには屈しない、格の違いを見せつけてきた。これからもカリスマでい続けてくれるだろうと思う。

オリックスが、清原選手復帰以降、あり得ない追い上げを見せ、今2位にいること・・・、これこそ、野球の神様が人間界のカリスマに託したメッセージであるようにも思う。

パリーグの西武で、テレビ中継がほとんどない中でずっと君臨し続けてきた清原選手の野球姿を見られないことは、1つの時代が終わった寂しさに繋がる。ほんま、俺はファンやったと改めて実感している。

超人的なカリスマ清原番長が、見せる人間的な涙・・・。あかん、思い出しただけでもらい泣きしてしまう。

今後、どのような形でカリスマの姿を堪能できるのかはわからないが、彼の男気を目に焼き付けていきたい。

清原選手、お疲れ様でした。