2008年9月30日火曜日

おくりびと

「おくりびと」という映画が公開中だ。まだ見ていないが、監督が、わが町出身の人であることもあり、イオンの映画館の入場率は全国一位らしい。
モントリオール世界映画祭グランプリを受賞したこともあり、全国的に注目されている映画らしい。

映像を見たいという欲求にかられない俺は、おそらくDVD化されてからしか見ないだろうが、歳をとるたびにかっこよくなるモックンが出ていることもあり、是非見てみたいと思っている。

監督が富山県出身なら、モチーフとなった作品も富山県の作家によるものだ。青木新門さんの『納棺夫日記』という本であり、数年前に発売された当初に読んだ。

ほとんどの本屋さんでポップをつけて推薦図書扱いされていたものだから、目について買ったのだが、なかなか面白かった。本を読むと数ページで眠ってしまう俺の嫁も、珍しく読んでいた。

あれから数年、「おくりびと」が公開されたわけだが、滝田監督は、「人を送り出す行為はやさしいものである。」といったことを言っていたが、そうあってほしい言葉だ。

いまや、全国的に増えているのがセレモニーホールという名の葬祭場だ。わが町にもここ10年でいくつのセレモニーホールが出来ただろう。

俺のおやじが死んだときもセレモニーホールで葬儀をしたから、昭和の中期以降には、葬儀は立派なビジネスになっていたのだと思う。

葬儀屋に連絡すると、すぐに葬儀日程、ありとあらゆる手配をしてくれる。値段の見積もりを出されるわけだが、葬儀という性質上、数件の見積もりをとって比較してということもなければ、値切ることも稀有であろう。

ギフト屋の知り合いが以前言っていたが、葬儀屋に納入する商品ほどおいしいものはないらしい。葬儀屋にしてみれば、楽な見積もりで大きな利益が確定している。納入業者に対する価格チェックもどんぶりな部分があるのかと思う。

人が死ねば死ぬほど、葬祭上の稼働率はあがるわけであるから、立派なセレモニーホールを立てても、資金回収は容易だろう。乱立傾向にあって過当競争になる恐れもなくはないが、昨今の人口ピラミッドを見れば、まだまだ市場的には需要の方が多いだろうと思う。

祖母の葬儀のときにセレモニーホールに泊まったが、ちょっとした旅館なみの綺麗な設備であった。「おくりびと」たる人は段取りもよく、細かな配慮もよくしてくれたと思う。厳かではあるが、感情が通いすぎているわけでもない。感情の温度が常人にはない「おくりびと」ならではのものであった。警察官の感情温度から傲慢さだけを取り除いた感じといえばよいだろうか・・・。

身近の人の死、それに直面した家族がなんとか正気を保っていられるのは、この葬儀があるおかげだと思う。

一番悲しい家族が一番葬儀段取りで忙しいという矛盾が、逆に家族の気持ちを押し支えている結果になっていると思うので、なんだか皮肉である。

通夜日程を決め、葬儀日程を決め、祭壇を決め、香典を管理し、来てくれる参列者に対して数知れないお辞儀を繰り返す。久々に会う親戚との丁重な挨拶、食事の手配・・・急に訪れる激務の数々をこなすには、気をしっかり持っていなければつとまらない。悲しんでいる時間がまとまってとれないことが、家族の正気を支えているのだと思う。

もし、死者を前にして、何もすることがなく、ただひたすら死に向き合っていたら、遺族のほうも発狂すると思う。人の死に面した直後に、慌しい儀式が待っていることで、気持ちを徐々にクールダウンする機会が作られているのだと思う。

個人的にふりかえってみると、おやじの葬儀の時のことをそれなりに覚えてはいるのだが、どれもに薄い靄がかかっているような感じがする。衝撃の映像が脳裏にはないのだ。葬儀に関した映像のどれもが、何か暖かいものに覆われていて結界がもうけられているような記憶だ。

おやじの死のあと、49日を過ぎたあたりからが、おかんは一番ふさぎこんでいた気がする。それまでは茫然自失で、何がなんだかわからない夢遊病者のような時間を過ごしていたような気がした。後から大きくなってくる家族の死であるが、物理的な肉体がこの世から消える瞬間を、慌しく過ごすことで、一つ一つの物理的作業(火葬の瞬間など)は幻のような映像としてしか、記憶に留められない防御としての効果が、葬儀にはあると思う。

葬儀とは、人間がいくら理解しようとしても理解できない、「死」というものを、強制的に認知させるための儀式であると思う。火葬で肉体が消失することを通して、うまく整理できない頭にとりあえず、「死」という概念を注入する。そして徐々にそれを消化、昇華する時間がその後に続く。だが、その最初には、時間に追われて雑務をこなすことが必要なのだと思う。幻へと導く操縦士としての役目が「おくりびと」であると思う。

年々、パッケージ化され、遺族の負担を軽減することばかりに重きが置かれているかに思える葬儀ビジネスだが、遺族感情を本当に考えるならば、遺族を適度に忙しくしてあげることが必要だと思う。そこに心ある「おくりびと」がいてくれれば、俺たちは「死」を受け入れられると思う。

2008年9月29日月曜日

兄弟模様

他所の兄弟がどうなのかは知らないのだが、俺の兄弟関係は、とても血縁関係とは思えないほどの希薄さだ。

今現在、兄貴は京田辺市にいるのは知っているが、弟がどこにいるかも知らなかった。
昨日のおかんからの電話により、神奈川県に住んでいることがわかったが、住所を知っているわけでもなければ、連絡を頻繁に取り合うわけでもない。

兄貴は2年、弟は7年ほど見ていない。俺が富山に移住した後も、結婚式以外で彼らが富山に来たこともない。普通一般の兄弟関係ではないだろう。

弟はワイルドだ。仕事で長期休暇がとれるとすぐに海外に旅立つ。

ニューヨークテロの時期に、中東近辺にいたこともあれば、シベリア鉄道に旅立ったこともある。タイ、バンコクなどのアジアは幾度となく訪れている。

どこかの国で金銭を取られるトラブルがあって、日本大使館のお世話になったこともあるらしい。おかんあてに電話がかかってきて、海外送金して事なきを得たらしいが・・・。

俺たち兄弟は、たぶん、道端ですれ違っても気付かないのでは?と思うほど、疎遠である。
色んな兄弟事情があるだろうが、俺たちのケースはちょっと問題ありだと思う。

おかんもそのことを気にしていたらしく、昨日電話で話した時に、「あんたら3人、強制的に1度集めなあかんな~」と話していた。

男3人兄弟いう構図は、俺の死んだ父も同じであった。だが、父は兄弟と仲がよく、年に1回は必ず会っていたし、書面のやり取りもよくしていた。だが、俺は兄にも弟にも手紙なんかを書いたこともなければ、長電話をすることもない。盆と暮れもバンドの用事でしか帰らないので、会うこともない。

このままいけば、誰かが死ぬ間際にしか会わないのでは?と思うほどの関係だ。

振り返ってみると、幼少の頃から、兄弟で遊んだ記憶というものが皆無である。兄貴と弟はそれなりに遊んでいたようだが、俺は完全に孤立していたし、小学校高学年になるころには、俺は家族自体との交流もさけていた。

真面目で典型的な長男タイプの兄にしてみれば、家庭内暴力はするわ、深夜に家を抜け出すわ、タバコは吸うわの俺の言動は、耐え難いものがあったと思う。中学時代、深夜に家を抜け出してタバコを吸っていたことが、おかんにばれたことがある。おとんは出張中であり、おかんと深夜のどなりあいをしていた時に、「いいかげんにしろ」と、高校受験勉強に励む兄貴にしばかれたことがある。

普段は寡黙な兄貴であったが、喧嘩したら強かったし、当時から変な威厳みたいなものはあった。兄貴は兄貴なりに、長男としての十字架みたいなものを真正面から背負っていたのだと思う。だが、その時は兄貴の心情に気付くことはなかった。単なる疎ましい存在であり、俺の邪魔をする敵であった。

自分がしていることに対するやましさもあったのだろう。なおさらのこと、俺は家族との交流、そして兄弟との交流を避けた。

20歳を超えてからも、埒のあかない生活をしていた俺は、家族なんてもののありがたさや、家族の1人1人への敬意も持っていなかった。

だが、親父が亡くなる直前に家族が揃った時に、なぜだか知らないが、兄貴が背負っている何か、弟が俺に擦り寄ってくる温かさを急に感じて、その時以来、家族というかけがえのない存在を少しは肯定できるようになってきた。

だが、いかんせん離れ離れの状況、未だに兄貴や弟に会った時は、変な気を遣う。兄貴には敬語になってしまうし、弟にも何とも言えない距離を置いた接し方をしてしまう。真の兄弟関係か築かれる日が来るのか、現時点では映像はない。

兄弟が仲睦まじく接している生徒の様子なんかを見るにつけ、いつも心の奥底で痛んでいるものがある。おかんとの関係は、親父の死後、よい関係が築けていると思うので、今一度、兄弟関係というものを見つめなおしてみたいと思う。

予定では、弟は明後日に帰国するらしい。おかんに電話番号を聞いて、電話でもして、兄貴らしい気配りをしてみようかと思う。

年末に帰省する際には、兄貴の家に何か土産でも持って、弟らしい可愛いさと従順さを示してあげたいなとも思っている。

大事なものに目を向けずに生きてきた日々であるが、昨日のおかんの電話で、兄弟、家族というものについて、少し考えた日であった。

2008年9月28日日曜日

飲み会雑記

今日は夜から、以前の営業職時代の社長と飲みに行った。

カマキリ、カブトムシなんかの自然談義に花を咲かせて、楽しい焼き鳥酒宴であった。
これからの季節の旬の話題である、柿の実を盗み食いした話題、栗を拾い集めた話題等、自然談義にとにかく盛り上がった。

最近良く思うのだが、親が子供に最低限教えてあげないといけないことがあると思う。我が家も子供に恵まれることをあきらめていないので、自分がパパになったことを想定しての意識であるが・・・。

動直物の名前や、その生態系についての大まかな知識と、実体験を子供に、大げさに言えば、次の世代に受け継いでいくことは、伝承という部分で欠かしてはいけないテキストだと思う。

カマキリのあの腹部の膨らみの正体が何であるか、渋柿がなる木と、そうでない木の高さ、出世魚の名前の変遷、たまたま子供が捕まえた生き物を飼う時に必要な生活環境の提供の仕方なんかは、親の教育技量によって千差万別であるだろう・・・・、そんな話を焼き鳥片手にしていた。

富山県片田舎の村の中学生が、昔、全県統一模試を受けたことがある。その時の成績表を俺は感慨深く眺めた経験があるのだが、1教科40点満点の5教科200点満点で、合計30点にいかない、進学面では絶望的な生徒がいた。

その生徒と俺は面識があるのだが、礼儀やマナーなんかは、人間として完璧であり、彼に欠けているのは、学歴社会に不可欠のアカデミックな知識だけであった。

社会の点数は、40点満点で2点だった。その2点の正解が、「遠洋漁業」と「二毛作」を答えるものであった。

俺はこの時に、心から痺れた記憶がある。無敵のかっこよさを感じた記憶がある。

何度も頷きながら、この答案を書した生徒に憧憬すら感じたものだ。

色んな教育哲学があるが、やはり、花や生き物の名前を1つでも多く知っていて、自然を前に、それらを知識としてではなく、当たり前の賛美として次の世代と共有できること、それ以上の教育哲学はないような気がした。

ブログタイトルと全然関係なくなっていた。

今日、実家のおかんから電話があった。弟の消息を知らないか?というものだった。

弟は、先月からIT関連の仕事で1ヶ月の余暇をとって、トルコ辺りに旅に出たらしい。
ネット喫茶から9月の14日に、おかんに消息を知らせるメールがあったきり、消息を断っているらしい。

俺は、弟がどこで何をしているか知らないし、まして外国にいるなんてことも、おかんから今日聞いて初めて知った。

俺とその兄弟との関係については明日以降にでも書こうかと思うが、消息を気遣うおかんの気持ちもわかる。

俺の実父は、10年以上前に他界している。おかんは、大阪のスタンダードなアッパーおかんとして君臨している。

最近思うのだが、おとんもおかんも、自然を愛でる性質の人間であった。生まれが大分と滋賀の田舎者であり、自然と調和して生きてきた人間だ。

だが、俺には自然と調和した教育は身近になかった。花鳥風月を愛でる余裕もなく、官舎と分譲マンションでの無機質な暮らしを始めた、俺の両親の情操的余裕の無さを、最近鑑みて、苦悶にひたる時がある。

色んな価値観があるが、自然の知識が、実体験として沁みて、身となっている人間になりたいと思う、文明まみれの日であった。

2008年9月27日土曜日

へたれ釣り人(海釣り編)

数日前のブログでもふれた、へたれ釣り人の海釣り体験回顧録だ。

初めて海釣りをしたのは、富山に移住した平成7年の秋だった。釣りに詳しい大阪の友人が遊びに来て、釣り道具一式を持って海釣りを教えてくれた。

七尾寄りの氷見の海岸で、俺たちは投げ釣りを楽しんだ。へたれの俺は、当然のごとく餌のいそめを友人につけてもらった。

昼間の最も釣果が期待できない時間帯でもあり、なかなか竿に反応はなかった。友人はそれでも、よく名前がわからない魚ではあるが、数匹釣り上げていて、さすがだと思ったのだが、俺の竿には全く反応がない。

久々に持つリールのリリースタイミングに面白みだけを感じ、何度も巻いては投げを繰り返していた。

友人から、「もう少し海中に入れて待っていたほうがよい。お前は落ち着きがなさすぎる。」と駄目だしをくらったので、不本意ではあるが、じっと竿を垂らして反応があるのを待った。

竿に反応があった。俺は興奮気味にリールをあほみたいに高速で巻いた。友人からは、「魚がばれるから、もうちょいゆっくり巻きなはれ。」とまたもや駄目だしをくらう。

巻くスピードを落としてゆっくり巻いていると、海面に現れたのは・・・

海蛇だった。海蛇という生き物がいるのかを知らずに言っているのだが、間違いなく蛇の形だった。ドラクエに出てくる雑魚キャラみたいな奴だが、俺は身震いした。吸っていたたばこを海蛇の上に落とし、イオナズン代わりにした。

さすがに友人も気持ち悪がって、俺の仕掛けごと切って海にリリースした。

俺の初めての海釣り釣果は海蛇だった。嫌な予感はしていたのだが、その後も俺は稀有な釣果ばかりに見舞われる。

竿に微かな反応があったきり、その後反応がないので、餌を取られたのかと思って糸を巻くと、ヒトデが釣れていた。星型のど真ん中に奴らの口があることを初めて知った。中央の口にがっしりと針を飲み込んでいやがる。友人に外してもらって、俺たちはヒトデを砂浜に放置し、「干上がりの刑」に処した。

再び気を取り直して投げ釣り再開。 またもや微かな反応があったきり手ごたえがないので、餌の付け替えで糸を巻くと、何だか重たい。海藻でもいっぱいひっかけているのだと思っていたら、何と蟹が連れていた。500mlのペットボトル大の御汁蟹だった。

だしをとるための蟹は、鍋の中で見ると良いのだが、実際に生きている奴を見るとこれまたなんだか恐ろしい。俺はいやがらせで鋏を踏んづけながら、針をひっぱり、口裂き外し攻撃をして、足で海に蹴ってやった。「海の出汁でもとっていやがれ!」

初めての海釣り釣果が、海蛇、ヒトデ、蟹・・・ある意味釣るのが難しい外道だ。

その後、知り合いの船でキス釣りに連れて行ってもらったこともあるが、陸を離れて10分で船酔い、ゲロッパしている横で、キスを釣り上げる嫁がいた。

まともな釣りは向いていないと思った俺は、防波堤でのサビキ釣りを始めた。防波堤下にいる小あじを、コンドームの切れ端みたいなゴムを付けた疑似餌を付けた5連針で釣るのだ。餌も付ける必要がないし、あほみたいに釣れる。俺は「これだ!」と思った。

だが、釣り上げた後になんだか空しさが残る。浮きを見て釣り上げるのが本来の釣りだと思っている俺は、自分のしているサビキ釣りが邪道に思えた。

ビニール手袋でも常備して、次回はイソメを自分で付けることを業と課して、防波堤からの投げ釣りに挑戦したい。

へたれ釣り体験とは話がそれるが、釣り用語というのは、日本語として味わいがあるものが多い。

「まずめ時」・・・明け方や夕暮れの薄暗い時間、「朝まずめ」、「夕まずめ」と使い分ける。

「オデコ」・・・魚が1匹も連れないこと。「ぼうず」「あぶれ」とも言う。

「おまつり」・・・自分の仕掛けと他人の仕掛けが水中で絡んでしまうこと。

俺は、「まずめ時」の釣りも、「オデコ」も、「おまつり」も経験がない。風流な言葉すら体験してない、へたれ釣り人だ。

2008年9月25日木曜日

ブログ一周年

昨秋に始めたブログも、はや1周年。今ではすっかり生活習慣となりつつある。毎日10分から15分、キーボードを叩く習慣が出来てきている。

未だに、ブログを何のために書しているか、個人的な随想をウェブ上に挙げることに何の意味があるのか・・・、確固たるものはない。

個人的な随想とは言ったものの、完全なる自己完結型でもない。日々の出来事を書するだけの日記でもない。ネット環境が整備されだした今だからこそある、新しい形態のブログというものが、長期的に自分の中でどんな役割と意味を持つのかもわからない。

ネット環境にある人の多くにとって、ブログが身近なものになること、それが趣のあるものとは思わない。

完全なる秘め事でもないが、匿名性も帯びており、完全なる露出でもない。

無数にはりめぐらされたボタンをたまたま押したら開く、小さな小部屋、そしてそこに羅列された文字と小さな主張。

俺は外部に対して自意識過剰ではない。ネット上にブログを挙げ、「俺の主張を聞け!どうだ?すごいだろ?」とか、「毎日更新しないと見てくれている人に申し訳ない。」といった、かん違いはしていない自信がある。

その一方で、完全なるネット上で開かれている以上は、それなりにしっかりとした主張をせねばならないとは思っている。ネット上で繋がっていることに対しては、いまだ違和感はあるが、それでも繋がりに対して真摯たるべきとは思っている。

ブログを書する意義はなんだろう? 何でも意義があるから行って、なければしないというものでもないし、別に意義があるかないかは、どうでもいいっといえばいいのだが、少し気になるところだ。

個人的に今感じている、ブログの意義を考えてみる。動機と言ってもいいかもしれない。

「よくもまあ、ほぼ毎日、これだけの文量を書くね~。」といった意見をこの1年間、よく言われた。

実際、ほぼ毎日書く上で、文量の目安は自分自身で意識している。原稿用紙換算で4枚くらいの文量に出来るだけ過不足なく収めたいと思って書してきた。なぜか?

自分自身の中で、毎日言葉を紡ぐ作業の時間を設けたいと思っていて、その文量が、自分の中で原稿用紙4枚ぐらいが適量であることに、ブログ開設してからすぐ気がついたからだ。

スーザン・ランガーの言葉だったと思うが、「人間の「感覚」の世界は大海であり、人間が「表現」できる部分は、その中の小さな島でしかない。」といった主旨のものがある。

表層的であれ、深層的であれ、自分が思っていること、感覚というもの、それら全てを言葉として具現化していく作業の面白さと、突き詰めた果てにある限界を受け入れる潔さとを、バンドでの20年に及ぶ曲作りを通して感じてきた。

難しい言葉を使えばいいというものでもないし、語彙知識数が、感覚の言語化の成否を大きく左右するものではない。

既知の言葉を出来るだけ優先して、それでどうしても補えない場合は、必然性を持った難解な語彙を探す。そして、少しでも自己の感覚に近い言葉を取り出す作業、これは困難だが、出てきた時の喜びが大きい。

綿と繭を糸車にかけて糸を引き出す作業を「紡ぐ」と言うが、感覚を思考にかけて言葉を出す過程が、まさにこの「紡ぐ」という作業にぴったりな気がする。

評論家がするような、知的な言葉の結晶作業と似ている気もするが、どこか違う。無からの言葉の吐き出しではなく、既存の言葉を通しての、まさに「紡ぐ」という作業だ。

これを突き詰めて考えていくと、俺の中では、歌詞を作る作業とブログを書する作業は、意図するものと動機が同じであるのだと思う。

産みの苦しみといったほど大げさなものではないが、言葉に関しての天賦の才能がない俺は、毎日原稿用紙4枚の言葉との対峙をすることで、この1年間、以前では紡ぎ出せなかった言葉が、歌詞となって出来てきている気がする。そういう意味で、毎日15分、原稿用紙4枚の、自分にとって心地よい修行を続けていきたいと思っている。

といって、個人的にノートに書してもいいわけだし、ブログである必然性があるのかないのかはわからない。ただ、書いたものをウェブ上にアップする作業を通して、言葉との対峙の仕方に重みを増している気がする。それが意義だと思っている。

個人的な修行過程を見せ付けられてはたまらないと思うが、たまに字面を追いたくなった時、拙ブログにお付き合いいただければ幸いである。

新内閣

麻生体制が組閣された。いつも不思議に思っているのだが、国会議員さんはみんな大臣になりたいのだろうか?

大臣になって集合写真を撮る時なんかの表情を見ていると、激務の潮流に入った険しさというよりは、アカデミー賞なんかの授賞式のような表情を感じてしまう。
知名度商売ゆえ、肩書きがあたる事は、それなりに選挙効果もあるのだろうが、それにしても晴れ晴れとし過ぎた表情に思えてしまうのは、俺だけではないと思う。

ただ入閣された議員さんが軽く感じるのも仕方ない気はする。なぜなら、いつまで続くかわからない内閣で、長期的なビジョンを持とうにも持てない。本当の意味での実績を残すのは運頼みの現況では、職責の重みを感じろ!と言うのは酷だろう。

大臣職は、得てしてただただ、飾りの肩書きであり、在任中に何か火の粉が舞い降りなければ、履歴書の肥やしになるぐらいの価値しかないのが現状だと思う。

本来、大臣職というのは、国家を会社に例えた場合、各部門の部長職、あるいはトヨタなどの大企業においての副社長、専務、常務職にあたるものだ。抱える重圧は並大抵ではない。

収入的見返りも多いが、その分職責も大きく、死期を早めかねないほどの重圧の中で格闘している企業内大臣職(オーナー企業、同族経営は除く)の人と比べると、政治家の大臣職は、ポスト的重さが違う気がする。

政党政治の限界が見える気がする。いくら今回の組閣に入った大臣が、どれだけ良い仕事をしようとも、総選挙結果次第では失職する。

「今の世の中の構造を変えたい。そのために今から2年は、この政策をして、その後にこれをする。」といった、長期ビジョンを持つのは、現状では不可能に近い。2年後まで自分が大臣職にいる可能性が低いからだ。担当が替われば根本政策自体の抜本的政策も見直されかねない。

国の舵取りをする大臣が、このようなシステム化に置かれていること自体が、多くの問題の現況であることに異を唱える人が少ない。

野党が醜く思える1番の要因は、この大臣降ろしのきっかけ作りに精を出していることではないか?とそう思う。

重責を感じて、とにかく政策を打ち出している大臣に、政治的理念で討論して対立するのは構わない。むしろそうしてほしい。だが、野党がすることは、大臣の政策うんぬんよりも、憎い政党の管理職に対してのあら捜しだ。

政治資金絡みの不備を探しては週刊誌にリークし、発言の重箱をつついては糾弾する。新聞は新聞で、こんな痴話げんかをしっかり載せる。建前を排除した場合、職務の重さからしたら、どうでもいいやんけ!と思う。

政策の不備、政策の矛盾、政策へのアドバイスを述べる議論と報道がなされる回数は、週刊誌ネタの報道と比べて非常に少ない。大臣に期待するならば、大臣の政策面以外でのあらさがしをやめるくらいの、暗黙の了解があって然るべきだと思う。

大臣候補になるクラスの議員さんで、叩いて埃の出ない人は皆無だと思う。共産党の人を除いては、ほとんどの人が、叩く尺度(これ自体理想と現実の大いなる矛盾だが)によっては埃も出るし、よく調べたら染みも出る。

首相、大臣の政策が本当に素晴らしくて、国民に恩恵をもたらしてくれるならば、首相、大臣個人の多くの問題は不問に出来るだけのキャパは、国民大多数が持っていると思う。不問できないのは、不問できない傷を自らにも持っている野党の人たちだけだと思うのだが、暴論だろうか?

大臣ポストに優秀な民間人を登用したくても、誰もなりたくないだろう。己が信ずる理論を貫こうにも(良い悪いは歴史的にしかわからないし、とりあえず不問にする)、任期がいつまでかわからないのだ。短期的戦略の連続を余儀なくされる。小泉内閣時の竹中大臣なんかは、そういう意味では、後に一時、議員になったにせよ、幸せな民間人だったと思う。

政党政治は存続しても良いと思うが、政権を委任する政党を最初に信任投票するのではなく、国家の役員である大臣を、国民投票で決め、その大臣が多く在籍している政党から首相を選出するというシステムに変えたらどうだろうか?と思う。各政党から大臣候補をまず最初に出すのだ。

例えば、大臣ポストが10あれば、それぞれの大臣を国民が投票で信任する。大臣の任期は、死亡や病気を除いて、基本的に5年は保証する。そして、過半数の6人以上の大臣を送り出した政党総裁が、総理大臣になる。

当然、マニフェストが国民全体に知れ渡るようにしなくてはならない。政見放送や、新聞への記載、個別の郵送物など経費はかかるが、わけのわからない演説まみれの選挙よりも安くあがると思う。

田中角栄の馬力が欠落した自民党、理想論で裏づけのない民主党、盲目のロマンチスト公明党、おばちゃんの政治ごっこ社民党、アレルゲン共産党、黒い意地なる国民新党・・・、政党は色々あれど、その中の大臣職に値する人は必ずいるはずだ。それらを国民がしっかり見極めて、投票して、政権与党を作り出せばよい。それが真の民主主義だ。

そして、選ばれた大臣が行う政策に関しては、種々の利権や意見があれど、最低5年計画でやらせてみるだけの腹づもりを国民も持つ。

やっぱり、大臣職がころころ変わるシステムは良くないと思う。役員がころころ変わる上、その役員職が利権で変えるものであるような会社は、きっちり淘汰される時代だから、国家の役員も、しっかり職権と、それに見合うだけの莫大な恩恵も与えてあげたらいいと思う。

個人的には、火中の栗拾い、石破大臣に期待している。

2008年9月23日火曜日

巨人の構図

巨人が絶好調だ。だがアンチ巨人というよりは、今の巨人に好きな選手がいない俺は、この追い上げに対して全く興奮しない。

興奮しない代わりに、さすが巨人の選手だな~!と思う部分はある。巨人の選手で前半からずっと一年を通して働くのは、若手か助っ人であり、その他の選手はシーズン後半になって活躍する傾向がある。もちろん他の球団にも見られるのだが、巨人の選手は顕著だ。

やはり、年俸査定に備えて、球団経営者に良いイメージを残すための心理的作用があるのだろう。他の球団は年俸査定に対して、シーズン全体を通してや、長年の貢献度しっかり査定しているのだが、巨人の場合は、後半の活躍に対して大甘な印象がある。データを見比べたわけではないが、主要選手の月別成績を球団ごとに出し、それぞれの選手の年俸増減を比較したら面白いデータが出ると思う。

後半になって活躍しだした阪神今岡と、同じく後半になって先発復帰しただけという程度の上原の次回年俸増減を比較したら、俺の言っていることがわかると思う。今岡は強烈に下がるが、上原は公表額でも微減で済むと思う。まして、メジャーに行くとかほざいているが、残留を決意したならば、大甘現状維持もあり得るのではないかと思う。

やっぱ、中日岩瀬選手のような、長年にわたり。良いときも悪いときも地道に淡々と、与えられた仕事をこなしてきた年月の重みを持った選手が現れない限り、巨人に愛情は持たないだろうと思う。

小笠原、ラミレス、谷、木村拓也、グライシンガー、クルーン、門倉、豊田、李といった巨人主力の面々を見て、多くの指摘がなされることだが、ほんと生え抜きを育てられない球団になってきている。

他球団がせっせと育てて、選手が本格化しだしたころに、巨人は大金をちらつかせて選手を誘惑する。

生え抜きの若手は、日々の努力が実力となって実る頃に、強烈な外様が入ってくることでやる気を無くす。

今年、原監督が生え抜きの坂本を辛抱強く使い続けた采配は見事だと思ったが、坂本のような処遇が出来るのであれば、巨人は数年間、助っ人を獲得しなくても大丈夫なだけの逸材がたくさんいるはずだ。でも、さすがの原さんといえども、外様を無視して生え抜きばかりを作って育成期を設けることはできなかったのだろう。

球団首脳の眼力の甘さ、査定の無能さが巨人の伝統となってきた昨今、他球団からの移籍大物選手は、トップのあほさ加減を知っている。だから、体を張ったプレーをして選手寿命を縮めるような馬鹿なことはせずに、シーズン後半にだけ活躍して年俸維持を図る。
稼業としての野球をやっている人たちにとっては、巨人は魅力あふれる球団なのであろう。

球団の本質を知ってしまうと、生え抜き若手のようながむしゃらさを求めるのも酷だろう。先に挙げた9人の選手が決して悪いわけではない。こんな状況でよくやっているなとさえ思う。そして、巨人以外の球団も、最近は資金力で外様を獲得する傾向にあるし、巨人の外様割合が高いだけで、球界全体の風潮だとも思う。

散々巨人の悪口を書いたが、俺は、こんな球団が存続すること自体はいいことだと思う。
経営陣にしても、大金をはたいて無能さを露呈してくれるのだから、ご機嫌である。

選手も、その時々の技量と、野球に対するモチベーションに応じて、球団を選べる者は選べばよいわけだし、色んな受け皿があったほうが選手にとってもよいし、個人的には高額外様を多く並べた球団に、生え抜き選手を揃えた球団が勝ち越す様を見るのは楽しい。

巨人も巨人で、「わしらは金持っているから、金にものいわせていっぱい良い選手とりますよ。悔しかったら資金力挙げてから反論しやがれ!これも1つの球団運営だ。」と言えば良いのだ。

その上で、野球人、ファンからの裁きを待てばよい。

腹が立つのは、最近話題になっているドラフト候補の目玉選手が、日本球団を拒否して、メジャー球団に直接売り込むことに、巨人首脳が大反対していることだ。お前が言うな!

「日本球界にとって大きな問題であり、もしこんなことが許されるならば、我々はメジャーから全選手を引き上げる」と言っていた。あほか!

かつて、「たかが選手が・・」とほざいたナベツネ君率いる奴らは、「たかが巨人の首脳」である。視聴率も低迷してきた落ち目球団の一首脳の分際が、イチロー、松坂などの選手を引き上げると言える神経がわからない。伸びきった鼻を滝に流してやりたい。

日本球界の問題という大きなテーマで反対しているが、単純に巨人首脳の発想は、お金で魅了させる技量しかないから、お金で釣れない選手の希望に、腹を立てて、邪魔をしてやりたいと思っているだけだと思う。

資源の確保も食糧の確保もワールドワイド、選手の働き口もワールドワイド、なんで野球だけ鎖国に今さら努力するんじゃ! 他球団のオーナーなどが、メジャー流出に反論している主旨と、巨人の反対主旨は根本が違っていると思う。

浅はかで傲慢な巨人首脳は、国家、経済界を低迷させる、能無し首脳の構図全てにも当てはまる。

今の巨人の地位を築きあげたのは、戦後の社会体制と、長島・王といった生え抜きスーパースターが、そして、彼らほど目立たないが、立派にチームに貢献した人たちが残した功績だ。

現場社員がせっせこ働いて繁栄を築いた会社のトップに、現場を知らない外様、世襲トップが立つという、経済界の構図。

多くの人の努力と時流に乗って日本が経済大国になった時、一部の馬鹿首脳が発言権を増す土壌も作られた。そしてそれから数十年かかけて、彼ら馬鹿首脳が経済を悪くした。そしていまや日本は経済大国でもなんでもない。

巨人の場合で述べてみると。

多くの選手の努力と時流に乗って巨人が球界君主となった時、一部の馬鹿首脳が発言権を増す土壌も作られた。そしてそれから数十年かけて、彼ら馬鹿首脳が球界を悪くした。そしていまや巨人は球界君主でもなんでもない。

そして、現場を知らないくせに、絶妙の悪いタイミングで現場に口を出す。中途半端に庶民目線に下りて、媚を売る一部の政治家と同じだ。わからない分野には黙って、金だけ出して無能さを露呈しやがれ!中途半端に操縦士たろうとする神経が癇に障る。

巨人でプレーする選手に罪はないのだが、巨人首脳の馬鹿さ加減が国民全体の嘲笑に変わるとき、わが国は何かが変わる気がする。

2008年9月22日月曜日

後遺症?狂騒

昨日の3時ごろ、生徒の質問対応をしていたら、何だか変な痛みが肩と首にきた。
その時はたいして気にしていなかったのだが、家に帰った後から徐々に痛みが増してきた。
左肩の辺りに、もう一枚肉が重ねて置かれているような重みがあり、肩辺りの重み、鈍痛が徐々に首にきた。嫌な予感がしてきて、風呂にゆっくりつかり、サロンパスを貼ったりはしてみたものの、痛みは増すばかり。しまいには、首を左と上に可動させようとしたら激痛になってきた。

寝転びながら本を読んでいたのだが、だんだん痛みが強くなり、寝転がって読むのが困難になってきた。ベッドの壁際に背を当てて体育座りして読んでいたのだが、それも徐々に苦しくなりだした。

早く寝なきゃと思い、まくらを外しフラットな体勢で寝るのだが、仰向けは痛い。横向きもどちらの向きでも痛い。うつ伏せは比較的楽なのだが、首をどちらかに向けないと窒息してしまう。以前通院していた時にもらった、痛み止めの薬があったので服用すると少し楽になったが、効果が切れだした朝型には痛みで目が覚める。もう最悪だ。

交通事故に遭ったのは一昨年の12月20日であり、もうすぐ2年になる。今までにも、ライブ明けに首が痛くなったりしたことはあったが、それは首を振り振りリズム取りした原因がある。だから、事故の後遺症とは考えなかったし、実際に痛みもすぐに消えた。

事故の後遺症らしい後遺症が全くなかったわけではないが、季節変わりや梅雨時の鈍痛ぐらいであり、それ自体もたいして気にはならなかった。

だが今回は、昨日の3時に初めて痛みを感じた時から、何だか今までにはないような感触があった。筋肉が徐々に凝固していっているような気がして、「これは痛み増していきそうだ。」と危惧していたのだ。それが現実になった。

ほとんど眠れずに、朝1番で医者に行った。レントゲンなんかでは当然何の異常もない。以前、入院、通院していた時と同じ、電気とマッサージ治療で少しは痛みがましになった。
だが、整形外科医はレントゲン診察が基本なのだろう。特に原因がわからずじまいであった。胃を悪くしそうな薬を処方された。

痛みが一時的にはましになったが、不安は払拭されず、接骨院にも行った。そこの先生がすごい。体を少し触っただけで、全く痛くもないのに、すぐに筋肉の可動範囲が大きくなり、重かった肩が軽くなる。整形外科にあったものとは違う、全くピリピリ感のない電気治療もした。

接骨院の先生は言った。「緊張を解かない筋肉部分があり、それが原因だろう。事故で神経の調整機能がおかしくなったのだろう。そういう意味では後遺症かもしれない。」

「後遺症」という言葉を聞くだけで不安になる患者心理も察してくれたのだろう。手の痺れの有無なんかを聞いた後に、少しずつほぐしていけば大丈夫と言ってくださった。

レントゲンをあてて薬を処方されるほうが、何だか診断っぽい気はするが、接骨院という職人の手で診断されたことのほうが、俺には大事で、治癒に近づくもののように思えた。

もちろん、ケースバイケースだろう。外傷性の怪我ならば整形外科による治療が必要である。だが、肩こり、むちうち、ねんざ、打撲なんかは接骨院の腕による治療の方が正確で的を射ていると思う。

なぜなら、レントゲンは骨組みを写すが、筋肉の詳細はわからない。それに整形外科医は接骨院の先生方ほど実際に触診もしない。骨格と筋肉のメカニズム、理論ではどちらの先生も同じくらい知っておられるのだろうが、様々な事例とわが腕での臨床体験は、接骨院の先生に軍配が上がるだろう。

事故で入院した時の激痛の日々がトラウマにあるので、後遺症かも?と思う瞬間はとてつもなく恐ろしい。

だが、信頼できる骨格と筋肉のプロが身近にいれば、その不安の多くは解消される。

整形外科を西洋医学、接骨院を東洋医学と考えると、病気に応じての関わり方次第であるとは思うが、高度な学問を経て大成された西洋医学が、柔道整体師の蓄積された手腕や、自然界のものを活かして体を治癒させる方法に劣る事例を見ると、近代医学、西洋医学ってなんだ?と思ってもくる。

今後も俺自身が抱え込んだ後遺症とやらと上手く付き合っていかないといけないのかと思うと、整形外科医を出た後には希望もくそもなかったが、接骨院を出た後には、なんとか付き合っていけるような気がした。

今も左側への可動に痛みを感じるが、寝られないほどではない。昨日は、立っている以外は激痛が走ったので、鶴みたいに片足で立って眠れたらどんなに楽だろう?と思った。眠たいのに睡眠欲を上回る激痛と恐怖に、精神的にかなり取り乱された。

何とか折り合っていける!という希望を持たせてくれた先生に感謝である。

ただ、こういう精神的なプラスイメージが度を越すと、それは盲目の個人崇拝に繋がるような気もする。接骨院の先生の技量を尊敬して個人崇拝はしない。体が持っている自然治癒力だけを賛美して、痛みごとに取り乱さないようにしたい。そして、西洋医学と東洋医学を、自己の尺度を信じて使いわけたい。

2008年9月21日日曜日

へたれな釣り人

今朝方は肌寒かった。すっかり秋が存在感を増してきた。この時期になるとわが家から車で10分ほどの海辺には、小あじとサヨリがうじゃうじゃ寄ってくる。毎年、釣りに行きたくなる時節である。

小学生の時は釣りが好きで、好きでたまらなかった。毎月の小遣いやお年玉は釣り具を買うか、Nゲージの鉄道模型を買うかに費やしていた。

近くに海がなかったので、ひたすら湖沼か川での釣りだった。海釣りが出来る環境が身近になかったので、海で釣ることは大人になってからの楽しみにしていた。

釣りキチ三平を読み漁り、仕掛け作りにこっては、休みごとに釣りを楽しんだ。自転車で行ける距離には山田池というのがあって、今じゃ釣りは禁止されているのだと思うが、昔は許されていた。ここではブラックバス狙いでブルーギルまみれの釣果を楽しんだ。

バスに揺られての淀川、電車に乗っての四条畷室池も行ったが、定期的な交通費の捻出は困難であり、自転車で、くろんど池やら用水やらため池やら、近所の行ける所は全て行った。

この時期の俺は、釣り人としての致命的な自己の欠陥に気がつき悩んでいた。生餌が怖いのだ。ミミズごときでも俺を威嚇するには十分であり、海釣りのイソメなんかは、見ただけでも俺にとってはエイリアンであった。

友人には俺のへたれぶりを悟られないように、独自の理論で練り餌をこだわって使い続けた。マッシュポテト?だったか白く良い匂いがする練りえを一番に好み、次にスイミーを好んだ。さなぎ子はさなぎが怖いので避けた。臭いも鼻を破壊するには十分の、生類の生臭さがあって嫌いだった。

生餌を使う友人との釣果の差は歴然だった。練り餌を投げ釣りで使うと、練り方によっては、投げた瞬間に針からばらけてしまう。それも知らずに餌のついていない針を垂らして浮きを見ている光景はこっけいだったろう。

あまりに釣果が出ないので、俺は勇気を出して、釣り友の和彦君に、自己のへたれぶりを打ちあけた。

「一生のお願いがあるねん。ミミズ付けてくれへん?」

和彦君はいい奴だった。俺のへたれぶりを暴かずに、喜んでつけてくれた。極太ミミズの胴体をブチっとちぎり、俺の針に美味しそう(魚基準)につけてくれた。針の先には尻尾をひらひらとさせ、生きているかのような見事な餌付けだった。

胴体から下だけがあって頭はないわけだから、ミミズは確実に死んでいるのだが、のっぺらぼうのミミズ君は水流でひらひらと生命力を演出してくれたのだろう。釣果はよかった。

練り餌では、百科事典にも載っていないようなマニアックなミクロ魚ばかりの釣果だったが、生餌にしてからというもの、釣れる魚のサイズも大きくなり、ヘラブナなど立派に名前を冠された魚を釣り上げることが出来るようになった。といっても20センチくらいまでだったが、俺には十分大物だった。

俺は調子にのった。道糸、ハリス、針のサイズを大きくし、釣竿も太くした。完全なる大物狙いにしたのだ。

場所は淀川、和彦君と一緒に朝から行き、俺は針に極太ミミズを数匹まとめて付けてくれるように頼んだ。

和彦君は、「いっぱい付けたらいいっちゅうもんでもないで~」と言ったが、俺は、「かまわん。付けなさい。」とこの頃は既に餌付けの感謝を忘れ、偉そうに命令していた。

自己の器を考慮せず、偉そうに餌を付けさせたことで罰があたったのだろう。

生涯、初めて感じるヒキがあった。手網を持っていない俺は、興奮と焦りの中でリールをひたすらまいた。俺のデカ針が、がっしりと魚の下あごに命中していたのだろう。不思議とばれる(かかった魚が針から外れてしまうこと)心配はしていなかった。

川面から現れたのは、50センチ以上の雷魚だった。俺は生まれて初めて雷魚を見たのだが、鯰か蛇のように思った。でかさに圧倒され、竿を放り出したいくらい動揺した。川面を離れ空中で暴れまわる雷魚、俺は引き寄せることも怖くて出来なかった。おろおろしていると、糸がぶらんぶらんとなって、雷魚が俺の顔面に当たった。

俺は気絶に近い状態で泣き出した。竿をなげた。地面では雷魚が暴れまわっていた。

その後どうしたのか覚えていないのだが、夕焼け空を見た記憶があるので、その後も気を取り直して釣りを続けたのだと思う。

だが、この日を境に、俺は生餌での釣りをやめ、ルアーや毛ばりの疑似餌釣りに精を出すようになった。湖でのブラックバス釣りや、渓流でのニジマス、岩魚釣りに夢中になりだした。

今でも生餌に対する、へたれぶりは治っていない。仮に大きな魚が釣れたとしても、俺はその活き活きとした暴れ具合に大人泣きをしかねない、高純度のへたれを持っている。

だから、近所の防波堤での小あじ、サヨリといった、喧嘩したら勝てそうなサイズの魚釣りだけで十分なのだ。ピースフルなのだ。

海釣りを初めてからも恐怖の思い出はたくさんある。また吐き出して、へたれ供養をしたいと思う。

休日雑記

生活リズムが変だ。堅気な時間に寝る日とホストタイムに寝る日がランダムにくり返され、体内時計が狂っている。

睡眠リズムは不思議なもので、睡眠不足の時に限って早く目が覚めたりするし、物理的環境が何時間眠れるかに関係なく、目が覚めるまでの時間、熟睡度合いは違う。

昨日の睡眠では変な夢を見た。

猛烈な台風が上陸してゲリラ豪雨が人々を襲う。「頭髪に雨を1リットル浴びたら河童に変身する!」という警報を気象庁が流し、人々は濡れないように頭を防御する。その防具が軒並み皿であって、皿を頭にかざしながら走り回る人々の姿が全員河童みたいで、それを眺めているうちに、人々の体が緑色に染まっていく・・・、といった夢だ。

何を予期して、深層心理の何がこんな夢を見させたのだろうか??? 

気持ち悪い目覚めであったが、起きてすぐに『ほぼ日刊イトイ新聞の本』を読破し、また寝る。

昼過ぎに再び起きて、久々に錆びた弦のアコギを爪弾く。爪が割れて爪を切る。そして指腹で弾く。何だか素敵なコードを押さえて、「赤い帽子 涙で小さくなった」という歌詞が浮かぶ。その後が浮かばず小さくなって飽きる。

本屋に行く。レイアウト変更がなされていたので、書店が売りたいと思っている企画棚を覗くが、戦争ネタと歴史物が多く、相変わらず興味がわかない。

新刊棚を巡って、文庫を3冊購入する。

『「80年代地下文化論」講義』 宮沢章夫 白夜書房
前回書店に行った時にも購入を迷ったが、1300円という値段に敬遠して立ち読みを企んでいたのだが、読み返す価値ありと判断して購入。東大での講義録。

『啓蒙かまぼこ新聞』中島らも 新潮文庫
らも氏の著作はほとんど持っているのだが、これは昔に「宝島」だったかの連載で読んだ記憶しかなくて、ずっと読みたかったデビュー作だ。氏の後の著作で度々ふれられるエピソードであって、内容はなんとなくわかるのだが、438円という廉価にも魅かれ迷わず購入。

『イマイと申します』日本テレビ編 新潮文庫
テレビをほとんど見ないから、どうしても好奇心をそそられるタイトル、ネタであり、個人的尺度としては立ち読み範疇なのであるが、何だか立ち読み気力がないわりに早く読みたくて購入。

家の文庫収納棚がまた手狭になってきた。昨年3月に150冊ほどをヤフオクなどで整理したのだが、またまた乱雑になりつつあり、収納スペースも尽きて山積みと化す。
再び整理意欲が涌くのはいつになるだろうか??コレクターちゃうから所有欲はないのだが、著者に敬意を表すると、無下に捨てる気にもならない。

『イマイと申します』を完読してから家庭教師へ。そして、昨日ブログでふれた通り、家庭教師終了後は麻雀へ突入。

今回は3回しかしなかったのだが、半チャン1回が平均2時間近くかかっていた。
個人的には最低最悪の牌との遭遇。いや、遭遇出来ずにニアミスばかりで1人負けをくらった。

配牌で3面待ち( 2,3,4,5,6)の組み合わせが2つありながら、流局まで1度も入らないという、劇的な不運も味わった。

変な夢から書店巡り、変な運の流れの麻雀と、何だか奇妙な一日を終え、1日の区切りのわからない朝方にキーボードを叩いている。横では嫁が俺の蒲団を蹴飛ばしている。寝相はいいのに、俺の蒲団はしっかりベッドの枠外に蹴飛ばしやがる。髪の毛を一本ひっぱって嫌がらせをしたら、蹴り付けられた。パンキッシュだ。

サイケデリックな24時間の最後にパンキッシュ・・・。今日は昼から仕事だ。『啓蒙かまぼこ新聞』を読んで寝ようと思う。

2008年9月20日土曜日

記念日

最近好きで毎日見ているページがある。http://www.nnh.to/
「今日は何の日 毎日が記念日」という、記念日だらけを編集したページだ。

「~の日」というのを制定する場合、そのほとんどが語呂合わせだったりする。例えば、「11月22日」を「いい夫婦の日」としたりするものだ。こういったおやじギャグ的なセンスは嫌いではない。むしろ好きだったりする。

語呂合わせ以外にも、史実にちなんだ記念日制定も多く載せられていて、読んでいて毎日が楽しい。

日本人だけに限らないのかもしれないが、とにかく記念日が好きな国である。単なる栄誉を残すための記念日から、祈念するための記念日までありとあらゆる記念日が毎日ある。祝日なんかも記念日であるし、このページタイトルの「毎日が記念日」というのは納得がいく。

毎日何かに祈念して、記念して願盃、祝杯をあげるというのは良いものだ。「酒が飲める飲める飲めるぞ、酒が飲めるぞ」という歌があるが、そのご機嫌加減が好きである。

9月20日の記念日を紹介する。

①「バスの日」
1903年(明治36年)に日本初の営業バスが京都・堀川中立売~七条~祇園の間を走ったことにちなんで、日本バス協会が制定したらしい。

なかなか良い記念日だと思う。そうか、日本初の営業バスは東京だと思っていたが京都だったのか。

大政奉還の時に生まれた人が36歳ぐらいになる時に、その舞台となった二条城近くから祇園に向けて営業バスが走りだしたこと、そしてその翌年に日露戦争に突入したこと・・・。想像してみるだけで興味深くて楽しい。

それにしても、京都は地名を聞くだけで涙腺が緩む何かがある。京都という単語は俺の「涙腺記念日」とリンクする。


②「空の日」

1911年(明治44年)、山田さんという人が開発した飛行船が、1時間の滞空時間で、東京上空1周旅行に成功したことにちなんだらしい。

明治36年にはバスが走り、44年には飛行機が飛んだ。

俺は今年38歳になるが、もし俺が江戸晩年に生まれていたら、生まれた時には鎖国文化があり、そして物心つき出す頃にハイカラがあり、今の俺ぐらいの年になる頃には、バスが走りだす。そしてその後飛行機が・・・。

何だか時代のスピード感に対する認識が変わった。

パソコンの普及、ゲームの普及、携帯電話の普及に対して、俺は人類史上極めて大きな変革を遂げる稀有な時期に生を受けていると認識していたが、幕末に生まれて成長した人たちの時代変遷のスピードも、それはそれでえげつないものがあったのだと思った。
いや、むしろ武士から欧米化への変遷の方が強烈であったろうなと思った。

と、こんな風に色々楽しめるのである。

ちなみに毎月20日は「頭髪記念日」らしい。秋になってフォーリンする我が髪に何を記念するのかわからないが、毛根をしっかり洗って、文明開化しないように祈念したい。

今日は、夕方家庭教師を終えてから麻雀をする予定だ。

「この牌を 君が欲しいと言ったから 迷わず捨てます ふりこみ記念日」(「まえけん全集第6巻『サラダじゃない記念日』より引用」

2008年9月19日金曜日

職人の顔つき

俺の大好きなイチロー選手が200本安打を達成した。8年連続200本安打という、とてつもない記録だ。107年ぶりのメジャータイ記録である。記録達成を3安打の固め打ちで決めるというのもかっこよすぎる。イチロー選手はここぞという記録の日にはほとんど固め打ちで決めている記憶がある。

今年の前半は低調(といってもイチロー選手ならではの低調さであるが)であった。それにも関わらずコメントは的確で飄々としていた。何かとてつもない次元の自信があった上でのコメントであり、時期が来たらペースをあげてくれると思っていたが、思っていた以上に順調に達成してくれた。1ファンとして感動に感謝したい。

最下位チームでの打撃は、モチベーション面で大きなマイナスであろうに、確固たる自分のスタンスを異国で貫き通せる精神力の強さは、色んなスポーツ選手がいる中でも1番だろう。

以前、テレビ番組で見たのだが、イチロー選手は毎朝カレーを食べることに始まり、球場入りしてからのウォーミングアップを含め、全てのルーティーンワークをほぼ正確に淡々とこなすらしい。試合中継を見ていても、打席に入る前、守りに着くとき、同じように体をほぐしている。

単調な毎日に単調な作業をこつこつと抜かりなくこなすこと。一般人の仕事の局面においてもなかなか難しいであろうに、あれだけの注目を集めて邪念も入りやすい環境の中でそれを貫き通せるというのが素晴らしい。

そして、単調な作業を繰り返す中でも、種々のマイナーチェンジは繰り返している。フォームを定期的に修正しているのは、彼の中での飽くなき探究心の表れである。ただただぼ~っと繰り返しているだけではない。変えないところと変えるところの組み合わせ方が完璧だと思う。

あまりに素晴らしすぎてお手本として見習いたいと思う動機自体も申し訳ないくらいであるが、バンド活動、日々の仕事などにおいても、真面目に心をこめた積み重ねというものを意識したい。

それにしても、スーパースターは孤独だろうなと思う。一般人とは次元が違うのに、一般人が会見なんかで質問するわけであるから、そのほとんどはコメントのしようがないものだと思う。

時に無愛想に映るイチロー選手のインタビューなんかがあるが、仕方ないと思う。よく辛抱して低俗な質問に答えているなと感心する。

思いつきでぺらぺら一貫性のないことを話す人が多い中、常に言葉を選び、独自の言い回しで話すイチロー選手の語録をかみ締めたい。

イチロー選手のプレー中の顔を見ていると、いつも「職人」という言葉が浮かぶ。どう見ても職人顔なのだ。清原番長の魅力とも違う、野茂選手の顔とも違う、匠の顔つきを感じる。強いてあと職人顔を挙げるならば、武豊騎手だろうか?

淡々と自らの職を高い次元の心持でこなしていく姿がかっこいいのだ。

イチロー選手の後に下種な話をして申し訳ないが、人間の顔つきは持って生まれた顔つきを超えた雰囲気を、それぞれの状態に応じて醸し出すものだと思う。

三笠フーズの社長さんの顔が、飛騨牛偽装で有名になったあの社長と同じに見えて仕方がない。謝罪会見に至るまでの部下への責任なすりつけの姿勢も酷似している。

何を楽しみ、何を目指し、何に苦悩するかによって、天賦のものを超えた顔つきが形成されるのだと、改めて思った。

俺の顔はどんな言葉を連想させるのだろう? 生まれつき持った顔を褒められたことはないが、少しでも醸し出す雰囲気が、かっこよくて善良であるように変化したいものだと思った。

三笠の冬木顔ではなく、マリナーズの鈴木顔に近づけるように、ただただ表層的な形態を越えた自分のルーティーンを、誠実にぶれることなく楽しんでいきたいと思った。

イチロー選手の顔が職人に見えた今日、食人が蝕ばまれた獣に見えた。
顔つきは色んな織目を表していると思った。

2008年9月17日水曜日

タバコの皮算用

税収を上げるために、タバコを1000円にするという報道があってからしばらく経つが、どれくらいの税収増加につながるかを巡っての皮算用が盛んである。
今日のニュースの引用だ。

「たばこが1箱1000円に値上がりした場合、今後9年で計9兆円の税収増が見込めるとの新たな試算を17日、厚生労働省研究班(主任研究者・高橋裕子奈良女子大教授)が公表した。京都大大学院の依田高典教授の試算では、禁煙の意思を示す人全員が成功するとして、最大1.9兆円の減収が見込まれるとしたが、高橋教授は「1年後には多くが禁煙から脱落する。減収はあり得ない」と反論している。 研究班は、たばこが来年元旦に1000円になったとして2017年までの9年間の税収を試算した。」

どうだろうか。その道のプロが試算しているのであるが、何だか分析が幼稚で素人っぽく思えるのは俺だけだろうか?

まず、減収説を唱える依田教授の試算だが、「禁煙の意思を示す人全員が成功するとして~~~」と書いているが、「~として」って何だ??

この教授が喫煙者かどうか知らないが、全員禁煙はありえないと思う。単にお金持ちの喫煙者は吸い続けるだろうし、お金がない人は禁煙の契機として喫煙を断つか、本数を減らすだけである。毎日1000円をたばこに費やすことが平気な人もいるので、この試算は極論である。

ただ、大多数の人が禁煙、節煙する結果、税収はトータルで下がると思うので、個人的には依田教授の試算に賛成だ。

一方、増収説を唱える厚生労働省研究班の試算だが、これは無茶苦茶である。「減収はあり得ない」という説自体があり得ない。

だいたい、「1年後には多くが禁煙から脱落する。」という推定自体がなめている。あほか!
1日1箱吸うとして、1箱1000円だったら月にタバコだけで30000円必要だ。増税を機に禁煙する人は、この金銭面の負担が厳しいから禁煙せざるを得ないのであり、物理的な問題なのだ。

健康被害を考えて・・・といった動機からの禁煙ならば、1年後の禁煙脱落はあり得ると思うが、物理的な要因で止めざるをえなかったものが、1年後に吸い出せるならば、最初から禁煙していないと思う。

たった1年間で格段に収入が上がるか、タバコ価格が値下げされるかがなければ再び喫煙者になって税を落とすといった試算はあり得ないだろう。

この試算をした主任研究教授だけでなく、厚生労働省研究班といったグループ名もなんだか非常に金のかかる団体のような気がする。省庁管轄ならば税金使って試算しているのであろうが、その結果がこの皮算用ならば、研究発表資料の数値はどうあれ、結果だけならば素人でも出せる見通しだろう。いや、素人よりもたちが悪いと思う。

喫煙者心理、庶民の経済感覚というものへの理解の欠如が根底にあるので、読んでいてあまりに稚拙な印象を受けた。科学的に出来るトピックではない。外れたら試算のための資産を私産で弁償してほしい。

タバコを増税するならしてもいい。ただ、しょうもない試算にばっかり金をかけ、血税を四散すること自体に良心の呵責を感じて欲しいものだ。

タバコつながりで思い出したが、以前、タスポというしょうもないものを考え出した役人に対して罵詈雑言を過去ブログに書いたが、数ヶ月たって、改めてしょうもないものだと思う。

今時の未成年者は非喫煙者が多い。タバコを吸いそうな不良にしても、昔と違って今は概して良家で育っている。幼少時からのタバコの害への刷り込みがなされているので、バリバリヤンキーでも、「タバコはいけね~よ~」という時代だ。これはこれで悲しいが、とにかく未成年がタバコを吸う割合は昔と比べて格段に低い!

タスポの導入がもたらしたものは、主に高齢者が営む町のタバコ屋の廃業だ。

タバコを吸う、吸わないの是非ではなく、タバコに関わる役人の是非を議論して、奴らをポイ捨てしたい気分である。

伏魔殿のならず者

麻生さんの言葉がまたまた波紋を広げた。

愛知県岡崎の豪雨災害で、「これが安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で起きたら大変やで」といった主旨の発言に、案の定、岡崎市が噛み付いた。

死者も出ている災害に関しての発言としてはあまりに軽率であり、すぐに本旨を話して陳謝するべきだとは思うが、言葉狩りされて抗議文まで出すことかな?と思う。

「これが安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で起きたら大変やで」という部分だけがピックアップされると確かに悪意ある読み方も出来なくはない。だが、時の総裁選に出ようとしている人が悪意丸出し発言するわけないし、演説の前後の流れを見たら、スルーすべき発言であるように思う。騒いでピックアップするほうが、被害者感情を刺激すると思う。

阪神大震災があった時、「早朝だったからいいものの、これが夕方の食事時に起きていたら・・・」といった論説がたくさんあったが、地名を出すのはまずいにしても、前後の文脈を見れば、麻生さんの発言も主旨はこれと同じであったと思うはずなのだが不思議だ。

総裁選、選挙時期になると必ず飛び出す失言であるが、失言にするのも名言にするのも、マスコミ操作次第で、時のメディア操作に長けた裏操作が世論を形成する過程を繰り返し見てくると、何だかむなしくなる。

言っておくが、俺は麻生さん支持者ではない。だが、麻生氏発言に反応してオフィシャルコメントを残す奴らのほうのショボさが目立つので、たまたま麻生氏を擁護する論調となるだけだ。

細かな言葉選びだけに長けた為政者が魅力的かといえばそうではない。自らの言葉で語りだしたら、主旨はどうであれ、必ずどこかに言葉狩り出来る部分が現れてくるのは仕方ないと思うのだ。

福田前首相に対してマスコミは、「何でも他人事みたい」と非難するが、言葉狩りする奴らに対抗するためには、お坊ちゃまの姿勢も致し方なかったような気がしないでもない。

目の付けどころによって色んな批判の矛先は出てくるものだ。そして、悲しいことに目の付けどころに対して、俺たちは恐ろしく受動態だ。与えられる情報が少なすぎて、切り取られた商品コピーで、どうにでも視点を操作される。

政治家の醜態を非難する前に、自らの眼の感度を省みてみる必要がある気がする。

子供の時には興味がない政治の世界が、大人になって興味が出てくる。この一般的な深層心理の根源は、単にワイドショー的なものに起因するのが現状だと思う。

正義の味方を標榜して揚げ足取りだけに命をかける野党、そしてそれに官僚コピペを見ながら答弁する与党との出来レース。

身近なところで起こっている、中間管理職と役員とのやり取りや、末端社員の上司に対する悪口や、痴話げんかや、妬み・・・、これらを見ているうちに、俺たちは茶番をワイドショー化して、安っぽい苛立ちをエネルギーに変える術を身につけてしまった。

だから、身近である同じ縮図の茶番劇を見ることは、俺たちにとって心地よい娯楽になりつつあるのだと思う。

水戸黄門が印籠を掲げると俺たちは気持ちが清々する。だが、光圀君もバリバリの良血世襲議員であり、全国行脚の道楽人である。悪を裁く以前に、日々の糧を自分で稼げ!という本質は置いておいて、傍観者たる勧善懲悪に魅了されるのが、一般ギャラリーたる国民のささやかな本質だ。

こういった前提で政局を眺めた時、民主党(社民党はエトセトラ)の親玉3匹の態度は、何だか悲しく映る。発言すればするほど、滑稽になる。

水戸黄門を非難する水戸黄門と同じような門戸違いの藩主を想像してしまう。

彼らの主張が本当であるならば、福田さんが辞めたあとに、「よく決断してくださいました。あなたではどうもならないと思っていたので、決断に敬意を表します。今から正々堂々議論を交わし、遅れを取り戻そうではありませんか。」と言うべきであり、「自民党総裁の決断に敬意を表します。我らの念願が叶ったわけだから、今から色々私達の意見を国政に挙げさせていただきます。」という発言があって当然だと思う。

そして、民主党内でも、党首をめぐる攻防があってしかるべきだと思う。鳩山君と菅君が小沢君で妥協するのは、優秀な若手議員から自分たちのショボさを見透かされている現況があるから、小沢君が権力を失ったら自分たちも道連れであることを憂慮してのバックアップであると思う。いや、ある。

自民党総裁に5人が出たら出たで非難し、出なかったら出なかったで非難する。福田さんが辞めたら辞めたで非難するし、辞めなかったらもっと非難したであろうし、彼らのやっていることは、アメリカ文学における魔女狩りのようなものであろう。それが気持ち悪い。

俺は特定のイデオロギーを持たない。だから個人的に支持したくなる人はいるが、特定政党にこだわりもない。ただ、近々あるであろう選挙で民主党に風が吹いたとする。その時に調子にのる親玉3匹の顔だけは見たくないというイデオロギーはある。

国会議員自体が悪いのではない。立派な志士たちが理念で邁進する我が国の政治システムも悪くはないと思う。

だが、内閣は伏魔殿だ。そして性質が悪いのが、伏魔殿に今いる人たちよりも、伏魔殿を目指して二枚舌を使う親玉が数匹、情勢を窺っていることだ。

政治家に期待している。だからこそ、伏魔殿の化け物たる素質を持った奴の舌を抜いてくれる閻魔の存在を請う。

2008年9月15日月曜日

迷惑メールを削除する

俺の携帯電話は、アドレス帳に登録のない人からのメールは、自動的に迷惑メールホルダーにぶちこまれ、受信音も鳴らない設定になっている。URL付のメールも受信しない設定になっている。

この設定にしていなかった時は、朝夕問わず、毎日わけのわからないメールがきていた。
「マサさん」といった呼び名で俺に届くメールの数々に辟易したものだ。「マサ」って誰やねん! 電池が迷惑メール受信で減る事態であったので、今の機能に満足している。

この設定は便利なのだが、たまには迷惑メールホルダーを見ないと、大事なメールも見落としてしまうことがある。アドレス帳に電話番号登録しかしていない人からのメールが紛れ込んでいる可能性がある。そのため、定期的にチェックしている。

毎日2、3件くらいが迷惑メールフォルダーに収容されている。日本語メールで最近よく来るのは、「パチンコ集客スタッフ」なるものだ。よく出る台の代打ちで月収50万以上なんていう、吐き気を催すメールだ。

日本語のエロメールは最近ほとんどこない。それらのほとんどは、URLの誘導口が設けられているため、留置されずにすぐ処刑されているものと思われる。

代わってよく来るようになったのが、外人からのエロメールだ。迷惑メールもワールドワイドな展開を見せている。

以前よく来ていた日本語のエロメールの標準的な文章はこんな感じだ。

「はじめまして。22歳のOLです。ネットカフェであなたの名前をたまたま見かけて、何となく気になってメールしました。もしよければ返信ください。写真を送ります。」

ネットカフェでたまたま見かけられても弱るのだが、どこをどう辿ったら俺の名前が貼り付けられているのかが不思議だ。昔よくあったが、電話番号と名前を卑猥に彩った公衆便所の落書きのようだ。 「あなたの名前を見かけた」というくせして、名前が書かれていないか、間違っている。

こんなパターンが日本語メールの特徴だったのだが、驚くのは外人からのメールも恐ろしく文体が酷似していることだ。

「Hi I am here sitting in the internet café. Found your e-mail and decided to write.
I am 25 y.o.girl. I have a picture if you want. 」といった感じである。

日本人も外国人も、こういったしょぼいビジネスをする奴らの発想は同じなんだろう。
同じような文章の名前変えでよくくる。

不思議なのが、こういったメールは、URL付きメールを拒否していても届く。なぜだ?
アルファベット続き文章の羅列の最後に、同じくアルファベット羅列のURLが並んでいるので、ソフトバンクの拒否機能も見分けがつかないのかもしれない。しょぼ・・・。

中には強烈なのもあった。

メールを開くと件名に“freak phantom” と書いてあり、本文に、“Bitch!”とだけ書いてある。

 誰がビッチやねん! わし、男でんがな! 一言、Bitch!と言われても・・・。こいつとは性格の不一致だ。

さらに強烈なやつがある。

件名にはよくわからない文字の羅列があり、本文に、“ Get some young meat”とある。
直訳すると、「若い肉を得なさい!」 

なんだか、悲しくなるほどの遠まわしな言い方・・・。ひねりのないBitchも困るが、こんなエログロセンスなことを言われても困る。ナンセンスになりきれないところが、何ともセクハラ臭があって悲しい。

順調に削除を続けていて1件だけ、中世の英詩のようなメールがあった。

件名に、“Stars are blind” とあり、なかなか詩的なことをほざくやんけ!と思いながら、本文を見ると、“ How sun loves!” と書いてありびびった。

こ、こいつ、詩人だ! これがエロ範疇のメールであったとしてもだ、詩で心を伝達しあうなんて、日本の和歌文化にも通じるものがある。 こいつは気に入った。
ところが感動したのも束の間、別の送信者名でも来ていた。それは本文こそ同じ、“How sun loves”だったのだが、件名がいけ好かない。 “So cute!”ときやがった。安っぽい!

さっきまでの詩的気分もどこへやら、早くも詩を放棄した送信者に腹が立った。
俺は奴に返信した。 

件名に“ You are bitchin’” 本文に、“ Bitch!” と書いてやった。

相変わらずやること全てがおとな気ない・・・。 削除を終えた。

2008年9月14日日曜日

まあまあの休日

今日は嫁と金沢へ。久しぶりの第七餃子へ行く。ホワイト餃子で有名な店であり金沢では知らぬ人はいない名店だ。近くには金沢大学の角間キャンパスがあり、金沢で単身修学し、他県に就職で出て行った人たちにとっては、学生時代の思い出ぎっしりの味であろう。
なんでも、餃子だけで年商4億というとてつもない店だ。

京都で学生生活を送った俺にとってみての、天一、王将と同じような存在であろうが、両者ともに今や全国チェーンであり、郷愁を駆り立てる要素の強さで魅了する度合いは、第七餃子のほうが上であろう。

野田にあるホワイト餃子の本店で修行をされたオーナーが技術提携店という形で始められたみたいだが、その繁盛振りは強烈だ。

連休中日にしては少なめの人で、20分待ちぐらいで席にたどり着く。いつも通りホワイト餃子を10個ずつ、豚汁を1杯ずつ、ライス中1皿を分け分け、白菜漬物を頼む。

もう数十回になるのだが、何だか味が変わったような変わらないような・・・、でも食後のゲップはまぎれもなく第七餃子の味であった。

20個のお持ち帰りも含めて2人で2000円ちょい!安いし満足度は高い。

コの字型のカウンターと2階に有料個室がある店舗作りだが、個室は行ったことがないのでわからないが、1階はいついっても待ち客の行列がある。この店、雰囲気が一種独特なのだ。

餃子を食す1人1人の表情には笑顔はなく、ただ黙々と食べる。店員も愛想が悪いわけではないが、淡々と仕事をこなす感じで活気があるわけではない。中国からの留学生バイトらしき人が多い。働きぶりは素晴らしいが、どこな間抜けな部分もあってかわいい。

ライス盛り付け担当の人が、カウンター越しに届けてくれるのだが、いつも彼の指がごはんに触れている。これは俺だけがたまたまかもしれないのだが、100パーセントの確率で指が触れ合ったライスを食すことになる。こだわりか???

昔読んだ漫画「包丁人味平」の中に、ブラックカレーという行列の出来る店が、実はカレーの中に麻薬を入れていた・・・という話があったが、それを彷彿させるくらいの、何だか一種取り付かれたような表情で客が食べている姿がいつも強烈だ。

第七餃子がそうでは断じてないが、持ち帰りもしているし材料の分析なんかは容易だ。何が特徴で何が美味いのかというと答えられない美味さがあるのが不思議であり、そう思ったまでだ。時期をおくとまた食べたくなるのはなぜだろうか?魔の味だ。

持ち帰りで買った餃子をあてに飲んだ。冷えた餃子を温めずにあえて冷えたままで食べたが絶品だった。美味しいものは温度を問わない。魅了されるものはなんだろうか?魔の香りだ。

魔といえば、麻界入りした人たちが外野を騒がす角界であるが、身内に甘い角界体質、面の皮の厚いOB役員達のニュースなんかには目もくれず、真面目に相撲道に邁進している人たちの取り組みを満喫したいものだ。この時期に婚約を発表した琴関の前途にエールを送りたい。麻と魔の奴らに害されるほど国技はやわではない・

パソコンを開くと、マイミクに追加リクエストが2件あった。1人は「なんとなく気になってマイミク追加依頼」をしてきたとのコメント。なんとなく不愉快だった。
もう1人は、「主人がキャバ嬢に貢いで寂しい」みたいなコメントだった。知らんがな!

2人とも知らないナオンであって気持ち悪い。何が目的だ!俺のこの魔の顔と性格と肉体か??? 魔の世界で溺死してほしい。

今から久々にダウンタウンの「ごっつ~1,2,3」を見る。嫁が昨日借りてきたものだ。「おかんとマー君」がたまらなく好きだ。入っているだろうか?楽しみだ。

魔の味、麻界、魔の追加リクエスト、マー君・・・  何だか「MA」に包まれた日であったが、まあまあの休日だった。

麦茶

今日久しぶりに麦茶を飲んだ、伊藤園の「麦茶」、むちゃくちゃ美味しかった。懐かしい味がした。麦の味が濃くて、昔、夏に飲んだあの味を思い出した。なかなかの優れた商品だと思う。さすが伊藤園!

思えば、年々麦茶を飲まなくなっていた。

普段、コンビニで飲み物を買う時、一番多く手にするのは水であり、次に爽健美茶、次に緑茶、次に烏龍茶という順であった。麦茶がランキングに入っていないことが意外だった。
意識してコンビニのウォークインを眺めていたわけではないが、麦茶の陳列場所が悪かったのだろう、あまり目につかなかった。

だが、目についていたからといって、麦茶を頻繁に購入していたかと思うと疑問だ。麦茶の味自体に魅力を感じなくなっていたことは否めない。

いつごろからだろうか、麦茶をやかんでわかさなくなったのは・・・。水でも作れるティーバッグで発売されてからというもの、麦茶は、容器にパックと水を入れて出来上がりといった手軽なものになった。

手軽になった麦茶の味がどうも好きになれなかった。昔飲んだあの香ばしさがないのだ。麦の味がしない、なんだかあっさりした麦茶味であり、同じあっさりならば爽健美茶のほうがよい。よって、年々飲まなくなっていた。

小学生時分の俺は、夏といえば麦茶を思い浮かべるくらい、腹がたっぷたぷになるまで飲んだ。おかんは、毎日3回ほどやかんに麦茶を沸かした。

沸かした麦茶が常温まで冷えるのを待って冷蔵庫で冷やす。だが冷えるまでのスピードよりも、飲みつくすスピードの方が早かったので、昔飲んだわが家の麦茶は少々ぬるめが多かった記憶がある。氷を入れて冷やしたりもしたので、何だか味の薄い麦茶が多かった。
俺にとっての美味しい麦茶の記憶は、友達の麦茶を盗み飲んだ時にばかりある。

美味しい麦茶をいつも学校に持参する友達がいた。いや、ほとんどの友達の持ってくる麦茶は美味かった。

濃厚な麦の味がしみる抜群の沸かし加減、そして、それを凍らせて持ってきていたので、飲む頃には冷えまくっていて、実に美味しかった。凍らせていないものでも、魔法瓶の力が発揮されて、いつ飲んでも美味しい冷え方だった。

ところが、わが家には凍らせることができる水筒がなかった上に、魔法瓶も安物であり、昼過ぎには常温に戻っていた。おまけにおかんはワイルドであり、週に1回はホットを入れてくる。

ホットの良さがわかるのは壮年以降だ。俺は、「お前のお茶熱い!」と友人から馬鹿にされて売れ残っていた。

わが家のお茶にはさらに問題があった。麦を粗末にしたくない気持ちはわかるのだが、「何回煎じとるねん!」というくらい、麦の味がしない薄さの時がよくあった。グラスにつごうものならば、今でいう爽健美茶以下の薄さしかでない麦汁が俺の哀れな水筒に入っていた。

自分の茶は飲まず、美味しい麦茶の友人からばかり施しを受けてしのいでいた俺だったので、美味しい麦茶に対する飢えと、それを飲んだ時の豊饒感は大きなものがある。

やがて、烏龍茶が市場に出て、お茶が沸かす時代からペットボトル入りを購入する時代になったが、俺は断然麦茶派であった。

ところが、ペットボトルに入った麦茶には、俺の友人が持っていたあの芳香さがなかった。沸かした後の麦臭さがなかったのだ。冷水抽出ならではの淡白さがあり、飲み口はいいのだが、俺の豊饒感は満たされることがなかった。それ以来、徐々に麦茶と疎遠になっていった。

こういう麦茶との関わりを経て飲んだ冒頭の伊藤園「麦茶」は、大きな衝撃だった。こんな秋口に飲むのではなくて、もっと夏にがぶ飲みするべきだった!と我を恨んだ。

年間定番メニューにはならず、売り切りでコンビニから消えるかもしれないが、在庫がある限り、1本でも多く飲みたいと思っている。

そういえば、最近やかん自体を見かけなくなった気がする。お湯もポットで沸かすし・・・。
なんだか記憶が消えていくようで悲しい。

2008年9月12日金曜日

踏み切り

職場の近くにJRの駅があり。最寄りのコンビニに行く途中に踏切がある。JR北陸線の踏切であり、それなりに列車もよく通過する。サンダーバードや在来線、貨物列車、東北地方へ向かう寝台特急などだ。

踏み切りを改めて観察してみると、よく出来た代物である。列車が通過する情報をどうやって送って、遮断機を下ろし、あの音を鳴らすのであろうか?

JRのコンピュータールームからの一斉管理なのか、各列車が何らかの指示を飛ばすのかは知らないが、もし、列車が通過するにも関わらず、踏切が作動しなかったら大惨事が起こる。全国に設置された踏切の数を思えば、踏み切り故障による事故件数は微々たるものであり、よく管理されていると思う。

その一方で、踏切にはアナログな面が残されているのが面白い。

踏切が閉じている間、向こう側の遮断機に書かれていたコピーを見た。
「脱出は車で押せ」と書いてあった。手前には「おまちください」やのに、何で向こう側は命令口調やねん

万が一線路内に入った状態で遮断機が下りてしまったら、車で押して、遮断機を破壊して線路外に出るしか方法がないようだ。愛車を戦車のような扱いで線路外へ脱出するなんて、生涯体験したくないものだ。

踏み切りといえば、いつも不思議に思っていることがある。

駅に1番近い踏み切りに限定しての不思議だが、駅から来る方向の列車が通過するまでの遮断時間が異常に長い。

駅に向かう方向の列車が通過する際の遮断時間は、その列車が駅へ停車する、通過するの関係なく適切な時間だと思う。

警報音が鳴り、遮断機が下りた頃には、列車が走ってくる轟が線路から聞こえてくる。そして、すぐに列車が現れ通過する。

ところが、駅から来る列車の矢印がついて遮断機が下りた時は、待てども待てども列車の響きも聞こえてこない。

遮断機が下りて1分したくらいにやっと、「~番線~行き列車が3両編成で入ります。危険ですから足元の白線までお下がりください。」の構内アナウンスが聞こえる。

「まだ来てもいやへんがな! 遮断機下ろさんでええんとちゃうんかい!」といつも突っ込みを入れながら、タバコをくゆらせる。

やっとこさ列車が駅に到着。ピ~~!という笛音が響き、列車がやっと動きだす。動き出したはいいが、長距離ランナーのようなスタートの遅さ、線路に響く音は轟かず、シュリ~シュリ~としょぼい音を立てる。

目の前を列車が通過するまでに3分ぐらいかかっているのではないだろうか? たばこ1本は楽勝で吸い終わっている。

列車が通過し終わった後に油断していたのがいけなかった。よっこらしょ!っとギアをドライブに入れて、サイドブレーキを解除して・・・ちびちびと走りだそうとしていたら、また踏切が鳴き始めた。今度は逆側からの雷鳴だ。「サンダーバードが来る!」

油断しきった意識が瞬時にテンぱる! 「脱出は車で押せ」の文字が俺を笑う。
愛車のエンジンを一気に5000回転くらいまで轟かせただろうか、車ははねるようにして遮断機の下りだすぎりぎりを通過していった。危ないところだった。

踏切が開いた直後はもっとも油断する。その油断しきった直後にまた警告音が鳴り、遮断機が下りだすのは、もっとも危ない場面のような気がする。いっそのこと、開けるな!と・・・。

全ては、駅発列車の通過に合わせた遮断機タイミングが悪いことが原因だ。

JRさんよ~、いい加減改善してくれないか? 俺は心で願いながら、今通過したばかりの線路をミラー越しに見た。

貨車を従えていない牽引車が1両だけ、情けなく通り過ぎて行った。

こ、こんな、もっさい列車の1両通過のために、俺の愛車が戦車になりかけたのかと思うと、何だか腹が立ってきた。踏み切りの馬鹿! JRの馬鹿!

古本にあった負の産物






今日も出勤前に古本屋へ。小学生対象の本コーナーを物色するが、児童文学は基本的にハードカバーで高い。だから、いつも軽く立ち読みしていたのだが、処分品コーナーに105円叩き売りがあって、迷わず購入する。

『まんが百人一首事典』という本で、学研が出版している本だ。百人一首をまんがで解説したもので、大人が読むほうが、真の価値がわかる、秀逸児童本の見本のような書籍だ。
叩き売りされていた原因を確かめもせずに、XTCの4枚目のCDと一緒にレジへ行く。

職場で読んだ。書籍の内容は期待通りの内容だったが、すぐに廉価叩き売りされていた原因がわかった。落書きが多いのだ。

写真を何枚か用意したが、ほんの一部である。鮮明に映せずに見にくいと思うが、だいたい落書きしている内容はほぼ同種である。

だいたいが、人間の排尿、排便に関する他愛無い落書きだ。子供はいつの時代も、「うんこ」「おしっこ」といった単語だけで笑える素地を持っている。汚いものを茶化して笑う萌芽は、自然な発育過程なのだろうと思う。一休さんのような修行層が、お師匠様に向かって「トイレどこ?」と聞いている吹き出しは、なんだか可愛くもある。

本のタイトルからして、子供が自ら好んで買うものではないと思う。おそらく親が子供に教養を与えたくて、無理強いして与えた本なのだと思う。親の価値観に基づく書籍の強要は、実に安っぽい教育行動だとは思うが、その気持ちをわからないでもない。そして、親から無理やり読まされて、退屈しのぎにコメントを書きたくなる子供の気持ちもわからないではない。

この書籍に落書きした子供は、字から想像するに、おそらく小5から中1ぐらいのキッズであると思う。この手の本を与える親がいる家庭であるから、教育水準は平均以上だろう。この本の所有者であった子供も、なかなか知的水準が高いと思わせる落書きもある

例えば、平安時代の貴族の服装を説明する絵の股間部分に、「もらしてる」の文字を書いている。これだけならば、何でも「うんこ」「おしっこ」で喜ぶ、その辺の鼻垂らし餓鬼と変わらないのであるが(実際俺もそうだったbyおかん)、こいつのすごいのは、その後の落書きだ。ちゃんと俳句調の音数で落書きしているのだ。

「もらしても 大じょうぶの あつさだな」と書いてある。確かに平安時代の服装は、おもらしがすぐに外面に現れないだけの、被服の階層性を備えている。ネタがネタだが、子供ならではのユニークで自然な発想だと思う。

俺は、この落書きをしている子が少し好きになった。そして書籍の内容よりも、落書きを探したくて読み勧めていった。

だが子供への好感は、子供への興ざめへと変わり、畏怖へと変わった。この子供は壊れていると思ったのだ。

延々続く、ジャンクな「おしっこ」「うんこ」ネタが、中ほどを過ぎた辺りから、変化し始める。

天皇や父親が亡くなる場面のまんがに新たな吹き出しを設けて、「父はしね~」やら、「しんじまえ~」の落書きがある。 

「おじさんの養子になってくれ」という、漫画の正規の吹き出しに、「OK」と新たな吹きだし落書きを設けている。

浮気した男が、浮気相手の女の人に抱きつこうかとするセリフがある。そこに落書き吹き出しがある。「殺したげる」という、浮気相手の女の吹きだしだ。

前半部分の無邪気な子供の落書きが、明らかに、父親を軽蔑したセリフに変化していく。
途中から読んでいて怖くなってきた。無邪気な子供が壊れていく過程を見ている気がしたのだ。

邪推だが、この本の所有者の家では、お父さんが浮気していたのだろうか? 悲しむお母さんを見て、子供が父親に憎しみを抱く過程を最初は推測した。だが、後半には、女性を蔑む言葉と、「みんな死んでしまえばいいのに」というセリフもあった。全てを憎んでいるのだろうか?

嫌な人を見たら、決してよくないことだが、「この人がいなくなればいいな~」と思うことは誰にでもあるだろう。だが、その気持ちを抱くのと、それを何かに書すという行為の間には大きな差がある。

便所の落書きなんかにしてもそうだが、人の生死に関わること、卑猥な嘲笑文句なんかを、どこかに実際に記す人たちの精神の壊れ方というのは何だろう? 

この本を買い与えた親は、この本を処分する時に、この落書きに気づいていなかったのだろう。気づいていたら絶対に売らないか、消してから処するだろう。買い与えっぱなしで、それを子供が読んだケイセキがあるだけで満足していたのだろうか?本当の形跡には気づかないままだったのか? なんだか悲しくなる。

この本の初期オーナーの子供も、今は大きくなっているだろう。鬱屈した気持ちは今はどうなっているのだろうか? 過去の落書き記憶もないくらい、楽しい健全な日々を過ごしてくれていたらいいのだが・・・。

古本には、このような副産物がよくある。カレーの染みは最近少なくなったが、付箋痕、書き込み、アンダーラインなんかは廉価処分本につきものだ。プライベート写真が挟んであった時なんかはオカルトを感じてすぐに捨てるが、ほとんどは他愛のない、かわいくほのぼのとしたものだ。

大学生が講義で買わされたであろうテキストなんかには、統一性のないマーキングと、明らかに主旨を理解してない書き込みなんかがあり、「こいつ、確実に単位落とし取るな~」と笑える書籍が多くある。

これら全ても、古本を読む行為の醍醐味だとは思う。だが、今日のような、子供の壊れ具合(仮に一時的であったにせよだ)が拝見できる古本とは、出来ることならば出会いたくはないものだ。

2008年9月11日木曜日

保守・革新・ジャンル

定期的に食べるポテトチップスのパーケージをじっくり眺めてみる。
カルビー印のポテトチップス「コンソメ味」、定番中の定番だ。

ポテチだけではないのだが、カルビー印のポテチが1番顕著だから例に出すが、いつ見ても感心するのが、包装紙を頻繁にマイナーチェンジと更新をくり返しているな~ということだ。

パッケージの色合い、商品名のレイアウトなんかはほぼ固定だが、コピーが実に頻繁に変わっている。ワンシーズン食べなかったりすると、まず変わっていたりする(あくまで体験分析)。

今日買ったポテチには、表面に、「じゃがいも情報公開中」のコピーが書かれていて、裏面に全国の収穫時期が地図上に表記されていた。

それを見ると、北海道以外はほぼ収穫を終え、かろうじて北海道だけが、10月中旬までの収穫時期となっていた。

単純な地理的資料として見れば面白い。カルビーは、毎回趣旨を変えながら、色んな、じゃがいも情報を裏パッケージに載せるのが特徴だ。今回の収穫時期だけでなく、原料の品質管理の仕方、物流方法等、定期的に情報を変える。

たいしたものだと思う。さすが名門企業だと思う。

だが、素朴な疑問なのだが、これらのパッケージ変えが、売り上げの増加もしくは、昨対比維持にどれだけ貢献するのだろうか?

消費者の立場で考えてみる。

市場での安定的シェアがない、新商品なんかはパッケージの優劣が全てだと思う。奇を衒ってみることも、有益な販促活動だと思う。

次々開発されては消えて、なかなか定番商品になれない、カップラーメン、スナック菓子、チョコ菓子なんかにとっては、いかに、消費者に強烈なインパクトを与え、商品陳列棚から選びとってもらうかが全てであり、デザイン性、コピー力が会社の売り上げの多くを左右するのは当然だと思う。商品企画室、宣伝室は大手企業の重要部署だと思う。

だが、すでに市場で幅広く認知され、受け入れられている商品が、定期的にパッケージ変更することには、俺は無益感を持ってしまう。

例えば、ポテチのコンソメ味は、国民の限りなく全員が食べたことがあるであろう商品であるにも関わらず、定期的にパッケージを変える。

市場シェアに慢心せずに、常に戦い続ける企業姿勢を示すという面では大切だと思うが、核となる部分については、発売当初から変わらなくてもいい部分もあると思う。

勝手な推測だが、カルビーのポテチ商品企画なんかを管理する部署のトップは、全国的にみても高給取りのエリートだと思う。そんな会社のそんな部署のトップが、超定番商品のパッケージ変えをするのとしないのとでは、長期的にも短期的にもどれだけ売り上げに差が出るかの推測を、しっかりとした理念と確信を持って処遇しているのだろうか?というのが、いつも思う疑問だ。

その部署で一生懸命働く末端社員は、次々に出される商品の企画開発に携わらされているというのに、それらの業務に加えて、たいした確信もないままに、定期的に定番商品のパッケージ変えを部下に指示して、それを是とする上司や管理職というのは、果たして末端社員にとって、有益な上司であり会社の戦力なのだろうか?と思う。

素晴らしい商品と企画力の甲斐あって、市場に広く受け入れられた商品は、個人的には、どっしり構えていてほしい。サッポロビールがラガーの復刻パッケージを再発しだしたが、個人的には、復刻しないといけない、改変をなぜ過去に行ったかが疑問だ。

変わらない品質と、変わらないポリシーがあるならば、市場でのシェアを占めた後は、斬新な戦略はいらないと思う。パッケージだけにだまされるほど、消費者は馬鹿ではない。

カルビーばかり例に出して申し訳ないが、末端社員の労務に、コンソメパンチのパッケージの更新を課す暇と金があれば、もっと別の有益な使い方があるのではないかと思うのだ。

相変わらず、言いたいことの要点が文章力のなさに邪魔されるが、要は企業の中での上級職者の多くが、予算の分配、舵取りに本当に長けているかといえば、答えは否であると思うのだ。もちろん、常に社会の動向に敏感で、保守・革新をバランスよく舵取りできる人もおられるとは思うが、多くの人は、単に時世に乗って今の地位についただけの人であり、自分の裁量を過信して、部下に徒な労役を増やしているだけだと思う。

本当に、政治の世界を含め、多くの管理職が有能でバランスの取れた人であれば、この世の中のほとんどの問題は解決できていると思う。

一部の偉いさんを批判した、単なる下層市民目線からの意見となるのは本意ではない。俺はむしろ、この世の中の矛盾(無能が上の立場で有能が下の立場に多く見られる階層)を肯定する。

こんな階層だからこそ、世の中は面白く、色々な発想や感慨が市井から出るのだと思う。反抗姿勢を示してロッキンに、昇華出来ずにノイズに、価値観を転換してポップに、穏かな反抗をジャージーに、次元を変えてテクノに、超越してファンキーに、悲哀を抜けてブルースに、伝統を生理的に昇華してニューウェーブに、究極のプリミティブが輪廻してクラシックに・・・、音楽ジャンルに例えられる色々な思想が生まれて面白い。

ポテチの包装紙を見て大げさな・・・と思う。

だが、チキンと野菜で煮込んだコンソメ味は定番中の定番だ。どっしり構えたパッケージを見続けたいと思った。定番商品のパッケージ変えといった、意図のない革新は歌謡にも映らずに、流され浪費されるだけだと思った。

2008年9月10日水曜日

北のこと

建国60周年を記念する今日に、北のメタボおやじは姿を見せなかったらしい。AP通信の報が正確とは思えないが、脳梗塞を起こして重態らしい。

そっくりさんが5人はいると言われている金の大将が、仮に偽者にせよ公に姿を現さないとなると、かなり国の体制自体が揺らいでいて、激動の時期が来ているのかもしれない。

北の情勢に詳しい、S村教授なんかは、ちょっと前の週刊誌で、「金さんは既に死んでいる」といった、ある関係筋からの情報をうっかり?もらしてしまっていたが、個人的にはもう既に他界している可能性が高いと思う。

金家のメタボ一族だけが悪いといったレベルでは済まされない北の国家システムだが、将軍さんがお隠れしていても、すぐには公表できない国というのは、何だか悲しい。

戦時中の日本人の全員が天皇神権に盲目であったのではないのと同じように、北の国にも多くの眼の開いた方がおられると思うが、未だに国の体制を牛耳る金家と取り巻きが、何を意図して、何を守って、何を考えているのかが不気味である。

拉致問題の調査報告の締め切りにしても、我が国の首相が変わったからという理由で延期を主張する精神の壊れ具合というのは、人間業ではない。いい加減に誰かゴルゴを呼んでほしい。彼なら、金君の偽者がいるかも見抜くし、任務は必達であろう。

建国60周年というが、我が国の60年前はどんな時代だったのだろうか?

厳密に60年前ではないが、1947年の流行と流行語、ヒット曲を何かの本で読んで記憶している。

流行語は、「ゼネスト」と「ブギウギ」と「世直し」であったはずだ。

北の国が建国した年に我が国では、ブギーで踊る文化が生まれ、社会体制の矛盾に対して「ゼネスト」と「世直し」の気概があった。1人の人間が神格化され、崇められて国家が形成されるという、稚拙なカテゴリーは、既に日本でなくなっていた。

国によって時差はあるだろうが、我が国が戦後眼を開けた時から60年以上たっても、まだ今の体制が維持されているという国はある意味すごい。どう考えても、見た目も中身もカリスマ性のないメタボおやじが君臨できる国というものの実態を見てみたい。

興味深いのが、記憶が確かかはわからないが、1947年頃に我が国で社会問題になり、流行?にまでなったのが、「少年少女の家出」であったことだ。

家出が流行したということは、その中には行方不明のまま生涯を終えた人もいるだろう。戦後の混沌とした状況で、種々の理由で家出した少年少女、そしてそれを保護できるだけの体制がまだ構築されていなかった我が国の体制。

それが、北朝鮮による拉致問題の発覚が遅れることになる、皮肉な一因になっていたような気がする。まさか拉致とは思わずに・・・。

1947年の流行歌は「夜霧のブルース」だ。何だか意味深に感じる。

原爆を落とすような、無差別な終焉はしてはならないが、早く北朝鮮の支配体制が崩壊し、愚鈍な奴に国民が翻弄され虐げられる体制は終わらせなければならない。

今はただ、北朝鮮の金取り巻きの、自暴自棄の奴らが暴走しないことだけを祈っている。
そして正常な体制が北に訪れることを願う。

すごく大きく情勢が変わる時期にきているような気がした。

2008年9月8日月曜日

深酒と通院

昨夜は、前職場の同僚8名の飲み会に呼ばれて参加した。18時から22時までの節度ある時間の節度ある飲み会だった。俺の酒量を除いては・・・。

勧められるからという言い訳もあるが、生ビール7杯に、焼酎のボトルを1本飲んだ。
楽しい酒だったし、つまみも食べながらの飲みだったので、特に二日酔いというわけではないのだが、それなりに今日は頭が重かった。

いくら、強靭なレバーを持って生んでもらったとはいえ、この酒量ではいつか肝臓も悲鳴をあげるだろう。大人の節度ある酒量を守りたいものだといつも思うのだが、ある一定量を超えてしまうと、ぐいびぐびと、水を飲むように体内に取り込んでしまう。

性質が悪いのが、深酒の翌日でも昼を過ぎると、また飲酒欲が沸いてくる。「もう酒なんか見たくない」という心境になればいいのだが、すぐに体がリセットされるから、休肝日が設けられない。

毎日の飲酒量は節度を持っているのだが、飲み会なんかにいって、ある一定量を超えてしまうと、寝るか、逝くまで飲んでしまう。そのくせして記憶が飛ぶわけでもない。はっきりと覚えている。よく飲みよくしゃべり、よく吸う。オールナイトメンツがいれば飲み続けていただろう。この手のパワーが衰えないのも困ったものだ。

重い頭のまま、今日は出勤前に眼科に行った。

先週の診察で、眼圧異常を告げられ、目薬を点し続けないといけない宣告を受けたばかりであり、今日は経過観察だった。

正常値の眼圧は20ぐらいらしいのだが、俺は先週、32まであり、「非常に危険」とまで言われていた。朝夕の点眼を欠かさず臨んだ今日の診察だった。

今日の計測では眼圧が27であり、先週よりは改善されたものの、まだまだ異常値であり、目薬を1本追加された。来週も検診行って、とにかく1度正常値に戻した後に、適量の目薬を生涯点し続けるという治療方針のようだ。

非常に不気味なのが、院長も副院長も揃って、「まだ若いのに・・・。」と言うことだ。
被害妄想にとらわれた俺は、この言葉をこう変換した。

「まだ若いのに、死期を迎えた老人のような眼の状態で、この人これからどうしはるんやろ? ほんま可愛そうに・・・。もうすぐ光失うで・・・。」

何だか憂鬱だ。目薬の雫が鼻に入ってしまって、何だかせつないくしゃみが出た。

俺が眼圧を患っているのは、高校野球キッズ時代に眼にボールを当てたことも原因だろうが、やはり長年のコンタクト生活が大きいと思う。こまめな手入れをするわけでもなく、使用期限も感覚のみで使い続けてきた結果だ。

いっそのことメガネにでもしようかと考えたことが何回かあったのだが、俺の顔の骨格は、メガネフレームを1週間で拡張させてしまう。そのため、鼻元で停めるチョボも機能しなくなり、しょっちゅうメガネが垂れてくる。

オロナミンCの宣伝で有名な、何とか昆さんのような状態で日々を過ごすのは、余計に眼精疲労を生む。

おまけに、温泉、銭湯フェチの俺は、湯船で盲目になることが死ぬほど嫌である。曇るのも嫌いである。

ラーメンを食べていたら、俺の尽きることない汗がメガネを瞬時に覆いつくし、ちょっと油断すると塩をふく。

フレームがひん曲がって、塩を吹いたメガネをかける日々を俺に課すのは、あまりに俺が可愛そうだ。だからコンタクトを使い捨てタイプにしてしのいでいる。

それにしても先週5600円払い、今日2400円、そして来週も通院だ。使い捨てコンタクトの在庫もなくなってきたので、そろそろ買わないといけないし、俺のお目目はやたらと高くつく。

深酒翌日に眼科に行った。ただそれだけのことなのだが、何とも日々が憂鬱に思えた日だった。目薬が沁みて心に響く。

2008年9月7日日曜日

カラネタ

久々にフルで「エンタの神様」を見る。ラインナップが凄まじくひどかった。
この番組が初めて放送し出した当初はよく見ていたが、桜塚Yくんが出だして、最後にティアドロップグラサンかけたおっさんが、フリーダムを歌い出した頃から、とにかく番組出演のオーディション基準がゆるいな~と思って、まともに見ていなかったのだが、今日見ると更にひどくなっていた。

個人的な主観で芸能を斬るのもどうかと思うが、言わせてもらう。はっきりいって、番組の出演者を決める偉いさんの眼レベルは低いと思う。これだから笑いレベルがすぐに落ちてしまうのだと思う。

生徒会長Kの僕なんか、北野武が週間ポストで言っていたネタを盗作するし、初登場の人もとにかくひどい。芸風が必ず誰かとかぶっているか、肉体芸だけのウィットのないお笑いだ。

番組はひどいが、お笑い芸人って立場の人の苦労を想像してみる。お笑い芸人ってほんと大変だと思う。どんなに秀逸なネタでも毎回同じ芸風とネタでは飽きられてしまう。芸が優れていれば優れているほど、次々に新境地を開かなければ生き残れない芸の世界だ。

どんな天才でも、毎週の頻度で新ネタを提供するのは無理だろう。お笑い業界で生き残るためには、人気が絶頂期に自分の番組を持ち、司会者として生き残っていかなければならないが、番組にしても、企画制作スタッフの力量次第では長続きしない。芸人自身の力量がずば抜けているか、制作スタッフの企画力に恵まれなければ生き残っていけない。ダウンタウンはやっぱすごいと思う。

波田陽区なんかは、今は惨めな扱いだが、音階に合わせて風刺する芸風は斬新だったし、その後、彼にヒントを得て出てきた芸人の数々を思えば、もう少し今の彼の地位があってもよいように思う。

音楽業界でも一発屋はいる。ただ、優れた音楽は何度でも聴かれる需要があるし、印税収入もある。

ところが、お笑い界では、飽きられてしまうと惨めである。あれほど面白かった芸風が、飽きがきてしまうと退屈なだけではなく、時には嫌悪にも変わってしまう。小島よしおさんなんかも気の毒に思えて仕方がない。売れた芸風の衝撃が大きければ大きいほど、次の芸風が育たない。ミュージシャンが、いきなり1曲目でビートルズ級の曲を作って売れてしまえば、その後がつらいのと同じだ。

ただ、音楽人ならCDがあり、一発屋でもセールスがでかければ、功績に対するご褒美印税収入機会がある。

お笑いにはない。綾小路きみまろ氏なんかは、CDにもパッケージされているが、今後もずっと聞かれ続けることは、音楽ほどはないと思う。

音楽人なら、カラオケがあり、庶民がミュージシャンの疑似体験と共有をする機会があるから、その名声と収入が枯渇しにくい。

ところがお笑いはどうか・・・。なんだか気の毒である。今売れてはいなくても優れた芸を残した人たちが、収入的に満たされる仕組みを作ってあげられないものか?

カラオケの語源は、空のオーケストラらしいが、お笑い芸人版のカラオケなるものができないだろうか?

字幕に漫才や落語やコントやらのセリフが出てきて、素人が好きな人のネタをチョイスして真似る。

そんじょそこらの歌謡曲を歌うのと違って、お笑い界の人のネタをすることが、独自の間とセリフの言圧によって、いかに変わるものであるか、また、いかに難しいものであるかが一般的に体感され、それにともない、ギャラリーのお笑いを味わうツボもレベルアップすると思う。

レベルが低いのに、たまたま世に出た、生徒会長K子レベルの芸人のしょぼさも、簡単に誰でも真似が出来るということから明らかになる。彼はどっかのコネがあってテレビに迷い込んだとしか思えない。

個人的な好き嫌いを超えた、芸自体の優劣を、素人が真似をすることにより知る。そうすると、「エンタの神様」のような番組立案者のレベルも上がると思うのだが・・・。

自分が出来ないお笑い芸を好き放題に述べているが、俺はお笑い界に身を置く人たちを尊敬している。

尊敬しているからこそ、芸風もないしょうもない芸人が、音楽でいう所の、バンドブーム期のビートパンクバンドとかぶって腹が立つのだ。

お笑い版のカラオケの実現を望む。何と名づけようか? 「カラネタ」でどうだ?

2008年9月5日金曜日

原チャリ

ガソリン価格の高騰からだろう、富山県でも最近よく原チャリをみかけるようになった。都会と田舎における、車の運転手の大きな違いは、左折時に左ミラーを真剣に見たり、左を目視したりするかの違いだと思う。原チャリが田舎は少ないので、巻き込み確認をする必要がほとんどないのだ。それに比べて都会では、うじゃうじゃ原チャリがいる。この差は大きい。

原チャリには思い出がたくさんある。

俺が原チャリ免許を取ったのは、大学合格が決まった直後であり、高校生の最後の最後になってだった。俺の親友なんかは、学校に内緒で取っては、既にぶんぶん乗り回していた。
俺が免許を取った日、親友は俺に「運転を教えたる」と意気込んで、俺を連れ出した。

大きな交差点の手前数十メートルの所で、親友は俺を止め、こうアドバイスした。

「いいか、今から最大の試練、右折を教えるわ。びびんなや! 俺と同じタイミングで指示器出して、ついてこいや。もし、どうしてもだめやったら、まっすぐ行って止まっていたらいいから・・・。」

俺は、「誰がびびるかい! たかが右折やんけ!」と心では思いながら、得意げに教える親友の、真剣な眼に遠慮して、「お、おう。わかった。ついていくわ。頼むで師匠!」と持ち上げた。その時の親友の得意げな顔・・・。 笑いをこらえる試練があった。

親友の指導を経て、原チャリを乗り回し始めた俺だったが、最初はおかんの原チャリを借りていた。

京都で下宿するようになった1回生の夏、俺は生協で「JOG」を新車で買った。
納車された翌日の早朝4時に目が覚めて、俺は京都市北区から高尾まで運転した。ちょうど今くらいの季節だったろうか?少し肌寒い気候の中、原チャリを走らす俺はフリーダムだった。往路だけだったが・・・。

帰り道に警察に捕まった。スピード違反だ。納車翌日の違反切符だ。
その後、10日で2回捕まった。京都市内に多い、一方通行なる交通法規は、俺のフリーダムの辞書になかった。だから走った。捕まった。1度は反抗して、こん棒で殴られかけた。

違反切符と未納の罰金を抱えた3週間後、俺のバイクは白梅町で盗まれた。俺は西陣署に被害届を出したが、未納を諌められた。怒られる被害者であった。

被害届を出した翌々日にバイクは発見された。愛車のボディーには、ヤンキー御用達のスプレーで、「滅」と「太秦連合」と書かれていた。帷子ノ辻辺りに乗り捨てられていたらしい。直結されて無残な鍵穴、暴走族使用のコスプレ! 俺の愛車は変貌していた。修理をあきらめた。愛車に対して愛着がわくまでもない、短い間の、第一次原チャリ期だった。

1年後、2台目のバイクを中古で手に入れ、愛用したのだが、今度は2週間で3回捕まった。1回は一方通行違反、2回は二人乗り、俗に言う、「ニケツ」という奴だ。ケツにいたのは、うちのベースの明君だ。円町と北野天満宮で捕まった。俺達は金ケツを共有した。
このバイクも盗まれたのだが、結局出てこなかった。第二次原チャリ期も儚かった。

第三次原チャリ期は事故期だった。一時停止ミスで車の横腹に特攻したのが1回、もう1つは、20歳の誕生日にヤクザのベンツにオカマを掘った事故だ。過去ブログで書いた記憶がある。地上げ屋さんの高い高いベンツであった。

この第三次原チャリ期を最後に、俺は自己所有の原チャリをしばらく持たないようになる。

先輩に借りたバイクで、当時付き合っていた現嫁をケツに乗せて走ったことがある。河原町から七条の嫁の住んでいた寮まで送りに行ったのだ。

ポリスとヤンキーを避ける為、出来るだけマニアックな道を走ったのがいけなかった。五条を過ぎた辺りで、小路に迷い込んでしまった。急にでっかい駐車場が目の前に現れ、高級車の見本市みたいな光景が現れた。

京都の任侠組織、会津K鉄会の本部前に出てしまったのだ。深夜の時間帯に、排気音のうるさい原チャリに二人乗り! ちょうど、抗争中であり、萬田の銀ちゃんと菅原文太さん風の人が、こちらを凝視していた。カチコミと思われて射殺されていても文句は言えなかったであろう愚かな迷い猿と相方であった。

雪道でスリップして、宇治東インター近くの坂を十メートルぐらい斜滑降した思い出、座席シートにウンコを置かれた思い出、堀川五条の交差点右折時にガス欠した思い出・・・、何だか悲しい思い出ばかりだ。

大活躍したこともあった。俺の下宿の引越しは、現チャリでしたのだった。金閣寺近くから西大路太子道まで、5往復で引越しを終えた。

どんだけ少ない荷物やねん・・・。やはり悲しい思い出だ。

最近は、真面目に原チャリを我が家に導入しようかと考えている。俺にとって、第四次現チャリ期となるのであろうが、今度はどんなドラマが待っているのだろう。
良識をわきまえた大人の俺、フリーダム幻想もなくなった俺、特攻精神も控えめになった俺、ウンコを置かれる恨みも買わなくなった俺・・・。今なら良い思いでを作れそうな気がする。

2008年9月4日木曜日

秋の雨

連日の雨模様。だが、気配は完全に秋だ。

秋の雨についての言葉が気になり、色々調べてみた。

「秋雨」・・・秋に降る雨    

「長雨」・・・何日も降り続く雨

「霧雨」・・・霧のように細かい雨

「小糠雨」・・・静かに細かに降る雨

「霖雨」・・・何日も降り続く雨

「宿雨」・・・連日降り続く雨。

「愁雨」・・・国語辞典には載っていないが、「秋」に「心」がついているので、「秋雨」を心に焦点を合わした言葉だろうか。愁いを含んだ涙雨をさすと思う。

「長雨」、「霖雨」、「宿雨」は、字義的にはほぼ同じ意味であるし、「霧雨」も「小糠雨」にも大して違いはない。だが、漢字をじっと見つめていると、そこにはかすかなニュアンスの違いと、風情を感じ取ることが出来る。

長田弘さんは、上記のような雨に関する語彙の使用例が減ってきていることを嘆き、「言葉があなどられるところに、人としての豊かさはない。」といった主旨のことを述べておられたが、全く持って同感であり、全く持って耳が痛い指摘である。

個人的な雨に関する描写力を振り返ってみる。

「どしゃ降り」、「夕立」、「狐の嫁入り」、「横なぐりの雨」、「雷雨」、「豪雨」ぐらいであろうか? これでも、語彙としては使っている方だと思う。ほとんどの人は、「うわ~、すごい雨」といった言葉で終わっているのが現状だと思う。

それで十分に意味は伝わるだろうし、不自由はないのだが、「霖雨」「愁雨」などのような、味わいある言葉は確実に消えていくだろう。一部の言語マニアだけが、古語を味わうように懐古するだけになりそうである。

失われていく言葉に代わって、新たに優れた言葉が生まれてこればよいのだが、どうもいけない。個人的に好きな言葉も生まれてはきているのだが、外来語の加工や短縮がほとんどであり、漢字を組み合わせて加工した、味わい深い言葉はなかなか生まれてこない。

直近の例が思い浮かばないが、「胸キュン」やら、「ナウい」なんて言葉を生み出した人たちの言語感覚は素晴らしいものがあると思うが、それぞれ、「漢字と擬態語の組み合わせ」、「英語とひらがなの組み合わせ」であり、「漢字同士の組み合わせ」はなかなか生まれてこない。味わいがないので、流行にのっただけの一過性の言葉であり、もはや死語となっている。寿命が短い。

古い例ばかりで申し訳ないが、「オバタリアン」、「ほめ殺し」、「おニャン子」、「地上げ屋」、「しょうゆ顔、ソース顔」、「落ちこぼれ」などの、過去の流行語も、なかなか言語センスとしては秀逸であったが、いかんせん、寿命が短い。時間が経ってしまうと、妙な古臭さを感じてしまう。

その点、「霖雨」、「宿雨」、「小糠雨」なんかは、同じ死語であっても、時代遅れ感は抱かない。むしろ、使いこなせたら素敵な言語として、今でも君臨している。やはり、漢字の組み合わせの熟語には、言霊が宿っているのだと思う。

秋の雨模様だが、とても味わい深くて好きだ。味わいをぴったり表現できる言葉があったらなおよい。秋の雨を表す言霊言語をつぶやきながら、じっくり雨を鑑賞したい。

休日雑記

久々の穏かな休日。ゆっくり書店をめぐり、中古CD屋に行く。

「ゲオ」が、「580円以下のCD、3枚まとめて380円セール」なるものをやっていたので物色。

洋物は、リンダ・ルイス、ルー・リード、スキッド・ロウ、ヨーロッパ、ヴァンヘイレン、を発見し、邦物は、シュガー・フィールズ、コイル、スクーデリア・エレクトロ?、ペンパルズを手に取り購入。合計9枚で1140円なり。安いもんだ。

ヨーロッパやボンジョビは、別にすぐに聴きたいわけではないし、高校生の時にテープで持っていたので、買う理由自体はなかったのだが、大人買い(衝動バージョン)というやつだろうか、なんだか、廉価で売られているのが不憫で購入してしまった。

ヨーロッパの「ファイナル・カウントダウン」なんか、高校の時から、「なんて軟弱で安っぽい鍵盤」と思っていたのだが、今聴くと、なおさら安っぽい感じがした。ただ、曲自体は良くできているし、売れたのだから、俺がどうこういう筋合いはない。ただ自分の中で懐メロ化していたのが悲しかった。

本屋では数冊購入した。

・雑誌「新潮45」・・・福田和也の「オバはんでもわかる」シリーズが好きで、立ち読みしていることが多いのだが、今回は、「貧乏13の怪事件簿」というタイトルに惹かれ、ついつい購入。毎回買っては後悔するのだが、読み応えなし。新潮社が出しているわりには、やっぱ、雑誌である。

・雑誌・・・「小説現代」・・・これも毎回立ち読みですましているのだが、四方田犬彦氏と溝口敦氏、小沢昭一氏、黒川博之氏のエッセーがあったのと、石田衣良氏の短編小説「ダガーナイフ」のタイトルに惹かれて、ついつい購入。
「ダガーナイフ」に石田氏ときたら、秋葉原事件の下敷きが間違いないのであるが、読んだら実にしょぼかった。雑誌だからか、あまりに手を抜きすぎていて、ちょっと興ざめだった。エッセーだけなら立ち読みでよかったと反省。

・ 『武士の日本語』野火迅(文春文庫)・・・数ヶ月前に、ある方より、「最近、武士言葉
が若い女性の間で流行っている」という証言を聞いていて、武士言葉には少し興味を持っていた。なんでも、ゴルフ場で、女性が、「かたじけない」を連発していたらしい。まだ読んでいないが、目次を見る限りは面白そうだ。新刊文庫を久々に買う。

・ 『仁義なき戦い 死闘編』飯干晃一(角川文庫)・・・恥ずかしながら、893フェチ
を自称しながら、文太さんの映画だけを満喫しており、原作は読んでいなかった。内容はばっちり頭に入っているので、今更文章で後追いする必要もないのだが、飯干さんの筆致が好きなので購入。

全体的に、立ち読みで済むものばかりの気がして、少し浪費を反省する。

新書は相変わらず、タイトルだけ秀逸で普遍性がないものばかり。夏休みのキッズ向けキャンペーン書籍がまだしまわれていなかったので覗いたが、どれも読んだものばかり。太宰なんか、表紙に写真やら、趣味の悪い配色やらで、見ていて気持ち悪かった。太宰はやはり、背表紙黒の文庫本が1番だと思う。

年々、純文学を読みたい動機が希薄になっている。感動を小説から得ることに、なんだか警戒するというか、安易に涙を流したくないというか、感動必至の小説に手を出さなくなってきている。感動の容量更新をしたくないだけの気がする。

夜は久々の、「ほうるもん」全体リハ。新曲4曲に取り掛かる。なんとか形になりそうだ。次のライブの曲順と取捨選択に、今から迷う。10月末にライブをする予定。

「チープハンズ」は、明君との音信不通は継続中だが、素晴らしいライブイベントにご招待を頂いていて、復帰は間近と相成りそうだ。詳細はまだ明かさないが、年末京都だ。

バンドに持ち込んでいない、弾き語り向けの曲がたまってきたので、どっかで久々にソロライブなんかも計画しようかと思っている。問題はアコギでFが押さえられるかだ。

とても充実した休みだった。

2008年9月3日水曜日

科学者、何してくれるねん!

今日のヤフーニュース・・・。 

「遺伝子の個人差で離婚危機2倍=スウェーデン男性900人調査」

もうね~、あきれた。どっかの遺伝子研究チームが調べたらしくて、学会発表するやらしたやらの報であるが、研究費使って、何くだらんこと調べとるねん!

この研究結果を何に生かすわけ? 離婚遺伝子を持った人はどうしたらいいわけ?

結婚と離婚に対して、遺伝子が影響するほど、人間の心は単純ではない気がする。
怒りっぽい、涙もろい、色々な性格が遺伝子に書き込まれているのかもしれないが、後天的な環境は遺伝子を越える。

これからは、婚約者を紹介する娘に「相手の離婚遺伝子を調べなさい。」といった、同和差別に似た風潮が蔓延るのだろうか? ほんと、くだらない研究だ。

解明されていない科学分野は数あれど、何でも解明すればいいというもんではない。そら、ある程度科学を専門的に学んでいたら、研究解析するノウハウとヒントは多く得るだろうが、研究動機の根底に人文的要素、倫理的、哲学的思考はないのだろうか?

それに、離婚遺伝子なるものをネズミの実験で導きだせるほど、離婚というのは逃れられない必然たる科学の範疇なんだろうか?と思う。人間の心はネズミと同範疇で語れるのだろうか?

科学の進歩が、人間の疫病を治し、延命、長寿に一役買ってきたことは確かだ。だが、長生きすることがいいことか悪いことかといった問いは、また別問題にするにしても、ほとんどの科学の発展は、更なる問題を引き起こすきっかけ作りになってきているのではないか? そろそろ頭のいい科学者さんも、この矛盾に気づくべきだ。

化学物質の抽出と、組み合わせの効果を研究する。ウランを発見したらそれを燃料に使う一方で、爆弾にも使う。爆弾が作られたら、その防御のシステムを作る。でも、最初にウランの抽出なんかをしなければ、その後の防御システムの構築も必要ない。

大義名分は色々つけられる。発電のための画期的なシステムで、原子力発電がないと電力需要はまかなえないやら色々理屈をつけて、開発資金を奪い取るが、本当だろうか?原子力発電がないと電気が止まるのだろうか? 節電を訴えるわざとらしい電力会社のCMが流れるが、火力発電所や水力発電所の多くは、開店休業状態に思えるのだがいかがだろうか?

結局、原子力なるものの威力が科学的に発明され解明されたから、それを軍事的にいつでも利用できるようにするために、日本においても原子力発電の重要性を説いているだけだろう。要は、すぐに核武装できる体制作りのために原子力が必要なだけである。

もし、科学者が原子力を解明しなければ、発電もないかわりに、爆弾も出来ない。そうすれば、軍事費や電力に回る費用や資源も有効利用できたはずだ。

理想論だが、もし爆弾はもちろん、戦車、ミサイルなんかもすべて開発されていなければ、未だに戦争は、石と槍と弓ぐらいであったろうし、壮絶な戦いも起こらなかったと思う。
強烈な爆弾を作れることを知るから、作りたくなり、他国が作ったら、防御したくなり、その繰り返しで経済は好不況をくり返す。

何でも解明したいというのが人間の欲望であろうが、解明して実用化したものを使うのも人間だ。人間の倫理観がいかに脆弱であるかは、誰もが知っていることだ。そこに科学者が思いをはせてくれるだけの想像力があれば、現況のほとんどの問題は解決したか、縮小していたと思う。

原子を突き止めた科学者と、離婚遺伝子を突き止めた科学者をいっしょに並べて斬るのも、いかがかとは思うが、結局は、科学者の倫理感?が問題だ。いや、科学者が、研究過程で人間であることを捨てるのが問題だ。

まともな人間が、離婚遺伝子の解明を一生懸命に邁進できるわけはないと思う。こいつらの科学者エゴだけがもたらした、ジャンクな発見であり、この解明が誰かを救ったりすることはないと思う。

病気の人を治したいといった動機から、ほとんどの科学者の研究動機が出ているのだとは思うが、悲しいことに、科学者が発明すればするほど、無用な発明が必要になるのが、真理だと思う。

2008年9月1日月曜日

眼が逝った 滅入った

ある小学生の日記
「フクダ君が学級委員長をやめました。ハトヤマ君とフクシマさんがいちびっていました。
僕は驚きました。委員長ってこんなに簡単に辞められるんだ? それに、やめろやめろ!と言っていた人が、やめたらまた文句いうのも不思議です。」

色々毒づきたいが、軽くでやめる。ただ、楽な仕事だな~と、つくづく思った。こちらが思っている以上に、福田君も鳩山君も福島さんも、幼稚なことはわかった。政治って何だ?国家って何だ? 議会制民主主義ってなんだ? 複雑に推測する必要はなくて、単にみんな幼稚なのだ。正義の味方になりたいだけなのだ。だけど、ふりかざす正義が彼らにはないのだ。だから、稚・痴・遅・恥・蜘・・・。 血も出ない。

フクダ君のことよりもわが身が大事である。俺は今日眼科に行った。数週間前から、コンタクト装着後6時間過ぎくらいから、右目に異変があった。かすんでくるのだ。時に虹がかかることもあった。

高校野球キッズ時代に、硬球を目に当てて網膜剥離を患って以来、俺の中では「眼圧」なる言葉が定期的に頭を支配していた。

昨年秋に眼科に行った時、「これからずっと目薬をさすようにしたほうが良い。まだ若いんだし~。」と、強制力がありそうな無さそうなジャッジを受けていたが、俺は忙しさにかまけて通院を怠った。

今日は、眼科に行ったら怒られることは予期していた。目薬はもらいに行かないは、コンタクトは耐用期限を上回って装着するわ・・。

眼圧検査と視野検査をされて、院長は俺に言った。「前回来た時と違って、今回は、絶対!です。目薬を点しなさい!覚悟を決めなさい。」

俺は、この院長を信頼している。過度に脅さずに、かといって誤診があったり、甘やかすわけではない。簡潔ではっきり言うが、世の中の多くの医者に見られるような、いつも最悪の事態だけを患者に宣告するタイプでもない。

そんな先生の言うことだから、今回は本当にまずいのだと思った。
「先生、わてのお目目はいかほどばかり患っておるのでしょうか?」と聞くと、「右目の眼圧は正常値が20にたいして30超えで、視野もだいぶ狭まってきている。このままだと、あと10年くらいで、視力矯正しても1.0には届かなくなる。」とおっしゃった。

「先生~~! わては、金輪際通院をぶっちせんようにしますが、来る度に数時間待ちは、ちと酷でっせ!薬だけもらいにきたらあかんのですか?」と俺は聞いた。

先生は「3ヶ月に1回の診察でいいから、とにかく目薬はきっちり点しなさい。その上で、3ヶ月ごとに経過を見せなさい。」とのたもうた。

今日から、目薬を欠かせない、お目目ジャンキーとあいなった・・・。何だか悲しいが、視力を失うのは嫌だ。とりあえず、来週だけもう1度通院して、その後は3ヶ月に1回の通院が俺の生活体系の仲間入りとなった。

この院長の言うことだから聞くが、彼以外なら、俺はまだ無謀に行動していただろう。名医と知り合えて幸せだ。

俺は、この院長と知り合う前までは、眼科医に対して不信の塊だった。富山に移住して最初に行った眼科のおっさんは最悪だった。反コンタクト信者のヒステリック医者だった。

「大変です。網膜剥離になる恐れがあります。コンタクトをすぐに止めなさい。このままコンタクトをしていると、数年で失明します。」と脅された。俺はびびった。びびった気持ちを解消すべく、別の眼科に行った。それが、俺の今日行った、行きつけ眼科だ。

院長は、コンタクトレンズの怖さを説明した上で、正しい使用方法を守っていれば、十分にこれからも使い続けていけることを話してくれた。そして、俺が通院しないであろう性格も見抜いて、手入れの少ないコンタクトレンズの種類を勧めてくれた。

後に、複数の方から聞いたのだが、最初に行った眼科は、かなりの確率で「網膜剥離の恐れ」を説くらしい。そこに行くと、めがね購入者が増えるらしい。

名医とやぶ医者の区別は、一概に言えないが、少なくとも俺は冒頭の医者の教えを守らなかったが、失明していない。「数年で失明」の診察は誤診であったのが、臨床的にわかった。

今日からずっと、目薬を手放せない体となったが、仕方ない。歯磨きと同様、生活習慣に早く組み込んでいきたい。月に1、2回の目薬もらいの巡礼も、3ヶ月に1回の定期健診も受け止めようと思う。

目薬効果で、眼が正常値に近づいたら、冒頭のフクダ君とハトヤマ君とフクシマさんの顔を見て毒づきたいが、今は目の毒だ。

眼が回復したところで、健全な眼では見るに堪えないキツネが我が国にいる。

滅入った1日だった。