数日前のブログでもふれた、へたれ釣り人の海釣り体験回顧録だ。
初めて海釣りをしたのは、富山に移住した平成7年の秋だった。釣りに詳しい大阪の友人が遊びに来て、釣り道具一式を持って海釣りを教えてくれた。
七尾寄りの氷見の海岸で、俺たちは投げ釣りを楽しんだ。へたれの俺は、当然のごとく餌のいそめを友人につけてもらった。
昼間の最も釣果が期待できない時間帯でもあり、なかなか竿に反応はなかった。友人はそれでも、よく名前がわからない魚ではあるが、数匹釣り上げていて、さすがだと思ったのだが、俺の竿には全く反応がない。
久々に持つリールのリリースタイミングに面白みだけを感じ、何度も巻いては投げを繰り返していた。
友人から、「もう少し海中に入れて待っていたほうがよい。お前は落ち着きがなさすぎる。」と駄目だしをくらったので、不本意ではあるが、じっと竿を垂らして反応があるのを待った。
竿に反応があった。俺は興奮気味にリールをあほみたいに高速で巻いた。友人からは、「魚がばれるから、もうちょいゆっくり巻きなはれ。」とまたもや駄目だしをくらう。
巻くスピードを落としてゆっくり巻いていると、海面に現れたのは・・・
海蛇だった。海蛇という生き物がいるのかを知らずに言っているのだが、間違いなく蛇の形だった。ドラクエに出てくる雑魚キャラみたいな奴だが、俺は身震いした。吸っていたたばこを海蛇の上に落とし、イオナズン代わりにした。
さすがに友人も気持ち悪がって、俺の仕掛けごと切って海にリリースした。
俺の初めての海釣り釣果は海蛇だった。嫌な予感はしていたのだが、その後も俺は稀有な釣果ばかりに見舞われる。
竿に微かな反応があったきり、その後反応がないので、餌を取られたのかと思って糸を巻くと、ヒトデが釣れていた。星型のど真ん中に奴らの口があることを初めて知った。中央の口にがっしりと針を飲み込んでいやがる。友人に外してもらって、俺たちはヒトデを砂浜に放置し、「干上がりの刑」に処した。
再び気を取り直して投げ釣り再開。 またもや微かな反応があったきり手ごたえがないので、餌の付け替えで糸を巻くと、何だか重たい。海藻でもいっぱいひっかけているのだと思っていたら、何と蟹が連れていた。500mlのペットボトル大の御汁蟹だった。
だしをとるための蟹は、鍋の中で見ると良いのだが、実際に生きている奴を見るとこれまたなんだか恐ろしい。俺はいやがらせで鋏を踏んづけながら、針をひっぱり、口裂き外し攻撃をして、足で海に蹴ってやった。「海の出汁でもとっていやがれ!」
初めての海釣り釣果が、海蛇、ヒトデ、蟹・・・ある意味釣るのが難しい外道だ。
その後、知り合いの船でキス釣りに連れて行ってもらったこともあるが、陸を離れて10分で船酔い、ゲロッパしている横で、キスを釣り上げる嫁がいた。
まともな釣りは向いていないと思った俺は、防波堤でのサビキ釣りを始めた。防波堤下にいる小あじを、コンドームの切れ端みたいなゴムを付けた疑似餌を付けた5連針で釣るのだ。餌も付ける必要がないし、あほみたいに釣れる。俺は「これだ!」と思った。
だが、釣り上げた後になんだか空しさが残る。浮きを見て釣り上げるのが本来の釣りだと思っている俺は、自分のしているサビキ釣りが邪道に思えた。
ビニール手袋でも常備して、次回はイソメを自分で付けることを業と課して、防波堤からの投げ釣りに挑戦したい。
へたれ釣り体験とは話がそれるが、釣り用語というのは、日本語として味わいがあるものが多い。
「まずめ時」・・・明け方や夕暮れの薄暗い時間、「朝まずめ」、「夕まずめ」と使い分ける。
「オデコ」・・・魚が1匹も連れないこと。「ぼうず」「あぶれ」とも言う。
「おまつり」・・・自分の仕掛けと他人の仕掛けが水中で絡んでしまうこと。
俺は、「まずめ時」の釣りも、「オデコ」も、「おまつり」も経験がない。風流な言葉すら体験してない、へたれ釣り人だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿