2008年9月29日月曜日

兄弟模様

他所の兄弟がどうなのかは知らないのだが、俺の兄弟関係は、とても血縁関係とは思えないほどの希薄さだ。

今現在、兄貴は京田辺市にいるのは知っているが、弟がどこにいるかも知らなかった。
昨日のおかんからの電話により、神奈川県に住んでいることがわかったが、住所を知っているわけでもなければ、連絡を頻繁に取り合うわけでもない。

兄貴は2年、弟は7年ほど見ていない。俺が富山に移住した後も、結婚式以外で彼らが富山に来たこともない。普通一般の兄弟関係ではないだろう。

弟はワイルドだ。仕事で長期休暇がとれるとすぐに海外に旅立つ。

ニューヨークテロの時期に、中東近辺にいたこともあれば、シベリア鉄道に旅立ったこともある。タイ、バンコクなどのアジアは幾度となく訪れている。

どこかの国で金銭を取られるトラブルがあって、日本大使館のお世話になったこともあるらしい。おかんあてに電話がかかってきて、海外送金して事なきを得たらしいが・・・。

俺たち兄弟は、たぶん、道端ですれ違っても気付かないのでは?と思うほど、疎遠である。
色んな兄弟事情があるだろうが、俺たちのケースはちょっと問題ありだと思う。

おかんもそのことを気にしていたらしく、昨日電話で話した時に、「あんたら3人、強制的に1度集めなあかんな~」と話していた。

男3人兄弟いう構図は、俺の死んだ父も同じであった。だが、父は兄弟と仲がよく、年に1回は必ず会っていたし、書面のやり取りもよくしていた。だが、俺は兄にも弟にも手紙なんかを書いたこともなければ、長電話をすることもない。盆と暮れもバンドの用事でしか帰らないので、会うこともない。

このままいけば、誰かが死ぬ間際にしか会わないのでは?と思うほどの関係だ。

振り返ってみると、幼少の頃から、兄弟で遊んだ記憶というものが皆無である。兄貴と弟はそれなりに遊んでいたようだが、俺は完全に孤立していたし、小学校高学年になるころには、俺は家族自体との交流もさけていた。

真面目で典型的な長男タイプの兄にしてみれば、家庭内暴力はするわ、深夜に家を抜け出すわ、タバコは吸うわの俺の言動は、耐え難いものがあったと思う。中学時代、深夜に家を抜け出してタバコを吸っていたことが、おかんにばれたことがある。おとんは出張中であり、おかんと深夜のどなりあいをしていた時に、「いいかげんにしろ」と、高校受験勉強に励む兄貴にしばかれたことがある。

普段は寡黙な兄貴であったが、喧嘩したら強かったし、当時から変な威厳みたいなものはあった。兄貴は兄貴なりに、長男としての十字架みたいなものを真正面から背負っていたのだと思う。だが、その時は兄貴の心情に気付くことはなかった。単なる疎ましい存在であり、俺の邪魔をする敵であった。

自分がしていることに対するやましさもあったのだろう。なおさらのこと、俺は家族との交流、そして兄弟との交流を避けた。

20歳を超えてからも、埒のあかない生活をしていた俺は、家族なんてもののありがたさや、家族の1人1人への敬意も持っていなかった。

だが、親父が亡くなる直前に家族が揃った時に、なぜだか知らないが、兄貴が背負っている何か、弟が俺に擦り寄ってくる温かさを急に感じて、その時以来、家族というかけがえのない存在を少しは肯定できるようになってきた。

だが、いかんせん離れ離れの状況、未だに兄貴や弟に会った時は、変な気を遣う。兄貴には敬語になってしまうし、弟にも何とも言えない距離を置いた接し方をしてしまう。真の兄弟関係か築かれる日が来るのか、現時点では映像はない。

兄弟が仲睦まじく接している生徒の様子なんかを見るにつけ、いつも心の奥底で痛んでいるものがある。おかんとの関係は、親父の死後、よい関係が築けていると思うので、今一度、兄弟関係というものを見つめなおしてみたいと思う。

予定では、弟は明後日に帰国するらしい。おかんに電話番号を聞いて、電話でもして、兄貴らしい気配りをしてみようかと思う。

年末に帰省する際には、兄貴の家に何か土産でも持って、弟らしい可愛いさと従順さを示してあげたいなとも思っている。

大事なものに目を向けずに生きてきた日々であるが、昨日のおかんの電話で、兄弟、家族というものについて、少し考えた日であった。

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