2008年5月31日土曜日

文字表記による言語イメージ




ガソリンがまた上がる。リットル170円代突入が現実に。まだまだ上がり、200円も十分にあり得る。

俺のボロ車はリットルあたり7キロぐらいしか走らない。7キロ走るために170円使っていたら、マラソンを車で走ったら1000円超えだ。毎日最低45キロは車に乗る俺は、毎日最低、交通費1000円以上が必要になる。ほんまに毎日マラソン通勤したろうかと思う。

ガソリン価格に対する不満を言うのが今日の主旨ではない。ガソリン→車→自動車メーカー→社名→固有名詞→イメージの変遷について、ちょっと思ったのでお絵かきついでに記す。

国内自動車主要メーカーの車名を見渡すと、トヨタ、ホンダ、マツダ、スズキ、三菱だ。
三菱以外は人名だ。

トヨタは創業者の豊田佐吉さんの苗字、同じくホンダは本田宗一郎さん、マツダは松田重次郎さん、スズキは鈴木道雄さんに由来する社名だ。三菱は財閥として苗字に関連ない社名を用意しているが、ほとんどが苗字由来の社名だ。

苗字を冠したメーカーが世界に名だたるメーカーになり、カタカナ、アルファベットでの表記の方がイメージがわいてくるようになる。

同じ音であるにも関わらず、人名とは離れて社名が認知されるようになってきている。この変遷は面白い。

俺は、豊田さん、本田さん、松田さん、鈴木さんという名前の知り合いがそれぞれいる。ところが、車の話をしている時に、彼・彼女の名前が頭に浮かぶことはない。

「お前何の車乗ってるん?」
「俺? 俺な、~やわ。」  と言うときの~は、豊田でも本田でも松田でも鈴木でもなく、トヨタ、ホンダ、マツダ、スズキだ。漢字認識ではなく、カタカナ認識だ。

日常会話の中で、同じ音を持つ固有名詞が、瞬時に頭で漢字、カタカナに変換され、そのイメージで事物として認識し、変換する言語に対する脳のシステムを凄いと思う。

そして、人名が社名としてブランド化した人たちを、やはり素晴らしいと思いたくなる

人名にまつわる固有名詞を例として出して恐縮だ。同名の方には申し訳ないが、これら自動車メーカーの人名が社名として、カタカナイメージを持つに至れたのは、人名の音が元々優れていたからか、それとも、どんな人名でも発展を遂げれば、別イメージを持つことが出来るのだろうか?

例えば(同姓の方申し訳ないです)、「馬場さん」という人が起業し、それが発展を遂げ、市場を得たとする。そうすると、馬場はババ、BABAになり得るのだろうか?

「お前、何の車乗ってるん?」
「俺? 俺な、ババやわ」という会話は自然になされるのだろうか?

他の苗字にしても同じだ。

「お前な~、やっぱ車は、コイズミやで~、長持ちすんで!」

「あほ! コイズミはガキが乗る車じゃ!改造しまくりのガキが見た目に騙されるんじゃ! 団塊の世代はやっぱオザワやで!」

「そうかな~? エンジン良いのはわかるけど、よく壊れへん? いまいち信頼おけんわ。 エンジン弱いアベも嫌やけど・・・。」

「そやな~、どこのメーカーがいいか迷うな~? フクダはどない?」

「フクダはもうすぐ倒産するで! おもろいのはモリ! めっちゃファンキーやで! 燃費めっちゃ悪いけど・・・。」

といった具合の会話が、個人名を連想せずに成り立つようになるのだろうか?

固有名詞が偉大になる過程で、色んな文字表記の変遷がイメージにリンクして表れ、ある程度の発展を遂げた時点で、最初の人名には思いも至らないようになる。実に面白い。

文字表記によるイメージ変換がスムーズになされることは素晴らしい。同じ音に複数のイメージと認識を持ち、場面に応じて瞬時に必要な情報を取り出せる力は、人間の素晴らしさを感じる。もし、この機能が壊れてしまったら?????  上の芸術的な絵を見よ!

2008年5月30日金曜日

禁煙格闘録

もう何回目だろうか? 禁煙したいと思ったことは両手両足でも足りない。意志の弱さは三ツ星マークだ。自信がある。

最近の嫌煙ブームの過激さと、喫煙者への風当たりは尋常ではない。しかし、その迫害に屈して止めたいのでは断じてない。むしろ迫害する奴らの顔面に直接吹きかけてやりたいくらいだ。
ここで言う迫害者とは、単にたばこが嫌いというレベルの奴ではなく、たばこ吸う奴の人格を全否定し、吸う奴と同じ空間にもいたくないといったレベルのヒステリアンのことだ。
「誰にも平等な空気が、喫煙者のせいで汚されるのが許せません。」とほざいていたナオンがいたが、そこまで憎む奴を俺は憎む。

なんで定期的に止めたくなるかというと、歌のためだ。最近は定期的にスタジオで歌っているので、声のスタミナはだいぶついてきた。ハスキーさの中に美しい声が顔を出す時もある。しかし日々の空咳に消耗した喉は、本来の俺のパフォーマンスを最大限に引き出してくれない。やめたい。

止めて、節約した金でギターを買うのも良い。ハープを買うのも良い。全てをバンドのためと思えば、決して止められないはずはないのだが、1日伸ばしにし続け日々が過ぎる。

禁煙方法はたくさんある。まずは本数を減らしていく方法だが、これはまず無理だ。

俺は昔から、「一生に一度のお願い」を週に1回ぐらい言う奴だった。たばこを減らすにしても、「次の1本吸ったら、必ず5時間あける。」という誓いを日に10回はする。

だからといって、意志薄弱マスターの俺が、完全にすぱっと止めることが出来るわけがない。減煙無理で、完全に止めるのも無理で、どうしたらいいのだろうか。

不味いたばこを吸ったら止められると思い、毎日銘柄を変えて吸っていたこともあるが、どれも止めるほどの不味さはない。

ならばと、吸いまくって気持ち悪くなったらやめられないか? そう思い立ち、試したこともある。たばこを3本口に一気に吸い込み、むせるくらい吸い込む。目から涙を垂れ流し、「もうやめてください。」というくらいまで自分を虐めた。その光景を見ていた犬が軽蔑した目で俺に吠えた。「ワンワン」 彼の言うとおりだ。1本でよいのだ。

さすがにこの方法は少しの効果があった。5時間くらいは吸わずにおれた。しかし、5時間後に無意識にたばこをくわえていた。禁煙していることを体も心も忘れてしまっていた。虐待も俺には無理だった。犬に軽蔑されただけだったワン。

禁煙に対する厳粛な気持ちが足りないと思い、最期の1本と決めたたばこに真剣対峙したこともあった。
たばこを1本、感謝の気持ちをぎゅっと込め、しっかり味わった。「たばこさん、たばこさん、今までありがとうございました。今日から僕はあなた無しでも生きていけます。たばこさんも元気でね。安らかにお眠りください。」との文を何度も御経のように唱えながら、3分みっちり味わった。

吸い終わった後、陶器に吸殻と手紙を入れた。戒名もつけた。「草煙院安本痰(そうえんいんあんぽんたん)」だ。陶器を紙で包み、表面に「ラスヤニ(最後のヤニ)」と記し、日付を記して川の下流に流したこともある。今頃どの海原をさまよっているだろう。

厳粛な儀式も効果があった。17日間止めることが出来た。しかし、坊さんやっている歌い手と対バンした日に、再度吸い始めた。戒名の宗派が違ったので、安らかに成仏出来なかったのだろう。

他にも色々試した。「24時間かみ続けられますか?」と題して、1日にガムを600円分くらいかんだこともある。最後はかみながら吸っていた。

「人の吐息嗅げますか?」と題して、1日に10回、喫煙者に煙を吐きかけてもらい続けることもあった。最後は吐き続ける人のたばこを略奪していた。

知り合いと金をかけて禁煙を競ったこともある。最後には微笑みあって一緒に仲良く吸い出した。あうんの呼吸で一服! 俺たちは友達だった。

本当に方法がない。いっそのこと、禁煙を誓った人達用に、過激な装置を作ってくれないだろうか?吸ったら自爆する発火装置を内蔵したギブスみたいなものをはめていたら、まさに命がけで止められると思う。

これが発明されても止められなかったら、俺は「草煙院安本痰(そうえんいんあんぽんたん)」を自らにつけ、喜んでお隠れする。俺は本気だ。誰か俺を止めてくれ!

2008年5月29日木曜日

お菓子

最近、生徒が食べているお菓子を見るにつけ、すごく妬み心が出る。羨ましさと悔しさを禁じえない。なぜなら彼、彼女たちが食べているお菓子が、高級で渋いからだ。

グミやスナック菓子を食べているのは許せる。しかし、高級チョコレートを遠足などのハレの日でもないのに食べているのに、少しぴくぴくする。

梅ねり、わかめ、中野の昆布、袋入りの高級和菓子なんかを食べているのを見ると、「おっさんか!」と突っ込み入れて、怒りは最高潮になる。これらは、お菓子道上級者が食すものであり、じゃりん子が食べるものでは断じてない。

おまけに、1度侮辱されたことがある。俺が「ムーンライト」という高級お菓子を見せつけるように食べていたら、キッズが俺に、「ムーンライトは口の中でもごもごするから、あんまり好きじゃないんだよね、ゴーフルなら好きだけど」とぬかしやがった。

「源氏パイ」を食べていた時も、「パイはやっぱり浜松のうなぎパイが一番ですよ」と言いやがった。この無念・・・・、貝柱で満たした。おつまみを食すことで、俺は大人の優越感を保った。

幼少時代、俺はお菓子に飢えていた。おかんがスーパーから帰ってくると、袋をすぐにあさり、おかんの目を盗んではお菓子を引き抜いた。かっぱらい状態だ。
兄貴や弟の目に触れる前に俺は全部食した。

おとんが、梅酒を作るために買ってきた氷砂糖が2袋あった。俺は夜通し1袋食べた。虫歯を恐れていては、お菓子道は究められない。噛んで舐めて、ひたすら血糖値を挙げた。

俺のお菓子強奪は、わが家で問題になった。おかんはお菓子を隠すことにエネルギーを費やし、おとんは氷砂糖は梅酒を作る直前に買うようにした。

俺は負けなかった。おかんが新しい隠し場を見つけた日に、アジトを見つけ、襲撃した。それは、米びつを前にした襲撃事件にまで及んだ。

どうせ屋外に隠すことはない。どこにいても俺の公安魂が、アジト発見を助けた。

しばらくたって、おかんが兄貴と弟と会話している声が耳に入った。兄貴と弟は、俺がお菓子を食すもんだから、自分たちが食べられないことをクレームしたようだ。おかんは答えていた。「おかあさんも難儀してるんやで。ほんまあいつはゴキブリみたいやな~。」

Pardon me?  ゴ・キ・ブ・リ???

色んな親子関係があるが、おかんにゴキブリを冠された息子はいないだろう? 俺はどうせゴキブリなら、ゴキブリ道を極めようと思った。

九州のおばあちゃんの家に一人旅することがあった。おかんがお土産を持たしてくれた。
船の一人旅で、小学生高学年時代の出来事だ。

深夜の二等船室、眠たいわけがない。ゴキブリは暗闇に動き出す。俺は腹が減ってきた。
追いはぎするほどの悪人でもない。人様のお菓子に手をつけるほど、ゴキブリとしての完成度はなかった。俺はわが荷物を見回した。持たしてもらった350円分の道中用のお菓子は、南港に着くまでの電車内でたいらげた。

あった!! お土産だ。 生八橋24個入りが2箱あった。

ゴキブリ迷わない! 人目も気にせず俺は1箱を船中で食べた。そしてもう1箱を、おばあちゃん家に着くまでの電車とバス内で食べた。

着いた。おばあちゃんが作ってくれた料理は田舎くさい上に、お菓子で腹が一杯で食べられなかった。しかし、めったに飲めないサイダーを3本おねだりし、一気飲みした。

その夜吐いた。夜もすがら洗面器を枕元に置いては、おばあちゃんに看病させた。ゴキブリの満腹中枢は壊れていたが、内臓は正常だった。吐いて吐いて・・・。

次の日からお菓子が嫌いになった。以前なら涎たらしていた仏前のお下がり菓子にも見向きしなかった。

帰るとき、おばあちゃんがお土産を持たしてくれた。九州名物「ひよこ饅頭」だった。

饅頭こわくはない。その時にはゴキブリはゾンビと化して復帰していた。

帰りの船中で完食した。

家に帰って、また吐いた。こっぴどく叱られた。おかんはそれ以来、お菓子を兄貴と弟に手渡しし、俺には少量しか与えてくれなくなった。

俺はお菓子を自分で作ることにした。クッキーを10人分ぐらい作った。クッキーといっても、材料がふんだんにあるわけではなくて、小麦粉焼きみたいなものだった。砂糖をふって食べた。おかんはほめてくれた。

家中の片栗粉を使って、わらび餅を土鍋いっぱいに作った。最初ほめていたおかんは布団たたきで俺のお尻をぶった。

幼少時、「大人になったら、毎日お菓子を買ってやる! マクドのポテトをランドセル一杯ぐらい食べてやる!」と思っていた。そのエネルギーを胸に今に至る。

こんな思いを抱いていた俺のお菓子にまつわるゴキブリ精神を、今のキッズはいざ知らず、上級者向けのお菓子をパクパク食べやがる。

でも、時々くれる。迷わずもらう。素直にうれしい。「おかわり」することもある。拒否されることもある。妬み心は服従心にすぐに変わることもあれば、対抗心に変わることもある。おかわりに失敗したら、帰り道のコンビニで、そのお菓子を2袋買う。

買って帰って食べたら美味しくなかったりする。ゴキブリの本懐は、人のお菓子にだけ向けられていたのかもしれない。

今日も夜の台所を徘徊しよう。

2008年5月28日水曜日

明日のために寝る

自慢じゃないが、俺は筋肉がある。特に腕筋は、細身のわりにいいもん持っている。腕相撲も勝率が高い。

ところが今の俺の筋肉は柔軟さにかけている。俺は体が固い。前屈したら「7」の数字ぐらいまでしか曲がらない。

昔は体の固さは気にならないくらいだったのだが、ライブ後の体の張りなんかが強くなってきたので、色々考えた末、体が固いことが原因じゃないかと思い立った。

今日のイチロー選手のファインプレーを見て、城島選手がコメントしていたが、イチロー選手が怪我をしないのは、力の抜き方を知っているかららしい。実にうなずける。だが俺はそれにプラスして、体が柔らかいことが彼の怪我を無くしていると思う。イチロー選手は体が柔らかい。毎回の柔軟体操をしっかりやっている姿も映像でよく見る。

お相撲さんも体が柔らかい。そうじゃないとあれだけの衝撃を毎日くらって耐えていけないだろう。

アスリートまでとは言わないが、やはり人並みに体を柔らかくしておかないと、これから年々怪我をする確率が高くなるだろう。最近は階段の2段飛ばし登りも目測を誤り失敗して、俺のあんよを強打することがある。もし転んだ時に体が柔軟じゃないと、骨ポキもあり得る。

体の柔軟性だけでなく、体力の劣化にも気を使う。俺はたいがいタフマンだと思っていたが、先日、生徒と競争して路上で100メートル走をしたら、走った後に口の中で血の味がした。吐血寸前の疲労だ。足は確実にニヒルに笑っていたし、振る腕のスピードに足がついていけてなくて、体勢が変だった。100メートル完走も危ぶまれるほどだった。これは情けない。

バッテイングセンターに行っても、以前なら1000円分は打ち込めたのに、今は400円が限界だ。1回素振りすると、体のどこかの繊維が裂けているような音がする。

バランス感覚も悪くなっている。自宅近くの用水べりを歩いていて落ちそうになった。
とにかく体が劣化している。頭に残る若かりし頃の動きの残像と、実際のパフォーマンスのギャップがあり、余裕で飛び越えたつもりの用水が、ぎりぎりだったりすることもある。

体には気を使って、もっと維持・回復することに努めようと思ったりもする。おそらく、劣化する体にケアをすることに目覚め出すのが俺の年頃からなのだろうと思う。

このように思っている人が多いせいか、健康志向の商品や、健康志向の番組は多い。
だが、いきなりのトレーニングは危険である。

俺の親友はビリーズブートをやって、廃人寸前になるほど体を痛めた。準備体操もせずにハイテンションで飛ばしたのだろうが、実に危ない。

30代でこれだ。歳が上になるほど、安易な健康志向は悲惨な結果を招く。いつまでも昔の体のイメージがあるものだから、現実とのギャップを認識していない場合、大怪我につながることがある・

今日のニュースにこんなのがあった。

「毎日放送(大阪市北区)制作のバラエティー番組「ランキンの楽園」で紹介された健康チェック法を試した視聴者がけがをした問題で、同社は27日、新たに8人が骨折などのけがをしていたと発表した。足のむくみをチェックするため、両足にティッシュペーパーの箱をはさみ、ジャンプしながら前に飛ばせるかを検査するもので、23日に放送された。愛知県の50代の女性は腰骨と両手首を骨折し入院しているという。」

怪我された方には申し訳ないが、この番組を見て、実際にチェックする前に、「待て、今のお前は無理だ」と、脳が警報を鳴らさなかったのかが不思議だ。脳内イメージの修正が必須だ。

腰と両手首骨折って・・・、笑ってはいけないが笑う。入院理由を聞かれるの恥ずかしいだろうと思う。

今の自分の体力が若かりし頃とは違うということを頭にまずインプットし、華麗な残像を消してからトレーニングにかからなければならないと思う。

最近、職場でラジオ体操を始めた。真面目にラジオ体操をしたら、口の中でまた血の味がした。体力以前に内臓が心配だ。

俺は内臓チェックをする際の自己目安として、毎朝自分自身に問いかける。朝起きた瞬間にだ。

「今のお前、コーラがぶ飲みできるか、おい!」 と 「今のお前焼肉食えるか、おい!」という問いかけだ。

寝床から立ち上がった瞬間にこの問いかけをしているが、幸いにして、今でも即答で、「押忍!」と答えられる。内臓はまだ元気なようだが、いぼつきサンダルを履くと痛く感じるポイントが増えてきている。慢心は禁物だ。

ライブを生涯にわたりするためには、内臓機能はもちろん、体力、柔軟性、全てを維持していかないとならない。ヘッドバンキング中に死去とかは嫌だ。歌っている途中に吐血も嫌だ。全ては明日のために、今日からラジオ体操に柔軟体操を取り入れる。

今体を曲げてみた。鈍い音がした。尾骶骨が痛んだ。可動範囲が昔の調合金並みしかない。

頭の体力イメージからリセットしよう。準備体操の準備体操が必要だ。柔軟体操前の柔軟体操が必要だ。足を伸ばしてメニューを考えていたら・・・攣った。

俺に明日はあるのか? 明日のための第一章、何からしようか? 考えてブログ書いたら指が攣った。寝ることからはじめよう。明日のために寝る。

2008年5月27日火曜日

個人情報

塾業界に身を置いて早4年、前職場では、生徒獲得のために種々の活動をしていた。
それらが実にしょぼい。

① DM発送、②電話勧誘、③学校前ビラまき。

会社の方針とはいえ、個人的に①~③全てを糞活動と名づけ、入社早々、上司に文句ばかり言っていた。何度も反論されたが、嫌なものは嫌、というより、こんなくそ活動を生徒獲得手段と考える会社方針に、入社早々疑問を感じ、事あるごとに反抗し続けた。

2年目に校舎長になってからは、自分のいる校舎は断固として上記の活動を拒否し、しょっちゅう部長と衝突していた。

嫌な理由は簡単だ。上記の活動が安っぽくて、一方通行で、生徒指導という仕事の主旨と何一つ相容れないからだ。大きな会社だから、生徒数の増減に敏感になる気持ちも今では少しはわかるが、逆に言えば、こんな活動をしないと生徒を増やせない時点で、その会社は下り坂だと思っていた。だから、当然今の職場では一切上記の活動はしない。しようという発想自体が全くない。

DMにしても、電話にしても、個人情報の獲得の仕方はいやらしいものだ。名簿屋から買うか、生徒にクラス名簿を見させてもらって入手する場合もあった。エネルギーとお金のかけ方を間違えていると思う。

とは言ったものの、俺は、個人情報を勝手に入手して、一方的に営業DMを送りつける行為自体は嫌いだが、自分のもとにDMが届くことには平気である。発信者にはなりたくないが、受信者は苦にならない。不快感もない。

個人情報というものに、世間が敏感になっているから、自ら人々の心情を逆なでする行為はしたくないが、俺本来は、個人情報に大らかなほうだと思う。守秘義務的なものはもちろん守るし、相手の個人情報意識にも配慮する。でも自分自身の個人情報は、あまり気をはっていない。

個人情報に関する意識が強くなりだしたのは、パソコンの普及が大々的なものになってからだと思うが、これもちと行き過ぎ、ヒステリックになりすぎな気がする。

例えば、病院において、患者を番号で呼ぶことが徹底されてきているが、これなんかも、実に無機質で嫌な感じがする。俺はいつも病院に行くたびに、個人情報に関する世間の風潮に疑問を感じる。同じ病気という立場、病院内で個人情報を隠す必要もないと思うし、個人情報と言ったって、名前だけだ。番号で呼ばれるほうが気持ち悪い。俺は識別番号をふられた機械か?

DMにしても、送ってきたところで、ほとんどの場合はゴミ箱直行だ。それを承知で通信費を払って出す発信者にたいして、哀れみの情は抱いても、いらつく気にはならない。迷惑メールは、正規のメールが紛れるから嫌いだが、DMに紛れて正規の手紙を誤って捨ててしまうなんてことは、数量的にもありえない。だから、別に困らない。

どうやって、自分の住所を知りえたかたということに、気持ち悪さを抱くのだと思うが、住所が知られたからといって、具体的に何が困るのだろう? 本当に突き詰めて考えたら、何も具体的には困らないし怖くないのだ。

本来、日本人は昔から相手に対して性善説に基づいて、大らかに行動してきた気がする。日本人に限らないかもしれない。相手が自分に危害を加えたり、不利益をもたらすなんてことを考えて人と接していたら、人的交流は生まれないからだ。

それが、インターネットの普及が性悪説に基づく行動を人々に課すようになった。これも一部の屈折した輩が起こした行動が扇動的にあおられた結果だと思う。

小学3年生まで、公務員官舎である長屋で暮らしていた。その後はマンションで暮らした。どちらもパソコンがほとんど家庭に普及していない時代だ。

この時代は、個人情報に大らかであった。近所の家の家族構成、職業、学力なんかが筒抜けであっても、別に隠し立てする意識も希薄だったと思う。基本的に相手に対する信頼があったんだと思う。こんな時代だからこそ、よその子が悪い行いをしていたら町全体が監視役になれる素地もあったと思う。

今じゃ、隣に住む人のこともしらないマンション生活者が増え、極力、人との接触を拒む環境が整った。そんなに人と接することが面倒くさいのかな?

その一方で、メールの世界の通信量は増えている。個人情報を悪用しやすい環境にあるインターネット上の取引を行う人の多くは、個人情報に敏感な人だという逆接も多く見受けられる。

著名人への実名興味本位記事も減らない。個人情報の尺度が曖昧なまま、ある一面の恐怖感だけが定着したまま、世界全体は何を目的に、どこに向かおうとしているのか、時々不安になることもある。

個人情報は大事だ。大事だが敏感になりすぎる必要もない。人と人との交流がある以上、個人個人の情報を互換させながら、交流の和が広がってきたからだ。迷惑に思えるDMでも、その中に有用と思えるものがあれば、その人にとってそのDMは福音にもなりうる。

個人情報を過度に守りたくなる心境について、しっかり考えるべきだと思う。個人情報を恐れるあまりに組み立てられたシステムで、個人情報を悪用した犯罪が多く起こっているという事実と照らし合わせ、もう少し大らかな日々の到来を期待している。

2008年5月26日月曜日

著作権

大手予備校が出版している国語の過去問題集、それらの中にはたくさんの著名な作家や学者の論説文が載せられているが、著作権を管理する団体の締め付けが強くなってきているらしい。

著作権協会は、「塾業界は著作権に無頓着するぎる。と言うし、予備校側は、「掲載するのに必要な適切な料金も支払ってきたし、あまり過度な締め付けによって被害を受けるのは受験生だ。」という。

どちらの意見も一理あり、今後もこじれていきそうな問題だ。

以前、県内模試の問題を3回、書店販売の問題集の問題を2回作成したことがある。その時に一番頭を悩ませたのは、この著作権だった。著作権団体の会員名簿を見ては、頭を悩ませた。

自分が使いたいと思う文章がある。そして、それを会員名簿で照会するのだが、その中に、「全面委託」となっている作家の文章は使って良いことになっている。ところが、「部分委託」とある場合は、教育委託が可能かどうかを、協会を通じて作者に確認しなければならない。

問題作成にそんなに多くの時間は割けない。協会とのやり取りをしていては、締め切りに間に合わないため、どうしても「全面委託」のみで作らざるをえない。

「全面委託」だからといって、宇能鴻一郎さんなんかを問題原文に選べるわけではない。未成年の教育に官能はいらない。

全体的には「全面委託」が多いのだが、全作家が会員になっているわけではなく、俺が参考にしたのは「日本文藝家協会」のものだが、別の団体に入っておられる作者もいる。
また、肩書きが作者ではなく、学者の場合、協会員になっているわけもなく、文章選びは困難を極める。

個人的な考えだが、もう少し大らかになれないものかと思う。著作権は大事だ。しかし、過敏に反応している方に限って、著作権による利益には遠縁のような気がする。

問題集である作家の文章を読む。その文章を気に入ったとして、「問題集で読んだからいいわ。」と作者の著作を買わないことに繋がるだろうか? むしろ、「他の作品も読んでみよう」という気になる部分の方が多いと思う。

勝手な推測だが、著作権に過敏になる作家は、自分の文章を使うことで利益を得る予備校が妬ましいのだと思う。気持ちはわかる。そりゃそうだ。でも、予備校が問題集で取り上げてくれなければ、若者がまずは目にしないであろう文章が受験問題には多い。ならば、自分の作品を教育の土俵で紹介されることは、むしろ効果的な宣伝であり、作者冥利に尽きると思うのだが、どうだろうか?

俺は今でも一応、著作権を守ることを考えている。教材を作るときは、全面委託の中から、題材を選び問題を作っている。塾業界でこれだけ著作権を意識している人は少ないと思う。出来合いの問題集からの抜粋で授業をするほうが楽だからだ。

著作権を突き詰めて考えたら、国語教材に限らず、えげつない混乱が起きるだろう。アマチュアバンドが好きなバンドのコピーを著作権料を払わずに無断でしたら、手入れが入り、追徴金まで課されるような事態がきたら・・・。オリジナルバンドが増えるから良い面もあるが、なんだか・・・。

本来は、表向きの著作権があっても、暗黙の了解があって、その範囲内であれば大らかでいられるべき種類のものだっただと思う。

ところが、何でも話しをややこしくするのは、金儲けの上手な奴らだ。自分の文章が換金できることになれば、ついつい、その利潤を減らすものを追求したくなるのは人情だ。何でも暗黙のマナーを守っていれば問題にならないのに、逸脱して利潤追求に走る奴らが全てをややこしくする。

1人の馬鹿が多くの犠牲者を作り出す現況、奴らの処分も全面委託で司法に委ねたいものだ。

俺のブログは全面委託だ。需要がないが、使ってもらえたら、こちらがお金払いたい。金儲けは苦手だ。

2008年5月25日日曜日

高校野球観戦

中間テストもおおかた終わり、今日の自習室は空き空き。出勤とはいうものの、自習室開放と電話番目的であり、穏やかな日曜日。この業界のこの時期は、1年で1番落ち着いていて楽だ。

わが塾の隣では高校野球の練習試合が頻繁にあり、今日は絶好の観戦日和。2階の窓から堪能した。

ちょうど練習試合のチームが、前職場で教えていた子がいる学校で、久々の再会。2年見ない間に、すっかりおっさん顔。高校生時期には、一気に子どもっぽさが抜けて、かっこいい雰囲気になってくる。

進学校同士の対決だが、考える野球を見るのは楽しい。体が特別大きいわけでもなく、練習時間も限られた中で、しっかり野球をするためには、日々の練習に工夫を凝らしているのだろう。

わが塾横の高校の練習を見ていて、いつも思うのだが、非常に練習密度が濃い。集中力がすさまじく、目的意識がはっきりしている練習を見るのは気持ちよい。

キャッチボール1つにしても、全員が、試合での捕球場面を想定した動きであり、捕ってから投げるまでの動きも素早い。一般的な全体練習はごくわずかで、それぞれの立場ごとに、細かな練習がなされている。バントをひたすら練習する者、ゴロの捕球だけを練習する者、自分のポジションと役割をよく理解し、練習時の目つきはすごく真剣だ。

甲子園に出場したチームとは思えないほど体は小さいし、すごいピッチャーがいるわけでもない。ところが試合になったら、ずるくてそつのない野球が出来るのは、日頃の練習の成果だろう。見ていて本当に気持ちよいチームだ。

わが高校野球児時代を振り返ってみて、非常に反省することも多い。もっと目的意識を持って練習しておけばよかったと思っている。

とはいったものの、大阪の高校野球は、化け物みたいな選手を擁した私立がごろごろある。いくらチーム力が高くても、個人能力の差が違いすぎて、冗談でも甲子園を目指すなんて言葉は出てこなかった。最初から負け組みだったのだ。ひと夏の思い出作り、不謹慎にも俺はそう考えていた。

「何食べてるねん!」というくらい体がでかい奴らが、3回戦クラスのチームにもごろごろいたし、私立の甲子園行く可能性があるチームの奴の打球なんて、守りたくないくらい速かった。

俺の高校は運がよかった。3年生の大会では、激戦大阪で3回勝ったのだ。地方の大会なら準決勝戦に行くくらいだ。
負けた瞬間、みんな泣いていた。悔しがって泣くのは強い奴らがする泣き方で、俺は違った。今まで練習してきたしんどさから開放されることへの嬉し涙も混じっていたような気がする。負けた悔しさは全くなかった記憶がある。嬉しい安心泣きを悲しい泣き顔に、周囲を窺いながら加工していた。

迷子になった子どもが、お母さんに出会った瞬間に流す涙と同じ性質のものだったと思う。

俺の高校はさらに運がよいことがあった。大阪大会の開会式の並びが、2年の時は、立浪選手がいたPLの横、3年の時は、元木選手のいた上宮の横だったのだ。種田選手もいたが、当時からミラクルなオーラが出ていた。

激戦区の雄たるチームの奴らは、出ている雰囲気が違う。体つきも同じ高校生とは思えない。「相手も同じ高校生だ。勝てないはずがない。思い切っていけ!」という大人の指導者の檄を、「んなあほな!大人は嘘つきだ」と冷めて聞いていた記憶がある。

同じ土俵というよりは、一種の年長者へ抱く憧れみたいなものを感じて、彼らの動きに見とれていた気がする。勝てるわけがない。他の部員には申し訳ないが、俺は戦意よりも観光気分の方が大きかった気がする。

入場行進は面白かった。高校野球の追っかけギャルの黄色い声援とカメラのフラッシュが、俺たちの前では異常に飛び交う。そして俺たちを避けるように素通りしていく。人気というものの絶対的な差を感じ、清清しくさえあった。

この体験はバンドにも生かされている。対バンの客が自分たちに冷たい時ほど、不思議と冷静でいられる。戦う気はないのだ。逆に好意的に見られると変な意識が出る。照れるのだ。俺は高校野球で負け犬根性を培った気がする。

今日の高校野球観戦、負け犬根性がない高校生の息吹を堪能し、少しは強い犬になった気がする。

2008年5月24日土曜日

まったり過ごす

今日は休みだが、一日中室内で、まったり過ごした。この「まったり」という言葉だが、すごく好きだ。

京都の旅館でバイトしていた時、女中さんが頻繁に使っていた記憶がある。料理の食感に関して用いていたので、なんだか「やんわり、とろけるような」というニュアンスで理解していたのだが、今じゃ、「まったり」は、「ゆったりと」といった使い方で多く使われているような気がする。

もともとは方言なのかな? 詳しいことは知らないが、食感を表す「とろけるような」といったニュアンスの言葉を、人の生態模様の一部に使いだした人のセンスは素晴らしいと思う。

特に予定のない休日、何にも束縛されることなく時間が緩やかに流れていく時、その流れにのっかる状態は、語感的にも「まったり」というニュアンスがぴったりだ。
日本語のやわらかさと雅さを改めて感じる。

今日は、まったり過ごした。

作品社から出ている「日本の名随筆全100巻」を読んだ。このシリーズ、タイトル通りの名随筆をキーワードごとに編者を変え、編集しているのだが、実に味わい深い。

「花」、「鳥」、「猫」といった漢字1字のキーワードにまつわる随筆を、著名でセンスあふれる編者が集め、編纂されている。作家名しか知らなかった人も多く、色んな出会いを短時間で味わえる。素晴らしき随筆集だ。

今日読んだのは、このシリーズの「貧」と「女」。編者はそれぞれ、小沢昭一氏と大庭みな子さんだ。

両編者ともに大好きな人であり、彼、彼女の編集、悪いはずがない。この随筆集でしか出会えない、入手困難な作品も多くあり、時間をわすれて楽しんだ。

大庭みな子さんを好きになったのは、3年前だ。それまでは読もうと思って読まなかった人なのだが、前の会社が県内のかなりの生徒が受ける模試を主催していて、その国語の問題作成を請け負った時に、文章題材に使わせていただいてから、じっくり読むようになった方だ。同じパターンの出会いに竹西寛子さんもいる。

随筆よりも、長編の作品を好む傾向が続いていたので、かなり新鮮な時間だった。昔の人の文章は桁違いに味わい深い。言語が色と音を持っているかのようだ。

読んで眠くなったら、薄手の掛け布団を抱いてゴロゴロ転がる。この時期の蒲団のひんやり感は、1年で1番だ。ずっと触っていたい温度と肌触りに包まれて、数十分眠っては起き、読んではまどろみをくり返す。「まったり」という言葉にぴったりの時間だった。

読破を目指していた在日文学集は、メジャーな梁石日氏の巻で完了。次なる興味を探していた時の、上記の随筆シリーズとのめぐり合い、当面は随筆読みが続きそうだ。といっても浮気もするから小説も読むだろうが・・・。

夕方からは雨。雨音にも負けずに鳴き声を響かせる蛙が、なんだか愛しくもある。あの小さなボディーに搭載したアンプの出力は素晴らしい。アンプメーカーに研究して欲しい響きの良さだ。

ギターは触って5分。音との出会いに今日は恵まれなかった。

「まったり」過ごせる日々の幸せを感じることもなく、その対極の状態でせわしなく、生き急いでいるかのように過ごしてきたけれど、こんな日々を喜びとして味わえる最近は、個人的に悪くないと思う。

「随筆」、「エッセー」は、その内「ブログ」と無機質に名前を変えるだろう。その時が来ても時間はゆるやかに流れて欲しい。良い休日だった。

2008年5月23日金曜日

~の日

数日前だが、奇妙なのぼりを見つけた。通勤途上の道に立っていたものだが、「毎月20日は犯罪抑制の日」というものだった。

すごいキャッチコピーだと思い、数日気になっていた。

「抑制」という言葉がすごい。毎月20日には犯罪は辛抱しなあかんで~!意地でも抑えるで~~! といった滑稽さを感じずにはおれなかった。どこの団体が出しているのぼりかをしっかり確認すればよかったのだが、今日見たらなくなっていた。きっと20日前後数日だけ立てるんだろう。

おそらく、町内会レベルのものだと思うが、もうちょいましなスローガンはないものか?
大人が数人集まって出した知恵の結晶がこのコピーじゃ、町内のレベルを疑われる。交通安全協会のものならば、しっかり噛み付きたいくらい稚拙だ。来月確認しようと思う。

「~の日」といったコピーが民間でも安易に垂れ流されるようになったのはいつ頃からかはわからないが、最初にやりだしたのはパチンコ屋のような気がする。わけのわからないイベント名だらけで、毎日イベントだ。

最近はパチンコに行くことはなくなったので、実情は知らないが、CMや新聞で毎日垂れ流される、軽薄な特別日設定に少し辟易している。

「毎月1日はメガトンデー」みたいなコピーがあって、翌日には「水曜日はミラクルデー」といった具合だ。両日の違いは何??? いっそのこと「~の日」を設定しないほうが良いような気がするのだがどうだろう?

パチンコ屋に始まり、スーパー、ガソリンスタンド、ドラッグストアが、やたらと「~の日」を作っている。

「今日は冷凍食品特売日」みたいなことをのぼりまで用意してアピールされると、ついつい買いたくはなるが、よくよく考えると、それ以外の日はしっかり儲け取ってますで!というアピールの裏返しだ。
エブリデイ・ロー・プライスといったシンプルなコピーを通年で示す店か、いっそのこと「~の日」アピールのない店の方が、間違いなく良心的な気がする。

ドラッグストアなんかは、「本日ポイント2倍日」なんてものに、のぼりまで用意しているが、ポイントよりディスカウントに出来ないものか? アピールの仕方としてはしょぼくて情けない。ポイント欲しさにシャンプーまとめ買いするかな~? 
うちの嫁はしていたみたいだ・・・・。おい! 

だいたい、派手な広告ほど胡散臭い。「~の日」という主旨からはそれるが、全国チェーンの紳士服屋の定番となっている、「2着目1000円」みたいなイベントも気にくわない。

2着目1000円なるんやったら、1着安くせんかい! 誰も好き好んで2着も、おべべ買いたいわけじゃない。以前買ったことがあるが・・・・。おい!

それにだ、紳士服業界、閉店セールしすぎ! つぶれるんや?と思わせて生き返り、その度にびっくり値引きをかましてきやがる。

「9割引き」とかあかんやろ? お前らなんぼ乗せとったんや!と言いたくなる。
この業界も普段からほとんど値引きをしない店のほうが、信頼がおけると思う。

ただ、色んな商売の方法があって、「~の日」や「閉店セール」なんてものが多いのは、それだけ効果があるからだろう。まあ、よしとしよう。

ところが、冒頭に戻るが、「毎月20日に犯罪抑制の日」というのぼりとスローガン、効果は限りなくゼロだろう。むしろ、しょうもない経費をかけてのぼりを作成したことの方が犯罪であるような気がする。

強盗を犯そうかと思っていた奴が、偶然みかけたのぼりを見て、「そうか~、今日は抑制せなあかんわ。」と思うだろうか? 仮に思うような人情味あふれる唐草風呂敷の泥棒さんがいたとしても、20日を過ぎたらやつらは決行するだろう。奴らの性質だからだ。

何の目的を持って考えたスローガンかは知らないが、犯罪を抑えるために特定の日を設けることのナンセンスさを誰1人正さなかったのだろうか? お笑いコントのネタにもなりゃしない。ばかばかばか!

どうせ作るなら、もっと気の利いたものを作って欲しい。

「毎月20日は、懲役割り増しの日」とか、「毎月20日は留置延長の日」とか、「毎月20日はポリチャカ解禁日」とかならば、ユーモア分かる泥棒は、犯罪の根本自体を見直さないか? ユーモアは大事だ。

ユーモアといえば思い出したが、以前働いていた会社のボスが、全体会議の訓示で交通安全にふれ、「飲んだら飲むな 乗るなら乗るな」と言っていた。どうせ~っちゅうねん!

主旨がそれてきたところで終わる。俺のブログはエブリデー雑文の日だ。良心的だ。

2008年5月22日木曜日

幼少時の読書

勤務中といえども、昼間は暇だったので、職場に置いてある、ブックオフで105円で仕入れた児童書関係を読む。「子どものための世界文学の森」というシリーズだ。

「シートン動物記」、「若草物語」、「ガリバー旅行記」、「赤毛のアン」、「十五少年漂流記」などなど、名作が充実のラインナップ。

原書を子供用にアレンジを加え、ルビをふり、ていねいにコンパクトにこしらえられた児童書は、大人になってから読むといっそう面白い。原書を読んだことがある作品は、話のへし折り方に「なるほど~」と思う部分もあるし、筆足らずな印象を受けることもあるが、子どもに物語の世界に入り込ませるための構成は、全体として見事だと思う。

挿絵と文章のバランスも見事で、大人の方が興味深くじっくり見てしまう絵が多い。児童書は古本屋でも結構な値段がついているので、いつも立ち読みしているのだが、子どもが出来たら、俺の小遣いのほとんどを費やしてでも与えてあげたいくらいだ。

俺は幼少の頃、まったくといっていいほど本を読まなかった。じっくり文字を追うなんて落ち着いた行動を出来るわけがなく、ひたすらアウトドア、ひもの切れた凧のように、1度外出すると、強制的に引き戻されるか、遊び相手がいなくなるまで家に帰ってこないガキだった。もっと幼少のころに、すぐれた名作に多くふれていたらよかったと思う。

おかんも、あまり児童文学は与えてくれなかったように思う。読みたければ移動図書館で借りて来いというスタンスであったので、親が自ら選んだ書籍を与えるということはなかった気がする。だから、家にある蔵書は、おやじが好きだった歴史書関係だけで、幼少の子が読めるしろものではない。

そんな環境だったが、風邪で学校を休んだ時、すぐに治って、暇で暇で仕方ないことがあった。じっと寝ていないと怒られるわ、目はぱっちりやわで、天井の模様を目でなぞったり、紙に迷路を書いて見たりしていたが、それも飽き、仕方なしに、おかんに、「暇で死にそうや、何とかしてくれ」と言ったことがある。

おかんは、兄貴が読んでいた「へっこき山の大統領」という児童文学書を俺に放り投げ、「それでも読んどき!」と言った。

ストーリーはあんまり覚えていない。猿山のボス猿の孤独なんかを書いた作品だったようにも思うが、確かではない。ただ、なんともいえない悲哀の情をその時作品に感じた記憶だけがある。

だいぶ前にネットで調べたら、絶版でオークションにも出ていなかったのだが、これも一期一会で、変に読み返さないほうが良いような気がしている。

「へっこき山の大統領」をきっかけに読書に目覚めればよかったのだが、本を読んだ記憶はそれっきりで、学校の教科書以外のものは全くといっていいほど読まなかった気がする。

中学・高校時代になっても、音楽関係の雑誌は隅々まで読んだが、それ以外は読んだ記憶がほとんどない。20歳過ぎたくらいから、少しずつ本を読むようになり、現在の濫読状態になってくるのだが、今から思えば、幼少期の読書時間が少なかったことが悔やまれる。

名作という名作を、子供用にかみくだいた平易な文章で幼少期に読んできた人と、読んでいない人とでは、なんか素地が違うような気がする。20代前半ぐらいは、幼少時の読書数の少なさを自分で卑下していたような気もする。読書家に憧れながら読書家になれない自分、読み落としてきたものへの回顧があり、取り返すためにひたすら書を漁ってきたような気がする。

30歳を超えた頃から、自分のペースで本当に読書を楽しめるようになってきたと思うが、それまでは、「今読んどかなければならない本」みたいなカテゴリーをこしらえては、サプリメントを採るように脅迫観念に近いものを抱いて読書していたような気がする。

活字に触れる喜びを、遅くに見出した俺だからこそ、児童文学に幼少時に多く触れられることの素晴らしさを思う。子どもに押し売りする気はないが、至る所に本を転がして、手にとる機会を多く与えていければと思う。

あ、まずは、子作りだ。わが家にコウノトリまだ来ず。どうしたら来てくれるんやろうか? シートンさんにでも聞いてみたい。

「シートン動物記」にはコウノトリはなかった。オオカミばっかりだ。コウノトリの生態は俺がいずれ書く。

2008年5月21日水曜日

文句たれおやじ

世の中に、見るもの全てに苛立って文句たれるおやじがいたら面白い。そんなおやじに人格投影して書いてみる。

うわあ~~~あ、眠いの~、今何時や? 11時かいな。よー寝たな~。何かうるさいど。
そうや、このうるささが俺の安眠を妨害したんや。公害やで~。運動会かいな? おまえな~、運動会っちゅうのは秋にやるもんちゃうんかい! クラス替えあって仲良くもなってへんのに応援合戦で力合わせられるかい! 

(「前に~・・ならえ!」 「前に~・・ならえ!」の声が聞こえる)

こら! 何回言っとるんじゃい! 1回で決めたらんかい! ほんま統率力ないセンコーやの~。決めれん奴には鉄拳あるのみじゃ! だらしないの~、日本もわやや!

くそ~、目~冴えてもうたやないか! 腹減ったの~、カレーでも食いにいこ!

(「いらっしゃいませ! ご注文はお決まりですか?」と店員の声)

くお~ら! まだわし入ってお手手拭いてるだけやんけ! メニューも見とらんがな、もうちょい待ったらんかい! 

何にしようかいの~、カツはくどいな、あっさりとほうれん草なんかヘルシーやんけ! よっしゃ決めた、こら店員! 目~交わしたら走ってこんかい! 「あんな~、ほうれん草カレーっちゅうやつ頼むわ。」

(「ご注文は以上でよろしいですか?」と店員の声)

なんや? 不満かい? もっと頼めっちゅうんかい? 

(「復唱しま~す。」と店員の声)

 こら! 復唱すな! 1回で覚えたらんかい! 弱い頭やの~。 それにしてもあの調理している奴のニキビ面気に食わんの~。 おい、おい! ニキビ触るな! お前の汁カレーに入ったらどないするんじゃ! ほんま、見とったら食欲無くすわ。水でも飲も。

くおら! 水半分しか入ってへんやんけ! あふれるくらいぐわ~っとつがんかい!
こら、ちゃんねえ! 水おかわりや、おかわり!

(「すみませ~ん、水のおかわりはセルフになっていま~す」と店員の声)

なんやと、セルフってなんじゃい? お前ぼ~っと息してるだけやったら、わしに水つがんかい! まずい水やけど飲んだろう言うたってんねんから、たぷたぷなるまでつがんかい! おうちゃくしおってからに~・・・。

(「お待たせしました。ほうれん草カレーです。」

ほんま、待たせすぎやで、もう4分もかかってるやんけ。4分あったらわし食い終わって楊枝さしてるで。しゃあない、食べたろ。

なんやねん、辛いやんけ! うわ~なんやなんや、目にきた目にきた。辛すぎじゃ! 殺す気か! わしはインド人かい! もっと客見て作ったらんかい!わしの顔には甘口って書いてるやろが?? しゃあない、水で流しこんだる。「くお~ら、そこのメイド! 水入れたらんかい!何度も言わせんな!」

くそ~、胸糞悪いで。ハヤシにしとけばよかったやんけ。

(前を走る車には老夫婦が乗っている。制限速度で走っている。)

こら、前のボケ夫婦! ちんたら制限速度で走りやがって~、がつんと気合見せたらんかい! ナンバー4122だあ??? 良い夫婦って、しょうもない駄洒落かましおって!ハンドル両手で握るな! わしみたいに片手でグリングリン回したらんかい!

(電柱にぶつかりそうになる)

こら、電柱! 出すぎじゃ! おまえのメタボなボデーのせいで、わしの愛車が凹むとこやったやんけ! ほんま道端にしゃしゃり出おってからに。お前は犬がションする目印にしかならんねんから、もうちょいへっこんどけ!

(信号が立て続けに赤になり、何度もひっかかる)

こら、お前わしを見とるやろ? 俺のまんまえでばっかり赤くなりおってからに! 道すきすきやんけ!もっと状況見たらんかい! むかつくから無視したる。

(交差点にはパトカーがいる。)

こら、ポリ! 暑苦しい服着おってからに、わしに何のようじゃ! 免許見せろだあ? 人にもの頼むときは敬語使わんかい! お前、なんかしんけくさい顔しとるの~、棒やら飛び道具やらたくさん持ち歩きおって、男ならステゴロせんかい。なんや、その顔は? 文句あるんかい? あん?あん?あ~ん?  痛!!! 痛いやんけ~、なんやこのわっか~、わしの手首が悲鳴あげとるやんけ! 

(逮捕、捕獲完了)

「カツ丼上やど、味噌汁つけといたらんかい!」  フェードアウト

2008年5月20日火曜日

言語巡礼(感情との対峙)

数日前のブログでもふれたが、擬音語・擬態語といった繰り返し言葉が好きだ。中でも感情を表す言葉と連動する擬態語の効能は計り知れないと思う。

「気分がすぐれない」時、そのすぐれない感情の原因が何であるか、自己認識するために擬態語は有用だ。

「いらいら」、「むかむか」、「きりきり」、「きゅんきゅん」、「じめじめ」・・・、種々の擬態語で感情を不快にさせる原因を無意識に突き詰めながら、解消をめざしていく。

赤ちゃんが泣く。おむつをしているのだが、小水があふれんばかりにイン・パンパースしてしまって、湿っておしりが気持ち悪い。気持ち悪いから何とかしてほしい。だけど、自分でどうにかする術はまだ持っていない。

だから泣く。泣いたら、母親が自分の障害を取り除いてくれることを本能的に知っている。自分では何が起きているかわからないが、とにかく気持ち悪い感情を解消する矛先を外部に向けて泣くことで満たす。

ところが、言語を習得しだすと泣く機会は減少していく。自分が今抱いている感情は「じめじめ」することによる、「いらいら」であり、それを取り除くためには、ある一定の場所で小水を垂らせばよい。そしてオムツが外れていく。

腹が減ったら「ぺこぺこ」と親に意思表示する。そうすることで不快な感情をそのままにしなくてすむようになる。自分のあらゆる感情を外部に対して表すため、また、自分自身で認識するために、暫定的とはいえ素晴らしき言語に置き換えることで解決を図れるようになる。

もし、自分が抱いている不快でたまらない感情が、言語で表現できなかったとしたら、そこは闇の世界だろう。自分の中で起こっている得体のしれない感情の一つが、「いらいら」という言葉で定義される感情だということを、「いらいら」という言葉と「いらだつ」、「悲しい」などといった言葉の習得とともに、知ることができて初めて、その感情の状態を認識し、解決策を模索することが出来る。

もし、感情が言葉に表れなかったら、闇の恐怖が彼らを包み、何が起きているかわからないまま、警報を泣くという行為で外部に示すしかなくなる。それが赤ちゃんの泣くという行為の理由だ。

①ある感情が起こる   ②感情を言葉で定義する  ③心地よい感情ならばそれを持続
できる方向を探す   ④不快な感情ならば解決策を探す。

これら①~⑤は言語を媒介しないと不可能な過程だと思う。

昨今増加傾向にある、「鬱」という感情、これらは、鬱屈した感情を的確に表現できる言葉がないために起こっている現象ではないかと思う。もし、そこに的確な言葉が生み出され、当てはめて定義できたならば、解決の糸口があるような気がする。

言葉を生み出すといっても、新たな造語を生み出すという意味ではない。言葉を定義するためには、自己との深い対峙が必要だ。自分の閉じた感情の扉を言語で1つ1つこじ開ける対峙が必要だ。

でも、大人になってからこの自己対峙をしようと思っても、なかなか困難だと思う。自分の感情を表す言葉1つ1つに対する深い吟味がないまま、たた語彙を増やしただけでは、言語を武器に深い思考は出来ないと思う。

だから心療内科医は、幼少時に身につけるような易しい言葉を使って、患者が1つ1つ心の殻をはがす作業を補助していくことしかできない。時間がかかるのは仕方ない。

哲学なんて堅苦しい学問名でなくても、昔は常に哲学的問いが教育にあったと思う。「なぜ」に対して、「なぜならば」という1問1答だけですぐに答えを出すのではなく、答えは結局曖昧なままでも、そこを目指すまでの過程を重視する教育が幼少時に施されていたと思う。

ところが、知識量だけが優先され、無機質な数字の操作が深追いされるようになると、吟味なされない言語知識が増え、言語タワーの内部は手抜き工事の空洞といった状態が増えたのではないかと思う。

哲学なんてものは、学問にすると、議論をこねくり返すだけで好きではない。本来、全科目の根底に流れているものであり、それだけを抜き出して学問にするべきではないような気がしていたが、哲学的な問いかけは必要だと思う。感情にリンクしない哲学は屁理屈と紙一重だが、感情に関する対峙は徹底して幼少時にすべきであるように思う。

とはいったものの、自己対峙を極めすぎるのがいいとは思わない。文人の多くが自殺しているが、その原因は過剰な自己対峙だろう。自分の、もしくは人間の限界というものを言語を通して早めに認識しておくことも大切なんだろうと思う。そうすれば、自己対峙の果てに見える絶望感の処方箋が死でなくても済むはずだ。

最近の自殺には遺書が残されていることが少ないように思う。統計の力を借りたわけではないが、間違いなく減っていると思う。自分の命を処する段階になって、言語発露を見ないまま死んでいく人の魂は無念だ。昔の人は、処し方は賛同しかねるが、その人の感情を言語媒介で書することで、ピリオドを打った。ピリオドの打ち方が独断的で浅はかだとは思うが、とりあえず句切りはあった。今の自殺はピリオド無しで未完成なままだ。言語媒介なしの暴挙だ。言葉の力が彼らを思いとどまらせてくれる事態があったような気がしてならない。

何を言っているのかわからない論調が続く。言葉は複雑だ。感情も複雑だ。だから対峙したい。言語に対して胎児から対峙へ、そしていつかは退治へ! いや、退治はしなくてよい。ふわふわ漂いながら記す。

2008年5月19日月曜日

稚拙な対話文

入試に出る対話文の滑稽さ、大学入試編は以前書いたが、今日は高校入試編だ。なめとんか!のオンパレードだ。また、記憶を頼りに再現する。誇張がないように確実に覚えているものだけを記す。

まずは、沖縄。沖縄県の入試問題は圧倒的にレベルが低い。
A: (      ) Does this bus go to Naha?
B: No, it doesn’t. You have to wait for another bus.
ア Excuse me.     イ I’m sorry.     ウ That’s right.     エ Thank you.

バス停での会話だ。おそらく観光客だろう。那覇行きのバスを知りたいが、路線図を見てもよくわからない。そこで地元民に尋ねようという算段だ。

正解のア以外、ありえない局面だ。問題にすること自体に無理がある。

イ・・・いきなり観光客に話しかけられて「ごめんなさい。」  何をされたんや???僕わからない。
ウ・・・向こうから人が来て、いきなり「その通り!」  何が??? 僕困る。
エ・・・初対面で「ありがとう!」 僕の存在自体が感謝の対象?? 僕勘違いする。

どう考えても他の紛らわしい選択肢が思い浮かばない場面設定だ。問題自体をなくすか、もしくはもっとユーモアが欲しいものだ。 俺ならこう作る。

イ Hey man! ・・・「ヘ~イ メ~ン!」といったブラザーなアクセントで読んで欲しい。 中指を立てるな 
            り、下ろすなりしてくれるとなおYoi!  沖縄在留米軍による問題も多々ある中で、
            ブラックでよい。

ウ Jump  ・・・ 「跳んでみろや!」 かつあげだ。小銭確認のための必須命令だ。

エ Don’t stand my back! ・・・ 「俺の背後に立つな!」 今こそ入試にゴルゴを!



次は福岡。入試問題レベルとしてはなかなか高い県だが、やはり強引な問題がある。

A: I’m sorry, I didn’t bring the book you lent me last week.
B: (     ) I don’t need it today.
ア Don’t worry.   イ That’s a problem   ウ You’re welcome   エ I think so.

これも正答のア以外はむちゃくちゃ。「かんにん。おまえが先週貸してくれた本忘れてもうた。」に対してのBの返答、

イ・・・ 「それは問題だな!」 むっちゃ嫌な奴だ。こんな奴から借りたほうが悪い。
     きっと、折り目や汚れまで指摘してくるに違いない。君の存在が問題だ。
ウ・・・ 「どういたしまして!」 ごきげん度高しだ。こっちは謝っとるっちゅうねん!
     こういう奴からの本は借りパチ可能だ。ウェルカムウェルカム!
エ・・・ 「そう思うね!」 こいつは復唱マニアだ。単なる報告と謝罪に対して、思考して復唱するのが趣 
     味の奴。会話を転がして欲しい、I think so.



最後はお気に入りの埼玉県。入試問題はなかなか面白い県だ。

Hiromi: The room is very hot, isn’t it?
Ben : (          )
Hiromi: Yes, please. Thank you.

ア Shall I open the window? イ Do you know how to open the window?
ウ How can I open the window? エ Is it easy to open the window?

正解のア以外の誤答全てに「窓を開けること」へのこだわりがなされている。一貫した誤答設定スタンスは素晴らしいと思う。時に哲学的な苦悩も展開されている。

ヒロミはただ「部屋暑くないけ?」と言っただけなのに、ベンは時に苦悩し、時にヒロミ
を馬鹿にする。

イ・・・「お前窓の開け方知ってるん????」 ヒロミ屈辱!
ウ・・・「どうしたら窓を開けられるのだろう?」 お前は脱走兵か!
エ・・・「窓を開けることは簡単なんだろうか?」 フィロソファー、ベン! 悩む時には
    場面と相手を考えよう。

こんな稚拙な入試問題は、ただ正答を出すだけではなく、本質的な滑稽さも含めて教えたいものだ。無理な対話文より、普遍の論説文を入試問題に求む。対話環境に乏しい日本で、ぎこちない不自然な会話表現を教えることに意味はない気がする。読み取る力さえ養われれば、単語のイメージを噛み砕いて、自分なりの言語が生まれてくると思う。日常会話が必須でない人に仮想対話関係を設定しても、会話に機転は訪れない。

入試問題批判ばかりではないので、感動した入試問題もいつか列挙したいと思う。

2008年5月18日日曜日

ライブ後記と吉野家百景

昨夜の、ほうるもんライブatさむでい、色々試行錯誤したうえで、テーマを持って臨んだのだが、演奏力としてはまだまだ課題が残った。だが、確実にバンドのカラーが出てきており、ロック色が鮮明になってきたと思う。これからが面白そうだ。好きな音楽のヘビーな部分を曲として具現化できるようになってきたので、引き続き色々曲作りをしていきたい。

楽しい夜はビールがすすむ。大蔵大臣の嫁の顔色伺いつつ飲むわ飲むわ・・・。久方ぶりに二日酔い。重症だ。前に二日酔いになったのは、2年前の6月だから久々の衝撃を味わった。

朝方から水気を欲し、井戸水を飲むのだが体が受け付けない。飲んでは吐き、飲んでは吐き、目はぐるぐる、頭は万力で締め上げられているかのような痛み・・・。

よく考えたら、昨日は昼間に飯を食って以来、何も食べずに爆飲したのだ。そら残るはずだ。吐いても吐いても水分しか出ない。

ぐるんぐるんに回った状態で出勤する。今までの経験上、この二日酔いを早く治すには味噌汁がいいことがわかっている。久々の吉野家味噌汁単品攻撃をする。

牛の肉を食してもらうことを生業としている店に、ふらふらになって入っていき、店員に向かって「み・みそしる」とつぶやく。 唖然とした顔で復唱しやがる店員。変な目で見つめないでくれ。

すぐに出された味噌汁を、ふうふうしながらゆっくり流しこむ。体に塩分がしみていき、歓迎ムードとびっくりモードの体の部位が対立を始めているのがわかる。

50円をテーブルにびし~!と叩きつけ、再び這うようにして店外へ。何だか背中に視線を感じるが、かまっている場合ではない。二日酔いだから立派な飲酒運転になるのだろう。安全運転で職場に向かう。白味噌あさりベースが体内に吸収されるまでに吐き出さないことを願う。

今は中間テストまっさかり。質問対応を受ける間も依然目は回っている。吐き気は継続中。

「~さん、ちょっと待ってに。ぼく~吐いてくる。」と対応中にトイレでゲボゲボ! 恥じらいおやじは音消しに水を流しながらゲボゲボ!

涙目で質問対応に戻る。「先生大丈夫? 若くないんやから無理しられんな?飲みすぎられんな~。」との生徒からの慰みの言葉が五臓六腑にしみてくる。

「うん、わかった。もう飲みすぎないからに。もう1ゲロだけさせて!」と再度の中断。今日は職場で13時から16時までに合計3ゲロ~! 体をはった酸っぱい情操教育の一環だ。

吉野家の味噌汁が効いてきだしたのは17時ごろからだったか、といってもほとんど便器の中に吐き出してしまったのであるが、何とか体が正常に戻りだした。

吉野家で50円攻撃は2回目だが、店員にとってはレアな客であろうと思う。ラーメン屋でライスだけ、餃子屋で漬物だけ、カレー屋でサラダだけを頼むようなものだ。申し訳ないが、体が肉を受け入れる状況にはなくて、俺はただただ汁を必要としていたのだ。

吉野家では奇妙な体験をしたことがある。平成9年のことだったが、15時くらいの変な時間に吉野家に着き、店内に入った。すると俺の後ろについてくるように30代くらいの生活レベルが高そうな女の人が入ってくる。そして、がらがらの店内にも関わらず、俺の真横に座ってくる。新種の逆ナンパか?とも思ったのだが、彼女の体からは、「何も聞かないで!私を見ないで!」といったオーラが出まくっている。俺はオーラに蹴落とされ、並み・玉子・味噌汁を食すことに集中した。

食事を終え俺が会計すると、彼女もまだ食べ終わらないうちに会計をすまし、俺の後ろをついてくる。そして店外に出たとたん、あっという間に車の方に消えていった。狐につままれたような体験だった。

この話をある人にしたことがあるのだが、何とその方も同じ体験をされたことがあるという。同じ店で同じ時間帯、女性のモンタージュもほぼ合っている。

推測だが、彼女の中で吉野家は、男の労働者が肉を食す雑多な場所であり、女性が1人で入るような場所ではないとの思いがあったのではないかと思う。彼女のプライドが吉野家に1人で入ることを拒んだのだろうと思う。

ところが、何かのきっかけで吉野家の牛丼を食して以来、無性に食べたくなってしまった。抑えきれない願望の解決策として彼女が生み出した方法が、適当な害のなさそうな男を待ち伏せし、一緒に入って、仕方なく付き合いで食べているという筋書きだけを店員に対して示すことだ。俺は牛丼を食べるための道具にされたってわけだ。なんかむかついてきた。

プライドが奇行を演出したが、彼女の牛丼への愛情は物本だ。彼女の吉野家への視点は間違っていないと思う。やはりガテンなおやじが、命がけで食す姿が吉野家には似合う。こぎれいな学生が「つゆだく~」なんてスマートに言うべき店ではない。紅しょうがで真っ赤に染めた牛丼タワーを汗を垂らしながらおっさんが食べる場面が一番似合う。

吉野屋の牛丼に魅了された1人の女性、 吉野屋の味噌汁にひき付けられた1人の中年男性・・・。吉野屋百景だ。

奇行の彼女は今どうしているのだろうか。 二日酔い治った。吉野屋ありがとう。

2008年5月16日金曜日

一期一会のYOU TUBE

外界の暗闇が朝に奪われだした今朝方、無性にオジー・オズボーンの映像が見たくなった。ジェイク・E・リーのギタープレイが見たくなった。「Shot in the dark」という曲が好きで好きでたまらない。邦題が「暗闇にドッキリ」でも構わない。昔から好きだったのだ。

ハードロック範疇で好きなのはレッド・ツェッペリン、AC/DCであり、ヘビメタ範疇で1番好きなのはオジー・オズボーンだ。2番目がアイアン・メイデンだろうか。

発作的に見たくなったらYOU TUBEだ。すぐさまパソを開き、横で寝ている嫁を起こさぬようにヘッドフォンをして検索開始! 

すぐに出た。すぐにクリックした。すぐに画像が現れた。

昔ながらの子供部屋、いすに座り足を組む奴。何だか変だ。ジェイクにしてはオーラがない。顔が出ない。ギターの指版にフォーカスされた映像全体に和の雰囲気が漂っている。ジェイクは日系人だ。和の香りは多少はあるだろうが多すぎる。

こんなことを2秒で考えていたら音が鳴り出した。何だか下手だ。酔っているのだろうか?音もしょぼい。ひょっとして偽者か???・

こんなことを考えて5秒、やっと気付いた。似非ジェイクに! こやつ、トーシローだ・・・。

こら! 誰がお前のギターキッズぶりを明け方に見なあかんのじゃ! 1人でしこしこ練習しておくのがギターキッズの正しいあり方で、それを動画でアップすな! 

気分を治すべく、今度はしっかりタイトルとトップ映像を確認し、物本オジーを見る。
PVとライブ版、やっとのことで、どちらも堪能した。

オジーの胴体も動態もすごくかっこ悪い。かっこ悪すぎて惹かれる。子供のような声とのミスマッチ、黒魔術に染まりながらも長生きするオジー、鳩を食べながら肥え続けるオジー、息子の非行に悩みながらも演奏し続けるオジー、きっと善人に違いない。

歌詞もしっかり聞こえて、メロが凄く良い。ジェイクのギターもバッドランズでは好きになれないのだが、オジーの御大の前では不思議と歌心がギターに宿る。PVは、観客がオジーのライブを見ている途中で目が光り、爪が長くなり魔女になるといった、ばかばかしいZ級ホラータッチの映像だ。このばかばかしさが癖になる。

気分をよくして、今度はランディーローズの映像を探す。やはり「Crazy train」だ。勇んでクリック!

また、奴が出た。奴とは違う別のギターキッズかもしれないが、紛れもないトーシローだ。
おまけにこやつ、「Crazy train」だけではなく、俺の憧れ「Dee」まで弾いてやがる。少し上手い! ついつい見とれてしまって、余計腹が立ってきた。

膨大な在庫のYou Tube。選び方を間違えると、朝方にドッキリする。見極めが肝心だ。その後、だらだら映像サーフィンして寝床につく。

今じゃ、昔では考えられない映像環境が整っている。昔は見たくても見ることができなかった映像が、簡単な検索で出てくる。涎物の映像もたくさんあるはずなのに、いつでも見れるという安心感からか、途中で止めて、別の映像探しにいってしまうことが多い。しっかり、1つの映像を味わいつくすことよりも、ちら見で味わった気になっている時もある。

昔MTVで、自分の好きな音楽人の映像が流れていた時の興奮は貴重だった。映像を見終わった後も、脳裏に焼きつく強烈なインパクトをもたらしてくれた。また見たいと思いながらも、次はいつ流れるかわからない環境、満たされぬ映像欲であったが、今の時代から考えてみると、貴重な映像環境であったと思う。

一期一会の精神がやはり大切だ。変なトーシローに2回以上会うこともあるが、糞映像よりも貴重な映像ほど、一期一会の精神で、しかと脳裏に焼きつけることが情操には大きいような気がする。

次はどのミュージシャンと縁があるだろうか? トーシローはもういい!

2008年5月15日木曜日

郷土を知ること

平成18年度から富山県では官民が一体となって、郷土のことを良く知るためのキャンペーンとして、「越中富山ふるさとチャレンジ」なる検定試験が行われるようになった。郷土の歴史認識や観光PRも狙って、京都や金沢などでも同種の検定が行われているみたいで、全国的なムーブメントとなっている部分があるかもしれない。

受験料2000円を払って、大学キャンパスなどの数会場で試験が行われて、70%以上の正解率で認定証が贈られるらしい。

俺は受けたことはないのだが、公式問題集が県内書店のレジ周りに置いてあるので、買って読んでみたことがある。本年度版も出ているみたいだが、俺が買ったのは初版だ。

富山に来て14年目を迎える俺は、ずっと富山で育った人よりも県内のことについては詳しいと思っている。外部から来た人間の方が、富山県の素晴らしいハードを満喫できる素地はあると思う。休みごとにあちこち出かけては、先入観無しで県内散策をくり返してきた。

大阪に住んでいた時から、富山県は俺が観光したい場所の上位だった。立山・黒部アルペンルートはもちろんのこと、氷見や新湊などの海沿いの町、五箇山の合掌集落、朝日町のひすい海岸などは、富山に移住する前から知っていた。

そして富山に住んでからというもの、全国的にメジャーな観光地はもちろん、マイナーな史跡などもくまなく散策した。毎回の休日の過ごし方としては尽きることない魅力を、わが県は秘めていると思う。

ところが、富山県で生まれ育ち、一度も県外で生活したことがない人たちは、意外と自分たちの住む県の素晴らしさを認識していないように思う。身近に素晴らしい場所がたくさんあるにも関わらず、パック旅行で都会に出かけては疲れて帰ってくる。都会への憧れを丸出しにして、都会の喧騒を体感して初めて、自然に満ちたわが県の素晴らしさを知る高齢者が多い。彼らにとっての都会へのパック旅行は、自分たちの郷土の良さを再確認するための認識ツールとなっている気がする。

都会に憧れる田舎者根性丸出しの人とは対照的に、自然嗜好の高い富山在住者は、田舎めがけたパック旅行を選択する。山形、福島、長野、岐阜・・・。俺もパック旅行ではなく自家用車で、これらの土地に色々行ったが、細かな部分でその土地土地の風土の違いが感じられて有益で楽しい旅だった。

しかし、パック旅行で訪れた場合はどうだろうか? 添乗員アルバイトで色々な所を回ったが、どれもこれも均一化されたモダンな旅館と、均一化された史跡が多く、それぞれの土地の素晴らしさを1番味わえるのは車窓からの景色であったように思う。

つまりだ、あんまり遠くに行かなくても、同種の佇まいを見せる史跡や施設は、身近な所にもたくさんあるのだ。もっともっと身近なところにある素晴らしさを再確認し、見落としている素晴らしき佇まいを十分に味わっていくべきではないかと思う。

そういった意味で、冒頭のようなキャンペーンは有益で、なかなか楽しい取り組みだと思う。検定に合格し認定されたからといって、何かの仕事にありつけるわけでもなければ、履歴書に記すほどの資格でもない。特定のメリットばかりに目が行く資格や検定であるが、郷土検定みたいなものに真面目に取り組むのも悪くはないと思った。当面、日程的都合で受けることはないが、本をくまなく読み返しては、富山に対する造詣を深め、郷土の史跡をより深く味わえるだけの素地を作りたいと思う。

この公式問題集、中には、「なめとんか!」という突っ込みどころもたくさんで面白い。
例えば、「田中耕一さんがノーベル賞を受賞した研究とは?」という設問の4選択肢の中には、カーナビ、液晶テレビ、プラズマテレビというものがある。設問を考えた人はテレビ画面にまつわるものしか思いつかなかったのだろうが、ちょっとしょぼい。

そうかと思えば、なかなか味わいある設問もある。「作家・歌人の辺見じゅんが新田次郎文学賞を受賞した作品は?」というものだ。選択肢が素晴らしい。①女たちの大和、②男たちの大和、③戦艦大和の最期、④戦艦大和の祈り。

映画を知っている人ならば、すぐに②の正答が出るであろうが、知らない場合は、どれもありそうなタイトルだ。

① は「女」という言葉と「大和」という言葉の持つ対義的にも同義的にも取れるニュアンスが面白いと思う。大和に乗り込むために旅立つ夫を見送る女のエレジーだ。演歌が良く似合う。

③は硬質な文字の羅列と、「最期」という言葉の響きが荘厳で、右翼が好みそうなタイトルだ。「最期」は美化されて荘厳な終わりを演出するだろう。軍歌が良く似合う。

④は、戦艦大和というばりばりの和の響きと、祈りという西洋的、女性的な響きがこれまた素晴らしい。戦艦大和は、愚かな戦争を自ら終結させるために大海に出ていった、といったストーリーを想像させる。レクイエムがよく似合う。

正解の②は、これまた右翼チックだが、1番安っぽいタイトルに落ち着いた気がする。
長渕がよく似合う。クローズ・ユア・アイズと命令されたくはないし、瞳閉じなくても想像できる物語だ。角川書店のカラーを感じるタイトルで、設問の誤答の方が、まだ良い気がする。

上記のような郷土出身者にまつわる問題は一部であり、多くは歴史、経済、祭りなどの造詣深い問題だ。余暇に「つま~っと(注:富山弁で、「ゆっくりと」を表す副詞)」見てみるのも面白い。そして造詣深めて近場を改めて散策したい。

2008年5月14日水曜日

ごきげんな休日

昔から好きな新書だが、ここ数年、タイトルだけがコピーとして秀逸で、実際読んでみたらあまり面白くないものが多いように思う。どの出版社も新書に手を出しすぎた結果だとは思うが、昔の岩波新書、中公新書のような、タイトルには何の工夫もないが、中身が濃い書籍を多く読みたいものだ。

今の新書について個人的相性が悪いだけかとも思っていたのだが、そうでもないみたいだ。
なぜなら、ほとんどの新書が立ち読みで事足りるからだ。

以前は新書を立ち読みする気はなく、家でしっかり咀嚼しながら読んでいたのだが、最近はコピーにつられ、手にとって10分くらいで斜め読み立ち読みで事足りてしまう。
トピック自体は面白いのだが、トピック周辺への広げ方が中途半端というか、無理やり分量を稼ぐための周辺知識をいれたかと思えば、大事な部分のことについての言及が筆足らずであったり、何だか、」仕事として、こなされているという感じを受ける。

そんな昨今の俺と新書の相性であるが、今日の本屋で気になる新刊新書があった。『ホロコースト』(中公だったか?)というタイトルのナチとユダヤ人トピックのものだ。
タイトルが何の工夫もないのが逆に事の重大性を際立たせている。購入予定で他書籍をあたっているうちに、リスト漏れしてしまったのだが、次回は優先購入しようと思う。

今日買ったのは、『日本の近代』福田和也(新潮新書)。

福田和也さんの著作はほとんど読んだのだが、世間のインテリ受けしている評価の割には、結構やっつけ仕事らしき著作も多々あり、だまされた!と思ったことも多々ある方だ。セレブ視点がサブカルに手を出したりするくだりが露呈した作品は、結構うざい!

それでも、氏の歴史書は結構好きで読んでいる。文芸評論家の福田氏が書く歴史書は、歴史家にはない面白さがある。時間の流れの捉え方が広くて、人間的とでも言えばよいのだろうか?なんか、そんな感じがする。石原莞爾に関する著作は、歴史嫌いの俺でも入っていけた。相変わらず量産体制の氏の著作は、とりあえず読んでみるようにしている。

夜は「ほうるもん」のバンド練習。今週土曜日にライブを控え、ラストリハだ。
前回1月末のライブ以降、5曲を作り今回に臨む。既存曲も組曲に仕立てたり解体したり、色々工夫をしている。

西成のおっさんを想定して詞を作った「あさぼらけ」、ダンス天国風味の「糸と月」、7拍子が魔法をかける「いろはにほへと」、冒険的な要素もあるが、バンドカラーとしては馴染んでいるものばかりを用意した。だいぶカラーが出てきた気がする。

毎回思うのだが、新曲の披露する時というのは難しい。曲が生まれて、とりあえず形になり、だんだん熟してくる。その熟し方がピークに達する直前に披露できるのが1番理想なのだが、少し遅れると熟しきってしまい、また長い熟成準備期間の停滞が訪れる。

1度形になった曲を何度もやりこむことで、とりあえずの演奏力は上がっていくのだが、しばらくすると、その曲を演奏する温度が確実に低くなることがある。そこで一部の曲は消えてしまったりする。

幸いにして残った曲は、いったん冷めた温度ではあるが、その中でもじっくり育まれ、徐々に最初の形とは違った色合いを内包して成長していく。そして、最初の温度とは違った高濃度の温もりを持って、燦然と輝くことになる。この発育過程に何度も載せられる曲が、バンドの代表曲になるのであろう。

とりあえず今回のライブの新曲は、第一次段階の熟れ頃に行われる。危なかしくてスマートではないが、いい演奏が出来そうな気がしている。

チープハンズの方は、志知君の闘病の回復次第になる。須佐君からも最近は連絡がない。ふれでいはアルカリムッシュで邁進中だ。色々熟す工程に乗せたい曲が多数あるので、メンバーの環境が整うことを願う。

四川での地震のニュース、硫化水素での自殺者のニュース、全くもって対岸の火事だ。いや、対岸自体も認識していないような気がする。

目前に迫ったライブ、目の前の読みたい本、明日の仕事、自己の興味と利害中心で休日を終える。目の前の事だけしか見えない俺は想像力が欠如しているのかもしれない。でも今の俺の人格はこんなもんだろうと思う。

なんだかごきげんな休日だ。こんな風に消光している。

2008年5月13日火曜日

言語巡礼(擬音語・擬態語編)

繰り返しの言葉、擬音語・擬態語が好きだ。どれくらい好きかというと、五十音順に例を挙げてみるほどだ。

「あ」・・・あんあん、「い」・・・いらいら、「う」・・・うとうと、「え」・・・えんえん、 
「お」・・・おろおろ、「か」・・・かりかり、「き」・・・きらきら、「く」・・・くらくら、
「け」・・・けらけら、「こ」・・・ことこと、「さ」・・・さらさら、「し」・・・しくしく、
「す」・・・すやすや、「せ」・・・せかせか、「そ」・・・そわそわ、「た」・・・たらたら、
「ち」・・・ちらちら、「つ」・・・つやつや、「て」・・・てくてく、「と」・・・とんとん、
「な」・・・なよなよ、「に」・・・にやにや、「ぬ」・・・ぬめぬめ、「ね」・・・ねとねと、
「の」・・・のしのし、「は」・・・はいはい、「ひ」・・・ひやひや、「ふ」・・・ふわふわ、
「へ」・・・へとへと、「ほ」・・・ほくほく、「ま」・・・まじまじ、「み」・・・みしみし、
「む」・・・むかむか、「め」・・・めらめら、「も」・・・もじもじ、「や」・・・やわやわ、
「ゆ」・・・ゆらゆら、「よ」・・・よれよれ、「ら」・・・らくらく、「り」・・・りんりん、
「る」・・・るんるん、「れ」・・・れんれん、「ろ」・・・ろくろく、「わ」・・・わいわい、
「を」・・・該当無し

「ら」の「楽々」や、「れ」の「恋々」なんかは、漢字が当てられるので、純粋なひらがな、カタカナ表記で出来た擬態語ではないかもしれないが、「を」以外は全て擬音語・擬態語がすぐに思いつく。「きときと」なんて地方限定の言葉もある。

一音一音は単なる記号にすぎないひらがな同士が結びついて、それがくり返されると、絶妙の語感とイメージが喚起される。これだけの擬音語・擬態語が長い年月かかって生みだされ、広く認知されてきたということに、日本語の素晴らしさを感じる。

「すやすや」なんて、実に柔らかくて、赤子が眠っている状態を表すにぴったりだ。おっさんが眠っている時には使用を控えたい言葉だ。文字配列を逆にすると「やすやす」となり、「安」という漢字を連想させる。「安心」への言語扉を開けてくれる。女性的で清らかな言葉だ。

「にやにや」笑うという場合の「にやにや」は、何だか狡猾な響きを感じる。荒んだイメージを俺は感じる。神経質そうな銀縁眼鏡をかけて鬱屈した色白少年が、「にやにや」しながら相手に向かって、「君、刺すよ!」と殺戮予告をするシーンを思い浮かべてしまう。
「に」と「や」から「やに」を連想し、「目やに」に繋がる。そして目やにのついた不健康そうな少年を想像してしまう。何だか好きにはなれない響きだ。

自分が笑うときは、「にやにや」ではなく、「げらげら」豪快に笑いたいものだ。むっつりした笑いではなく、下品な響きはあるが、大口開けて男らしく笑いたい。

「げらげら」で思ったのだが、繰り返し言葉に「゛」がつく場合と、「゜」がつく場合では、大きくイメージが変わる。「゜」はかわいい響きをもたらし、「゛」は下品で豪快なイメージを喚起する。

「ぷりぷり」ならば、かわいいお尻や、少女の軽く拗ねた顔なんかが連想できる。だが、「゛」をつけて濁らせると「ぶりぶり」・・・。ワイルドビーストの尻(ケツ)を連想させ、時には排泄物にまでイメージが及ぶ。いくらワイルドを自称する俺でも、いつまでも尻絡みのイメージは少女のようでありたいものだ。

「ぱりぱり」なんて言葉を聞くと、とろけるような軟質スナック菓子や、硬くてもプリッッぐらいの噛みを想像するが、「ばりばり」になると、歯茎が軋むような、歯が折れそうな硬質せんべいに変化する。「゛」の力、恐るべしだ。「プリッッ」も「ブリッツ」だったら、男のせんべいと化して売れなかっただろう。

擬音語・擬態語をひっくるめているが、擬態語についてはさらに深入りしたいことがあるので、近日中に述べる。

擬音語であるが、絶対音感を言語に置き換えて表記するのだから、実に優れものだ。動物の鳴き声なんかは標準化して表記され、認知されると、それ以外の音に聞こえないから不思議だ。

「みんみん」をセミの鳴き声としていつの間にか認知させられると、「みんみんゼミ」と昆虫分類名にまでなるほどだ。中華料理の店名で「眠眠」なんてのがあるが、これを見るたびに俺は、地表に出てすぐに永遠の眠りにつく運命のセミに思いが飛ぶ。何だかせつない擬音語だ。中華な気分にはならない。失礼?経営者!

「わんわん」吠える犬、英語の「Bow Wow」の方が、音的なとらえかたとしては直接的で的確にも思えるが、日本の犬はなぜか、「わんわん」であってほしい。昔話に出てくる犬が「Bow Wow(バウワウ)」吠えたら、情操的にはヤンキーになりそうだ。少なくとも俺は嫌だ。

「わんわん」をいつのまにか略して、「わんちゃん」なんて安易な略語で呼称される犬まで出る始末だが、実に愛嬌があってよい。

「とんとん」と肩を叩く音。ポップで軽やかなイメージがある。子供が親の肩を叩く場面が思い浮かぶ。ところが、濁点がつくとやはり邪悪になる。「どんどん」・・・。
憎しみの情に彩られたサスペンスの香りか、乱暴なジャイギッシュな響きをもたらす。

「とんとん」と「どんどん」は、実際に出てくる音も、まぎれもなく「とんとん」であり、「どんどん」だ。「こんこん」、「ごんごん」「かんかん」、「がんがん」などアレンジは多くあれど、音を言語で表記したものとしての完成度は抜群だ。

失われていく言葉もあるだろう。例えば、「りんりん」と鳴る電話は今ではほとんど存在しない。「トゥルートゥルー」といった音がせいぜいであり、ほとんどはメロと歌と振動となって現れている昨今、必要とされなくなった言葉は失われていくだろう。かわりにどんな言葉が生まれてくるのだろう。

「りんりん」と表記したが、実際は「リンリン」が似合う。洋物の香りがする。「ring ring」、「ring」は「鳴る」という意味がある。電話が日本に伝わったときには、和洋折衷するだけの言語素地が、わが国にあったのだろう。

外来語が日本語の一部となった今の時代、今後ますます和洋折衷の繰り返し言葉も生まれてくるだろう。楽しみがある反面、古来、わが国で育まれて使われてきた繰り返し言葉の中にある言霊のほうを大切にしたいというプライドめいたものもある。

繰り返し言葉は、擬音語は一般的にカタカナ表記することが多い。音よりも状態から日本語の繰り返し言葉の発展がなされ、音を表すことに対しては後発だったのかもしれない。しかし、洋物を加工する感性と、ひらがな自体が持った可能性は世界に対してもっと誇れるべきものである気がする。

言語巡礼、楽しくてたまらない。今更ながらに、こつこつ、つまつまと、よれよれになるまで、えんえんと巡りたい。

2008年5月12日月曜日

先達に抱く感情

昨日は午前中に図書館に本を返却し出勤した。県内で俺が利用したことがある図書館は、6館あるのだが、昔から1番利用頻度の高い図書館だ。最近は、もっぱらそこを利用している。

ここ数回行く度に気になっていたことがあった。いつも必ずいるはずの御仁がおられないのだ。推定年齢70歳くらいの御仁だ。6年ほど前に御仁の存在に気づいたのだが、それ以前からも来館されていたのかもしれない。

いつも同じ席に座り、9時から16時までの間ならば、どの時間に行っても必ずおられた。図書館の人にとっても馴染み深い御仁であろう。マナーは抜群によく、相席テーブルの自分の領域である4分の1をしっかり守り、そのスペース内にたくさんの書物を積み重ね、勉強しておられる。

何度か向かいの席に座り、御仁の学んでおられる学問領域が何であるかを、チラ見していたのだが、どうやら気象関係の勉強をしておられるようだった。見た目がちょうど、お天気おじさんとしてお茶の間で人気を博した、故福井さんのような感じで、人柄の良さが全身からにじみ出たおじさんだった。

最初は、どこかの大学教授か、気象関係のお仕事をされていたOBで、在職後も専門領域を真摯に研究しておられるのかと思った。

ところが、積み重なっている書物を見ると、気象予報士試験問題集みたいなものもあり、どう見ても試験勉強をしているようにしか見えなかったのだ。推定年齢70歳くらいにして、新しい資格を取ろうとする御仁の姿は俺の襟を正す動機付けには申し分なかった。

何度も何度も話しかけようと機会は伺ったのだが、なかなか彼は隙を見せてはくれない。ほとんど眼を書物から話さず、黙々と読み書きをくり返しておられる。老眼鏡をかけて、時には虫眼鏡も使い、一字一句を逃すまいと真剣に目で活字を追う姿・・・。

御仁と仲良くなり、先達から多くの物を学びたいという気持ちが高まったのだが、なんだか御仁の学習の邪魔をするようで、徐々に彼と繋がろうとする動機も薄れていった。素晴らしすぎて、俺なんかが接点を持てる人ではないような気がしたのだ。

それ以来図書館に行く度に、御仁のおられる領域に差し込む後光を横目で追いながら、襟元を正すことが無意識の習慣になっていた気がする。接点はないが、俺の精神の看守となって御仁は存在してくれていた。勝手にそう思っていた。

そんな御仁がいない。もう数回にわたっていない。気象予報士に合格されたのか?とも思ったのだが、今年の3月までは確実におられた。まして、気象予報士の試験は8月ぐらいだと思う。今からが追い込みの時期であるはずだ。

御仁の体に何かが起こったのか? 失礼な話であるが、最悪の事態も想像してしまった。また図書館で見かける日は来ないような気もしている。

人と人の縁ほど不思議なものはない。元は他人同士が家族を新たに構成する縁、友人との縁、職場関係での縁、どれもこれも天文学的な確立での成就だ。

お互いに名前を知って認識しあう関係だけではない。いきつけの店の店員、近所でみかけるが誰だかわからない人たちなどのニアミス関係もある。

毎日多くのニアミスをしながら、ある人とは繋がって対話まで発展し、ある人とは顔だけの認知で終わる。その差は運命的にどうなんだろう?

上記の気象予報士を目指しておられる御仁と、もし俺が若かりし頃に出会って、深い繋がりを持てたならば、もしかしたら俺も気象予報士を目指していたかもしれない。他人からの圧倒的影響の中、俺は生きているからだ。

どの分野でもよい、分野はなくてもよい、素晴らしき先達と1人でも多く繋がりを持てたならば、それほど幸せなことはないと思う。そのためには、出会いに対する純粋な眼を持ち続けたい。

何も新しい出会いだけに目を向けるのではない。出会いの神秘性が存在する中、ニアミスで終わるかどうかは必然的な部分が多い。それならば幸いにして繋がりを持てた先達との出会いに必然性を見出し、彼らから真摯に学ぶ姿勢を持ち続けないといけないと改めて思った。

俺にとって身近な先達は誰がいるだろう? たくさんおられるが、遠いところばかりに目が行く。それではだめだ。近くに視点をフォーカスしてみると、やはり嫁の親だろう。養子として彼らと義理の関係が築かれたということは、最も神秘的な出会いを成し遂げた先達だ。

彼らからは全く影響も受けてはいない、空気のような存在としてとらえていたのだが、少しは彼らから学ぶ姿勢を持たなくてはと思った。意を決した昨夜、なんか気の利いた言葉でもかけて、深く会話しようかと思ったのだが、寿司を食べて寝転んで終わり。
次回に持ち越しだ。存命中にそんな日は来るのかな?

多くの先達に対する憧憬と、出会いの神秘を感じた母の日だった。実家のおかんからは、嫁が贈ったプレゼントの御礼がメールできた。生意気にも携帯メールの仕方を覚えたみたいだ。昨年嫁が贈った花が今年も花を咲かせている映像を携帯で撮って送ってきた。絵文字も使っていた。文末に、「もう一度カンサハムニダ」と書いていた。

実のおかんにも先達の称号を与えて、少しはひれ伏そうかとも思っている。

昨今のプロ野球事情への私的感想

先日、日本のプロ野球球団別平均年俸が出ていたが、巨人と広島の差がえげつない。年俸で彼ら野球人は評価されているのだが、巨人が広島に対して、その圧倒的な年俸差分を実力で見せつけるかといえば、そんなことはない。むしろ、広島の返り討ちにあっている場面の方が多い。

これだけの年俸差が出ると、ある1つの球団一筋の玄人は減っていくばかりだ。広島という球団は、昔から球団愛が強くて、他球団ならば年俸ももっと稼げる場合でも、広島を愛し、一筋でやってきた選手が多かった。今でも前田選手なんかは見ていてしびれる。

ところが、金本選手が阪神にしっかり溶け込んだかと思えば今度は新井選手も阪神入り。両選手とも好きな選手であり、好きな球団に入ってくれたので腹立たしいわけではないのだが、生え抜き選手が減ってきている現状は、なんとも寂しいものがある。広島だけの話しではなく、球団全てボーダレス状態だ。

例えば、あの長島さんが、巨人一筋でなかったら、掛布さんが阪神一筋でなかったら・・・。これらは、明らかに目を背けたくなる寂しさを感じさせる事態を招いていただろう。
ある特定の人を聞いた瞬間に想像できる映像が1つであったほうが、記憶に残る選手になるのは間違いないと思う。

大リーグへの挑戦は仕方ないと思う。フィールドが違うわけで、日本で成すべきことを成した人が挑戦するのは、庶民の英雄像を全体に排して真の娯楽となりうる素地を作ってくださるプロとして当然だろうと思う。果敢に挑戦して炎上する井川選手に俺はサムライを感じるし、野茂、イチロー、松阪選手には驚愕の念を感じ、毎日の動向に興味深々である。

ところが、国内球団での移籍の頻度の高さは、プロ野球自体への興味を失う一因を作りつつあると思う。あの暴君、鍋ツネ率いる巨人には、毎年他球団の色彩を未だ残した選手が入ってきてはしょぼくなる事態が習慣化している。

巨人が悪い風潮を作ったために、他球団も含めた球団選択の自由化ばかりが一般化し、野球中継を見るたびに、「あれ?この選手今この球団におるんや?」という、不慣れな映像に面食らうはめになる。

一軍登録がほとんどないような選手は、新しい指導者を求めて新天地にいくのはプラスになることもあるだろうが、ばりばり一軍で、その球団の顔となった選手が、球界のジャイアンの手下になるのは、なんだか不満が残る。

ただ、球団一筋の職人が減ることに一抹の寂しさはあるものの、よい面もある。それは、監督や球団経営者の優劣をはっきりと公に示してくれることだ。

自前で戦力を育てられずに、引き抜きばかりを繰り返し、挙句の果てに、引き抜いた選手を潰し、見捨てられることをくり返す経営者と監督・・・、具体名は出さないが明らかだろう。

その一方で、与えられた選手を育てながらやりくりし、優れた結果を残す名将もいる。野村監督なんかは、好き嫌いは別として、まぎれもなく名将だ。なんだかんだいってすごい人だと思う。

阪神が常勝軍団になりつつあるのは、やはりペコちゃんこと岡田監督の力量だと思う。世間的な人気はないが、落合さんは選手としても監督としても最高級だと思う。

野球が戦後復興時期の希望の象徴で、庶民の娯楽の王様であり続けてきた。その野球が金で何でも買いあさるトレーディングの舞台としてしか見れなくなったならば、庶民のささやかな楽しみは他のものに向かうであろう。

今の巨人戦に魅力がなくなるのはあたり前で、民放も巨人戦以外の放送が増えてきているし、今後も増える一方だろう。当然の結果だ。

球界に大きな下克上があって、戦乱のすえに、また以前の職人気質あふれる集団気質が戻ってきてくれることを願う。プロとはいったものの、個人競技とは違い、チームスポーツなのだから、球団と選手のまとまりの凄さを感じるスポーツにまたなってほしいと思う。

今年1番凄さを感じる選手がダルビッシュだ。ハーフという境遇は日本では色眼鏡で見られがちだが、幼少から色んな面で微調整をくり返してきたのだろう。基本的に賢くて、微調整が出来る選手というのは、好不調の波が少ないと思う。多くのプロの中でも彼にとっては当たり前で、凡人には出来ない微調整マニュアルがあるのだろうと思う。ピッチングは歴代投手の中でも芸術度ナンバーワンではないかと思う。

なんだかんだいって、俺もまだまだプロ野球に庶民の夢を少し託している。彼らはプロなのだ。職人の中の職人なのだ。もっと際立って欲しい。

2008年5月11日日曜日

薫朝

最近は朝方まで起きていることが多い。生活リズムだけすっかりホストだ。朝方5時30分ぐらいに寝て、12時頃起きて出勤というパターンに体が馴染んで、深夜1時、2時ぐらいは目がぎんぎんに冴えている。

一応早く寝ようと思って読書しながら時間を過ごすが、1度狂った生活リズムはなかなか戻らず、明け方4時半ぐらいに再度パソを開いて軽くサーフィンし、波乗りに失敗し、溺れたころで睡魔が訪れるというパターンだ。

加齢によるものなのか、1度体内時計を狂わせると、なかなか戻ってくれない。夜更かしに限らない。休みの日に昼寝をすると、次の日の勤務中も体が睡眠を訴えてくる。

「おいお前! 昨日の今頃寝とったんちゃうんかい! 今日も眠たいやんけ! め~閉じんかい!」と俺の体内の眠りを掌る睡魔君が訴えかける。

「あほ言うな! 俺は今、めっちゃワーキングなんじゃ! 辛抱せんかい!」と軽く自己罵声を浴びせるが、時に睡魔に負ける時がある。
昨日の昼間は仕事中に俺の可愛い寝顔を同僚に見られてしまった。パソ画面を眺めて、手をキーボードに置いたまま、涎をたらして凝固していたらしい。

若い頃ならば、イレギュラーに夜更かししようが、昼寝しようが、横になって布団に入れば、すぐに睡魔君が働いてくれたのだが、最近は睡魔君の臨機応変な対応力が衰えてきているのか、元に戻るのに時間がかかって困る。

とは言ったものの、朝方まで起きているのも悪くはない。朝まだき→あけぼの→朝ぼらけへと移りいく時間の帯、下ろしたブラインドの隙間からでも、明るくなる過程をしっかり楽しめる。

鳥類はしっかり鳴いたり吠えたりするし、新聞が郵便受けで落ちる音も聞こえる。5時30分には、我が家の長老はテレビを入れ、朝方番組から流れる、温和でローテンションな声調を楽しめる。窓を開けて空気を吸えば、明らかに再生の香りを感じる。寝床で知らぬ間に再生を迎えるのも良いが、時に、再生をリアルタイムで確認し、寝床に入るのも悪くない。

初めて徹夜をしたのは、高3の1学期だったと記憶している。テスト中の一夜漬けという名目で、夜の7時くらいから5時間睡眠を取り、その後家をこっそり抜け出し、親友と一緒に350ミリリットルのがぶ飲み缶コーヒーを飲みながら、恋の話、進路の話、音楽の話、2時間くらいタバコを吸いながら語り合った。

深夜2時過ぎ、こっそり家のドアを開けて入り、勉強もしたりはするのだが、ちょうど聞いていたオジー・オズボーンのランディー・ローズのギターに耳がいき、勉強どころではなくなる。

ぎんぎんに冴えた目、テスト勉強にも身が入らない精神状態、時間はあっという間に過ぎ、新聞配達バイクのノイズが不思議と朝に溶け込み、軽やかなタッチで耳に触れる。やがて、両親の寝室で、少し起きだす気配を感じる。

その時、何か俺は不道徳なことをしている気がした。朝まで起きているところを感づかれてはいけない気もした。その一方で、朝まで勉強を頑張っている息子の姿を見せるべきである気もした。

おとんが便所に起き出す足音が聞こえ、俺は咄嗟にどうしていいかわからず、大音量の音楽をイヤホンで聴きながら、電気をつけたまま、机の前で学習姿勢のままで寝ているふりをした。

子ども部屋から明かりがこぼれるのを見つけたおとんが入ってきて、机に臥している俺の背中に薄手の掛け布団をかけてくれた。そっとイヤホンを外してくれた。

徹夜をするということに、何か背徳の香りを感じた俺だったが、その香りは魅力的だった。それ以来、定期的に背徳の香りを嗅ぎたくなって、徹夜した。朝がもたらしてくれる再生の中に、自己の退廃願望が重なり合い、本質的には孤独な心境を包み込む清濁併せ持った時流に溺れたくなったのだ。

今でもその時の、朝の匂いを覚えている。歳を重ね、種々の流れを経験した今、精神状態はあの頃と全く同じではないが、朝に抱く感情は近いものがある。いや、同じかもしれない。

朝まで起きている最近は、パソを開く俺の横で嫁が寝息を立てている。変わったのは環境だけだ。朝は背徳の香りがする。その中に再生の息吹がある。もうしばし、この生活を続けてみたいと思う。

2008年5月9日金曜日

国語教育試行錯誤

ゆとり教育以降の世代の子は、本当に泣けてくるほど国語力がない。言語習得がままならないことは、そのまま思考力低下を生む。彼らの国語力を何とかしてあげたいと思いながらも、俺1人の力でどうこうなる問題でもなく、また、俺の力量が彼らの国語力を育ませるほど、大したものではないとは思っている。

しかし、塾という立場で働く以上、何とかしようと考えることは大切だと思う。どこでどう響くかはわからないが、毎日、試行錯誤している。英語や社会の文系科目だけではなく、全ての科目に関して、国語力がないと、伸びる素地は形成されない。

国語力がない子は、語彙が少ないだけではなく、文節ごとの関係が習得できていない。そのため、テストの設問の意味すら理解できていない。当然、点数は良くない。

英語においても、英文を理解する以前に、「なぜですか?」と聞かれているのに、「~から」で答えを結べないといった、悲しくなる現実がある。

中3生は目先の受験があるので、だましだましのプログラムだが、中1、2生に関しては、長期的に国語力養成プログラムとして、3つの作業を毎回課している。

① 筆写・・・ 情景描写の多い、綺麗なことばが連なった文章を、提示し、それを音読させた後、すべてひらがなに変換したものを見せ、10分で筆写させている。語彙力習得と転写作業を通して、作業力を養成する意図がある。

② 表や図や絵を提示して、それを自分の言葉で、他者にわかるように説明させる作業・・・画像を貼り付けたいのだが、今手元にない。漫画かなんかの一場面の絵を使う。絵を見ていない人に、言葉だけで説明させる。だいたい100字くらいでまとめさせ、自分が書いた説明を他の生徒に話し、絵の状況を説明できているかを意見交換させる。お互いに、だめ出ししまくりであるが、結構真面目に取り組んでくれる。

③ 文章を図表や式に置き換えたり、計算させたりする作業・・・数学の簡単な文字式問題を変形して国語的に取り上げている。例えばこんな感じだ。

「太郎君は、毎日夕方4時から8時間、コンビニエンスストアでバイトしています。
22時までは時給が800円ですが、22時以降は時給が2割増しになります。
太郎君の今月の出勤日数は、24日間であり、1日だけ4時から20時までの4時間
で早退しました。今月分の太郎君の給料はいくらですか?」

また、

富山から福岡に行くことになりました。まず、時速Xキロメートルで5時間、敦賀まで泳ぎ、その後、時速40キロメートルで自転車を7時間30分休まずにこぎ、広島に着きました。広島からは時速80キロの馬に乗り、4時間かけて目的地に着きました。全体の道のりを式で表しなさい。また、全体の道のりを1100キロとした時、時速何キロで泳いだことになるかも求めなさい。

こんな感じのプリントを昨年1年かけて、中1、中2分それぞれ40パターンずつ、計80パターン作った。今年はそれに改良を加えていっている。

目先のテスト結果を目指すものではない旨を保護者にも理解いただいているのだが、幸いにして定期テストでも好結果が出始めている。当面は、長期ビジョンを信じて継続していきたい。レベルアップした子には、社会なんかの資料も使い、論説文を書かせる課題を与える。
社会で出される時差問題を、図と式を元に推測させ、言葉で時差の求め方を定義させるのだ。ヒント無しではなかなか困難だが、時たま、びっくりするくらい上手な定義を出す子もいる。

国語教育は面白い。その分悩みは尽きない。ころころ指導方針を変えるわけにもいかないので、骨組みはこれでいきたい。そしてマイナーチェンジを加えていこうと思う。良いアイデアがあれば、是非ご一報いただきたい。

俺の自作教材は、英語、国語で現在、856 MB だ。 まだまだ増やしていく。




 

2008年5月8日木曜日

今時の修学旅行事情批評

中3生のほとんどは、今の時期(4月末~5月中旬)に修学旅行に行く。
塾においては、毎年この時期には振り替え授業設定が発生する。面倒くさいが仕方ない。中学生にとって、修学旅行は大きなイベントであり、最高の思い出になるだろうから・・・。

と、ずっと思っていた。でも中学を卒業する子供たちに「中学時代の思い出は何?」と聞くと、修学旅行を挙げる子は少ない。ほとんどが、最後の運動会か文化祭を挙げる。
たまたま、直近のイベントを挙げているのかと思うと、そうでもないようだ。

修学旅行から帰ってきた子供たちに、「どうやった?」と聞くと、「疲れた。」との声をよく聞く。目を輝かせて見てきたことへの感動を話す子は少ない。運動会、文化祭の後には、鬱陶しいくらい話してくれる子が多いが、修学旅行に対する思いでは、総じて低いみたいだ。

自分自身の修学旅行を振り返ってみると、中学時代は長野の戸隠で一泊し、翌日は白馬に移動して一泊、泊まった旅館の名前、内装、世話をしてくれた学生バイトの顔、彼が話した性なるトピック、飯に至るまで、かなりのことを覚えている。

見るもの全てが新鮮で、行き帰りの道中も興奮の連続だった。大人になって、戸隠、白馬方面に何回か行ったが、修学旅行当時と変わっている部分と変わっていない部分を確認し、感慨にひたることがある。

白馬から松本に向かう道中、道脇の中学校で体育の授業をしている生徒に向かって、観光バスの窓から、「へたくそ~~~、ひゅーひゅー!」とおちょくりを一発かましたら、その体育の先生が、なんとバスめがけて走ってきた。片側1車線ずつの細い道、信号も多くあり、3分後の信号待ちで、その先生がバスに乗り込んできたことがあった。

「おたくの生徒の中に、わが中学を侮辱した生徒がいる。」とのクレームをわが担任につきつけ、犯人探しをされた。犯人も何も、車内で大声出した瞬間に、担任につるし上げられていた俺は、前に引き出され、2回目のつるし上げ!公開びんたをくらった。後悔した。

俺はその街道を懺悔街道と呼んでいる。そこを通る度に、心で謝罪をくり返す。もう侮辱はしない。

たまたま懺悔の思い出を挙げたまでで、楽しい思い出は数多くあり、修学旅行は俺にとってかけがえのない行事だった。だから、今時の子供の修学旅行に対するローテンションが不可解でならない。

その原因を2つ推測している。①団体行動の希薄性 ②好奇心の早期摘み取りだ。
②については、ヴァーチャルの過剰摂取が現実への眼を曇らせるという弊害で、これは別トピックになると思うので、ここでは触れない。①について、女々しく噛み付きたいと思う。

① 団体行動の希薄性
驚いたことにわが住む町の全ての中学ではないのかもしれないが、実に奇怪な修学旅行日程が組まれている中学を多く確認する。1日目こそは団体行動(といっても、移動や大きな施設内で放し飼いするだけだが・・・)だが、2日目からは3つの選択肢が与えられていて、小グループによる電車、タクシー行動だそうだ。

この選択肢がすごい。大阪で1泊した後、翌日には、名古屋と京都と神戸のどれか好きな所に行くことが出来るというものなのだ。移動は電車で、その後は班別で、ガイド付きタクシーでの行動だ。タクシー行動自体は昔からあったが、京都市内なら市内の中での行動だ。それならば、だいたい行くところは同じであり、タクシーへの分乗というだけで、団体行動の絆は維持される。先生方も細かく配置され、学校行事として機能する。

ところが、先生方もこれだけ選択肢が広まれば随行するわけにはいかない。旅館で待機名目の休憩か、自らも観光に出かけるのだろう。

自分の体験を今になって振り返ってみると、引率される先生方の苦労は並大抵ではなかったと思う。ほぼ全てが、400人ぐらいの団体行動であり、他中学を見ては喧嘩を売るもの、売られるもの、群れからはみ出す渡り子、公衆道徳を逸脱した問題児童、それらを見事な連携プレーで裁いていたのだから、たいしたものだと思う。

それにひきかえ、今の行程は楽だ。電車に乗せて、後はタクシー運転手におまかせ! 元気な老人向けのような旅プランを生徒に与えるのだから、引率の苦労は軽減されているだろう。

今の子には団体行動力がないからこのようなプランになるのか、このようなプランを与えるから団体行動力がいつまでもできないのか・・・。どちらにせよ、これじゃグループ小旅行の思い出であり、中学校という組織に在籍した時代を代表する思い出にならないのは頷ける気がする。

そして、めちゃくちゃ腹立たしくて、濃縮ジェラを感じたことがある。今時の修学旅行、聞き取り4中学校で、4中学校全てが、ホテル泊まりだというのだ・・・。ツインでっせ!朝食はバイキングだと・・・。簡保旅行か! なめていやがる。俺たちおじさんは、収容人員6人の部屋に8~10人すし詰めされて、ハムと葉っぱと生卵といった餌で満たされていたというのに、バイキングだあ??! 寝ていたら友人の足が顔面に触れていたり、それぞれの体臭が合わさり、発情前の獣臭が部屋を包む。臭いが記憶の色彩を頭に送り込む。修学旅行は素晴らしかった。

ツインルームで1対1の語り合いは、大人になってからでよい。恋人との対話、親友との対話、ある闇取引、何度でもこれから機会が訪れるだろう。修学旅行の夜にツインは似合わない。大部屋にぶちこむべきだ。

小集団を統率する者、統率される者、虐げる者、虐げられる者、群れから気配を消す者、群れに異臭を持ち込む者、1人1人の日々の歯磨き、洗面などの何気ない生活行動のペースや様式に自分とは異なる部分を発見し、他者理解の基礎を作るためには、大部屋収容が最適だ。

俺が、カプセルではないシティーホテルなんてものに入ったのは、新婚初夜が最初だ。館内設備が新鮮で、わけもなく館内を徘徊し、不審者ごっこをしたものだ。それを今のガキはガキは・・・・。いじいじ、妬みに動かされた今時の修学旅行事情批評だ。




 

2008年5月7日水曜日

在日文学に抱く感情

まずは告知

5月17日(土)ほうるもんライブ  at福野町「さむでい」
共演:カラスさん       ライブチャージ:500円

7拍子から始まる組曲あり、サザンソウルあり、ニールヤンギッシュあり、ディスコビートあり、唄モノあり・・・、チープの中にある唄モノロック感とは違った、音厚、音圧勝負の50分、しっかり演奏したいと思っている。都合あえば是非!

休みはひたすら引き篭もり継続だ。在日文学集を片っ端から読んでいる。柳美里さんなどメジャーな方々の著作はだいたい読んだが、自費出版も含めた在日文学の断片が、全18巻の「在日文学全集」として、勉誠出版から出されている。図書館でも全然借りられていないので、自分のペースで辿っていける。大きな楽しみだ。

作品のほとんどは、戦後の在日1世が中心だ。アイデンティティーを育むことを外界から奪われて、自分自身の置き場のない中を漂いながら生きなければならなかった彼らの境遇が濃縮されている在日文学は、そこに恐ろしいほどの生きることへの執念と現実感がある。

俺が在日文学を読んでいつも感動することは、描写は時にグロテスクで、汚泥の中で生きる在日1世が置かれた生々しい現実の日々が書かれているにも関わらず、深い悲しみと怨念だけに作風が貫かれていないことだ。

日本人に対するイデオロギッシュでヒステリックな批判性が、不思議なことに皆無である。日本人のした残虐な行為に対する、現実の成り行きを淡々と述べていても、そこにメッセージ性は感じられない。それよりも、日々の暮らしの方に、強烈に開いた眼は向いている。

一般的な在日文学に対する批評は、「日本人への在日からの怨念じみたメッセージ性」に目を向けているが、俺は在日文学を読んでいても、不思議とそれを感じない。感じ方は人それぞれだが、間違った批評だと思う。

それは実際に在日の方と接点を持って話した時も感じたことだ。なかなか在日1世の方と知り合う機会は少ないが、それでも数人の1世の方、そしてその子どもさんの2世の方、3世の方と、少なからず交流を持ったことがある。

在日の方々の中に俺が感じるのは、根本的な愛が世情でぶれないことだ。肉親や同胞、時には国籍を超えた日本人に対しても、彼らの視点は周りの人がどのような肩書きで、どのような性質であるかを色眼鏡では見ない。何をしようとも、1対1の関係で情を発するように思う。

家族の絆が日本人より強く、人間同士の真剣な尊敬の念と情が交わされているように思う。彼らの持った馬力と優しさ、生命力を文体からも実際の会話からも感じて、日本人としての自己のアイデンティティが揺さぶられることがある。敬服の念しかわいてこない。

在日の人が日本名を名乗り、高校卒業後に本来の名前に戻すという事例が多く見られた俺の世代、彼らなりに種々の葛藤と方針があったのだろうが(言葉でたやすくコメントできることでないのは承知だが)、あっけらかんと自分の生い立ちと境遇を俺に話してくれた数々の方々、彼らからは極上の明るさを感じた。

俺の実家マンションの道を隔てた向かい側には、俺が中学生の時まで数件の朝鮮人集落があった。鉄くずが集められ、常に火がくべられていた。丈の低い長屋が連なっていた。子どもの俺は道を越えて向かい側にいつでも行けたのだが、そこの集落の中に張り巡らされた何かに威圧され、不思議と足が向かなかった。

今から思えば、彼らが身を寄せる空間の清さに無意識に尻込みしていたのではないかと思う。色彩的には、朽ち果てる寸前の木材、鉄くずといった茶褐色であったが、その中で営む彼らの人間力の凄さがオーラとなって、俺に結界を感じさせたのだと思う。

将軍様がいちびっていて、本来の朝鮮人の清い性質が露呈しにくい北という情勢はあるが、北朝鮮も韓国も、朝鮮半島が生んだ血の強さと清さは、何世も隔てた今でもオーラとなって輝いている。日本人自体も単純で慎ましく、女性的な性質を持った血だと思うが、まだまだ朝鮮の方々から学び取る性質があるような気がする。

イデオロギーをむき出しにしているのは、むしろ日本人の方であり、朝鮮人の方々の性質の根底は、そんなことよりも日々の暮らしと人間への愛情に向いていると思う。その強さと清さを味わい、学びたくて俺は在日文学を読む。

人種的なことに触れるのが、非常にデリケートな問題であることはわかっている。だが、こんな事態は、歴史が作った汚点だ。それぞれの良さを自由に感じ、発言し、お互いに学び合えばよいと思う。

俺は中国人に対しては、実際に出会って交流した人々のイメージが悪く、残念ながら今の時点では、いまいち親愛の情を持てないでいるが、朝鮮人にたいしては、大きな敬意と親愛を寄せている。本来、どこまでも純真で強い方々だと思う。現実感の備わったロマンチストと言えばよいだろうか、大いに見習う必要がありそうだ。現実感のないロマンチストが溢れかえった日本に必要な性質だと思う。

あくまでも個人対個人が基本で、人種で全てを見るわけではないが、根底に流れる血の性質は、確実に存在すると思うし、そのために国や人種のカテゴリーがある。人種による性質の違いを認めた上で、なすべきことがあるように思う。それが、綺麗ごとではない、真のユートピア思想だと思う。

在日の方々が汚泥の中で築き上げられた清さと礎に感謝する、在日文学を読みながら・・。

 

2008年5月6日火曜日

審判員を裁く

今日も職場の隣の高校のグラウンドでは、高校野球の練習試合がなされていた。
休日ということもあり、保護者を含めたギャラリーの多いこと多いこと!

俺たちが止める駐車スペースに、今日出勤したら、しっかりと車が止められていた。白線を引いて、誰が見ても、その建物の使用者専用にしか見えない駐車スペースに、当然のように毎回止めている奴がいる。

それだけではなく、建物周囲への駐車マナーが悪いのなんの・・・。白線ははみ出すわ、曲がり角に止めるわ、詰めずに止めて駐車スペースを自ら少なくするわで、ほんといらだたしい。俺たちは建物から少し離れた田んぼ脇に路上駐車しなくてはならない運命になった。

塾という性質上、保護者を敵には回したくはない。今までも駐車マナーの悪さには悩まされていたのだが、自分たちが止める場所以外の駐車に関しては、事故が起ころうが、何しようが知ったもんじゃない。黙認していた。

俺たちの止める場所にしっかりと止めている車、これも黙認して、しばらく遠くに止めて、彼らがどいたら車を駐車しなおしていた。

ところが、俺たちの駐車スペースに止めている車はいつも同じであることに今日気づいたものだから、なんとか打開策に出た。

言葉選びを慎重に、「突然の告知で申し訳ございません。こちらの駐車スペースは、当塾従業員のスペースとなっております。つきましては、次回から駐車をご遠慮いただければ幸いです。なお、他の駐車スペースに関しましては、各自のご判断の上、駐車なさってください。よろしくお願いします。」といった具合だ。そして、俺たちの駐車スペースに止めている3台の車のワイパーに挟んでおいた。

練習試合が終わるのをしっかりチェックして、2階の窓からこっそり、どんな面した奴が止めているのかを、こっそり見張っていた。

「こんなマナーが悪いことをするのは、おばはんに違いない!」とフェミニストもびっくりの偏見を抱いていた俺だが、おばはんは無実だった。すまぬ!

体格の良いお揃いユニフォームに身を包んだ3人のおっさんが、鼻くそほじりながら、堂々と駐車上に来た。審判御一行だ。車前で着替えだし、立ちションもしやがる。そして張り紙に気づきやがった。

奴らはワイパーに張られた紙を見て、3人でこそこそ話して、そのうち1人はその紙をその場に捨てやがる。俺はしかとこの目で見た。

かちんと来て、表に飛び出そうとする同僚を俺は止めた。「早まるな、お前だけを懲役に行かすわけにはいかない。行くときは一緒さ!ついて来い!」と言い、俺達はゆっくり1階に降りた。表に出た。

車はいなかった。逃げられた。路面には尿道がきらり、告知紙が風で飛んでいた。逃げられた。「こ、この手でアヤメさせてくれ!」俺は心でつぶやいた。

張り紙を見て、まともな人間ならば、事務所に謝罪に訪れるだろう。それがないどころか、張り紙を捨てる。そして放尿! 鬼畜だ。

清清しい高校野球キッズの球筋やアウトセーフの判別をする奴がこのざまだ。高校野球の審判する前に、人間としてやり直して欲しい。普段は何をしているやつか知らないが、ボランティアだとは思う。慈善活動をする事前に人間マナーを見につけろ!

野球のジャッジをすることを慈善で続けられる奴のモチベーションは、人を屈服させる美学なんだろうか? 自分が止めたい場所に止め、社会ルールは破っておいて、球筋の見極めもあったもんじゃない。尊大な態度の源が、男性シンボルに根ざすホルモンにあるならば、彼らの股間に硬球が命中することを祈る。宦官なって、駐車上整理でもしやがれ!

高校生相手に偉そうにジャッジ下す前に、自らの行動にジャッジを下して欲しいものだ。こんな奴らに偉そうに裁かれるキッズが可愛そうになった。

駐車マナーの悪い奴は病的だ。スーパーなんかの駐車上でも、平気で白線をまたいで止めていたり、縦列駐車でつめずに無駄な空間を作りだす奴ら、これらの行為を取り締まる法律はないのだろうか? 申し訳ないが、そんなことをする奴が、しっかり道交法を守っているとは思えない。大事故を誘発する前に、こっそり逝って欲しい。

練習試合は頻繁にある。同じ車が最短で来週来る。俺は審判コスチュームの3人を見かけたら、奴らが捨てた紙を持って、文句を言いに行くつもりだ。ほんの一言だ。多く話すのもけったくそ悪い。「君らまとめて退場!」 し尿便を添えて渡そうか?と思っている。

高校野球キッズの素晴らしさを大人が害していく。審判を選ぶ権利をキッズに与えてやってほしい。

2008年5月5日月曜日

しまっていこう!

わが職場は、甲子園出場を最近果たしたことがある進学校のグラウンド横にある。
休日にはそこで野球部の練習試合が毎回のように行われていて、2階の窓からゆっくり観戦できる。

大人は、息しているだけで疲れるような暑い日でも、若人は元気はつらつオロナミンである。俺も高校野球児だったので、彼らの情熱としんどさと喜びは体感済であるから、いつも興味深く感慨に浸りながら、仕事の合間に見ている。

今日も世間はGWで休日。いつものごとく練習試合がなされていた。1人すごく目に付く子がいた。俺は彼の一挙一動を目で追った。

野球部の部員は、高校生とはいえ、体つきはでかく、成長が早い子がほとんどだ。野太い声を出し、すでにおっさん面の域に達した子が多い。

ところが俺が目をつけた少年は、背丈も小さく、マンガ「キャプテン」の五十嵐みたいな顔つきをしている。野球センスあふれる奴に多い顔立ちなのだが、その少年は五十嵐君からセンスを奪ったような奴だった。

1番悲しいことに、彼は声変わりをしていなかった。他の部員の野太い声が、「ナイスボール」、「いいよいいよ!」、「オッケ~」、「ワンナウト~ワンナウト~」と飛び交う中に、彼の黄色い声が重なってくる。ハーモニーはない。サブちゃんにメロのないオペラが入ったような感じだ。大阪府警の暴力団のがさ入れに、おばちゃんの悲鳴が重なった感じだ。

彼は実に小生意気なことを言いやがる。攻撃中には、「ピッチャ~びびってるよ!」とか、「打ち頃打ち頃~」とか言う。全然説得力がない声圧で、彼は一生懸命憎まれ口を叩く。「牽制下手だよ~」、「カーブすっぽ抜けすっぽ抜け~」・・・。

守備についている時には、「バッタ~びびっているよ」、「振り遅れ~振り遅れ~」、「ランナー、リード小さいよ~」、「打つ気ないよ~」、「ピッチャ~勝ってる勝ってる~」といった具合だ。敵チームにしてみれば、結構ピクピクくることを言う。

彼は気の毒な星に生まれたに違いない。彼が憎まれ口を叩くと、かなりの確立で発言内容が実力行使で覆される。

「ピッチャ~びびってるよ~」と言えば、味方が三振に取られる。「ランナー、リード小さいよ~」と言われると盗塁を決められる。「振り遅れ~振り遅れ~」と言うと、センターオーバーを打たれる。「打つ気ないよ~」といえば、ショートの彼のところにボールが飛んできて、彼はトンネルした。打つ気は彼を貫いた。

だんだん彼の士気が下がってきた。5回くらいからは、「いいよ~、いいよ~」しか言わなくなった。おまけに彼はデッドボールを食らって出塁し、ランナーになった後、味方のゴロを体に食らう。星が悪すぎる。

士気が下がっていた彼、これではいかん!と思ったのだろう。少しずつ元気を取り戻し、8回の守備で味方にゲキを飛ばした。「しまっていこうぜ~!」

ちょうどその時、監督からの指示がグラウンドに響き渡り、彼の声はかき消された。声がかぶって、声量で負けた彼、しまっていけなかった。

彼のチームは屈辱的なスコアで負けた。それでも彼は試合終了後の整列挨拶で、元気一杯「ありがとうございました」を叫んでいた。少し噛んでいたが・・・。

実に哀れで健気な彼に、なぜか目が釘付けになった試合観戦だった。試合後たくさん説教を監督からくらっていたが、素晴らしい姿勢で「はい」をくり返す。実に清清しい。

野球部という集団は、体育会系といわれる上下関係の見本のようなものだ。大人になってからも過度にこの体質を維持されると、ちと苦しい部分もあるが、今の上下もくそもない風潮では、貴重にも感じた。
俺の目を奪ってくれた彼の今後を応援したくなった。しまっていこう!

2008年5月4日日曜日

893の薫り

GWだというのに、家でごろごろ、読書したり、音楽聴いたり・・・。富山に移住してからというもの、GWになったら俺は、糸の切れた凧のようにお出かけしていたものだが、昨年からインドアになりつつある。

GWに暴走する凧になっていたのには、もちろんチープハンズのライブがGWに組まれていることが多かったこともあるが、それだけではない。バンドライブの数日前から関西に乗り込み、893事務所があるところ、荒んだところ、日の当たらない場所を中心に散策を続けてきたものだ。

まとまった余暇の多くは、俺の飽くこと無き散策時間に多く費やされた。そのエナジーの根源はわからない。

俺は893に惹かれるのだ。893の個人と交流を持ちたいというわけではない。愛情の形はいろいろあるが、俺は893の醸し出す雰囲気に何だかメロメロなのだ。

893といっても色々いる。スーツ組中心の経済的勝ち組、がてんな労働者組、痩せ型派出めのヒモ組、構成員見習いのチンピラ組、真の侠道見習い過程の丸坊主組、思想的過激者の右翼組・・・、どれも見てみたい(笑)

東京、大阪、京都、名古屋、北陸、色んな場所で組事務所を探索してきた。組事務所は名簿があるわけではない。でも俺の嗅覚が教えてくれる。不思議と遭遇できる。ほとんどの人が言われないと気づかない組事務所であるが、俺は空気の圧力と視覚と嗅覚ですぐに察知できる。この能力を何かに使えないものか?

バブルがはじけたころ、京都の再開発に携わっていた人たちの1人の893と、工場の労働で一緒になったことがある。いかつい目つきとは裏腹に、実に温厚な人で、俺に色んな話しをしてくれた。バブル崩壊を機に、893な稼業から身を引き、堅実なビジネスをするために、工場労働で金をためると言っていた。過去の話も少しは教えてくれたのだが、1日で転がしたお金でフェラーリを買ったとか、最初は本当かな?とも思っていた。

ある日、土砂降りの日、仕事帰りに彼は俺をアパートまで送ってくれた。ちょうどその日の仕事が終わる寸前、彼は理不尽にがなりたてる班長に注意され、彼の胸倉を掴んで周囲から止められていた。それまでずっと、勤務態度も真面目で、言葉遣いもしっかりしていた彼が、理不尽な注意に関して強烈な豹変を見せた。何だか小ばかにしたような発言を受けた後での出来事だ。俺自身も班長の言動の方に非を感じた。

切れ方は尋常ではなかった。静の恐怖というか、声を上げるわけでもなく、ただ無言で胸倉を掴んで持ち上げ、工作機械の壁に班長をぶつけた。目で何かを訴えるだけだった。

俺は彼の醸し出す雰囲気に圧倒された。彼の心の中には深い憎しみの塊と悲しみの塊があって、それが粉砕される時は永遠に来ないような気がした。彼が家まで送ってくれるという申し出を、俺は厳粛に受け止めた。

車はクラウンのフルスモークで、過去の名残を感じさせた。「お前、英語出きるんやったら、いつかビジネスに参加せんか? もし気が向いたら、ここに電話してこい。」といって名刺をくれた。某有名893組織の枝の名前と彼の名前が毛書体で刻印されていた。

次の日から彼は当然のごとく仕事に来なかった。俺も次の日に辞めた。彼に電話をするつもりだったわけではない。むしろ、彼と二度と接点を持ちたくない気持ちからの仕事放棄だったと思う。

中学生時代の修学旅行などの班でいつも一緒に行動していた奴も、後に893になった。虚勢を張る、実に安っぽい893になっていたが、彼の目にも何だか得たいの知れない憎しみの塊と悲しみの塊があった。

893の目つきの奥に、憎しみと悲しみの塊を見出して、奴らを美化する気はない。それにそんな瞳を持つ奴ばかりではない。893を肯定する理由なんかこれっぽっちもない。893の個人個人は嫌いで嫌いでたまらない。

ただ、同じ人間がどうして893になるのかということに関しては、深い興味を抱かずにはおれない。生まれながらに893になる為に生まれてきた奴はいない。893は本質的には、団体ではなく精神のカテゴリーだ。「利口でなれず、馬鹿でもなれず、中途半端でなおなれず」という言葉があるが、本来、誰も成りようがないものであるはずだ。

それにも関わらず、893集団に身を置く生き方を自ら選ぶというより、選ばざるを得ない精神を持って生まれた人たちが、893の集まりである組に身を寄せるのだと思う。彼らの精神を後押しするものは何なのだ? 

893集団を選んで、そこに身を置く人たちは憎しみ以外の対象にはならないが、893ひとりひとりの幼少からの生い立ちにはすごく興味がある。感情を持っていることさえも忘れた生き物の集う場所、そこには悲しみと憎しみの火種を感じる。なぜかそれにひかれる。

GWは人が多くて出歩かなかったが、また平日休みを見つけて、893街を散策しようと思う。定期的に嗅ぐべき匂いではないかもしれないが、893のいる場所には、退廃した人間の邪悪な部分の香りがある。たまには嗅ぐべき匂いのような気もする。

2008年5月3日土曜日

作文・作文指導は難しい

今日は家庭教師の日。GW明けの提出物で400字の原稿用紙4枚の作文が課せられていて、3分の1の時間を作文指導に使った。

通常の入試作文は180字以上、220字以内なので、文章力のない子でも何とかなる。味も素っ気もない文章でも、減点項目にひっかからないパターン構築をすれば、ほぼ作文は満点取ってくれる。

本来、文章を書くときには、減点される、されないなんかより、あらゆる表現を試してみて、表現幅を広げる作文指導をしたいのだが、受験生の場合は時間的制約でなかなか理想を追い求めてばかりもいられない。だから、GW,夏休みなどの課題での作文は、受験のためだけでない本来の学習指導をするチャンスであり、前向きに取り組んでもらえるように意識を鼓舞している。

今の中学生の文章は20人に1人、「おお~やるやんけ!」という、完全に自分の言葉で気持ちを昇華して書いている子がいるかいないかのレベルだ。全体的に日本語が活用できていない傾向は間違いなくある。

減点はされはしないが、コピーしたようなソウルレスの文章を書く子が、同じく20人に14人くらい。そして、4人くらいは、減点するにしても、どこを減点項目にしてよいのかさえも悩むほどの、えげつない文章を書いてくる。文節同士の関係がひどいのだが、彼らはそれに気付かない。

例えばこんな文章だ。「あなたの夢について書きなさい」なんてタイトルだとする。

「僕は将来の夢は、お金がもうかることでお金をもうけて大きな家を建ち、そこで音楽をずっとやっていくことが僕が今思っている夢です。」

なんて具合だ。大げさではない。むしろ少しましにしたくらいだ。

出だしの主語が「将来の夢は」であるためには、「僕は」は「僕の」にしないといけない。また、主語に対しての述語が複数に転調し、出だしと結びが対応していない文章だ。それ以外にもまだ4つ文法的におかしなミスがある。

文章内容の表現の拙さに、大人の表現技法を伝授していくことが中学時代の国語教育であったと思うのだが、上記のような子どもが5分の1くらいいる現状では、表現がどうのこうのではない。

小学校低学年の時に、文章の中での助詞の使い方や、助動詞の活用などを、理屈抜きの反復対話で身につけてもらう以外に方法がない。

文章の上手い下手、文体、文調の好き嫌い以前に、文章が完成していない状態であり、ピジンジャパニーズというものがあったら、こんな感じだろうというレベルだ。何が原因だろう?家庭における幼少時の会話だけで無意識に、この難解な日本語を習得してこれたであろうものを、それさえも機能しない家庭がたくさんあるのだろう。とはいったものの、言語力低下原因の暫定的な推測は出来るが、もっと根は深そうな問題だ。

さすがに高校生になったら、多くは矯正されていくのだが、それでも、文章レベルも構成力も低い。有名大学に合格した子の小論文指導をした際にも、何だか違和感を抱いた。
主題に対しての、自分の意見、補強具体例、反対意見への言及と再反論、結論といったプロセスが無視されて、ひたすら意見を乱暴に述べて、作文のまま論文を結ぶといったパターンがくり返される。よく受かったなあと思った。

ただ、日常生きていく上で、常に科学的たる必要はないし、ブログなんかで述べるにしても、ただの意見で良いと思うのだが、大学で何をどうやって学ぶのだろうか?とは心配になる。

とはいったものの、俺自身、若い自分に何も学んでいない上に、彼らは彼らで順調に年輪を重ねるのであるから、余計なお世話というものだが・・・。

大学を中退した俺が獲得した、わずか8単位(要卒単位は6)の中に、「道徳教育の概念」といった教職科目があった。これはレポート提出のみで、いっちょあがりの単位だったのだが、俺は友人3人から、1人あたり、2000円でレポートを引き受けた。同じテーマに、自分の分を含めて4パターン書いたのだが、友人3人のレポートはAが1人、Bが2人であり、何とか仕事は果たした。そして、肝心の俺用のレポートはCだった。Aから順に評価が下がり、Dになると単位認定できないのであるから、ぎりぎりセーフだったのだ。なんでやねん! なんか世の中がおかしいと思いだした瞬間だ。

あの時、Aをわが提出分にチョイスしておけば、俺の大学生活ももう少し続いたかもしれない。2000円で単位を買った男の中にチープハンズのメンバーが2人いる。もっと成功報酬をもらっておくべきだった。

大学のレポートでAだろうがCだろうが、単位認定されればそれで良いのだが、冒頭の中学生の作文に見られるような言語レベル低下は、言語を媒介して行う思考力低下にもつながりかねない。

大学全入時代が始まっている。金さえ払えばとりあえずキャンパスライフと、大卒という、印籠にもうんこにもなりうる肩書きを得ることは出来る。言語レベルの発達がないまま大学入学する子も増えるだろう。昔の高校進学者並の数値に近づく可能性もある。そうなると大学という空間は遊園地としての存在だけになるだろう。

何がずれてきたのだろう? 俺ごときが心配したふりをする必要はないが、将来の日本語の行方が少し気になった。

作文指導は難しい。大人の言葉の入れ知恵を極力排して、書くことを通して考えさせる過程に重きをおくと時間がかかる。それでも、しっかり言語力と思考力を育んでほしい一念で指導している。

今の若者が立派に成長し、大人になった暁には、言語を振りまわし、言葉遊びする俺を、言語で諌めてほしい。悪い文章教材見本を増やすため、俺はブログを重ねていく。

作文指導は難しい。作文は難しい。とりあえず毎日書いてみようと思う。

2008年5月2日金曜日

転石の主張

数日前、「休みたいならば辞めればいい」と日本電産の社長が述べた発言が批判にさらされていた。個人的には、この社長が言うとおりだと思う。
さすがに大企業のトップとしては言葉選びがまずかったとは思うが、言葉狩りにヒステリックに反応する輩のほうが気持ち悪い。

国全体の全雇用の労働条件が過酷なのではなく、職業選択の自由が与えられている環境があるにも関わらず、自分が勤めている会社の労働が過酷で休みたいならば、それは辞めればいいだけで、実に簡単なことだ。自分でその仕事選んだんでしょう? それならば、好きで続けるか、嫌なら休みの多いところを探せばいいだけだ。

自営業者なんて休みという感覚はあまり持っていないと思う。名目は休日でも、商売が常に気になるものだし、そのことで第三者に不満をもらしたりはしない。

残業時間が多く発生すること、そしてそれにたいする賃金を含めた待遇面、両者の関係は一概には言えない。

効率よく仕事をしていないから残業が発生するのか、会社の労働者への仕事の要求が物理的に多すぎるから残業が発生するのか、両者は立場によって主観も入るし、客観的な尺度を設けることは難しい。

それでも、本当に会社側に問題があるのであれば、その会社はいつか淘汰される。金は払わずに労働を求めるといった一方通行が永続するわけはない。

日本電産って会社、いったい何人の生活を抱えていると思っているのだ。えげつない規模の雇用を確保するために巨大な化け物を維持する上で、労働者への休日出勤やらが発生するなんてのは当たり前だ。

俺は今までたくさんの会社で働き、転職をくり返してきた半端者だ。自分の労働への対価を常に勘定し、割りに合わなければ、より合うものを探して動いてきた。アルバイト時代は待遇面ばかりに憤りを感じて垂れ流してきた時期もあったが、基本的に、正規雇用の在職中にその職場に対して待遇面で本質的な不満を持ったことはない。

不満があったとすれば、その時点でそんな不満のある会社でしか働けないわが身の能力に対しての自己批判だ。給料をもらっている以上、そして何より自ら応募して雇っていただいた以上、不満を持つ資格自体が俺にはないと思っていた。だから、どうしても折り合いがつかなければ、辞めることを選んだ。

自分が人生の中で労働にどれだけの時間を費やし、どれだけの対価を受け取るかといったプランは全て個別のものが立てられる。何を優先して何を辛抱するか、当たり前の選択をする環境は日本の中では間違いなく与えられている。どの立場にあっても選択権は我が手にある。

上記の日本電産の社長の発言に噛み付く奴は、休日が増えたら、今度は賃金について糾弾するのは間違いない。何でも欲しがるのは幼児の心理だ。大人になろう。

自分が持った才能の限界は30代までに気付く。その中で最大限の充実した暮らしを送るための、前向きな妥協地点を見つけ、あとはそれにひたすら精進するのみだ。そんな日々の中に幸せはあると思う。

まだ自分の才能の限界に対して終着点を見出していないならば、リスクはあるが、世間的に茨の道を歩めばよい。そしてそれが遠回りだったことを後に認識しても、その中で新たな軌道修正をしていけばよい。リスクを犯して夢を買ったのだから、夢代の返済をしていけばよい。

過労死というデリケートな問題がある。種々の事例があり、当事者への配慮も必要で、全般に当てはまることではないのを承知で言うが、過労で死ぬ前に自分で対策を取るべき問題であると思う。

自営業者で、1人で切り盛りしている店主が、激務の果て突然死したとして、彼らは過労死と裁判で訴える相手はいない。

会社は労働者に対して、賃金を払う。それに対して労働者は身を捧げる。自らの長期的なビジョンをそこに見出し、組織の一員たろうとする。

会社組織は、諸々の夢の集合体だ。仕事内容を夢にする事例もあれば、労働対価だけと割り切って夢を仕事以外に向ける人もいる。それでも集合体は種々の夢を乗せて、経済のうねりの中回っていく。

自分が夢を託した集合体が、何か自分の描いていたものと違っていたら、他に移ればよい。だが、それまで頂いた集合体からの見返りに文句を言う筋合いはない。

多くの先人たちが所属する集合体で不満を言わずに、日々に喜びを見出して、職務を忠実に全うしてくださった。その礎の元、労働組合なんて、平和ボケした団体も組織できた。
野麦峠を育む土壌はもうない。労働基準監督署があるのだから、労働組合なんてもの必要あるのかな?

今、本当に会社に文句が言える奴なんているだろうか? 「俺が社長だったらこうするのに」とか、「みんな馬鹿ばっか。いやになる。」といった愚痴は、酒飲み話題としてはあり得て良いと思うが、日常の感情を支配し、冒頭の発言に噛み付くようなことは、かっこ悪くて俺はしない。

なぜなら、「俺が社長だったら~」と言う奴は、社長になれる道を歩めばよい。「みんな馬鹿ばっか」と言う奴は、お前もその組織の一員だ。同じ集合体だ。馬鹿がいやなら群れを変えたら良いだけだからだ。

政治や国家に対しての噛み付きは、集合体を返ることが容易に出来ないので良いと思う。民意を上奏する意思は必要だと思う。でも、賃金を頂いている自分の勤め先に対して悪口を言うことは、もっともかっこ悪いことで、自分の現状の醜さを認めて管を巻いているに過ぎないと思う。

「転石苔を生ぜず」という言葉がある。二通りの解釈が出来る。哲学的トピックにされやすい言葉だ。苔の意味を良いものととるか、悪いものととるかで認識は変わってくる。

俺は苔自体には種類があって、その中で上質の苔が、どの石にもあると思っている。転職をくり返す中で、上質の苔には、その会社では辿りつけなかったかもしれない。

ところが石はたくさんある。その行く先々で別の苔があり、前の石で既に身につけた苔の養分を少し変化させていくことで、苔は成長していく。目指すは上質の苔だ。

どの石にも、最上級の苔がある。1つの石で最上を目指すもよし、転がって最上を目指すもよし。

日本電産の社長、こう言えばよかったのだ。「定石が嫌ならば転がって苔を育みなさい。」
俺は転がる方を選んだまでだ。

2008年5月1日木曜日

変なニュースと変な壮年

今日から5月か~。ほんま早いものだ。俺の連休は4日まで。5日から通常体勢に戻るので、世間の連休とは少しずれている。

毎年GWは俺にとって最も活動的な時期だったのだが、今年はチープハンズの練習もなし、旅行もなし、家でちんとしている。帰省しようかとも思ったのだが、チープドラムの志知君が闘病中ということもあり、何だかそんな気になれない。

パソを開く。今日のニュースであるトピックに感動した。
「イワナの背にヒキガエル 奥伊吹キャンプ場で奇妙な光景」
何でも繁殖期にはオスがメスに抱きつくのは当たり前らしいのだが、カエル同士ならいざしらず、魚にいっちゃったヒキガエル・・・。何だか微笑ましくもあり、泣きそうにもなる話しだ。

同じ種族を超えて、イワナに恋してしまったヒキガエル、そのまま抱きつき、背中で果ててしまったらしい。失恋死だ。

イワナが猛スピードで泳ぎ、それにも振り落とされなかったヒキガエル君、本気でイワナに恋したんやろうな~。ヒキガエルが好きになりそうだ。

真意は知らないが、何だか心温まる話しではある。

こんな素敵な話しがあったかと思うと、溢れんばかりの性欲を持った公務員の味も糞もないニュースもある。
「アダルトサイト閲覧17万回、市課長補佐を停職…和歌山」
ウイルス感染で発覚だとか・・・。多い時は1月に17万回アクセスだそうで、どこからを数えるのかしらないが、ほぼ勤務中ずっとアクセスしていたのだろう。みかんの産地での出来事だ。

課長補佐といえば、俺の死んだ親父が就いていたポストだ。ノンキャリの出世ではほぼ頂上ライン、部下も多かっただろう。

部下が出勤し終わった頃、「おはようさん」と出勤し、お茶を飲んで机に座る。書類に判子を連打し、パソを開く。後は時間まで、時には残業してでもご鑑賞・・・。それを連日するのだから、エナジーはすごい。みかん畑で肥料になってほしい。停職で済むあたりがすばらしき世界だ。でも、せまい社会では生きていけないだろうな~。

買い置きしていた、『象を洗う』佐藤正午を読む。最近注目している光文社文庫だ。ばりばりの主力原稿は、大手出版社に持ち込まれ、なかなか回してもらえないのかもしれないが、そんな中でのラインナップには、隙間的な味わいがある。シングルカットされる作品はないが、名曲として君臨する曲が多い、LPのB面の味わいだ。

開高健さんの『最後の晩餐』、『新しい天体』で初めてふれた光文社文庫だが、佐藤氏のエッセーも面白かった。他の著作も辿りたい。

「ほうるもん」ライブを今月中に計画している。7拍子の曲あり、サザンソウルあり、ディスコビートあり、唄モノあり、爆音あり・・・、なかなか良い具合で仕上がっている。

ゆったりしすぎて体がなまる。今からバッティングセンターに行ってくる。変な壮年だ。