2008年5月24日土曜日

まったり過ごす

今日は休みだが、一日中室内で、まったり過ごした。この「まったり」という言葉だが、すごく好きだ。

京都の旅館でバイトしていた時、女中さんが頻繁に使っていた記憶がある。料理の食感に関して用いていたので、なんだか「やんわり、とろけるような」というニュアンスで理解していたのだが、今じゃ、「まったり」は、「ゆったりと」といった使い方で多く使われているような気がする。

もともとは方言なのかな? 詳しいことは知らないが、食感を表す「とろけるような」といったニュアンスの言葉を、人の生態模様の一部に使いだした人のセンスは素晴らしいと思う。

特に予定のない休日、何にも束縛されることなく時間が緩やかに流れていく時、その流れにのっかる状態は、語感的にも「まったり」というニュアンスがぴったりだ。
日本語のやわらかさと雅さを改めて感じる。

今日は、まったり過ごした。

作品社から出ている「日本の名随筆全100巻」を読んだ。このシリーズ、タイトル通りの名随筆をキーワードごとに編者を変え、編集しているのだが、実に味わい深い。

「花」、「鳥」、「猫」といった漢字1字のキーワードにまつわる随筆を、著名でセンスあふれる編者が集め、編纂されている。作家名しか知らなかった人も多く、色んな出会いを短時間で味わえる。素晴らしき随筆集だ。

今日読んだのは、このシリーズの「貧」と「女」。編者はそれぞれ、小沢昭一氏と大庭みな子さんだ。

両編者ともに大好きな人であり、彼、彼女の編集、悪いはずがない。この随筆集でしか出会えない、入手困難な作品も多くあり、時間をわすれて楽しんだ。

大庭みな子さんを好きになったのは、3年前だ。それまでは読もうと思って読まなかった人なのだが、前の会社が県内のかなりの生徒が受ける模試を主催していて、その国語の問題作成を請け負った時に、文章題材に使わせていただいてから、じっくり読むようになった方だ。同じパターンの出会いに竹西寛子さんもいる。

随筆よりも、長編の作品を好む傾向が続いていたので、かなり新鮮な時間だった。昔の人の文章は桁違いに味わい深い。言語が色と音を持っているかのようだ。

読んで眠くなったら、薄手の掛け布団を抱いてゴロゴロ転がる。この時期の蒲団のひんやり感は、1年で1番だ。ずっと触っていたい温度と肌触りに包まれて、数十分眠っては起き、読んではまどろみをくり返す。「まったり」という言葉にぴったりの時間だった。

読破を目指していた在日文学集は、メジャーな梁石日氏の巻で完了。次なる興味を探していた時の、上記の随筆シリーズとのめぐり合い、当面は随筆読みが続きそうだ。といっても浮気もするから小説も読むだろうが・・・。

夕方からは雨。雨音にも負けずに鳴き声を響かせる蛙が、なんだか愛しくもある。あの小さなボディーに搭載したアンプの出力は素晴らしい。アンプメーカーに研究して欲しい響きの良さだ。

ギターは触って5分。音との出会いに今日は恵まれなかった。

「まったり」過ごせる日々の幸せを感じることもなく、その対極の状態でせわしなく、生き急いでいるかのように過ごしてきたけれど、こんな日々を喜びとして味わえる最近は、個人的に悪くないと思う。

「随筆」、「エッセー」は、その内「ブログ」と無機質に名前を変えるだろう。その時が来ても時間はゆるやかに流れて欲しい。良い休日だった。

0 件のコメント: