2008年5月7日水曜日

在日文学に抱く感情

まずは告知

5月17日(土)ほうるもんライブ  at福野町「さむでい」
共演:カラスさん       ライブチャージ:500円

7拍子から始まる組曲あり、サザンソウルあり、ニールヤンギッシュあり、ディスコビートあり、唄モノあり・・・、チープの中にある唄モノロック感とは違った、音厚、音圧勝負の50分、しっかり演奏したいと思っている。都合あえば是非!

休みはひたすら引き篭もり継続だ。在日文学集を片っ端から読んでいる。柳美里さんなどメジャーな方々の著作はだいたい読んだが、自費出版も含めた在日文学の断片が、全18巻の「在日文学全集」として、勉誠出版から出されている。図書館でも全然借りられていないので、自分のペースで辿っていける。大きな楽しみだ。

作品のほとんどは、戦後の在日1世が中心だ。アイデンティティーを育むことを外界から奪われて、自分自身の置き場のない中を漂いながら生きなければならなかった彼らの境遇が濃縮されている在日文学は、そこに恐ろしいほどの生きることへの執念と現実感がある。

俺が在日文学を読んでいつも感動することは、描写は時にグロテスクで、汚泥の中で生きる在日1世が置かれた生々しい現実の日々が書かれているにも関わらず、深い悲しみと怨念だけに作風が貫かれていないことだ。

日本人に対するイデオロギッシュでヒステリックな批判性が、不思議なことに皆無である。日本人のした残虐な行為に対する、現実の成り行きを淡々と述べていても、そこにメッセージ性は感じられない。それよりも、日々の暮らしの方に、強烈に開いた眼は向いている。

一般的な在日文学に対する批評は、「日本人への在日からの怨念じみたメッセージ性」に目を向けているが、俺は在日文学を読んでいても、不思議とそれを感じない。感じ方は人それぞれだが、間違った批評だと思う。

それは実際に在日の方と接点を持って話した時も感じたことだ。なかなか在日1世の方と知り合う機会は少ないが、それでも数人の1世の方、そしてその子どもさんの2世の方、3世の方と、少なからず交流を持ったことがある。

在日の方々の中に俺が感じるのは、根本的な愛が世情でぶれないことだ。肉親や同胞、時には国籍を超えた日本人に対しても、彼らの視点は周りの人がどのような肩書きで、どのような性質であるかを色眼鏡では見ない。何をしようとも、1対1の関係で情を発するように思う。

家族の絆が日本人より強く、人間同士の真剣な尊敬の念と情が交わされているように思う。彼らの持った馬力と優しさ、生命力を文体からも実際の会話からも感じて、日本人としての自己のアイデンティティが揺さぶられることがある。敬服の念しかわいてこない。

在日の人が日本名を名乗り、高校卒業後に本来の名前に戻すという事例が多く見られた俺の世代、彼らなりに種々の葛藤と方針があったのだろうが(言葉でたやすくコメントできることでないのは承知だが)、あっけらかんと自分の生い立ちと境遇を俺に話してくれた数々の方々、彼らからは極上の明るさを感じた。

俺の実家マンションの道を隔てた向かい側には、俺が中学生の時まで数件の朝鮮人集落があった。鉄くずが集められ、常に火がくべられていた。丈の低い長屋が連なっていた。子どもの俺は道を越えて向かい側にいつでも行けたのだが、そこの集落の中に張り巡らされた何かに威圧され、不思議と足が向かなかった。

今から思えば、彼らが身を寄せる空間の清さに無意識に尻込みしていたのではないかと思う。色彩的には、朽ち果てる寸前の木材、鉄くずといった茶褐色であったが、その中で営む彼らの人間力の凄さがオーラとなって、俺に結界を感じさせたのだと思う。

将軍様がいちびっていて、本来の朝鮮人の清い性質が露呈しにくい北という情勢はあるが、北朝鮮も韓国も、朝鮮半島が生んだ血の強さと清さは、何世も隔てた今でもオーラとなって輝いている。日本人自体も単純で慎ましく、女性的な性質を持った血だと思うが、まだまだ朝鮮の方々から学び取る性質があるような気がする。

イデオロギーをむき出しにしているのは、むしろ日本人の方であり、朝鮮人の方々の性質の根底は、そんなことよりも日々の暮らしと人間への愛情に向いていると思う。その強さと清さを味わい、学びたくて俺は在日文学を読む。

人種的なことに触れるのが、非常にデリケートな問題であることはわかっている。だが、こんな事態は、歴史が作った汚点だ。それぞれの良さを自由に感じ、発言し、お互いに学び合えばよいと思う。

俺は中国人に対しては、実際に出会って交流した人々のイメージが悪く、残念ながら今の時点では、いまいち親愛の情を持てないでいるが、朝鮮人にたいしては、大きな敬意と親愛を寄せている。本来、どこまでも純真で強い方々だと思う。現実感の備わったロマンチストと言えばよいだろうか、大いに見習う必要がありそうだ。現実感のないロマンチストが溢れかえった日本に必要な性質だと思う。

あくまでも個人対個人が基本で、人種で全てを見るわけではないが、根底に流れる血の性質は、確実に存在すると思うし、そのために国や人種のカテゴリーがある。人種による性質の違いを認めた上で、なすべきことがあるように思う。それが、綺麗ごとではない、真のユートピア思想だと思う。

在日の方々が汚泥の中で築き上げられた清さと礎に感謝する、在日文学を読みながら・・。

 

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