2008年5月13日火曜日

言語巡礼(擬音語・擬態語編)

繰り返しの言葉、擬音語・擬態語が好きだ。どれくらい好きかというと、五十音順に例を挙げてみるほどだ。

「あ」・・・あんあん、「い」・・・いらいら、「う」・・・うとうと、「え」・・・えんえん、 
「お」・・・おろおろ、「か」・・・かりかり、「き」・・・きらきら、「く」・・・くらくら、
「け」・・・けらけら、「こ」・・・ことこと、「さ」・・・さらさら、「し」・・・しくしく、
「す」・・・すやすや、「せ」・・・せかせか、「そ」・・・そわそわ、「た」・・・たらたら、
「ち」・・・ちらちら、「つ」・・・つやつや、「て」・・・てくてく、「と」・・・とんとん、
「な」・・・なよなよ、「に」・・・にやにや、「ぬ」・・・ぬめぬめ、「ね」・・・ねとねと、
「の」・・・のしのし、「は」・・・はいはい、「ひ」・・・ひやひや、「ふ」・・・ふわふわ、
「へ」・・・へとへと、「ほ」・・・ほくほく、「ま」・・・まじまじ、「み」・・・みしみし、
「む」・・・むかむか、「め」・・・めらめら、「も」・・・もじもじ、「や」・・・やわやわ、
「ゆ」・・・ゆらゆら、「よ」・・・よれよれ、「ら」・・・らくらく、「り」・・・りんりん、
「る」・・・るんるん、「れ」・・・れんれん、「ろ」・・・ろくろく、「わ」・・・わいわい、
「を」・・・該当無し

「ら」の「楽々」や、「れ」の「恋々」なんかは、漢字が当てられるので、純粋なひらがな、カタカナ表記で出来た擬態語ではないかもしれないが、「を」以外は全て擬音語・擬態語がすぐに思いつく。「きときと」なんて地方限定の言葉もある。

一音一音は単なる記号にすぎないひらがな同士が結びついて、それがくり返されると、絶妙の語感とイメージが喚起される。これだけの擬音語・擬態語が長い年月かかって生みだされ、広く認知されてきたということに、日本語の素晴らしさを感じる。

「すやすや」なんて、実に柔らかくて、赤子が眠っている状態を表すにぴったりだ。おっさんが眠っている時には使用を控えたい言葉だ。文字配列を逆にすると「やすやす」となり、「安」という漢字を連想させる。「安心」への言語扉を開けてくれる。女性的で清らかな言葉だ。

「にやにや」笑うという場合の「にやにや」は、何だか狡猾な響きを感じる。荒んだイメージを俺は感じる。神経質そうな銀縁眼鏡をかけて鬱屈した色白少年が、「にやにや」しながら相手に向かって、「君、刺すよ!」と殺戮予告をするシーンを思い浮かべてしまう。
「に」と「や」から「やに」を連想し、「目やに」に繋がる。そして目やにのついた不健康そうな少年を想像してしまう。何だか好きにはなれない響きだ。

自分が笑うときは、「にやにや」ではなく、「げらげら」豪快に笑いたいものだ。むっつりした笑いではなく、下品な響きはあるが、大口開けて男らしく笑いたい。

「げらげら」で思ったのだが、繰り返し言葉に「゛」がつく場合と、「゜」がつく場合では、大きくイメージが変わる。「゜」はかわいい響きをもたらし、「゛」は下品で豪快なイメージを喚起する。

「ぷりぷり」ならば、かわいいお尻や、少女の軽く拗ねた顔なんかが連想できる。だが、「゛」をつけて濁らせると「ぶりぶり」・・・。ワイルドビーストの尻(ケツ)を連想させ、時には排泄物にまでイメージが及ぶ。いくらワイルドを自称する俺でも、いつまでも尻絡みのイメージは少女のようでありたいものだ。

「ぱりぱり」なんて言葉を聞くと、とろけるような軟質スナック菓子や、硬くてもプリッッぐらいの噛みを想像するが、「ばりばり」になると、歯茎が軋むような、歯が折れそうな硬質せんべいに変化する。「゛」の力、恐るべしだ。「プリッッ」も「ブリッツ」だったら、男のせんべいと化して売れなかっただろう。

擬音語・擬態語をひっくるめているが、擬態語についてはさらに深入りしたいことがあるので、近日中に述べる。

擬音語であるが、絶対音感を言語に置き換えて表記するのだから、実に優れものだ。動物の鳴き声なんかは標準化して表記され、認知されると、それ以外の音に聞こえないから不思議だ。

「みんみん」をセミの鳴き声としていつの間にか認知させられると、「みんみんゼミ」と昆虫分類名にまでなるほどだ。中華料理の店名で「眠眠」なんてのがあるが、これを見るたびに俺は、地表に出てすぐに永遠の眠りにつく運命のセミに思いが飛ぶ。何だかせつない擬音語だ。中華な気分にはならない。失礼?経営者!

「わんわん」吠える犬、英語の「Bow Wow」の方が、音的なとらえかたとしては直接的で的確にも思えるが、日本の犬はなぜか、「わんわん」であってほしい。昔話に出てくる犬が「Bow Wow(バウワウ)」吠えたら、情操的にはヤンキーになりそうだ。少なくとも俺は嫌だ。

「わんわん」をいつのまにか略して、「わんちゃん」なんて安易な略語で呼称される犬まで出る始末だが、実に愛嬌があってよい。

「とんとん」と肩を叩く音。ポップで軽やかなイメージがある。子供が親の肩を叩く場面が思い浮かぶ。ところが、濁点がつくとやはり邪悪になる。「どんどん」・・・。
憎しみの情に彩られたサスペンスの香りか、乱暴なジャイギッシュな響きをもたらす。

「とんとん」と「どんどん」は、実際に出てくる音も、まぎれもなく「とんとん」であり、「どんどん」だ。「こんこん」、「ごんごん」「かんかん」、「がんがん」などアレンジは多くあれど、音を言語で表記したものとしての完成度は抜群だ。

失われていく言葉もあるだろう。例えば、「りんりん」と鳴る電話は今ではほとんど存在しない。「トゥルートゥルー」といった音がせいぜいであり、ほとんどはメロと歌と振動となって現れている昨今、必要とされなくなった言葉は失われていくだろう。かわりにどんな言葉が生まれてくるのだろう。

「りんりん」と表記したが、実際は「リンリン」が似合う。洋物の香りがする。「ring ring」、「ring」は「鳴る」という意味がある。電話が日本に伝わったときには、和洋折衷するだけの言語素地が、わが国にあったのだろう。

外来語が日本語の一部となった今の時代、今後ますます和洋折衷の繰り返し言葉も生まれてくるだろう。楽しみがある反面、古来、わが国で育まれて使われてきた繰り返し言葉の中にある言霊のほうを大切にしたいというプライドめいたものもある。

繰り返し言葉は、擬音語は一般的にカタカナ表記することが多い。音よりも状態から日本語の繰り返し言葉の発展がなされ、音を表すことに対しては後発だったのかもしれない。しかし、洋物を加工する感性と、ひらがな自体が持った可能性は世界に対してもっと誇れるべきものである気がする。

言語巡礼、楽しくてたまらない。今更ながらに、こつこつ、つまつまと、よれよれになるまで、えんえんと巡りたい。

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