2008年5月3日土曜日

作文・作文指導は難しい

今日は家庭教師の日。GW明けの提出物で400字の原稿用紙4枚の作文が課せられていて、3分の1の時間を作文指導に使った。

通常の入試作文は180字以上、220字以内なので、文章力のない子でも何とかなる。味も素っ気もない文章でも、減点項目にひっかからないパターン構築をすれば、ほぼ作文は満点取ってくれる。

本来、文章を書くときには、減点される、されないなんかより、あらゆる表現を試してみて、表現幅を広げる作文指導をしたいのだが、受験生の場合は時間的制約でなかなか理想を追い求めてばかりもいられない。だから、GW,夏休みなどの課題での作文は、受験のためだけでない本来の学習指導をするチャンスであり、前向きに取り組んでもらえるように意識を鼓舞している。

今の中学生の文章は20人に1人、「おお~やるやんけ!」という、完全に自分の言葉で気持ちを昇華して書いている子がいるかいないかのレベルだ。全体的に日本語が活用できていない傾向は間違いなくある。

減点はされはしないが、コピーしたようなソウルレスの文章を書く子が、同じく20人に14人くらい。そして、4人くらいは、減点するにしても、どこを減点項目にしてよいのかさえも悩むほどの、えげつない文章を書いてくる。文節同士の関係がひどいのだが、彼らはそれに気付かない。

例えばこんな文章だ。「あなたの夢について書きなさい」なんてタイトルだとする。

「僕は将来の夢は、お金がもうかることでお金をもうけて大きな家を建ち、そこで音楽をずっとやっていくことが僕が今思っている夢です。」

なんて具合だ。大げさではない。むしろ少しましにしたくらいだ。

出だしの主語が「将来の夢は」であるためには、「僕は」は「僕の」にしないといけない。また、主語に対しての述語が複数に転調し、出だしと結びが対応していない文章だ。それ以外にもまだ4つ文法的におかしなミスがある。

文章内容の表現の拙さに、大人の表現技法を伝授していくことが中学時代の国語教育であったと思うのだが、上記のような子どもが5分の1くらいいる現状では、表現がどうのこうのではない。

小学校低学年の時に、文章の中での助詞の使い方や、助動詞の活用などを、理屈抜きの反復対話で身につけてもらう以外に方法がない。

文章の上手い下手、文体、文調の好き嫌い以前に、文章が完成していない状態であり、ピジンジャパニーズというものがあったら、こんな感じだろうというレベルだ。何が原因だろう?家庭における幼少時の会話だけで無意識に、この難解な日本語を習得してこれたであろうものを、それさえも機能しない家庭がたくさんあるのだろう。とはいったものの、言語力低下原因の暫定的な推測は出来るが、もっと根は深そうな問題だ。

さすがに高校生になったら、多くは矯正されていくのだが、それでも、文章レベルも構成力も低い。有名大学に合格した子の小論文指導をした際にも、何だか違和感を抱いた。
主題に対しての、自分の意見、補強具体例、反対意見への言及と再反論、結論といったプロセスが無視されて、ひたすら意見を乱暴に述べて、作文のまま論文を結ぶといったパターンがくり返される。よく受かったなあと思った。

ただ、日常生きていく上で、常に科学的たる必要はないし、ブログなんかで述べるにしても、ただの意見で良いと思うのだが、大学で何をどうやって学ぶのだろうか?とは心配になる。

とはいったものの、俺自身、若い自分に何も学んでいない上に、彼らは彼らで順調に年輪を重ねるのであるから、余計なお世話というものだが・・・。

大学を中退した俺が獲得した、わずか8単位(要卒単位は6)の中に、「道徳教育の概念」といった教職科目があった。これはレポート提出のみで、いっちょあがりの単位だったのだが、俺は友人3人から、1人あたり、2000円でレポートを引き受けた。同じテーマに、自分の分を含めて4パターン書いたのだが、友人3人のレポートはAが1人、Bが2人であり、何とか仕事は果たした。そして、肝心の俺用のレポートはCだった。Aから順に評価が下がり、Dになると単位認定できないのであるから、ぎりぎりセーフだったのだ。なんでやねん! なんか世の中がおかしいと思いだした瞬間だ。

あの時、Aをわが提出分にチョイスしておけば、俺の大学生活ももう少し続いたかもしれない。2000円で単位を買った男の中にチープハンズのメンバーが2人いる。もっと成功報酬をもらっておくべきだった。

大学のレポートでAだろうがCだろうが、単位認定されればそれで良いのだが、冒頭の中学生の作文に見られるような言語レベル低下は、言語を媒介して行う思考力低下にもつながりかねない。

大学全入時代が始まっている。金さえ払えばとりあえずキャンパスライフと、大卒という、印籠にもうんこにもなりうる肩書きを得ることは出来る。言語レベルの発達がないまま大学入学する子も増えるだろう。昔の高校進学者並の数値に近づく可能性もある。そうなると大学という空間は遊園地としての存在だけになるだろう。

何がずれてきたのだろう? 俺ごときが心配したふりをする必要はないが、将来の日本語の行方が少し気になった。

作文指導は難しい。大人の言葉の入れ知恵を極力排して、書くことを通して考えさせる過程に重きをおくと時間がかかる。それでも、しっかり言語力と思考力を育んでほしい一念で指導している。

今の若者が立派に成長し、大人になった暁には、言語を振りまわし、言葉遊びする俺を、言語で諌めてほしい。悪い文章教材見本を増やすため、俺はブログを重ねていく。

作文指導は難しい。作文は難しい。とりあえず毎日書いてみようと思う。

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