2009年7月15日水曜日

7月14日







1789年、パリ市民がバスティーユ牢獄を襲撃した日
1853年、ペリーが浦賀に上陸した日
1977年、日本初の気象衛星「ひまわり」が打ち上げられた日

そんな歴史のある7月14日である。

昨日2009年7月14日、俺たち夫婦の子供、幹太(かんた)が生まれた。
予定日は7月25日であったが、約10日早い誕生だった。

臨月になっても何の気配も無く、「まったく産まれてくる気がしないな~。」と話していた夜から数時間後の早朝、嫁が軽い陣痛と共に破水した。

病院に行き、すぐに本格的な陣痛が始まった。昼休みに病院に様子を見に行った時は、初めて味わう種類の痛みに悶絶する嫁の姿があった。

仕事を早く切り替え、病院に17時半に着く。産婆さんの見立てでは、もう1、2時間くらいだろうという感じだったが、いきんでもいきんでも出てきてくれない。嫁の体力も尽きるのではないかと思った22時前、大きな頭が子宮口から見えた。羊水まみれの我が子の誕生である。

38年間生きてきて、初めて味わうタイプの涙が、前触れ無く溢れた。嫁は子供みたいな声で泣いていた。

「よくやった。」結婚してからというもの、兄弟みたいな夫婦であった。俺は嫁を褒めたこともなければ、世間一般の夫像でもなかった。だが、胎児をお腹に宿してからの嫁は立派であり、完全にママであった。俺はこっそり敬意を表していた。

毎日お腹に向かって話しかけ、見えない息子に向かって読み聞かせていた嫁の姿を見ると、なんとも微笑ましくあると同時に、泣けてきた。

結婚して14年目、なかなか子宝に恵まれないでいた。だからこそ、夫婦で色んな所に行けた。楽しいこともたくさんあった。俺は子供を教える塾稼業について、色んな幸せも味わった。

だが、いつも嫁の心情を慮ると、何ともいえない気分になった。

産婦人科は、喜びとため息が交錯する複雑な場所である。嫁にしてみれば、産婦人科は、ため息の連続であった。産科にはなりえない、婦人科としての役目しかなかった。期待をしては失望の繰り返しであった。

妊娠が発覚してからも、嫁は産婦人科に行くたびに血圧が異常値を示した。良い結果が出なかった過去の経験がもたらす緊張感からであろう。

結婚して数年間は、生理が来るたびに、ほんと悲しそうにしくしくしていたが、徐々に気持ちの切り替えが上手く、早くなり、よくもまあたくましくなったものだと感心していた。それでも、産婦人科は嫁にとって依然、圧のかかる場所であったのだと思う。

初めて昨日、嫁にとって産婦人科は産科となった。弱い腹筋で、下手くそな腹式呼吸でいきんでいる嫁の姿を見ると、産まれてくる息子を嫁のために授からせてあげたいと思った。

昨年秋の待ちに待った妊娠判明時からずっと、溺愛必至の親バカ予備軍の俺がいた。

だが、臨月に入った今月から、俺は子供に対しての感情が思考を超え、なんだか失語に近い感覚になった。

色んな親御さんが、わが子を思う気持ちをいろいろな言葉に載せて語る場面、俺も多く経験した。そして、微笑ましく思った。かわいかった。親子共にまぶしく、清く、癒された。

だが、それと同時に、自分が入れない結界みたいなものも感じ、一抹の寂しさがあり、それは憧憬として消化されるには美しくない感情になったこともあった。

今、不思議と冷静に我が子の誕生を受け止めている。これから病気をすれば心配になるだろうし、毎日ハプニングを運んでくれるだろう。だが、息子の持って生まれた運命に対しては、親といえども無力だ。親の無力さを超えた1人の人間に、毎日傍で接することが出来ることへの感謝があるだけだ。

見る度に泣けるほどかわいい。愛しい。だが、1人の人間としての敬意がわが子にしっかりあり、愛情に溺れるには素面すぎる自覚と自我の目覚めが生まれ、それが俺に安らぎと、感謝の念を強く起こさせる。

嫁と息子、ありがとう。しっかり身体張って、守りたいと思う。

その決意は、パパとしての俺だけにあるのではなく、嫁と息子に負けずに、しっかり人生を太く生きてやる! という、鋼みたいな湧き出る意思、意志に至った。

我が子の名前は、幹太(かんた)と言う。

親の価値観を押し付けることはしない。当然、親として人生の先達としての教育は全力でするが、1人の幹を持った人間から、こちらも学び、共に成長していきたい。

嫁と俺の今日まで抱いた希望と、今までの嫁の味わった苦労は、息子の誕生で全て喜びに昇華された。

親都合の期待はするまい! 1番身近な人間としての期待はする。それはただ、太い幹になって、大地に根ざして、思う存分生きて欲しいという期待だけだ。産まれてくれただけで、十分に孝行はしてもらった。後はしっかり自分のために生きて、根幹を形作っていってほしい。

嫁と息子が退院する19日(日) 俺は初のハコでライブする。1人の人間として、俺もしっかり幹を作り、年輪を形成するのだ。息子に、「パパの生き様を見ろ!」と魂を送るつもりだ。

ほうるもん新曲「年輪」を披露する。

幹太の写真、本人に許可なく、アップする。パパ主導のアップは最初で最後のつもりだ。許せ!

2009年、7月14日、レベルアップ完了。次のステージへ進む。