2009年1月31日土曜日

S君

「24」の後は「ブルース・リー」、今日もドラゴンを見ては、部屋内で模倣して休日を過ごした。

早すぎてわからないほどの早業なので、ゆっくり何度も見直しては、体の動きを真似てみる。蹴りを出すか角度、高さ、研究して「アチョー」とひと蹴り! 

近所からクレームがくるか、通報されそうなのでやめた。今は李さんの超人技を堪能できるようになったのだが、実は、中学時代に見て以来、ずっと、ブルース・リーは避けていた。見るのが胸倉をつかまれるくらい苦しかったのだ。理由は的確に表現できない。

S君という人がいた。

S君とは、小・中・高と同じだった。彼は、運動神経は抜群。頭もよく、性格も面白い。服装面でもおしゃれであり、どちらかというと、日の当たる人生街道を歩みそうなタイプだった。中学校に入ってからもその傾向は変わらなかった。いつも特に目立つタイプではないのだが、誰からも一目置かれていた。

彼は女・男の双子であり、同級生に妹がいた。それと年違いの兄貴がいた。同級生の異性兄弟がいるからだろうか、今から思えば、異性への興味を感じさせない男だった。年違いの兄貴とは仲が悪いみたいで、兄貴への憎しみの情を時々口にしたのだが、その時の彼の眼は怖かった。底知れない苛立ちを秘めていたような気がする。

兄貴への憎しみ、異性への興味の希薄さは感じていたのだが、それ以外は実に面白く、くせのない人で、家にもよく遊びに行った。お母さんがまたいい方で、いつも行くたびに、豪華なお菓子を出してくれ、心地よい気配りと、「また遊びにきてね」と心地よく送迎してくれる。自分のおかんにしたいくらい、優しい人だった。

彼の家でブルース・リーの映像を初めて見た。衝撃だった。なかでもヌンチャク技は、おもちゃのヌンチャクを買って真似していたくらい、のめりこんだ。

彼はヘビメタの音源をたくさん持っていた。俺のヘビメタへの目覚めは親友からの洗脳だったが、S君から、多くの貴重な音源をダビングしてもらった。特にアイアンメイデン、オジー・オズボーンなどの、ブリティッシュメタル系の音源は豊富にあった。当時、映像を見る機会があまりなかったのだが、彼の家で、色んな映像を楽しんだ。とにかくたくさんの影響を彼からいただいた。

高校も同じ学校に進学した。クラスが違ったので、中学時代のような交流はなかったのだが、昔と変わらぬ、友人として何1つ不満のない人だった。彼自身の性格も、中学時代と同じように思っていた。

彼が高校を中退したのは突然だった。誰にも相談することもなく、彼の友人は俺も含めて、その真意すらわからず、何か神隠しにあったかのような存在として彼をとらえていた。実感もわかないほど突然に、見事に彼は俺たちの前から気配を消した。

中退してしばらく経った頃、俺と親友は、彼の家を訪ねた。彼は家にいた。お母さんの話では、ほとんど部屋にこもりっきりだという。でも、人を避けているわけではなさそうだし、ぜひまた遊びに来て欲しいとのことだった。お母さんの俺たちに対する目は懇願調だった。

久々に会うS君であったが、何が変わったというわけでもない。いつもと同じように音楽の話、くだらない話をした。高校を辞めた理由に関しても、俺は特別な意識もなく聞き、彼もためらいなく答えてくれた。

「技を磨きたい。すごいことをしたい。そのためには時間がない。学校行く時間がもったいない。」とシンプルに答える彼がいた。そして彼の部屋には、無数の格闘技の通信教材、書籍、そしてヌンチャクがあった。

俺と親友は、S君が抱いている壮大な夢に対して、なんともいえない気持ち悪さを感じた。普通なら、同世代の友人が、何か1つのことに向けて覚悟を決めている姿は、憧れにはなっても蔑みにはならないのだが、何か、S君の言葉、表情に、人間性を失った夢遊の影を感じ取ったのだと、今にして思う。

俺と親友は帰り道、「なんかちがったな~。 たまらんな~。」とだけS君に対しての感想を交換し、それ以降、あまり会話にも出てこなくなった。当然、家にも行かなくなった。

21歳の時だった。最後に彼と会った時から4年が経過していた。偶然に、枚方駅前のコンタクトレンズセンターで、彼とばったり会った。

彼も俺に気付き、「久しぶりやん。」と気さくに話しかけてくる。瞬間的には昔と変わらない口調だった。

だが、彼は実に醜くなっていた。おしゃれだった彼が、見るのも辛くなるような、もっさい服装をしていて、表情に魂を感じなかった。

帰りのバスで色々近況を教えてもらったのだが、「手首を傷めて格闘技のマスターに息詰まった。俺には時間がない。動体視力のことを考えてコンタクトの調整に来た。 世の中くだらない。俺は手にしたいものがあって、それに向けて励んでいるところだ。」とハイテンションで話した。仕事は「したくても出来る状況ではない。そんなことをしている場合ではない。ヌンチャクを手に修練することがたくさんで、それどころではない。」とも言っていた。

彼は一方的に話し、俺の近況や、昔の共通の友人には興味が無さそうだった。明らかに違う世界、多分それは夢の世界に生きている人に思えた。浮遊した目、座りの悪い目の表情を今でもはっきり覚えている。

すごく自己嫌悪することなのだが、俺はその時、彼を狂っていると思った。そして、一緒にいることがすごく恥ずかしかった。同じバスで、彼と話している俺に対する乗客の視線を受けることが、たまらなく恥ずかしく、迷惑だった。

ブルース・リーの表情を見ると、いつも頭に浮かぶS君・・・、だいぶ年月を経て、こうして記せるくらい消化できてきたのだが、ずっと目を逸らしていた思い出だった。理由はわからない。

彼が、ヌンチャクを持って手にしたかった世界とはなんだったのだろうか?

1人1人はいいのだけれど・・・

俺の結婚式のことである。新郎側の友人列席には、身だしなみも個性も様々な兵が並んだ。なかでも、インド帰りの、大阪のカレーの名店「もりやま屋」のご主人は、風貌からして実にスパイシーだった。インド帰りの修行僧だった。

「ナマステ~~~」と久々の対面に慶ぶ俺への挨拶も、実にスパイシーだった。俺の大学時代の先輩である。俺の尊敬するロッキン体現者である。

「もりやま屋」」ご主人を初め、俺の最愛の心ある友人列席のメンツを見て、俺の親戚は、戸惑っていたようだ。そんな戸惑いの雰囲気を見て、おかんが親戚連中に言った。「みんな1人1人はいい人なんだけどね~、固まると種々の反応も起こるわね~~。」っと・・。

話は変わる。

昨日の施政方針演説に対する代表質問を見て、民主党のしょぼさと情けなさを感じた人は多いと思う。先日のブログで豪腕小沢!と選挙対策的な側面で、豪腕を認めたが、やはりしょぼい。この政党、ジャンクやわ。

代表質問という、政策に対する議論をする場に、田中のおばちゃんを投入するあたりの戦略自体が、まったくもってずれていて、自民党も自民党だが、彼らを批判する民主党にも、ほんとがっかりだった。

なんかね~、プロレス見ているほうが、もっと高尚に面白い気がするのだ。

田中のおばちゃんの毒舌は、最初メディアデビューした当時は新鮮に感じた。俺が政治を身近に感じ始めたのも、このおばちゃんのおかげだ。実際、デビュー当時は、言うことももっともであって、なかなか的を射たするどい発言をしていたと思う。

でも、もうみんなわかるやろ~~~。昨日のは・・・。国政の場での発言とは思えない幼稚さで、政策論争でも何でもなく、単なる安っぽい毒舌公開悪口にしか思えない。

麻生さんをかばう気はないが、あれにまともに答弁は、大人である限りしたくないな~と思う。

麻生さんもこう言えばよかったのだ。

「え~っと、スーツがどうのこうの言っておられますが、悪口なら、この後いくらでも聞きますので・・・。少なくともこの場は、政策に対するそちらの意見を聞きたくて臨んでおりますので、そっちのほうの意見はどうなんでしょうか。バラエティーな場とは、私、国政議論の場を認識しておりませんので、すみませんが、日を改めてどうかよろしくお願いします。」と。

民主党が無所属の田中おばちゃんを、大事な政策論争の場で、統一会派として送り込むという戦略に、決めた執行部も執行部だが、反対できない党内の何かがあるのであれば、有能で有志な若手議員も、こんな政党にいたら駄目だわ・・・。

茶番にもなれない。見てはいけないものを見てしまったような、寒気を感じた。

大企業の中間決算が出揃いだした日で、世間は不景気ムード真っ盛りである。過去ブログでも触れたが、不景気自体を俺は感じないし、不景気ムードは、大企業と政府主導の責任放棄のプロパガンダ的側面もあると思う(これは又噛み付きたい)。

市井の人が不景気感に晒されているという一般的な構図の中で、政府の政策議論の場が、もともとデキレースとして台本が出来ているのに、つまり推敲の機会はあるというのに、こうも幼稚だと、笑うしかない。すごい国だ・・・。

すごい国というのはもちろん皮肉だ。でも個々は捨てたものではない。

鳩山邦夫総務相の「かんぽ」売却に対する発言は、当たり前の意見といえば意見だが、当たり前のことを言えることもあるのだ??と、この発言だけは、まともに感じた。

「みんな1人1人はいい人なんだけどね~・・・。」この発言が、福音に感じた今日であった。

2009年1月29日木曜日

生々しい目

昨日は、緑内障術後の定期検診に行ってきた。本格的な視野検査をして、視野の欠損が進んでいないかをチェックした。

幸いに、現時点で欠損は見られず、手術前に欠損していた視野(右が左の7割くらい)を維持できていたようだ。

眼圧はだいたい15~18ぐらいを推移していて、一般的な正常値範囲内であるので、初見上は問題ないのだが、正常眼圧内緑内障というのもあるので、俺にとっての眼圧正常値がいくつであるかを測った。

眼圧は、1日の間で色々変化し、緊張、ストレス、食前食後、運動後など、色んな要素で変化する。その触れ幅をデータ採取して、俺にとっての正常値の範囲内を決めるための検査だ。

長い拘束時間、定期的に測る眼圧。眼圧測定も、一般的な機械の、風がプシュッと吹きつけられるやつだけでなく、医師による眼球に測定器を直接あてる検査もされる。

やっぱ、目の手術時の恐怖感は一生癒えないのだろうか、目に向かって何かが近づいてくるだけで、異常な恐怖感があった。

へたれな俺の恐怖感はこれだけでなく、「眼科」という文字、病室の匂い、建物、器具なんかを見ただけで、ぶるぶる震える何かが感情に湧いてくる。おまけに、「緑内障」の字面はもちろん、「緑」という文字も色も嫌いになった。名前が似ている「白内障」の字面も、十分に俺に恐怖をわかせてくれる。

今、俺が口げんかをしたとして、相手がいくら小学生でも、「目に針さすぞ!」とか、「や~い緑内障おやじ~」と言われたら、俺は、瀕死の獣が相手に牙を向くかのような発狂をかますだろうと思う。

情けないがそれくらい怖いのである。

幸いにして、今のところまだ再発症はしていないが、定期検診などで眼圧に向き合う度に、めったなことではストレスを感じない俺も、かなり消耗する。

考えてみれば、人間の体の中で、唯一、「生」が露出しているのが「目」である。全身は皮膚がカバーしてくれていて、「生」部分は包まれているが、眼球だけは、実に「生」である。それがなぜに無事であるのか、不思議でならない。町中の埃やごみを目に受けながら、我々は暮らしているのだ。

例えは悪いが、包茎野郎が初めて、男根をムキ実した日に、それを露出して街を歩いているようなものである。俺も経験があるが(露出ではない)、自分でムキ実をこしらえた翌日に、野球部でヘッド・スライディングした時の、この世のものとは思えない激痛を思い出した。 晒して歩こうものならば、即日、体に支障をきたすだろう。

例えが未完成な上、おげれつなので戻る。

目にゴミが入ったら痛いが、毎日大量の埃をくらっているわりには、それら1つ1つに対して痛くは感じない。目にある水分が、「生」の鮮度を落とさないために涙となり、埃を外に排出する。流れきらない場合は、目やにとして、目周りのゴミ収集場に集められる。
神様の設計は完璧だ。

朝青龍関のような、モンゴルの人の目が細いのは、遊牧民族として、かなりの砂埃を日常的にくらう環境に生まれたからだろう。先天的にも、後天的にも生身の「生」目を守る仕掛けが自然にされていることを、改めて素晴らしいと思った。

目が見えていること、そして、目が毎日の営みを続けてくれていること、その幸せを感じる機会としてとらえれば、定期検診も意味のあるものなのだが、診察室にある機器は、オペルームでの恐怖感を蘇らせてくれるに十分な、生々しさである。

「生」目で見る、眼科病棟の「生々しさ」、それを生ある恵まれた身で感じて、そこに教訓を見出すには、俺はまだまだ、生ぬるいのかもしれない。

2009年1月27日火曜日

豪腕の遺憾な真骨頂!

豪腕小沢氏の真骨頂を、わが居住区で見た気がするニュースがあった。

激戦のわが住む選挙区の民主党公認候補選定に際して、地元テレビ、ラジオで知名度のあるアナウンサーに出馬要請し、快諾させたというニュースだ。

自民党の候補者自体の調整が混乱を極め、現職・新人が裏で調整という名のせめぎあいをしている中での、小沢爆弾。破壊度はかなりあると思う。

現職の自民党議員は別にいいとして、自民党内で新規出馬を働きかけられているのが、我が住む町の現市長だ。市長ご自身は、まだ出馬に対する意思表明をしておらず、たぶん、本人は意欲的でもないと思う。ただ、あまりに優秀な方なので、周囲がほっておかない方だ。

俺はこの市長が好きであり、市民からの支持も概ね厚いと思う。キャリアは申し分なく、そのキャリアと同時に人間性も素晴らしいように思える。たまたまプライベートな姿を見かける機会があったのだが、とにかく腰が低い。別の接点もあったのだが、とにかく人格者だと思う。正直、この方が国政に出るのは、国にとっては大きなプラスだと思う反面、我が住む市の舵取りにずっと終身で携わって頂きたいという気持ちもあって複雑な心境だった。

もし、自民党の公認調整が、現市長で決まったならば、俺は支持を決めていた。現職の議員さんやもう1人の人に興味がないくらい、支持者選びは簡単だった。個人的な、現市長が所属することになる自民党支持であるだけでなく、おそらく、我が住む市の支持も集め、当選されると思っていた。

そんな状況下での小沢爆弾。爆弾者(失礼)のキャリアは、地元密着AMラジオの重鎮であり、知名度はローカルではあるが高い。

ラジオ・パーソナリティーという性質上、人柄を長期に渡ってアピールすることが出来、長年にわたり地方局とはいえ、看板ラジオ番組を持たれてきたのだから、支持者も多いだろう。

俺自身も、そのラジオ番組をよく聞いた。非常にあらゆることに精通しておられる方で、見識者である。その割にルックスに愛嬌があり、あらゆる世代から敵に回されにくい人だと思う。体制迎合でも否定でもなく、バランスを持った上で、ある意味、「もの言う」司会者だったと思う。

ただ、どうしても好きになれない部分があった。この方、音楽への愛情と含蓄をことあるごとにアピールされる(実際、音楽番組をラジオで担当していたこともあったらしい)のだが、その音楽評が、ことごとくずれているように感じていた。

典型的なロック耳が備わっていない方の音楽評論であり、そのくせして、ロックというもののすえ方に彼なりの薀蓄をもって語るものだから、うざくて仕方がなかった。それっぽいことを言うのだが、ロック感の本質が、少なくとも俺とは違っていた(偉そうな意見だが、ロッキンバンドマンなら俺と同じ感想を持つと思う)。どちらが正しいとかではないが、音楽を実際にやらない外野の意見の典型に思えて仕方ないことがあった。

ただ、全体として見た場合、国政に地方の意見を上げるための人材としては、適任だと思わざるを得ない力量を持った方だと思う。

本当に、民主党というか、小沢氏は、よくもまあ、彼に白羽の矢を立てたものだと感心する。地方都市の絶好の人材を見抜くという点では秀でていると思う。だてに選挙戦線を生き抜いてきた人ではないなと思った。

選挙に勝てる人材を発掘(とはいったものの、ただ、アナウンサー系統に照準を絞るのが得意なだけかもしれないが)する技量、それも、自民党内での候補者選びが難航しているところにめがけて、爆弾をロックオンするしたたかさは、郵政選挙の際の自民党の刺客戦略とは、スケールが違う技量を感じた。

俺自身は、現市長が立候補されたら、支持する姿勢に変わりはないが、1番気になるのが、この方の居住区が、我が住む市、つまり現市長と同じ居住区ということだ。票が割れてしまうのが残念でならない。

自民党は現市長、民主党は地元密着DJとなれば、激戦必至だ。

このニュースを見ていろいろ考えた結果、思うことはといえば、結局、誰に投票するかを決める時の基準は、政党ではなく、個人に主眼を置く人が多いのではないかということだ。
最初に支持政党ありき!の人は、今の時代、思ったよりも少ない気がする。そして、俺みたいな、政党へのこだわりがない大衆が浮動票を形成する。

そういう意味で、知名度があって、大衆への認知度が高い候補者選定をする、豪腕小沢の真骨頂を見た気がする。嫌いだけど・・・・。

俺は個人に投票する。爆弾自体が投下された後の動きに意味があるのであって、爆弾投下者自体に大した評価も意味もないというのが持論だが、より効果的な爆弾を作り、投下場所を探す政治の力は、大衆心理操作ゲームとして見れば、1ギャラリーとしては娯楽性があると思った。まことに遺憾ではありますが・・・。

2009年1月26日月曜日

湯治場への思い

積雪があり、ちらほら雪が舞う今のような時期、ひなびた温泉宿でゆっくり湯浴みしたいと思う人は多いだろう。外気が冷たい中、ぬるめのお湯で半身浴する時の気持ちよさは何ものにも代え難い喜びがある。

「湯治」という言葉がある。温泉に入って万病を治療することを意味するが、この「湯治」にぴったりな湯治場となり得る泉質を持った温泉と、それがある佇まいが好きだ。まだ西洋医学が発達していないころ、人々が万病治療を、近場のいで湯に求めた気持ちの尊さが、何ともいえない雰囲気をかもし出している。そんな場所におでかけするのが好きだ。

今でこそ多くなった温泉施設であるが、数は多くあれど、なかなかこの「湯治場」は少ない。まず、湯治という性質上、長期滞在が必要になるが、そういった人が自炊できるスペースと、素泊まりとしての廉価な価格設定を備えた宿は、数少なくなってきている。商業ベースで考えると、決して割りのいい商いではないからだ。

一昨年春に嫁と2泊3日で行った、四万温泉と万座温泉には、昔ながらの湯治場情緒があったが、それでも、完全に湯治客だけが来る場所ではなく、家族連れ、カップル、慰安旅行、スキー客でにぎわう、レジャーの拠点となる、温泉旅館であった。

今、別に湯治を必要とする持病があるわけではないのだが、温泉以外は何もない湯治場で、ゆっくりと長期滞在をするのが、老後の夢であったりする。

こんな俺の湯治への憧れであるが、昔からそうだったわけではない。むしろ、湯治場に対して、恐山に似た恐怖や、湯治客の外見(失礼であるが)に対してのトラウマがあるくらいだ。

小学校4年の夏休み、俺は九州の婆さん家に預けられたことがある。兄弟の中で俺1人が九州送りとなった理由は、今もってわからないのだが、表向きは、アトピー治療で温泉に行かせる理由だったように記憶している。

当時、俺は少年野球チームに入っていて、Aチーム(6年生中心の1軍)とBチーム(低学年から5年までの2軍)との間のランクにあった、ジュニアAチームのキャプテンを務めていた。そのキャプテンが、夏休みを丸々休むことになったものだから、周囲からは色々と言われた。

「温泉治療って、じじいみたいやな~。」とか、「あいつ、ひ弱や~しょんべんたれや~。」とか、「キャプテン失格、病弱はいらん。」とか、上級生からむちゃくちゃ嫌味を言われた記憶がある。

種々の雑音をどのようにしてシャット・アウトしたのか、記憶は定かではないのだが、とにかく、夏休み40日間のほぼ全てを俺は九州で過ごすことになった。

遊び盛りの小学生が、田舎の観光名所になるようなところで過ごすわけだから、退屈で仕方がない。毎日、家の前の川で泳いだり、釣りをしたり、田舎ならではの変な時間設定に組まれているプロレスを見たり、それくらいしか楽しみがない。

当時ですでに高齢化が進みまくっていた村であり、近所のばあさんたちと、毎日近くの温泉に行ったのだが、ばりばり混浴だった。

だら~~とへちまみたいに垂れた乳と、ばあさん独特のスメルをかぎながら、明かりもない一軒の村営無料浴場に連れていかれる。帰りには、日替わりで村のどこかの家に連れていかれ、老人達の寵愛を一身に受ける日々・・・。窒息しそうだった。

夏休みの真ん中ぐらいだったが、ばあさんは俺を本格的な湯治場へいざなった。全国的な温泉地として有名な湯布院から、1日1往復しかないバスで、高原の頂目指してバスは進む。1時間ぐらい揺られてたどり着いた空き地に降ろされて、そこから少し歩くと、木造長屋が数棟並んだ湯治場に出る。名前を覚えていないのだが、「つかわらのお湯」という言葉を婆さんから呪文のように、よく聞いた記憶がある。

6畳の個室がいくつも薄い壁で仕切られている休憩室に入り、入浴準備をして、湯治場内を歩く。数種類のお湯があって、温度差がそれぞれに設けられている。最初に入った湯には、昔で言うライ病であろうか、見るも気の毒な姿の人が、お湯に入って何か瞑想していた。湯煙の中で見た彼を、俺は不謹慎だが、すごく怖く感じた。

一緒に湯船に浸かり、彼と話をしたら、遠く島根から、湯の効力を信じて来られていて、2ヶ月くらい滞在しているらしい。すごくいい人で、彼は湯上り後もジュースやお菓子をくれた。彼の親切さはわかるのだが、俺は彼からもらったお菓子を食べずに、帰りのバス停留所に捨ててしまった。今でも心が痛む記憶である。

さらに奥の湯船に行くと、そこは、地獄絵図のような感じだった。へちま乳の婆さんだらけだったのだが、湯船に浸かっている人たちの、恍惚感を突き抜けた、何だか魂を抜かれたかのような映像が俺の目に飛び込んできた。黄桜の河童がいっぱいいるかのような、変な恐怖感があった。厳かで、見てはならないものを見てしまったかのような、つげ義春さんの劇画のような怖さがあった。

孫を湯治場にいざなって、満足気味の婆さんとは対照的に、俺は不満と恐怖の極みだった。合計4日間、日帰りながらも連れてこられたのだが、2回目以降、バスを降りて湯治場へ入った時の恐怖感は、その後しばらく、極度のトラウマとなって消えないでいた。

このように、湯治場に対しては、まったくもって忌み嫌う体験があるにも関わらず、大人になった今、湯治場に魅せられるのは、なぜだかわからないのだが、不思議な磁力に引き寄せられるように、じじばばだらけの湯治場に、磁場を感じてしまう。

世間から隔離されたかのような湯治場で、身に背負った病の治癒を、いで湯に求める人たちの気持ちを、俺は忌み嫌ってしまった。そのことに対する、後ろめたさと懺悔心が、俺を湯治場に駆り立てるのかもしれない。

でも今、湯治場に行くとして、俺は何を治すのだろう。せいぜい、「闘痔」くらいであろう。

だが、滔滔と流れる泉は、俺の蕩児時代の後ろめたさを癒してくれそうな気がする。「闘痔」がてらに出かけてみたら、当時のトラウマに悼辞できそうな気がする。

錆の美学

朝青龍の優勝、朝やんファンとしては、最高に嬉しい。本割で決めずに、優勝決定戦で決めるあたりも、実に劇的で、気持ちの強さが体調を補える朝関の真骨頂である。

皮肉にも、白鵬関が言った、「メイクミラクル」は、朝青龍をひきたてる言葉になってしまった。すごい精神力だと思う。

白鵬関を軽く見る気はないし、朝青龍不在の間、優等生横綱として角界を守った彼の功績は大きいと思う。

でも、生まれ持った星というか、それぞれに与えられた役の差というか、朝青龍のすごさとくらべると、白鵬関はまだ、色んな意味で並みの横綱だと思う。

「出る杭は打たれる」から、「出まくった杭は打たれない」の過程にある朝関は、本当の意味で名横綱だと思う。彼を叩くだけ叩いていた人が、これからどのように手を返して賛辞を送るか見ものだ。

まず最初は、あえて苦言を呈したりして、方向転換をしていくのだろうが、朝関の精神的な強さを持った日本人がいったい何人いるかと考えた場合、外国人力士がこれだけ国技に入ってきた現在、角界界隈の評論家も、国技という十字架に縛られたレッテルを剥がして、色んな性格的多様性と、それぞれの品格の表し方を認めてあげるべき時期に来ていると思う。朝関、素晴らしい相撲をありがとうございました。

朝関の復活Vに沸いて、少し隠れ気味だが、魁皇関の「歴代ワースト12度目のカド番脱出」も、敬服したくなる戦跡だ。

カート・コバーンが「錆びるくらいなら燃え尽きるほうがましだ。」という、ニール・ヤングの言葉を残して自殺したが、この言葉はロックである。しかし、俺自身は、「錆びきっているかもしれないが、それでも突き進む。生き恥をも辞さない」という精神もロックだと思う。

こんな俺の不様に見える美学を、角界で体現してくれたのが魁皇関だ。どう考えても怪我で万全な取り組みを出来るはずもないのに、未だに取り続けるしぶとさ、その姿勢と眼と、多くのテーピングに涙をそそられた。

「錆びきっているかもしれないが、それでも突き進む。生き恥をも辞さない」という美学の理由を、「ただ単に好きだから」という初期衝動に貫かれた姿勢で邁進し続けるのが、ボクシング界の辰吉選手だ。

もう、好きで好きでたまらない。男として本気で惚れるのは、清原選手、イチロー選手、桑田選手に次いで彼だ。

不良がかっこ良かった時代の晩年に生きて、過去のどんな不良よりもかっこよかった辰吉選手は、同年齢であるが、見ていてこれまた敬服してしまう。

マスコミの注目度は低かったが、昨年の辰吉再起戦、5年ぶりにも関わらず、2R、TKOで飾った。網膜剥離に対しての日本のルールが復帰を認めないから海外でやる。その理由は「ボクシングが好きだから、4つ目のベルトを取りたいから」

なんて単純で分かりやすくて美しい動機だろう!いい意味で、自己中心的になれる男の美学がここにはある。マンガでも、ここまで美しくは描けないと思う。

それを評論家は、今のパンチは全盛期と比べてどうのこうの・・・とこねくりまわす。
もう、そんなレベルを超えた世界で生きている人たちに対して、吐ける言葉ではないと思う。

「やる気があればなんでもできる」とか、「最後はやっぱ気合だ」とか、精神論的な言葉は、時に安っぽく聞こえる。俺は嫌いだ。

だが、この安っぽい言葉を、文句なしに吐ける資格を持って、そして体現できる人たちが、わずかであるが存在する。そんな彼らはロッキンである。

早逝したロッキンな先達も好きだが、今なお錆を美しく輝かしてロッキンしている音楽人も好きだ。

スポーツを見る楽しみは娯楽的な要素もあれば、技量のすごさを堪能する要素もある。でも俺が惹かれる要素は、錆の美学を体現してくれるロッキンなアスリートを見て、尋常でない刺激と興奮をいただくところにある。

朝関の錆の美学に魅せられた日だった。

2009年1月24日土曜日

DeAGOSTINI

時代劇への興味はずっとあったのだが、これだけ、録画映像、DVD環境が整っている今、時代劇漬けの日々は、老後にとっておこうと思っていた。

晴耕雨読の日々に、「雨鑑」の日々をバリエーションとして加えようと思っていた。

大河ドラマもまともに見たのは記憶にない。幼少時に、親が見ているから、つられて見ていた程度で、まったく記憶映像がない。当然、有名どころのストーリーにかんしても浅薄な知識しか持たない。

ところが、CM宣伝で、かねてから興味を惹かれていた、「DeAGOSTINI」から、「時代劇DVDコレクション」が出されていて、本屋のレジ前に陳列されているものだから、先週、衝動買いでつまんでしまった。

価格は990円であり、第1回目は「赤穂浪士」が収録されている。恥ずかしながら、「赤穂浪士」のストーリーも、たいして理解していないので、歴史の勉強を兼ねて、老後には早いがフライングしようと思った。

隔週発売であり、毎回購入して、専用ラックも購入して、時代劇ライブラリを作ろうと思っていたのだが、早くも第2弾で挫折した。「宮本武蔵」であったのだが、1890円になっていた。

よく見れば、俺が買ったのは、シリーズ創刊号で特別定価であったのだ。2ヶ月に1回の1890円ぐらい、けちらなければいいものを、映像よりCD購入資金を優先する俺は、輸入版が1枚買える価格に戸惑い、未だ購入を迷っている。

それにしても、この「DeAGOSTINI」、かなり好奇心のツボを刺激するラインナップを組んでくれる。すごい会社だと思う。以前から本屋レジ前で、かなりの興味を示していたのだが、最初は、スポット商品くらいに思っていた。だが、毎回違ったシリーズが店頭に並ぶ上に、CMでも見かけるようになった。俺のツボは、ズキズキ、キュンキュンと刺激されまくっていた。

「隔週刊 地下の鉱物コレクション」や、「週刊 蒸気機関車C62を作る」やら、「週刊天体模型太陽系を作る」やら、とにかく、興味、関心の隙間のツボを突いてくる。

配達システムはなくなったみたいだが、今でもあるのだろう、学研の「学習」「科学」シリーズを幼少時に与えられた時のような、わくわく感を与えてくれる。付録が魅力的だ。

昔、俺の家は「学習」「科学」両方を与えてくれるだけの経済力になかったのか、どちらかだけにされていた。だから、俺は次号の付録予定を見て、頻繁に「学習」「科学」を変更していた。

幼少時に欲しくて手に入らなかった時の、満たされない気持ちを、大人になっても持つ人は多いのだろう。

音楽においても、昔買えなかった名盤を、大人になってから買うケースは多い。テープなどで音源は持っているのだが、なぜか買いたくなる。単なる物欲とも違う欲求がそこにはある。

こういった、俺みたいな大人相手に購入欲を煽ることが、これからの商売にとっては大切なのかもしれない。あくまで隙間産業の隙間商品だが、名盤の紙ジャケシリーズなんかも、上手く、俺みたいな大人を刺激してくれる。

「DeAGOSTINI」シリーズは見事だ。俺自身、「地下の鉱物」に興味があるわけでもなけれれば、「蒸気機関車」を作ってみたいわけでもない。でも、買いたくなる何かが、「DeAGOSTINI」ラインナップにはある。

気になって、「DeAGOSTINI」を調べてみた。会社沿革を見ると、1901年に、ローマで、ディアゴスティニさんが、地理年表みたいなものを発表したところから始まる会社らしい。1988年に日本に販社を設けて、日本向けの企画も初め、今の社名に至るみたいだ。

1988年といったら、俺がちょうど高校を卒業する頃だ。「DeAGOSTINI」は、ちょうど俺くらいの奴の興味、関心、欲求というものを、優れたマーケティングと感性で捉えて、拡大を続けてきた会社のようだ。

素晴らしい会社が企画したり、版権を得たりしている商品だから、色々辿りたいのだが、何でもかんでも買っていたら、イタリア人の思うツボだ。

当分、贔屓にしながら、十分に吟味して、優れた隙間商品と出会っていきたいと思う。そして、俺自身の時代劇に、スパイスとなってくれればいいと思う。

マンガ感

長いことしていなかったヤフオクだったが、職場の同僚が、「北斗の拳」と「蒼天の拳」のそれぞれ全巻セットを落札したいということで、代理落札してあげた。

「蒼天の拳」は知らなかったのだが、「北斗の拳」は、ばりばり世代である。俺が中学の頃だが、毎週の話題が、「北斗の拳」の新しい物語についてだったのを覚えている。ちょうど初連載されだした時だ。

「ひでぶ~」やら「あべし~」やら、言葉は正確でないかもしれないが、雑魚キャラが死ぬ時のセリフと、「お前はもう死んでいる」が、通学途中の話題を独占していた。

「少年ジャンプ」が俺の中学時代は全盛で、毎週月曜日だったと記憶しているが、170円か180円の財力がある奴が購入した雑誌を、回し読みする光景がよく見られた。「少年マガジン」、「少年サンデー」も含めて、毎週購入できる奴の財力がとにかくうらやましかった。

俺自身もマンガの回し読みの恩恵は受けたのだが、正直、「北斗の拳」に夢中になれるみんなの気持ちがわからなかった。「こち亀」だけを読んで、後は流し読み程度、ストーリーを理解する程度には読んだが、毎週自らの小遣いをはたいてまで買いたいとは思わなかった。

マンガというものに入り込める素地が当時から俺にはなかったのだろう。俺にとっては、マンガにのめりこめないこと、マンガを購入する財力をもたないこと、合わせてコンプレックスになっていた気がする。

親友は、ばりばりのマンガ通だった。「リングにかけろ」、「風魔の小次郎」やら、車田正美氏の作品を熱心に勧めてもらったものだ。ブーメラン・フックやら、種々の必殺技を実技で教えてもらったこともある。かけられた技は痛かった。他人にかけろ!

それでも「リングにかけろ」の面白さがわからない。ジャンプで読むのもつまらなければ、単行本で読むのもつまらなかった。

ただ、マンガを何か持っていないと、友人との貸し借りのバランスが取れない。仕方無しに、数冊購入してはみたものの、俺のチョイスするマンガセンスが、友人たちとは相容れなかったのか、交換対象とはなかなかならなかった。よって、流行のマンガが俺のところに回ってくる順番は後回しになり、回ってきた時には、その話題は次へと展開しているという、時代遅れ感の寂しさをよく抱いていた記憶がある。

バッドチョイスの不人気マンガが何だったのか、タイトル自体もはっきりとは覚えていないのだが、爽やか青春モノであったと思う。メジャーでもなければ、こだわりもないマンガだった。

そのうち、マンガを読もうという動機もなくなり、高校時代終了まで、全くといっていいほど、マンガを読まなかった。

だから、「Drスランプ」も、「ドラゴンボール」も、「ハイスクール奇面組」も全く知らない。 近所のおじさんが持っていた「釣りキチ三平」と「キャプテン」「プレー・ボール」だけしか読んだ記憶がない。

大学に入った後も、この傾向は変わらなかったのだが、たまたま入った散髪屋に「ゴルゴ13」があって、それを読んでいくうちに、マンガも良いと思えるようになった。その後、マンガを読む目的で、その散髪屋に混雑時を見計らってでかけていった。「プロレススーパースター列伝」、「空手バカ一代」、「包丁人味平」と、過去の作品を辿って読破した。

大人になってから、これまた、たまたま入った喫茶店にあった「明日のジョー」を見て、強烈な衝撃を受けた。マンガで興奮したのは、後にも先にもこれだけだ。

その後、つげ義春さんの世界、手塚治虫さんの世界にも触れ、ようやくマンガを肯定できる今に至るのだが、小・中・高とその良さがわからなかった。

「ゴルゴ13」からマンガに目覚めた俺であるが、マンガに対する俺の印象が変わっただけではないと思う。俺がはまったマンガは、全て漫画であり、劇画ばかりである。抽象的な絵や、超自然現象には、未だに馴染めておらず、完読した上記の漫画は、全て実写可能な世界だけだった。キャラクターグッズが出るようなタイプのマンガは入り込めなかった。

俺の絵が、懲役ものの技量であるのは、きっと思春期にキャラクターにはまらず生きてきたからだろうと思う。全て、劇画の中の、限りなく現実に近い話にだけ、その世界についていって入り込めた気がする。

「北斗の拳」は今の若い世代の間でも人気がある。根強いマンガであり、時代を超えた魅力を何か持っているのだろうと思うが、俺にはわからない。
マンガ嫌いを肯定するわけではないが、俺が未だに「北斗の拳」なんかを好きになれないのは、これらのマンガが、現実にはありえない話だからだと思う。実に冷めた見方なのかもしれないが、現実世界に起こりうることを面白く描くことより、超現実な世界でストーリーを作るほうが楽だと思う。

考えてみれば、いつの時代からか、ヒットマンガはほとんどが、超現実の世界のものとなっていってしまっていると思う。

超現実の世界に入れない俺は、芸術性が薄いというか、想像力が足りないのだと思うが、現実世界を描いたマンガの名作が、今後出てきて欲しいと思う。

拳は、格闘技で十分であり、北斗も南斗も断末魔の叫びもいらない。俺は現実的なシュール感を好む。

2009年1月23日金曜日

書棚巡り記

昨年末から、色んな方から図書カードをもらう機会が多く、非常に恵まれている。

昨日の休みも進路相談の合間に、恒例の書店巡りをした。図書カードが手元にあると、よく吟味をせずに文庫本を購入する浪費癖が顔をだすので、慎重に慎重に、立ち読みで済みそうな本は、得意の速読でこなしている。

俺の文庫棚巡りはいつも、幻冬舎文庫→幻冬舎アウトロー文庫→光文社文庫→小学館文庫といったところから始める。立ち読み出来る対象の本が多いからだ。立ち読みで足りるというのではない、扱うトピックに対する俺の造詣が深いから、新刊から話題を拾うのは、一からの吸収でない分、立ち読みに適しているのだ。

『六十七番と呼ばれて』太田あき(幻冬舎アウトロー文庫)・・・女性議員秘書の拘置所日記である。拘置所もの、刑務所ものは結構読んだが、これは結構面白かった。完全なる体験記であり、プロの文筆家のようなレトリックがなされていない分、リアルであり、いつか買いたいくらいであった。

『捌き屋Ⅲ』浜田文人(幻冬舎文庫)・・・この手のトピックは、黒川博之氏で読んでいて、筆致では黒川氏のほうが好きなのだが、個人的な趣味として読まずにはおれない作品である。これは後日買うことになるだろう。

『パチンコ30兆円の闇』溝口敦(小学館文庫)・・・宝島的なトピックであり、少し飽食気味なのであるが、作者が溝口氏、読まずにはおれない。既に知っている知識がほとんであり、読み進めるのは早かった。流し読みだ。個人的には、溝口氏はもうドキュメントを卒業して、ピカレスク小説、暗黒小説(このカテゴリー名嫌い)をもっと書いて欲しいと思っている。「~帝王」シリーズが、文体は下手くそ(偉そうですみません)だったが、面白かっただけに、余計そう思う。それにしても、この人の嗅覚のツボと、取材技量、人脈には敬服せざるを得ない。

この後『文藝春秋』系を立ち読みして、再度文庫棚に戻る。

お江戸の盟友が最近よく読んでいる浅田次郎氏の著作を色々物色する。浅田ワールドといっても色々あって、ピカレスク、時代小説、大衆小説・・・、一般的に言われる「泣かせ」よりも、俺は、浅田氏が連ねるセリフに粋さを感じる。泣きたくないから、あまり感動物は読まないのだが、光文社文庫から「きんぴか」3部作が出ていて、チラ見しただけで、セリフが良いので3部まとめ買いした。

文春文庫の新刊は充実していた。『脳のなかの文学』茂木健一郎・・・「クオリア」という、まだ俺が消化できない概念についての文学論らしいので、しっかり読みたいと思い購入。

『制服概論』酒井順子(文春文庫)・・・面白そうな気がしたのだが、萌えテーマの本は、買って失敗が多いので、次回の立ち読み候補へ。

『裁判長!これで執行猶予は甘くないすか』北尾トロ(文春文庫)・・・前作が面白かったのだが、明らかに金儲け狙いの二番煎じにしか思わないので、これも立ち読み候補。

『時の光の中で』浅利慶太(文春文庫)・・・劇団四季の総裁、面白くないわけがない!ということで即決買い。昨夜完読して、かなり面白かった。ただ、小沢征爾氏、石原慎太郎氏らとの交遊録は、毛並みの違いを感じて、少しジェラったりして微妙な読感だった。

角川文庫はあまり好きではなかったのだが、「ハルキ文庫」は版権取るのが上手いのか、興味を示されるラインナップだ。

『正直じゃいけん』町田康(ハルキ文庫)・・・町田氏は大好きだ。飽きてきているが大好きだ。中島らも氏へのラブと種類が似ている気がする。文庫化されたら買うしかない。「週刊朝日」の連載等で読んだことがあるものが多く収録されているのだろうと思うが、今日はこれから読み始める。

その他、色々探していた本なんかもあったのだが、購入は上記6冊。

完全なる書漁り日記になった。難しい本はあまり食指が動かない。その上、濫読傾向には拍車がっかっている。よって毎回同じような代わり映えしない性質のラインナップだが、書籍の在庫が枕元にある時は、何物にも変え難い幸せを感じる。

図書カードの残高はまだたくさんあるので、文庫を中心に、次回、また漁りたい。

2009年1月21日水曜日

ジェネレーション・ギャップ

今日は休みだが、中3受験生の最終出願に向けた進路相談に行ってきた。塾とは関係ない生徒だ。両親と本人を含めて4人で、色んな資料をプレゼンして、最終的に本人の意思確認、そして志望校最終決定へと至った。

いまいち実感のない本人と、本人以上の真剣さを持った保護者、塾稼業をするようになってから毎年見る光景だ。

だが、考えてみると、高校受験ぐらいで親が一生懸命になることは、塾稼業をしているものが言うのもなんだが、時代が変わったというか、過保護な気もしないでもない。

高校受験が意味ないとは思わないが、いつ頃からだろうか、親の子供を思う気持ちが、受験戦線の加熱を生み出してきている気がしてならない。大学受験ならまだわからない気もしないではないが、俺が中学時分にも、受験に熱心な親御さんがたくさんおられたのだろうか?

学校の提出物を期日内に出すといった、目の前の与えられたことに全力で向き合うことは大事だと思う。そういった中学校生活が子供にあれば親としては満足だと思うし、高校は家から近い所でいいと思うのだが・・・。俺も親になったら変わってくるのだろうか?

誰かに話すための学歴至上主義が、学歴神話が崩れた今のご時勢でも依然健在で、いや、むしろ勝ち負け基準のはっきりし出した今だからこそ、受験戦争は激しくなってきている気がする。

そして、親の子を思う気持ちを商売にしているのが、俺が今、身を置いている稼業なわけで、以前にもまして、なんだか胡散臭い仕事だと思ってしまう。

ただ、色んなお子様と関わらせて頂いて、自分が父親になった時の訓練をさせてもらっていると思って今は肯定している。人の子とはいえ、真剣対峙をモットーとして、手抜きはせずに励んでいる。

今の子は、ほんといい子ばかりだ。素直でひねていない。大人の顔色を窺う子や、大人に反抗心を示す子は、全くといっていいほど見かけなくなった。少なくとも塾通い出来る家庭環境にある子に限っての話だが、塾通塾率が8割を超える現在では、ほとんどの子が俺の思っている感想と、ほぼ近いのだろうと思う。

我が身を振り返ってみて、中学時分は大人の顔色を少なくとも窺っていた気がする。自分が気を許せる人には見捨てられたくないから、顔色窺っては、どこまで羽目を外していいいかを計っていた気がする。一方、気に食わない人には、徹底的に反抗していた気がする。

大人から見たら、かわいげのない子がたくさんいた気がする。でも自分が大人になった今、かわいげのない子がいない。人の子でそうなのだから、自分が親になったら、中学生といえどもかわいくてしかたないのだろう。

でも、そのかわいさが、小学生的なかわいさになっていたら、それはそれで問題あるだろう! 今の子は幼稚なのさ! 

少し前まで俺は、いっぱしの教育評論家気取りでそう思っていた。でも、俺自身の中学生時分も、今の俺が思うところの小学生的な幼稚さがあった! そう思わせる記憶が蘇ってきた。

学校で発熱して、しんどくてしんどくて、帰り道に泣きながら帰ったことがあった。そして家に帰るなり、お母さんの胸に飛び込み、安心したのか泣いた記憶がある。その後に看病してもらった時に、豊穣感というのだろうか、すごく満たされた記憶がある。しんどいのだが、満たされて、病気の身も悪くないと思った記憶がある。すりおろしたりんごを食べさせてもらって、親の愛情を独り占めした記憶がある。

俺はそれを小学生時分の体験だと思っていたのだが、今日ふと頭に、帰り道に坂を登った記憶が蘇ってきた。

その坂道は、間違いなく中学校への通学道にある坂だ。小学校は家から200mほどの所にあって、坂道はない。

つまり、俺は中学生にもなって、発熱ごときで、おかんの胸で泣いていたのだ。一方で機嫌が悪い時にはおかんを殴っていたというのにだ・・・・。

情けないというか、俺も十分幼稚なジュニアハイスクーラーだったのが、間違いない記憶として蘇ってきた。

世代ギャップの「今の若い子は・・・」という感想は、ハンムラビ法典時代からあるらしいが、俺も昔は、「今の若い子は・・・」と言われていたに違いない。

ならば、今の子を見て、「幼稚やな~」とか思うのは、記憶が薄れた大人の傲慢さではないか?と思うようになった。数千年スパンで繰り返されてきたジェネレーション・ギャップ、そのギャップを生み出すのは、大人のエゴに原因があるのではないかと思った。

それに、俺個人の経験は、俺が生きた、俺が関わった人たちとの関係だけであった体験であり、振り返っての感慨だ。それを今の世代全般に当てはめて、「今の若い子は・・・」と括ろうとしている姿勢こそが、十分に傲慢で、「目には目を」的な大人の負精神だと思った。

確かに、経済環境など、時代背景が変われば、世代間の置かれた環境差は出てくると思う。でも、ぞれぞれの時代に生きた子供、人は、世相に応じたマイナーチェンジがなされているだけで、あくまで本質的な部分は、人間発生時分から、何も変わっていないのだと思った。

散々、ジェネレーション・ギャップを感じる隔世感を大人の要因だ!と主張してきたが、それでも、ジェネレーション・ギャップを感じることは大切だと思う。

親も昔は稚拙であったろう、それでもその価値観を主張することは大切だと思う。それがくりかえされてきて、ジェネレーション・ギャップは教育の適切なツールとなってきていたのだと思う。

傲慢かもしれないが、今の親たちに欠けているのは、ジェネレーション・ギャップ自体にあるのではなく、自らが抱いたギャップを、当然のこととして消化出来ないまま、自分が抱いた不快感を子供に与えないようにしようとする、親の態度にあるのだと思う。つまり、ジェネレーション・ギャップを、摂理として咀嚼できていない親の側の、偏狭的な愛情の示し方にあるのだと思う。

「自分が受けてつらかったことは、子供には味あわせたくない。」この心を親心として甘んじてきた結果に、ジェネレーション・ギャップを超えた、今の世代の問題行動があると思う。

相変わらず大げさだ。咀嚼できていないのは、まだ親でもない俺のほうだろう。ただ、文章におこす技量は稚拙だが、色々考える機会を頂いただけでも、進路相談は俺にとって最高の発育ツールだと思う。ジェネリックにこの体験を活かしたい。

2009年1月20日火曜日

回帰? 再生?

オバマ氏の就任演説が間もなくだ。アメリカ大統領の就任演説は、そのまま歴史的な文献として世相を反映し、文学的価値の高いものだから、読み応えがある。楽しみだ。

オバマさんの遊説先での演説は何度か見たことがあるが、オバマ氏が家族に対しての愛情表現を取り入れている場面があった。アメリカの代表として国内はもとより、世界全体への初心、所信表明の場でも、家族愛を演説内容にいれるあたり、いかにもアメリカだなと思う。

「24」を見ていても、毎回電話を切る時には、「愛しているよ」というセリフが出てくる。相手は妻であったり、子供であったり色々であるが、ジャックだけでなく、ブキャナンも、トニーも、オードリーもみんな言う。

そして言われたほうも、“I love you, 人.”に対して、“Me too.”ではなく、“I love you too.”と、はっきり動詞を入れて返答する。

このあたりの、意思表示の強さに1番アメリカ的なものを感じる。人前であろうとなかろうと、自らの感情を恥ずかしげもなく表すことのできる背景が、アメリカにはある。

これが日本だとどうだろう。横に同僚がいる時に、妻に電話をした人が、「愛しているよ、クレオパトラ!」といった結びを吐こうものならば、その人は翌日から、キモ、キショのステッカーを貼られるだろう。決して「奥様思いの良いだんなさんね~。」といった好意的な解釈はしてくれない。

日本では、妻や家族や恋人に対しての愛情表現は、決して公にするものではなく、もっとムッツリとするべきだという背景がある。さらに、2人時のムッツリ環境でも、「愛しているよ、ムッソリーニ!」といった言葉は、なかなか照れて吐けない背景がある。

どちらが良いとか悪いとかいうものではない。日本的な恥じらいの文化も、アメリカ的な明確な意思表示をする文化も素晴らしいと思う。どちらもそれぞれの文化に対する強い矜持を持ち、大切にするべきだと思う。俺は典型的な日本人気質を持つ1人の人間として、自分にはない、アメリカ的なものに少し興味を示しただけだ。

今の日本では、アメリカ的なものが、表面的にも内面的にも満ち溢れてきている。町を少し歩けばハンバーガー屋や、アメリカ的なショップにぶち当たる。

日本人の恥じらい文化はどこへやら・・・、電車に乗れば、化粧をする女子高生をたくさん見かけるし、鬻ぐ女よりもビッチ風味のナオンがたくさんいる。そして、人前で意思表示といえば聞こえはいいが、1人よがりの極論を垂れ流すことが美化される時代である。

別に、アメリカ的なものに感化されることが悪いのではなく、ネット環境によって狭くなった世界が、大国の文化に影響を受けることは仕方ないことだと思う。でも、まだまだアメリカ的になるには、日本人側の素地が中途半端で、矛盾をはらんだケースが多く見られる。

例えば、薬物中毒や精神疾患をカミング・アウトしやすくする体制、そしてカミング・アウトした人に対する治療の受け入れ体制、復帰後の受け入れ体制共に、日本には素地が出来ていない。その一方で、アメリカ的なものを表面的に模倣した商業スタイルやマス・メディアが世論を煽るものだから、谷間で浮かばれない人が出てくることになる。

華原朋美さんの奇行がまた報じられていた。カミング・アウトではなく、外部からの報道だ。本人が一生懸命闘っているというのに、「奇行、薬物障害」の文字で報道するわが国のメディアが、アメリカ的なものなのだろうか?

華原朋美さんの例は、スキャンダルという醜態ではないと思う。1人の傷つきやすい少女が、芸能界でぼろぼろにされて、今それと向き合っているというのに、医学的な治療の場を用意してあげるわけでもなく、一方的な潰し報道にしか思えない。治療は身内にまかせて、そっとしておいてあげるか、みんなで再生の道を用意してあげるという、心ある報道ではないように思う。

ブリトニーが薬物依存に陥った時に、それをサポートする体制があって、復帰した後に歓迎してくれるだけの受け入れ体制があるアメリカの文化は、表層だけを真似ている日本と比べて、やはり懐が深いというか、ピューリタン入植時の「再生」の精神を今なお宿した国だなあと思う。

「恥じらいある精神」「わびさびの精神」である日本人の精神文化は、その一方で「村八分」の精神を生んだ。良し悪しは別として、日本はそうだった。歴史的にも体験的にもそうだ。はみ出し者を受け入れられない、集団から排除する精神文化が、確かにあった。

人種差別と魔女狩りを生んだ国アメリカも、標榜する自由とは裏腹に、種々の問題を抱えている。

だが、良くも悪くも負のしつこさを持たない国だ。「再生」できる体制がアメリカにはある。日本が表層を真似ても、このアメリカの「再生」感が根っこにない限り、それは日本人古来の精神文化にとって、相容れない矛盾を内包するだけの結果に終わると思う。何にしても中途半端な精神文化に今の日本人は晒されていると思う。日本人的アイデンティティーが揺らいでいる時期にあると思う。

日本人が持つ古来の精神に「回帰」するのか、それとも、アメリカ的な「再生」の精神文化を構築するのか、オバマ演説を見ながら考えたい。

2009年1月19日月曜日

俺パレス

センター試験の朝、激励に行った時のことだ。LEOパレス御一行がチラシ配布に来ていた。1人暮らしを始める新入学生に対する、先手必勝の営業活動だ。

進学先が決まったら決まったで、住む場所、各種電気製品の手配と色々忙しい日々を過ごすことになる新入学の若者である。彼らの市場を狙った営業活動が盛んになるのは当然だ。

このLEOパレスの居住空間は素晴らしい。俺も大人になってからウィークリーでお世話になったことがある。

ただ、学生にLEOパレスを与える親を見ると、少し文句も垂れたくなる。「夢中で頑張る君にエールを送りすぎちゃうか? ライオンやったら、わが子を谷底落としたらんかい! 宮殿与えてどないすんねん!。」と突っ込みを入れたくなる。

だが、今やLEOパレスのような居住空間も標準的であり、若者にとってはパレスとも感じないのだろう。

ほとんどの生徒が標準的な住まいで学業を始めるが、なかには、時代に取り残されたアパートを選ぶ、殊勝な若人もいる。俺は、昔ながらのボロアパートを選ぶ学生を見ると、「赤貧青年負けるな!」と檄を飛ばしたくなる。

俺は下宿に関しては武勇伝の持ち主だ。少なくなったとはいえ、ボロアパートは未だある。だが、俺が住んだ空間と比べたら、全国のどんなボロアパートも敵わないと思う。なぜなら、俺の住んだ空間は、アパートではなく、小屋だったのだ。

わが身を振り返ってみると、大学入学当初は、自宅から通学するつもりでいたので、下宿を探すこともなく、遊びほうけていた。入学式にも参加せず、実にやる気ナッシングであった。

授業が始まり、初日のガイダンスに参加して、チープハンズのリズム隊2人と仲良くなり、クラスの女の子とも仲良くなった。新歓コンパに参加してからは、俺はそこそこ居場所を得た。

だが、学業集団であるにも関わらず、俺の居場所は談話室だけであった。大学にはバンドをしに行っていたようなもので、練習の合間に文学部の談話室で、学業に勤しむ友人との交流があるのだが、肝心の教室での交流を持とうという意欲がなかった。

新入学4月末には、授業に出なくなり、バイトとバンド生活になった。親に学費を払わせておきながら、大学は音楽サークルと化していた。不規則な生活リズム、当然、家にはほとんど帰らなくなり、友人の家を渡り鳥して過ごした。

1回生の6月、俺を学業体制に戻すべく、親身になって叱ってくれる友人がいた。彼は英会話サークルにも入って、ばりばり英語を勉強していた。彼が、「しばらく俺の家に泊まって、授業にしっかり行くようにしなよ。起こしてやるからさ。」と言ってくれた。彼は1浪だったので、年上ということもあり、俺は彼に従った。それから1週間は授業に行った。

彼の住んでいるアパートは、大家さんが自分の敷地内に強引に立てた小屋の集合体でなっていた。そこに1部屋、格安物件の空き(厳密に言うと、誰も入り手がいない物件)があるという。毎日彼の住処にお邪魔するわけにもいかない。俺は下宿を決めた。家賃は13500円だった。敷金礼金合わせても5万円未満の格安物件だった。

行動が早い俺は、すぐに入居した。文字通り身1つでの入居だ。その時はたいして何も思わなかったのだが、今から考えると、俺が住んだ部屋というのが凄かった。

大家さんが、アパート経営を拡張する上で、欲にかられて設計をミスったとしか思えない立地だった。現場は棚田が出来そうな斜面にある。 

数棟あるアパート入り口から細い小道を登っていく。すると2棟の建物が現れる。その建物と建物の間に梯子がある。階段ではない。梯子を登りきった所に1つの独立した個室がある。結構広くて立派な個室だ。だが、そこは俺の邸宅ではない。

そこからまた梯子を登るのだ。標高は俺の部屋が1番高い。梯子を登りきった所にある、鳥小屋みたいな立方体が俺の部屋だった。道路からは俺の部屋は見えない。山荘みたいな塊がいくつか見えるだけだ。忍者でもこんなところには住まないだろう。アジトである。

この部屋には窓がなかった。洗面台が部屋の外にあった。部屋中がかび臭かった。トイレに行くたびに、梯子を2回降下しなければならず、俺は面倒くさいので、雲古以外は洗面台の横でした。だんだんと床の鉄が錆びて変色していった。

かび臭い部屋だったが、当然だ。湿度がばりばり高いのだ。おまけに百科辞典に載っていない虫がたくさんいた。ドラクエのレベル3ぐらいで倒せるような虫だ。市販の湿度計では計測不能なほど、メーターを突っ切る湿度だった。

当時、地図をたまたま見る機会があった。俺の住む小屋は載っていなかった。他の棟はしっかり製図されていたのだが、俺の小屋は製図不可能だったのだろう。棟と棟の間に梯子を書いて立方体を書き入れる製図記号がなかったのだと思う。

地図からも消された小屋で、俺は学生としての更生機会を持ったのだが、これは、ムショ帰りの人が、ドヤで更生を始めるようなものである。すぐに学業を放棄した。更生を促してくれた上記の友人ともすぐに疎遠になった。

でもこの小屋は好きだった。幼少時、押入れの中に篭るのが好きだった記憶を持つ人は多いと思うが、ちょうどあの押入れの中のような快適さを感じた。

色んな意味で、最初の原点であるこの小屋が好きだった。もう少し住みたかったのだが、湿度からか、体にカビが生えたことを機に、俺は宿を変えていくことになる。

この後、俺は鍵のない「笠殿荘」、アンモニア臭漂う「弥生荘」と、すごい低レベルで漸進していく。でも、最初のこの小屋が1番強烈な記憶として残っている。

今はあるのだろうか、松田さんちの小屋。俺にとってはパレスだった。 

2009年1月18日日曜日

予想屋必要?

中央大学で教授が何者かに刺されて亡くなるという、痛ましい事件が起きた。
考えてみれば、大学キャンパスほど無防備な空間はない。10代の学生から高齢の研究者まで、人種、性別、年齢を問わず、多種多様な人々が出入りするところだ。

どこの大学にも、正門前に守衛さんはいるが、守衛に許可をとって入るのは、工事業者、納入業者といった車両組みだけであり、守衛のセキリュティー業務は、単なる通行許可証の発行だけに限られているのが現状だ。

不審者かどうかは、主観的なものであり、守衛1人の権限で、片っ端から職務質問をかけるわけにもいかない。

でも、中央大学のような事件が頻発するような事態になると、どこかで警備面の強化の必要性を声高に叫ぶ有識者が出てくるだろう。キャンパスが、身分証明書を見せないと入れないような場所になることだけは避けて欲しいものだ。

犯人が捕まった際には、犯人をセンセーショナルに報道するのではなく、法治国家の厳格な裁きだけを粛々と告示してほしい。凶悪犯罪者は、病的な犯罪予備軍にとっては、時に英雄となり得る要素を持っている。センセーショナルな報道は、時に殉職者みたいな英雄としての犯人像を報道してしまうことになりかねない。

「中央大学事件、38歳犯人捕獲。無期懲役確定。」といった温度のない言葉を、ただ告示するだけでいいと思う。近隣住民に対する、避難警報解除みたいな報道でいいと思う。

犯罪報道を見ていて、いつも思うことがある。犯罪心理、犯人像に対する予想屋の存在は必要か?というものだ。

コメンテーターとして推測、予想談話を発表する人たちの発言を、「あ~、なるほど」と思うことは、まずなく、「そんな談話なら誰でも言えるだろう。」というものにしか感じない。

「複数個所の刺し傷から、犯人は被害者に並々ならぬ恨みをもっていたのかもしれません。」とか、「仮想空間に生きていて、人間関係が希薄な人の犯行だと思います。」といった意見が多いが、「ふ~ん」としかならない。

評論家自体は否定しない。三宅氏、宮崎氏、勝俣氏など、視聴者が報道の深層理解をする手助けとしてのコメントを残してくれる人もいる。

ただ、表向きは「評論家」であるが、その実、予想だけを専門に食い扶持を得ている人たちがたくさん存在する。彼らの存在を正直不思議に思う。犯人像の勝手な推測を言うだけ言っているが、その推測の精度が問われないことが殆どだからだ。

昔、「酒鬼薔薇」事件があった時、さまざまな「評論家」が犯人像を推測していたが、もっともらしいことを言うわりには、誰一人として、少年の犯罪だとは推測できなかった。あまりに常軌を逸した事件であり、推測できないこと自体は仕方ないと思うのだが、だからこそ、「評論家」が勝手な犯人像をテレビで述べる場があることの必要性に疑問を感じた。勝手な推測を垂れ流される環境は、被害者感情にとってもよくないと思う。

「評論家」が推測した発言が、実際にはどうだったか、その結果だけを考察する人はいないのだろうか? 実に暇で生産性のない仕事だと思うのだが、同じく暇な仕事があるのだから、1人くらいいてもいいと思うのだが。

例えば、ある犯罪に対して5人が犯人像を述べたとする。実際に犯人が捕まった時に、その5人の予想が的を射ていたかどうかを、しっかり採点して晒すのだ。

犯罪だけでなくてもいいと思う。政局予想、経済予想、なんでも予想の世界に身をおいて、報酬を得ている人は、その予想精度をしっかり自己チェックするだけではなく、公にもチェックされるべきだと思う

証券会社の社員は、予想が外れ続けたら業界で裁きを受ける。競馬記者は予想が外れ続けると紙面から自分の場所がなくなる。おまけにその週の予想結果は紙上で公開されている。

証券アナリストでも、競馬記者でもなんでも、予想屋というのは、その予想精度のみによって評価される宿命である。その立場を選んだ人たちなのだから、精度によって業界から淘汰されたらいいと思う。

もし、公に精度が明らかになれば、予想屋としての「評論家」という存在自体の必要性が問われる土俵が出来ると思う。各自が自分の目で毎日の事象に向き合って、取捨選択していれば、予想屋はいらないと思う。

報道には、予備知識が必要な報道と、不要な報道があると思う。ガザ情勢なんかは、歴史的なことも含めて、予備知識を持って人々が報道に向き合う必要があると思うが、冒頭の大学キャンパス内での残忍な犯行に対しては、予想屋までを呼んで報道すべきことだろうか?と思う。

当事者以外が、その犯人像を問われて思考すべき事象ではない気がする。人間心理に照らし合わせて、非であるのは、思考する以前に明白であり、世に問う意味はない。

こんな事件に予想屋を揃えて報道する先に何があるか? 単なる野次馬が増えるだけであり、本来備わっている人間心理に色眼鏡をかぶせるだけである。これこそ危険で無防備なことだと思う。

マスコミの報道姿勢自体が、予想屋としての側面が強いから、薄っぺらい予想屋が跋扈する土俵を用意しているのだと思う。

そして予想屋の跋扈は、大学キャンパス同様に、人々を心理的な意味で無防備に、窮屈にしていくだけだと思う。

2009年1月17日土曜日

ドラゴンな日

ブルース・リーが好きだった。「ドラゴン」シリーズで有名な李さんの映画がたまらなく好きだった。『北斗の拳』は間違いなく、ドラゴンから着想を得たものだろう。

今日は色んな意味でドラゴンな日であった。激励でドラゴン、家庭教師でドラゴン、「食文化研究会」でドラゴン、DVDでドラゴンだった。

朝は6時45分に起き、センター試験会場の最寄り駅に車を走らせた。中3時代に教えていた生徒数名から、「当日朝、激励に来てくれんけ?」って言われて、即答で、「よっしゃ」と快諾した。

センター試験会場での激励、ビラ配りというのを、前職場ではさせられていたのだが、個人的には、すごく嫌な行事だった。上司に歯向かって叱られたこともある。生徒の試験現場に販促グッズを携えて行くという大人の行動が嫌いだった。だから、今の職場では一切そういうことはしないようにしているのだが、商売とは無縁の個人的な気持ちに基づくものであったら別である。

最寄りの駅に列車が着く。ぞろぞろと降りてくる生徒の群れから、数名の女子高生が、俺の車を見つけてくる。そして、それを待ち構える30代後半のおっさん・・・。かなり不審である。

久しぶりの再会(3年ぶり)に感激して、センター当日とは思えない緊張感のなさで俺に話しかけてくるキッズ。俺も感動して、「大きくなったな~。」とシルバーな言葉で返す。パトカーが俺達の場所を周回しやがる。

「先生、目~つけられとるがいぜ!」と、彼女たちにとっては無邪気で、大人にはブラックなジョークを吐く。

『ドラゴン桜』の暑苦しさに、少し不審者風味を加えた雰囲気を、早朝の駅前で醸し出す俺と女子高生。

彼女達を無事見送って、携帯を見ると、数件の着信メールがある。全て教え子だ。「おっちゃん、パワーちょうだい。」やら、「いよいよです。頑張ります。」やら、「寝とんがけ?」というものまである。 各自の性格が出ていて微笑ましくもある。

「アタフタすんな! 気張りおし!」という愛想ないメールを連打してから、家庭教師に向かう。

高校受験間近のキッズ宅に行き、実戦問題演習をさせようとするのだが、いまいち緊張感がない。ゲームをしていた形跡もある。

俺は、「アタ! アタアタ!」と、ブルース・リーもどきの奇声で彼の秘孔を突いては、無理やり追い込み体制にさせた。

ひれ伏した彼は俺に、「先生、今度「ドラゴンクエストⅨ」出るんがいぜ。DS持ってなかったらあげようか?」と、媚びる姿勢で言ってくる。俺は即答で、「うん」と答えた。「アタ! アタアタ! イタ!」である。ねだってしまった。

家庭教師終了後、「食文化研究会」の寄り合い?に向かう。今日はイタ飯研究の日だ。食い放題で、ピッッア、パスタ、サラダ、ソフトクリーム、葡萄の親戚みたいな果物等をしばきあげ、もとい、研究した。

食文化研究員タカボに、ブルース・リーのDVDをたくさん焼いてもらって頂く。俺の「アタ! アタアタ!・・・・イタッ!」の原点となった作品だ。「ドラゴン危機一髪」から、上映順に並べてもらう。有り難い。

イタ飯を研究した後、回船問屋町として町興しを企んでいる海岸沿いの町を散策する。移動の帰り道、美味しそうな焼き肉屋の看板があった。研究員が「ここは美味しいがいぜ。 中日ドラゴンズの選手が遠征してきた時は、ここで貸し切るんがいぜ。」と言う。

またしても、ドラゴン・・・。「アタ! アタアタ! マタ!」

楽しき研究という名の寄り合いを終え、帰宅して、早速「ドラゴン危機一髪」から、ブルース・リーの世界に入り込む。

やはり素晴らしい。中学時代の休み時間、チャイムが鳴ってからも先生が来るまで、廊下で「アタ! アタアタ! キター!!」とやっていたのを思い出す。

李さんの目は、なんだかいつも悲しげだ。今の世代への認知度という点で見れば、『北斗の拳』が上だが、実写である李さんのパフォーマンスは、今見てもしびれる。実写が先で漫画が後という事例は稀有だと思う。

李さんの極限の肉体であるが、その美しさと表情には、拳が背負った宿命というか、根源的な哀しみを感じる。しなやかな肉体の動きが美しければ美しいほど、そこにはかなさを感じてしまう。

ストーリーが今では考えられないくらい単純なだけに、リバイバルはないのかもしれないが、紛れもなくスターであり、俺の中では永遠の不良少年として憧れの存在だ。

昔、『永遠の不良少年たち』という本で読んだのだと思うが、ブルース・リーの師匠が、李さんに生前、しきりに教えていた言葉が、「生きとし生けるものはすべてたおやかである。」だったらしい。

たおやか・・・①姿・形がほっそりとして動きがしなやかなさま  ②態度や性質がしとやかで上品なさま

そういえば、ドラゴン(竜)は動きが、たおやかである。

生徒達にとっては、今日が「良き登竜門」であり、食文化研究会にとって今日が「竜脈」となればいいなと思う。

姓名判断

今日、以前の会社の同僚と久々に話した。彼には昨年待望の娘さんが誕生されて、そのお祝いを遅ればせながら手渡した。

娘さんの近況、出産までの秘話なんかも聞かせてもらった。

面白かったのが、普段は迷信、占いなどを全く気にする風でもなかった彼が、愛娘さんの誕生に際しては、熱心に姓名診断所に通ったということだ。彼に詳しく姓名診断について聞いた。

総・天・人・地・外 と格がそれぞれあり、画数でそれぞれ診断されるらしい。これがまた、結構当たるらしくて、新聞の「お悔やみ欄」なんかにある名前には、画数の悪い名前が多く見られるらしい。

俺はこれを聞いて、「たまらんの~。ほっといたれや!」と思った。「お悔やみ」までもが姓名の画数ごときで支配されるなんて、ばかばかしい!と思った。いくら運命に支配された人間とはいえ、姓名の画数なんかにまで、その支配が及んでいるとは信じたくない。

「ふん、しゃらくせ~! 名前は名前、個別認識の記号にすぎない名前が、運命を支配するくらいやったら、全員画数のよい名前にしたら、死亡率減るんかい! 」と聞き分けなく心で罵った。「俺は絶対、そんなものは信じない。」とも思った。同僚が姓名診断にこったことは、親心として理解しながらも、俺に子供が出来ても、絶対しないと思った。

俺の「絶対」は、すぐに相対化され、絶対でなくなる。

彼と別れた後、何となく気になった。携帯で姓名判断ページを探したら、無料診断のページがあった。俺は自分の名前を入れてみた。週刊誌の占いを見るような気分で、鼻くそほじりながら、「へん、おもろいやんけ! 見てやるわ。」と、なめた態度で入力後の画面に目をやった。

「天格」というところを読むと、「義理人情型」とある。
俺は鼻くそをほじって、ふっと吹き飛ばしながら、「そやな~、わしは義理と人情には厚いで~。でもほとんどの奴がそうちゃうか? やっぱ無難な言い方しよるの~。」と緊張感なく読み進めた。

次は「天格」であり、それには「五行的性格 木タイプ」と書いてあったと思う。これはよくわからないので、「まあ、しいていえば、俺は木かな・・・・。」と詩的に満足していた。依然、緊張感はない。

その後、順番は覚えていないが、格を上から読んでいくと、「独創的なアイデア師」という言葉が出てきた。少し嬉しくなった。褒められるのはいくつになっても嬉しいものだ。俺は少し姓名判断を好きになりつつあった。

でも、「褒めてのめり込ませようというのが、山師の常やんけ。これごときでは僕はだまされへんで! ふふ・・・。」と少し穏やかながらも噛み付いた。

その次には「ギャンブルタイプ・・・ツキを呼べばとどまるところをしらず」とあった。
少しドキドキした。「そうなの僕、ギャンブルタイプなの・・・。何でばれた??? とどまることをしらないツキの呼び方教えて!」と、読み進める目に力が入った。

次は恋愛タイプだった。「口説きの達人」とある。「くお~~ら! 誰が口説きの神やねん! いや、達人か。 どっちでもいいわ、わしはフェロモンで売ってる男じゃ。そら、グーギャと話術には自信あるけどやで~・・・。」 なんか尻軽男みたいに評されているみたいで、少し気分を害す。

次には総画の説明だったと思うのだが、ここで俺は痺れた。痙攣した。怖くなった。

「面倒見がよく親分肌で、人のために一肌脱ぐようなところがあります。波乱を呼び込む運命であり、浮き沈みが激しい人生となるでしょう。考えるよりもまず行動するタイプで、少々短慮なところもあります。人情に厚いので、多くの友人に恵まれます。」

読んだ後、しばし固まった。その後、不気味に笑った。「当たってるやんけ!」
「浮き沈み激しい」やら、「短慮」やら、頭でゴングが鳴る表現もあるのだが、否定できない。まさしく俺の評だ。

笑うしかない。今まで色んな占いを読んだことはあったが、ここまで当てられたのは初めてだ。俺は姓名の神秘を感じた。「姓名診断士、もしくは易者になろう!」とまで、短慮な頭で一瞬考えた。

「信じなさ~い。姓名判断当たっているあるよ~。」 魅せられた俺の姿がしばしあった。

だが、短慮かもしれないが、思慮も少しは身につけた俺、念のため、嫁の名前も入力した。
すると、恋愛タイプに「男は金」と書いてあった。僕と結婚したの、金目当て????

俺は笑顔で、携帯画面に、「ボンジュール!」と、貴族の突っ込みを入れた。「んなあほな。」洗脳体験は短かった。

ただ、姓名判断自体を、頭から否定していた数分前の俺はいなくなった気がする。
姓名診断は時に正しい。時におかしい。ただ、親が子を思うために、時に姓名判断にすがるのは、人によってはいいのかもしれない。否定は出来ない。どきっとした瞬間もあったので、俺は一応、姓名診断を肯定する声明を出して締める。

「生命は姓名にしばられるほど小さくはない。だが、盛名を願う親の気持ちは清明だ。」
(『まえけん全集第8巻 「思慮ある声明」より』

2009年1月16日金曜日

窮屈なキャンパスと報道

昨日、中央大学で教授が何者かに刺されて亡くなるという、痛ましい事件が起きた。
考えてみれば、大学キャンパスほど無防備な空間はない。10代の学生から高齢の研究者まで、人種、性別、年齢を問わず、多種多様な人々が出入りするところだ。

どこの大学にも、正門前に守衛さんはいるが、守衛に許可をとって入るのは、工事業者、納入業者といった車両組みだけであり、守衛のセキリュティー業務は、単なる通行許可証の発行だけに限られているのが現状だ。

不審者かどうかは、主観的なものであり、守衛1人の権限で、片っ端から職務質問をかけるわけにもいかない。

でも、昨日のような事件が頻発するような事態になると、どこかで警備面の強化の必要性を声高に叫ぶ有識者が出てくるだろう。キャンパスが、身分証明書を見せないと入れないような場所になることだけは避けて欲しいものだ。

犯人が捕まった際には、犯人をセンセーショナルに報道するのではなく、法治国家の厳格な裁きだけを粛々と告示してほしい。凶悪犯罪者は、病的な犯罪予備軍にとっては、時に英雄となり得る要素を持っている。センセーショナルな報道は、時に殉職者みたいな英雄としての犯人像を報道してしまうことになりかねない。

「中央大学事件、38歳犯人捕獲。無期懲役確定。」といった温度のない言葉を、ただ告示するだけでいいと思う。近隣住民に対する、避難警報解除みたいな報道でいいと思う。

犯罪報道を見ていて、いつも思うことがある。犯罪心理、犯人像に対する予想屋の存在は必要か?というものだ。

コメンテーターとして推測、予想談話を発表する人たちの発言を、「あ~、なるほど」と思うことは、まずなく、「そんな談話なら誰でも言えるだろう。」というものにしか感じない。

「複数個所の刺し傷から、犯人は被害者に並々ならぬ恨みをもっていたのかもしれません。」とか、「仮想空間に生きていて、人間関係が希薄な人の犯行だと思います。」といった意見が多いが、「ふ~ん」としかならない。

評論家自体は否定しない。三宅氏、宮崎氏、勝俣氏など、視聴者が報道の深層理解をする手助けとしてのコメントを残してくれる人もいる。

ただ、表向きは「評論家」であるが、その実、予想だけを専門に食い扶持を得ている人たちがたくさん存在する。彼らの存在を正直不思議に思う。犯人像の勝手な推測を言うだけ言っているが、その推測の精度が問われないことが殆どだからだ。

昔、「酒鬼薔薇」事件があった時、さまざまな「評論家」が犯人像を推測していたが、もっともらしいことを言うわりには、誰一人として、少年の犯罪だとは推測できなかった。あまりに常軌を逸した事件であり、推測できないこと自体は仕方ないと思うのだが、だからこそ、「評論家」が勝手な犯人像をテレビで述べる場があることの必要性に疑問を感じた。勝手な推測を垂れ流される環境は、被害者感情にとってもよくないと思う。

「評論家」が推測した発言が、実際にはどうだったか、その結果だけを考察する人はいないのだろうか? 実に暇で生産性のない仕事だと思うのだが、同じく暇な仕事があるのだから、1人くらいいてもいいと思うのだが。

例えば、ある犯罪に対して5人が犯人像を述べたとする。実際に犯人が捕まった時に、その5人の予想が的を射ていたかどうかを、しっかり採点して晒すのだ。

犯罪だけでなくてもいいと思う。政局予想、経済予想、なんでも予想の世界に身をおいて、報酬を得ている人は、その予想精度をしっかり自己チェックするだけではなく、公にもチェックされるべきだと思う

証券会社の社員は、予想が外れ続けたら業界で裁きを受ける。競馬記者は予想が外れ続けると紙面から自分の場所がなくなる。おまけにその週の予想結果は紙上で公開されている。

証券アナリストでも、競馬記者でもなんでも、予想屋というのは、その予想精度のみによって評価される宿命である。その立場を選んだ人たちなのだから、精度によって業界から淘汰されたらいいと思う。

もし、公に精度が明らかになれば、予想屋としての「評論家」という存在自体の必要性が問われる土俵が出来ると思う。各自が自分の目で毎日の事象に向き合って、取捨選択していれば、予想屋はいらないと思う。

報道には、予備知識が必要な報道と、不要な報道があると思う。ガザ情勢なんかは、歴史的なことも含めて、予備知識を持って人々が報道に向き合う必要があると思うが、冒頭の大学キャンパス内での残忍な犯行に対しては、予想屋までを呼んで報道すべきことだろうか?と思う。

当事者以外が、その犯人像を問われて思考すべき事象ではない気がする。人間心理に照らし合わせて、非であるのは、思考する以前に明白であり、世に問う意味はない。

こんな事件に予想屋を揃えて報道する先に何があるか? 単なる野次馬が増えるだけであり、本来備わっている人間心理に色眼鏡をかぶせるだけである。これこそ危険で無防備なことだと思う。

マスコミの報道姿勢自体が、予想屋としての側面が強いから、薄っぺらい予想屋が跋扈する土俵を用意しているのだと思う。

そして予想屋の跋扈は、大学キャンパス同様に、本来無防備でかまわない人々を、心理的にも物理的にも窮屈にしていくだけだと思う。

2009年1月14日水曜日

雨晴開眼

今朝は寒かった。放射冷却現象とかのせいだろう。五時頃に寒くて目が覚めた。窓を開けて外を見ると、見るからに寒そう。突き刺すような冷気が頬を襲う。時折走る車が、路面の氷を粉砕する音が遠くで響く。もやもかかっている。

「今日だ!この日を待っていた。」俺はにやけて、朝方からばたばたし出す。嫁は「うぜ~~」と文句を言う。時は6時30分。

こんな日は、7時前には必ず空気が澄んでくる。俺は確信し、俺の大好きな絶景スポットに向けて車を走らせた。

「雨晴海岸」というのがある。我が家から車で10分くらいなのだが、県道を走ってトンネルを抜けると急に海が右手に広がる。昔、北朝鮮による拉致未遂事件が起こったことがある海岸だ。だが、そんなことは関係なく、ここの景色が狂おしく好きだ。

駐車場に車を停めて、ローカル線の線路を越えて海岸沿いに出る。右の水平線には立山連峰が見える。海の向こうに連峰が見える場所は、世界広しといえども、そうはないだろう。幻みたいな景色である。

猫の額ほどの砂浜に、額の黒子ほどの社がある。信心浅い俺ではあるが、絶景を見ることができる喜びを誰かに感謝せずにはおれない。

氷点下の気温であるのは間違いないのだが、インナーにジャンパー1枚羽織っただけの格好で、20分くらい砂浜を散策してはにやけていた。観光客らしき家族が1組、駐車場にはいたが、さすがに海岸までは降りてこない。絶景を独り占めした気になって、朝方の散歩を満喫した。

ビッグ・シチー大阪で生まれ育った俺が、富山に来たのは14年前。大阪から移住した直後から、何度となく聞かれたことがある。

「移住の決断するの迷わなかった?大阪と違って富山は何もないから、帰りたくならんけ?」 

俺は、「即決。満足」と簡潔に答えるようにしている。何の不満もない。これだけの絶景を車で10分の圏内で満喫できる県にいて不満なわけがない。都会に住んでいて、俺の今朝方のような散歩をしようとすれば、それは高額なレジャーとなる。非日常のイベントになってしまう。それを望めば毎日味わえるのだ。なんて贅沢な日々だ。

ところが、ずっと富山で育った人は、この土地の景観に感動したり、誇りに思ったりはしていないようだ。皆無ではないが、感動が薄い、そういう人が多い。早起きして雨晴海岸に行ったことを誰かに言っても、単なる物好きにしか思われないものだろう。

故郷は1度離れてみるものである。富山で育ち、その後、都会の雑踏にもまれて日々を商った人が、たまの帰省で、その絶景に触れ、心を洗われる気持ちを抱くことは、すごく貴重であると思う。

俺も富山に移住した当初と同じだけの感動と興奮を自然の景観に抱けているか、時々、自問自答する。慣れてしまうにはもったいない景観なのである。

38歳にもなって、天気に一喜一憂して、朝からわくわくして絶景スポットに行こうとする気持ち、これは自らの自然の景観に対する感動のメーターが、壊れていないか、鈍くなっていないかを確かめたいという気持ちが、どこかにあるのではないかと思う。感動の純度が鈍っていないかに対する怯えが、俺を早朝の海岸に向かわせるのかもしれない。

今日時点では、いつも通り、いや、いつも以上に、わが町の景観を満喫できた。俺も捨てたものではない。まだまだ眼は曇っていない。眼が開かれていることを実感できる日というのが、30代以降になってからは、実に嬉しい。ささやかな自己肯定日である。

少し休日返上の仕事をして、昼からは読書。

『クラッシュ』佐野眞一 (新潮文庫) 、 『捜査夜話』 石神正 (幻冬舎アウトロー文庫) 、 『白の鳥と黒の鳥』 いしいしんじ (角川文庫) 、「文藝春秋2月号」を読む。

いしいしんじ氏の作品は、意味もなく好きだ。咀嚼できない全体像でも、何だか涙腺がゆるむ。愛しくなる。

ちょうど、雨晴海岸の景観を眺めた時に感じる気持ちと同種の何かが、俺の胸に舞い降りる。白の鳥、黒の鳥、どちらも今日は見かけたような、見かけなかったような・・・。

今、富山では、しんしんと雪が降っている。何気ない冬のひとコマだが、日々を愛おしく思える日だった。こういう日に俺は喜びを感じる。日々のもやもや、雨を晴らしてくれる。 開眼だ。

2009年1月13日火曜日

外来語・外国語禁止遊び

中2の国語の授業においては、昨年から、あることを試みている。授業中に話す言葉全てにおいて、外来語、外国語を排除するというものだ。1つ使うごとにマイナスポイントが溜まり、1番マイナスポイントが多い子には、別個宿題(筆写)が課されるというものだ。
例外として認められるのは、人名・国名の固有名詞だけである。

もちろん、減点対象者には俺も含まれており、俺のマイナスポイントが1番大きい時も多々ある。気をつけていてもすぐに使ってしまう。そんな時は俺自身が筆写の宿題をするはめになる。生徒用に作った筆写プリント課題を仕上げて、翌週、みんなの前で見せて、「字が汚い」やら、「紛らわしい字がある」やら、種々の裁きと辱めを受けることになる。

授業中の課題文に、こんな文章があったとする。

「薄暗いビルの谷間を通り抜けると、行く手が突然明るくなり、わたしの目に飛び込んできたのは、ファーストフードのまばゆいネオンサインだった。」

上記文章において、「ビル」、「ファーストフード」、「ネオンサイン」は外来語だ。これをそのまま音読したら、それぞれマイナス1ポイントとなってしまう。

生徒と俺はこれを日本語に変換して読まなければならない。5秒以上の沈黙も減点対象となるので大変だ。

「ビル」=「建物」といった、単語と単語の変換で済むものならば簡単だが、「ファーストフード」を瞬時に変換しようとすると、大人でも簡単ではない。

「ファーストフードのまばゆいネオンサインだった」の文章は、

「店頭ですぐ食べたり、持ち帰ったりできる食品や調理済みの食品を売る店の、まばゆい、ある元素が放電している光りだった。」としなければならない。

俺自身は、「ファーストフード」はともかく、「ネオンサイン」を瞬時に変換できる言語能力と知識を持っていない。だから、音読時に、こういう単元に順番が回ってくると、辱めに一歩踏み出すことになる。

だがら、予習もきっちりとやるようになった。

この学習指導方法の意図は、言葉の変換を通して、言葉1つ1つを吟味させることにあり、そうすることにより、語彙数を増やし、豊かな表現力も身につくと思ってやっている。
最初は生徒本位の学習指導方法として考案したのだが、やっているうちに、俺自身が面白くなってきた。

考えてみれば、外国語・外来語を使わない日々はない。朝起きてから寝るまでに、どれだけの日本語以外の言葉を使っているだろうか?と考えると、かなり多い。外来語自体も範疇としては、日本語であるが、これ自体も排して、日々の会話表現を成り立たそうとすると、かなり大変である。

試しに例文を作ってみる。とあるガラ悪親父の1日の再現だ。

【あ~よ~寝た。腹減ったな~、パンは飽きたしUFO食うか。何?朝からUFO食べる人珍しいって? じゃかましい! はよポットの湯をぶちこまんかい、愚妻! テレビもしょうもないニュースばかりやの。 何が「東京の空にズーム・イン!」じゃ。 セレブばっか写しよってからに。 こら、息子! はよ起きてこんかい! パソコンばっかりいじっとるから眠いんじゃい! メールか、ブログかしらんけど、しょうもないことやらんと、わしみたいにベンチプレス100回やってから寝んかい! ほな、行ってくるぞ。ステップ・ワゴンの鍵出したらんかい! スタッドレスタイヤに換えたばっかりやから、俺のスーパードライビングテクニック披露しながら行くわ。 その前に大便や。 こら、便器冷たいやんけ! ウォッシュレットの電源抜くなこら。 冷えるの~。トイレットペーパーもあらへんやんかい! わしに手で拭け言うんかい! ・・・・】

この手のやさぐれ親父はどこにもいるだろう。こやつの会話から、外国語・外来語を排除して表現してみる。

【あ~よ~寝た。腹減ったな~、「小麦粉系を練った食い物」は飽きたし、「未確認飛行物体」食うか。何?朝から「未確認飛行物体」食べる人珍しいって? じゃかましい! はよ「お湯作ったり保温したりする機械」の湯をぶちこまんかい、愚妻! 「映像装置」もしょうもない「新しい情報」ばかりやの。 何が「東京の空に「焦点合わして拡大」」じゃ。 「金持っている有名人」ばっか写しよってからに。 こら、息子! はよ起きてこんかい! 「個人的な電脳機械」ばっかりいじっとるから眠いんじゃい! 「電脳手紙」か、「電脳日記」かしらんけど、しょうもないことやらんと、わしみたいに「長椅子に仰向けになって鉄の上げ下げ」100回やってから寝んかい! ほな、行ってくるぞ。「踏み段ある四輪車」の鍵出したらんかい! 「ぎざぎざ付いた車輪の回りの輪っか」に換えたばっかりやから、俺の「壮絶運転技術」披露しながら行くわ。 その前に大便や。 こら、便器冷たいやんけ! 「便器会社が作った自動尻穴清掃と便器温めを両方してくれる機械」の電源抜くなこら。 冷えるの~。「便所紙」もあらへんやんかい! わしに手で拭け言うんかい! ・・・・】

外来語は恐ろしく生活にシェアを広げている。今やそれなしでは表現を困難にする単語がたくさんある。それらを肯定して今後も使いこなしていくが、たまには、それなしで表現する言語遊びをするのも、日本人の矜持として大切だと思う。

2009年1月12日月曜日

変なしりとり

いつも寝る前に本を読んで、とろ~んとなってきたところで、ベッドの電燈を消して寝るのだが、本を閉じて電気を消した瞬間から意識がない。寝つきがすこぶる良いのが常だ。

ところが例外はあるもので、電気は消したものの眠れない。だからといって、再び電気をつけて読書体制に入るには、目にガッツがない。そんな時に何をするかといえば、変なしりとりだ。

眠りに導くための手法は、羊の数を数えることだが、眠るまでの時間を楽しく過ごす(自己基準)ためには楽しいしりとりだ。

俺のしりとりは単語ではしない。りんご→ゴリラ→ラッパ・・・・といったキッズのしりとりで満たされるほど大人の知力は柔ではない。

2~4文節までの文で、語尾の音を合わすというルールを作って楽しんでいる。

例えば、「だるまさんが転んだ(2文節)」の語尾は「だ」だが、次の文章も「だ」で終わるものにしなければいけない。「誰かさんがババ踏んだ」といった具合にだ。「だ」で始まり「だ」で終わる。つまり、1つの同じ語尾で、いくつ短文を作れるかを試す競技?だ。実にしょぼいが楽しい。

「だ」や「ます」のような助動詞の終止形で終わるものならば、何とか強引に作れるのだが、助動詞、終助詞なんかで終わる文ではなく、体言で終わる文を繰り返し作っていくのは、なかなかに難しい。

例えば、最初に、「今日は成人式」という体言止めの文を用意したとする。文末は「き」だ。「き」で始まって「き」で終わる文を作り続けていかなければならないのが、この高尚な遊びのルールだ。

「きれいな景色」 → 「きしょく悪いガキ」 → 「金色の食器」 → 「気管支炎の末期」・・・・・・ こんな感じで進める。

最初はこの程度のレベルでも、面白くて、目を閉じてにやけていた(かなり無気味なおっさんだと思うが・・)のだが、何か、文に統一性、シリーズ性を持たせたくなってきた。例えば、「ガラの悪いおっさん言葉シリーズ」、「雅シリーズ」、「不吉・不幸・不気味シリーズ」といった具合にだ。

上記、「きれいな景色」と「金色の食器」は、「雅シリーズ」に、「気管支炎の末期」は「不吉・不幸・不気味シリーズ」に、「きしょく悪いガキ」は「ガラの悪いおっさん言葉シリーズ」に分類される。

制約が多い中で、いかに多くの名文を作れるか? 眠りにつくまでのしばしの時間を有効利用するには最適な方法である。物好きな人がいたら、是非試してみてほしい。

ウェブ上実戦問題演習をする。

シリーズ:「極道シリーズ」 スタート課題:「暴力団Y口組」 

よ~いスタート! 「み」で始まり「み」で終わるしりとりだ。

「道を外れた悪だくみ」 → 「ミンチにしたろか!ひと睨み」 → 「未知の懲役お慰み」 → 「乱れた暮らし怨みつらみ」 → 「未然に防ごうタレコミ」 → 「みんなで行くぞカチコミ」 → 「みぞおちに蹴り、 銃をこめかみ」 → 「 未練たらたら神頼み」 → 「密輸のがさ入れ臍をかみ」 → 「見張りがいっぱい夜の闇」 → 「貢ぐ女の後ろ髪」  → 「蜜月の日々はすぐに止み」 → 「水漬く(みづく)屍 明日はわが身」 → 「看取る女房はほくそ笑み」 → 「未払い無視して暴れ飲み」 → 「身元知れずの独り身」 → 「ミイラ取りがミイラの身」 → 「見返り惹かれて日和見」 → 「ミスチシズムに目覚めた牢の隅」→ 「民事に刑事 種類を問わない日々の罪」 → 「 見切りをつけたキリトリのうま味」 → 「身から出た錆びいい気味」 → 「 御灯(みあかし)あれど いない神」 → 「未決の事件に関わる君」 → 「みかじめ減って腫れた瞳」 → 「見初めた未成年への興味」 → 「見世物小屋の魑魅」 → 「身震いしながら半身」 → 「ミッションだらけのわが組」 → 「脈打つ血管 禁断の実」 → 「ミリタリズムを知らない右翼の意味」 → 「 耳輪に鼻輪 最近の組」 → 「みなぎる闘志 自慢のソリコミ」 → 「 見栄え重視 欺瞞の刺青」

ぱっと思いつく限り書いたが、まだまだ文はいくらでも出来るだろう。出来の良し悪しは置いておいて、言葉ひらめきの瞬発力を養成するためには、良い方法だと思う。
だいたい20文くらい考えていると睡魔がちゃんと襲ってきてくれるので、不眠解消にも良いだろう。

妙に眠たくなってきた。おやすみ!  

2009年1月11日日曜日

アフォリズム

高校時代からの友人で双子の猛者がいる。俺は弟のほうと主に仲良くしていたのだが、その兄貴とも交流があった。二人とも太りやすい体質で、弟はガテンでぎりぎりの範疇であったが、兄は、誰が見ても「デブ」レッテルを貼られる肥え方だった。ラジパンダリに似ていた。

話し方はお相撲さんみたいで、ベルトは地面向いてねじまがり、鼻息は荒い。彼の学生服はパツパツで、今にもはち切れそうだった。

すごく温和な人で、強気な弟に対して弱気な兄、いつも緩んだ表情で笑みを垂れ流していて、見ているだけで幸せな気分にさせてくれる人だった。今は越前で大型遊興施設のトップに君臨している。

今でも思い出す度に笑える、この兄貴の悲劇がある。以前に書いたことがあるかもしれないが、記憶が定かでない。もう一度書く。

休み時間にみんなでじゃれ合っていた時、彼がしゃがんだ。彼のパツパツのずぼんがついに破裂した。「パーン!」という音を立てて、前はファスナー下、後ろは尻の割れ目の上部まで、見事に彼のずぼんが裂けた。

人の悲劇が何より楽しい年頃である。その瞬間、俺たちは破裂音にびっくりすると同時に、腹を抱えて笑い出す体制を整えたところだった。彼の尻に視線をロックオンして、笑い声発射寸前の時に、次なる事態が起きた。

ずぼんが裂けて焦った彼が、「うわ!」っと言って立ち上がった。その瞬間、彼は胸を張ったような体勢になったのがいけなかった。分厚い胸板で、もともとはち切れそうな彼のカッターシャツがついにハルマゲドンを迎えた。

俺の目の前に、彼のカッターシャツのボタンが、バチバチと音を立てて数個飛んできた。ロックオンされていたのは俺たちの視線だったのだ。

尻は裂けるし、胸のボタンはほとんど無くなるし・・・。 びっくりを通り越した彼の表情・・・、しばしの沈黙の後に、俺たちは際限なく笑い続けた。生きていてこんなおかしなことはない。俺はマンガみたいな出来事が実際に起こりうることを知った。

こういうのを、「泣き面に蜂」という。「弱り目にたたり目」という。

悪いことが重なる事例は、彼だけに限ったことではない。不思議とタイミングの悪さというのは重なるものだ。バイオリズムか運気か、何だか知らない流れが確かに存在する。上手く表現したことわざ、格言だと思う。

俺は「泣き面にめばちこ」は経験した。幼少時、泣きじゃくって目を掻いていたら、目がばちこした。腫れはなかなかひかなかった。

「弱り目にたたり目」は昨年経験済みだ。緑内障で右目を手術して、その恐怖もいえず、視力もほとんどない状態で、4日後に左目を手術した。文字通り、このことわざを体験している。

今日はついていない日だった。玄関を出ると屋根雪が俺に落ちてきた。ドリフのギャグみたいに、顔面水浸し。俺は腹が立って、落ちてきた固まりを蹴り飛ばした。

駐車場までの10メートルの所で、自分の靴紐を自分で踏んで、軽く転んだ。非常に気分が悪い。

車に乗ればワイパーが間接外れたみたいになって、起動範囲が一定しない。俺は雪かき棒を窓から全面に当てながら運転した。

職場に行く。以前、日参するカラスをしばきあげて、最近は落ち着いていたのだが、久々に黒い群れが俺を待ち構えていた。寒くて退避場所を職場の屋根に求めたのだろう。クソ塗れの路上を俺は踏んでしまった。腹が立った。

大人気ないのだが、俺は本気でカラスに向かって、「こら~~ 、くあ~~!」と声を出した。近隣住民の気配がないのを確認しながら、「くら~~~ くあ~~!」と再び罵声を浴びせた。そして雪の塊を投げつけた。

すると黒い群れは飛び去ったのだが、1匹だけ、図太い奴がいて、すぐに舞い戻ってくる。そして俺の頭上から、口にくわえていたミミズチックな細長い生き物を投下してきやがる。マンガだ。ははは・・・。俺は冒頭の友人を思い出した。

ミミズチックな生き物を間一髪で避けた。凝視するのも気持ち悪いそのブツを、俺は蹴飛ばした。
「踏んだり蹴ったり」だ。

そして、再び「くら~~~、 くあ~~」と奇声を上げながら、近くのホースから水を放水した。

とどめがある。放水したホースを元に戻す時、水圧で制御不能となったホースが、ぐるんぐるんと回りだし、俺の顔面向かって水が飛んできた。自爆だ。見るも無残な俺の顔が、いつものイケメンに戻るまでに、タオル2枚と10分を要した。

こういうのを、「踏んだり、蹴ったり、かぶったり・・・・ラジパンダリ」というのだろう。

格言だ。アフォリズムだ。 

タクシー・ドライバーの安全

タクシー・ドライバーを襲う事件が後を絶たない。客を装って乗り込んだ後の恐喝が数件続いた後に、昨日は、ついに待ち合いのタクシー・ドライバーまでが襲われたらしい。

客待ちをしていて、いきなりナイフを突きつけられるドライバーの恐怖といったらいかに? ただでさえ、水揚げが悪いこの景気のさなかで蔓延る犯罪に対して、憤りを覚える。

最近は乗っていないが、俺はタクシーが好きである。どのくらい好きかというと、都会のバス停からバス停まで1区間を、バスを見過ごしてまでして乗るほど好きだった。京都では、一時期色々業界の軋轢を生んだMKタクシーが好きだった。運転手が降りて、客席ドアを開けるサービスを始める前の時期であったが、けっこう贔屓にした。

タクシーの醍醐味は、道中の運転手との会話である。京都はまだ恥じらいがあるが、大阪の運転手は、乗って走り出すとすぐに、話しかけてくる傾向がある。

俺はこの傾向が嫌いではない。むしろ、運転手との会話を道中の慰みにして移動することが好きであった。運転手によって、かなりの人格差というか、会話ジャンルが変わっているのも興味深く、結構楽しみにしていた。

関西のタクシーは、後部座席と運転手側の間の仕切りが1番少ないそうだ。大阪が1番らしい。

それに反して、運転手と客席の仕切りが1番充実しているのは、埼玉県らしい。

そういえば、東京、埼玉でタクシーに乗った際に、運転手から話しかけられた記憶はほとんどない。ドライバーとの会話を楽しんだ記憶は全て関西である。地方の気質がこのへんにも現れているのかもしれない。

タクシー・ドライバーは無防備だ。運転中に後ろからナイフを突きつけられたら、ジャック・バウワーでも降参するだろう。

水揚げが少ないご時世に、釣銭用くらいのお金を恐喝されて、お金だけで済んだドライバーはまだいい。傷害をくらったドライバーにとっては、これほど割りの合わない仕事もないだろう。本当に同情すると同時に、犯人に対して憤りを感じる。

新婚旅行でロンドンに行った時、向こうのタクシーに乗ったが、今は多色のタクシーがあるみたいが、その当時はBlack Cab の名前通り、黒色だった。

俺は新婚旅行初夜に、嫁と喧嘩してホテルを飛び出し、彷徨した後に、とあるパブで泥酔した後に利用したのだが、運転手側と客席側が壁で仕切られており、たしか、乗る時に運転手と直に話して行き先を告げた記憶がある。

運転手側と客席側に壁がある場合、防犯面では非常に効力があるのだろうが、俺は見知らぬ土地で乗ったタクシーの運転手が、乗っていて見えないものだから、目的地に着くまでかなり心配だったのを覚えている。

タクシーを利用する人によって思いは違うのだろうが、運転室と客席が分離されているタクシーが一般化する時代というのは、世紀末な感じがする。しばしの道中も密室になる時代には生きたくないものだと思う。

でも、こんな時代だ、あまりにも無防備なタクシー運転手を守るためには、後部座席との間の壁をつけて、後部座席での自動精算システムみたいな機器をつける必要があるだろう。

タクシーに乗る。運転手の顔は見えない。目的地に着いたら、ラブホテルのジェット・シューターみたいな精算ツールがあり、それを用いて金銭授受がなされる時代が、残念ながら必要なのかもしれない。

犯罪という範疇は広いが、激務を背負って人の足となる善良なドライバーにも、追いはぎが現れる時代だ。この無機質なシステムを作って、ドライバーの安全を守って欲しい。

ただでさえ不景気な今、全てのタクシー会社がそれらのシステム費用を捻出できるとは限らない。

そのため、タクシー会社に対しては、減税措置、もしくは免税をしてあげ、まずは彼らの身の安全に配慮すべきだと思う。TAXI は、TAX の親戚割引があってもよいだろう。

タクシーの運転手といえば、人気スポットや美味しい店を知っている、街情報のスペシャリストであった。ナビゲーションシステムよりも圧巻の状況判断を駆使し、的確に旅行者を目的地に送り届ける彼らのドライビングは、惚れ惚れするほどプロフェッショナルだった。

鍛錬を経て、素晴らしき技能を持ったプロフェッショナルが減っていくのを見るのは、なんだか悲しい。運転手を襲って小額の現金を奪うという犯罪者は、自らが犯した事例が、大切なプロフェッショナルな人々の雇用機会をも奪っていることに気付いて欲しい。

2009年1月9日金曜日

小路散策

通勤経路は日々変えている。絶対に最短距離では行かない。わが住む市の道という道は全て制覇するつもりで、毎回幹線から外れては、枝のまた枝へと寄り道を繰り返しながら通勤する。巡礼者みたいな俺の通勤模様だ。

本来、小路は徒歩で巡礼するべきだと思う。都会ならば車の通れない小路がたくさんある。何か見えない力で遮光されたような路地裏で感じる息吹が好きだ。大阪環状線、京橋から天王寺にかけて、丸1日歩いたことがあったが、まさに袋小路のような道を歩くのが好きだ。

人同士がすれ違うのもやっとの道がある。そんな道を歩くと、そこに住んでいる人の生活模様もついつい見えてしまう。紛れもなく覗き見の範疇だ。

網戸越しに聞こえるお母さんの嬌声、奇声、テレビをラジオ代わりに鎮座している翁、緊張感のない肥えた犬と猫、ご飯時になれば、それぞれの家特有の香りがある。そこに居住している人には申し訳ないのだが、覗き見する。好奇心というのではなく、単純に狭い道で感じる息吹が好きなのだ。

そんな道を通っていると、俺は紛れもなく異邦人であり、たまたま人とすれ違おうものならば、たちまち好奇の目で見られる。自分たちの生活空間に侵入してきたエイリアンの1人となる。

俺の小路歩きは決して趣味が良いものではない。でも好きだからまだまだ歩くつもりだ。

都会での徒歩散策が1番楽しいのだが、田舎ではえてして道が広い。車社会の前提で道が作られるので、小路は少なくなっている。おまけに、自分の住む町での小路散策は、偶然にも知っている人の生活空間に迷い込んだ場合、非常にバツが悪い。俺にとっては偶然だが、彼らからしてみれば、俺の目的を必然と訝しがる可能性がある。

一種のストーカー疑惑を抱かせることにもなりかねない。よって、わが住む町では、車の散策で辛抱している。それでも結構楽しい。

もう辿り尽くしただろうと思っていても、なにぶん車での巡礼である。見落としはたくさんある。幹線から外れた枝葉末節全てを巡り終えるのは、まだまだ先になりそうだ。

今日は、初めての道を発見した。そこに居住している御一行か、郵便、宅配関係者しか通らない道である。車がやっとかっと通れる小路である。

こういった道がもし、車で通るには行き止まりになっていて、その行き止まりに隣する家が豪邸である場合、それは狭道関係者であることが多いので、俺は期待に胸を膨らませて徐行した。

あいにく、その道は行き止まりにはなっておらず、するりと枝道に抜けたのだが、なかなか厳かな通りであり、高い建物がないにも関わらず、日が当たらない道であった。俺の最も好きな小路である。

家は軒並み古い。まだ木の窓枠の家もあった。トタン屋根、トタン車庫がずらりと並び、小路全体は錆色である。家主を失くした廃屋もある。俺の好き好きレーダーが敏感に反応する。「ここには何かがある!」と俺はいきりたった。

あった。俺が求めている宝島的、トマソン的景観があった。

俺の目に飛び込んだ手書きの貼り紙には、「墓あります! ヨコ→ 」と書かれていた。
伝達する上で、極限まで無駄を省いた名コピーだ。広告代理店もびっくりだ。

「ヨコ→」を見た。そこには、無縁仏だらけのような、墓石割合の少ないミニ墓地があった。墓地の土は肥沃に見える。蓮根植えたら、立派な蓮の花が育ちそうな水分を多く含んだ土壌に見えた。倒壊している墓もあった。滋養に富んだ土地ならではの地盤沈下があったのだろう、その対策らしき盛り土もあった。激シブの仏御用達用地だ。

限りなく交通量の少ない小路に、このような貼り紙を出したところで効果はないだろう。
でも、この貼り紙主のような神経を俺は素晴らしいと思う。

そして、ぶら~~っとドライブしていて、「あ、墓あるんや? 買おう。」と即決出来るようなスケールの大きな人に俺はなりたい。

小路は魅力にあふれている。質の高いユーモアにもあふれている。死ぬまでに少しでも多く散策して、「ヨコ→」みたいな墓地で眠りたい。

はかばかしい小路散策であった。

2009年1月8日木曜日

使いたくない言葉

「24」を観ていて、ずっと気になっていた言葉があった。ジャック・バウワーをはじめとする現場捜査官が主に使う言葉だ。

本部からの指令が現場捜査官にいく。無線や携帯電話を片手に、ジャック達が“ copy that ”という場面がしょっちゅう出てくる。初めて聞いたときから、耳慣れなかった。初めて聞いた言葉だったのだ。捜査官もの、戦争ものの映画では多く使われている表現かもしれないので、今後いろいろな映画を見る際に、また意識してみたいのだが、とにかく「24」を観るまでは初耳の表現だった。

“ copy that ”が使われる場面は、100%、誰かから指示を受けた後だ。
「了解」という意味のニュアンスで使われているのだが、“O.K”、 “All Right ” 、 “Roger ” という表現以外に、“ copy that ”というのがあることを知らなかった。

“ copy that ”という言葉を何度も聞いているうちに、この言葉の持つ厳しさ、哀しさというものを感じてきた。縦の世界、序列の世界、絶対服従の世界にある軍隊、連邦捜査官ならではの言葉だと感じた。

“ copy  ”は動詞の用法では、「写す」という意味で使われる。コピー機がドキュメントを複写するように、忠実に写し取ることを要求する言葉だ。

“O.K”は、“ all correct”を“oll correct”と書いたことから広まった言葉だが、話しての主観と意思を感じる言葉だ。同じく“All Right ”も、ばりばり意思を感じる言葉だ。

“Roger ”は 通信用語で、“received ”からくる言葉であり、少し事務的な感じもするが、「拝聴しました」みたいな感じであり、意思的には中立な感じがする。

ところが、“ copy that ”はどうだろう? 「あなたのおっしゃられたことを、頭に写しとりました。」という感じで、意思のないロボット的な復唱である。人間性を排して、「受信完了」といったニュアンスを俺は感じてしまう。

おまけに、機密事項を含む伝達がなされる場面においての、“ copy that ”は、いっさいの証拠隠滅、守秘義務をも保証する誓いの言葉に聞こえる。本部からの指示を、証拠の残る紙なんかにメモするのではなく、頭の中に写しとる作業を義務付けられた者だけが使う言葉であると思う。

そういえば、「24」において、犯人の潜む番地や電話番号を、ジャック達捜査官がメモを取るシーンは1度もなかった。結構複雑な住所と分単位の動きを要求される細かい指示があったが、それらを早口で1回聞いただけで、ジャックは“ copy that ”と言う。

ジャックの経歴は、大学卒業後、SWATやデルタ部隊を経てのCTU入りだ。アメリカ陸軍経験豊富な経歴だ。

同じく“ copy that ”を使ったカーティスも、湾岸戦争で部下を率いる立場のプロ軍人という経歴の持ち主だ。

自分の意思を排除して、ひたすら国への忠誠を義務付けられた立場にいる人たちならではの言葉である。彼らが辿ることになる根源的な悲哀を、この言葉が上手く表しているような気がしてならない。

非常に悲しい連邦捜査官の運命であるが、ジャックには、どこか人間的な部分も感じる。悲しみを背負いながらも人間であることを放棄していない者だけが持つ、何か意思のようなものを感じる。なぜだろうか?

それは、ジャックが“ copy that ”と返事しながらも、平気でその指令を無視して、自分の尺度による判断をするからだと思う。伝達や指令を写しとるだけではなく、その後自分で思考するからだと思う。

ジャックの判断は、ほとんどの場合正しい。だが、彼を抱える上司にしてみれば、冷や汗ものの事態を彼は次々に引き起こす。無謀で強引でセオリー無視・・・、でも表向きは
“ copy that ”で答える。

全然“ copy that ”してへんやん! とツッコミを入れながら「24」を観ていた。

“ copy that ”にぴったりの対訳は何かとずっと考えていた。でも浮かばない。独特の無機質感を出すには、日本語は温かすぎるのだと思う。

意味合いは若干変わるが、雰囲気的には、「笑っていいとも」でタモリに答える観客の、「そうですね。」や、親に怒られて、「わかったの?」と詰問された子供がしぶしぶ答える、「わかりました。」の無機質感に似ている気がする。

“ copy that ”は個人的には使いたくない言葉である。

2009年1月7日水曜日

異論混入

まだこんなしょぼいことをする奴がいるみたいだ。今日のヤフーニュースから。

「「料理に異物が入っていた」とうそをついて金をだまし取ったとして、御殿場署は6日、住所不定、無職、志船栄一容疑者(71)を詐欺容疑で逮捕した
。」

こやつ、自分で唇をかんで出血させたらしい。そして、偽造した医者の領収書を用意して数万円をだましとったらしい。すごく必死さが伝わるが、こんなしょぼいおっさんが71年生きられるというのがすごい。ゴキブリみたいな奴だ。彼の黒くて灰色の人生を聞き取り調査したい衝動にかられた。

飲食店経営者は大変だと改めて思った。この事件は、明らかに栄一君が悪いが、料理への異物混入は、あってはならないという原則はあれども、起こりうることだ。

血が出るような異物は防げるとしても、髪の毛と虫の混入は飲食店の背負うリスクの宿命だと思う。

厨房をいくら清潔にしていたところで、ゴキが目を付けないはずがない。一戸建ての飲食店ならば最大限の努力で防げたとしても、雑居ビルのテナントなどにおいては、自分所だけの心がけで防げるものではない。

髪の毛にしてもそうだ。髪の毛の新陳代謝をなめてはいけない。落下して舞う髪の毛を防ぐのは至難の技だ。高級料理店の料理人はまだいい。山高帽やハイソなかぶりものが似合うからだ。

だが汚いおっさんが料理している美味しい店がある。そして俺はそういう店を愛している。そんなおっさんが、ハイソな帽子や綺麗な調理服を着ていると、何だかこそばくてならない。雑多感が魅力の料理の味からパンチが消えそうな気がする。

俺自身は、異物混入にかなり寛大だ。カウンターから厨房を見ていたら、ゴキブリが這い出てきた器があった。「でっかいゴキやの~。」とゴキに対してはびびったが、その後、その器にだろう(多分)、入れられて出てきたラーメンは、あまり違和感がなく食べられた。指摘したらよかったのだろうが、ちょうどランチ時、俺の横にもたくさん客がいたので、言ってしまうと、ごきげんな贔屓の名店の商いが傾くのではないかと危惧したのだ。なんて心優しい客だろう。

他にも、回鍋肉を作っているフライパンの上をネズミがハードルみたいに飛び越えていったこともあった。でも平気。 なぜならその店は床によくネズミの糞が落ちていたからだ。
慣れていたのだ。あり得ると・・・。 不衛生ではあるが、なま物を供す店ではない。その中華料理屋はむちゃくちゃ美味しかった。汚い店と汚いおやじが作る料理はえてして美味しいことが多い。料理とは本来雑多で猥雑な部分があるのだろう。

中島らもさんの本にあったエピソードだったと思うが、大阪N成の食堂でうどんを食べていたら、底から大きなゴキブリが出てきたことがあったらしい。さすがに店主のおばちゃんにクレームつけたら、「兄ちゃん、若いのに好き嫌いしたらあかんやん。」と何事もなくクレームを却下されたらしい。恐るべしだ。

冒頭の栄一君が、N成のおばちゃんの店でクレームをつけたら、彼は71歳にして初めて得る人生観があっただろう。栄一君にN成の食堂、無料招待券を上げたらどうかと思う。ゴキ汁を飲み干せ!

俺の体験や、中島らもさんの体験は極論として、一般的には飲食店にゴキブリ、ネズミはご法度だろう。多くの店に必ずいるはずなのだが、お客さんには黒と灰色を連想させないようにしなければならないのだから、ほんと大変だと思う。

髪の毛、ゴキ、ネズだけではない。見えない菌とも戦わなければならない。個人的に和食店での食中毒なんかは、ババを引いたみたいなもので、防ぎようがない部分もあるように思う(もちろん食中毒を弁護、肯定しているわけではない)。

生牡蠣、烏賊なんかは、料理人の関せないところで食中毒を起こさせる生き物だ。俺も以前、すし屋で生牡蠣か烏賊で食中毒をくらって病院送りになったが、保健所には言わず、大きなニュースにしなかった。一言、「もれてまうやろ~~~~! 気~つけなはれや」とだけ電話した。

そして、その1週間後に友人を連れてまた食いに行った。ウニとカニと味噌汁をサービスしてくれた。そして、それ以来、生食には不向きなフライ用の牡蠣を生で食べても何ともならない。美味だ。食中毒を通して、牡蠣に対する免疫が出来たのだ。こうして人は抵抗力を増していく。飲食店が与えてくれたワクチン注射だ。

カイワレ食って、O157やらいう病名が作られるくらい、食す側の抵抗力がなさ過ぎる時代だ。食中毒があったとしても、飲食店ばかりを責めるのは酷だろう。

冒頭の栄一君のしょぼい犯罪について斬るつもりが、いつの間にか飲食店経営者への深い同情文になってしまった。毎度の乱文とはいえ、異論混入だ。免疫をつけて、懲りずに読んで欲しい。

2009年1月6日火曜日

定額給付金

職場の前に県立高校がある。広大な運動場を持った敷地面積の広い学校だ。でも校舎は外観を見る限り、かなり古くさい。コンクリートは風雨にさらされて汚れ放題。外観の塗料も汚れが付着して、キレイな橙色であったろうに、今じゃ汚い茶色に見える。

俺はこの高校を創立7,80年の伝統校だと思っていた。歴史の積み重ねが校舎の汚れ具合の根拠だと思っていた。ところが、創立24、5年だという。

俺が通った高校は、俺が高1になる時に創立された。俺は1期生として、ピカピカの校舎で学んだ。計算すると今年で創立24年目に突入することになる。

つまり、職場前の高校は、俺の通っていた高校とほぼ同じ時期に創立されたわけだ。

なんてことないこの事実だが、目の前の高校を母校に重ねて見ると、何だか隔世の感というか、創立1,2,3年から一気に創立24年にタイムスリップしたような感覚になった。間にある20年間がぽっかりぬけた感じがある。20年間は自ら高校生活をしていないので実際に抜けているのだが、20年という長い年月の実感が、高校の校舎と重ねて見た時に、わかなかった。

俺の中での母校は1期生のイメージのままなので、今でもきれいな校舎のイメージしかないのだが、職場前の高校と同様、もうずいぶん汚れてきているのかもしれない。今度帰省した際に見てみたいと思う。

色んな公的施設があるが、学校というのは、最も劣化しやすい施設ではないだろうかと思う。学び舎として、ほぼ365日使用される。マナーの良い子どもばかりではない。マナーを学ぶ途上の子どもが多く集う場所だ。

廊下は走り回るもの、窓は割るもの、壁は落書きするもの、トイレはタバコを吸う所、これらが学び舎に寄生する昭和の不良のモットーだ。いくら、全員が掃除を義務付けられた集団とはいえ、勤勉な生徒30人の働きは、1人の不良生徒の悪事によって帳消しされる。校舎劣化がすすむはずだ。

昨年には、屋上の床が抜けて生徒が落下死するという事件もあった。また、耐震強度、アスベスト除去の問題にしても、改修が進んだとはいえ、未だファジーな部分が多いと思う。

「ゆとり教育」の弊害から脱するために、学習カリキュラムの改訂がなされ、昭和の時代までとは言わないまでも、今よりは内容が濃くなるようだ。ソフト面の改良はなされるわけだ。ならば、いっそのこと、ここらでハード面の大改修にも取りかかったらどうかと思う。

予算はどうする?という声もあるだろうが、ぴったりの予算枠がある。「定額給付金」を使うのだ。1つの公立学校に対して、例えば、小・中:8000万円、高校:1億円換算で予算をつけてあげ、その予算総額を市町村レベルで、老朽化に応じて配分すればよい。外壁工事、耐震工事など種々の工事がいくらくらいするのか知らないが、1億円あればかなりの補修が出来ると思う。工事費が余れば、各種学習器具の導入に使ってもらえばいい。

「定額給付金」に関しては、断固反対だ。国民1人に12000円かいくらかしらないが、たかだかこの程度の金額をばら撒かれても、お年玉にもなりやしない。1人1人にとっての実感は、たいしてありがたくもない。それに対して、総予算はハウマッチ???? 有権者への機嫌取りで捻出する金額ではない。

著名なエコノミストは、「定額給付金がばらまかれても、多くは貯金されるだけで、景気対策の起爆剤とはならない。」と言っているが、俺は、貯金にもならず、景気対策の起爆剤にもならないと思う。外食産業やゲーム関係、家電関係が一時的に繁盛するだけだと思う。

こういった莫大な金をばらまくことを決めた人たちは、連判でもいいから書面を公開して、その結果が総括された時に、責任を問えるシステムを作ってから施行すべきだと思う。もちろん個人で負えない責任規模であるが、不問はありえないと思う。
そうすれば、「定額給付金」のような歴史的汚点政策は、議題にも上らなければ、施行もされるはずがない。

出すだけ出して、効果がなくても、何ら責任を問われないという体制だからこそできるばら撒きだと思う。昔、「地域振興券」だったか、プチばら撒きがあったが、あれって効果があったかの議論自体も、幅広く公表されたわけではない。されていても、国民の限りなく全員に認知されていなければ、公表したとは言わないと思う。

それにだ、「定額給付金」経済的な成果があったかなかったかの尺度自体が曖昧で、成果の出しにくいものだと思う。成果があったと主張する側が用意する統計と、成果がなかったと主張する側が用意する統計で、大きく評価はわかれてくる。統計マジックを見せられるだけだ。

成果自体のジャッジが曖昧で見えにくいものに多額の金をばら撒くのであれば、大多数が、「良いことにお金を使った」と納得しやすいものにお金を使う方が賢明だと思う。

子供がいる、いない関係なく、学び舎に対する資金投入を不快に感ずる人は少数だと思う。
未来の人材育成の場という大義名分もあるし、心情的な面でも意味のあるお金の使い方だと思う。

学校設備工事にお金が使われるのであれば、工事関係者の受注機会が増える。昔から景気対策として、使われてきたゼネコンへのカンフル剤注射と性質は似ていると思う。政治家にとっても悪い話ではないだろう。

1人:12000円は小額だが、これを束にして未来への投資に回すのだ。夢のある投資だと思うし、実際問題としても、老朽化が目立つ学び舎環境を考えると必要な資金だと思う。

個人の立案を述べてみたところで、「定額給付金」は施行されるだろう。歴史的汚点のカウントダウンはもう始まっている。でも納得がいかない。

俺は自民党、民主党、公明党、いずれかを全面支持する気はない。「定額給付金」の是非においては民主党と意見が似ているだけだ。

「定額給付金」に関しては、所得制限を設けるかどうかの是非ばかりが議論されているが、そんなレベルの話ではない。「定額給付金」自体が、無駄遣い以外の何物でもないという大前提が存在する話だ。

景気対策は構造的な問題に視点を置くべきだ。臨時収入で景気へのカンフル剤となるならば、過去の不景気は歴史的な事象とならないはずだ。

構造的な赤字を垂れ流している家計に12000円が入ったところで、それはギャンブルなどによる臨時収入レベルの話である。ひと月微々たるレベルで潤って、それでまた通常赤字体制に戻るだけの話だ。

全国の首長の中に、「学校設備改修費として使います。明細も逐一報告します。だから、定額給付金を寄付してください。」と公的に募る案を出す人はいないだろうか?かなりの金額が一時的な浪費銭とならずに、集まると思うのだが・・・。

「定額給付金」の話が本気で実現寸前まで進むとは思っていなかった。あまりに幼稚な政策なので、優秀なシンク・タンクが最初は苦笑して傍観しているにせよ、時期が来たら止めるものだと思っていた。だが認識が甘かった。

優秀なシンク・タンク、官僚、政治家を育んだ学び舎が悪いということにして、その環境整備工事が施工されることを願う。変な政策は施行されなくてよい。

2009年1月5日月曜日

達観

首相の年頭会見にあった、哲学者アランの引用、「悲観は気分、楽観は意志によるものだ」という言葉だが、よく出来た言葉だと思う。悲観、楽観というものが、本来かくあるべきという理想を的確に表した言葉だと思う。だが、理想はあくまで理想だ。

政治家、経営者というのはえてして、引用が好きだ。本人や演説ライターの力量不足が原因だろうと思うが、自分で言葉を紡ぎ出せないからか、安易に名言を借用して自分の力量をごまかそうとする。当然聴いている人間には響かない。

あまりに分不相応な言葉であり、会見という体裁ではあれ、国のトップの年頭会見である。訓示としての意向を持った場面で使われると、余計に哀しく響く。

個人的に、首相の引用を聴いていて、自戒の言葉、もしくは皮肉か?と思った。

政党同士の争いにおいて、意志を持って悲観論を垂れ流し、攻撃材料にする人たち、一方、大した根拠はないまま、現況に対して気分で楽観できる人たち・・・。「悲観は意志、楽観は気分」となっているのが、哀しいが現状だと思う。

「本来はかくありたい。俺もアランの言葉を体現できるように精進したい。」という自戒の念なのかもしれないが、自戒なら書斎ですればよい。国民に披露して気分を垂れ流す意志は必要ないと思う。

もし、アランの言葉が正しくて、国民全体がかくあるべきだというメッセージなのであれば、これほど現実と乖離した言葉もない。安易に使える言葉ではないと思う。もっと教義的というか、バイブル的な重みを持った言葉だと思う。

実生活においては、悲観の中に意志を持って楽観的な気分に変えながら、日々を処していくのがやっとであると思う。そして、この処し方は決して悲観的ではないと思う。人間の限界を知った上での謙虚で楽観的な処し方だと思う。誰が、楽観的な環境下にあって明確な意志を持てるものか。

もし、楽観的な状況で意志を持てる人が多くいたならば、アメリカ経済がくしゃみをしたぐらいで、日本経済が風邪をひくこともない。今は、アメリカが風邪をひいて、日本は瀕死の重傷を負っているのが現状だ。意志がある楽観の結果では決してない。

藤原道長の「この世をばわが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」という句にあるように、昔から人間は、楽観的な状況では浮かれ気分でいるものだ。それでいいと思う。

意志を持った楽観、気分の悲観・・・。 失脚後に自ら意志を絶たれたN元議員も、悲観の気分を意志を持った楽観に変えていけていたならば、悲劇的な結末を自ら選ぶこともなかったと思う。だが、現状はそうではなかった。

世の中は100年に1度の不景気だという。だが、個人的には実感がない。好景気という時代も生きてきているが、その時も実感はなかった。飢えている人を見るのが困難な時代だ。不景気不景気と気分を垂れ流されても、その気分はない。

派遣打ち切りで生活の場を無くした人たちに対する救済が、全国あちこちであったようだ。
炊き出し、住居の提供・・・、そして派遣労働者の主張の聞き取り調査も多くなされ、新聞紙上でいくつかが紹介されている。

彼らは悲観しているだろう。そしてそれは気分だろう。アランの言葉は今の局面においては的を射ている。だが、不安定な身分である派遣社員という立場を自ら最初に選んだ時の楽観に意志があったならば、今の現状に不満を言うことも、打ちひしがれることもなかったはずだ。だが、現実は違った。楽観に意志などなかったのだ。

あまりにも大きな言葉を引用して、理想論をふりかざすこと自体が、意志のない気分まかせの楽観であると思う。好転する契機となるトップの言葉ではないと思う。

俺は楽観的な状況では意志を持つ一方で、流されて気分に酔う。悲観的な時には滅入った気分に悪酔いしながらも、意志を持って楽観的な状況を目指す。
意志と気分、どちらも肯定しながらも、それを楽観、悲観どちらの状況でも持つ。

これが現状でできる最大の処し方であると思う。そしてそれを「達観」というのだと思う。「達観」は人生の晩年にしかたどり着けない境地だと思っていたが、目の前に転がっている、ありふれた境地だったのかもしれない。

2009年1月4日日曜日

S風閣の思い出

大学生時分、そして中退後も数年間にわたり、寝食共にお世話になったアルバイト先がある。京都の旅館、「S風閣」だ。

昨年末に帰省した際、同じくバイトしていた先輩から、その「S風閣」がなくなって、今ではマンションになっていることを聞いた。聞いた時もショックだったのだが、1週間ぐらいたった今になって、すごくせつなくなってきた。

自らの青春時代を投影している思い出の土地、店、人が、それぞれに色々ある。それらが時代の変遷と共に姿を変えるのを見ていくのは、決して初めてでもないし、懐古主義で
懐かしんでいるのではない。今までに姿を変えた昔の面影に対しての思いは、「IRON MAIDEN」という曲で歌ってきたが、「S風閣」がなくなるということは、俺の中で思っている以上に大きかった。ただ、せつないのだ。

「S風閣」は、主に修学旅行生を相手に商売する老舗の旅館だった。社長は、祇園祭の鉾を持つほどの名士であるし、雅と伝統を備えた、京都の由緒ある旅館だった。

経営者は格式ある一家の方だったが、そこで働く人というのは、人生の縮図、まさに祇園精舎の鐘の音を体現したかのような人ばかりだった。言葉は悪いが、掃き溜め的な要素を強く内包した人間模様だった。

フロントスタッフは、かつて商売で成功→倒産という流れを経験した人が2人いた。どちらも栄華を極めた時代のプライドと傲慢さを捨てきれずに、何とか誇り高く生きようとしておられるのだが、現状に対する苛立ちを隠せずにいた人であった。

後は、偽善的な浮遊感と優しさを持った人が1名、タクシー運転手時代に、降ろした客を閉め忘れたドアではねた元ドライバー1人がいた。

接客スタッフになると、これまた個性派揃いだった。女中さんでは、赤線の匂いを残したおばちゃんと、田舎から出稼ぎのまま都会に飲み込まれた人と、芸子になるには素養がなさすぎた汚ればあさんとがいた。被差別部落の出であることを堂々とカミング・アウトしながらも、何一つ卑下しない、尺度の正しい女性もいた。K岡さんというのだが、俺はこの方が大好きだった。快活で心ある方だった。よく、不良の息子さんのぐちを聞いて相談にものった。彼女の作る味噌汁が美味しかった。理想の女性像を俺は彼女に見出した気がする。

1人、男の接客係が3階にいた。歯医者の息子として名門中学に進んだあと落ちこぼれ、勘当されて住み込み仕事をしていた、当時30前半の人だった。彼の歯は全て虫歯だった。
話は理屈っぽいのだが説得力がない。ギャグをよく言うが、相手するのに必死だった。俺は愛想笑いを彼を通して身につけたと思う。

でもお世話になった。気前はよく、毎晩のようにおごってもらっていた。見るも無残な彼であったが、最低限の年長者としての彼に、俺たちバイトは敬意を持っていたと思う。
だが、俺が辞めた後、アルバイトの世代は代わり、彼に敬意を持つ人もいなくなり、随分と迷走しだしたそうだ。彼は多分童貞だったと思う。

パチンコと競馬を生きがいに日々を処していた方であったが、数年後、彼がキャバクラにはまって、給料はおろか、サラ金に手を出して、借金取りが会社に押しかけたり、ベンツの前でしばかれたりしている彼をバイトの人間が見かけたという話を聞いた。せつない話だ。今もどこかで息吹いているのだろうか?

厨房スタッフはさらに凄かった。アル中の料理長、少年院上がりの竹内力みたいな見習い青年、Beginのヴォーカルみたいな沖縄からの見習い人、中学卒業後に更正目的で飛ばされた長州娘。 俺はどの方にも好意にして頂いて、不良行為の誘惑も性の誘惑も受けた。

漬物の盛り付けと食器手配だけをするHさんがいた。漬物の盛り付けが少しでも曲がっていると神経質にバイトに怒鳴り散らす。怒鳴り散らした後に、料理長から怒鳴り散らされる哀れな大人であった。彼の奥様はタコ部屋でほぼ寝たきり生活だったのだが、少し壊れていた方だった。俺は深夜に彼女が泣いてわめくのを何回も聞いた。

料理人、配膳スタッフ共に、人生の中で得体の知れない苛立ちを処理できずに持て余していたように思う。俺は彼らの狂気を感じながら人間というものについて学んだ。だが、俺も同じく壊れかけそうな時代だった。矜持を保とうにも支える母体がなかった俺の発育過程において、常に揺さぶられた人間模様だった。

洗い場の2人はごきげんだった。「ガキの使い」に出てくるキス魔のおばちゃんを男にしたようなダウナーおやじと、ごま塩頭の江戸っ子アッパーおやじがいた。

2人とも、100以上の数を数えられなかった。食器を洗い終わり、俺たちが手伝っていると、2人して数を数えるのだが、2人とも違った。挙句の果てに2人してどちらが正しいかを言い合いして、しょっちゅう喧嘩していた。プラスチックのお茶碗を投げ合って喧嘩するものだから、よく料理長にしばかれかけていた。

喧嘩した翌日、彼らは仲直りの儀式をしていた。仲直りの場は、京都の老舗、「イノダ・コーヒー」だ。俺は彼らの会話に興味があって、変装してウォッチングしたことがある。

アッパーとダウナーな2人が、コーヒーをテーブルに、何時間も長居している。会話は恐ろしくスローだった。

A:「いい天気やね。」
B:「そそそそ、いい天気や・・・・・。」
(2人、ニンと微笑み合う。数分間の沈黙の間、ずっと微笑み合っている。)

A:「最近パチンコしてる?」
B:「そそそそ、あれは怖いで~、怖い怖い・・・・・・ しとる?」
A:「・・・・・・・・」
(会話不成立。しかし、その間も微笑み合う2人)

俺は最初は変装していたが、その必要はなかった。彼ら2人の空間に外界の人間が入り込むことはなかった。時間を無くした生き方が彼らにはあった。そしてその日から、また彼らの数え歌が繰り返されたのだった。

「S風閣」の方々は今、どこで何をしているのだろう?彼ら、彼女らなりに、独特の時間の流れ方があって、それを俺が興味本位で追いかけることは、すごく傲慢なことである気がするのだが、無性に恋しくて、無性に愛しい人たちなのだ。なぜだかわからない。

俺は間違いなく、彼らを踏んで生きてきた。

「S風閣」の跡に建ったマンションを今は見る勇気がない。当面は避けて生きていくことになると思う。もう跡形もないのだけれど・・・。

足跡を年月が消し去ろうかとしている今、なんだか無性に泣けてきた。

2009年1月3日土曜日

明けましておしばき申し上げます。

今日は「ほうるもん」メンバーとの新年会。楽しい酒を食らって今帰宅。
音楽人との会話は楽しく、ネバーエンディングで楽しみたいものだが、時間は無常にも過ぎていく。今帰宅して、缶ビールを片手にパソを開く。

賀正気分もどこへやら、相変わらずくる迷惑メール、というか蛆メール・・・。久々にしばき申し上げる。

最近、俗に言う、サドとマゾの性癖を略したSMなる略語を冠した送信者名からのメールがよく来る。また、俺を女性と思っているらしきメールや、ツトムさんという宛名でよくくる。俺はツトムではない。山口さんちでももちろんない。

タイトルのコピーに関しては、面白く秀逸なものが以前にはあったので、結構楽しみに見ているのだが、最近のSM界隈一行に関わらず、蛆虫御一行はセンスがなくて、粋でない。よって過去のしばきと違い、少々冷酷におしばき申し上げる。

①送信者:西浦未亜美   件名:キリギリス

こいつはだいぶ前から来ていた。ミアミさんだかなんだか知らないが、キリギリスで送るメールは、何かスパイの隠語に読めて仕方がない。隠語の心当たりを探ってみても、「ばった」しか思いつかない。小学生の時、俺の口に入ったことのあるバッタか? それとも「はだしのゲン」のいなごか???  このばった者、ミアミ! 甘露煮にしたろうか!

②送信者:えんむすび  件名:渚さささささささ~

落ち着け、渚! 止まれ、Sir!  えんむすぶ気はないさ~~~~~~~~~~~!

③送信者:M女とおしおき  件名:食べたい、ツトムさんのを♪

食べられたくない、ツトムでもない。「♪」のマークのポップさが特に気に食わない。おしおきに符号はいらない。おしおきで食べるの? 人食い族発見!

④送信者:hikarigg_001@mail.goo.ne.jp    件名:Re:カラダで自信のあるとこは?

 う~ん、腕の筋肉かな?? 股間もボチボチ・・・・、

って、何でお前に答えなあかんねん!  それに俺はお前に往信した覚えはない! Reはやめ! 中途半端なメールアドレスも、ひかりごけ・・食人族か!

⑤送信者:淫らに美しく  件名:裸の仲間作りw

お前は裸族か! wも実に中途半端で裸だ・・・。チラリズムの美学教えたろか・・・。本気になりそうだwwww。美しくない。

⑥送信者:[公認]ネカフェ難民救援掲示板  送信者: 泊めてとは言わないんで・・

泊めません。当たり前じゃ! お前ら難民気取る前に、ネカフェって略語やめ~! 誰に公認されたんじゃ! 自ら選んだ難民・・、死んでとは言わないんで・・・。

⑦送信者:info-34@04.087455b.jp  件名:ぶた子´ωぶた子´ω`さんからのメッセージです。

どこの親が、娘に「ぶた子」って付けるねん! 「豚」か? 「蓋」か? 「´ω`」何じゃ?めっちゃ豚鼻やんけ? ブ~~~~~~~~~~深い不快なメッセージ・・・、ブー。ブー。

 
このほかにも、件名に、「Re:元気?」とか、「Re:さっきの約束ですが・・・」とか、相変わらず、Re攻撃が多い。

むかつくのになると、件名に、「駄、駄目やん・・・・・WWW」とある。

こら、俺の何が駄目やねん。笑うな、WWW3連発、何気に腹が立つ・・・(笑)(笑)(笑)

まあ、相変わらず減らない蛆虫メールであるが、最近は秀逸なタイトルも減ってきた。蛆虫もアイデアの枯渇に悩んでいるのだろうか?

俺が今までで1番好きな蛆虫メールの件名は、「 見、見たな・・・ゲジゲジ・・・」っていう、鬼太郎か鶴の恩返しかわからないメールだ。なんだかとってもユーモアのある、エロサイト誘導メールだった。

数件、しばいてはみたものの、何だか手ごたえがないしばきあげだった。従来、スパムを送るほうにももう少し、ウィットがあった気がしたのだが・・・。

毎日のメールチェックに紛れ込む蛆虫メール。俺達は数ある蛆虫の中から、正規のメールをピックアップする技量を要求される世の中となった。何だか悲しい。

俺宛のメールの件名は、従来どおり、件名に「猿猿猿猿猿猿猿狼猿猿猫猿猿猿」と書いてもらうようにしている。

猿の中に少し違った獣が紛れ込んでいるのは、スパムメールに対する暗喩とウィットネスの発露だ。しばかないで欲しい。 

2009年1月2日金曜日

年始の垂れ流し

明けました。賀正!今年もよろしくお願いします。

今年もまた色々な方々との出会い、交流の中でかけがえのない年輪を作っていけると思うと、今からどきどきする。

元旦の昨日は、昼前に起きて、雑煮をすすり、近所の氏神様へ参詣。その後お節をつまみに爆飲し、寝ては飲み、飲んでは寝て、最近恒例の寝正月、飲み正月を過ごす。正しい正月の過ごし方だと思う。

北陸富山の空は終始鉛色。空が低くて、青さを忘れた曇天に、みぞれのような雨が降ったり止んだりする。年末帰省時の関西の空や、箱根駅伝なんかを見ていると、表日本の高く青い空が恋しくもなる。

だが、春を待ちわびる情操は、裏日本に育った人の方が、純粋で濃いものだと思う。曇天の空模様も苦にならない。

大晦日に手に入れた、Neil Young のSugar Mountain が良すぎる。唄の良さを今更ながらに噛みしめる。

嫁と年始の外をドライブしながら流し見したのだが、どこもかしこも初売りだらけ。年の瀬大晦日まで売り出しをして、年明け早々に初売りする文化はあまり心地よいものではない。

正月という文化を守りたいならば、初売りに対する規制もあってもいいのではと思う。個人商店はかまわない。だが、大型ショッピングセンターなんかは自粛してほしいと思う。ただでさえ、コンビニ文化が浸透して、正月の静けさがない時代だ。元旦から大型ショッピングセンターが混雑する様子は、子供の情操教育にはよくない気がする。

時代錯誤の昭和の価値観だが、時代に媚びることなく主張していきたい価値観だ。

『ことばが劈(ひら)かれるとき』 竹内敏晴 (ちくま文庫) 再読
『知的創造のヒント』 外山滋比古 (ちくま学芸文庫) 再読
『僕にはわからない』 中島らも (講談社文庫) 
『意味がなければスイングはない』 村上春樹 (文春文庫)
『不退ヤクザ伝 牧野国泰』山平重樹 (幻冬舎アウトロー文庫)

を読む。再読の2冊を含め、満足度は高い。今年も自分にとっての良書との出会いにも期待が膨らむ。

「24(シーズンⅥ)」は、残すところ4話。Patriotの色んな形での国に対する愛情、忠義の示し方と、それぞれに帯びた際限ない限界と悲しみが、ストーリー終盤になって身に沁みる。残り4話か~。大急ぎで辿った「24」・・・。いよいよ最後まで来てしまった。

大晦日、「ゆくとしくるとし」を見ながら誓った禁煙を、除夜の鐘を聞きながら破る。
相変わらず意思が弱い。弱いというより意思がない。

「石の上にも3年」、「雨垂れ石を穿つ」ということわざを、肝に銘じながら、意思を持って日々を処していきたい。

腹が減ってきた。新年早々、牛をしばくのは、干支に配慮して避ける。代わりに豚をしばく。イスラムもヒンズーも悪く思うな。

しゃぶしゃぶって、湯攻めの刑だ。今年もいい年になりそうだ。30代後半を、しゃぶり尽くす。

今年も~~~~~~~~よろぴく!