2009年1月4日日曜日

S風閣の思い出

大学生時分、そして中退後も数年間にわたり、寝食共にお世話になったアルバイト先がある。京都の旅館、「S風閣」だ。

昨年末に帰省した際、同じくバイトしていた先輩から、その「S風閣」がなくなって、今ではマンションになっていることを聞いた。聞いた時もショックだったのだが、1週間ぐらいたった今になって、すごくせつなくなってきた。

自らの青春時代を投影している思い出の土地、店、人が、それぞれに色々ある。それらが時代の変遷と共に姿を変えるのを見ていくのは、決して初めてでもないし、懐古主義で
懐かしんでいるのではない。今までに姿を変えた昔の面影に対しての思いは、「IRON MAIDEN」という曲で歌ってきたが、「S風閣」がなくなるということは、俺の中で思っている以上に大きかった。ただ、せつないのだ。

「S風閣」は、主に修学旅行生を相手に商売する老舗の旅館だった。社長は、祇園祭の鉾を持つほどの名士であるし、雅と伝統を備えた、京都の由緒ある旅館だった。

経営者は格式ある一家の方だったが、そこで働く人というのは、人生の縮図、まさに祇園精舎の鐘の音を体現したかのような人ばかりだった。言葉は悪いが、掃き溜め的な要素を強く内包した人間模様だった。

フロントスタッフは、かつて商売で成功→倒産という流れを経験した人が2人いた。どちらも栄華を極めた時代のプライドと傲慢さを捨てきれずに、何とか誇り高く生きようとしておられるのだが、現状に対する苛立ちを隠せずにいた人であった。

後は、偽善的な浮遊感と優しさを持った人が1名、タクシー運転手時代に、降ろした客を閉め忘れたドアではねた元ドライバー1人がいた。

接客スタッフになると、これまた個性派揃いだった。女中さんでは、赤線の匂いを残したおばちゃんと、田舎から出稼ぎのまま都会に飲み込まれた人と、芸子になるには素養がなさすぎた汚ればあさんとがいた。被差別部落の出であることを堂々とカミング・アウトしながらも、何一つ卑下しない、尺度の正しい女性もいた。K岡さんというのだが、俺はこの方が大好きだった。快活で心ある方だった。よく、不良の息子さんのぐちを聞いて相談にものった。彼女の作る味噌汁が美味しかった。理想の女性像を俺は彼女に見出した気がする。

1人、男の接客係が3階にいた。歯医者の息子として名門中学に進んだあと落ちこぼれ、勘当されて住み込み仕事をしていた、当時30前半の人だった。彼の歯は全て虫歯だった。
話は理屈っぽいのだが説得力がない。ギャグをよく言うが、相手するのに必死だった。俺は愛想笑いを彼を通して身につけたと思う。

でもお世話になった。気前はよく、毎晩のようにおごってもらっていた。見るも無残な彼であったが、最低限の年長者としての彼に、俺たちバイトは敬意を持っていたと思う。
だが、俺が辞めた後、アルバイトの世代は代わり、彼に敬意を持つ人もいなくなり、随分と迷走しだしたそうだ。彼は多分童貞だったと思う。

パチンコと競馬を生きがいに日々を処していた方であったが、数年後、彼がキャバクラにはまって、給料はおろか、サラ金に手を出して、借金取りが会社に押しかけたり、ベンツの前でしばかれたりしている彼をバイトの人間が見かけたという話を聞いた。せつない話だ。今もどこかで息吹いているのだろうか?

厨房スタッフはさらに凄かった。アル中の料理長、少年院上がりの竹内力みたいな見習い青年、Beginのヴォーカルみたいな沖縄からの見習い人、中学卒業後に更正目的で飛ばされた長州娘。 俺はどの方にも好意にして頂いて、不良行為の誘惑も性の誘惑も受けた。

漬物の盛り付けと食器手配だけをするHさんがいた。漬物の盛り付けが少しでも曲がっていると神経質にバイトに怒鳴り散らす。怒鳴り散らした後に、料理長から怒鳴り散らされる哀れな大人であった。彼の奥様はタコ部屋でほぼ寝たきり生活だったのだが、少し壊れていた方だった。俺は深夜に彼女が泣いてわめくのを何回も聞いた。

料理人、配膳スタッフ共に、人生の中で得体の知れない苛立ちを処理できずに持て余していたように思う。俺は彼らの狂気を感じながら人間というものについて学んだ。だが、俺も同じく壊れかけそうな時代だった。矜持を保とうにも支える母体がなかった俺の発育過程において、常に揺さぶられた人間模様だった。

洗い場の2人はごきげんだった。「ガキの使い」に出てくるキス魔のおばちゃんを男にしたようなダウナーおやじと、ごま塩頭の江戸っ子アッパーおやじがいた。

2人とも、100以上の数を数えられなかった。食器を洗い終わり、俺たちが手伝っていると、2人して数を数えるのだが、2人とも違った。挙句の果てに2人してどちらが正しいかを言い合いして、しょっちゅう喧嘩していた。プラスチックのお茶碗を投げ合って喧嘩するものだから、よく料理長にしばかれかけていた。

喧嘩した翌日、彼らは仲直りの儀式をしていた。仲直りの場は、京都の老舗、「イノダ・コーヒー」だ。俺は彼らの会話に興味があって、変装してウォッチングしたことがある。

アッパーとダウナーな2人が、コーヒーをテーブルに、何時間も長居している。会話は恐ろしくスローだった。

A:「いい天気やね。」
B:「そそそそ、いい天気や・・・・・。」
(2人、ニンと微笑み合う。数分間の沈黙の間、ずっと微笑み合っている。)

A:「最近パチンコしてる?」
B:「そそそそ、あれは怖いで~、怖い怖い・・・・・・ しとる?」
A:「・・・・・・・・」
(会話不成立。しかし、その間も微笑み合う2人)

俺は最初は変装していたが、その必要はなかった。彼ら2人の空間に外界の人間が入り込むことはなかった。時間を無くした生き方が彼らにはあった。そしてその日から、また彼らの数え歌が繰り返されたのだった。

「S風閣」の方々は今、どこで何をしているのだろう?彼ら、彼女らなりに、独特の時間の流れ方があって、それを俺が興味本位で追いかけることは、すごく傲慢なことである気がするのだが、無性に恋しくて、無性に愛しい人たちなのだ。なぜだかわからない。

俺は間違いなく、彼らを踏んで生きてきた。

「S風閣」の跡に建ったマンションを今は見る勇気がない。当面は避けて生きていくことになると思う。もう跡形もないのだけれど・・・。

足跡を年月が消し去ろうかとしている今、なんだか無性に泣けてきた。

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