2007年11月30日金曜日

ヤフオク、プライスレス

ヤフオクの出品デビューをして早くもリタイア・・・。いや、自主的ではなく、リタイアさせられたのです。
原因がわからないのです。

一昨日に初めて商品を出品し、あと3日ぐらいの期限があったのですが、今日になって、「Yahoo!オークション - オークション取り消しのお知らせ 」というメールがあり、一方的に取り消し・・・。詳しくは利用規約とガイドラインをご覧ください。とのことで、見ましたが、何一つ心あたりがない・・・。

ヤフーに怒りのメールをしたら、すぐに返信が来て、「弊社にて以下のオークションについて調査を行った結果、これまでのYahoo!オークションのご利用状況において、トラブルが生じる可能性が高いと判断いたしました。」とのことで、実に曖昧。

これまでのご利用状況と言ったって、CDと参考書を合わせて9件落札して取引履歴があるだけで、しかも、全て、「非常に良い落札者です」の評価を頂いているのにだ。出品は初めてだ。

犬猫などの生き物や、規約に反するものを出品したわけではない。聞かないCDと着ない服を出しただけだ。ためしに、俺が出品したのと同じ商品を検索すると、俺が提示した金額よりも高い金額で、別の出品者が出している商品が見受けられた。何でやねん!

一時的な興味でしただけの出品だから、これで、今後出品が出来なくなろうが、全くもって影響はない。
ただ、コンピューター道の白帯を脱したと思った暁の、この手厳しい仕打ち!
俺のパソ技能とネチケットをけなされたような気がしてならない。何があかんのやろう????

馬鹿らしいから、相手が見えない取引はやめることにした。面識のある人以外と、会わずに取引をすること自体が、おかしいのだ。

それにしても、落札は出来たのに、出品は出来ないとは、何でだ????俺が何したっちゅうねん!富士山の石を売ろうとしてただけやんけ!(出品画面にはまだ載せていない)

ヤフーからの回等メールには、「パスワードは変更しましたか?」とか書いておりますが、何で変更せなあかんねん!「推測されやすいものではないですか?」と追記もあったのですが、「俺自身が覚えてもいない、数字の羅列を推測する奴がおるんやったら、そいつは魔術者じゃ!ぼけ!」

だいたいどすな~、パソコンが普及しだしてから、個人情報なるものがやたら厳しくなってきたんであって、それまでの時代はおおらかでありましたよ。暗号化か何か知らないが、人のパスワードやIDを盗み出して悪いことを企む奴が跋扈する時代に、こんな媒体を通して、物を流通させようというのが、ちゃんちゃらおかしい!

中間流通を排したシステム自体は悪くないだけに、残念ではあるが、やはり、現実の物々交換か、対人を介しての取引以外に目を向ける必要はない気がしてきましたよ。

個人的な実にレアなものが手に入る可能性を秘めた媒体はすこぶる良いのですが、安易に手に入るものは、その分、変なリスクを伴い、ありがたみも薄れますな。

俺の出品の手順に何か過ちがあったのかもしれない。しかし、俺はそんな過ちを改める気はない。しょせん関わる世界ではなかっただけであろう。

実感の薄い取引自体がよくない気がするのだ。バブルの原因にしても、ホリエモンに代表されたコンピューター錬金術師にしても(彼個人は悪くないよ)、直接現生が動く取引ではなく、数字上のやりとりで、大きな世界が出来上がっていたことが原因だ。「1日で10億の利益があった。」とか言いますが、実際に人に面と向かって現生をやり取りしたわけではありませんわな。

これらの数字ゲームが実際に機能する素地を作ったのが、コンピューターですわ。

時代がどんなに進歩しようが、便利な側面を妨害する負のエネルギーを満載した悪玉、そしてそれに対する防御策が出され、悪玉はさらに隙間をつこうとする。いたちごっこのご機嫌な日々で、何が便利になって、何が不便になったか、何が豊かになって、何が不毛になったか?

プラスマイナスは限りなくマイナスであると思う。今更文明の利器を外すわけにはいかない側面もあるが、少なくとも、自分の私生活に不便にならない限りは、実地の行動に伴う経済活動をしていこうと思う。

最近、コンピューター社会に対する不満ブログが多い。ならば、最初から手を出さなければ良いのだが、俺の信条として、「何も関わっていないのに、それに対する批評を加えない。」がある。関わってみてから、率直な批判を加えるのだ。自分は関わったつもりで、実際には関われていないのかもしれないが、関わる接点は少しだが、確かに持った。だから言うのだ。

ヤフオクなんか、やめてやる! お探しものがあったならば、店を探し、それで知り合えなければ、それも出会えない運命だとわりきって、憧憬だけを持ち続けようと思う。しょせん、幻だ。

憧憬や思い焦がれた幻は幻であり続けることに意味がある。実存して手に入った瞬間から感動が逃げていく。今まで、そんな経験をしてきたではないか!

涙を拭け、俺!   実際には泣いていない。架空の涙だ。怒りの先が見えない架空の涙だ。
ブログはする。ネットも関わる。でも、ネット取引はしない。関わり方次第の世界で、関わるには向き不向きがある。不向きを矯正するエネルギーを使う暇があるならば、俺は足を動かそう。
手だけ動かして物を売るなんざ、足に失礼だ! 俺のレアでジャンクな品を欲する人がいたら、俺はいつでも飛脚になろう。運賃はしっかり請求する。商品売価も請求する。現実の取引をするのだ。

ちゅうことで、富士山の石を始めとする、俺のブツに興味ある人はいませんか?
「皆なろの 香りを嗅いで 飛ばしましょう 今日もどこかで 木霊のヤッホ~!」
この帯をつけて売ろうと思う。プライスレス!

誰もいないようだ。

涙を拭け、俺! 実際に泣いている。現実の涙だ。プライスレス!

2007年11月29日木曜日

風に吹かれて

一昨日の昼間に2回、夕方に1回、すごく揺れた。結構長い揺れ方で、まぎれもなく地震だと思っていたが、新聞やニュースでは報道されていない。観測されていないようだ。見落としがあったのかもしれないが、話題にもなっていない。同じ市内に働く嫁は地震なんてなかったと言っているのだが、わが職場の同僚は時を同じくして、揺れを味わっている。

1日空いて今日のことだが、昼間から以上に風が強かった。台風が来ている時以上の揺れを感じた。夕方には、建物が震えるほどの風圧を感じた。

断っておくが、俺が働く職場は鉄骨の建物だ。決して新しくはないが、風雨に負けるほどの軟な建物ではない。それが嫌な音を立てて、風圧に威嚇されていた。

しかし、窓から外を見ると、木々の揺れ自体はないのだ。その代り、隣接する高校の野球部用のバックネットが上下に揺れていた。縦揺れだ。そういえば、横殴りの風ではなく、頭上を押すような風であった。色んな風圧を感じてきたが、今日ほど縦の風の流れを感じたことはなかった。

縦揺れなるものがあるのであろうか? 今まで意識していなかっただけなのかもしれないが、今日ほど上下の揺れを感じたことはなかった。

気になることはまだある。窓から田んぼが見えるのだが、今日見た田んぼには、すごい数のカラスがいた。田んぼにカラスが今日ほど多くいた光景を見たことがない。たまたま今日だけ気付いたのだろうか?? そんなはずはない。 不気味な様相であった。

今までに窓からカラスをまったく見かけなかったわけではない。しかし、郊外の田園風景の中にある学校を中心とした隣接地域に、集団のカラスを見かけたことはなかった。ちょうど、2階の窓から目を向けると電線が視界の上部に開けるのだが、いつもは電線に数匹いたのだが、今日は田んぼの中にすごい数がいたのだ。

風の上から下への圧力が、カラスをも地上に降ろしたのであろうか?

雲は、夢でうなされそうな鱗雲であった。ただ、鱗の形がいつもとは違う。なんというのだろうか、形状が上下に長いのだ。仕組みはわからないし、俺が鱗雲と読んでるものが、気象学(天体学?)でいう鱗雲なのかは知らない。なんせ、今まであまり記憶にない。(多分、意識が行ってなかっただけだとは思いたいが・・・。)

昼間の風が嘘のように、今は完全なる無風である。2階の窓から吹き出したタバコの煙が真上に上がるのだ。これも珍しい。

俺は、「自然科学」という分野に対する造詣が乏しい。いや、知識量は小学生低学年並であると思う。だから、少しの自然現象の変化に驚き、戸惑い、喜び、はしゃぐ度合いが大きい。知識がないことに伴う喜びと怖さだ。それでも、雷が鳴った時に、真剣に、お臍を隠す程無知ではない。

科学という言葉自体がなかった時代の人が、雷の音を体験した時の怖さは尋常でなかったであろう。
空が怒っているようにしか思えない。「神のたたりだ!」とか言って、人間を生贄にしたりしたのも頷ける。無知であるが故の暴挙だ。

今は、科学が解明してくれたおかげで、雷の仕組みも分かっているから、怯えることはない。科学がもたらした知識は、先人の研究の成果だ。先人の努力に感謝する。

しかし、今日の俺の近辺で起こった自然現象を科学者はきっちり説明できるのであろうか?多分、明確なことは言えないと思う。自然現象のほんの0コンマ無限大ぐらいしか知りえていないのは明白だ。

未だに、天気予報の予想よりも、漁師の予報の方が当たる。また、最近では、俺は体の痛み具合で天気や湿度の予測がつく。漁師や俺は、科学的分析を経た結果、予想しているのではない。自然現象や、体に感じるかすかな痛みの違いで予想するのだ。

科学者の研究はむなしい。だからこそ科学者は日々、少しでも科学的たろうとして研究しているのだ。彼らを否定するつもりはない。ただ、少なくとも天文分野、自然現象分野での研究は、努力すればするほど、虚しさを感じる結果に終わる気がする。それでも研究する姿勢は素晴らしいと思うが・・・。

以前、身内の葬儀の後、火葬場に行った時、火葬場の職員が面白いことを教えてくれた。
彼は毎日、潮の満潮干潮の情報をチェックしているそうである。どちらがどうかは忘れたが、潮の満ち干きによって、死者が出る数が変わるので、「明日は忙しいだろうな?」とかがわかるらしいのである。

潮の満ち干気という自然現象、そして人の生死・・・・。解明出来るわけがない。自然現象は人の生死にリンクしているのだ。わかるはずがない。もっともらしい事は言えるかもしれないが、科学的たろうと精進するには、あまりに人の一生は短い。

それよりも、無知でいながら、もっと、自然に対して敏感でいたほうが幸せではないかと思う。微小な知識で自然現象の1つ1つをわかったつもりになって、自然に対する恐怖と歓喜を失うのではなく、雷が鳴ったら臍を隠すくらいの謙虚さを持ちたいものである。

科学者批判ではない。原始生活へのノスタルジーでもない。ただ、俺は、知らなくていいことがたくさんあるのではないかと思うのだ。知らなくてもいいことを知る努力より、日々を見つめる眼の鋭さを維持することに労力を使いたい。

この3日間の自然現象の異変の原因が何で、何が起こるのかを知る努力をするのではなく、これを契機に、日々、窓からの眺めに敏感でいたい。怒り、悲しみを排して、喜び、畏怖の念だけを抱きながら、日々を過ごしたい。

俺は体で本能的に自然を感じたい。風の縦揺れは、俺にヘッドバンギングをもたらした。首が痛い。しかし、風はアナーキーであるが優しい。縦でも横でも追従したい。何で揺れるかを知る必要はない。自然に対する答えは風の中にはない! 

2007年11月28日水曜日

ヤフオクをする

初めてヤフオクに出品した。今までに購入したことは数回あったのだが、出品は初めてだ。別に、相場に詳しくなって、これを副業にしようとは思っていないが、流通の仕組みを出品の段階から一度試してみたかったのと、デジカメで撮ったり、掲載する面倒くささに、自分がどれだけ対応できて、辛抱できるかを試してみる目的もあり、4点出品した。

着ていないコートと革ジャン、CDを2枚だ。CDは巷ではすごく貴重なものであるが、自分にとって音源以上の価値がなかったものを出した。服に関しては、完全にサイズが合わないものだ。

やり出すと面白い。デジカメで写真撮影をして、それをパソコンに取り込んで、アップロードして、コメントを書いて、開始価格を入れるという一連の作業が、なかなか楽しかった。

しかし、4点出品しただけで、一連の作業に飽きた。実に早い。

出品した商品の画像を見ると、俺の足が写っていたり、開始価格が「売る気あるの?」というものであったり、コメントが要点を押さえていなかったり、嬉し恥ずかし初体験だ。

これから徐々に出品することが習慣化するのかどうかはわからない。ただ、俺もこんなハイテクな作業を出来るのだ! ということがわかって嬉しかった。

画像を取ってアップしようとしたら、大きさがどうのこうのと、イチャモンをつけられたので、画像を小さくする作業も、マイパソをいじりまくって、覚えた。 初めて、なんとかバイトやらいう数字が俺の中で意味のある数字になった。

毎月300円近くの登録料と商品1点につき10円くらい取られるが、これも社会勉強だと思って、月1個くらいは出品したい。出品する品にも工夫を凝らしたい。

「誰がこんなん落札するねん!」といったつっこみや、「売買代金よりも送料と手数料の方が高いやんけ~」といったつっこみ満載の品を出したい。

それにしても、流通システム自体が大きく変わろうとしている、壮絶な時代に生まれたものだ。ネット上の取引が増える一方で、リサイクルショップなんかは、すでに市場を確保し、さらにまだ微増傾向にある。そして、まだまだ、市の広報やミニコミなんかでの「売ります」「譲ってください」といった紙上掲示板もある。

選ぶ媒体が多く、リサイクルが一般化することは良いことだと思う。メーカーは苦戦するであろうが、悪い流れとは思わない。俺も、この時代に生きている以上は、色んな媒体を駆使した上で、自分にとって最高の媒体の定期ユーザーになりたい。

音楽なんかは、ネット上のダウンロードとやらをする、板チョコみたいな機械が主流になっているし、テープとCDとMDのウォークマンを持っているハイテクの俺にしても、ついていくのが困難な時代だ。
ミュージシャンは儲からない時代になっているのであろうな~と思う。

色んな出品商品を見ていて色んなことに気が付いた。

CDを売る上で、「帯付き」というのが、非常に重要な流通価格を占うポイントになっていて、それがなぜなのかが不思議でならない。また、国内盤でなければ、特殊なCDを除いては、流通価格はかなり低い。まことに不思議である。

音楽を聴きたいから買うのではないの???? 俺はCDを買った時についている帯がどこに行ったか知らないし、おそらく、ほとんどの帯は捨てていた。なんか書いてあることを一度読んだら、別に必要なものとも思わなかったし、意識もせずに、キャラメルパッケージを捨てるのと同じように捨てていた。
それが、オークションを見ていると、「帯つき」といううたい文句がある。勉強になったが、不思議である。

ネットオークションのヘビーユーザーが、あらゆる分野の相場を認知していて、高く売れる状態の商品を仕入れ、利益を乗せて、最流通させる・・・。このプロセスをこなしている人たちは、心からすごいと思う。何ていうか、一種の才能だ。俺には恐ろしく欠如している才能だ。

見習う気はないが、少しもかじっていないのに、彼らの商いにけちをつけているのでは、単なる高所得者に対するねたみになる。俺も、年商10万円、経常利益1000円くらいを稼げるようにしたい。

何でもやってみるものだ。不満も憧憬も発見も幻滅も、全て味わいながら、余暇の一部を過ごしたい。

何を売ろうかな~? 周囲を見渡す。書棚を探す。ろくなものがない。富士山の石が引き出しにあった。出してみるか??? 「石を売る」・・・。 義春さんのお告げがあった。

箪笥を見る。セコパーツかジャンク品しかない・・・。古書は紙魚で満たされている。もちろん帯はない。しみったれている。鉄くずがたくさんあった。何の鉄か、含有物も含めてわからない。出してみるか??? 「鉄を売る」・・・。 アパッチのお告げがあった。

工夫をするのみだ。売勇伝が出来たら報告する。 ネット上で痛い商品を見つけて、出品者が富山県になっていたら、真っ先に俺を疑って欲しい。楽しいのだ。

2007年11月27日火曜日

馬力が違う

うちの親父(戸籍上の父親、つまり、養子の俺にとって、嫁の父親)が、ヘルニア手術で2回目の入院をすることになった。2週間ほど前から痛くて立てなくなり、仕事を休んでずっと家で寝たきりで過ごしていたのだが、今日、病院に行って手術を決断したようだ。2回目であり、前回の恐怖も残っているだろうから、それなりに苦悩もあるのであろうが、痛みを取るための決断であり、前向きになっているようである。

内臓とかの手術ではないので、そんなに心配もしていない。ただただ、術後に順調な回復をし、余生を満喫できる体力を回復してほしい。本人は、まだ仕事をしたいそうだ。

俺の親父の世代の人間に、俺は心から敬服する。ざっくり括るならば、戦後から1950年代までに生まれた人たちだ。高度成長を仕事で体感してきた人たちだ。彼らの根底にあるパワーは、それ以降のヘナチョコとは、物が違う。向こうが馬なら、こちらはアヒルか鳥くらいだ。人を乗せて歩くパワーはない。

親父は、中学を卒業後、今の職場に入り、鉄骨建設の現場労働者を45年以上こなしてきた男だ。
勤続年数だけで、俺の年齢を超えている。しかも、一つの業種で一つの会社だ。俺の職歴は彼の年齢ほどある。嫌な相関だ。

親父の仕事は楽な仕事ではない。作業服の汚れや、工場の建物を見ると、プロレタリアートを絵に描いたような仕事だ。昔流行した「3K」なる言葉もやわに感じるほどの激務であると思う。

それを、年金がもらえる年になってもまだ、「働きたい」という。爪の垢でもチンカスでも煎じて飲んだところで、俺には真似できない勤勉さだ。

この世代の人が凄い理由は、種々考えられる。「選択肢が多く用意されていなかった。」「生活が楽ではなかったので、家族のためという一心で働く環境があった。」「高度経済成長の間接的な実感がパワーの源になった。」

どれも正解であろう。物質的に恵まれない世代に生まれたことは幸せなのかもしれない。それにしても理由をつけて賞賛するには、言葉による分析はあまりに陳腐である。

今の世の中の礎を作ったのは、俺の親父のような人たちであり、そんな親父が身近にいることを幸せに思う。彼らは、学歴はないが、賢いし、口下手ではあるが、言語能力に優れている。学ぶべきお手本は、この世代にある。一つでも多くのことを吸収したい。

先日、行きつけのレコード屋のご主人と話していて、「50年代、60年代の音源に外れを探すほうが難しいですよね~」といった会話をしていた。好き嫌いは別として、この時代の音楽は、今とは何か違う力があったように思うのだ。

何か? やはり馬力だ。物が豊かでない時代に、音楽が市民権を得ていない時代に作られる音楽と、今の音楽が同じパワーの精神力で作られているはずがない。やはり、人が備えた馬力が違うのだ。

見習おうにも見習えることではない。ただ、俺が出来るのは、俺の世代なりの最大の精神的パワーを注ぎ込めるように、真摯に取り組むことだけである。命を賭けるといった、安っぽい言葉での取り組みではない。俺らの世代なりの馬力が出せる能力は限られている、命を賭けたところで、先人の馬力には負ける。

馬力がないことを認めたうえで、恵まれた時代に生を受けたことに忠実な音楽を、精一杯の馬力でもって作りたいと思うのだ。比較対象は、先人ではない。自分に真摯に向き合い、自分のキャパと対比して、今出せる精一杯の性能を出そうと思う。

親父達はすごい馬力で生きてきた。よそ見をする機会もなく、ただただ、日々を誠実に生きてきた。彼らの晩年に、俺達は、最高の贈り物として、種々の興味の機会を与えてあげたい。

旅行でも、音楽でも、絵でも、盆栽でも、釣りでもよい。彼らが味わったことのないだけで、実はすごく惹かれる素地があったであろう対象を、こちらは真摯に観察し、随時提供していきたい。

それには、体があってこそである。よそのおっさんは知らない。うちの親父だけは元気な体を宿して、本格的な老後を迎えて欲しい。

俺は親父にたくさんの楽しいことを教えてあげ、それにかかるであろう費用も彼に費やす機会を与えてあげようと思う。旅行に彼が行きたいというならば、俺が最高の企画をする。もちろん添乗員は俺だ。客室のグレードは、親父がエコノミーで、俺がデラックスだ。

世代相応の楽しむ感覚が違う。親父に優しい庶民部屋と、俺に優しいセレブ部屋を用意することに俺はやましさを感じない。親父が徒歩で自然の道を闊歩するなら、俺は、タクシーで行程を先回りする。自然の中では1人にしてあげることも大切だ。有償の愛だ!グランジラブだ!

何を愚かなことを書いているのであろう・・・。

馬力だけでなく、性根も違う。俺を治す術はない。しかし、親父を治す術はある。痛みだけであれば変わってあげたい。彼の馬力を信じる。俺は今週の競馬の二歳馬の能力を信じる。 信じる先に馬力ありだ。

この青二才!                          →         俺

2007年11月26日月曜日

雑誌について考える

今年ほど音楽雑誌を読まなかった年はないのではないだろうか?と思う。購入したのは、「レココレ」の60年代、70年代の名盤特集号だけであり、立ち読みしたものも、ほとんど記憶にない。
例年なら、「ギターマガジン」や「プレイヤー」、「ヤングギター」「バーン」「ロッキンオンジャパン」等々を欠かさず立ち読みで完読し、購入もした。増刊号みたいなものもたくさん読んだ。しかし、今年は音楽雑誌コーナー自体に立ち寄らなくなった。

また、他のジャンルの雑誌にしても、今年はあまり読まなかった。立ち読みの機会が減った。

今年、よく読んだ雑誌は「文藝春秋」である。去年までも気になる記事は立ち読みで完読していたのだが、購入したことはなかった。今年は隔月くらいで購入した。

雑誌という媒体に対して、俺の中で優劣をつけて、少し構えていた年であったのかもしれない。

「文藝春秋」という雑誌に対して俺は偏見を持っていた。「プレジデント」と並ぶ、社長室の書棚の置物のような、気取った香りを感じていた。地位と名誉を十分に獲得した人が、中途半端な知識欲でタイトルだけを目で追って、気の効いた言葉を盗みながら、インテリかぶれをするための雑誌であったと思っていた。だいたい、広告が高級カバンや高級時計はわかるにしても、高級万年筆や陶器ですぜ!ウイスキーは「山崎」ですわ。ジャックダニエルは白黒でも載りません・・・。
広告を見るたびに吐き気がして、購入をためらっていたのだ。狭い偏見だ。

今でも、上記の見方は半分は正しいと思う。「文藝春秋」を読んで、各界のスーパーエリートの発言をそのまま自説として話している上流階級志向の人はよく目にする。しかし、この雑誌はそういう志向を持った人たちに対して記事を編集しているのであろうから、実によく市場調査されている。雑誌に罪はない。

今年、「文藝春秋」をよく読んだ理由は、「文春文庫」の文庫本で知り合った作品の中に、自分にとっての名著が数多くあったからである。たまたま今年よく知り合っただけであるが、これもタイミングである。また、心なしか、今年の「文藝春秋」は、俗的な週刊誌しか取り上げなかった話題に挑戦していた気がする。
そして、最大の理由は、自分にとっての読みたい興味分野に閉塞感があり、新たなる好奇心の分野がどこかにあるのではないかと思ったことだ。断片的なヒントでも良いから、何か、書棚を見渡す活力となる作家や、研究分野にめぐり合いたかったのである。

「裏社会」「任侠」「マイノリティー」「ジェンダー」「陰謀」といった分野に対しては、ここ15年くらいで、数多くの書籍や実地検分に触れ、好奇心の欲求をだいぶ満たしてきた。知識量としては鼻くそみたいなものであろうが、俺は学者ではない。己の好奇心が満たされればそれでいいのだ。
しかし、それに続く興味分野が持てないでいた。

自分にとって興奮の対象となる1人の作家や、1つの興味分野との出会いはなかなかに来てくれない。

今年は総じて、不作であった。自分が知り合うものが不作に思えた。今まで深く関わらなかった作家もたくさん読んだ。しかし・・・。 そして「文藝春秋」に救いを求めた。

「文藝春秋」の記事は、どれも確かに面白い。1冊を1日で完読せずにはおれない面白さだ。でも、読み終わった後に残るのは、不毛の土地だ。だめだ。

自分の感性が衰えていないかをずっと自問自答していた今年であった。色んな未知の分野があるのに、それに触れるチャンスを逸しているのではないか、または、触れているのに感動を味わう感性がなくなっていて、劇的な出会いを逸していたのではないか、という恐怖感が常にあり、それは、過去のブログでもよく触れている。

知らない分野に触れるために、種々の雑誌や、普段立ち寄らない書籍コーナーに立ち寄ってみるようにしているが、そんな風にしてまで未知なる領域を増やすことが果たして幸せなことであるのかについても迷っていた。

色んな選択肢がある中で、なんで俺は音楽に目覚めて、日の当たらないものに興味をそそられ、今にいたっているのであろうか? 人によってはアニメに夢中になったり、映画に夢中になったり、天体に夢中になったり、歴史に夢中になったり・・・、人間の数だけ興味の分野がある中で、何に魅かれて今を選択しているのであろう??? 

雑誌について考える今日のブログであった。 

雑誌は、下種なものが多い。でも、その時々の出会うべきヒントとなる興味分野が散りばめられているものであると考えるならば、最高の入門書ではないか。エロ写真や記事と「エイズの危機」「性の乱れ批判」を同一にしている週刊誌だって、皇室と芸能界のスキャンダルを同一にパッケージしている週刊誌だって、興味のヒントがあると思えば、読む価値はあるのかもしれない。

手始めに何のコーナーからいこう? そう思って今日はめったに行かない本屋に立ち寄った。「ドアを入って2番目の列を右に行って、その奥の左の雑誌コーナーの下を物色しよう!」

計画は秀逸である。レイアウトが少し違っていたが、だいたい目論見通り、書店を闊歩し、たどり着いた先にあった雑誌は、刺青がたくさん載った雑誌であった。名は明かさないが、結構、固定読者が多そうな雑誌であった。書店のレイアウトを概観すると、エロ本以上、バイク・車雑誌未満の扱いを受けたコーナーに置かれてあった。真面目に読んだ。文様を見た。痺れた。

広告を見た。ファッション広告があった。「2007秋! ヤーコレ」というタイトルで、萬田と文太と健に似た人がモデルで、いかした服を着ていた。ナイスコピーだ!以前にもこのコピーを見たことがあるので、どうやらその世界の定番コピーみたいだ。

興味分野を広げるのは容易ではない。今日の分野は俺の従来の分野だ。しかし、良いコピーがまだ存在していることが嬉しかった。

明日はどこに行こう? 決まらないが、「これヤーコレ!」と思える媒体に出会いたい。センスは二の次である。

2007年11月25日日曜日

ニールヤングを聴く

ニールヤングの新譜が日本でも今月の21日に発売されたそうです。輸入版で一足早く手に入れて聞き込んでいたのですが、個人的には、翁のアルバムの中でもベスト5に入るお気に入りです。
ライナーノーツが輸入版にはなく、インターネット上でも新譜に対する情報がなかったのですが、大昔に作成して発売されなかった幻のアルバム音源が火事で焼けて無くなってしまい、昔の曲に新曲を加えて作り直したといったアルバムみたいです。確かなことはわかりません。

全10曲中、18分が1曲、14分が1曲と、相変わらずやってくれます。
ひと言で言えば、グランジ世代にちやほやされた以降の御大の手法と感性が全て凝縮されたアルバムですわ。詞はこのアルバムが一番好き。

18分の" ordinary people"という曲なんか、詞がすごい長さで綴られています。
ギターの音量自体も若干低めでありながら、いつもの金属音が坦々とすごい純度で奏でられてます。
フォーンが結構存在感を増しているのですが、内なる爆発感はすごい高い!でも、ニールの翁は曲中での辛抱力を増しました。中盤は寸止めの連続でじらされます。 エンディングまでよく辛抱した分、最後の爆発はいつも以上の翁・・・(笑)。冷静なのはフォーン部隊だけという有様で、最後にはわけのわからないガレージサウンドが入っています。なんというか、冷や冷やする感覚は、初めてジミーペイジのソロを聞いた時以上ですな。

静かな唄ものの曲は、限りなくメロディーが綺麗でいて、都会の香りプンプンのアダルトソングになる素地がたっぷりある曲なのですが、ニール様が演奏すると。どこか田舎臭い雰囲気と、「おい!」という突込みが入る箇所があり、笑い泣きします。

リフもののリフは相変わらず、ネタとしては、ダサダサで、今回一番ダサい"Dirty old man"においての、殺戮のリフに鍵盤が入ってくるアレンジなんかは、感覚を疑いたくなるほどのかっこ悪さ・・・。
涙出るほどかっこ悪くて感動します。

細部に耳も行くのですが、1曲1曲冷静に聴くのが馬鹿馬鹿しくなるほどの全体を包み込む人間力とでもいうべき、上質の魂が詰め込まれていますよ。

最後の曲を聴いた時は、涙がボロボロこぼれます。泣きたくないから、なかなか聴けない。

ニールヤングがこのアルバムの曲をいつ作ったのかはわかりません。文字通り新曲なのか、昔の曲の焼き直しなのかはわかりませんが、玉露のような曲を御大が最近吹き込んだことだけは確かです。

詞を聞いていていつも思うが、この人ほど、歳を取ることに全力で向き合い、それを超越している人はいないのではないか?歌詞の一部は別の曲と同じフレーズの焼き直しもありますが、吹き込んだ時点のニール様の気心が不思議と心に伝わります。

俺は評論家ではないので、御大がどういう心境でこれらの名曲を作ったのかを詮索しようとは思いません。ただ、国籍と育ちが違うカナダ人のおっさんが奏でる音楽に、20年近く心を震わされていることに幸せを感じずにはいられません。

20歳以降の俺の思い出は、いつもニールヤングの曲と共にあり、思い出す光景の断片が、全て、ニールヤングの曲とリンクしているのです。なんという幸せ。彼の伝記を読みたいとも思わないし、彼を偶像視する気もないし、サイトをチェックしているわけでもない。でも、生活の一部であり続けてくださる。

個人的にいまいちであるアルバムが今までになかったわけでもない。でも、聞き込まないアルバムはない。全てが、俺の感性の中に貯蔵されている。

何だろう?これだけ心を震わされる心底にあるのは??????? 

音楽、文章、絵といった色々な感動を運ぶものがあるが、ニールヤングの音楽には、人間のDNAに刻まれている善の興奮因子があるのではないか? 音楽を聴いたことのない人間でも内包している母なるメロディーと言葉の融合・・・・。

いつか出来るであろう俺の子供にも、聴かせたい。聴く、聞く、どちらでも良い。俺は幸せだ。効く。

2007年11月24日土曜日

雪国の暮らし

大阪で生まれ育った俺は、12年前に富山に来るまで、スタッドレスタイヤなるものの存在を知らなかった。だいたい、車の免許自体を富山行きが決定する25歳までとらなかったくらいだ。知るはずがない。
バイクで冬場にツーリングする時も、ノーマルタイヤですいすい走っていた。12月に和歌山行きを決した時は、奈良のど田舎で氷点下の気温に見舞われたが、スリップする恐怖を知らずに走っていた。
幸いにして、積雪による通行止めでUターンを余儀なくされたのだが、それがなければ、多分、今頃皮膚のいたるところがズル剥けになっているであろう。

タイヤでスリップ度合いが変わるということ自体に意識がいかなかったのである。

富山に来て初めての冬、スリップの怖さを知らない俺は、積雪50センチはあるであろう深夜に、細い道を走行中、鼻毛を抜いていた。そして、曲がり道に気付き、ハンドルを切ったが、案の定、ブレーキを深く踏み込み、ロックオンされた。

発射されたのは俺の車である。向かう先は「20キロメートル」の速度表示板である。スピード自体は20キロほどしか出ていなかったのであるが、垂直に立っている公共の棒に角度をつけることになった。

正直な俺は、速度表示板を倒したことを警察に自首した。裁きを受けて、留置場に入ることを期待していたが、すぐに帰された。裁きは保険料の金額で済まされた。臭い飯を食うのは容易ではない。

振り返ってみれば、スリップの怖さをしらない、理系的頭脳のないガキんちょに、その身をもって理解する機会を、こんな小さな衝突で味あわせていただいたことを嬉しく思う。

雪道の悲劇を味わった経験はもう一回ある。

ある健康センターの駐車上内に、用水路があったのだが、その用水と駐車場から国道に出る道が交わるところには小さな橋桁がかかっているのだが、その橋桁自体が吹雪で見えなかった。幅が5メートルぐらいの橋桁以外には、地上から10センチほどの突起物しかなかった。

俺は徐行運転で橋桁めがけてロックオンした。しかし、暴発し、橋桁を外し、深さ1メートルくらいの用水に頭から突っ込んだ。車の先が用水の底に到着し、後部が空中に浮いている状態での吊るし上げの刑を3時間ほど食らった。

板金塗装も含めて、修理代は30万くらいかかった。俺が突っ込んだ後に、その用水には、「転落注意」の看板と「アサヒスーパードライ」ののぼりが立ててあった。俺は心で狼煙を上げた。吹雪の中で朝日を拝んだ俺に対する冒涜だ! 「もっと早く揚げんかい!」  怒りは乾かない・・・。

腹いせに、しばらくの間、そこを通りかかる度に、車を止め、立ちション攻撃をくり返した。
野犬に噛まれそうになった。狼みたいな野犬だ。呪わしい・・・。

今でこそ順応したが、雪国の暮らしは奥深い。ちょっと油断をすると、ロックオンされる。飛び出す先は痛い所か、痛みを感じない場所である。後者には行きたくないものだ。

そろそろ寒くなってきたので、タイヤを交換しようと思う。しかし、このスタッドレスタイヤというブツを履くと、極端に燃費が悪くなる。地面を捕らえ過ぎるのだ。雪が降らない通常の地面を走るには、今のガソリン価格は高すぎる。もう少し待とうか?

雪国は都会と比べて、対自然に対して金がかかる。スタッドレスタイヤもしかり、灯油の使用量も然り、融雪装置、アノラック、除雪用のママさんダンプや、スコップ・・・・。

大手の企業では「寒冷地手当て」なるものがあるらしい。ならば、国に物申したい。

雪国に対する特別の減税を検討してくれ! どう考えても、対自然の生活費は都会の人よりもかかる。
「スリップ控除」、「ロックオン控除」、「除雪控除」などを、積雪量に応じて考えて欲しいのだ。

自動車屋などは冬場は修理で儲かるので、一見、控除は要らない気がするが、冬場に車を買い替える人は少数である。トータルではマイナスではなかろうか?

骨粗鬆の老人の骨は、雪が降るたびポキポキ折れる。雪道で、雪に突き刺さっている前衛アートの彫刻のような老人を何度も見たことがある。発見が遅れれば、彼らは文字通り凝固する。雪国の老人に対する「骨折手当て」なるものも必要だ。

真面目に言っている。雪国の暮らしに目を向けて欲しい。

「働けど 働けど わが暮らし ロックオン」 (「まえけん全集」別巻『北の脅威』より引用)

2007年11月23日金曜日

おう!

常日頃から思っていることがある。
国文法の体系を「国文法」という名の下に、たくさんの時間を割いてまでして生徒に教える必要があるのかな?ということだ。

文節に区切ることから始まり、品詞分類やら、活用やら活用の種類やら・・・。母国語以外の言語には当然、しっかりとした文法体系を学ぶことは必要な面もあると思うが、日本語に後付の文法を必至で教える必要があるのかな?と不思議でならない。

当然、正しい日本語を使うためには文法は大事なのかも知れないが、あまりに体系が整備されすぎていて、そこに感性はない。

基本的に俺は、生徒には、「国語の文法問題は本能で解け」と言っている。英語は別だ。今日は日本語の口語文法に関してだけを言う。

毎日使っている日本語を体系化すること自体は有意義であると思う。外国人に日本語を教える時に、体系がなければ、何から学ばせていいかわからない。俺らが英語を文法から学ぶのと同じだ。英文法は、外国語を学ぶ俺たちにとっては大事であると思う。

日本語は、助詞・助動詞が外国人にとって難しいであろうことは、容易に想像できる。だから、日本語を覚えたての外国人は、助詞と助動詞をなるべく省いて話す傾向があると思う。「私(は)思うあるよ あなた(が)間違っているあるよ。」

助詞を省いて、「あるよ」をつけると、なんとなく似非の香りがするが、意味は通じる。助詞がないが救いようがある。でもしょせん、似非は似非だ。しっかりとした日本語を学びたい外国人には、助詞・助動詞のしっかりとした体系が必要である。

しか~し、日本語を毎日話しながら、複雑な助詞・助動詞の活用を無意識に出来る人たちに、改めてフォーマルな体系を学ばせることに何の意義があるのかは疑問である。正直、今の現状を見ていると、中学生レベルで、外国人以下の日本語活用力しか持っていない生徒はたくさんいる。

でも、彼らに体系から教えることが何の意味をなすのであろうか? 文法体系は、日本語の仕様説明書である。説明書を読む力がある人が、文法を学べるのであって、それがない人が体系から学ぶのは無理がある。その場合は、やはり、日常会話レベルからの「聞く」「話す」「読む」「書く」の基本練習に時間を割いてあげて、感覚的に正しい日本語力を養成すべきであろう。良い文章と良い会話の時間を作ってあげるべきである。

日本語上級者に対しても然りである。体系を眺めて、「なるほど」と思うことはあるが、彼らはすでに頭の中で体系を持っている。それを今更具現化して、問題にするというのは、彼らに対して、科学的であることの馬鹿らしさを植えつけることになるのではないかと思うのだ。

非常に不満のある文法ではあるが、くだらない問題が入試に出題されるので、文法に癖のある学校や県の受験をする人には、「本能で解け」と突き放しつつも、添削を併用しながらしのいでいる。

今日、添削した文法問題は愚の骨頂であった。

「やあ」とか「おい」とかを「感動詞」と定義するのであるが、まったくもって馬鹿馬鹿しい。しかしフォーマルである。その感動詞のくだらない問題を記憶を頼りに再現するとこんな感じである。例文はかなり違っているが、趣旨は正確に再現する。

「次の傍線部の感動詞の用法を、あとのア~エの中から選びなさい。」
 【 通りを歩いていると級友の安夫に出くわした。「今日のテストどうだった。」と聞いたら、頼もしい返事が返ってきた。「おう、これ以上ないくらい最高だぜ。」】
この「おう」の種類の分類であるが、正解は「応答」というものであった。

点数でいう成績が低い生徒がほとんど正解しているのに対し、高得点組みの筆頭である生徒だけが間違えていた。彼女が選んだ選択肢は「あいさつ」というものであった。俺も文法体系に害されてきたのか、迷いなく「応答」を選んだ。しかし・・・

その彼女は、関西に生まれ育ち、越中に中学生になってから転校してきた生徒である。
よくよく考えると、同じ関西生まれの育ちの人間として、上記の「おう」は「あいさつ」にしか、俺も思えなくなってきたのだ。「おう」が「はい」といった肯定の意味を表すならば「応答」かもしれないが、道端であった級友に対して、「おう」という言葉で「毎度」とか「おや、~君やんけ」といった意味に捉えるならば、間違いなくこれは「あいさつ」である。あいさつをしてから本題への応答に入る・・・。美しいではないか!  豊かな意思疎通ではないか!

俺は彼女の誤答を突っ込みをいれて添削し、「おう をあいさつに使うのは関西人だけみたいやな?」とコメントした。そして直接、「これと同種の問題が出て、仮にこの誤答が原因で不合格になっても、それはむしろ喜ばしいことちゃうか?」と言った。彼女も頷いていた。保護者にも同趣旨のことを話すつもりである。

言葉という壮大な感情の発露手段を、言葉で定義することの限界を露呈しているものが、文法ではないかと思うのだ。体系を作ることは大事だが、言語を学んでいる生徒に長時間かけて指導する項目ではないと思う。豊かな感覚と言語認識を育みつつある子供たちに、悪戯な定義を植え付けたくはないと思っている。

文法を学んで楽しいのは、むしろ大人であろう。自分が何気なく使ってきた言葉が、体系化されたものを見ると、実に新たな発見があるし、素晴らしく定義したものであると思う。しかし、言語を感覚的に育む過程にある子供たちにとっての言語は、体系化されるほど安っぽいものであってはならないのだと思うのだ。後付の言い訳と体系化は大人の道楽であり、言い訳であり、これを得意とするの人種の筆頭が政治家だ。

文法体系を個人的には面白く思いながらも、本能を重視した感覚の鋭敏さを子供たちには養って欲しいと思う。そして、彼らから、感覚の素晴らしさを吸収して、衰えいく本能を鼓舞したい。

文法は面白くて必要だ。その一方で、文法用語は18禁だ。青い春に与える春本は想像力を鼓舞するものであってほしい。

おう」 ・・・結びの言葉への非難に対するあいさつだ。応答ではない。解釈は様々だ。




 

2007年11月22日木曜日

渋柿

元「シブがき隊」のふっくん、いろんな大変な苦労をされているようだが、実に立派な大人だな~とスポーツ新聞を見て思った。あれだけアイドルとして一世風靡をされた方が、傲慢にならずに円熟した大人になられているのを素晴らしく思った。実際の人となりは知らないが、表情を見る限り、素晴らしい性分の方だなと思った。

話は変るが、昨日、今日と、最高気温が6度くらいで、非常に寒い日を過ごした。日中で屋内にいても、暖房無しでは過ごせないほどの寒さである。ちょうど今頃が一番体感温度が寒く感じるのではあろうが、それにしても寒い。何か変だ???

元来、俺は暑がりであった。夏の汗は力士なみにかく。冬でもメタボの症状くらいかく。俺のライブ後のTシャツは、塩を製造できるくらい、粉をふいている。肉体労働をしようものなら商売で塩を密売できるくらいかく。「土方の塩」だ。

そんな俺は、従来なら今の時季でも軽装であった。せいぜい下着に一枚かぶせて、ジャンパーをたまに着るくらいだ。屋内では時に半そでになることもあるくらいだ。ストーブの前でぶるぶる震えている光景は、俺の体験上思い出せないくらい少ない。

そんな俺が、明日からズボン下に下着を着込むことを決めた。パッチ、股引と言われて、親父のファッションと蔑まれているあの縮んだズボンみたいなやつをだ・・・。何か変だ????

俺は血の気が多い性質だ。喧嘩は弱いが沸点は高い。気は弱いが志は高い。武士に生まれていたら、早死にであったろう。義はあるが、武がないのだ。喧嘩に勝った経験は、18歳の時の小学生との喧嘩以外ない。社会的に負けた喧嘩だ。この時は義もなかった。戯であった。

体温も常に高い。平熱で36.5度を切る事はなかった。38度くらいなら俺にとっては微熱だ。10キロは歩けるくらいの微熱だ。恋した時のときめきくらいの体温だ。体は冬でも暖かい。嫁は俺の足先をカイロ代わりにしていたくらいだ。ところがところが・・・。何か変だ????

体質の変化だ。昨年末の事故以来、明らかに変化が起こったのだ。

家の中でも靴下をはくようになった。入浴時間が長くなった。今まで熱いと敬遠していた浴場が適温になった。手足の温度が極端に低くなった。これは体感だけでなく、嫁の実地検分で確証済みである。平熱も35度台に突入する日も増えた。厚着になった。ホットコーヒーを飲むようになった。尿が近くなった。

冷え性になったことに伴い、生まれて36年間、理解できなかった肩凝りなるものが発生したり、それに伴うあちこちの痛みが発生したり、マイナス面にばかり目がいき、事故を呪う日もあった。

しかし、冷静に、事故以来良くなった面に目を向けてみた。

心なしか温厚になった。嫁にも優しくなったし、絶対かかってこない相手に精神喧嘩を売る行為も減った。例えば、老人とか子供にである。悪がき隊、嫌、愚連隊である。同年代は体格と性質を見極めて精神喧嘩をしていた。それもしなくなった。いや、少なくなった。更正だ。

言葉遣いが綺麗になった。例えば、「いてまうどコラ」が「切れちゃうよ僕」になり、「なめとんかコラ」が「なめてるの、あん」に、「どたまカチ割るど」が「頭たたくよ」になった。程度は低いが、武闘派から頭脳派への変化である。どちらも893であるが、長生き出来る確率は今の方が高い。知的じゃん!

体の変調に一喜一憂している場合ではない。精神的な変化を体がもたらしてくれたのであれば、プラスマイナスはむしろプラスに分がある。おまけに、体が痛い人の気持ちがわかるようになった。事故は俺にとってプラスであったと思う。

事故がなくても、加齢による体質変化はある。体力面での低下に伴い、体のいろんな部分に不具合が出てくる。それが、事故というきっかけを通して顕著になるのであれば、実に分かりやすくてよい。
体の変調が加齢に対する怯えにつながるくらいなら、はっきりと出てくれたほうが明朗だ。

正面衝突の交通事故は、劇的な体の変化を生んだ。マイナス面にばかり目が行きがちであったが、1年近くたって、俺の中での事故に対する総括は済んだ。

俺にとってのプラスをもたらしてくれた、交通事故という劇的な変化はそうそうあるものではない。変わり映えのしない日々の連続を地道にこなしたものにだけに、円熟があるのかもしれない。

劇的な衝突があってしか気付けない愚かさが嘆かわしい。日々起こっているであろう小さな衝突・・・。その衝突を有意義に生かせなかった俺に、大事故が起こり、目を覚まさせてくれたのだと思う。
今後は、日々の小さな衝突に敏感に、それをしっかり噛みしめて、体質の変化と相談して、過ごしていきたい。

安っぽい匂いを撒き散らして腐敗するのではなく、鋭角な臭いを内に宿した円熟を目指したい。熟した果実は美味である。主張もある。腐敗した果実は主張が見えなく朽ち果てる。匂いは、はかなく、最終的には臭くなる。  円熟だよ円熟・・・。シブがき隊だよ。

色々なことを考えた、今日の朝型。枕から香る加齢臭。まだまだ匂いは表面に溢れていた。円熟道は険しいが、臭いを消すための劇的な衝突はいらない。年月の外皮が包んでくれるにつれて、芳香な匂いに変わっていくだろう。渋柿だよ渋柿・・・。

2007年11月21日水曜日

癒し

「バスあかり」なる商品があるらしい。小型のカップに入ったキャンドルで、浴槽に入れられるらしい。湯船に光るキャンドルに癒しの効果があるらしい。売り上げが好調なのかどうかはしらないが、目をつけたメーカーは、癒しに敏感である。

どっか、ふらりと出かけた公衆浴場に、たまに、こういった色物商品が取り入れられるのであれば、実に面白い。林檎湯、みかん湯、ゆず湯と色々あるが、その中に「バスあかり湯」があるのは良い。

詳細を知らない上で書いているのだが、どうやらこの商品は家庭用の浴槽を対象にしているもののような気がする。効能として神経リラックス作用があるのかもしれない。

色々なストレスや、色々な居住空間があって然るべきである。でも、個人的な実感として、「バスあかり」なるものが必要になるほどの癒しが商品化されて、そこにマーケットがあるという実感は無い。しかし、メーカーが出すのであろうから、それなりの勝算はあるのであろう。

癒しというものが商売上のターゲットになって等しい。「癒し」「リラクゼーション」なる言葉自体を看板や広告の文字でよく見かけるようになったのは、インターネットが多くの家庭に普及しだした頃と、同じごろではなかろうか? そんな気がした。

インターネット普及以前にも、今の癒しを目的とした商品と同じ趣旨のものがなかったかと言えば、あったはずである。例えば、バスクリンや小鳥のさえずりを録音した音源などである。しかし、販売促進のキャッチコピーが癒しをテーマにはしていなかったように思う。バスクリンであるなら、「温泉と同じ成分を再現! 我が家の温泉」といった文句はあっても(ダサすぎるコピーであるが)、「癒し」という言葉が組み込まれることはなかった気がする。

俺が初めて「癒し」という言葉を口に出したのは、たしか、嫁が自宅でお香を焚いた時だ。7年くらい前であろうか? その時には、世間一般に「癒し」という言葉が認知されていた。しかし、この言葉は、今の「スピリチュアル」といった言葉並みに、実に胡散臭い言葉として認識していた気がする。

癒しなるものが、いまいちわからないのだ。お香を焚くと確かに鼻が喜ぶ。香りを充満させた部屋で昼寝をすると気持がいい。しかし、これを特別なものとしてとらえなくても、仏間で線香の香りに包まれて寝ている時にも同じような作用があったはずだ。しかし、昭和の時代に仏間と仏壇と線香が身近な家の住人が、これを癒しとしてとらえていることはなかったと思う。そこで育った子供たちが、家を離れ、たまに帰省した時に仏間で寝ると、「あ~、いい香りだ。昔を思い出すな~。なつかしいよな~。」とほっとし、安眠を保証していたものではあったが、癒しを目的として、「よし、今日はお前が久々に帰ってきたから、仏間の線香の香りをラベンダーにしたよ。」といった、おもてなしをする発想自体がなかったのだ。

何が違うのだろうか?癒しの仕掛け人は誰であろうか?現代人が癒しが必要なのは、感覚的にはわかる。しかし、既製品でまかなえるものが癒しになるのかが疑問なのだ。

心ある人やペットとの交流、自然の眺望、入浴、音楽を聴く・・・・・、色々な機会が昔から与えられていて、それは人それぞれが、自分の嗅覚を頼りに探すものであったし、探し続ける限り、いつの間にか欲するものに辿りつけていたのではなかったか? パッケージされた癒し商品に、栄養ドリンクを買うような視点で癒しを求めることが、果たして癒しなのであろうか?

「癒し」という言葉の語感は好きだ。しかし、この言葉が、上質の飴であるかのように市場を跋扈し、この言葉を何の疑問も無く、治療的な感覚ですえる時代になっていることが怖い気がする。

インターネットの本格的な普及と同時に、「癒し」が認知されだしたというのは、俺の個人的な実感であり、統計も分析もない。しかし、実感ではあるがどうもあたっている気がする。それと時を同じくして、「鬱」という言葉も広く認知されだした。「心療内科」が「肛門科」より多くの独立医院として開業したのもインターネットと時を同じくする。

もちろん、インターネット以前にも「癒し」や「鬱」の感覚はあった。しかし、言葉として認知されることの意味は大きい。

癒されたいと思っている方や、「鬱」に苦しんでおられる方が、その人にとって最適なものと出会え、その出会いが彼らの辛さを軽減できるものであって欲しいと願うだけだ。

商品が増え、インターネットで調べ物も購入も楽になった。それと同時に「癒し」を欲する人が増えてきたと思うこの自分の感覚。 錯覚であってほしい。そして両者に因果関係がないことを願う。

「バスあかり」・・・どこの風呂場にだって明かりはある。浴槽にまで人工的な明かりを入れる社会を俺は健全とは思わない。

たかが「癒し」を狙った商品に絡めて、「癒し」をここまで重く考える必要自体がないのは、わかっている。世相に噛み付く卑しい思想にまみれている。しかし気になるものはなる。

俺は、「癒し」という言葉を口にしなかった時代の感覚で、ほっとする何かをたくさん身につけようと思う。

手始めに香りを出そう。  タバコを吸う。   咳が出る。 香りは病の香りだ。 香りを出すものはドラッグだ。「癒」はヤマイダレだ。 芳しくはない。 

2007年11月20日火曜日

「想像力」を暴く

「想像力」とは何だ? 

「カントさんが哲学的思考した結果、感性と悟性の二つの違った能力を媒介する能力を構想する力」とでも言うのか・・。

なんかよくわからない辞書的定義だ。だいたい、カントなるおっさんの著書を一本読みはしていない。しかし、いろんな引用などの場面で出てくるので、目にすることは多い。よくもま~、こんだけ定義するな~というくらい、定義力に優れたおっさんだ。御仁こそが想像力の権威だ。

「想像力」という言葉は、俺は良いイメージに捉えている。時事的評論などにおいて、特に、犯罪心理学などの場面において、「想像力の欠如が根本の原因である。」といった見解を、よく目に耳にする。

肯定派だ。俺も、想像力は大事なことで、本来備わった性質に適切な想像力があれば、色々な問題は解決できる気もする。

肯定的な意見はまたの機会にして、今日は、デメリット面について考える~の心だ~!(小沢昭一風)

今日の夕飯(といっても10分前に食べ終えた)には、今年2回目の、カニ身があった。実に美味い。紅か、本か、タラバか、毛か、何かは知らない。沢ではない。身が大きい。実に美味であった。

俺は魚介類が死ぬほど好きだ。大げさではない。味覚も肥えている。毎回最後の晩餐の気持ちで魚介類に面している。「鯵」と書いて、「まじ(本気)」と読むくらい好きだ。

特にわが住む町は魚介類が非常によろしい。魚介類に居住区分も糞もあったものではないが、俺は日本海東部におはしまする魚介類君が特に好きだ。よくぞ、この閉鎖的な海原に迷い込んでくれました!と拍手喝采を送りながら、毎回食している。

しかし、俺が好きな魚介類は、漁師が水揚げしたものに限られる。つまり、市場を通して手に入る魚介類だ。個人的な釣り人が竿で釣り上げた魚は食べることが出来ない。もっぱら魚河岸専門だ。漁師と名の付く人が、網で取った獲物だけを俺は食する。

最近はしていないが、富山に移住してからというもの、よく釣りに行った。釣りは好きである。防波堤から鯵や細魚や小鯛をたくさん釣った。カワハギなんかも釣った。また、船釣りでキスをたくさん上げたこともある。家に持ち帰って、妻は料理した。しかし、俺は体調不良を理由に食さなかった。

釣りを否定はしてはいない。大好きである。しかし釣果の獲物を食することは出来ない。なぜか?

答えは簡単である。釣りで使うえさは「いそめ」であるからだ。あの、ミミズと蛆虫の負の部分だけを肉した生物を、俺は心から嫌っている。奴の臭いは殺戮の香りだ。

殺戮の臭いのするものに、卑しくも食いつき、くちびるに針を刺され、上に持ち上げられる魚が美味いはずはない。釣り上げられる魚は、背筋も凍る経験をして極度の恐怖と痛みで、発狂した状態で死期を迎えるのだ。死の直前の奴らの恐怖を、そして、奴らをその恐怖と痛みに誘った人間への怨念を俺は想像力で感じることが出来る。美味いはずがない。

同情する面もある。釣り上げられた魚の同僚は泣きながら彼に弔辞を述べる。

「だから言ったんだ。いそめに気をつけろと俺は何回も諌めただろう。この魚鹿魚鹿、馬魚馬魚!」

一度釣り上げた魚の唇が切れていたことがある。きっと奴は、以前にも、いそめに食いついて、釣り上げられた釣り人に強引に釣針を抜かれ、その上リリースされた奴であろう。しかし、また食いついた。あれほど激痛と死の恐怖を味わったにも関わらずだ。本能とは怖い。 ファインディング ノーモア!

いそめに釣られる奴は、いそめを食している奴だ。いそめの養分が彼らの身となっている。彼らはきな臭い。血の味がする。

一方、網で獲られる魚は高貴である。彼らの防御システム上、網にかかって獲られるのは仕方が無い。網を揚げられ、一瞬狼狽するが、港までは水槽の中だ。死の恐怖は少ない。まして、痛みはない。
カゴに移されるときに息苦しさは感じるが、人間だって息苦しさを感じて死ぬ事例が多い。怨念を抱くほどではない。魚河岸の地べたで、人間の足で蹴飛ばされる時に彼らの意識は無い。

網で獲られる魚は、普段の食生活も健全だ。プランクトンなどを食べる。他に何を食べているかは知らないが、いそめを食べるよりは、プラークコントロールをしている。彼らに歯垢はない。実にデンター魚だ。彼らなら俺は丸かじりで食すことが出来る。かじっても血が出ない。

以上のような想像力に基づく理由で、俺は釣り上げた魚を食べない。

俺の想像力は矛盾に満ちている。実に偏見と傲慢に満ちた想像力だ。低脳な想像力だ。思いをはせる局面はある一部だけだ。いそめに支配されている。

想像力を正しく働かせたならば、カニやウニを美味と思うはずが無い。だいたい、見た目で判断して、食す対象ではない。人類史上初めてカニを食べた人を俺は尊敬する。カニはどうみてもインベーダーだ。横歩きをしている所をゲーマーに連打されて消える運命だが、立派な侵略者だ。カニを初めて見た人が、彼を侵略者とみなさずに、体内に取り入れた、そんな神経の想像力のなさに俺は敬意を表する。この場面においては想像力の欠如が吉と出たのだ。

想像力は思い込みと紙一重である。冒頭の定義に戻る。感性と悟性の両方ともが、健全である保証はない。カニをインベーダーに見立てる性質を感性と言う。一方、カニは美味しいと思う性質を悟性と言う。二つの能力を媒介する構想力は、文化が育んだ思い込みだ。公平なジャッジは無い。

どうだ? 想像力なんてものは、いい加減なものであることがわかったか!    

誰に言っているのであろうか? 想像の相手にである。悟性はない。感性はある。媒介するものはない。バイガイは美味しい。 駄洒落ではない。魚洒落である。鮮度はいい。

想像力・・・。なんて生臭い!

2007年11月19日月曜日

言語舌

今日の中学入試をする生徒に対する教材のひとコマだ。

(問い)
「次の中で、語句の使い方として適切なほうを選びなさい。」みたいな問題があった。

間違いが多かった、適切でないほうの選択肢はこれだ。

 「 今度こそ汚名を挽回するいいチャンスだ 」

適切なほうの文はこうだ。

 「 今度こそ名誉を挽回するいいチャンスだ。」

俺は偉そうに教えているが、正解と不正解を並べて比較してみた時に、この二つの文章にすごく違和感を持った。「どっちでもいいやんけ!」 そして、すごく興味深いことに気がついた。俺が興味深いだけだ。認識がずれているだけであろう。しかし、興味深い。一人の言語フェチの戯言として読んで欲しい。

「汚名」と「名誉」・・・、 上記の正しい用法で考えれば、どちらも完了してしまった状態を表しているのだろう。「汚れた名」、「誉れある名」、目的語として両者を捉えたら、挽回するのは「誉れある名」であろう。

しかし、文全体で読んで、「今度こそ汚れてしまった名前を、もう一度綺麗な状態に戻したい」といった解釈は可能ではなかろうか?拡大解釈であろうか? これが出来るのであれば、「汚名を挽回する」という表現もあり得るのではなかろうか?

日本語は難しい。ここまでを読み手に伝えることだけでも困難だ。理解していただけない方にはいつか挽回する。挽回するものは「名誉」でも「汚名」でもない。ただ活力ある文章を書きたいだけだ。リカバーではない。リゲインだ。栄養がある。無駄もあるが一日一本だ。 

脱線した。戻る。

言葉の認識は受け取り方の感受の仕方によっても変わってくる。俺は、一度罪を犯して落ちた評価は挽回できない一方で、一度名をなせば、その名声が仮に傷ついても挽回できるというのは、不公平ではないかと考えたのだ。実に権威主義で、おごり高ぶった人間性を見た気がして、誤法を選んだ生徒をかばいたい気になった。生徒はそこまで深く考えてはいないが・・・。本当にかばわれるべきは俺かもしれない。リカバーしてほしい。

脱糞してきた。戻る。

どちらも正しいような気がして、帰りの車中、ずっと考えていた。
誰が決めたかは知らないが、この二つの用法は「汚名挽回」の方が、日本人のあるべき正しい姿だ!といきり立ちながら、その根拠を探していた。

考えた挙句、俺が出した結論は、「名誉を挽回する」が正しいである。完敗である。漢字、ひらがな、カタカナを使いこなして独自の言語を編み出してきた日本人であると思っていたが、しょせん、漢字は借り物であり、中国的ルールに縛られている。中国の思想が三表記混合の日本語に、依然、深く根ざしているという結論だ。

中国人にこの質問をしたら、たぶん、以下のような回答をするであろう。

「名誉」、「汚名」という熟語の成り立ちを見てみるあるよ。 どちらも熟語の成り立ちとしては、種類の違うものであるよ。同じ用法で括れないのであるよ。「名」が先にくるか来ないかの差かもしれないけど、これは中国人にとっては、じぇんじぇん意味違うあるよ。お前たちの漢文で言う返り点が付くか付かないかの差であるよ。品詞が違うあるよ。わかるあるか?

俺の想像の中での中国人講師に教えられたので、強引に「名・誉」と「汚・名」の間に返り点のレ点を付けてみるあるよ。後の漢字から返って前の漢字を読むあるよ。

「名誉」は、「誉れある(形容詞)」「名前(名詞)」であるし、「汚名」は、「名を(名詞+助詞)」「汚す(動詞)」である。

これを最初の文に当てはめてみる。
「今度こそ≪名を汚す≫を挽回するいいチャンスだ。」
「今度こそ≪誉れある名前≫を挽回するいいチャンスだ。」

これを見ると、誤法はあきあらかであろう。品詞が混同しているからおかしいのだ。中国人の見解は正しい。敗れたり!

敗者は考える。そして開き直る。「どっちでもいいあるないか!そんなこというから衝突起こるあるよ。」

日本語は漢字から離れられない。漢字は素晴らしい。中国に感謝だ。しかし、硬質で厳格な漢字がひらがなと融合した時に生まれるやわらかさは、日本人独自のものだ。
やわらかな表現は、多種多様な解釈を生む素地を備えている。熟語だけではなく、文全体として味わう感性は日本人の強みだ。韻がなくても詩的なのだ。借り物の漢字に卑下する必要は無い。しっかり学んで、そこに魔法をかければいいだけだ。

正しい日本語を学ぶことは楽しい。正しいを決めたのは俺の嫌いな学者かもしれない。しかし、漢文にしっかり根ざした学者のオタク的研究の成果だ。先人の研究を可能な限り受け継ぎ、その上に、個人的な解釈を加えながら、言語を媒体とした豊かな感性を育みたい。

全てが全て、研究成果を正しく受け継いで言語知識を増やしていくわけではない。上記の熟語解釈は俺の解釈だ。先人が残してくれた解釈ではない。知ったかぶりの解釈も多々あるであろう。ただ、解釈の仕方が一応完結していれば、それはそれでよい。正誤を付けられるのは入試だけだ。それより大切なものは、言語に噛み付いて、語感を味わえる豊かな言語舌だ。

「汚名」ばかりして、舌を抜かれないように注意したい。こういう俺は二枚舌だ。挽回はない。



 


 

2007年11月18日日曜日

冬の犬

越中富山の朝方の冷え込みが本格化してきた。昨朝は車の窓が凍っていた。今朝は水の冷たさにびっくりした。いよいよ本格的な冬に変わろうとしている。 

越中の冬の訪れはドラマチックだ。立山の頭頂から、おでこ辺りが白々としてくる。 ぶりの水揚げが本格化する。 富山湾の頭上にマイナス40度ほどの寒波が襲来する。

最後の仕上げは雷だ。 「ぶり起こし」の異名を持つサンダーが鳴り響くと雪の幕が明ける。
「ぶり起こし」は都会の雷とは明らかに音色が違う。  空が腹下しをしたかのような間抜けな重低音ではない。ハイトーンヴォイスと、ツーバースが絡み合うヘビメタサウンドだ。

雪のボスは狡猾だ。まず、手下を地上の偵察に出す。
ボス: 「こら! 歩兵! 地面の温度下げて来い!」
歩兵頭:「行って参ります。ボスの御霊にかけて、溶けずに目的を果たしてまいります。」
 
こうして無数のボスの頭皮のフケである歩兵が振り落とされる。スローガンは「溶けがりません、着くまでは。」だ。

すると風が強くなる。歩兵は横殴りに吹き飛ばされながら、なんとか地面を目指すが、地表にたどり着く前に多くは玉砕する。溶けるのだ。

地面に着けないまでも、幸せな一部の歩兵はおっさんの頭皮に守られ、その黒髪を白く染める。時に「おっさんの頭皮のフケ」であるフケ友と涙の再会を果たす者もいる。 下にいるおっさんは、頭上が賑やかになり、手で払う。 涙の再会はあっけない。 固体をぬらした天のフケはハンケチーフに吸い取られる。死の前に強烈な臭いをかぐ。憐れで仕方が無い・・・涙を拭け!

歩兵が量に物をいわせて地面を責める。 すると曲者桂馬の出番だ。 歩兵が少しは温度を下げた地表を変則的な動きで攻める。その横を時々、溶けることを忘れた香車が直線的に落下する。特攻隊のように速度が速い。速いゆえに衝突して気絶する。 頭上を車が走る。 ショック療法で気を取り戻してすぐ息絶える。 車体の臭いをかぐまでもなく息絶える。憐れで仕方がない・・・香りをかげ!

無数の下僕の働きの効果が出て、地上の一次任務が完了すると、「ぶり起こし」は演奏を止める。

「気をつけな、ボスが来る・・・。」

 雪国の県民は賢い。雪への備えは完璧だ。タイヤを拷問仕様のスタッドレスに、大型スコップ「ママさんダンプ」を玄関前に、路上に埋め込まれた無数の水巻爆弾は井戸水を吸い上げて準備万端だ。
大型戦車である除雪車への人員配置も完璧だ。

しかし、雪は不意打ちをかける。人間が眠っている間に敵陣を支配する。ボスは地表近くの要塞に腰を下ろし、春まで居座る。雪の勝ちだ。完勝だ! 

しかし、勝利は一瞬だ。人間様が負けたままで終わるわけが無い。

こうして、あたり一面の雪景色が完成すると、雪との戦いが本能的に組み込まれている県民は、多くが敵意をむき出しにして、雪よかしという名の排除作業に精を出すのだ。車の屋根の雪を、怨念のこもった目で払い落とす人がたくさんいる。ガシガシに圧縮され、でっかい球体にされ、人間の表情を着せられる旦那、いや達磨もいる。犬にまで笑われ、小水をかけられる。

こんな雪が、愛おしくてたまらない。冬が好きだ。雪が好きだ。雪が地表を覆うまでの前触れも好きだ。病的なわくわく感を覚える。冬好きコンテストがあったら負けない自信がある。スキーをする人が、雪好きではない。彼らは速度好きだ。斜面好きだ。雪上以外でやって欲しい。  

俺はスキーはしない。小学時分に、ボーゲンの八の字を逆にして、股が裂けたことがある。失禁した。雪に小水をかけた。犬と同じである。 俺はその日のことが悔やまれて仕方がない。

街中の雪を多少なでてしまうのは仕方が無い。しかし、街中より温度も低く、山中での戦闘後のバカンスを楽しんでいる雪を、踏みつけるのは許せない。鋭利な刃物でだ。つま先蹴りを食らいまくる環境におかれたくて落下してきたわけではない。雪の気持ちも考えろ!

少し言い過ぎた。雪を愛するあまりに言い過ぎた。スキーをする人への放言だ。愛好家から八つ裂きにされそうだ。するなら股以外を裂いて欲しい。

大好きな冬の到来。雪の到来。気温が下がれば頭温も下がる。文字を捨て、野に出よう。

俺は犬年の12月生まれだ。喜び、野を駆けめぐろう。

・・・・・・・・・駆ける前にすっ転んだ。凍結攻撃にやられた。いて~のだ。俺は射手座であった。何も言うな。 射るな。 今日は去ぬ。

2007年11月17日土曜日

大海の中覚醒

有名女優の息子が薬物で捕まった。もう複数回に及ぶ逮捕である。薬物依存に対する芸能人の再犯は多々ある。芸能に疎い俺でも多々知っている。

俺は非合法の薬物を使用したことがない。好奇心も全くない。こんな俺が薬物依存者に対して何かを言う資格はないのかもしれない。自らの臨床体験が無いにも関わらず、薬物依存の人に対する意見を言うのは、ワイドショー的である。「君は何様だ。」

依存を断ち切れなかった本人に、(まして成人している人であれば)全責任があることに異論はない。
しかし、よくワイドショーが口にする、「教育の仕方に間違いがなかったか?」という安っぽい問いかけに対しては、表面的レベルでは肯定するが、基本的には否であると思う。

教育ネタに精神的裁きを安易に加える外野の傍観者が、人格者ともてはやされ、コメントを残しているが、半分真理であり、半分は希望的観測であると思う。半分の真理は、統計的な考え方での真理だ。自由意志を持った人間を対象として語るときに、統計を駆使する必要があるだろうか?

個人的には、教育論は、机上の空論の典型であり、人間をマウスに見立てた、ごきげんな世界であると思う。

千差万別の人間が、千差万別の人格を持った人間を、千差万別の環境にさらしながら、日々営まれていく過程が教育で、「親がしっかりしていれば、子供はまともに育つ」ということを杓子定規に語れるであろうか?

親と言えども、その肩書きを冠する前は子である。成長には個人差がある。寿命はたかだか100年未満だ。70歳まで精神的に、大人になれない人だっていて然るべきである。 

子としての肩書きをまだ、十分に必要としているにも関わらず、ある一定年齢で親=教育する立場という大海の海原に放置されて、そこで処した行動すべてを批判することが出来るであろうか?批判は外野からである。芝生から土は見えているのだろうか? 井戸から海原は見えるのであろうか?

話が大げさになりそうなので、冒頭に戻る。

薬(俺は人工薬物を言っている。ドラッグである。ハーブではない。)に依存する過程は様々であろう。どんな理由があるにせよ、それが例え、付き合っている友人による感化であったとしても、人工薬物に手を出して、それが依存に変わるのであれば、それはその人が、生まれた時点で、その人にとって、この世は幻の世界で、大海に例えるなら、そこを泳ぐ技量とスキルと心を持たないものが産み落とされてしまった悲劇ではないかと思うのだ。彼らにとって、薬物の世界が幸せの時であったならば、それは依存者以外が関与できる世界ではないと思う。

悲劇というのは、生きている人間からした、言葉の海原の一部だ。依存者にとっては、俺たちが悲劇であるのかもしれない。依存者は人工薬物の世界が楽園なのであろう?効き目が切れたら、物理的な現世に戻され、そしてその世界は、あまりに険しくて、波が荒くて、登っていくには、泳いでいくには、あまりに過酷な世界なのであろう。目の前に過酷な日々を取り除いてくれる何かがあった時、それが安易に手に入るのであれば、手を出すのは頷ける。

何が言いたいかというと、人工薬物を生み出したのは人間であるのだ。痛みを和らげるモルヒネ、国家的反映をもたらす阿片、特攻の精神を生み出す覚せい剤・・・・。

科学者を非難しているのではない。人間が作り出した薬物が人間を廃すことが可能である歴史が作られてきたことに対する憐憫でもない。何だろう? あきらめだ。前向きな割り切りだ。

みんな満たされたいのだ。満たされる機会は無数に転がっていて、それを掴む掴めないで、その人の人工度合いは変わるのではないか? 

あらゆる生活パターンの集合体系を細分化してジャンル分けした場合、1割の体系に参加できることすら困難なのが人間の美しき一生である。その狭き井の中で、蛙に見立てた人間が掴んだ価値観が多数者か少数者かで、シャバの苦しさが変わるのが、この今ではないか?

今を大切にしようと思う。それが現実か幻か、正しいか間違いか、結論は出ない。結論が出せる思考で生きられるには、この世は美しすぎて高尚すぎる。人間は大海のプランクトンだ。食されていること、食すこと自体が無感知の世界だ。どこに行くかは誰も知らない。正解も間違いもない。
ただ、産み落とされた偶然と、その意味を井の中からしっかり思考したい。

シャブ依存から離れられない人間に憐憫を抱くことが、せめてもの自分を優位に保つ小さな世界だ。
小さなな井戸だ。井戸にプランクトンはいるのであろうか? 塩分があるのであろうか?
言葉の羅列の数だけ塩分が出る。汗をかくのだ。この汗は何者であろうか?井の中の思考の結晶であろうか? 結晶しているのか?

ますます、ややこしくなってきた。こういう話題に触れたこと事態が間違いだ。この感情を言葉で正確に表現できた人間は発狂するだろう。しかしこの文章は削除しないでおこうと思う。結論の出ないジャンクな文を、俺は死ぬ前に見て笑いたい。最高の人生だ。

思考の先に俺が今見えるものは・・・? 書かなきゃ良かった。でもこれが覚醒の証だ。

2007年11月16日金曜日

作業着

以前働いていた工場が、今日、破産手続きを開始した。俺が慶應通信で学んでいた時分にお世話になった会社だ。卒業したらやめるという前提でも、夏のスクーリングで1ヵ月近く休む時には、小粋な計らいをしてくださった会社だ。不渡り自体は3年前に出して、事実上倒産していたのだが、3年の年月を経て、破産申請へと至った。

感謝でいっぱいの、自分がお世話になった会社がなくなることに、思うところはたくさんある。また、そこで働いていた方々が、この後良い会社とめぐり合えるかを思うと、気持ちの大半を奪われる。

この会社についての感慨を今述べられるほどの浅い恩情ではない。いつか整理できたら書く。

今日書きたいのは、この会社で3年近くに渡り着ていた作業着の素晴らしさだ。俺は、この会社の前にいた会社で(職歴多くてすみません。)作業服やら作業具関連の営業をしていたのだが、作業着を年単位のスパンで着こなしたことはなかった。恥ずかしい話である。売り手が商品を実感していないのである。

作業着は、じつに丈夫だ。そして人を選ぶ。どんなに使い古されて、汚れた作業着を着ていたとしても、作業着がかもし出すオーラで、それを羽織っている人間の、その道の技量がわかるのだ。
単に汚れが付着していることによるオーラではない。作業着が新品の熟練工と、いい味出した作業着を着せられた新人とがいたとしても、熟練工を見抜くのは容易である。

作業に秀でた人を選ぶ何かが作業着に宿っているのであろう。これは服装全般に言えるのかもしれないが、作業着には特に、その目利きの素晴らしさを感じる。

思えば、不思議な織物である。汚れを塗りたくられ、洗濯してぐるんぐるん回転を繰り返し、バイオ酵素の攻撃を受けまくっても、作業着は主張をやめない。微妙な汚れの残り具合をその体に配し、選ばれた人間に羽織ってもらえることを祈念しているかのような、その布肌・・・。しびれる。フォルムは官能的である。

「寅壱」というメーカーがある。このメーカーは、主に、鳶職の方御用達の作業着をもって営んでいる。「寅壱」に限らず、多くの工場従事者が羽織っている作業服を作っているメーカーがたくさんある。

どの商品も実に丈夫である。俺が働いていた時、200キロのコンクリート製品をクレーンで移動させていた時、その吊り上げ金具をかけるブツがはずれ、俺の脚に2メートルの高さから商品が落下してきたことがある。ちょうど、俺の太ももの上に落下して、俺は200キロ×高さの物理的計算を経た衝撃を、この、芳しい太ももに頂戴したわけだ。俺は靴で踏まれた虫のような状態で、ひざにコンクリートの数メートルのブツを抱えながら正座をくずした体勢で、ご対面したわけだ。正座を斜めに半くずしにした状態の婆さんの上に、200キロの猫が乗っている姿を想像してほしい。その猫は空中から飛んで、ひざに着地したのだ。

俺は、目の前にある塊を両手で払いのけ、落下から30秒ほど遅れて声を出した。

「お、おも~!」 鈍感なのではない。 俺は小声を発した後、呆然としている製造部長に、「すみません。商品が腿を直撃したので、医者行っていいですか?」と言った。部長は、声を失いながら言った。
「あ、歩けるの?」  その目は、エイリアンを見ているようであった。alien ・・・。 有り得ん。

医者の診断は打撲であった。湿布を土産に返された。俗に言う軽症だ。

俺は作業着に感謝した。彼は突発的な空中技を、その秀でた吸収性と頑丈さを盾に、俺の艶かしいおみ足を守ってくれたのだ。俺の脂身の無い腿肉は、彼のおかげで、青ざめるだけで済んだのだ。

これが、カジュアルファッションであったら、こうはいかなかったと思う。奴らは攻撃に弱い。下手したら、落下直前で破状攻撃をしたかもしれない。しかし、作業着は、羽織る主に対して儀礼を忘れていなかった。彼は刃城攻撃で、俺の体に加わる衝撃を逃がしてくれたのである。彼の褐色の肌に残る傷跡と引き換えに・・・。

その日を境に、俺は作業服が似合う男になった。毎日鏡を見て惚れ惚れしたものだ。傷を宿した作業着と、傷の痛みの分かる男が密着しているのだ。似合わないわけが無い。愛が生まれた。

今、塾という仕事の立場上、俺の作業着は、世間でスーツとか言われている、ヤサ生地だ。
しかし、俺はこのヤサ生地を作業着道の修行に日々誘っている。成果が上がってきて、最近は、プリーツとやらいう軟弱な線がなくなってきた。

嫁は、無くなりつつあるプリーツに、アイロンという名の鉄拳を浴びせようとするが、俺はそれすらも頑なに拒んでいる。俺のスーツがやっと男気を身につけ出したというのに、ヤワな道に進むことを俺は許さない。スーツがプリーツを欲すること、これを俺は「被行」という。ぐれさすわけにはいかない。

小学生の女子生徒が俺に言った。

生徒: 「先生~、最近ズボンの折り目なくなってきとらんけ? 」
俺 : 「あほ! 折り目なんていうものは、いらんのじゃ! 真のエレガントを教えたる!」
生徒: 「ようわからんけど、ちゃんとヤングドライに持っていかれ~」

俺は彼女の漢字練習の回数を増やした。「虎」と「壱」を各20回に増やした。彼女は従った。母親が子供を見るような目で・・・・・。教育はエレガントだ。

作業着に対する敬意を俺は忘れずにいたいと思う。それが、俺がお世話になった複数の会社への恩返しであると思う。これだけ、気持ちの入った社員を誇りに思って欲しい。

「衝撃と 汚れの数だけ 味がある 折り目なくとも 薫る織り目」(「まえけん全集第5巻「プリッツは折れるのよ。」より引用)

2007年11月15日木曜日

パーソナルコンピューター不調

昨日の投稿から、システムが変だ。自分が投稿した後に、このページに行こうとすると、白紙の画面が出る。パソコンを立ち上げた一発目は通常どおり開けるのだが、2回目以降は白紙の画面が出る。

詳細を話そう。

いつも俺は、「お気に入り」から管理者画面に行って、投稿し、その後、「ブログを見る」というところをクリックし、投稿されているかを確認している。

それが昨日から、投稿後、自分の画面が確認できなくなっているのだ。画面を確認する時には、編集ページに行くのだが、それも、1度開いたものを閉じてしまうと、その後は白紙の嵐だ。理由がわからない。外部のパソコンからここにアクセスできるのかもわからない。わからないだらけの投稿で、正直不安だ。

昨日、「動物病棟」というタイトルで書いた。動物を馬鹿にしたつもりはないが、動物の怒りがここに降り注いだのかもしれない。

いや、そんなはずはない。動物に対する俺の筆致は、愛情に満ちたものであったはずである。読み返そうにも見れない。結核患者の怒りを買ったのだろうか? いや、これも違う。その当時の結核的な病気で俺は2回入院しているのである。禊は済んでいる。注射による消毒の禊だ。川ですべきだったのか? これ以上言うと、ますます怒りを買いそうである。

やはり、最後に残るのは手でしたためたものである。現代では、パソで叩きまくった文章を印字して、保管しておくべきである。

コンピューター君は、すばらしい頭脳をお持ちであるが、蓄積と取出しにはすぐれているが、1つ命令を間違えると、とたんに機嫌が悪くなる。しょせん、人間が作ったものの限界であろう。やつらの受動体制は感情を持たない分、直接的である。

ビールを飲めと指示されたコンピューターがビールを飲む。あらゆるメーカーのあらゆる商品名もビールという暗号があれば、奴は飲む。しかし、そこで、発泡酒なるものが現れた。ビールの定義に発泡酒も含むという指示を出さないと、奴は頑なに飲まない。定義を変えたりするのは、人間の素晴らしい頭脳の営みである。その都度コンピューターの立場にたって、指示を入れなおさなければならない。

指示を入れるのは人間である。直線的な思考だけで人間は生きられない。指示を入れ忘れたり、指示する項目自体に気付かないほどの頭脳を、俺らは持っているのである。指示漏れがあるのは当然である。しょせん、コンピューターはコンピューターである。

しかし、奴らが大きくなりすぎ、指示する人間の母体が大きくなればなるほど、奴らにとっての直線であるということが、分からなくなるのではないか? システム障害を報告し、1つ1つの事例に対する対処は出来ても、奴の直線的であるがゆえの悩みの奥底に触れられる人間は、もはやいないのではないだろうか?

社会保険庁が公的に記録した文書を100年単位で保管しておく倉庫を作らずに、ある期限で区切り、書面を破棄するという暴挙に出たのも、このコンピューター頭脳を万能であるかのようにかん違いした結果であろう。 確かに、公的記録を全て保管するのは物理的に困難であろう。だから、先延ばしの保険なんかはやめてしまえばいいのだ。約束なんか出来るわけがない。お年寄りで身寄りが無く、食うものに困っている人がいるならば、その人たちを囲う村を作ればよいのだ。

高齢者の怒りを買いそうなのでやめる。しかし、俺の意見は高齢者への冒涜ではない。年金を管理するシステム作りに膨大なお金を費やし、その指示系統を間違えたことによる、年金漏れが出るくらいなら、国家銀行を作って、自分が預けた分のお金に金利をつけて、老後にお支払いしますといった名目で、個人口座を人口分作れば良いのだ。全人口の口座数を作り、その残高を社会福祉基準から算出し、老後に支払うシステムの構築は、直線的で、簡単な関数で作れると思う。そのためのシステムを作らずに、個別の機関ごとの入力システムでまかなおうとするから、指示系統に狂いが生じるのだ。

コンピューターを作った人間が、システム開発の利権競争で、彼らの直線的な指令系統に無数の枝を作り、それに翻弄され、種々の問題が生じる。

結局は人間の単なる産物ですぜ。世界規模で使うなら、システムの脊髄と内臓器ぐらいは、国連的なプロジェクトにして、利権の入る素地はなくして欲しいと思うのでありますよ。

コンピューターに詳しくない俺がコンピューターに文句を垂れる。垂れられたコンピューターは、感情が無いとはいえ、理不尽である。コンピューターに精一杯携わり、それを生業にしている方々にとっても理不尽な話である。

コンピューター、この得たいの知れない化け物との接し方に、未だに戸惑いを感じている。
無知なだけである。コンピューターの頭脳の一部を俺は欲しているだけかもしれない。

システムを作ってくださった方々の恩恵を満喫する一方で、それに不満をたれるのはよくない。改める。否定するのは、ちゃんちゃらおかしい。

俺は曲線的頭脳を持った人間だ。システム障害に一喜一憂するのも曲線のなせるわざだ。振り回されながら、嫌なことは、脳裏に圧縮し、解凍ソフトをダウンロードしなければ良いのだ。嫌なことを覚えていたり、少々のことで戸惑っていたら、生きてはいけない。ゴミ箱のキャパは負けない。

圧縮だの、解凍だの、キャパだの、俺もコンピューター化している。人間的コンピューターとコンピューター的人間の戦いだ。そこに哲学はない。科学があるだけだ。悩みはつきない。しかし、大げさな話ではない。しょせんパーソナルコンピューターだ。 0か1か、有か無か、答えを出すのはパーソナルだ。

2007年11月14日水曜日

動物病棟

朝起きたら、咽が痛い。半端じゃなく痛い。少し熱っぽい気もする。急激な寒さがきたにも関わらず、毛布も着ずに寝ていたからだ。鼻も詰まる。鼻汁も出る。詰まりながら出る鼻汁は硬度がある。痰もたくさん出る。色つきだ。黄土がある。

久々の風邪であるが、幸い休日だ。今日は日がな一日、読んでは寝~、読んでは寝~をくり返した。昼食だけ食べに外出した。風邪だからあっさりしたものを食おうなんて、やわな神経は持ち合わせていない。こってりラーメンと、牛すじの味噌たれを2本とライスを食った。帰宅後ビールを2本飲んだ。

風邪を引くと。いつも思い出すのは、小学校の時に3回入院した、実家近くにある「N尾病院」のことだ。盲腸1回、肺炎2回で入院した。

この病院は公務員共済の病院であり、今は立派な外観と、最新の設備を持ち、近代的な病院であるが、俺が入院した時は戦時中の香りが十分に残っていた。今でもいくぶんか、敷地内にはまだ、昔の名残がある。帰省した時には、必ず歩くようにしている。

この病院、戦時中は結核病棟を中心とした隔離施設になっていたとの噂を聞いたことがある。たぶん、噂ではなく、口承された事実であると思う。

今の病院のように、1つの建物内のフロアで複数の科が混合しているのではなく、1つ1つが棟として分離していて、それを木造の渡り廊下が結んでいる。敷地面積はかなりでかい。

例えるならば、大きな牛舎が複数あり、それが渡り廊下で結ばれている感じだ。牛舎間を往復する看護婦も心なしか・・・。モー! 

全館木造建築で、床も窓枠も全て木である。開閉時の音、廊下を歩く音、とてもじゃないが、病人でなきゃ安眠できるハードではなかった。おまけに、この病院、通用口には夜になると施錠をするのだが、渡り廊下の一部が、通り抜けできるようになっており、外部からの進入を拒まない。病人でなきゃ蟄居できるハードではなかった。

盲腸で入院した時は、モーで、いかりやな看護婦(パーツを含めた全体がでかい)が俺に聞くのだ。「夕べのガスは何回?」 俺は顔を赤らめて答える。「出ませんでした。すみません。」
あやまった理由はわからない。顔を赤らめたのは恋ではない。モー!

深夜から朝方にかけて、2匹のキャッツがよく廊下を闊歩していた。それらのキャッツは黒く、太く、目つきが悪く、皮膚は剥がれ落ちている箇所があり、おまけに空咳をしていた。療養中のキャッツであろう。実に結核、いや、傑作なキャッツである。

彼らは、「ニャ~!」(本当は、「ニ」に濁点を加えたい。)と24時間無差別に泣いていた。しかし、看護婦も患者も彼らの侵入に目くじらを立てることなかった。というのは、その当時は、まだ結核病棟の名残があり、ここで死を迎える老人が多く居住していた。そんな中にある、病床わずか8つの小児科病棟のうちの1つに俺は入院していたのだ。6つは空床であった。わずかの余生をキャッツに囲まれ、穏かに隔離され過ごす老人の中にまぎれこんだ小児2名・・・。選ばれし民だ。

キャッツに異変が起こったのは、俺が退院する早朝のことだ。

キャッツのでかい方が、 「ニャ~ギョ,ニャーギョ」とリズミカルに泣いていたのだが、急に変拍子になりだした。「ニャ~~~、ギョ ニャ、ギョ~~~」

「ギョ、ヘ, ッカ」・・・・。俺はベッドから立ち上がり、廊下の奴を見に行った。奴と目が合った。奴は照れくさそうに、しょげながら、渡り廊下への道を歩んでいった。後ろを振り返ることはなかった。 彼は吐いていたのだ。昆虫の残骸のようなものが、吐しゃ物の中にあった。

なぜか、誰にも言ってはいけないことのような気がした。俺はこっそり奴が吐いた残骸を便所紙でふき取り、6時間後におかんの迎えで退院した。

その半年後、肺炎にかかった俺は、再び選ばれし民となった。その時にはキャッツはいなかった。
同室のもう1つのベッドには、俺の通う小学校1のワルの先輩がいた。タバコの吸いすぎで肺炎になったそうだ。奴は、「なめ猫」のサンダルを履いていた。なめる気はない。彼は強面の外見とは裏腹に、実に優しかった。俺に「なめ猫グッズ」をたくさん見せてくれ、俺がうらやましそうにすると、免許証をくれた。親交を深めた俺は、彼のおかげで、残りの小学校生活は安泰になった。

風邪をひくと、いつも思い出すのは、N尾病院での生活と、あの猫のことだ。吐いた後、俺に発見された時の奴の目が忘れられない。

「やっちまったよゴホ、 そんなに見るなよニャゴ。 心配するな、ゴホ、またな。」

熱にうなされていたのではない。退院する朝のことだ。俺が見たのは現実だ。奴は人知れず、病院のどこかで土になっているのかもしれない。

色々思い出しながら、うとうとしていると、体の具合もよくなってきた。今でも「N尾病院」は俺にとっての心のかかりつけ病院だ。猫は心療医だ。 モーな看護婦はカンフル剤だ。中枢を刺激する。あまり打ちたくはない。

「みしみしと、きしむ廊下に 音がする ここに来るのは モーか ニャーか」 (まえけん全集1巻「動物戦隊サレンダー」より)

タイミング

この10日間で読んだ本を羅列してみる。

『アイヌの碑』・・・菅野茂(朝日文庫)、 『麗しき男性誌』・・・斎藤美奈子(文春文庫)、『私小説』・・・水村美苗、『世界最低最悪の旅』・・・蔵前仁一編、『井伏鱒二文集Ⅰ』・・・井伏鱒二(ちくま文庫)【再々読】、『新しい天体』・・・開高健(光文社文庫)【再読】、『十三妹』・・・武田泰淳(中公文庫)

再読の井伏氏と開高氏はおいといて、正直、不作の10日間であった。面白くて再読の可能性があるのは、武田泰淳氏だけだ。武田氏の作品は、すごく興味があり、他の著作もだいたい仕入れた。素晴らしい作家である。しかし、他は不作だ。ストレスがたまる。

著者が悪いのではない。自分の読むタイミングが悪いのだ。

例えば、『アイヌの碑』なんかは、アイヌ言語のスピーチ文があったり、貴重な写真もあり、興味をひく内容なのだが、いかんせん、著者の自伝的要素が強すぎて、今の自分の感性に合わない。自伝が悪いのではない。自伝に入れるだけの感性が、今の周期になかっただけだ。自伝で好きな著作はたくさんある。残念である。

又、違う時期に出違ったら、この本を自分にとっての名作であると思うであろうし、民俗学的な資料として、処分せずに、書棚に保管はしておくが、タイミングが悪い。

このタイミングというものが癖が悪い。

音楽との出会いもそうだ。レコード屋で購入した音源が、ことごとく自分にとっての、最高の出会いになる周期があれば、その逆もしかりだ。均等に興奮を覚える作品に出会えるのであればいいのだが、当たり週間(月間)とはずれ週間(月間)に極端に分かれてしまう。

今までの経験上、はずれの期間が長く続いた後には、自分の中での画期的な新しい興味分野の先導となる作品にめぐり合えることが多いので、今はその時期であると、自分を慰めている。

次は、何に興味を持つのであろうか??? 行き着く先に期待したい。

いつも皮算用的な悩みに襲われる。

本で考えよう。俺の場合、週刊誌や、雑誌(「文藝春秋」からエロ本まで)を覗いて、文庫本で3日に2冊のペースで、ここ10年ほど読んでいる。しかし、月間20冊ペースでも、しょせん、年間240冊である。大型連休での読みだめを入れて、年間300冊と概算する。資料的な抜粋読みや、エッセイを含めると、年間500冊はあると思う。しかし、再読もあるので、純粋な新たな出会いは果たして・・・。
冊数で年間500弱、作品数で、年間800ぐらいでなかろうかと思う。

冊数ベースで、たった500冊だ。500冊なんてものは、書店の棚で見た場合、1、2メートル圏内だ。

毎月膨大な書籍が刊行される中で、出会えるのはたった500冊だ。かりに、晴耕雨読の暮らしが実現できたとしても、人間が一生に出会える作品というのは、全作品数のコンマ数パーセントの世界ではなかろうかと思う。

こんな出会いの中で、出会うタイミングを逸してしまうと、せっかくの出会いも自分の中を素通りしてしまう。音楽にしても然りだ。自分の感性をえげつなく揺さぶってくれる音楽と、出会うべきときに出会える偶然が重なるか重ならないかは、すごく大きな問題である。

青春時代に、むちゃくちゃ感動した音楽が、親父買いをして再聴してみると、しょぼく感じた経験は誰にでもあるはずだ。出会うべきときに出会い、それを心の中で封印して、かけがえの無い塊としてもっていることが、どんなに幸せであるか? 

こんなことをいつも思っている。

本も、音楽も、人から勧められたり、レビューを見て、読んだ聴いたりすることは、効率が良いかもしれない。普遍の名作というものがあるからである。でも、普遍である作品に出会うにも、タイミングを逸したら、その感動は薄くなってしまう。それに、自分が読みたい、聴きたい作品は、本来、人に勧められて出会うものではないと思う。

なぜなら普遍の名作だけが自分を震え上がらせてくれるのではない。自分のその時その時の感性にだけあった、急所直撃の作品に出会う機会が毎日あり、それを無為に過ごしながらも、どこかで劇的な出会いがある時間の流れ・・・。 考えるとわくわくして、あせって、キュンキュンくる。

劇的な出会いは、書棚やCD棚とのにらめっこを、高い純度でこなすものにだけ、舞い降りてくれるのではないかと思う。少なくとも、俺は毎日、書棚を覘くことを日課にしている。

眼光のするどさは日によって差がある。感度が鈍る日もある。しかし、俺を呼んでいる作品の魂を感じながら、1つでも多くの出会いを経験していきたい。

俺を呼ぶ魂の中には、スパムもいる。また、安っぽい魂に惹かれることもある。作品側がどんな高尚な魂であっても、こちらの受け入れ態勢が不純であると、それは良い出会いにならない。
不純と煩悩の度合いが人一倍高い俺だ。俺を呼ぶ声の色はピンクであることも多い。それを抹殺しようとする俺もいる。ピンキー&キラーだ。「恋の季節」だ。 何を言ってるんだ。「故意の既設」だ。


日々、良いタイミングが用意されている。それを掴むのは、こちらの眼の鋭さである。

今日、書棚で俺を睨んでいたのは、『もののたはむれ』松浦寿輝(文春文庫)である。至福の戯れ時を過ごしたい。

「タイミング 逃せば ふみも 催眠具」(「まえけん全集8巻『桃眼郷』より引用)

2007年11月12日月曜日

正義の定義

学級会というものが嫌いであった。どうでもいいことを、正義の味方と悪役が小競り合いをとばし、ギャラリーは野次馬として至福の時間を過ごす。どう見ても、建設的なようでいて、偽善に満ちた時間にしか思えないでいた。

正義の味方①:「せんせい、まえけん君は、いつも掃除をさぼります。」

俺@心の中: 「お前もチェックする暇あるんやったら、掃除せんかい! それをサボり言うのとちゃうんかい! 鼻に割りばし突っ込むど!」

正義の味方②:「せんせい、まえけん君はドッジボールで、弱い子ばかりを当てます。」

俺@心の中: 「弱い子って決め付けること自体がおかしいやんけ! お前にも愛の鉄拳ボール食らわしたろうか! がりがり君め! 凍らしてキャンディーにして食べるど!」

正義の味方③「せんせい、まえけん君は、べったん5枚で、M尾君の答案を盗み見する約束をしていました。」

俺@心の中: 「くやしかったら、べったん6枚で買収せんかい!俺の動向見ているお前もチーターじゃ! このインテリ息子! 剥製にしてインテリアにすんど!」

どうも品が良くないので、ここで止める。

防衛省の悪代官みたいな小太り日本体型男児が叩かれている。彼の追求なしには、法案も通さない覚悟だ。野党のみなさんは、聖人ばかりで羨ましい限りである。もちろん嫌味である。

防衛省の天皇さんのことに関して、品良く、少し物申したい。

俺は彼が受けた接待とかを、国家レベルで取り扱う悪とは思わない。聖人的尺度に基づけば、間違いなく悪だ。しかし、人間が人間を治める制度の中で、彼がした行動を叩く資格がある人が、果たして何人いるだろうか?というのが、俺の正直な意見だ。

日常生活レベルでも、少し便宜を図ってもらったり、企業レベルで、取引先を紹介してもらったら、菓子折り持って伺うであろうし、それを、「これは不謹慎である。断じて受け取るわけにはいかない! 」と言う人が何人いるであろうか? いたとしても、それは人間関係上不自然であり、偏屈の衣を着せられる結果になるだろう。

本当に見返りを期待せずに、相手のことを考えて行動できるのは、俺の経験レベルでは優れたバンドマンだけだ。当然、志を同じくする同士と呼べる関係の中では、見返りは必要ないであろう。

しかし、官僚エリートと入札参加資格業者の間に、同士と呼べる関係があるわけがない。あったら、それはそれで、高次的談合だ! 

利権を扱う役職が高くなればなるほど、動かすブツや金銭が大きくなる。当たり前ではないかと思う。

誤解しないでほしい。そういった場面でも、公僕として、利権にまみれるのではなく、国民のことを痛切に願うのが筋である。そうあるべきだ! 本来は、心ある人間関係だけで結ばれていたい。ちょうど俺が関わらせて頂いているバンド関係の人間と同じようにだ。 

しかし、建前だけで済むであろうか?

高い儒教的道徳を持った人物が、高位の役職に立てる環境があるのであれば、防衛省の旦那は、もっと弾劾されて、市中引き回しの刑に処しても良いと思う。しかし、無理ではないかと思う。

自分が、省庁のトップにたって、彼と同じことをしないと宣言できる人がいるだろうか?いたとしたら、それは想像力の欠如ではないか? 少なくとも俺は出来ない。俺は高級ギターを買わせていたと思う。
計らいに対する謝礼を、気持ちとして受け取る感覚が、位が上がれば、桁が違ってくるだけであると思う。日本人は、礼節を重んじる。それは、お中元、お歳暮といった、事務的な儀式にも現れている。この行事自体が、俺には奇異に思える。ただ、品物を送っておけばいいだろうといった関係(もちろん、全送り先がそうではない。)が、日本人的伝統儀式で、礼節の象徴であるなら、官僚の接待が特に悪いことには思わない。

本音と建前がある。野党は、本音を置いておいて、彼らを不正という名の下に暴かなくてはならない立場なのもわかる。

で、何が残る?  学級会のような茶番が繰り広げられ、それを見て、喜ぶ国民と、怒る国民とが増える。大事な法案は通らない。国会が遅延し、税金がまた減っていく。陣取り合戦と、真の正義を知らない正義マニアが意見する、弁論大会が今日も行われている。

俺は性悪説信者ではない。性善説信者だ。善であることは、誘惑に流されやすいことだ。だめであることを知っている人間だ。正義を振りかざせる人間は、正義の定義に怯えている奴だけだ。

何もかも仕方がない。あきらめでもひがみでもない。ただただ、万事、話し合いやパフォーマンスの時間を短縮して欲しいのだ。存在アピールの場を奪う気はない。弱者になったことない人が弱者の気持ちを分かるわけがない。なる必要もない。ただ、目線を下ろすポーズをやめて欲しいのだ。

キーポンロッキンインザフリーワールド! なんて美しい言葉の集合体だ。文節にマジックがある。
前向きなあきらめと、想像力とを持って・・・。

今日、教え子の保護者から賄賂をもらった。林檎である。色づいていない。熟すまで待つ気はない。色づく前に果実を味わおう。色づきは腐敗と紙一重である。これが正義の定義だ。いつか改変できる日を待っている。

2007年11月11日日曜日

電報と電文・・・会津の夢

ベースの明君と40分電話で話した。今日の話題は教育についてだ。これは楽しい。実にいろいろなことを話した。彼も奮闘している。

明君は、俺が尊敬する天然アナログ素材だ。彼がパソに触れている絵を想像しただけで、俺の涙腺が緩む。ちょんまげを結った侍が、パソを手にして、気に入らなければ刀で切る絵が浮かぶ。

そんな彼も、最近ではインターネットを満喫して、色々な画像を楽しんでいる。

今日の会話では、「文明批判ばかり言ってられない。俺はパソを使うぜ。便利だもん。」という彼のたくましい、文明開化な発言が聞けた。俺は彼をたくましく思った。「共々頑張ろうぜ!」俺は声をかけた。
煉瓦とランプの絵が頭に浮かんだ。はいから人種の俺たちだ! 鹿鳴館で踊ろうぜ!

時代錯誤と笑うなかれ。時代錯誤に真実が露見される瞬間がある。言霊は明君に宿った。

明君と交わしている英文メールのやり取りが、最近滞っていたのを追求しようと思っていたのだが、彼の方から言ってきた。

明君: 「けんじ、メール届いている?」
俺 : 「いつのやつ?俺は絶対返信するから、俺の返信がなければ、届いてないか、迷惑メールと
     思って、削除してるか、どっちかだわ。」
明君: 「けんじのアドレスって、・・・・・・・・・。(言い出したが、頭文字から合っていない)??」
俺  : 「前から変わってないで?」
明君: 「あれ、あれ、もう一度教えて!」
俺 : 「前、俺が送った返信が手元にある?」
明君: 「ある。」
俺  :「じゃあ、そのメール開いたら、『返信』っていうのが画面上にあらへん?」
明君: 「ちょっと待って・・・・。ある。ある。」
俺  :「それ押して文を書いたら届くで。」
明君 :「そうなの?」
俺  :「今までどうしてたん?」
明君: 「けんじのアドレス入れてた。」
俺 : 「それ、面倒くさいやろ? 来た画面に『返信』したらいいねんで。」
明君: 「俺が書いたメールに『返信』って、けんじがすることやろ? なんで?」

お気づきだろう。彼の中では、『返信』って言葉は連続性を生まないのである。1回きりの動作として捉えた場合、自分が書いた文面に対して、返事が来た場合、それを返信と言う。

それに対して、再度書く場合は、彼の中では、もはや、『返信』ではないのである。能動・受動の関係が交錯する思考は彼にはない。

すごすぎる!明君。

手紙で考えよう。 自分が誰かに手紙を書いた場合、それに対する先方からの返事が返ってきたら、それを『返信』という。自分が能動であれば、返ってくる手紙は「返事が返ってきた。返事が書かれた。」という意味で受動だ。

本来、手紙というものは、差出人から受取人への1回きりの動作を1組としてすえるものであったのかもしれない。俺は、すごくショッキングであった。

複数回にわたる手紙のやり取りは、それは『返信』に対する動作主が、ぼやかされて、やがては『文通』か『往復書簡」という言葉に変化する。

これだ!

現在のメールのタイトルには「Re. Re.Re.Re.・・・」とくり返されるものが多くある。俺もそうしていた。
しかし、本来、文のやりとりというものは、往と復の1回きりをもって完結されるものではなかったのかと思うのだ。

これが文のやり取りで、そこで完結するものが、美しい『返信』ではなかったか。

それを、だらだら用件を一筆に込めず、複数回のやり取りで完結するような文のやり取りはは、単なるチャットであったのではないか? チャットとは言うが、単なるおしゃべりである。

筆をとって、心を書したからには、常に1回完結であるのが本来の姿であった気がする。

文人の『往復書簡』を読み返す。確かに、前記されたことに対する、いくばくかの言及はなされているが、常に、能動と受動が入れ替わっている。往復という流れを貫いているが、返信者が送信者に常に入れ替わっている。

これだ!!! 

俺は悟った。電脳媒体はしっかり使う。その上で、電文と電報の区別をしっかりとしたい。

電報とは以下なるものだ。

送信者:「父危篤。すぐ帰れ。」    返信者:「了解。」    これは業務連絡だ。

しかし、心ある友からの文には、例えそれがメールという手段を使っていても、一撃で完結できる『返信』をしようではないかと、俺は痛切に思い、背筋を伸ばす。業務連絡ではない。用件→返信の過程が電報であっては、だめだ。俺は電文が書きたい。

注:「『電文』と『電報』との言葉認識に注意して読め。」      「了解。」

タイトルは大事である。「Re. Re.Re. Re.・・・」なるタイトルに、心の交流は無い。俺は、しっかりと能動・受動を使い分けたい。

明君の感性には涙が出る。彼が間違って送った英文メールは、送られた誰かに削除されているかもしれない。しかし、その清さは、電脳媒体に風を起こすだろう。

送信者と受信者。この立場をしっかり噛みしめて、墨汁になりかわり、しっかり筆をキーボードでしたためよう。それが、会津からの使者、須佐明之助が鳴らす警鐘である。

彼は何も考えていないようでいて、本心をついてくる。ボーン・トゥービー・シャインだ。答えは明だ。

『明』に触れた、秋の夜長、俺は会津の夢を見よう!

2007年11月10日土曜日

銭湯コミュニティ

今日も銭湯に行って来た。今年も温泉、銭湯と素晴らしい頻度で入ってきた。自宅から車で2時間圏内だけでも、すごい数の温泉、銭湯があるので、実に恵まれている。

休日の昼間に出かける時は、必ず温泉をめがけるのであるが、仕事帰りなどにちょろっと立ち寄る時は、自宅から30分以内の銭湯に行く。以前は、温泉だけを選んで、銭湯を避けていたのであるが、最近は地味な順に銭湯を巡っている。

今、数えてみる。正確ではないが、思いつく限りカウントする。

自宅から車で30分以内にある温泉の数・・・15箇所ほど(鉱泉含む)
自宅から車で30分以内にある銭湯の数・・・20箇所ほど(健康ランドを含む)

ちゅうことは、自宅から車で30分以内に35箇所の入浴施設があることになる。実に恵まれている。

最近は近場では温泉より銭湯を好む。近場の温泉は佇まいと客層が個人的に合わないのだ。ここでは銭湯にだけふれる。

これだけの数の銭湯があると、当然、勝ち組、負け組みが出てくる。

勝ち組の一般例を出そう。

食事処やマッサージを完備していて、風呂の種類も多い。露天はもちろん、桶風呂、薬湯、電気風呂、サウナ、スチームサウナ、温度差のある複数の内風呂、ジェット湯・・・。 湯船は浅めの設計で、半身浴を楽しめる。洗い場も綺麗であり、座るいすも、菊の目にあたりが割れていて、実に快適なやつだ。ボディーシャンプーとリンスインシャンプー完備である。シャワーの水量も適度で、温度調整も完璧である。脱衣所も広く、子供がフルチンで戯れるスペースがある。風呂上りは休憩所で、最新の雑誌やテレビに囲まれて、まったく退屈しない。畳なんかのスペースもある。

負け組みの一般例を出そう。

暖簾が二つで代金回収のおばちゃんが、男湯、女湯の間を見渡せる所に鎮座している、昔ながらのあのタイプだ。なぜかおばちゃんのシルエットは均一だ。見ている番組もいつでも時代劇だ。録画か? 飲み物は瓶の牛乳とコーヒー牛乳があるくらいで、画像の悪いテレビゲームが置いてある。 今時テトリスって・・・。しかも電源はゲーマーが入れなければならない。サウナは3人が入るとボディータッチ必然の狭さだ。露天はない。内風呂も浴槽が2つだけだ。2つに区切る意味がないのだが、なぜか2つ(以上)ある。洗い場は狭い。シャワーがあるスペースが3箇所ほどだけある。出てくる湯はチョロチョロだ。他の人が洗い終えた瞬間に熱湯が出てくる。この時だけジャージャーだ。洗い手全員の協力が必要だ。チームプレーだ。 シャンプーリンスはない。たまに石鹸を置いてある所もある。白い石鹸に毛が必ず装備されている。縮れている。素敵である。俺もつけて返す。イスは小さい。半ケツだ。洗面器とお揃いで黄色で統一されている。ケロリンって書いてあることが多い。詩的だ。
浴槽の深さは、完全なる設計ミスで、底に尻をつけると沈む深さだ。湯船で野球の野手のような体制でつかっていないといけない。「さ~来い! ピッチ入んで~!」と守りの体制である。胴長の昭和初期生まれの親父は、ぎりぎり鼻だけ湯の上に出して、ブクブクしている。鼻汁と唾液と湯の融合がなされている。実に麗しい・・・。いや、呪わしい。 湯上りに休憩しようにも、100円入れる健康イスがあったりするが、壊れている。旧式マッサージ機のこぶしは剣玉みたいなやつだ。座るだけで痛い。拷問器具のようだ。お風呂グッズ置き場になっている。 スポーツ新聞があるが、あとは、半年前の女性雑誌や、統一性のない漫画のラインナップである。「明日のジョー」があった。ジョーが丹下のおっさんに会って、次の巻では白くなっていた。 全2巻だ。不敵だ。 どさくさに紛れて「頭の体操 by多胡」があったりする。体操したページの答えは抜けている。瞑想の世界だ。 答えは必要ない! 悟って立ち上がると、床はネチョネチョだ。ブクブク親父がござを敷いただけの床に座っていた。
ネチョネチョの答えが出た。瞑想を止める。親父の頭上のシルエットは黒優勢のオセロのようだ。

読みにくいだろう。文体を整える社会学的なアプローチではない。自己体験に基づく一般化だ。箇条書きだが過剰表現ではない。文量の差でわかるであろう。どちらを俺が愛しいと思っているか。

本来、銭湯は人々の交流の場であったはずだ。アミューズメント施設ではない。綺麗で快適な空間を求めるならば、休みの日にアミューズメント温泉に行けば良い。歯磨きのような日課の1つに触れ合う空間が、気取ったもので、お客本位のものである必要はない。同性同士が汚れた垢を落としながら、1日の区切りをつけ、他愛の無い会話を弾ませる社交場・・・、これが銭湯の美しい姿であろう。

昔、京都のとある銭湯に行くと、俺以外全員が絵付きの肌であった。俺はよそ者だったが、彼らは立派に社交していた。美しい姿であった。カチコミュニティーであった。決戦の集いと言うべきか・・。

俺は社交を求めて、ひなびた銭湯を選んで行っている。まだ俺は、そこで築かれたコミュニティー内では異邦人だ。異邦人の視線で入りたい社交場を探している。 湯浴み後のでこに横分けびっしり、激震のヘアースタイルで、異邦人の視線を彼らに送っている。中に入りたいのだ。

異邦人の視線は孤独だ。しかし、人間味ある湯浴み所に美しさを見出す視線は遮光されていない。

「たかが湯と あなどるなかれ 浮くよ人 社交場気になる カミョ髪」 (『まえけん全集7巻「観阿弥・世阿弥・湯浴み」より引用) 

2007年11月9日金曜日

クレイジーホース

中央競馬は秋のGI真っ盛りだ! 今年は見送りを決める回数も増えたが、それでも可愛いサラちゃんの動向を辿っている。

ガソリン価格高騰が止まらない。今年は値段の一斉更新頻度が増えたが、それでも無駄に車を走らせ、時世を泳いでいる。

俺が富山に来た10年ちょっと前は、レギュラー満タンでも4000円以内で済んだ。それが今は6000円近くいる。俺は毎日最低40キロは車を走らせる。これはすごいことだ。1回給油でCDが買えるか買えないかの差だ! 中東の髭親父に直談判もしたくなる。コーランを称えながら、油を売って、油の話がしたい。

トヨタが中間決算で13兆だかの数字を叩き出した。ちょっとした国家予算でっせ! 要因はハイブリッドカーの買い替え需要かなんだかであろう。低燃費が求められているのだ。

上高地など、一部の自然保護地区ではマイカー規制がなされている。ハイブリッドなバスだけが入れるのだ。

京都などの観光地では、人力車が安っぽい雅感を出している。やっていることは古風で雅だが、色物にしか写らない。俺も昔バイトした。3日でやめた。燃費が外車並だったからだ。

何が言いたいか。まとめかたはハイブリッドだ。

今こそ馬車の復活を!!!!  切に願う! 

俺は文明否定者ではない。新幹線や飛行機などの移動手段は残しておいて構わない。営業者など、移動を必要とする業種もあるだろう。 今更車を減らしたら国家的窮乏は目に見えている。

具体的に提案しよう。
①田舎の税金補助入りまくりの公共乗り合いバスなんかは、全て馬車にする。・・・・地方都市に住んでいる俺が目にするバスは、ほとんど人が乗っていない。乗っているのは、近所の病院に行くお年寄りだ。時間は悠々と流れる馬車の方が、お年寄りにも優しい。バリアありまくりだが、車掌が騎乗を手伝えば問題ない。カイバ代として、草を持参してもらえば良い。馬車の後ろをオーガニック野菜会社の従業員が追従する。糞を仕入れて、代価として彼らはニンジンを渡す。

②重油を使う舗装工事を止める。・・・・補修の必要がある道から順次、馬車道にする。馬も地場がアスファルトでは、脚力を発揮できないだろう。ダートへの移行をすすめるチャンスだ。

【問題点】
①利権問題・・・・車メーカーや、舗装工事メーカーが淘汰される危惧がある。しかし、大丈夫だ!
車メーカーは馬の飼育・販売へ移行すれば良いのだ。「ソフトな乗り心地サラ4歳」 とか、「いつも身近にアラブがいる。」 とか、「らくだ並みの背中、プチらくだ」とか、「氷も捕らえます。蹄鉄新提案!」とか、馬に工夫を凝らして広告を流せば、自動車関連業の広告業界も安泰であろう。金型屋は蹄鉄を作ればよい。デザイナーは馬の衣装を考えればよい。

②動物虐待だというヒステリックな愛護団体への対応・・・・今の馬の気持ちになって考えてみよう!と奴らを諭す。レースで走らなければ、馬事公苑行きか、馬刺しの運命の馬が殆どだ。それに足の細いサラブレッド以外の馬は、「や~いロバ!」と非難中傷にさされている昨今、馬にとって、多少重労働でも、毎日オーガニックニンジンを食べて、人様に撫でられる暮らしとどちらが良いかは一目瞭然だ。

急速な進歩は、元に戻すのに時間がかかる。しかし、今やり始めないと、戻す時は世界的な崩壊以外にありえなくなる。「北斗の拳」の世界になってから戻るのは嫌だ。「お前はもう死んでいる」と言われて死ぬのは嫌だ。顔が破裂して死ぬくらいなら馬に踏まれて破裂したい。

俺は馬に乗りたい・・・・・・・・。

問題がまだあった。全ての馬が従順ではないということだ。クレイジーホースもいるだろう。

ニールヤングがクレイジーホースと演奏した時のライブでは、馬の御大は1曲目から客にケツを向けて演奏していた。まったく失礼である。しかし、彼らの演奏はしっかりしていた。クレイジーホースを冠する人間が出来るのだ。馬だって出来るはずだ。奴らに人間の魂を注入してやれば良いのだ。

そこで、コンサルタント会社は、馬の教育活動に従事するのだ。奴らにカスタマーファーストの精神を教えるのだ。「ケツを向けるな。」「後ろ蹴り禁止。」「背中はいつもイナバウワー」「糞は計画的に!プ・ロ・ミス」 実にやりがいがある仕事だ。

ここまで書いて、俺は大事な野生の法則を忘れていたことに気付いた。

馬耳東風、馬の耳に念仏・・・・・。     論理的矛盾をきたしたので、俺は読者にケツ向ける。
メンバーはケツを向けないで欲しい。血が出ている穴! 燃費が悪い。完結!





 

2007年11月8日木曜日

風の機関車

「機関車トーマス」ってアニメがある。俺はトーマスもドナルドもダグラスも、そしてマードックも個人的には知らない。当たり前だ。物語りもしっかり見たことも読んだこともない。幼児の時に歯医者で絵本を読んだ記憶だけで、俺はこの作品の匂いを感じ取った。抜歯される恐怖とトーマスは連動している。

人間が人間以外のものから見た視点で作品を書くことは自然であろう。我が国では猫の目から見た世界を描いた作品が名著の上位にランキングされている。イギリスは産業革命発祥の地だ。機関車の目から世界を描いた作家がいたのもうなずける。(注)この作品がイギリスであるという確証はない。ほんの記憶だ。

作品が、最初文章で著されたのか、絵で表されたのか知らない。しかし、1度アニメを見た瞬間から、俺は妙な恐怖感を幼心に感じた。機関車が走りながら、顔の表情を変えるのだが、どの表情も病的に見えた。そこにファンシーな香りは無い。実に実写の香りである。 サタニックである。

今まで俺は、「機関車トーマス」を見て、病的でサタニックな香りを見出す人と出会ったことがない。アニメから感じる実在感とその眼差しに垣間見える恐怖・・・。 「ゴルゴ13」の実写版を見て、そこに、駄駄駄コミカル感を感じた人とは数多く出会ったが、「機関車トーマス」は、幼児の情操教育の定番として、今も小児科、歯医者を中心として、愛されている。

しかし、病的だ! 誰がなんと言おうと病的だ。音も表情も全てが病的だ。
この病的でサタニックな正体が何であるかを、ずっと探してきた。

俺は幼少時から、電車や、車や、形あるメカには表情を擬する習慣があった。ベンツには肥ったキツネの顔を、カローラには盆踊りで舞うおばちゃんの顔を、クラウンにはポマード臭漂うエリートの顔を・・・。プレジデントには麻呂の顔を・・・。

実に偏見と狭量が露見された擬し方であるが、無意識に顔に見立ててきた。顔はその後の、その乗り物の辿った境遇により変化していった。変化せずにお隠れしていった顔も多数だ。JRの特急の表情は年々、輝きを失っていっているように思う。

脱線した。戻る。サタニックな正体である。まだそれが何であるかはわからない。幼少時から培われた潜在的な意識は、死ぬまで露見しないであろう。それでも、何であるかをいつも考えていた気がする。

邂逅の時であったような気がする。

先週の通勤の時だ。強い風が吹いた。砂埃が舞った。車を揺らすほどの突風が向こうから来るのが見えた。なぜか、俺の車の下から押し上げる何かを感じた。路面を見た。舗装道路に無数の穴が開いていた。ホットケーキを焼き始めてすぐに出来るような穴だ。
窓を開けた。突風が通り過ぎた。 間引きされるのではないかという恐怖と共に、風に恍惚の表情が見えた。

「間引きの恐怖」 これがサタニックの正体かもしれない。そして、それに惹かれる俺の何か・・・。
ふと、その瞬間、風に表情を感じた。その顔は紛れも無く彼であった。トーマスだ・・・。
前を見やると、剥がされた山並みが見えた。

この瞬間、「風の機関車」という曲が出来た。一筆書きで作り、昨日の練習で歌った。
「顔に見立てた 風の機関車が 僕らの前を過ぎていく 君の顔見とれた 」が最後の結びである。

いつかは間引かれるのがわかっていながら、喜怒哀楽を日々肥やす俺に、何か視線を新たに足してくれた風に感謝する。 トーマスにも一応感謝しておく。

吐息増す。 言葉を間引くことも大切だ。 

2007年11月7日水曜日

Hey Ya!

今日は1年に最大で4回の苦行である髪切りの日であった。
1週間前から覚悟していて、嫁にも宣言していたのだが、今朝になって、起きしなに愚図った。
「決めた日に行かないと無駄に伸びるよ!」という激のもと、ふてくされて行った。

高校3年生夏までは、散髪自体はそんなに苦にならなかった。ツルツルヘアーであるので、家でバリカンをあてることも多かったし、短時間で済んだ。しかし、野球部を引退したあたりから、床屋に行くことは俺の中で、苦痛以外の何ものでもなくなった。

18歳後半から32歳ぐらいまで、俺は俗に言う、「行きつけ」の店を持たなかった。多くて同じ場所には2回であり、毎回店を変えた。幸いにして、5年前くらいから、やっと苦行の苦しみを薄めてくれる店に出会い、現在に至る。あくまで薄まっただけだが・・・。

通常1時間近く、パーマネントをあてた日にや2時間近くもの間の時間を、定姿勢で固まっていることが、まず耐えられない。それに店主が持っているのは鋏や剃刀といった凶器だ。それを首筋から頭まで容赦なく振り回されるのだ。苦痛以外の何ものでもない。変な前掛けをされ、背中がかゆくなってもかけず、前面にある鏡では、俺の頭髪の解体ショーが行われている・・・。これは、修行だ。

息詰まる攻防をぬけ、やっとシャンプーのお時間に相成った時には、俺はすでに我慢の限界を超えている。「シャンプーは自分でするし、微調整もドライヤーもいいから、今すぐ帰らせて。」このひと言が言えたらどんなに楽であろうか? しかし、気弱な俺はなされるがままに洗面台のタイル面に頭をぶつけられる。舶来ものの高級シャンプーは香りがエレガントであり、根本的に嫌悪感がある。
それに、洗う時間も長い長い・・・。自分で洗う時間の5、6倍の時間、俺の頭上ではシュワシュワ、チャブチャブ音が聞こえる。

散々人のドタマをこねくり返して、店主は言う。「かゆいとこないですか?」

シャラ~ップ! 「あるかい! そんだけこねくりかえして、かゆいとこあったら、それは寄生虫じゃ!消毒液かけんかい!」と言いたいのを抑える。

次はドライヤーの出番だ。実にめんどくさそうな、酷使されたモーターの臭いがする。髪はなびく。分け目は6,4だ。中国的素敵壮年といった髪体に仕上げられていく。間違いなくもてるぜ俺は、中国辺境で!

涙が出そうになる瞬間を終え、店主の「お疲れ様でした~。」の声の合図で、俺はイスを離れる。目指すは出口だ! レレレのおじさんが愛用するほうきの、幹部分が短くなったブラシで、俺は最後の肉体接触を終える。ゴールはもうすぐだ! 会計を済ます。つり銭が無く、硬貨をくずす間待たされる。

「終わった~! 今から俺は自由だ!」 外に出た時の爽快感は、佐川急便の研修を終えた時と同じ心地よさだ! 風は、季節、気候関係なく春風だ! そよぐぜ俺!

三途の川があったのだった・・・・。

背中に店主のお目目を感じた。お見送りというやつだ。車に乗るまで両手両足が同時に動く。乗った。エンジンかけた。動揺していてワイパーがフル回転した。オートマを2速に入れてアクセルを踏み込んだ。夜明けは近い!  

駐車場から路上に出る所に園児がいた。保育園全体の遠足だ。俺の目の前にいるのは先頭のキッズだ。キッズの列は100メートルにも及ぶ。牧歌的だ、あはは・・・。 ここでなければ・・・。

「こら! じゃりんこと先導のおばはん!間隔つめんかい!」

背中にまだ、お目目を感じる。車内の鏡に写る中国的素敵壮年の笑みはニヒルだ。頭で鐘がなる。悠々と流れる黄河を背景にカンフーをしている俺の姿が園児にかぶる。 アタ、アタアタ! アイタ!

上記の過程は誇張ではない。毎回俺はこんな緊張感を持って床屋に入る。

いっそのこと丸坊主にしたい。しかし、丸刈りは懲罰と侠道の香りを感じる。塾にはまずい!

今年3度目の苦行を終えた。執行猶予は最大5ヶ月だ。それ以上だと社会的実刑を食らう。堅気であるのは大変だ。

帰りしなに見上げた空は俺の苦行を祝福しているかのようだった。祝福の時間は短い。

ちらっと横を見ると、行ったことのない床屋の看板が目に入った。「髪切り虫」・・・・・。
俺は頭の中で竹刀を振り下ろした。 Hey Ya!  面を食らった。 面食らった。 おわる。

2007年11月6日火曜日

がちゃがちゃ日記

あまり意識したことがなかった、「がちゃがちゃ」ですが、今でもしっかりありますな。
ちょっとしたおもちゃ屋や、ゲーム屋には、たくさん置いていて、何が魅力的なのかまったく理解できない年頃になってきていますが、やはり健在です。

時は移り変わり、種々の変遷をとげた今でも、金を入れてレバーを回すブツが「がちゃがちゃ」という単語で認知されていることに、清清しい何かを感じます。

7年前まで5年近く働いていた会社の社長の御曹司を、今家庭教師で見ているのですが、先日、社長と懇談していたところ、社長が「けんちゃん、セレブながちゃがちゃ見つけたぞ!」とおっしゃっていて、僕も数十年ぶりにあの機械に目がいったわけですが、そのセレブがちゃがちゃというのが、なんと1000円だそうです。俺ががちゃがちゃしてた頃は、確か20円であって、中身もスーパーボールや、スライムや練り消しであったはずです。それが今ついに、1000円のものが登場したらしいですわ。

硬貨を入れるのか、札仕様なのか、機械を確かめに、それがあるという、高速のSAに明日行ってみる予定です。

その「セレブがちゃがちゃ」の目玉商品が、今すごい人気らしい、身振りが反映されるゲーム機のウイーやらピーやらクイーやらとかいうゲーム機らしいですわ。がちゃがちゃのあの球形の空間の中に商品が入る余地が無さそうなので、社長に聞いたところ、「当選証明書件。商品引換券」みたいなものが入っているそうで、なるほど・・・と思いました。

でも、それを聞いた瞬間、「がちゃがちゃ」が「ガチャガチャ」に変化していく何かを、僕は頭の中で感じました。何かはわからないのですが、確実にカタカナ表記な気がしたのです。

「がちゃがちゃ」という擬音語が商品名(機械名)になって認知されている日本人の感性と、日本語の素晴らしさを感じる一方で、それが、本来の音を含んだ言葉から、何やらスマートな「ガチャガチャ」なるものに変身していった過程を瞬時に感じ、実に空虚な硬質感覚がよぎりました。

もともと、ひらがな表記だったのかどうかも知りません。でも、僕の中では、あれは、まぎれもなく、ひらがなで認知されるものであり、プラスチックの入れ物とのミスマッチに、何か、尊いものを感じておりました、多分・・・。多様な言語表記道具(ひらがな、カタカナ、漢字)を持つ日本人の懐の深さを宿した、俗物感・・・、それが確かにあった気が。
中の商品は、舶来ものが昔から多かったですが、それを産出する機械が「がちゃがちゃ」ですぜ!

言語は生き物で、種々の環境や時勢によって、響きや表記を変えていくものですが、「がちゃがちゃ」は、ひらがなのままであってほしい。子供にとって宝石であり、大人にとって我楽田である存在であって欲しいと思ったまでです。言語変遷の今に物申す気はありません。びみょーで、やばい、言葉の感覚も持ち合わせないといけないのかもしれません。

しか~し、良き言葉を味わえるぎりぎりの世代に生を受けたことを幸せに感じますな。

「がちゃがちゃ」は「ガチャガチャ」ではない。この感覚は捨てないようにします。
でも、「ガチャガチャ」も味わってみることは大切な気もします。味わって捨てたらいいのだ!

「今のこもすなるがちゃがちゃといふものを、をとなもしてみむとて、するなり。」『途挫日記』

2007年11月5日月曜日

次男坊

今、富山で組んでいる「ほうるもん」のメンバーは全員次男坊である。

チープは、須佐君以外が次男坊である。

偶然かもしれないが、バンドやっている(続けている、はまっている、溺れている、沁みている・・・)人間で、次男坊である確率の統計をとったら面白いのではないだろうかと思う。

人のことは知らない。しかし、俺は次男坊である。男3人兄弟のの次男坊である。オス度100%の中での純潔次男坊である。

同じ次男であっても、兄弟構成によって千差万別だが、男3人、長男と年子、もしくは2歳違い、その後3年遅れくらいで3男といった形態の次男坊の人を俺は数人知っているが、恐ろしく酷似点がある。

寂しがりや、好奇心旺盛、大雑把で神経質という矛盾を内包するロマンチスト、家訓にそぐわない非行歴あり、口達者、いじめっ子といじめられっ子の両方を体験、人目を気にするポイントがずれている、酒飲み、ギャンブル好き、家庭内暴力経験あり、おかんと敵対→後に和解→親父より情が通う、音楽は様式美と3コードの両極端を好む・・・・。

たまたまかもしれないが、赤子が辿る遍歴を鑑みると、何かわかる気もする。

親の立場にたって考えてみる。

【長男誕生】
誕生は、初体験であり全てが新鮮だ。溺愛も止むを得ないし、少しのわが子の変調にも全身全霊で心配し、労力を全て注ぎ込む。目に入れても痛くない。

【1,2年後に次男誕生】
おおかたの発育過程における事例は経験済みであり、衝撃度では長男に劣る。よって、育児において、ほったらかす度合いが増す(これは親を責めれない)。目に入れない分別がある。

【少したって3男誕生】
上2人は、少し大きくなり、こ憎たらしいことも言い出す時期の赤子は、初心に返って溺愛。目に入れてみようかと再び思う。

俺の分析は、わが身を振り返っての被害妄想ではない。

確かに俺は、兄貴が床にぶちまけたションベンを、はいはいしながら舐めて、舐め終わった頃に、見つけられて憐れみを受けた次男だ。

確かに俺は、生後1年過ぎから2年ほど、大分県の婆さんの家にあずけられた。おかんが体力に窮したからだ。

しかし、被害妄想ではない。重ね重ね言うが、親は大変なのだ。俺もなりたい。(これは今はいい)

次男は、上記の過程を経て、全ての世界に求愛する気持ちが、他の境遇の子よりも強いのではないかというのが、俺の分析だ。「もっと俺を見て・・・・。」男女の恋愛なんかは生ぬるい!目にしたもの、感じたもの全てへの求愛活動を、バブバブ言ってる時期からおこなっているのではないかと思うのだ。科学的根拠はない。しかし、俺の体験は臨床体験だ。科学的だ。

バンドをやる。音楽をやる。これらも実は、大きな求愛活動の一環なのかもしれない。人間だけが対象ではない。自分も含めた全てのものが対象になる。俺のラブソングは、スケールがでかい。

次男の性格分析に追記しておく。「大げさであること」

「次男坊」という曲を作った。タイトルに工夫は無い。しかし、スケールのでかいラブソングだ。
求愛の果ては、幻や破滅かもしれない。しかし、そこにも美を求めてしまう男のラブソングだ。
「北の国から」の、さだには負けない。こちらには詩がある。あさって練習する。

俺は次男だ。求愛活動を行い続ける。バンド人口の次男確率統計はどうでもよくなった。
次男の性格分析に再追記しておく。「吐いた唾のみこめない。」    受難の時を過ごそう。

2007年11月4日日曜日

模擬試験に思う

越中では、中3生対象の模擬試験が盛んである。県内には、前、働いていた会社の模試と、別の会社の模試があるが、大多数の生徒がどちらかを受ける。結果に一喜一憂しながら、大事な志望校を決める参考にするのである。

去年までは、その模試があった日は、採点で深夜まで働いて、ただでさえ犬のように働いていた日々に拍車をかける行事であった。今年は外部模試という扱いで、結果だけを参考にさしてもらうので、労力としては随分楽である。

大阪の小・中・高と進んだ俺としては、高校受験は自分の中で大きな行事ではなかった。
俺の意識がアーパーだったわけではない。
大阪には地元集中という慣習があり(今もかな?)普通に赤点以上をとらずに学業をこなしていたら、中学校から一番近い普通科の高校に進学できた。だから、俺が通った高校は、進学者の方が少なく、就職組が多数いて、それぞれの選択した進路に向けて、種々の扉が用意されている、実に健全な校風が保たれていたのである。色々な志を持つものが多くいるぶん、ヤンキーもたくさんいたが、トータルで見ると、均一化されていないだけ、実に健全であった。

中3時点で大学進学を強く意識していた人や、あまりに学業が優秀であった人は、学区内の進学校と言われる高校への受験を意識して、彼らにとってみれば、高校受験は、今と変わらず重要な行事であったのかもしれない。また、私立高校の扱いは二極化されていて、無茶苦茶進学志向の高校か、更正志向の高校のどちらかであった。

幸いにして、実に中途半端な俺は、公私問わず、進学校といった選択はなく、迷うことなく地元の学校を選んだので、合格発表の記憶も無いほど坦々と高校受験を終えた。

一方、越中では、高校受験は大変な盛り上がりを見せている。県内の私立高校は特進科を併設し、それなりに実績もあるのだが、いかんせん公立志向の強い県民性・・・。高校入試は一家挙げての大行事になっている。もちろん例外はあるだろうが、概ね大行事だ。
だから、模試というのは、大学受験並みに盛り上がるのだ。

模試の作成、採点に携わった身としては、客観的データは合否可能性判別という意味ではありがたく、今でも重宝しているが、個人的には、生徒の将来の大物度合を見る尺度は国語の解答内容や社会のの記述内容のみに主眼を置いている。点数なんかはおまけである。

社会の「日米安全保障条約」という壮大な答えを「越中安全保障条約」と小さなスケールで書いた、農業科に進んだ生徒や、遠洋漁業で捕獲される魚を「ブラックバス」と書いた、公立失敗→私立進学の生徒や、国語の漢字で「媒介」を「ようすけ」と人名のような音で表した、公立偏差値下位校進学の生徒をたくましく思う。

塾という業界で仕事をしている以上、1つでも上の偏差値の高校に入れる指導をしているが、その一方で、発想力がたくましい子供との出会いを一番の楽しみにしている。彼・彼女達が、模試ごときの裁きで一喜一憂するのではなく、また、世間体に縛られた名前優先の進学校への進学のみを目的とせずに、荒っぽい感性で、柔軟な頭に暗記項目を叩き込んで、発想の母体を育んで欲しい。

進学校に進む生徒も、偏差値下位校に進む生徒も、私立に進む生徒も、点数だけでつぶれないでほしい。点数だけを自尊心の尺度にするような狭量な思想を身につけないでほしい。

塾なんかは、本来は学校がやらない内容を教える集団でありたいのだが、これだけは理想論で、俺が生きている時代に成就はないだろう。
今は、学校が機能していない分、(これは大多数の学校の先生に罪はないと思う)塾へのニーズがあるだけである。学校の先生は、指導の力量が劣っていても淘汰されにくい。
一方、塾は指導技術が低いと、すぐに淘汰される。必然的に、塾の指導技術レベルの方が相対的に高くなる。 これは仕方ない。学校の先生で、より高いレベルで指導されている方の技量はすさまじいい。足元にも及ばない。しかし、平均レベルは残念ながら低い。

だからといって、自分の理想や思想を押し付けるような、傲慢で野蛮なことはしたくない。ただただ、勉強することが、どんなに幸せで楽しいものかを想像させる一方で、将来の楽しい勉強の素地を作る小・中高の時の苦しみが、どんなに素敵な苦しみの時間であるか、それだけをわからせてあげたいと思う一念である。

たかが、模試とはいったものの、ライブのリハみたいなものだ。大事にして最高の本番を迎えてほしい。

2007年11月3日土曜日

事故を振り返る

咽もと過ぎればなんとやら~、俺は実に単細胞だ。昨年12月20日に正面衝突の事故をして苦しんだにも関わらず、痛みが和らぐと、まったく何ともなかったかのように、体のいたわりも忘れて過ごしている。それが、少し首・肩が痛くなるとすぐに大騒ぎだ。我ながら単純さに嫌気がさす。

事故は強烈だった。片側2車線の道路の右車線を60キロ以上(田舎の道だからもっと出ていたと思う)で走行中、いきなり前方から車が突っ込んできた。

彼は右車線を走行中、急に右車線に車線変更してきた車とぶつかりそうになり、条件反射でハンドルを右に切ったみたいだ。

相手は軽自動車、俺はライトバン、この差がまだ救いだったのかもしれない。加害者は肋骨、両手両足の骨折だ。加害者側の彼は、かろうじて運転席側が衝突面からそれたので、命は大丈夫であったのだが、もう少しハンドルを切るのがずれていたら、被害者の俺が加害者の死亡の瞬間に立ち会うことになっていたかもしれない。

救急車で運ばれ、意識はずっとしっかりした状態で、入院したが、16日で退院できた。
骨は異常なく、レントゲン等の医学的所見では異常なしの診断も頂いた。

事故の日は変な日であった。朝方から消防車の音が鳴り響き、いつもより1時間半早く起こされた。
家から500メートル内の範囲で全焼の火事があったのだ。勤務地は家から近くの校舎だったのだが、毎週水曜日に、校舎長会議が本部校であり、この日は、そのため、11時頃に家を出る予定だった。

それが火事のサイレンの大騒ぎで早く起き、喧騒冷めやらぬなかで、1時間早く家を出た。
駐車場からいつもは左に出るのだが、消防車が道をふさいでいて規制がかかっていたため、逆方向に出て、いつもは直線で行くルートを「コの字」上に迂回して、時間にして20分程の遠回りのルートで運転した。それでも本部校に早く着きすぎるので、「ゲオ」で中古CDを物色し、初めて行くガソリンスタンドで給油し、初めて通勤に使う道で事故に遭遇した。

正面衝突という性質上、10秒程の時差があれば遭遇しなかったであろうし、まして、近所の大火という事件もあり、恐ろしいほどの偶然が重なって俺は衝突した。

正面衝突事故の死亡確率は10%ほどだそうだ。これは、いろんなスピードや対向車の大きさなどもひっくるめての数字であり、すごい死亡率だと思う。偶然、同日に県内で正面衝突の死亡事故があった。

一件の事故は死者が出て、俺は生かされた。この事実に意味を見出さないわけにはいかなかった。
入院中の夜に、痛みで泣いたことや、事故後初めて運転した時の恐怖や、その他諸々の経験をしっかり受け止め、体のケアに専念してきたつもりであった。

しかし、事故後3ヶ月後には、何もかも忘れたかのような俺であった。咽もと過ぎて忘れすぎ!

ライブという、自分のかけがえのない場を経て、痛みが再発したこと。そしてそれに対して気遣いをしてくださった方々の声、忘れてはならない。京都の御大がおっしゃった、「事故後の時限爆弾」は俺の中で音を立てているのかもしれない。軽く考えずに、不必要に恐れずにつきあっていきたい。

せっかくすごい偶然で巻き込まれた事故。これを意味あるものとして歩むためには、それなりのメッセージを受け止めなければならない。体をいたわる事。体が痛い人のつらさをわかること。この当たり前の原点に、定期的に返る機会を与えてくれること、それが痛みであると思い、日々を過ごしたい。

生死に関わる偶然って何だろう? この先何が待っているのだろう? 
種々の疑問や不安はあれど、俺は生きている。事故死された方と俺との差は紙一重だ。思考ある限り、考えたい。

痛みのメッセージ、俺はしかと受け止めた。性根が入っていない時にまた教えて欲しい。

2007年11月2日金曜日

痛みと心の関係

ここ数日、首と肩が痛くて仕方が無い。肩から上全てをとっぱらいたい衝動にかられるくらい、単なる痛みとも違う、何か邪悪な重みを感じる。我が家の秘密兵器のコウケントーで、緩和してきているのだが、ここ数日は出勤前に銭湯のサウナにじっくり入っていた。

サウナでじっと汗をかいていると、いつも、チープライブでの下北沢カプセルホテル泊まりの日々や、スクーリングでの川崎でのサウナ住まい3週間の日々や、大阪で飲んで泊まったニュージャパンでの夜や、名古屋で科目試験の前日に爆飲(このときは、あの、スキマスイッチと対談したのだ)して泊まったサウナを思い出す。そのどれもが、素晴らしい思い出だ。

カプセルホテルの狭い空間に、ウナギみたいに入っていくこと自体も気持ちいいのだが、あの空間にいる種々の人種の行動観察と、同空間にいる緊張感に、一種のエクスタシーを感じるのだ。

退廃の香りに対する俺の嗅覚はすぐれているので、館内にいる、ただ一晩だけイレギュラーに泊まっている人と、そこを定宿にしている人との見分けは、すぐにわかる。顔を見れば100%、足音聞けば50%、寝言を聞けば30%、浴衣の着こなしを見れば30%、痰の絡み方を見れば70%の確率でわかる。

忘れない会話がある。川崎の比較的高級なカプセルホテルでの会話だ。
俺がエレベーター前の喫煙所で、俺はシェイクスピアを原書で読んでいた。中世英語だ。進まない。辞書は持たずに、不明の大海原を溺れていた。実に嫌な奴の構図だ。ナイスミドルな御仁が声をかけてきた。

ナイスミドル:「兄ちゃん何読んでるんや?」
俺:      「シェイクスピアっす。全然わからないっす。」
ナイスミドル:「シェイクは、マクドナルドやろ。振るっていう意味や。」
        ※そこで切るか? 人名知らんでシェイク知ってるんや?すごい脈略である
俺:      「そうっすか? おじさんすごいっすね。」
ナイスミドル:「兄ちゃん、ここ数日ここで本読んでるの見かけるな。でも、ここは兄ちゃんみたいのが
         寝床にするとこちゃうで。俺はもう、半年住んでるけどな。」
俺:      「まじっすか?めっちゃ高くつくんちゃいます。家賃10万超えますやん?」
ナイスミドル:「金はあるねん。でも、それ以外には何もないねん。人生色々や。俺は兄ちゃんが天使に
        見える。どうや、もう一本飲むか?」 ※自販機でビールを買ってくれる。
俺:      「・・・・・・・・・。美味いっす。」
ナイスミドル:「兄ちゃん、酒は飲んでもいいけど、飲まれたらあかんで。俺みたいになるで」
        ※ナイスミドルは持ち込みウイスキー
        「兄ちゃんが住むのはここやない。自分の家で朝を迎える幸せは忘れたらあかんで。」
        「半端の行き先はしょせん半端や。風に吹かれて、どっちに行ってもインケツや。兄ちゃ
        ん明日風呂入ったら、ここは出て行き。そして二度と戻ってくるな。」
    
俺はナイスミドルの言葉を反復していた。夢を見た。彼が看守で俺が服役を終えて出所を待つ流れ者みたいな設定だ。ナイスミドルが辿った足跡は容易に想像できる。言葉は気障で、笑のツボ含有率が高いのだが、不思議と笑えないでいた。ナイスミドルの目は澄んでいた。歯はなかった。指はあった。風呂場で目にした彼の刺青は、ラインだけを彫って色も模様も入っていない途上のものだった。

彼の瞳は優しかった。この上なくまぬけで、臭い、ベタな言葉なのだが、異常な温度の誠意を感じた。
彼の晩年の一夜に関われたのかもしれない。

翌朝から俺はカプセルホテルを変えた。川崎駅前はたくさんの路上生活者がいた。

貴重な経験をナイスミドルに感謝する。

体が不調を訴えると、俺はナイスミドルを探したくなる。完全なドヤではない。ぎりぎり庶民感覚を宿した宿で、種々の陰鬱を込めた人と、それを包み込む空間に、何かを感じる。俺にとっての学び舎だ。

余談だが、明君はサウナで泊まっていて、夜中に怒鳴り声があり目が覚めたそうだ。
「何をするんだ!」    「いいだろ、ちょっとぐらい。」
オスオスの感情のもつれだ。ナイスミドルだったらしい。貴重な体験談をナイス明に感謝する。

ミドルは~いろいろ、 サウナも~いろいろ・・・・。 痛みと心の関係もいろいろである。

2007年11月1日木曜日

書評2

旅行記というジャンルの本は、小・中学生ぐらいによく読んだが大人になってから、全然読まないでいた。理由は簡単だ。行きたくなるから・・・。

単純な俺は、魅力ある旅行記に出会うと、すぐに旅立ちたくなる。

青春18切符の旅を書いた本を読んだ小6の俺は、小学校を卒業した次の日から、西日本を7日間かけて鈍行旅行した。当時の国鉄は赤字路線がしっかりあり、マニアにはたまらなかった。

結婚が決まりつつある24歳に九州旅行の本を読んだ俺は、おかんに「何も言わずに10万くれ」といい、無茶苦茶言われながら金をせびり、九州5泊バイクの旅にでた。

自分の欠点はわかっている。だから旅行記、特に海外は地雷のようなものとして触れないでいた。

しかし、最近は自制心がついてきているとの判断で、解禁した。

『タイ怪人紀行』・・・ゲッツ板谷著(角川文庫)だ。

この本は、書棚を見渡すたびに気になっていた。著者の他の本も俺を誘惑しまくった。だから開かずにおいた。自制を保てたもう1つの理由は、著者のことを、「ゲッツ」で一世そよ風靡したお笑い芸人と間違えていたのだ。名前の違いが未だにわからない。著者紹介の写真を見て顔が違うという判断だけだ。別人だ。

タレント本を読まない偏見、自制心の無さ、知ったかぶり・・・・。いみじくあはれなり。古典的罪だ。

で、この本だ。好きなのは単純だ。おもしろいのだ。受けを狙っている文章にしっかり撃たれるのだ。
射撃技術はたいしたものだ。西原理恵子の絵も好きだ。娯楽小説だが、ジャンクではない。
経験の面白さは、文章力を凌ぐ!実にハイソだ。 ゲッツを追いかけて、色々読もうと思う。解禁だ。

文学臭のある本:娯楽小説:ドキュメントもの=1:5:4 。  この比率が快適な読書だ。

文学的な香りのあるものは、読む時期を間違えると、どうしようもないほどの苛立ちを感じる。
今の俺が求めているものは、その人の経験値に基づいた体液の結晶だ。そこには最終的に文学的な香りを感じるが、切り口は娯楽である。 娯楽すぎるきらいはあるが、ゲッツの文(体験)は素敵だ。
ハイソな香りがプンプンだ。

久々に痛快な本を読んだ。映像を見る感覚だ。すぐに飽きて、文学の香りを求めるのかもしれないが、この娯楽との戯れを楽しもう。

本を読んでいて楽しいが、自制心を働かさなくても、東南アジアに行く勇気は、どうやら俺にはなさそうだ。俺はデリケートなのだ。手で雲古(注:開高健さん用語。俗に言う、バキュームされる汚物)を拭いたりできない。枕が変わると寝れない。また、スパイスが効いたものばかりを食べたら、アトピーが再発する。ボーントゥービーデリケートな俺は、本来はハイソなのかもしれない。

明日はハイソな本を読もう! 朕や、麻呂の御用達の本ではない。ハイソな本だ。武田泰淳を仕入れた。

ハイソサイアティの略語をハイソウルと認識していた俺は開き直って、言語紀行のブログを書いた。
ネタが無くて困っていたから、ゲッツ!明日は明日の風が吹く。灰燼ブログだ!