2007年11月6日火曜日

がちゃがちゃ日記

あまり意識したことがなかった、「がちゃがちゃ」ですが、今でもしっかりありますな。
ちょっとしたおもちゃ屋や、ゲーム屋には、たくさん置いていて、何が魅力的なのかまったく理解できない年頃になってきていますが、やはり健在です。

時は移り変わり、種々の変遷をとげた今でも、金を入れてレバーを回すブツが「がちゃがちゃ」という単語で認知されていることに、清清しい何かを感じます。

7年前まで5年近く働いていた会社の社長の御曹司を、今家庭教師で見ているのですが、先日、社長と懇談していたところ、社長が「けんちゃん、セレブながちゃがちゃ見つけたぞ!」とおっしゃっていて、僕も数十年ぶりにあの機械に目がいったわけですが、そのセレブがちゃがちゃというのが、なんと1000円だそうです。俺ががちゃがちゃしてた頃は、確か20円であって、中身もスーパーボールや、スライムや練り消しであったはずです。それが今ついに、1000円のものが登場したらしいですわ。

硬貨を入れるのか、札仕様なのか、機械を確かめに、それがあるという、高速のSAに明日行ってみる予定です。

その「セレブがちゃがちゃ」の目玉商品が、今すごい人気らしい、身振りが反映されるゲーム機のウイーやらピーやらクイーやらとかいうゲーム機らしいですわ。がちゃがちゃのあの球形の空間の中に商品が入る余地が無さそうなので、社長に聞いたところ、「当選証明書件。商品引換券」みたいなものが入っているそうで、なるほど・・・と思いました。

でも、それを聞いた瞬間、「がちゃがちゃ」が「ガチャガチャ」に変化していく何かを、僕は頭の中で感じました。何かはわからないのですが、確実にカタカナ表記な気がしたのです。

「がちゃがちゃ」という擬音語が商品名(機械名)になって認知されている日本人の感性と、日本語の素晴らしさを感じる一方で、それが、本来の音を含んだ言葉から、何やらスマートな「ガチャガチャ」なるものに変身していった過程を瞬時に感じ、実に空虚な硬質感覚がよぎりました。

もともと、ひらがな表記だったのかどうかも知りません。でも、僕の中では、あれは、まぎれもなく、ひらがなで認知されるものであり、プラスチックの入れ物とのミスマッチに、何か、尊いものを感じておりました、多分・・・。多様な言語表記道具(ひらがな、カタカナ、漢字)を持つ日本人の懐の深さを宿した、俗物感・・・、それが確かにあった気が。
中の商品は、舶来ものが昔から多かったですが、それを産出する機械が「がちゃがちゃ」ですぜ!

言語は生き物で、種々の環境や時勢によって、響きや表記を変えていくものですが、「がちゃがちゃ」は、ひらがなのままであってほしい。子供にとって宝石であり、大人にとって我楽田である存在であって欲しいと思ったまでです。言語変遷の今に物申す気はありません。びみょーで、やばい、言葉の感覚も持ち合わせないといけないのかもしれません。

しか~し、良き言葉を味わえるぎりぎりの世代に生を受けたことを幸せに感じますな。

「がちゃがちゃ」は「ガチャガチャ」ではない。この感覚は捨てないようにします。
でも、「ガチャガチャ」も味わってみることは大切な気もします。味わって捨てたらいいのだ!

「今のこもすなるがちゃがちゃといふものを、をとなもしてみむとて、するなり。」『途挫日記』

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