2007年11月14日水曜日

動物病棟

朝起きたら、咽が痛い。半端じゃなく痛い。少し熱っぽい気もする。急激な寒さがきたにも関わらず、毛布も着ずに寝ていたからだ。鼻も詰まる。鼻汁も出る。詰まりながら出る鼻汁は硬度がある。痰もたくさん出る。色つきだ。黄土がある。

久々の風邪であるが、幸い休日だ。今日は日がな一日、読んでは寝~、読んでは寝~をくり返した。昼食だけ食べに外出した。風邪だからあっさりしたものを食おうなんて、やわな神経は持ち合わせていない。こってりラーメンと、牛すじの味噌たれを2本とライスを食った。帰宅後ビールを2本飲んだ。

風邪を引くと。いつも思い出すのは、小学校の時に3回入院した、実家近くにある「N尾病院」のことだ。盲腸1回、肺炎2回で入院した。

この病院は公務員共済の病院であり、今は立派な外観と、最新の設備を持ち、近代的な病院であるが、俺が入院した時は戦時中の香りが十分に残っていた。今でもいくぶんか、敷地内にはまだ、昔の名残がある。帰省した時には、必ず歩くようにしている。

この病院、戦時中は結核病棟を中心とした隔離施設になっていたとの噂を聞いたことがある。たぶん、噂ではなく、口承された事実であると思う。

今の病院のように、1つの建物内のフロアで複数の科が混合しているのではなく、1つ1つが棟として分離していて、それを木造の渡り廊下が結んでいる。敷地面積はかなりでかい。

例えるならば、大きな牛舎が複数あり、それが渡り廊下で結ばれている感じだ。牛舎間を往復する看護婦も心なしか・・・。モー! 

全館木造建築で、床も窓枠も全て木である。開閉時の音、廊下を歩く音、とてもじゃないが、病人でなきゃ安眠できるハードではなかった。おまけに、この病院、通用口には夜になると施錠をするのだが、渡り廊下の一部が、通り抜けできるようになっており、外部からの進入を拒まない。病人でなきゃ蟄居できるハードではなかった。

盲腸で入院した時は、モーで、いかりやな看護婦(パーツを含めた全体がでかい)が俺に聞くのだ。「夕べのガスは何回?」 俺は顔を赤らめて答える。「出ませんでした。すみません。」
あやまった理由はわからない。顔を赤らめたのは恋ではない。モー!

深夜から朝方にかけて、2匹のキャッツがよく廊下を闊歩していた。それらのキャッツは黒く、太く、目つきが悪く、皮膚は剥がれ落ちている箇所があり、おまけに空咳をしていた。療養中のキャッツであろう。実に結核、いや、傑作なキャッツである。

彼らは、「ニャ~!」(本当は、「ニ」に濁点を加えたい。)と24時間無差別に泣いていた。しかし、看護婦も患者も彼らの侵入に目くじらを立てることなかった。というのは、その当時は、まだ結核病棟の名残があり、ここで死を迎える老人が多く居住していた。そんな中にある、病床わずか8つの小児科病棟のうちの1つに俺は入院していたのだ。6つは空床であった。わずかの余生をキャッツに囲まれ、穏かに隔離され過ごす老人の中にまぎれこんだ小児2名・・・。選ばれし民だ。

キャッツに異変が起こったのは、俺が退院する早朝のことだ。

キャッツのでかい方が、 「ニャ~ギョ,ニャーギョ」とリズミカルに泣いていたのだが、急に変拍子になりだした。「ニャ~~~、ギョ ニャ、ギョ~~~」

「ギョ、ヘ, ッカ」・・・・。俺はベッドから立ち上がり、廊下の奴を見に行った。奴と目が合った。奴は照れくさそうに、しょげながら、渡り廊下への道を歩んでいった。後ろを振り返ることはなかった。 彼は吐いていたのだ。昆虫の残骸のようなものが、吐しゃ物の中にあった。

なぜか、誰にも言ってはいけないことのような気がした。俺はこっそり奴が吐いた残骸を便所紙でふき取り、6時間後におかんの迎えで退院した。

その半年後、肺炎にかかった俺は、再び選ばれし民となった。その時にはキャッツはいなかった。
同室のもう1つのベッドには、俺の通う小学校1のワルの先輩がいた。タバコの吸いすぎで肺炎になったそうだ。奴は、「なめ猫」のサンダルを履いていた。なめる気はない。彼は強面の外見とは裏腹に、実に優しかった。俺に「なめ猫グッズ」をたくさん見せてくれ、俺がうらやましそうにすると、免許証をくれた。親交を深めた俺は、彼のおかげで、残りの小学校生活は安泰になった。

風邪をひくと、いつも思い出すのは、N尾病院での生活と、あの猫のことだ。吐いた後、俺に発見された時の奴の目が忘れられない。

「やっちまったよゴホ、 そんなに見るなよニャゴ。 心配するな、ゴホ、またな。」

熱にうなされていたのではない。退院する朝のことだ。俺が見たのは現実だ。奴は人知れず、病院のどこかで土になっているのかもしれない。

色々思い出しながら、うとうとしていると、体の具合もよくなってきた。今でも「N尾病院」は俺にとっての心のかかりつけ病院だ。猫は心療医だ。 モーな看護婦はカンフル剤だ。中枢を刺激する。あまり打ちたくはない。

「みしみしと、きしむ廊下に 音がする ここに来るのは モーか ニャーか」 (まえけん全集1巻「動物戦隊サレンダー」より)

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

病んでる時は、通常とは違う視点で物事を見れるというか、見てしまうとうか、異文化な体験として記憶に残りますな。
病室内の、独特の優しい雰囲気を備えたコミュニティーとかね。思い返すだけで心温まるような、二度とゴメンだと強く思うような、なんとも不思議な記憶をオレも持っとります。

管理猿まえけん さんのコメント...

コメントありがとう。昨日パソトラブルで、画面が開けずに、今日の投稿したら開けました。
病気の時の感覚って、まさにトリップなんやろうな~。ドラッグで味わう人の気持ちはわかりますが、しょっちゅう、訪れて欲しくないですな(笑)。

不思議な記憶、貴ブログで教えて欲しいわ。
事故と病気の経験は、俺らデジャビュ兄弟ですぜ!(笑)