2007年11月19日月曜日

言語舌

今日の中学入試をする生徒に対する教材のひとコマだ。

(問い)
「次の中で、語句の使い方として適切なほうを選びなさい。」みたいな問題があった。

間違いが多かった、適切でないほうの選択肢はこれだ。

 「 今度こそ汚名を挽回するいいチャンスだ 」

適切なほうの文はこうだ。

 「 今度こそ名誉を挽回するいいチャンスだ。」

俺は偉そうに教えているが、正解と不正解を並べて比較してみた時に、この二つの文章にすごく違和感を持った。「どっちでもいいやんけ!」 そして、すごく興味深いことに気がついた。俺が興味深いだけだ。認識がずれているだけであろう。しかし、興味深い。一人の言語フェチの戯言として読んで欲しい。

「汚名」と「名誉」・・・、 上記の正しい用法で考えれば、どちらも完了してしまった状態を表しているのだろう。「汚れた名」、「誉れある名」、目的語として両者を捉えたら、挽回するのは「誉れある名」であろう。

しかし、文全体で読んで、「今度こそ汚れてしまった名前を、もう一度綺麗な状態に戻したい」といった解釈は可能ではなかろうか?拡大解釈であろうか? これが出来るのであれば、「汚名を挽回する」という表現もあり得るのではなかろうか?

日本語は難しい。ここまでを読み手に伝えることだけでも困難だ。理解していただけない方にはいつか挽回する。挽回するものは「名誉」でも「汚名」でもない。ただ活力ある文章を書きたいだけだ。リカバーではない。リゲインだ。栄養がある。無駄もあるが一日一本だ。 

脱線した。戻る。

言葉の認識は受け取り方の感受の仕方によっても変わってくる。俺は、一度罪を犯して落ちた評価は挽回できない一方で、一度名をなせば、その名声が仮に傷ついても挽回できるというのは、不公平ではないかと考えたのだ。実に権威主義で、おごり高ぶった人間性を見た気がして、誤法を選んだ生徒をかばいたい気になった。生徒はそこまで深く考えてはいないが・・・。本当にかばわれるべきは俺かもしれない。リカバーしてほしい。

脱糞してきた。戻る。

どちらも正しいような気がして、帰りの車中、ずっと考えていた。
誰が決めたかは知らないが、この二つの用法は「汚名挽回」の方が、日本人のあるべき正しい姿だ!といきり立ちながら、その根拠を探していた。

考えた挙句、俺が出した結論は、「名誉を挽回する」が正しいである。完敗である。漢字、ひらがな、カタカナを使いこなして独自の言語を編み出してきた日本人であると思っていたが、しょせん、漢字は借り物であり、中国的ルールに縛られている。中国の思想が三表記混合の日本語に、依然、深く根ざしているという結論だ。

中国人にこの質問をしたら、たぶん、以下のような回答をするであろう。

「名誉」、「汚名」という熟語の成り立ちを見てみるあるよ。 どちらも熟語の成り立ちとしては、種類の違うものであるよ。同じ用法で括れないのであるよ。「名」が先にくるか来ないかの差かもしれないけど、これは中国人にとっては、じぇんじぇん意味違うあるよ。お前たちの漢文で言う返り点が付くか付かないかの差であるよ。品詞が違うあるよ。わかるあるか?

俺の想像の中での中国人講師に教えられたので、強引に「名・誉」と「汚・名」の間に返り点のレ点を付けてみるあるよ。後の漢字から返って前の漢字を読むあるよ。

「名誉」は、「誉れある(形容詞)」「名前(名詞)」であるし、「汚名」は、「名を(名詞+助詞)」「汚す(動詞)」である。

これを最初の文に当てはめてみる。
「今度こそ≪名を汚す≫を挽回するいいチャンスだ。」
「今度こそ≪誉れある名前≫を挽回するいいチャンスだ。」

これを見ると、誤法はあきあらかであろう。品詞が混同しているからおかしいのだ。中国人の見解は正しい。敗れたり!

敗者は考える。そして開き直る。「どっちでもいいあるないか!そんなこというから衝突起こるあるよ。」

日本語は漢字から離れられない。漢字は素晴らしい。中国に感謝だ。しかし、硬質で厳格な漢字がひらがなと融合した時に生まれるやわらかさは、日本人独自のものだ。
やわらかな表現は、多種多様な解釈を生む素地を備えている。熟語だけではなく、文全体として味わう感性は日本人の強みだ。韻がなくても詩的なのだ。借り物の漢字に卑下する必要は無い。しっかり学んで、そこに魔法をかければいいだけだ。

正しい日本語を学ぶことは楽しい。正しいを決めたのは俺の嫌いな学者かもしれない。しかし、漢文にしっかり根ざした学者のオタク的研究の成果だ。先人の研究を可能な限り受け継ぎ、その上に、個人的な解釈を加えながら、言語を媒体とした豊かな感性を育みたい。

全てが全て、研究成果を正しく受け継いで言語知識を増やしていくわけではない。上記の熟語解釈は俺の解釈だ。先人が残してくれた解釈ではない。知ったかぶりの解釈も多々あるであろう。ただ、解釈の仕方が一応完結していれば、それはそれでよい。正誤を付けられるのは入試だけだ。それより大切なものは、言語に噛み付いて、語感を味わえる豊かな言語舌だ。

「汚名」ばかりして、舌を抜かれないように注意したい。こういう俺は二枚舌だ。挽回はない。



 


 

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