2007年11月3日土曜日

事故を振り返る

咽もと過ぎればなんとやら~、俺は実に単細胞だ。昨年12月20日に正面衝突の事故をして苦しんだにも関わらず、痛みが和らぐと、まったく何ともなかったかのように、体のいたわりも忘れて過ごしている。それが、少し首・肩が痛くなるとすぐに大騒ぎだ。我ながら単純さに嫌気がさす。

事故は強烈だった。片側2車線の道路の右車線を60キロ以上(田舎の道だからもっと出ていたと思う)で走行中、いきなり前方から車が突っ込んできた。

彼は右車線を走行中、急に右車線に車線変更してきた車とぶつかりそうになり、条件反射でハンドルを右に切ったみたいだ。

相手は軽自動車、俺はライトバン、この差がまだ救いだったのかもしれない。加害者は肋骨、両手両足の骨折だ。加害者側の彼は、かろうじて運転席側が衝突面からそれたので、命は大丈夫であったのだが、もう少しハンドルを切るのがずれていたら、被害者の俺が加害者の死亡の瞬間に立ち会うことになっていたかもしれない。

救急車で運ばれ、意識はずっとしっかりした状態で、入院したが、16日で退院できた。
骨は異常なく、レントゲン等の医学的所見では異常なしの診断も頂いた。

事故の日は変な日であった。朝方から消防車の音が鳴り響き、いつもより1時間半早く起こされた。
家から500メートル内の範囲で全焼の火事があったのだ。勤務地は家から近くの校舎だったのだが、毎週水曜日に、校舎長会議が本部校であり、この日は、そのため、11時頃に家を出る予定だった。

それが火事のサイレンの大騒ぎで早く起き、喧騒冷めやらぬなかで、1時間早く家を出た。
駐車場からいつもは左に出るのだが、消防車が道をふさいでいて規制がかかっていたため、逆方向に出て、いつもは直線で行くルートを「コの字」上に迂回して、時間にして20分程の遠回りのルートで運転した。それでも本部校に早く着きすぎるので、「ゲオ」で中古CDを物色し、初めて行くガソリンスタンドで給油し、初めて通勤に使う道で事故に遭遇した。

正面衝突という性質上、10秒程の時差があれば遭遇しなかったであろうし、まして、近所の大火という事件もあり、恐ろしいほどの偶然が重なって俺は衝突した。

正面衝突事故の死亡確率は10%ほどだそうだ。これは、いろんなスピードや対向車の大きさなどもひっくるめての数字であり、すごい死亡率だと思う。偶然、同日に県内で正面衝突の死亡事故があった。

一件の事故は死者が出て、俺は生かされた。この事実に意味を見出さないわけにはいかなかった。
入院中の夜に、痛みで泣いたことや、事故後初めて運転した時の恐怖や、その他諸々の経験をしっかり受け止め、体のケアに専念してきたつもりであった。

しかし、事故後3ヶ月後には、何もかも忘れたかのような俺であった。咽もと過ぎて忘れすぎ!

ライブという、自分のかけがえのない場を経て、痛みが再発したこと。そしてそれに対して気遣いをしてくださった方々の声、忘れてはならない。京都の御大がおっしゃった、「事故後の時限爆弾」は俺の中で音を立てているのかもしれない。軽く考えずに、不必要に恐れずにつきあっていきたい。

せっかくすごい偶然で巻き込まれた事故。これを意味あるものとして歩むためには、それなりのメッセージを受け止めなければならない。体をいたわる事。体が痛い人のつらさをわかること。この当たり前の原点に、定期的に返る機会を与えてくれること、それが痛みであると思い、日々を過ごしたい。

生死に関わる偶然って何だろう? この先何が待っているのだろう? 
種々の疑問や不安はあれど、俺は生きている。事故死された方と俺との差は紙一重だ。思考ある限り、考えたい。

痛みのメッセージ、俺はしかと受け止めた。性根が入っていない時にまた教えて欲しい。

4 件のコメント:

赤ひげtodタカ さんのコメント...

ケンヂ、身体のコトは俺ン家に御住まいの女房殿に相談してミ。色々詳しいゾ。

管理猿まえけん さんのコメント...

ありがとう。また相談するわ。普通に協調していけそうな気がするけど、ライブごとに痛くなったら嫌やからな~。

匿名 さんのコメント...

死は生の先にあるんやないで。

生と死は表裏一体

なむ~

管理猿まえけん さんのコメント...

生と死が表裏一体であることを感じるには、煩悩がありすぎて困ります。
合唱できるけど、なかなか出来ない合掌!
なむ~ですな。(笑) 貴女を尊く思います。