2007年11月8日木曜日

風の機関車

「機関車トーマス」ってアニメがある。俺はトーマスもドナルドもダグラスも、そしてマードックも個人的には知らない。当たり前だ。物語りもしっかり見たことも読んだこともない。幼児の時に歯医者で絵本を読んだ記憶だけで、俺はこの作品の匂いを感じ取った。抜歯される恐怖とトーマスは連動している。

人間が人間以外のものから見た視点で作品を書くことは自然であろう。我が国では猫の目から見た世界を描いた作品が名著の上位にランキングされている。イギリスは産業革命発祥の地だ。機関車の目から世界を描いた作家がいたのもうなずける。(注)この作品がイギリスであるという確証はない。ほんの記憶だ。

作品が、最初文章で著されたのか、絵で表されたのか知らない。しかし、1度アニメを見た瞬間から、俺は妙な恐怖感を幼心に感じた。機関車が走りながら、顔の表情を変えるのだが、どの表情も病的に見えた。そこにファンシーな香りは無い。実に実写の香りである。 サタニックである。

今まで俺は、「機関車トーマス」を見て、病的でサタニックな香りを見出す人と出会ったことがない。アニメから感じる実在感とその眼差しに垣間見える恐怖・・・。 「ゴルゴ13」の実写版を見て、そこに、駄駄駄コミカル感を感じた人とは数多く出会ったが、「機関車トーマス」は、幼児の情操教育の定番として、今も小児科、歯医者を中心として、愛されている。

しかし、病的だ! 誰がなんと言おうと病的だ。音も表情も全てが病的だ。
この病的でサタニックな正体が何であるかを、ずっと探してきた。

俺は幼少時から、電車や、車や、形あるメカには表情を擬する習慣があった。ベンツには肥ったキツネの顔を、カローラには盆踊りで舞うおばちゃんの顔を、クラウンにはポマード臭漂うエリートの顔を・・・。プレジデントには麻呂の顔を・・・。

実に偏見と狭量が露見された擬し方であるが、無意識に顔に見立ててきた。顔はその後の、その乗り物の辿った境遇により変化していった。変化せずにお隠れしていった顔も多数だ。JRの特急の表情は年々、輝きを失っていっているように思う。

脱線した。戻る。サタニックな正体である。まだそれが何であるかはわからない。幼少時から培われた潜在的な意識は、死ぬまで露見しないであろう。それでも、何であるかをいつも考えていた気がする。

邂逅の時であったような気がする。

先週の通勤の時だ。強い風が吹いた。砂埃が舞った。車を揺らすほどの突風が向こうから来るのが見えた。なぜか、俺の車の下から押し上げる何かを感じた。路面を見た。舗装道路に無数の穴が開いていた。ホットケーキを焼き始めてすぐに出来るような穴だ。
窓を開けた。突風が通り過ぎた。 間引きされるのではないかという恐怖と共に、風に恍惚の表情が見えた。

「間引きの恐怖」 これがサタニックの正体かもしれない。そして、それに惹かれる俺の何か・・・。
ふと、その瞬間、風に表情を感じた。その顔は紛れも無く彼であった。トーマスだ・・・。
前を見やると、剥がされた山並みが見えた。

この瞬間、「風の機関車」という曲が出来た。一筆書きで作り、昨日の練習で歌った。
「顔に見立てた 風の機関車が 僕らの前を過ぎていく 君の顔見とれた 」が最後の結びである。

いつかは間引かれるのがわかっていながら、喜怒哀楽を日々肥やす俺に、何か視線を新たに足してくれた風に感謝する。 トーマスにも一応感謝しておく。

吐息増す。 言葉を間引くことも大切だ。 

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