2007年12月30日日曜日

雪が降る町からの便り

ユニコーンの名曲ですな。昨日の俺の愚痴が通じたのか、今日は荒れ模様の天気で、夕方から、粉雪が降り続いています。たいして積もりそうにない雪ですが、10センチくらいは明朝にありそうです。

今日は書店巡りをしていましたが、移動の車中から、町並みを眺めていると、随分、県外ナンバーの車が車庫に止まっていて、帰省される側の県に住んでいることを実感しました。

僕が大阪に帰るのも帰省ですが、多くの場合は、地方都市から都会に移住する場合が多いので、いつも、僕の進行方向の車線は空き空きで、あまり、帰省と言う感慨はなかったのですが、こうして、我が住む県に都会のナンバーの車が多数いるのを見ると、故郷としての存在感がある町に住んでいることを嬉しく思います。

といって、帰って新聞を見ると、大型スーパー初売り告知が広告掲載されておりまして、元旦朝8時からとの事・・・。 故郷に帰ってきた人が、朝から買い物するのね・・・。
故郷のあり方としては、随分価値観の相違を感じました。大晦日に買い物行って、元旦にも買い物行く人たちの年の正月って区切りの考え方が不可解です。

ま~、人それぞれですな。過去ブログで触れたように、俺も元旦は金を使いたくて仕方なかった性質であったので、あれこれ言う資格はないのですが、「初売り」って告知自体が、語感的に違和感を感じます。

愚痴続きの数日であったので、気分を新たに書棚をめぐり、立ち読みで2冊完読しましたが、購入にはいたらずじまいでした。

俺の好きなジャンルのドキュメンタリーものを中心に見ると、すでに研究されつくしている分野の隙間もの、補筆ものがあるだけで、購入するほどではないので、立ち読みで終わります。

ミステリーものを物色すると、帯や、表紙ばかり派手で、数ページをめくって入っていけそうなものがないので、斜め読みで終わります。

歴史物は相変わらず、素晴らしいであろう作品がたくさんコーナー化されているが、俺の想像力では、入れないのですな。特に歴史小説がどうも未だに苦手です。巨匠の数編は読むのですが、全般的に時代劇化していて、安定感ある読書タイムにはなるけれど、外さないかわりに、後に残らない。いや、残るのですが、複数の作品がガンボっていて、個が見えないのですわ。おまけに、歴史小説を読んだ後に、その舞台となる土地を訪れると、妙に頭でっかちになって、木を見て森を見ない状況に陥る経験があるから、これは尚更性質が悪いのです。

俺のキャパが狭いところに起因する好き嫌いでありますが・・・。

新書コーナーは、乱雑で、タイトルだけは秀逸なんだけれど、どれもこれも、1時間で立ち読みできるものばかり・・。京都の御大に教えて頂いた、気になる本は入荷してないようで、明日また、大型店を覗くことにします。それにしても、新書ブームなのかね?版を重ねる名著はあまりない気がしますが・・・。

今年になって、特に思っていたのですが、文庫本、新書方面に、出版社が乗り出しすぎじゃなかな??? 暖簾分けみたいで、必要性を感じません。

どこの出版社も、文庫や、新書に乗り出した最初は、独特のこだわりを感じて、俺も、帰依する何かをそこに見出すのだけれど、少し立つと出るわ出るわ、節操のないチョイスが。画一化が進んでいますな。

素晴らしい書籍はたくさんあるはずなのですが、とにかく探しにくくなっている。タイトルがどれもいかしているので、目移りして、自分の読みたい本道を外れてしまう。それが、素晴らしき枝であればいいのですが、よれよれの細木で知的好奇心の繁栄がない。個人的な主観とは言ったものの、出版レベルに到達する最低限の筆致は確実に落ちている気がするがどうだろう?

あれこれ言っても仕方がないし、明日は、今日、品定めした数点を購入して、初読みに備えようと思います。正月は、日本古来の厳かな正月を、喧騒の中で疑似体験し、その後は家にこもる予定です。パソにも触れないかもしれません。

明日書かないかもしれないので、皆様に>

今年一年、お世話になりました。秋に始めた拙ブログですが、書けば書いたで楽しいもので、すっかり日常の暮らしのひとコマになりました。毎日、拙文を垂れ流していますが、本人は、快便状態で満足しております。コメント、メールでの返答、色々ありがとうございます。来年も、日々綴る予定ですので、覗いていただければ幸いでございます。

来年は、人生の感動メーターを吹っ切る予感が致します。あらゆる刺激に敏感でいたいと思います。皆様、良い年越しと、穏かな新年をお迎えください。

                                                雪の降る町より

2007年12月29日土曜日

不調

仕事は明日の午前の大掃除で年内終了。
今年は塾の立ち上げがあって、さぞかし激動の1年になるだろうと思っていたのだが、振り返ってみれば、坦々と順調に過ぎた。儲けという点で見ると、全然話しにならないが、良いスタートを切れたと思う。

塾業界にとっては、大きな稼ぎ時である、冬期講習という行事も行わず、通常授業と自習対応というスタンスで冬休みの日程が半分過ぎた。そのため、体力的な消耗も少ない。
昨年までならば、1日9時間は授業が入っていて、それが連荘で続いていた。尋常ではない。

12月月謝を通常通り頂いておきながら、殆どの塾は冬期講習を行っているが、それだと、日程的に12月の授業は3週にならざるを得ない。月謝に対する授業回数が少ないにも関わらず、冬期講習費用として、新たに徴収するのは、どうも気が引ける。それならば、冬休みは毎日自習に来てください、というスタンスで1年目を終えるが、やはり、中3、高3からは冬期講習の需要もあり、来年度以降の検討材料にする。

俺にとってのこの1年は、塾のことよりも、昨年末の事故後の体が順調に回復し、富山でもバンドを出来、チープの再開のめどが立ったことに、大きな意義があったと思っている。

今日は休みであった。順調な1年の締め日と、年始に読むための書籍を求めて、午前中は家庭教師をし、昼からは、我が住む町と、隣町2つの古本屋巡りをして、半日を過ごした。

半年前くらいから、県内の古本屋の叩き売りコーナーの品が非常に手薄になっていて、掘り出し物にあたる率が非常に少なくなった。図鑑や仏像などの写真集関連の値段は崩れてきていて、良いものにもめぐり合えるが、ハードカバーの本の叩き売りが、非常にお粗末だ。以前なら、俺の読みたい本が叩き売りコーナーにあり、高い本は、別に興味がないものが多かったので、個人的需給バランスがよく、古本屋をよく利用していたのだが、ここ半年は、新刊の文庫を買うことのほうが多い。

中古CDにしてもそうだ。500円以内の叩き売りで、以前なら、毎回戦利品を持ち帰れたのだが、今は、聴きたい作品には、しっかりとそれなりの値札が貼られている。

マニア人気の作品に対する市場調査も、すっかりデータベース化されてきたのだろうと思う。 平らに相成っていく。住みにくい。

リサイクルショップもよってみた。以前なら、棚の端のほうに、無理やり引き取ったであろうCDや書籍が置いてあったりして、それらは、リサイクルショップのメインの商い商品でないため、非常に無気力な値段をつけてくれていたのだが、今日巡ると、見事になかった。きっと、リサイクルショップのオーナーは、古本屋も経営していて、売り場をしっかりと住み分けているのだろう。

リサイクルの市場に対する俺の興味は少し低下してきた。俺にとっては、住みにくくなった。明日の午後からは、新刊書店を色々回ろうと思う。

それにしても雪が降らない。年内に一度もまとまって降っていない。非常に不気味だ。大晦日から元旦にかけて、冬型の気圧配置になり、どか雪が降るとの予測もあるが、どうも怪しい。
降るべき時に降らない気候は、何か気分を安定させない。どっぷりと冬に包まれたくて、俺は今か今かと待っているのに、そして、ブリもたくさん水揚げされだしたのに、雪の旦那は北陸の地を避けている。
タイヤ交換は終わった。乾いた、平らな路面で磨耗させるために変えたのではない。君と戦うためだよ!早く降ってきてくれなきゃ・・・。どうも住みにくい。

概して順調な1年であったにも関わらず、漠然とした、もやもやが頭にあって、テンションが上がらない。温和な心の状態であるにも関わらず、なんだろう?

気分転換にギターを触った。触れて最初の音を弾いたら2弦が切れた。住みにくい・・・。

デジカメで写真でも撮るか!と思って電源を入れたら、「メモリがー一杯です。」とつれなくふられた。消し方を知らない。住みにくい・・・。

パソを開いて、ヤフー画面を見る。「あなたの来年の開運音楽ジャンル診断」というところに行った。質問に答えたら、「フュージョン」と出た。高中の旦那とカシオペアだとの事。持っていない・・・。

なんか煮え切らない。例年までにはない、穏かな時間と順調な私生活があるにも関わらず・・・。

年末には、いつも大きな行事か、目まぐるしい程、俺を拘束する何かがあって、それの余韻を感じる間もなく年明けを迎えていたのが、今年は、いやに余裕のある日程だから、体がびっくりしているのかもしれない。

明日、1年の大掃除をし、ゆっくりと湯浴みをして、平穏な環境を楽しめる懐の深さを、体に教えたい。あと2日で、平成君は20年目に突入する。日々は平たく成っていく。

2007年12月28日金曜日

飽食の苦悩

俺はヤフーBBに入っているので、色々な動画が無料で見れる。有料のものも多いが、無料だけで十分楽しめる。お笑いでは、今流行の人たちの映像は、ほとんど入っている。落語も然り。

音楽では、ツェッペリン、クイーン、クラプトン、ポリスなどの期間限定映像もあり、毎日ちょっとずつ見ているが、痺れる映像である。他にもたくさんの番組が用意されているので、一日中、パソコンの前にいても見尽くせないほどの優れた供給体制だ。

アニメもたくさんある。俺はコアなアニメは好きではないが、牧歌的なアニメなら喜んで見たい。番組を探すだけで、優先順位をつけるのに苦労する。

NHK的なアプローチのドキュメントもの、スポーツ映像、映画・・・・、選べばきりがない。おまけにヤフーBBだけでなく、今をときめくYOU TUBEなどの映像を含めると、時間がどれだけあっても足りない。

俺は特に、映像を2時間連続では見ることができない性質だ。映像を見る以外に活字を読む時間を1日に数時間欲する。音楽を聴く時間、また、嫁との語らい、テレビ、ギターを弾いての曲作り・・・。

供給過剰で、自分が今何を1番欲しているかの需要度を測ることすら困難な時代になっている。
市井のニュースにも興味がある。そうすると、検索もしたくなる。検索先で出会った単語につられてネットサーフィンもする。

パソコンだけではない。ツタヤに行けば、見たい映画もたくさんある。

ゲームは殆どしない俺ではあるが、桃太郎電鉄とドラクエだけは好きで、生涯で100時間は費やしていると思う。DSでドラクエが出たので(Ⅳの焼き直しと聞いたが)、今は本体を買ってでもしたい気もある。

なんか忙しすぎないか? 素晴らしき映像や活字や音楽やゲームがたくさん供給されているのは良いことかもしれないが、ちょっとアンニュイな気分になるのも事実だ。

俺が1番違和感を感じるのは、俺たちは検索することになれてしまって、偶然の出会いを必要としなくなってきているということだ。

ヤフー動画やYOU TUBEで、見たかった映像や、気になる映像を多々検索し、満喫した時間を過ごしているが、正直、脳天をかち割られるほどの衝撃を受けない。昔感動した映像を二度見した時は、見なければよかったと思うこともしばしばである。

それに、見逃してしまっても、あとから検索すれば、時差はあるが体験できる環境にあっては、ライブ感は希薄になってくる。たまたまテレビがついていた時に飛び込む映像、たまたま書店を覘いた時に飛び込む書との出会い・・・。実に愛おしい。

偶然が必要であって、必然であることが可能な出会いが多すぎるのではないかと思うのだ。なんで、その日、その時に、その映像、書、音がわが身に降りてきたかということに、高貴な存在感を感じるのだ。もっと味わいたいと思う間もなく、映像、書、音が過ぎていくとき、頭の中に残る余韻という名の残像が、心情を豊かに育んでくれるような気がする。

調べたいことを辿って検索し、網羅し、そこに体系を見出すことに満足を覚える時、それはアカデミックな手法を駆使した満足感だ。

感情なるものは、もっと外に向けて能動的ではあるが、外の媒体に関しては受動的なものではなかったか?と思う。

恋愛を例に取る(ずれているのは承知だ)。こちらから思い焦がれている時、その感情は能動的ではあるが、相手が自分を欲してくれるかどうかがわからない孤独な時間である。相手の自分に対する感情に対しては、受動的であらざるを得ない。

会えない時も、頭の中に身を潜める、愛しき人の残像を全身で感じながら、その映像をまた体感したいと欲する。しかし、検索して開ける映像ではない。だからこそ、思い続け、そこに思考の渦がある。時に残酷で、時に通り雨で、時に虹がかかり、時に成就が訪れる。この感動こそが、もっとも欲する感情のような気がする。

今の供給過剰の環境は、与えられることに慣れて、貴重な時間をたくさん奪い去る。奪い去られた後に残るのは、刺激を更新された空虚な精神世界だ。俺はこの環境が怖く感じる時がある。

とは言いつつも、見たい映像が簡単に手に入る。目の前に愛しのバンドの映像があるのに、スイッチを押さない理由はない。そしてついつい、毎日開く。しかし、満たされるのはその刹那だけだ。あとへの余韻は少ない。

俺は私生活でパソコンに触れる時間は、どんなに長くても1日、2時間以内だ。1時間が平均的な時間だ。しかし、これでも徐々に長くなってきた。パソを長時間いじった後に、感じる空虚な何かに対する後ろめたさみたいな感情は、日に日に希薄になっている。

これでいいのか?これが今を生きることなのか? 答えはわからない。ただ、何となく心に抱く危機感が訴える限りは、今の付き合い方を継続していこうと思う。

飽食の不幸、飢餓の苦悩、正反対の環境、この両者に良い意味で中立出来ていた時代が、俺が育った昭和晩年だったのかもしれない。だから、飽食の恐怖を感じるのかもしれない。感情が麻痺するならばそれはそれでよい。しかし、自ら麻痺される必要はない。

MIXIや、お気に入りのサイトやメールでの、心ある方々との交流の時間を俺は尊く思っている。そして、こんな環境が与えられている今の時代に感謝している。しかし、それ以外の数多く与えられすぎる娯楽の媒体に関して、いまいち満足出来ない。行かなければいいだけなのだが、与えられていないから行かないのと、与えられているのに行かないのでは、そこに関わり方の問題が出てくる。
多分、活字を通した交流以外に対して、自分の感性が追いついていないだけなのだろうと思う。素晴らしき映像に対して、警告めいた言葉を吐くのはおかしいと、ここまで書いて思った。

与えられ過ぎることに疑問を感じる俺は、根っからの貧乏性なだけなのかもしれない。素直に豊富な映像を楽しめる感性が俺に宿る時、この苦悶は消える。その時の俺がどうなっているかは知らない。今の時代に適した人間になれているに違いない。しかし、現状では、そうなった時の俺に対して今の俺は唾を吐く。今の感情を記録するのが正しき活字の力だ。数年後に笑い飛ばしそう。その時、何かが変わる。

この年末の苦悩は自らの心宿る人体を媒体にした臨床実験だ。「悪魔の飽食」森村誠一を再読しよう。低俗な個人レベルのプロパガンダブログが今日も電波に乗る。

2007年12月27日木曜日

大人の正月

俺の正月のイメージは幼少の時に形成された。正月になると、遠方から祖母さんや親戚が我が家に来訪し、駅伝やら、ラグビーやらサッカーを見ながら、男連中は家で酒を飲み飲みごろ寝して、女連中は祖母さんのありがたいご宣託のような上から目線の言葉を、興味はなくても我を競って拝聴したふりをし聞いている。男3人を育んだ我が家系の祖母さんにとって、正月は、息子の嫁を品定めするための大事な儀式であったように思えた。

おせち料理の味付け、子供のしつけなどに始まり、数多き祖母さんの訓示を、女連中は首をシェイキンして聞いている。普段同居していない分、嫁姑のバトルはない。姑から嫁への一方的攻撃だけがなされる。しかし、祖母さんは悪気があるわけではない。

俺が子供心に嫌いだったのは、祖母さんの3人の息子の嫁3人(1人は俺のおかんだ)が、祖母さんに対しての忠誠競争を繰り広げているような偽善の香りが充満していたことだ。
俺のおかんは、長男の嫁であるにも関わらず、一番、自然体で接していたように思うが、他の2人の叔母さんは、それはそれは素晴らしい火花を散らして、正月バトルを過ごしていたように思う。

正月は女連中にとって、1年で1番疲れる日であったのではないかと思う。

それに引き比べて、男連中ときたら、酒をアホみたいに呑みさくって、一日中ごろごろしながらテレビを見ている。

男尊女卑の香りを俺は確かに嗅いでいた。こんな大人にはなりたくないと思った。

一方子供は子供で、良き子供であろうとしていたように思う。行儀良くそつなく新年のあいさつを交わし、親に恥をかかせないだけの振る舞いを意識していた。俺を除いては・・・。

俺はお年玉に対して、えげつなく欲情していた。それしか頭になかった。久々に会える偽善の塊の大人や、良く出来た従兄弟との交流よりも、ひたすらお年玉査定だけを気にしていた。
もらえる瞬間まで、行儀良くして、もらえるや否や、俺は便所に入り、金を数えた。赤貧チャイルドである。

俺は元旦の儀式が終わると、初詣には1人参加せず、、1人金を使えるところを闊歩した。家を出る時に、査定額が低かった叔父さんと叔母さんの靴を、踏みしめながら、悠々と流れる新年の町に飛び出した。この世の春だ。

ところが、歩けども歩けども、金を使える場所は、当時なかった。コンビニがまだ出来る前であったから、正月3日は、どこもシャッターを閉めていた。

俺は町をまたいで遠征し、とにかく開いている店がないかを求めた。砂漠に迷う石油王のようなざまで数時間彷徨した。「金ならある。売ってくれ!」を心につぶやきながらオアシスを探した。自動販売機でコーヒーとココアとコーラをがぶ飲みした。アイスクリームの自販機を見つけ、チョコモナカを3個食べた。腹はオアシスであった。でもまだまだ使いたかった。

15キロほど歩いただろうか、シャッターの閉じている商店街に1つ、開いている店を見つけた。プラモデル屋だ。俺は図画工作が死ぬほど嫌いだったが、中に入り、プラモデルを買った。モーターで動く車のプラモだ。田宮のプラカラーを5色も買った。筆も買った。うすめ液も買った。

4時間程の彷徨を経て、家に帰った俺は、家人のいない家で、1人プラモパーツの塗り絵に励んだ。初めて嗅ぐプラカラーの香りを俺は高貴に感じ、興奮し、たくさん吸った。俺がラリッた頃だろうか、家人と親戚一同が帰って来た。俺の兄弟と従兄弟は、たくさんの寺社仏閣グッズを手に持っていた。彼らの顔は幸せそうで、おみくじの話しを楽しそうにしていた。俺へのお土産はなかった。

俺は寂しさを感じた。ラリった頭で、背徳の香りを感じた。その後も従兄弟の会話に入り込むことが出来なかった。1人彷徨するんじゃなかった。家族親戚と一緒に行動するんだった・・・。
俺は孤独な流浪民の心境で、お汁粉を食べた。俺だけ餅が少ない気がした。

この年以来、俺は、正月が1番人恋しい時期になっている。だらしなく感じた男連中のダウナーな佇まいも、火花散らす女連中のアッパーな佇まいも、全てが許せる気がする。群れを離れて闊歩した時間の高揚感と、その後の落胆が、俺の情緒を育んだと思っている。群れにいたいと思う潜在意識を根底に刷り込まれている。

富山に来て13回目の正月を迎えようとしている。群れがある幸せを感じながら、群れに囲まれながら至福の時を過ごしたい。呑んでしゃべって、ごろ寝して、初詣に行く。読書だって、群れの中での単独行動だ。書きながら楽しくなってきた。神経をすり減らす人との挨拶だって、慶びに変えて、緩やかなな時間の経過を楽しみたい。1年の慶は元旦にある。群れの戒律の高圧感は緩やかな時間に中和され、気にならなくなっていくだろう。

大人になったな~俺。 年のせいだ。年の瀬だ!

2007年12月26日水曜日

コピーに見る世相

昔から、町で見かけるポスターなどに書いてあるコピーに、人一倍興味を示してきた。
俺が育った昭和の大阪では、今から思えば、えげつないコピーが結構あった。

犬の散歩中の糞に悩む家主は、広告の裏にマジックで、「くそ持ち帰れ! 犬をたおす薬まくぞ!」と書いた。松本サリン以前のコピーである。倒す相手ではない。

ヤンキーが店前でうんこ座りして、客にメンチを切りまくることで、健全な客が減った、ゲーセンの店主は、ダンボールに赤字で、「便意を感じたら店内へ!」と書いた。コンビニが便所を開放した先駆けである。利用率は低く、喫煙所と化していたが・・・。

アルバイトの人材に悩みを抱える町の本屋は、模造紙に一通りの募集要項を書いた後、下隅に色を変えて、「怒りを辛抱できる方求む!」と書いた。よほど嫌な辞め方をするバイトが続いたのであろう。「キレる」という言葉が市民権を得る前のことである。

小学校の友人の玄関前には、「ベル故障! ドーベルいます。」と書かれていた。ランボーみたいな体勢での不法侵入しか、彼の家には入れなかった。狂犬病がこの後流行りだした。

不審者が出没する事件が多発した時には、通学コースにPTA看板が立てられた。白地に黒字で影男の絵が描かれていて、その目は光っていた。「気を抜くな。奴が見ている。」 奴よりも看板の方が不審だった。この年、オカルト漫画が流行した。

大人になってからだが、スルメが土産品として名産の佐渡島で見た看板は、「スピード違反はするめ~!シートベルトはあたりめ~!」と書いてあった。看板全体がかもし出す雰囲気も平穏で、俺は島流しされたいと思った。この当時、駄洒落を言う大人が「オヤジ狩り」された。

俺が今までで一番好きなコピーは、実際に見たものではなく、東京の盟友に教えてもらったコピーだ。
東京近郊の岡っ引きのポスターのコピーだったらしい。銃器取締りのポスターに、岡っ引きモデル数名が写っていて、「俺たちみんな無鉄砲!」というものだったらしい。俺はこれを聞いた時、死ぬほど笑った。この岡っ引き集団の県では、蹴球技が盛んになり、その血の気の多いサポーターが時に暴動を起こすこともあった。しかし、喧嘩は全てステゴロであり、無鉄砲のコピーは浸透していたみたいだ。

コピーを専門にする人から、たまたま考えさせられた市井のおっさんまで、種々のコピーが生み出されてきたが、真面目に目を凝らしてみると、実に上手く世相を捉えている。今一番大事な問題を写す何かをコピーは無意識に内包しているのかもしれない。

秀逸なコピーは少なくなってきていて、手書きのコピー自体も少なくなってきた。しかし、探せばまだあるはずだ。目を凝らして街中散策をしたい。

今は環境破壊が大問題だ。自然志向、スローライフが叫ばれて久しい。ガソリン価格の高騰、枯渇が深刻化している。ハイブリットが緊急の問題だ。また、飲酒運転に対する厳罰化はさらに強化されてきている。車を捨て、徒歩の生活をすること。この両者が昨今のテーマなのかもしれない。

こんなことを考えていた、まさに今日、上記の無鉄砲を教えてくれた盟友が、またもや、いいブツを持ち込んでくれた。これも岡っ引きのポスターだ。

「飲んだら歩コール!」 ・・・ コメントはいらない。岡っ引きも粋なところがあるではないか。

お江戸の盟友は、岡っ引き業界で働くことになったようだ。彼が非難が多い業界に新たな風を送り、死後に、檄文となるようなコピーを生み出してくれるのではないかと考えている。世相を映す価値がある男だ。俺は岡っ引きが急に愛おしくなった。

彼の前途に拙コピーを送りたい。

「冬の 桜だ 門街の漢(おとこ)」    来春に桜田門で呑みませう!

2007年12月25日火曜日

最高のクリスマスプレゼント

びっくりした。チープハンズのサイトがリニューアルされていたのだ。

http://monkeypl.hp.infoseek.co.jp/

俺は真面目にサンタの存在を見た。サンタの橇を引くのはbambiだ。麗しき鹿だ。奈良公園にいるような、紙をも食べる、ヤギ化した鹿ではない。夢を育むディズ二ー世界のbambiだ。昔、日光いろは坂近くで、夜半に見た、目が光った神秘的なbambiである。(個人的見解で不明ですまぬ。少々取り乱している。)

冷静に書こう。

平成4年に結成したチープハンズが10年目を迎えた頃、俺たちの周りに電脳の媒体で俺たちを紹介してくださる、のぞき窓を作成してくださった方がいた。その名は、bambiこと、管理鹿様だ。このとき、俺は新しいおもちゃを与えられた子供のように夢中になり、毎日、そこでの掲示板なるものに書き込みをし、色んな方々との交流の時間を満喫した。全てが新しい世界で、無知の海原に放り出されたような状態であったが、俺は泳ぐための浮き輪をすぐに手に入れ、それに空気を注入し、快適な浮遊を楽しみ、6年程の月日が流れていた。海原で知り合う心ある生命体との無邪気な戯れを俺は満喫していた。いつしか、この至福の状態が当たり前になり、俺はネバーエンディングであろう妄想の中、この穏かな海を、無防備に浮遊していた。

今年になって、この愛おしき海原にクラゲが現れだした。チクリチクリと刺してくる、この無色透明な浮遊物は、俺の浮遊空間を台無しにした。海で泳ぐことが当たり前に思っていた日々が長かった分、俺はこの突起に溢れた浮遊物に戸惑い、そして、平穏な海の幸せが、当たり前でなかったことを知った。失って知る愚かさを露呈した瞬間である。

俺は平和を脅かすスパムという名のクラゲと精一杯戦った。駆除は出来ないが、輝きある海原を取り返したくて、練りに練った罵声の言葉を彼らに浴びせた。しかし、罵声は彼らの養分であった。奴らは横の繋がりを密にし、波状攻撃を俺に仕掛けてきた。

スパムに害された俺の活動水域は、死滅状態になりつつあった。膨大なクラゲの中で、俺は魂の叫びを1日2回送った。波に流された。クラゲが発生してから、俺は波に乗れなくなった。海原を溺れて掴んだ藁が、このブログだ。

俺は、チープの大海を逃げ、ブログの大海で泳ぎを見つめなおした。穏かで面映い海原に思いを馳せながら、日々の懐古を言葉に変換した。どんな状態になろうとも、チープの海原にいつか戻れる日々を夢見て、それまでは、ブログで泳ぎの技術を前向きに鍛えていた。

クリスマスの今日、bambi様は俺に新たな大海を与えてくださった。激流の邪悪な海の中を泳ぎ、日々濁流浄化の魔術を駆使しながら、俺に大海を与えてくださった。37年生きているが、こんな粋な計らいをクリスマスに受けたことはない。おまけに俺が、新しい海原で自立出来る様に、新しい浮き輪と、浮き輪を試すための簡易泳ぎ場も付録でつけてくださった。無償の愛の施し方は、CHRISTである。

チープの新しい海原は、WIKIという、深遠で、純度の高い洋である。俺のブログの湾は、洋に通じている。通路を遮るものはない。ただただ、そこを通る人々を暖かく迎えてくれる、紺碧の空海が横たわっているだけだ。

湾から海原へ・・・。船は筏で構わない。俺は少しずつ漕ぎ出し、相互の行き来を生涯かけて楽しんでいきたい。時に波もあるであろう。湾と洋のどちらにも魅かれ、中間でさまようこともあるだろう。しかし、それは最高の浮遊の時間である。幸せだ。

ここでは、俺は初心を忘れず泳ぎを見直し、毎日飲み込んだ海水を吐き出しながら、泡を残して生きたい。咆哮ではない。怨念はなく、遠吠えでもない。毎日の浪間に残る残像を形状化していきたい。

泳いだ後は、WIKIの大海で浮遊する。ぷかぷか揺れながら、大海の中で多くの交流を楽しみ、夜には湾に戻りたい。相互の行き来が可能な水路が与えられた今、最上の浮遊人になろうと思う。

抽象的な記述で申し訳ない。感謝の感情を的確に表現できる技巧上の言葉を俺は操れない。海の力を借りて、クリスマスのbambi様に感謝したい。いくら泳ぎに堪能なbambi様とはいえ、疲れたのではないかと思う。俺はWIKIの海洋美化に努めるので、定期的にバカンスを楽しみに来て欲しい。近代的な建物は出来ていないかもしれないが、疲れを癒す海の家は用意しておきたい。

そしてまた、チープは、良いライブで恩返ししたい。bambi様の好きな焼酎をたくさん用意する。酩酊した鹿様と、地上での会話を楽しむ時間も持てる日が来ることを楽しみにしている。つまみは馬刺しでもどう? 

サンタは存在する。しかし、東洋の海原で橇を引くのは鹿だ。

俺は馬タイプだ。馬は馬でも牡馬だ。牝馬は真面目に駆け抜けるが、牡馬は手を抜きがちである。受けた感謝を右から左に受け流すのも牡馬に多い。あまりに改善が見られない牡馬は去勢され、せん馬にされてしまう。宦官の偏った頭脳は、戦を巻き起こす。俺はまだ突起を欲する。

鹿様からのご恩を受けて、感謝を再燃する愚かな俺・・・・・。馬鹿馬鹿! 悪いのは馬だ。隣り合って冠を記せられる鹿の因果を、馬に成り代わりお詫び申し上げる。メリークリスマス鹿様! 

2007年12月24日月曜日

清い思い出

俺が学生時代、クリスマスイブという日に対する世間の胸の高鳴りは尋常ではないものがあったように思う。ちょうど、バブル全盛から崩壊に向けていっている平成の幕開け数年は、クリスマスイブには、全国の高級ホテルの部屋が満室で、予約は、半年以上前にしなければならないほどであったと記憶している。

半年前に高級ホテルを予約して、メリーな夜にはロンリーチャップリンになっている、素敵な若者も多数見受けられた。彼らは家族とでも宿泊したのであろうか?ミサである。

バイトでも、クリスマスイブの夜には、シフトの人員確保に苦労していたような気がする。用事がなくても、クリスマスイブの夜には、バイトに入れないという、しょうもない見栄を張っていた子も多く見受けられた。彼氏や彼女がいないのに、イブを空けて待っている若人の姿は、実に酢酸な香りであった。俺は1人残らず暴いた。クリスマス事変である。

俺の周りでも、イブだけは遊んでくれない男がたくさんいた。俺は、イブだとかいう行事に対して、心底軽薄感を覚えていたので、毎年12月24日は、しっかりとバイトをするか、残り物の男同士で飲むかをしていた。

男同士で飲むときは、わざとおしゃれな店に行って、カップルからの憐憫の眼差しをくらいながら、ワインが似合う店で、焼酎をロックでがぶ飲みしたものだ。洋風居酒屋で、数多い洋風メニューの中から、塩分がありそうな安いつまみを2,3頼み、長居する。大声で人生論を語り、別れる、切れる、こじれる、冷めるといった、カップルにはタブーの言葉を持ち前の大声で連呼した。そして、夜中の西大路を闊歩して夜を明かした。電信柱ごとに吐瀉物を残し、俺は縄張りを誇示した。

実にもてない男の構図に見えるだろう。しかし、実際はモテモテだったのだ。・・・・この行動こそが、ユーモアのある男の行動なのだよ。もてる対象は動物である。その日から、俺のアパート前には犬猫が集まりだした。偶然ではない。生類憐れみを受けた人間の記念日だ。(禁笑) 憐れみの効力は今はない。時代は変わる。徳川な思い出だ。

ある年は、男2人で、夜通しサイコロを振って、出た目が大きい方が勝つという博打を夜通し、酒にまみれながらしていた。一秒で決着がつく勝負であるから、明け方には、俺は相棒に、4億3000万円負けていた。彼には、俺の持っているCDを4億3000万円で買ってもらい、仲良く朝日を拝んで別れた。CDは、エアサプライだ。愛と夏の香りがした。季節はずれな思い出だ。

ある年は、コンビニでバイトしていた。夜中の2時に暴走族が四条通を走っており、俺は、店頭のSイレブンの旗を振って、彼らを応援した。すると1人のマスクをした族の奴が、俺の元にUターンしてきて、「乗れ乗れ!」と煽り、俺は素直に乗った。立派な一員である。(その後大晦日にもタンデムを経験してしまうことになる)Sイレブンの旗は、四条烏丸の交差点に捨てた。交差点で、俺はタンデムをやめ、彼らに、「無茶するなよ!」と、自分の無茶を棚上げし、粋なメッセージを送った。歩いて勤め先に戻る途中の風は、フリーダムであった。

店に戻ると、相性が悪かった、寺社仏閣巡りが趣味のシフトの相方が、阿修羅のごとき顔で俺に言った。「自分、いつか後悔するで!」 俺は、「すみません」と言いながら、廃棄の牛すじを食べた。歯間に詰まる獣臭さがフリーダムを壊した。2時間後に朝日を拝んで涙ぐみ、とぼとぼ歩く帰り道、俺は立ち放尿をした。朝日に向かって「馬鹿やろ~う」と、罵りの言葉を上げた。罵られる理由がない、全く持って迷惑なお天道様は、憐れみの雫を俺に垂らした。雫は髪を濡らす。少し白髪が増えたようだ。少し獣臭さがした。カラスの汚物だった。俺は野獣の仲間入りをした。実にビーストな思い出である。

ある年は、彼氏彼女がいない男女4人が、女の子の家で、自棄呑み会を開いた。男は俺と明君、女の子は、当時のクラスの女の子だ。俺と明君は、自棄にはなっていなかった。しかし、彼女たちは、少々恋心に傷を持つ二人であり、暴走気味だった。一生懸命俺が失恋の愚痴を聞いている間、明君は、武士と空手と、天下一品とオカルトとムーな話しをマイペースでしていた。チキンを食べて、弱弱しくなった俺と女の子2人は、ライオンのハートを持つ明君に食われ、彼のペースで夜は更けた。明君の天性の純真さに、俺たちはノックアウトされた。それで良かったのだ。朝になる頃には、俺たち3人の悩みは、明君のおかげで、どうでもよくなっていた。その3週間後、俺は中退願いを出しに、教授部屋を訪ねることになる。ロックアウトを自ら志願したのだ。チキンが自ら進路を決した契機の夜だ。チキンテイクアウトの思い出だ。

若者がイブを青春のイチャリングで謳歌している時、俺は上記のように謳歌した。俺の知らないところで膨れて弾けたバブルのような、浮世の満喫ではない。噛みしめて味があり、酸い甘いを全て内包した、夢のような時間であったと思う。俺の青春だ。今でも味は心の舌苔に宿っている。

イブは青春を振り返りたくなる日なのかもしれない。青春はイチャリングと共にだけあるのではない。清しこの夜に振り返る青春は、となかいの数だけある。となかいが運ぶ荷物は様々だ。となかいに乗った翁はいつの時代にも、やがて来る春の種子を届けてくれる。

俺は今の壮年時代を満喫している。数十年後に振り返った時、今の時代が舌苔に宿されているように、真面目な日々を過ごしたい。メリーな夜の壮年の吐瀉物は清い。臭いが見て欲しい。

メリーチルドレン

「最近の若いモンはなっとらん」という言葉は、ハムラビ法典にも載っているらしくて、いつの時代も同様の裁きがあったみたいで笑える。

今日は、進路相談を数件受けたのだが、俺の働く塾の最寄り中学は、恐ろしくレベルが低い。ここ数年、レベル低下が危惧されていた中学であるが、現中2生の2学期期末テストは、500点満点のテストで、4人に1人が200点を切る状態だ。中学2年生後半でも、マイナスが入った計算が出来ない子が多数いる。

学力の低下だけならまだいいが、聞くところによると、学級崩壊が顕著で、授業中に立ち回る生徒が普通にいるので、保護者が交互に監視に来ているらしい。それでも保護者に対して暴言を吐いたり、一向に改まる気配がないらしい。先生方も、効果のない注意をくり返すばかりで、心労がたたって、担任が1年で2回変わるクラスもあるみたいだ。

ハムラビの時代からあった、若い世代の様々な面での停滞を嘆く傾向であるが、どう考えても、今はちとひどい気がする。

反抗の示し方が、家庭や大人に向いていた時代を体感した俺としては、反抗する姿勢自体は、尊くもあり、健全な傾向であると思う。

しかし、今の子で、反抗心から問題行動に走る生徒は少ない気がする。単に、嫌なことがあれば、その時間を避けるために、悪気も悪意もなく、自分本位の行動に出るのだ。幼稚園児が、泣きたいときに泣き、暴れたい時に暴れるのと同じような、精神構造だと思う。
いや、幼稚園児でも、もう少し大人の目線や他の子達の目線を気にするので、自分本位の猫のような精神の営みが、彼らの頭を支配しているのではないかとさえ思う。

怒られても、怒られている理由がわからず、その場だけは少し収まるが、改善が見られない。そして、怒られたら、昔は、その相手を避けてきたものであるが、今の子は10分後には普通の状態に戻り、なついてくる。すぐに、怒った相手になついて来ること自体が、彼らが、怒られる意味を理解していない証拠だ。反抗心はない。内なる家と、外なる学校などの社会との境界自体が彼らには存在していないように思う。

家を1度離れた瞬間から、よそいきの顔を持ち、適度な緊張感を抱いて過ごしていた、わが世代と比較し、彼らは、誰に対しても、本心で接することが出来る分、良い面もある気はするのだが、あまりに幼い。彼らは、外界の中で緊張した時間を過ごし、家に帰って、「ふ~、やっぱ家がいいぜ!」といった感想を持つことはあるのだろうか?

思えば、今の子は、人前で緊張する子が極端に少ない。大舞台の発表なんかでも、堂々と力を出し切ることが出来る子が多い。この傾向は、松阪世代以降、特に顕著だ。これは、羨ましい限りだが、この長所を生んだ性質は、短所も内包している。

外部の人に対する、適度な視点と敬意とが、彼らの中には養われていないのだ。だから、自分が本能任せでした行動に対して、人がどう思うかということを意識しない。そのまま育ってしまうと、メンチ切りのケツエリ女王様のような、社会的裁きを受ける。自分の行動が起こす結果に対しての想像力がない分、起きた裁きには泣き出すことでしか感情を表せない。

緊張感は、第三者の目を意識することから生まれる感情だと思う。第三者を意識しない空間では、誰に気兼ねもしないので、緊張感は生まれない。緊張しないということは、今の子が、第三者を意識する視点を欠如している証拠ではないか?と思う。「誰がどう思おうと関係ない。」と開き直っているわけでもない。単純に無思想、無想像力に起因する、第三者視点の欠如だ。

「そんなの関係ね~」が流行しているのは、実に世相を現している。義雄さんのこのセリフには、強いロックな主張を感じる。開き直りによる、強い主張を込めて使うのならば、上記の言葉は素晴らしいと思うが、主張無きオッパピーは、海洋にも平和をもたらさない。当然、陸地に平和は来ない。義雄さんのこの言葉の意味を、吟味して、今の時世に対する警告と捉える子供はいないだろうか? いないだろう。絵的にとらえるだけだ。左利きが増えるだけだ。

学制による学年で、年相応な対応をしていたのでは、対応できない。年に応じた平均的な響く言葉を投げかけても、彼らには通じない。だからといって、大人が投げかけを放棄するわけにはいかない。キリストのような忍耐心を持って、彼らに継続して、響くまで同じ言葉を投げかけ、厳しく怒り、励まし、彼らに届くだけの言語力を、我ら大人は培っていかなければならないような気がする。

非常に恐怖を覚える昨今の子供にまつわる現象ではあるが、問題行動に走る子供がいる一方で、外部の人間を意識して、当たり前の対人関係をこなせる子達も、割合は少ないが存在する。その子たちから見た、同世代の現状は、どのようなものなのだろうか? その環境の中で、学級崩壊の中で、モチベーションを保ち、アイデンティティーを築き上げる過程は、稀有な純度を持っていると思う。

どうすれば良いかという結論はない。また、俺の視点が、単なる歴史上の一般的な反復視点のステロタイプなのかもしれない。個人的な見解は、しょせん、自己の体験との比較だ。科学的に比較対象を据えたわけではない。それに科学的な項目の統計が真実を表しているとは思わない。ならば、自分の見た視点で、今の世を危惧し、先達の大人として、主観的に暑苦しく行動したい。色んな大人のサンプルを彼らに見せることは大切だ。

冷静になる。

サンプルとしては、俺は危険だ。獣臭と仕返しの美学だけを子供に嗅がせるかもしれない。しかし、「目には目を、歯には歯を」の精神を思春期に持つことは、順調な成長の証だと思う。ハムラビの教えは、平等の教えだ。外界の相手との心の通う交流があり、素晴らしき人的交流の中での、熱いビンタの応酬を美化したものだと思う。メロスとセリヌンティウスとの関係に相似する。

今の子にハムラビの魂を彼らに宿したいと思うのは傲慢か? 危険思想か?自分の過去への懐古に伴う、価値観の押し付けか?

俺ごときが、今の子供に対して、真剣に自説を振りかざして、価値観を教養するのはよくない。ひたすら、俺は謙虚に彼らを観察し、彼らに精力の半分を捧げる。人の子であるにも関わらずだ。何が俺のモチベーションかはわからないが、青春時代に対する回顧から来る償いの意識からかもしれない

人間の罪を償ったとされるキリストは、2007年前の明日に生まれたそうだ。今日はイブだ。子供に対する訝しげな視点を捨てて、メリーに日々を過ごそう。子供はいつも快活だ。メリークリスマス、メリーチルドレン!

2007年12月22日土曜日

有馬記念

明日は中央競馬年末の祭典、有馬記念である。仕事があって、リアルタイムでは見れないが、楽しみにしている。今年は、買う機会こそ減ったものの、重賞レースは毎回追っかけてきたので、予想にも力が入る。

有馬記念は、年末の時期に行われることもあり、ギャンブル狂いのおっさんが、有り金全部を突っ込む可能性が高いレースだ。昔、中山で有馬を見たことがあったが、赤子を抱えたおっさんが、すごい怒声でレースを応援し、終了と同時に外れ馬券を空中に放り投げた光景が目に焼きついている。10万の投票券であった。その後、しばらくストーカーしたが、赤子を抱え、とぼとぼと歩いて行き、駅のベンチでうつむきながら腰掛けていた。間違いなく、逝ってしまったのである。

あの時の赤子はどうしているものか?有馬記念には、汚れ風味の親父がよく似合う。そんな気がする。

従来の俺の重賞予想スタンスは、こじつけ馬券であった。そのレースが行われる週の、世間的ニュースを冠した名前や色をもとに、ヒント読みしていたのだ。
しかし、9.11テロがあった年、俺は、マンハッタンカフェとアメリカンボスが来るぞ!と嫁に予告していたにも関わらず、馬券を投票ミスしてしまい、大万馬券を取り損ねたことがあった。それ以来、忌まわしいサイン読みはやめたのだ。

もし、サイン読みであるならば、(有馬)キネーン騎手が乗る、ロックドゥカンプであろうし、対抗はロックつながりで、ポップロック、サンツェペリンで勝負になるだろう。今回には限ってはありうる馬券である。

ロックな馬名は多い。重賞馬ではないが、ラッキーリップスという馬名もいた。こちらのネーミングのツボはパチンコであろうが・・・。

それにしても、昨年名を馳せたディープインパクトが出だしたあたりから、騎手の騎乗が、実に無難で、面白くなくなってきている気がするのは俺だけだろうか? 一か八かの乗り方をしないで、無難にまとめるので、えげつない伏兵が突っ込んでくる機会が少なくなった。全騎手が、無難な、馬主に怒られない乗り方を仕出したら、展開もくそもあったものではない。強い馬が勝つだけになってしまう。

人気薄の差し馬が、バテバテなるのを承知で、早めのロングランを仕掛けて、足が止まらない人気馬を煽る暴走族みたいなことをする。そうすると、むきになって人気馬も走り出し、共倒れする。その隙間を、余力たっぷりの別の追い込み駄馬が、直線勝負で、棚ボタ勝利を得る。こんな痺れるレースが減った。

それとか、行きたくて仕方ない人気馬の前をちんたら走り、人気馬の良い点である、長く良い足が使える部分をもぎ取り、彼にストレスを感じさせ、走る気を無くしてしまうような、悪魔のような馬がいたりする。昔、淀で見たときに、平場のレースで、後続をじれさせた馬の名は、マチブセだった。良い。

今年になって、初めて本命中心の馬券になってきているのは、上記の理由だ。騎手の魅力が減ったのである。上手い騎手が増えた分、ヤクザな乗り方をする騎手が減った。強い馬にはさからえないのが、今の競馬だ。

明日は、メイショウサムソン軸で、ポップロック、ロックドゥカンプ、の3馬で逝くつもりだ。サムソンは歴代名牡馬だ。配当は安いが2点買いだ。3歳牝馬は、おっさんおばさん馬の、過酷ないじめにあい、萎縮すると読んだ。
3歳名牝に注目が集まるが、俺は、ウオッカとダイワスカーレットは、来ないと思う。真面目に走るのはいいのだが、有馬記念は大人のレースだ。じゃりの出る幕はない。ノーリーズン!

忘年会に逝ってくる。いや、行ってくる。逝くのは馬券だけだ。俺は名牡だ。

2007年12月21日金曜日

ウコンと酒の関係

コンビニで売っている「ウコンの力」。 今年の夏ごろ、とある方から、「酒を飲む前に飲んだら二日酔いしないで」とお勧めされ、服用してから爆飲したら、確かに効き目があった。俺は魔法の薬を手に入れたような気になって、それ以来、日々の晩酌以外で、爆飲が必至な時には、事前に飲むようにしている。翌朝の体調はすこぶる良い。

だいたい、酒を飲み過ぎないようにするのが一番なのだが、それを予防してまでして爆飲する神経やいかに?? 酒を飲まない人には理解できない行動であろう。

俺は、家で飲む以外に、楽しくない酒は、外で飲まないようにしている。といっても付き合いが悪いというわけではなく、以前は、殆どの飲み会にも参加した。プライベートで深く関わりたくはない人との飲み会だって、以前は極力参加してきた。そして、酒の場でフランクに会話し、自分にはない価値観を持った人たちから色々なことを吸収し、時には噛み付き、濃厚な時間を過ごそうとしていた。

だが、価値観が合わない人たちとの飲み会は、疲れだけが残って、何一つ得ることがないことに気付いた。どちらがいいとかではなく、ある程度の歳を重ねてきた今、飲む相手を選んでも良いだろう?という気になってきた。参加せずに裁断しているのではなく、精一杯関わった中での判断であるから、ここ5年ほどは、自分が本当に参加したい飲み会以外は、断るようにしている。参加したくても参加出来ない飲み会の方が多かったが・・・。

自分の居場所が見えず、本心から楽しいと思えない飲み会に参加して、そこで神経をすり減らし、辛抱ならんで噛み付いて、大虎になって、酒の場での失敗をしたことから得てきた物も多いので、過去を卑下はしないが、不愉快な時間を過ごした翌朝の体調は最悪であった。そんな時に、冒頭のウコンがあったならば、どんなに良かったかと思う。

ウコンの効力を確認したように思った今年であったが、よくよく考えてみると、ここ数年というもの、不愉快な飲み会を経験していない。いつも楽しく弾けられるので、次の日に酒が残ることもなかった気がする。ウコンの効力を、実際には確認していないのかもしれない。やはり気持ちで酒は、消化具合が変わるのだということを改めて思う。今の酒環境は最高である。

それが、ウコンという媚薬を愛用して、それに胡坐をかいて飲みまくっては、何の意味もない。故はらたいらさんは、生前、ウコンをたくさん服用しながら、肝臓が原因で命を落とされたらしい。ウコンの力をしても、溺酒はやめられなかったみたいで、延命のためにウコンが一役買った程度で、効能は終わったみたいだ。きっと、精神的には、常人が計り知れない色々な苦悩があったのだろう。媚薬をたくさん服用して、結局は、媚薬の効用に関連する病気で亡くなるという、矛盾した大往生だ。

ウコンに限らず、サプリメントとして肉体を補うこと以上に大切なのは、精神の健康だ。今の塾で一緒に仕事をする相棒(前職では先輩)との、精神的な葛藤は日々ある。仲良しクラブではないので、前向きなぶつかり合いはたくさんある。正直、ここ数日は、相棒の狭量な精神が鬱陶しくて、不満が精神を支配している。しかし、勉強だけをしてきて、趣味も持たずに、ひたすら平穏な日々をすごしてきた理系の御仁であるので、典型的な文系人間の俺との間に、生理的な断絶があるのは、仕方ない。仕事が上手く機能しさえすれば良いのだ。この御仁とプライベートで、さしで飲んだことは1度もない。しかし、仕事での割りきりがなされている以上は、深く関わる必要はない。バランスは保たれている。

一時的に感情が揺れることはあるが、精神の深遠に踏み込むことがメリットになる相手とならない相手がいる。俺はそのへんの取捨選択に狡猾である。良いように解釈してキツネ道を究めたい。実に上手い付き合いかたを身につけてきたと思う。八方美人とも違う。しらけているのとも違う。一生懸命付き合って、わかりあえない人とは、メリットがある関係だけを維持するのが、賢者の選択であると思うのだ。
最低限の相手に対する敬意だけを持ち、それを正しい仕方で表していき、何より自分のスタンスがしかりしている限り、日々は安穏だ。

精神的な苛立ちを酒で緩和し、それが深酒習慣になり、酒で身上を崩すような事態になるには、人生はあまりに愛おしくて大切である。味わいつくさないともったいない。

俺は、嫁がいて、音楽が身近にあって、心ある友がいて、本当に幸せだ。目の前の日常で関わる相手だけが全てであったならば、俺はとっくに、毎日ウコンを服用していたであろう。精神的な平穏を与えてくれる、俺が好きな全ての人たちに感謝である。日々の短いスパンでの精神的な苛立ちは、たいした問題にならずに、賢く対処する充電時間を与えてくれる。

今日も酒が美味しい。

明日は、5年間ほど営業で勤めさせて頂いた会社の社長と、さしで飲みに行く。退職して7年になるというのに、忘年飲み会を企画してくださる。かなり高級な店に連れて行ってくださる。感謝の言葉が見つからないほど感謝している。
この社長様であるが、庶民の俺からすれば、手の届かない富裕層であるが、実に純粋で単純な御大で、ミーハー感覚にずれていない。辞めてから余計に、御大の人間性が好ましく思える。

忘年会という名の飲み会は今月4回目だが、3回はどれも楽しかった。それに、今年は忘れたいようなことは何ひとつない、愛おしい一年間であった。幸せな酒を満喫してきたい。

ウコンを飲んで臨まないといけない酒の場を俺は今後必要としない。しかし、楽しい酒でも酒量はそこそこ増える。臓器に対する労わりは大切だ。飲酒後に飲んであげようと思う。

ウコンは文字配列を変えると・・・???である。 排泄物を掌る肝臓と上手く付き合い、最高の年末を過ごしたい。

2007年12月20日木曜日

事故から1周年

昨年の12月20日、午前11時30分くらいに俺は正面衝突の事故を起こした。詳細は過去ブログに記しているので書かないが、早1年である。今日は11時30分を過ぎてから車に乗った。別に過敏になっているわけではないが、何となくである。

俺が事故を起こした同日に、同じく正面衝突の事故が1件、県内であり、その方は亡くなられた。遺族の方にしてみれば、1周忌である。被害者、加害者、遺族を含めて、色んな方々のこの1年を振り返った思いがあるだろう。

今日は風が強かった。遺族にとっての千の風が吹いた日である。

俺は幸いにして生き残っているから、今こうしてブログをしたためることも出来るが、1度の偶然で死に至った方々の遺族が、事故があった日を毎年迎える気持ちを鑑みると、思いは膨らむ。どんな気持ちで、事故日を迎えるのであろうか?事故に限らない。最愛の人との死別を経験した人が、その命日に思うことやいかに? 今日はそんなことを考えた。

学生時代に京都の旅館でバイトをしていた。その旅館は、修学旅行生を中心に商いをしていたので、この時期は、学生アルバイトは雇わないのだが、繁忙期に毎月29日は仕事していた俺は、憐れみを頂き、この時期、一般客だけで、実に楽な時期ではあるが、働かせてもらっていた。4畳ではあるが、マンションタイプの、タコ部屋というには綺麗な部屋も、タダで提供してもらっていた。感謝の念は消えない。

そこの旅館に、毎年年末から正月までを、子供を連れて宿泊される紳士な方がいた。俺は3年連続で、接客で関わったのだが、女中さんも含めて、旅館全体が、その一団と顔馴染みであり、子供さんの成長を旅館従業員一同が楽しみにしているような、常連客であった。京都とはかなり離れた遠方の方であったと思う。

女中さんが、俺が聞いてもいないのに、そのお客さんのことを教えてくれた。

聞いた話によると、そのお客さんが、毎年その旅館を訪れるようになったのは、最愛の奥様を亡くされた後からだそうである。生前の奥様との思い出の京都旅行で訪れた旅館が、その旅館であり、ちょうど、それは年末年始の時期であったらしい。奥様は生前、京都という場所が好きであり、その旅館に泊まることになった旅行も、奥様の発案であったらしい。

奥様を亡くされた後、ご主人は、子供を連れて、毎年、奥様の好きであった京都を訪れる。毎年来ているので、館内のことは良く把握されている。別荘のような宿を拠点に、毎年京都の色々な場所を、お子様と一緒に回るらしい。遺族の方々の表情は、明るくて、生の喜びを全身で表しているように見えた。今も、その旅館に来られることが恒例行事として続いているかは知らないが、俺は、この話を聞いた当時、深く感銘を受けた。

最愛の人を亡くした人の物語は、悲劇の数だけある。その悲劇が起こったカレンダー上の日も365分の1だけある。1年、2年と月日を経ていくにつれ、悲しみの強弱は変化していくであろうが、暦の日付に対する思いは、色あせない。

悲しみを全て覚えていたら、悲しみにつぶされてしまう。人を失った悲しみは、言語化できるものではないだけに、色々考えると発狂する。死というものに対する問いかけを、四六時中出来るほど、人間の頭脳は賢くない。だから、染みが消えていくように、悲しみが形を変えていき、周忌を重ねるごとに、優しい気持ちで、故人の生前を偲ぶことだ出来るのだと思う。先に述べた旅館を来訪する御仁の、故人の偲び方を尊く思う。

それぞれの人がそれぞれの思いを抱く、生死に関する日付・・・。厳粛な思いに立ち返らせてくれる貴重な日である。年々、穏かで、生かされているありがたさを、故人を偲びながら穏かに過ごして欲しい。

テレビ報道されるような、残酷な大事件で、最愛の人を亡くされた遺族は、穏かに過ごそうにも取材が来る。事件の解決を願った、被害者側の取材だが、被害者心理を想像するならば、そっとしてあげるのが一番ではないかと思う。実態の見えない死というものに、言葉、活字を通して向き合わされる被害者の心情を慮ると、マスコミの対応を惨く感じる。

事故で生きながらえた奴が、無神経に鑑みた思考の文章化である。だが、行きながら、生死に関して思考できる機会を嬉しく思う。俺の墓はまだない。私の前で泣く人はいるが、偲んではいない。現実的な涙だ。千の風にはまだならない。

2007年12月19日水曜日

O pa pe !

今日は休みだったが、久々に昼寝が出来なかった。しなかったというより、眠れなかったのだ。そのためか、今は少しぐずり気味だ。夜飯の大好物の「ぶり大根」も目を閉じて食べて、しばかれかけた。

今も実に眠たい。眠たいならばすぐに寝れば良いのだが、俺の場合は、こんな時間から寝ようものならば、問題がおきる。

22時前に寝床についてしまうと、必ず、2時前に目が覚める。覚め方は、うつつな感じではなく、ぱっちりと、爽快な目覚め方である。「あ~た~らし~い~あ~さがきた。きぼ~うの~あ~さ~だ~。」と、口ずさみたくなるほどの目覚めである。

目覚めが良ければ、起きたくなる。起きると腹が減る。夜中に家人が寝静まる中を、一階の台所に向けて歩き出すのだが、俺の足音はでかい。すり足が出来ない。すろうものならば、躓いて、余計に音を立てる。俺が階段を下りる前に耳を澄ますと、義父母の鼾と寝息が聞こえる。それが、俺が足を一歩踏み出した瞬間、息が止まる。

「ゴ~ッオ、フ~ 」と規則正しい音の繰り返しが、俺の一歩と同時に、「ッゴ!」と止まり、彼らは「フ~」とため息をつき、寝返りを打つ。どうせ、すぐにまた眠りに誘われるのであろうが、やはり起こしたくはない。

ならば、布団でチンとしておれば良いのだが、目覚めが快活な分、それは無理だ。静から動への移動は必然だ。音楽は聴けない。電灯もつけられないから本も読めない。仕方無しに、深夜にすり足で家内を闊歩する三十路後半の男・・・不審だ。我が家で不審者にはなりたくない。

いつ頃からかわからないが、長時間連続で睡眠できなくなってきている。若い時は、40時間ぐらい連続で眠っていて、空白の1日を過ごしたことがある。厳密に言うと、腹が減って、間に一回起きたのだが、手を伸ばした所にあった角砂糖をほおばってすぐにまた寝た。そして気付けば40時間経過だ。

40時間は極端だが、以前は、目覚ましがなるまでは、しっかりと連続で眠れていたのだが、おそらく20代後半くらいから、目覚ましが鳴る前に目が覚めるようになり、今は、6時間以上、目が覚めないということが無くなっている。

以前に、本で読んだのか、人から聞いたのかは忘れたが、睡眠には睡眠の体力があって、それが劣化してくると、長時間眠れなくなる。といったことを聞いたことがある。まさに今、俺はその状態だ。

年寄りが朝早いのは、早く寝るからだと思っていたが、そうでもなさそうだ。単純に長時間睡眠せずに目が覚めるのだろう。俺の睡眠体力は、早くも円熟の域に達してきている。不安だ。

睡眠のメカニズムは不思議だ。今の時間に寝ると、間違いなく2時には目が覚めることは先にも述べたが、逆に言えば、4時間は連続して眠れる。

しかし、昼寝の場合は、1時間きっかりで目が覚める。部屋を暗くしていたら、昼間でも、俺の睡眠神経を騙せると思っているのだが、奴は騙されずに、1時間きっかりで目を覚ましにかかる。

人間の体自体が、昼間起きて、夜眠る体内リズムがあって、それを睡眠神経を掌る頭脳の一部署は覚えているのかもしれない。昼夜逆転の生活をしている人は、体内リズムがきれいに逆になっているから対応出来るのだと思う。

俺が今から眠るのは、夜寝として扱うので、4時間は目を覚まさずにいさしてくれ、昼間の場合は、昼寝ということを感知して、1時間で目を覚まさせてくれるのであろう。人間の体の神秘だ。

夜寝とはいったものの、寝る時間帯が早いので、「これでいいの、こいつ?」ってな具合に、1度目を覚まさせてくれるのが、今の時間帯からの睡眠に対する、睡眠神経の気配りだと思う。気持ちはありがたいのだが、せめて、俺のベスト睡眠時間である、6時間までは起こさないで欲しい。

連続睡眠以外にも、最近は二度寝が出来ない日が多くなっている。1度目が覚めると、次になかなか眠れないのだ。だから、最近は、4~6時間の連続睡眠をして、2、3時間起きて、また2時間寝るといった不規則睡眠が多い。効率が悪いが、今の睡眠体系が効率的にくり返されていれば、これが俺の規則的な睡眠体制になる。睡眠神経に対する指令も出て、奴もそれに応じてくれる。

だが、なかなかに日々は手ごわい。睡眠神経が、せっかく快適な眠りを用意してくれていても、外部からの闖入者に対する攻撃は予期していない。深く眠る体勢に入った時の闖入者の来訪には、睡眠神経も対応しきれず、びっくりする。

今朝方、俺の連続睡眠が4時間にさしかかろうとする時に、携帯メールのバイブ音で目が覚めた。
「何だ!」と思ってメールを開くと、「Hey you!」と書いてある。英文メールだ。明君からかと思ったが、違った。明君は携帯のメールの術をまだ知らないはずだ。

人がせっかく、自分の中での規則正しい睡眠体系を作り上げたというのに、英文迷惑メールに阻害される。おまけに、知りもしない外人に「Hey!」で覚まされた日には、睡眠神経もご立腹のことだろう。

Hey が原因で今日は昼寝できなかったのだ。1度来たということは、間違いなく明朝も奴らは来る。俺には予兆できる。朝方にバイブ音と共に訪れ、悪漢小説の汚物のような文面を散りばめる奴が、憎くてたまらない。俺は強い男の子だから良い。しかし、俺の体内に鎮座する俺の睡眠神経が可愛そうだ。

俺は睡眠神経の憤りを慮り、「Hey」の野郎に 「O pa pe!」と返信した。解読して、更正して欲しい。
「omen parasite people」の略だ。

2007年12月18日火曜日

ハイル タクシー運転手!

いつもヤフーのニューストピックを流し読みする。しかし、あんまり青い所をクリックしたりしないのだが、今日は目に止まった見出しが2つあった。

「M.シューマッハ、タクシー運転が捜査の対象に!」
なんでも、飛行機の出発時間に遅れそうになった、シューマッハさんが、タクシーの運転手と交代して、自ら運転したというものらしい。当然、道交法違反にはなるでしょうな。警察が捜査に乗り出しているらしい。

F1ドライバーの動体視力とスピードに対する対応力が凄まじいのは容易に想像できる。俺は動態視力は結構あると思うが、スピードに関しては、へたれだ。バイクでは80キロを超えると、ちびりそうになる。車でも120キロ以上出したことがない。押し返すような風圧とハンドルの轟きに、単純に、びびるのだ。

昔、何かの雑誌で、F1ドライバーが、「数センチの隙間があれば、抜かせる」と言っていたのを読んだ記憶があるが、尋常ではない。

公道であるから、シューマッハの運転を見かけた人はびっくりしたに違いない。シューマッハ自体は事故を起こすことはなくても、恐怖や興奮で事故を誘発される方がいるかもしれないので、警察の捜査は仕方ないのかもしれない。

俺が気に入ったのは、シューマッハの運転を見かけた、同乗はしていないタクシー運転手のコメントだ。引用する。

ドイツ・バイエルン州のコーブルク郡周辺でタクシー運転手として働いているYilmaz氏は、「私の人生の中で最高のドライブだった。それに最速だったね」と語っていた。

実にクールで粋なコメントだ。「人生で最高のドライブ」とタクシー運転手がコメント出来るのは、国民的な懐の深さであろう。正直で、的確なコメントだと思う。

日本で、上記のような事件があったら、取り上げられ方は、もっとスキャンダルなものであったと思う。
「F1ドライバー、暴走運転で駆け抜ける!」とかいったタイトルで報道され、コメントも、「信じられないです。何を考えているのでしょうか? レーサーとしての資質以前の問題です。」といった、ヒステリックなコメントになったであろうし、上記のドイツのコメントは拾われたとしても報道されないであろう。

俺は、ドイツと日本の国民性は似ていると思っていたのだが、やはり、優劣は別として、コメント時に自分の感情を素直に、自分の尺度で語れるという点では、ドイツの国民性の方が、上手だと思った。

そんな感想を持って眺めたのが、次の見出し。

「町村官房長官 「UFOは絶対いると思う」」  これも引用する。

「うーん、まあ、あのー、政府のそれは公式答弁としてはですね、UFOの存在は確認していない。だから、対策なども特段検討していないという極めて紋切り型の答弁しかないだろうと思いますけれども、あのー、私は個人的には、こういうものは絶対いると思っておりまして。個人的な、個人的な意見でありまして、政府答弁は政府答弁であります。そうじゃないと、いろんなところにあるね、ナスカ(の地上絵)のああいう、説明できないでしょ。と、思っているんですけれどもね。」

薬害肝炎や年金問題についての質問の後の、このコメントだ。

個人的な感想は、「え~やん!」という好意的なものだ。立場をわきまえながらも、個人的な意見を述べるあたりは、俺は長官の人柄の良さを感じた。

町村氏に対しては、「目立ちたがり屋」、「腰ぎんちゃく」、「無責任」といった悪評が多いが、俺はそうは思わない。年金なんかは、野党が協力しないだけで、超党派で幅広く議論していくといったスタンスを、しっかりと答弁していて、なかなかだと思った。

政治家や官僚に対する批判をするのは簡単だが、批判するなら、政治家や官僚になればよい。政治家は、世襲はあるにしても、そういう星に生まれたエイリアンであり、勉強が出来た人間であり、庶民的感覚において、何か欠落する部分が多分にあるのは止むを得ないと思う。

国民からの税金を血税として捉えているような、庶民感覚を持った政治家や官僚がいたとしても、この世界で発言権を占めることが出来ないのが、このモンスターな世界だ。

庶民感情をわからない以上、ステロタイプな答弁で何が悪い!というのが、庶民の典型の俺から見ての、率直な感想だ。彼らが国民の生活を支えているなんて、甘えちゃいけない。見つかったら裁きにかけられるだけの、表向きの見せしめ良心は、政治家も持っているのだから、それで満足しないといけないのではないかと思う。期待しすぎだよ。

政治的無関心は良くない。彼らを監視し、少しでも良くなるように意見を上げていくのが庶民の役目であろう。でもね、庶民の意見が吸い上げられて、それが大きな力になる時、それは暴動になるのだよ。
暴動を経て、勝ち得た自由と平和が、やがてはまた、元に戻る過程を、歴史的に見てきた我らではないか?何のために歴史を学ぶのかね? 

あきらめとは違う。前向きな割り切りだ。悪い政治家が悪いことをしていても、暴動が起きる時よりは、死者は少なく、貧困にあえぐ人も少ないのが実情だ。

革命が起きて、平和が到来しても、それは恒久的なものにはならない。英雄は常に更新される。英雄の谷間で犬死にする人を踏み台にして英雄が生まれる。ならば、非難轟々の政治家ほど、可愛い存在ではないか?と思う。

体調不良を理由に総理を辞した安倍さん、里帰りのシーンを撮った週刊誌が批判していましたが、実に人間らしいと思う。

官房長官がUFOについての私的な意見を述べる。爽快に思う。人間らしさがある限り、国は大多数の幸福の元に回っていく。大多数にあぶれた人側の意見は、俺は知らない。機会は均等にある。どの立場に立つかを選ぶ権利は均等にあって、それをどんな原因であろうと選択、時には運命的な選択であっても、経てきた結果が今であるならば、せめて、毎日のお上のニュースは明るいものであってほしいと思う。

偶発的な天災で、家族を失った人が、天を呪うことを、長期的に肯定できるだろうか? ならば、どんな因果でも、自分の現況を政府に怒ることが出来るだろうか?

薬害問題の当事者が政府を呪い、彼らに憎しみを抱くのはわかる。しかし、当事者でないものが全てをひっくるめて、当事者感情に移情して、政治家を叩くことが、正義の行動とは思わない。

話しが逸れた。俺も移情している。極論であるかもしれない。

俺が言いたいのは、耳に心地よいことばかりを垂れ流す正義の味方こそ、無責任な人であり、彼らが到達する最終地点は、桃源郷だ。目には見えない。UFOと同じだ。見えない保証だ。UFOを信じるより難しい。

同じ見えないものならば、大義名分を捨てたコメントを吐ける人を、信じたいと思う。

あくまで、当事者としての自分の立場からだけ、物事に喜怒哀楽したらいいのだと思う。長期的なビジョンや、さかしらな頭脳は、生きている喜びを減らすだけだ。目の前の喜びに反応し、苦難が来たら、それを、しかと受け止めようと思う。(と言っても、その立場になったら、俺は世の中を呪うだろうが・・)

シューマッハの運転を見て、「人生で最高のドライブ」と、自分の立場でコメントできた、ジャーマン親父を見習おう。Heil Taxitreiber 

2007年12月17日月曜日

憩いを乱すキャッチコピー

毎日来るわ来るわ。経済活動の屁~みたいなスパムと迷惑メール。管理鹿さんが好意で作ってくださった、チープの掲示板に頻繁に来場するスパム君をはじめとして、とにかく奴らの攻撃はエネルギッシュだ。在宅ワークのつもりでやっているのかもしれないが、こういう負の埃を送信することを生業と趣味にしている人には、いつか裁きが来るだろうと信じているのであるが、それにしても迷惑である。

不特定多数に、屁~を送付しやすい環境が一番いけないのだ。カビが湿度を好むように、カビ以下の彼らを乾燥の刑に処す方法を、電脳が発達した今、その道のプロには考案して欲しいものですな。
送信先5割がメールを「不快である」と申告したら、彼らのメール一通につき、1000円ぐらいの「埃税」を課すとかの方法はないものか?といつも思う。消費税を上げるより国家予算が潤うと思うのだが・・。

当然、優良なメルマガや、善意ある方が迷惑を被る事例もあると思うので、そういう人たちには、ネット投票で救済措置を講じるのである。それぐらいしないと、埃は消えない。

俺は昔、ウイルスにしっかりと感染し、俺と電脳媒体で関わりのあった方全員にウイルスを自動送付した経験がある。ご迷惑をおかけした方にも関わらず、俺に色々な防御策を教えて頂いた方のおかげで、今の俺がある。

今は24時間パソマスクをし、消毒も週1でし、飛んでくる病原菌は寄せ付けずに裁断の刑にかけている。まだまだ無防備な点はあるかもしれないが、個人レベルでは標準的な防御策をとっていると思っている。

パソ上の埃に対しては、俺は最近は寛大だ。むしろ、奴らのタイトルセンスに笑ったりすることが出来るので、1日30秒の削除タイムは、そう苦にはならない。奴らも色々と考えているものだ。人間心理の隙間をついてくる。感心する部分もある。負の心理学のプロは学会にではなく、邪悪な奴らにあるのではないかとすら思うこともある。

数点、例を挙げる。

①親愛の情パターン
 「風邪は大丈夫ですか? by Momoko」・・・ 菊池桃子からこんなセリフのメールか?と思った阿呆は俺だけではないはずだ。親愛の情を表したタイトルは、虚構を瞬間的に現実に変換する作用があるみたいだ。桃子と俺はポスターでの交流だけだ。親愛は片思いだった。評価:ジキルとハイド賞!

②連絡パターン
「決定いたしました by 智美」 ・・・一度で見切るが、最初は何かと思う。智美という名前の方との交流がある方なら、同窓会か、忘年会か?と思う可能性はある。こいつの弱点は、決定告知を数時間、数日連続で送ってくることだ。日々にそんなに多く決定はない。評価:落ち着きましょう!

③切実パターン 
「怒らないで聞いて! by Seiko」・・・「俺って誰か怒らした?」って思い、宛名を見て・・・即削除。そんなブルーな感情を吐露されても、俺の知っている聖子は俺の実家の3階に住んでいるおばちゃんで、昔、俺が怒らした人だ。評価:青い珊瑚礁!

④漢字攻撃パターン
「=絶対安静= by 澄江」・・・これ結構好き! 名前と四字熟語が妙にリアルです。ただ、病に苦しむ心ある澄江を親族に持つ方に不謹慎ですな。お前こそ安静に!。評価:苦笑

⑤やけくそ、汚れ開き直りパターン
「Re: Re: Re:Re: 淫乱好きのあなたへ by父」・・・・タイトルもすごいが、発信人が父って・・・。どこの父がお子様とReを4発かましてまで、こんなタイトルでやりとりするねん! それに登録名「父」っておらんやろ?受けを狙ってるとしか思えないが、ただの変換間違えか? 評価:乳と間違えたでしょう?

⑥魂の叫びパターン
「ちょっと待って! by望月秀穂」・・・ 待ちません。評価:合掌!

⑦探偵パターン
「尋ね人 by search」・・・探偵が素人にヘルプ求めるな! 評価:さまよいましょう!

⑧一発芸パターン
「o(゜^ ゜)○ウッキー!! by青葉ゆうな」・・・タイトルにウッキ~は俺もびっくり!評価:枯れましょう!

在宅ワークのつもりでやっているのか、それとも、単純な愉快犯か、少なくとも生涯、生の接点を持たない人たちだと思う。心理学的なツボの推敲は認めるが、他にエネルギー使ったらいいのにな?と思う。

1人でパソコンに向かい、上記のキャッチコピーを、考えている人の姿を想像すると、本当に可愛そうになってくる。しかし、悪質なメールを見抜く技量が備わっていない、善良な人たちが上記のメールにひっかかるであろう場面を想像すると、やはり憤りを感じる。

人間が多少グレても、更正の機会があって、立派に全うな道を歩みだでるが、迷惑メールを送る人たちが更正することってあるのか?不思議に思う。

ヤンキーは、悪いことをすると社会的な裁きを受けて、そこで更正の機会を与えられるが、迷惑メールを送る奴らは、やりたい放題で、おまけに、収入を得る可能性もある。これは、許せない。

迷惑メールを送り続ける奴にわからないように、迎合ミサイルソフトを開発し、彼らが送った先の誰かが迷惑メールを開いたら、送信先にミサイルが飛んでいき、奴らの画面に巨大な「インケツ」の文字が出、奴らのパソを破壊するようなソフトは作れないだろうか?「インケツ告知」は警備会社と提携し、すぐに強面の警備員が飛んできて、警察に引き渡す。額に「インケツ」の刺青刻印を押す。懲役なんかはなくても良い。奴らに一番必要なのは辱めだ。人を辱めてきた罪の重さは、奴ら自身が体感しないと直らない。

散々、迷惑な経済活動を行わせて、稼いだ金を没収され、辱めを受ける。この処罰こそが、彼らにとってのウイルスだ。奴らは免疫はない。感染して苦しんで、復帰した暁には、社会復帰の場を与えてあげればよい。負のエネルギーに満ちた奴ほど、更正した時には、正のエネルギーをかもし出してくれると思う。更正の印にハトマークを再度刻印しなおしてあげればよい。

今、書いている瞬間に急に俺のパソ画面に新たな画面が立ち上がりだして、びっくりした。ミサイルを撃たれたのかと思った。

ウイルスソフトの週一スキャンタイムが始ったのだ。忘れていた。俺はスキャンの時間は1時51分にセットしている。「憩い」のごろ合わせだ。メールや掲示板は本来「憩い」の場であったのだ。そこに入ってきた奴らが憩いを乱す。真の解決策を乞う。

2007年12月16日日曜日

「王将」百景

わが住む町にも「大阪王将」が出来た。「王将」(餃子の王将)はだいぶ前にあったのだが、撤退され、わが住む県では、わが住む町から少し離れた、県庁所在地の市に1件あるだけであった。それ以来、「王将」で食事をするには、車を20キロばかり走らせなければならなかった。

俺の青春の味は、「王将」と「天下一品」にあった。2週間ぐらい、この2つの店だけで食生活を送ったこともある。美味しい店はたくさんあり、別にこの2つの店が今でも一番のお気に入りというわけではない。しかし、無性に食べたくなる時が、月に1回くらいはある。青春を俺は今でも引きずっている。

先月になって、近くに、待望の「大阪王将」が出来た。

「王将」と「大阪王将」は、「王将」が本家だ。京都発祥であり、俺の小学生時分には、大阪にもたくさんあった。それが、血肉の争いかなんかで、分裂し、「大阪王将」と「(京都)王将(餃子の王将)」に分かれたのではなかったかと思う。

俺が馴染みがあったのは、断然、本家の「王将」だ。2つの「王将」が存在することを知らない時代から、俺は「王将」を食している。中学・高校生の時に食べる「王将」の餃子とチャーハンは、それはそれは最高の喜びだった。

俺は、王将で、中国語の語感も初体験した。「ソウハンリャン、リャンガコウテイ~!」と言った、オーダーの通し方が、実にかっこよかった。

1980年代の「王将」の従業員は、とにかく、かっこよかった。俺は個人的に「王将」を「ヤンキー更正施設」と呼んでいた。滅茶苦茶悪そうな、辰吉丈一郎みたいな兄ちゃんが、それはそれは、見事な手さばきで、調理をしている。早くて上手くて、その調理っぷりのかっこ良さを楽しむのも、「王将」に行く楽しみであった。どう見ても、元ヤンキーの眼光を持っているのだが、こと、仕事になると、無茶苦茶出来る! 昔のヤンキーのかっこ良さに対する、人一倍の憧憬を持っている俺にしてみれば、男が惚れる男の職場だったのだ。

客でありながら、「食べさせていただいてます。」といった感じで、接客態度が良い悪いのレベルではなく、彼らが王将であった。

「ぃらっしゃい! 何しまひょ?」のセリフが着席する前に飛び交うのである。メニューを見て、「え~っと、」と言おうものならば、店員はどっかに行ってしまい、後から、おずおずと注文しに行かなければならなかった凄さがあった。しかし、不満はなかった。

たまに、明らかな味付けミスで、無茶苦茶まずいチャーハンが供されることもあった。しかし、俺はそれをありがたく食べた。彼らの調理姿を見ている時から、「おい! 今盛った調味料、さっきのより多いぞ!」と素人の目分量による発見をしたこともあった。しかし、俺はそれをありがたく食べた。

外れた時もあるが、当たりの方が断然多く、当たりの味は格別だった。仮に100分の1の当たりでも、俺は通ったと思う。

「王将」は食を提供してくれる王様であったのだ。それが、平成に入って少し過ぎたあたりから、どうも店員のマナーが良くなってきた気がした。元ヤン率は依然として高かったのだが、それでも、客に対するマナーが上品になった気がした。ちょうど、かっこいいヤンキーが少なくなったバブル後の時代と合致するのだが、その頃から、「王将」の店舗間の味のばらつきが、少しずつなくなってきたように思う。

バリバリのかっこいいヤンキーが更正し、一生懸命働く姿を見るのは、素晴らしき情操教育であった。それが、外食産業の標準化への道を辿りだし、やがて「大阪王将」の存在を知ることになる。

未だに本家の「王将」は、店舗間のばらつきがあるような気がするが、「大阪王将」は、レベルが安定していると思う。時代の正統派は「大阪王将」なのかもしれない。しかし、店内の雰囲気を含めた、全ての猥雑感の優劣は、「王将」に軍配を上げたい。俺の個人的な趣味だが、フランチャイズとして、味が統一されていることよりも、当たり外れがあり、店舗ごとの個性が強くにじみ出ていた、「王将」の創世記を、俺は高く評価したい。

わが町に出来た「大阪王将」には、まだ順番待ちの客が見えたので、行っていない。近々行くが、間違いなく、青春の味に近いものは再現してくれるとは思うが、作り手の姿、生き様をも食事中に体現してくれる、「王将」の輝きは、得られないだろうと思う。 厨房自体が見えない危惧もある。

身近な外食店の発展が、自分の成長のひとコマにリンクしてくれているのは嬉しい。思い入れがある分、昔の初期衝動の映像を、今も探し、それを外食産業に求めるのは酷だと思うのだが・・・。

改めて、職人が減ったな~と思わずにはいられない。職人のかっこ良さに対して俺が感じる、憧憬自体が、今の感覚からはずれていて、過去の美意識なのかもしれない。でも、輝いていたヤンキーと彼らが作る料理と、彼らが働く店全体のオーラを俺は大切にしたい。

昔日の王将百景・・・いつか再体験したいと思っている。残り香を求め、家族でにぎわう、わが町の「大阪王将」を近日中に訪れたい。中華レストランと化しているが、俺はメニューなどしゃらくさいものは見ない。入るなり「リャンガコウテイ」と大声で頼みたいと思う。中国語は知らない。不審な客に、店長、マネージャーの「2人の皇帝」が出てくるかもしれない。慌てず対応しよう。そこは「王将」だ。

2007年12月15日土曜日

わが町コンビニ百景

今日は、最近通ってなかった道を通っていたら、コンビニの新規出店3件を目にした。改めて、我が住む町のコンビに乱立を考えてみると、???を付けざるを得ない出店が目立つ。

俺の友人でコンビニを複数経営していて、商い順調な社長がいる。彼はSクスに加盟しているが、贔屓目ではなく、Sクスは、出店のセンスが良い。おまけに、商品の品揃えも、他コンビニの良いところを全て吸収していて、実にバランスが良いと思う。

俺が疑問を感じたコンビには、Fマートだ。断っておくが、たまたま、我が住む町だけの事例であろうし、Fマートに対する誹謗中傷ではない。デザートの充実度(最近、Sクスグループも一新して、素晴らしくなったが)に関してはFマートが群を抜いていたと思っていたし、今でも、特定のコンビニに偏らず、Fマートもよく利用する。

俺がFマートに疑問を感じたのは、この会社の戦略だ。7年ほど前ぐらいからだろうか、Fマートは、不採算店の撤収を急激に進める一方で、大型店の出店も加速した。
Fマートが撤収を始めた原因は、Sクスの急激な出店と同時期だ。つまり、Sクスに食われたのである。
これは、間違いなく事実だと思う。

これより以降、Sクス VS Fマートの仁義無き戦いのゴングが鳴ったように思う。

市場経済の中で仁義無き戦いを繰り広げていただくのは良いのだが、コンビニは直営店よりもフランチャイズが多い業界である。オーナーが選ぶ権利があるので、別に本部に責任はないのであろうが、それにしても、Fマートの市場調査、出店調査をしている人の判断は、素人目に見ると、かなりひどい。
(くどいようだが、全国的な事例かどうかは知らない。あくまで、我が町で我の目による判断だ。)

Fマートは次々と閉店→撤収する一方で、次々と大型店舗を開店させていく。問題は、その立地だ。
今日見た事例から言うと、半径1キロ以内に4つのコンビニがある地帯があるのだが、その内、3つがFマートである。紛れも無く抗争地帯である。

抗争の歴史を振り返る。最初は、従来の駐車スペース4台くらいの標準店舗のFマートがあった。その向かいに、数年前、Sクスが出来た。道を挟んで向かいである。カチコミを先にかけたのはSクスである。Sクスも悪い面がある。しかし、交通量の多い交差点に隣接する地帯であり、道を挟めば商圏が違うような気もし、別に戦の匂いを感じなかった。

その後、Fマートは、Sクスの近辺に2つの店舗を出し、合計3店舗になった。Sクスが王将ならば、詰むのは時間の問題である。半径1キロ圏内にだ。

スクラップ&ビルドは立派な企業戦略であろう。しかし、それは直営店が直営店をターゲットにした場合だ。フランチャイズでオーナーを募集する店舗であったならば、これは穏かではない。
フランチャイズのオーナーは、商売上のノウハウと商品供給の恩恵を高いフランチャイズ料で支払う。
そして、紹介される先が、企業同士の抗争店舗であったならば、穏かではない。

上記の事例は、一箇所ではない。複数あるばかりでなく、喧嘩をしかける相手もLソンであったり、SクルKであったりする。SクスとSクルKだけならば、はっきりしているが、複数のライバル相手に対するカチコミであるならば、Fマートは、少し血の気が多すぎないかと思うのだ。

俺が見た事例の店舗が直営店同士であってくれることを願う。商売に失敗して路頭に迷う人を見るのは、他人事ながら気が滅入る。

Lソンは実に堂々としている。また、我が町には、Sブンイレブンいい気分 は進出してこない。王者が入ってこないのは、ここが、仁義無き戦場であるから、傍観しているだけに思えて仕方がない。

たまたま、Fマートの事例を槍玉に挙げたが、コンビニ業界の戦いは熾烈である。

冒頭で述べたように、俺の友人はコンビニ経営に成功していて、勝ち組だ。ひどいオーナーもたくさん見かける一方で、友人が成功しているのは納得だ。オーナーの力量がまずは優先される世界だ。

だがだが、コンビニ業界の本部の企業モラルは、893の世界と同系列以下であると思う。893が日陰のレッテルを張られている分、コンビニ業界の方が悪質だと思う。

どの世界にも仁義無き戦いはある。眼鏡業界も、全国に「眼鏡ストリート」を数多く作っている。しかし、眼鏡業界は、扱うものが特殊であるだけに、古書街の神保町みたいに、納得できる部分もある。
コンビニは、昭和の時代の「町のパン屋」の延長だ。昭和の時代に、「K戸屋」の横に「Y崎パン」が3件乱立するというような事態があったのだろうか? おそらく皆無に近いと思う。

縄張り争いが可能な資本主義社会であるが、商いを行うのは人間だ。組織の前に人間だ。まして、コンビニはオーナーの生活を応援する企業倫理が必要なはずだ。Fマートどうなん?って思いたくなる出店は、個人的には良い気がしない。

俺は、Sブンイレブンいい気分、SクルK、Fマートの3つのコンビニでバイトをした経験がある。今ほどのハイテクな展開を見せる前の萌芽期のバイトであったが、また、そこで勤勉に働いたとは言えないが(これについては触れない)、やはり、商品内容、従業員の教育、顧客本位主義という点では、Sブンが一番秀でていたように思う。彼らが、我が住む町に進出しないことを良いほうに解釈している。

ただでさえ、季節感、特に年末年始の風物感が無くなった原因は、24時間、365日営業のコンビニ業界のせいであると、個人的に思っている。

無謀な出店をする金があるならば、儲け時の年末年始を休みにし、休業補償をオーナーに与えるくらいの人間味が、経営者にあってくれないものか? 幼少時の、お年玉をもらっても使う店がなかった3が日を懐かしく思うと同時に、その時代にあった資本主義の中の暗黙のルール・・・。暖かみを感じるのは加齢によるものか・・・。

偉そうに書いているが、今やコンビニ無しでの生活が俺に考えられるかといえば否だ。何も考えずに、「あなたとコンビニFマート」していけば良いのだろう。

俺も将来的に、コンビニ経営をすることになる可能性がゼロとは言い切れない。コンビニ業界を取捨選択し、付き合っていくことがあるのかもしれないが、1つだけ言えることがある。独断の意見だ。

乱立の抗争に巻き込まれて被害を被った店舗で俺は金を落としたい。Fマートのオーナーには罪は少ない。本部に対して俺は言いたい。

「あなたとはコンビにならない。」

※ Fマートに関係がある方で、気分を害された方がいましたら、反論をコメントに!反論もコンビニエンスな世の中ですよ。

2007年12月14日金曜日

天童と戯れた物語

前の会社の話である。塾業界では、非常勤が多い。今の俺の働く塾でも非常勤を1人雇っている。

非常勤なるものを使って月謝を頂くことは、本来は好としない。うちも、来年度には専任講師のみで、回していける時間割を組むが、大手になると、どうしても非常勤に頼らざるを得ない状況が生まれる。

1人の専任講師がどんなにフル稼働したところで、塾の授業は夕方からである。中学生以上の授業を開講するためには、一日3コマが限界である。3コマ自体が、無理があり、だいたい中高2コマと小学1コマが日々の物理的制限だ。その中で、生徒数が増えるほど、1つの学年のクラス数が増え、必然的に指導科目数が減る。

例えば、英語と国語を中1から中3まで1クラスずつで展開できる生徒数ならば、3日間で足りる。1日2コマずつで良い。しかし、上記学年が1クラスずつで運営しているようでは、塾経営はなりたたない。
開校半年ちょっとの我が塾でさえ、中1が2クラス、中2が1クラス、中3が3クラスである。この時点で12コマ、つまり、6日間確定である。

うちは、高校に隣接しているので、高校生のコマを、17時から開講できるので、1日3コマ組めるため、中・高と担当できるが、この先、生徒が増えたら、どうなるかわからない。学年枠を取っ払ったレベル別クラス編成も考えているが、まだ思考段階である。

英・数・国だけの開講で良いならば、なんとか時間割を組めるのだが、中学生の社・理、高校生の古典・物理・化学等の科目も需要がある。そうなると、非常勤の出番だ。

非常勤にせずに専任で雇えば良いじゃないか?という疑問がわきそうだが、社・理・古典・物理・化学に関しては、需要を考えたら、学年も受験学年の少クラスだけに限られる。おまけに、上記の強化を全て1人で指導出来るほどの人材は少ない。そうなると、週あたりの担当コマ数が、主要教科と比べて少なくなり、とても、専任に出来る需要がなくなる。

大手は、色んな校舎を移動させて、少ない講師で需要をまかなうが、個人塾の場合、コマ数が少ない人を専任に抱えるほどの余裕は無い。そこで、やはり、非常勤の出番だ。

俺が出会った非常勤は、概して非常に優れた人材が多かった。非常勤をバイトとして割り切っていながらも、責任感と生徒に対する親愛の情を持っていた人が多かった。良い非常勤の条件である。
教科に対する専門知識よりも、人間としての懐の深さがある若者は、概して生徒受けも良く、指導技術も格別に上手いわけではないが、気持ちが伝わるのでクレームは無い。

しかし、ひどいのもいる。ひどいのに限って、自信満々で、教える仕事を将来の生業に企んでいる学生であった。彼らの特徴は、視野が狭く、非常に薄っぺらい。

20歳前後の若者が、受験問題が解ける解けないのレベルで悦に入り、年下の後輩に勉強が出来るということだけで、尊敬の眼差しを得ようとするものだから、とにかく痛い・・・。
「俺はどんなにすごいか、今は、たいした大学に行っていないけれど、頭がいいんだぜ!」といったアピールがひどいのである。俺の前だけでしてくれるなら、右から左へ受け流すの刑で済むのだが、生徒にアピールしたがる。実に痛い。

前の会社では、痛い非常勤でも使わなくてはならないぐらいの人材不足であった。痛いは、おだてには弱い。俺は、生徒からの多少のクレームは、他科目でカバーすることを誓い、痛い非常勤(21歳)に通常授業を任せたことがあった。

彼はいつも自信満々で、毎回授業が終わるたびに、「僕の今日のプリントやばいっすよ。こんなの他塾ではありえないです。(※注: やばいというのは、「すばらしすぎて怖い」という意味である。)といったことを俺に言ってくる。また、「すみません。前のA中の期末テストの問題、ほとんど当ててしまいました。長期的にみたら生徒のためにならないっすよね~。」と言うこともあった。生徒が当てたであろう問題に対して得点していなかったことには、ここでは触れない。それに、当てたのであれば、謝ることではない。奴らの「すみません。」は、根拠のない、自信のアピール開始の合図だ。

俺は、若気の痛さに対して寛大だ。俺は、彼にこう言う。

「さすが、~君やな。君がおったら、この塾も怖いもんなしやで。今後もよろしく頼みますよ。
それにしても、~君は、頭が良いよな~。俺なんか、アホ丸出しやで。羨ましいわ。きっと中学、高校とエリートやったんちゃう?」と、適当なことを言って、奴らを悦に入らせ、早く気分良く帰ってもらおうとする。

俺が心にもないことを言うのを、軽薄な社交辞令と見抜く眼力があるような奴であれば、すぐに会話は終わるのだが、彼らに限って、間に受ける。俺の軽薄セリフにも罪がある。しかし、俺は若い頃から、大人の自分に対する評価の本気度は、本能的に察知し、至らぬ部分を、なにくそ! と励みにしてきたので、奴らの感違いのツボがわからない。

若気の至り君は、俺の「帰れ」の合図である、社交辞令を真に受け、さらに、俺に物語を聞かせる。

自称スーパーエリート、天才の名は町内でも有名で、地方の並大学に通う今も、教授からの注目度がすごく、おまけに、スポーツ万能で、女もたくさん泣かしている。コンピューターを初めとする知識も優れていて、今は税理士の勉強もしている。海外の新聞を毎日読んでいて、語学は堪能だ。

実に素晴らしい自慢である。さらに彼は続ける。(    )は俺の心の中のツッコミだ。

「俺、太宰好きなんっすよ。ていうか、俺日本語の素晴らしさを太宰から教わりました。まえけん先生も読んだほうがいいっすよ。彼の文章は悲しいっすよね。(え??)」

俺は、太宰の文章を悲しいと思ったことはなく、ユーモアしか感じないので、この話題がきつかった。
しかし、軽薄にさらに返す。 「~君は、日本語能力がまず、素晴らしいもんな~、俺の代わりに英語と国語教えるか?」

彼は返す。「あ、いいっすよ。ていうか俺、今の子に(お前もや!)国語って一番大切にして欲しいんですよね。俺、今やから言いますけど(いつでも言ってよい、今を選んだ理由がわからん!)、実は文系科目では東大狙えたんですよ。(どう間違ってここにおるねん!)」

俺は面白くなってきた。彼に若気の至りフルコースを味合わせてあげようと思い、仕事をしながら、数々の美辞麗句をおつまみにして、彼にふった。至れり尽くせりである。

「東大?? すげ~、俺に色々教えてや。高校の時からそんな凄かったん?」

彼は答えた。「地理は模試で全国一位とったっす。高校でも、教えることはないって先生に言われていたっす(見切られたのよ!)。ていうか、(どんな逆説じゃ!)俺の親戚は、県内の実力者が多くて、政治家に担ぎだされるかもわからないんっすよ。(行け行け~!)」

分裂気味の彼の話は続く。ひたすら自爆の道へと向かいながら・・・。カウントダウンは勇み足だ。

「俺、自慢みたいで嫌なんっすけど(ならすんな!)、まえけん先生やから言いますが、小学校の時から天童って言われていたんっすよ。勉強できて、サッカーも代表になるくらいで(小学校のね。12人中11人目に入ったんやな)、おまけにこの家系でしょ(俺はお前の家系を知らん)。つらいっす(つらい時は笑わず泣こう! お前の今の顔、。( ̄ー ̄)ニヤリッ   やんけ!)」

俺は、彼の長い話にうんざりしていたが、最後のセリフを聞いたときに、付き合った甲斐があったと思った。神童という言葉は知っていたが、天童は知らなかった。よしみか!珍島物語か!

こういう珍ドンと接点をもてるのも、塾業界の楽しみである。若気の至りにしては、海も割れんばかりの破壊力だが、どうせ、大海が彼を淘汰するであろうから、今は、珍島が繋がる日々を心待ちにしていてください。

俺も若い頃は生意気で、痛かったんやろうな~と思っていたが、俺の若気の至りなんて可愛いものだと思えるひとコマでした。よしみ! ありがとう。 

2007年12月13日木曜日

北にまつわる戯言

仕事の帰り道、堤防の道を5キロほど走るのだが、最近は、よく後続車両に追い抜かれる。俺が特に遅いわけではない。60キロぐらいで走っているだけだ。

追い越しをかける奴らは、すごいスピードで接近してきて、早く抜かせばいいのに、わざと数百メートルは、あおってくる。後ろでいらいらしているのがわかるので、俺は左にウインカーを出し、奴らを抜かせてあげる。俺は心でつぶやく。 「ピースマークを贈るぜ!」

前を40キロぐらいでちんたら走っている車とよく遭遇する。昨年前での俺ならば、ハイビームにしたり、車間を詰めたりして、間違いなく精神的苦痛を植えつけてから追い越していた。
今年は、低速の車を見かけても、きっちり車間距離をとって、鼻毛でも抜きながら、鼻歌を歌いながら、快適なドライブを楽しむ。

一昨日、嫁を会社に送っていく時に、前でぐずぐずしている車を見かけた。右折するのかせんのかはっきりしない翁の車だ。昨年までなら、クラクション攻撃をかました後、窓を開けて、唾を吐き、「ぼけ~!だぼ~!」と捨て台詞を吐いていたものだが、今年の俺は違う。 じっと止まり、彼が気の済むまで動向を見守った。嫁が驚いていた。「いらいらせんようになったね。」と言っていた。

今年になって、格段に運転マナーが良くなった。まず、車内で新聞を読まなくなった。昨年までは、新聞を運転しながら読み、運転しながら新聞をめくり、几帳面にめくった紙面の折り目をただし、競馬予想も走行中にしていた。もちろん馬柱に印をつけながらの運転だ。論文を書きながら運転していたこともある。

去年までなら、吉野家の牛丼は車内で食べていた。走行中にだ。俺は、走行中に箸を使いながら、平気で食べていた。

去年までなら、360度よそ見をしていた。よそ見をしながら、運転中にスーツから私服に着替えたこともあった。ズボンを履きかえるのは難しかったが、それでも、止まることはなかった。今年は180度までのよそ見である。それも、一瞬のよそ見である。

去年までなら、黄色信号は、「まだまだ行ける。」、赤信号は、「注意して渡れ!」という、浪花の負のスローガンを地で行っていた。今年は、確実に止まる。

全てが全て、事故のおかげだ。昨年末の事故に対する感慨と感謝は、過去のブログでも多く書いてきたが、今まで、上記のようなヤクザな運転マナーで、加害者にならなかったことを、改めて感謝する。

鉄の塊は凶器である。凶器を振りかざしながら、風を切っているという意識が、自然に起こってきて、細心の注意を払うようになった。良いことだ。凶器を走らせている時に、携帯を使うのも芳しくない。まして、2チャンネルなんかを見て運転している奴なんかは、吐き気がする。やめたほうが良い。俺はアドバイスを贈る。2チャンネルを見ているのがなぜわかるかは、ここでは触れない。品行方正な俺の都合だ。

田舎は老人が元気である。毎週のように、高齢者が轢かれている。その過半数は、老人という性質上、死んでいる。なんせ、平気で右に寄れたりしてくる。危なくて抜かせない。耳が遠いとか色々要因はあるのであろうが、彼らの一番の欠点は、My way 意識が強いことだ。迷わずに自分の道を歩いてくれるのは結構だが、物理的な道を歩いてほしくない。国道や県道を縦横無尽、斜めも駆使して、自分のペースで歩く。おまけに、夜でも外出する。黄昏時は特に怖い。家路の最短距離を歩こうとするからだ。おまけに自転車も駆使する可能性が高い。少しマナーの良い翁でも、手を地面と平行に出すと同時に、出した方向によれてくる。目視も、後方確認もあったものではない。

昨年までの俺のような運転であったら、彼らをKISSやAC/DCの世界に誘うのは時間の問題であったろう。今になって、過去の運転マナーの悪さに驚愕する。

品行方正となった今、恐れるものは何もないのかもしれないが、12月は俺の中での危険月だ。
今までの怪我という怪我は、全て12月である。

中2の時に、田んぼでラグビーをしていて、転んで、右手の中指がグーとは逆方向に曲がったこと。20歳の誕生日にヤクザのベンツに原付バイクで突っ込んだこと。その2年後に交差点で、ヤクザっぽい車の側面に出会いがしらに突っ込んだこと。工場でコンクリートが太腿に落ちてきたこと。吹雪の中、用水に落ちたこと。そして、昨年末の正面衝突事故・・・。全て12月の出来事だ。

そして、さらに気が付いた。上記の事故は、偶然とはいえ、全て北向きで起こしているのだ。北は俺にとって鬼門だ。そういえば、側面衝突した事故の相手は、喜多さんだった。喜びは多くない。冥土の五十三次に同行したくない。

よくも、ま~、死ななかったことだ。しかし、次に起こす事故は、俺の中で臨界点を突破する気がする。
穏かに、自らの怠慢が事故を呼び込むことがないようにしたい。その上で、俺の体に雷が落ちてくるような事故があるならば、それは天命だと受け止められると思う。

事故について色々思索をめぐらせながら、今日の帰路を北向きに走っていたら、曲がる道を忘れていた。過ぎてから気付き、公道の途中で、南にダイナマイトユーターンをした。あれほど、運転マナーがよくなったな~と、感慨に浸っていたのにだ・・・。 鬼門はまだある。

俺は方角フェチではない。しかし、北向きの時には特に注意しようと思う。  キタ━(゚∀゚)━!

2007年12月12日水曜日

チープ再始動!

来年2月の連休に、チープハンズ、超久々にリハをする。そして、来GW以降から本格復帰する予定だ。明君の復調がほぼ大丈夫とのことで、ふれでい、志知君に今日、連絡をとって、いよいよ動き出したという感じだ。

俺の曖昧な記憶を辿ると、昨年のGWのライブが最後のライブであり、その時は、明君が参加出来ず、福井在住の「ガンジーパンクス」こと田邊氏をベースに加えてのライブだった。

さらに遡ると、その前が一昨年の年末であり、その時は、志知君が病に臥していて、ドラムに、「裁き人」こと、GOD氏を迎えてのライブだった。

さらに遡ると、一昨年の前の年の年末は、明君がスキー実習の引率に行かなければならないことを2週間前に告白し、急遽、「低音グルーブ請負人」こと、ビタミン氏を迎えてのライブであった。

まともにフルメンバーでのライブが定期化していた日々から、数年の月日が過ぎていた。

特に、志知君が生死をさまよう手術から復帰を遂げた矢先の、明君の会津引きこもりは、俺自身、すごく堪えていた。タイミングの悪さを呪ったりもした。

今日、志知君と数年ぶりに電話で話したのだが、明君の復帰を告げると、非常に喜んでいた。「不思議と、ベースを変えて新メンバーでやろうとは思わなかった。」とのことだ。同感である。

平成4年に思いを馳せる。

ある日、神の啓示のように、当時、今の俺ぐらいのテクニックしかなかった、後輩のふれでいを俺は誘い、本職でないリズム隊を誘って、立命の定期演奏会に出たのが、チープの始まりだ。

その後、一度組んでいた、明君と志知君を誘った。明君はその当時から、会津オーラを出していて、北斗神剣が得意だった。志知君は、当時、引きこもっていて、1日の半分をゲームに費やすような生活を送っていた。俺は当時、・・・・、言いたくない。ふれでいだけが、唯一堅気であった。

俺は、組んだ当初から、「このメンバーで死ぬまで一緒にやる気がする。」という、確信を持っていた。

この時以来、俺の青春はチープと一緒にあった。嫁と知り合う前日も、親父が亡くなる前日もチープのリハがあった。俺が富山行きを決断した時、最初の危機を迎えたが、その後3年間ぐらい、月一でライブを出来た。

明君が福島に帰る時に、第二の危機が訪れたが、活動拠点を下北沢に移して、月一ペースで出来た。

他のバンドがどうであるかは知らないが、俺らは、プライベートでは殆ど連絡をしない。交流も殆どない。ところが続いている。

やはり縁だ。思えば、俺と明君と志知君は、大学のクラスが一緒だったのだ。簡単にクラスが一緒と言うが、立命の英米文学クラスは、当時は3クラスに分かれていて、1クラス40人であった。文学部という性質上、女の子の割合が断然高く、男は15名足らずであった。その中の3匹が、同じバンドを組むのである。これを縁と言わずしてなんと言う!

クラスに明君がいて、彼が俺を誘ってくれて入ったサークルで、1年後にふれでいが入学してくるのだ。
俺は、明君がいなかったら、別サークルに入っていたかもしれない。そうなれば、ふれでいとは、未だ会わずじまいだろう。おまけに、ふれでいと出会う前に、俺は、ふれでいと、ひらがな表記で同姓同名の御仁と組んでいたのだ。これを縁と言わずして何と言う!

縁が取り持った4人で、多くのライブハウスに出た。東京、大阪、京都、名古屋とたくさんのライブをし、学園祭や、服部緑地での野外ライブもした。メジャーのオーディションの最終選考のライブも経験した。
色んな心ある対バンと、ファンとも知り合えた。色んな人との縁が、全て、チープ結成を端緒としている。

たかが、アマチュアバンドの1つの歴史に過ぎないが、俺には愛おしい歴史だ。安易に語りたくはないが、再開が決まった日に嬉しい感情を書くのはブログの性質上、清いことである。

再開するのだ。リハ後は、メンバーの時間が許す限り飲みたい。思えば、メンバーでゆっくり飲んだことって、記憶にないくらい少ない。だから良いのかもしれないが・・・。

俺は富山での「ほうるもん」もずっと続けていく。こちらの縁も、長い時間をかけて発酵させていきたい。

「ほうるもん」で音楽が出来るののも、「チープハンズ」という皇后とめぐり合えたからである。
「ほうるもん」は中宮である。言ってみれば一夫多妻である。

2人の妻に優劣はない。精神的比重の大小もない。光源氏のように精神的な偏りではなく、物理的な環境下に応じた、愛する対象である。

今の世の中で一夫多妻を出来るのは、イスラームであろうか? 

何を大げさな・・・。 たまにはいいだろう?  

いつもじゃ! 

1人突っ込みも嬉しい時の特長である。再開するのだ。音楽的な縁に感謝だ。

余談だが、悩み多き、明君はこの前の電話で言っていた。

「けんじ~、けんじは人間関係上手いよな~。俺はいつも衝突ばかりで、この前はインド人と口論になった。」と言っていた。

インド人との人間関係は俺はまだない。あるのはイスラームなバンド関係だけだ。宗派が違う!

2007年12月11日火曜日

a lily of the valley

a lily of the valley  「谷間の百合」 ・・・「すずらん」である

実に綺麗だ。人間にとっての有毒物質を内に秘める植物であるにも関わらず、花言葉は、「幸福が訪れる」、「純潔」「純粋」であるらしい。

花、語感、内包した特性と意味、全てがたまらなく好きだ。

話は変わる。

夕食時にテレビを見ていたら、英会話学校講師リンゼイ・アン・ホーカーさん殺人事件 に関する報道がなされていて、容疑者の変装合成写真がでかでかと出されていて、所轄署からの情報提供募集の案内が流れていた。

生きているのかどうかはわからないが、この手のニュースにはつきものの、「元敏腕刑事」による容疑者の潜伏予想がなされていたが、テレビで予想する時点で、裏があるとしか思えないですな。

容疑者は友人の証言によると、「都会での生活に憧れていた。」とのことだった。敏腕刑事は、「犯人は都会に紛れて生活しているに違いない。生活力があって、普通に働いている可能性もある。」とのコメントを残していましたが、当たり前ですな。

これだけ報道されて、都会にいたら生活力あるに決まっているし、都会にいるかいないかは2分の1やし、テレビコメントとしては、あまりにお粗末すぎて、何か裏がありますな。

容疑者が都会で生活しているならば、テレビも見るだろうし、大方の予想を裏切らなくてはならないと思うはずである。容疑者のあぶり出しに、敏腕刑事が借り出されて、コメントをしたとしか思えない。
そうじゃなければ、実にごきげんなコメントだ。

犯罪、それも人を殺めるという行動をした人間が、その後逃走し、市井の喧騒に紛れ込んでいる時の心境って、どんなもんだろう?といつも思う。

俺は、犯罪は犯すことはない人間だと思うが、怒りが沸点に達した時に、たまたま手を出した時に、打ち所が悪くて・・・。そんなことは100%ないとは、残念ながら言い切れない。もちろん、長年の生活で理性を培ってきて、今は、ほぼ無いと言い切れるが、これから先に、どんな激情の瞬間が待っているかわからない。気弱な性格が幸いして、手を出すことは考えにくいが、親愛なる人間を守るための過剰防衛だって無くはない。

いつも、指名手配の写真には、すごく興味を持って見ている。情報提供をして、懸賞金を頂きたいという気持ちが大部分を占めているが、逃亡者の心理状態に対してもすごく興味がある。

同じ人間として、おぎゃ~と生まれてきて、誰もが愛された幼児時代があったにも関わらず、その後に、かけがえのない命を奪い、逃亡する人間心理やいかに?

小学生時分に見た、銀行篭城の梅川事件を初めとして、俺は犯罪心理なるものに、異常な興味を惹かれる素地が幼少から出来、今も定期的に追いかけている。その根底にあるものは何なのか?

凶悪犯罪は、単なる忌むべきものとして、被害者でない限り、完全なる外野で傍観していれば良いものなのかもしれないが、俺は、被害者心理と同じくらいに加害者心理に興味がいく。

犯罪者の心理と並んで興味があるのが、一度、栄華を極めた(極め方はしょぼく、一応世に出て名声を得たというレベルでよい。)人が、栄華を失った後で、どのように生きていくかにも、異常に興味がある。銅線盗んだ元アイドルや、シャブに手を出した元アイドルなど、この手のサンプルには事欠かないだけに、毎日の3面記事の報道に目を光らせ、その背後にある、彼らの境遇の変化と、思想の変遷を想像することが楽しいのである。楽しいという言い方は語弊があるが、色々思うのである。

俺は今日が誕生日だ。たいした感慨はないが、一応節目として、朝から少し襟元を正してみたりした。誕生日に考えて、ブログに書く話題ではないのかもしれないが、節目節目で負の心理を鑑みて、全うに生きようと意を新たにするのは大事だと思う。無難に、平穏な道だけを探していこうとするのが加齢のメリットではない。盟友「かぐらうた」の名曲に、「旅支度を前に襟を正す」といった趣旨の歌詞がある。これこそが、加齢の節目に思う、正しい心境だと思う。

犯罪者が持つ負の心理に思いを馳せないで正すような襟では、もともと正す必要が無い。絶対に無縁だと思える犯罪が多くあるが、奴らは宇宙人ではない。同じバブバブな時期を変遷した同人である。自分の中にほころびがないか、負に向かっている要素はないか、それらを頭で反芻しながら、新たなる旅路に向かって襟を正したい。家に篭らず旅には出るのだよ。真面目に旅をするのだよ。

リンゼイさんを殺めた犯人に告ぐ。もし生きているならば、『涙の谷』福田和子(扶桑社)を読みなさい!
悔やみきれない日々を過ごした人の教訓を君は生かして、償い先を見つけなさい。ノーモア和子!

『涙の谷』ってすごい言葉だ。和子がつけたのかはわからないが、究極の言葉だと思う。
和子を思う、肌寒い師走、俺は37歳になった。

襟を正して、旅支度! 旅の途上に立ち寄る谷は谷でも、「谷間に咲く百合」を目指そう。今年のキャッチコピーは「すずらん」だ。

2007年12月10日月曜日

毛について考える

今日、生徒から、「先生~、髭が生えてきとらんけ? ちゃんと剃られ!」とのアドバイスを頂いた。

実に嬉しい。一種のクレームであるが、生えていることを指摘されたのが初めてで、実に嬉しい。

俺は昔から、毛が薄い。髪の毛は、小学校の時には、「お前禿げるで」って言われていた始末であるが、俺は、頭髪が禿げることには、全く恐怖がない。むしろ、頭髪は今でもしっかりあるし、線が細い分、いつもペタペタで、髪がなびくとデコがびしっとライトアップされるため、ふさふさには思われないが、デコの広さに起因するもので、頭髪の量自体は、幼少時から減っていない。

元来の不潔ゆえ、、頭皮をしっかり洗うことが少ないため、毛根はとってもオイリーで、毛穴は呼吸が出来ないはずであるが、よく育ってくれる。

俺の母方の爺さんは、伊藤博文みたいな、正統派ズル剥け体質だったので、今に、俺にも裁きがくるのであろうが、俺にとっては全く怖くない裁きだ。有罪が禿を意味するならば、俺は喜んで博文ヘアーを選ぶ。

俺がコンプレックスを感じているのは、髭と、チャリ毛(もみ上げ)が人並みに生えないことだ。

別に中東のウサマ君や、「アルプスの少女ハイジ」のおんじほどの、耳から全て繋がるほどの毛量を欲してはいない。毎日、髭剃りを当てなければならないほどの髭の発育を求めているだけである。

チャリ毛も然りである。別にエルビスほどのベルボトミーなチャリ毛までは望んでいない。
チャリ毛の位置を触った時にチクチク感があって、ラインが出ていれば良いのである。

俺の髭は、1週間に1回、毛抜きで抜くほどで無くなる。毎日剃ろうにも、2日連続で剃刀を当てようものならば、生肌を直撃する。血まみれの刑、必至である。

チャリ毛にいたっては、産毛も生えていない。ダミーな垂らし毛で、耳下のラインを整えているが、これも風になびくと、「深剃りテクノ」である。実にかっこ悪い。

脇の毛も、ジュニア周辺の毛も、胸毛も オイド毛も同じく、手入れをしている人より薄い・・・。
そのくせして、眉毛だけは両津勘吉並である。油断をすると繋がる。毛の分布バランスの悪さは浅草なみである。

俺の死んだ親父は、熊みたいに全身真っ黒だった。俺は彼からは毛に関する遺伝子を引き継いでいない。引き継いだのはアレルギー性鼻炎だけだ。毛は、博文から引き継いだ。素晴らしき遺伝の過程だ。

毛量が多くて悩む人もいれば、薄くて悩む人もいる。俺の場合は、人並みに欲しいというだけで、贅沢を求めているわけではない。悩みというよりは、願望だ。

頭髪にしても、他の毛にしても、デリケートな問題で、軽々しく述べることではないのかもしれないが、
植毛産業の社長が、豪邸を立てる時代である。今のところは頭髪だけだが、俺はチャリ毛を植毛出来るならば、一度してみたいと思う。

leave 「去る」という動詞を中学で習う。
leaf 「葉っぱ」という名詞を、多くの中学対象の教科書が載せている。複数形は leaves である。
believe「信じる」という動詞を中学で習う。

「リーブ(reve)21」って社名か商品名は造語だと思うが、俺は、生徒にこう教える。

「毛が去っていく(leave)。そのままだと、そこは枯れ木の賑わいだが、手当てをすると葉が生えてくる(leaf)。徐々にふさふさになる(leaves)。信じるってえ~やろ(believe)」てな具合だ。

これだけ見ると、なかなかにセンスのいいネーミングだ。だてに、姉御やリーゼントをCM起用していない。需要はあるのであろう。「芸術的な自然」の社名よりは、悩み無用の期待感がある。

しかし、俺は「reve」 という造語からは、別の単語も連想する。reveal という単語だ。高校生で習う。「さらけ出す、暴く」という意味だ。

辛らつだ。ブラックジョークだ。悩み無用の状態にさせて、暴くのだ。さらけ出すのだ。上げて落とす・・・。アキコとシンスケの得意技だ。

どこまで意図したかは知らないが、CMのメロと含めて、なかなか粋ではないかと思うのだ。

俺の髭が少し存在感を示したことが嬉しいのだ。髭密度が高くない分、定期的に抜かないと、一本一本が存在感を示し、マジックで落書きをされたみたいな髭姿になるので、週1の毛抜き作業は行うが、
少し、密度を高めてきた気はする。チャリ毛の誕生もあきらめてはいない。

明日は誕生日だ。18年をひと区切りに考える俺の中で、人生の第3期を迎える。その前日に考えたのは、毛だ。悩み無用の日々が訪れる予感を感じながら、「去る」。

2007年12月9日日曜日

「頭上の部屋」

今日のバンドの練習、夜の飲み会共に幸せでありました。昨日のブログを引きずるが、まじでまじで楽しくてたまらない日でした。やはり、飲み会はメンツだよ! 俺は大人の飲み方を覚えて、今日は一方通行で暴れたわけではないが、充分にはじけられた。最高のメンツですぜ。

午前中のバンド練習は、久々の4人揃っての練習。もうね~、自分の技量不足はおいておいて、とにかく回る音に感動したのです。俺はバンドメンバーに恵まれすぎでございますな。

夜には、メールで俺の尊敬する京都の御大からのライブのお誘いも頂いて、少々舞い上がっています。自分が作る曲は誰がどう言おうと好きであるし、それを見事に料理してくださる御仁との音楽活動は幸せの極みでありますよ。

アレンジ打ち合わせを一切排して、一通り2回やれば、美しい形が整う「チープハンズ」、そして、アレンジを具現化してくださる御仁との「ほうるもん」、そして、今後音合わせする御大との音・・・。
俺ごときが味わえるにはもったいないほどの音楽機会に感謝である。

ニールヤングが、クレイジーホースや、他のメンバーと音楽をするように、俺も、色んな形態で音楽を出来るメンツがいるのが、ただただ嬉しい。

俺が音楽で関わるメンツは、全て俺には出来すぎのメンツである。メンツが変わっても同じ音が鳴っているなら俺の色が強いだけだが、俺がつるんだメンツは、全て、そのメンツでしかできない何かを作ってくれる。そんな形態を複数持てるなんて、なんだか、今が絶頂で死なないか心配なほどである。

「頭上の部屋」って曲を1ヵ月程前に作った。実にニール翁へのリスペクトが込められた曲なのだが、正直、いまいち具現化されるイメージが固まっていないで、迷っていた。それが、今日の練習で、俺のテクはほうっておいて、感動のメーターを振り切った。

詞は、事故の時に、空中浮遊する瞬間があって、それを片思いの恋心と融合したものだ。
サビのメロはキャッチーである。実に素晴らしい出来上がりである。

俺は、34歳まで「チープハンズ」だけしかバンドをしてこなかった。厳密に言えば複数あったが、俺が精神込めたバンドは「チープハンズ」だけだ。そして、自分が関わっているバンド以外に別バンドやユニットをやることを想像したこともなかったし、それをすることを、俺は、男女間の浮気のような気持ちで体感していた。

今もその気持ちが全くなくなったわけではないが、自分が尊敬できるメンバーと一緒に音を出せる機会があるならば、俺は喜んでそれをしたいと思うようになりつつある。

自分からどんなに片思いしたところで、一緒に音をずっと出せるほど、この好き嫌いの世界は甘くない。この不思議な空間で、俺が作った曲を気に入ってくださり、それを料理してくださるメンバーがいる限り、俺は、そのメンツならではの音を出したいと思う。

俺の頭上の部屋にはたくさんの言葉と音の断片がある。それを具現化する機会をしっかり捕らえ、名曲をたくさん作っていきたい。

名曲の基準は色々あるが、作り手としては、尊敬できるメンバーと作って、自分がそれをぞくぞく出来たら、それが世界に1つの名曲だ。心あるメンバーと、最高の音の瞬間を切り取っていきたいと思う。

俺ごときの奴が語ることではないのかもしれないが、毎回、曲を作った時の気持ちは、いつも、「もう、打ち止め!。絶対出来ない」と言うものだ、それが、毎回そのショボイ臨界点を更新し、新たな曲が生まれるっていうことは、俺の中の頭上の部屋の容量がまだまだあるってことだ。

人が何と言おうと、頭の容量が受け入れるだけのものを持っている限り、それを音楽にし、メンバーに委ねたい。

俺はソロで音楽を出来る人間ではない。バンドを使い分けるほど理路整然とした人間でもない。ただただ、メンバーによる音の変化に感動し、それが自分にとって感動するものであれば、それを続けたい。

頭上の部屋にたくさんの具現化されない断片を抱きしめながら、メンバーとの交流を大切に過ごしたい。

俺が組んでもらっているメンバーが出す音の全てに愛おしさを感じる。

「君を呼んだ その後飛んだ記憶 頭の中 身を潜めて 
君を呼んだ その後飛んだ奇跡 頭の中 動き出した」   

最高のメンツと忘年会をし、最高のメンツとの音楽的巡り会わせを感じた今週末に、昨日と同様に感謝の文字が突き刺さる。 幸せ教の信者ちゃうけれど、幸せを感謝する。君を呼んだ。飛ぶ!

雨あられの感謝

今日は、昼から入試対策の授業をかまして、夜から麻雀をして、今帰ってきた。
明日、というか今日の朝は9時からバンド練習だ。そして、昼一で家庭教師を2時間ばかりし、しばし、時間を空けて、夕方から、慶應の通信を通して知り合った、富山の心ある先輩(女子率高し)と忘年会だ。面白いの! 嫁は残念ながら参加できないが、爆飲必至です。

予定が一杯つまっているのって、俺は大好きで、何にもない、のんびりした時間を満喫できるタイプではないので、ここ数日は幸せの極みだ。

平均的な日々の仕事の拘束時間は、今年はずいぶんと減って、すごく体は楽であった。

昨年までの2年間、俺は年間休日を55日前後しかとっていなかった。それも、週に2回は、朝8時から24時までの勤務であった。

それでも、不思議と「忙しい」という不満はなかったし、従来通りの音楽を聴く時間と読書をする時間と、温泉や、自然を愛でるための時間を取れていた。ただ、富山でバンドをやる時間の捻出は困難であった。

それが今は出来る。チープも明君がペースさえ合えば、以前のペースに戻すことが可能である。
なんて幸せな日々だ。

そうだ、今年になって変わったことの一番は、バンドを出来る時間が増えたことなんだと思う。改めて幸せを感じる。

今年は、立ち上げの時に、一緒に行動を起こした人が、それなりの金額を投資した分、俺も無給でやってきた。やっと、最近は給料を少し取れるようになり、前職以上の収入を得れる目処もついてきた。

俺は仕事は出来る。これはうぬぼれではなく、客観視しても言える。えてして、良きバンドマンは、どんな仕事でも出来る人間のかたまりだと思う。

今、俺が一緒に仕事している相手は、俺が塾業界に入った時の最初の直属上司だ。校舎長だった人だ。俺は彼を仕事が出来る人として尊敬している。俺は彼を見習って、猛烈に仕事を覚え、わずか1年ちょっとで、本部校の校舎長を任された男だ。

真に仕事が出来る人間同士が仕事をすると、そこには、快適な余暇が生まれる。何の意味もないファッキンドキュメントは出る幕がない。だから、時間は短くても濃厚な仕事が出来るのだ。

すごく自信に満ちた、嫌味なブログであろう。しかし、社会人としての苦渋をなめてきた俺が自信を持って自分を客観視して、述べる事実は、自慢ではない。自尊心の正当な記述だ。不快に感じないで欲しい。10年に1回あるかないかの自信だ。俺は最強だ。

俺が自信を持てるようになった過程過程で、俺が一番秀でているのは、人との巡り会わせが良いことだ。半端じゃなく、素晴らしき人たちとめぐり合えている。これだけは、俺が生まれた星の巣晴らしさだと思う。ありがたいの一言だ。筆頭として嫁があげられる。

嫁は、俺にとって怖い存在だが、局面局面で俺の動向を温かく見守ってくれ、支援してくれる。俺はこの点だけは、最上級の賛辞を送れる。恩返し予約の在庫が貯まりまくっているが、死ぬまでたくさんある。あせらずに、今は、嫁の逆鱗にも触れながら、刺激を与え続けていきたいと思う。

なんか、書き出しと展開が変わってきた。何でだ? 俺は何を考えて、今日のブログを開いたのだったっけ?

そうだ! 麻雀に負けたのである。明日の飲み会のお金を嫁にせびらないといけないのである。
まだ言い出せなかった。言い出す文句を考える前にたどり着いたのが、ここだった。

俺の素晴らしき人とのめぐり合い運に筆頭である嫁に、お灸をすえられながら、今日も満喫したい。

嫁がここを見るのは、お金を俺に渡した後であろう。感謝を電脳媒体に載せて述べるのも、愛情の1つである。俺の愛情に免じて、許して欲しい。

仕事、バンド、交友、読書、やりたい放題だが、そこに感謝の気持ちがある限り、全ては上手くいくと信じている。感謝は自然に滲み出ているものだ。俺は滲み出させるのは得意である。べとべとである。
感謝を形に変えて示すことが、これからの俺の課題だ。形は、感情をしばしの間、ねかせておくと、いい具合で発酵する。まだ、発酵したことがないが、今は寝かす時期だ。寝る。

外は雨とあられが融合して、何とも良い雰囲気を出している。たまらなくセンチで素敵なミッドナイトだ。感謝感激雨あられ。寝る。

2007年12月7日金曜日

村上春樹を読む

『東京奇譚集』村上春樹 が、文庫で出ていたので読む。

村上春樹氏の作品は、20歳の時に『ノルウェイの森』を、ビートルズやんけ!と思いながら読んで、えげつなく傾倒し、以来、全ての著作を辿ってきた。たまたま、酒友で、グダグダな日々をよく過ごした友人が春樹さんの作品をたくさん読んでいたことの影響もあり、とにかく読んだ。

しかし、『ノルウェイの森』以外は、正直、夢中になれなかった。

ちょうど、大学を中退した時であったが、在学中に英米文学のクラスでフィッツジェラルドを原書で読む機会があり、俺もある一部を割り当てられ、精読した。結局、そのゼミには参加せず、俺は自堕落な暮らしで学業を放棄したのだが、フィッツさんを初めて読んだ時に、春樹さんの香りを感じた。村上氏はフィッツさんを邦訳するのだが、都会的な香りだけが際立って、喪失感というものが、実にエレガントに美化されている気がして、興味は薄れる一方であった。

アメリカ文学範疇の作品は、有名どころは読んだが、マーク・トワイン、シャーウッド・アンダーソン、ソールベロー、ジェームズ・ボールドウィンについては、すごく好きで、何度か読み直したものもあったのだが、フィッツさんだけは、どうも惹かれなかった。今でも同じである。

村上氏の作品についても、間違いなく名作であろうし、歴史的な作家だと思うのだが、なぜか全く魅力を感じなかった。感じなくても、取り合えず新作が文庫化されたら購入したり、文庫化される前に図書館で読んだが、読み終わった後に、素晴らしいとは思うのだが、衝撃は、『ノルウェイの森』以外、味わうことはなかった。

その、『ノルウェイの森』にしても、4年ほど前に再読した時には、描写が安っぽく感じたり、変なくどさを感じた。読み返さなければ良かったと思ったものだ。

俺は学者じゃないから、村上氏の作品を評論して論ずる気はない。何で自分に合わないかだけを知りたかっただけだ。

俺は自分なりに、村上氏の作品に傾倒出来ない理由を考えていた。セリフが洗練されすぎているから?、 言葉選びの秀逸さについていくだけの思考が俺にないから? 色々考えた。

村上氏は、最初に英文で書いて、それを邦訳して作品化しているのではないかと思ったものだ。実に洗練されていて、どぎついことも言うのであるが、中上健次氏のどぎつさとは、全く異なる。(比較対象が違いすぎますな)。アメリカ上流階級の香りがプンプンなのだ。装飾品の香りをいつも感じる。南部の香りがないのだ。

大多数の支持を得る村上氏の作品を追いかける一方で、いつも不毛の時間を過ごしていて、「もう、金輪際追いかけない」と毎回思うのだが、書棚で見かけると、ついつい読んでしまう。

登場人物の語るセリフが、あまりに新しく、上物でありすぎるからか、俺は、そのセリフによって語られる青い春の残り香が、安っぽく思えて仕方なかったのだ。

ところが、高校の教科書に載っている『レキシントンの幽霊』を読んだあたりから、嫌味な感じを受けなくなってきた。そして、今回の『東京奇譚集」である。

俺は、少し村上氏の作品が好きになったかもしれない。もちろん、優先的には読もうとは思わないが、毎回感じていた、読んだ後の不毛感は、今回は感じなかった。

たまたまのめぐり合わせで、ひと時の感情の変化かもしれないが、今回は、妙な明るさと、洗練されているが、少し泥臭さも感じた。良かった良かった。

傾倒はしていないのに、毎回作品が出ると読んでみたくなる、村上氏のような作家が、真にプロといえる人なんだと思う。文句のつけようはないし、退屈は少なくともしない。トップ40的というか、IQ高い黒人音楽というか、だからといって、読み流す程度の作品ではなく、素晴らしき中身がある。

村上氏の魅力はなんだろう? 今後も読んではいきたい。しかし、謎だ? 氏の魅力の本質は未だにわからない。

村上氏と前後して、横光利一、新田次郎、垣根涼介、新堂冬樹、などを読んだ。この読書傾向自体が奇譚だ。

2007年12月6日木曜日

出る杭打ちまくり

俺の大好きな朝青龍関が、復帰後、全治4週間の足首の怪我をしたらしい。
ヤフーのトップ画面のニュースで知った。

無理もない。2場所休業明けの巡業をこなしたのだから、少し体が鈍っていたら、怪我は簡単にするであろう。相撲というのは、我々が思う以上に、えげつなく激しい格闘技だと思う。いくら筋トレをしていようが、ブランク明けのいきなりの巡業参加は、無謀であったように思う。

朝青龍に対するバッシングは、はっきり言って、日本人のマスコミのレベルの低さを海外に露呈しているだけに思う。サッカーをしていたことが何でいけないのか俺にはまだわからない。
(注:ここでいうサッカーは遊び程度のサッカーで、本格的なサッカーの試合内容に該当するものではない。つまり、空き地で玉蹴りをする程度という意味でのサッカーだ。)

「サッカー出来るなら巡業に出ろ!」とか言ってますが、モンゴル国家に頼まれての親善サッカーでちょっと走ったり、ボールを蹴れるから、体が大丈夫で仮病だというのは、ちょっと認識がずれていないか?と思うのだ。

逆に言えば、遊びのサッカーが出来るだけの状態であれば、相撲は取れるほど、楽な格闘技か?ということである。常人を遥かに逸した、人間の極限みたいな取り組みが出来なくても、遊びのサッカーなら出来るというのは、実に頷ける話で、逆に、相撲の過酷さを証明している事案だと思う。

外野が叩くのも不可解だが、相撲協会自体が叩くのが納得がいかない。彼らは相撲の過酷さを知っているだろうに、最高権威である朝青龍に対してのバッシングは、「今の相撲なら、サッカー出来る体があれば、十分対応できるよ。」と言っているようなものではないかと思う。

ビール瓶で頭を殴るのが頻繁に行われてきた世界である。閉鎖された空間で、稽古を重ねてのし上がってきた横綱である。歴代の横綱を見ても、朝青龍の強さは際立っている。バランスの取れた体と技と強い精神、彼は称えられることはあっても、叩かれる人ではないように思う。

異国に単身留学し、異国の文化に馴染みながら、過酷な日々を過ごし、下積みを経て今の地位を築いた横綱に対しての報道は、あまりに幼稚に思えてならない。世襲もままならない、実力一本の世界で、のし上がってきた横綱を叩く資格がある人は、白鳳ぐらいであろう。朝関はよく辛抱されていると思う。

「横綱としての品格がない」とかほざいている、先輩がいますが、軍隊みたいな世界の中で培われるものが「国技の品格」ですかな? 相撲界での品格は、何を指すのであろうか?

そして、マスコミである。10人がかりでかかっても、朝青龍に勝てそうにない、ガリガリ君が、彼に対する質問は、「仮病ですか?」といった趣旨である。お前が相撲とったら、仮病使う前に死ぬぞ!この幕の内!

そして、「謝罪はないのですか?」ときた。何に対しての謝罪? 故障したから相撲取らなかったことへの謝罪? 病人に鞭打つのかい、君は?

あほか! お前が仮病して、永遠に干されろ! お前が仕事せんでも社会に何の影響もないから、モンゴル旅行にでも出かけて、遊牧して、草原で馬に、「羊毛ですか?」とでも質問しとけ!質問に怒った馬に後ろ蹴り食らっとけ!

朝青龍が素晴らしいのは、日本で稼いだお金を母国で商売に投資し、順調に商いを発展させていることである。彼は忙しい稽古と、本番の合間をぬって帰国し、商売にも関与している。素晴らしいではないか? モンゴルで立派なコンツェルンを築きながらも、日本で文句なしの成績をあげ続ける彼を、褒め言葉以外の形容は出来ない気がするのだが・・・。

仮病というのは、雑魚がするものであって、横綱くらいの人が、痛いと言えば、それは相撲をとる上では、本当に痛いのだ。「痛いから、巡業は無理ですわ。母国に返って商売しながら、稽古だけはやって、来場所また頑張りますわ。」と言ったら、全てがokな気がする。痛みは本人にしかわからないし、痛みがあっても、親善でサッカーをする御仁を褒め称えるべきではないかと思う。

マスコミで働く人って、ピンキリであり、一概に業界で括れないが、亀田君に対して「切腹はされないんですか?」とか言う奴がいる世界である。
マスコミ界の横綱が、しょうもないインタビューをする三下に、「マスコミの品格がない」と叩くことを始めたら、マスコミも良くなるのだろうが、マスコミの横綱の鍋猫君、ちがった、鍋常君があれだから・・・。鍋にしても食えないですな。

朝青龍さんの、怪我が無事に回復し、また好きな相撲を心置きなくとれるように、順調な回復を祈念致します。今後、何をやっても叩かれるのでしょうが、モンゴルの壮大な平原に思いを馳せて、この、人鍋みたいな日本で、穏かな日々をお過ごし下さい。

日本では夜明けは来ないかもしれませんが、曙さんも、朝日を夢見て暗闇の中、刺青入れて頑張っているみたいなんで、今後も痺れる相撲を見せてください。好きです朝やん!

2007年12月5日水曜日

無防備な心神

業務提携、兄弟盃・・・表向きは友好を前提とした付き合いに見えるが、実情はそうではなさそうだ。

例えを出そう。

AとBのボスは兄弟の契りを交わし、友好状態に入った。しかし、蜜月の関係はそうは長く続かない。Aはシノギを増やし、Bを圧倒するスピードで力をつけてきた。するとBはAを妬み、いつか自分たちが下に敷かれるのではないか?という焦りに包まれる。そこで、Bが取る防御策は、来るべきAからの合併圧力に対する武力の強化だ。名刀を仕入れ、ゴルゴもびっくりの銃を仕入れ、猛者を兵員として集める。(例えでありますよ)

Bの動向を知ったAは、内心穏かではない。いつ来るかわからない夜討ちに備えて、B以上の装備と兵員を募る。表向きはAもBも「~兄弟」と呼び合う関係を保ちながらだ。吐き気がする仮面の応酬だ。 精神的な友情は、そこにはない。

つまり、業務提携、兄弟盃共に、本音は、「今日からお互いに友好関係にあるのだから、出すぎた真似はしないでくれよ! お前がその気なら、こっちも受けて立つぜ!」というライバル宣言なのだ。

今日のニュースに、「レーダーで探知されにくいステルス技術を搭載した国内初の実験戦闘機に関する防衛省の開発計画の概要が5日分かった。開発総経費は466億円で、名称は「心神(しんしん)」。」というものがあった。

この膨大な予算を費やしてまでして作るハイテク軍用機は、何でも、昆虫以上鳥以下の大きさぐらいにしかレーダー認識されないブツらしい。

素朴な疑問だ。「昆虫以上鳥以下の大きさでレーダー認識されないブツを使って探りたいものは何?それは盗撮、盗聴というのではないの?」

著名な教授やグラサンMサシ(例えでありますよ。)もびっくりの破廉恥な行動に思えて仕方がない。466億円というお金を費やして作るものが、秋葉原もびっくりのスパイ機器ですぜ。

さらに疑問がある。われらがジャポンの仲良しの亜米利加さんが、これと同種の技術を持っているにも関わらず、技術を教えてくれなかったらしくて、自前でやっと完成したというのだ。
仲良し国家同士で、破廉恥機器の機密提供もくそもあったものではないが、やっていることは、盟友を含む他の団体をストーカーして、盗みあって監視して、相手が出すぎた真似をしたら、こっちもやり返すための情報収集だ。

ハイテク戦闘機はスーパー頭脳を持った者たちの技術の結晶だ。頭脳エリートの一方はスカート下を偵察し、一方は他国を偵察する技術を提供する。すばらしき連携だ。 日米の技術の応酬に科学者の心身が捧げられる。エロティックだ。

ライバル意識丸出しで、科学技術は向上する。業務提携の微妙な緊張感が、開発意欲に油を注ぐ。

戦闘機の名前は「心神」だ。何たるアイロニー! 何たるパラドックス! ネーミングセンスはある意味秀逸だ。 秀逸すぎて吐き気がする。スパイ機器が精神を意味する時代に生まれた悲劇は深々だ。

業務提携、兄弟盃、同盟といっただまし合いの仮面夫婦と表向きも敵対関係にある商売敵。
その、どちらに対してもなされる知識と武力を巡る攻防。 そして、それに費やされるたくさんのお金。

俺は赤じゃない。思想を1色に込められるほど偏狭な人間ではない。ただ、よくもまあ、堂々と上記の機器の発表をするな~と思う。恥じらいや戸惑いはないのであろうか?と思う。

「何で、発見されたらあかんところに行くねん! 何でレーダーすり抜けなあかんねん!」という突込みが先であると思うのだが・・・。 痴態行動を目的にしたらあかんのちゃう?

昔、クラスに昆虫好きの男の子がいた。彼は無口でひ弱で空気のような存在だった。誰も積極的には彼には関わらないが、それでいて彼は、いじめられるわけではなく、決して憎まれる人ではなかった。
彼が全身でかもし出す清さを、幼心なりに感じ取り、俺は彼に一目置いていた。業務提携は申し出なかったが・・・。

弱さと、無防備を極めたら、誰も業務提携を申し出てこないし、武装する必要もなくなるのではないかと思う。ならば、いっそのこと、昆虫以上、鳥以下の戦闘機を作るエネルギーを、昆虫並みに弱く、自然に同化するためのエネルギーに変えるほうが心神であるのではないかと思う。

今日の新聞で発表があった世界の理系学力水準は後退した日本であるが、まだまだ科学大国である。日本の学会のエリートになるであろうキッズに、盗撮機器を作る願望ではなく、弱くなる潔さを育む心神が備わってほしい。

俺は無防備だ。反論対象にしないで欲しい。

2007年12月4日火曜日

Free を聞く

俺はコピーをした経験がほとんどない。ベースでした経験はあるが、ヴォーカルとしては、フリーとバッドカンパニーとジョ二ーウインターとロンウッドぐらいである。
だから、ポールロジャースは滅茶苦茶好きである。彼がall right nowを録音したのは20歳ぐらいだ。You Tube で画像を見たが、今よりも老けている。年々若返るロックな御仁の代表であろう。


話は変わって、初出品数日で利用停止をくらった俺のヤフオクデビュー。
4点出品して、いきなりの利用停止で、おまけにID停止の可能性ありとなれば、プロバイダー変更の可能性もあり、内心穏かでなかった。

ヤフーには、「何があかんのかわからんし、雷がおちたみたいな措置に正直とまどっております。ご教授ください。」との趣旨のメールを送り、返事を待つこと数日・・・。

今日来たメールの返信は下記の通りです。

「ご説明いただいた内容や、これまでのご利用状況などから、ご利用停止措置について、再度検討をさせていただきます。恐れ入りますが、本日より、2週間程度お待ちください。なお、弊社確認中に再度お問い合わせいただいてもご連絡いたしかねる場合がございます。また、検討結果については、個別にご連絡を行っておりませんので、ご了承ください。利用停止の解除が行われますと、解除についての自動通知メールがお手元に届き、評価欄の表示が「停止中」から、評価ポイントの表示に戻りますので、そちらをご確認くださいますようお願いいたします。2週間以上経過しても利用停止の解除が行われない場合は、ご利用停止措置は今後解除されることはございません。何卒ご了承ください。なお、停止措置が解除となった場合でも、同様のご利用状況などからトラブルになる可能性が高いと判断した場合には、再度、ご利用の停止措置を講じる場合もございます。あらかじめご承知おきくださいますよう、お願いいたします。」

反論の余地を挟まぬ見事の名文のコピペである。言葉遣いは丁寧だが、有無を言わせぬ文体である。反論をしてシステムを変えるには、個人はあまりにも弱い。

そもそも、俺が利用停止をくらうにいたった原因がわからない。ネットで調べた範囲で考えられるのは、タレコミによるヤフー通報→直線的パトロール隊による受諾→停止通報発令  という流れだ。

よくよくヤフオクを見た。俺が出品したのと同一商品を俺の倍額で出品していた人がいた。

におうのだ。取調べしてカツどん攻撃を加えたいが、相手は顔がないアルファベット人だ。サイバー取調べは容易ではない。それに証拠も不十分だ。何より俺側のミスがある。

ミスとしてあげられるのはこれだ。

俺は商品説明に「不明な点はお問い合わせください。」と書いたのだが、それ自体が、突っ込みどころ満載の規約違反コピーらしい。十分に商品説明をしないと違法品、コピー品ですと受け取られても仕方ないというのだ。わかる気はする。でも全部説明出来る?

結局、好意的に上記のお問い合わせコピーを入れることはリスキーなだけで、そんなことを書かなくても落札者は不明な点があれば、質問することが前提の商圏らしい。

ヤフー様が取り決めたルールだから仕方ないが、2週間後にプロバイダー変更の可能性もあるみたいで、気が重くなる。

ヤフーが自前でサイバーパトロールをして俺の処置に踏み切ったのでないのは明白であると思う。誰かのタレコミだ。規約違反をつく盲点はたくさんある。しかし、タレコミ者の主張を一方的に聞くのはどうかと思う。俺はどう考えても悪質ではない。

そこでタダ友拡販中のソフトバンク様に提案したい。

ヤフーの1つのサイトとして、規約違反者(ID停止者)VS通報者の公開裁判を立ち上げられては如何なものであろう? 会員は裁判を傍聴でき、生の討論を通してネチケットを学べる。取り交わす文章は論説文であり、発言者もアルファベット名とはいえ、会社側は原告・被告両名を特定できる。今、文庫本の書棚でよく見かける、裁判傍聴物の書籍よりも、ライブ感があって良いと思う。

やはりですな、通報する限りは、それなりの言い分と、客観的な主張が必要だと思うのですわ。それじゃないと、ネットの盲点を知り尽くした奴らが闊歩し、真の開かれたサイトとはならないと思うのだ。

生の裁判がネットで閲覧できるのであれば、より多くの人が活字にふれ、日常生活に潜む盲点に気付くことが出来るのではないか? 良いアイデアだと思うのだが・・・。

個人情報の保護をやたら重要視する現在の風潮であるが、逆に、匿名で誹謗中傷をする機会が増えただけだと思う。何も全ての個人情報を公開する必要はないが、せめて、一方的なタレコミに対しては、当事者同士の情報公開があっても良いのではないかと思う。別に、日本刀を持ってカチコミに行くことが目的ではないので、詳細は不要だが、当事者同士、アルファベット名でのやり取りの機会は設けて欲しい。その上で、当事者の話し合いが決別した時には、先に述べた公開裁判所に持ち込むのだ。
手続き料金を取られても良い。

ヤフー村にプロバイダー料金を数年払ってきて、その結果がID停止で、ヤフー村を村八分、立ち退きの刑になるならば、それは良い。俺は正々堂々と白昼に引越しするだけだ。別の市町村はたくさんある。大都市は住みにくい。片田舎に引越しを計画中である。過疎が深刻化して、村存続の危機にある村である。そこで電力だけを引いて、世間に繋がるのも良いだろう。

電脳市場は危険が多い。俺が関わった市場は有料な上、規約が多い。

今後の俺はflea market でブツをあさり、出店する。蚤の香りはするがfreeな空間だ。all right now.  

freeのポールロジャース、後に彼は新バンドを立ち上げた。その名はBad Company  
彼は先見の明がある。Bad Company がFree なわけがない。

公開裁判の被告第一号は俺か? 閲覧宜しく!  俺がFire ,皆様が water でよろぴく!

2007年12月3日月曜日

アパート酒倉アジト計画

俺は毎日酒を飲む。昨年の事故で入院した時に、18年間休肝日無しの連続飲酒記録は途絶えたが、毎日しっかりと飲む。結婚した当初は、毎日缶ビールを2リットル程飲んでいたが、この4年くらいは、発泡酒を700ミリリットル、そして焼酎をコップに一杯ぐらいが大体の晩酌量である。
休みの日は、やはり2リットルくらいいくが、日々の酒量は慎ましいものである。

ところが、昨夜の忘年会などの行事になると、酒量は肝臓を直撃する。生ビール中ジョッキ換算で10杯を下ることはまずない。

酒量は、ある一定レベルを超えると、際限なく体が欲する。だいぶ大人の飲み方を覚えてきたつもりであるが、やはり一定量を超えるとがぶ飲み体勢に入る。体育会系のキッズが、練習の合間にポカリスエットを補給するように飲みだしたら、その夜は眠る瞬間まで酒にまみれる。

しょせん、ビールが中心であり、アルコール度数を考えたら、決して大酒飲みとは思わない。人間ドッグ前夜でも酒を通常通り飲んで行ったが、肝臓の数値は正常も正常。

しかし、調子に乗って飲んでいると、沈黙の臓器の裁きを受ける日が来るのかしれないので、通常の日々は適量を守りたい。

昨夜は19時前から4時間くらいの飲み会であったが、やはり飲み始めるのは夕方4時くらいからが理想である。

俺は飲み会の時間を大切にしている。義理がけによる飲み会は嫌いで、出来るだけ排除しているが、心ある友との飲み会ならば、毎週のように参加したいくらいだ。

しかし、大人になってからというもの、こちらが心を寄せる友との飲み会も、早くて夜の8時以降になることが多くなり、また、頻度も高くない。じっくり酌み交わす時間が取れない現実を鑑み、過去を振り返った時に、無性にキューンとくることがある。

宵の時間から、何を話すでもなく、酒を酌み交わし、何でも思うところを際限なく語り、どちらかが酔いつぶれるまで話しまくり、一緒に次の朝を迎える・・・。これが青春だと思う。無尽蔵にある語りの欲求と、鬱憤の共有欲求を秘めた、青臭い人間同士が酌み交わす酒の時間は、実に清い時間であると思う。

次の日のことや、次の日の体調を考慮せず、ただ、ひたすら目の前の会話に夢中になれる時間・・・、残念ながら、大人になってからは少なくなった。それが大人の正しい時間の過ごし方なのかもしれないが、不満と未練がたらたらである。

「積もる話もあるからゆっくり飲みたいね・・・」といった、いつ遂げられるかもしれない計画だけを重ね、それが何一つ果たされない現状・・・。悲しくてたまらない。

冠婚葬祭の場面でしか、級友や親戚に会わなくなるのが自然な状況になる前に、俺は、宵から次の日までのスケジュールを空っぽにして、ただただ、自分が敬愛する友と飲む時間を1つでも多く、作りたい。酒が飲みたいだけではない。酒を飲み交わすことは、フランクな状態、裸の状態を持って場に臨むことを意味する。シナトラのように、エレガントである必要はない。乾き物をつまみながら、どうでもいいことを裸の心でだべっていたいだけだ。

不思議と、楽しい酒は次の日に残らない。義理がけの酒は少量でも次の日に残る。
きっと、楽しい酒は、体の消化も早いのだと思う。沈殿する心がない分だけ、利尿作用も促され、次の日には、また新たな活力を生み出してくれる。

俺は飲みたいのだ。家族の時間がもちろん優先だ。それでも、忘年会とか無理やりこさえた行事ではなく、定期的に友と飲み交わす時間を来年は少しでも多く作っていきたい。

俺が誘うであろう、友共よ、どうかその時は、次の日は気にせずに、そして、飲み始めも宵の時間から空けて待っていてほしい。屈託ない笑みと暴言と失言と、上質のユーモアを俺は届け、それに反応して、倍返しの言葉の応戦を待っている。積もり過ぎた話は、凝固してしまい、わずかな時間では融解しない。積もる前に踏みしめたいものだ。

老後に、京都の安アパートに一部屋部屋を借りるのが俺の夢だ。便所も風呂も共同の臭い部屋だ。
部屋の中には音楽再生装置とギターと冷蔵庫だけを置き、その部屋は24時間営業で、人が4、5人雑魚寝するだけのスペースがあれば良い。そこで、気に入った音源を持ち込み、訪れた人々と酒を飲み交わすのだ。近くに銭湯があれば尚良い。

上記の生活が、実現された時、酒は真に百薬の長となるであろう。百薬に溺れるのではなく、百薬を介した時間が尊い時間であり続ける限り、俺の老後は平穏に満ちた時間になるであろう。

それまでの間に、いかに楽しく飲み続けるか、それが大事なテーマだ。

俺は興奮している。こんな時間俺に言わせれば宵の口だ。嫁にもう1本ビールをおねだりする。
答えはつれない。でもそれでいいのだ。1人酒で俺の肝臓の容量を使う必要はない。120歳まで生きるであろう俺の寿命から逆算して、今日の酒量を決めたいと思う。嫁にも見守らせるつもりだ。

老後のアパート酒倉アジト計画・・・。どうだ!いいであろう。必ず実現させるので、その日まで、共々しぶとくあろうではないか! 

脚力が・・・

今日は10時から17時まで仕事をした後、以前働いていた塾の忘年会に参加した。前の会社は事故の後に色々な配慮をして頂いたにも関わらず、自然消滅みたいな辞め方をした上、今は、同業種を知り合いと立ち上げ、生業としている立場であり、まさか、今年の忘年会に参加するとは思わなかった。

幹事の方から誘っていただき、今回は、重役を排した会である旨もお知らせいただき、参加した。
懐かしい面々との会話は楽しく、宴は快適に過ぎた。本来なら招かれることのない客だ。その割りに、懇意に接していただいた、かつての同僚に感謝する。

一次会が終わったあと、特に懇意にしていた人と軽く二件目飲みをし、彼を送っていくついでに、久々に歩きで帰路についた。

飲んだ場所から、自宅までは直線にして2キロ、車の道で2,5キロなのであるが、友人の自宅経由で帰ったため、行程距離は少なく見積もって4.5キロくらいであろうと思う。

たった、5キロ未満です。自慢じゃないが、俺は10キロ未満の歩きは、息も乱れぬ自信があった。実際、大阪では京橋から新今宮までの行程や、枚方駅から長尾までの道のりは、俺にとっては十分歩行距離であった。

京都を例にすると、昔は東大路五条から西大路太子道まで歩いても、何も体に負担を感じなかった。

それが、今日は飲んだ後とはいえ、たった5キロ未満の距離を歩く途中で、体温の上昇を感じ、拾えるものならタクシーを拾いたいと思い、素足で歩きたくなり、家まで1キロくらいになったところでは、俺はまじで、四足歩行をしたくなった。進化途上の猿人と同じ発想である。

もちろん、見慣れた景色の町並みを夜に歩くという、好奇心を全く満たさない環境もあったのであろうが、それにしても足腰が疲れすぎである。俺の太ももは今、限りなく興奮状態にあり、キーボードを叩くこの指までもが(歩行に関係ないだろう?)、今はピクピク震えていて、ピクピクをオクオクと変換してい、治す作業でポクポクとなる始末だ。全身疲労だ。

田舎に住んで早13年目。車社会に慣らされた弊害が出だした気がする。
俺はまだまだ徒歩にて雰囲気を感じたい町並み候補がたくさんある。それらの計画が実現するためには、何としても、脚力を始めとする体力が必要だ。たった5キロの歩行でバテているようでは、俺に未来はない。

真面目に徒歩を毎日の生活に取り入れる計画を練ろうと思う。規則正しいルート歩行は、今や俺の頭脳が拒絶をおこし、受け付けないであろう。刺激的な町並みを毎日見ることが出来るのであれば、日々の鍛錬も定着するが、さしあたっての不安は、近所の町並みに俺が、毎日興味を惹かれるかだ。何か視点を変えない限り、不可能であり、ルーティンワークがおろそかになるのは目に見えている。

時間をずらして、毎日、車通勤の間で、車を止めて、20分以上の徒歩を自分に課そうと思う。なんだかんだといっても歩行が一番のクロレラだ。歩行を修行にしないために、ありふれた景色であっても、飽くなき感受性を研ぎ澄ませた目で、その瞬間のものを目に焼き付けたい。

酔っ払って、沈没することは少なくなったが、足腰が沈没する今、真面目に対処したい。
歩くのだ。何1つ落ちどころのないブログであるが、酔った頭で真面目に考えた。

膝が笑っている。肩が強張っている。手が痺れている。体は全て連動していることが嬉しくなる。酔ってはいるが繋がっている。トホホと悲観にくれている場合ではない。表街道、裏街道、日々歩いて、視点の受け入れ体勢を強化したい。

籠を背負って何千里も走る飛脚に思いを寄せて、非客の飲み会を楽しく終えた夕べであった。

2007年12月2日日曜日

師走

坊主も走りまくる師走ですな。毎年12月1日から10日までになると俺は異常な興奮を覚える。
普通は、師走は後半が一般的な興奮時であろうが、俺は前半にピークを迎える。

なぜなら、俺の誕生日は11日なのだ。今から36年前の今頃は、俺はおかんの体の中で、産み落とされる瞬間を待っている状態だったのだ。その記憶といえるのかわからないが、ピカドンな瞬間が間近に迫った今頃は、俺の中に、日頃はない感情が芽生える。

おかんが、何日に病院に入ったのかは俺は知らない。しかし、この時期が俺の投下される秒読み段階に入ったのだけは確実だ。予定日がどうのこうのではなく、今か今かと投下を待ちわびる36年前の俺が目に浮かぶ。胎教の音楽は八代亜紀か詩吟であったろう。俺は音には耳を貸さず、ひたすら産み落とされる日々を待ちわびていたはずである。

胎児がどのような環境で、どのようなことを本能的に感じていたのかを、臨床的に知ることは出来ないが、人の性質が千差万別であるならば、このお腹の中での生活時代には、何か一生を左右する性格が育まれる素地があったのではないかと思う。

俺は胸がキュンとくるほど自分が好きでたまらない一方で、吐き気がするほど嫌いなときもある。胎内で俺の性格を育む何があったかは結果論で、今更どうのこうの言えることではない。
ただ、感受性を豊富に胎内で育ててくれて、投下スイッチである腹圧ボタンを押してくれた、おかんには感謝する。投下されたからこその胸キュンと吐き気である。外界で味わいたい。

腹の中にいる時に、何か感動的な出来事がいっぱい、悲しいことがいっぱい、おかんの中で語られていたのだろうと思う。語っていない場合でも、思考が胎児に伝わる言語化をされていたのだと思う。その上で、「こんな悲喜こもごもの世界に出る準備はいいの?」という、俺に対する最終尋問がなされ、壮絶な生命の戦いを勝ち抜いてきた生命体のエリートである俺が投下される最終サインが出されたのであろうと思う。

親は選べない。親に殺される子供もいる。しかし、胎内で上記の過程を経た上で、産み落とされた人間が、母親を肯定は出来ても否定は出来ない。否定できない母親から否定される悲しみは筆舌に尽くし難い。

俺は父親を憎み、死後、敬服した。母親を憎み、今敬愛している。どういう因果で生かされているかは知らないが、毎年この時期に、妙な胸騒ぎと興奮を覚えるのは、胎内で感じた息吹を、慣れに害された感性に再注入してくれる、何らかの力があるのではないかと思う。

こんなことを考えていたら、頭がいくつあっても足りない。だが俺は思考をやめない。
俺は特定の宗派には属さない。教祖が宗旨を作れるほどの思考ではない。思考に思考を重ねても、その破片もつかめない壮大な力がそこにはある。ただただ、この息吹を感じ、精一杯思考したい。

宗教批判に読めるかもしれないが、断じてその趣旨はない。どんな形であれ、その人が心のよりどころとしている存在を俺は否定しない。拠り所に忠実に心を置いている人たちの精神を清く思う。

ただ俺は、頭脳の限界を超えた何かを、得たいの知れない何かに感謝し、思考するだけで、特定の誰かに解決を求めたり、帰依しないだけだ。傲慢なだけかもしれないが、この時期に高まる感情は、敬虔であると思う。

胸の中で高まる何かが俺の拙い文章をさらに害している。言葉は複雑で正解のない迷路だ。言葉で今の感情を書こうとすることがおかしいのかもしれない。

これを読んで、不快に感じた方がおられたら、許して欲しい。

俺が、わが子を授かる日が来て、その子が嫁の胎内でカウントダウンを始めたら、俺は言葉ではなく、精一杯の思考の結果を眼差しと体温で示してあげたい。それをどう感じるかはわからないが、カウントダウンの時期を特に大切にしてあげたいと思う。

師走に生まれた俺。師が走り回るのは俺には関係ない。しかし、俺を産み落としてくれたおかんと、得体の知れない何かを師とし、師を忘れないようにしたい。原点回帰の上旬が始る。

2007年11月30日金曜日

ヤフオク、プライスレス

ヤフオクの出品デビューをして早くもリタイア・・・。いや、自主的ではなく、リタイアさせられたのです。
原因がわからないのです。

一昨日に初めて商品を出品し、あと3日ぐらいの期限があったのですが、今日になって、「Yahoo!オークション - オークション取り消しのお知らせ 」というメールがあり、一方的に取り消し・・・。詳しくは利用規約とガイドラインをご覧ください。とのことで、見ましたが、何一つ心あたりがない・・・。

ヤフーに怒りのメールをしたら、すぐに返信が来て、「弊社にて以下のオークションについて調査を行った結果、これまでのYahoo!オークションのご利用状況において、トラブルが生じる可能性が高いと判断いたしました。」とのことで、実に曖昧。

これまでのご利用状況と言ったって、CDと参考書を合わせて9件落札して取引履歴があるだけで、しかも、全て、「非常に良い落札者です」の評価を頂いているのにだ。出品は初めてだ。

犬猫などの生き物や、規約に反するものを出品したわけではない。聞かないCDと着ない服を出しただけだ。ためしに、俺が出品したのと同じ商品を検索すると、俺が提示した金額よりも高い金額で、別の出品者が出している商品が見受けられた。何でやねん!

一時的な興味でしただけの出品だから、これで、今後出品が出来なくなろうが、全くもって影響はない。
ただ、コンピューター道の白帯を脱したと思った暁の、この手厳しい仕打ち!
俺のパソ技能とネチケットをけなされたような気がしてならない。何があかんのやろう????

馬鹿らしいから、相手が見えない取引はやめることにした。面識のある人以外と、会わずに取引をすること自体が、おかしいのだ。

それにしても、落札は出来たのに、出品は出来ないとは、何でだ????俺が何したっちゅうねん!富士山の石を売ろうとしてただけやんけ!(出品画面にはまだ載せていない)

ヤフーからの回等メールには、「パスワードは変更しましたか?」とか書いておりますが、何で変更せなあかんねん!「推測されやすいものではないですか?」と追記もあったのですが、「俺自身が覚えてもいない、数字の羅列を推測する奴がおるんやったら、そいつは魔術者じゃ!ぼけ!」

だいたいどすな~、パソコンが普及しだしてから、個人情報なるものがやたら厳しくなってきたんであって、それまでの時代はおおらかでありましたよ。暗号化か何か知らないが、人のパスワードやIDを盗み出して悪いことを企む奴が跋扈する時代に、こんな媒体を通して、物を流通させようというのが、ちゃんちゃらおかしい!

中間流通を排したシステム自体は悪くないだけに、残念ではあるが、やはり、現実の物々交換か、対人を介しての取引以外に目を向ける必要はない気がしてきましたよ。

個人的な実にレアなものが手に入る可能性を秘めた媒体はすこぶる良いのですが、安易に手に入るものは、その分、変なリスクを伴い、ありがたみも薄れますな。

俺の出品の手順に何か過ちがあったのかもしれない。しかし、俺はそんな過ちを改める気はない。しょせん関わる世界ではなかっただけであろう。

実感の薄い取引自体がよくない気がするのだ。バブルの原因にしても、ホリエモンに代表されたコンピューター錬金術師にしても(彼個人は悪くないよ)、直接現生が動く取引ではなく、数字上のやりとりで、大きな世界が出来上がっていたことが原因だ。「1日で10億の利益があった。」とか言いますが、実際に人に面と向かって現生をやり取りしたわけではありませんわな。

これらの数字ゲームが実際に機能する素地を作ったのが、コンピューターですわ。

時代がどんなに進歩しようが、便利な側面を妨害する負のエネルギーを満載した悪玉、そしてそれに対する防御策が出され、悪玉はさらに隙間をつこうとする。いたちごっこのご機嫌な日々で、何が便利になって、何が不便になったか、何が豊かになって、何が不毛になったか?

プラスマイナスは限りなくマイナスであると思う。今更文明の利器を外すわけにはいかない側面もあるが、少なくとも、自分の私生活に不便にならない限りは、実地の行動に伴う経済活動をしていこうと思う。

最近、コンピューター社会に対する不満ブログが多い。ならば、最初から手を出さなければ良いのだが、俺の信条として、「何も関わっていないのに、それに対する批評を加えない。」がある。関わってみてから、率直な批判を加えるのだ。自分は関わったつもりで、実際には関われていないのかもしれないが、関わる接点は少しだが、確かに持った。だから言うのだ。

ヤフオクなんか、やめてやる! お探しものがあったならば、店を探し、それで知り合えなければ、それも出会えない運命だとわりきって、憧憬だけを持ち続けようと思う。しょせん、幻だ。

憧憬や思い焦がれた幻は幻であり続けることに意味がある。実存して手に入った瞬間から感動が逃げていく。今まで、そんな経験をしてきたではないか!

涙を拭け、俺!   実際には泣いていない。架空の涙だ。怒りの先が見えない架空の涙だ。
ブログはする。ネットも関わる。でも、ネット取引はしない。関わり方次第の世界で、関わるには向き不向きがある。不向きを矯正するエネルギーを使う暇があるならば、俺は足を動かそう。
手だけ動かして物を売るなんざ、足に失礼だ! 俺のレアでジャンクな品を欲する人がいたら、俺はいつでも飛脚になろう。運賃はしっかり請求する。商品売価も請求する。現実の取引をするのだ。

ちゅうことで、富士山の石を始めとする、俺のブツに興味ある人はいませんか?
「皆なろの 香りを嗅いで 飛ばしましょう 今日もどこかで 木霊のヤッホ~!」
この帯をつけて売ろうと思う。プライスレス!

誰もいないようだ。

涙を拭け、俺! 実際に泣いている。現実の涙だ。プライスレス!

2007年11月29日木曜日

風に吹かれて

一昨日の昼間に2回、夕方に1回、すごく揺れた。結構長い揺れ方で、まぎれもなく地震だと思っていたが、新聞やニュースでは報道されていない。観測されていないようだ。見落としがあったのかもしれないが、話題にもなっていない。同じ市内に働く嫁は地震なんてなかったと言っているのだが、わが職場の同僚は時を同じくして、揺れを味わっている。

1日空いて今日のことだが、昼間から以上に風が強かった。台風が来ている時以上の揺れを感じた。夕方には、建物が震えるほどの風圧を感じた。

断っておくが、俺が働く職場は鉄骨の建物だ。決して新しくはないが、風雨に負けるほどの軟な建物ではない。それが嫌な音を立てて、風圧に威嚇されていた。

しかし、窓から外を見ると、木々の揺れ自体はないのだ。その代り、隣接する高校の野球部用のバックネットが上下に揺れていた。縦揺れだ。そういえば、横殴りの風ではなく、頭上を押すような風であった。色んな風圧を感じてきたが、今日ほど縦の風の流れを感じたことはなかった。

縦揺れなるものがあるのであろうか? 今まで意識していなかっただけなのかもしれないが、今日ほど上下の揺れを感じたことはなかった。

気になることはまだある。窓から田んぼが見えるのだが、今日見た田んぼには、すごい数のカラスがいた。田んぼにカラスが今日ほど多くいた光景を見たことがない。たまたま今日だけ気付いたのだろうか?? そんなはずはない。 不気味な様相であった。

今までに窓からカラスをまったく見かけなかったわけではない。しかし、郊外の田園風景の中にある学校を中心とした隣接地域に、集団のカラスを見かけたことはなかった。ちょうど、2階の窓から目を向けると電線が視界の上部に開けるのだが、いつもは電線に数匹いたのだが、今日は田んぼの中にすごい数がいたのだ。

風の上から下への圧力が、カラスをも地上に降ろしたのであろうか?

雲は、夢でうなされそうな鱗雲であった。ただ、鱗の形がいつもとは違う。なんというのだろうか、形状が上下に長いのだ。仕組みはわからないし、俺が鱗雲と読んでるものが、気象学(天体学?)でいう鱗雲なのかは知らない。なんせ、今まであまり記憶にない。(多分、意識が行ってなかっただけだとは思いたいが・・・。)

昼間の風が嘘のように、今は完全なる無風である。2階の窓から吹き出したタバコの煙が真上に上がるのだ。これも珍しい。

俺は、「自然科学」という分野に対する造詣が乏しい。いや、知識量は小学生低学年並であると思う。だから、少しの自然現象の変化に驚き、戸惑い、喜び、はしゃぐ度合いが大きい。知識がないことに伴う喜びと怖さだ。それでも、雷が鳴った時に、真剣に、お臍を隠す程無知ではない。

科学という言葉自体がなかった時代の人が、雷の音を体験した時の怖さは尋常でなかったであろう。
空が怒っているようにしか思えない。「神のたたりだ!」とか言って、人間を生贄にしたりしたのも頷ける。無知であるが故の暴挙だ。

今は、科学が解明してくれたおかげで、雷の仕組みも分かっているから、怯えることはない。科学がもたらした知識は、先人の研究の成果だ。先人の努力に感謝する。

しかし、今日の俺の近辺で起こった自然現象を科学者はきっちり説明できるのであろうか?多分、明確なことは言えないと思う。自然現象のほんの0コンマ無限大ぐらいしか知りえていないのは明白だ。

未だに、天気予報の予想よりも、漁師の予報の方が当たる。また、最近では、俺は体の痛み具合で天気や湿度の予測がつく。漁師や俺は、科学的分析を経た結果、予想しているのではない。自然現象や、体に感じるかすかな痛みの違いで予想するのだ。

科学者の研究はむなしい。だからこそ科学者は日々、少しでも科学的たろうとして研究しているのだ。彼らを否定するつもりはない。ただ、少なくとも天文分野、自然現象分野での研究は、努力すればするほど、虚しさを感じる結果に終わる気がする。それでも研究する姿勢は素晴らしいと思うが・・・。

以前、身内の葬儀の後、火葬場に行った時、火葬場の職員が面白いことを教えてくれた。
彼は毎日、潮の満潮干潮の情報をチェックしているそうである。どちらがどうかは忘れたが、潮の満ち干きによって、死者が出る数が変わるので、「明日は忙しいだろうな?」とかがわかるらしいのである。

潮の満ち干気という自然現象、そして人の生死・・・・。解明出来るわけがない。自然現象は人の生死にリンクしているのだ。わかるはずがない。もっともらしい事は言えるかもしれないが、科学的たろうと精進するには、あまりに人の一生は短い。

それよりも、無知でいながら、もっと、自然に対して敏感でいたほうが幸せではないかと思う。微小な知識で自然現象の1つ1つをわかったつもりになって、自然に対する恐怖と歓喜を失うのではなく、雷が鳴ったら臍を隠すくらいの謙虚さを持ちたいものである。

科学者批判ではない。原始生活へのノスタルジーでもない。ただ、俺は、知らなくていいことがたくさんあるのではないかと思うのだ。知らなくてもいいことを知る努力より、日々を見つめる眼の鋭さを維持することに労力を使いたい。

この3日間の自然現象の異変の原因が何で、何が起こるのかを知る努力をするのではなく、これを契機に、日々、窓からの眺めに敏感でいたい。怒り、悲しみを排して、喜び、畏怖の念だけを抱きながら、日々を過ごしたい。

俺は体で本能的に自然を感じたい。風の縦揺れは、俺にヘッドバンギングをもたらした。首が痛い。しかし、風はアナーキーであるが優しい。縦でも横でも追従したい。何で揺れるかを知る必要はない。自然に対する答えは風の中にはない! 

2007年11月28日水曜日

ヤフオクをする

初めてヤフオクに出品した。今までに購入したことは数回あったのだが、出品は初めてだ。別に、相場に詳しくなって、これを副業にしようとは思っていないが、流通の仕組みを出品の段階から一度試してみたかったのと、デジカメで撮ったり、掲載する面倒くささに、自分がどれだけ対応できて、辛抱できるかを試してみる目的もあり、4点出品した。

着ていないコートと革ジャン、CDを2枚だ。CDは巷ではすごく貴重なものであるが、自分にとって音源以上の価値がなかったものを出した。服に関しては、完全にサイズが合わないものだ。

やり出すと面白い。デジカメで写真撮影をして、それをパソコンに取り込んで、アップロードして、コメントを書いて、開始価格を入れるという一連の作業が、なかなか楽しかった。

しかし、4点出品しただけで、一連の作業に飽きた。実に早い。

出品した商品の画像を見ると、俺の足が写っていたり、開始価格が「売る気あるの?」というものであったり、コメントが要点を押さえていなかったり、嬉し恥ずかし初体験だ。

これから徐々に出品することが習慣化するのかどうかはわからない。ただ、俺もこんなハイテクな作業を出来るのだ! ということがわかって嬉しかった。

画像を取ってアップしようとしたら、大きさがどうのこうのと、イチャモンをつけられたので、画像を小さくする作業も、マイパソをいじりまくって、覚えた。 初めて、なんとかバイトやらいう数字が俺の中で意味のある数字になった。

毎月300円近くの登録料と商品1点につき10円くらい取られるが、これも社会勉強だと思って、月1個くらいは出品したい。出品する品にも工夫を凝らしたい。

「誰がこんなん落札するねん!」といったつっこみや、「売買代金よりも送料と手数料の方が高いやんけ~」といったつっこみ満載の品を出したい。

それにしても、流通システム自体が大きく変わろうとしている、壮絶な時代に生まれたものだ。ネット上の取引が増える一方で、リサイクルショップなんかは、すでに市場を確保し、さらにまだ微増傾向にある。そして、まだまだ、市の広報やミニコミなんかでの「売ります」「譲ってください」といった紙上掲示板もある。

選ぶ媒体が多く、リサイクルが一般化することは良いことだと思う。メーカーは苦戦するであろうが、悪い流れとは思わない。俺も、この時代に生きている以上は、色んな媒体を駆使した上で、自分にとって最高の媒体の定期ユーザーになりたい。

音楽なんかは、ネット上のダウンロードとやらをする、板チョコみたいな機械が主流になっているし、テープとCDとMDのウォークマンを持っているハイテクの俺にしても、ついていくのが困難な時代だ。
ミュージシャンは儲からない時代になっているのであろうな~と思う。

色んな出品商品を見ていて色んなことに気が付いた。

CDを売る上で、「帯付き」というのが、非常に重要な流通価格を占うポイントになっていて、それがなぜなのかが不思議でならない。また、国内盤でなければ、特殊なCDを除いては、流通価格はかなり低い。まことに不思議である。

音楽を聴きたいから買うのではないの???? 俺はCDを買った時についている帯がどこに行ったか知らないし、おそらく、ほとんどの帯は捨てていた。なんか書いてあることを一度読んだら、別に必要なものとも思わなかったし、意識もせずに、キャラメルパッケージを捨てるのと同じように捨てていた。
それが、オークションを見ていると、「帯つき」といううたい文句がある。勉強になったが、不思議である。

ネットオークションのヘビーユーザーが、あらゆる分野の相場を認知していて、高く売れる状態の商品を仕入れ、利益を乗せて、最流通させる・・・。このプロセスをこなしている人たちは、心からすごいと思う。何ていうか、一種の才能だ。俺には恐ろしく欠如している才能だ。

見習う気はないが、少しもかじっていないのに、彼らの商いにけちをつけているのでは、単なる高所得者に対するねたみになる。俺も、年商10万円、経常利益1000円くらいを稼げるようにしたい。

何でもやってみるものだ。不満も憧憬も発見も幻滅も、全て味わいながら、余暇の一部を過ごしたい。

何を売ろうかな~? 周囲を見渡す。書棚を探す。ろくなものがない。富士山の石が引き出しにあった。出してみるか??? 「石を売る」・・・。 義春さんのお告げがあった。

箪笥を見る。セコパーツかジャンク品しかない・・・。古書は紙魚で満たされている。もちろん帯はない。しみったれている。鉄くずがたくさんあった。何の鉄か、含有物も含めてわからない。出してみるか??? 「鉄を売る」・・・。 アパッチのお告げがあった。

工夫をするのみだ。売勇伝が出来たら報告する。 ネット上で痛い商品を見つけて、出品者が富山県になっていたら、真っ先に俺を疑って欲しい。楽しいのだ。

2007年11月27日火曜日

馬力が違う

うちの親父(戸籍上の父親、つまり、養子の俺にとって、嫁の父親)が、ヘルニア手術で2回目の入院をすることになった。2週間ほど前から痛くて立てなくなり、仕事を休んでずっと家で寝たきりで過ごしていたのだが、今日、病院に行って手術を決断したようだ。2回目であり、前回の恐怖も残っているだろうから、それなりに苦悩もあるのであろうが、痛みを取るための決断であり、前向きになっているようである。

内臓とかの手術ではないので、そんなに心配もしていない。ただただ、術後に順調な回復をし、余生を満喫できる体力を回復してほしい。本人は、まだ仕事をしたいそうだ。

俺の親父の世代の人間に、俺は心から敬服する。ざっくり括るならば、戦後から1950年代までに生まれた人たちだ。高度成長を仕事で体感してきた人たちだ。彼らの根底にあるパワーは、それ以降のヘナチョコとは、物が違う。向こうが馬なら、こちらはアヒルか鳥くらいだ。人を乗せて歩くパワーはない。

親父は、中学を卒業後、今の職場に入り、鉄骨建設の現場労働者を45年以上こなしてきた男だ。
勤続年数だけで、俺の年齢を超えている。しかも、一つの業種で一つの会社だ。俺の職歴は彼の年齢ほどある。嫌な相関だ。

親父の仕事は楽な仕事ではない。作業服の汚れや、工場の建物を見ると、プロレタリアートを絵に描いたような仕事だ。昔流行した「3K」なる言葉もやわに感じるほどの激務であると思う。

それを、年金がもらえる年になってもまだ、「働きたい」という。爪の垢でもチンカスでも煎じて飲んだところで、俺には真似できない勤勉さだ。

この世代の人が凄い理由は、種々考えられる。「選択肢が多く用意されていなかった。」「生活が楽ではなかったので、家族のためという一心で働く環境があった。」「高度経済成長の間接的な実感がパワーの源になった。」

どれも正解であろう。物質的に恵まれない世代に生まれたことは幸せなのかもしれない。それにしても理由をつけて賞賛するには、言葉による分析はあまりに陳腐である。

今の世の中の礎を作ったのは、俺の親父のような人たちであり、そんな親父が身近にいることを幸せに思う。彼らは、学歴はないが、賢いし、口下手ではあるが、言語能力に優れている。学ぶべきお手本は、この世代にある。一つでも多くのことを吸収したい。

先日、行きつけのレコード屋のご主人と話していて、「50年代、60年代の音源に外れを探すほうが難しいですよね~」といった会話をしていた。好き嫌いは別として、この時代の音楽は、今とは何か違う力があったように思うのだ。

何か? やはり馬力だ。物が豊かでない時代に、音楽が市民権を得ていない時代に作られる音楽と、今の音楽が同じパワーの精神力で作られているはずがない。やはり、人が備えた馬力が違うのだ。

見習おうにも見習えることではない。ただ、俺が出来るのは、俺の世代なりの最大の精神的パワーを注ぎ込めるように、真摯に取り組むことだけである。命を賭けるといった、安っぽい言葉での取り組みではない。俺らの世代なりの馬力が出せる能力は限られている、命を賭けたところで、先人の馬力には負ける。

馬力がないことを認めたうえで、恵まれた時代に生を受けたことに忠実な音楽を、精一杯の馬力でもって作りたいと思うのだ。比較対象は、先人ではない。自分に真摯に向き合い、自分のキャパと対比して、今出せる精一杯の性能を出そうと思う。

親父達はすごい馬力で生きてきた。よそ見をする機会もなく、ただただ、日々を誠実に生きてきた。彼らの晩年に、俺達は、最高の贈り物として、種々の興味の機会を与えてあげたい。

旅行でも、音楽でも、絵でも、盆栽でも、釣りでもよい。彼らが味わったことのないだけで、実はすごく惹かれる素地があったであろう対象を、こちらは真摯に観察し、随時提供していきたい。

それには、体があってこそである。よそのおっさんは知らない。うちの親父だけは元気な体を宿して、本格的な老後を迎えて欲しい。

俺は親父にたくさんの楽しいことを教えてあげ、それにかかるであろう費用も彼に費やす機会を与えてあげようと思う。旅行に彼が行きたいというならば、俺が最高の企画をする。もちろん添乗員は俺だ。客室のグレードは、親父がエコノミーで、俺がデラックスだ。

世代相応の楽しむ感覚が違う。親父に優しい庶民部屋と、俺に優しいセレブ部屋を用意することに俺はやましさを感じない。親父が徒歩で自然の道を闊歩するなら、俺は、タクシーで行程を先回りする。自然の中では1人にしてあげることも大切だ。有償の愛だ!グランジラブだ!

何を愚かなことを書いているのであろう・・・。

馬力だけでなく、性根も違う。俺を治す術はない。しかし、親父を治す術はある。痛みだけであれば変わってあげたい。彼の馬力を信じる。俺は今週の競馬の二歳馬の能力を信じる。 信じる先に馬力ありだ。

この青二才!                          →         俺

2007年11月26日月曜日

雑誌について考える

今年ほど音楽雑誌を読まなかった年はないのではないだろうか?と思う。購入したのは、「レココレ」の60年代、70年代の名盤特集号だけであり、立ち読みしたものも、ほとんど記憶にない。
例年なら、「ギターマガジン」や「プレイヤー」、「ヤングギター」「バーン」「ロッキンオンジャパン」等々を欠かさず立ち読みで完読し、購入もした。増刊号みたいなものもたくさん読んだ。しかし、今年は音楽雑誌コーナー自体に立ち寄らなくなった。

また、他のジャンルの雑誌にしても、今年はあまり読まなかった。立ち読みの機会が減った。

今年、よく読んだ雑誌は「文藝春秋」である。去年までも気になる記事は立ち読みで完読していたのだが、購入したことはなかった。今年は隔月くらいで購入した。

雑誌という媒体に対して、俺の中で優劣をつけて、少し構えていた年であったのかもしれない。

「文藝春秋」という雑誌に対して俺は偏見を持っていた。「プレジデント」と並ぶ、社長室の書棚の置物のような、気取った香りを感じていた。地位と名誉を十分に獲得した人が、中途半端な知識欲でタイトルだけを目で追って、気の効いた言葉を盗みながら、インテリかぶれをするための雑誌であったと思っていた。だいたい、広告が高級カバンや高級時計はわかるにしても、高級万年筆や陶器ですぜ!ウイスキーは「山崎」ですわ。ジャックダニエルは白黒でも載りません・・・。
広告を見るたびに吐き気がして、購入をためらっていたのだ。狭い偏見だ。

今でも、上記の見方は半分は正しいと思う。「文藝春秋」を読んで、各界のスーパーエリートの発言をそのまま自説として話している上流階級志向の人はよく目にする。しかし、この雑誌はそういう志向を持った人たちに対して記事を編集しているのであろうから、実によく市場調査されている。雑誌に罪はない。

今年、「文藝春秋」をよく読んだ理由は、「文春文庫」の文庫本で知り合った作品の中に、自分にとっての名著が数多くあったからである。たまたま今年よく知り合っただけであるが、これもタイミングである。また、心なしか、今年の「文藝春秋」は、俗的な週刊誌しか取り上げなかった話題に挑戦していた気がする。
そして、最大の理由は、自分にとっての読みたい興味分野に閉塞感があり、新たなる好奇心の分野がどこかにあるのではないかと思ったことだ。断片的なヒントでも良いから、何か、書棚を見渡す活力となる作家や、研究分野にめぐり合いたかったのである。

「裏社会」「任侠」「マイノリティー」「ジェンダー」「陰謀」といった分野に対しては、ここ15年くらいで、数多くの書籍や実地検分に触れ、好奇心の欲求をだいぶ満たしてきた。知識量としては鼻くそみたいなものであろうが、俺は学者ではない。己の好奇心が満たされればそれでいいのだ。
しかし、それに続く興味分野が持てないでいた。

自分にとって興奮の対象となる1人の作家や、1つの興味分野との出会いはなかなかに来てくれない。

今年は総じて、不作であった。自分が知り合うものが不作に思えた。今まで深く関わらなかった作家もたくさん読んだ。しかし・・・。 そして「文藝春秋」に救いを求めた。

「文藝春秋」の記事は、どれも確かに面白い。1冊を1日で完読せずにはおれない面白さだ。でも、読み終わった後に残るのは、不毛の土地だ。だめだ。

自分の感性が衰えていないかをずっと自問自答していた今年であった。色んな未知の分野があるのに、それに触れるチャンスを逸しているのではないか、または、触れているのに感動を味わう感性がなくなっていて、劇的な出会いを逸していたのではないか、という恐怖感が常にあり、それは、過去のブログでもよく触れている。

知らない分野に触れるために、種々の雑誌や、普段立ち寄らない書籍コーナーに立ち寄ってみるようにしているが、そんな風にしてまで未知なる領域を増やすことが果たして幸せなことであるのかについても迷っていた。

色んな選択肢がある中で、なんで俺は音楽に目覚めて、日の当たらないものに興味をそそられ、今にいたっているのであろうか? 人によってはアニメに夢中になったり、映画に夢中になったり、天体に夢中になったり、歴史に夢中になったり・・・、人間の数だけ興味の分野がある中で、何に魅かれて今を選択しているのであろう??? 

雑誌について考える今日のブログであった。 

雑誌は、下種なものが多い。でも、その時々の出会うべきヒントとなる興味分野が散りばめられているものであると考えるならば、最高の入門書ではないか。エロ写真や記事と「エイズの危機」「性の乱れ批判」を同一にしている週刊誌だって、皇室と芸能界のスキャンダルを同一にパッケージしている週刊誌だって、興味のヒントがあると思えば、読む価値はあるのかもしれない。

手始めに何のコーナーからいこう? そう思って今日はめったに行かない本屋に立ち寄った。「ドアを入って2番目の列を右に行って、その奥の左の雑誌コーナーの下を物色しよう!」

計画は秀逸である。レイアウトが少し違っていたが、だいたい目論見通り、書店を闊歩し、たどり着いた先にあった雑誌は、刺青がたくさん載った雑誌であった。名は明かさないが、結構、固定読者が多そうな雑誌であった。書店のレイアウトを概観すると、エロ本以上、バイク・車雑誌未満の扱いを受けたコーナーに置かれてあった。真面目に読んだ。文様を見た。痺れた。

広告を見た。ファッション広告があった。「2007秋! ヤーコレ」というタイトルで、萬田と文太と健に似た人がモデルで、いかした服を着ていた。ナイスコピーだ!以前にもこのコピーを見たことがあるので、どうやらその世界の定番コピーみたいだ。

興味分野を広げるのは容易ではない。今日の分野は俺の従来の分野だ。しかし、良いコピーがまだ存在していることが嬉しかった。

明日はどこに行こう? 決まらないが、「これヤーコレ!」と思える媒体に出会いたい。センスは二の次である。

2007年11月25日日曜日

ニールヤングを聴く

ニールヤングの新譜が日本でも今月の21日に発売されたそうです。輸入版で一足早く手に入れて聞き込んでいたのですが、個人的には、翁のアルバムの中でもベスト5に入るお気に入りです。
ライナーノーツが輸入版にはなく、インターネット上でも新譜に対する情報がなかったのですが、大昔に作成して発売されなかった幻のアルバム音源が火事で焼けて無くなってしまい、昔の曲に新曲を加えて作り直したといったアルバムみたいです。確かなことはわかりません。

全10曲中、18分が1曲、14分が1曲と、相変わらずやってくれます。
ひと言で言えば、グランジ世代にちやほやされた以降の御大の手法と感性が全て凝縮されたアルバムですわ。詞はこのアルバムが一番好き。

18分の" ordinary people"という曲なんか、詞がすごい長さで綴られています。
ギターの音量自体も若干低めでありながら、いつもの金属音が坦々とすごい純度で奏でられてます。
フォーンが結構存在感を増しているのですが、内なる爆発感はすごい高い!でも、ニールの翁は曲中での辛抱力を増しました。中盤は寸止めの連続でじらされます。 エンディングまでよく辛抱した分、最後の爆発はいつも以上の翁・・・(笑)。冷静なのはフォーン部隊だけという有様で、最後にはわけのわからないガレージサウンドが入っています。なんというか、冷や冷やする感覚は、初めてジミーペイジのソロを聞いた時以上ですな。

静かな唄ものの曲は、限りなくメロディーが綺麗でいて、都会の香りプンプンのアダルトソングになる素地がたっぷりある曲なのですが、ニール様が演奏すると。どこか田舎臭い雰囲気と、「おい!」という突込みが入る箇所があり、笑い泣きします。

リフもののリフは相変わらず、ネタとしては、ダサダサで、今回一番ダサい"Dirty old man"においての、殺戮のリフに鍵盤が入ってくるアレンジなんかは、感覚を疑いたくなるほどのかっこ悪さ・・・。
涙出るほどかっこ悪くて感動します。

細部に耳も行くのですが、1曲1曲冷静に聴くのが馬鹿馬鹿しくなるほどの全体を包み込む人間力とでもいうべき、上質の魂が詰め込まれていますよ。

最後の曲を聴いた時は、涙がボロボロこぼれます。泣きたくないから、なかなか聴けない。

ニールヤングがこのアルバムの曲をいつ作ったのかはわかりません。文字通り新曲なのか、昔の曲の焼き直しなのかはわかりませんが、玉露のような曲を御大が最近吹き込んだことだけは確かです。

詞を聞いていていつも思うが、この人ほど、歳を取ることに全力で向き合い、それを超越している人はいないのではないか?歌詞の一部は別の曲と同じフレーズの焼き直しもありますが、吹き込んだ時点のニール様の気心が不思議と心に伝わります。

俺は評論家ではないので、御大がどういう心境でこれらの名曲を作ったのかを詮索しようとは思いません。ただ、国籍と育ちが違うカナダ人のおっさんが奏でる音楽に、20年近く心を震わされていることに幸せを感じずにはいられません。

20歳以降の俺の思い出は、いつもニールヤングの曲と共にあり、思い出す光景の断片が、全て、ニールヤングの曲とリンクしているのです。なんという幸せ。彼の伝記を読みたいとも思わないし、彼を偶像視する気もないし、サイトをチェックしているわけでもない。でも、生活の一部であり続けてくださる。

個人的にいまいちであるアルバムが今までになかったわけでもない。でも、聞き込まないアルバムはない。全てが、俺の感性の中に貯蔵されている。

何だろう?これだけ心を震わされる心底にあるのは??????? 

音楽、文章、絵といった色々な感動を運ぶものがあるが、ニールヤングの音楽には、人間のDNAに刻まれている善の興奮因子があるのではないか? 音楽を聴いたことのない人間でも内包している母なるメロディーと言葉の融合・・・・。

いつか出来るであろう俺の子供にも、聴かせたい。聴く、聞く、どちらでも良い。俺は幸せだ。効く。

2007年11月24日土曜日

雪国の暮らし

大阪で生まれ育った俺は、12年前に富山に来るまで、スタッドレスタイヤなるものの存在を知らなかった。だいたい、車の免許自体を富山行きが決定する25歳までとらなかったくらいだ。知るはずがない。
バイクで冬場にツーリングする時も、ノーマルタイヤですいすい走っていた。12月に和歌山行きを決した時は、奈良のど田舎で氷点下の気温に見舞われたが、スリップする恐怖を知らずに走っていた。
幸いにして、積雪による通行止めでUターンを余儀なくされたのだが、それがなければ、多分、今頃皮膚のいたるところがズル剥けになっているであろう。

タイヤでスリップ度合いが変わるということ自体に意識がいかなかったのである。

富山に来て初めての冬、スリップの怖さを知らない俺は、積雪50センチはあるであろう深夜に、細い道を走行中、鼻毛を抜いていた。そして、曲がり道に気付き、ハンドルを切ったが、案の定、ブレーキを深く踏み込み、ロックオンされた。

発射されたのは俺の車である。向かう先は「20キロメートル」の速度表示板である。スピード自体は20キロほどしか出ていなかったのであるが、垂直に立っている公共の棒に角度をつけることになった。

正直な俺は、速度表示板を倒したことを警察に自首した。裁きを受けて、留置場に入ることを期待していたが、すぐに帰された。裁きは保険料の金額で済まされた。臭い飯を食うのは容易ではない。

振り返ってみれば、スリップの怖さをしらない、理系的頭脳のないガキんちょに、その身をもって理解する機会を、こんな小さな衝突で味あわせていただいたことを嬉しく思う。

雪道の悲劇を味わった経験はもう一回ある。

ある健康センターの駐車上内に、用水路があったのだが、その用水と駐車場から国道に出る道が交わるところには小さな橋桁がかかっているのだが、その橋桁自体が吹雪で見えなかった。幅が5メートルぐらいの橋桁以外には、地上から10センチほどの突起物しかなかった。

俺は徐行運転で橋桁めがけてロックオンした。しかし、暴発し、橋桁を外し、深さ1メートルくらいの用水に頭から突っ込んだ。車の先が用水の底に到着し、後部が空中に浮いている状態での吊るし上げの刑を3時間ほど食らった。

板金塗装も含めて、修理代は30万くらいかかった。俺が突っ込んだ後に、その用水には、「転落注意」の看板と「アサヒスーパードライ」ののぼりが立ててあった。俺は心で狼煙を上げた。吹雪の中で朝日を拝んだ俺に対する冒涜だ! 「もっと早く揚げんかい!」  怒りは乾かない・・・。

腹いせに、しばらくの間、そこを通りかかる度に、車を止め、立ちション攻撃をくり返した。
野犬に噛まれそうになった。狼みたいな野犬だ。呪わしい・・・。

今でこそ順応したが、雪国の暮らしは奥深い。ちょっと油断をすると、ロックオンされる。飛び出す先は痛い所か、痛みを感じない場所である。後者には行きたくないものだ。

そろそろ寒くなってきたので、タイヤを交換しようと思う。しかし、このスタッドレスタイヤというブツを履くと、極端に燃費が悪くなる。地面を捕らえ過ぎるのだ。雪が降らない通常の地面を走るには、今のガソリン価格は高すぎる。もう少し待とうか?

雪国は都会と比べて、対自然に対して金がかかる。スタッドレスタイヤもしかり、灯油の使用量も然り、融雪装置、アノラック、除雪用のママさんダンプや、スコップ・・・・。

大手の企業では「寒冷地手当て」なるものがあるらしい。ならば、国に物申したい。

雪国に対する特別の減税を検討してくれ! どう考えても、対自然の生活費は都会の人よりもかかる。
「スリップ控除」、「ロックオン控除」、「除雪控除」などを、積雪量に応じて考えて欲しいのだ。

自動車屋などは冬場は修理で儲かるので、一見、控除は要らない気がするが、冬場に車を買い替える人は少数である。トータルではマイナスではなかろうか?

骨粗鬆の老人の骨は、雪が降るたびポキポキ折れる。雪道で、雪に突き刺さっている前衛アートの彫刻のような老人を何度も見たことがある。発見が遅れれば、彼らは文字通り凝固する。雪国の老人に対する「骨折手当て」なるものも必要だ。

真面目に言っている。雪国の暮らしに目を向けて欲しい。

「働けど 働けど わが暮らし ロックオン」 (「まえけん全集」別巻『北の脅威』より引用)

2007年11月23日金曜日

おう!

常日頃から思っていることがある。
国文法の体系を「国文法」という名の下に、たくさんの時間を割いてまでして生徒に教える必要があるのかな?ということだ。

文節に区切ることから始まり、品詞分類やら、活用やら活用の種類やら・・・。母国語以外の言語には当然、しっかりとした文法体系を学ぶことは必要な面もあると思うが、日本語に後付の文法を必至で教える必要があるのかな?と不思議でならない。

当然、正しい日本語を使うためには文法は大事なのかも知れないが、あまりに体系が整備されすぎていて、そこに感性はない。

基本的に俺は、生徒には、「国語の文法問題は本能で解け」と言っている。英語は別だ。今日は日本語の口語文法に関してだけを言う。

毎日使っている日本語を体系化すること自体は有意義であると思う。外国人に日本語を教える時に、体系がなければ、何から学ばせていいかわからない。俺らが英語を文法から学ぶのと同じだ。英文法は、外国語を学ぶ俺たちにとっては大事であると思う。

日本語は、助詞・助動詞が外国人にとって難しいであろうことは、容易に想像できる。だから、日本語を覚えたての外国人は、助詞と助動詞をなるべく省いて話す傾向があると思う。「私(は)思うあるよ あなた(が)間違っているあるよ。」

助詞を省いて、「あるよ」をつけると、なんとなく似非の香りがするが、意味は通じる。助詞がないが救いようがある。でもしょせん、似非は似非だ。しっかりとした日本語を学びたい外国人には、助詞・助動詞のしっかりとした体系が必要である。

しか~し、日本語を毎日話しながら、複雑な助詞・助動詞の活用を無意識に出来る人たちに、改めてフォーマルな体系を学ばせることに何の意義があるのかは疑問である。正直、今の現状を見ていると、中学生レベルで、外国人以下の日本語活用力しか持っていない生徒はたくさんいる。

でも、彼らに体系から教えることが何の意味をなすのであろうか? 文法体系は、日本語の仕様説明書である。説明書を読む力がある人が、文法を学べるのであって、それがない人が体系から学ぶのは無理がある。その場合は、やはり、日常会話レベルからの「聞く」「話す」「読む」「書く」の基本練習に時間を割いてあげて、感覚的に正しい日本語力を養成すべきであろう。良い文章と良い会話の時間を作ってあげるべきである。

日本語上級者に対しても然りである。体系を眺めて、「なるほど」と思うことはあるが、彼らはすでに頭の中で体系を持っている。それを今更具現化して、問題にするというのは、彼らに対して、科学的であることの馬鹿らしさを植えつけることになるのではないかと思うのだ。

非常に不満のある文法ではあるが、くだらない問題が入試に出題されるので、文法に癖のある学校や県の受験をする人には、「本能で解け」と突き放しつつも、添削を併用しながらしのいでいる。

今日、添削した文法問題は愚の骨頂であった。

「やあ」とか「おい」とかを「感動詞」と定義するのであるが、まったくもって馬鹿馬鹿しい。しかしフォーマルである。その感動詞のくだらない問題を記憶を頼りに再現するとこんな感じである。例文はかなり違っているが、趣旨は正確に再現する。

「次の傍線部の感動詞の用法を、あとのア~エの中から選びなさい。」
 【 通りを歩いていると級友の安夫に出くわした。「今日のテストどうだった。」と聞いたら、頼もしい返事が返ってきた。「おう、これ以上ないくらい最高だぜ。」】
この「おう」の種類の分類であるが、正解は「応答」というものであった。

点数でいう成績が低い生徒がほとんど正解しているのに対し、高得点組みの筆頭である生徒だけが間違えていた。彼女が選んだ選択肢は「あいさつ」というものであった。俺も文法体系に害されてきたのか、迷いなく「応答」を選んだ。しかし・・・

その彼女は、関西に生まれ育ち、越中に中学生になってから転校してきた生徒である。
よくよく考えると、同じ関西生まれの育ちの人間として、上記の「おう」は「あいさつ」にしか、俺も思えなくなってきたのだ。「おう」が「はい」といった肯定の意味を表すならば「応答」かもしれないが、道端であった級友に対して、「おう」という言葉で「毎度」とか「おや、~君やんけ」といった意味に捉えるならば、間違いなくこれは「あいさつ」である。あいさつをしてから本題への応答に入る・・・。美しいではないか!  豊かな意思疎通ではないか!

俺は彼女の誤答を突っ込みをいれて添削し、「おう をあいさつに使うのは関西人だけみたいやな?」とコメントした。そして直接、「これと同種の問題が出て、仮にこの誤答が原因で不合格になっても、それはむしろ喜ばしいことちゃうか?」と言った。彼女も頷いていた。保護者にも同趣旨のことを話すつもりである。

言葉という壮大な感情の発露手段を、言葉で定義することの限界を露呈しているものが、文法ではないかと思うのだ。体系を作ることは大事だが、言語を学んでいる生徒に長時間かけて指導する項目ではないと思う。豊かな感覚と言語認識を育みつつある子供たちに、悪戯な定義を植え付けたくはないと思っている。

文法を学んで楽しいのは、むしろ大人であろう。自分が何気なく使ってきた言葉が、体系化されたものを見ると、実に新たな発見があるし、素晴らしく定義したものであると思う。しかし、言語を感覚的に育む過程にある子供たちにとっての言語は、体系化されるほど安っぽいものであってはならないのだと思うのだ。後付の言い訳と体系化は大人の道楽であり、言い訳であり、これを得意とするの人種の筆頭が政治家だ。

文法体系を個人的には面白く思いながらも、本能を重視した感覚の鋭敏さを子供たちには養って欲しいと思う。そして、彼らから、感覚の素晴らしさを吸収して、衰えいく本能を鼓舞したい。

文法は面白くて必要だ。その一方で、文法用語は18禁だ。青い春に与える春本は想像力を鼓舞するものであってほしい。

おう」 ・・・結びの言葉への非難に対するあいさつだ。応答ではない。解釈は様々だ。




 

2007年11月22日木曜日

渋柿

元「シブがき隊」のふっくん、いろんな大変な苦労をされているようだが、実に立派な大人だな~とスポーツ新聞を見て思った。あれだけアイドルとして一世風靡をされた方が、傲慢にならずに円熟した大人になられているのを素晴らしく思った。実際の人となりは知らないが、表情を見る限り、素晴らしい性分の方だなと思った。

話は変るが、昨日、今日と、最高気温が6度くらいで、非常に寒い日を過ごした。日中で屋内にいても、暖房無しでは過ごせないほどの寒さである。ちょうど今頃が一番体感温度が寒く感じるのではあろうが、それにしても寒い。何か変だ???

元来、俺は暑がりであった。夏の汗は力士なみにかく。冬でもメタボの症状くらいかく。俺のライブ後のTシャツは、塩を製造できるくらい、粉をふいている。肉体労働をしようものなら商売で塩を密売できるくらいかく。「土方の塩」だ。

そんな俺は、従来なら今の時季でも軽装であった。せいぜい下着に一枚かぶせて、ジャンパーをたまに着るくらいだ。屋内では時に半そでになることもあるくらいだ。ストーブの前でぶるぶる震えている光景は、俺の体験上思い出せないくらい少ない。

そんな俺が、明日からズボン下に下着を着込むことを決めた。パッチ、股引と言われて、親父のファッションと蔑まれているあの縮んだズボンみたいなやつをだ・・・。何か変だ????

俺は血の気が多い性質だ。喧嘩は弱いが沸点は高い。気は弱いが志は高い。武士に生まれていたら、早死にであったろう。義はあるが、武がないのだ。喧嘩に勝った経験は、18歳の時の小学生との喧嘩以外ない。社会的に負けた喧嘩だ。この時は義もなかった。戯であった。

体温も常に高い。平熱で36.5度を切る事はなかった。38度くらいなら俺にとっては微熱だ。10キロは歩けるくらいの微熱だ。恋した時のときめきくらいの体温だ。体は冬でも暖かい。嫁は俺の足先をカイロ代わりにしていたくらいだ。ところがところが・・・。何か変だ????

体質の変化だ。昨年末の事故以来、明らかに変化が起こったのだ。

家の中でも靴下をはくようになった。入浴時間が長くなった。今まで熱いと敬遠していた浴場が適温になった。手足の温度が極端に低くなった。これは体感だけでなく、嫁の実地検分で確証済みである。平熱も35度台に突入する日も増えた。厚着になった。ホットコーヒーを飲むようになった。尿が近くなった。

冷え性になったことに伴い、生まれて36年間、理解できなかった肩凝りなるものが発生したり、それに伴うあちこちの痛みが発生したり、マイナス面にばかり目がいき、事故を呪う日もあった。

しかし、冷静に、事故以来良くなった面に目を向けてみた。

心なしか温厚になった。嫁にも優しくなったし、絶対かかってこない相手に精神喧嘩を売る行為も減った。例えば、老人とか子供にである。悪がき隊、嫌、愚連隊である。同年代は体格と性質を見極めて精神喧嘩をしていた。それもしなくなった。いや、少なくなった。更正だ。

言葉遣いが綺麗になった。例えば、「いてまうどコラ」が「切れちゃうよ僕」になり、「なめとんかコラ」が「なめてるの、あん」に、「どたまカチ割るど」が「頭たたくよ」になった。程度は低いが、武闘派から頭脳派への変化である。どちらも893であるが、長生き出来る確率は今の方が高い。知的じゃん!

体の変調に一喜一憂している場合ではない。精神的な変化を体がもたらしてくれたのであれば、プラスマイナスはむしろプラスに分がある。おまけに、体が痛い人の気持ちがわかるようになった。事故は俺にとってプラスであったと思う。

事故がなくても、加齢による体質変化はある。体力面での低下に伴い、体のいろんな部分に不具合が出てくる。それが、事故というきっかけを通して顕著になるのであれば、実に分かりやすくてよい。
体の変調が加齢に対する怯えにつながるくらいなら、はっきりと出てくれたほうが明朗だ。

正面衝突の交通事故は、劇的な体の変化を生んだ。マイナス面にばかり目が行きがちであったが、1年近くたって、俺の中での事故に対する総括は済んだ。

俺にとってのプラスをもたらしてくれた、交通事故という劇的な変化はそうそうあるものではない。変わり映えのしない日々の連続を地道にこなしたものにだけに、円熟があるのかもしれない。

劇的な衝突があってしか気付けない愚かさが嘆かわしい。日々起こっているであろう小さな衝突・・・。その衝突を有意義に生かせなかった俺に、大事故が起こり、目を覚まさせてくれたのだと思う。
今後は、日々の小さな衝突に敏感に、それをしっかり噛みしめて、体質の変化と相談して、過ごしていきたい。

安っぽい匂いを撒き散らして腐敗するのではなく、鋭角な臭いを内に宿した円熟を目指したい。熟した果実は美味である。主張もある。腐敗した果実は主張が見えなく朽ち果てる。匂いは、はかなく、最終的には臭くなる。  円熟だよ円熟・・・。シブがき隊だよ。

色々なことを考えた、今日の朝型。枕から香る加齢臭。まだまだ匂いは表面に溢れていた。円熟道は険しいが、臭いを消すための劇的な衝突はいらない。年月の外皮が包んでくれるにつれて、芳香な匂いに変わっていくだろう。渋柿だよ渋柿・・・。

2007年11月21日水曜日

癒し

「バスあかり」なる商品があるらしい。小型のカップに入ったキャンドルで、浴槽に入れられるらしい。湯船に光るキャンドルに癒しの効果があるらしい。売り上げが好調なのかどうかはしらないが、目をつけたメーカーは、癒しに敏感である。

どっか、ふらりと出かけた公衆浴場に、たまに、こういった色物商品が取り入れられるのであれば、実に面白い。林檎湯、みかん湯、ゆず湯と色々あるが、その中に「バスあかり湯」があるのは良い。

詳細を知らない上で書いているのだが、どうやらこの商品は家庭用の浴槽を対象にしているもののような気がする。効能として神経リラックス作用があるのかもしれない。

色々なストレスや、色々な居住空間があって然るべきである。でも、個人的な実感として、「バスあかり」なるものが必要になるほどの癒しが商品化されて、そこにマーケットがあるという実感は無い。しかし、メーカーが出すのであろうから、それなりの勝算はあるのであろう。

癒しというものが商売上のターゲットになって等しい。「癒し」「リラクゼーション」なる言葉自体を看板や広告の文字でよく見かけるようになったのは、インターネットが多くの家庭に普及しだした頃と、同じごろではなかろうか? そんな気がした。

インターネット普及以前にも、今の癒しを目的とした商品と同じ趣旨のものがなかったかと言えば、あったはずである。例えば、バスクリンや小鳥のさえずりを録音した音源などである。しかし、販売促進のキャッチコピーが癒しをテーマにはしていなかったように思う。バスクリンであるなら、「温泉と同じ成分を再現! 我が家の温泉」といった文句はあっても(ダサすぎるコピーであるが)、「癒し」という言葉が組み込まれることはなかった気がする。

俺が初めて「癒し」という言葉を口に出したのは、たしか、嫁が自宅でお香を焚いた時だ。7年くらい前であろうか? その時には、世間一般に「癒し」という言葉が認知されていた。しかし、この言葉は、今の「スピリチュアル」といった言葉並みに、実に胡散臭い言葉として認識していた気がする。

癒しなるものが、いまいちわからないのだ。お香を焚くと確かに鼻が喜ぶ。香りを充満させた部屋で昼寝をすると気持がいい。しかし、これを特別なものとしてとらえなくても、仏間で線香の香りに包まれて寝ている時にも同じような作用があったはずだ。しかし、昭和の時代に仏間と仏壇と線香が身近な家の住人が、これを癒しとしてとらえていることはなかったと思う。そこで育った子供たちが、家を離れ、たまに帰省した時に仏間で寝ると、「あ~、いい香りだ。昔を思い出すな~。なつかしいよな~。」とほっとし、安眠を保証していたものではあったが、癒しを目的として、「よし、今日はお前が久々に帰ってきたから、仏間の線香の香りをラベンダーにしたよ。」といった、おもてなしをする発想自体がなかったのだ。

何が違うのだろうか?癒しの仕掛け人は誰であろうか?現代人が癒しが必要なのは、感覚的にはわかる。しかし、既製品でまかなえるものが癒しになるのかが疑問なのだ。

心ある人やペットとの交流、自然の眺望、入浴、音楽を聴く・・・・・、色々な機会が昔から与えられていて、それは人それぞれが、自分の嗅覚を頼りに探すものであったし、探し続ける限り、いつの間にか欲するものに辿りつけていたのではなかったか? パッケージされた癒し商品に、栄養ドリンクを買うような視点で癒しを求めることが、果たして癒しなのであろうか?

「癒し」という言葉の語感は好きだ。しかし、この言葉が、上質の飴であるかのように市場を跋扈し、この言葉を何の疑問も無く、治療的な感覚ですえる時代になっていることが怖い気がする。

インターネットの本格的な普及と同時に、「癒し」が認知されだしたというのは、俺の個人的な実感であり、統計も分析もない。しかし、実感ではあるがどうもあたっている気がする。それと時を同じくして、「鬱」という言葉も広く認知されだした。「心療内科」が「肛門科」より多くの独立医院として開業したのもインターネットと時を同じくする。

もちろん、インターネット以前にも「癒し」や「鬱」の感覚はあった。しかし、言葉として認知されることの意味は大きい。

癒されたいと思っている方や、「鬱」に苦しんでおられる方が、その人にとって最適なものと出会え、その出会いが彼らの辛さを軽減できるものであって欲しいと願うだけだ。

商品が増え、インターネットで調べ物も購入も楽になった。それと同時に「癒し」を欲する人が増えてきたと思うこの自分の感覚。 錯覚であってほしい。そして両者に因果関係がないことを願う。

「バスあかり」・・・どこの風呂場にだって明かりはある。浴槽にまで人工的な明かりを入れる社会を俺は健全とは思わない。

たかが「癒し」を狙った商品に絡めて、「癒し」をここまで重く考える必要自体がないのは、わかっている。世相に噛み付く卑しい思想にまみれている。しかし気になるものはなる。

俺は、「癒し」という言葉を口にしなかった時代の感覚で、ほっとする何かをたくさん身につけようと思う。

手始めに香りを出そう。  タバコを吸う。   咳が出る。 香りは病の香りだ。 香りを出すものはドラッグだ。「癒」はヤマイダレだ。 芳しくはない。 

2007年11月20日火曜日

「想像力」を暴く

「想像力」とは何だ? 

「カントさんが哲学的思考した結果、感性と悟性の二つの違った能力を媒介する能力を構想する力」とでも言うのか・・。

なんかよくわからない辞書的定義だ。だいたい、カントなるおっさんの著書を一本読みはしていない。しかし、いろんな引用などの場面で出てくるので、目にすることは多い。よくもま~、こんだけ定義するな~というくらい、定義力に優れたおっさんだ。御仁こそが想像力の権威だ。

「想像力」という言葉は、俺は良いイメージに捉えている。時事的評論などにおいて、特に、犯罪心理学などの場面において、「想像力の欠如が根本の原因である。」といった見解を、よく目に耳にする。

肯定派だ。俺も、想像力は大事なことで、本来備わった性質に適切な想像力があれば、色々な問題は解決できる気もする。

肯定的な意見はまたの機会にして、今日は、デメリット面について考える~の心だ~!(小沢昭一風)

今日の夕飯(といっても10分前に食べ終えた)には、今年2回目の、カニ身があった。実に美味い。紅か、本か、タラバか、毛か、何かは知らない。沢ではない。身が大きい。実に美味であった。

俺は魚介類が死ぬほど好きだ。大げさではない。味覚も肥えている。毎回最後の晩餐の気持ちで魚介類に面している。「鯵」と書いて、「まじ(本気)」と読むくらい好きだ。

特にわが住む町は魚介類が非常によろしい。魚介類に居住区分も糞もあったものではないが、俺は日本海東部におはしまする魚介類君が特に好きだ。よくぞ、この閉鎖的な海原に迷い込んでくれました!と拍手喝采を送りながら、毎回食している。

しかし、俺が好きな魚介類は、漁師が水揚げしたものに限られる。つまり、市場を通して手に入る魚介類だ。個人的な釣り人が竿で釣り上げた魚は食べることが出来ない。もっぱら魚河岸専門だ。漁師と名の付く人が、網で取った獲物だけを俺は食する。

最近はしていないが、富山に移住してからというもの、よく釣りに行った。釣りは好きである。防波堤から鯵や細魚や小鯛をたくさん釣った。カワハギなんかも釣った。また、船釣りでキスをたくさん上げたこともある。家に持ち帰って、妻は料理した。しかし、俺は体調不良を理由に食さなかった。

釣りを否定はしてはいない。大好きである。しかし釣果の獲物を食することは出来ない。なぜか?

答えは簡単である。釣りで使うえさは「いそめ」であるからだ。あの、ミミズと蛆虫の負の部分だけを肉した生物を、俺は心から嫌っている。奴の臭いは殺戮の香りだ。

殺戮の臭いのするものに、卑しくも食いつき、くちびるに針を刺され、上に持ち上げられる魚が美味いはずはない。釣り上げられる魚は、背筋も凍る経験をして極度の恐怖と痛みで、発狂した状態で死期を迎えるのだ。死の直前の奴らの恐怖を、そして、奴らをその恐怖と痛みに誘った人間への怨念を俺は想像力で感じることが出来る。美味いはずがない。

同情する面もある。釣り上げられた魚の同僚は泣きながら彼に弔辞を述べる。

「だから言ったんだ。いそめに気をつけろと俺は何回も諌めただろう。この魚鹿魚鹿、馬魚馬魚!」

一度釣り上げた魚の唇が切れていたことがある。きっと奴は、以前にも、いそめに食いついて、釣り上げられた釣り人に強引に釣針を抜かれ、その上リリースされた奴であろう。しかし、また食いついた。あれほど激痛と死の恐怖を味わったにも関わらずだ。本能とは怖い。 ファインディング ノーモア!

いそめに釣られる奴は、いそめを食している奴だ。いそめの養分が彼らの身となっている。彼らはきな臭い。血の味がする。

一方、網で獲られる魚は高貴である。彼らの防御システム上、網にかかって獲られるのは仕方が無い。網を揚げられ、一瞬狼狽するが、港までは水槽の中だ。死の恐怖は少ない。まして、痛みはない。
カゴに移されるときに息苦しさは感じるが、人間だって息苦しさを感じて死ぬ事例が多い。怨念を抱くほどではない。魚河岸の地べたで、人間の足で蹴飛ばされる時に彼らの意識は無い。

網で獲られる魚は、普段の食生活も健全だ。プランクトンなどを食べる。他に何を食べているかは知らないが、いそめを食べるよりは、プラークコントロールをしている。彼らに歯垢はない。実にデンター魚だ。彼らなら俺は丸かじりで食すことが出来る。かじっても血が出ない。

以上のような想像力に基づく理由で、俺は釣り上げた魚を食べない。

俺の想像力は矛盾に満ちている。実に偏見と傲慢に満ちた想像力だ。低脳な想像力だ。思いをはせる局面はある一部だけだ。いそめに支配されている。

想像力を正しく働かせたならば、カニやウニを美味と思うはずが無い。だいたい、見た目で判断して、食す対象ではない。人類史上初めてカニを食べた人を俺は尊敬する。カニはどうみてもインベーダーだ。横歩きをしている所をゲーマーに連打されて消える運命だが、立派な侵略者だ。カニを初めて見た人が、彼を侵略者とみなさずに、体内に取り入れた、そんな神経の想像力のなさに俺は敬意を表する。この場面においては想像力の欠如が吉と出たのだ。

想像力は思い込みと紙一重である。冒頭の定義に戻る。感性と悟性の両方ともが、健全である保証はない。カニをインベーダーに見立てる性質を感性と言う。一方、カニは美味しいと思う性質を悟性と言う。二つの能力を媒介する構想力は、文化が育んだ思い込みだ。公平なジャッジは無い。

どうだ? 想像力なんてものは、いい加減なものであることがわかったか!    

誰に言っているのであろうか? 想像の相手にである。悟性はない。感性はある。媒介するものはない。バイガイは美味しい。 駄洒落ではない。魚洒落である。鮮度はいい。

想像力・・・。なんて生臭い!

2007年11月19日月曜日

言語舌

今日の中学入試をする生徒に対する教材のひとコマだ。

(問い)
「次の中で、語句の使い方として適切なほうを選びなさい。」みたいな問題があった。

間違いが多かった、適切でないほうの選択肢はこれだ。

 「 今度こそ汚名を挽回するいいチャンスだ 」

適切なほうの文はこうだ。

 「 今度こそ名誉を挽回するいいチャンスだ。」

俺は偉そうに教えているが、正解と不正解を並べて比較してみた時に、この二つの文章にすごく違和感を持った。「どっちでもいいやんけ!」 そして、すごく興味深いことに気がついた。俺が興味深いだけだ。認識がずれているだけであろう。しかし、興味深い。一人の言語フェチの戯言として読んで欲しい。

「汚名」と「名誉」・・・、 上記の正しい用法で考えれば、どちらも完了してしまった状態を表しているのだろう。「汚れた名」、「誉れある名」、目的語として両者を捉えたら、挽回するのは「誉れある名」であろう。

しかし、文全体で読んで、「今度こそ汚れてしまった名前を、もう一度綺麗な状態に戻したい」といった解釈は可能ではなかろうか?拡大解釈であろうか? これが出来るのであれば、「汚名を挽回する」という表現もあり得るのではなかろうか?

日本語は難しい。ここまでを読み手に伝えることだけでも困難だ。理解していただけない方にはいつか挽回する。挽回するものは「名誉」でも「汚名」でもない。ただ活力ある文章を書きたいだけだ。リカバーではない。リゲインだ。栄養がある。無駄もあるが一日一本だ。 

脱線した。戻る。

言葉の認識は受け取り方の感受の仕方によっても変わってくる。俺は、一度罪を犯して落ちた評価は挽回できない一方で、一度名をなせば、その名声が仮に傷ついても挽回できるというのは、不公平ではないかと考えたのだ。実に権威主義で、おごり高ぶった人間性を見た気がして、誤法を選んだ生徒をかばいたい気になった。生徒はそこまで深く考えてはいないが・・・。本当にかばわれるべきは俺かもしれない。リカバーしてほしい。

脱糞してきた。戻る。

どちらも正しいような気がして、帰りの車中、ずっと考えていた。
誰が決めたかは知らないが、この二つの用法は「汚名挽回」の方が、日本人のあるべき正しい姿だ!といきり立ちながら、その根拠を探していた。

考えた挙句、俺が出した結論は、「名誉を挽回する」が正しいである。完敗である。漢字、ひらがな、カタカナを使いこなして独自の言語を編み出してきた日本人であると思っていたが、しょせん、漢字は借り物であり、中国的ルールに縛られている。中国の思想が三表記混合の日本語に、依然、深く根ざしているという結論だ。

中国人にこの質問をしたら、たぶん、以下のような回答をするであろう。

「名誉」、「汚名」という熟語の成り立ちを見てみるあるよ。 どちらも熟語の成り立ちとしては、種類の違うものであるよ。同じ用法で括れないのであるよ。「名」が先にくるか来ないかの差かもしれないけど、これは中国人にとっては、じぇんじぇん意味違うあるよ。お前たちの漢文で言う返り点が付くか付かないかの差であるよ。品詞が違うあるよ。わかるあるか?

俺の想像の中での中国人講師に教えられたので、強引に「名・誉」と「汚・名」の間に返り点のレ点を付けてみるあるよ。後の漢字から返って前の漢字を読むあるよ。

「名誉」は、「誉れある(形容詞)」「名前(名詞)」であるし、「汚名」は、「名を(名詞+助詞)」「汚す(動詞)」である。

これを最初の文に当てはめてみる。
「今度こそ≪名を汚す≫を挽回するいいチャンスだ。」
「今度こそ≪誉れある名前≫を挽回するいいチャンスだ。」

これを見ると、誤法はあきあらかであろう。品詞が混同しているからおかしいのだ。中国人の見解は正しい。敗れたり!

敗者は考える。そして開き直る。「どっちでもいいあるないか!そんなこというから衝突起こるあるよ。」

日本語は漢字から離れられない。漢字は素晴らしい。中国に感謝だ。しかし、硬質で厳格な漢字がひらがなと融合した時に生まれるやわらかさは、日本人独自のものだ。
やわらかな表現は、多種多様な解釈を生む素地を備えている。熟語だけではなく、文全体として味わう感性は日本人の強みだ。韻がなくても詩的なのだ。借り物の漢字に卑下する必要は無い。しっかり学んで、そこに魔法をかければいいだけだ。

正しい日本語を学ぶことは楽しい。正しいを決めたのは俺の嫌いな学者かもしれない。しかし、漢文にしっかり根ざした学者のオタク的研究の成果だ。先人の研究を可能な限り受け継ぎ、その上に、個人的な解釈を加えながら、言語を媒体とした豊かな感性を育みたい。

全てが全て、研究成果を正しく受け継いで言語知識を増やしていくわけではない。上記の熟語解釈は俺の解釈だ。先人が残してくれた解釈ではない。知ったかぶりの解釈も多々あるであろう。ただ、解釈の仕方が一応完結していれば、それはそれでよい。正誤を付けられるのは入試だけだ。それより大切なものは、言語に噛み付いて、語感を味わえる豊かな言語舌だ。

「汚名」ばかりして、舌を抜かれないように注意したい。こういう俺は二枚舌だ。挽回はない。



 


 

2007年11月18日日曜日

冬の犬

越中富山の朝方の冷え込みが本格化してきた。昨朝は車の窓が凍っていた。今朝は水の冷たさにびっくりした。いよいよ本格的な冬に変わろうとしている。 

越中の冬の訪れはドラマチックだ。立山の頭頂から、おでこ辺りが白々としてくる。 ぶりの水揚げが本格化する。 富山湾の頭上にマイナス40度ほどの寒波が襲来する。

最後の仕上げは雷だ。 「ぶり起こし」の異名を持つサンダーが鳴り響くと雪の幕が明ける。
「ぶり起こし」は都会の雷とは明らかに音色が違う。  空が腹下しをしたかのような間抜けな重低音ではない。ハイトーンヴォイスと、ツーバースが絡み合うヘビメタサウンドだ。

雪のボスは狡猾だ。まず、手下を地上の偵察に出す。
ボス: 「こら! 歩兵! 地面の温度下げて来い!」
歩兵頭:「行って参ります。ボスの御霊にかけて、溶けずに目的を果たしてまいります。」
 
こうして無数のボスの頭皮のフケである歩兵が振り落とされる。スローガンは「溶けがりません、着くまでは。」だ。

すると風が強くなる。歩兵は横殴りに吹き飛ばされながら、なんとか地面を目指すが、地表にたどり着く前に多くは玉砕する。溶けるのだ。

地面に着けないまでも、幸せな一部の歩兵はおっさんの頭皮に守られ、その黒髪を白く染める。時に「おっさんの頭皮のフケ」であるフケ友と涙の再会を果たす者もいる。 下にいるおっさんは、頭上が賑やかになり、手で払う。 涙の再会はあっけない。 固体をぬらした天のフケはハンケチーフに吸い取られる。死の前に強烈な臭いをかぐ。憐れで仕方が無い・・・涙を拭け!

歩兵が量に物をいわせて地面を責める。 すると曲者桂馬の出番だ。 歩兵が少しは温度を下げた地表を変則的な動きで攻める。その横を時々、溶けることを忘れた香車が直線的に落下する。特攻隊のように速度が速い。速いゆえに衝突して気絶する。 頭上を車が走る。 ショック療法で気を取り戻してすぐ息絶える。 車体の臭いをかぐまでもなく息絶える。憐れで仕方がない・・・香りをかげ!

無数の下僕の働きの効果が出て、地上の一次任務が完了すると、「ぶり起こし」は演奏を止める。

「気をつけな、ボスが来る・・・。」

 雪国の県民は賢い。雪への備えは完璧だ。タイヤを拷問仕様のスタッドレスに、大型スコップ「ママさんダンプ」を玄関前に、路上に埋め込まれた無数の水巻爆弾は井戸水を吸い上げて準備万端だ。
大型戦車である除雪車への人員配置も完璧だ。

しかし、雪は不意打ちをかける。人間が眠っている間に敵陣を支配する。ボスは地表近くの要塞に腰を下ろし、春まで居座る。雪の勝ちだ。完勝だ! 

しかし、勝利は一瞬だ。人間様が負けたままで終わるわけが無い。

こうして、あたり一面の雪景色が完成すると、雪との戦いが本能的に組み込まれている県民は、多くが敵意をむき出しにして、雪よかしという名の排除作業に精を出すのだ。車の屋根の雪を、怨念のこもった目で払い落とす人がたくさんいる。ガシガシに圧縮され、でっかい球体にされ、人間の表情を着せられる旦那、いや達磨もいる。犬にまで笑われ、小水をかけられる。

こんな雪が、愛おしくてたまらない。冬が好きだ。雪が好きだ。雪が地表を覆うまでの前触れも好きだ。病的なわくわく感を覚える。冬好きコンテストがあったら負けない自信がある。スキーをする人が、雪好きではない。彼らは速度好きだ。斜面好きだ。雪上以外でやって欲しい。  

俺はスキーはしない。小学時分に、ボーゲンの八の字を逆にして、股が裂けたことがある。失禁した。雪に小水をかけた。犬と同じである。 俺はその日のことが悔やまれて仕方がない。

街中の雪を多少なでてしまうのは仕方が無い。しかし、街中より温度も低く、山中での戦闘後のバカンスを楽しんでいる雪を、踏みつけるのは許せない。鋭利な刃物でだ。つま先蹴りを食らいまくる環境におかれたくて落下してきたわけではない。雪の気持ちも考えろ!

少し言い過ぎた。雪を愛するあまりに言い過ぎた。スキーをする人への放言だ。愛好家から八つ裂きにされそうだ。するなら股以外を裂いて欲しい。

大好きな冬の到来。雪の到来。気温が下がれば頭温も下がる。文字を捨て、野に出よう。

俺は犬年の12月生まれだ。喜び、野を駆けめぐろう。

・・・・・・・・・駆ける前にすっ転んだ。凍結攻撃にやられた。いて~のだ。俺は射手座であった。何も言うな。 射るな。 今日は去ぬ。