2008年7月31日木曜日

積み重ね

イチロー選手が3000本安打を達成した。張本さんを超えるのも間違いないと思われるし、彼なら、本当に50歳くらいまで現役をして、決して破られることのない、成績を残してくれそうな気がする。

イチロー選手のコメントは、いつ聞いても感動する。実績が伴わない人が決して口に出来ることのない、高いレベルのコメントにはいつも敬服する。

例えば、「悲しいことに、3000本安打は、僕にとって過去のものとなってしまいましたが、積み重ねの大切さは感じた。」とか、「また新たな壁を僕自身が作り出し、僕自身がそれに苦しんで壊していかなければならない。」なんてセリフを吐いて、誰にも突っ込むことを許さないだけの説得力を持たせられるのは、イチロー選手ぐらいだと思う。

媚びることもなければ、傲慢でもない。残してきた実績に裏打ちされた冷静な自己分析と言葉選び、言語能力も相当高い人だと思う。

何がすごいって、怪我をしない。持って生まれた運動神経と柔軟な筋力があったにせよ、彼も人間である限り肉体的劣化はあるはずだ。それを最小に食い止めながら、円熟によるプラス要素だけをパフォーマンスに活かせるのは、日頃の修練の賜物だろう。

いつみても、あらゆる筋肉をほぐすストレッチをしているし、ルーティンワークの徹底度合も、凡人とは違うのであろう。毎日の練習メニュー、バッターバックスへの入り方、1日とて手を抜かない。野球に対しては神経質すぎるほどにメンテナンスを怠らない。

やはり、先のコメントにもあるように、積み重ねているのがわかる。どの分野でも彼を少しでも見習いたいものだ。

もう1つ、内藤選手の防衛戦も素晴らしかった。判定に持ち込まれたら負けていたであろう戦いを、きっちり2回KOで倒すあたりの集中力、精神力、技術力には、かなりの風格も感じた。おとぼけなコメントがかわいいので、一般的なファイターとしての威喝さは感じないが、イチロー選手と同じく、日々の積み重ねのすごさがにじみ出ていた。

すばらしき感動の後に、信じられない光景が・・・亀が出た!

あの、チャンピオンの表彰リングって、誰でも上がれるものなのだろうか? 亀君は、今や無所属の僕ちんやから、とてもじゃないが、リング上に上がれる資格はないような気がするのだが・・・。

世間の亀田バッシングとは、俺は意見を異にする部分が多く、亀田家の全ての言動を呪うかのようなバッシングには、疑問に感じる部分が多いが、内藤選手の表彰リングに上がるのは、どう見ても亀君が悪い。

いや、西成の亀パパ動物園で育った彼を止めてあげる奴がいないことが問題だと思う。あれだけリング周りには関係者がいて、そこに闖入した亀っ子一匹排除する奴がいなかったことが情けない。

あそこまで空気を読めない亀っ子もすごいが、KY行動に対するブーイングを音量を絞ることで庇おうとするテレビ局もすごい。もちろん負のすごさだけど・・・。

亀君に対しての大らかな対応、内藤選手の人柄の良さを際立たせるハプニングでもあったが、闖入者がいなくても、十分称えられる王者だったと思う。

バッシングされている亀田家ではあるが、彼らなりに積み重ねてきた修練もあるだろう。イチロー選手、内藤選手と同様、積み重ねのすばらしさは亀田家にもある。

ただ、何でも積み重ねればよいというものではない。山林の動物がルーティンワークをこなすのとはわけが違う。社会内でのルールは、個人の積み重ねを外包する。 逸脱した行為があれば、干されて当然である。

だから、亀田家を叩くのではなくて、彼らが露出する機会を無くしてあげることが、真の大人のとるべき態度だと思う。

そして、亀田家が社会的ルールとマナーを守れるようになった暁には、ボクシングルールにのっとり、接してあげればよい。再び注目を集めるか、そのまま消えるかは、彼らの積み重ね次第だ。

色んな積み重ねがあるが、亀田家のような大衆的悪者がバッシングされるのを見て、胸がせいせいするような、安っぽいギャラリーとしての積み重ねをくり返す凡人にはなりたくないと思う。こういう面では俺も非凡なものがあると思う。

2008年7月30日水曜日

先人の観察眼

今みたいに気象や自然現象のメカニズムがわかっていなかった大昔、身の回りの自然を見ながら、天候や季節や自然の変化を認識していた人たちの観察眼とおおらかさは、なんともうらやましい限りだ。

「夕焼けが出ていると次の日は天気が良い、朝焼けが出ているとその日の天気が悪くなる。」
といった、昔からのべたな天気予報であるが、これなんかは、何の知識もなく、空と風向きを毎日見ながら、体験によって得た予想である。

ところが、この体験的に得た予想である、「夕焼けの次の日が天気がよい」という予想は理にかなっている。

くわしい知識は持ち合わせていないが、小学校の時に読んだ本に書いてあったことを思い出す。

温帯では、一般的には強い風が西から東に吹くので、天気も西から東へ動く。
夕焼けが出ているということは、西の天気が良いということだから、明日あたりには、わが頭上に好天が来る。

当たり前であるが、これを知識として持ってから空を眺めるのではなく、最初に経験を積み重ねて、この法則を得た先人の自然観、なんだか素敵に思える。

同じような、自然に基づいた天気予報に、「天気が良いときにはトビが空高く飛ぶ。天気が悪い時には低空を飛ぶ。」といったものもあった。

最近はトビをあまり見かけないが、これは俺自身、小学校の時に体験した。

近江八幡の祖父の家に数日滞在した時、暇で暇で仕方がなかったので、毎日家の前の山を眺めていた。目の前にはロープウェイがあって、そのロープウェイの運行間隔を測りながら、飽きずに空を眺めていたことがある。

ロープウェイを眺めていると、トビが目に入る。トビが空高く、優雅に飛んでいる時は、やはり天気が良かった。

一方、トビが下の方まで降りてきて、低空飛行になりだすと同時に、雲行きが怪しくなり、きっちり天気が悪くなった。

目の前の山に遊びに行くか行かないか、俺はトビをナビにして判断していた記憶がある。夕焼け予報よりも信頼度の高い予報だった。

このトビの行動の変化と天気との関係の理由は知らないが、単純なものだろう。

トビは空中で餌を探しているが、天気が良いときは高くからでも獲物を見わたせるが、天気が悪くなる前段階として霧がかかりだすと、獲物がよく見えないから低空飛行になるのだと思う。 この、かかりだした霧は、肉眼でキャッチできるほどのものではないが、トビにとっては、視界を曇らせるものなのだと思う。トビの行動変化があって、しばらくしてから、肉眼にも霧が雲となって目につくようになる。

夕焼けにしても、トビにしても、その理由をじっくり興味持って調べればよいのだが、俺は科学的なものにそこまで興味が長続きしない。
しかし、自然現象として信頼度が高い法則として、夕焼けとトビの天気ナビは、今でも信頼している。(夕焼けは最近よく外れるが・・・。)

最近、気になることがある。仕事帰りの夜道で、頻繁に、野鼠の死骸を見かける。以前から、狸、猫の死骸はよく見かけたが、野鼠の死骸を見た記憶はあまりなかった。それが、ここ数日、頻繁に見る。帰り道の20キロの間に3匹見た日もある。

今まで目線が行ってなかっただけかもしれないが、なんとも無気味な光景である。
観察眼に優れた古人は、この光景を見て、どんな予想をするだろうか? 彼らにあって俺には無い想像力を恨めしく思いながらも、精一杯予想してみたい。

今日から夏期講習が始まった。1年で1番激務の日々だ。ついつい自然に対して盲目になりがちな日々だが、行き帰りの道中だけでも、色んな興味と思考を持って、自然を眺めたい。

2008年7月28日月曜日

いちゃもんおやじ、山へ行く

※もう、何回目かの、いちゃもんおやじシリーズ、読みにくいが、ご笑読を!
登山編スタート!


(朝の4時)
朝やで~~~! こら雉! はよ鳴かんかい! いつまで寝とんねん! にわとりもやし、ほんま最近の鳥類はだらしないの~。わしなんかお目目ぱっちりやで!
今日は、登山じゃい! 3000メートルか4000メートルか知らんけど、わしのあんよにかかれば楽勝じゃい! こらマウンテン! かかってこんかい!

(駅に着く。シャッターが下りている)
なんや? ドア閉まっとるやんけ。 こら駅員、貨物走っとるねんから、開けたらんかい! 気合い足りんのとちゃうか? うお~りゃ!(ドアを蹴る)
いた、いたた 痛い痛い・・。 めっちゃ鉄板やんけ! 防弾かい! 駅にかちこむ奴おるかい! わし今から山登りすんねんど! どないしてくれるねん!

(時間になり駅が開く)
こら、そこのメガネ制服! お前、俺にいけずしたやろ? はよ~起きたらんかい! お詫びにコーシーおごったらんかい! ジョージアのカフェオーレでえ~わ。
頼むでしかし・・・。

(電車に乗る。前に初老の上品な女性が乗っている)
こら、嫗! 何俺にガンつけとんねん! 照れるやんけ!もっと嬉しそうに見たらんかい
なんかばい菌見るみたいな目でみやがって、わし変か? 臭いか? あん?あん?

こら、ちょっとどなったくらいで、泣きそうな顔すんな。わし、おなごの涙に弱いんじゃ。
目やにたれてきとるやんけ!ちゃんと拭いたらんかい!

ん?なんや? はっきり言ったらんかい! っえ??? パードンミ~?
ジッパ~ あ・い・て・る??  どあほ! 開けとるんじゃい。むしあついやん? むれるやん? かい~かい~なるやん? だからなの・・・。 ッポ!!

(電車を降りる)
くそ~、いんけつババふみやんけ! ちょいあせってもうたわ。ま~え~、あんなチャンばあのことなんか気にせんとこ。

(山に着く)
もんげ~気持ちいいやんけ! やっふ~!! わ~いわ~い! 
よっしゃ、がんがん登ったるで~。 こら、山頂~、逃げんで待っとれよ~!

くお~ら! ちんころクソがき! とろとろせんと、走ったらんかい! お前えらいメタボやの? くぁ~、先が思いやられんの~。なんやそのポンポンは・・・。 おっちゃんのポンポンみたらんかい! くお~ら! ルック・アット・ミ~! くそ先公~、おどれどない教育してけつかんどんねん! なんや、「怖い人から話しかけられても気付かないふりをしましょう」だぁ~~~???? 聞こえてまんがな! 地獄耳なめんなよ~。

けったくそ悪いの~。まあ、え~わ。おもくそ駆け足で登ったろ。
それにしても、どいつもこいつも杖もちやがって、仙人か! なさけないの~、ジャポンもやわになってもうて情けないわ。そりゃ、鬼畜米に負けんでしかし~。

おっと、山小屋やんけ! 何がヒュッテじゃ!掘っ立て小屋の分際で 何でもかんでもエングリッシュにしやがって、教養ちゅうもんわな~、わしみたいに、レッツ・さりげなく じゃ! 

こら、番頭、あきんど~! わしハングリーなんじゃい、その汁食わしたらんかい! 缶ビールも持ってきたらんかい! ほれ、千円じゃ! お釣り出したらんかい! 
なに~?? 足らん? ねぶたいことぬかすな。なんで、汁味噌とビールで1000円越えるねん。ちょい、ぼりすぎちゃうか? 

運ぶの大変やからだあ?? どあほ! 天秤抱えて山登ったらんかい! まあえ~わ、お前としゃべっとったら、ひ弱がうつるわ。ひ弱菌、どっか行け!
汁ようけいれろよ! ネギで緑一色に染めたらんかい! 

(山頂の神社に到着。神主にからむ)
こら、そこのオレンジ服! おまえ、俺のためにお経読め! え~か、オンリーワンやど!
え? 僧侶ちがってカ・ン・ヌ・シだ~? カンヌシかカンオケかしらんけど、わしのために呪文唱えろ? おまえ、坊さんに毛~生えただけやんけ! はよせんと毛~抜くど~。
え~か、「背が伸びますように」と「馬券が当たりますように」だけで辛抱したるから、気合入れて頼んだらんかい!

(神主)
「あ~ま~で~ら~す~、 (中略) こ~の~中肉~中背~に~かみな~り~の~裁き~あ~ら~んこ~と~を~~~~」

何言っとるんかわからへんの~、かつぜつ悪いやんけ~、でもすんごい目つきで祈っとるから許したろ? 
おいオレンジ! よ~やった。やればできるやんけ! 御礼にマクドの割引券やるわ。がっつり食べたらんかい!たまには、山降りたらんかい!

(下山)
なんか、動きたりんの~。電車やめて、歩いて帰ったろ。

(稲妻光り、雷鳴りだす)
なんか、バチバチきとるの~。漏電しとるんちゃうか? こら、ゴッド、電気屋呼んだらんかい! はよ修理したらんかい!

こら、サンダー! でっかい声出すな。 びびるやんけ! はったりかまして俺が逃げる思ったら大間違いやど! ギザギザな光りばっかり出しやがって芸がないの~。
ほれ、こっちまで来てみんかい! ば~かば~か! 

(神社でもらった鈴を振り回し、走り回るおやじ・・・。)

落雷。逝く。 

2008年7月27日日曜日

国語教育

わが塾の、1学期の授業は終了。30日から夏期講習に入る。2期目の夏期講習だ。

昨年も教材は全て手作りで、全て力作という自己評価なのだが、今年はさらに改定を加えて作っている。

受験学年の教材は、どうしても受験までの日数があるため独創性を発揮するのは授業中の講師力による、「間に」頼らざるを得ない。教材は、pattern practice中心のスパルタ方式になる。これは仕方がないので、入試への優先順位と先々のことを考えた単元を網羅したプリント作成を心がけている。

だが、受験学年以外の教材、中でも小学生、中1、中2の国語教材はめちゃくちゃ凝っている。

国語の授業が面白くないのは、題材文の解説を板書しながら解説一辺倒になりがちだからだと思う。面白くないわりに、文章を読み解く力が育たない。

小説であれば、行動と心情の描写を通して、そこからわかる性格を表にして解説し、ノートに取らせる形の従来からの授業・・・。

例えば、「坊ちゃん」であれば、
行動・心情描写               性格
「母が死ぬ二、三日前、台所で宙返り     「どことなく乱暴で向こうみずだ。」
してあばら骨を打つ。」                 

「父が勘当すると言ったので仕方がないと   「こだわりがなく、くよくよしていない。」
、そのつもりになっている。」

こういった板書をくり返しながら、「坊ちゃん」の性格を解説し、押し付けていく形態だ。

この形態自体が悪いというわけではないのだが、これが機能するためには、聞き手の高い
集中力が必要とされる。そして皮肉なことに、高い集中力を持っている子は、こんな陳腐
な解説を必要としない。感覚で理解できる部分を無理やり解説されて、人文系の学問への
薄っぺらさを感じてしまう結果にもなる。

昨年から中1、中2には、解説をほとんどせずに、ひたすら思考させて言葉を紡ぐ作業をさせている。

例えば、小説ならば、
①原文を読ませる。  ②原文中の出来事を箇条書きにしたもの、図や絵でまとめたものを配布する。 ③ ②のプリントだけを見ながら(原文は見させない)、原文を再現させる。
④原文再現の際に、心情描写を自由に入れさせ、出来事以外の縛りをいれない。

こうして小説文(800字くらい)を1時限で作らせ、2時限目に、今度は各自が作った文章に線を引いて(線を引くところは指定する)、独自の問題と答えと解説を作らせる。時間があれば各自の問題をリストアップして全員で解かせる。

俺の役目は、彼らが作った問題と解答にいちゃもんをつけることぐらいだ。
なぜ、その解答になるのか? 別の部分でも解答になるのではないか? 種々の難癖をつけながら、問題作成者として子供たちは、設問に科学性を意識するようになる。

ある文章の描写で「工事現場がやかましい」があったとする。そして最後には、「工事現場は静まり返っていた。」に変化しているとする。

すると、後半の工事現場描写に線を引いて設問を作らせる。「工事現場は静まり返っていた。とありますが、これが暗示している主人公の気持ちを説明したものとして適切なものをア~エの中から1つ選びなさい。」 ア~エの作成を生徒に委ねる。

この問題の正答には、主人公の気持ちが「落ち着きを取り戻した」といった文句が必要になる。なぜなら、情景描写が「動から静」に変化すること、それが心情変化とリンクしているからだ。

実際の読者の感じ方はどうでもよい。色々感じたらよい。ところが、国語が科学であるためには、こういった情景と心情のリンクが必要だ。悲しいがそうしないと設問設定は不可能になる。

これを一方的に教授したのでは、先にも述べたように、人文学的興味を失わせるので、自分で作らせて発見させることで、優れた文章が細かな部分でリンクし、暗喩し、風刺がある過程を無意識に体感してもらえると思う。

「国語は曖昧だ。」という不信感を払拭すると同時に、プロの文章が好き嫌いは別として、いかに、細部にまでこまかく整合性があるか(仮に後付けであったにせよ)を理解してもらい、文章自体への興味を喚起することが最終的な目標だ。

この過程を決められた時間で行うには、舵取り手である講師の実力が必要になる。残念ながら、この業界に入って2、3年はそれが出来るレベルに俺はなく、ずっと平均的な授業をキャラで補ってきたが、昨年から導入し、何とか機能することがわかってきた。

今年はさらに、図や絵などにも工夫をこらし、目を引く面白い教材が出来た。夏期講習から2学期に連動させて行いたい。

読書は自由なものである。整合性がない文章のほうが俺は好きである。科学の限界、ばかばかしさも俺は感じている。

だが、読書ビギナーの子供たちが、言語の素地をつける過程で、1度、科学的であることを無意識に体感してもらうことは大事だと思う。俺個人の価値観を押し付けるのが教育ではない。科学的な読書を身につけたあと、大人になったら自由なスタンスで読書し、言葉と触れ合えばよいと思う。

国語教育から読書スタンスへ・・・。 主旨が逸れた。非科学的に終わる。

2008年7月26日土曜日

立山登山

  


行ってきました、Mt.Tate!  すんばらしいの一言!

この立山であるが、富山県民ならよほどのことがない限り、小学時分に登山をさせられている山だ。つまり、立山に登らずして富山県民と語ることなかれ! 俺は今日まで似非富山県民だった。

標高は3015メートル、立山・黒部アルペンルートとして全国的にも有名な、あの立山への登山だ。

立山登山と一般的に言う場合、それは、3003メートル地点にある、雄山神社へ登ることを意味する。岩を登りきったところに、6畳くらいのスペースがある。そこにちょこんと社がある。それを拝んで登頂は完遂する。

富山に住んで14年目、ずっと行かねばと思いながら機会がなかったが、今日初めて登頂!
俺も立派な富山県民だ。

行く前から嫁に色々聞かされていた。「しんどいよ~。もう2度と行きたくない」やら、「立山なめたら痛い目にあう。」やら・・・。他の人からも登山の過酷さを聞かされていたものだから、かなりびびっていた。びびりは好奇に変わり、俺は遠足を前にしたキッズの心境で昨夜は寝床についた。

深夜1時ごろ眠っただろうか? 朝5時半に起床の予定が、4時には目が覚め、布団でそわそわそわそわ・・・。 ぱっちり目が覚め、4時半には家を出る。始発もまだ出ない時間に最寄りの高岡駅に着き、パンを食いながら、そわそわそわそわ・・・。

富山駅に着く。ここから観光バスで登山開始ポイントの室堂まで行く。観光バスに乗ること自体も久々で、とにかくそわそわ。 色々不安が頭をよぎる。
「落石に遭ったらどうしよう?」「足がガクガクなって歩けなくなったらどうしよう?」「吹雪に遭ったらどうしよう?」

色んな不安の中で、1番大きな不安は、「途中で雲古したくなったらどうしよう?」だ。
待ち合わせ時間にはだいぶある。俺は駅の厠に駆け込み、100円で雲古紙を買い、便座に向かう。

ぬあ~んと、鍵が壊れているではないか! 色んな駅で雲古してきたが、鍵が壊れていた記憶はない。何とも運がいいのやら悪いのやら、俺は左足でドアをロックしながら、脱糞体制に入る。そこで気づく。

やってしまった!!!! 久々の全開、ソーシャル・ウインドウ! 富山駅までの電車内で俺は足を組んで座っていた。前にも人がいたはず・・・。公然猥褻BEFORE 登山・・・。
何だか胸騒ぎがする。

室堂に着く。ここから登山開始なのだが、一の越という地点までは、傾斜は多少あるものの、ちょっとした遊歩道を歩くだけで、ハイキング気分であったが、一の越からの斜面が凄い! 

なんというか、ファイト一発というか、ケイン・コスギがいそうな斜面だ。ごつごつの岩がむき出しで、小石がたくさん。 前に、いちびった登山者がいたら、小石攻撃を食らうことは必至の斜面であり、歩くというより這い登る感じの斜面が目の前にそびえ立つ。

目の前にはガスがかかり、ぼんやりとしか見えないのだが、先を行く登山者全員が、聖地巡礼者のように見える。とてもレジャーな雰囲気ではない。

俺はわくわくしてきた。山の神様に怒られるから飲むな!と嫁に言われていたのだが、一の越の山荘にビールが売っていたので、かるくラッパ飲み! 気合満タンで登り出す。

登り出すと、所々で空気が薄く感じるポイントはあったのだが、息も全く乱れず快調快調! 一緒に行った、10歳年下の子に、「ありえない元気さ」と褒めてもらう。なんだか嬉しいが、俺からするとバテる人の気持ちがわからない。

周りはみんな、「寒い、寒い」と言い、長袖シャツやウインドブレーカーを羽織っている。
ところが、俺は半そで! 寒くもなければ汗もかかない。自然のクーラーで体感温度は抜群の涼感! 気持ちよかったな~。

結局、何の疲れもなく、山頂の雄山神社に到着! 神主さんが15人ずつくらいを集めてお祓いをしてくれる。すごく愛嬌のある神主さんだった。

雄山の社、これは素晴らしい。どう考えても神様おられそう! 全国に数多くある社であるが、3003メートルに立つ社、神秘的であった。欲張ってはいけないので5つだけお願いした。

絵馬やら嫁に頼まれていたお守りを買う。
おみくじも買ったのだが、開ける前に落として、自分の靴で踏みつける。

中吉・・・。神様は寛大だ。俺は信仰心を厚くした。アンダー10円しか入れていなかった賽銭に銀色コインを付け加える。

下山はさらに楽勝! 1時間くらいで降りた。バスの出発時間まで、缶ビールを飲みながら室堂近辺を散策した。

室堂を拠点にして今回は登山したが、山頂と逆側に歩けば、硫黄臭漂う名泉が3つある。遊歩道が整備されており、次回はこちらのハイキング&温泉巡りを楽しみたいと思う。

19時頃に家に帰ってきた。

久々に、心から、「楽しかった~~」と思える1日だった。登山の素晴らしさを知ると同時に、全くばてていない俺の馬力は登山に向いているのでは?との勘違いも今ふつふつとわきあがっている。

家に帰ってリュックサックを開けてみると、社で買った祈願のお札がしわくちゃになっていた。
だが、そんなことはどうでも良い。俺は確かに雄山の社に辿りついた。寛大な神様は俺を見守ってくださるだろう。

真の富山県民となった俺の記念すべき日だ。立山に俺は童貞を捧げたような気分になった。


2008年7月25日金曜日

アイフォン狂騒

アイフォンが日本でもソフトバンクから発売されることになり、販売店には長蛇の列が出来、品切れが続出したとの報があった。

最近はガソリン価格の高騰を受けてか、車離れがすすむ代わりに、家電やゲーム、電脳機器への需要が高まっているとの報道もあった。

俺は正直、アイフォンなる言葉も、ニュースで発売日の狂騒の報を聞くまで知らなかった。
そんなに並んでまでも欲しいものなのかと思い、注意深くニュースを見ていたが、どう考えても欲しいと思える代物ではなかった。

インターネット接続が早くて綺麗、タッチパネルで操作しやすい、i-pod代わりにもなる・・・色々利点が報道されていたが、冷静に考えてどれも魅力的ではない。

インターネット接続が早いとはいうけれど、1時間のものが1秒になるなら魅力的だが、数秒かかっていたのが、1秒未満になったところで、長蛇に加わる動機にもならなければ、いずれ手にしたいものとも思えない。

家にパソコンがあり、それがインターネット接続環境にあるのだから、それで十分だと思うのだ。何を好き好んで、小さな画面で繋がろうと思うことか!

家にいない時間、仕事中、出先などでネットに繋ぐ必要性が今はそれほど高いのだろうか?俺だけが必要性がないだけで、多くの人は日中もネット環境を必要としているのだろうか? もっといえば、それほど早急に取り出したい情報とは何で、その情報が何に必要だというのか?

前職時代の非常勤採用していた子と、昨日話す機会があった。彼はいつも忙しい人らしい。親元で暮らし、バイトをするだけで、特に対人付き合いが多いわけでもない。忙しい理由がよくわからない。

彼は言う。「今は情報社会っす。いろんなコミュニティで情報交換をするために、僕もアイフォン早く手に入れたいっす。」

俺は聞く。「何の情報を取り出したいん? 何を情報交換してるん?」

彼は言う。「そうっすね。ニュースとか、天気予報とか、あと、自分いろんなコミュあるんでそこに結構入る必要あるんすよね。」

俺は言う。「ニュースって最新必要? 翌日新聞で見るタイムラグでは不十分?天気は空見て適当に推測したらだめ?」

彼は言う。「そうですね。色々情報交換する上で、やっぱ最新ニュースを知っていたいと。」

俺は言う。「その情報交換ってやつやけど、何を交換するん?」

彼は言う。「そうっすね。今日あったこととか、政治の話とか・・・、色々っすね」

俺は言う。「直接話さへんの?  たぶん、自分で情報に支配される環境作り出して、忙しくしているだけちゃうかな? あんたが言う情報交換というやつは、俺がする対人交流内での雑談を、わざわざ機械通してやっているだけちゃう? なんだか、めんどくさい世の中になったな~。」

毒のある言葉を吐く俺・・・。 個人的に彼の頭でっかちさが嫌いで、交流を避けていたのだが、懲りずによく遊びにくる。そして色々話しかけてくる。こっちが「嫌い嫌いビーム」を送っているのに、「好き好きビーム」を送ってくるやつだ。必然的に「嫌い嫌いビーム」の破壊力を大きくせざるをえない。

彼は言う。「前から言ってますけど、ここ(職場)もネット環境早く作らないとやばいっすよ。サイト作りましょうか?」とか、「自分、LAN構築できるので、しましょうか?」と言う。

俺は哀れんだ表情で言う。 「LAN せんでも 目の前おる人には直接話すわ。RUNする距離でもないしな、唾飛ぶ距離やから・・・。」 

電脳媒体を否定しているわけでもなければ、むしろ俺は毎日電脳媒体との関わりを欲しているほうだ。

ただ、家にいない時間にまでネット環境に身を置きたいと思うことがない。
そういう必要性がある人も中にはいると思うが、圧倒的少数であろう。

自ら作り出した環境に時間を吸い取られて、大切なものに思いをはせる時間を無くすこと、時間の取捨選択は人それぞれだが、なんだか違うのでは?と思う。

洗濯機の発明、これは便利だ。時間の節約にもなる。
冷蔵庫、掃除機、文明の利器は数あれど、昭和中期までの発明は、多くの余暇を作り出す機会を与える機械であった。

ところが、昭和末期以降生み出された機械は、機械への依存を促し、従来からある種々のものにふれる機会を奪うための機器が多い気がする。
アイフォン発売日の売り場模様は、やはり狂騒としか言いようがない。

機械にひれ伏す人間、その姿はご主人にひれ伏す犬のようでもある。

ソフトバンクのCMのお父さんが犬であるというのは、販売者自らが自分たちを揶揄した痛切な風刺のようにも思える。孫さんは確信犯か? 犬を家長と仰ぐ、総ペット時代を意図しているのか? 

家犬長制のコミュニティー、あざ笑いながら闊歩してやりたい。機械を使いこなす側であり続け、狂騒ではなく協奏したいものだワン。

涼感

暑い日が続く。今週は連日ばて気味である。暑さに対する抵抗力は年々なくなってきている気がする、

富山で暑い暑いというけれど、京都で住んでいた時の暑さと比べたらましなはずだ。京都の盆地気候の暑さは尋常ではなかった。無風で熱がこもっている状態がずっと続く。
しかも、京都に住んでいた時は、クーラーはおろか、扇風機もなかった。日当たりだけが抜群の安アパートで暮らしていたのだ。

バイトがある日はよい。日中はパチンコ屋で過ごし、夜はバイト先のタコ部屋で眠る。タコ部屋にはクーラーもあり、安眠を保証してくれた。

ところが、バイトのない日、しかも昼間にパチンコで負けて文無しになった日は、自らの愚かな行動に対する責め苦が待っていた。

俺はサウナ状態の部屋の中、家賃支払いの催促に来る大家に居留守をしていた事情もあり、気配を消して幽閉状態だった。退屈で死にそうなのだが、金がなくて飯も食わず、肉体的にも死にそうであり、どんよりした部屋で自らの体臭を嗅ぐことだけが生きている証しに感じる時間を過ごした。

それから考えると、今はクーラーもある。飢えることもない。体力万全の中での越夏、
今の暑さごときで何をへばっておる!

と、自分に言い聞かしてはみるものの、やっぱり暑い。夜はクーラーのタイマーをして寝るが、タイマーが切れるたびにきっちり目が覚める。やわになったものだ。

昔は、自分でうちわで扇ぎながら眠るという荒業も身に付けたのだが、必要にかられないと特殊技能はすぐに衰える。

風鈴、打ち水なんかで涼感を味わえた風流さも、今は持ち合わせていないような気がする。
昔は、風鈴の鐘の音を聞きながら、カキ氷で体を冷やし、夏を感じる。セミの鳴き声も時に涼しさを演出してくれることもあった。

ところが今じゃどうだ。クーラーの効いた部屋ではカキ氷を食す意欲も特に起こらない。仮に食べてもピッピになるだけだ。暑い中で食べるから腹も喜ぶのであって、冷え切った環境で氷を直撃されると、腹も機嫌を損ねて涙する。これはすごく残念だ。

贅沢に慣れた人間が失った、涼感を得るための風流な心・・・、それと引き換えに暑さに対する不満だけが大きくなった。今は風鈴の音色があっても耳には上手く届いてくれそうにない気がする。目の前に涼しくしてくれる機器があれば、それに頼りたくなる欲が出る。
煩悩限りなしだ。

自然現象を科学で克服しようとして、季節との対峙の仕方も忘れてしまった文明人、鐘は風に揺られるものではなく、除夜に突くものだけに成り下がった。煩悩は108ですむだろうか?

明後日は立山登山! 山頂には万年雪もあるという。俺は信仰心が薄い人間ではあるが、霊験あらたかな神社を目指す修験者のような気持ちで山頂への過程を楽しみたい。そして自然の涼感を味わってきたいと思う。

2008年7月23日水曜日

素人床屋

今日、髪を切った。いや、切ってもらった。嫁の素人床屋3回目の体験だ。

たしか、最後に床屋に行ったのは昨年の11月7日だったと記憶しているので、8ヶ月で3回目の素人床屋だ。今年は、ずっと嫁の散髪できたことになる。

最初は半信半疑だった素人床屋だが、3回目ともなると慣れたもんで、文句も言わずにちんといすに座っていた。切っている途中で眠くなるくらいだから、安心感も芽生えている。

俺の中でもっとも嫌な行事であった散髪に行かなくて済むというのは、個人的にかなりのストレス軽減だ。従来なら床屋に行く数日前から、1日伸ばしでぐずぐずしていたのだが、今はそういった気分もない。素人床屋、気に入った。

今後は、パーマを当てたり、ぐれて染めたりすることがない限り、嫁に切ってもらおうと思っている。

散髪屋さん、美容院、ここ10年ほどで、随分と増えたが、どこもそれなりに固定客がついているみたいだから、一般的には、髪を切りに行くという行事は俺のようなストレスを伴うものではないのだろうと思う。

人の髪を切る業界で、鋏1本で生計を立てている人たちをすごいと思うし、決して、彼らに不信感を持っているわけではない。ただ、ちんと長いこと座っているのが嫌なのと、他人が刃を顔面付近にちらつかせているのが嫌いなだけだろうと思う。

それにしても、髪の毛を切るという同じ行為にも関わらず、理美容業界で所得格差が出るのは不思議だ。

ある美容師は半年先まで予約が詰まっていて、1回のカットで数万円をとると聞いたことがある。清原選手の丸刈りも数万円とも聞いたことがある。

俺の美的感覚が狂っているのだろうが、数万円の丸刈りと、1000円の丸刈りとの差があまりわからない。

彼らの業界で成り上がるのも大変だろうと思う。

最後に床屋に行った時、床屋の兄ちゃんに、あることを聞いた。

「流行の髪型とかの練習って、ベテランなってもされるのですか?」

兄ちゃんは答えた。「そうですね。毎日が勉強ですよ。一般的なセオリーはありますが、自分のパターンにない、優れたカットを見ると、ついつい練習したくなります。おかげで家には髪きり練習用の、顔から上の人形がいっぱい転がっていますよ。」

う~む。オカルトの世界だ。生首が家中にごろごろしている家というのも凄まじいものがある。なんでも、髪付き生首を売ってくれる業者がいるそうだ。そこから仕入れて、ご主人自ら、また、見習いの子達に切らせているらしい。1度切った髪は当然ながら生えないので、使い捨てらしい。

俺は聞いた。「つるっぱげになった生首は不燃物で捨てるのですか?」

兄ちゃんは言った。「本当は不燃物の日に捨てたいのですが、すごい量の生首を出すのはなかなか抵抗があって、業者に金を払って引き取ってもらっています。」

そらそうだ。ゴミ袋一杯に詰まった生首を不燃物現場で見たら、俺はすぐに110番するだろう。理美容業界には業界の苦労があるものだ。

彼らの苦労と優れた技術を廃れさせないためにも、年に1回くらいは床屋に我が微銭を落としに行くべきだとも思うのだが、俺の髪型は、髪付き生首を使っての修練を必要とするようなものではない。だから、素人床屋でよしとする。

2008年7月22日火曜日

ヤンキー先生

ちょっと前の深夜にラジオをつけたら、「ヤンキー先生」の番組が流れていた。
ブルーハーツの音楽と共に始まったこの番組がすごい。
寒気を感じながらも、あまりにコメントとリスナーとの会話が痛々しいので、逆に興味を持って聞いていた。

「夢があって、それを願って願って歩んできたのが俺の生き方だ。1学期までに抱えた悩みを夏休みまでに解決しよう!」といった暑苦しいMCから始まる番組、高校中退の生徒との悩み相談電話のやり取りがその後に続く。

定時制か通信で復学しようとする彼だが、まずはバイトをしたいと言う。だが、なかなか採用してもらえない。そのため、面接を受けようという意欲もそがれ、踏み出せない高校生の彼、そこにしゃしゃり出るヨシイエ君。

「今すぐ、動き出せ!  いいか、俺が面接官になってやるから、お前の気持ちを伝えてみろよ!どうしてバイトしたいか、俺がお前に向き合ってやるから、ぶつかってこい!」と偉そうに命令するヨシイエ君。

一生懸命面接のシュミレーションをする高校生に向かって、「今のお前じゃ何も気持ちが伝わらない! いいか、来週までに俺はお前に宿題を出す。そして、来週また面接しよう。いいか、それまでに、お前の熱い気持ちを紙に書いて整理しておけよ!」と言う。

そして、番組の最後のほうで、「~(人名呼び捨て)の悩みはみんなの悩みだ。全国のヨシイエ組、夏休みに向けて、気合いれて準備しろ!」と言う。

終始こんな感じのやり取りがあった番組。一通り聞いて吐き気がしたので、それ以来聞いていない。

だいたい、このヨシイエ君に限らず、「元ヤンキーが更正して立派になった」みたいなことを自分のキャッチコピーにする人たちに対して、俺は生理的に気持ち悪く思う。

なぜなら、更正していると思っている時点で、その人は大したことがないと思うからだ。
ヤンキーが先生になったら、一般的には更正と言えるが、自分で自分に冠する言葉ではないと思う。
先生というのは、あくまで肩書きであり、内面までもが聖人であることを保証するものではない。それを自分で、さも立派になったかのような思い上がりを持って自己陶酔できる奴に、人間的な薄っぺらさを感じてしまう。

ヤンキーといっても色々だ。人を傷つけたり、迷惑をかけるヤンキーもいれば、見た目はヤンキー色が強くても、内面が立派な人もいる。

周囲から張られるレッテルと社会的地位、肩書きが変わっただけで、本当の成長は自分自身で客観視しながら、直せる部分、直らない部分を抱えながら、折り合いをつけていくものだ。

ヤンキーというレッテルを貼られながらも、人に迷惑をかけずに家族を養って、立派に過ごしている友人が俺にはいる。
その一方で、一般的には立派なレッテルを貼られながらも、狡猾で人を平気でだます人もいる。教員の友人は、教員の精神的レベルは最も邪悪だとも言っていた。

だいたい、このヨシイエ君、リスナーに向かって、「お前」と呼ぶ。これはまだ彼がヤンキー文化圏にいることを意味している。更正もくそもあったものじゃない。日本人の奥ゆかしいコミュニケーションに、「お前」から始まる対話はない。

それに夢は必ず叶うという言葉を自らの体験に基づいて、簡単にヨシイエ君は吐くが、彼ぐらいのレベルで夢が叶ったと思える感性が鈍くてしょぼいと思う。

再び闘病に戻られることになり、生命のレベルで「夢」についてふれる忌野氏や、イチロー選手クラスの人たちが「夢」というのとわけが違う。

なんともごきげんな人だ。自己陶酔できる力だけを維持し続ける人っていうのもある意味すごいのかもしれない。自己主張の強いアメリカ人もびっくりだ。

ヤンキー文化はいつも需要がある。でも、和の心を持った俺には理解できないことばかりだ。

舶来のヤンキー文化なんかに目を向けない、俺は不良を賛美したいと思う。

2008年7月21日月曜日

自然観察

わが職場の横は田んぼである。用水も近くを流れ、自然環境は抜群である。

穏やかな昼下がり、ぼ~っと自然観察をするのは楽しい。

田んぼを見る。小学校の時によく見たたんぼは、稲の中に多くの雑草が生えていたものだが、今の田んぼはほとんど雑草が生えていない。きっと強い農薬がまかれているのだろう。

炎天続きで干からびているにも関わらず、いきいき育つ稲。発育はすこぶる良い。

稲の生命力もすごいが、農薬にもまけず、稲と同じ高さまで伸びてくる雑草の生命力も素晴らしい。拍手をおくりたくなった。

田んぼ横の車庫を見ると、くもの巣だらけである。辺り一面に巣がはりめぐらされている。
くもの仕事量というのはたいしたものである。綺麗に確実にわなをこしらえていく。

思えば、陰険な生き物だ。わなを作る作業と、わなにかかった生き物を食すことだけで一生を終えるくもの心境やいかに?

ずっとくもを観察していると、しかけたわなに、獲物がひっかかってくれているのに、それに気付かずに眠りこけている奴が多いことに気付く。
誰だったか俳人が詠んだように、「自らが作りし巣に自ら縛されている」かのように思える。陰険だが憎めない生き物だ。

足元を見ると、親指の爪くらいのサイズの蛙が大量にいる。ピョンコピョンコ飛びまくるので、足元に注意していないと圧死させてしまう。
今年も数匹の蛙を足で殺めてしまった。下を向いて歩こう。

夜になると、2階の明かりをめがけて大量の蛾類が窓に付着する。そいつらを目がけて、蛙君は地上から壁をよじ登る。窓に張り付く蛙が、虫に襲い掛かる。襲撃に失敗して足を滑らせる蛙もいる。
仁義なき戦いではあるが、見ていて滑稽である。かわいいやつだ。

今度の土曜日は、立山登山に行く。夏山を、登山経験豊富な年長者と談笑しながら、色んな植物や花の名前を教えてもらいながら歩く時間、至福の時だ。

俺の幼少の頃、おやじやおふくろは、俺に花や動植物の名前をあまり教えてくれなかった。季節に敏感な両親でもなかった気がする。

その反動か、大人になってから、あらゆる自然の事物に魅了され続けている。
色んな自然の変化、花や動植物の名前をたくさん覚えて、下の世代にも伝えてあげたいと思う。わが子が出来たら、自然に対する目と好奇心だけは育んであげたいと思う。

2008年7月20日日曜日

有権者の眼力アップ

案の定というか、ガソリン価格の高騰を受けて、運送業者、漁業、農業関係者に対しての特別措置の議論が活発化しているようだ。

サミット前にわが国のボスは、「日本だけが車の積極的な活用を促すような措置はできない」といった趣旨のことを言っていて、そのため、ガソリン価格の減税は4月の1ヶ月間だけにとどまった。

この趣旨自体にも矛盾はありまくりで、それは過去のブログでも述べた。しかし、一貫して国のボスが主張することならば仕方ない。俺はガソリン価格の高騰も仕方ないと受け止めていた。

ところが、ガソリン価格の高騰は能天気なお上の予想以上に各業界に深刻な影響をもたらしつつある。運送、漁業、農業といった、自民党にとっての大票田を直撃することは、選挙での惨敗を意味する。

選挙に勝って、現状の地位の座布団を死守することしか頭にない人たちにとって、地球環境に配慮した発言なんかはどうでもよくなる。

「何とかしなければ。」そう思って彼らが出した結論が、大票田への機嫌取り的減税措置なのだろう。あとの国民が泣こうが叫ぼうが知ったことではない。
当然、当初の理念自体がなかったのだから、理念めいたものの方向性を崩すことに抵抗はない。とりあえず票になるための措置を講じさえすればよい。

たしかに、漁業界の被害は甚大で、対策がなされることは素晴らしいことだが、特定の業種だけが影響を受けているわけではない。全員に対して均一な減税措置が必要だ。

こういったことは、毎度のことだから驚きはしない。選挙前は調子よいことを言っておいて、選挙が終わってから爆弾措置はとられる。

パチンコ屋が、新装開店で甘い汁を客に吸わせて、通常営業でがっつり巻き上げるのと同じ構図だ。

ただ、こういったからくりを政策と呼び、政策に長けた者が生き残っていける世界が政治の世界だ。政治手腕は、いかに目の前の難局を乗り切るかというところに焦点がある。

だから、こんな茶番がまかり通っていることで、誰が悪いかといえば、有権者に他ならない。企業側の票の取りまとめ者が、何を言おうとも、1人1人が普通の見る目を持っていたら、茶番を企む奴から順番に落選していく土壌が作られるであろうに、そうならない原因を作った有権者が、今こそ自らを恥じるべき時のように思う。

昔から、政治の世界に素朴な疑問があった。なんであんなにたくさんのお金が選挙にかかるのか? なんで有能には思えない人から順に当選していくのか? 投票するのは個人個人の裁量のはずなのに、どうして票の取りまとめが機能するのか? ころころ意見を変える人を国民が信じ続けるのはなぜか? だ。

自分が働く業界に有効に働く政策を支持したくなるのはわかる。自分の会社が儲かれば、自分の暮らしもよくなるからだ。当然だ。それが大票田を生み出す素地になっているのもわかる。

ただ、自分が働いている業界に政治家がもたらす利益が、他者を踏み台にして出てきている、短期的なものであることに気がつく人が、どうしてこうも少ないのだろう。

一時的に自分の暮らしが潤えばよい。 こういった気持ちは誰しも抱くのが本音だ。

ただ、時勢は変わる。甘い汁を吸った自分の業界が、凋落する時に、全てを政治の責任にするような人たちに、正当性はあるだろうか? 「以前においしい目を味合わせていただきましたので、これからは、苦しい時代を、自分が踏んだ人たちのために過ごしていきます。」と言うのが筋ではないか?

例えば、ゼネコン業界は甘い汁を吸っている時は、政治を賛美し、苦渋をなめる時代になると政治を呪う。

自分が踏み台にしてきたものに対する想像力はそこにはない。あるのは短絡的な享楽性だけだ。政治家も政治家なら、有権者も有権者だ。

毎回の選挙までの一連の動きを興味深く眺めている。どのように世論が操作され、どのような俳優がどのような演技をするかに注目している。
演技が出来ない実直な政治家が舞台から消えていく過程、名優がどのような演技で表舞台を闊歩するかを見るのは、茶番であるだけに娯楽性がある。

政治に娯楽性を求めてしまっているのが俺の現状だと思う。俺も恥ずかしい有権者の1人だ。 優れた想像力を持って、役者を選びたい。演者はいらない。

選挙は、政治家を選ぶ過程で、有権者のレベルが試される場だと思う。より高いレベルで、まやかしの演技を見抜けるように、選挙に備え準備したいと思う。

2008年7月19日土曜日

麻雀

今日は夕方から久々の麻雀、久々と言っても、2ヶ月ぶりだが・・・。
前回は、国士無双を上がって3着という、天性のタコ麻雀ぶりだったが、今回はどうなることやら。

麻雀は中国が生んだ偉大なゲームだ。数学的に完璧な数構成、囲む相手の性格が良く出るゲーム性、心理的な要因が大きく左右する局面、運の流れを客観視する展開、どれもこれも、素晴らしき娯楽であり、全ての娯楽の中で1番秀でたものだと思う。
頭にもいいと思う。

夏目漱石も菊池寛も愛した麻雀、最近の若い人で出来る人が少なくなったが、大きな文化的損失だとさえ思う。

学生時代はあほみたいにした。徹夜麻雀をしたのは数知れず。

学生時代の俺は引きがとにかく強かった。(今でも強いが)アニマルパワーともいうべき、引きがあったのだが、確実に負けた。おつむが弱かったのだ。精神力が弱かったのだ。
テンパイしたら、即リーチしかできなかったのだ。降りることができなかったのだ。

学生時代は、麻雀の負けをレコードで払った。博打によってむしりとられた俺のヘビメタアルバムの数々・・・。今は誰の手に?

メンツが見つからずに、1人で雀荘に行き、ヤクザに3回の対局で35000円むしりとられたこともある。行くハコを間違えたみたいだった。怖かった。それ以来フリーで雀荘には行っていない。

大人になってからの麻雀だが、俺もそれなりに成長した。流れが来ない時にはふりこまないように辛抱することを覚えた。だから、成績は概ね良好だ。

麻雀といえば、「徹マン」だ。夕方から卓を囲み、だら話に盛り上がりながら、一緒に朝を迎える。「麻雀」という言葉は、中国語で「スズメ」を意味するらしい。日本人が麻雀を初めてした時から、それは徹夜でスズメが鳴く時間までの遊びだったのかもしれない・

一晩を一緒に4人で過ごす。固い絆の出来上がりだ。性格悪い奴はその場でしっかり干され、次からは呼んでもらえなくなるが、気の合う仲間と囲む時間は、かけがえのない時間だ。

徹夜で麻雀をしていると面白い。お互いの髭が伸び出す過程を楽しめる。全員の顔がギッシュになり、脱毛数も数知れず。新陳代謝を臨床的に体験するには麻雀に限る。

徹夜で麻雀すると、頭も使うので疲れてくる。明け方には思考が停止し始める。そうなると、誰が何を言っても、何をしても面白くなる。「ぷ~」っと放屁すれば、全員が笑い出す。
臭くても怒らない。阿片を吸った奴みたいにとろ~んと笑い出す。笑う奴の顔は全員ギトギトだ。

思考の後には笑いの体力だけが残されているようだ。

大人になってからは、さすがに深夜には対局を終えるが、俺自身は「徹マン」を希望する相手がいたら、いつでも囲みたいと思っている。体力には自信がある。あの明け方の浮遊感が恋しくもある。

俺の今までの麻雀体験の中で、1番アニマルな上がり手は、「リーチ一発ツモドラ10」だ。

好きな言葉は「カン」と「裏ドラ」、得意な手は、「リーのみ符はね」だ。
まだまだ修行が必要だ。

麻雀を大人になってからする意義がある。それは、理性を身につけた俺が動物的な感覚を取り戻せる時間を持てることだ。

大人になれば理性は嫌でも身につく。セオリーも見につく。しかし、感覚頼みのアニマル感は失われていく。アニマリッシュボーイでいつまでもいたいのだ。

しばし、お昼ねしてから賭場へ出かけていく。休眠明けのアニマルパワーに期待したい。

侍:野茂選手

野茂選手の引退報道は、個人的に大きなニュースだった。

引退という事象だけでなく、ここに至るまでの全ての行為が完璧にかっこよかった。
地味で無骨な性格ゆえに、格別に黄色い声援を受けることもなければ、一般受けする派手な野球外でのパフォーマンスがあるわけではない。

ただただ、彼は自らのピッチングのみでパフォーマンスを続けた。ノーヒット・ノーラン2回なんていうのは、凄まじい。

全盛期の活躍だけではなく、体力が衰え、メジャー降格になった後の取り組みの一挙一動全てのほうが、個人的にはむしろかっこよく思えた。

あれだけの実績をひっさげながら、マイナー暮らしを転々とすることを自ら選び取り、そこで出来る最大限の動きをされていた。過去の栄光にしがみついているといった姿勢ではなく、まだ出来ると思える自分に素直に従い、周りの状況や評価には良い意味で無関心でいられる精神の強さ・・・、真の侍だ。

彼の引退発表の言葉がしみた。

「悔いはないという人が多くいるが、僕自身は悔いだらけです。」

なんて素直で純度の高い言葉だろう。悔しくないわけがない。遣り残したことがないわけはない。一般的に言えば後ろ向きな言葉なんだが、彼が言うと前向きな男の美学を感じるから不思議だ。

桑田選手が「悔いはないです。」というのも感動したし、野茂選手の「悔いだらけ」という言葉も感動した。言っていることは対極だが、同じ感動を受けた。

すごい男、侍が言う言葉は、単なる言語を超えた凄まじさを持って、聞き手に伝わるから不思議だ。

アスリートに関わらず、身の引き方には色んな美学がある。華々しいうちに身を引くやり方、ずたぼろになるまで関わって、どうしようもなくなってからの引き方、どちらにも正解はないのだろう。

やはり、そこに至るまでの個人が歩んだ日常の濃度、それが進退の現場で滲み出るのだと思う。高い人が選んだ進退とその後は、凡人には真似出来ないすごさがあり、感銘を受ける。

風向きに惑わず、第三者の目を判断基準に入れず、ひたすら自分が信じた方向を歩み、そこで限界があれば、次の進路を潔く選び取る過程・・・、素晴らしい。素直に見習いたい。

吉井選手が野茂選手にかけたコメントも素晴らしい。「 本当に彼が決めたのであれば、おめでとうです。」

戦う男の言葉にボキャはいらない。
こんな簡潔で素直な言葉を吐ける人間になりたい。侍でありたいと思った。

2008年7月17日木曜日

加齢臭

くさい。実にくさい。毎日仕事から帰るころ、俺のシャツごしに上昇してくる香りは、刺激的だ。

半渇きの洗濯物の臭いに、納豆をトッピングしたような臭いがする。ある化学物質を加えると致死量の薬品が出来るのではないかと思わせる香りが体内から出ていることにびびる。

びびるとはいうものの、自分の臭いなので愛おしくもあるのだが・・・。

加齢臭という言葉が認知されてから久しい。正直、まだ加齢臭が具体的にどの臭いをさしているのかはわからない。

臭いは言葉や見た目で表現できないので、世間一般的にも、「この臭いじゃないかな?」と思っているだけで、各自が認識している臭いが、全員同じものであるかは定かではない。

俺が認識している加齢臭というのは、ポマードを塗りたくった背広おやじに多い臭いだ(説明になっていないが許せ)。奴らが近づいてくるだけでわかる。満員電車で嗅いだらトリップするだろう。

汗臭い臭いが加齢臭でないのは確かだ。だから、毎日の汗による体臭は気にしていなかったのだが、最近、昨日着ていたパジャマを次の日に着る時に、俺の頭で警報がなることがある。

俺が認知している加齢臭を少し希釈したような臭いがするときがある。危険だ。

別に若者に媚びたいわけではない。ただ、臭いの害を外部に撒き散らす立場にはなりたくない。

俺は自分の発する臭いの現状を率直に知りたくなった。

嫁に言った。「正直に話してくれ。俺の体を嗅いでくれ。そして率直に話してくれ。俺は臭いか?」 なんだか、ガン告知を望む人のセリフみたいだ。

嫁は言う。「何やらすんじゃ! でも臭い。」と

俺は聞き返す。「その臭さは加齢臭と認知されている臭さか? それとも汗臭さか?」

嫁は言う。「汗臭さだ。」と。

安心した。嫁の言葉に嘘はないだろう。汗臭さなら俺は平気だ。学生時代は、「犬みたいな臭いがする。」と複数の子から言われた俺だ。獣が持つ臭いならば俺は堂々と発する。

少しまだ心配な部分もあったので、俺は生徒に聞いた。

「わて、加齢臭しとるけ? 正直に言いおし! してたらジャスミンふりかけるから・・。」

中1のおませな女の子は言った。

「心配しられんな。大丈夫がいぜ。ただ、耳辺りが加齢臭の原因ってママが言ってたから、毎日ちゃんと洗われ~。 今大丈夫でも油断しられんな~。」

俺は言った。「はい。洗います。」

ひとまず安心だ。加齢臭の原因が耳辺りにあることも知った。こわくさいガキの忠告に素直に従おうと思った。油断はしない・・・。

加齢臭というのは、体の老廃物が体外に出尽くさずに、表面あたりで沈殿していることが原因じゃないか?というのが俺の分析だ。

ならば、俺のように汗かきで、新陳代謝の早い大人は、常に老廃物を洗い流しているので、沈殿することはないだろうと思う。
汗をかかなくなった時が危険だが、当面は体質が変わらない限り大丈夫だろう。

臭いについて真面目に考察した今日、汗かき具合は過去マックスであった。老廃物が流れ出て付着したパジャマ・・・、こまめに着替えようと思った。

迷い

昨日の夜は、10年前までお世話になっていた会社の社長とお食事に。
和風高級料理を堪能した。ありがたい話である。

食事の場で、復職を強く要望してくださり、もったいないお言葉で恐縮する。

退職後も定期的に冗談っぽくではあるが、「いつ戻ってくる?」みたいに声をかけていただいていたのだが、一昨年に続き2回目の真面目なお誘いであった。
迷いが生じる。

昨年に知人と共同立ち上げした塾の方は、幸いにして経営上は順調である。初期投資費用は全額回収でき、会社名義の蓄えも出来つつある。ただ、この1年半、色んなことがあった。

何度か衝突し、その都度折り合いをつけて過ごしてきたが、先月にかなり大きな衝突をした。

自分の正当性だけを述べる気はないが、同僚の幼稚な行動が毎回の衝突の原因だ。衝突する度に、俺はこんこんと彼に力説し、「あなたの行動は、俺に対する妬みに起因したもので、あまりにしょぼい!何とかしてくれ。普通の人間が小学生時代にクリアすべき種類の感情コントロールが出来ていないのは、見ていて悲しくなる。」と4回にわたり、猛省を促してきた。

衝突の度に、向こうが俺に謝ってくる。「ほんと、自分でも妬み心があって感情をコントロールできなくなる。申し訳ない。今度変な行動に出たら、非常勤に格下げしてくれ。」とまで言う。

「あまり、稚拙な行動をくり返していたら、塾を立ち上げた初期の高い理念も志も空中分解する。そうなりたくないから、今のうちに何とかしてほしい。同じことをくり返していたら、俺も辛抱限界ある。何のために塾を立ち上げたか、常に思い出してほしい。」と言ってきたのだが、衝突がおさまっても、しばらくすると、またイライラして変な行動に出てくる。怒りを通り越して、悲しくなる。

そして、変な行動に出た後始末も自分で出来ない。俺が話し合いの場を作ってあげるまで、メモ書きで下手に伝達してくる。な・なさけない。口で話さんかい! 

だいたい、彼が変な行動に出るきっかけは、俺にだけ進路相談してくる保護者や生徒の取り次ぎを彼がした後だ。

人気商売とはいえ、塾という母体の理念の前には、俺は個人の人気はどうでもいいと思っている。黒子になることが必要な場合もあるし、表に出て行くことが必要な場合もある。生徒1人1人との相性なども含めたその時の需要に応じて、1番適した人間が対応すべき事例を、すべて人気取りで考えられて、それを妬みに変えられた日にはたまらない。

彼と前の職場で接していた時は、俺が部下だった。組織上の上下関係があった時の彼は、今の稚拙な行動を想像させない、素晴らしい上司だった。ところが、会社を離れると人間の性格がもろに出る。特にエリートできた人の精神コントロール力の無さには驚くばかりだ。塾講師という仕事に就きたい動機が、教祖的な安っぽい虚栄心を満たすためである人たちの精神世界は悲しい。

俺がなんで塾講師という仕事を選んだかといえば、やはり子どもが好きだからだ。だから、よそ様のお子様と関わらせていただく素晴らしさが、大人の個人的なエゴで妨害される事例が、1番腹立たしい。塾の主役は子ども達だ。大人が主役を目指してどうする! ほんま情けない大人との関わりに嫌気がさす。

衝突の度にモチベーションを再起動してきたが、5回も同じ行動をくり返されては、再起動力も弱くなる。


生徒対応へのモチベーションは下がらないが、高い理念で一緒に塾を活発にしていこう!という、塾という母体、そして、相棒としての彼との連帯感に対する動機は、まったく上がってこない。

そんなこともあり、今回の復職の誘いに心が揺れている。

自分に子どもが出来たら、よその子はどうでもよく思えるかもしれない。

色んなタイミングがある。流れには逆らわないように、最善の潮流にのりたいとは思っているが、日和見的にはならないようにしたい。

思えば、変わった人生、道草だらけの人生をここまで過ごしてきている。
俺はどこに向かおうとしているのか? 迷いは続く。

2008年7月15日火曜日

水分への渇望

暑い。この炎天下で走り回るキッズや、道路工事の人たちを見ていると、拝みたくなる。
まことに有り難い光景だ。

俺は汗かきだ。毎日下着がウェッティーで、下着越しに俺のビーチクが透けるほど汗かきだ。ラーメンを食すと、食している間に汗があふれ出し、採った塩分を丼に還元できるほどの汗かきだ。

色んな発汗の仕方があるが、俺の場合は、体中の毛穴が総開放し、全身くまなくあせがでる。手のひらと足の裏以外は全て均等に汗をかいている。

当然、むちゃくちゃ水分を採る。

毎日出勤途中の湧き水汲み場で、500mlのペットボトル3本に水を満たす。
その内2本は職場に着くまでに体内に取り込む。着いて弁当を食べる夕方までに残り1本を飲む。

弁当を食べるときには爽健美茶500mlを買う。食後に缶コーヒーを飲む。
帰り道に再び水を汲み、1リットル飲む。帰ってからビールを1リットル飲む。

合計すると、毎日最低、4リットルと250ミリリットルを飲んでいることになる。
もちろん、飲みに行く日なんかは10リットル越え確定だ。

俺の体は常に新陳代謝を欲している。常に水分を摂取していないと、体が変調をきたす。
高校卒業後くらいから、水分に対する飽くなき渇望が俺の性質となっている。

高校時代まではストイックだった。真夏の炎天下、水分もろくに採らずに白球を追いかけた。

当時の野球指導者は、軍人的な資質と間違った理論を持っている人が多かった。

後に、発育に良くないとされる、うさぎ跳びを全員が悲鳴をあげるまで課している人も多かった。俺もきっちり課された。うさぎ跳びというもの、最初は跳ねることが出来るが、ずっとやらされているとすり足だけで跳躍しない。鈍足のエリマキトカゲみたいな軍団が隊列を組んで校庭を一周している姿を眺める指導者・・・。軍人指導者はたばこを吸ってゴルフスイングをしてやがった。この訓練で俺たちが得たものは、バランス悪く発達した尻だけだ。

そして、軍人指導者にとってのセオリーは、水分を採らせないことだった。
「水をとるから汗かいてばてるんじゃ! なめるくらいしか飲んだらあかん!」とわけのわからない理論を振りかざし、俺たちの水分休憩を監視した。

俺たちはラクダじゃない。水分無しで、そうそう動けるものではない。
「高校卒業したら、毎日浴びるほど飲んでやる!」 強い渇望が俺の中に育まれた。

今、異常に水分を欲する俺の体質は、高校時代の野球部での体験が元になっているのは確実だ。鬼軍曹には恨みもあるが、おかげで水分をよく採るようになり、新陳代謝の良さが俺の健康な肉体を維持してくれている側面もあるので、ある意味感謝はしている。

それにしても。昭和時代の炎天下で、よく頻繁に死者が出なかったものだと思う。今のように「熱中症」という言葉も聞いたことがなかった。光化学スモッグ警報が発令しても、平気でグラウンドを走り回っていた。

試合中もテントがあるわけでもなく、ベンチも炎天下がほとんどだったし、日傘をさしているとはいえ、そこで観戦されていた保護者も、よく倒れなかったものだ。社会問題にはなっていなかったので、みんなそれなりに持ちこたえていたのだろう。

今の子の体が弱くなったのか、単に守られすぎなのか、日差しの有害度が増しているのかわからないが、今の野球部の練習を見ていても、定期的に水分補給をさせてもらっている。
水に対する飽くなき願望は、今の子には無縁だろうなと思う。

そういえば、最近の子供は果実系やお茶といった、ジェントルな飲み物を好む傾向がある。コーヒーを飲む子でも180mlがほとんどで、250ml缶を手にした子は少ない。

俺はといえば、飲み物を購入する時は量重視で、常にがぶ飲み体制だった。当然果実系なんかに興味もなかった。

汗がしたたる子もあまり見かけないし、なんだか今の子はかっこいい。

水分に対する渇望は、若者への羨望と紙一重である。壮年の心境はアンニュイだ。

2008年7月14日月曜日

ライブ後記

昨日の「ほうるもん」ライブにご来場いただいた方々、ありがとうございました。

たくさんの方々に見ていただいて、急遽のイベント出演選択をしてよかったな~と思う。
ライブイベントのタイムテーブルが決まっている中、アンコールも頂いて感激だった。

個人的には久々のホールライブ、モニターありのライブ自体も久々で、新鮮だった。
中音がいつもの感じとは違ったが、各音もよく聞こえ、集中力の高いライブだったと思う。

ライブ終了後は打ち上げに。若いバンドの方々から話しかけてもらったりして、久々に対バンと打ち解ける過程も楽しめて、忘れかけていた何かを思い出したような気がする。

歳をとるにつれて、ライブの対バンなんかも自分たちで選ぶような機会が増えていて、全くの初めての人たちとお互いに刺激を与え合う機会が減っていたので、下北沢屋根裏でライブしていた時期を思い出し、なんだかキューンとした日だった。

チープで立命や大阪女子短大の学園祭ライブ、服部緑地野外ライブは経験させてもらったが、公的なホールでのライブなんて、高校時代以来だ。

ホール内に機材が持ち込まれ、PAとの配線がなされて舞台設営がなされていく過程も含めて、全てを体感したかったので、朝の9時から一番に会場入りし、最後の機材搬出まで手伝わせてもらった。他にバンド出演者は誰も定時入りしてなかったが、楽しい時間だった。

ライブやることが当たり前ではなくて、一世一代のハレの日としてとらえていた高校時代、自分たちのライブだけでなくて、好き嫌いも含めて多種多様なバンドが出るイベント、
自分にとっての初期衝動を思い起こさせてもらった1日だった。

ライブハウスに初めて出た日、ハコのマスターと話すことに敷居を高く感じた日、リハが何であるかもわからなかった日、対バンの人と話すことにびくびくしていた日、上手くいくか不安でたまらなかった日、色んな初体験が、歴を重ねるごとに慣れになる。

慣れた果ては円熟かもしれないが、熟した何かには、核となる初期衝動をしっかり内包していないと音楽を続ける意味がないと思った。
バンドの打ち上げを途中で抜け、前職場の飲み会に遅れて参加させてもらう。
久々の顔ぶれと話が弾み、3時までがっつり飲んだ。

みなさん色々鬱憤もたまっているようだったが、飲み会で鬱憤を発散してリセットしては、新たな気持ちで翌日に臨む過程をくり返してこられた方々、偉いな~と思う。

その仕事に就いた動機をしっかりと持ち続けておられるベテランの方々、初期衝動をしっかり核にしておられる点で、まだまだ俺も見習わなければならないと思った。

基本的に俺は、職場の人間にはバンドをしていること自体を話さないし、音楽的趣味が合う人ともめったに仕事では縁をもてない。

それでも、一緒に飲みたいと思える職場仲間には、熱い何かがある。そのエネルギーを吸収して自分のパワーに変える機会を頂いている。

魂の熱さは、自己完結で自己陶酔しがちだ。

目に見えて表出するものが最初にあって、それを目がけて作り込むことが熱さではないと思う。

内面で沸騰した何かが体全体からあふれてくるものが、種々の外的要素を利用して第三者に伝わる。それがライブに大切な、熱さの共有であると思う。

ライブを見に来てくださるお客さんは、最初はバンドの表面的な音や絵から入る。それだけで需要があるものもある。

しかし、ライブが終わった後、お客さんの心のフィルターを通した後に何かが残ってくれるならば、それは魂の共有であり、熱さの共有であると思う。その時、大人の自己陶酔は自己完結ではなく、外部に開かれたものになると思う。ライブをする意義があるというものだ。

そんなバンドを目指したい。そのためには初期衝動をしっかりもち続けたい。定期的にイベントにも出てみようと思う。

2008年7月12日土曜日

恥じらいある譚

今日は朝6時に目が覚め、7時からの銭湯に行き、9時から家庭教師、終了後すぐ出勤、夕方帰宅。

明日はライブなので、土・日の勤務を同僚と入れ替えた。今から爆飲しながら楽しみの感慨にふけろうかと思っている。

外は明るい。雲に半分隠されながらも月が早くも視界に入る。
なんだか、こんな時間の月は見たくない。恥じらいがない。暗くなるまで待っとけばいいものを、先走りしやがって・・・。
夜までまっとれ!

朝の銭湯、優雅で心地よい。24時間の中で、朝型の風呂が1番贅沢な気がする。いつもより長風呂し、熱を冷ますべく水風呂に向かうとき、邪悪な行動が目に入る。

「か~~~~~~~っぺ! ぐは!」っと音をあげながら、水風呂に入っていたおっさんが、水風呂浴槽のすぐ外(浴槽内の通路)に痰をびしっと吐きやがる。

俺の頭でゴングが鳴り、ラウンドが始まる。俺は殺しの視線を痰野郎に送る。

すぐに後悔した。丸刈り寸胴体型、傷跡あり・・・。 極極極道歴長そうな風貌のおっさんだった。

元来の気の弱さと喧嘩の弱さが売りの俺が喧嘩を売る相手ではない。俺は殺しの視線を水風呂のタイルに向けたふりをした。

おっさんは、「やるのか兄ちゃん?あん?」ってな視線を俺に送ってくる。俺は失禁しそうな恐怖にかられたが、俺の正義心が弱気を支える。

俺はおっさんの横に、わざと水しぶきをあげるように、ざぶ~~んと入り、震える御心を隠しながら、おっさんの動向を馬並みの横目で窺っていた。

よく見ると、目つきは柔和だ。僧侶見習いのおっさんかもしれない。墨なし指ありジュニアに真珠無し!・・・。
もしかしたらファイト対象かもしれない。

さっきまでの恐怖はどこへやら、俺は実に強気になった。

このおっさん、またもや、「か~~~~~~~っぺ! ぐは!」と言いながら、俺の目の前で再度吐きやがる。

俺は懲役覚悟で言った。「こら! ここはお前の痰壷ちゃうど! 家で吐け! この××××!」

俺の人を見る眼力は優れている。彼は、びくっ! と怯えて、「す・すみません。」と言った。似非極道だったのだ。 

「ついつい、気持ちよくてリラックスしてしまって、兄ちゃん堪忍やで!」と言ってきた。

なんだか、怒鳴った俺の方が悪いことをしたような気になった。恥じらいある壮年の心境は複雑だ。

銭湯が気持ちよいために、ついつい、「あ~~~」とか、「すわ~~~」といった奇声をあげたくなるのはわかるし、良い。でも恥じらいを持っていたならば、ついつい出た奇声がエスカレートして、痰を吐く行為にまではならないだろう。似非極道に猛省を求む。

それにしても、俺の罵声も恥じらいがない。上記の「    」内の××××は、「チ・ン・カ・ス」と変換される。

恥じらいある壮年が吐くセリフではない。俺は俺自身に猛省を促した。

明日はライブだ。日頃の鍛を、音世界に乗せて吐きたい。痰を吐くのは恥じらいがない。
精神世界の端を音世界に委ねて吐くこと、イッツ・ロック! 

恥じらいある壮年ライブに胸が高鳴っている。集中力が欠如して、玉砕したらその時は、嘆・・・・。
嘆きを電波に乗せたくはないので、よいライブをしたい。 恥じらいある譚を願う。

2008年7月11日金曜日

ファミレスに行かない理由

今日の出勤途上、某ファミレスの新装開店現場を見た。平日昼間であるにも関わらず、多くの人でにぎわっていた。

俺はファミレスというものを滅多に利用しない。どれくらい利用しないかというと、今まで生きてきたなかで数えられるくらいだ。数えられるから数えてみた。関西にいた時に4回、富山に移住してから11回しか行っていない。生涯15回のファミレス体験だ。記憶から抜けているものがあるかもしれないが、絶対に20回未満だ。

なかなか稀有だと思う。別に避けているわけでもなければ嫌いでもない。ただ、個人的需要がないだけだ。

多くの人にとってファミレスは、非常に便利なものであると思う。これだけ、全国各地にファミレスを見かけるのだから、市場規模からいっても相当の需要があるのだろう。

だが行かない。なぜだろうかと考えてみた。

18歳以降の俺にとって夜の食事は、酒を飲むための肴を食すという認識になっている。米自体も夜はあまり食べないし、一般的な御膳形式のご飯なら、家で食べるほうが美味しいし落ち着く。

もちろんファミレスにも単品メニューはある。しかし、パスタならイタめし屋、うどんならうどん屋、カレーならカレー屋の名店がそれぞれあるから、そこで食べればよい。ファミレスに単品メニューを目的に食べに行こうという発想にならない。

同じように、デザートなら専門の名店が今ではたくさんあるからファミレスを目的地にしない。

ドリンクバーで長居するための場としてのファミレスの使用、これはまだ俺の中ではわからないでもない関わり方なのだが、ソフトドリンクを何倍も飲みたい衝動よりもビールを何倍も飲みたい衝動が勝る俺にとって、アルコールの飲み放題プランがファミレスにない限り、ファミレスヘビーユーザーになることは現実味を帯びない。

このような理由でファミレスに行かないのだが、多くの方がファミレスを選ぶ動機はなんだろうかと少し気になった。

家族連れが、子供の要望に配慮してファミレスを利用する気持ちはわかるのだが、それ以外は正直わからない。

コーヒーを飲みたい、和食を食べたい、洋食を食べたい、仲間と長居して語りたい、彼女とのデートの待ち合わせに使いたい、といったそれぞれの要望を満たす名店が減って、ファミレスは店選びに困ったときの駆け込み寺みたいになっている側面があるような気がする。

種々の利用目的がある外食との関わり方、その目的ごとに、自分なりの贔屓にする名店を持っていたいと思う。

好きな音楽のかかる喫茶店、内装が趣味にあう料理屋、頑固一徹おやじのいるラーメン屋、コーヒーの飲めるギャラリー、肴のセンスがよい飲み屋、集う客の会話水準が高い飲み屋、ご主人の趣味が程よくにじみ出た名店が、都会には多くある。都会に行くたびに、1つ1つの店がかもし出す心意気に打たれ、そこに文化を見出してきた。

都会は電車と歩行の文化なので、自分にとっての名店を多く持てる可能性が高い。歩行速度は路地裏への視点を維持できる。ところが、車社会の地方都市では、駐車場が大きいというメリットが名店を探す気持ちを上回ってしまう。車窓からの景色には写らない路地裏の名店があるかもしれないが、ついつい歩いて探す努力を放棄してしまう。

地方都市にも路地裏の名店はある。しかし、車社会の生活事情に、オーナーの文化的志が負けてしまい、多くの店は暖簾をしまう結果となる。悪循環だ。

都会と地方の生活環境の差は、昨今ではほとんどなくなってきていると思う。全国チェーン店の普及度でいえば、むしろ地方都市の方が充実していると思う。

大手チェーン店、フランチャイズ店による生活環境の均一化が、皮肉なことに、都市と地方の文化的格差をさらに広げる手助けをしている気がする。

車の速度は、身近な観察眼を鈍らせる。車社会に適した店環境がファミレスとマッチした。
文明社会は従来の文化を殺す。失われた文化のよい部分を継承することなく生まれる新しい文化に、俺は生涯馴染めそうにない。そんな理由でファミレスに行かないのだと思う。

路地裏の名店が繁盛する素地と文化がこの町に欲しい。俺も探す努力を惜しまずに、微力ながらそこに金を落としたい。

2008年7月10日木曜日

料理がしたい②

結婚して5年間はアパートでの二人暮らしだったので、嫁の帰りが遅い時、昼食等、よく料理をしていた。

料理とはいったものの、その大半はインスタントラーメンであり、ネギを切るぐらいしか、俺の華麗な包丁裁きは出来なかったが、それでも数回はきちんと料理したことがある。

カレーを作ったことがある。玉葱を多量に使った。玉葱をとろけるくらいまで炒めまくって、その後に肉、野菜を入れ、カレー粉をトッピングして作った。

我ながら美味しいと思った。炒めた大量の玉葱がまろやかさを演出し、インド人も日本人も喜んでくれるくらい、スパイシーさの中に和の隠し風味があった。

嫁は食べるなり一言、「辛い!」と言った。 カレーを辛いと言われても防ぎようがない。
それに何だか不機嫌だった。何がいけなかったのだろうか? 作るだけ作って後片付けをしなかったのが原因だろうか? それとも、おでん鍋に満タンの10人分くらい作ったのがいけなかったのだろうか? それとも嫁が買い置きしていた上質の肉を全部使ったのがいけなかったのだろうか?  何だか料理に対するモチベーションが下がった。

下がった後は上がるのみ! 一ヵ月後、俺はスープを作った。冷蔵庫にあったあらゆるものを入れた。そして、キャベツや人参が、へたれになるまで熱で攻める。大量の野菜が甘みを演出し、ベーコンとコンソメパウダーが味の土台を作る。最期に秘伝の隠し味とトマトジュースをだぼだぼ入れて完成!

むちゃくちゃ美味しかった。トマト風味で味はしっかりしているが、基本が薄味でくどくならない。病人に飲ませたら一発で元気になるだろう。俺は自分の料理の才能を自己賛美した。

嫁は食べるなり一言、「熱い!」と言った。スープを熱いと言われても防ぎようがない。
それに何だか不機嫌だった。何がいけなかったのだろうか? 台所が水浸しで料理かすが床に飛び散っていたのがいけなかったのだろうか? ラーメンの器にたっぷり注いで提供したのがいけなかったのだろうか? 刺身用の魚を使ったのがいけなかったのだろうか?
秘伝の隠し味、すっぽんエキスを入れたのがよくなかったのだろうか?

料理に対するモチベーションは再び急降下! 俺はすねて大酒くらってふてねした。
鍋にはあと10人は食せるであろう量のトマト汁が残っていた。

台所というのは、女の聖なる場所であり、男がちゃべちゃべと出入りすることは、なおん感情を逆なですることにほかならない。俺はこのとき、そう思った。
それ以来、料理はしなくなった。

嫁の親と同居した後は、台所自体に近づかなくなった。「なおんの聖域を汚さない、思慮深い俺・・・。」俺は酔っていた。酔うためのビールは台所外の冷蔵庫に確保した。

釣ってきたサヨリの表面のぬめり取り、カワハギの皮剥ぎ、餃子の包む手伝いで台所に出入りしたことがあったが、基本的には料理をしようとはしなかった。

ある時、おとんもおかんも嫁も帰りが遅い日があった。

俺は久々に台所を占有したい欲望にかられた。バスタオルをエプロン代わりにし、本家からもらった大量の玉葱をむきむきし、オニオンスライスとカレーを作った。

オニオンスライスは1人分ずつ皿にいれ、冷蔵庫で冷やした。そして食す前にドレッシングをかけた。

家人が帰りだし、俺はサプライズを期待したが、あまりの家族の無反応にサプライズドした。

オニオンスライスは辛かった。俺は切るだけかと思っていたのだが、水に浸しておかないといけなかったようだ。おかんと嫁は、「辛い!」と一言、小皿の中身を俺の皿に入れた。
おとんだけが、涙を垂らしながら完食してくれた。ありがとう、おとん! やっぱり俺たち男同士だ。俺も涙を流しながら、完食した。

それ以来、料理をしていない。もう5年になるだろうか? 

1人暮らしならば台所を自由に使えるが、結婚、まして嫁親と同居の身分では、なおんの聖域に出入りするのは非常に困難だ。

料理をする男がうらやましい。料理をする男がねたましい。料理がしたい。

料理がしたい

男の料理人に憧れる。板前とまではいかなくてもよい。一人暮らしで自炊をしている男を見ると、憧れる。結婚していても家庭で頻繁に料理を作る人に憧れる。外食して選ぶ席は、なるべく厨房が見える位置だ。男の料理姿の一挙一動にほれぼれする。

和でも中華でも西洋料理でも良い。ラーメンでも蕎麦でも麺打ち場面でも良い。男が食すもののいずれかの工程に携わっている姿を見るのが好きだ。

小学生の頃、俺は料理をよくした。よくしたといっても月に1度くらいだが、家族にもふるまって好評だった。「あんた料理の才能あるで。辻調理専門学校行き!」とおかんに言われた記憶がある。クッキーなどもしょっちゅう作った。スーパーのレジ袋の大きいサイズにいっぱいになるくらい、数時間かけてひたすら焼いて、それを常に携行しては、おやつにしていた日々もある。できたても美味かったが、冷えたクッキーの味わいもよかった。今でも味覚として確実に覚えている。

ところが、中学以降全く料理をしなくなった。家庭内での反抗からか、家族と接する機会が多い台所周辺には殆ど立ち寄らなくなった。

大学に入った時、自炊する男友達に憧れて、何度か自炊を習慣化しようと試みたことがある。その頃俺は、日払いバイトをしていたので、毎日6500円が手に入った。そして毎日6500円使った。全て飲食にだ。夜は連日、馴染みのお好み焼きや、中華料理屋で数千円を使った。

これではいけない! 反省する機会が年に数回あった。その度に俺は、「今日から自炊して、お金を貯めて楽器を買おう!」と意気込んだ。ちょうど、パチンコで数万円の臨時収入もあり、懐は豊かだった。

スーパーに行く。むちゃくちゃ楽しかった。砂糖・塩、醤油から山椒、七味、胡椒、カレーパウダーまでの調味料から、あらゆる野菜、ミョウガなんかも仕入れた。肉や魚の安いものを吟味して購入する。いっぱしの賢い主婦気取りで、スーパーの棚配列を覚えるくらい、京都白梅町近くのスーパーで買い物した。

下宿に帰り、料理するメニューを考えた。散々考えて、とりあえず初日はチャーハンにしようとした。鮮魚、肉、野菜などたくさん仕入れた結果がチャーハンだ。「でも大丈夫!今日から自炊に目覚めるのだから、明日からのメニューはゆっくり考えよう!」とでも能天気に思っていたのだろう。

脳は天気だったが現実は曇天、米をたく機器がなかった。慌てて炊飯ジャーを買いに行く。しゃもじも買い、米は近江のパールライス、なぜかしらないが、米売り場近くにあった、違う種類の米類も買った。もちごめと玄米だった。

下宿に帰ってチャーハンを作った。包丁がないことに気がついて、手でむいたり割ったりした。フライパンがないことに気づいて、またまた買出しに・・・。

準備万端、俺はプロの中華料理人が、フライパンを手首で操る姿が好きだった。だから真似た。
フライパンの中身より外にはみ出た量の方が多かった。拾った。

出来上がったチャーハンをやっと食そうかとする頃、ちょうど先輩が家に入ってきた。かぎもかけずにいたので、そのままいきなり乱入してきた。俺はびっくりして皿をひっくり返した。床にぶちまけられた米を拾って食べた。まずかった。深夜に腹が減ってカップラーメンを食べた。

後片付けを忘れていた。夏だった。臭った。虫が寄生した。怖くなった。逃げた。臭いが強くなった。さらに逃げた。

この日以来、俺は料理をしなくなった。この日の料理の値段は3万円を超えた。買いだした冷蔵庫の中身は、1度も調理にかけられることなく、悪臭と共にごみと化した。ビールとアイス以外入れたことがなかった冷蔵庫が臭くなった。

次に再び料理をしたのは、4年後になる。それ以降もドラマがたくさんあった。明日以降に記す予定だ。
俺は料理がしたいのだ。でも事情が色々あるのだ。

2008年7月8日火曜日

サミット気に食わない

洞爺湖サミットが始まった。警備体制などでの盛り上がりはあるが、外的パフォーマンスに比して、内実は???であり、どうも気にくわない。

だいたい、国連があるにも関わらず、「主要国首脳会議」という趣旨からして気にくわない。
1年に1回の短い時間で議論される話は、しょせん文書間のやり取りや、電信でも十分対応可能なもので、莫大な費用と関連する人たちの労力を考えると、エコとは対極の無駄の極みであると思う。

富山県警からも数百人の応援派遣があったと聞くし、沿道ではテロ防止の検問がなされている。警備させられる警察官の心労やいかに? やめちまえ。

居酒屋での顔見世対談がスケールを大きくしただけのもので、コミュニケーションを実際に会ってとるという面ではプラスの側面もあるかもしれないが、それなら、どっか無人島か誰かの別荘ででもやって欲しい。砂漠でやるのもいいな。島国に上陸するな!

だいたい、続々と訪れる各国の要人達、あんなでっかい専用機があるならば、相乗り折半で来たらいいのにと思う。1国1機飛ばす行動自体が、サミットコンセプトに反していると思う。

砂漠の真ん中に簡易へリポートを儲け、簡易便所を設営し、香具師なんかを派遣して、テントで各国首脳が寝泊りするのが、究極のエコ的パフォーマンスだと思う。会議なんてものは、事前に台本が用意されたパフォーマンスなんだから、もっと質素に出来ないかな?
テントで寝泊り、裸の付き合いで各国首脳が語り明かす。なんて素敵な首脳たちだ。
全ての議題はひとりでに良い方向に向かうだろう。

もし、今のような派手なパフォーマンスを継続したいのであれば、北朝鮮などに乗り込んでやれば面白い。将軍もたじたじになるだろう。もちろん、ショバ代を北朝鮮に払う。しかし、各国首脳が落とす一切の経済利益も含め、全てを将軍の息のかからない国民に配分する。
警備面で多大な心配はあるが、各国首脳が体を張って乗り込む姿に世界は共感するだろう。そうなれば、国連を離れたフライング気味の首脳外交も意味を成すだろう。

だいたい、G5,6,7やら、Gの後に数字が付く会議は、ろくな成果をもたらしてくれない。G5蔵相会議がバブルを膨らませた事例が代表的な例だ。

「サミット」という言葉を聞くと、「桃太郎電鉄」で、嫁にサミットカードを使われ、キングボンビーにとりつかれた、腹立たしい経験を思い出す。俺はそのゲーム、順調にすすんでいたのが、サミットを機に、キングボンビーの邪悪な裁きでマイナスになった。サミットはろくでもないカードだった。
なんともいけ好かないサミットだが、無事に波乱無く、安上がりで終わり、主要国の偉いさんには早くおいとましていただきたい。ろくでもない外交カードにならないことを願う。

2008年7月7日月曜日

将来が心配な店員

コンビニ店員に対してのネタは過去にも数回書いたが、いつも利用するだけに、興味に事欠かない。

最近の通り道でよく利用するコンビニでのこと。

水とガムを買ってレジへ。

真面目そうな、歳は30歳手前だろうか、スマイルを絶やさずに爽やかにしようという意図が感じられるが、悲しいかな偽善的な笑みは不自然で気持ち悪げな風貌だ。

「~ポイントカードはお持ちでしょうか?」

無い旨を伝えると、「~が1点、~が1点合計2点で~~円になります。」とお決まり対応で無難にレジを打つ。マニュアル対応は馴染んでいたように思う。

ここまでの対応ならば、個人的なキャパシティーの差は露見しない。

ところが、ここから先がいけない。

俺は一万円札に端数の小銭を足して渡した。彼はすぐさま、「~~円お預かりします。」
といって、お釣りの紙幣を用意しだした。「お先に大きいほうから5,6、7、8、9千円お返しします。」

そして、小銭になったとき、彼は小銭をつかみ損ねて落とした。そして、それを必死で探すためにしゃがみこみ、俺の存在は数十秒無視された。
やっと見つけて拾ったお金、彼はそれを、ひたすらマニュアルの続きを唱えながら俺に渡した。「残り小さいほう、800円のお返しです。」

こりゃ! 金を落としたら後から拾わんかい! それに、拾った埃のついた小銭を目の前で俺に渡すな! 

とは言わない。俺のジェントルな性質が罵声を止めてくれる。

店を後にし車に戻る。座席に座った瞬間、たばこを買い忘れたことに気がついた。

すぐさま再度店内に入る。俺が出てから再び入るまで、他の客はいなかった。

彼は言う。「いらっしゃいませ。~ポイントカードはお持ちでしょうか?」
え?さっき無い言うたやん!と心で思いながらも、俺は軽く無視して、「マルボロライトのメンソール1つ」と言った。

あいにく、陳列ケースには俺の目当てのたばこがなく、切らしていたようだが、上にカートンがあるのが見えた。

彼は言う。「あ、申し訳ございません。ただいま切らしておりまして・・・。」

俺は言う。「上にカートンあるやん。」

彼は言う。「あ、少々お待ちください。」そういって、ウォークインにいるであろう先輩店員に聞きにいく。そして戻ってきてからカートンの包装を破りだした。

「許可いるか????」 彼がかわいそうになってきた。

コンビニを再び後にする俺、彼が俺の後姿におじぎしているのが、ドアのガラスに映る。
いい奴だ。でも干されるのは時間の問題だろう。

彼の将来を親に成り代わり心配する。

2008年7月6日日曜日

嬉しい知らせ

今年の春先にずっと相談にのっていた以前の塾の教え子から、今日、久々に電話を頂いた。

高1の3学期をずっと不登校で過ごし、高2になる今年の春休みは連日相談に乗り、色んなプランを共に考えていた。

正直、学校復帰は厳しいと思っていたし、大検予備校からの大学進学が一番可能性が高いと思っていた。

彼とは中学時代に関わりを持っていたが、当時から自分自身で問題を解決していく力の欠如を心配していた。医者であるお父様に相談し、受け身の姿勢を無くすために塾を1度辞めることを提案していた。

しかし、高校受験を控えていたこともあり、塾は継続され、言われたことだけに取り組む状態のまま、だましだまし能力だけで受験をクリアし、進学校に無事合格された。

そんな彼が変調をきたし、不登校になった旨を昨年の暮れにお父様から聞かされた。
お父様自身、自分がふがいないとすごく落胆されていた。一般的ないい子であることで満足してあぐらをかいていたことが恥ずかしいともおっしゃっていた。

ただ、このお父様が素晴らしいのが、親として子どもに媚びない姿勢と、世間体なんかは全く気にしない上で、息子に1人の人間として厳しい姿勢で全力対峙する覚悟をおっしゃられた。その上で、緩衝材として、俺に間に入って欲しいという趣旨の依頼を頂いた。

すごく感銘を受けた。お医者様という職業の方をたくさん見てきたが、どうしても世間体と金銭で問題を解決しようとする方が多い中で、謙虚で懐の深い性質に頭が下がった。

意気に感じて息子さんと対峙したが、劇的なことは起こらなかった。らちのあかない会話がくり返され、時間ばかりがたった。

あらゆる進路の選択肢をこちらから単に与えるだけでなく、自分で調べさせるように仕向けた。遠くの大型書店に連れて行き、自分で、中退した場合の選択肢としてどのようなものがあるかを、中の書籍から調べてくるようにさせた。

最初は、「何見ていいかわからん。」と言いながら、ぼ~っとしていたので、書棚に連れて行き、また1人にさせた。今まで自分で参考書なんかを探しに本屋に行ったこともなかったという。

書籍を購入後、学校に行きたくない動機を1つずつ紙に整理し、中退する場合、残る場合、それぞれのメリット・デメリットも整理することをすすめた。

最終的には、高校に残って進学を目指すのが一番楽で、一番の近道である点だけを力説し、自分自身で決断するように促し、方向性が見出せたら連絡欲しい旨を伝えて数ヶ月が過ぎていた。

高2になった春、何とか再び学校に行きだした旨の連絡をいただいたきり、しばらく連絡がなかった。

便りがないのは良い便り。 

久々の音信となった今日の電話。

なんと、高2の1学期、ほとんど欠席せずに学校に戻れたという。感動の嵐だ。1度気持ちが切れてからの学校復帰、すごいエネルギーがいったと思うが、大したもんだと思う。

学業の遅れを少しずつ独学で取り戻し、旧帝大のどれかを目指すという。何でもまる投げで塾に逃げる姿勢も改め、自分で少しずつ欠席していた単元を遡って取り組んでいるという。

高2の夏休みを控えた今、今からの受験勉強計画と英・国の質問だけ頼らせて欲しいという。 喜んで引き受け、水曜日に会うこととなった。

今後、彼の日常に、相談できる友人や恋人との縁が訪れ、俺ごときに相談する必要がないようになってくれたら、なお良いと思う。今日の朗報で、十分こちらは嬉しくなった。水曜日を境に音信が途絶えることを望む。

商売とは離れた部分で、良い体験をさせてもらった。彼に便乗して、少し多目の酒を飲もう!祝杯だ!

2008年7月5日土曜日

物語ること

久々(といっても3週間ぶり)に図書館で本を借りる。

川西蘭『夏の少年』、立川談志『談志受け咄』、 太田省一『社会は笑う』、
矢野誠一×中原道夫『衣食遊住がらくた館』、秋岡伸彦『読売コラムニストの13年~バブル景気から平成不況へ』

最近は読書ペースが落ちているので、10日くらいは持つだろう。久々に物語も借りた。川西蘭の物語には懐かしさがつまっていて、琴線に響く。

暑さが本格化。クーラー入れながら、久々にルーリード「トランスフォーマー」を聴く。

最近、よく考える。日本語の歌詞で物語るのは難しいなと。日本語圏内の音楽において、ストーリーテラーとなるのは難しい。何度か挑戦したが、物語りきれない。

ルーリードの例で言えば、「ハリーはフロリダのマイアミからやってきた (中略) 彼女は言う “あんた、裏街道を歩きなよ”」とか、「ジャッキーはスピードでいっちまっている」とか、「金持ちの息子のハリーは司祭になりたがっていた」といった具合の物語る歌詞だ。

上記の例にしても、日本語にした時点で興ざめしてしまう。英詩として聴いていたら入りやすいものも、日本語変換をすると粋でないお江戸風味になってしまう。

ボブ・ディランにしてもしかり。

何でだろうな? 上記の歌詞を日本の事例で置き換えたらどうなるだろう?

「山田は和歌山の市内からやってきた (中略) 彼女は言う “あんたな~、地下に潜り!」   なんだか、鉄砲玉になった構成員への姉さんのセリフだ。消されるぜ!

「佐藤は咳止め薬で躁鬱が激しい。」    なんだか、いがいがしい。要治療。

「ぼんぼんの田中は坊さんになりたがっている。」    ドラムより木魚が響く。大谷大学を勧めるぜ!

ストーリーテラーとしての素晴らしき日本語の詞世界で、俺が知っているのは、ブランキー・ジェット・シティーの「悪い人たち」ぐらいだ。知らないだけで他にもあるのだろうが、絶対的に少数だ。

日本人には行間を読む力が他国の人よりも備わっていて、その間を大事にするために、音階を乗せて物語ることは、どちらかというと野暮ったいものに感じる素地があるのかもしれない。

インテリジェンスの語源はラテン語かなんかで、「行間を読む」ことらしい。そんな講演談話を最近の新聞で読んだ。

なるほどなるほど。日本語と同じく行間の余韻があるハングル圏の将軍様の言動と、その行間を読めないアメリカの人。

アメリカのストーリーテラーは、使用済みの核施設を破壊させ、そのご褒美に制裁を緩和しようとしている。

物語ることより、行間を大事にしようと思った。

2008年7月4日金曜日

産地はどうでもよい

食品の産地偽装が後を絶たない。今日は、中国産を四万十川産と偽って売っていた不逞な輩が摘発されていた。

食の安全度が問題視されている中国産ならば、安くてもそんなに売れないだろうし、利益は出ないのはわかる。だったら、いっそのこと輸入しなかったらいいのだ。商売から身を引け! それを輸入して国産とラベルを張替え、利益をふんだくっていたのだから、泥水のんで、うなぎの気持ちを牢屋で考えて欲しい。

色々と、食品の産地偽装やら、賞味期限書き換えやら、こういったニュースが続くというのは、庶民の味覚もなめられたものだ。

いっそのこと、産地表示なんかやめたらいいのだ。会社名だけを表示して、「~畜産株式会社」やら、「~食肉加工」といった表示だけを義務付けて、庶民が自分の信頼できる会社を自ら選び、ひいきにしたらいいと思う。

しょせん、中国産を四万十川産と認識して、「美味しい美味しい」と言っていた庶民だ。究極のところ、食品に望むものは、産地なんかではなく、それが安全で美味しくて値ごろ感があるかということだけだ。

これだけ加工技術、養殖技術、輸送技術が発達した今、産地にこだわらなくても、信頼できる会社が販売するものならば、美味しいに決まっている。

うさんくさい会社は、短時間で淘汰されるだろう。雪印事件があって以来、大手だからといって看板だけで商売できる時世ではない。主婦は美味しい商品と、信頼できる業者に対しては敏感だ。

鈍感な、産地だけで満足するような3流主婦が悪徳業者にだまされるのであって、1流主婦は、看板よりも実を見抜く力を持っている。四万十川産でなくても、美味しいうなぎを出す魚屋を知っているし、飛騨牛でなくても、美味しい肉のお値ごろな買い物をする力を持っていると思う。

各家庭には、こだわりの食品があると思う。「~食品の、このらっきょ食べたら、よそは無理」とか、「魚はやっぱり~(屋号)よね」といったものがあると思う。

各家庭が、信頼できる会社をひいきにし、そのずっと信じていた会社が、賞味期限張替えなどをして、それが発覚して裏切られた時に、ひいきの客として怒るのはわかる。

でも、今回のうなぎにしても、ちょい前の牛肉にしても、摘発されるまで社名も知らない会社であったろうと思う。「どこどこのスーパーで売っている肉」という扱いで、別に摘発された会社の商品を選んで買っていた人はかなり少ないと思う。

単に「~産」といったラベルだけで味覚を高めた気になっていた人が怒る案件ではない気がする。自分の買い物スタンス、目利きを反省する機会と捉えたほうが前向きだろう。

飛騨牛偽装のあの社長、社員に罪をなすりつけようとして逆襲に遭っていたが、あんな不逞な輩はどこにでもいるだろうし、良心的な商いだけでは綺麗な社屋が建つのは難しいという気がしている。

食品だけではない。医療でも使いまわしはどんどん出てくるし、信じられるものなんかないのが前提だ。商売である限り、利益が絡むと儲けのために仕掛けする奴が出るのは、悲しいが当然のようにも思う。それがいいとは思わないが、現実は現実だ。むしろ、こういうあくどい奴が経済を発達させてきた側面があるので、絶対悪とはいえ、経済にのっかった消費者も悪いのが本質だと思う。

そろそろ、そこは割り切ってみるべきだと思う。結局のところ、信じられるのは自分の目利きだけだ。目利きレベルを高めるための教材として、一連の偽装事件を捉えてみるほうがよい気がする。

他者を信じないのではない。信じるに値する人、会社を選ぶ努力をするのだ。裏切られたらその時に、自己のキャパも膨らむだろう。

土用の丑の日が近づいてきた。この日にうなぎを食べるなんていうのは、平賀源内だったかが、販売不振を相談してきた魚屋に提案したプランがもとだと聞いたことがある。その時には、単なる販促活動の一環で、産地を売りにしていたものではない。どこ産でもうなぎをみんなが食べてくれたら店は儲かったのだ。

実際、スタミナ源として、この時期に食べるうなぎは有益でもあり、定番となったのだから、源内は優れた経営コンサルタントでもあったのだろう。

話しがそれた。

我が家には、ひいきにしている魚屋がある。そこのうなぎを食べて以来、よそのうなぎは食べたくならない。そこのうなぎが美味しいのであって、産地は知らない。今年も食べる。

2008年7月3日木曜日

小鳥のスピーカー

毎朝、鳥の鳴き声が活発だ。「チュ~ンチュン」やら、「カッコ、カッコ」やら、昔からなじみ深い音色が聞こえる。これを布団の中で聞くのは至福の瞬間だ。

なじみ深い鳴き声であるにも関わらず、鳥の名前をしらないものもある。「ククルックク~、ククルックク~」と2回1セットで鳴く、あの鳥だ。人によって聞こえ方は様々だろうが、「ポポロッポポ~、ポポロッポポ~」でもいい、とにかく2回くり返す鳥がいる。

カラスの鳴き声は相変わらず品が悪い。人間のするゲップ音と同じ響きを感じて好きになれない。「クワッ、グワッ、ギャー」と鳴いていて、昔みたいに「カ~」とは鳴かなくなった。鳴いても濁って「ガー」だ。カラスも荒んできたのだろう。

今日、校舎周りを清掃中、雀が壁に激突してきた。明らかにラリッた感じで挙動不審な動きをしていたのが気になっていたのだが、電線から壁に一直線、気絶で済んだかと思っていたのだが、しばらしても動きがない。

1時間後、様子を見に行ってみると、息絶えていた。

かなり、びびりながら、ちりとりですくい上げ、草むらの中にポトンと落とした。
あっけない。

その近くで他の雀がごきげんに鳴く。心なしか鳴き声が大きいようにも思えた。

改めて思うが、小鳥の鳴く音量は、その体に比してむちゃくちゃでかい。
もし、小鳥が持っているのと同じスピーカーが人間に内蔵されていたら、至る所で人の声が聞こえ、世界はノイズまみれであったろう。

大声でどなれば、数十キロ離れた先にも声が届き、山に向かってどなったら、木霊もびっくり、悶絶して反響を失くすだろう。

「クオ~ラ!」、「ギャー」、「プエ~ン」色々なノイズが終始聞こえていたら、気が狂うだろう。小鳥と同じ割合のスピーカーを内蔵させなかった神様の設計は見事である。

ただ、たまにこのスピーカーを内蔵したいと思うときがある。せめて小鳥の10分の1でよいから、大きな音を響かせるスピーカーが体内に宿ったらな~と思うことがある。

ライブで、自分がつぶやくような声でもが、音としてハコにこだましたら、もっと低音の声を楽しめるだろうと思う。

マイクという存在は必要なくなり、音響機器による増幅がなされずに声が飛ぶ。理想の世界だ。

そんな馬鹿なことを考えて、清掃後の校舎周りで一服していたら、犬に吠えられた。

犬のスピーカー壊したい。

2008年7月2日水曜日

アンテナの感度

1つのライブが終わった後に浮かんでくるもの、これがあるかないかが大事だ。
幸いにして、今回もしっかり浮かんだ。

今日、車を運転中に頭に浮かんだ詞を携帯のテキストメモにて一筆書きした。「神様のくしゃみ」という仮題をつけた。頭にある音は、場末感たっぷりの唄もので、昭和歌謡の香りが入った感じだが、コードを拾う時にどうなることやら・・。

気分が乗っていたのか、1曲浮かんだのをメモして、再び車を走り出すとすぐに浮かぶメロがある。
メロの流れを口ずさんでいると口をついた言葉があり、それを再び一筆書き。「本当」という仮題だが、ソウルナンバーだ。コードをつける時に和風に仕立てるイメージが頭の中にある。

今、パソコンに清書(?)したが、いつものごとく、「俺って天才だ!」とごきげんな勘違いをする。俺にとっては大切な有頂天に至る過程だが、本当に良いと思う。

詞が生まれた直後の感動があり、それにコードをつけた時の充実感があり、出来あがった曲が実際にライブを出来る状態にまでなる過程・・・、何度味わってもたまらない。この喜びの回数を重ねることが俺にとっての生きがいといっても過言ではない。

talent・・・才能

世間一般で認知された、外見や、時流に乗る運をも含めた大衆性とタレント性を俺は持ち合わせていない。

ただ、感覚を言葉で掴み取ろうとするアンテナの数、そして張り巡らせたアンテナの感度は、なかなかに秀逸だと思う。親に感謝だ。

才能の恩恵は、自己への高い満足感にだけ繋がればいいと最近思っている。

手前味噌だが、自己評価のtalent が本格化し自己の高い満足に繋がったら、あとは、自分のたてたアンテナがキャッチしたものを、自家発電の発信基地にのせ、少しでも多く受信してくれる人を増やしたいと思う。この繰り返しがある限り、俺のtalent は枯渇しないような気がする。

10代からずっと張り巡らせてきたアンテナ、最近になって受信感度がよくなってきた気がする。

下半期、なかなかの滑り出しだ。

2008年7月1日火曜日

2008 下半期初日のご挨拶

先週土曜のライブが終わってからというもの、次のビジョンをずっと考えていた。
音的なビジョンは曲が着々と出来てきているので、流れに委ねればよい。

問題はお客さんを増やすためにどうするかだ。そんなこんなを考えていて、急遽、ライブイベントに参加することを決めた。

スタジオ主催で、公的機関を借り切ってのライブバトル。出演時間は20分、7バンド出演するが、間違いなく平均年齢は俺たちが高い。

従来なら見向きもしなかったイベントかもしれないが、実に貴重で楽しみにしている。

対バンや対バンのお客さんに媚びはうらないが、見てもらえる喜びを全身から発してライブをしたい。

7月13日(日) 15時スタート。
出番は未定(多分最後の方)   場所:高岡文化ホール小ホール

いくつになっても、初期衝動で戦うのだ。

今年の下半期のブログは、短文だが、後半戦もしっかり毎日ペースで書いていきたいと思う。見てもらえる喜びをこちらのブログでも表していきたい。