2008年7月4日金曜日

産地はどうでもよい

食品の産地偽装が後を絶たない。今日は、中国産を四万十川産と偽って売っていた不逞な輩が摘発されていた。

食の安全度が問題視されている中国産ならば、安くてもそんなに売れないだろうし、利益は出ないのはわかる。だったら、いっそのこと輸入しなかったらいいのだ。商売から身を引け! それを輸入して国産とラベルを張替え、利益をふんだくっていたのだから、泥水のんで、うなぎの気持ちを牢屋で考えて欲しい。

色々と、食品の産地偽装やら、賞味期限書き換えやら、こういったニュースが続くというのは、庶民の味覚もなめられたものだ。

いっそのこと、産地表示なんかやめたらいいのだ。会社名だけを表示して、「~畜産株式会社」やら、「~食肉加工」といった表示だけを義務付けて、庶民が自分の信頼できる会社を自ら選び、ひいきにしたらいいと思う。

しょせん、中国産を四万十川産と認識して、「美味しい美味しい」と言っていた庶民だ。究極のところ、食品に望むものは、産地なんかではなく、それが安全で美味しくて値ごろ感があるかということだけだ。

これだけ加工技術、養殖技術、輸送技術が発達した今、産地にこだわらなくても、信頼できる会社が販売するものならば、美味しいに決まっている。

うさんくさい会社は、短時間で淘汰されるだろう。雪印事件があって以来、大手だからといって看板だけで商売できる時世ではない。主婦は美味しい商品と、信頼できる業者に対しては敏感だ。

鈍感な、産地だけで満足するような3流主婦が悪徳業者にだまされるのであって、1流主婦は、看板よりも実を見抜く力を持っている。四万十川産でなくても、美味しいうなぎを出す魚屋を知っているし、飛騨牛でなくても、美味しい肉のお値ごろな買い物をする力を持っていると思う。

各家庭には、こだわりの食品があると思う。「~食品の、このらっきょ食べたら、よそは無理」とか、「魚はやっぱり~(屋号)よね」といったものがあると思う。

各家庭が、信頼できる会社をひいきにし、そのずっと信じていた会社が、賞味期限張替えなどをして、それが発覚して裏切られた時に、ひいきの客として怒るのはわかる。

でも、今回のうなぎにしても、ちょい前の牛肉にしても、摘発されるまで社名も知らない会社であったろうと思う。「どこどこのスーパーで売っている肉」という扱いで、別に摘発された会社の商品を選んで買っていた人はかなり少ないと思う。

単に「~産」といったラベルだけで味覚を高めた気になっていた人が怒る案件ではない気がする。自分の買い物スタンス、目利きを反省する機会と捉えたほうが前向きだろう。

飛騨牛偽装のあの社長、社員に罪をなすりつけようとして逆襲に遭っていたが、あんな不逞な輩はどこにでもいるだろうし、良心的な商いだけでは綺麗な社屋が建つのは難しいという気がしている。

食品だけではない。医療でも使いまわしはどんどん出てくるし、信じられるものなんかないのが前提だ。商売である限り、利益が絡むと儲けのために仕掛けする奴が出るのは、悲しいが当然のようにも思う。それがいいとは思わないが、現実は現実だ。むしろ、こういうあくどい奴が経済を発達させてきた側面があるので、絶対悪とはいえ、経済にのっかった消費者も悪いのが本質だと思う。

そろそろ、そこは割り切ってみるべきだと思う。結局のところ、信じられるのは自分の目利きだけだ。目利きレベルを高めるための教材として、一連の偽装事件を捉えてみるほうがよい気がする。

他者を信じないのではない。信じるに値する人、会社を選ぶ努力をするのだ。裏切られたらその時に、自己のキャパも膨らむだろう。

土用の丑の日が近づいてきた。この日にうなぎを食べるなんていうのは、平賀源内だったかが、販売不振を相談してきた魚屋に提案したプランがもとだと聞いたことがある。その時には、単なる販促活動の一環で、産地を売りにしていたものではない。どこ産でもうなぎをみんなが食べてくれたら店は儲かったのだ。

実際、スタミナ源として、この時期に食べるうなぎは有益でもあり、定番となったのだから、源内は優れた経営コンサルタントでもあったのだろう。

話しがそれた。

我が家には、ひいきにしている魚屋がある。そこのうなぎを食べて以来、よそのうなぎは食べたくならない。そこのうなぎが美味しいのであって、産地は知らない。今年も食べる。

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