2008年7月25日金曜日

涼感

暑い日が続く。今週は連日ばて気味である。暑さに対する抵抗力は年々なくなってきている気がする、

富山で暑い暑いというけれど、京都で住んでいた時の暑さと比べたらましなはずだ。京都の盆地気候の暑さは尋常ではなかった。無風で熱がこもっている状態がずっと続く。
しかも、京都に住んでいた時は、クーラーはおろか、扇風機もなかった。日当たりだけが抜群の安アパートで暮らしていたのだ。

バイトがある日はよい。日中はパチンコ屋で過ごし、夜はバイト先のタコ部屋で眠る。タコ部屋にはクーラーもあり、安眠を保証してくれた。

ところが、バイトのない日、しかも昼間にパチンコで負けて文無しになった日は、自らの愚かな行動に対する責め苦が待っていた。

俺はサウナ状態の部屋の中、家賃支払いの催促に来る大家に居留守をしていた事情もあり、気配を消して幽閉状態だった。退屈で死にそうなのだが、金がなくて飯も食わず、肉体的にも死にそうであり、どんよりした部屋で自らの体臭を嗅ぐことだけが生きている証しに感じる時間を過ごした。

それから考えると、今はクーラーもある。飢えることもない。体力万全の中での越夏、
今の暑さごときで何をへばっておる!

と、自分に言い聞かしてはみるものの、やっぱり暑い。夜はクーラーのタイマーをして寝るが、タイマーが切れるたびにきっちり目が覚める。やわになったものだ。

昔は、自分でうちわで扇ぎながら眠るという荒業も身に付けたのだが、必要にかられないと特殊技能はすぐに衰える。

風鈴、打ち水なんかで涼感を味わえた風流さも、今は持ち合わせていないような気がする。
昔は、風鈴の鐘の音を聞きながら、カキ氷で体を冷やし、夏を感じる。セミの鳴き声も時に涼しさを演出してくれることもあった。

ところが今じゃどうだ。クーラーの効いた部屋ではカキ氷を食す意欲も特に起こらない。仮に食べてもピッピになるだけだ。暑い中で食べるから腹も喜ぶのであって、冷え切った環境で氷を直撃されると、腹も機嫌を損ねて涙する。これはすごく残念だ。

贅沢に慣れた人間が失った、涼感を得るための風流な心・・・、それと引き換えに暑さに対する不満だけが大きくなった。今は風鈴の音色があっても耳には上手く届いてくれそうにない気がする。目の前に涼しくしてくれる機器があれば、それに頼りたくなる欲が出る。
煩悩限りなしだ。

自然現象を科学で克服しようとして、季節との対峙の仕方も忘れてしまった文明人、鐘は風に揺られるものではなく、除夜に突くものだけに成り下がった。煩悩は108ですむだろうか?

明後日は立山登山! 山頂には万年雪もあるという。俺は信仰心が薄い人間ではあるが、霊験あらたかな神社を目指す修験者のような気持ちで山頂への過程を楽しみたい。そして自然の涼感を味わってきたいと思う。

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