2011年12月7日水曜日

イフェクティブ

震災以降、思うところがあるようなないような、確固たる何かがあったわけではないのだが、ネット環境とはまったく疎遠であった。

もちろん仕事パソは使うがプライベートパソはまったく放置、色んな設定も全てごあさんで願いましてリセットであり、今日ここにたどり着くまでに、パスワードの関所と幾度と無くトラブルを経る始末・・・・。

今後はどうなるのだろう? ネット社会を大肯定した上で、少しの電脳坪数を整地しながら、慎ましく過ごしていきたい。

近況である。

≪息子≫

2歳を過ぎて、やたらしゃべる。ひらがな・カタカナ・数字・歌、教えてもいないのに見るもの聴くもの全てをすぐに覚える。このピュアな味噌、大人も少しは取り返したいものだと、毎日感動を抱きながら自分の劣化対策にむちを打つ。来年4月から保育園デビュー。


≪バンド(ほうるもん)≫

名刺代わりの初CD作成!! この自主制作音源プライスレスな時代にキャッシュ500円設定が素敵! 「馬心」「夢の岸」収録。ライブは今月17日(土)に、富山市「ARTIST’s」にて。

≪保険仕事≫

順調。 最近法人中心に相談を受けることが多い2つの国家資格管轄のトピックを学ぶうちに、来年資格を取って、三つ巴で個人事業主開業にする予定。 最近硬質、無機質な文章がお気に入り。




≪その他諸々≫
①【厄年らしく、交通事故に遭う(100:0被害者)】
 信号待ちで後ろからドスン!! この6年で3回目の100パーセント被害者事故体験!! 当たり屋もびっくりの打率っす。
 肩凝り、腰痛、色んな痛み、因果関係?????   ただただ今もって肩凝りレスな自分のガテンさに感謝っす!!

②【禁煙】
息子の誕生日に開始、今約5ケ月経過。 未だにヤニ臭大好き!! 禁煙中でも煙大好き!! 
値下がり(200円台)したら吸う気満々!! 今の値段は国家的詐欺のため、拒否!! タバコ農家になりたい。


③【ダイエット】
禁煙直後おやつにラーメン食べてたら最大9キロ増加!! ロッケンローラーからムーミンへ!! ムーミン谷で落ち込んで脱出目論んで苦戦中!!    

④【音楽的嗜好】
今年は間違いなく最新盤ウィルコ!!!!!!!!   1曲目、人生最大に強烈!!!!!  





今年も色々あったが、家族を養う以外のプライドを持たなくなった俺は、音楽に嗜好性を抱き、感情のディストーション温度にコンプレッサーをかけながらワウを踏み、フランジャーで逝かれた嗜好をコーラス処理して、滑らかにディレイし、ごきげんに暮らしている。



イフェクティブな厄年師走である。

2011年4月23日土曜日

・・・

息子が我が家に現れてくれて、7月で2年になる。

毎日幸せを運んで来てくれる。

身体・感情・知性全てが満たされた日はもちろんこの世の春の謳歌に素敵な彩りを添えてくれるし、全てが低調な日も、息子の顔を見れば全てのバイオリズムの波動とは別世界で彩りを与えてくれる。

未だに時々、息子と触れ合っている時に、「この子がいてくれる」ってことに対する実感が飛ぶ時がある。いや、飛ぶというより、あまりに綺麗で幸せで、このリアルな実感をシリアルに処理できないほど、頭が豊穣感で包まれて、夢心地で・・・。

結婚してから14年間待ったからであろうか? いや、そんな時間軸の意識ではない。

また、幸せを壊れやすいものとしてペシミズムを宿した俺ではない。

きっと感情は、リアルタイムでは夢心地であり、記憶になるまでの間は、漠然として掴みどころがないものなのだろう。

時間がたって、記憶貯蔵室に入ったあたりから、じわじわと心に訴求してくるものであり、それまでの間はただただ観念的であり、時空を経てリアリズムを奏でるのだろう。


「悲しみ」という感情も同じかもしれない。

根源的な「痛い」「つらい」「苦しい」といった感情を抱かせる経験・・・、これらは、ある時間を経てリアリズムを奏でるのであり、直面した時には的確な意志としては原始的・本能的感情がわかりやすい形で出ることはあっても、心が訴えている息吹を有事に際して的確にリアルタイムで表現出来る語彙を人は持っていないと思う。 語彙がないから感情は本質的に処理出来ない。

日常よく直面する喜怒哀楽は、簡単に言葉を使って感情処理できる。

まして今ではネットで色んなさえずりが飛び交っているので、自分の感情処理を強固に支えてくれるシンパシーを得るのも容易い。誰かを称え、誰かを叩き、誰かを賛美し、誰かを罵倒し・・・・、簡単な感情コントロールツールが多い。

英雄探し、犯人探しは、娯楽にすらなりつつある。


だが、あまりに大きな喜びや、あまりに大きな悲しみに対しては・・・・、「・・・・・」の数だけ「黙視」の時間が漂うだけであり、それらの事態は「黙示」できる時の人のキャパを前提としていない。


喜びの漂いは芳香を運んでくれるから良い。

悲しみの漂いが時を経て精神の彷徨に繋がり、それが人をさらわないように、流されないように、頭がパンクしないだけの容量が後付であろうとも備わりますように・・・・。

「・・・」を埋める適切な感情が人々に宿ることを、ありったけの利己的煩悩に包まれながら俺は、自然にひれ伏して祈っている。

2011年3月14日月曜日

希望

自然を前にしての人間世界の小ささを感じた。

自然に対しての畏怖と敬虔さを身につけた人間の大きさを感じた。

何もしてあげられない環境の中、被災者映像にただただ無力を痛感し、被災者の方々からこぼれおちる意志から力をもらう安泰無気力な自分というアンチテーゼ。

1日1日、慈しみあって、丁寧に生きていけたら・・・・それで充分な気がしている。

そこに希望が慎ましく横たわっている気がする。

言葉を無くした。お見舞い申し上げる想いに慈しみが宿りますように! 言葉は想いの前に無力だ。

希望はある。言葉にならないだけだ。

2011年2月21日月曜日

迷惑駐車

今日のこと、19時半に自宅に帰ってきたら、月極めで借りている駐車場に見知らぬ車が停まっている。

今までに何度もこんなことがあって、それは駐車場の向かいの方(ご近所さん)へ用事があって来ている人がほぼ100%であった。

ご近所とはいうものの、これはこれ!と以前に懇々と説教してから、随分と改善されてきてはいたのだが、この1週間に2回目の迷惑駐車であり、そのご近所さんが停めているわけでもなく、そこを訪れる奴が停めているわけで、狭いコミュニティー、カチコミは避けて、ワイパーに張り紙して自宅待機していた。

だいたい、夜の21時までにいつも電話がかかってくるのだが、今日はない。

迷惑駐車の車を塞いで出れないような形で俺の車を停めたので、周囲から見れば俺の車の停め方が輩である。かっこ悪いので早くフォーマル駐車をしたくてたまらない。

22時半を過ぎても電話がない。今週ある試験への勉強もしなければならないし、辛抱限界、ポリスに電話した。

すぐに持ち主に電話してくれて、先方が慌てて駐車場に出てきた。

俺の駐車位置は12台の月極め区画の中で、1番道路側に面した位置にある。つまり、向かいのご近所さんのところに行くには1番歩く距離が短い位置である。

出てきた奴らは50代の夫婦、見たところ奥様の足が不自由なようである。

へらへらとまではいかないが、とてもじゃないが真剣に感じられない謝り方で、「すいませんすいません。」と軽く言ってきやがる。

大人になった俺、「何で人の駐車場に停められるの?」と穏やかに聞いた。

するとおっさんが、「空いていたので・・・。すみません。もうしません。」と子供みたいなことを言ってきやがる。

大人の俺は大人を少し放棄した。ご近所関係も一時的に少し放棄した。

「ねぶたいことぬかすな!どあほ! おどれ、家どこや。住所言え!」と言って、住所を控えた後、「おどれの家の駐車場に「空いていたので」って他人が停めたらどないするねん。」と言う。

おっさんは言う。

「はい、困ります。すみません。わかりました。もうしません。」と変わらぬキッズ答弁。

俺は言う。「おどれ、ここではもうしませんかしらんけど、他のところでまた同じようなことするやろ? おどれの神経が信じられんのじゃ! サイドミラー律儀にたたみやがって、何きれいに駐車しとんねん。どあほ」

おっさんは言う。

「ミラーたたむのは、横の車に迷惑がかからないようにと思いまして・・・。」

沸点は着実に上がる。噴火しそう僕・・・・。俺は言う。

「っあああっ??? 横の車の気遣いする立場か????? (俺への気遣いは??)」

かなりの疑問符が噴火を後押しする。

懲役&村八分覚悟の怒りを必死に抑えながら、「50歳にもなって、人の駐車場に堂々と停められる神経が許せんのじゃ。お前は謝ってすむと思っているけど、3時間以上お前の迷惑行為に振り回された俺の怒りはどないしてくれるねん。お前みたいな奴が世の中の迷惑をふりまくねん。」という主旨を、精一杯声を落として巻き舌で柄悪風味で言った。

おっさんとおばはんは言う。

「わ、わかりましたよ。どうすればいいんですか? 彼女は足が不自由で・・・。」と今風に言う逆切れ。


とどめである。噴噴噴噴噴糞噴糞噴~~~~~~~~~~~火!!


「なにお~~~~~???? 足が不自由やったら人の月極め停めていいんかい? 甘えるなぼけ! お前の都合なんかこっちは知らんわい。 障害あるのを理由にしょうもないことぬかすな! 足悪くて困っているんなら、張り紙でもして、「~~という理由で停めさせてもうてます。~~にいます」って書いとけ! 最低限のことできんで障害を武器にするんは、他の人に失礼じゃ! ねぶたい顔、雪で洗ってこい!」

障害ある人が困っていたら助けてあげたいと思うのは当たり前だ。バリアフリーへの取り組みを肯定している。

だが、それとこれとは別だ。

迷惑駐車を障害者だからという理由で許すようなことがあれば、それは逆差別だと思う。
「障害がある人を助けてあげよう!」といった一律のキャッチコピーが大嫌いだ。
もし今日のおばはんが障害者意識を誤った方向で持っているならば、それは今までこの安っぽいコピーをさも良いことのように優越感にひたって施しをしてきた周囲にも責任がある。彼らは乞食ではない。

彼らに真の敬意を持つならば、今日の俺の場面はしっかり怒るべきことだと思った。



ご近所さんのおばちゃんが出てきたので、彼女に言った。

「この人ら、ここが人の駐車場ってわかってて停めた上に、障害を理由にしよるから腹がたって・・・。他の障害持っている人に失礼だわ。 別に空いている時は停めてくれて構わないけれど、最低限車に張り紙して理由や居場所書くなりしてくれないと、こちらはただの迷惑なだけですわ。おばちゃんは悪くないから、この非常識な2人におばちゃんからも説教しといて!」と言った。

おばちゃんは平身低頭。おばちゃんが雪かきする時に手伝ってもあげているので、ご近所関係には問題ない。

ほんまむかつく夜であった。


噴火し終わった後、俺は迷惑夫婦に優しく、言葉汚く言った。

「おい、おばはん、寒くて足痛かったやろ? もう他の人に迷惑かけたらあかんで。
おい、おっさん、お前がそもそも奥さんの足のこと気遣うなら、ちゃんとせ~! わかったか? 50にもなってしょうもないことぬかすなよ。気をつけて帰りや。許したる。」

とかっこよく車を見送り、俺はやっとフォーマル駐車と相成った。

怒りに震えたものの、客観的・主観的視点を対等に処理し、なんとか平穏に家に帰った。

障害者に対する見解はデリケートである必要はない。公的な決まりごとが障害者への弱者視点を下回る必要はない。俺は俺の迷惑な感情をがつんとぶつけた。

障害者だからといって迷惑駐車を了解していたら、それは俺の心に邪悪な上から目線が宿っているだけであり、そんな神経は糞食らえだ。

正規に停める権利がある俺が、迷惑駐車バリアのおかげでフリーでない時間を過ごした。
迷惑の主が障害があろうがなかろうが、当然の権利のように人の駐車場に停める輩を許しておく気はない。

障害ゆえ、近くに停めたいという理由があれば、いくらでも融通する。だが、障害があるからといって、人の駐車場に堂々と無断で何時間も停める神経を彼らに育ませるのは、最もバリアを作ることであり、フリーではないと思った。

2011年2月6日日曜日

ライブ後記

昨夜の「ほうるもん」ライブ、ご来場の方々、ほんまありがとうございます。ノルマチケットも初の完売! 

対バンの方々とはあまり話さなかったが、色んな音楽との関わり方があるので、人それぞれの価値観には踏み込まない。聴いていて、見ていて、ガツンとはこなかったが、それなりに音楽的方向性がしっかりしたバンドであって、愉快な時間を過ごせた。

個人的には、「高温度の脱力」という最近のテーマを少し掴んだかな?という満足感があった。

自分で綴った唄世界がバンドの演奏の中で、上手い具合に溶け込む美しさとエクスタシーを、少し体感できてきたかなという気がしている。

他の人はどうかわからないが、歌詞というのは作った時と歌い続けていく過程で、全て世界が同じではない。

根幹はあるのだが、枝は当然生えてくる。生えてきた枝が創作当時とはあまりにかけ離れている場合は、伐採してライブではやらない。

ライブでやる曲はそれなりに枝が意味を持って存在している曲だ。当然バンドが包む音世界とのリンクとミクスチャーが、絶妙なチャネルで存在しているからこそである。

「ほうるもん」結成当時は不惑に近づいてきた頃であり、歌詞世界の根幹が根ざす土壌がしっかり確立されていたからであろうか、伐採急務の世界は今のところない。


ライブに来て下さるお客さんの音楽的好き嫌いに関しては、発信側としては無力だ。どうしようもない。選ぶ権利はない。

ただ、好き嫌いをジャッジされる以前の、ライブハウスに出てライブをしているバンドとしてのアイデンティティを否定されないだけの何かはしっかりしてきている気がする。


まだまだ音楽的にヒヨッコの俺である。死ぬまでに1つでも多くの唄世界とそれを包む音との素晴らしき楽曲をバンドで作り上げていきたいと、改めて思った次第である。

次のライブは3月12日。 稽古をしっかり集中していきたい。


今日はライブ後恒例の全身筋肉痛に前向きに苦しみながら、息子と遊んだ。

ダイソーで子供用スコップと熊の手を買って、雪かきもどきを息子に教えた。

楽しそうに雪かきに興じて、へとへとふらふらになっても家に入ろうとしない姿が、なかなか感動を運んでくれる。

単純に全てを意の趣くままに動いていける子供を羨ましく思い、大人の矜持とのギャップに揺れながら、高純度でひねくれすぎて、むしろ純粋に輪廻してきたかのような自分の今を快く思いながら、腰痛を気にしてぎっくりしないように息子を抱っこしながら、「ゆりかごのうた」をハスキーボイスで揺ら揺ら歌いながら、自分の土台を再構築出来た日であった。

『雪屋のロッスさん』いしいしんじ (新潮文庫)を手に入れたので読んで寝る。

明日からもミステリアスでいてシンプルな日々を、ザクザクと過ごして生きたい

2011年2月3日木曜日

初老の所労

恐ろしく低調なブログ更新頻度だ。

時間がないわけではない。パソに触れる時間もいつもと変わらずの時間ではあるが、ブログる気持ち以前に、色々と学習しないといけないことが多くて、そちらが楽しくて、家での時間配分が専門書との格闘に多く割かれているだけだ。

保険仕事を始めて4ヶ月、毎日誰より(業界比)動いて、誰より勉強している自負はある。飛び込みでつかんだ法人事案を真摯に客観的に対応しながら、少しずつ地味にではあるが、数字も上がってきており内容は濃く進んでいる。

損保、生保共に法人きっかけの個人案件も頂いてきており、いい加減なことは言えないので、勉強による知識蓄積をしながら、わからないことは時間を頂いて、徹底的に調べて対応している。

確固たる手応えはないものの、行動量と誠意は変わらないので、何とかなるだろうという楽観はある。M井S友の商品の秀でた点と劣った点もわかってきており、客観的なコンサルティングが出来る素地はだいぶ出来てきたと思う。


バンドも充実。新ドラマーを迎えてのライブが明後日にあるが、曲を作っていく上で葛藤と折り合える信頼関係とベクトルがいい方向に向いている気がする。

息子の成長を毎日見守れる幸せが根底にあり、素敵な日々を過ごしている。


素敵な日々ではあるが、今年の俺は本厄だ。油断は出来ない。

元旦に厄払いの儀式に、地元の神社に行ったのだが、そこでは俺と同級である知らない人がたくさん来ていた。ストレンジャーな俺、地元の同級生がいるわけはない。消防団で一緒の人がいたからいいというものの、完全アウェイ状態での厄払い儀式であった。

この時、「古希」とか「米寿」とか「還暦」とか色んな節目の男女がいたわけだが、俺の年齢(数えで42歳)を「初老」というのを初めて知って、なかなかに興奮した。

「初老」でっせ!! 

おっさんとしての自覚はそれなりに持ってはいたものの、「老」という気構えは当然なかった。「老い始め」とでも変換したらいいのだろうか、「不惑」は「初老」を冠して始まるものだと、なんだか考えさせられるひとこまであった。

元来、迷信や世の中の慣習に対して無頓着の俺ではあったが、本厄に対してだけはやけに慎重でいた。

とはいったものの、年が明けてからというもの、厄どころか、むしろついているのでは?と思えるほど快調である。すっかり油断していた

今日、きっちり厄の洗礼を受けた。

1日に2回、運転中の携帯電話でポリスに捕まった。

昨年10月にも同じ罪状で捕まっている。その11ヶ月25日前には信号待ちでシャツをズボンに入れるためにシートベルトを外した瞬間に、横にいた検問見張り役にやられた。これについては逮捕ぎりぎりまで噛み付いた(過去ブログ参照)。

制限速度は守る。シートベルトもきっちり着用。交通法規遵守の優良ドライバーの自負はあっただけに、えげつなく凹んだ。

昨年、運転中の携帯電話で捕まって依頼、イヤホンマイクを購入して使っていた。

また、こちらから電話する時には必ず停めてしていた。

ところが、着信タイミングは選べない。お客さんからの電話に「ただいま、電話を控えなければならないところにいます。」というデジタル音声を垂れ流すことが、どうも性分として申し訳ないと思う俺は、商談中でない限り、条件反射で出てしまう。

運転開始と同時にイヤホンマイクを着用するものの、ワイシャツの襟にポチっとはめたり、左耳を塞ぐことを忘れている短距離移動の時もある。

そんなタイミングが重なった。

携帯電話が振動する。大雪の路肩で停めるところがない。イヤホンマイク装着を忘れていたので、とりあえず出て、「あ、すみません。すぐ折り返します。」と伝えるだけの瞬間に通り過ぎた交差点の横側で、ポリス2人が目視していた。

違反は違反、ごねる大義がないのでひたすら謝ってはみたものの、6000円×2、1点×2の行政処分はなんともせつなく思えた。

わかっているのよ、着信があろうが、車を停めるまでは出ないでおいて、かけ直せば良いだけであるのだから、全ての非はこちらにある。

でもでも、かけてきてくれた人の電話に条件反射で出てしまう習性が、すっかり身についた俺は、出てしまう。

かといって、車で5分くらいの移動の度にイヤホンマイクの脱着をくり返す勤勉さはない。

運転中モードの音声を垂れ流すのも、どうも好きではない。

だいたい、移動手段がほぼ車の俺にとって、かかってきた電話やメールの度にいちいち車を停めていたら、まったくもって仕事が捗らない。

イヤホンマイクをしていて、着信⇒受信のボタンを押す瞬間の意識と、その後車を止めるスペースを探す意識、どう考えても電話に出て話しながら運転する危険とそうは変わらない気がするのだが・・・。

もちろん、だらだらと夢中になる話を運転中ずっと続けるわけではない。日中の電話なんかはほぼビジネスだ。要件とアポ取り程度の業務連絡をしながら車を運転することが、そんなに危ないとは、主観的ではあるにしろ、どうも思えないのだが・・・・。


俺を捕まえたポリスも言っていた。「正直、営業職の方にとって、お客さんの電話に出ないといけない事情があるのはわかります。でも、見てしまったら見逃せないのです。運転中の携帯電話は危ないですが、電話が鳴ってすぐに停まるドライバーのほうがもっと危ないとは、個人的には思います。」

このポリスの正直な感想に感動した。でも見逃してくれなかった。そのプロ根性に感服しながら、1日に2回捕まる自分の巡り合わせに、本厄を感じた1日であった。

初老の呪縛で所労がどっと出た。

2011年1月12日水曜日

明けまくりました。おめでとうございました

明けまくり、遅すぎではありますが、謹賀新年!! 今年も宜しくお願いします。

仕事は4日からしていたが、新年早々飛び込み営業をするわけにもいかず、既存のお客さんとこでだらだらと話しながら、遊んでいる感じの1週間を過ごし、今週からまたばりばり飛び込みで法人開拓をしている。

正月から雪景色の越中であり、気温も低い。ここ数日は氷点下で車のガラスはばりばりに凍っている。お湯で溶かしてからの出勤と相成った。

雪道の運転自体はたいしたことはない。多少渋滞気味になるが、音楽を聴きながらなので全く苦にならない。

轍で出来た軌道をゆらゆらしながら走るので、二日酔いを助長するきらいはあるし、道幅が広く感じるので、間違って側の用水なんかにはまらないように注意するだけだ。

怖いのは路面の凍結によるスリップである。普通に滑る。新品ブリザックをしていようがいまいが、スケートリンクを走っているようなものなので、凍結路面でブレーキを踏めば、それなりにエキサイティングなロックオンで、車が無差別な方向に発射される。

俺は元々、スピードは出さないし、車間距離も長く取る。高速道路でも120キロ以上出すことは皆無であり、大体100キロくらいのスピードで左車線をジェントリーに走る。
車間距離は一般道でも高速道でも、教習車並に取る。

別にのろのろ運転ではない。道路状況の空気を読んだ上で流れにのって、穏やかに走っている。

別に冬の運転だけに限ったことではないが、やたらと煽って車間距離を詰めたがる運転手がいる。俗に言う、「煽る奴」だ。

確かに俺も、制限速度50キロのところを20キロで走って、急にブレーキ踏んできょろきょろするマイウェイ高齢者には、戒めも込めて適宜な車間距離まで詰めて、さっと追い越すことはあるが、普通の流れに沿って走っている車を煽る機会はまずない。


高速道路では笑えるくらいの奴がいる。追い越し車線を狂ったように車間距離を詰め、右ウインカーを出しながら「どけどけど気~~~こら~~!」と言わんばかりに走る奴がいる。羽根の生えた車に多い。

わからないでもない。スピードを出したい人にとってみれば、追い越し車線は車の速度性能を体感する国内唯一のレーンであり、そこをちんたら走っている前方車がいたら、「頼む、どいてくれ!」という心境にもなるだろう。

だが、一般道、それも氷点下の状況でも煽ってくる奴がいる。

これは紛れもなく白痴である。医学的処方が必要な輩である。

新年早々2回煽られた。

バックミラー越しに、後方の奴の必死な形相が見える。凍結路面の片側1車線での出来事である。

あんまり背後霊みたいに後ろにくっつくので、お祓いの意味を込めて左ウインカーを出してあげたかったのだが、寄せる路肩は積雪であり、車を雪の壁に寄せるのも躊躇して、バックミラー越しに、「他人を巻きこんではダメ!もうちょい行ったら自爆スペースあるからそこまで辛抱しられ!」と憐れみの言葉をつぶやく。

ところが彼はブオ~~~ン!と轟きながら俺を追い越した。

追い越して10秒後に信号で止まった。後ろに俺が止まる。

何だかとてもバツが悪そうに、頑なにバックミラーを見ようとしない。

彼はいきりたって、信号の見切り発車でまたまた轟かせながら発進する。車の尻がゆらゆらしている。数秒後にはもう別の車を煽っているのが前方に見える。対向車線に半分はみ出しながら、「どかんかい!」と言わんばかりの挑発を前方の車に仕掛ける。


その辺りで俺の意識から彼は消えていたのだが、10分後くらいにまた意識に現れた。

高級そうな家の壁に前半分を突き刺した状態で彼の車が止まっていた。煙を吐きながらも轟く車、そこで携帯片手に電話している彼・・・・。

「漫画や・・・あはは。」

どうやら人体に異常は無さそうでぴんぴんしているので素通りしたが、壁に穴を開けられた家主が気の毒である。もう少し走れば、完全なる自爆で済んだであろうに、被害者が気の毒でならない。


車の性能に酔いしれる人がいても構わない。車が大好きな人はいる。車に羽根を生やしても、轟いても良い。多少煽っても良い。


ただ、TPOはわきまえて、せめて北陸凍結路面では自粛して欲しいものである。

新年早々煽られた。

新年早々魚の目が出来た。

深遠なる本厄が始まった。

嬉しい(笑)

明けました。おめでとうございました。

今年もよろぴく!

2010年12月31日金曜日

裏日本からのご挨拶

大晦日である。

この時期、北陸の空は曇天で気まぐれ。分単位で天気が変わる。今の今まで晴れ間が覗いていたかと思えば、稲光が見え、わかりやすい腹下しみたいな音が聞こえて雷雨になる。そして雨が雹になって打ちつけられたかと思えば、またカラッと穏やかな空が見える。

晴れ間が見えるとは言ったものの、ほとんどが曇天鉛色である。12月に入って、ワイパーをまったく使わなかった日が何日あっただろうか?と数えると、片手でも足りる。

ここ数日は雪模様である。明日元旦にかけても大雪の予報が出ていた。

雪が降り出す前は、表示された気温以上に、体感温度でわかる。突き刺す冷気、ピンと張り詰めた外気、全身が雪の到来に敏感になる。

演歌界の鳥羽&山川ブラザー世界丸出しの「ぶり起こし」という雷がしっかり轟いて、いつもと変わらぬ雪国模様を演出してくれる。

北陸に来て15年、この雪国模様をしっかりわかるようになってきたことが嬉しい。

統計や天気予報なんかだけで判断するのではない、体験に基づいた、原住民としての天気を感じる原始的な感覚を体内に宿してきたことが嬉しい。

北陸の冬は長い。空が低い。

25歳まで関西で生活していた俺は、その当時は空の高さを意識したこともなかった。

また、北陸に来てからもあまり空や気候に関して、改めて思うことも少なかったような気がする。

もちろん、冬に雪が降ることは新鮮であったし、年間を通じて雨が多いな~と思ってはいたが、びっくりするほどの風土に対する異質感もなければ、気候に戸惑うこともなかった。

だが最近、狭い日本における「表・裏」という認識を肌身を通して実感してきている。
たまに表日本に行くと、まずびっくりするのは空の高さと、凪のような穏やかさだ。

もちろん、人の多さ、建物の高さに辟易しながらではあるが、上を見上げると空の高いこと高いこと・・・。

北陸では秋の数日間しか見ることが出来ないであろう空が、当たり前に広がっている。これだけは羨ましいと思う。


一昨日、久々に「拾得」に行った。「CHAINS」、「AUX」という涎もののブッキングであり、万障、もとい、十障繰り合わせて行った。

なんだろうな~、基本の佇まいが変わらずに凛としていて、その上で決して変化していないわけではない、わかりやすい変化はないが、わかりたい変化と進化がちゃんとある。全てにおいて京都音楽シーンの良心、骨格ともいうべきバンドが存在することに涙腺が緩んだ。とにかくかっちょいい! こんな音楽を栄養にして日々を過ごしたいものだ。

幸せな年末であった。久々にオーナイロ~~ンとまではいかないまでも、明け方4時頃まではっちゃけた(送ってくれたミッチーありがとう!)

6年以上を過ごした京都、実家の枚方、帰省する度にキュンキュンくる。高速道路や地下鉄の整備により、恐ろしく変わった部分に浦島的戸惑いを覚えた(これについてはまたブログりたい)。

「表日本」の定義は「瀬戸内海、太平洋側の地域」だろう。京都はどちらかといえば、表日本というよりも表裏併せ持つ日本(色んな意味で)だと思うが、それでも空の色、高さといった部分に限定した場合、まぎれもなく表である。

楽しい時間を終え、ゆっくりと帰路につく。珍しく京都も霙混じりの悪天であったが、それでも表日本の冬空だ。

滋賀を抜け、米原を抜けたあたりから、向こうに奴が見える。あの紛れもない裏日本の空だ。

辺りが急に暗くなり、気温が下がり、車は揺れる。曇天鉛の街道に入ってからは、さっきまで表日本にいたことの感覚が、一気に失せていく。いたって普通な日常に戻される。

表の空、裏の空、どんな空の元で過ごすかによって、確実にその地方の気質というものが形作られる。そらそうだろう、毎日穏やかな空の下過ごすのと、鉛の空の下で過ごすのとで同じ心境であるはずがない。

北陸人は一般的に辛抱強く勤勉であると言われる。北陸の冬を15年経験した今、この気質を育んでくれる土壌を理解できる。

今年も終わる。

今年もまたころころ変わる天気のように転機があった。気まぐれに表裏を行き来しているかのような人生だが、なかなかスリリングで楽しい。

雪が解けてやがて来る春に思いをはせる。巡ってくる四季の輪廻を待ち焦がれる北陸気質の辛抱強さを身に付けて、穏やかに日々を過ごしていきたいものだ。

明日の元旦は6時に起きて、近所の神社で厄除け儀式があるので参加する。

来年は大厄年とは言ったものの、既に交通事故やら緑内障やらで厄厄したものは前払いしている俺である。楽観はしているが、油断してもいけない。お祓いしたところでどうなるものでもない気がするが、お祓いにすがりたい気持ちもある。

厄年というのは迷信的でもあり、科学的でもある。解明されていることだけが科学になってはいるが、解明しようとする知的好奇心の発端は迷信的な現象に対する疑問であろう。
両者は表裏一体である。

元旦に早起きして儀式すると、何となく安心するような気がするので、粛々と参加したい。



今年もたくさんの人にお世話になった。改めて感謝する。来年は、いや、来年も良い年になることを確信している。拙頻度、拙文の拙ブログを、来年も宜しく!

2010年12月24日金曜日

風物詩

雨は夕方過ぎから雪へと変わり、ホワイトクリスマスイブとなった。

とはいったものの、サイレントナイトではなく、事故った車がいてサイレンがけたたましくなっていた。ある意味ホーリーナイトではあるが、達郎残念!!

息子に季節感を持って欲しいので、食後にちゃんとケーキを食べる時間を作った。

イチゴだけを入れた皿を息子の目の前に置き、その向こうに大人が食べるケーキが置いてある。俺が膝に息子を乗せて、スプーンでケーキのクリームを息子の口に運ぼうとすると、俺の手をはねのける。

「そんなもんいるかい! 俺は目の前のイチゴが欲しいんじゃ!」と言わんばかりに、手でイチゴを取って食いまくる息子。

決して甘くはないイチゴであったが、白いクリームの甘味を経験としてまだよくは知らない息子にとっては、目の前の大好物の果物の方が魅力的なのだろう。

「よしよし、それ食っとけ。甘いもんはもうちょい大きくなってからや。」と笑いかけながら、大人はケーキをむしゃむしゃ食べた。

昨日のニュースだったか、クリスマスに興味がないという人が結構な割合いるらしい。よく読んでおけばよかったのだが、多分アンケート対象は若い世代だったと思う。

別に、半年前に高級ホテルのスイート争奪戦があったり、ちゃんね~に舶来物の高級贈り物を買う為に並んだりするようなバブリーなクリスマスイブではなくても良いのだが、一応、大きな行事としてクリスマスをとらえ、ケーキを食べるくらいの行事はあってもよいと思う。

ジョカノと過ごすも良し、同性同士ではっちゃけるも良し、家族でサンタをだしに使って贈り物するも良し、やるせない気持ちを開き直ってバイトするも良し、過ごし方は色々あれど、なんか特別な日である感慨だけは抱いて過ごしたい夜である。

風物詩は数多くある。和洋折衷でわかりやすい行事だけを列挙しても、「初詣」、「桃の節句」、「卒業式」、「入学式」、「端午の節句」、「田植え」、「ゴールデンウィーク」、「高校野球」、「墓参り」、「海開き」、「林間学校」、「精霊流し」、「文化祭」、「体育祭」、「稲刈り」、「十五夜」、「クリスマス」・・・

季節に鈍感な俺でもたくさん挙げれる。行事に限らなければ、風物詩はたくさんある。

クリスマスという風習?が日本に入ってきたのは、昔読んだ本によると確か、江戸開府前の1500年代半ばだったと思う。

宗教的な儀式が国民的イベントになっていく過程には、商業的戦略や、宗教観のイデオロギーの葛藤もあったのであろうが、模倣文化的ガンボ国家日本に少なくとも根付いてきたクリスマスは、それなりに風物詩としての役割は果たしてきたと思う。

とは言ったものの、俺個人はクリスマス自体には、風物詩としての位置づけは下位だ。しょせん舶来ものである。バブリーなメリーナイトを過ごせなかったひがみからか、学生時代にはそれなりに酸っぱさが際立った重要風物詩ではあったが、不惑の今はそうではない。

何が嘆かわしいかといえば、風物詩に臨む意識の希薄さが際立ってきている昨今の季節感の無さである。

風物詩を通して人は季節感と季節の輪廻を感じ、身を正し、身を嘆き、気持ち新たにささやかな願いと希望を抱き、汚れた気持ちを浄化し、自然を賛美し、自然に畏怖の念を抱き、煩悩の安易な成就を願い、安易な煩悩を願う自分に嘆き、ささやかな幸せに気付き、ささやかな幸せの継続を願い、ささやかな幸せだけでは満たされない自分に唾を吐き、吐いた唾を飲み込んで再構築し、粛々と出来ない気持ちを宿祝し、なんとか転機に期待し、冷めた眼で冷やかして、覚めた目で再起動し、希望を鬼謀し、非望に懺悔し、どうでもいいやと前向きな吐息を投げやりし、意気込んでは淡々と忘却の彼方へと漕いで行く。

そんな風物詩との関わりを通して、アイデンティティなるものが形作られてきている気がする。

クリスマスなんかは単なる断片だ。だが、1つ1つの季節を奏でる風物詩を、「大した行事と思わない」人が増えている現状は、嘆いて然るべきだと思うのだが、これは世代的価値観の相違に該当するものなのだろうか?


「も~うい~くつね~る~と~お~しょ~~~うが~~つ~~~」と鼻歌を鼻声で重奏する。

お正月なんかにかける意気込みは、お年玉をもらえなくなった年から、俺自身非常に少なくなってきていて、自分自身を嘆かわしく思っていたのだが、息子には親の価値観の押し付けであろうとも、昭和のお正月を身に染みるほど味あわせたいと思っている。

家族が改まって年始の挨拶をし、初詣に行き、お年玉をもらい(俺はあげる立場であるが)、お節料理という名の保存食を食べ、凧揚げや駒(まだ息子は出来ないが)に興じて、箱根駅伝をテレビで見ながら男は酒を飲み、退屈した子供は母親とすごろくでもする。

なんて素晴らしき正月かな! 風物詩となる日本語が自然にきらきら舞って、子供の体内に宿ってくれそうだ。

こんな和語に根ざした想いをメリーな夜に考えているのだが、クリスマスであろうと、バレンタインであろうと、舶来行事でも何でもいいから、とにかく節目を感じる日を身体に刻み、何か感じるものを持って日々を過ごしていけたら、時間の流れに、例え小さな点であっても刻まれる何かがあるのではないか、それが大切な自分の人生における風物詩となって晩年に思いを満たしてくれるなら、それ程幸せなことはないのではないかと思っている。

余談だが、先週の深夜、近所で火災があった。消防団の俺は駆けつけて、夜もすがら寝ずの番をした。久々の完全徹夜である。

昨年も、一昨年も近所で火災があった。

こんな風物詩はあんまり感じたくないものである。

何はともあれ、風物詩を感じて奏でる人間でありたいと改めて思った。

メリーな夜は更けていく。火の用心! 

2010年12月11日土曜日

迷いながら40代突入

今日で無事に40歳になった。孔子が言うところの「不惑」である。

だが、間違いなく迷っている。そもそも、孔子君は15歳で「学問を志した」というのだから、スタート地点から違っている。

俺が15歳の時なんかは、「学問」も「志す」のどちらの真意も知ることがなければ、字義に近い気概を抱いたこともない。

30歳で「独り立ち」している孔子君。これもまた違っている。俺は微量だが親や家族や色んな人のスネと心をかじっていた。

なんだか、大学⇒大学員⇒助手⇒助教授となっていくアカデミックな人たちの心境は、孔子君に近いのだと思う。

少なくとも俺はだいぶ違う。

だが、40歳という年齢に達したことへの感慨深さはある。嬉しい。よくもまあ、色んな垢を垂れ流ししながらも、生きてこれたものだと改めて思う。

自分の中で1番嬉しく思うのは、感受性、好奇心、活力、繊細さと大胆さが思春期からほとんど変わらず、それでいて、社会的良識(といっても公衆道徳レベルの当たり前レベルであるが)は人並みには身につけてきていることだ。

根本的な価値観は思春期と変わらない人が多いのだと思うが、それでも歳とともに感受性、好奇心、活力は衰えてくる人が多いと、他者の遍歴観察で思う。

逆にいうと、衰えて然るべき部分が衰えないために、ずっと迷い続けているのかもしれない。幸か不幸かはわからないが、主観では幸だと暫定自己肯定している。

30代はあまり好きではなかった。

悟るには早すぎる。語るには若すぎる。かといって情動的な温度を20代と同じで言語レベルで露見するとしょぼすぎる。

若くもなく、円熟でもなく、色んなことにおいて中途半端な年代に感じた。

もちろん40代も若さと円熟の過渡期ではあるが、年少組から年長組に上がったかのような嬉しさがある。


歌詞をずっと書いている。

毎回、歌詞を書くときに、言葉にしたいこと、歌いたいことが頭に降りるまで待つ。
逆に言えば、降りてきた時に歌詞が出来る。


具体的な言葉が先にあるわけではない。ただ、漠然とではあるにしろ、大きな主題が何か降りてきた時に歌詞が出来る。全体的な整合性があるかどうかといえば俺の中では確実にある。未完成では曲に供しないようにしている。言霊に失礼であると思うからだ。だが、聞き手に伝わっているかはわからない。千差万別、全員にわかる整合性なんかは優先すべきことではないとも思っている。



私的な部分が大いに露見するのが唄の詩であり、普遍性や大衆性があるのかは気にしない。俺は俺のために歌詞を書く。

20代は比較的簡単に言葉が降りてきた。30代前半も同じくだ。

だが、数を作るにつれて、30代後半くらいからか、自分の言葉の焼き直しにあたる部分が多くなってきて、また、主題が確固たる何かがありそうで、ファジーなもやもや感が少なくともあって、その主題を出来上がった歌詞から再発見する事例が多かった。

歌いたい主題が根本は同じなので、バリエーションが少なくなってきていたのかもしれない。

俺の好きな歌詞は、その音楽人のファーストアルバムや初期にある曲に多い。年齢で見ると20代が圧倒的だ。

敬愛するミュージシャン、詩人、唄うたいが、歳を重ねるにつれて、歌詞がどうも好きになれなくなってくる事例が多い。

時に悟り系になったり、時にエール系になったり、時にアニミズムになったり・・・・。

加齢と共に変化する深層心理を紡いで言葉にするわけであるから仕方ないことなのかもしれない。

孔子君ではないが、志した時と迷わない時の歌詞では、内容種別が変わってくるのは当然だ。

だが、個人的にはやはり初期衝動で紡がれた言葉の純度に1番ロックを感じる(もちろん平熱の言葉を発熱しまくって吐く奴らは範疇外であるが)。


ならどうするか。

俺のように40歳が20歳と同じ精神的純度であるのは歓迎すべきことではあるが、そこに経年に伴う知性と達観とバランスある狂気が加味されなければ、ただの痛い歌詞になる。

例えば、20歳の若者が、「歩いていこうぜ~」と言う時、そこには猜疑心や不安を伴った開き直りと自己鼓舞があると思うが、40歳のおっさんが、「歩いていこうぜ~」と同じレベルで歌ったら痛い。

「おっさん、もうめっちゃ歩いてるやんけ!」と突っ込みたくなる。

そのため、おっさんは同じ言葉が歌詞に現れるにしても、そこに、自己鼓舞は捨てて、大らかな潔さと明るさで包んだ何かがないといけないと思う。根底に、噛み付きたいスピリットがあったとしてもだ。

希望や戒めだけを訓示のように吐くのが大人の歌詞でもない。それならば音楽の教科書に載るだけで、そこに市場があってもいいのだが、少なくともそんな慰みみたいな言葉も、湿っただけ、ロマンチストなだけの言葉もこの歳では吐きたくない。

最近、「若者的絶望」を大人感覚でミクスチャーして昇華させた歌詞を書きたいと思っている。

ロックの歌詞には「絶望感と壊れそうな侠気と逝きそうな狂気とそれを壊すための凶器」が宿っていると思う。「若者的絶望」はロッキンな歌詞の重要な要素だ。ただ、それを20代と同じ言葉で叫んでいたら、痛すぎてロックではない。


「若者的絶望」を抱きながらも歳を重ねた大人が、若い時と同じキャパのまま歌うくらいならそれはローリングしていないと思う。

初期衝動は同じ、歌いたいテーマも同じ、だけど加齢の匂いを臭くならずに漂わせる言葉力がこれからは必要だと思っている。

そんなテーマで、新生「ほうるもん」の新曲「のたりのたりかな」の歌詞を書いた。うまく表現できているのかはわからないのだが、個人的には何か少し掴めてきているような気がする。

ずっと歌いたいテーマが宿って、然るべき時に降りてくるのであれば、歳をとるのも悪くないと思う、迷いまくりの40代突入日であった。