2010年12月11日土曜日

迷いながら40代突入

今日で無事に40歳になった。孔子が言うところの「不惑」である。

だが、間違いなく迷っている。そもそも、孔子君は15歳で「学問を志した」というのだから、スタート地点から違っている。

俺が15歳の時なんかは、「学問」も「志す」のどちらの真意も知ることがなければ、字義に近い気概を抱いたこともない。

30歳で「独り立ち」している孔子君。これもまた違っている。俺は微量だが親や家族や色んな人のスネと心をかじっていた。

なんだか、大学⇒大学員⇒助手⇒助教授となっていくアカデミックな人たちの心境は、孔子君に近いのだと思う。

少なくとも俺はだいぶ違う。

だが、40歳という年齢に達したことへの感慨深さはある。嬉しい。よくもまあ、色んな垢を垂れ流ししながらも、生きてこれたものだと改めて思う。

自分の中で1番嬉しく思うのは、感受性、好奇心、活力、繊細さと大胆さが思春期からほとんど変わらず、それでいて、社会的良識(といっても公衆道徳レベルの当たり前レベルであるが)は人並みには身につけてきていることだ。

根本的な価値観は思春期と変わらない人が多いのだと思うが、それでも歳とともに感受性、好奇心、活力は衰えてくる人が多いと、他者の遍歴観察で思う。

逆にいうと、衰えて然るべき部分が衰えないために、ずっと迷い続けているのかもしれない。幸か不幸かはわからないが、主観では幸だと暫定自己肯定している。

30代はあまり好きではなかった。

悟るには早すぎる。語るには若すぎる。かといって情動的な温度を20代と同じで言語レベルで露見するとしょぼすぎる。

若くもなく、円熟でもなく、色んなことにおいて中途半端な年代に感じた。

もちろん40代も若さと円熟の過渡期ではあるが、年少組から年長組に上がったかのような嬉しさがある。


歌詞をずっと書いている。

毎回、歌詞を書くときに、言葉にしたいこと、歌いたいことが頭に降りるまで待つ。
逆に言えば、降りてきた時に歌詞が出来る。


具体的な言葉が先にあるわけではない。ただ、漠然とではあるにしろ、大きな主題が何か降りてきた時に歌詞が出来る。全体的な整合性があるかどうかといえば俺の中では確実にある。未完成では曲に供しないようにしている。言霊に失礼であると思うからだ。だが、聞き手に伝わっているかはわからない。千差万別、全員にわかる整合性なんかは優先すべきことではないとも思っている。



私的な部分が大いに露見するのが唄の詩であり、普遍性や大衆性があるのかは気にしない。俺は俺のために歌詞を書く。

20代は比較的簡単に言葉が降りてきた。30代前半も同じくだ。

だが、数を作るにつれて、30代後半くらいからか、自分の言葉の焼き直しにあたる部分が多くなってきて、また、主題が確固たる何かがありそうで、ファジーなもやもや感が少なくともあって、その主題を出来上がった歌詞から再発見する事例が多かった。

歌いたい主題が根本は同じなので、バリエーションが少なくなってきていたのかもしれない。

俺の好きな歌詞は、その音楽人のファーストアルバムや初期にある曲に多い。年齢で見ると20代が圧倒的だ。

敬愛するミュージシャン、詩人、唄うたいが、歳を重ねるにつれて、歌詞がどうも好きになれなくなってくる事例が多い。

時に悟り系になったり、時にエール系になったり、時にアニミズムになったり・・・・。

加齢と共に変化する深層心理を紡いで言葉にするわけであるから仕方ないことなのかもしれない。

孔子君ではないが、志した時と迷わない時の歌詞では、内容種別が変わってくるのは当然だ。

だが、個人的にはやはり初期衝動で紡がれた言葉の純度に1番ロックを感じる(もちろん平熱の言葉を発熱しまくって吐く奴らは範疇外であるが)。


ならどうするか。

俺のように40歳が20歳と同じ精神的純度であるのは歓迎すべきことではあるが、そこに経年に伴う知性と達観とバランスある狂気が加味されなければ、ただの痛い歌詞になる。

例えば、20歳の若者が、「歩いていこうぜ~」と言う時、そこには猜疑心や不安を伴った開き直りと自己鼓舞があると思うが、40歳のおっさんが、「歩いていこうぜ~」と同じレベルで歌ったら痛い。

「おっさん、もうめっちゃ歩いてるやんけ!」と突っ込みたくなる。

そのため、おっさんは同じ言葉が歌詞に現れるにしても、そこに、自己鼓舞は捨てて、大らかな潔さと明るさで包んだ何かがないといけないと思う。根底に、噛み付きたいスピリットがあったとしてもだ。

希望や戒めだけを訓示のように吐くのが大人の歌詞でもない。それならば音楽の教科書に載るだけで、そこに市場があってもいいのだが、少なくともそんな慰みみたいな言葉も、湿っただけ、ロマンチストなだけの言葉もこの歳では吐きたくない。

最近、「若者的絶望」を大人感覚でミクスチャーして昇華させた歌詞を書きたいと思っている。

ロックの歌詞には「絶望感と壊れそうな侠気と逝きそうな狂気とそれを壊すための凶器」が宿っていると思う。「若者的絶望」はロッキンな歌詞の重要な要素だ。ただ、それを20代と同じ言葉で叫んでいたら、痛すぎてロックではない。


「若者的絶望」を抱きながらも歳を重ねた大人が、若い時と同じキャパのまま歌うくらいならそれはローリングしていないと思う。

初期衝動は同じ、歌いたいテーマも同じ、だけど加齢の匂いを臭くならずに漂わせる言葉力がこれからは必要だと思っている。

そんなテーマで、新生「ほうるもん」の新曲「のたりのたりかな」の歌詞を書いた。うまく表現できているのかはわからないのだが、個人的には何か少し掴めてきているような気がする。

ずっと歌いたいテーマが宿って、然るべき時に降りてくるのであれば、歳をとるのも悪くないと思う、迷いまくりの40代突入日であった。

4 件のコメント:

赤ひげtodタカ さんのコメント...

やあ!けんぢ。お世話に成ってマ。
今、俺は某施設にお世話になっていマ。
その施設での出会いの中に、作詞作曲をこなす御仁が一人いルんでやンす、はい。
歳の頃は四十代後半にて、十代半ばから、ずぅ~と自由業を続けて来たって野郎で、今現在も現役で通用するで有ろう鋭い眼光がステキな奴です。
その彼の生み出す詞が、コレまたステキ&刺激的な詞で、是非!一度けんぢに聴かせたいって思っていマ。
今、その彼とバンドが組めないものか、と、アノ手、コノ手を考えている最中ですが、何分、お互い施設にお世話に成っている身ですので、実現出来るか?まったく見通しがつかない状態です、ねん。
ま、ソンな現状ですが、今の生活が落ち着き、暇が出来たら何等かの方法を駆使し、そのステキな詞をけんぢに届けれる様にスルんで、上手く届けれたら、けんぢの感想を是非訊いてミたい!と考えていマ。
なかなか、連絡をとるのにも難しい現状ですが、また、何等かの方法で連絡いたしマする。でわ!また、ネ!
ピース!

管理猿まえけん さんのコメント...

>タカ

おお、元気にしてる?

その御仁の歌詞を見てみたいけれど、あなたはちゃんとシャバに未練を断ってしばしは雲隠れしなさい!(笑)

復帰した暁には、その御仁と組んだバンドで対バンできたら嬉しいですな。

身体だけ大事に、とにかく今は孤独を愛する男になって、電波も断ちなさい!(笑)

コメントありがとう。

みやざき さんのコメント...

ご無沙汰です。
まえけんも40才になったですね。僕も9月で「不惑」になりましたが、未だ惑ってばかりです。

それにつけても、いかなる状況においても音楽活動を続けている姿に勇気づけられます。

お遊びカバーバンドでお茶を濁して燻っている自分が情けない。

来年には、まえけんに胸を張って誇れるようなバンドを作って、いつか同じステージに立ちたいなあ。

管理猿まえけん さんのコメント...

>みやざき様

おおお、久しぶりっす。

コメント気付くの遅れてすみません。

2年ほど前か、電話したら、PHSが不通になってまして・・・。

一緒に東京のスタジオでアコ音出した日、宅録機材買いに付き合ってくれた日が懐かしいね。

連絡先、教えてくださいな。