2008年2月29日金曜日

職人への憧れ

今日のテレビニュースで、八甲田山での観光バススリップ横転事故と、観光バス運転手の勤務実態の報道がなされていた。

雪道でスリップして横転し、死者を出した事件ということもあり、運転手の過失責任が問われるのは間違いない。吹雪の中の雪道をスタッドレスタイヤだけで走行し、チェーンを巻かなかった責任は重いと思う。人名を最大50名ぐらい、一走行で預かっているのだから、運行上の過失は問われてしかるべきだと思う。

ただ、その後の観光バス運転手の実態報道を見てびっくりした。1日あたりの観光バス会社の貸切料金は7万円台まで下落していたそうだ。そして、その7万の内訳を見ると、運転手の日当が2万円となっていた。

これが本当ならば、運転手に同情の念を禁じえない。早朝から深夜まで、週に4回、無理して5回働いても月収40万ほどの額面ですぜ! あまりに安すぎないかと思ったのだ。

物を運ぶ運転手も素晴らしいが、観光バスの運転手は大型のプロ中のプロだ。運転手業界のエリートだ。どんなに電脳媒体が進化しても、路上を走る観光形態は存続するだろう。我々に、車道の旅の快適さを提供してくださり、どんなにハードな勤務であっても、眠気を自制し、強い節制で安全運転をされる、彼らプロの稼ぎとしてはあまりに気の毒だ。

俺は、1年半ほど、添乗員のアルバイトで、全国の温泉地に観光バスの添乗をさせていただいたことがあった。観光バスの運転手の運転技術は、人間業とは思えないほどの芸術感があり、夜の食事に同席させていただいた時にも、翌朝の勤務時間から逆算して酒量をコントロールし、殆どの場合は、勤務時形態の実情では飲めない状況にも関わらず、自己節制され、50名近くの方の生命を預かっているプロ意識を持っておられる方々ばかりであった。

俺がご一緒させていただいた方は寡黙な方が多かったが、寡黙な中にも人間的なスケールのデカさが滲み出ていて、惚れ惚れする職人気質を感じたものだ。

飛行機、電車、船舶といった同じく乗客の安全性を担う業種の方の給料と比較して、あまりに観光バスの運転手の見返りが少ないと思った。陸海空、1番注意力が必要なのは、事故確率から言って、断トツで陸だ。そして、軌道がひかれ、全てが高速みたいな電車と違い、一般の人も乗り入れする車道を多くルートに含む、1番偶発性の大きなルートを走るのは、観光バスの運転手だ。彼らの見返り賃金というものの見直し無しに、彼らの事故の度の過失責任を問うのは、あまりに理不尽ではないかと思ったのだ。

飲酒運転といった防げることに起因する事故ならば、いくら糾弾しても良いが、プロ意識を持ち、1人1人の運転手の、体力の限界すれすれの中でしか、観光需要を満たしてくれない必要性の中、彼らが起こした事故に対する処罰の規定は、あまりにも酷な気がする。

何が言いたいかというとだ、今こそ、職種による賃金の優劣基準を見直す時期に来ているのではないかと思うのだ。これだけ電脳が発達した時代、ホワイトカラーが高給を得てこなしてきた業務のいくつかは、電脳媒体のシュミレーションにまかしておけば事が足りるようになってきている。杓子定規とまでは言わないが、没個性で成り立つのがスタンダードなホワイトカラーの仕事だ。いや、ホワイトカラーの仕事に多い。

杓子定規にすることすら出来ないで、自分たちの電脳との戯れミスを、さらに税金を使って調査する、公的な保険を扱う国民愚弄が趣味の愚老が高給をとる一方で、個別の判断が全ての熟練の技能給が信じられないほど低い。

どんなに世の中が進化しても、進化の過程はハードレベルでは頭打ちだ。ドラえもんのような次元を異にする世界が成り立つ可能性がほぼないのは、アホの俺でもわかる。テレポートはありえないでしょうあ??? ならば、どんなに電脳が発達しても人力以外に頼れない、職人というものの労働対価を、今こそ見直す時期に来ている気がするのだ。

コンピューターの力を仕事内容に内包する比率が低ければ低いほど、職人の力が必要になる。今需要の高い介護業界、建設に携わる現場労働者、特殊車両の運転手、彼らの給料が高くなり、彼らに対する敬意が今より高まる時代の到来は、考えただけでわくわくする。

机上の空論を垂れる高給背広族の奴らが手を置く机も、座るイスも、職人の加工により存在するのだ。ハードに乗っかった理論派きどりの奴らの理論は、コンピューター的思考と変わらない。直線的な意味での同一性だ。それならば、作業効率でコンピューターに劣る。

人間にしか出来ない匠の技を必要とする業種が高給で報われ、そこに高い競争率と選抜があってしかるべきだと思う。コンピューター制御の船が衝突して、匠の出番が最終的には必要であることが明らかになりつつある時代だ。その上で、匠の不注意による事故は弾劾されて、防げる過失である場合は、極刑なみの弾劾がなされても良いが、今は、職人の技をなめているとしか思えない矛盾の塊の法体系と思想感が、職人の優れた技を機械化し、無機質におとしめているような気がしてならない。

学歴選抜で生き抜いた人の優秀さは、その頭脳の思考力にあるのではなく、元服前の記憶レベルにある。彼らが勝ち抜いたキャリアと、そこに至るまで耐え抜いた我慢の力とが、さも、思考力レベルの優劣であるかのように考えられて、そこに賃金格差が生まれてきたのが今の現状だ。

学問は本来、個人的知的好奇心に基づく遊びであったはずなのだが、それが賃金格差の指針になった結果が、今のこの矛盾だらけの平和な日々だ。幼少時に知的好奇心が言葉以外の物体に向いた人たちの思考は、テストレベルでは低いかもしれないが、言語認識と本能的な吸収力では決して差はない。要は、幼少時に与えられた環境で、それなりに目の前のことをこなし、表層の根底にあるものを本能的に察知しながらも、言葉遊びのテストに興味が向かず、自分の腕に磨きをかける人たちの追究の結果が職人の誕生である。

職人が真の匠であるためには、中途半端な思考に劣る思想なしの奴らが入り込めるだけの隙間のない環境が必要になる。究めた人は、興味がテストレベルに向けば、今の学習ごっこレベルの競争は勝ち抜く素地があった人たちであったと思う。20歳までの種々の環境の差が、彼らの環境を悪戯に支配しているだけである。

職人が真の匠であるためには、彼ら職人の賃金レベルを上げることこそが、電脳まみれの世の中に必要なことである気がした。

俺は職人にはなれない。言葉に戯れ、好奇心を満たすただの道楽者として、匠を味わいたい。職人ってかっこいい。職人に対する俺の憧憬は幼少時から変わっていない。薄給でよい。

2008年2月28日木曜日

暦に思う

明日は「閏年」だ。歴の時間のずれを調整するために設けられたらしいが、暦を作ったひとはすごいと思う。太陽暦や太陰暦やらあるが、時間という尺度の設定といい、実に数学的で天体スケールでの設定で、考えれば考えるほどすごいと思う。

暦というのは不思議の固まりだ。疑問だらけである。日本の暦に関する事項も含めて、なんか俺の疑問に答えてくれる書籍もたくさんあるのだろうか? 今度調べたい。

疑問1
なんで、年間日数365日(4年に1回365日)の中で月ごとの設定を変えたのだろうか?
別に2月を28日設定にして、31日と30日を微調整したのだろう?

疑問2
何で6月に祝日を作らないのだろう? 別に「紫陽花の日」とか設けてもよい気がするのだが・・・。他の花が怒るからかな? でも、それを言い出したら「海の日」が新しく作られたのに、「山の日」はないなんて不公平だ。朕の生誕日とかは仕方ないとしても、「子供の日」があるのに「大人の日」はない。
「体育の日」はあるのに、音楽鑑賞や読書やひきこもりは、全て「文化の日」でおさめられる。
老年には「敬老感謝の日」で崇め奉るのに、敬老以外の人間には「勤労感謝の日」でざっくり済ませる。思いだしたように「成人」にだけ媚びやがって・・・。
「春」と「秋」だけを農耕文化の名残からか祝福するが、田植えが刈り取りにいくまでには、夏の太陽と冬の地盤温存期間があるおかげだ。夏と冬怒るで。

疑問3
上記の祝日設定が決まるまでにある力関係にはどんな利権があるのだ?

なんか、疑問がげすになってきたので止める。

もしもだ、暦というものがなかったらどうなるだろう? 当然時間という区切りも出来なくなる。年齢という概念もなくなる。なんか素敵な展開がありそうだ。

良くも悪くも暦によって、年齢といった概念が人の意識を支配してしまう。「あの人75歳か~、そろそろ死ぬな~。」とかいった無意識のジャンル分けと生死の概念に始まり、「○○さんとこの息子、30歳にもなって無職でどうなっとるんえ~。」みたいな余計なお世話・・・。

誕生日という概念もなくなる。節目の記念日がなくなり、全てが自然の変化だけを中心に回転し、企業においては決算という発想もなくなる。そうだ、社会主義者が目指して到達できなかったものは、時間という概念がなくなれば初めて成就できたのかもしれない。

原始的かもしれないが、そうなれば言葉の壁自体もなくなる気がする。君主が複数いらないから、言語を隔てる理由がなくなるのだ。

太古から一言語だけで世の中が回り、言葉の中に抽象名詞は生まれなかった気がする。時間という抽象観念がないのだから、「死」という言葉がイメージを産まず、死ぬことへの恐怖もなくなっていたかもしれない。死ぬことは暦による加齢という概念が呼び起こすもののような気がする。動物みたいに、人間も生死を本能的に受け入れ、そこに悲しみも起こらないかもしれない。そうなると・・・・。

多くの宗教家が目指しているのは、こんな世界かもしれない。どだい無理がある。ちゃんちゃらおかしい。少なくとも俺は嫌だ。俺の頭の。ただでさえ少ないうえにお隠れしまくった容積の中の味噌を溶かしまくって適度に朝夕の汁を賞味したい。

思考する過程で種々の好奇心がわいてくる。そしてそれを満たそうとすると、そこには科学が生まれる。科学的な発明には需要があり、そこに利潤が生まれる。そして貧富の差が出る。そして、犯罪が生まれ、種々の思想がまた再構築される。

人間が考える葦であるという言葉の意味だけは、科学ではないが科学的に認識(わが身に鑑みて)しているのに、そのことに色々な解釈を加え、種々の理想郷の思想を理論化し、口当たりの良い、耳障りの良い、そして生を実感できる一面的思想の鎧だけを羽織って暦を重ねてきたのが、アカデミックな堆積物だ。そして、そこに抽象概念を付加して生まれたものが宗教と定義される何かだ。

良くも悪くも暦が出来、時間という概念、その体系の中で息をしている。極めて抽象的で具現化されない次元の中で生きているならば、考えなくても良い思想に思いをはせるのではなく、先人が残した科学の知識と理論の瓦礫の中から、本能的にキャッチできるものだけを拾い集め、その中で暦を生き、齢を重ねたい。

乱文にもほどがある。

本当に文章が下手だ。結局は言いたいことを言葉で表現できる言語力が欠如しているのだろう。暦の話しと素朴な疑問が、言語力の未熟さを露呈して、暦のなか少し落ち込んだ。色々考えてはいるのだが微調整が出来ない。思考は言葉と共に育まれる。乱れている。

閏年、俺にとっては思考の乱れを微調整する年だ。4年に1度であって欲しい。

2008年2月27日水曜日

天体の馬鹿!

今日は休み。朝に嫁を会社に送り、夜の家庭教師とバンド練習までの時間、芥川賞の載っている「文藝春秋」読んだり、音楽聴いたりと、ゆっくりひきこもろうかと思っていたのだが、散髪に行ってきなさいとの嫁からの厳命があったので、床屋に向かう。午前中散髪して、それから計画通りひきこもろう!そう思っていた。

床屋に向かう途中でコンビニによった瞬間、ここ数日調べたくなっていたことに意識が行き、図書館に車が向いていた。

先週ぐらいから、柄にもなく天体というものに少し興味を抱いていたのだ。生徒から理科の質問を受けるたび、俺は相方の理系おやじにふって避けていたのだが、たまたま相方がいないときに理科の天体分野の質問を受けたので、じっくり参考書を読んで勉強したのだ。

地球が自転すること、そして1年で太陽の周りを回っていること、丸の球体を2つ用意して、くるくる回しながらイメージするのだが、何度やっても、問題上の答えは出るのだが、いまいち映像としてとらえられない。頭の中に立体的な空間を描く能力に恐ろしく欠けているのだ。

何度も何度も中学生対象の参考書を読み、頭で映像を描いているうちに、宇宙の空間に興味がわいてきた。手元にある書籍は受験参考書だけなので、もっと読みたくなった。そして図書館へのお出かけだ。

めぼしい本がたくさんあった。数冊を手に取りソファー席へ。読み出すと面白い面白い。まえがきを読んで最初の章を終えた頃、「俺ってひょっとして、天体フェチなのかもしれない! 今まで知らなかった新たな一面発見やんけ!」と興奮しながら、さらに読み進めた。

2時間ほどで、中高生にとっては難解な書籍を真剣に読み解き、尿意をもよおし厠に行く。

帰ってくる頃には興味のエナジーが枯渇していた。棚前をつかつか歩き、ジェンダーフリーの文字につられて書籍を手に取る。文書を批判的に、対抗意識丸出しで読み出した頃に便意をもよおし、本日2回目の厠へ。厠を出ると、しょぼしょぼ降っている雪に興味がいき、図書館から出る。腹はピーピー言っている。冷えたか?

飽きっぽい。実に飽きっぽい。天体に関する興味もジェンダーフリーも俺の中ではどうでもよくなった。

帰り道、しょぼい雪は止みだしたが、降り方がしょぼいので道はすきすきだ。道中の並木道で小枝に見事に雪が適量乗っている。実に綺麗だ。万華鏡のような、顕微鏡でみた結晶のような雪印マークのような映像が俺の脳裏を捉えた。

天体への興味のあとには、微への興味がわいてきた。顕微鏡が欲しくなったのだが、どこで売っているかわからない。それに買ったとしても、おそらく我が「ふけ」ぐらいしか見ないだろう。顕微鏡に行く前にまずは、書籍をあたろう! そう思い、帰り道の古本屋へ入る。

入ってすぐの壁側にスロットマシーンが数台置いてある。「本日高設定」といった張り紙がされてあり、賑やかだ。おっさんが必死でスロットマシーンのボタンを叩いている。なんでやねん!金も儲けられないのにこれだけ混んでいるのは何でだろう??? 豪華景品が当たるのか???

微なるものへの興味は薄れ、俺はスロットの動体に興味がいった。いや、昼間の古本屋のスロットマシーンに大人がたくさんいて、その小刻みなおっさんの動体に衝撃を受けたのだ。おっさんは必死だ。リールを目で追いながら、必死でストップボタンを押している。俺は後ろで傍観しているが、おっさんは目押しが出来ない。いらいらするくらい、必死でリールと同じように顔を上下させるが、まったくずれている。

リールの動きが見えないおっさんの目がわからない。俺はリールに描かれているキャラクターやら、7やらBARの刻印が回転していても、静止画のように見えるのだ。俺のもつ動体視力への優越を感じて、眼の能力面で動物になれない、動物的なおっさんに対する興味が薄れた。

CDの棚を見る。数点見て値段をチェックするが、どれも高い。ふっかっけた値段の狭間の廉価な人たちを見るのは、しゃ乱Q以外忍びないので、書籍コーナーへ。

写真集コーナーで、昭和の町並みアーカイブシリーズが置いてある。見たくなったが、ビニールがしてあり見れない。エロ本扱いか! 横には松尾嘉代写真集が置いてある。ごちゃまぜか!
気分が悪くなり、緩む腹の解決を便器に求め、古本屋を公衆便所扱いにして店を出る。

新曲を口ずさみ、家路を急ぐ。帰って、家庭教師の時間まで1時間ほど、ひらすまを決め込む。コンタクトを外し、鏡に映る我が顔と黒髪を見て、今日は床屋に行くために家を出たことに気がついた。嫁、切れるかな???? 

家庭教師、バンド練習と経て、夜22時半帰宅。飯を食っていないことに気がついた。嫁には飯はいらないといっていたことにも気がついた。お茶漬けを用意してもらう。嫁はぼちぼち切れている。こんな時は猿忍法「しかと」に限る。猿忍法「とぼけ」は最近通用しない。空気が悪い。

部屋にこもり窓を開け、外気を入れる。雪景色で全体的に明るいが空は曇天だ。星も見えない。

星の馬鹿!天体の馬鹿! 

2008年2月26日火曜日

門出に思う恩師の言葉

高校3年生の国公立二次試験も終わり、後は後期日程やら私立入試の一部のみだ。高3生のほとんどは進学先が決まり、下宿先探しや身の回りの品の調達やらで忙しい日々をすごしている。一部、後期日程に全力を注ぐ子達もいるが、だいたいが固まりつつある。

もうすぐ、別れと出会いのしょっぱい季節の到来だ。特に、高校3年生にとっては、進学であろうと就職であろうと、人生初めての大きな別れと出会いの時期を迎えようとしている。

毎年この時期になると、高校の時にお世話になった恩師を思いだす。俺が高校1年生の時と3年生の時の担任だった下村先生だ。小学校の時にお世話になった門川先生と共に、いまだに恩義を感じている先生だ。

俺が通っていた高校は、俺達が1期生であり、伝統もくそもなく、グラウンド造成中に遺跡が発掘されたりして、グラウンドがなく、野球部の俺は練習場所をジプシーしながら過ごしたような学校だった。
就職する人が半分以上を占める、大阪の地元校であった。就職と進学が半々ぐらいで、地元中学のヤンキー臭ただよう奴らも多くいて、1年の4月はヤンキー同士の力の探りあいがなされていた学校だ。

大学に進学するという発想自体も思考できないほど無知だった俺は、ひたすら部活と恋愛に明け暮れた。バンドをしたくても楽器を買うことが出来なかったので、バンドデビューは高3の秋の文化祭だった。ベーシストとして、ラッフィンノーズとユニコーンとヴァンヘイレンのコピーをした。無茶苦茶だった。

俺が高3になった時、下村先生が、「大学に行く気はないか?」と打診してくださった。漠然と学校の勉強をそれなりにはしていたのだが、高3になる春まで、どこか進学するのかな?という進路ビジョンはあったのだが、自分がしたいバンドと、大学というものがどうも結びつかなかった。

「バンドをやりたい気持ちがあるならば、なおさらのこと、就職する前に色んなことを模索する、人生の猶予期間を持ったらどうだ?そして、それが許される世代に生まれたのだから、それもありだ」と言ってくださった。そして、「当然、大学は勉強しに行くところだから、親御さんには勉強する意志があることは示さなければならない。英語は嫌いじゃ無さそうだから、お前の好きな洋楽を味わうためにも英語をしっかり勉強してみたらいいじゃないか? その気持ちを素直に親御さんに伝え、進学先を探してみないか?」と言ってくださった。

俺はその日に、何か自分の進路に新しい輝けるビジョンが見えた気がした。その日から、下村先生は、俺の進学先を真剣に考えてくださった。高2で理数系科目を人生から抹殺した俺は、文系の私立大学を中心に探した。社会といった暗記項目に対する努力も才能も欠如していた俺に、「政治・経済」という暗記項目が少なく、理解力が問われる科目を提示してくださり、志望校も示してくださった。

上記のことは、強烈に覚えているのだが、それ以外にも、毎日の些細なひとコマの中に、「俺のことを親身になって考えてくれている。」というビームを俺は全身で被弾し、下村先生の期待に答えるためというモチベーションを多く保ち、夏以降の追い込みに打ち込んだ。

下村先生は、極左の先生だった。受験前なのに、高3の3学期の英語の授業のほとんどを、チャップリンの映画鑑賞に費やし、俺達に戦争に対する御大なりの気持ちを提示してくださった。決して押し付けがましいところはなく、ただ、自分の生身の人間としての感情を冷静に生徒に提示してくださった。

ちょうど、昭和天皇の崩御が卒業を控えた時にあった。全校集会が開かれ、校長の指示で黙祷がなされようとしていた時、下村先生とは違うのだが、同じく極左の数学教師が、「なんで黙祷するのですか?戦争で亡くなられた方々の命に対する配慮はないのですか?」と静寂の中、校長に噛み付き、退場させられるといった事件もあった。

もちろん、この当時の俺は、戦争に対する感情をしっかり噛みしめるほどの思考力もなかった。ただ、下村先生がチャップリン映画を通して提示してくださった思考のヒント、そして、大人が抱く思想の深遠さを漠然と感じ、この事件に高揚した。

約1ヵ月後に入試を終え、進学が決まったというものの、進学することへのビジョンは相変わらずなかったし、それよりもむしろ、下村先生と別れることが俺には悲しかった。俺は下村先生に、「先生のおかげでとりあえず、進路が決まりました。でも、これで交流が途絶えるのが正直悲しいです。また、定期的に訪ねてきていいですか?」と聞いた。

下村先生はこう言った。「教師という仕事を選んだ人間としては、今のお前の気持ちは嬉しい。でも、お前が俺を訪れたいといつまでも思うようならば、それは悲しいことだ。これから色んな新しい出会いがある。そんな中のひとつに俺が入っているようであれば、それは何て小さいことなんだ。そんな生活を過ごして欲しくはない。俺にとっては寂しいが、お前が新しい進路で毎日忙しくして、俺のことなんか思いだす暇もないくらい、色んな楽しいことも悲しいことも体験してほしい。だから、出来るだけしばらくは訪ねてくるな。もし大きな転機があった時だけでも報告してくれた、俺にとっては嬉しい瞬間だ。いいか、頻繁に俺を訪ねることができるような生活は過ごすな。」

上記は、記憶を頼りにだが、ほぼ正確だと思う。言われた時には本当の意味が分かっていなかったのだが、ずっと噛みしめていた言葉の気がする。

2年半後、俺は中退の報告をしに、下村先生を母校に訪ねた。幸い異動されておらず、お会いすることが出来た。「先生が勧めてくださった進学ですが、やめてしまいました。」と簡潔に報告した。

下村先生は、ひたすら俺の話を聞いた後、「○さんの中で大切な報告をしてくれてありがとうございます。進学をすすめた僕も悪かったです。ただ、中退という決断をした○さんと関われたことを僕は誇りに思います。共々、立派な大人になれるように、毎日全力で過ごしていきましょう。」と言ってくださった。

20歳のガキに敬語で接してくださって、正誤の判断ではなく、1人の人間として対峙してくださった下村先生の言葉が、毎年この時期になると、俺の心に突き刺さるのだ。数年後、ある繁華街で「赤旗」のチラシを配っている下村先生を見かけたことがある。俺は隠れた。なぜだかわからないが、会うべきではない気がしたのだ。

今日、俺の職場に2年前まで交流があった生徒3人が訪ねてきてくれた。高3生として進学が決まり、その報告に来てくれたのだ。色んな人に聞きながら場所を探してきてくれた。感激だ。俺が3年前に言った進路先の提案を胸に頑張ってきたという言葉などを聞かせていただき、感無量だ。

下村先生の言葉が浮かんだ。御大ほど立派には言えなかったのだが、俺は彼女達を見送る時、「幸せな日々をお過ごし下さい。そして、俺とこに来る暇がないほど忙しい日々をお過ごしください。」と言った。それ以上話すとこちらの未練が出そうでつらかったので、淡々と送迎した。

下村先生の気持ちが、今本当にわかった気がする。最高の恩師の気持ちを体感できたことを嬉しく思うのだ。進路を自分たちで切り開く若人の決断と矛先には危うさと浮揚感があるが、眼の清さを見ると、ただただ、今までのご縁に感謝すると同時に、今後交流がないことを願う寂しさと嬉しさの祈念に繋がる。塾講師という、うさんくさい稼業にも関わらず、こんな経験を出来たことが嬉しい日だった。門出だ。

好きです日本米!

東北農政局が作った「米の作りすぎは、もったいない!」「米の過剰作付けは、資源のムダづかい」というポスターに対し、地元の農家が「一生懸命米作りをしている農家の誇りを逆なでしている」と激しく反発。   

今日のニュースだ。俺は農家の立場でもなければ、お上の立場でもない。

個人的意見を言わせてもらうとだ、このコピーを考えて、それが招くであろういらぬ誤解などを鑑みて、反対しなかった人、採決の許可を出した人のセンスというものは、断罪されるべきだ。あほ!

何かいろいろと農政局側の弁明が載せられていたが、ポスターを3万枚か刷る費用と、1つのことを決めるのに効率が悪い役所の経費を考えたら、どうか考えてもこのポスターは、だめだろうと思う。

減反が急務であることもわかるし、一生懸命農作業に励む人の気持ちもわかる。利害関係には触れないが、ポスターを作って啓蒙しないといけないことかね?おそらくだ、いや、かなりの確率で予算消化の手段としてポスター作成があり、その題材にされたのが、減反へのスローガンだ。

コピーセンスに関してだが、大人が本当に考えたのかな?と不思議になるほどの稚拙さだ。真面目に考えて推敲と校正を重ねた結果が、このポスターへの発案とコピーであったならば、おそろしいレベルの言語能力と思考力だ。全てにおいて、公務に足りるレベルの人ではない。色んな人に気の毒になる。

国の米の消費量と生産量の関係、生産コストに対する生産者側の利益の問題、国際的な貿易収支とそれにまつわる国策的な問題、いろんな問題が重なり合った結果の減反措置であろうが、それらを取り扱う農政のえらいさんのすべきことは、何で減反が必要であるかを、子供にでもわかることばで、大人も納得がいく論理を兼ねた言葉で説明すべきなのだ。

むちゃくちゃ難しいことだ。隠したいこともあれば、一般の人に言ってもわからない専門的な問題もある。しかし、それらを言語で説明できる必要がある仕事であるからこそ、学力を備えた人がその任務に携わっているはずだ。

それが、「米の作りすぎは、もったいない!」ときたもんだ。「MOTTAINAI」という文言までつけて、恥の上塗りだ。まじめにこれを考えたのであれば、真面目に反省してほしい。 もったいない!

お上のすることなすことにクレームをたれているわけではない。多くの方が一生懸命やっておられる中で、そして、まともな神経を持っておられる中で、数人の災害的迷い子がいるのは、当然だろう。でも、それを公共のポスターとして掲示するというプロジェクトで、この文面が垂れ流されるなんていうのは、組織レベルの邪悪な幼児性を糾弾されても仕方がないと思う。

コピーライターという仕事もあって、それにプロとしての誇りと責任を持っている方々がおられるのだから、これを考えた人も、堂々と「By 誰々!」と刻印して発表してほしいと思う。

そうであれば、誰も糾弾する資格はない。このかわいそうなコピーを考えて予算消化できる権限の人にそんな人が立つ世の中の悲哀は、みんなで共有すべきだ。彼に税金をたくさん使い、「寺子屋」みたいなところに通わせてあげ、存命中に習得がなされれば、また復帰させてあげればよい。それが、公人に対する正しい処置だと思う。習得出来ずに米つぶ備えられる天上人になるであろうが・・・。

匿名性が守られているのは民間も同じだが、民間なら内密に首が切られる。それが公人の偉いさんとなると、地位は同じ、もしくはそれ以上に維持され、匿名性だけが守られるのが現状だ。そして、公人トップの尻拭いは、民間の感覚を持った数少ない達人である。これは、国家レベルのもったいなさだ。

お上に対する噛み付きは、庶民の特権だ。とは言ったものの、こんなに平和な毎日を過ごさせていただいているのも、公人のたゆまぬ努力と、動き出したら何とか流れていく世の中の漸進性のおかげだ。だから俺は、どこかの政党みたいにヒステリックにいちゃもんだけをつける気はない。

ただね~、このポスターはあかんやろ? 無駄な上に、ユーモアのかけらも、日本人として、語感に訴えるライムもなければ、思想もない。小学生でももう少しまともなものを作る気がするのだが・・・。

昨今流行の「言葉狩り」に対しては、俺は大反対で、言葉の揚げ足をとる奴らのほうがショボイと思っているのだが、これはポスターだ。公衆の目に晒されるまでに、種々の手続きがなされる。それも、特に手続きが好きな人たちの目を潜り抜けた結果がこれだ。現実と認めたくない。

批判するなら代案を出すのが礼儀だ。 予算消化という悪しき慣習にも目をつぶる。俺ならキャッチコピーをこうする。

「作れども 削れども わが公務 楽にならざり そっと米噛む・・・ とりあえず食べよう 日本米!」
「施しを 受けるの嫌よ 米噛みて 防げるものなら 減らしません ・・・ 比丘尼になりますか?」

なんか、暗いな。

「ワールドワイドの世の中じゃ! 尖っていても外米くらえ!」
「減反で 削った大地に 無農薬 野菜を作って 脱チャイナ!・・・そんなあたなを農水局は応援します。」

稟議通らないな。こういうコピーはせき止める能力あるのに、彼らの思考回路や?????

酒くらって米を食べる頻度が減っているので、こめかみ揺らして米食おうっと。好きです日本米!

2008年2月24日日曜日

えぇ 

最初にスクロールして、1番下の絵を見て欲しい。トムとマイクとキャシーがならんでいる絵だ。性別は順に♂、♀、♂だ。

トムの手は大根だ。足は細さが違う。キャシーは首が無い。そして、恐ろしく足が矮小だ。マイクは毛が下敷きをこすってあてたかのような重力への反逆だ。毛の量は少ないというよりは、オンリーワンだ。手に指はなく、ドラえもんみたいなポッケがある。片足浮いている。

実にかわいい絵だ。実に独創的である。頭の中のイメージを書いたのであれば、大したものだ。これを書いた人は、絵の才能をもてはやされ、絵に芽生えを感じ、生涯にわたって、絵をたしなむであろう。幼児であったならば・・・・。

俺の絵だ。37歳がガチンコで書いた絵だ。自分でもびっくりしている。色んな意味で・・・。

今日、英語の比較級の質問を、中2生から受けた時に俺が描いた絵だ。質問してきた子の問題集が学校への提出用だったので、そこに描いてあった絵を俺は不用紙に写生し、説明をする段取りだった。
俺は最初にトムを写生した。

生徒: 「それ何け?」
俺 : 「めっちゃトムじゃ!」
生徒: 「男け?」
俺 : 「トムって書いてるやろ! 眉毛見ろ! めっちゃマンやんけ!」

次にキャシーを描いた。

生徒: 「それキャシーけ?」
俺 : 「そうじゃ! めっちゃスレンダーやんけ!」
生徒: 「足ないがけ?」
俺 : 「人の身体的特徴を馬鹿にすな! 生えてるっちゅうねん!」

こんな会話が交わされ、質問の主旨は飛んだ。そう、俺は絵がレミゼラブルなのだ。描いた瞬間、俺は生徒の間で辱めを受ける。

授業中に描いた絵に対する嘲笑、俺はそれを、「THE 辱め」と板書し、生徒の本気の笑いをとる。教育上良くないのだ。キッズの心が、学習単元にむかないのだ。

「せんせ~い! THE 辱め やって、やって~!」と勉強の主旨を忘れさせるほど、俺の絵は、キッズの間の笑いの対象となるのだ。 恥辱である。中には、「やばいっすね。」とクールに返す、理系のキッズもいる。俺は彼に鉄拳を加える。「どあほ!このピカソチックでデカダンスな絵がわからんのか!」と彼に退廃的な美を教える。中途半端に興味を示してくる。危険だ。

中学に入るまでは、俺は自分の絵の才能の無さを認識したことはなかった。それが、中2の時の美術の樺沢先生(思いっきり実名だ)というばあさん先生との出会いを通して、絵に対する劣等感を植え付けられることになる。

このばあさんの指導の下、俺は一生懸命に絵を描いた。小学校を訪問し、学校の中庭のある場所に腰を下ろし、俺は校舎の斜めからの映像と、構内飼育されている鶏小屋を中心に据え、指でアングルを言われたとおりに作り、会心の作品を描いた。それをだ、それをだ・・・・。

ばあさん先生は、俺が一生懸命写生した、「中庭から見た校舎の遠近画法」の絵を、クラス全員の前で晒し、「あの~、なんというんでしょうか~、鶏のとさかが校舎の屋根に突き刺さっていますね~。」と
言いやがった。爆笑の渦に晒され、俺はその日以来、絵のリクエストを嘲笑的に求められた。

俺はぐれた。樺沢先生を、「ばかざわ」と呼び、絵の具の水入れにはザリガニを入れたり、ばあさんのブラジャーのホックをみんなの前で外したりした。彼女は俺に切れた。俺も切れた。彼女は俺にビンタした。俺も奴のたらちねをグーで殴った。校長室に呼ばれた。

俺の中学2年の通知表の美術欄には、「1」が描かれることになった。遠近感のない「1」を前にして、俺は、絵が嫌いになった。

絵を描ける人を羨ましく思う。確実に、俺には見えていない映像が彼らには見え、俺が捉えていない映像が、彼らの眼と脳裏にはあるのだ。神が宿した不公平の1つだ。

コンプレックス以外の何ものでもない、俺の絵に対する能力であるが、コンプレックスは晒して払拭するショック療法も時には有効だ。俺の絵を見た人は同年代には皆無に等しいと思うが、晒すことで、何か前向きになれるものもあるような気がする。

厳密にいうと、何か、今となっては、こんな殺戮的な落書きを出きる大人であることが、嬉しくて逆自信になっているところもあるのだ。なかなか描けないよ、こんな牧歌的で猥雑な絵は!色んな意味で逆説的な絵だ。

新しい趣味が出来たのだ。かっこいいだろう? 俺はこれから、頻繁に絵を描くかもしれない。作品解説をブログでするかもしれない。才能ある芸術家は現世では忌み嫌われる。俺の絵を笑いたければ笑えばいい。「1」の刻印は昨今では「0」と組み合わさり変換され、無難な映像に変えられる。

例え、「1」評価の絵でも、自信を持って発信するならば、その映像はよくも悪くもそびえたつ。俺は「1」を「0」に変換しないことを決めたのだ。樺沢の呪縛から解き放たれたのだ。「1」であるがままに、時に発信したい。

意味不明の論調に、いち1「ひかない」でほしい。「0」との融合は俺の目指すところではない。

いい絵だ。オンリーワンだ。





しぶとい青さ

今日は朝から家庭教師。テスト前ということもあり、中2の生徒を午前中3時間しごきあげた。
昼からは、以前ブログでも触れたのだが、不登校から回復の兆しがある高1の生徒と真剣対峙。相変わらずの感動。

夜は早い時間からゆっくりしようと思ったのだが、我が職場の相方1人が、もう1人の相方に対する不満の相談をしてきたので、急遽話し合いの場を設ける。

我が職場は3人で回しているのだが、俺と残り2人は、前の会社では俺の上司だった人だ。年齢的にも俺より高い人と下の人の3人だ。一応、最年長の人が塾長としており、その下に俺と、もう1人の彼がいる。 今では完全に俺が偉そう度ではキングだ。

一切の糞ドキュメントを排除した、生徒対応だけに全力を注ぐというスタンスで昨春以来、順調に生徒数を増やしてきた。お互いのスキルと人柄に対する信頼がある分、休みはきっちり取れて、理想的な稼業展開だと思っていた。収入は2年目の春の動員を待って、それなりに豊かになるだろうと期待していた。なかなかの門出だったのだ。

最年長の、前職の俺の上司が最近、妙にイライラしていた。しかし、俺は別に大人だからなんでもないと思っていた。ところが、年下の彼に向けて、えらく理不尽なことを言い出した。恥ずかしい話しだが、エゴと虚栄心からくる妬みに基づく苛立ちの吐露という、実に安っぽく小さい言動をしだしたのだ。

ほうっておこうとは思っていたのだが、一緒に働く最年少の彼の士気にも関わるので、本日話し合いの場をもった。 そして、俺のダイナマイトこ口撃で、ぺちっといわせた。

結論から言うと、最年長の塾長の彼は、俺ら2人に対する生徒対応のうまさに対する妬みを口にした。そして、それを認めた。なんでも、共同でやっているという意識を持っていたつもりが、いつの間にか自分の立場が軽んじられていると思うような低レベルになり、感情をコントロールできなかったみたいだ。

しょうもない上下関係、営利主義発想を捨て、生徒本位の理念で立ち上げた塾が、いつの間にか、上下関係を無意識に抱き、その結果、稚拙な言動となったようだ。

最年長の彼は、進学校から有名国立大学を出て、その後、世界的自動車メーカー、TOヨタの開発で働いて、種々の事情から実家に帰り、前の会社に働き場を求めた人だ。俺が始めて塾稼業に従事し、配属された前職の塾のある校舎のボスが彼だった。

エリート街道を歩んできた人とは思えない謙虚さと、子供への真摯な向き合い方を俺はお手本にし、彼の元で1年ちょっと従事した後に、俺は彼の立場を抜く、本部校のボスとなった。年功はあるとはいえ、かつての部下に実質的に立場を俺に抜かれた彼であったが、俺達の師弟関係は継続され、昨年の新規開業となった。専門学校と私立中学と塾の校舎を30校ほど持つ組織では出来ない、微妙なさじ加減の生徒対応が出来る教務力を武器に、同じ志の年下の彼を誘い、俺達は茨の道を歩みだした。

今日の話し合いで、最年長の彼は、群れを離れた子羊のような心境が生んだ個人的苛立ちが、俺達に不快感を与えたことをわびた。俺が10代の時には消化していた、他人に対する妬みをコントロールする力の無さを実感し、俺達にわびた。謙虚さは健在である。やはり、対人の感情のもつれは早期に手を打つのが基本である。

それにしても、エリートと言われる人たちが、その重ねるキャリアの一方で、ある意味欠落している精神的発達があることは、非常に考えさせられる。キャリア官僚が、幼児レベルのモラルを平気で破る心理の根底にある何かを感じた気がした。

正誤の基準はない。エリートはエリートの空間で一生を全うできたならば、問題は出ない。しかし、ワイルドな庶民の世界に舞い降りるや否や、中学生レベル以下のことでも苦悩して、感情をコントロール出来ない現実があることは事実だ。

エリートである一方、中学生レベルの苦悩を抱える彼と、エリートになる素地がない、中学生レベルの俺が抱える苦悩・・・。質は違えど、話し合いが出来たことをよしとしようと思う。どんなレベルでも苦悩はあるのだな?と思ったが、エリートと比べてあまりにタフな俺の精神状態を嬉しく思った。

そうなると、俺の精神的タフさを通常と思う俺の傲慢さが顔を出さないかが心配になった。俺は、種々の経験を経て、ワイルドに生きてきたつもりだが、その過程過程で毒を撒き散らしてきたはずだ。俺が踏みしめてきた環境と、そこで踏みつけられた人のおかげで、今の俺のタフさがある。

無邪気な中2のキッズ、悩み多き高1の青年、組織を離れたかつてのエリートおやじ、3人に触れた今日、俺は、迷える未成年者の初々しさと青い輝きの苦悩と、日光を浴びないまま育ったエリートの消化できない残骸の臭さを味わった。

そして、中途半端に生きてきた自分の過程が、精神面では頑丈な素地を育んでくれたことを嬉しく思った。嬉しく思い、全てに感謝するだけならば人格者なのだが、俺は少し、「お前らまだまだ青いな!」と独りよがりの優越感を他人に感じた。このあたりが、俺の青さだろう。

ともかく、青さがあってもいいから、負の苦悩が俺にないようにしたいと思う。色んな価値観とわが身の小ささと大きさを感じた日であった。こういう忙しい日も必要だな。明日(今日)は9時から22時まで、入試対策授業や、個別対応に追われる。今日とは別の意味で忙しいが、青い果実である若人に対して熟しきれずに枝から落ちない、しぶとい青さで臨みたい。

2008年2月22日金曜日

猫の日に思う

誰が命名したかしらないが、今日はニャン×3で「猫の日」だとか。
ニャンニャンニャンという響きを聞くと、なんだかキッズの男女の青春的交わりを想像してしまう俺は、猫が嫌いだ。いや、動物全般が嫌いだ。でも、実家の猫「ニール」だけは、帰るたびに、一応ちょっかいを出す。本当はだっこしたりしたいのだが、強度のアレルギーで呼吸困難になりそうなので、控えている。それに、以前蹴っ飛ばしたことがあったので、ニールも俺の匂いを覚えているのか、警戒してこちらに来ない。ちょっと寂しい。

俺は動物嫌いだが、動物虐待をする人間ではない。なんで、ニールを蹴飛ばしたかというと、飼い出して1年ぐらい経った頃だろうか、俺は夢で悪夢にうなされていた。サナダムシが俺の腹の中で大きくなり、暴れだし、俺の腹を突き破ろうとしているといった場面の夢を見たのだ。腹を鋭利な刃物でひっかかれているかのような激痛があり、真夏だったと記憶しているが、汗びっしょりになって俺は目を覚ました。

すると目の前に飛び込んだのは、大きくなりだしたニールが俺の腹を猫ひろしポーズで引っ掻いている映像だった。俺は生涯でも上位に入るびっくりの仕方で、ふっと飛び起き、無意識にニールに蹴りを入れた。奴はそのまま押入れのドア向けて飛んでいった。ドスンという音と共に、崩れ落ちるニール! びっくりした俺は我に帰り、彼女にしてしまった行為に青ざめた。

幸いにしてニールは何ともなかった。フリーキックをきめるかのような蹴り方であったが、俺の足に柔軟に馴染んだ彼女の姿勢が良かったのであろう。ほっとすると同時に、俺の腹に描かれた引っ掻き傷を見ると、俺は冷静に奴を懲らしめたくなった。

それにしてもニールは俺の腹をどうして引っ掻いたのだろう? 寝る体制を再現してみた。ちょうど、夏であったので、俺は扇風機を腹辺りに向けて、一晩中風を送っていた。ちょうど俺の体と扇風機の間にあったスーパーの袋が風になびき、俺の腹部辺りに密着していたのだ。

そこに来たのがニールだ。アレルギーが今ほどなかった俺の腹の辺り周辺が当時のニールの寝床だった。奴は自分の寝場所に不法侵入した奇妙な動きを見せるナイロン袋に、異常なほどの闘志を見せたのだろう。そしてそれと格闘している間にナイロンが俺の腹上に来て、それに猫乗りになってしばきあげている下に俺の腹があったのだと推測している。

ニールは捨て猫だった。親父が死んだ後、すぐに俺の家の近くに捨てられていた。親父は大の動物嫌いとアレルギー者だったので、生存中は動物を飼う事はありえなかったのだが、ちょうど親父の逝去の後に迷い込んだ猫を、当時俺と2人で住んでいたおかんは、迷うことなく飼いはじめた。

生後すぐに捨てられ、最初の保護者がおかんであったニールは、おかんを母のように慕った。そして蹴り上げるまでは、俺を友達のようにみなし、俺が眠っていても枕元でニャーニャー泣き、俺に微妙な声色でささやきかけ、俺の部屋から洗面台に歩き出そうとする。俺が無視していると、再度、猫なで声で、「こっちに来ニャ!」と煽る。

「はは~ん、えさ入れに鰹節を入れろと言っているのだな。」と察した俺は、意地悪をしたくなり、無視していた。すると、俺の腹でゴロゴロしだし、飛び跳ねたりして、俺に戯れを要求してきやがる。そして再度、「早く来ニャちゃい!」といった声色で俺を先導しだす。数歩歩いては後ろを振り返り、俺がついてきていることを確認すると、また嬉しそうに歩き出す。そして、えさ入れを置いてある洗面所に来ると、首でえさ入れを指しやがる。「ここに入れニャちゃい。」

ニールは人間界で育った猫だから、野生では生きていけない。窓を開けて外に出してやっても、すぐに野良猫にしばかれて帰ってくる。はあはあ息を切らし、泣きじゃくっているくせに、俺がドアを閉めると、カチコミに来た野良猫に向かって、窓ガラス越しに罵声を浴びせる。目を逸らしながらも、虚勢をはる。全く、誰に似たのだ! 俺かニャ?
そして、対峙に飽きた野良猫が退散すると、得意げに俺とおかんを再びえさ入れに誘導する。

こんな野性味のかけらもない、へたれなニールが、1度口に虫を加えて帰ってきたことがあった。得意げに咥え姿を俺達に見せ、その日以来、餌の好みが変わった。贅沢なもの、魚類は魚類でもより匂いの良い、硬質な干物を要求しだした。そんな時に、上記の事件は起こった。

今から思えば、ニールに悪いことをしたなと思う。奴がやっと野生の本能に目覚めだし、風になびくナイロン袋に命を賭けて対峙していた場面を蹴り上げたのだ。俺は心が痛んだ。

その後、俺は家を出て富山に移り住む。実家に1人残ったおかんは、ニールの芽生えた野生がまた消失したこともしらず、2人水入らずで過ごしている。たまに俺が実家に帰ると、おかんの布団の上に横着に寝転ぶニールの姿がある。

朝型にはおかんといっしょに起き、ラジオのハングル講座を聞き、おかんより値段のはるものを食べ、1日16時間は眠っている。ニールももうおばあちゃんだ。俺のおかんと2人の老婆が枚方のとあるマンションで穏かな調和の中暮らしている。

ニャンニャンニャンの日、かわいげなニールが我が家に来たことを思い出した。そして、猫と老婆が穏かに生活している風景が目に優しく浮かんだ。

いまだに俺の腹部にはひっかき傷がある。ニャンニャンニャンと3本だ。≡は合同のマークだ。俺が再び合同できる日はないのかもしれないが、腹の傷跡を見るたびに、ニールと過ごした日々の温かさと、蹴り上げたことへの後ろめたい気持ちが蘇る。悲しい思い出ではない。

おかんとニールの齢具合は同じであろう。合同庁舎のような実家で、2人仲良く暮らしてほしい。
猫の日に思う。

2008年2月21日木曜日

新曲の披露の仕方

昨日聴いた(今日も聴いている)「くるり」のライブ盤。一般的に俺はライブ盤自体はあまり好きではないのだが、「くるり」は良い。

ライブに好きなバンドを見に行ったり、ライブ盤を聴くと、昔の曲や、人気のある曲のイントロが流れた瞬間にファンが反応する、あの「フオ~!」やら、「ヒイェイ!」みたいな雄たけびは清いと思う。俺自身、好きなバンドのライブで、自分の好きな曲のイントロが始まると、それだけで耳が臨戦態勢に入る。
やはり、好きなバンドの好きな曲というのは、いくら時間がたっても、聴きたいのがファン心理だ。

そして、それらの曲のほとんどは、そのバンドの初期の曲だったりする。なんでだろうな~? 名曲というのが初期に生まれる運命にあるのか、それとも、ファンを多く獲得した時期が初期に多いのか、それともライブでその曲を演奏している回数の問題なのか、どちらにしても、やはりライブ会場に金を払って来るお客さんにとっては、何かしら目当ての曲があるものだ。

これは、我らアマチュアバンドでも同じであろう。数少ないとはいえ、2回目以降にそのバンドに遭遇する時は、前回のライブで感動した曲を聴きたくなるのが自然だ。

俺が好きなアマチュアバンドがいくつかあるが、それらのバンドと対バンという機会で見るとき、やはり、やってほしい曲はある。そして、その曲のイントロが流れた瞬間には、俺も擬音語表記できないような奇声を発し、舞踊を始める。ライブとはそういうものなのかもしれない。

そこでわが身に置き換えて考えてみる。マンスリーでライブを出来ているならば、悩みは少ないのかもしれないが、久方ぶりのライブに臨む時、当然、そこには新曲が存在する。ライブという限られた時間の中で、曲を選ぶときに、物理的に外す曲が出てくる。実にこれが悩みの種だ。

アマチュアの分際とはいえ、お金を払ってきてくださるリピーターの方がいる限り、やはり、多少なりとも前回見てもらったときに耳に残ったであろう曲もするべきであるし、それだからといって、毎回のセットメニューが同じで、アレンジだけを変えて、演奏力の音圧で勝負できるほどの練習頻度もない。どうすりゃいいのだ?

俺は、いつも自分の中でその時に新鮮な曲を選ぶようにしてきた。やはり、歌詞が自分の中で消化されて過去のものになった曲は、集中して歌うことができない。そのため、ついつい、新曲ばかりの披露に夢中になる。新曲といっても、音源流通のない俺達にしてみれば、初めて見る対バンのお客さんにとってみれば、どれも新曲なのだが、自分の中での1番新しい曲を披露したいという欲望が俺を支配して、どうしても新曲中心の曲選考になる。

曲を作る。いや、作るというより出来る。そうすれば披露したくなる。この繰り返しで俺は音楽に向き合ってきたので、ライブの構成を考えると、非常に最近悩みだす。1つの曲が増えれば1つの曲がライブからは減る。1つ1つの曲に思い入れがそれぞれあるので、1度レギュラーを外れた曲もめぐりめぐって復帰の機会を伺っている。

そうだ、ライブの絶対数、録音する数が少ないのだ。だからこれさえクリアできれば、もう少しジレンマは減るのだ。とは言ったものの、現状ではどうすべくもない。

新曲よりも、昔からの曲をしっかりと、感情を込めて演奏できるものがあればいいのだが、俺はどうしても詩がその時にリアルかどうかだけで、感情移入が変わる。音に没頭してその中で言葉を昇華するという快感を味わうだけの技量が欠けているのかもしれない。

でもついつい新曲したくなる。どうしたもんかね~。どちらも正解で不正解であろうから、答えが出ないのだ。

新曲との関わり方を、他のバンドの方々はどうしているのだろうか? 別に参考になるわけではないが、アマチュアバンドはみな同じような苦悩を抱えているのだろうか? 

ライブでの構成はどうなるかわからないが、俺は今後も曲を作っていくだろう。それしか考えていないので、出来るだろう。出来るタイミングをコントロール出来ないので苦しい作業だが、待ち続けた喜びがある。喜びがあれば聴かせたい。アマチュア音楽人は、そして今日も悩んでいく。

今日、2曲出来たのだ。完成度の高さは知らない。俺はソロで出来るほど技能がないので、バンドに持ち込んでどうなるかだが、頭の中ではいつものごとく、今の時点で1番の名曲だ。車で口ずさんで詩を携帯のテキストに書き込んだ。コードはまだとっていないが、詩は完成だ。いつ披露しよう????

音楽だけに包まれる生活も大変だろうが、曲が出来るたびに、その披露の仕方を悩むのだ。なぜなら、自分のかわいい分身だからだ。子供の披露宴ならば、どんな労力を負ってでもしたいものだ。
そして苦心の末開いた披露宴に、1人でも多くの方々を招待したい。

2008年2月20日水曜日

くるりライブ盤を聴く

本日発売のくるりライブ盤を聴いた。パシフィコ横浜と磔磔ライブの2枚組み!

むちゃくちゃよい!感動のメーター突き抜けた。俺は完全なるくるりファンですわ。選曲もどんぴしゃで、ずっと聴く一枚になりそうだ。

日本のバンド、ミュージシャンに関して好きな人はアマチュアのバンドの方が多かったのだが、メジャーなバンドで、くるりがデビューしてからというもの、俺は完全に彼らのファンになっている。
ライブも3回行った。どれも脳裏に焼きついている。CDも全部持っている。

思えば、日本のメジャーな人たちで夢中になった人たちで、発売日が待ち遠しい人っていえば、ボガンボス、ブランキー・ジェット・シティーぐらいであった。他にも好きな人はたくさんいるが、発売日に買いたいと思える人はなかなかいなかった。その中でも、くるりは別格だ。本気で、彼らの曲と歌詞と魂が好きだ。

俺は、偶然にして、くるりが在籍していた音楽サークルに入っていた。たったそれだけの理由で、彼らがデビューした時に聴いたのが、彼らとの出会いだったかもしれない。単純にそんな動機だ。
しかし、彼らの音楽に対しては、デビュー以来、一貫してファンである。例え、サークル的な共通点がなかったとしても、彼らの音楽には魅せられていたと、自信を持っていえる。

彼らがデビューした当時、京都の音楽人の中には、彼らの音楽を認めたくない派と、彼らの名前と交流を出すことで、自分たちを大きく見せたい二派に別れていたような気がする。「メジャーの世界がなんぼのもんやねん! どんな音を出すかみてみようか?」といったタイプと、「あいつらうまいことやったな~。」みたいに軽々しく言う人たちが多かった気がする。

確かにだ、音楽をしているという立場での優劣はアマチュアとプロにはない。しかし、彼らが出す音の素晴らしさを音源として聴いた時以来、俺は、「くるり」というバンドに対して、軽く評論したり、さも接点があったかのような軽率な発言は出来なかった。なぜなら、彼らの音楽に、そんなことはどうでも良く、評論を挟む余地を超越したものがあり、単純にリスナーとして、魅せられたからだ。プロ野球のドラフトルーキーが、清原のプレイを目の前で見るかのような感覚であったと思う。

色んな音楽性への試み、個人的に親近感のある音色、そうでない音色、色んな変遷が、くるりにあったような気がするが、どの時にも、彼らの音楽の奥底にある魂に揺さぶられた。言葉の音にのっかる魂の深さは、俺の敬愛するニールヤングにも通じる気がした。

童謡的なメロ、高度な理論に負けない感覚を研ぎ澄ましたコード展開、そして何より、命を賭けているのが伝わる音への真摯な求道ぶりが痛いほど伝わって、俺はその頃から、メジャーな音楽人に対しての凄さと、自分には真似出来ない素晴らしさを感じた。その筆頭というより、横綱が「くるり」であった。今でも「くるり」だ。

もちろん、他に俺が知らないだけで、個人的な琴線を揺さぶってくれる音楽人はメジャーな人たちにもいるだろう。でも、今は「くるり」でおなかいっぱいである。

いまだに、依然として、俺が好きな音楽人はアマチュア業界に多い。なぜなら、プロとしてのメジャー流通の場で立ち回っていく価値観をいただいていない人たちが多いからだと思う。そして、それだけでなく、何よりそんなに器用に立ち回れるような何かを持ち合わせていない人が、俺の好きな音楽人には多い気がする。

だから、個々の世界での吐き出される魂の純度は、アマチュアの方が高く、尊いもののように感じることが多い。メジャーな世界で魂を出し続けたら、それこそ、発狂して死ぬしかなくなるような気がする。気のせいか、俺の好きな音楽人は短命が多い。事故。自殺・他殺の違いはあるが、文字通り、身を削っている。

そんな中で、くるりが歩んできたスタンスは、素晴らしいものがあると思う。好き嫌いの域を超えて、本当にすごいと思うのだ。

俺の推測だが、外人のミュージシャンからの影響は公言出来るが、国内ミュージシャンに対しては、同等に据え、影響を公言しない人が多い気がする。それも、自分より年上の人ならば公言出来るのだが、年下に対して、素直に賛辞を送れる音楽人が少ないのではないかと思う。なんでだろう?

いいもんは年齢も国内も海外も関係ない気がするのだが・・・。

俺は影響を受けやすい性質であり、ミーハーであり、耳の能力に関して自信があるほうではないのだが、「くるり」の音楽の影響だけは、たくさん受けたいものだ。彼らが育った同じ風土を数年早く味わえたことを嬉しく思う。

そして、彼らのような真摯な音楽への向き合い方を、生涯かけてアマチュアレベルで突き詰めていきたいと思う。

 

2008年2月19日火曜日

深夜のめばえ

最近は、車のCDデッキがいかれているので、通勤の車中ではラジオを聞いている。いいね~、AM。
FMももちろん入るのだが、AMの独特のこもり方が好きだ。FMのDJのクリーンな語り口よりも、AMのDJのトーンが好きだ。聞いていてほっとする。それに結構、今でも面白い番組がある。

AMラジオは、「小沢昭一的こころ」だけを定期的に聞く以外は、しばし遠のいていたのだが、深夜ラジオでも聞きたくなるくらい、通勤時のラジオタイムを満喫している。

中学生時分、俺はラジオのヘビーユーザーだった。「ヤングタウン」「オールナイトニッポン」に関しては、イヤホン(ヘッドホンちゃうで)で、毎日深夜まで聞いていた。深夜番組だけでなく、土曜日の歌番組なんかは、エアチェックしまくって聞いていた。FMはあまり聞かなかったが、FM雑誌を定期購入して、エアチェックに励んでいた。音楽的な素地は、全てラジオにある。

AMの深夜番組が俺にもたらした影響は大きい。高3までずっと、俺は深夜にラジオを聞いていた気がする。勉強中も、いわゆる「ながら勉強」であったので、今でも特定の教科単元は、特定の番組放送のワンシーンとセットで記憶されている。

色んなコーナーがあり、どれも好きだったのだが、やはり、鶴光や谷村新司氏DJの番組は、俺の春的目覚めを促進した。家人が寝静まる時間、横の部屋では兄貴が勉強している物音を聞きながら、俺はひたすら、ピンキー&キラーな番組にのめりこんでいった。今から思えば、実にかわいいピンキーなのであるが、必死であった。もちろん、倫理規定かなんかで、放送のほとんどは、期待を散々膨らませた挙句にかわすといった、じらし展開がくり返されていたのだが、それでも刺激的だった。

春の高まりを最高潮に鼓舞する放送がたまに繰り広げられることがあった。その数秒の時間の訪れを予感させる前ふりに俺は集中して、その瞬間がくる直前にボリュームを上げて、官能の瞬間を待ち焦がれていた。そして、その瞬間が到来した瞬間、俺は興奮で立ち上がり、イヤホンが外れて、深夜に大音量でラジオを垂れ流したことが数度あった。むっつり未遂の瞬間であった。

鶴光の声による、「あんあん」といったあえぎ声や、エマニエル夫人のテーマソングが深夜の我が家に響き渡った。慌ててラジカセデッキに触れる手は、運悪く、ボリュームつまみに触れ、辱めの音量を増幅させることが多かった。

テレビに関してはほとんど見ない俺であったが、深夜番組に対する興味は、ラジオを通してかきたてられた。耳の刺激の渇望と飽和が、目の刺激に至ったのだ。

家人が寝静まる23時半頃から、俺は、わざわざ、「プロ野球ニュース」や、「MTV」を見るという断りをおかんにいれながら、イヤホンを常備して、おとんとおかんの寝る隣の部屋の横のテレビ前に鎮座した。一台しかテレビがなかったので、そこで見るより仕方がなかったのだ。

「MTV」に対する興味もあったが、当時の俺はヘビーメタルとマドンナ以外の音楽を見たいという渇望がなかったので、深夜テレビの時間は、自然と、よりピンキーな映像を求めてさまよいだす。「11PM」はもちろんのこと、俺のアンテナは新聞のテレビ覧の活字を毎日ストーカーしていた。

毎週土曜日に、KBS京都の好きな番組があった。当時のUチャンネルというものだ。波長を微調整し、俺はその時間に、エマニエル夫人が座るような籐のイスに座り、イヤホンを差し込み、刺激的な映像の到来を待った。スポンサーのほとんどが、ラブホテルという、コマーシャルからして刺激的な映像だった。この番組にも鶴の光があったような気がする。鶴光は俺のグレイトファーザーだ。

更新され続ける刺激に飽くなき興味を抱き、夢中で画面を眺めた。テレビの音をキャッチする左耳と、家人の動きをキャッチする右耳、実にスリリングな時間だった。万が一、家人が起き出す気配があろうものならば、俺はチャンネルを変えなければならない。

当時の我が家のテレビは、チャンネルがボタンではなく、がちゃがちゃ式であった。もちろんリモコンなるハイカラなものはない。右に3回回せばNHKといった事前対策を重ね、俺は深夜のブラウン管に向き合った。

だいたい、頭で期待している映像というものは、肩透かしをくらうものなのだが、たまに極上の刺激が降臨してくれる時があった。そんな時に限って、おとんやおかんが、小水に起き出したり、寝床から「はよ、ねんかい!」と突っ込みを入れてくる。最上の瞬間を見ずに、俺は右に3回転、手首をひねり、彼らに、「だあっとれ! おまえら永遠の眠りにつけ!」と罵声を浴びせる。そうなると、おやじが起きてきて、俺に柔道技をかけ出す。バトルが終わった頃には、官能映像は終わりを告げ、牧歌的なアルプスの光景がテレビに映りだす。

めばえることも大変だ。こんな苦労があったが、3ヶ月に1回くらい、最高の刺激映像を、家人の寝息を確認しながら堪能出来る瞬間もあった。だが、そんな時は、俺が立ち上がってしまい、イヤホンが外れる。

エマニエルのあえぎ声も、M尾嘉代のあえぎ声も、すべて大音量で我が家に響き渡る。寝ぼけたおとんとおかんが、音にびっくりして障子を開けるときには、俺はチャンネルを右に3回転している。すると、放送終了のジャミジャミがブラウン管に写しだされている。

「何眺めとん!」と、おとん。 「ジャミっとるんじゃい! だあっとれ! お前らジャミらせたろうか!」と俺。 ストレンジな俺の返答が、深夜の我が家を道場と化す。黒帯に俺はまたやられた。

めばえ映像は命がけだ。

今のキッズの思春期のめばえはどのようになされているのだろうか? 少なくとも手首のひねりは不要だし、柔道技もいらない。それに当時の俺の同世代でも、ひねりを加えなくてもテレビを見れた家庭の方が多かったはずだ。人の数だけ、めばえがあるものだ。

深夜には、思春期の子供をめばえさせる何かがあるような気がする。そこに必要なものは、AM電波とピンキーな映像だ。そして、家人の圧力があればなおよい。俺はこうして大人になった。

間違っている。もういちど、めばえの瞬間を深夜に探そう。好きですAM!

Re・トリック

「レスラーが女性社員を触り処分」との見出しあり。Kンタロー君のことですが、レスラーって表記がいるのかな?と思う。職業表記は、センセーショナルに報道するための、見出しをデコレイトするための目的でのみ使われているような気がする。

これが、無職の人であれば、新聞報道もなされずに、坦々と処罰の書類処理がなされていくだけであろうに、かたや、見出しになるのだから、この差はなんだ?と思う。

レスラーでKンタロ表記だけを見ると、何だか夕刊スポーツ新聞の見出しみたいで、変な滑稽さも起こる。被害者にしたらたまったものではない気がする。悪質なトリックだ。

レスラーだけではない。芸能人はもちろんのこと、必ず職業を載せられるのが、警察関係者と教育関係と僧侶の人たちだ。公務員という表記も目立つ。

不思議なのだが、例えば、「18日未明、都内に住むプラスチック二次製品営業職員○○容疑者が、女性の体を触ったとして逮捕された」、といった具体的な表記はない。こういったケースだと「会社員」とだけ表記される。

表記として存在するのは、細かく調べたわけではないが、全国紙ニュースに限って見ると、「教員」、「警察官」、「公務員」、「芸能人」、「スポーツ関係」、「宗教家」といった人たちだけに思う。これらの人たちが具体的職業名で載せられ、その他の職業は全て、「会社員」と表記される。ちょっとジャンル整理が大雑把過ぎないかと思う。

そのくせ、犯罪の度合いが陰湿で重度であればある場合のみ、「会社員」という表記を厳密に、「派遣社員」やら、「○○業」といった具体名にされる。

犯罪は肩書きでするものなのかね? 全くもって、悪戯な三面記事的好奇心を煽るだけの結果しか招かない気がするのだが、報道表記は上記のような状態である。言葉の軟質なトリックだ。

1日に膨大な犯罪がある中で、人を殺めるといった事件を除くとしても、ある職業の人の犯罪は報道されて、別の職業の人の犯罪は報道されない。この違いの根底にあるのは、肩書きで人を認知する、大人の眼の醜さであると思う。

人柄に触れる前に、職業を探り、そこに色眼鏡を通した斜光を加え、肩書き=優劣という認識を無意識に培われてきた大人の軽薄さが見え隠れする。

だから、警察やら、教育関係者の犯罪は、日頃抱いているその職業への認識に対するギャップが、好奇心と怒りを煽り、報道は、目を引くタイトルに飛びつくのだ。

俺自身がそうなのだが、警察関係者、教育関係者の職業表記がなされると、無意識に、「こやつ、犯罪を取り締まる立場にいながら、人を教える立場にいながら、こんな犯罪をするとはけしからん!」といった、個人よりも職業集団への怒りを無意識に抱いてしまう。

しかしだ、よくよく考えてみると、怒りの根底にある、その職業に対する敬意を普段から持っているだろうか? 俺は、警察を「ポリ」と呼び、教育関係者を、「先コウ」と呼んで、そこに敬意のかけらもない人生を送ってきた人間だ。

普段から、その職業に対して、聖人視する敬意を持っていたならば、その職業の中の例外分子が犯した犯罪に憤るのも無理はないのだが、日頃、たいして敬意もないのに、その職業の肩書きを冠した人が犯罪を犯すと、鬼の首をとったかのように、センセーショナルな論調に巻き込まれてしまう。自分の単調さにも嫌気がさすが、職業表記の報道体制を見ると、多くの人たちが俺と同じような低レベルにあるのだろうと思う。

個別の犯罪検挙数に占める、職業詳細を精密に統計すれば、そこに職業的な偏りはないはずだ。もちろん、職業分類の定義が難しいが、どの職業だから犯罪を犯すといった偏りはないはずだと思う。

それに、教育関係者という括りにしてもだ、どんな仕事でも、アルバイトにだって、教育は存在する。親方、先輩が、弟子、後輩に仕事を教え、教えられた弟子と後輩はやがて教える立場に立つ。ある意味、大人は全て教育を生業として人生を過ごしていくのが現実だ。

大人に限らない。幼児同士、学生同士の中でも、あらゆる師弟関係、教育する側、される側の立場は、日々の中で存在する。全人口全て教育者であり、教育される側でもあるのだ。

それを、肩書きと言う名の下に定義され、その肩書きに良くも悪くも拘束されていることに、一種の滑稽さを感じる。ばかばかしいな~と思う。

冒頭に戻る。kタロー君が女性に触ったとかで全国報道される裏にある、潜在意識に目を向けると、この報道にはレスラーというものに対するイメージと、犯罪に対するギャップがあるのだ。だが、マッチョもガリも、同じ突起がある限り、触ることもある。要は、触る側と触られる側の共通認識の違いだけだ。

求愛と犯罪は紙一重だ。一方は胸キュンになり、恋愛として賛美され、一方は糾弾される。この差は職業定義以上にデリケートで本能的な問題だ。この問題の解決できない深遠な部分は、言葉で定義出来ない。法律と客観的な評価の限界と、それに縛られながらも、虚栄心を満たせる塀の外側の人間による美的感覚と平安が、この世の正義だろう。ユーモアはない。

Hi Madam! I'm Adam. と本当に言ったかどうか知らないが、アダムがイブに言ったであろう最初の求愛活動にある、言葉の美しさとユーモア。

むき出しの人間対人間の対峙が、長い年月を経て、言葉の化け物を頭に蓄積し、生理的な好悪を言葉で武装した結果、需要ある新しい情報になる事例が、セクハラであり、職業認識と報道体制であると思う。

言葉の本当のレトリックは、語感と背後の感性にあると思う。

Kンタローの報道に一瞬とはいえ興味を抱いた俺は、薄っぺらい言語認識に流されるところだった。
新聞報道のレトリックはトリックだ。くり返されるトリックにだまされないようにしたい。

2008年2月17日日曜日

雪かき百景

昨夜から今朝にかけて、この冬一番の積雪だった。といってもしょぼくて、俺の短尺足で採寸して膝ぐらいまでだが、それでも嬉しい。

俺が住むのは昔ながらの地方都市の、古くから住む人たちの家が密集している所だ。隣近所の付き合いが濃厚で、家庭の事情が筒抜けの、村八分が生まれそうな集落とまではいかないが、やはり町内会が機能している所だ。

そうなると、雪が降った翌朝は、朝早くから、地面をガリガリとこするような音がこだまする。雪かきだ。
玄関から出られない、車を出せないといった切実な事情からの雪かきではなく、近所の目を意識しての雪かきだ。朝の8時になってもまだ自宅の敷地が雪であふれているようでは、田舎のザマスおばさんがでしゃばりだす。

「~さんとこの家は、雪が降ってもおかまいなしざます。何を考えているんざますかね? だから、あそこの人は酒飲みで、きっと家の中も汚いんざますよ。」といった具合の誹謗中傷が陰湿になされる風土が、いまだに存在している。

商売用の店舗の入り口が雪に覆われているならば、雪かきが急務なのはわかる。家の玄関先の猫の額ほどのスペースを、むきになって雪かきしている田舎の人たちの必死感が、俺には少し滑稽に思える。せっかく降ってくれた雪なんだから、もう少し、みんなで眺めて鑑賞するような風流さが欲しいと思う。

この雪かきという作業だが、思っている以上に腕力を要する。俺も今日は職場前を1時間ほどかけてしたが、筋トレ並みの労力だ。俺は雪が好きだから苦にならないが、嫌いな人からしたら、雪なんてものは、悪魔のような白い粉にしか思えないだろう。

重量動であるにも関わらず、男尊女卑がいまだに残っているこの土地では、雪かきを朝早くからしだすのは、女性の方が多い。婦人会の朝の集まりのような活気が北陸の早朝にはある。

嫁・姑の同居がなされている家が多いせいか、この雪かきは、日々のバトルを生業としている嫁にとっては、気張りどころだ。いつも、ちくちく言われている義母に対して、付け入る隙を与えないためには、確実に、早い時間帯にこなさなければならない。気の毒である。

「お義母~~~! 見とれよ~~~! これが、あたいの ゆ~き~か~き~じゃ~~~~!!」といった怨念をスコップとママさんダンプを持つ手に込めながら、すごい形相で嫁らしき人が精を出す。
そして、その出来具合を眺めるピン子臭ただよう姑・・・。橋田ドラマは雪国にある。

こんな土地柄では、男は大事にされる。我が家では内心、義父母が俺に切れ気味ではあるが、表向きは、俺が殿様状態で君臨出来ている。早朝に通りを轟音で走る除雪車の音を聞きながら、そして6時前からの女子衆の手動除雪の音を聞きながら、俺はそれを温かい布団の中で聞く。至福だ。世は満足じゃ!鼻毛を抜き、屁をこき、ノイズに戯れる。

俺が起きる頃には、玄関前はきれいに雪がよかされていて、俺はそこを優雅に出勤する。近所の嫁さま連中は、ぎっくり寸前の状態で、まだまだ路面を掃除している。俺はタバコの煙を吹きながら、「降りましたね~。」と月並みの会話を交わす。近所の姑は穏かに、嫁は恨めしげに俺に挨拶する。

良くも悪くも昔の風習だ。くだらない見栄の張り合いだが、この見栄が日本人としての雅さを形作っている部分もあるかもしれないので、全部は否定できないが、女性連中が不憫に思える。

とは言ったものの、俺の嫁は実の母との同居であるので、ぐっすり寝息をたてている。重労働は親父とおふくろにまかせ、姑気取りで、よかした路面を眺める。これもニューウェイブな雅だと思う。恵まれた世代の俺達だ。

こんな雪国の田舎町であるが、新興分譲住宅地では、俺と同じような世代の人間が多いせいか、10時頃になっても、玄関前は雪まみれだ。長靴で歩いた痕だけが、ちょぼちょぼ雪面を凹ませているが、新雪のふんわりした朝が、新興住宅地にはある。雪の跡形を残してくれている点では、こちらの光景の方が好きなのだが、少し違和感も感じる。雪かきをしている古くからの住宅密集地と比べて、新興住宅地のガキどもは早起きしない。

新興住宅地では、子供も犬も雪にはしゃがない。猫がこたつから出ていても、犬がヒーター前で寝、子供が布団でぐずるのが、昨今の風景だ。「雪やこんこん」の唄の世界の日本人と何が変わったのだろう。

きれいな雪をよかして自然に向き合う昔ながらの町と、雪にしかとを決め込む若年層の集う町、雪国の雪への関わり方は百景だ。

それにしても、雪に覆われた世界は明るい。まばゆくて失禁しそうなほどだ。

明るい夜の雪面に俺は慇懃に小水を放つ。白銀の世界に描かれるアンモニ~の美といったら・・・。

百景に顔出す俺。野良犬に笑われた。失敬。   冬はこれからだ。

2008年2月16日土曜日

スパムさんよ~!

相変わらず減らないスパム君、昨日の親友からの指摘に続き、今日も、「メール送ったのに返信こないから、拒否られたと思った」との電話を、前前前職時の友人からいただく。 

声を大にして言いたいのだが、メールに対する返信をしないなんてことは、業務連絡を除き、まずはない俺だ。むしろ、相手が返信疲れするくらいまで、Reを重ねる性格なので、懲りずに送信してほしい。
北の将軍様と同じ誕生日の親友は、さすがに察知してくれたが、久々の連絡をとってくれた方で、返信しないで拒否るという誤解を生んだまま交流が絶えた人がいないか心配になりますな。

迷惑メールに対する規制の法案が通過したのかしていないのか知らないが、法案自体が出てきたことはいいことだ。スパム自体は、別に削除すればいいことだし、世俗を映す負の鏡みたいな部分もあるので、心底否定はしていない。「ご苦労様です。」といった心境だが、自分にとって必要なメールが紛れ込むことが怖い。

まあ、数年後に袋叩きに合うスパム共だ。また法律の隙間をついてはくるだろうが・・・。

過去ブログでもしたが、しばしの間、俺を愛してくれたスパムに公開レスってやろうと思う。最近よく来る奴らだ。こういうことするからスパム減らないのかもしれないが、それは良い。一応、念のために送信者名に極ウス変換モザイクをかける。

送信者:聞本久美     件名:「好きです。」
レス:嫌いです。友達のままでもいやです。思い焦がれて果ててください。

送信者:不治木恭介     件名:「急いでください。」
レス:あなたも精神的発育、急いでください。不治の病?

送信者:誘惑の人爪     件名:「承りました」
レス:承る前に誘惑求む。 激しくウケたまわりました。

送信者:上野 撒き      件名:「・・・・・・忙しい?」
レス:忙しい。以上。

送信者:kawashita    件名:「先週はご馳走様でした。」
レス:今週もご愁傷さまでした。

送信者:宇陀皮 守      件名:「ちょっと質問?!」
レス:返答待つ前に、「!」するあたり、守君ドキドキしている? 返答は、ろ・う・ご・く・で!

送信者:maい         件名:「行ってくれませんか?一緒に」
レス:逝ってくれませんか? 1人で。

送信者:北島舞子       件名:「いつも家でひとりです。」
レス:いつもわが家に来ています。1日数回来ています。ひとりじゃないよ。舞え!

送信者:新蔵いつか      件名:「一言でいうと嘘が嫌いな人です。」
レス:一言でいうとそんな君が嘘です。

送信者:Health         件名:「No Impotence」
レス: I always have an erection. No way! (warai)

送信者:happiness 件名:「Viagra helping you」
レス: It's me???? No kidding!(burei)

よくもまあ、これだけ来るものだ。でも、相手してやれば、奴らも少しはジャンクワーズの垂れ流しをした甲斐があるだろう。相手する俺もジャンクだが・・・・。

スパムの奴らに紛れないためには、どんな件名を打ってもらったら、高速スクロールに耐えられるのだろう?少々のごまかしでは、巧妙な言葉の羅列に麻痺している俺の目は捕らえきれない。

暫定的ではあるが、当面は、件名に「猿猿猿猿猿猿猿猿猿猿猿」と入れといてもらえれば、獣の部首と文字の濃さに反応できると思う。どうか検討いただきたい。去る。

2008年2月15日金曜日

眼鏡に思う

自慢じゃないが、俺はむちゃくちゃ眼鏡が似合わない。どんなかっこいいフレームをつけても、そのフレームが醸し出す雰囲気に負の反応しか示さない。

俺の視力は、昔はあほみたいに見えたのだが、小学校高学年くらいから悪くなりだし、たった1年くらいの間に2.0から0.3ぐらいまで下がった。テレビは見ない。勉強はしない。外で遊ぶだけしかしていなかった俺にとっては、外的要因は考えられない。親父がど近眼だったので、完全なる遺伝だろう。

それでも、まだまだ見えていたのだが、中学生になると黒板の文字が見えなくなり、俺は眼鏡デビューする。選択権のない俺は、おかんに連れられて、枚方のイズミヤの1階で眼鏡を買った。ばりばりスタンダードの銀縁眼鏡であり、今ほど多彩なフレームがない当時の中でも、最もありふれたものであった。しかし、鏡に映る自分の顔を見るたびに、吐き気がした。周囲の大人は、「口ぽかーっと空けていてアホっぽいあんたが、少しは賢く見える。いいやん! いいやん!」と下げて上げる褒め方で、自信をつけさせてくれるのだが、自分の中での眼鏡に対する嫌悪感は高まるばかりであった。

授業中には、見えない時だけ、双眼鏡のように眼鏡をあてて見るのだが、常時装着できるほどの自信がなかった。今から思えば自意識過剰なのだが、ガリ勉で、危ない人種にしか見えない眼鏡をかけることは、少なくとも、人並み以上にもてた当時の俺の、女子人気の終焉を意味することであった。

ちょうど国語の時間に、円地文子の「めがねの悲しみ」という話があって、それは、そのまま俺の悲しみでもあった。配本時に全て教科書は読んでいたのだが、俺はこの話しが授業でなされる日が来ることを春先からおびえていた気がする。

そんな俺も、中学の後半は、常時眼鏡をかけないと日常の生活に支障をきたすほどの視力になり、装着を余儀なくされる。この年は、先輩のヤンキーに3回ほどしばかれかけた。ちょうど1つ上の、秀才で運動も出来る奴として名を馳せていた兄貴の名前を出すと許してくれたのだが、兄貴の名前の威光が届かない繁華街では、2回カツアゲされた。1度は梅田で「フットルース」を見た帰り、もう1つは樟葉のモール街でゲームをしていた時だ。どちらも友人と2人でいたのだが、俺がいちゃもんをつけられたり、「飛んでみろ」と言われた。

明らかに弱そうに見えたのである。屈辱的な日々であった。眼鏡の時期は、なおん人気も減少していた気がする。

この当時の修学旅行の写真を見ると、一緒に映っているのは、後にヤクザになった奴、暴行・強姦でまだ服役している奴、シンナーで廃人となった奴と、不健全極まりない奴だらけなのだが、その中にトンボみたいな銀縁眼鏡をかけた俺がいる。 泣けるほど弱い・・・。そして危ない!

俺は高校入学を機に、親に頼んでコンタクトを買ってもらった。それ以来、今に至っている。家ではいつも眼鏡であるが、何度か外でも眼鏡を中心に生活できるように、俺に合う眼鏡を探す努力をしたこともある。白ぶち、ふちなし、黒ぶち、ガラぶち、色々試したが、どれもそれをはめた当時に嫌な体験を重ねた。

「似合う」と言ってくれるのは熟女ばかりだ。あとは、けちょんけちょんだ。

29歳から1年間、S川急便で仕事した。その時は黒ぶち眼鏡をかけていたのだが、いちびりのだいぶ年下の飛脚が、俺を名前で呼ばずに、「おい、めがね!」と毎日のようにおちょくってくる。俺が体育会系ノリで、「はい!」と絶対服従の姿勢を貫いていると、奴は調子に乗りやがる。

「おい、めがね!」から始まる言葉が、だんだん、おちょくりの域を超え、「肩をもめ」やら、エスカレートしてきたある日、俺は彼に、関西弁を封印して、「あの~、あんまり調子に乗っていると切れちゃうよ僕。」と優しく彼の目元を見つめていった。相手するのが鬱陶しかったので、交流を絶ってくれる依頼をしたつもりなのだが、彼は足を震わし、無言で立ち去った。

後で聞いたのだが、凶暴で横柄な彼が、俺に謝罪する旨を店長に言っていたらしい。「あいつ、怒らせたら刺しますよ。」と言っていたらしい。笑い話にもならない。悲しいよ僕。

眼鏡をかけた俺の表情が、完全に誤解されて、いやな怖さを醸し出した瞬間だ。心外だ。僕は怖くないよ。

危ない奴に見えるのだ。それもハードボイルドな危なさではなく、人を刺しそうな雰囲気を醸し出す何かが俺の眼鏡姿にはあるようだ。

俺に似合う眼鏡が出てくれないか、切望している。今でも、俺でも危なく見えないフレームがあって、俺が眼鏡屋でチョイスするセンスがないだけなのだろうが、眼鏡というのは、はめた瞬間と常用する時とでは、根本的な醸し出す雰囲気が違う。客観的に見て、俺に合うフレームを見つけるためには、しばしの臨床実験が必要だ。

コンタクトをハイドロケアしている翁の存在は、あまり聞かない。白内障でしょぼしょぼした目にレンズをはめることは不能であろう。いつか俺も眼鏡を常用する時が来るかもしれない。その時に、雅な雰囲気を醸し出すことが出来るだろうか。人を刺しそうな翁の雰囲気を醸し出して余生を過ごすのは嫌だ。

眼鏡を日本に伝えたのはあの、フランシスコ・ザビエル君だと聞いたことがある。何してくれるねん!

全国にあふれる眼鏡屋ストリート、その中で俺に合う、いや、贅沢は言わない。危なく見えない眼鏡を見つけることが出来たら、それは俺にとっての福音だ。

眼鏡は眼を映す鏡だ。眼は人の性質を醸し出す。眼鏡が似合わない俺は、眼が荒んでいるのかもしれない。眼鏡が似合う人の眼を羨む俺の眼差しはまた危なくなっていく。

眼鏡が不要だった幼少の時の濁りのない目が恋しい。不乱視栖子 座眉絵留・・・乱れぬ目を持ったむき出しの子供 眉の下に今でも鎮座している映像を心に留めよう。福音は我の中に。

大げさなブログがまなこを曇らせていく。眼鏡が必要だ。

音の値段

最近(といってもだいぶ前からだが)、CDの収録曲数の多さが嬉しい反面、どうも1枚を通して集中して聞けなくなってきている。1枚のアルバムの収録曲数は10曲を切ることは殆どなく、名盤の2枚が1枚になったCDでは、20曲越えも多々ある。

どっぷり、特定のミュージシャン、バンドの音源に浸りたい時もあるのだが、どうしても長い時間の間には集中力が続かず、敬愛する人たちの音をイージーリスニング的感覚で流してしまうことも多い。
そのためか、自分が持っていたり、聞いたことがあるアルバムであっても、どこか外でたまたまかかっている時に、「え~、こんなかっこよかったっけ?」と思いなおし、家に帰ってCD棚を探すことがよくある。完全に聞き流していたのであろう。

その点、LP時代の音源は、46分テープに収まる範囲の収録曲数であり、集中力が続く。A面が終わってB面に変えるという作業自体も、何かたまらない興奮がする。俺はオートリバースにはしない。必ず裏返す。収録する曲順に対するコンセプトがあり、B面の1曲目でないといけない曲、A面の終わりでないといけない、いや、必然的にそこに配置された曲の佇まいと雰囲気というものがあった気がする。

最近は、ニールヤング以外は、アルバムを通して聞くアルバムはCDではなく、昔のテープを引っ張りだして聞いている。音のもこもこ感も含めて、妙に新しく感じる。

それと並行して、俺の中で流行っているささやかな楽しみがある。ブックオフなどの、105円コーナーに行って、この値段でなければ聞くことはなかったであろう音と戯れるのだ。

考えてみれば失礼な話しである。ミュージシャンが精魂込めてパッケージした盤面が、幾年の時を経て廉価で裁かれるのだ。もちろん、105円でも買いたくなく、憐憫も感じない音楽もある。むごいようだが、数年前からずっと不良在庫で並んでいるバンド、ミュージシャンもたくさんいる。個人的にも聞く気が起こらない盤面も多い。

そんなジャンクの棚を細かく見ていると、思いがけない掘り出しものに出会うことがある。また、以前なら聞かなかったであろう音源を廉価という事で買って聞いてみると、自分の中での名盤になることも多い。名前も知らないバンドであっても、帯にファーストアルバムと書いてあれば、極力買って聞くようにしている。音的な好き嫌いは別にして、なんというか、音源に込められた未熟さを補うだけの熱さと消化不良感がただよっていて、聞いて損はないのだ。表面的には何一つ影響は受けないのだが、聞く時間は楽しい。

音がパッケージされて、そこに値段が付けられるってことのすごさを感じる。一世風靡した音がそのまま歴史的に残るわけでもなく、大量に売れて、大量に中古屋で廉価で並ぶ音源もあれば、大量に売れても、まだまだ中古市場でも値下がりしない音源もある。また、売れない分、中古棚ではめったに見かけないが、確実にリスナーの下で大切にされている音源もある 。音の値段とは不思議なものだ。

自分の作った音源が中古市場で安売りされる光景を見た、当事者の音楽人の心境たるや、いかなるものだろう?と思う。経験がないのでわからないが、複雑であろうと思う。

余計なお世話なのだが、音楽人が、例え一時的にせよ、精魂込めたであろう音源であれば、それが廉価で流通している現状に心が痛む。出来るだけ購入して、棚から排除してやりたい気持ちにかられる。もちろん好き嫌いがあるし、明らかに音に対する気持ちが軽薄であることがわかるバンドや似非ミュージシャンの音源もあるので、個人的斬り方で、そんな音源が晒し者になるのは気にならない。

でも、105円で晒されていることが許せない人たちもいる。ジャケットや、曲名から醸し出される雰囲気でだいたいわかる。そんな人たちの音源を、オムニバスも含めて購入し、最近は耳を肥やしている。
ファーストアルバムはやはりいい人たちが多い。

音に制作費以外の値段を付けられずに音楽を楽しめる幸せと、値段を付けられながらも、その世界で長年持ちこたえている人たちの魂の太さを素晴らしいと思う。

全く売れない廉価棚の隅に、こっそり俺の好きな音源を並べてみようか?と思ったことがある。こういう場合はどんな罪名で裁かれるのだろう。なんか、売り場全体を明るくしてあげたい気がしたのだ。

檸檬じゃないんだから・・・・・。でも幸せな映像だ。 音の値段を檸檬が包む。

2008年2月13日水曜日

全力おじさん

俺が最近ひいきにしている銭湯がある。なぜ、そこが好きになったかというと、湯の温度が今の俺の体温に心地よいこともあるが、そこでかなりの頻度で出会うおじさんに魅せられているからだ。「全力おじさん」と名づけることにする。

おじさんは、その名の通り、浴場内をすべて全力で過ごす。見ていて唖然とするほどの全力さである。プログラミングされているかのような動きで、一連の動作をこなしていく。湯浴みといった優雅な雰囲気が彼にはなく、ひたすら修行のように行動する。俺の中での生態観測したいリストの上位を占めている。彼との出会いは衝撃だった。

彼は全力でサウナに入る。
サウナ室で座禅を組んで、一点を凝視している。彼の目の先には・・・・、目を閉じていた。姿勢は揺るぎない。奇妙な生き物を俺は見た。彼の異様な佇まいに魅せられた俺だったが、彼のサウナは異常に長い。俺より先に入っていたのだが、なかなか出る気配がない。俺は途中で挫折して、彼がサウナから出てくるのを待った。待つこと15分、やっと出てきた彼の体は、茹でた蟹のような色彩であった。そのまま水風呂に浸かる。浸かること5分、彼はびくともしない。この5分という時間であるが、冷やしすぎだ。プールで鎮座しているやつなどいないだろうに、彼は動かずにそこにいる。俺はサウナと水風呂を行き来しながら、5分間を過ごした。修行か?

彼は全力で洗う。
洗い場に向かう彼。背面の洗い場を確保した俺は、彼の動向に注目する。彼はまず、タオルに石鹸を強烈にこすり始めた。床にタオルを置き、そこに墨をするかのように石鹸をこすりだす。そして、タオルの箸を両手で掴むと、背中にビシっとあてがい、猛烈な速さで背中をこすりだす。火を起こしているかのような高速回転で彼の体はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。水風呂で覚ました体に、再び温度を求めているかのような執念めいたこすり方だ。垢はとっくに落ちている。彼は皮膚を確実に削っている。背中の一部だけしか洗わない。実は不潔か?

彼は全力で歯を磨く。
次に彼は歯ブラシを取り出した。食塩みたいなものを振りかけた瞬間、静を取り戻した彼の右手が一瞬に動に変わる。猛烈な勢いで上の前歯周辺をこすりだす。歯茎を研磨するかのような磨き方だ。2分ほどひたすら反復行動を前歯周辺にだけ加える。俺は自分が洗うことも忘れ、彼の動きを見つめた。
それでも彼の歯は白くない。歯茎はどす黒い。内出血しているのだろうか? 

彼は全力で鏡を見つめる。
軽くうがいをした後、彼は目前の鏡に向かって表情を作り出した。にやっとしたり、少し斜に構えてすましてみたり、色々な表情を作った後に、急に、スイカにかぶりつくかのような大口を開け、しばらく静止、そして動き出すとうがいをし、急にまたスイカポーズに入る。この反復を4回くり返す。狂言師か?

彼は全力で電気風呂に入る。
洗い終えた彼はわき目もふらず、電気風呂目掛けて歩き出し、一気に体を浴槽内に沈める。沈めた瞬間、彼は腹を電気が出ている壁面に密着させる。しびれ方は尋常ではないと思う。その体勢で1分、そのあと立ち上がり、「ふ~ふ~」とあえぎだし、また密着させる。この動作を数回繰り返し、彼は浴槽の縁に寝そべり、呼吸困難の患者のようにもだえだす。電気ショックか?

俺は彼を1度見て以来、あまりの全力さに魅せられていたのだが、今日、再び彼を見かけることが出来た。ちょうど、彼は電気ショックの刑をしているところだったのだが、今日の彼は電気風呂浴槽を出たあとに腕立てふせをしていた。電気に慣れたか?

この彼であるが、浴槽を出た瞬間、目つきがとろ~んとしてきて、ダウナーおやじに変身する。ブラ~っとジュニアを垂れ下げて、更衣室の一般的な光景に同化していく。浴場を出ると彼に特異さはない。むしろインパクトの薄いおやじだ。

「全力おじさん」の浴場内での行動が何を意味しているかはわからない。ただ、彼の目つきは何かが取り付いたかのような形相だった。一種の性癖なのかもしれない。彼は「キリン1番絞り」と書かれたTシャツを着ていた。何かわかるような気がした。俺がゆっくり着替えてテレビを見ている間に、彼は更衣室を後にした。背中にも「キリン1番絞り」と書かれていた。 両面刷りか??

彼の全力さが好きだ。人間観察が好きだ。1番絞りが好きだ。写実とその背後にある抽象さが好きだ。
俺は湯浴みを終え、吹雪く中帰宅した。全力おじさんありがとう。

2008年2月12日火曜日

巨大な幻影とちぎれ雲

20歳ぐらいのころだろうか、俺は京都の工場で一時期派遣で働いたことがあった。ちょうど、大学を中退してふぬけた時期を経て、社会に向き合おうと思い出した時期だったのだが、3日ほど勤務をしている間に、はやくもめげてしまったことがあった。

仕事に行けば、それなりに時間が経ち、少しずつ社会に順応していけている自分に自信が出るのだが、1日休みを挟んだ翌日は、朝から体が拒絶反応を示しだす。目は覚めるのだが、何かもっともな欠勤理由がないかを探したり、職場近くまでチャリを走らせたものの、そのまま工場の正門を素通りしてどこかにふけてしまいたいような気分が毎日俺を襲った。

朝方に見た工場の社屋と塀の概観は、俺を飲み込むかのような恐ろしいものに思え、目の前のものが自分側に倒れてくるかのような幻覚に襲われた。逃げ出したい気持ちに負ける自分への後ろめたさが怖くて、巨大な口を開ける工場に覚悟を決めては入り、仕事が終わると自分へのご褒美として、西大路太子道の中華屋でのビールを多量に浴びる夕食を日課としたのだが、この日々は3週間で終えた。

平日の夜、仕事を終えてアパートでくつろぐ俺の元に、実家の友達が車で来訪し、彼とドライブに出た。21時くらいだったので、ほんの2時間くらいのドライブがてらの語らいのつもりだったのだが、車が琵琶湖らへんまで来た時、俺は帰る事を断念した。「連れて逃げて!」といった女子のようなニュアンスで、俺は友人に車を北に向けて走らせてもらった。

自分の意志の弱さと、だめさ加減に向き合う怖さと、目の前に開ける開放感、その両者の間を徘徊しながら、明け方俺は友人と福井県に居た。

少しずつ日々の営みを始めだす市井の風景の雑音、もうあと数十分したら、工場では朝礼が始まるはずであり、俺がいないことは点呼で確認されるだろう。無断欠勤というやつだ。中途半端に律儀な俺は、欠勤電話をするかどうかに迷ったが、迷いの中始業時間が過ぎた。活気ある町並みが俺には幻影に見えた。全てが俺を凌駕していた気がした。コンタクトを外した。

貸与された制服の返却、更衣ロッカーの中に残した小銭と食券の処置をどうするかといったショボイ問題から、退職手続き、勤務分の給料受け取りといったフォーマルな手続きの1つ1つへの落とし前を考える度に、俺の心は確実に悲鳴をあげた。そして逃げた。

思えば、これの繰り返しで俺の人生は構成されてきたような気がする。人が当たり前にこなしていることが、当たり前にできないことへの後ろめたさが、常に俺を支配してきたような気がする。

こんな中途半端な繰り返しの年輪を経て、今営んでいることだって、いつどうなるかわからない。自分の中の根本的な弱さに起因する爆発の火種は今もくすぶっている。目の前に巨大な何かが立ちはだかろうものならば、俺は目を逸らし、それから逃げることしか考えないのは、今でも何も変わらない。

ただ、少しずつではあるが、目の前にそびえたつ物体の巨大感は薄れてきているような気がする。目の前の障害が規模を縮小したのか、俺が少しずつ大きくなったのかはわからない。ただ、少しずつ氷が溶ける様に、なんでもないバリアフリーな空間が俺の目の前に開けてきているような気に、ここ数年間、感じられるようになった。

数日前のブログでふれた、不登校の高校生の男の子が、先ほど夜分に電話をかけてきてくれた。学校に復帰できるかはわからないが、今日、学校の校舎前を車内から直視したというのだ。そして、その怖かったこと、明日1日空けて、今度は保健室登校でいいから行ってみようかなという気になったこと、そして、それにまつわる不安の気持ちを、途切れ途切れに、朴訥に話してくれた。

具体的なアドバイスは何も言えない。ただただ、電話で報告してくれたことへの感謝の念が涙になった。彼にとっての巨大な幻影、そして、それに向き合おうとしている彼の気持ち、俺の3分の1の年齢の子の真摯な気持ちが、俺の中の涙腺に穴を開けた。

巨大な幻影は向き合っているときは現実以上に蹴落とされる威圧感がある。だが、クリアすれば影になって大きな支えとなる。しかし、きれいごとだけですむ相手ではない。彼がこの先幻影に対してどう対処するかの表面的なことはどうでもいいのかもしれない。ただ今日、彼がそれに対峙して、関わった精神の清さを俺は祝福したい。そして、素晴らしいエキスをいただいたことに感謝でいっぱいである。
「頑張れ」や「負けるな」といった言葉は俺の中でもっとも忌むべき言葉だ。「ありがとう」だけが何度もくり返された。感動した。

37歳にして迷っている人間があれこれ言えることではない。ただ、こんな俺ではあるが、彼のような生徒と関わりあえる巡り会わせは、俺の誇るべき幸せな星だと思う。

「ちぎれ雲」という曲を20歳の頃に作った。チープメンバーにも、ほうるもんメンバーにも披露しておらず、ソロでもやったことがない。自分の中で触れたくない曲だったのだが、今頭の中で鳴っている。

「ちぎれ雲」を形にしてもいいかなと思った。今なら幸せに歌える気がしている。

2008年2月11日月曜日

郷愁

昨日、メンバーと離れ、18時前に京都を離れたのだが、京都東インターに向かう道すがら、俺の帰巣本能が刺激されるのがわかった。メンバーといた時は、かなりの現実感があって、懐かしさはあったものの、当事者としてのリアル感があったのだが、離れた瞬間から、俺は、なんだかすごく遠くに放り出された人のような気がした。

連休中の五条通はかなりの渋滞でのろのろ。日が長くなったとはいえ、道行く車のライトが全灯になる時間、俺は山科に入る手前で、家までの道のりが果てしなく、辛い気持ちに襲われた。

思えば、関西滞在時のこんなホームシックめいた気持ちは、初めてである。関西以外の土地で、たそがれ時には、よく感じていただのが、関西(京都・大阪)滞在中は、何時であろうと、帰巣を急ぐ気持ちは芽生えたことがなかった。なぜなら、そこを旅先の土地と認識していなかったからだ。

大阪で生まれ育ち、京都に7年暮らした俺にとっては、越中富山に移住した後も、依然として京都・大阪が我が住む町という感覚があった。だから、帰省するという感覚はなく、長期出張から帰ったような気分であった。

それが、移住して12年、完全に俺の巣は富山になったような気がする。実家に泊まっていても、完全なる「他所の布団」という感じがした。枕が変わると眠れない俺でも、実家ではよく眠れたのだが、今回は他の原因があったとはいえ、安眠できるものではなかった。

それに、京都・大阪滞在中のおかんとの会話や、種々の店での店員の声を聞いていても、確実に関西弁を俺とは異質のイントネーションで聞くようになっていた。大きな驚きである。関西弁のイントネーションというものに対する異質感を味わったのが初めてである。俺の言葉は確実に今の郷に従いつつあるのかもしれない。

冷静に考えると当たり前なのだ。俺が関西で過ごした時間の二分の一を、もうすでに富山で費やしているのだ。我が巣に対する感覚が富山よりになるのは仕方がない。少なく見積もって100歳までしか生きられなかったとしてもだ、俺は関西で過ごした時間の3倍を富山で過ごすことになるのだ。完全なる富山人である。

郷愁という感覚が、生まれ育った土地に対する慕情であるならば、帰郷は仮初の穏かな時間であろう。そこに滞在している時間に味わう胸がときめく感覚、確実に覚えている町の匂い、距離感とスケール間の感覚がずれたなかで味わう町の風景、これらは、単なる観光地訪問とは違う、本能を呼び覚ます何かを与えてくれる。

しかし、帰郷の時間はせつない。自分の定巣が別の土地にあるならば、長い年月を経てみれば、例え自分が生まれ育った町であっても、そこでの自分は完全なる異邦人である。異邦人として時間軸を超えて触れ合ってみたものの、その空間は日常の時間とは異なった、どこか異質のものに感じる。

実家のマンション(今では団地というべき昔タイプのマンションだ)の近くで、朝方に散歩した数分間、そこで昔の同級生の姿を見かけた。後ろ姿だった。彼は子供を連れて、彼なりの日常のひとコマを過ごしていたんだと思う。ただ、それを見たときに、実家の空気に溶け込んだ彼とお子様の醸し出す雰囲気が、俺のそれとは違うような気がした。日常のひとコマとして空間に溶け込んでいる彼と、空中浮遊したような、病み上がりの時の歩行感を味わっている俺・・・。

何か悲しくて、それでいて温かい感情が俺を支配した。喜怒哀楽の区分が出来ない涙が溢れそうな気がした。俺は、実家の土地に対して、完全なる異邦人であったような気がしたのだ。

俺が生まれ育った土地が俺を拒否しているわけではない。ただ、そこでの空間は、俺の中での非日常の空間であり、何気ない映像の1つ1つに溶け込めず、傍観者たる自分がいるような気がした。映画のワンシーンを見ているかのような感覚に近かった。

なんだろう?上手く書けないのだが、郷愁という感覚が、俺の中で少し変わってきていることに、一瞬の戸惑いを感じただけかもしれない。他の人の郷里に対する感覚はわからないが、路傍の人として、そこに佇む自分に、一抹の寂しさを感じていたのかもしれない。これが、郷愁の本来の姿なのかもしれない。

1年ぶりという、今まで経験したことのない期間が俺に一時の感情を抱かせたのかもしれないが、郷里に対する哀愁と愛執を感じた俺は、確実に今の土地に根ざしているのかもしれない。それならばそれでよい。故郷は離れてみて味わえるものなのかもしれない。まだ、味わいきってはいないのだが、俺は少しだけ成長したような気がした。そしてそれと共に、成長したことへの哀愁も感じた。

俺が晩年に抱く、郷愁への感覚が、ポップなのか、ソウルなのか、ブルースなのか、フォークロアなのか、はたまたサイケなのか、どの感覚を味わうかは、今後の俺の大地の踏みしめ方にかかっているような気がした。

俺は、ニールヤングの「ハーヴェストムーン」のようなハートウォーミングなロール感を味わいたいと思っている。

2008年2月10日日曜日

帰宅

ただ今18時間の京都・大阪滞在を経て帰ってきた。慌しい行程で、天候も悪かったが、まったく疲れていない。

昨日の18時前に富山を出たものの、関西地区での久々の積雪で、実家のすぐ近くに出る高速道路が閉鎖、名神も渋滞、おまけにカーステのCDデッキ内でCDが凍ったのか、中に入っていたEELのCDが取り出せない。FMを電波キャッチしながらの往路。デヴィッド・ボウイの「スターマン」がかかったのに感動した。夜の車窓の景色ではあるが、風景は確実に変わっている。

富山に移住してからというもの、1年ぶりの帰省というのは初めてだ。今の時代、1年の間にたくさん道が出来るものだ。店の変遷もすさまじい。

おかんは、親戚の家の階段から落ちて、腰を強打したようで、通院しているそうだ。確実に寸法が3寸ほど小さくなっている気がした。猫のニールの毛と獣臭でアレルギー炸裂。酒を煽り寝ようとするが寝れない。

朝方寝たのだろうか?それでも7時には目がぱっちり覚める。早めに京都の空気を吸いたくて家を出る。ちょうど明君と志知君が京都駅に到着する時間となったので拾う。

そして、チープ3年ぶりのリハ! 4時間中3時間を新曲5曲の作成に励み、1時間を昔の曲の練習にしたのだが、結成以来最長のブランクは、さすがに試練だった。ふれでい、志知君、俺の3人は、合わせる尺度を模索する。やはり明君だ。チープはなんだかんだいって明君が鍵を握るバンドだということを痛感した。2年間ベースを弾いていなかったらしい。

まずは、明君の愛器のベースを見た瞬間にびっくりした。弦ってこんなに変色するのや?と思うほど、邪悪な色に染め上げられた錆びた弦を前にして、「けんじ、この弦のほうがいい音するから変えないでおくわ。」とのたもう明君。

音を出すとベースの低音のコード感がまったくでない。それに、基本的なリズムを確実に忘れている。明く~ん!少し困った顔をするメンバー3人の視線を受けながら、もじもじする明君。しかし、楽しそうだ。キュートだ。

結論から言うと、まだまだリハビリが必要だ。メンバー全体でのリハビリが必要なのだが、その前に明君のリハビリがなされていないので、なかなか体が反応しない。

ただ、悲観はしていない。最後の30分ぐらいのところで、間違いなく野生の明君たる音の輪郭を俺は確かに聞いたのだ。「これこれ!」という、既成観念にはない突進のリズムを俺は聞いたのだ。明君の復活は近いと確信している。トレブリーで、マイウェイなのだが、それが明君だ。3人が合わせればよいのだ。いや、厳密に言うと、明君に俺が魂で応え、それにふれでいと志知君が合わせるのが、うちらのやり方だったような気がする。

定期的な練習が困難な状況なので、じっくり曲を練り上げる作業はすることはできない。だからこそ、明君の本能のうねりが出た時が、俺らのリハビリ完了時期だ。頼むぜ明君!

それにしても、明君は全くめげずに楽しそうだった。ファミレスでメンバー全員におごってくれた。照れて困った顔で、「皆様ご迷惑をおかけしました。」とペコリした。キューティデビルだ。

色々な人間を見てきたが、彼ほど変わらない凄まじさを見せてくれる人間はいない。彼ほどイラつかせてくれるのにかわいい同性を見たことがない。チープの次の復活ライブは、変わらぬ明君のお披露目会と位置づけている。

久々に会う明君の凄さと、それに戸惑いながらも彼を内包する価値観を思い出すメンバー、これこそが、チープたる所以であるような気がした。俺は楽観している。

もう1回練習をする。そしてライブだ。遠距離体制になって初の2回連続練習集合だ。今さら、ライブをあせっても仕方がない。次の練習には彼のベースの弦の邪悪な色も、ノイズを出すジャックも直っているだろう。本能だけを取り戻してくれたら、それ以外は、調和する気がする。

単なる楽しさとも違う、密度の濃い滞在だった。月日の経過への回顧と懐古、そして、きらびやかではない漠然とした希望、帰路にはガリガリの月が見えた。欠けた部分に肉を補う映像が見えたような見えないような気がしたが、やはり見えた気がする。メタボな肉付きが・・・。彼の腹だ。

無事に福島着いたかな? 素敵な18時間だった。

2008年2月8日金曜日

旅立ち前夜

明日は午前中に家庭教師をし、それから塾で補習と質問対応、そして日が暮れる頃に実家に向けて車を走らせる。実家に帰るのはちょうど1年ぶりだ。

チープの練習を日曜日に4時間する。フルメンバーでは約3年ぶりだと思う。2年まえのライブには明君がいなくて、その前は志知君がいなくて、3年前のGWの拾得ライブ前夜のリハがフルメンバーが集った最後のような気がする。

昔の曲は確実に忘れている。詞は覚えているのだが、コード展開や仕掛けなど、かなりあやふやだ。ただ、何とかなるような気がしている。旧曲を3曲ぐらいやれば、すぐに体が思い出しそうな気がする。
そして、ほとんどの時間を新曲作成にあてる。今度のライブは、ほとんど新曲になると思う。

3年の間隔がもたらしたものは色々あるが、再び動き出すことに興奮を覚える。明君はベースを2年弾いていないらしい。昔の曲を弾こうとするとスピードについていけないといっていた。俺達ミディアムテンポしかしていないぜ!

志知君は、ドラムは3年ぶりだが、バチを握る機会が数回あったみたいだ。バチとスティックに相関性はあるのか??? あるだろう。

ふれでいと俺だけが、現役感覚を持っているので、リズムの2人は何とか仲睦まじくやってくれるだろう。もともと、煮詰めてどうにかなるようなバンドではなく、瞬発力とベクトルの同調性が売りのバンドだ。リハはあっという間に過ぎていきそうな気がする。

久々の京都、本当はゆっくり滞在して、色んなところに顔を出したいのだが、今回は仕事柄繁忙期であり、練習後すぐに帰ることになる。残念だが、GWまでに再度ゆっくり帰郷したいと思う。

この日は、元nanakajaのななさんのライブがある。ニアミスもいいところで、行きたくて仕方がないが、開演時間に客席にいることは、その日の富山帰りの不能を意味する。無念だ。

暖冬の中、俺が旅立つ前夜の今日、この冬一番の冷え込みを記録しやがった。帰り道の路面はずべずべだ。スタッドレスタイヤでも確実に滑る。明日も天候は期待できないので、往路は時間がかかりそうだ。鼻歌でも歌いながら、ゆっくりと車を走らせたい。

京都行きの車道には、数々の思い出がある。俺が富山に来て以来、京都行きのほとんどがバンドとセットである。往路でライブに気持ちを向けながら、復路でライブの余韻に包まれた日々。酸っぱい思い出も数多く、途中で立ち寄った店も含めて、そのほとんどの映像を俺の頭は記憶している。いつも感じる独特の思いと匂いが車窓の景色と併せて俺の中に存在する。

明日は、久々の上洛、1つ1つの思いを噛みしめながら、その思いをただ顧みるだけではなく、次なるステップに繋がる感覚が宿される瞬間を感じながら、北陸路を走りたい。

明君は夜行バスで福島から来るらしい。ただ、3連休だというのに、昨日の時点で切符をとっていないようだ。復路の計画もないらしい。彼は新幹線に乗る運命にある気がする。悪天候の中、ダイヤは乱れ、おそらく練習時間に遅れてくるだろう。それもよい! 明君とバンドをすることは、予定調和を放棄することだ。毎回のライブにメンバーが来るかどうかでひやひやするバンドも珍しいだろう。時間内に来たら、頭を撫でてあげようと思う。

今は個人的にすごく自信がある。音楽を20年やってきて、初めてたどり着く境地だ。対外的な自信でなくて、自分が出す音、歌う唄に対して、すごく自分で評価できるのだ。
久々とはいうものの、積み上げた歴は無駄ではない。バンドの内包するものに体が反応して、そこに個々のこの数年間の積み重ねの魂が入るなら、音は然るべきところに着地すると思う。その瞬間に希望を見出したい。

ライブをどこで入れるかは、リハ後にメンバーで決めたいと思うが、本質的な部分では変わっていないのだろうが、くすぶった年月が無駄にはならない、むしろ経年に意味がある音が鳴ると思う。期待していてほしい。

実家でおかんと会うのも久々だ。おかんはPeが一世風靡して以来、ハングルに夢中だ。昨年帰省した時に玄関を開けると、ハングルの置手紙が置いてあった。読めないが気持ちは伝わった。おかんなりの照れか? 違う、素だ。同化している。

実家の冷蔵庫は人間の食い物の面積よりも、愛猫ニール婆さんの餌の方が場所を占めている。扉を開けるとジャコの香りが漂い、その匂いの染み付いた缶ビールを飲んで寝ることになるだろう。

おかんとゆっくり会話もしたいのだが、今やハングルの方が堪能な気がするおかんだ。会話は上手くいくのだろうか? 見た目のジャンルはおばあちゃんになっている。パジャマのゴムがいつもゆるめで垂れている。介護はしない。猫と会話を深夜に交わすおかん。猫語も堪能なのかもしれない。

実家近辺の夜の匂いが好きだ。俺が小中高と過ごした時と基本的に変わっていない。基本的にはあの頃と何も変わっていない気がするのだが・・・。ゆっくり歩きたい。夜の散歩の時間ぐらいはあるだろう。昔感じた距離感が短く感じるのは大人の余裕からだろうか? 異なる尺度と同じ尺度。スケールの精度は問わない。

旅立ち前夜に興奮を隠せない。

排尿について考える

最近、異常なほどトイレに行く。昼間はそうでもないのだが、夜帰宅後、飯を食って酒を飲むと、アホみたいに尿意をもよおす。

俺の部屋は2階にあり、便所は1階にしかない。便所のすぐ近くが親父とおふくろの寝室だ。起こすのも悪いとは思いながらも、なんせすり足が苦手だ。気を使う。

小水がINAに付着した汚れを流す銀色ボタンを押すと、静かな我が家の夜半に轟音が響き、親父の鼾が止まる。俺はこれが嫌で、流さずに、翌朝芳香を親父に嗅がす仕打ちをくわえているのだが、今のところクレームはない。おそらくスメルは大したことがなく、一緒に住める範囲なんだろうと思う。

酒量は昔よりも減ることはあっても増えてはいないので、この頻尿が気になる。おそらく、交通事故以来の体温低下が、汗としての発汗を減らしている分、俺の膀胱が負担を背負い込んでいるのだと思う。体のメカニズムは神秘的だ。

頻尿と併せて気になることがある。尿の勢いだ。真面目に考察しているので、下品な表現スルーを!

自慢じゃないが、以前の俺の尿は、リーチ即発射で、便器に向かうや否や、一直線の軌道が男子便器の中ほどを直撃し、陶器をも割らんばかりの水圧を誇っていた。跳ね返りの飛沫も凄かったのだが、便器から、30センチ程離れたところから便器の中ほどをロックオンしても、精度は高かった。だから、放水後の放射漏れは少なく、いわゆるハミションのない男だった。ハミションをする男を俺は軽蔑していた。「ふん、放水もできないようでは、火消しにもなれないぜ! 赤子からやり直してこい! それが嫌なら宦官にでもなるがいいぜ!」と思っていた。

ところがだ、事故以来しばらく経ってからだろうか、明らかに異変が起きてきている。

まず、リーチをかけてから発射までの準備時間が、非常に長くなってきた。便器に向かい、砲台を向けたものの、灯油を吸い上げるポンプのように、何かくみ上げ作業をしているかのような、不穏な動きが砲台周辺にある。くみあげ作業の間、俺は軽く逆えびみたいな形で、ため息をつきながら待つことになるのだが、この映像は、昔、植物園で見た翁を思わせる。不安だ。

やっとくみ上げてロックオンしたあともやっかいだ。精度が悪い。いや、放水が描く軌道が悪く、真下に落下しようとしやがる。チョロチョロ~~、チョロチョロ~・・・・。「こら、前を向かんかい!」と夜半の便所、心で激励するのだが、奴らはいぜん覇気がない。チョロチョロ~~~・・・。

おまけにだ、放水を終えて、俺が砲台をしまおうとする時分になってもまだ、チョロチョロ~・・・・。
パンツがウェッティーだ。赤子なら泣き叫ぶくらいの、パンパースの吸収量を超えるウェッティーだ。
体温が下半身を中心にますます下がる。

そして今日、恐るべきことに気がついてしまった。俺の嫌いなハミションを見つけてしまったのだ。ハミション大魔王の降臨だ! 呼んでないのに飛び出てきやがった・・・。

夜半の放水が多かったので、家庭内では気がつかなかったのだが、職場の便所で気がついたのだ。うちの生徒のハミション部隊が残した傷跡を、俺は毎日便所掃除をしながら、「まだまだやの~、この雑兵が!」と、1人悦に入っていたのだが、今日は、俺が掃除した後の、まだ生徒が来ない時間に再度便所に行った際にあったのだ、あれが・・・。その時点で、掃除後の本日の便所への来訪者は俺1人だった。

凹む。それも大量だ。いつはみ出したのかわからないので、記憶を辿る。「今日は食後に1回便所に入って~、その時は、その時は???? あああああああ!!!!!」

確かにその時にあったのだ、チョロチョロが。水圧の弱い銭湯のシャワーのような垂れ水が・・・。

今日から俺もハミション部隊の仲間入りだ。キッズと共にグループ結成だ!雑兵への格下げだ!

前向きに思考を向けるがどうも納得がいかない。キッズのハミションは、ロックオン装備が未完成だからであり、そのはみ出方はすごい。確実に便器外を軌道がとらえているはみ出し方だ。だから、水溜りのようなハミションをしてくれるのだが、裏を返せば、軌道さえ修正したら、彼らはハミション部隊を卒業できる。

ところが、俺のハミションはチョロチョロだ。真下に微量、落ちやがる。すすり泣きの涙に似たような微量の軌道外れの残骸だ。焼夷弾にもなりゃしない。

俺は、雫を静かにふき取った。下半身がさらに冷えたような気がする。傷ついた。

俺は今日の夕方から、俺の排水の描く軌道について思考した。そして前向きな結論に至った。
立ち直るのが早いのは、劣性の人間の凄みである。

今日から小水も大便器に座ってしよう! そうすれば、チョロチョロ軌道は願ったりだ。完全に放水をやめるまで、俺が鎮座しておれば、ウェッティーも解消される。今日から俺は逆えび禁止だ。たったそれだけのことだ。気分が明るくなった。

思えばだ、今までの俺は、ハミションを忌諱していたが、俺はピカドンを投下する時のジャブミサイルとしての小水をハミションしていたのだ。つまりだ、大便器に座って小水を前面の便器外に向けて発射するという暴挙を数多く仕掛けてきたのだ。1度だが、大便器に座り、前かがみでピカドン投下を準備していたら、焼夷弾が俺の顔めがけて飛んできたこともあったくらいだ。ならば、今の環境は良いではないか! 俺は自己完結して満足した。ハミションする場所が変わっただけさ! そう思い、本日帰宅後3回目の小水を大便器で終えた。

小水に対する異常や劣化はあるが、俺のピカドンはパワーアップしている。朝のトイレは、確実に、昔嗅いだ親父の残り香だ。良い大人になってきて、成熟に向かっているのだろう。

話しが下品になってきたのでやめる。最後は、雅な短歌で締めくくる。

「静けさや、水温響く この厠 雨の雫に重なる チョロチョロ」 (「まえけん全集第6巻 『切れ字じゃないのよ、厠の「や」』より引用) 

2008年2月6日水曜日

古本屋巡り

今日は、図書館で3時間ぐらい過ごした。最近は文庫では、京都のB氏お勧めのアシモフさんを中心に読んでいたのだが、久々に図書館でハードカバーの本を中心に読みたくなった。英米文学関連の本、国文学の本、郷土の本を中心に、流し読み、熟読をし、結局何も借りずに出た。釜が先の写真集を久々に書庫から引っ張りだしてもらって見た。無縁仏の墓映像に、再び衝撃を受けた。

ブックオフに入り、105円コーナーのみを物色する。最近、俺が探しているのは、大学の講義テキストに使われるような、学者の発行した馬鹿高い本の放出品だ。面白くもなんともないような字面が多いが、今になって読むと面白いものが多い。

大学の講義によっては、単位認定の甘い講義に限ってテキスト代が高い。どう考えても教授の印税収入に加担しているとしか思えない高額書籍を買わされるケースがあり、俺は、そんな科目は極力避けながら、通信教育のスクーリングを終えた。無性に腹がたって、「絶対読んでやるものか!」と思っていたのだが、卒業して数年経つ今、そんな書籍ばかりを片っ端から読んでやろうと思っている。

今日は古本物色が好調だ。すぐに目に飛び込んだのは、ずっと前から探していて、ヤフオクでは廉価で出ていたのだが、この目で見つける時が読む時と我慢し、念頭にあった本だ。

「知の技法」小林康夫・船曳建夫編(東京大学出版会)

東大の教養学部文系の必須科目のテキストらしい。今も使われているのかはしらないが、大学生になった人たちに、研究の視点、アプローチ、方法論を網羅した本だ。帰ってきてから半分くらい読んだが、実に面白い。天下の東大生といえども、1回生はしょせん、少し前まで暗記勉強の高校生だったのだなと納得してしまうほどの、当たり前の論説もなされているが、入学後にこういう科目を課すあたりが、さすがの東大だと思った。

続けて手にしたのは、著者名は書かないが、アニミズム関連の、定価が3000以上する、いかにもの書籍だ。アニミズムに興味があったのと、目次を見ていると「アメリカ先住民の生活と宗教」の翻訳がなされていたので、即カゴにいれた。ちらっと見たが、なかなか面白そうだ。

あと、天声人語の90年版、あまり好きではない大江健三郎さん、セルジオ・バンバーレンさん、横田創さん等、ハードカバーばっかり、併せて11冊のお買い物。しめて1155円也。

古本屋では俺は、105円コーナーしかいかない。なぜかというと、105円コーナーの中にある本だけで、十分楽しめるものがあるからだ。早急に読みたい本であるならば、新刊か図書館を利用する。古本屋では、その日の出会いを求めているので、値段は安ければ安いほうが良い。

以前は、文庫本コーナーの105円を中心に見ていたのだが、最近、紙魚に対するアレルギーが強くなってきて、読みながらかゆくなるようになった。そのため、高級紙を使っているハードカバー本が中心になってきた。

しかし、ハードカバーは寝ながら読むには不便だ。俺は片手で本を鷲づかみして固定し、空いている手でページをめくるのだが、ハードカバーだと、鷲づかみする手が疲れる。だからといって、書斎でイスに座ってなんざ、優雅な読み方は出来ない。ハードカバーの本の快適な読み方を体得するのが当面の課題だ。

ブックオフは105円コーナーにもやる気が感じられるが、ゲオの中古書籍はやる気がまるでない。乱雑に置かれている中で手にする本のほとんどは、いっちょまえの値段が付けられており、販売書籍棚を置く意味がわからない。物色するならブックオフが中心になりがちである。

ブックオフのヘビーユーザーな俺だが、本心はやはり、昔ながらの古書店を多用したいと思っている。入り口が狭く、奥行きが深い、昔ながらの古本屋に入った時の気持ちはたまらない。古書の醸し出す芳香と、未開だらけの背表紙の文字の羅列に対する興奮! そして、客を拒むかのような番頭風味の店主、そんな店主に気兼ねして、平台の廉価本だけを購入する時の緊張感。どれをとっても、古書店の映像は絵になる。好きだ。

俺の住む町にも、こういった佇まいの店はあるのだが、そこは郷土史、歴史的な色彩が強く、俺の興味順位としては離れてる。やはり、神保町に通える人々が羨ましい。

都会は、駅前にかなりの確率で古書店がある気がするが、田舎には本当に少ない。出来るのは大型チェーンばかりだ。ブックオフが悪いわけではないが、広い通路と背の低い書棚、明るい店内、どれをとっても、古書を探す時のわくわく感に劣る。贅沢な悩みかもしれないが、古書との出会いは狭い店内の明るくない電灯に限る。古本にはパラフィン紙がよく似合う。この点で見れば、田舎には真の古本文化が育ちにくいような気がする

最近は、新刊文庫棚に、古本マニュアル的な本がよく並んでいる。従来も、古本にまつわる書籍は多く出ている。これらの本を読んでいると、だいたい、古本に対して思うところは一緒なんだな~と思う。愛好家人口が多い古本の世界だが、これだけ大型チェーン店が増えてくると、古本屋という言葉から思い浮かぶ光景も、あと数十年したら変わってくるのかもしれない。古本屋で過ごす時間ほど楽しい時間はないのだが、これも変わってくるのだろう。

今日は、良書を手に入れることが出来たと思っている。しかし、手に入れ方に対する満足度は何故か低い。変な性格だ。まあいい、至福の読書タイムを過ごそう。ブログオフ!

餃子問題

少し前のブログでも書いたが、餃子問題が大きくなっている。中国各紙は、「日本で中国産の冷凍食品に農薬が混入したと指摘されたが、中国当局の検査では検出されず、問題は見つかっていない」と書きまくり、一部の専門誌は、「日本が中国をギョーザ問題を使って攻撃してきている。」とまで書いているそうだ。

謝らない国にとっては、自分に反意を唱えるものは全て攻撃とみなすみたいだ。緊張感あふれる国である。安全に問題はないと言ったって、あるやん! 中華思想は一種の宗教的なヒステリックさを内包しているような気がする。そして、また半日藁人形が増えていく。ご苦労様。

ただ、こればかりは、あれこれ言っても仕方がないので、奴らに頼らないだけの食文化を作らないといけないのかもしれない。こちらが言っている意味が分かる人達が、かくも幼稚な興亡の歴史を繰り広げるはずはないだろうと思う。頑張って自己主張してください。君達が悪いのではないあるよ。君達と交流を持たざるをえない我らが悪いあるよ。

餃子問題で俺が気になったのは、俺の実家のスーパーで発見された冷凍食品に、小さな穴が開いていたということだ。もしかして、グリコ森永事件の再来??と思った。そうであれば、中国さんが怒るのも無理はない。窃盗を数多く犯してきた犯人が、ただ1件の立件だけを「濡れ衣だ!」と主張するレベルでの同情だが、濡れ衣は濡れ衣だ。その場合は、濡れすぎた奴らに謝らないといけない。卵投げられたらかなわんからだ。

最近、グリコ森永事件の本を再読していた。この事件が世間を賑わしていた当時、俺はもちろん知っていたが、自分の身近なところで起こっているという実感はなかった。当時の俺には世間の距離感は狭く、遠い国の暴動のような認識だったと思う。

それが、大人になってから書籍をあたると、かなり自分の知っている土地が出てきていたりするもんだから、親近感を覚えたのだ。

この親近感という表現は不適切かもしれない。しかし、世間を賑わす事件に対する俺の感情は、かくも低俗なものだ。自分が知っている、行動する範囲で起こっている(いた)事件が身近な事件で、遠くはなれた事件にまで、正義感を振り回して、真剣になれるほど、俺の想像力は高尚ではない。

グリコ森永に話しを戻そう。俺は、この時効となった事件に興味があるのだ。俺は、今でも、あの有名なキツネ目の男のモンタージュに該当する人は、この人だ! と思う人がいるのだ。

俺が中1の春から半年だけ通った塾のおっさんだ。塾というものを初体験の俺であったが、このおっさんの荒み方は、子供心に怖く映った。それが原因で、俺はこの時以来、塾を拒否するようになった。今でも塾講師たる職業は、胡散臭い仕事だと思いながら、この空間で浮遊しているのが現状だ。

その塾のおっさんだが、京都大学を出ていたのだが、癖の塊みたいな人だった。生徒の親御さんの職種を全て願書に書かせ、取っている新聞まで記入させやがる。

そして、それを生徒の前で、実に低俗な話題に変えるのだ。中でもこいつは公務員が嫌いだった。俺の実の親父は公務員だったものだから、授業中に、「○○(俺の名前)の親父は公務員だけあって、お前もどっか抜けてるな~。」と嘲笑する一方で、社長のご子息に対しては、「▲▲君は、家業継ぐのか?女子連中は、求愛するならこいつにせ~や!」といった、今の時流ならすぐに干されかねないおやじだった。数年後干されたが、それなりに一世を風靡した塾だった。

この親父、ぴかぴかの白いエナメル革靴で、宿題をしてこない俺のすねを蹴ったりもしやがった。俺は、腹が立つ一方で、この、やけに威張っているおっさんの裏に、卑屈でコンプレックスの塊のような、大人の悲しさを感じた。何か、得体の知れない憤りを内包した目つきが、まさにキツネだったのだ。

M崎Mさんが、キツネ目の正体として、世間をにぎわせ、捜査対象にもなっていたみたいだが、俺自身は、このおっさんこそが、犯人だと思っている。今は、その塾のあった場所は再開発がなされており、跡形もない。また、このおっさんが、今どこで何をしているかも知らない。

何か、強烈な鬱屈した精神が全身に滲み出る何かを感じさせたこのおっさんだが、ちょうど、グリコ森永事件の時の種々の取引現場には、物理的に関われる時間を持っていた。今頃になってだが、単なる証言としてでも一報を入れるべきだったかと思っている。違っていたら名誉問題で訴えられても良い。彼が繰り返し言う言葉の数々に、国家権力やエリートへの憎しみが込められていたのを、俺は確実に感じていた。色々と犯人と思う根拠はあるのだが、時効の事件であり、これ以上述べるのは控えるが、どう考えても怪しいと思っている。文体がまさにそれだった。

グリコ森永の本を読んでいたら、捜査対象にのぼった重要参考人の中に、塾講師がいたというくだりがあった。俺は興奮した。どうやら、それは神戸の塾経営者で、どうも、俺の思っているおっさんとは違ったみたいだが、同業種ということは、たまたまではない気がする。すごい業界だ。

本当に、塾講師というのは、癖の塊みたいな人種が多い。その癖が生徒の発育に良いほうに出ればよいのだが、保護者の立場にたってみると、実に恐ろしい習い事である。

餃子問題からグリコ森永へ、そして塾業界へと思いが巡る俺も、どう考えても癖のある人間だ。客観視できない分、我が職業を鑑みて、自己批判を定期的にしている。

だからといって、俺自身は塾講師として、害があるとは思っていない。当たり前だ、害があったらやっていない。俺が大丈夫だと思う根拠は、自分に裏づけのない自信は持たないということだ。謙虚で弱気なところは自信がある。後悔だらけの日々に自己憐憫するのではなく、しっかり落とし前をつけた男の清さが、俺にはあると思うのだ。だから、生徒の気持ちに土足で踏み込むような上から目線ではなく、俺自身が生徒であるような気構えがある。この気持ちがある以上、良い講師でありうると信じている。

塾講師という皮でパッケージされてはいるが、自己吟味と衛生管理を怠らない。内包された中身に品質劣化がないか、素材が味を強調しすぎていないか、といった項目を、常に自問自答している。冷凍されて思考を止めるような存在ではなく、常に生身のものである限り、例えそこに一時的な害が生じたとしても、生徒に嘔吐を感じさせない自信がある。長期的な基礎スタミナとなる、滋養分だけを提供できる自信を持って、俺は今日も教壇に立っている。

安全な餃子のような存在でありたいと思う。美味しくてスタミナがあって、次の日に香りを出して、滋養となるような、生身の餃子を目指したい。

こんな俺のモンタージュは、朝鮮半島的輪郭と、中国的髪型を持った男だ。キツネ目ではない。目は柔和だ。餃子のような膨らみが欲しい壮年の男だ。餃子に思う。

2008年2月4日月曜日

負のエネルギー

相変わらず減らない迷惑メール、それに混じって、最近ではmixi上で、よく「マイミク追加リクエスト」がかかる。

mixiというのは、限られた承認された人たちだけのコミュニティーで、不特定多数に開示する媒体に選択権を設けたような場だと認識しているのだが、よく知らない人からのお誘いがくる。

どんな意図があって、俺にリクエストするのかはわからない。純粋に交流を広げたいと思っている方もいるのかもしれないが、やはり警戒する。

警戒するとは言ったものの、何に対する警戒かは自分でもわからないのだが、迷惑メールに感じる、負商売の香りと、負のエネルギーをどうしてもメール文面に感じずにはおれない。マイミクに現れる俺の知らない人が、どんな形で商売として換金を経ているのか、そのプロセスは知らないが、どう考えても俺と交流をもちたいという純粋な動機は、文面からは漂ってこない。

正直な疑問だが、電脳媒体で不特定、個別を問わず、打診メールすることって、そんなに商売的に魅力なのかな? とてもじゃないが、換金できる映像が浮かばないし、電脳界内でのゴミ箱行きという、かなり憐れな末路の瓦礫を作り上げているだけにしか思えない。意図は何だ?

2チャンネルという所に数回行ったことがある。あそこの空間は何だ??? 負のエネルギーで満たされている。独特の言葉の言い回しが非常に荒んでいて、ここまで愚劣になれるものだろうか?と恐ろしくなるほどの非言語世界だ。あの世界の文字の羅列は言語ではなく、言語表記の仮面を帯びた負の結晶だ。純度は高いが、核兵器や覚醒剤的な純度の高さだ。何をやっているのだろう。この空間にいる自分に怖くなり、それ以後は入らないようにしている。

匿名の発話形式が幅をきかせて、それからたくさんの気持ち悪いものが溢れてきているような気がする。そう言いながらも、このブログを俺は匿名でしている。何だろうな?この気持ち悪い感覚は?

プライバシーなるものに敏感になったから、匿名が増えて、負の商売が増えたのか、それとも、負のエネルギーを武器にして闊歩する輩が増えたからプライバシーに神経質になったのか、おそらく後者だとは思うが、プライバシーに敏感になって匿名性が、さも正しいかのような空間で、不特定多数に電波の瓦礫を運ぶ人たち、この人たちをなんとかできないものだろうか?

処罰してほしいというわけではない。なんというか、そんな輩を哀れむだけの媒体が用意されていないので、輩は自分の悲しさに気付かずにその世界で精進しているのではないかと思うのだ。

受信者が、迷惑と感じたメールには、何か1つのボタンが用意されていて、それを受信者が押すと、「ご苦労様でした。お悔やみもうしあげます。」といった種類のメールが、送信者に自己の送ったメールと共に送付され、その1つ1つのメールを開いて全てスクロールしないと、次なるメール操作が出来ないようなプログラムを作れないだろうか?もちろんメール代金も割高の往信者負担だ。

ウイルスを作る頭脳がある方々ならば、作れるような気がするのだが・・・・。

ある大学院生が、ウイルスを作って逮捕されたが、著作権法違反か何かの罪だったような気がする。確かに、コンピューターがこれだけ日常に入ってくる前の時代では、ウイルス作成者に適用する法はないだろう。法整備が遅れているというのは簡単だが、こんな電脳の瓦礫に対しても一条を付け加えないといけないような、法整備に関わる方々を、すごく気の毒に思う。

ウイルスを作り出したいと思うだけのエネルギーの源は、科学者のそれと同じようなものなのかもしれない。

有史上の劇的な過渡期に生存しているのであろうから、気持ちを前向きに、この自己主観的正負の波を楽しめる許容量が俺にあれば、何もかも解決する問題なのかもしれないが、現時点では俺には無理だ。増やしたいと思う容量でもないが・・・。

いっそのこと、匿名を放棄したらどうなんだろう? そうなりゃ炎上するとこだらけで、電脳消防士が必要になってくるのだろう? 俺もカスタマーになりそうだ。

プライバシーという言葉が独り歩きして怪人になってからは、言葉狩りをする正義の味方も増えだした。正義か負義かわからないが、負が義の衣を羽織ると、それはレベルが格段に上がる。イオナズンを連発し、ベホマーも効かないほどの破壊力だ。

エロカワ姫が失言をした。まだキッズの言葉だぜ! 大人が怒って騒いでどうすんの? 我が家はどちらかといえば、この失言に怒る立場なのかもしれないが、どうでもいいし、センセーショナルに騒ぎたてる報道の方が居心地が悪い。ジャリの発言に大人が噛み付いて、それをニュースにしてどうすんねん! これも負のエネルギーのような気がする。

まあ、俺が定義して斬っている負のエネルギーも、彼らにとっては正かもしれない。彼らにとっては俺の感じ方が負だ。こうなりゃどちらがいいのかわからない。ただ、マイナスプラスはマイナスになるのだ。
たとえ、両者の価値観の正邪が分からなくてもだ・・・。ふ~。

俺は電脳媒体の利点を味わいまくっている。だからこそ、より快適な空間を望むのだ。選ぶ権利が与えられている空間が多くある中で、選べない形で侵入者がいることに、余計に腹が立つのだ。

本日のメールチェック100件な~り! その内プラスは4、マイナス96、よってマイナスの勝ち!
本日のmixi追加リクエスト2件な~り! その内プラスは0、マイナス2、よってマイナスの勝ち!

俺の判断によるマイナスが跋扈している状態で、マイナス同士を掛け合わせてプラスにする方法はないものだろうか? 負には負を、ハンムラビの教えだ。それを考えて、俺は彼らの処理を今日もする。負メールはその間も増え~る。今は負けといてやる。

無力な日々の幸せ

2週間ほど前に、保護者から相談を受けていた。以前の塾で知り合った生徒さんで、1年以上、交流がない方だったのだが、突然、こちらの連絡先を調べられてかけてこられた。
その後、実際にお会いして相談を受けた。

デリケートな問題だが、俺は塾で関わりがある子達に、バンドの存在は言っていないし、ここでも、一応、俺のホーリーネームを使っているので、大丈夫だろうと思って記す。

俺が以前、1年間ほど交流があった生徒が、今は進学校でなのある高校の1年生なのだが、彼が今不登校になっているとのことだった。親御さんはとても素晴らしい方で、お医者様なのだが、実に謙虚で、一生懸命で、俺自身、在職中には尊敬していた方だったのだが、その方のご子息が、不登校で引き篭もっているというのだ。

誰にも心を開かず、親子の交流もよそよそしい感じになってきた時、彼が、俺の名前を御両親の前でポツリと出してくれたというのだ。そして、御両親が俺を訪ねてくださり、今の現状を包み隠さず話してくださった。ひきこもって、無気力で荒んできている近況を教えてくださった。

何とか、彼の前向きな展開へのきっかけとして、1度、彼とじかに会う時間を作ってくれないかという要望をいただいた。

頼ってきてくれるた嬉しさと同時に、彼の苦悩を思い、心が痛んだ。どんな話しをするか、高校中退を勧めるかどうかも含めて、全て俺に一任してくださるというのだが、正直、荷が重かった。

とにかく、よい聞き手になってあげよう! という思いを胸に、恐縮しきりの御両親には、「高校生の若い方と、1対1の生身の交流を持てる機会を嬉しく思います。力になれるとは思っていませんが、とにかく、久々に再会出来る機会を与えていただけてありがとうございます。」と告げ、会うことになった。

実は、昨日会っていたのだ。昨日は、気持ちが整理できず(今でもだが)、書かなかったのだが、俺は昨日、彼と4時間の交流を持った。

1年会わない間に、随分男らしくなって、高校生らしい顔つきになっていた。もともと無口な彼だが、それなりに今の苦悩を話してくれた。彼の実情と苦悩をここで書く気はない。ただ、俺に会おうという気になってくれたことが嬉しくて、それなりに気は使ったが、策にこらず、ひたすら聞いて、そして自分の偽りない本心だけは伝えた。

杓子定規に見た場合、彼の苦悩は、大人からしてみれば、実に小さな苦悩にも思える。大人からみない場合でも、自分の高校生時代と重ねてみて、随分、精神年齢が幼くも感じた。しかし、その彼なりの苦悩の深さは、とても大きく、少し処理を誤れば壊れてしまいそうな危うさを感じた。

力になってあげるということは、彼にとって、具体的にどうしてあげることなのかがわからないまま、会話を進めた。ついつい、こちらの気持ちが高ぶってしまい、早急に何とかしてあげたいという感情が高まった。優れた聞き手でありたいと思っていたのだが、気がつけば、結構、踏み込んだ話しまでしてしまっていた。

1ヵ月以上、外に出ずに、外部の人間との交流を持っていなかった彼に、いきなり長時間の人的接触は、疲れるであろうことは想像できた。だから、俺は焦らずに、とにかく彼のエネルギーのつまった容器に、再び活力が充満されることを信じて、ひたすら待つ辛さを大人が感じて、彼が再び何かを欲した時に、手助けできることがあったら、喜んで関わらせてもらいたいという気持ちだけを胸に、彼を4時間後に自宅に送った。

疲れた。今までも、不登校、いじめ、成績不振の相談は数多く受けたが、今回は特に疲れた。

この疲れ方は、自分に対する凹みからきているような気がした。一生懸命もがいている若者の、その清さを前にして何も出来ないこと、そして、どっかで結論を焦って言葉にしていた自分のせっかちさと傲慢さ・・・・。 結局、何かプラスになるものを得たのは俺だけで、彼にとっては、むしろマイナスの交流時間ではなかったか?と考え、無力さ以外の何も感じなかった。

今日は、なんとなく昨日のことが頭を支配していて、浮遊しているような1日だったのだが、夜遅く、彼のお父さんから電話を頂き、嬉しいご報告を受けた。

俺は昨日、彼が1年前の高校受験の時に解いた問題とか、数冊の本をプレゼントしたのだが、彼が今日その問題を解いて、自己採点してお父様に見せたというのだ。親子の関係が険悪になりつつあり、夕食を食べたらすぐに部屋にひきこもっていた彼が、今日は、カレーを2杯も食べ、食後もしばらく家族の場にいたというのだ。最近にはない笑顔を見せてくれたというのだ。

泣けた。感動でありがたい気持ちでいっぱいだ。そして、彼の精神的な支えとして、家庭教師を定期的にではなくても、なんとかお願いできないかという打診をいただいた。

本心だ。関わらせて頂いて嬉しいのはこちらのほうだ。精神的な負担は大きいが、この精神的な濃度は、壮年の俺にとって、何よりのビタミンだ。「俺が彼を立ち直らせてやる!」といった、俺の心底に少しはあったような、傲慢な気持ちが消えていくのがわかった。単純に、彼の心の一時的にではあれ、平穏が訪れたことに涙した。

お医者様という家に生まれたことは、それが優位に働く子もいれば、十字架を背負わされる子もいる。この先、一般社会的な目で見た彼の立ち直りは前途多難にも思える。だからどうしたというのだ。
立ち直りなんて言葉は、大人の傲慢だ。彼は今も立っている。そして、それを理解しておられる、心あるお医者さまのお父様とお母様がおられる。彼は彼なりに、両親を乗り越えようともがいているのかもしれない。色んな場面が彼には用意されているだろうから、その場面にまで彼が出てくれる時、俺は彼にとって最適な道が開かれるような気がする。

無力ではあるが、こんな素敵な場面に関わらせていただける自分の環境に感謝して、彼の青春のひとコマに参加させていただきたいと思う。

幸せな日々を! そして、色々学ばせてくれてありがとう、○君!

2008年2月2日土曜日

萌え燃ゆ!

俺の高校時代、大学受験英単語の定番教材といえば、「しけ単」と略されるブツだった。ほとんどの生徒が持っていた気がする。俺もこの単語集を使って、真剣に語彙を増やそうと思った時期もあったのだが、開いて数ページ目に、「代数学algebra」と「幾何学geometry」といった単語が載っていて、「どこでこんな単語使うねん!」と、使用を放棄した記憶がある。

それ以来は、ひたすら長文や例文を読むことで語彙を増やしていった気がする。今よりもかなり多くの語彙がインプットされていた気がする。受験終了後にアウトプットされるのも早かったが・・・。

やはり、単語は文章で覚えるものだ! と思っていたのだが、最近の英単語集の流行りは、「システム英単」や、「速読英単」といわれるもので、これらは例文が多く載せられていて、使用場面の適切な用例に紙面が多く割かれている。学習教材は、それなりに進化していることを感じている。

進化はしたものの、例文の文例はあまりに硬質だ。「主に親切な定員がいるからという理由で、地元の人はこの店をひいきにしている。」といったタイプの例文が強引に組み込まれているのだが、人生で何回使う表現か疑問だ。文節関係が硬い・・・。燃えろ!

そんなことを思っていたのだが、3年ほど前からだろうか? 一部書店には(今では多くの書店)、「Moetan」なるものが並びだした。「萌単」である。気にはなるものの、わざわざ定価で買う気はなかったので、ほうっておいたのだが、今日、古本屋で105円棚にあったのを見つけて購入してしまった。

ピノコを萌えアニメタッチにしたような女の子の、高校生活を巡る英文が書かれていて、その中で使われている受験頻出単語を章ごとにまとめている体裁の本だ。文章を読んだ後で、その単語を解説するという構成は、個人的に良くできていると思う。英文自体も難しくなく、内容も悪くない。

俺が、この本にさらに魅かれたのは、例文の秀逸さだ。無断で数例を引用する。

1. Sometimes people say,"You look like a primary schooler", And this is the best compliment for him.

2. In the film version of the serial, the bully suddenly turns into a close friend.

3. In maid parlors, customers can't give orders, though they are the masters of the waitresses.

4. The phantom won an election and became the governor of Tokyo.

和訳も載せる。
① 「見た目が小学生」とは彼にとっての最大限の賛辞である。
② そのいじめっ子は、映画版では突然、心の友に変わる。
③ メイド喫茶では、自分はご主人様だが、命令はできない。
④ 怪人が選挙に勝ち、都知事になってしまった。

これらは、たった2ページ内での引用だ。schooler といった強引で口語的な表記もあるが、受験頻出の熟語も散りばめてある。よく出来ていると思う。萌える風刺だ。

他にも、「Bボタンを連打し、怪物の進化をキャンセルした。」とか、「その宇宙人は死にそうになるたびに戦闘力が上がる。」といったゲーマー的萌え方から、「カツ丼欲しさに自白してしまった。」といった刑事萌え、「悪役のほとんどは主人公より優位に立つと油断する。」といった、マーフィー的萌えまで、様々な萌え例文が散りばめられている。面白い。

「萌え」という言葉だが、世の中にデビューしだした時から、俺はすごいセンスの言葉だと思った。好き嫌いでいうと、嫌いであり、普段、使う使わないでいうと、使わないのだが、誰もが感じていて表現出来なかった匂いと現象と思想と色彩を、これほど見事に感じを当て込んだ言葉は、現代語では少ないような気がする。ネーミングセンスには脱帽である。

この、俺が好きな「Moetan」であるが、好きだからといって、高校生にはあまり使ってほしくない気持ちがある。18禁にすべきだとも思う。

「萌え」なる言葉を、語感を含めて味わう基礎言語を習得してからの方が、数倍味わえると思うからである。数日前のブログでも、言語教育についてふれたが、硬質な言葉の習得があった上で、柔らかな言葉が加味されるのはいいのだが、ハードが形成されないうちに、ソフトを乗っけると、言語的システム障害を起こしてしまう気がするのだ。

それにだ、上記のような文例の面白さは、大人になってから味わうとブラック加減がわかるが、ホワイティーなキッズが、何も高校生時分から、この感覚を身につける必要はないような気がするのだ。下手に触れると、「萌える」前に「燃える」運命になる気がする。「アレゲ」な人物の養成促進はいらない。大人の傲慢かもしれないが、少なくとも、俺が高校時代に「Moetan」がなかったことは、幸いに思う。

そうだ、「萌える」なんて言葉は、1度具現化されて体内に取り込まれたなら、何も繰り返し取り出す必要はない言葉の気がする。言葉で言い表せた爽快感を1度味わい、その後は燃やしてしまうのが、この言葉の正しい生き様の気がする。

だから、この秀逸な単語集を含む読み物が、タイトルを変え、成人指定書籍として再刊されることを願っている。

「萌える」という言葉と俺の関わりあいは今日で終わりだ。明日からは、この書籍の中にある風刺だけを楽しみ、言葉と文章の面白さを楽しみたい。1度萌えて燃やす。時間がたったら、新しい言葉がまた、萌芽する。そのとき、その語感を味わおう。

中華思想

中国餃子の食品問題が、今日の新聞にはぎっしり載っていた。1面、3面、社会欄、経済欄、社説と、かなりの分量がこの話題で割かれていた。思っている以上に、食事情を中国に依存しているみたいで、まったく困った話だ。

中国という国の最近の経済成長を脅威と捉え、先進国企業は中国でのシェア獲得に必死みたいだが、俺自身は、このまま、中国が発展するようには思えない。確かに人口は多く、商圏としては魅力的に映る部分もあるが、どう考えても、更なる発展を長年にわたって続けていけるほどの器がこの国にあるようには思えない。人種批判ではない。中国の国民の中に刷り込まれている中華思想自体が、恒久的な発展を拒絶する何かを持っている気がするのだ。

中国史を真面目に勉強したわけではないが、一時期、興味があって、関連書籍をそれなりに読んだ。また、歴史自体があまり好きではない俺だが、中国史だけは、一通り概観した。
この国に対する率直な感想は、「よくもまあ、これだけ同じことをくり返す国だなあ。学習能力がないのかなあ。」というものだ。

中国の歴史を王朝順に、興亡の過程を見てみると、全て同種に思える。傲慢になっては、しばかれ、しばいた救世主が、すぐにまた傲慢になり、また別の誰かにしばかれる・・・・。

正確にいうと、漢民族だけではなく、この広大な大陸に住む北方の民族も含めて、自らが中心であると勘違いできるだけの、中華思想が、この土壌に生きる人々に潜在的に組み込まれているような気がしてならない。それが興亡の歴史をくり返す源になっている。

「我こそは正義だ。我の趣旨にそぐわぬ者は排斥してしまえ!」という思想のもとに、人の命の扱いが、軽い国だ。趣旨にそぐわなければ、すぐに消すのだ。それが食に対するいい加減さ、人に絶対に謝らない尊大さにつながっていると思う。

もちろん、どの国も、我が国こそが正義と勘違いして、一時期、いちびることは歴史的にある。しかし、それが4000年の歴史中、常にくり返されてきた国は、ないような気がする。誤りをくり返す間のスピードだけの問題かもしれなくて、人間全体が持っている性質かもしれないが、かくも、短期間で同じことをくり返す国はない気がする。

実に単純な構図だ。「我こそは正しい」と思っている者同士、民族同士が、義の旗印に、ひたすら殺戮を繰り返し、たまたま人数と時勢が勝っていたほうが、一旦は全土の大半を征服する。しかし、彼らは征服した瞬間から、義をなくす。いや、義を、本能的堕落の享楽と勘違いする。そして、膨張していちびりが極度に達した時に、次は別の義を標榜する民族や一派が力をつけて、ぼこぼこにする。
この過程で、中国史は近世まで続いてきた。

清(この王朝は、個人的には中国の中で1番好きなのだが)以降の中国は、そのいちびりを、対外的な国家にも向けた。中華思想は、この征服王朝によって成熟を向かえ、文字通りの表面化をしてきたと思う。

力をつけて、世界からも一目おかれるようになった時、世界との協調関係を持てる素地が、彼らにあれば良いのだが、すぐに、血走ってしまう。その結果、周囲からボコボコにしばかれ、莫大な経済損失をくらい、しばしの低迷期に入る。しかし、低迷期にも、中華思想はずっと健在なものだから、彼らは決して反省しない。圧倒的な物理的に有利な背景を武器に、彼らはしばらくすると、驚異的な回復をとげ、また、世界の中での存在感を持ってくる。しかし、彼らが膨張しだすことは、対外的に散々、迷惑をかけた上で、壮絶なリンチに彼ら自身が合う時間が近づいてきたことを示しているような気がする。

昔、飲食店のバイトをしていた時、厨房で働いていた中国人留学生の王君と仲良くなった。彼は実によい奴だった。純朴だった。彼のでっかいカゴがついた、カクカクした自転車(豆腐屋さんの自転車みたいなやつだ。)に二人乗りして、よく鴨川に行き会話をした。彼の友人の劉君とも仲良くなり、俺の中での中国人に対するイメージは良かった。

しかし、どうしても彼らの考え方についていけないと思う出来事が、すぐにやってきた。

ある日、俺がオーダーを通し、彼らが作った料理をお客さんに提供するため、俺が料理の皿に手をかけようとした時だ。王君が反転して、完成した料理の皿をひじで突いてしまい、それが厨房にぶちまけられた。パリーンという響きが厨房に響き渡り、俺は、すぐにその残骸と破片を掃除にかかったのだが、別にこの時点では、どちらが悪いとかいった発想もなかった。

しかし、俺が掃除している間、王君は、何もなかったかのように、タバコをくわえだし、掃除する俺を関係ないような眼差しで見だした。俺の頭ではゴングがなった。

仕事が終わり、王君に、「皿が割れて、料理が台無しになったんやから、もう少し、それに対して真剣になってもいいんとちゃうん?」と、少し語気を強めて言った。

すると彼は、「あれは、ぽくが動く範囲にあった皿が悪いね。」と言ったのだ。俺はびっくりして、「そこに皿置いたんはお前や!ボケ!」と言った。すると、彼は続けた。「ぽくは置いたんだから、あなた、すぐにそれをどかす必要あったよ。」と、逆切れしだした。

俺は、怒りを失ったと同時に、強烈な国民性を感じた。たまたま、性格の悪い奴に当たっただけだと思うことにした。俺達の友情は、その日を境に終わった。もともと友情なんてなくて、興味本位の交流があっただけだったのかもしれないが・・・。王君のパカパカ!

しかし、これは王君だけの資質ではなかった。平気で外国の商品を模倣し、それに対して申し訳なく思うどころか、彼らこそが本道だと思っているようにしか思えないコピー商品の数々。なんでも、あるミュージシャンのコピー品が出回りすぎて、そのミュージシャンの正規版が、彼らの国では海賊版と認知されたという、嘘みたいな実話もある。すごい国だ。儒教とはこんな思想だったのかな? >孔子さん?

彼ら1人1人が悪いのではない。ただ、あの広大な国には、強烈な思想が世代を超えて受け継がれているのは、間違いないような気がする。彼らは彼らで、実に正直に生きているだけなのだろうが、その価値観や根本思想が、あまりに他とは違う。4000年の歴史が培った傲慢さを前にしては、北のジョン君の思想もかわいく思えるほどだ。

あんな馬鹿でかい面積を、1つの国家とすること自体に無理があるような気がする。省ごとにそれぞれ独立させたらいいのだと思う。あれだけの面積を統一しようと思ったら、そこには、確かに中華思想なるものが必要にはなってくる気がするが、分けてしまえば、そこは同じアジア人、もとい、同じ人間、ここまで大きな国民性の違いは出ないような気がするのだ。

王君も、プライベートで付き合う分には良かったのだが、仕事や協調関係が入るとき、俺の考えとは同考えても合わなかった。彼らの純朴さと頑固さは、日本人の言葉の定義を超える歴史的刷り込みを持っている。もったいない気がするが・・・。

中国の経済発展は、恐れるどころか、自爆を見守るだけでいいと思う。相手にしないのが1番だと思うのだがどうだろう??? 

国の根底にある思想に対する批判だ。人種、民族批判ではない。4大文明発祥の時とは、世界は大きく変わっているのだが、未だに彼らが持っている中華思想、これこそが4000年の歴史だ。誇るべき歴史ではない気がする。

2008年2月1日金曜日

中東の笛

ハンドボールという競技は、決してメジャーなスポーツではない。しかし、ここ最近の「中東の笛」事件での再戦が決定され、テレビなどでの露出頻度が増えた。結果は残念なものだったが、ハンドボールを注目させたという点では、画期的な出来事だろう。

映像を見れば見るほど、ハンドボール選手の身体能力の高さには驚くばかりだ。浮遊しながら腕を猛スピードでふりおろすなんてことは、野生の香りを感じる。獲物とステゴロした時のジャンピング急所突きだ。熊と戦った空手バカ一代も真っ青の芸当だ。素晴らしい。

でも、ハンドボールがこれからメジャーなスポーツになるのか?個人的には否だ。なりそうでなれない気がする。冬期五輪の時のカーリングみたいに、脚光を浴びても、身近でその競技に参加できる環境がない限り、難しいだろう。

俺が不思議なのは、カーリングや、スキージャンプといったスポーツは、気候による地域性が限定されてくるのはわかるのだが、ハンドボールが、なぜ、かくも人気がでないのか?ということだ。

スポーツ競技が身近で人気が出る素地があるかどうかは、学校生活での部活にそのスポーツがあるかどうかが大きいと思う。部活として存在する絶対数が多ければ、それだけ、競技人口が増えるのは当たり前だ。富山県にはハンドボール部を備えた中学校が多いのだが、大阪では、俺の中学生時代には聞いたことがなかった気がする。知らなかっただけなのかもしれないが、少なくとも身近にはいなかった。体育の授業でも取り上げられなかった。

考えてみれば、ウィンタースポーツや射撃、乗馬系のスポーツと異なり、ハンドボールは、行うだけの体育館もあるのに、なぜ人気が出ないのかわからない。少なくともフットサルよりは、身近なスポーツになる素地はあるはずなんだが・・・。

人気のあるなしが、そのスポーツ人口の絶対数を決めるのは仕方がないことだが、かたや、あるスポーツ競技で名をなし、巨万の富を得るものがいる一方で、かたや、あるスポーツで、収入を削ってでもその世界に邁進している人がいる。どちらも素晴らしいのであるが、この差は何だ?

どのスポーツも、極めるにいたる過程では、それなりの自己鍛錬が必要とされるのは同じだ。そこに軽重の違いはないはずなのだが、あるスポーツを極める以上、そこにギャラリーがいて、収入が増えることが、更なるモチベーションになることは一緒だろうと思う。

松阪やイチローが、最初に出会ったスポーツがもし、野球でなかったら??? また、野茂がメジャーに行く前の時代に生まれて野球をしていたら??? これらは、その星に生まれたこと自体が、その人の能力であることを証明している。産み落とされる時代と、出会う競技が異なれば、どうなっていたかではなく、生まれるべくして、また、出会うべくしてその時代に、そのスポーツに巡りあったのが、彼らスーパースターなのであろう。

俺自身、スーパースターの存在を羨ましく感じるような、勘違いも甚だしい時期もあったのだが、今は、彼らの輝く星の明かりを、単純に目視することが幸せに感じる。よく、「同じ人間だ!彼らに出来ておまえに出来ないことはない!」といった、根性論を吐露する教育家がいるが、俺は、それは、ちょっとずれているような気がする。

やはり、生まれる星が違うのだよ。だが、どの星に生まれようとも、そこに種々の楽しみと苦悩があって、それぞれの立場でしか味わえない何かは、公平に用意されているような気がするのだ。だから、今は、スーパースターを眺めて一喜一憂できる自分の単純さと環境を嬉しく思っている。彼らは凄いが、それを客視して楽しむことができる俺の星も輝いていると思うのだ。

メジャーなスポーツからマニアックなスポーツまで、そこに全霊を傾け、その世界に邁進している人を素晴らしいと思う。1つの道を選ぶ過程で失う何かをも、全てひっさげた探求者としての清さを感じる。それが、スポーツを見て感動する心理の根源だと思う。

1つの世界を極めるも人生、色んなことに手を出して、極めた人に憧れを抱くも人生、一流スポーツ選手と総理大臣とノーベル級の科学者と浮浪者を一生で経験できる人はいない。それぞれの立場で感じる何かに幸せと苦しみを感じることが出来るようになれば、とハンドボールを見て思った。

「中東の笛」に似たものは、身近に毎日あるだろう。それに何を見出して、それがどのような結末を迎えるかも含めてが、その人の人生だ。あらゆる環境で吹かれる笛に一喜一憂するのではなく、ひたすら日々をローリングする球のような存在になりたい。漢(ハン)de 球(ボール)だ。

お後がよろしくない。周到な笛だ。俺もまだまだだ! 球体は小さい。ハンドボールよ大きくなれ!