昨夜から今朝にかけて、この冬一番の積雪だった。といってもしょぼくて、俺の短尺足で採寸して膝ぐらいまでだが、それでも嬉しい。
俺が住むのは昔ながらの地方都市の、古くから住む人たちの家が密集している所だ。隣近所の付き合いが濃厚で、家庭の事情が筒抜けの、村八分が生まれそうな集落とまではいかないが、やはり町内会が機能している所だ。
そうなると、雪が降った翌朝は、朝早くから、地面をガリガリとこするような音がこだまする。雪かきだ。
玄関から出られない、車を出せないといった切実な事情からの雪かきではなく、近所の目を意識しての雪かきだ。朝の8時になってもまだ自宅の敷地が雪であふれているようでは、田舎のザマスおばさんがでしゃばりだす。
「~さんとこの家は、雪が降ってもおかまいなしざます。何を考えているんざますかね? だから、あそこの人は酒飲みで、きっと家の中も汚いんざますよ。」といった具合の誹謗中傷が陰湿になされる風土が、いまだに存在している。
商売用の店舗の入り口が雪に覆われているならば、雪かきが急務なのはわかる。家の玄関先の猫の額ほどのスペースを、むきになって雪かきしている田舎の人たちの必死感が、俺には少し滑稽に思える。せっかく降ってくれた雪なんだから、もう少し、みんなで眺めて鑑賞するような風流さが欲しいと思う。
この雪かきという作業だが、思っている以上に腕力を要する。俺も今日は職場前を1時間ほどかけてしたが、筋トレ並みの労力だ。俺は雪が好きだから苦にならないが、嫌いな人からしたら、雪なんてものは、悪魔のような白い粉にしか思えないだろう。
重量動であるにも関わらず、男尊女卑がいまだに残っているこの土地では、雪かきを朝早くからしだすのは、女性の方が多い。婦人会の朝の集まりのような活気が北陸の早朝にはある。
嫁・姑の同居がなされている家が多いせいか、この雪かきは、日々のバトルを生業としている嫁にとっては、気張りどころだ。いつも、ちくちく言われている義母に対して、付け入る隙を与えないためには、確実に、早い時間帯にこなさなければならない。気の毒である。
「お義母~~~! 見とれよ~~~! これが、あたいの ゆ~き~か~き~じゃ~~~~!!」といった怨念をスコップとママさんダンプを持つ手に込めながら、すごい形相で嫁らしき人が精を出す。
そして、その出来具合を眺めるピン子臭ただよう姑・・・。橋田ドラマは雪国にある。
こんな土地柄では、男は大事にされる。我が家では内心、義父母が俺に切れ気味ではあるが、表向きは、俺が殿様状態で君臨出来ている。早朝に通りを轟音で走る除雪車の音を聞きながら、そして6時前からの女子衆の手動除雪の音を聞きながら、俺はそれを温かい布団の中で聞く。至福だ。世は満足じゃ!鼻毛を抜き、屁をこき、ノイズに戯れる。
俺が起きる頃には、玄関前はきれいに雪がよかされていて、俺はそこを優雅に出勤する。近所の嫁さま連中は、ぎっくり寸前の状態で、まだまだ路面を掃除している。俺はタバコの煙を吹きながら、「降りましたね~。」と月並みの会話を交わす。近所の姑は穏かに、嫁は恨めしげに俺に挨拶する。
良くも悪くも昔の風習だ。くだらない見栄の張り合いだが、この見栄が日本人としての雅さを形作っている部分もあるかもしれないので、全部は否定できないが、女性連中が不憫に思える。
とは言ったものの、俺の嫁は実の母との同居であるので、ぐっすり寝息をたてている。重労働は親父とおふくろにまかせ、姑気取りで、よかした路面を眺める。これもニューウェイブな雅だと思う。恵まれた世代の俺達だ。
こんな雪国の田舎町であるが、新興分譲住宅地では、俺と同じような世代の人間が多いせいか、10時頃になっても、玄関前は雪まみれだ。長靴で歩いた痕だけが、ちょぼちょぼ雪面を凹ませているが、新雪のふんわりした朝が、新興住宅地にはある。雪の跡形を残してくれている点では、こちらの光景の方が好きなのだが、少し違和感も感じる。雪かきをしている古くからの住宅密集地と比べて、新興住宅地のガキどもは早起きしない。
新興住宅地では、子供も犬も雪にはしゃがない。猫がこたつから出ていても、犬がヒーター前で寝、子供が布団でぐずるのが、昨今の風景だ。「雪やこんこん」の唄の世界の日本人と何が変わったのだろう。
きれいな雪をよかして自然に向き合う昔ながらの町と、雪にしかとを決め込む若年層の集う町、雪国の雪への関わり方は百景だ。
それにしても、雪に覆われた世界は明るい。まばゆくて失禁しそうなほどだ。
明るい夜の雪面に俺は慇懃に小水を放つ。白銀の世界に描かれるアンモニ~の美といったら・・・。
百景に顔出す俺。野良犬に笑われた。失敬。 冬はこれからだ。
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