2008年2月21日木曜日

新曲の披露の仕方

昨日聴いた(今日も聴いている)「くるり」のライブ盤。一般的に俺はライブ盤自体はあまり好きではないのだが、「くるり」は良い。

ライブに好きなバンドを見に行ったり、ライブ盤を聴くと、昔の曲や、人気のある曲のイントロが流れた瞬間にファンが反応する、あの「フオ~!」やら、「ヒイェイ!」みたいな雄たけびは清いと思う。俺自身、好きなバンドのライブで、自分の好きな曲のイントロが始まると、それだけで耳が臨戦態勢に入る。
やはり、好きなバンドの好きな曲というのは、いくら時間がたっても、聴きたいのがファン心理だ。

そして、それらの曲のほとんどは、そのバンドの初期の曲だったりする。なんでだろうな~? 名曲というのが初期に生まれる運命にあるのか、それとも、ファンを多く獲得した時期が初期に多いのか、それともライブでその曲を演奏している回数の問題なのか、どちらにしても、やはりライブ会場に金を払って来るお客さんにとっては、何かしら目当ての曲があるものだ。

これは、我らアマチュアバンドでも同じであろう。数少ないとはいえ、2回目以降にそのバンドに遭遇する時は、前回のライブで感動した曲を聴きたくなるのが自然だ。

俺が好きなアマチュアバンドがいくつかあるが、それらのバンドと対バンという機会で見るとき、やはり、やってほしい曲はある。そして、その曲のイントロが流れた瞬間には、俺も擬音語表記できないような奇声を発し、舞踊を始める。ライブとはそういうものなのかもしれない。

そこでわが身に置き換えて考えてみる。マンスリーでライブを出来ているならば、悩みは少ないのかもしれないが、久方ぶりのライブに臨む時、当然、そこには新曲が存在する。ライブという限られた時間の中で、曲を選ぶときに、物理的に外す曲が出てくる。実にこれが悩みの種だ。

アマチュアの分際とはいえ、お金を払ってきてくださるリピーターの方がいる限り、やはり、多少なりとも前回見てもらったときに耳に残ったであろう曲もするべきであるし、それだからといって、毎回のセットメニューが同じで、アレンジだけを変えて、演奏力の音圧で勝負できるほどの練習頻度もない。どうすりゃいいのだ?

俺は、いつも自分の中でその時に新鮮な曲を選ぶようにしてきた。やはり、歌詞が自分の中で消化されて過去のものになった曲は、集中して歌うことができない。そのため、ついつい、新曲ばかりの披露に夢中になる。新曲といっても、音源流通のない俺達にしてみれば、初めて見る対バンのお客さんにとってみれば、どれも新曲なのだが、自分の中での1番新しい曲を披露したいという欲望が俺を支配して、どうしても新曲中心の曲選考になる。

曲を作る。いや、作るというより出来る。そうすれば披露したくなる。この繰り返しで俺は音楽に向き合ってきたので、ライブの構成を考えると、非常に最近悩みだす。1つの曲が増えれば1つの曲がライブからは減る。1つ1つの曲に思い入れがそれぞれあるので、1度レギュラーを外れた曲もめぐりめぐって復帰の機会を伺っている。

そうだ、ライブの絶対数、録音する数が少ないのだ。だからこれさえクリアできれば、もう少しジレンマは減るのだ。とは言ったものの、現状ではどうすべくもない。

新曲よりも、昔からの曲をしっかりと、感情を込めて演奏できるものがあればいいのだが、俺はどうしても詩がその時にリアルかどうかだけで、感情移入が変わる。音に没頭してその中で言葉を昇華するという快感を味わうだけの技量が欠けているのかもしれない。

でもついつい新曲したくなる。どうしたもんかね~。どちらも正解で不正解であろうから、答えが出ないのだ。

新曲との関わり方を、他のバンドの方々はどうしているのだろうか? 別に参考になるわけではないが、アマチュアバンドはみな同じような苦悩を抱えているのだろうか? 

ライブでの構成はどうなるかわからないが、俺は今後も曲を作っていくだろう。それしか考えていないので、出来るだろう。出来るタイミングをコントロール出来ないので苦しい作業だが、待ち続けた喜びがある。喜びがあれば聴かせたい。アマチュア音楽人は、そして今日も悩んでいく。

今日、2曲出来たのだ。完成度の高さは知らない。俺はソロで出来るほど技能がないので、バンドに持ち込んでどうなるかだが、頭の中ではいつものごとく、今の時点で1番の名曲だ。車で口ずさんで詩を携帯のテキストに書き込んだ。コードはまだとっていないが、詩は完成だ。いつ披露しよう????

音楽だけに包まれる生活も大変だろうが、曲が出来るたびに、その披露の仕方を悩むのだ。なぜなら、自分のかわいい分身だからだ。子供の披露宴ならば、どんな労力を負ってでもしたいものだ。
そして苦心の末開いた披露宴に、1人でも多くの方々を招待したい。

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