2008年2月19日火曜日

深夜のめばえ

最近は、車のCDデッキがいかれているので、通勤の車中ではラジオを聞いている。いいね~、AM。
FMももちろん入るのだが、AMの独特のこもり方が好きだ。FMのDJのクリーンな語り口よりも、AMのDJのトーンが好きだ。聞いていてほっとする。それに結構、今でも面白い番組がある。

AMラジオは、「小沢昭一的こころ」だけを定期的に聞く以外は、しばし遠のいていたのだが、深夜ラジオでも聞きたくなるくらい、通勤時のラジオタイムを満喫している。

中学生時分、俺はラジオのヘビーユーザーだった。「ヤングタウン」「オールナイトニッポン」に関しては、イヤホン(ヘッドホンちゃうで)で、毎日深夜まで聞いていた。深夜番組だけでなく、土曜日の歌番組なんかは、エアチェックしまくって聞いていた。FMはあまり聞かなかったが、FM雑誌を定期購入して、エアチェックに励んでいた。音楽的な素地は、全てラジオにある。

AMの深夜番組が俺にもたらした影響は大きい。高3までずっと、俺は深夜にラジオを聞いていた気がする。勉強中も、いわゆる「ながら勉強」であったので、今でも特定の教科単元は、特定の番組放送のワンシーンとセットで記憶されている。

色んなコーナーがあり、どれも好きだったのだが、やはり、鶴光や谷村新司氏DJの番組は、俺の春的目覚めを促進した。家人が寝静まる時間、横の部屋では兄貴が勉強している物音を聞きながら、俺はひたすら、ピンキー&キラーな番組にのめりこんでいった。今から思えば、実にかわいいピンキーなのであるが、必死であった。もちろん、倫理規定かなんかで、放送のほとんどは、期待を散々膨らませた挙句にかわすといった、じらし展開がくり返されていたのだが、それでも刺激的だった。

春の高まりを最高潮に鼓舞する放送がたまに繰り広げられることがあった。その数秒の時間の訪れを予感させる前ふりに俺は集中して、その瞬間がくる直前にボリュームを上げて、官能の瞬間を待ち焦がれていた。そして、その瞬間が到来した瞬間、俺は興奮で立ち上がり、イヤホンが外れて、深夜に大音量でラジオを垂れ流したことが数度あった。むっつり未遂の瞬間であった。

鶴光の声による、「あんあん」といったあえぎ声や、エマニエル夫人のテーマソングが深夜の我が家に響き渡った。慌ててラジカセデッキに触れる手は、運悪く、ボリュームつまみに触れ、辱めの音量を増幅させることが多かった。

テレビに関してはほとんど見ない俺であったが、深夜番組に対する興味は、ラジオを通してかきたてられた。耳の刺激の渇望と飽和が、目の刺激に至ったのだ。

家人が寝静まる23時半頃から、俺は、わざわざ、「プロ野球ニュース」や、「MTV」を見るという断りをおかんにいれながら、イヤホンを常備して、おとんとおかんの寝る隣の部屋の横のテレビ前に鎮座した。一台しかテレビがなかったので、そこで見るより仕方がなかったのだ。

「MTV」に対する興味もあったが、当時の俺はヘビーメタルとマドンナ以外の音楽を見たいという渇望がなかったので、深夜テレビの時間は、自然と、よりピンキーな映像を求めてさまよいだす。「11PM」はもちろんのこと、俺のアンテナは新聞のテレビ覧の活字を毎日ストーカーしていた。

毎週土曜日に、KBS京都の好きな番組があった。当時のUチャンネルというものだ。波長を微調整し、俺はその時間に、エマニエル夫人が座るような籐のイスに座り、イヤホンを差し込み、刺激的な映像の到来を待った。スポンサーのほとんどが、ラブホテルという、コマーシャルからして刺激的な映像だった。この番組にも鶴の光があったような気がする。鶴光は俺のグレイトファーザーだ。

更新され続ける刺激に飽くなき興味を抱き、夢中で画面を眺めた。テレビの音をキャッチする左耳と、家人の動きをキャッチする右耳、実にスリリングな時間だった。万が一、家人が起き出す気配があろうものならば、俺はチャンネルを変えなければならない。

当時の我が家のテレビは、チャンネルがボタンではなく、がちゃがちゃ式であった。もちろんリモコンなるハイカラなものはない。右に3回回せばNHKといった事前対策を重ね、俺は深夜のブラウン管に向き合った。

だいたい、頭で期待している映像というものは、肩透かしをくらうものなのだが、たまに極上の刺激が降臨してくれる時があった。そんな時に限って、おとんやおかんが、小水に起き出したり、寝床から「はよ、ねんかい!」と突っ込みを入れてくる。最上の瞬間を見ずに、俺は右に3回転、手首をひねり、彼らに、「だあっとれ! おまえら永遠の眠りにつけ!」と罵声を浴びせる。そうなると、おやじが起きてきて、俺に柔道技をかけ出す。バトルが終わった頃には、官能映像は終わりを告げ、牧歌的なアルプスの光景がテレビに映りだす。

めばえることも大変だ。こんな苦労があったが、3ヶ月に1回くらい、最高の刺激映像を、家人の寝息を確認しながら堪能出来る瞬間もあった。だが、そんな時は、俺が立ち上がってしまい、イヤホンが外れる。

エマニエルのあえぎ声も、M尾嘉代のあえぎ声も、すべて大音量で我が家に響き渡る。寝ぼけたおとんとおかんが、音にびっくりして障子を開けるときには、俺はチャンネルを右に3回転している。すると、放送終了のジャミジャミがブラウン管に写しだされている。

「何眺めとん!」と、おとん。 「ジャミっとるんじゃい! だあっとれ! お前らジャミらせたろうか!」と俺。 ストレンジな俺の返答が、深夜の我が家を道場と化す。黒帯に俺はまたやられた。

めばえ映像は命がけだ。

今のキッズの思春期のめばえはどのようになされているのだろうか? 少なくとも手首のひねりは不要だし、柔道技もいらない。それに当時の俺の同世代でも、ひねりを加えなくてもテレビを見れた家庭の方が多かったはずだ。人の数だけ、めばえがあるものだ。

深夜には、思春期の子供をめばえさせる何かがあるような気がする。そこに必要なものは、AM電波とピンキーな映像だ。そして、家人の圧力があればなおよい。俺はこうして大人になった。

間違っている。もういちど、めばえの瞬間を深夜に探そう。好きですAM!

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