2008年2月13日水曜日

全力おじさん

俺が最近ひいきにしている銭湯がある。なぜ、そこが好きになったかというと、湯の温度が今の俺の体温に心地よいこともあるが、そこでかなりの頻度で出会うおじさんに魅せられているからだ。「全力おじさん」と名づけることにする。

おじさんは、その名の通り、浴場内をすべて全力で過ごす。見ていて唖然とするほどの全力さである。プログラミングされているかのような動きで、一連の動作をこなしていく。湯浴みといった優雅な雰囲気が彼にはなく、ひたすら修行のように行動する。俺の中での生態観測したいリストの上位を占めている。彼との出会いは衝撃だった。

彼は全力でサウナに入る。
サウナ室で座禅を組んで、一点を凝視している。彼の目の先には・・・・、目を閉じていた。姿勢は揺るぎない。奇妙な生き物を俺は見た。彼の異様な佇まいに魅せられた俺だったが、彼のサウナは異常に長い。俺より先に入っていたのだが、なかなか出る気配がない。俺は途中で挫折して、彼がサウナから出てくるのを待った。待つこと15分、やっと出てきた彼の体は、茹でた蟹のような色彩であった。そのまま水風呂に浸かる。浸かること5分、彼はびくともしない。この5分という時間であるが、冷やしすぎだ。プールで鎮座しているやつなどいないだろうに、彼は動かずにそこにいる。俺はサウナと水風呂を行き来しながら、5分間を過ごした。修行か?

彼は全力で洗う。
洗い場に向かう彼。背面の洗い場を確保した俺は、彼の動向に注目する。彼はまず、タオルに石鹸を強烈にこすり始めた。床にタオルを置き、そこに墨をするかのように石鹸をこすりだす。そして、タオルの箸を両手で掴むと、背中にビシっとあてがい、猛烈な速さで背中をこすりだす。火を起こしているかのような高速回転で彼の体はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。水風呂で覚ました体に、再び温度を求めているかのような執念めいたこすり方だ。垢はとっくに落ちている。彼は皮膚を確実に削っている。背中の一部だけしか洗わない。実は不潔か?

彼は全力で歯を磨く。
次に彼は歯ブラシを取り出した。食塩みたいなものを振りかけた瞬間、静を取り戻した彼の右手が一瞬に動に変わる。猛烈な勢いで上の前歯周辺をこすりだす。歯茎を研磨するかのような磨き方だ。2分ほどひたすら反復行動を前歯周辺にだけ加える。俺は自分が洗うことも忘れ、彼の動きを見つめた。
それでも彼の歯は白くない。歯茎はどす黒い。内出血しているのだろうか? 

彼は全力で鏡を見つめる。
軽くうがいをした後、彼は目前の鏡に向かって表情を作り出した。にやっとしたり、少し斜に構えてすましてみたり、色々な表情を作った後に、急に、スイカにかぶりつくかのような大口を開け、しばらく静止、そして動き出すとうがいをし、急にまたスイカポーズに入る。この反復を4回くり返す。狂言師か?

彼は全力で電気風呂に入る。
洗い終えた彼はわき目もふらず、電気風呂目掛けて歩き出し、一気に体を浴槽内に沈める。沈めた瞬間、彼は腹を電気が出ている壁面に密着させる。しびれ方は尋常ではないと思う。その体勢で1分、そのあと立ち上がり、「ふ~ふ~」とあえぎだし、また密着させる。この動作を数回繰り返し、彼は浴槽の縁に寝そべり、呼吸困難の患者のようにもだえだす。電気ショックか?

俺は彼を1度見て以来、あまりの全力さに魅せられていたのだが、今日、再び彼を見かけることが出来た。ちょうど、彼は電気ショックの刑をしているところだったのだが、今日の彼は電気風呂浴槽を出たあとに腕立てふせをしていた。電気に慣れたか?

この彼であるが、浴槽を出た瞬間、目つきがとろ~んとしてきて、ダウナーおやじに変身する。ブラ~っとジュニアを垂れ下げて、更衣室の一般的な光景に同化していく。浴場を出ると彼に特異さはない。むしろインパクトの薄いおやじだ。

「全力おじさん」の浴場内での行動が何を意味しているかはわからない。ただ、彼の目つきは何かが取り付いたかのような形相だった。一種の性癖なのかもしれない。彼は「キリン1番絞り」と書かれたTシャツを着ていた。何かわかるような気がした。俺がゆっくり着替えてテレビを見ている間に、彼は更衣室を後にした。背中にも「キリン1番絞り」と書かれていた。 両面刷りか??

彼の全力さが好きだ。人間観察が好きだ。1番絞りが好きだ。写実とその背後にある抽象さが好きだ。
俺は湯浴みを終え、吹雪く中帰宅した。全力おじさんありがとう。

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