2008年2月12日火曜日

巨大な幻影とちぎれ雲

20歳ぐらいのころだろうか、俺は京都の工場で一時期派遣で働いたことがあった。ちょうど、大学を中退してふぬけた時期を経て、社会に向き合おうと思い出した時期だったのだが、3日ほど勤務をしている間に、はやくもめげてしまったことがあった。

仕事に行けば、それなりに時間が経ち、少しずつ社会に順応していけている自分に自信が出るのだが、1日休みを挟んだ翌日は、朝から体が拒絶反応を示しだす。目は覚めるのだが、何かもっともな欠勤理由がないかを探したり、職場近くまでチャリを走らせたものの、そのまま工場の正門を素通りしてどこかにふけてしまいたいような気分が毎日俺を襲った。

朝方に見た工場の社屋と塀の概観は、俺を飲み込むかのような恐ろしいものに思え、目の前のものが自分側に倒れてくるかのような幻覚に襲われた。逃げ出したい気持ちに負ける自分への後ろめたさが怖くて、巨大な口を開ける工場に覚悟を決めては入り、仕事が終わると自分へのご褒美として、西大路太子道の中華屋でのビールを多量に浴びる夕食を日課としたのだが、この日々は3週間で終えた。

平日の夜、仕事を終えてアパートでくつろぐ俺の元に、実家の友達が車で来訪し、彼とドライブに出た。21時くらいだったので、ほんの2時間くらいのドライブがてらの語らいのつもりだったのだが、車が琵琶湖らへんまで来た時、俺は帰る事を断念した。「連れて逃げて!」といった女子のようなニュアンスで、俺は友人に車を北に向けて走らせてもらった。

自分の意志の弱さと、だめさ加減に向き合う怖さと、目の前に開ける開放感、その両者の間を徘徊しながら、明け方俺は友人と福井県に居た。

少しずつ日々の営みを始めだす市井の風景の雑音、もうあと数十分したら、工場では朝礼が始まるはずであり、俺がいないことは点呼で確認されるだろう。無断欠勤というやつだ。中途半端に律儀な俺は、欠勤電話をするかどうかに迷ったが、迷いの中始業時間が過ぎた。活気ある町並みが俺には幻影に見えた。全てが俺を凌駕していた気がした。コンタクトを外した。

貸与された制服の返却、更衣ロッカーの中に残した小銭と食券の処置をどうするかといったショボイ問題から、退職手続き、勤務分の給料受け取りといったフォーマルな手続きの1つ1つへの落とし前を考える度に、俺の心は確実に悲鳴をあげた。そして逃げた。

思えば、これの繰り返しで俺の人生は構成されてきたような気がする。人が当たり前にこなしていることが、当たり前にできないことへの後ろめたさが、常に俺を支配してきたような気がする。

こんな中途半端な繰り返しの年輪を経て、今営んでいることだって、いつどうなるかわからない。自分の中の根本的な弱さに起因する爆発の火種は今もくすぶっている。目の前に巨大な何かが立ちはだかろうものならば、俺は目を逸らし、それから逃げることしか考えないのは、今でも何も変わらない。

ただ、少しずつではあるが、目の前にそびえたつ物体の巨大感は薄れてきているような気がする。目の前の障害が規模を縮小したのか、俺が少しずつ大きくなったのかはわからない。ただ、少しずつ氷が溶ける様に、なんでもないバリアフリーな空間が俺の目の前に開けてきているような気に、ここ数年間、感じられるようになった。

数日前のブログでふれた、不登校の高校生の男の子が、先ほど夜分に電話をかけてきてくれた。学校に復帰できるかはわからないが、今日、学校の校舎前を車内から直視したというのだ。そして、その怖かったこと、明日1日空けて、今度は保健室登校でいいから行ってみようかなという気になったこと、そして、それにまつわる不安の気持ちを、途切れ途切れに、朴訥に話してくれた。

具体的なアドバイスは何も言えない。ただただ、電話で報告してくれたことへの感謝の念が涙になった。彼にとっての巨大な幻影、そして、それに向き合おうとしている彼の気持ち、俺の3分の1の年齢の子の真摯な気持ちが、俺の中の涙腺に穴を開けた。

巨大な幻影は向き合っているときは現実以上に蹴落とされる威圧感がある。だが、クリアすれば影になって大きな支えとなる。しかし、きれいごとだけですむ相手ではない。彼がこの先幻影に対してどう対処するかの表面的なことはどうでもいいのかもしれない。ただ今日、彼がそれに対峙して、関わった精神の清さを俺は祝福したい。そして、素晴らしいエキスをいただいたことに感謝でいっぱいである。
「頑張れ」や「負けるな」といった言葉は俺の中でもっとも忌むべき言葉だ。「ありがとう」だけが何度もくり返された。感動した。

37歳にして迷っている人間があれこれ言えることではない。ただ、こんな俺ではあるが、彼のような生徒と関わりあえる巡り会わせは、俺の誇るべき幸せな星だと思う。

「ちぎれ雲」という曲を20歳の頃に作った。チープメンバーにも、ほうるもんメンバーにも披露しておらず、ソロでもやったことがない。自分の中で触れたくない曲だったのだが、今頭の中で鳴っている。

「ちぎれ雲」を形にしてもいいかなと思った。今なら幸せに歌える気がしている。

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