2010年12月4日土曜日

高貴高齢者

今日は、慶應義塾大学を通信教育過程で卒業した人たちの、北陸3県合同の忘年会に参加した。

在学中から顔見知りだった方も一部いたが、県外の方は初対面がほとんどである。もう40歳になる俺が1番若い部類に入る集まりは、なかなか楽しいものがあった。

俺が卒業したのは2003年だから、まだ最近であるが、先輩の方々の中には昭和45年卒業といった、俺の生まれる前から通信で学び、卒業された方がたくさんおられた。世代的には後期高齢者(失礼)がたくさんである。

卒業後40年を経過してもなお、母校への愛着と誇りを持って集ってこられる方の凛とした気概を目の当たりにして、何だか背筋を正された思いである。

若い世代が少なく、このOB会を支えているのは高齢者中心である。また、現役の通信生が属する会があるのだが、そちらのほうも参加人数が少なくなってきていて、地方では休会が相次いでいるらしい。

母校精神に限らず、属するコミュニティー内での人的交流の希薄さは世代的なものなのかもしれない。

俺も例外ではなく、母校精神とは無縁とまではいかないものの、卒業してからOB会に参加したのは3回目である。ほとんどの行事は参加していなかった。立山登山といった楽しい行事には参加するが、例会や総会、懇親会、講演会といった類にはまず参加していなかった。

もちろん、塾稼業時代には日程的に土曜日の昼間や夜を空けるのは困難だったこともあるが、都合がついたからといって参加していたかといえば、否である。

今回も特に参加する気はなかったのだが、富山のOB会のボスから直々に電話があり、嫌々ながら断りきれずというのが本当のところだった。

だが行ってみれば、年配の方々との交流は楽しく、改めて学ぶことが多かった。特にネット環境が整備されない時代に現役であった世代の方々の価値的情念の基軸が、なんだかとても清いものに思えた。


もう忘れてしまったのか、なくなってしまったのかわからないが、日本人としての美学と矜持が高純度で宿った方々がまだおられる間に、少しでも俺の世代がその精神を受け継いで、次代に伝えていかなければ!という使命みたいなものも感じた。

帰りしな、富山のOB会の次期会長に俺がなるように、現会長から懇願された。

気持ち的にこの繋がりを肯定出来る気分だったので、快く引き受けた。この組織では若輩ではあるが、コミュニティーの絆の根底にある、日本的な肉厚ある魂を、下の世代にも伝え、会自体を活発化させていくことに一躍買えたらと思っている。

金沢での会だったので、久々に電車に乗る。

物思いに耽りながら車窓から町並みを眺めていると、以前と豹変した新興住宅地、新興住宅地になるのであろう造成中の土地、北陸新幹線の高架がやたらと目に付いた。

青森への新幹線開通がニュースになっているが、北陸にも何年後かに新幹線が走る。

「活性化」やら「発展」やら「振興」やらと色々言って、土地と景観を変えていくことに前向きな国である。

金をかけて自然の姿を変えて出来上がった新しい土地に、これまた金をかけて公園を整備する。


帰りの車中は、読みかけの「文藝春秋12月号」を読む。

石原慎太郎さんの「日本堕落論」がやけに沁みる。

氏の過激な論調が好きなわけでもないし、極右の思想に傾倒しているわけでもないが、「日本はどうしちゃったんだろう??」としみじみ考えた。


何かを「堕落」と思う時、そこには相対する「上」の価値観があるのだが、俺自身はそれ自体がはっきりとはわからない、もしくは漠然としてはあっても正誤の判断が出来ない以上、せめて、「堕落」の刻印を世の中に押すことだけは避けたいと思っているのだが・・・。

ともあれ、久々に電車に乗って、久々に金沢の町を歩いて、久々に昼から酒を飲んで、久々にアナログ感覚満載の後期高齢者、いや、高貴高齢者とたくさん話せて、充実した日であった。

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