2011年2月6日日曜日

ライブ後記

昨夜の「ほうるもん」ライブ、ご来場の方々、ほんまありがとうございます。ノルマチケットも初の完売! 

対バンの方々とはあまり話さなかったが、色んな音楽との関わり方があるので、人それぞれの価値観には踏み込まない。聴いていて、見ていて、ガツンとはこなかったが、それなりに音楽的方向性がしっかりしたバンドであって、愉快な時間を過ごせた。

個人的には、「高温度の脱力」という最近のテーマを少し掴んだかな?という満足感があった。

自分で綴った唄世界がバンドの演奏の中で、上手い具合に溶け込む美しさとエクスタシーを、少し体感できてきたかなという気がしている。

他の人はどうかわからないが、歌詞というのは作った時と歌い続けていく過程で、全て世界が同じではない。

根幹はあるのだが、枝は当然生えてくる。生えてきた枝が創作当時とはあまりにかけ離れている場合は、伐採してライブではやらない。

ライブでやる曲はそれなりに枝が意味を持って存在している曲だ。当然バンドが包む音世界とのリンクとミクスチャーが、絶妙なチャネルで存在しているからこそである。

「ほうるもん」結成当時は不惑に近づいてきた頃であり、歌詞世界の根幹が根ざす土壌がしっかり確立されていたからであろうか、伐採急務の世界は今のところない。


ライブに来て下さるお客さんの音楽的好き嫌いに関しては、発信側としては無力だ。どうしようもない。選ぶ権利はない。

ただ、好き嫌いをジャッジされる以前の、ライブハウスに出てライブをしているバンドとしてのアイデンティティを否定されないだけの何かはしっかりしてきている気がする。


まだまだ音楽的にヒヨッコの俺である。死ぬまでに1つでも多くの唄世界とそれを包む音との素晴らしき楽曲をバンドで作り上げていきたいと、改めて思った次第である。

次のライブは3月12日。 稽古をしっかり集中していきたい。


今日はライブ後恒例の全身筋肉痛に前向きに苦しみながら、息子と遊んだ。

ダイソーで子供用スコップと熊の手を買って、雪かきもどきを息子に教えた。

楽しそうに雪かきに興じて、へとへとふらふらになっても家に入ろうとしない姿が、なかなか感動を運んでくれる。

単純に全てを意の趣くままに動いていける子供を羨ましく思い、大人の矜持とのギャップに揺れながら、高純度でひねくれすぎて、むしろ純粋に輪廻してきたかのような自分の今を快く思いながら、腰痛を気にしてぎっくりしないように息子を抱っこしながら、「ゆりかごのうた」をハスキーボイスで揺ら揺ら歌いながら、自分の土台を再構築出来た日であった。

『雪屋のロッスさん』いしいしんじ (新潮文庫)を手に入れたので読んで寝る。

明日からもミステリアスでいてシンプルな日々を、ザクザクと過ごして生きたい

0 件のコメント: