2008年7月20日日曜日

有権者の眼力アップ

案の定というか、ガソリン価格の高騰を受けて、運送業者、漁業、農業関係者に対しての特別措置の議論が活発化しているようだ。

サミット前にわが国のボスは、「日本だけが車の積極的な活用を促すような措置はできない」といった趣旨のことを言っていて、そのため、ガソリン価格の減税は4月の1ヶ月間だけにとどまった。

この趣旨自体にも矛盾はありまくりで、それは過去のブログでも述べた。しかし、一貫して国のボスが主張することならば仕方ない。俺はガソリン価格の高騰も仕方ないと受け止めていた。

ところが、ガソリン価格の高騰は能天気なお上の予想以上に各業界に深刻な影響をもたらしつつある。運送、漁業、農業といった、自民党にとっての大票田を直撃することは、選挙での惨敗を意味する。

選挙に勝って、現状の地位の座布団を死守することしか頭にない人たちにとって、地球環境に配慮した発言なんかはどうでもよくなる。

「何とかしなければ。」そう思って彼らが出した結論が、大票田への機嫌取り的減税措置なのだろう。あとの国民が泣こうが叫ぼうが知ったことではない。
当然、当初の理念自体がなかったのだから、理念めいたものの方向性を崩すことに抵抗はない。とりあえず票になるための措置を講じさえすればよい。

たしかに、漁業界の被害は甚大で、対策がなされることは素晴らしいことだが、特定の業種だけが影響を受けているわけではない。全員に対して均一な減税措置が必要だ。

こういったことは、毎度のことだから驚きはしない。選挙前は調子よいことを言っておいて、選挙が終わってから爆弾措置はとられる。

パチンコ屋が、新装開店で甘い汁を客に吸わせて、通常営業でがっつり巻き上げるのと同じ構図だ。

ただ、こういったからくりを政策と呼び、政策に長けた者が生き残っていける世界が政治の世界だ。政治手腕は、いかに目の前の難局を乗り切るかというところに焦点がある。

だから、こんな茶番がまかり通っていることで、誰が悪いかといえば、有権者に他ならない。企業側の票の取りまとめ者が、何を言おうとも、1人1人が普通の見る目を持っていたら、茶番を企む奴から順番に落選していく土壌が作られるであろうに、そうならない原因を作った有権者が、今こそ自らを恥じるべき時のように思う。

昔から、政治の世界に素朴な疑問があった。なんであんなにたくさんのお金が選挙にかかるのか? なんで有能には思えない人から順に当選していくのか? 投票するのは個人個人の裁量のはずなのに、どうして票の取りまとめが機能するのか? ころころ意見を変える人を国民が信じ続けるのはなぜか? だ。

自分が働く業界に有効に働く政策を支持したくなるのはわかる。自分の会社が儲かれば、自分の暮らしもよくなるからだ。当然だ。それが大票田を生み出す素地になっているのもわかる。

ただ、自分が働いている業界に政治家がもたらす利益が、他者を踏み台にして出てきている、短期的なものであることに気がつく人が、どうしてこうも少ないのだろう。

一時的に自分の暮らしが潤えばよい。 こういった気持ちは誰しも抱くのが本音だ。

ただ、時勢は変わる。甘い汁を吸った自分の業界が、凋落する時に、全てを政治の責任にするような人たちに、正当性はあるだろうか? 「以前においしい目を味合わせていただきましたので、これからは、苦しい時代を、自分が踏んだ人たちのために過ごしていきます。」と言うのが筋ではないか?

例えば、ゼネコン業界は甘い汁を吸っている時は、政治を賛美し、苦渋をなめる時代になると政治を呪う。

自分が踏み台にしてきたものに対する想像力はそこにはない。あるのは短絡的な享楽性だけだ。政治家も政治家なら、有権者も有権者だ。

毎回の選挙までの一連の動きを興味深く眺めている。どのように世論が操作され、どのような俳優がどのような演技をするかに注目している。
演技が出来ない実直な政治家が舞台から消えていく過程、名優がどのような演技で表舞台を闊歩するかを見るのは、茶番であるだけに娯楽性がある。

政治に娯楽性を求めてしまっているのが俺の現状だと思う。俺も恥ずかしい有権者の1人だ。 優れた想像力を持って、役者を選びたい。演者はいらない。

選挙は、政治家を選ぶ過程で、有権者のレベルが試される場だと思う。より高いレベルで、まやかしの演技を見抜けるように、選挙に備え準備したいと思う。

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