2007年12月24日月曜日

清い思い出

俺が学生時代、クリスマスイブという日に対する世間の胸の高鳴りは尋常ではないものがあったように思う。ちょうど、バブル全盛から崩壊に向けていっている平成の幕開け数年は、クリスマスイブには、全国の高級ホテルの部屋が満室で、予約は、半年以上前にしなければならないほどであったと記憶している。

半年前に高級ホテルを予約して、メリーな夜にはロンリーチャップリンになっている、素敵な若者も多数見受けられた。彼らは家族とでも宿泊したのであろうか?ミサである。

バイトでも、クリスマスイブの夜には、シフトの人員確保に苦労していたような気がする。用事がなくても、クリスマスイブの夜には、バイトに入れないという、しょうもない見栄を張っていた子も多く見受けられた。彼氏や彼女がいないのに、イブを空けて待っている若人の姿は、実に酢酸な香りであった。俺は1人残らず暴いた。クリスマス事変である。

俺の周りでも、イブだけは遊んでくれない男がたくさんいた。俺は、イブだとかいう行事に対して、心底軽薄感を覚えていたので、毎年12月24日は、しっかりとバイトをするか、残り物の男同士で飲むかをしていた。

男同士で飲むときは、わざとおしゃれな店に行って、カップルからの憐憫の眼差しをくらいながら、ワインが似合う店で、焼酎をロックでがぶ飲みしたものだ。洋風居酒屋で、数多い洋風メニューの中から、塩分がありそうな安いつまみを2,3頼み、長居する。大声で人生論を語り、別れる、切れる、こじれる、冷めるといった、カップルにはタブーの言葉を持ち前の大声で連呼した。そして、夜中の西大路を闊歩して夜を明かした。電信柱ごとに吐瀉物を残し、俺は縄張りを誇示した。

実にもてない男の構図に見えるだろう。しかし、実際はモテモテだったのだ。・・・・この行動こそが、ユーモアのある男の行動なのだよ。もてる対象は動物である。その日から、俺のアパート前には犬猫が集まりだした。偶然ではない。生類憐れみを受けた人間の記念日だ。(禁笑) 憐れみの効力は今はない。時代は変わる。徳川な思い出だ。

ある年は、男2人で、夜通しサイコロを振って、出た目が大きい方が勝つという博打を夜通し、酒にまみれながらしていた。一秒で決着がつく勝負であるから、明け方には、俺は相棒に、4億3000万円負けていた。彼には、俺の持っているCDを4億3000万円で買ってもらい、仲良く朝日を拝んで別れた。CDは、エアサプライだ。愛と夏の香りがした。季節はずれな思い出だ。

ある年は、コンビニでバイトしていた。夜中の2時に暴走族が四条通を走っており、俺は、店頭のSイレブンの旗を振って、彼らを応援した。すると1人のマスクをした族の奴が、俺の元にUターンしてきて、「乗れ乗れ!」と煽り、俺は素直に乗った。立派な一員である。(その後大晦日にもタンデムを経験してしまうことになる)Sイレブンの旗は、四条烏丸の交差点に捨てた。交差点で、俺はタンデムをやめ、彼らに、「無茶するなよ!」と、自分の無茶を棚上げし、粋なメッセージを送った。歩いて勤め先に戻る途中の風は、フリーダムであった。

店に戻ると、相性が悪かった、寺社仏閣巡りが趣味のシフトの相方が、阿修羅のごとき顔で俺に言った。「自分、いつか後悔するで!」 俺は、「すみません」と言いながら、廃棄の牛すじを食べた。歯間に詰まる獣臭さがフリーダムを壊した。2時間後に朝日を拝んで涙ぐみ、とぼとぼ歩く帰り道、俺は立ち放尿をした。朝日に向かって「馬鹿やろ~う」と、罵りの言葉を上げた。罵られる理由がない、全く持って迷惑なお天道様は、憐れみの雫を俺に垂らした。雫は髪を濡らす。少し白髪が増えたようだ。少し獣臭さがした。カラスの汚物だった。俺は野獣の仲間入りをした。実にビーストな思い出である。

ある年は、彼氏彼女がいない男女4人が、女の子の家で、自棄呑み会を開いた。男は俺と明君、女の子は、当時のクラスの女の子だ。俺と明君は、自棄にはなっていなかった。しかし、彼女たちは、少々恋心に傷を持つ二人であり、暴走気味だった。一生懸命俺が失恋の愚痴を聞いている間、明君は、武士と空手と、天下一品とオカルトとムーな話しをマイペースでしていた。チキンを食べて、弱弱しくなった俺と女の子2人は、ライオンのハートを持つ明君に食われ、彼のペースで夜は更けた。明君の天性の純真さに、俺たちはノックアウトされた。それで良かったのだ。朝になる頃には、俺たち3人の悩みは、明君のおかげで、どうでもよくなっていた。その3週間後、俺は中退願いを出しに、教授部屋を訪ねることになる。ロックアウトを自ら志願したのだ。チキンが自ら進路を決した契機の夜だ。チキンテイクアウトの思い出だ。

若者がイブを青春のイチャリングで謳歌している時、俺は上記のように謳歌した。俺の知らないところで膨れて弾けたバブルのような、浮世の満喫ではない。噛みしめて味があり、酸い甘いを全て内包した、夢のような時間であったと思う。俺の青春だ。今でも味は心の舌苔に宿っている。

イブは青春を振り返りたくなる日なのかもしれない。青春はイチャリングと共にだけあるのではない。清しこの夜に振り返る青春は、となかいの数だけある。となかいが運ぶ荷物は様々だ。となかいに乗った翁はいつの時代にも、やがて来る春の種子を届けてくれる。

俺は今の壮年時代を満喫している。数十年後に振り返った時、今の時代が舌苔に宿されているように、真面目な日々を過ごしたい。メリーな夜の壮年の吐瀉物は清い。臭いが見て欲しい。

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