2007年11月16日金曜日

作業着

以前働いていた工場が、今日、破産手続きを開始した。俺が慶應通信で学んでいた時分にお世話になった会社だ。卒業したらやめるという前提でも、夏のスクーリングで1ヵ月近く休む時には、小粋な計らいをしてくださった会社だ。不渡り自体は3年前に出して、事実上倒産していたのだが、3年の年月を経て、破産申請へと至った。

感謝でいっぱいの、自分がお世話になった会社がなくなることに、思うところはたくさんある。また、そこで働いていた方々が、この後良い会社とめぐり合えるかを思うと、気持ちの大半を奪われる。

この会社についての感慨を今述べられるほどの浅い恩情ではない。いつか整理できたら書く。

今日書きたいのは、この会社で3年近くに渡り着ていた作業着の素晴らしさだ。俺は、この会社の前にいた会社で(職歴多くてすみません。)作業服やら作業具関連の営業をしていたのだが、作業着を年単位のスパンで着こなしたことはなかった。恥ずかしい話である。売り手が商品を実感していないのである。

作業着は、じつに丈夫だ。そして人を選ぶ。どんなに使い古されて、汚れた作業着を着ていたとしても、作業着がかもし出すオーラで、それを羽織っている人間の、その道の技量がわかるのだ。
単に汚れが付着していることによるオーラではない。作業着が新品の熟練工と、いい味出した作業着を着せられた新人とがいたとしても、熟練工を見抜くのは容易である。

作業に秀でた人を選ぶ何かが作業着に宿っているのであろう。これは服装全般に言えるのかもしれないが、作業着には特に、その目利きの素晴らしさを感じる。

思えば、不思議な織物である。汚れを塗りたくられ、洗濯してぐるんぐるん回転を繰り返し、バイオ酵素の攻撃を受けまくっても、作業着は主張をやめない。微妙な汚れの残り具合をその体に配し、選ばれた人間に羽織ってもらえることを祈念しているかのような、その布肌・・・。しびれる。フォルムは官能的である。

「寅壱」というメーカーがある。このメーカーは、主に、鳶職の方御用達の作業着をもって営んでいる。「寅壱」に限らず、多くの工場従事者が羽織っている作業服を作っているメーカーがたくさんある。

どの商品も実に丈夫である。俺が働いていた時、200キロのコンクリート製品をクレーンで移動させていた時、その吊り上げ金具をかけるブツがはずれ、俺の脚に2メートルの高さから商品が落下してきたことがある。ちょうど、俺の太ももの上に落下して、俺は200キロ×高さの物理的計算を経た衝撃を、この、芳しい太ももに頂戴したわけだ。俺は靴で踏まれた虫のような状態で、ひざにコンクリートの数メートルのブツを抱えながら正座をくずした体勢で、ご対面したわけだ。正座を斜めに半くずしにした状態の婆さんの上に、200キロの猫が乗っている姿を想像してほしい。その猫は空中から飛んで、ひざに着地したのだ。

俺は、目の前にある塊を両手で払いのけ、落下から30秒ほど遅れて声を出した。

「お、おも~!」 鈍感なのではない。 俺は小声を発した後、呆然としている製造部長に、「すみません。商品が腿を直撃したので、医者行っていいですか?」と言った。部長は、声を失いながら言った。
「あ、歩けるの?」  その目は、エイリアンを見ているようであった。alien ・・・。 有り得ん。

医者の診断は打撲であった。湿布を土産に返された。俗に言う軽症だ。

俺は作業着に感謝した。彼は突発的な空中技を、その秀でた吸収性と頑丈さを盾に、俺の艶かしいおみ足を守ってくれたのだ。俺の脂身の無い腿肉は、彼のおかげで、青ざめるだけで済んだのだ。

これが、カジュアルファッションであったら、こうはいかなかったと思う。奴らは攻撃に弱い。下手したら、落下直前で破状攻撃をしたかもしれない。しかし、作業着は、羽織る主に対して儀礼を忘れていなかった。彼は刃城攻撃で、俺の体に加わる衝撃を逃がしてくれたのである。彼の褐色の肌に残る傷跡と引き換えに・・・。

その日を境に、俺は作業服が似合う男になった。毎日鏡を見て惚れ惚れしたものだ。傷を宿した作業着と、傷の痛みの分かる男が密着しているのだ。似合わないわけが無い。愛が生まれた。

今、塾という仕事の立場上、俺の作業着は、世間でスーツとか言われている、ヤサ生地だ。
しかし、俺はこのヤサ生地を作業着道の修行に日々誘っている。成果が上がってきて、最近は、プリーツとやらいう軟弱な線がなくなってきた。

嫁は、無くなりつつあるプリーツに、アイロンという名の鉄拳を浴びせようとするが、俺はそれすらも頑なに拒んでいる。俺のスーツがやっと男気を身につけ出したというのに、ヤワな道に進むことを俺は許さない。スーツがプリーツを欲すること、これを俺は「被行」という。ぐれさすわけにはいかない。

小学生の女子生徒が俺に言った。

生徒: 「先生~、最近ズボンの折り目なくなってきとらんけ? 」
俺 : 「あほ! 折り目なんていうものは、いらんのじゃ! 真のエレガントを教えたる!」
生徒: 「ようわからんけど、ちゃんとヤングドライに持っていかれ~」

俺は彼女の漢字練習の回数を増やした。「虎」と「壱」を各20回に増やした。彼女は従った。母親が子供を見るような目で・・・・・。教育はエレガントだ。

作業着に対する敬意を俺は忘れずにいたいと思う。それが、俺がお世話になった複数の会社への恩返しであると思う。これだけ、気持ちの入った社員を誇りに思って欲しい。

「衝撃と 汚れの数だけ 味がある 折り目なくとも 薫る織り目」(「まえけん全集第5巻「プリッツは折れるのよ。」より引用)

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