2007年11月14日水曜日

タイミング

この10日間で読んだ本を羅列してみる。

『アイヌの碑』・・・菅野茂(朝日文庫)、 『麗しき男性誌』・・・斎藤美奈子(文春文庫)、『私小説』・・・水村美苗、『世界最低最悪の旅』・・・蔵前仁一編、『井伏鱒二文集Ⅰ』・・・井伏鱒二(ちくま文庫)【再々読】、『新しい天体』・・・開高健(光文社文庫)【再読】、『十三妹』・・・武田泰淳(中公文庫)

再読の井伏氏と開高氏はおいといて、正直、不作の10日間であった。面白くて再読の可能性があるのは、武田泰淳氏だけだ。武田氏の作品は、すごく興味があり、他の著作もだいたい仕入れた。素晴らしい作家である。しかし、他は不作だ。ストレスがたまる。

著者が悪いのではない。自分の読むタイミングが悪いのだ。

例えば、『アイヌの碑』なんかは、アイヌ言語のスピーチ文があったり、貴重な写真もあり、興味をひく内容なのだが、いかんせん、著者の自伝的要素が強すぎて、今の自分の感性に合わない。自伝が悪いのではない。自伝に入れるだけの感性が、今の周期になかっただけだ。自伝で好きな著作はたくさんある。残念である。

又、違う時期に出違ったら、この本を自分にとっての名作であると思うであろうし、民俗学的な資料として、処分せずに、書棚に保管はしておくが、タイミングが悪い。

このタイミングというものが癖が悪い。

音楽との出会いもそうだ。レコード屋で購入した音源が、ことごとく自分にとっての、最高の出会いになる周期があれば、その逆もしかりだ。均等に興奮を覚える作品に出会えるのであればいいのだが、当たり週間(月間)とはずれ週間(月間)に極端に分かれてしまう。

今までの経験上、はずれの期間が長く続いた後には、自分の中での画期的な新しい興味分野の先導となる作品にめぐり合えることが多いので、今はその時期であると、自分を慰めている。

次は、何に興味を持つのであろうか??? 行き着く先に期待したい。

いつも皮算用的な悩みに襲われる。

本で考えよう。俺の場合、週刊誌や、雑誌(「文藝春秋」からエロ本まで)を覗いて、文庫本で3日に2冊のペースで、ここ10年ほど読んでいる。しかし、月間20冊ペースでも、しょせん、年間240冊である。大型連休での読みだめを入れて、年間300冊と概算する。資料的な抜粋読みや、エッセイを含めると、年間500冊はあると思う。しかし、再読もあるので、純粋な新たな出会いは果たして・・・。
冊数で年間500弱、作品数で、年間800ぐらいでなかろうかと思う。

冊数ベースで、たった500冊だ。500冊なんてものは、書店の棚で見た場合、1、2メートル圏内だ。

毎月膨大な書籍が刊行される中で、出会えるのはたった500冊だ。かりに、晴耕雨読の暮らしが実現できたとしても、人間が一生に出会える作品というのは、全作品数のコンマ数パーセントの世界ではなかろうかと思う。

こんな出会いの中で、出会うタイミングを逸してしまうと、せっかくの出会いも自分の中を素通りしてしまう。音楽にしても然りだ。自分の感性をえげつなく揺さぶってくれる音楽と、出会うべきときに出会える偶然が重なるか重ならないかは、すごく大きな問題である。

青春時代に、むちゃくちゃ感動した音楽が、親父買いをして再聴してみると、しょぼく感じた経験は誰にでもあるはずだ。出会うべきときに出会い、それを心の中で封印して、かけがえの無い塊としてもっていることが、どんなに幸せであるか? 

こんなことをいつも思っている。

本も、音楽も、人から勧められたり、レビューを見て、読んだ聴いたりすることは、効率が良いかもしれない。普遍の名作というものがあるからである。でも、普遍である作品に出会うにも、タイミングを逸したら、その感動は薄くなってしまう。それに、自分が読みたい、聴きたい作品は、本来、人に勧められて出会うものではないと思う。

なぜなら普遍の名作だけが自分を震え上がらせてくれるのではない。自分のその時その時の感性にだけあった、急所直撃の作品に出会う機会が毎日あり、それを無為に過ごしながらも、どこかで劇的な出会いがある時間の流れ・・・。 考えるとわくわくして、あせって、キュンキュンくる。

劇的な出会いは、書棚やCD棚とのにらめっこを、高い純度でこなすものにだけ、舞い降りてくれるのではないかと思う。少なくとも、俺は毎日、書棚を覘くことを日課にしている。

眼光のするどさは日によって差がある。感度が鈍る日もある。しかし、俺を呼んでいる作品の魂を感じながら、1つでも多くの出会いを経験していきたい。

俺を呼ぶ魂の中には、スパムもいる。また、安っぽい魂に惹かれることもある。作品側がどんな高尚な魂であっても、こちらの受け入れ態勢が不純であると、それは良い出会いにならない。
不純と煩悩の度合いが人一倍高い俺だ。俺を呼ぶ声の色はピンクであることも多い。それを抹殺しようとする俺もいる。ピンキー&キラーだ。「恋の季節」だ。 何を言ってるんだ。「故意の既設」だ。


日々、良いタイミングが用意されている。それを掴むのは、こちらの眼の鋭さである。

今日、書棚で俺を睨んでいたのは、『もののたはむれ』松浦寿輝(文春文庫)である。至福の戯れ時を過ごしたい。

「タイミング 逃せば ふみも 催眠具」(「まえけん全集8巻『桃眼郷』より引用)

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