2007年11月12日月曜日

正義の定義

学級会というものが嫌いであった。どうでもいいことを、正義の味方と悪役が小競り合いをとばし、ギャラリーは野次馬として至福の時間を過ごす。どう見ても、建設的なようでいて、偽善に満ちた時間にしか思えないでいた。

正義の味方①:「せんせい、まえけん君は、いつも掃除をさぼります。」

俺@心の中: 「お前もチェックする暇あるんやったら、掃除せんかい! それをサボり言うのとちゃうんかい! 鼻に割りばし突っ込むど!」

正義の味方②:「せんせい、まえけん君はドッジボールで、弱い子ばかりを当てます。」

俺@心の中: 「弱い子って決め付けること自体がおかしいやんけ! お前にも愛の鉄拳ボール食らわしたろうか! がりがり君め! 凍らしてキャンディーにして食べるど!」

正義の味方③「せんせい、まえけん君は、べったん5枚で、M尾君の答案を盗み見する約束をしていました。」

俺@心の中: 「くやしかったら、べったん6枚で買収せんかい!俺の動向見ているお前もチーターじゃ! このインテリ息子! 剥製にしてインテリアにすんど!」

どうも品が良くないので、ここで止める。

防衛省の悪代官みたいな小太り日本体型男児が叩かれている。彼の追求なしには、法案も通さない覚悟だ。野党のみなさんは、聖人ばかりで羨ましい限りである。もちろん嫌味である。

防衛省の天皇さんのことに関して、品良く、少し物申したい。

俺は彼が受けた接待とかを、国家レベルで取り扱う悪とは思わない。聖人的尺度に基づけば、間違いなく悪だ。しかし、人間が人間を治める制度の中で、彼がした行動を叩く資格がある人が、果たして何人いるだろうか?というのが、俺の正直な意見だ。

日常生活レベルでも、少し便宜を図ってもらったり、企業レベルで、取引先を紹介してもらったら、菓子折り持って伺うであろうし、それを、「これは不謹慎である。断じて受け取るわけにはいかない! 」と言う人が何人いるであろうか? いたとしても、それは人間関係上不自然であり、偏屈の衣を着せられる結果になるだろう。

本当に見返りを期待せずに、相手のことを考えて行動できるのは、俺の経験レベルでは優れたバンドマンだけだ。当然、志を同じくする同士と呼べる関係の中では、見返りは必要ないであろう。

しかし、官僚エリートと入札参加資格業者の間に、同士と呼べる関係があるわけがない。あったら、それはそれで、高次的談合だ! 

利権を扱う役職が高くなればなるほど、動かすブツや金銭が大きくなる。当たり前ではないかと思う。

誤解しないでほしい。そういった場面でも、公僕として、利権にまみれるのではなく、国民のことを痛切に願うのが筋である。そうあるべきだ! 本来は、心ある人間関係だけで結ばれていたい。ちょうど俺が関わらせて頂いているバンド関係の人間と同じようにだ。 

しかし、建前だけで済むであろうか?

高い儒教的道徳を持った人物が、高位の役職に立てる環境があるのであれば、防衛省の旦那は、もっと弾劾されて、市中引き回しの刑に処しても良いと思う。しかし、無理ではないかと思う。

自分が、省庁のトップにたって、彼と同じことをしないと宣言できる人がいるだろうか?いたとしたら、それは想像力の欠如ではないか? 少なくとも俺は出来ない。俺は高級ギターを買わせていたと思う。
計らいに対する謝礼を、気持ちとして受け取る感覚が、位が上がれば、桁が違ってくるだけであると思う。日本人は、礼節を重んじる。それは、お中元、お歳暮といった、事務的な儀式にも現れている。この行事自体が、俺には奇異に思える。ただ、品物を送っておけばいいだろうといった関係(もちろん、全送り先がそうではない。)が、日本人的伝統儀式で、礼節の象徴であるなら、官僚の接待が特に悪いことには思わない。

本音と建前がある。野党は、本音を置いておいて、彼らを不正という名の下に暴かなくてはならない立場なのもわかる。

で、何が残る?  学級会のような茶番が繰り広げられ、それを見て、喜ぶ国民と、怒る国民とが増える。大事な法案は通らない。国会が遅延し、税金がまた減っていく。陣取り合戦と、真の正義を知らない正義マニアが意見する、弁論大会が今日も行われている。

俺は性悪説信者ではない。性善説信者だ。善であることは、誘惑に流されやすいことだ。だめであることを知っている人間だ。正義を振りかざせる人間は、正義の定義に怯えている奴だけだ。

何もかも仕方がない。あきらめでもひがみでもない。ただただ、万事、話し合いやパフォーマンスの時間を短縮して欲しいのだ。存在アピールの場を奪う気はない。弱者になったことない人が弱者の気持ちを分かるわけがない。なる必要もない。ただ、目線を下ろすポーズをやめて欲しいのだ。

キーポンロッキンインザフリーワールド! なんて美しい言葉の集合体だ。文節にマジックがある。
前向きなあきらめと、想像力とを持って・・・。

今日、教え子の保護者から賄賂をもらった。林檎である。色づいていない。熟すまで待つ気はない。色づく前に果実を味わおう。色づきは腐敗と紙一重である。これが正義の定義だ。いつか改変できる日を待っている。

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