2007年11月15日木曜日

パーソナルコンピューター不調

昨日の投稿から、システムが変だ。自分が投稿した後に、このページに行こうとすると、白紙の画面が出る。パソコンを立ち上げた一発目は通常どおり開けるのだが、2回目以降は白紙の画面が出る。

詳細を話そう。

いつも俺は、「お気に入り」から管理者画面に行って、投稿し、その後、「ブログを見る」というところをクリックし、投稿されているかを確認している。

それが昨日から、投稿後、自分の画面が確認できなくなっているのだ。画面を確認する時には、編集ページに行くのだが、それも、1度開いたものを閉じてしまうと、その後は白紙の嵐だ。理由がわからない。外部のパソコンからここにアクセスできるのかもわからない。わからないだらけの投稿で、正直不安だ。

昨日、「動物病棟」というタイトルで書いた。動物を馬鹿にしたつもりはないが、動物の怒りがここに降り注いだのかもしれない。

いや、そんなはずはない。動物に対する俺の筆致は、愛情に満ちたものであったはずである。読み返そうにも見れない。結核患者の怒りを買ったのだろうか? いや、これも違う。その当時の結核的な病気で俺は2回入院しているのである。禊は済んでいる。注射による消毒の禊だ。川ですべきだったのか? これ以上言うと、ますます怒りを買いそうである。

やはり、最後に残るのは手でしたためたものである。現代では、パソで叩きまくった文章を印字して、保管しておくべきである。

コンピューター君は、すばらしい頭脳をお持ちであるが、蓄積と取出しにはすぐれているが、1つ命令を間違えると、とたんに機嫌が悪くなる。しょせん、人間が作ったものの限界であろう。やつらの受動体制は感情を持たない分、直接的である。

ビールを飲めと指示されたコンピューターがビールを飲む。あらゆるメーカーのあらゆる商品名もビールという暗号があれば、奴は飲む。しかし、そこで、発泡酒なるものが現れた。ビールの定義に発泡酒も含むという指示を出さないと、奴は頑なに飲まない。定義を変えたりするのは、人間の素晴らしい頭脳の営みである。その都度コンピューターの立場にたって、指示を入れなおさなければならない。

指示を入れるのは人間である。直線的な思考だけで人間は生きられない。指示を入れ忘れたり、指示する項目自体に気付かないほどの頭脳を、俺らは持っているのである。指示漏れがあるのは当然である。しょせん、コンピューターはコンピューターである。

しかし、奴らが大きくなりすぎ、指示する人間の母体が大きくなればなるほど、奴らにとっての直線であるということが、分からなくなるのではないか? システム障害を報告し、1つ1つの事例に対する対処は出来ても、奴の直線的であるがゆえの悩みの奥底に触れられる人間は、もはやいないのではないだろうか?

社会保険庁が公的に記録した文書を100年単位で保管しておく倉庫を作らずに、ある期限で区切り、書面を破棄するという暴挙に出たのも、このコンピューター頭脳を万能であるかのようにかん違いした結果であろう。 確かに、公的記録を全て保管するのは物理的に困難であろう。だから、先延ばしの保険なんかはやめてしまえばいいのだ。約束なんか出来るわけがない。お年寄りで身寄りが無く、食うものに困っている人がいるならば、その人たちを囲う村を作ればよいのだ。

高齢者の怒りを買いそうなのでやめる。しかし、俺の意見は高齢者への冒涜ではない。年金を管理するシステム作りに膨大なお金を費やし、その指示系統を間違えたことによる、年金漏れが出るくらいなら、国家銀行を作って、自分が預けた分のお金に金利をつけて、老後にお支払いしますといった名目で、個人口座を人口分作れば良いのだ。全人口の口座数を作り、その残高を社会福祉基準から算出し、老後に支払うシステムの構築は、直線的で、簡単な関数で作れると思う。そのためのシステムを作らずに、個別の機関ごとの入力システムでまかなおうとするから、指示系統に狂いが生じるのだ。

コンピューターを作った人間が、システム開発の利権競争で、彼らの直線的な指令系統に無数の枝を作り、それに翻弄され、種々の問題が生じる。

結局は人間の単なる産物ですぜ。世界規模で使うなら、システムの脊髄と内臓器ぐらいは、国連的なプロジェクトにして、利権の入る素地はなくして欲しいと思うのでありますよ。

コンピューターに詳しくない俺がコンピューターに文句を垂れる。垂れられたコンピューターは、感情が無いとはいえ、理不尽である。コンピューターに精一杯携わり、それを生業にしている方々にとっても理不尽な話である。

コンピューター、この得たいの知れない化け物との接し方に、未だに戸惑いを感じている。
無知なだけである。コンピューターの頭脳の一部を俺は欲しているだけかもしれない。

システムを作ってくださった方々の恩恵を満喫する一方で、それに不満をたれるのはよくない。改める。否定するのは、ちゃんちゃらおかしい。

俺は曲線的頭脳を持った人間だ。システム障害に一喜一憂するのも曲線のなせるわざだ。振り回されながら、嫌なことは、脳裏に圧縮し、解凍ソフトをダウンロードしなければ良いのだ。嫌なことを覚えていたり、少々のことで戸惑っていたら、生きてはいけない。ゴミ箱のキャパは負けない。

圧縮だの、解凍だの、キャパだの、俺もコンピューター化している。人間的コンピューターとコンピューター的人間の戦いだ。そこに哲学はない。科学があるだけだ。悩みはつきない。しかし、大げさな話ではない。しょせんパーソナルコンピューターだ。 0か1か、有か無か、答えを出すのはパーソナルだ。

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