2009年1月26日月曜日

湯治場への思い

積雪があり、ちらほら雪が舞う今のような時期、ひなびた温泉宿でゆっくり湯浴みしたいと思う人は多いだろう。外気が冷たい中、ぬるめのお湯で半身浴する時の気持ちよさは何ものにも代え難い喜びがある。

「湯治」という言葉がある。温泉に入って万病を治療することを意味するが、この「湯治」にぴったりな湯治場となり得る泉質を持った温泉と、それがある佇まいが好きだ。まだ西洋医学が発達していないころ、人々が万病治療を、近場のいで湯に求めた気持ちの尊さが、何ともいえない雰囲気をかもし出している。そんな場所におでかけするのが好きだ。

今でこそ多くなった温泉施設であるが、数は多くあれど、なかなかこの「湯治場」は少ない。まず、湯治という性質上、長期滞在が必要になるが、そういった人が自炊できるスペースと、素泊まりとしての廉価な価格設定を備えた宿は、数少なくなってきている。商業ベースで考えると、決して割りのいい商いではないからだ。

一昨年春に嫁と2泊3日で行った、四万温泉と万座温泉には、昔ながらの湯治場情緒があったが、それでも、完全に湯治客だけが来る場所ではなく、家族連れ、カップル、慰安旅行、スキー客でにぎわう、レジャーの拠点となる、温泉旅館であった。

今、別に湯治を必要とする持病があるわけではないのだが、温泉以外は何もない湯治場で、ゆっくりと長期滞在をするのが、老後の夢であったりする。

こんな俺の湯治への憧れであるが、昔からそうだったわけではない。むしろ、湯治場に対して、恐山に似た恐怖や、湯治客の外見(失礼であるが)に対してのトラウマがあるくらいだ。

小学校4年の夏休み、俺は九州の婆さん家に預けられたことがある。兄弟の中で俺1人が九州送りとなった理由は、今もってわからないのだが、表向きは、アトピー治療で温泉に行かせる理由だったように記憶している。

当時、俺は少年野球チームに入っていて、Aチーム(6年生中心の1軍)とBチーム(低学年から5年までの2軍)との間のランクにあった、ジュニアAチームのキャプテンを務めていた。そのキャプテンが、夏休みを丸々休むことになったものだから、周囲からは色々と言われた。

「温泉治療って、じじいみたいやな~。」とか、「あいつ、ひ弱や~しょんべんたれや~。」とか、「キャプテン失格、病弱はいらん。」とか、上級生からむちゃくちゃ嫌味を言われた記憶がある。

種々の雑音をどのようにしてシャット・アウトしたのか、記憶は定かではないのだが、とにかく、夏休み40日間のほぼ全てを俺は九州で過ごすことになった。

遊び盛りの小学生が、田舎の観光名所になるようなところで過ごすわけだから、退屈で仕方がない。毎日、家の前の川で泳いだり、釣りをしたり、田舎ならではの変な時間設定に組まれているプロレスを見たり、それくらいしか楽しみがない。

当時ですでに高齢化が進みまくっていた村であり、近所のばあさんたちと、毎日近くの温泉に行ったのだが、ばりばり混浴だった。

だら~~とへちまみたいに垂れた乳と、ばあさん独特のスメルをかぎながら、明かりもない一軒の村営無料浴場に連れていかれる。帰りには、日替わりで村のどこかの家に連れていかれ、老人達の寵愛を一身に受ける日々・・・。窒息しそうだった。

夏休みの真ん中ぐらいだったが、ばあさんは俺を本格的な湯治場へいざなった。全国的な温泉地として有名な湯布院から、1日1往復しかないバスで、高原の頂目指してバスは進む。1時間ぐらい揺られてたどり着いた空き地に降ろされて、そこから少し歩くと、木造長屋が数棟並んだ湯治場に出る。名前を覚えていないのだが、「つかわらのお湯」という言葉を婆さんから呪文のように、よく聞いた記憶がある。

6畳の個室がいくつも薄い壁で仕切られている休憩室に入り、入浴準備をして、湯治場内を歩く。数種類のお湯があって、温度差がそれぞれに設けられている。最初に入った湯には、昔で言うライ病であろうか、見るも気の毒な姿の人が、お湯に入って何か瞑想していた。湯煙の中で見た彼を、俺は不謹慎だが、すごく怖く感じた。

一緒に湯船に浸かり、彼と話をしたら、遠く島根から、湯の効力を信じて来られていて、2ヶ月くらい滞在しているらしい。すごくいい人で、彼は湯上り後もジュースやお菓子をくれた。彼の親切さはわかるのだが、俺は彼からもらったお菓子を食べずに、帰りのバス停留所に捨ててしまった。今でも心が痛む記憶である。

さらに奥の湯船に行くと、そこは、地獄絵図のような感じだった。へちま乳の婆さんだらけだったのだが、湯船に浸かっている人たちの、恍惚感を突き抜けた、何だか魂を抜かれたかのような映像が俺の目に飛び込んできた。黄桜の河童がいっぱいいるかのような、変な恐怖感があった。厳かで、見てはならないものを見てしまったかのような、つげ義春さんの劇画のような怖さがあった。

孫を湯治場にいざなって、満足気味の婆さんとは対照的に、俺は不満と恐怖の極みだった。合計4日間、日帰りながらも連れてこられたのだが、2回目以降、バスを降りて湯治場へ入った時の恐怖感は、その後しばらく、極度のトラウマとなって消えないでいた。

このように、湯治場に対しては、まったくもって忌み嫌う体験があるにも関わらず、大人になった今、湯治場に魅せられるのは、なぜだかわからないのだが、不思議な磁力に引き寄せられるように、じじばばだらけの湯治場に、磁場を感じてしまう。

世間から隔離されたかのような湯治場で、身に背負った病の治癒を、いで湯に求める人たちの気持ちを、俺は忌み嫌ってしまった。そのことに対する、後ろめたさと懺悔心が、俺を湯治場に駆り立てるのかもしれない。

でも今、湯治場に行くとして、俺は何を治すのだろう。せいぜい、「闘痔」くらいであろう。

だが、滔滔と流れる泉は、俺の蕩児時代の後ろめたさを癒してくれそうな気がする。「闘痔」がてらに出かけてみたら、当時のトラウマに悼辞できそうな気がする。

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